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『いきてるきがする。』《第20部・春》



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  第102章『後縦靭帯骨化症という愛。(最終章)』

 何か付いてます?『昔の子』が私に言いました。いや、何も付いてないよ、と慌てて誤魔化した時の私はきっとだらしない顔をしていた事でしょう。

 昔の子……。何か付いてるどころかもう、私には今にも君の顔が全く見えなくなりそうだよ……。

 トラック島で私は伯父に会いました。彼は確かに私の伯父です。私が生まれるずっと前に亡くなった実父の兄です。それは確かに私の記憶と想像から出た伯父でしたが、私にとってはもう確実な存在としてあるのです。

 初めて会う親。初めて会う兄弟。それをあなたは根拠もなく否定できますか? 出来ないはずです。たとえ会う事は生涯一度もなくともその存在を否定することも、出来ないはずです。実際に私には子供のころから一緒に暮らしていた祖母とは別に、実父が赤ん坊のころに早世した血の繋がった実の祖母がいる事を知ったのは、私が親元を離れ、大学を卒業して東京で一人暮らしを始めてしばらくたった後の事でした。へぇ~と驚きましたが、私はその新しい祖母の存在を全く疑う事なく信じています。同じようにこの私の記憶についても私にはもはやウソとも本当ともなんの確信もありませんし調べようもありませんが信じています。だからまあ、それはそれとして……。

 いろんなところにストレスがかかっているのだけは偏に、私のだらしなさに尽きると思っています。何でもかんでも曖昧に誤魔化して逃げてきたツケが今、回っているのだと思っています。誰も助けてくれないのも無理はありません。誰が一体、私の妄想じみたお話に真剣に耳を傾けるというのでしょう。そう、この私の罪業は不幸な事に、誰の目にも止まらないのです。同じように私の悲鳴も、誰の耳にも届きません。そして私をこの地獄のような、想像ともウソとも、正解とも誤解ともつかない、極めて頼りない現実をから助けたければ、その人は私の息の根を手一刻も早く止める方法をまず考えなければなりません。少なくともそれに準ずる状態に私をしなければなりません。

 

 そういう意味でもやはり、私にとって後縦靭帯骨化症はかけがえのないだと言えるのです。そしてそれでもまだ私はどこかでまだ逃げ道はないのかと探しているような気がしてならないようです。そして、これはうがった考え方でしょうけど、私にはきっとそうやって逃げ続ける才能が、他の誰よりもずっとあるようなのです。逃げ続けたその先には、ひょっとして、これまで誰も辿り着いたことのない大正解があるんじゃあないかという、他かからすると全く噴飯物な淡い期待を、どこかに持っているような気がしてならないのです。

 まったく、神は私をどうしたいのでしょう? いいえ、それは逆で、

 私は神をどうしたいのでしょう?

 トラック島は私が考えていたよりもずっと日常の中にあって、平常で穏やかで、『戦争』という圧倒的に違いないと思っていた出来事でさえ、その生活のほんの一部しか支配してない事を体で感じることができたのです。われわれはこの『日常』という固い膜に守られて、その他のすべてはその膜の中で過去の事として思い出すほかに何も出来ないように思えるのです。

 このまま、ひょっとして日本は、トラック島は、戦災を逃れ、平和的に終戦を迎えるのかもしれない。それを戦後日本政府の偏向教育によって、『日本はアメリカによってコテンパンにやられて、原子爆弾を落とされボロボロになり、そして無条件降伏をした。』というウソの洗脳を受けていただけで、本当は、この島は戦争が終わるまで、まるで平常であったのかもしれない。

 本当に申し訳ないと思ったのですが、私はここでいったん、この想像をやめることにしました。昨日病院で撮った首のMRI映像と同じように、トラック島に関する私の記憶は、一つの頼りない思い出に変わりました。

 ほらね、ここがこんなに狭いから、おそらくしびれも痛みも、ここら辺から来てるんだと思います。

 だ、そうです。それ以上、何も言う事も訊くこともありませんでした。

 『昔の子』は、どうやら初めから私の伯父であったようです。群馬県吾妻郡長野原町応桑にある諏訪神社の道祖神の写真を見た瞬間、 私はそこに見知らぬ伯父の姿をありありと見たのでしょう。それ以外にこの物語が始まる理由が、私には見当たりません。

 ただ彼は戦地、トラック島の大空襲で死んだのではなく、本土で餓死したのだと。そう本人が言っているので、私はそっちを信じることにします。

 私は残り少ないかもしれない自分の時間が、せめてこのお気に入りの記憶とともに、できるだけ長く続く事のみを祈ります。そしてこの、後縦靭帯骨化症という愛は、もがき苦しんでいる私をほんのしばらく、時代も性別も何もない真っ白いシーツのような場所にそっと置いてくれたように、今はそう思えてならないのです。

 



      第101章『後縦靭帯骨化症という愛。(その5)』

  乗合の馬車に乗っていて、道もガタガタであるはあるのだが、どうにも揺れが危なっかしいようでふと外を見ると、左前の車輪を止める金具が緩んでグラグラと今にも外れそうになっているのだ。しかし御者はとんでもない老爺のため、ぼんやりと前は見ているものの横も後ろも全く見ていない様子。

  これは例え話。

 やがて轍を跨ごうと馬車全体がぐらりと揺れた時、とうとう金具は外れて落ちて、コロコロと転がって路傍に消えた。もう限界だ、外れるのは時間の問題だ。

 見ると子供を抱いた人も乗っている。その人は愛おしそうにお子の顔をのぞき込んでいるが外の様子には全く気付く様子もない。馬車は当たり前に目的地に着くと信じ込んでいるようだ。我が子が愛おしいのはわかるが、今は顔を覗き込んでいる場合じゃない!

 その焦りから、私の額には大量の汗が浮いてきて、

「どうしたい?兄さん、気分が悪いのかい? 馬車に酔ったか? 都会モンかい?」なんて向かいの赤ら顔にまで言われる始末。だって危機迫る現実が、目の前には全く現れてこないのだから。実際、旅人である私としては洒脱な返しの一つもしたいのだが今はそんな余裕はない。一刻も早く飛び降りるべきなのだが、そんな現実が現れない以上、私はなんと言えば、この人達を、無事にスムーズに飛び降りさせる事が出来るだろうか……。

  まあ、これぐらいにして……。

 結論から言うと私はその店を喧嘩同然でやめたんですが、それはもう、入社から10年も経った後の事でした。その間も、例の無意味な序列と慣習はまるで家宝のように連綿と受け継がれ、それに私もさほど不満も感じなくなっていたのです。人が口にするものすべてが料理というならば地球はさながら大きな台所だ!私はそんな言葉を反芻してはその大層な無意味さに、ププ、と吹き出しそうになりながら、日々チャーハンを炒め、野菜を炒め、中華麺を茹で、カツを揚げていたのです。しかしいくら私が悪人を装ってみせても、本物の悪業をやり続けるにはやはり限界があるとわかったのです。かつての私の夢・目標はすっかり干からびて形見のようになってはいましたが、まだ懐に奥深くにあったようです。そして、じゃあ最後に訊くが、これとこれ、どっちが自分に正直か、と自問した時、私は私なりに、たとえ何の得もなくても、少しでもこの無意味な序列と慣習に亀裂を入れてやろうと、それこそがここにいる柑橘たちに対する本当の仏心・愛なのだろうと思ったのです。

 社長。僕、今月で退社します。

 こうして10年間も続いた、一番の年嵩で、一番新人で、一番仕事が出来ない、という看板は下ろされました。しかし私はわかっていました。弱い組織ほど、そういう看板が思わぬ大きなものを支えるようになっている事を。粗悪な組織ほど、そういう捨て石のようなモノが絶対必要不可欠であることも、私は十分理解していました。だから、結局私は意地悪でした。例の4種の柑橘類たちの不健康な惰眠にも、そっと毛布を掛けてやることを忘れませんでした。眠れ、眠れ、と欲しがる老人の意のままに、私は消化の悪い脂身を食べさせ続けたのです。

 

 老社長は一瞬、驚いたような顔をしましたがすぐに渋面に戻り、まあ、うちもね、そんな、よけいな人をね、雇う余裕もないわけだから、やる気がないなら、やめてもらって結構ですよ。 と言いました。やっと辞めたか、という空気が一瞬で厨房に充満するのが分かりました。彼らは一致団結して役立たずを追い出してやった。という事に満足げでした。しかしそれは単に寝ざめの心地良さでした。その心地よさと引き換えに、彼らの惰眠はあえなく終わりを告げたのです

さあ素敵な夢は終わったよ。どうする? 

