『いきてるきがする。』《第7部・冬》


もくじ


第49章『一次関数』

 

 見上げたらバッサリと、何もかも切り落とされた空が我関せずと広がっていて、昨日などまるで無かったようだ。 

 さて俺はこれから、どっちに進めばいいのだろう?  

 真っ白く光る土の道を、俺は歩いた。とにかく誰かに会いたかった。 

 どれぐらい歩いたかな。1時間? 10時間? 100時間? それにしても暑いなぁ……、夏の昼間って、こんなに暑かったっけ? 夏って、こんなに長かったっけ? 

 のどが渇いたので川の水を飲もうとしたら、そこにはザリガニやドジョウがたくさんいて、水はとても澄んでいたのに、いざ飲もうと顔を近づけるとたちまち、奴らは泥を巻き上げて畔の中に隠れ、飲めなくしやがった。 

 俺が顔を近づけただけで、水はたちまち汚れてしまった。そうか、俺は汚いのだな。俺だけが世界でたった一つ汚れているんだな。俺が動くと世界が汚れてしまうんだな。この卑しさといったらなんだ? 水に映った俺の顔はもうジジイの様じゃないか!  

 冗談じゃない! 俺はまだ中学生だぞ! なぜこんなに汚い?  

 そうか、わかったよ……。みんなまとめて俺が喰ってやるから。俺はザリガニとドジョウを捕まえて河原の焚火に投げ込んだ。そして焼きあがるまで1人で遊んだんだ。まるで子供の様に、知らない民家の木に登り、しばらく遠くを眺めていたら、なぜだか急に涙が出そうになってきたもんだから、慌てて飛び降りたら足から変な音が出た。でももういい、もう気にしない。そのまま足を引き摺って、誰もいない納屋に忍び込んで、甕の水をたらふく飲んだ。あぁ、いい気分。きっとそのまま暫く眠ったんだな。 

『この子がいなかったら、みんなで旅行に行けたかも。犬も猫も飼えたかも。妹も死なずに済んだかも、俺もお前も、あんな恥ずかしい思いをしなくて済んだかも……。』 

 項垂れた夫婦が小さな布団を挟んでいる。布団には眠る子供。きっと俺だ。まだ何も気づいてない頃の俺だ。 

 外に出た。焚火はすでに燃え尽きていて、掘り返すと真っ黒に焦げた頭蓋骨が出てきた。そしてその近くからぞろぞろと、朱鷺色の焼けたザリガニや琥珀の腹を反らせたドジョウたちがうじゃうじゃと出てきた。どれもこんがりと焼けている。全て俺の仕業だ。俺のモノ。俺は食った。

  腹が減ってて本当によかった。じゃなきゃ、こんなに汚い命が自分だなんてとても耐え切れないよ。今の子は大変だな……。そりゃ辛いよな……。毎日毎日、腹も減らずに、のども乾かずに、ただただ嫌な事ばかりを目の前に並べられて……。 

 と、つまりそういう事ですね?             


 中学校に通っていない今の子に私は、「勉強なら私が教えてやる」と、余計な事を口走ってしまいました。中学生ぐらいなら私にだって教えられる。そう思ったんですが……。 

 いざやってみると英語以外はまるで覚束ない。本当に忘れているんですね。苦労している私を見て、昔の子が言いました。 

        

 だからつまりこの『一次関数』というのは、xとyがある特別な関係にあって切っても切れない状態なのを数式であらわしたものですね。 

 まあ、そういう事だね。 

 xとyは、仲がいいんですか? 悪いんですか? 

 え? なにそれ? ちょっと、よくわからない質問なんですけど……。 

 わかりにくい事は擬人化するとよく判るんです。例えば、xとyがメチャクチャ仲が悪いと考えたら、割とすんなりわかると思うんです。 

 そうかな。どうして? 

 たとえば、y=3x。 


 yはxの3倍。yになるにはxは今の3倍にならないといけない。体が小さいxは何とか頑張ろうとするが、所詮はチビなのでとりあえず虚勢を張るしかない。そうしてがんばっていれば、いつか神様が現れて、僕を憐れんで、よく頑張ったと褒めてくれて、yと同じにしてくれる。真っ直ぐで綺麗な橋を掛けて、さあ、ここを渡っておいでと手招きしてくれるに違いない。 

 だからxはひとまず嘘をついて同じになろうとするんですね。『3』という山高帽子を被ったりして。 

 いや、それはちょっと違うよ。xは3倍になって、本当にyと同じになったんだ。まったく同じになったんだよ。 

 じゃあ、なぜ、いつまでもxと呼ぶんです? y=yでいいじゃないですか。なぜ3倍になってもxがついて回るんです? それは誰もそれを望まないからですよ。誰にとっても都合が悪いからです。いくら同じだと言っても、周りはxはずっとxのままだと思っている。そう思っていたい。3倍になるのは大変ですよ。嘘をつき続けるのも辛いです。でもそんなxの努力など誰も認めない。 

「アイツは、山高帽なんかを被ってyぶってはいるけど、本当はxだぜ」 

 でもy=yじゃあ関数にならないからねぇ……。 

 そう、それです。結局、面白くないんですよ。平等ってそういう事を言うんです。まるで違うモノを無理やり同じように見せかけておいて、はい、平等になりました!よかったね、世界は平和です! なんて口先では言いながら、でもほら、見てごらん、あの尖がった目。短い手足。あれは間違いない。xだよ。 

 君は、じゃあ、yは嫌な奴で、xは可哀そうな奴だと、そう仮定するとうまく理解できるというんだね? 

 まさか! 問題を解く人間がどちらかの味方なんかするなんてあり得ない!俺は両方、必ず幸せになってもらおうと努力するんです。差別がない、何ら噓偽りのない穏やかな世界を、xにもyにも平等に与えてあげる。そのために俺は必死に計算するんです。そしていつか彼らに=で握手をさせるために。 

 素晴らしい! それこそ理想の世界だ。様々な差を差として理解した上で平等を築く。これこそ正解だ。君の言うとおりだよ! 

  

 はい、そう思ってました。でも実際はそうじゃなかったのです。都合が悪いのはなにもyばかりじゃあないんです。一見虐げられて卑屈そうに見えるxにとっても事情は同じなんです。xも実はyになんか少しもなりたくないんです。憧れてもいない。yはいつまでもxを矮小なニセモノだと思っていて、xはいつまでもyを意地悪な偽善者だと思っている。その状態が一番都合がいいんです。俺が必死に計算しても、=で渡しても、どちらもその橋の両側でいがみ合うだけで決して渡ろうとしないんです。それでもしつこく橋を渡そうとすると、ついには両方からこう言われるのです。 

  

 邪魔なんだよ、お前。 

 え? またちょっと、なに言ってるかよくわからなくなってきたんですけど……。 

 俺は必死に問題を解いた。そして、y=3xを成立させたんです。でも彼らは大きなため息をついてこう言います。 

 あのさぁ、計算しちゃったらさ、せっかくのy=3xが、y=yになっちゃう、って事でしょ。 つまり0=0と変わらないって事だよ。お前ら両方消えろ! って言ってんのと同じなんだよ。まったく何してくれてんだよ。何でそんなヒドイ事するんだよ。 

 戦争は誰かの利益のために誰かがやってるとでも思ってた? 馬鹿だね。全てが、全ての存在が、アイデンティティが、すでに戦争そのものなんだよ。戦争を否定する事は、全世界を否定する事と同じなんだよ。神様の橋は誰も望んでいない。なぜならば、 

全ての幸せは、全ての正義は、不平等の中にしか存在しないからだよ。  

 xとyは仲が悪かったわけじゃないんです。仲が悪いフリをする事で、お互いを補完してたんですね。彼らの理想はそういう不平等な『平和』であり『愛』なんです。それ以外、彼らには想像する事すら出来ないんです。それにも気付かずに俺は、平和のため、愛のためだと、しなくてもいい計算なんかして、世の中をグチャチャにしていたんです。そして結局俺は1人で耐えていた。誰もいないわけだよ。俺が1人で戦争を起こして、1人で耐えていたんだから。 

 ん~……。 

 でもね、俺はそれでも計算するからよかったんだと思えるんですね。足の骨が折れてても尚、ザリガニやドジョウを喰ってでも生きようとした、そして歩き続けた自分がいたからこそ、俺は今の子と出会って、そしてこの店にも、店長にも出会えたわけですから。 

 ん~……。          


 だからぁ、xとかyとか言ったって新しい事は何もないんだよ。ただ違う数字だという事だけ理解していれば、あとはなんでも。答えはね、1つじゃなくてもいいんだよ。そこが小学校の『算数』と中学校の『数学』の一番大きな違いかもね。 

 しかし息子はもう聞いてもいません。明日、数学のテストだと言うのに、「あ!そうだ!」と言ったかと思うと、何やらゲームのコントローラーをいじり始めました。 

 おいおい、もう勉強終わり? 

 ゲームの時間があと15分余ってたのを思い出した。 

まあ、私の子ですから、嫌いな事はやらないんでしょうね。 

でも私の中学生の頃よりも、断然成績がいいのは妻に似たのでしょうね。 

 寒いんだから、ゲームしてるぐらいならサッサと寝ろ! と言って、私の方がサッサと寝てしまいました。 


第50章『足並み』


 あまり自分の時間を安売りするのはもうやめよう、と思いました。だって私にはもうそれほど冗長な時間が残されているわけじゃない。しかしいくら私が『今』に全てが含まれているのだと知っていても、この世界にはシーケンシャルなモノを基本として駆動するという悪い癖があって、そこには『時間』という粗悪な燃料があって、『足並み』というおざなりなギアレシオがある。それをどうするべきか。 

 足並み……、か。 

 別に足並みが乱れたからと言って個人が困る事は何一つ起きないはずなのに、足並みを乱すと、風紀が乱れる、風紀が乱れると、平安な生活が脅かされる、となぜかどんどんネガティヴな方向へと発想を持っていき、せっかく『今』が暖かな陽だまりに包まれて、風は穏やかで、腹も背も痛くないにもかかわらず、まるで悪い事の前兆であるかのように解釈されてしまう。これがいわゆる『不安』の正体です。 

 不安……、か。 

 先月辺りから私の所にも欠礼の葉書が例年よりもずっと多く届いています。多くの知人の親族がなくなったという事です。私の義父も今年の春、亡くなりました。 

 それはもう『不安』ではないんだね。もう諦めないといけない、耐えないといけない事なんだね。とシーケンサーはなぜか得意げ。この時とばかり畳みかける様に慰めてきます。

 ここにきて急に強まった冬の刺すような寒さも追い打ちをかけます。夏、目覚ましアラームよりも30分も早く、小さな鼻息をフンフンさせて起こしてくれていたネコは、ここ一月ほどはすっかり起こしてくれなくなりました。飼い主としては薄ら寂しい朝になりました。 

 早出の日はだいたい5時前には出掛けますね。だから4時には起きます。当然この時期、外はまだ真っ暗です。軽い鉄扉をなるべく音をたてないようにそっと閉めると、私はバイクを、ろくに暖機せずに走り出します。心のどこかに、中国製の125ccバイク、という侮蔑があるような気が、毎朝しています。 

 朝焼けの美しさだけがホンモノの『今』を感じさせてくれます。『今』が全てだと気付いたというならば、その『今』の一番美しいところだけ抽出して味わう事が出来るはずなのですが、それがなかなか、これから仕事だと思うと難しいのです。 

 『今日は戸田から板橋、足立、江戸川から千葉の茜浜。そのまま357で戻って有明で積んで横須賀。下で帰って事務所に着くのは18時。実働12時間……。 

 もうだいたい、夕方の自分の疲れ果てた姿が予想できるのです。不満ですか?あぁ、とても不満ですよ。うちは12時間働いても給料は8時間分しか出ないんです。そういう会社なんだそうです。 

  でもいいでしょうか? 予想なんてしたら絶対ダメなんですよ。人生、予想したら終わりです。 

 昨日も三つ目通りで、大型トラックが乗用車と事故を起こしましたね。ニュースでも報道されました。大型が積んでいた荷の種類が悪かった。ご愁傷様です。私はその時、そのすぐ前を走っていたんです。煙が上がるのが見えたのですが、自分が夕方に疲れ果てている姿を予想していたのでそのまま茜浜に向かってしまったのです。 

 もし、もしですよ。私がすぐに車を路肩に止めて消火作業に掛かっていれば、あの人は死なずに済んだかもしれない。 

 ぶつかられる直前まで、あの人は、「正月の前にクリスマスがあるなぁ、アイツ何欲しがってたっけ? スイッチ、とか言ってたなぁ、最近はおもちゃもバカに出来ないからなぁ、サンタも楽じゃねぇ……」なんて事を考えていたかも知れません。 

 でもその人のクリスマスは、来なかったんです。 

 もし、もしですよ。その人がそんな事を考えていなければ、『今』の一番美しいところを抽出して楽しんでいれば、たとえ助からなかったとしても、悲劇は劇的に軽減されたはずです。 

 人は際限なく悲惨になれます。それを避けるには、今以外の事を『今』に混入させるのを一切やめる事です。どんな事があろうとも、『今』『今』でしかないんです。楽観でも悲観でもない。結果の良し悪しを導いたり、遠ざけたりする事は、万に一つもないのです。 

 「仕事、終了しました。」そう無線を入れると、「お疲れ様です。じゃあカムバックで」と言われます。 

 私はそれから2時間ほど、1円にもならない時間に、空荷のトラックを走らせます。 

一切、予想はしません。どうしようか。とにかく今、どうしようか。 

 私の直近の夢として一番デカいモノに、『キャンピングカーを買う』というのがあります。キャンピングカーで最も人気があるのが、2tトラックベースの『キャブコン』と言われるサイズで、1000万円近くするものもあります。 

 これは、キャブコン。 

ヘッドライトは、キャンプ場へ続く道を照らしている。後ろのキャビネットには食材と、夕食をしたくする妻と、運転席の上のバンクベッドに寝転がってスイッチに興じる息子がいる。 

 おい、暗いところでゲームすんな! 

私は上に向かって話し掛ける。キャンプ場にはランタンがあって、バーベキュー用の備え付けのコンロがあって。 

 私はそうやって本当に自分勝手に足並みを乱しているはずなのですが、でも、ほらごらん。 

 誰も困らない。 


第51章『2会目』


 珍しい人から連絡があり練馬に来ています。以前は練馬に住んでいて、息子が生まれた時はまだ練馬区民でした。連絡をくれたのは小学生の頃の同級生で、今は郷里で料理屋をやっている人間なんですが、たまたま関東に出てきたので、久々にどう? という事で呼び出されたわけです。 

 かつての最寄り駅である江古田駅を降り、小さい方の北口改札を出ます。そこから斜めに入る小道をいくとその先に小さな公園があるんですが、そこに1本、背の高いメタセコイヤがあったのです。見ると私は、いつかそのてっぺん近くで小学生が おーい! と叫んでいた記憶が蘇ります。 

 危ないから下りなさい! 私が思わず叫んだのに、その少年はわざと枝をゆさゆさと揺すって、ボスザルさながらな権力を振りかざします。あの高さまで登れるのは、いくら身軽な子供でもその少年だけなのでしょう。木の下では群れの平ザルの様な少年たちが、やや羨望の眼差しで見上げています。高さは優に10メートル以上はあります。落ちれば確実に死にます。 

 しかし、砂場で子供を遊ばせているバギー軍団のお母さん達は何の関心も示しません。きっと日常の光景なんでしょう。あまりにそっけないのでそのうち私も、そんなに危なくないのかな……、と思えてきて叫ぶのをやめたのです。 

あれから8年……。 

 メタセコイヤは切られていて、そこにはブランコが出来ていました。 

 砂場やレジャーテーブルは昔のままだったのですが、昔ほど子供でにぎわっておらず、入り口には『サッカー、キャッチボール禁止!ペットの連れ込み禁止!』 

という、ありがちな看板が立っていました。 

 約束の時間までまだあったので私はかつて住んでいたマンションまで行ってみる事にしました。 

 そこは4階建てのマンションの2階にある1DKで、自転車置き場はなく、ハメ殺しの窓は開かない、風呂は2度焚き出来ず、ガス台は一口。おまけに以前は反社会組織の事務所だったらしく、突然○暴の警察官がやって来て、 

 おい!ここで何やってんだ! なんてドアをガンガン叩かれ、それでいて家賃10万円強という、今と比べたらすさまじい悪条件だったのですが、当時の練馬の家賃相場から考えたらそれもきっと日常だったのでしょう。私も、東京で暮らすなんてそんなモンだろうと、何も疑わずに住んでいたのです。 

 見るとベランダに、息子が通っていた幼稚園の制服が干してありました。きっと我々の後に住んだ家族の子供が、同じ幼稚園に通っているんだなぁ、とほっこりとみていたのですが……。 

 しかし、どう見てもそれは息子の制服でした。 

 そんなはずがあるわけがありませんが、でもほら、ちゃんと息子の名前も書いてある。ん~、また『今』がワイドになって、8年も経ったのに『今』のままのようです。 

 正直、たまに不便ですね、この『今』の在り方は。だって誰にも共感を得られない正解は、一般的には『間違い』という事になるのでしょう? つまり私は目の前の光景を『間違い』と判じる必要があるのですから。 

 まあ同姓同名の子がいないとも限らない。こんな誤魔化しで煙に巻いて私はそのまま、息子がよく遊んでいた『八雲公園』に向かいました。『八雲公園』にはコンクリートの大きな滑り台があって、息子は当時、そこを上まで駆け上ることが出来ずに悔しくて泣いていました。またそんな、可愛い記憶が蘇ります。 

 夏はやぶ蚊が凄くて、『ここの池で水遊びをすると必ず風邪をひく』というジンクスは、8年経った今でもママたちを悩ませているのだろうかと見ると、さすがにもう冬だからもう水はありませんでした。やぶ蚊もいません。しかし夏の名残のセミの抜け殻が、欅の落ち葉に混ざってあちこちに落ちています。時間はこうやって経っている様に見せかけておいて、ある部分では経っていないのですね。そして私が来ると慌てて『今』に混ぜこぜにして、さもその通りの時間が流れましたよと言わんばかりの誤魔化しをやるのです。 

 セミの抜け殻は、きっとさっき羽化したばかりなのです。違うと言えますか? なぜ? 見てもいないのに? それにそうじゃないと、これからの話がまた全部『間違い』になってしまいます。わざわざ練馬まで来たのに、それもすべて。 

 私はシーソーに腰を掛けました。買った覚えのない缶コーヒーを握っています。すると、おーい、ここここ、と滑り台の上から声が聞こえました。それは約束の彼女で、彼女はコックスーツのまま私に向かって手を振っています。 

 もういいよ……、わざと時間と場所をごちゃごちゃにして、そんな事で不思議なお話を捏造しようとしている。もうこれ以上お前のつまらない作り話に付き合っていられない。そうですよね。やめましょうか? いいですよ、やめても、しかし……、 

 あり得ないと思える事や、つまらないと思える事から目を逸らしたり、自分が納得いかない事や興味がない事をすべてない事にしていたら、最後の最後に自分の手の中に何が残ります? 

 おもちゃ箱の蓋ばかりが残るのです。なにか『期待』はあったのですね? それはわかります。でもそれはおもちゃ箱の蓋を開けるまでの話です。ふたを開けたら、あとは結果が出てくるだけ。それは? 本当に望んだものでした? そんな事が一度でもありました? そもそも貴方は、本当にそんな結果が欲しくてその蓋を開けました? 私にはそうは思えない。蓋は意思に関わらず勝手に開いた、違います? 

 そしてただガチャガチャとうるさいエピソードの蓋だけが残るのです。その前後に付随していたはずの『希望』『予想』など、初めからなかったのです。 

 だから、私は必死に『今』を見ようとするんじゃないですか。見えているのは、聞こえているのは『今』だけなんです。ゴチャゴチャ勝手な判断したり、期待を掛けたりするなんて事は、そもそも出来様がないのです。 

 しきそくぜくう?? くうそくぜしき?? 私はそれがなんの意味かすら分かりません。科学ではある物が消える事はないと言いながら、宗教では常にある物は何もないという。そしてそれは両方正解だという。矛盾にしても単純すぎます。 

 まあ公園でウロウロしているだけなのに、先達お歴々のお言葉を論って大袈裟に話を膨らませる必要もないでしょう。先を急ぎます。もう、終わりますから。 

 彼女とは初めはわかりませんでした。そればかりか私は、約束したのが彼女であった事すら、その瞬間に知ったのです。 

 滑り台から降りてきたのは、真っ白いコックスーツを着た、出会ったばかりの頃の初々しい彼女でした。 

 なんで、コックスーツなんか着てるの? 