 このうえ二度寝をするというのならもう知らない。勝手にしろ。結局私は一人で馬車を下りることになりましたが最後に一言、車輪、もうすぐ外れるからね。といい残したのです。

 これは決して、私の当てすっぽうの恨み節ではありませんよ。彼らの世界では知りませんが、私の世界では実際その通りになりました。そしてやはり、私の気持ちは彼らを残して一人で馬車を下りたという後ろめたさでいっぱいになりました。私は自分の現実を信じきれなかった不甲斐なさ、無力さを感じながら、よたよたと走り去る馬車を忸怩たる思いで見送ったのです。

               *

 どうしたらいいんでしょう? 私は萩原にそう尋ねました。

大戦中の日本兵は、はたして女をどう扱うものなのか、私にはわかりませんでしたから。

萩原は「私の親戚の令嬢なのだから堂々としていればよろしい。」そう言ってくれました。その言葉は優しく、凛としており、私は少しホッとしました。そして妙な気持になりました。それは恋愛感情のような、ずっと寄り添って頼って歩きたいような慕わしい気持ちでした。少しうっとりとして歩いていると、

「ところで君はいつここへ来たんだ?今どこのお世話になっている?」と萩原は私に訊きました。そりゃあ、当然そう思うでしょう。これは私の頭の中の世界ですから、どんな出鱈目でも本当になるはずでした。でも私の頭はもう、少しの出鱈目を思いつかなくなっていました。他の兵隊たちは少し足早に酒場へと向かって歩いていました。ネコのいい匂いも、車輪が外れそうな馬車も、そして自分が女子であるという事も、すべてをそのままにして、私には一つの答えしかないように思えたのです。

 あの……、もし、今、戦争中でなかったら、私が、あなたの姪でもなかったら、どうします?

 こんな拙い言葉では何も伝わらない。私は萩原に妙な疑いを抱かせてしまったかもしれない。そう思いました。なんなら私は今すぐにパソコンを閉じて元の世界に戻ることもできたでしょう。そうしてこの悪魔のような、『後縦靭帯骨化症という愛』に甘んじることもできたはずです。

「同じ事だ。」 萩原はそう言って笑いました。

 何も変わらない。私を取り巻く環境なんて、私はまるで門外漢だよ。私は生きている。それだけだ。それだけで十分だ。君が戦時下ではないと思うのならそれで結構。私もそうしよう。私の姪ではないというのなら、それでも結構。そうしよう。この少し後、私はきっと奴らと一緒に酒を飲むだろう。私もまったくその気でいる。だがその前に、いきなり飛び出してきたどこかの誰かに射殺されるかもしれない。それは戦時下であろうとなかろうと、君が姪であろうとなかろうと関係ない。つまり何の問題もない。生きるとは実に単純明快な事なんだよ。

 萩原さん、この島はもうすぐ焼け野原になります。アメリカから攻撃を受けるのです。 私は思わず言いました。これは明らかにルール違反です。しかし萩原は、

 同じ事だよ。と、やはりそう言って笑うのでした。

                  *

 六義園に花見の団子を届けるため、荷台に無理矢理番重を括りつけたブサイクな自転車で、よたよたと危なっかしく車道の右を走ったり左を走ったり……。終戦直後とは違うんだから、交通ルールぐらい守れよ!死ぬよ。

 それでも80歳を過ぎているとは思えない巧みなハンドルさばきで六義園に着いた老社長は私に、ほれ、食え。と、注文の箱の中からみたらし団子を一本私に差し出しました。

 これは注文の……。

わかりゃしねぇよ。食え。

 枝垂桜の前のベンチに腰を下ろし、池を眺めながら老社長は言いました。

 お前なんて、どこいに行っても使ってもらえないよ。もっと素直にならなきゃ、可愛がってもらえないよ。人間はな、可愛らしさが一番大事なんだよ。戦後の日本みたいにな。あの頃、もし日本人が強がってたら、アメリカは容赦なく日本を滅ぼしただろうさ。皇室も、政治家も、大人も子供も、一丸となって、可愛らしく連合国に媚びたから、今の日本があることを忘れるな。

そりゃ、悔しかったさ。でもそうすればその日一日がをより楽しく生きてられる。強がることが一番じゃない。人生なんて、その日の飯が旨けりゃそれで十分なんだよ。

                *

 やっぱり、私は、失礼します。 そういって立ち止まると、萩原も立ち止まり、そうか、まあ、十分に気を付けて。そう言ってそのまま立ち去りました。長い影を引くその後ろから、大人用の自転車を三角漕ぎをする少年がまた一人追い越していきました。あの少年は将来、本土に戻って巣鴨で小さな団子屋を始めるかもしれない。そしてその店は、地蔵通りブームの波に乗って食堂へと拡大して、やがて箸にも棒にもつかない、ひねくれた男を雇うかもしれない。そのためには是非ここが、焼け野原にならないように、私はせいぜい別の未来を創造するしかない。それしかないんだろうか。

             <続く。>

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 第100章『後縦靭帯骨化症という愛。(その4)』

 ポカポカの日差しの中でネコの背中を撫でています。

日向のネコの背中は、嗅がなくてもいい匂いだとわかるんです。この『日向の猫の背中はいい匂いい』というのはおそらく世界共通の錯覚だと思われるのです。

 つまり全世界が共有する錯覚は、確かにある、という事になりますよね。でもそれって、錯覚、なんでしょうか? 実際となにが違うのでしょう?

 私は私という人間にさほど興味はありません。顔が良かろうが悪かろうが、頭が良かろうが悪かろうが、スタイルが良かろうが悪かろうが、家柄が良かろうが悪かろうが、育ちが良かろうが悪かろうが、健康が良かろうが悪かろうがどうでもいい。私が興味があるのは、私の周りの出来事のみで、それにはむしろ病的に興味がある、と言えそうです。

 私が言うこの、病的、と言うところには、私の身体の、或いは頭の中の、感覚やイメージ、記憶などを、あたかも蝶の収集家のように、それぞれの種類・色・雌雄・形捕まえた場所・季節ごとに、狂気じみた正確さでびっちりと並べてはそれを眺めることを言います。

 店は春の日差しに溢れています。『昔の子』『今の子』はいつもと変わらず、来客に備えて掃除したり、商品のレイアウトを工夫したりしています。それはいつもと一緒。彼らはそうして、夏には夏の、秋には秋の、冬には冬の様子を見せてくれますから、今は春のそれ。ただそれだけ。今年40歳になる2匹の金魚も頗る元気な様子。私はそんな、猫の匂いのように、いつでもいくらでも疑える目の前の光景を敢えて一切疑いません。そして私はきっとまた、フラフラと自分の立ち位置を変えて、ここに来たり戻ったり、トラックを運転したり、ギターを弾いたり、バイクに乗ったり、風呂に入ったり酒を飲んだり、将来を案じて捨て鉢になったり、なにかに一縷の夢を見出したりしながら、その度事に私の周りに現れるこの世界をまったく疑う事なく現実として、創造するともなく想像しては観察していく事でしょう。

                *

 厨房には私のほかに4人の調理人がいました。私は基より人好きのするタイプではないので、ここでもまた少なからず人間関係に問題を作りました。 だいいち料理に関しては全くの素人の私が、一番の年嵩という面倒くさい立ち位置に加わったのですから当然、空気はこの、小さなパラドックスを楽しみ始めるのは当然の流れなわけです。包丁の持ち方も知らず、カレーすら満足に作れない私に奴らは嬉々として、「俺、カレーが作れない奴生まれて初めて見たよ。」などと嫌味を言いましたが私はそういう連中の方にこそ、これまで嗅いだことがないような強烈な腐敗臭を感じたのです。それはあまりにも哀れで痛ましい、長い時間蔑ろにされた挙句、救われる事なく腐敗した焦りと諦めの放つ臭いで、それはこの連中が若くしてすでに頭打ちで終わる寸前である事を、こればかりは年の功でしょうか、はっきりと感じることが出来たのです。そしてこここそが今私がいる現実の中の一番つまらない部分。こんなつまらない想像をするから、こんなつまらない現実が出現しまうんだと。あぁ、恐ろし、恐ろし……。と心底思ったのです。

 この4人を仮に、八朔、蜜柑、柚子、ネーブル、としましょうか。私は当初、自分が飲食店を経営する際のノウハウを得るためにここに入ったつもりでしたが、実際には役に立つノウハウは何一つありませんでした。あるのは意味のない序列と慣習だけ。そこにこの4種の柑橘は、駄々ぶちまけたように転がっていたのでした。