 わかってるくせに……。 

 浅草のカッパ橋で買って、そのまま着てきたのだという。 

 うん、わかってる。それでずっと心の中に蟠っていたから、こういう事が出来た。 

 君の店に行きたい。君の作った料理を食べてみたい。 

 来年かな。 

 来年か……、まあそれでいい。 

 僕らは明らかに、冗談のように、そして合言葉のように『来年』と言った。来年はすぐそこの様であって、永遠に来ないようでもありました。 


  

 そして私達は笑い合って、そのままフラフラ練馬駅まで歩いて『福ちゃん』という博多ラーメン屋に入った頃にはもう、私の覚悟は決まっていました。入ったすぐ右側の席に着くと同時に私はプロポーズしたんです。 

 ラーメン屋か……。と呟いた妻の顔が忘れられません。 

 この結果は確かに私が望んだものでした。私は彼女にとても感謝しています。もし彼女から電話がなければ、私は妻と結婚できなかったでしょう。でもそのためにはもう一つ条件があったのです。それは公園のメタセコイヤが切られなければならなかった事。やはり事故があったらしいのです。私は妻と結婚した事と、なぜもっと強く少年を叱らなかったかという事が未来永劫パックになっている事に気付きました。  

 だからね、何かというとすぐ結果結果って言うけどさ、ナニ? 何で勝手に線引いちゃうの? その結果が終わったってどうやって誰が判断すんのよ。出来事は、基本、未来永劫、終わらないの。今、こうやって、飲んだくれてくだまいてる事だって、ちゃんと未来永劫終わらないんだよ。 

 店の運営が芳しくないと、すっかり酔っぱらった彼女は愚駄を巻いています。コックスーツは少し汚れてしまいました。明日帰るというけど、何処に泊るの? と訊くと、池袋の漫画喫茶だと言いました。 

 彼女とは人生でもう1度、会います。 

今回はその『2会目』。 


第52章『サンタクロース的』


 季節が冬っぽくなってくると思い出す事があります。それはサンタクロース的なオジサンが実際にいたという話です。 

  私の古い友人で1年ほどホームレス生活をしたヤツがいます。私と同じで、夢を追いかけて上ばかり見ていて、足を踏み外したのです。90年代以降、日本経済は急減速し、増えましたもんね。ホームレス。彼もその一人。

 今日本の1人当たりのGDPはOECD加盟国内でも19位と振るわず、かつての経済大国の面影はもうありません。失業率も上がり、持ち家を手放す人や、ホームレス生活に落ちる人、自殺者も増えているのです。

 『今』、世界はしょんぼりと沈み込んでいますよね。景気は冷え込む一方なのに温暖化は進み、貧富の格差は広がる一方なのに疫病は等しく蔓延しています。いったいどっちが本来の姿なのかわからなくなりそうですね。絶望と恐怖と不安ばかりが雲の様に全世界を覆うこの時代を、きっと100年後の教科書は『暗黒時代』として表記する事でしょう。あ、因みに、まだまだ終わりませんからね。この時代……。 

 しかし彼は「ホームレスは決してドリームレスなんかじゃない。あの時、オレはホンモノの夢を見た」と不思議な事を言うのです。


            

 アルタの前を道なりに緩やかに右を向いて、山手線の下を潜るよう左折しようとした時、暗がりからスーッと影のようなモノが飛び出してきたんです。私は思わずブレーキを掛けました。危ない! でも見ると誰もいない。 だから私は、あぁ、あの人だなぁ、とそう思う事にしたのです。勿論、実際は目の錯覚なのでしょうけどね。冬の夕方は特に見え辛いですから。 

 かつて新宿駅東口にはフェンスで囲まれた『聖域』がありました。今はもうありません。そしてそのフェンスの内側には数体のオジサンは住んでいたのです。オジサン達野良猫の様な警戒心を以て、常に怯え、僻み、怒っていました。 

  危ねぇだろ!! 飛び出したオジサンの持つワンカップには雨水の様に空しい酒がほんの少し残っているだけでした。 私は、まあまあお互いさまで、とオジサンを宥めます。オジサンにとって『今』は、わずかに残った酒のように大切でかけがえのないモノだと知っているからです。

  あの頃の日本はまだ、世界を相手にはしゃぐことが出来ました。街のあちこちには今からは想像もつかないほど豪華なクリスマスのイルミネーションが狂ったように飾られて、社会全体が正体不明の熱に浮かされていたのです。こんな状態は長くは続かない、そのうち足を掬われる、その事を、本当は誰もが知っていたのです。知っていながら誰もそっちを見ない様にしていたのです。その頃から、現実は現実ではなくなり、『今』使い捨てようにその都度廃棄されるだけのモノになったのです。

 なぜそういう心理に傾いたのか。自分の立つ地面の傾きと、体の傾きの整合性を疑う。 

 それが本当は一番重要な事だったのですが、そんな生産性のない事を気にするモノはあの時代、自殺者以外は誰もいませんでした。 

 やがてその矛先はかつての宿敵に向きました。コテンパンにやられた腹いせの様な、それはどこか復讐のようでもありました。それならそれで変な気を遣わずに、もっと露骨に、最後まで復讐すればよかったんですが、あの時、パンツまで脱がされて、公衆の面前で土下座をさせられた事に対する永遠にぬぐえない屈辱が、持ち前の謙虚さに似せたシニカルな気取りとなって、結局その邪魔したのです。 


 友人が最後の吐息をつくと、オジサンは、お前にはまだまだ先があるのに、かってに終わらせようとしている。お前にはまだまだ可能性があるのに、使わずに捨てようとしている。悲しくもないし腹も立たない、ただ羨ましいだけだ。そう言ったそうですよ。 

 友人の命日にあたるクリスマスイヴは、もう私の中にはありません。消えました。あの頃、私と友人の共通点は、『天才の名を恣にして27歳で惜しまれつつもオーヴァードーズでこの世を去る』といういかにも単純で、簡単に手に入りそうな夢だけでした。 

 あの日、私と別れた友人は1人で歌舞伎町で飲み直したそうですよ。あんなに飲んで、足元も覚束ない状態だったのに、そのあとまた1人で……。 

 案の定、彼は何件目かの飲み屋にギターを忘れてきてしまって、ちょうどそのフェンスの前で気が付き立ち尽くしたと言います。見上げると煌びやかなイルミネーションが空しく、あぁ、もう先に掴んじゃおうかな、そうすりゃ、あとは誰かが何とかしてくれるんじゃねーかな……、と、ふとそう思ったそうです。 

 夢を追うのは楽じゃない。でも追わないのはもっと楽じゃない。つまり消去法で生きてきたわけです。消去法とはつまり、『逃げ』なわけです。追っかけているようで、実はずっと逃げてきた。そしてまた、今1人でこうして、夢とも現実ともつかない世界をウロウロして逃げ道を探している。

 その時、誰かと肩がぶつかったそうです。 

「オラぁ! お前誰にぶつかってんだよ!」と数人の男は友人を必要以上に強く突き飛ばしたそうです。タイミングが悪すぎました。友人は立つのもやっとなほどベロベロに酔ってい上に、杖となるギターを置き忘れていたのです。 

 頭を強く打ったのが致命傷だったようです。頭の中を、暖かいモノが流れるのを感じたと言います。それは血管が破裂したことを言ってるのでしょう。ほどなく意識が遠退いて目が霞んできたと言います。しかしそれにつれ、それまではただ煌びやかだったイルミネーションの、それまでは気が付かなかった辺鄙な括りが溶け、様々な人の形や会話に変ったといいます。俺はバカだったと、友人は笑います。 

 クリスマスイヴとか、イルミネーションとか、歌舞伎町とか、天才とか、オーバードーズとか、あってない様なモノにばかり目を奪われていて、実際に目の前にあるイルミネーションが本当は何なのかすら全然わかっていなった。イルミネーションに交じって、

 やだ、死んでる……。死んでるよね? あれ。そんな声も聞こえたそうです。 

 まあ当然でしょうね。きよしこの夜、美味しい料理を食べて、お酒も飲んで、プレゼントも貰って、とてもいい気分。楽しい時間がひと段落、さあ、これからさらにイヴの夜を楽しもう、そう思っている人にとっては、あり得ないほどの『クズ』のような人間を見た場合に対するそれは『慈悲』という優しく正当な『虐待』なのです。障害者を指さす子供に対してお母さんが言う『指さしちゃダメ!』という、あれと同じですね。指をさす事すら憚られる人間が、確かにこの世にはいるようです。大概の虐待は、こうした優しさから派生しているように思えます。天才の名を恣にするはずだった友人は『クズ』として心無い『慈悲』を浴びたのです。こういう優しさがないところには虐待はないのです。つまり優しさは虐待の種なのです。 

 友人の葬儀の時、いつも優しい顔で笑ってくれていた友人の母親に、何で最後まで一緒にいてくれなかったの!と激しく詰め寄られました。私は『そんなこと言われても……』と思いましたが黙っていました。これも優しい虐待に当たると思います。息子が先に亡くなるなんて絶対にあってはいけない事でしょうね。でも私はその時、ただこういえばよかったのです。 

 お母さん、アイツがどうかしたんですか? 

 え? ときっと母親はきょとんとしたに違いありません。それで、そうね、そうよね。と照れくさそうに頭を搔いた事でしょう。友人が倒れたところには偶然水の入ったビニール製のウエイトがあったそうです。オジサンは偶然を装ってそこに置いたらしいと、友人は言いますが、私は偶然を装う必要など少しもない気がします。ただ、夢を追う友人にとってそれは是非偶然であって欲しい。オジサンはイルミネーションの中から現れて、先ほどの言葉を言うと、そっとそれを首の下に置いたと言います。それはまるでサンタクロースのようだったと。


 私が見た影はきっとそのオジサンの一人だと思うのです。残りの酒を、グイっと煽ると、オジサンはもとの所に消えました。いる事は確かなのですが、それは霊でも、妖精でも、宇宙人でもありません。それは誰しもの手の下に、当たり前に出来ている影の様に、『今』がふくよかに織りなす単純な出来事の一つで、そういう我々がそもそも、そういう出来事の一つなんです。 

 そう思うとやっぱり、生きているって素敵ですね。そう意識するだけで、いろんなモノが見えて、いろんな音が聴けて、美味しいモノが食べられて、好き合ったり、嫌い合ったり、時間なんてあっという間に過ぎてしまいます。

 あのクリスマスイヴから約1年間、彼は意識のない状態が続きました。彼の母親は今も、あの時はホント、生きた心地がしなかったわよ、と回想するそうです。 今は意識も戻り、順調に回復して後遺症もなく過ごしています。  母親は、音楽なんかやめなさい!そう何度も言ったらしいのですが、彼は今も月に1~2回のペースでライヴを行い、精力的に活動していますよ。 

 12/24ってさ、キリストの誕生日じゃないんだって。そんな文献どこにもないんだって。ただなんとなく日付を逆算したらだいたいこの頃、という程度なんだって。 

 でも良くない? それで。キリストが生まれた日で。キリストが生まれたという事実で、もう良くない?? 


第53章『100年の徒然』


『桃鉄』って知ってますか? 正しくは『桃太郎電鉄』。サイコロを振って出た数だけマスを進んで、日本各地に設定されたゴールを目指すという、まあ双六のようなゲームで、お正月には丁度いいです。我が家のリビングには元旦から、その『桃鉄』の軽快なサウンドが蜜の様な日差しの中に溢れています。所謂、素敵な『正月』です。 

 もとより『正月』とはこんな風に、徒然を如何にトラディショナルに過ごすかがなにより重要であったように思うのですが、ところがここ最近、『脱年賀状』など、おそらくは数百年スパンの大変革の時期を迎えつつあるように思えるのです。我が家にも、『今年限りで、年賀状卒業します!』なんて言う年賀状が何通も届きました。 

 正月をどう変革していくのか。これ、案外重要案件かも知れませんよ。 

 私が最後に双六をしたのは5~6歳の頃、母の実家で、やはりお正月だったと記憶します。襖をすべて取っ払い、ぶち抜きの大広間と化した和室の長テーブルには、酔っ払った大人たちの胴間声に混じって、伸びやかな子供の声がします。みんな双六をやっているのですが、私はその端っこで、みんなとは明後日な方を向いて座っています。 

 私のいとこは多く、私の兄妹も合わせると10人もいるのです。 

 知ってますか? 一見平和に見える双六も、場合によってはガッチガチの『イジメ遊び』に成り果てるんですよ。11人いると当然、駒が足りませんよね。だから2人1組でやるのですが、私だけ1人組。理由は誕生日に『6』が付かないから。他の子は全員、年か月か日に『6』が付くのです。これは始めからみんなわかっている事でした。何かというと、お前だけ『6』が付かない、ってあたかもそれが欠点であるかのように言われ続けてきましたからね。だから今回のこの基準も、明らかに私を1人組にすることを仕組まれたルールだったのです。おまけに一番初めに上がってしまった私は、あとは見ているだけ……。ワハハハ、と笑い声が起きても、え?何があったの? とたずねても、お前に説明してると話が長なる、とスルーされるのです。

 癇癪持ちの私が、こんなところでみんなと一緒に泊まるのは嫌だ!と母親に言うと、なんでまたアンタだけ他の子と違うこと言うの!なんで仲良く出来ひんの! と、私だけ叱られてしまいました。 私にとって、双六など、ロクなゲームじゃなかったんです。           


 『桃鉄』で息子を完膚なきまでに下した私は、「くそ、もう一回やろ!」という息子の声を背に、パーカーを羽織って外に出ました。私なりの正月大変革の一環として考えに考えた結果、煙草をひと箱買ってくる、というのを思いついたのです。20年ぶりに、煙草を吸ってやろうと思い付いたのです。 

 私が煙草をやめたのは30になる少し手前ぐらいでしょうか。咥え煙草で本を読んでいて、煙が目に染みるのが鬱陶しくて、そのまま箱ごとゴミ箱にドン!それきり吸っていません。私の禁煙はこうして、0.5秒で完遂されたのです。 

 だから、まあ1本ぐらい吸っても大丈夫でしょう。煙草を吸った瞬間、きっと私の『今』は20年前の『今』に少しくリンクするはずです。『今』が少しくヤニ色の染まるはずです。 

 コンビニでマイルドセブンを買おうとしたらその銘柄はもうない、強いて言うならメビウスです。と言われました。私はメビウスを買って躊躇なく火を点けました。青い煙が快晴の元日の空にスプレッドしていきます。 

『初煙草』いいんです。一富士二鷹三茄子。そして四煙草、知ってました?

 読んでいたのは幸田露伴の『五重塔』でした。のっそりは腕はいいが、如何せん人間がどんくさい大工。報われない天才に対して巨大なシンパシーを持っていた私がそっと感情移入しようとすると煙草の煙がその邪魔をして、 

 お前は大工じゃないし腕もよくない。ただ聞きかじりのギターを弾いて、バカな夢を見ているだけの、自分の盆百極まりない駄曲に付ける陳腐な内容の歌詞をデコレーションするための語彙と世界観を借りるのが目的の、打算的で貧弱な読書を恥ともしない、無神経で無責任な男だ、と言います。 

 そんな風に読書の邪魔をされる筋交いは誰にもないと怒った私は、そのままその、憎きタバコを握りつぶして捨てました。メビウスは買われて1分でゴミの束になりました。 

 『初怒り』これでいいんです。喜怒哀楽の一番しんどいのを使っちゃいました。 

 2度目の禁煙に成功した私は揚々と足取りも軽く店に向かいました。『初出勤』です。店にはもう2人がいて、あ、あけましておめでとうございます、と元気に挨拶してくれました。 

 あぁ、あけましておめでとうございます。今年も、暇かも知れないけど、腐らず頑張ってお店、よろしくお願いします。 

私はそう言いました。すると今の子がすぐに、なんか煙草臭いですね、と言いました。 

あぁ、そうわかる? さっき1本だけ吸ったんだよ。もう吸わない。 

 『今の子が煙草の臭いに敏感だ』という、今までにない『今』をみつけた私は、それを新年に見つけた新しい『今』で、すばらしい瑞兆だとしました。今の子の母親は、普段は吸わないのですが、機嫌が悪い時、或いは自暴自棄になっている時、自分を汚す意味で煙草を吸うのだと言いました。 

 そうか、煙草にはそんな使い道もあったのか。私はまた嬉しくなりました。他人のこういうサンプルをたくさん持って、私はきっとまたスタジオに籠って新しい曲を書くつもりなのでしょう。しかしそれは20年前の私であって、『今』の私ではないのです。 

 名曲が出来上がる事を期待しつつ、私は家に戻ってきました。家に入ると息子が開口一番、うえ! 煙草クセェ! と言いました。 

 そうか、まだそんなに匂いうか? 私は20年前の『今』が早く消えてくれることを祈りました。 

 20年前、私は、あぁ、もういい、そろそろ出かけよう、と、当時まだ付き合っていた妻に言いました。妻はもうとっくに準備が出来ていて、待たせていたのは私の方でした。勿体ない、と、妻は私が捨てた煙草の箱をみながら言いました。年明けのライヴに間に合わせようと、新曲の歌詞を練っていた私は完全に煮詰まってしまい、初詣に行く約束を、妻に待ってもらっていたのです。結局その曲はライヴには間に合わず、メンバーにも不評で没になるのですが、そんな事とはつゆ知らず、一世一代の名曲のつもりで、私は書いていたのです。 

 息子は『桃鉄』をやりたいけど煙草臭いのが気になって集中できない、と文句を言います。 

 そんなセンシティブなもんか。たかだか双六じゃないか。 私が言うと、 

 カードの使い方で、勝敗が決まるんだよ。と息子が言い返します。 

 じゃあ、煙草の匂いが完全に消えたらもう一回勝負するか。私が言うと息子は、当然、だってまだ21年しか経ってないじゃん。 

と言いました。 

 え? 私は息子のこの突然の、『今』を超越した言葉に一瞬たじろぎましたが、この『桃鉄』には100年モードというのがあるらしく、今はまだその21年目という事だとわかりました。 

 勝負はまだ全然ついてない、と息子は勇ましく言い放ちます。 

 そうだよ! 辞めるから負けが確定するんだよ!勝負の行方なんてな、人生が終わるまで誰にもわかるはずがないんだよ。でも出来ないと思ってやったら出来るはずがないんだよ。自分で決めるんだ。自分がそっち向いてんたらそうなる。逆に出来ると思ってやってたら、それは出来なくても出来た事に、最終的にはなるんだよ。いいか、だから、21年目の自分が今どっちを向いているのか、それをちゃんと精査しなけりゃいけないんだよ。そうじゃなきゃ、つまらない曲の歌詞を書くのに、四苦八苦して、初詣も行きそびれて、おまけに20年も、あんなに大好きだった煙草も吸えなくなってしまうんだよ。  

 な、何言ってんの? と息子は不思議そうに言いました。 

 何でもないよ。まだ、臭いか? 

 うん、だいたい消えた。じゃあ22年目に突入しますか!

 おう!負けへんで!! 

 2人とも、もうお昼だから一旦やめて。お餅、何個食べる? 

 2個!  

  

『いきてるきがする。』《第6部 秋》


もくじ




第42章(夢紫蘇)

 

  さ、飲んでください。冷めてしまいますから。

 綺麗な色でしょ? これはね、『夢紫蘇』といいましてね。うちの田舎にはそこら中にいっぱい生えているんですよ。まあ、雑草ですね。ハハハ……。それをね、摘んでね、軒下に吊るして天日で半日ほど乾かしてから、ゆっくり手で揉むんですね。それを煎じて飲むんです。

 子供の頃の私は酷い喘息持ちでね、夜中に発作が起きると、母が決まってこのお茶を入れてくれるんです。安息効果があるんですよ。飲むと本当に、スッと息が楽になるんです。私はホッとして見上げるのですが、そこには仁王様みたいに佇立する、スッピンで眉毛がほとんどない母の姿があるんです。母は私の手から湯呑を毟り取ると、それを流しに投げてそのまま寝るんです。よほど眠かったんでしょうね。その後の鼾が雷のようで……。今思い出しても、奇妙な様な、甘い様な、怖い様な、変な思い出ですね……。


 外には煙のような雨が降っています。曇ってますが明るいです。オンブバッタが飛ぶ瞬間が見えました。着地すると同時に、秋の気配がそこらじゅうからドッと沸いてきて、今年の秋刀魚の不漁が告げられ、白菜が値上がりしてと、秋は次から次にやって来ます。そうしてだんだんと深まっていきます。オンブバッタの功績は偉大です。 

 この秋の連休は何だか、コンセントが抜けたように静かですね。風鈴すら、チリとも鳴りません。 

 以前とはだいぶ『今』の様子が変わってきたようです。或いは『今』ありきの『今』を勝手に捏造してしまっているせいかもしれません。自分で勝手に作った『今』『今』というよりも過去と未来の間の空白の様でなんとも味気ないですね本当の『今』を捕らえるのは本当に難しい事ですからね。 

 過去は存在しない、未来も存在しない。 

 そんな風にして少しずつ、柔軟体操で股関節を広げるようにゆっくりと『今』広げていくと、やがて真っ平で一つの大きな『今』になりますよ。いえ、本当に。 

 ハハハハ……。 

 お互い、こんな穏やかな日がずっと続けばいいですね。未来も過去も何も考えずに、ずっとこうしていられたら、そりゃ、誰だっていいに決まってますよ。それはそうなんですけどね……、

 店なんかをやってるとね、どうしても今いる場所を世界の縮図の様に考えてしまうんですよね。世界を運転するコクピットのようなモノだと、どうしてもそんな風に考えてしまうところがあるんですね。 

 ここから、自分はどう打って出るか、なんて風に考えを曇らせてしまうんです。別に、生きる事は戦う事ではありませんから、戦略なんか要りませんのに。 

 今だってね、私がこうしてあなたと話しているのは、果たして話しているのか、聞いているのか、なんて思ってるんですよ。会話なのか、独り言なのか。 

 結局、同じなんですけどね。それが証拠に、私は最近、自分が言った言葉にひどく痛み入る事があるんですよ。有難いなぁ……、ごめんなさい……、と。さっきの母に対する一言だって自分が言った事とも思えない。誠に、有難いなぁ……、ごめんなさい……でしょう。 

 私は一体誰に何を言っているんだろう? 人に良かれと思って言った言葉は、巡り巡って実は自分にそう言い聞かせたいだけだったりしますね。つまり、人に良かれと思いたい自分の欲求を満たしたいための独り言。他人はそれに、強制的に付き合わされているだけ。 

だからこれも、さっきの母に対する言葉と同じですね。私が両親にとって迷惑な子だとあなたに言いたいたいばかりに、母は鬼にされてしまいました。 

 有難いなぁ……、ごめんなさい……。 

 そしてあなたは、そんな不安定で不格好な親子関係を無理やり鑑賞させられてしまいました。 

 有難いなぁ……、ごめんなさい……。 

 さて、あなたは私を逮捕しに来たというのは本当ですか?  私には一体、どんな罪状が? 