 まず八朔は、ホテルの厨房でやってたという立派な肩書を持ち、技術もこの店では一番で、その事で老社長からも一番信頼があったようですが、当の本人にはまったく自信がなく、逃げ回ってきた事は間違いありませんでした。

 続いて蜜柑は、和食、洋食、中華、全部やってきたと豪語する割にプレッシャーに弱く、焦ると平気で生煮えのカツを客に出すような失態を犯し、言い訳ばかりが達者で腕のない、衛生に対する意識も低く、しかもプライドだけは誰よりも高い、無知と不摂生の権化のような男でした。

 そして柚子は、一応は料理学校を卒業しているらしく、理論派風、ではありましたが、何をするにも猿真似止まりでまるで閃きがなく、発想力の欠片もない迂闊な奴でした。

 最後がネーブル。この男は料理人云々以前に人間的に重篤な問題を抱えており、不幸な家庭に育ったらしく、愛情への猜疑と渇望が全身にむき出しになっていました。そして狭い檻のような心の内側から世の中を盗み見てはその内側に理想の楽園の絵を描いて世の中との関係を拒絶しながら手繰り寄せるような徒労を繰り返す、中でも一番危険な人間でした。

 そして、この集団を束ねる老社長は、自分が戦時中子供だった事を常に笠に着ては、「お前らは恵まれ過ぎている!だからアマちゃんなんだ!お金が貰えるだけありがたいと思え!」などと言っては早出・遅番を強い、賄いにまでいちいちケチをつけ、「昔は茄子のヘタだって食べたんだ!!」などと喚き散らし、そのくせレジのお金で孫におもちゃを買ったりと非常識極まりないルール違反も平気でやらかすのでした。

 こんな連中と綺麗な輪など基より作れるはずもなかったと今でも思います。私はすぐに関係を断ち切って、仕事だけに専念するつもりでいたのですが、それも無理でした。もし私がもっと器用であれば、或いはこの毒壺の轆轤を回し続ける事も出来たのかもしれません。しかし私はもとよりそんな器用な人間ではありませんし、毒壺を回し続ける事にも何の意味も見出せませんでした。私のそんな態度はすぐに周囲に伝わり、ほどなく誰からも嫌われるようになりました。バランスを崩した毒壺はたちまち倒れ、辺り中に毒をぶちまけたのです。連中はレシピノートを隠したり、ウソのオーダーを伝えたり、私の作った料理をそのまま捨てたりしました。そうすれば私が困るだろう、焦るだろう、叱られるだろう、きっとそう思ったのでしょうが、実際には私は作り直せばいいだけで、それは単に客が迷惑しているのだという事に、悲しいかなこの強烈な腐敗臭を放つ連中の知能では辿り着けなかったようです。毒が客席まで飛び散っている事に、奴らは終ぞ気付かなかったようです。

 因みに、『出汁の引き方を教えてくれませんか。』と頼んだ時。

八朔は、何でも訊くんじゃねー考えろ! と言いました。

蜜柑は、そんなもん、美味く引きゃいいんだよ! と言いました。

柚子は、わからない……。と言いました。

ネーブルは、それは人それぞれ違うから、と言いました。

 いずれ劣らぬバカな答えです。

正直に、知らない、と言えばいいのに……。

そして腐敗臭は一層きつくなります。私は限界にまた一歩近づきます。

             *

 トラック島の夕日はとても綺麗で、本当に戦時下なのかと疑うほどです。

海風がふいに私の髪を揺らしました。乾いた風は何千キロも彼方の波の音まで運んでくるようでした。祝日のない6月を前にウンザリとしていた私は、まさかこんなに綺麗な夕陽を見るなんて思ってもみなかったのです。

 心が緩んでいくのを感じました。ホッと息をつくとその場に寝転がってしまいそう。うっとりとしている自分は、ひょっとして、若くて可愛い女子なのかもしれない……。

ハッと我に返りました。そしてもう一度、頭の中を整理します。

 これは誰もが一度は考えることかもしれませんね。

 自分が、男性? 或いは、女性?

 

 しかし萩原が私を、徹さんの姪、と言った以上、私は女性でなればなりません。それは、『ネコのいい匂い』のように、いくらでも疑える現実ではありましたが私は一切疑わないのです。そしてそうする事は困難なようで、実際はそうでもない。

 あぁ、そうですか、私、女性ですか。そんなモンで止めておけばいいんです。実際そうですよね? 別の性になった感覚なんてもとよりありませんし、毎日毎日、そこまで性別って意識してませんよね?

 たとえ性的な関心が女性の方に傾いていてもそれでいいじゃないですか。

萩原にそういう性的指向を持った姪がいる事が、そんなに不思議ですか?不自然ですか?

 全然。性自認の多様性はなにも最近になって俄かに発現した事ではありませんものね。

  別の兵隊が、「よかったら一緒にご飯でも食べませんか?」と言いました。え?と言って思わず視線を萩原に向けた私の仕草は、或いは十分に女性的であったかもしれません。でも……。

 落ち着けよ。落ち着け……。私は自分に言い聞かせました。この時代の男女の関係について、自分は何も知らないのです。

            <続く>

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    第99章『後縦靭帯骨化症という愛。(その3)』

  もうどうでもいいや……と呟いた時、

ダメだ!という声に私はハッとする。

 こんな経験ありません?

 ふわふわオムレツを作っていて、まさに今この瞬間!!という大事なタイミングで突然ガスが止まってしまい、べチャッとした半かたまりの溶き卵は、とても残念な状態でフライパンの中でゆっくりと冷えていく……。

 それはその少し前に発生した小さな地震のせいで安全装置が作動してガスが止まったからなのですが、私はこの些細な出来事の源泉を、たかが私がオムレツを作るのを邪魔するぐらいの事に、こんなにも大袈裟な、地球規模の仕組みを使う馬鹿で幼稚なナニモノかの姿に見出したのです。そして私の目の前には本当に、醜悪なバケモノが現れたのです。

 バケモノは、

 やめろやめろ!全部諦めろ!何もかも、今すぐやめろ!諦めろ!と言いました。どうやらコイツは私を、コイツの住処である臭くて汚い所へと誘い込もうとそうとしている様子でした。

 え?諦めろって? このオムレツを?

 とにかく今やってる事をすぐに全部やめろ!すべて諦めろ!お前が解放されるにはそれしかない。ないんだよ!

 しょうもない一言ですが、これはこれまで一生懸命に、平穏無事に暮らしてきたつもりの私にとっては無礼極まりない親のエゴにも似た一言で、それはただ目の前のオムレツが一つ無駄になるだけではなく、これまでも、そしてこれから続くであろう身に降りかかるすべての出来事に対しても須らく、お前はこれまでどおり、無能で無慈悲で無責任であれよと、あたかも私の無知蒙昧を認め、優しく諭し、愛情たっぷりに導くかのように仕向けてくるのです。

 お前は、父か?

 (男の声)「悪いのはすべてお前だ。そうだろ? 卵が自分の好きな形にならなかったからといって勝手にがっかりして勝手に見捨てたのは誰だ? そう、お前だ。 オムレツだと? 違う、それは卵だ。誰かに食われるために生まれる卵などない。ガスが止まっても余熱で十分オムレツを作れるヤツもいれば、お前のように早々に諦めては地震のせいにして自らの失敗を他に転嫁しようとする愚か者もいる。それでも卵は、卵でい続ける。」

 それともお前は、母か?

 (女の声)「食べられるためだけに生を受けたというなら、この夢精卵という命の、何処にお前の理解が通じたというの? わかった。じゃあもし、この世のすべてがそんな風に生まれ、そんな風に消えるのだとすれば、お前は自分に何の価値を見出すの? 可能性? そうらもう引っ掛かった!そう。つまりお前のせいよ。この世のすべての悲劇は、お前のような身勝手な可能性を信じ、それが叶わなかった事を残念に思うヤツが生み出した悪夢に他ならないの。もし地球規模の力を尽くしてお前がオムレツを作るのを邪魔をしたと文句を言うのならば、すべてはそんなお前の浅はかさのせいなの!」

 じゃあいっそ、ぐちゃぐちゃにして炒り玉子にしちゃえばいいんじゃないの??

 (男女の声)「この大馬鹿者め! この期に及んでお前はまだ、安易に別のモノにすり替えて事をやり過ごそうとするのか!炒り卵など、誰が望んだ?誰が食べたいと言った? あまつさえ誰にも望まれず、何の可能性も持たずに生まれてきた可哀そうなこの無精卵を、無慈悲に、無責任に、ぞんざいに扱っては自分の失敗の代償を炒り玉子などという屈辱に満ちたレッテルを張ることでたった一つの卵に転嫁しようとするとは情けない……。まったくお前は、どこまで馬鹿で臆病者で卑怯者なんだ!」

 いや、オムレツだから……、卵は3個、使ってます。

 細かい事はいい!!!