 ささ、飲んでください。もう冷めてしまいましたか……。 

 この霧雨がもし開けて、私は顔を上げて、あぁ、それでも心のどこかで、私は2人の事を待ってるんだなぁ、やっぱり心細いんだなぁ、と気付くと、その時は私はいちもにもなく、時間を刳り貫いて出来た道を、どんどん進んでいくのです。『今』にぽっかりと穴を開けてその空洞の中を自宅の玄関脇まで急ぐのです。 

近々、母親のところに行こうと思ってるんですよ。どうも拒否されているようなんです。母はね、私が死んだと思ってるんですよ。そう思いながらも母はそれを認めようとせずに、ずっと私を探し続けているんです。信じたくないんですね。だから母は戦ってます。自分自身の描いた妄想と、やはり自分自身が描いた現実のはざまでね。

 私は自殺したようなんです。覚えているのは、『ママがすごく泣いてた。でももう何も言う事が出来なくて』という言葉だけです。それによれば、僕には双子の妹がいて、明るい子だったのに、中学でいじめにあって、それを苦にして自殺したのだと……。

 私だって母を助けたい。だから私の方からも会いに行こうと思っているのです。そうやってお互いが歩み寄れば、お互いの悲しみを共有するか、あるいは相殺できるんじゃないかと思って。 

 でもそのバランスが『皇極法師』のせいでなかなかうまくいかないようなんですね。 

 母が『皇極法師』という男に洗脳されていると、店長のブログを見て知りました。店長が言う『皇極法師』とはいったい誰の事でしょう。店長もそれについては触れていません。でも私がその人を知らないわけがないと思うんです。私はその人が母と私についてすべてを知っているような気がしてならないんです』 


  そうです。その通りですよ、お巡りさん。あなたの仰る通りです。 

これはね、『夢紫蘇』なんかじゃありません。あなたが仰るその、元気の出る野草です。 

 でも喘息にいいのは本当ですよ。ピータートッシュというレゲエミュージシャンをご存じですか?彼もそう言ってます。私の生まれた集落には医者がいなかったから、空き地にたくさん生えているそれを、みんな刈って各々の家の軒下に干すんです。乾いた葉っぱが風に触れあう音が秋の景色そのもので綺麗でね。お!だいぶ乾いてきた。なんて祖父の顔がほころぶんです。 

「これはな、喘息にエエお茶やから、ゆっくり飲み」 

 祖父の優しさが染みました。とても飲みやすい温度にしてあるんです。 フーっと吹いて、少し飲んでため息をつくと、私をいつも苦しめる、同級生と同じように運動場を走ることも許さない意地悪な、毎月痛い注射をさせる邪悪なモノが、一気に出ていく様な気がして……。そしてもう息つくのも金輪際でいい。そんな風に、小学校低学年の少年が、自分の人生に満足感すら覚えるんです。悲しいやら、優しいやら……。

 私はね、お巡りさん。法律なんかよりも、祖父の優しさの方がよっぽど頼りになるし大切なんです。 

お巡りさん、貴方が遵守してる、その法律はね……、僕を守ってはくれませんでしたよ。

 法律は人間を守りません。人間が法律を守るんです。 

 同じように伝染病も、人間が守るんです。それだけじゃない。イジメも、殺人も、戦争も。すべて人間が懇切丁寧、守り続けているんです。なければ生きていけないんでしょう。だって、そうじゃなけりゃ、こんなに長く人間と一緒に居られるわけがないじゃないですか。人間には、殺人も戦争も、私の両親の様に、絶対に一緒に居なければならない、大切な愛なんです。それが自分のためであろうがなかろうが、命に関わろうが関わるまいが、縋るしかないんですよ。 だって、

 それ以外の愛がどこにありましょうか? 


 雨がやみ、刳り貫いた『今』を抜けて自宅に戻ると、まだ朝の5時半じゃないですか! 玄関先で猫だけが起きて、目をキラキラさせて出迎えてくれました。 

 今日は休みだから、もうひと眠りする事にします。 



第43章(キリギリス)

 約束に遅れそうになって慌ててドアを開けたちょうどそこに、小さなキリギリスがジッとしていました。私がつま先でツン、とやってもキリギリスは傲然として動きません。殺るなら殺れ!と言わんばかり。 

『何もしないよ。何をそんなに拗ねてているんだ?』私は問いました。しかし考えてみれば秋の虫は、生まれた時には春も夏も終わっているんです。拗ねたくなる気持ちもわからなくもありません。実際そんな自らの不幸を知ってか知らずか、キリギリスは尚、卑屈な強情さを保ったまま動きません。 

 でもこれを100年、いえ1000年、いいえ100億年ベースにすると、私も多分同じ様なモノだと思います。 

 何でこんな時期に生まれてきたんだろう? 

 目を奪う美しい星々も、舌を溶かす美味しい果実も、流麗華美な鳥たちのさえずりも、もうずっと昔に消え果てた……。楽しい季節はすでに終わってしまった。 

  

 そして今、何も望まない私がここにいる。それがどれほど懲罰的な事であるのか。 私にはきっと、永遠にわからない……。

 あ、そういえば昔、働いていた喫茶店でこんな注文をされたことがあります。 

「ビザトースト、ピザ抜きで」。私が、え? と聞き返すと、その人は普通のトーストが食べたいんだけど、メニューにないからそう注文をしたのだと言いました。 

 何一つ欲しいモノがないメニューの中からでも、必ず何かを一つ選ばなければなりません。 

 閑話休題。話が逸れました。


 私はタクシーに乗って、入間市方面に向かっているところです。今の子の母親に指定された場所に向かっているのです。 

 今の子から母親に連絡を取って欲しいと言われたのは一昨日ぐらいだったと思います。私は、連絡を取るのはいいけど会えるかどうかはわからないよ、と言いました。以前にも言いましたが、私が関わると、この親子は少し面倒な関係になるのです。 

 今の子の母親は迷走しています。息子が死んだのは自分のせいだという考えに必死に抵抗しているのです。私は彼女のせいだとは思いません。だから彼女を応援したいのですが、それは同時に、私は彼女から息子を奪い取った悪人になるという事です。ある日、彼女は今の子の双子の妹を連れて店にやってきました。そして私に、なぜ親の私に一言も報告せずに未成年である息子を店で働かせているんですか、それは誘拐と同じです、犯罪ですよ。と詰め寄ったのです。 

 私にとっては寝耳に水です。だって私にとって、今の子は、私がこのブログを立ち上げる際、フリー画像の中から見つけてきた道祖神なのですから。しかし母親にとってそれは紛れもなく、自殺した息子なのです。 

 今の子の母親に指定されたのは入間市にある大型ショッピングモールの駐車場でした。既婚の男女が会うには、とてもよく考えられた場所だと感心しました。 

 駐車場の手前でいいと言うと運転手は、あそこの入口のそばにバス停があるから、出来れば一回入って、ぐるっと回って出口から出た方がいいんですけどね。皆さんそうなさいますよ、と言いました。 

 じゃあそれでお願いします。 

 車道の端を中学生が数人自転車で走っています。よほど命が有り余っているのか、彼らはまともに自転車を漕ぐ事も難しいようです。 

 あれがねぇ、ホント怖いんですよ。運転手がそう言ったので私は思わず、そうなんです!そうなんですよ!私もトラックドライバーやってるんでよくわかりますよ。ホント自転車が一番怖いですよね、と同調しました。 

 運転手はミラー越しにチラと見て、あぁ、ドライバーさんですか、と言いました。 


 果たして同じ人間が道祖神であったり、自殺した少年であったりする事はあるのでしょうか? あるようです。なにも理屈に合わない事はない。誰も関心を示さない世界では、様々な理屈に合わない事が起きています。ただ誰も気づかないない。いえ、気付こうともしないのです。 

 人生は絶えず自分で選択している様でいて実はそうじゃない事は、誰だってよく知っていますよね。生まれつき容姿端麗な皆様、選びました? 選ばないですよね。じゃあ不細工な皆様、選びました? まさか選ばないですよね。斯様にして我々は全く選んだ覚えのないモノを自分とされ、その全責任を負わされている。そんな理不尽に敢えて無抵抗でいるのです。そしてそれを埋め合わせるために、人間は様々な誤魔化しや、嘘や、矛盾を生み出すのです。でもそれすら本当はそうじゃない。誤魔化し、嘘、矛盾を作り出すためにわざわざ我々はいる。では本当の我々は何処にいて何をしているのでしょう? それを考えるにはまず、 

 我々一人一人が別々の存在じゃないという事を前提にすべきです。 

 私は道祖神の写真を気に入り、店のマスコットに決めました。そのつもりでした。しかし思い返してみると、私がなぜブログを書き始めたのか、そもそもの理由がなく、それに至ったであろう様々な事情1つ1つにも、突き詰めれば何も理由がないのです。やはりそれは初めからそこにあった以外に考えられないのです。つまり私はまんまとそこに導かれたという事です。じゃあ誰がそんな残酷な場所に私を導いたのでしょうか。

誰も導いてはいません。

 私はずっと同じ場所にいます。おそらく永遠に動くことはありません。ただし同じ私は、同時に同じ場所に無限にいるのです。我々が選んでいると思っているのは、その自分を自分で勝手に選んでいるだけなのです。 

 嘘や矛盾は論理の間に成立する事はあっても、現実の間に成立する事はありませんよね。きっと皆さんそう思ってますよね。もし像がダンボの様に耳で羽ばたいて飛んだとしたら、そこには論理矛盾が生じます。体重を考えても、推力を考えても絶対にあり得ませんがもし、実際に目の前で飛んでいたらどうします? 私たちは必死にその理屈を探すでしょう。探さなくてはなりません。現実は絶対否定できませんから、同じように……。 

 現実であればもう何も疑う事は出来ないのです。疑うとはつまり、信じている事が大前提で、またその証拠でもあるのです。 


 

 タクシーは駐車場をぐるりと一周しました。その途中で私は今の子の母親らしい人物をみつけました。 

 あ、運転手さん、ここでいいです。あの人ですから。 

 私が言うと、運転手は、 

 あの人?あぁ、あの人は、ずっとあそこに立ってるんですよ。もう、何年も……。 

 そう言いました。 

 私は異世界との親和性みたいな現象にはすっかり慣れているので、特に地縛霊だとか、エネルギー体だとか、そういう禍々しい事は言いませんが、とにかく会わなければいけない人なので、降ろしてください。と言いました。 

 あぁ、そうですか。わかりました。しかしあなたで、何人目ですかね。じゃああなたもあの人を、『今の子の母親』だと、そう仰るのですね? 

 私が、え?!とルームミラーを見ると同時にタクシーのドアが開きました。今の子の母親は私に気付くと、小さく会釈した様に見えました。 


第44章(生霊)

 

 もし今のような時勢でなければマスクなどしていなかったでしょうが、私はその顔のよくわからない女性に会釈を返しました。

 あれはね、『生霊』って言うんですよ。  タクシーの運転手は私にお釣りを渡しながらそう言います。

 『生霊』は仕立てのいい和服を着て、おもむろに日傘をたたみます。 

 ほらほら怖い怖い。今、みました? ああやってね、あなたをちょっとずつ自分の現実に寄せ付けてているんですよ。あぁ、怖い!わかりませんか? あの人さっきから、周りに全く関係ない動きをしてるんです。普通は絶対できませんよね。我々普通の人間には。 

 私は女性の仕草に何の違和感も感じません、しかし運転手は、

 ほら、また! 間違いない。あれが『生霊』ですよ。わかりませんか?わかりますよね?私ら運転手だってそうでしょ。交通ルールに従って車を運転するのは当然ですが、それだけじゃどうしようもない場面に突然出くわす事あるじゃないですか、割り込みとか、飛び出しとか。そういう時は何が我々を追い詰めてるか、わかります? 

 多様性です。それまでまで習慣に隠れて全然見えてなかった多様性がいきなり堰を切ったように目の前に飛び出してくるんです。左側通行? 車道? 信号? 横断歩道? すべては同じ条件の別々なモノとして提示されるのです。事故を避けるためにあなたは何を選びますか? 

 他人にとって最も危険な場面は、自分にとってもやはり最も危険な場面ですよ。あの人は、いえ、あの『生霊』はね、想像上の存在じゃない。むしろ我々よりもいろんな現実の間に、縦糸と横糸を蜘蛛の巣の様に張り、獲物を待っているのです。『生霊』は我々の様に時間に縛られる事はありませんし、その事を想像する事も出来ないのです。だから生霊本人は普通にして立っているいるつもりなのでしょうが……。

その時点で私はすでに、その女性に見覚えがあるのかないのか判然としなくなっていました。或いは初対面かも知れない。会釈をしたように見えただけかもしれない。

わかりませんか? あの人は、自分のいる、どうしようもなく危険な、とても悲しくて、辛くて、死んでしまいたいような現実へとあなたを誘っているんですよ。

あなたはその蜘蛛の巣に飛び込もうとしている、キリギリスなんですよ。 

 私はハッとして運転手の顔を見ました。運転手は、そうです私です。そういう顔をしたように見えたのです。 

 ね、お客さん、もうわかったでしょ? 何度も何度も、会ってるんですよ。私達も。自転車に乗る中学生の危機意識が足りないとあなたはおっしゃったじゃないですか? そういう、あなたはどうなんです?              


 別に逃げ帰ってきたわけじゃありませんが……。 

 結局、私は今の子の母親には会えませんでした。会わなかったと言った方がいいかもしれません。そして私はいま、自宅のリヴィングにいます。そしてゲームをする息子を後ろから眺めながらこのブログを書いています。勘が外れる事はよくありますからね。私も余り勘がいい方ではないので、よくいろんな物事を誤解してしまうのです。それはとりもなおさず直前までその勘違いが私にとって真実であったという事です。それが、何か、誰かの一言で、一瞬でウソになる。真実でなくなる。 

 締め切り、昨日だったんだけど……。そう言われて目の前が真っ暗になったことがあります。でも考えてみれば、その直前まで、私は勘違いしていて、その勘違いの方が圧倒的に事実で、それ以外はなかったんです。自分も、他人も、地球も、宇宙も。そしてその一言で、全てがウソに変わったんです。 

 やれやれと私は、諦めたような、騙されたような、けだるい感覚に陥りながら、今の子にはこの事の顛末をなんて話せばいいのか考えています。そこが今の私の一番難しい現実なんです。 

 息子が、久しぶりに3人でファミスタやろうよ!と言ってます。この、3人で、という響きが私の心を言いようもなく温めます。私の大切な3人。かけがえのない3人。しかし、3人でゲームをやる事自体はやぶさかでないのですが、1日1時間と決めた時間はとうに過ぎているのだから、契約上それはまずいだろうと、わざと渋って見せています。日ごろから息子には、どうしても通したい無理があるなら、駄々をこねずちゃんとプレゼンしろ! と言ってます。そのプレゼンの内容が面白ければ、再考の余地が、なくもない、現実は或いは変わるかもと。とにかく。 

 今は目を休めてそれからだろう。ファミスタはずいぶん久しぶりだから、そりゃきっとやったら楽しいだろうけどね。 

 明日は天気は曇りの様子。年末に向けて仕事が立て込んでくると思ったら、あまりそうでもなく、ただ、細かい、私がみても全然お金にならなそうな仕事ばかり割り振られて、あぁ、世の中の末端にいる。と強く実感できています。私の実感はきっといろんな結果の共鳴が齎しているはずです。息子がファミスタをやると言って聞かないのも、選挙の結果ばかりでテレビが全然面白くないと文句ばかり言っているのも、きっとその将来にも、微妙に共鳴している事なのでしょう。 

 今の子が命を落とした原因にも、或いは共鳴しているのかもしれません。今の子の母親は、いじめが原因だと言いますが、実際はそれを心配するあまり、母親が取った行動に問題があったのだと思います。その原因に、私の実感が共鳴している以上、私は今の子の母親には絶対に会えないという事になりそうです。それを、今の子にはどう説明するか。どの現実を通じて説明するか。

 あのタクシー運転手は、誰だったんだろう。もう何度も私と会っていて、私が今の子の母親に会うのを何度も止めていると、そんな事を言っていましたね。 

 あれは『皇極法師』だったのかもしれない。そんな事をふと思いました。 


第45章(高床式廃墟)

 日々トラックを運転しているといろんなところで廃墟を目にします。私は無類の『廃墟好き』なんです。消えかかった看板などをみつけると、目を凝らして読んだりするのがとても面白いし好きなんです。 

 『きみ……しま、しょてん?』そこから一気に想像は広がります。書店にはかつて近所の小学生が立ち読みをしたり文房具を買いに来たりしたのでしょうが、今はシャッターが下りて、そのシャッターにはニューヨークの地下鉄紛いなスプレーの落書きが施されています。 

 先日、千葉と埼玉の県境の某有名ステーキハウスの後ろにコンクリート作りの高床式廃墟をみつけました。私の理想とする廃墟です。高床式廃墟。 

 電源はあるのかな? 水回りは? 私はいろいろ想像します。朽ちた金属の階段を見るだけで気持ちがゾクゾクします。もう住む気満々。私は勝手にそこに引きこもってみます。 

 長い間に積もった埃が日の光に曝され続けた独特の匂いが室内に充満してます。前に使っていた人が残していったと思われる机や椅子、それに工具が転がっています。どうやらここは自動車の修理工場だったようです。2階の一部が吹き抜けになっていて、きっとここにはクレーンか何かが設置してあったと思われます。 

 まずは窓を開けようとしたのですが、さび付いていてビクとも動きません。パソコンとソファーを持ち込めばとりあえず大丈夫。食事はしばらくステーキハウスで何とかしましょう。収入はネットの広告収入でなんとかなると仮定します。 もちろん、ドライバーなんてしませんよ。

 最初の夜が来ました。果たしてどれぐらい寒いのか、或いは暑いのか、想像がつきません。変な虫や野良猫が住み着いているかもしれません。コンクリートは昼間の日の光に温められ、程好い感じです。勝手に住んでいるので住所がありません。つまりネット回線が引けません。だからそれもあってここを選んだのですが、 

ステーキハウスのフリーWi-Fiを使いましょう。 

 パスワードを求めて店に入ると、カウボーイハットを被った女性の給仕さんが2人いました。席についてメニューを見ると、一番安いメニューでも1200円ほどしています。まあステーキだからそんなものかもしれません。ステーキはポスターから期待できるほど美味くも、とはいえ不味くもなく、でも1200円ならコンビニの方がいいと思いました。しかし歩いて行けそうな場所にコンビニはない。その不便さが程好い自律心を芽生えさせるのに抜群の効果を生みます。さすが、いいところに高床式廃墟をみつけたモノだ、と、私は妙な自画自賛をします。 

 そうこうしているうちに次の現場に着きました。初めての現場なので、とりあえず受付のを探します。初めての現場はルールが全くわからないのです。 

 お疲れ様です。フォークリフトに乗った人に声を掛けると、はい、と平常な返事が返ってきました。この時点でこの現場は80%成功です。荷受けの人の中には、私の相知らぬ理由で自家の不機嫌を起こしている人も少なくなく、話しかけても、無視するか、『そこに書いてあるだろ、ちゃんと読めよ!』 などと不遜な態度で接してくるモノがあるのです。 

 しかしそれでも誰もいないよりもマシです。誰もいない現場は本当に困ります。誰もいないのだから、よしんば自分で勝手に荷を卸したとしても受領印がもらえません。そういう時はただひたすらに人影を待つのみです。 

   

 秋の日は短いので、そうこうしているうちに、日はどんどん西に傾いてきます。星も綺麗です。明日も晴れの予報、そこまではいいのですが、今日はここで終わりなんだけど、誰かいませんか? 

 そこに一人の老人が自転車でやってきました。 

 私は駆け寄り、あの、納品なんですけど、と声を掛けます。私に気付いた老人は振り向いてこう言いました。 

 あぁ、適当に卸しといて。 

 私は倉庫の隅にある、ずいぶん年季の入ったフォークリフトのエンジンを掛けようとキーを回すのですが、全く動く気配がありません。古過ぎて、バッテリーが上がってしまっているのです。しかも倉庫の中はがらんどうで荷物らしいものは何一つありません。さっきの老人の姿も、もうありません。 

 そういう時、私は千載一遇のチャンスを逃したような絶望的な気分になるのです。 

 もっとこうすりゃよかった。ああすりゃよかった。ここは明らかに廃墟です。私は廃墟に荷物を運んでしまったのです。 

  

 無線で会社に連絡しますが、住所はそこで合っているから誰か来るまで待ってくれ。の一点張り。見てないからそんな事を言えるんだ。ここは、明らかに廃墟なんです! 