 そうなんですよ。コイツ、目も当てられないほど醜悪な見た目のバケモノくせに、たまにこういう、愛情に似た臭い事を仄めかすんです。まるで満開の桜の園を吹く春風のように無垢に無作為に……。なんならこの世のすべてを散り尽くしたとしても、それは寧ろ望ましく、美しい事で、

 あるモノは無いモノの正体。無いモノはあるモノの正体。

 などと、笑うでもなく泣くでもなくただ一言……。

  色即是空、諸行無常。いいか、boy.

罪などもともと何処にもないのだよ。

あるのはお前のその、薄汚れた小さな『我』だけなんだ。

なんて占め括るのですよ。汚いっすよね!? 私は、

 どうしよ、失敗しちゃったよ。誰か、食べる? 

 と同僚の調理師に訊いたのですが、

  要らねぇよ。捨てちゃえよ。と言います。

 気付きましたか? 見えました?この一言の中にある、世の底辺を這いずり回り、逃げ回って尚、行き場のみつからない、垢じみた肌着のような薄っぺらい矜持一枚を羽織っただけの哀れな落人の姿が……。

 ふん、と鼻で嗤い、半かたまりの卵が残飯のカゴに落ちる、ドサ……、という力ない音を聞きながら私は、誰にも聞こえない声で呟きます。

  大嫌いなんだよな……、お前の、そういうとこ

             *

  ほう、ここに到着しましたか……。そうですか、はい。

 じゃあ。いいです。説明します。そう、ここは巣鴨です。

『おばあちゃんの原宿』として全国でも有名な、

『巣鴨地蔵通り』で調理師として働いていた頃の話です。

 そのころの私にはまだ綺麗な夢があったのです。

 ええ、甘えですよ。世の中が自分を必要としてくれているという、

とんでもない甘えです。

 私はここの他にも、日本橋の和食の名店『和田万』からも正社員の内定をもらっていたのですがそれは断りました。名店だか何だか知らねーけれど、私が自分を自分の夢へ導く上で、一番大切な事とは何かと考えた時、自分にとって都合がいい、という条件を何よりも優先させなければならなかったからです。そのために私は私が編み出した、私独自の方法で、この店を吟味する、実際に合わせてウソかホントウかを検証する必要がありました。私はまずは片手に私の夢を乗せ、もう片方の手にはそれのエサになるモノを乗せた姿勢で、失礼します。とこのいかつい店に入ったのです。夢はエサを食べたがりますが私はしっかりと手のひらを握り、『待て!』の状態を保ちます。そしてこの和田万のくれるエサと、一体どっちが好きなのか、しっかりと見据えるようとしたのです。

 しかし店に入ったその瞬間からもう、答えは打多様なモノでした。それというのも……、

 『和田万』有名料理雑誌に載るほどの名店のくせに、素人の私のわがままに対してあまりにも、イエス、が多すぎたのです。

 私、音楽やってるので長髪ですが……、

うちは帽子被るので、長髪はオッケーです。

 ライヴがあるのでちょいちょい休みますが……、

ドタキャンはダメだけど、一週間前に行ってくれればオッケーです。

 調理の経験、まったくありませんけど……、

うちはみんなそうですよ。親切な指導がモットーです。

 職場から遠いので交通費が高いですが、

もちろん、全額、支給します。

 全てウソだと見破るのは簡単でした。それは入り口に掛けられたいかつい金文字の木看板と、店全体から漂ってくる狂気じみた清潔極まりない匂いと、達筆なメニュー、磨き上げられたテーブル、そのきっちり揃った一つ一つに置かれた、一輪挿しに刺さった季節の花のこわばった表情からも確実でした。私は生涯、あんなに窮屈な顔をした花を見た事がありません。血が垂れたように赤い花にはもう何の生きた表情はなにもありませんでした。もしあんな言葉を鵜呑みにしてここに就職していたとしたら、私はあの花同様、初日から研修という名の苛烈で無意味ないじめにあって頭をおかしくしていたことでしょう。

これは憶測ではありませんよ。本当の事です。

 和食の世界は甘くない、なんて言葉を、どこかで聞いたことがないですか? それはどういう意味かというと……。

見習いの分際で休みなんかあるわけねーだろ。

先輩の言う事は絶対だ。

何でも訊くんじゃねー、見て盗め。

何度も訊くんじゃねー、一発で覚えろ。

 料理とは修羅の業、厨房は精神錬成の道場。

 でもね、そんなバカな事を言い出したのは、私が思うにせいぜい戦後になってからなのですよ。それは敗戦で矜持をすべて失って何も頼るものがなくなった日本人の心の隙を突いてまんまと真ん中に居座った邪気のようなものなのです。

 私のお爺さん、元帝国軍人のお爺さん。命を懸けて国を守ろうとした、本物の日本人のお爺さん。

 お爺さんはいつか僕に、『エエ時代になったんやから、お前は好きなことやったらエエ』って言ってくれたけど、良くなったのは栄養状態と治安だけで、人間は全然よくなってませんよ。寧ろ戦争の前よりも悪くなった。相手を騙すことしか考えなくなった。それって、相手を殺すことしか考えなかった戦時中よりずっと悪いですよ。

 一瞬で死ぬ薬を飲ませるよりも、一生苦しんでのた打ち回る薬を飲ませる方がよっぽど悪質だと思いませんか? 今の日本は国民全員がお互いにこの薬を飲ませ合ってるようなモノです。そして人間の可能性と幸福を、国家の平和と繁栄を、根底から完全に抹殺しようとしているのです。お爺さんが命懸けで守ろうとしたこの国は今、この国の民によって毒殺されようとしているのですよ。

                 *

 私はその背の高い兵隊に話しかけました。

もしかして、萩原、さん、でしょうか?

 伯父の苗字は母方の『萩原』だったと聞いていましたので、私はイチかバチかそう訊いてみたのです。その兵隊は、

 ん、そうだけど、君は?だれかな?と言いました。私は自分とその人の関係を一瞬で偽造しなければなりませんでした。

 はじめまして、私は、徹(とおる)おじさんの甥で、茂(しげる)と申します。

 まるでウソです。私には祖父の弟にあたる徹という大叔父は確かにいますが、大叔父に茂という甥がいるかどうかは知りません。もしこの兵隊が本当に私の伯父であるならば、私はこのにあたるわけですが、父はこの頃また小学生。その息子というのはいかにウソでも不自然で、そうなると大叔父の息子あたりが一番適当かと思ったのですが、それだと今度は私はこの兵隊の従兄弟という事になり、従兄弟ならば存在を知っている可能性も高く、『そんな従兄弟はいないよ。』と言われてしまうかもしれない。私はとにかく、この萩原と私の関係を是が非でもホントウに持っていきたかった。ならば、再従兄弟ならどうだ??しかし萩原は、

 甥? 姪だろ?

と、予想だにしない事を言いました。

 忘れていました。私は自分の性別を設定していなかった。そこを萩原に突かれてしまったようです。さすがに驚きましたが、それでも私は決して動揺するわけにはいきません。是が非でもホントウに持っていくためには、これはいついかなる時も尊重されなけらばならない鉄則なのです。

 『耳が1メートルあって、鼻が2メートルあって、その鼻の先でピーナツを一粒掴むことができる体重が4トンの生き物がいる。』

 こんなに荒唐無稽な条件を受け入れなければ、ゾウを受け入れらないのと同じ事です。

 ましてこの世界は、私が全責任を負うべくして私の頭の中から創出された世界なのですから、私がそれを疑うわけにはいかないのです。

 私は、姪……。 萩原は、

 徹さんに姪がいたんだね。知らなかった。初めて会うね。

と言って笑いました。

 きっと事実とはそういうものです。日本人がデタラメな日本語をしゃべれないのと同じく、身内である私には出鱈目な親戚関係は想像もできないのでしょう。

           <続く。>

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 98章『後縦靭帯骨化症という愛。(その2)』

 いざ年が明けるとやはり、こんな私のところにも来るんですね、年賀状が。

 毎年、数枚。もちろん迷惑ではありませんよ。ありがたい。こんな私に過分なお気遣いをいただき誠にありがとうござます。ただ、去年を持ちまして、私、年賀状という習慣を卒業させていただきました。お返事はもちろん致しますが、元旦に届くよう前もって投函することは今後ございませんので、何卒ご理解いただけますようよろしくお願いいたします。最近は私のように、年賀状を卒業する方々も増えていると聞きます。携帯メールの普及、紙媒体離れ、等々、それぞれに様々な理由がある事と思いますが、わたくしにおきましては偏に、『面倒くさい』であります。いえ、だからと言って不義理を働かぬよう、返事をする準備だけはこれまで同様、もう前年の内から出来ておりまして。それというのもこれまで同様、干支にちなんだ動物をあしらったレコードのジャケットを選び、それをちょっと加工し、迎春を寿ぐシンボルとして使う、というモノです。今年はアリスクーパー『コンストリクター』をアレンジ。正月早々、こんな年賀状が着いた方は、さぞ驚かれることでしょう。

 さて……、

 春というにはまだまだ寒いようですが案の定、正月なんてあっという間に過ぎて今は早3月。一睡の肘を突いただけでもう春も半ばでございます。梅は、桜は、いつ咲きましょう? などと知っていながら知らないような顔でうそぶいてみせるのも、美しき日本国民総演出の予定調和で、誰も答えなど欲しくない、ただ質問してみせるのがまたいいんです。

 なぜいいかって、これは大切な事で、たとえは我々は毎日、こんにちは と挨拶をします。これもそもそもは、こんにちは? という相手の予定を気に掛ける疑問文でありまして、不具合がありませんように、失敗なさらぬように、それだけ気に掛けておりますだって、私たちは心底信頼しあった日本国民同士ではありませんか! それぐらい心配したところで当然でございましょう!という意味なのですから、よくよく重要な文言と言えるのです。

 そういう、言わば慣れ事の中に我々は、恒久に対する敬意と親しみを含ませている。これがまた大変な美徳で、日本人とはそもそもにしてそういうことをする民族なのです。

 さてそう言う間も、私はまた何んにもしていません。この3か月間、私の態度はずっと保留されていたわけです。そして、桜が咲いたな。アジサイが咲いたな。ヒマワリが咲いたな。コスモスが咲いたな。山茶花が咲いたな、と。そこまでは簡単に辿れるのですがしかし、それが何年前の、何処に咲いた、桜か、アジサイか、ヒマワリか、コスモスか、山茶花か、なんて事までは、それに付随する別の記憶を頼らなければ思い出せかけもしません。私は毎年、それらの季節の花々の記憶を押し花のように潰して、重ねて、そのくせ二度と見ようともしないのです。

 残念ですね……。それに残酷です。私はそうして自分の時間を、経験のほとんどを無駄にし続けていると言っても過言ではないのです。

 そのくせ、こうして唐突に思い出してみては、あれはどういう事だったのか。それに従っていたとしたら、今のこれは実際はどうなっていたのか、なんて思いを巡らせては、一見汚いもの、子供の頃の喧嘩にぼろ負けた記憶や、やっと見つけた自分より弱そうな子を心ゆくまでイジメた記憶などにほど同情し、あれはもしかして、愛だったのかもしれない。これはもしかして愛なのかもしれない。なんて都合勝手のいいように解釈してはのぼせているのですからまったく世話がありません。

 そしてまんまと、今回も私の甘い勇気が試されました。そして性懲りもなくまた、私が病む、後縦靭帯骨化症は私への尊大な愛である。と、結論付けてしまったようです。私の昔からの性癖として、自分の勝手な思い込みを実際に従って検証して、少しでも納得出来ない場合はそれが ウソである、と結論付ける、というのがあります。それがたとえ、科学的に疑う余地がないような事であっても関係ありません。私の検査に合格しなかった事象はすべて、 ウソである。という事になるのです。当然、その逆も然り。

 私の子供を身ごもったかもしれないあの女子大生も、お金持ちを装って虚飾の豪邸で私をもてなしてくれたあの色白の少年も。実際には、いたのか、いなかったのか……。

                    *

 実際に目の前にいて細々と立ち働くのこの2人を疑う事は難しくても、頭の中にいる2人ならいくらでも疑えます。今私は、3月の麗らかな日差しになびくレースのカーテン越しに揺れる数本の電線をぼんやりと眺めています。視界を分別するその幾何学模様はまるで私の体を早々と麻痺させて、私を一つの時間と場所に杭留めようとしているようです。今の私には、曲線は生きているように感じられ、直線は死んでいるように感じられるのです。そしてその直線が今、直線のまま、風にふわふわと揺れている……。

 同じ事はこれまでも時々、電車の中や町の中でも起きています。見ず知らずの人が私にまるでかかわりなく目の前にいるという事に、邪悪な仄めかしをごまかせなくなることがあるのです。

 この人は、僕の親なのかもしれない。恋人なのかもしれない。いつか僕を殺した犯人なのかもしれない……。

 

                  *

 伯父はトラック島の空襲で命を落としたと聞きました。享年18歳。私の実父の9つ上で、色白の男前だったと聞きました。声も身体も大きくて、運動神経抜群で、リーダーシップがあって、将来は学校の先生になりたいと言っていたそうですが、伯父と同じく帝国軍人だった祖父は息子には家業の写真館を継がせようと思っていた様で、教師になる事には反対していたそうです。しかしいざ、自分より先に亡くなってみれば、なんでもいいから元気で生きていてくれればそれが一番だと思い直すようになったそうです。そして私に対しても、

「好きなことして好きに生きていったらほんでええ。こんなええ時代に生まれたんやから。それができるようになったんやから。」と穏やかに言ってくれました。

 伯父の写真はありません。伯父を知っている人ももういません。そして私はまた例の性癖で、年齢の近い『昔の子』と伯父の関係を実際を理屈に従って照らし合わせて、もし合致する点が少しでもであればもう、私は『昔の子』とは私のなき伯父である、と結論付けようとしています。ずいぶん面白くなくなりますが、こうして時空を超えて会っている事がすでにファンタジックであります。

 結論ありきでは結果を恣意的に歪めてしまう、という懸念もありそうですが大丈夫。われわれが思う実際なんて全て、そのフィルターを通して出てきた複製物でしかないのですから。

 私はひとまず、伯父が命を落としたというトラック島の船着き場の端に立ってみました。何も難しく考えないでください。すべては想像でいいんです。私だって実際にトラック島がどんな所かなんて知りません。でも大概はそうなんです。今、あなたが座っている後ろの本棚や食器棚の何段目に何色の本やお皿が入っているかなんてわからなくて当然です。確認さえしなければ、それはあなたの思い通りでいいんです。先程も言いましたが、実際は想像の複製物ですし、想像は先入観からしかチョイスできないし、先入観がないと目の前の事を何も理解できない事はもうお気づきのはず。

               *

 さて、生暖かい風が吹いています。石炭の臭いに混じって夕餉の匂いが漂ってきます。驚いた事に、こんな小さな島にもちゃんと町があるんですね。さすがに看板の文字などには多少の違和感はありますが、昔の映像として見るのとは違ってそれは現実の風景としてすんなりと受け入れられています。

 子供が自転車を漕いでいきました。今の子供よりも小さいけどすばしっこそう。夕暮れ時、ライトを点けた車と点けていない車があります。

 目の前の兵舎らしい建物から一団が出てきました。みんな若くがっちりと引き締った体躯ですが、大人もやはり、今の大人よりも少し小柄に見えます。

 しかしその中に、ひときわ背の高い兵隊がいます。他の兵隊よりも色白で、話す声も大きく響きます。

 あれが、私の、伯父? 兵隊は一人一人、私をちらっと見てそのまま通り過ぎていきました。赤信号を待つその一団の様子は私が知っているの日常の風景となんら変わりません。一日の仕事を終え、同僚とそのまま飲みに行くサラリーマンの一団となんら変わりません。戦時下にもありふれた日常があり、ありふれた日常の中にも戦争がある。こんな当たり前のことに、私は初めて気づきました。ここが、あと少しすれば見る影もない廃墟と化すことは、本当なんでしょうか?それはもう、絶対に避けられない事なのでしょうか?