 すっかり夜になりました。星はギラギラとして獣の目の様に怪しくいやらしく、夕方の方がよっぽど綺麗でした。気が滅入る夜です。夜の毒気が星の光に満ちるのです。 

 でも幸い、私はフォークマンに首尾よく荷を下ろしてもらい、受領印も貰う事が出来ました。 

 さて、これで今日の予定は終わりです。私は会社にカムバックの無線を入れて帰路に付きます。 

 そして帰る前に私は今一度、その廃墟の倉庫に目を向けるのです。 

 そこにはかつて溢れていたであろう品物が溢れています。多分、日本が高度成長に沸いていた、1970年代ぐらいでしょうか。あのフォークはまだ現役で動いていて、高く高く荷物を積み上げています。余裕のない表情の若い荷役たちがぶつかりそうになりながらフォークリフトですれ違います。 

 くれぐれも、事故を起こさないように。 

 高床式廃墟の前を通り過ぎ今、私は埼玉県を横断する国道298号線を南に向かって走っています。 


第46章 『OLさん』 

 本当に他に手段はなかったのかと苦々しく思い返しています。目の前にいた今の子の母親を私は、会えなかった事にして帰って来てしまったのです。コロナ対策のマスクをいい事に、「あ、すみません人違いでした」の一言で事実をその方向に流してしまったのです。 

 しかしそれも今となっては、果たしてあの和服の女性は本当に今の子の母親だったのか、本当に人違いだったんじゃないかという、あやふやなモノになっているのもまた事実なんです。 

 今の子はいつも通り普通にしています。別段、残念そうにも見えませんし、強がっているようにも見えません。いつも通り、ひとしきり店の中を整理してから、今は金魚のエサを一つまみ、パラパラと水槽に落としています。 

 だからこれもまた私の勝手な想像になってしまうのですが……、 

 以前、彼の母親と名乗る女性が彼の妹だという双子の姉妹を連れて店に来た事があります。その時彼は、あれはエキストラです、と言ったのです。 

 僕がそうだったらいいのになぁ、と思ったママと妹、つまりエキストラさんです、と笑いながら言ったのです。私はとても驚いたのを覚えています。そしてあの時は気付かなかったのですが、それはとても悲しい告白だったように今は思います。今の子には、たとえ会えたとしてもその人が自分の母親だと認識できる術が何もないからです。 

 今の彼の『今』は無限です。死んだのだからそういう事です。その無限の現実の中から自分の母親を認識する術はもう、自分の想像でしかあり得ません。全ての出会いが、愛情が、信頼が、もはや想像でしかありえない。こんな孤独な事、こんな悲しい事、他にありますか? 

 だから私も是非会わせたいと思って臨んだのですが、事態は私が思っているよりもずっと複雑だったようです。この親子を会わせるには、私はあえてどちらかに騙される必要があったのです。そしてその上でもっと考えて、もっといろいろ想像を逞しくして、そして思い切った行動をとる必要があったのです。私は生きているモノの妙な癖で、どうしても真実を誰かに与えられるモノだと思い込む節があるようです。そして私は最後の最後に臆病風に吹かれたのでしょう。タクシーの運転手に『生霊』だと言われて怖気づいたのでしょう。 

 しかしじゃあ彼はどうやって自分が死んだという障壁を乗り越えるつもりだったのでしょう。私の失敗を、彼はすべて見抜いていたのでしょうか? その上で彼はさらに何かアクションを起こす準備としてしながら、黙って金魚にエサを与えているのでしょうか? 

 私はこの親子と自分の事情が知れてくるにつれて、彼の母親がこんなところにまでやってきたという事実を、今更ながら脅威に感じています。息子に会いたいという一途な気持ちがそこまで強力だなんて。時間に縛られた人間として生きながらにして無限の今の中に体を捻じ込んできたのです。そして手を伸ばして、とうとう息子の体を探り当て、そして自分のもとに引き寄せたのですから。これが『母親の愛』でしょうか? そしてそれを『生霊』というのでしょうか?   

 なれるんですね。人間は『生霊』になれるモノなのですね。 

 私も人間なので暫くは『今』の中にとどまり続けますが、産まれた以上、時間が止まるまでの限界はやはり持っているのです。ゆっくりと、大きな船が止まる様に、いつか私の時間が止まる時を、私はたまに想像したりしますが、そこには一体どんな景色があるのかは想像もつきません。きっと今までと同じ景色やよく知った顔が、あたかも本棚に本を返す様にピッタリと納まってもう、わからなくなるのだろうと想像するばかりです。 

 そしてあらゆる親子が、そこでもまた親子であればいいと切に思うのです。たとえ親子である事に気付けなくても、その安らぎや信頼がそのままであってさえくれれば、それはとても気分がいい事でしょう。 

 トラックを運転しているとたまに感じる、初めて来る場所に対する郷愁のようなモノや、初めて話をする人に対する信頼の様なモノすべてが、今の中に含まれて私を常に覆っているのだと想像します。そして私にわかるのは、私が真実だと想像している『今』だけなのでしょう。 

             


 昔の子は? と私は今の子に訊きました。 

 奥さんのパンを取りに。最近近所のOLさんがよく買いに来てくれるようになったんです。 

 オーエルさんって!ずいぶん古い言葉を使うんだね。 

え? 言わないんですか? OLって。 

 言わないよ!それにその言葉、差別用語だよ。他所で使わない方がいいよ。 

 え?そうなんですか? 知らなかった。 

 『オフィス・レディー』の頭文字を取って『OL』って言ってたんだけど、ほら、君らがこの店に来た年に、コロナウイルスが世界的に大流行したの、覚えてる? 

 あ、はい。懐かしいといったら語弊がありますけど、あの年は、ホントいろいろありましたもんね。 

そう、君とお母さんの事とか。私が完全消滅しそうになったり……。まあ、それはともかく。あの年あたりからかな、ジェンダーの問題が急に大きく取りざたされて、とにかく性別を表す言葉を世界中の言語から抹殺しようってところまで機運が盛り上がっちゃった。アメリカでは性別を『x』と表記したパスポートが発行されたり、とにかく、性別、性差というモノが諸悪の根源の様にやり玉に挙げられたんだよ。 

 ちょうどその頃でしたね、地球環境を守ろうって運動が盛り上がってたのも。 

そうそう、SDG’sだっけ? あれも同じだよ。ワンワールド、世界は一つの精神さ。我々は一つにならなければならない。なぜならば我々は一つの大きな問題を共有しているからだ。ってことだったのかな。 

 とにかく、あのウイルスが結果として世界の価値観を一つにしてしまったんだよ。まさに、絶対神が降臨したようなモンさ。大金持ちも、貧乏人も、等しく同じ理由で死ぬんだという事が、ようやく身に染みたんだね。 

 あれで実際、個人の存在意義もなくなりましたもんね。 

 うん。残念ながら、人間は完全に騙された。いや、厳密に言うと、ずっと騙され続けてた。 


 ドアが開き昔の子がたくさんのパンを持って入ってきました。 

 もっと、持ちやすい袋に入れてやればいいのに……。 

 あ、店長、もう待ってますよ。OLさんが。 

 覗くと、きっと肌寒い晩秋の陽だまりの中、お財布1つ手に持ってカーディガンを羽織ったOLさんが4~5人待っているのが見えました。 


第47章 『非公認生物』 

 妻が年末調整の書類に頭を悩ませている間、私はただパソコンを叩いて非生産的な事をやり続けています。そして、もう年末か、今年も終わるのか……、などとぼんやり考えています。 

 コロナウイルスの感染者数の激減に伴い練習試合が増えた息子は、今朝も7時前に家を出ました。 

 私は、週末に家にいる間は、ほとんど役に立つことはやらないので、その良心の呵責を希釈するため自らすすんで風呂を洗います。そしてたまに昼御飯を作ったりしています。それは夫婦の長い生活の中で出来上がった不文律で、『神の見えざる手』というかとにかく、火曜日の夜は私がカレーは作るというのはもう当然の事になっています。それはまるで『蜂の8の字ダンス』の様な、生きる上でとても重要で、且つ、可愛い行為、ルールだと満足しています。そして私はつくづくそんな細かいルールにいちいち守られないと生きられないんだなと感じています。もしこれらのルールがすべてなくなると、私の様な元々弱い個体は一瞬で死ぬか殺されてしまうんだろうなと直感してます。私は大自然から認可を受けていない『非公認生物』で、あらゆる自然現象は私を抹殺する方向に働きかけるのは当然の摂理で、それが圧倒的な正解で、そんな私が生き続ける事はそもそも間違いなので、それでも無理矢理生き続けようとわがままを言うならば、私は大自然のルールを悉く否定するか無視するようなルールを自ら拵えて身を守る以外に策はないんだなと、発想をどんどん膨張させているのです。だからそんな悪魔的なルールならせめても『蜂の8の字ダンス』ぐらい見た目だけでも可愛らしくないといけないと思うのです。 

 年末調整の書類にひと段落を付けた妻は、天気がいいから一緒に買い物に行かないかと誘ってきました。私は当然了解します。そして非生産的な仕事を中断してシャットダウンすると、ノートパソコンを、まるで眠っている自分の頬を張るような忌々しい勢いで叩き閉めました。もともと非公認な生物はもう、自分を裏切りました。妻と天気のいい日に一緒に買い物に行くという一見可愛いいルールの裏には、こんなにも邪悪な裏切りが隠れ潜んでいるのです。 

 いつ? どこ? と訊くと、今日は『業務用スーパー』の豚肉が安いのでまずそこに行くと言っています。妻は多少割安であっても大量にモノを買い込むことを好みません。必要なモノを、必要な時に、必要なだけ。冷蔵庫に使う目的が曖昧な食材が雑然とあるのが嫌なのだと言います。だから我が家の冷蔵庫はいつもスカスカ……。その方が掃除しやすいと言います。 

『業務用スーパー』って、近所にあります? うちの近所の『業務用スーパー』は元大手家電量販店の店舗を改装した店で、私としては『業務用スーパー』よりもまだ大手家電量販店の印象の方が強いのです。もともと炊飯器があった場所には大きな平積みの冷蔵庫があって、大袋の餃子やフランクフルトがガシガシと置かれています。 

 ここが家電量販店だった頃、私はもう少しで高価なパン焼き機を買ってしまうところだったのを思い出しました。その頃の私は今の様に、ネットの中に店を構えて、そこでTシャツやマグカップや、カレーやパンを売って収入を得ようなんて事は考えていませんでした。ちゃんと目に見えて、手に触れる店舗を構えて、そこで昼間はカレーやパンを売って、夜はライヴバーをやって収入を得ようと思っていたのです。 

             


 その頃、私はまだドライバーではなくて調理師でした。しかし調理の仕事は私には過酷過ぎました。結局11年間もやった割に大した調理技術も得ることなく諦めてしまいました。 

 ただ言い訳を許してもらえるなら、それは私にやる気がなかったわけではなく、恐らく才能や閃きがなかったわけでもなく、私を最も邪魔したのは、料理に対する『プロ意識』という死神でした。 

 死神の賢さには本当に舌を巻きますね。そう感じる人も少なくないのじゃないかと思います。死神はなぜ、あんなにも適切な人間をみつけて取り付くことが出来るのでしょうか。さすが死神とはいえ、神は神。我々一般衆生にはとても太刀打ちできないんだなぁと。つくづく感じた11年でした。 

 同僚達はおそらく『公認生物』なのだと思います。高校を出てからずっと飲食業に就いて、私よりも年が若いにすでに10年以上のキャリアを持った人が大勢いたのです。私は凄い料理人に囲まれて、やや緊張していたのです。ただ私は年齢の上下は、自分が上であろうとしたであろうと気にならない質なので、毎朝、先輩料理人たちに私からあいさつをしました。 

 おはようございます! 私が言うと、先輩料理人達は、いいよ、朝から空気、固いよ。と言って笑います。そして、出汁の引き方、鍋の振り方、親切に教えてくれました。想像していた『料理人』という険しい気位というモノはまるでなく、失敗しても、あぁ、そうやってね、失敗して覚えていくんだよ。火傷してねーか? なんて常に新人の私を優しく気を遣ってくれました。私はまたルールに守られて、いきている事を感じました。まったく忌々しい事が、私を感謝させ、落ち着かせ、やる気を出させました。 