 私はそんな想像を、やめたり、また始めたりして、何かのバランスを取っているようです。それは個人の心のバランスよりもやや大きくて、やや難しいバランスです。私は極限まで自分の世界を譲る必要がある気がしてきました。みなさんは私が今、具体的に見えて当たり前で避けようのない風景だけを描写したことに気付いたでしょうか。私は怪しまれないように少し離れて、その兵隊の一団についていく事にしたのです。     続く……。 

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保護猫『とのま』の一言成長日記2025。3月~4月



4/30(水)

 今朝は完全に静観。起きてるのに、静観。そして私が自発的に起きるのを待って、早朝ご飯のおねだり。なんだか、また一歩進化したような感じです。昨日、兄さんは走者一掃のスリーベースヒットを放ったそうだよ。試合も2勝。いい祝日になったよ。今週末まであと3日。天気は、まあまあじゃないかな。ゴールデンウィークが終わったら、じめじめのつゆ、そして夏だね。まだちょっと先か。とにかく、きょうもいちにち家族みんなでよろしくね。

4/29(火)

今朝はアラームが鳴る少し前、3時50分ぐらいに一回、軽い花フックで起こしに来てくれましたが、私にまだ起きる意思がないと悟ると、いったんリビングに退散、そして、アラームが鳴ると、はい、アラーム、鳴ったよ、と言わんばかりに起こしに来てくれました。賢い!今日は昭和の日で休み。兄さんの遠征試合の送迎をする予定。今日も一日、家族みんなでよろしくね。

4/28(月)

今朝は私が自分で起きるのを待っていた様子。私が起きるとすぐについてきて、早朝ご飯をおねだりしてきました。元気そうだ。オッケー。昨日は野球の試合、結局観に行かなかったよ。兄さんが、体調不良で試合休んだからね。まあ、休養も大事。でも、スマホの時間が長すぎるのが気になるところだよ。本人の自覚次第だね。こればっかりは。今日も一日家族みんなでよろしくね。

4/27(日)

今朝も4時に一回4時半に一回、起こしに来てくれました。ちょっと、吐いてた。元気そうだけど、大丈夫?今日は、兄さんは練習試合、父さんと母さんはちょっくら、ベルーナドームに西武VSオリックスを観に行くから、お留守番、お願いね。今日も一日家族みんなでよろしくね。

4/26(土)

 今朝はいきなり、鼻フック!びっくりした。昨日までのあの、控えめな起こし方とは対照的です。でもそういえば、腰の調子が、悪くなる前ぐらいに回復してる。そんな気がする。ドクターとのちゃんはもう 寛解、と判断した様子。じゃあ来週からまた頑張って働きます。今日は兄さん、練習試合。天気はどうだろう。今日も一日、家族みんなでよろしくね。」

 

4/25(金)

 今朝は4時きっかりに起こしてくれました。私も起きました。そして、トイレの窓辺でこっそりと育てていた、猫草を発見されてしまいました。まあ、そこそこ伸びてたから、食べてもよかったんだけどね。どう?久々の猫草は。おいしい?やっと金曜日です。今日もいちいち家族みんなでよろしくね。

4/24(木)

 今朝も、4時きっかりにいったん起こしに来てくれたものの、私の様子見であとは枕元でじっと何もせずに待機。慎重です。とのちゃんは、家族の健康について一番心配してくれるのかもね。腰の具合はだいぶ良くなったよ。やっと木曜日だね。昨日は兄さんがカラオケから帰ってくる前に寝てしまったよ。楽しかったかな?今日も一日家族みんなでよろしくね。

4/23(水)

 今朝は、一瞬、胸乗っかり攻撃を見せましたが、しばらく乗った後、あ、まだ、本調子じゃなさそう……、と悟ったのか、そのあとはリヴィングで私が起きてくるまで待機。どうやら、トイレの小窓の前に猫草があることに気づいた様子で、しきりにトイレに入りたがります。目ざといね!でもまだ伸びてないから、今週末ぐらいまでお預けです。雨も予報だけど、今日も一日、家族みんなでよろしくね。

4/22(火)

 今朝も、とのちゃんは起きてるけど私のところには来ませんでした。リヴィングからじっと様子見。やっぱり、私の腰の状態に気づいていて、前みたいに、どん!と胸に乗ってくることはないです。早く治して、またとのちゃんが、心おきなく、どん!と乗れるようになるよ。兄さんも、バッティングの不調が、ちょっと、回復傾向、らしい。いいねいいね!!今日も一日家族みんなでよろしくね。

4/21(月)

 今朝は私の勝ち。とのちゃんはちょっと遅れて起きてきましたね。雨降ったのかな?とのちゃんは今、ベランダ散策中。腰の様子はだいぶ良くはなってるけど、まだ様子見だね。無理しないようにします。さあ、また新しい一週間の始まりですよ。今週も、まずは今日一日、家族みんなでよろしくね。

4/20(日)

 今朝も用心深く起こしてくれました。私は腰の塩梅を考慮して、いつもよりも1時間半も寝坊。とのちゃんはその意図を組んでくれたかのように、私の枕もとや足元にじっとして、時々にゃー?(おきる?)と鳴いてくれました。ありがとうね、今日も一日家族みんなでよろしくね。

4/19(土)

 今朝はとても用心深く、起こしに来てくれました。しばらく、鼻先をクンクンとして、私の体調、おそらく腰の様子を、推察。まずは起こさずにちょっと手に触れる程度で30分ほど待機。そのあと、ちょっとずつ、起こしてくれました。気を遣わせるね。ありがとうねとのちゃん、腰は、昨日よりだいぶいいよ。今日も一日家族みんなでよろしくね。

4/18(金)

 今朝はちゃんと4時に起こしに来てくれましたが、そのあとは静観。私が自主的に起きるまで、じっとしてました。そのあと、とのちゃんのトイレ掃除しようと思ってしゃがんだら、腰が……。今日は、出勤するかどうか思案中……。今日も一日家族みんなでよろしくね。

4/17(木)

 今朝は4時過ぎにドン、と乗っかって来て、そのまま兄さんを起こしに行きました。兄さんのいびきが気になったのか、寝ている兄さんの口元をぺろぺろ舐めて、嫌がられてました。いろいろ、家族の健康を気遣ってくれている様子。今は足元で、早朝ご飯を待ってます。今日も一日家族みんなでよろしくね。

4/16(水)

 今朝はおとなしめに起こしてくれました。まず、私に起きる、意思があるか、どうか。これを見極めて言う様子。ジーっと観察して、私がちょっと話しかけたり、なでたりすると、あ、これは、起きる意思あり! と判断するようです。優しくて、賢くて、可愛くて、元気で、大きくて、すべて最高の猫だね、とのちゃんは。今日も一日家族みんなでよろしくね。

4/15(火)

 今朝はちゃんと4時に起こしに来てくれました。鼻フック攻撃で。今は早朝プレご飯の後、本ご飯待ち。あ、今、本ご飯、でました。兄さんの今年の野球部のスケジュール見せてもらったけど、ハードだった。やっぱりこの夏も、帰省できそうもないね。そりゃそうだ。とのちゃんと一緒の過ごす夏になるね。その方がとのちゃんもいいでしょ?今日も一日、家族みんなでよろしくね。

4/14(月)

今朝は私の方が早起き。しばらくして、起きてきました。その前、たぶん30分ぐらい前に一回、胸に乗っかってきたのを、なんとなく覚えているのですが、私はそのまま寝てしまいました。とのちゃんはそのあと、2度寝した様子。今は早朝ご飯食べてます。また月曜日だね。ちょっと雨が降ってます。今週も、そして今日も、家族みんなでよろしくね。

4/13(日)

 今朝はアラームなしなのに4時10分前に胸乗っかり攻撃で起こされてしまいました。手の匂いをクンクン嗅いで、腕を持ち上げて、さ、起きろ!起きろ!の催促。結局平日よりも10分早く起きてしまいました。とのちゃんはおとなしくしてます。昨日の任さんの春大会、惜敗……その後の練習で兄さんは球が顔面直撃、えらい一日でした。兄さんは今日も午後練習、天気はいまいち予報だけど、どんな感じだろう。今日も一日家族みんなでよろしくね。

4/12(土)

今日はアラームなしの土曜日なのに、とのちゃんはちゃんと4時に起こしに来てくれました。今日は兄さんの春隊の公式戦を見に行くので、家族全員早起きです。とのちゃんも、今日はお留守番、お願いします。天気は良さそうだよ。何時ぐらいに帰って来られるかなぁ、なるべく早く帰るよー。今日も一日家族みんなでよろしくね。

4/11(金)

 今朝はアラームと同時。でも、ひょっとして、一晩中、兄さんのそばにいたの?兄さんは昨日、ちょっと、だるい、と言って野球の練習をせずに帰ってきて寝てたらしいね。連日遅くまで、寝ないで勉強してたからそのせいかと思うけど、あまり続くならやっぱり病院に行かないとね。春先は体調を崩しやすいから、とのちゃんも気を付けてね。そして今日も、家族みんなでよろしくね。

4/10(木)

 今朝もちゃんと4時に起こしに来てくれました。買ってきた猫草、ほとんど食べてないね。そんなに味、違う?グルメだね。だんだん暖かくなってきて、とのちゃんも外に出たいね。ベランダしか出してやれなくてごめんな。またなんか、外から情報とってくるよ。今日も一日家族みんなでよろしくね。

4/9(水)

 今朝は4時ちょっと前に起こしに来てくれましたが、私が10分スヌーズ。その間、枕元で大人しく待っててくれました。いつも早起き、ご苦労さんです。今日も天気、いいかな。兄さんは今、学校の課題で夜遅く、いや、もう朝早く、まで勉強してます。体壊さなきゃいいけど。いろいろだけど、今日も一日、家族みんなでよろしくね。

4/8(火)

今朝は起きていた様子。私が10分スヌーズした後、起きたら同時にニャニャ、と声をかけてきました。もう、起きる?みたいな。気を使ってくれています。きっと。兄さんは昨日2時半まで学校の課題をやっていた様子。だから今朝はちょっと、そっとしてやってね。今日も一日家族みんなでよろしくね。

4/7(月)

今朝はとのちゃんが先に起きて起こしに来てくれました。眠かった私はちょっとスヌーズ。10分後に起きたのですが、やっぱりとのちゃんはスヌーズの意味を完璧に把握している様子で、その間、じっと私の枕もとで尻を向けて香箱座りで待機しててくれました。そして再びアラームが鳴ると、差、10分経ったよ! とニャニャ、と鳴き鼻フック攻撃を再開しましたとさ。賢いね。とのちゃん。今日も一日家族みんなでよろしくね。

4/6(日)

 今朝はなんだか、とのちゃんに起こされるまま、ちょっと早く起きてしまいました。昨日、とのちゃん用に猫草の大きい奴、買ってきたけど、あんまり食べないね。やっぱり、既製品よりも、タネから自宅で育てた、オーガニック猫草の方が、おいしい?? じゃあ、やっぱり、もうちょっと、待っててね。今日は兄さんの練習試合を送ってくるよ。今日も一日家族みんなでよろしくね。

4/5(土)

 今朝は4時前に一回、私が携帯を確認する音に気付き、起こしに来てくれましたが、私にまだ起きる意思がないという事を悟り、退散。その10分後ちゃんと4時になったら再び、ニャニャ、と現れて、今度は容赦なく鼻フック攻撃で起こしてくれました。やっと晴れたね、いい週末になるよ。今日も一日家族みんなでよろしくね。

4/4(金)

 今朝は私の方が早起き。とのちゃんは5分後に起きてきました。そういう時は鳴かずに、シーンとして、しれっと起きてくるところが、バツ悪そうで、可愛い。もうすぐ早朝ご飯だよ。今日も一日家族みんなでよろしくね。

4/3(木)

今朝は4時10分に起こしに来てくれました。4時からスヌーズタイム10分後、という感じで、一回はスルーでも2回目は看過ならぬ、と言った感じ。何が決め手になってるんだろう。今日も雨みたいだね。兄さんも、試合の日程が中止続きでスッキリしない様子、とのちゃん、兄さんと母さんの相手、よろしくね。そして今日も、家族みんなでよろしくね。

4/2(水)

 今朝は私が起きるのを待っていた様子。すぐに起きてきてすりすり、猫草をちょっと食べて早朝ご飯、ちょっと残して、今はリビングでぼんやりしてます。寝ないの?今日も雨が降って寒いから、布団の中の方が暖かいよ。今日も一日家族みんなでよろしくね。

4/1(火)

 今朝も私の方が早起き。何日かぶりの、新しい猫草を食べながら、何やら部屋の中を気にしている様子。何が見えるの??と、時々思うのも、猫あるある。何が見えてても、とのちゃんと、我々家族が元気ならいいや。今日も一日家族みんなでよろしくね。

3/31(月)

 今朝は私の方が10分早起き。とのちゃんは遅れて起きてきて、ニャニャ、とちょっと言い訳しながら起きてきて、早朝プチご飯を食べて今はリヴィングで待機中。また月曜日だね、今週も、とりあえずは今日一日、家族みんなでよろしくね。

3/30(日)

 今朝は一回、4時に起こしに来てくれて、あ、コイツ、休日だから起きる気ないな。と判断していったん退散。そして、4時半、早朝ご飯が出た後で、いくら休日でも4時半には起きるだろう。と思って再び現れ、今度はしっかり、ニャニャ(おい!起きろ)と鳴いて鼻フック攻撃で起こしてくれました。今日も一日家族みんなでよろしくね。

3/29(土)

今朝は、とのちゃんは、2時ごろ1回、4時ごろ1回、4時半ごろ1回、計3回、起こしに来てくれました。何かとても欲しい様子でしたが、今は早朝のベランダ散歩してます。まだ真っ暗だよ。外の空気は素敵?今日も一日家族みんなでよろしくね。

3/28(金)

 兄さんは無事に大阪から帰ってきました。とのちゃんも、無事、久々の猫草にありつけました。しかし、今朝、ちょっと吐いてた。吐きたくて、猫草食べたいのかも。食欲もあって、元気いっぱいだけど。やっと金曜日だね。今週もお疲れさまでした。今日も一日家族みんなでよろしくね。

3/27(木)

今朝も定刻4時に起こしてくれました。今日は兄さんが大阪に行っていないので、久々の3人家族。昨日は相当楽しかった様子。今日は京都観光で帰ってくるのは夜中だってさ。楽しいのはいいけど、無事に帰ってくるように。もう春だね、今日も一日家族みんなでよろしくね。

3/26(水)

 今朝は、家族みんな起きてます。4時半に息子が甲子園に向かいます。甲子園は、遠い。とのちゃんも、こんな時間4時に家族みんな起きている状況を把握できかねている様子。めったにない事だもんね。今日も天気は良さそうだよ。今日も一日家族みんなでよろしくね。

3/25(火)

 今朝も4時、ちょっと前に起こしに来てくれました。猫草はもうちょっと。今日、明日と暖かいからぐんぐん伸びると思うよ。楽しみにしてたもんね、もうちょっと。待っててね。昨日は兄さんがクラスメイトと焼肉晩御飯に出かけたよ。楽しかったけど、イマイチ、食べたりなかった、って。そりゃ、高校男子野球部が本気で食べたら、お店から肉がなくなるよ。今日も一日、家族みんなでよろしくね。

3/24(月)

 今朝もとのちゃんは4時きっかりにおこしにきてくれました。その前、2時にも起こしに来てくれたけど、それはさすがに早すぎた。たぶん、リビングで2時間じっと待機してて、私のアラームが鳴ると同時に起こしてくれたものと思われます。それは、ひとえに、猫草が食べたいから。今、猫草の横に燈明の苗を置いているので、それが猫草に見えたのかもしれません。でもね、とのちゃん、猫草は全然伸びてない。たねまいたばかりだから。もうちょっと、まってね。今日も一日家族みんなでよろしくね。

3/23(日)

 今朝も4時15分に起こしに来てくれました。昨日、息子の高校のグランド整備で、なかなかの重労働だったから、今朝はゆっくり寝るか……、と、ちょっと思ってたけど、ウィークデーよりも普通に、とのちゃんが起こしに来たので、 あ、私はそんなに疲れてないんだ。と判断。いつも通りに起きました。今日は、息子は野球の練習試合、妻は踊りのレッスンで出かけます。だからとのちゃんと私はお留守番だね。今日も一日家族みんなでよろしくね。

3/22(土)

 今朝は、アラームの鳴らない土曜日ですが、ちゃんと4時に起こしに来てくれました。昨日、残業がひどくて、もうちょっと、寝てたいなぁ、と思ったけど、とのちゃんがそういうなら起きましょう!、ただ、猫草はまだ伸びてないんだよね。新しい猫草の種と、土、買ったから、今日グランド整備が終わったら、植えてみるね。今日も一日家族みんなでよろしくね。

3/21(金)

 今朝はアラームと同時に4時きっかりに起こしに来てくれました。胸乗っかり攻撃、でも私にあと10分起きる意思がない事を確認すると、またリヴィングに戻って待機。だんだん、私の行動と考えが分かるようになってきた様子。さすが、家族、さすが親子。今日行けば週末だ。今日も一日家族みんなでよろしくね。」

3/20(木)

 今日は祝日、でも木曜日だから、アラームが鳴って、とのちゃんが起こしに来てくれました。こないだ病院で計った時7kgあって、ちょっと驚いた。今はどうかな。その体重で、胸乗っかり攻撃は一発で目が覚めますね。兄さんは今日も練習試合。昨日の雪は、想像を超えていっぱい降ったから、グランドの状態どうかな。今日も一日家族みんなでよろしくね。

3/19(水)

 今朝は4時20分に起こしに来てくれました。アラームの10分スヌーズ、ちょうど2回分。それまでリビングで待機していた様子。そんなに疲れてる?まあ、とのちゃんがそういうんだから、疲れてるんだろうなぁ、午前中雨だけど、今日も一日、家族みんなでよろしくね。

3/18(火)

 今朝は私の方が早く起きました。とのちゃんは10分遅れで起きてきて、ニャニャ、となんか言い訳してました。ちょっと、寝坊した……、みたいな。今日は寒いね。とのちゃんも暖かくしてね。兄さんは今日、新入生の部活勧誘があるらしい。そのあと、当日券でオープン戦を見に行くかも、だって。そんな感じで今日も一日家族みんなでよろしくね。

3/17(月)

今朝も、起きているのにリビングで待機していた様子。私が起きると同時にニャ、ニャ、と駆け寄ってきました。思わず、早朝プチご飯を上げてしまいました。これが、肥満の元なのに……。昨日は兄さんのスパイクと守備手袋を買いに行ったよ。今週は木曜日が休み、あと3日頑張ろう。そして今日も一日、家族みんなでよろしくね。

3/16(日)

 雨が降ってます。とのちゃんは4時半ぐらいにそっと起こしに来てくれました。枕元でじっとして、あまり得意ではない、ゴロゴロ音を小さく鳴らしながら。とのちゃんは賢くて丈夫で甘えん坊で優しくて大きくて、最高な猫だけど、甘え上手、では、ないよね。そこがまたかわいいところなんだけどね。兄さんは今日も遠征試合の予定だけど、雨だから注視かもね。雨だけど、今日も一日家族みんなでよろしくね。

3/15(土)

 今朝は珍しく、この時間家族全員起きてます。とのちゃんはもう遊びモードで一階からしきりに呼んでます。あそぼーよ!みたいな鳴き声で。兄さんは今日は三郷で遠征試合。8時半から。めちゃ早! 花粉症が苦しそうだな。鼻うがいしてから行きなさい。今日も一日家族みんなでよろしくね。

3/14(金)

 今朝は起きてたけど、やはり起こさずにリビングでじっと待機しててくれた様子。昨日の仕事がまたハードで、たぶん匂いと顔色から、「あ、明日の朝は、そっとしとこう」と判断してくれたに違いない。私が起きるとすぐに近づいてきて、朝の、猫草は?と、催促。猫草はね、まだ伸びないんだよ。そろそろ植え替えないと、もう根っこがパンパンだから、もう伸びないかも。明日植え替えるね。今日も一日、家族みんなでよろしくね。

3/13(木)

 今朝はアラームと同時に起こしに来てくれましたが、私がスヌーズに入れるのを見て、そのままじゃませずずっと、枕元で待機していてくれました。気を遣わせるね。だから、まだちょっと早いかなぁ、と思ったけど、猫草を上げることにしました。そろそろ、植え替えないと、もう伸びなうなってきたのかもしれない。兄さんが、部費で新しいファーストミットを手に入れたよ。飽くまで部のモノだけど、兄さん嬉しそう。だって新品だもの! 触ったけどまだカッチカチ。鞣してもらわないと使えなさそう。今日は天気、良さそうだよ。今日も一日家族みんなでよろしくね。

3/12(水)

 今朝は4時ちょっと前に起こしに来てくれました。でも、何もせず。ただ、胸の上に乗っかって、アラームが鳴るのを待ってました。そしてアラームが鳴ると、本格的に起こしてくれる。久々の『髭抜き攻撃』でした。猫草がめちゃめちゃ食べたい様子。でもまた伸びてないから、もうちょっと辛抱して。もうすぐ早朝ご飯が出るよ。今日も一日家族みんなでよろしくね。

3/11(火)

 今朝はスヌーズ2回目に起こしに来てくれたよ。起きないの??って感じで。そのあとは私の布団の上にじっとして何もせず待っててくれた。朝、おなかがすくんだね。健康的でいい事だけど、あんまり上げないよ。お母さんが起きたら、またちょっと、もらうんでしょ?それまでちょっと、我慢。今日も一日家族みんなでよろしくね。

3/10(月)

 今朝もやっぱり、ウィークデーは起こしてくれないらしい。ちゃんと起きてるのに、私が起きるまで、じっと待ってるみたい。早朝ご飯の時間が1時間早くなったから、起こさなくてもいいや、って事なのかもしれない。さて、3月ももう10日。春めいてきた?今日も一日家族みんなでよろしくね。

3/9(日)

 やっぱり、今朝も4時きっかりに起こしに来てくれました。週末限定?という事のようです。ちょっと前の体調不良がウソのように、食欲復活、朝から、おねだりします。これは嬉しい事なんだけど、こないだ病院で7kgオーバーだったのが、ちょっと気になってね。猫草はまあ、伸びれば上げるけど。今日も一日家族みんなでよろしくね。

3/8(土)

 今朝はちゃんと4時に起こしてくれました。久々、でも、今日はアラームの鳴らない、土曜日。なぜ?と思ったんだけど、とのちゃんはその賢い頭を駆使して、あぁ、ウィークデーはアラームが鳴るから別に僕が起こさなくてもいいや。でも土日はアラームが鳴らないから、僕が起こさなきゃ!と、思ったとしたら、この子天才!!今日も一日、家族みんなでよろしくね。

3/7(金)

 今朝は、起きていたけど起こしに来てはくれませんでした。どうやら意図的に、起こさないようにしているらしい。彼の野生の勘は本物だから、私の体調を気遣っての事だとしたら、とのちゃん、私の体、どこが、どう変わったの?と聞きたいところ。まあ、人間は自分で管理すればいいけど、とのちゃんの体調のせいだったら、それは気がかり。今のところ、ウンチもおしっこも正常です。今日も一日家族みんなでよろしくね。

3/6(木)

 今朝も起こしてくれませんでした。でもすぐ後に起きてきて、やっぱり、猫草ですか?ホントに好きだね。でもまだ伸びてないから、明日か、明後日か。最近また寒くなったから草も伸びが悪いんだよ。今日あたりからまた暖かくなるそうだから、そうしたら草もよく伸びるようになるよ。今日も一日家族みんなでよろしくね。

3/5(水)

 今朝も、とのちゃんはまだ、夢の中……。寒いもんね、雪は降っていない様子。あ、今、起きてきました。おはようとのちゃん、今日も寒いから、暖かく過ごすんだよ。猫草、また食べきっちゃったから、窓辺に移動しました。あ、すごい!ご飯のタイミングとぴったり!!野生の勘? 家ネコになってもう6年になるのに。今日も一日家族みんなでよろしくね。

3/4(火)

 今朝は珍しく起こしに来てくれませんでした。寒いから、誰でも布団が恋しいよね。で、そのあとすぐに起きてきて、足元すりすり。お腹が空いている&猫草食べたい。という意思がはっきり伝わってきました。飼い主だなぁ、と思う瞬間。今日、雪が降るみたいだよ。寒いよ。暖かく過ごしてね。今日も一日家族みんなでよろしくね。

3/3(月)

 久々の雨の朝です。昼は大雨予報。嫌だね……、とのちゃんは時間通り4時に起こしに来てくれました。もう寝ててもお構いなしに、鼻フック・あごひげ抜き攻撃、するようになってきました。よっぽどおなかが空いている模様。でも、早朝プレご飯は廃止されました。病院で,7kg超えてたのを受けまして、あくまでとのちゃんの健康維持のため、意地悪してるんじゃないよ。兄さんもようやく帰ってきました。やっと家族4人そろったね。今日も一日家族みんなでよろしくね。

3/2(日)

 とのちゃんは今朝も早朝から、猫草所望。でも昨日、いきなりいっぱい食べたせいか、やっぱり、ちょっと、吐いた。猫草をね。食べ物じゃないから、まあいいけど、やっぱり、病み上がりでいきなりたくさん猫草を食べるのは無謀、という事が、よくわかったね。わかってない様子。今日は兄さんが退院して帰ってくるよ。やっと四人そろうよ。楽しみだね。今日も一日家族みんなでよろしくね。

3/1(土)

 とのちゃんのう〇ちも完全復活しました。猫草解禁です。したら、もう速攻であんなに生い茂ってた猫草がまるはげになりました。ホント、猫草、大好きだね。う〇ちにもしっかり猫草が混じってました。あとは兄さんが無事退院してくるのを待つばかり。盛りだくさんな週末だな。今日も一日家族みんなでよろしくね。