 しかしある日、それはある大きなイベントのあった日で、朝から客が引きも切らず、水を飲む暇もないぐらい忙しい日だったのですが……、 

 家庭ではあり得ないほどの大きく重い鍋をガシガシと振りながら、目にもとまらぬ速さで料理をさばき、出していく辣腕料理人達の手管に私はついていくのがやっとでした。そして次々と出される料理はやがて、ホールの従業員のキャパを超えて、置き去りにされるようになり始めました。しかし料理人たちは料理を作ることを止めません。ホールと厨房をつなぐカウンターの上には残酷に冷めた料理がどんどんと増えていくのです。 

 ちょっと、一旦、止めませんか? 私が堪らず言うと、 

 え? なんで? と先輩達は不思議な顔をします。 

料理、冷めてますよ。私が言うと、あぁ、さっさと運ばねーからだよ。と言って笑います。 

 やがて料理は大量に残されて戻ってくるようになりました。しかし誰も気にしません。私は自分が『非公認生物』なので不満を感じる事や文句をいう事が不正解なのをよく知っています。それが大自然の摂理で、大正解なのですから。でも私は我慢が出来ませんでした。 

 ちょっと、いったん止めましょうよ。全然運べないからから。 私が言うと、

は?じゃあ、やめるよ。お前作れよ。と 料理人は一番鍋を離れて、タバコを吸いに外に行ってしまいました。私は慣れない大鍋を振り、大量の料理を作る事になり、そして案の定、右手の甲に油をかぶり大火傷を負ってしまいました。今も、その痕ははっきりと残っています。 

 これが? プロ意識?? 私は唖然としました。 

 しかし私はそれから10年ほど、その同じ理屈の中で、同じ事を繰り返したわけです。仕事に慣れた私は、ただその場が過ごしやすいと言うだけで、私が生きるために絶対に譲ってはいけないルールを裏切って、私を抹殺しようとする大自然のルールに従って、やがて軽やかに大鍋を振りながら、ヘラヘラと笑って、出ようが出まいが関係なく大量の料理を作るようになっていたのです。          


 妻が私を買い物に誘った本当の訳は、重い水とお米を買うからでしたいい、それでいい。まるで『蜂の8の字ダンス』そのものな、素敵な可愛い、そして残酷なルールでした。 

 帰りに練習試合から帰ってきた息子と会いました。すっかり大きくなって帰ってきました。今日は、ヒット1本打ったと言っています。いい、それでいい。 



 第48章 『グリーンスラックス』 

 小説をどうにかして上手く描きたくて、いろんな人の作品を読んでみたり、この人、面白いよ!と言われた作家の作品を追いかけてみたり、いろいろやったのですが、やっぱりどうにも、それは他人が他人の目で見て描いたモノで、自分が書きたいモノではない。読みたいモノでもない。つまり、どんな作品をどれだけ読もうとも、満足しようがない。やっぱり自分の読みたいモノは自分で書くしかないという事に、どうしてもなってしまいました。 

 音楽もそうでした。どんなに素晴らしい演奏を聴いてもライヴを見ても、最終的には自分が聞きたい音楽は自分で作るしかない。そしてその作品は世界中から絶大な支持を得て、天才の名を恣にして、27歳でオーヴァードーズで突然いなくなる。そんな現実は私にとって不自然でも何でもありませんでした。疑う余地など少しもなかったのです。 

 当然、それは間違いでした。 

 きっと天罰だったのでしょう。もしこんな考えにかまけている若い人がいたとしたら、いったん止まって、ゼロから自分の感性を見つめなおしてくださいと言います。絶対に。 

 『自分が聞きたいモノは、他人も聞きたいモノでなくてはならない』そんな事を本気で言ってるんだとしたら噴飯物です。他人は一も二もなく自分を評価しなければならないと? 

 もし本当に本気で言ってるんだとしたら……、 

 バカです。 

 あぁ、そうか……。じゃあ私の長い音楽ライフは何十年も掛けて自分の中のバカを育ててきただけだったのか。私は悪性腫瘍をせっせと育ててきただけだったのか。 

と、ある日気が付き、大いに落胆したのです。 

 畢竟ずるに、才能とは他人が決めるモノなのです。私にはバンクシーの良さが一向にわかりませんが、それは私が間違っているのでも、バンクシーが正しいのでもなく、ただ現実が違うのです。

 ボウズ、夢を手に入れるなんて考えるな、雲をつかむような話だよ……。 

 オヤジによく言われたのを思い出します。 

 いいか、お前はね、とにかく人の迷惑にならないように、それだけ考えて、人を見て真似だけして生きていきなさい。お前がその浅い見識や知識で判断するから踏み外すんだよ。お前が損するだけならいいが、それは必ず、巡り巡って他人の迷惑になる。それなのに、お前の身の回りの大切なお手本を見もしない。 

 それがお前の欠点だ。欠点であり弱点だ。 

  お前の欠点や弱点はいつか必ずお前の邪魔をする。そんなモノを『個性』だとか『主張』だなんて、努々考えてはいけないよ 。きっと今こうして私がしゃべっている事も、お前にとっては退屈極まりないことだろう。所詮は、他人が他人の目で見た世界についてくだくだと語っている様にしか思えないんだろう。そうだ、それはそうに違いない。だがな……、 

 つまり生きる事は退屈な事だということだよ。これが唯一の正解だ。 

 父は80を待たずに死にましたが、私もだんだんと父の死んだ年齢に近づくにつれ、きっと最終的には自分もそう思うのだろうと感じています。

 ただ、退屈な事だという、その意味が、いったいどういう意味なのかが重要になってくるんだと思っています。必死になったヤツが絶望するのだという理屈に異議を唱える人は、世界に一人もいないと思うからです。 

             


  

 旧知の友人が自ら命を断ったと聞かされた時の私の心情は、おおよそ尋常なモノではなかったと覚えています。私は何をしていいのかわからず、とりあえず共通の、すぐに会えそうな友人に電話でそのことを伝えました。案の定、すぐに会おうという事になりました。 

 ヤツの部屋であったのですが、本当に始めの1時間ぐらいは、お互い一言も話さずに、ただ手酌で酒を飲んでいたのを思い出します。やがて徐にヤツが、 

アイツの、下の名前、なんだっけ? と言ったのです。 

それを思い出さないと始まらない。それをずっと考えていたのだと言いました。 

 私は、タケオだ、といいましたが、ヤツは違うと言いました。そして、多分ヨシタケだ、と言いました。お互い譲りませんでしたので、じゃあ卒業アルバムで確認しようという事になり、押し入れの奥からわざわざ段ボール箱を出し、その中の埃塗れの一冊を引っ張り出して確認した名前は、そのいずれでもありませんでした。 

 じゃあ、俺らは誰について話をすればいいんだ? 

写真の顔は一致しているのですが、喋った記憶や、その裏にあったと思われる陰鬱でシニカルな本音の一つ一つが、ヤツと私ではまるで違うのです。 

 ヤツはとうとう、お前、なんも知らんくせに! と怒り出しました。 

 いやいや、知らんのはお前やて! 私も譲りません。お互いに、彼を自分の作品にしたかったのでしょう。 

  


 彼の棺にはグリーンのスラックスが納められたそうです。それは入社が内定していた会社の入社式に履いていくはずだったモノで、店員が、入社式だから紺か、グレーがいいんじゃないですか、といくら言っても彼は、いや、これが俺だから、と言って譲らなかったそうです。その翌日、彼は命を断ったそうです。 

                   *

 という風にね、自分の考えに固執してね、自分を取り巻く環境を、どうにか自分らしくしようとしたってね、うまくいった奴って、世界に一人でもいるのかね? 


 私は独り言のつもりだったので、そうですねぇ~という、昔の子の声がした時、飛び上がるほど驚きました。 

「俺ならとにかく、そう、とにかく胸を張りますね。それぐらい誰にだって出来る事でしょう。そしてわからない事にだけ目を向けます。だって、わからない事なら何とでもなるでしょ。毒を飲んだら死にますよ、首を吊ったら死にますよ。そんなのわかり切った事じゃないですか。常にわからない方を見てればいいんですよ、そして胸を張って何も考えないで笑っていれば、とりあえずいいんですよ」 

  

「じゃあ君は、なにがあってもなにもやらないの?」私が問いかけました。すると昔の子は、 

「わからない事に対して、何が出来るんです? だから俺はただ自分が思う様に行動するだけです。誰の迷惑にもなりようがない。誰にもわからないんだから。死んだ時、俺は手から茶碗が落ちるまで、落ちるなんて少しも思わなかった。予感なんてないんですよ。運命なんてないんです。だから今、胸を張ろうと思ったから胸を張るんです。それだけです、答えになってませんか?」 

 「それで、君は、退屈じゃないのか?」私がそう訊ねると、昔の子はハハハハと笑って、 

しっかりしてくださいよ!店長。退屈も何も、俺専用の答えなんて、もともと有るわけないじゃないですか!虫や動物や、命が一つ一つに専用の答えがあったら世の中どうなります? 麦飯で握り飯を握る様なもんですよ。ボロボロに崩れて、時間だってバラバラに進んで収拾がつかない。我々は一緒になって一つの時間を共有しているんですよね。そうやって動かしてるんですよね。我々が自らそうしてるんですよね。違います?? ちょっと、しっかりしてくださいよ、店長。入荷品の検品するからどいてください。老いぼれましたね、店長……」 

 なかなか言う様になったな昔の子……。明け方、ヤツ部屋を出た時、私はいつかコイツとも疎遠になるだろうと予感したのを思い出しました。そして実際、結婚を機に音信不通になっている事を思いました。しかしそれも予感ではなかった。その時は考えもしなかったのでしょう。今、そんな風に思い出しているだけで。

なぜ、会ったのだろう? ただ旧友の死を肴に飲みたかっただけなのかもしれない。

 ところで、私は今何歳なんだろう。痛たたた……、長く座り過ぎて腰が痛い。一応、季節は秋という事で……。 

  

『いきてるきがする。』《第5部 夏》


もくじ


 第37章(ご内聞に)

 町を歩いていて、あぁ、世の中とまだもう少しだけ繋がっているなと感じられるポイントは3つ。 


1.公園の水飲み場に張られた『使用禁止』の黄色いテープ。 

2.コンビニの袋にまとめられた白いボール状の生活ゴミ。

3.盗難防止の紐が付いている消毒剤。 


ですかね。 ご覧になってすぐわかると思いますが、これら3つはすべて異常です。私はこういう異常を見るとホッとするようです。停滞とは淀みの事です。動かなければなりません。異常と正常では圧倒的に異常の方が流動的でアクティヴですから。こんな状態、絶対長く続くはずがありません。 

『犬を連れ込んではいけません!』 『キャッチボール禁止!!』 

 おいおい!なんだそりゃ? 犬の散歩もキャッチボールもできない公園なんて何の意味があんだよ。 だいたい公園の木ってのは、野球のボールが引っ掛かったり、犬がションベンかけるためにわざわざ植えられているんじゃないのか?  

 違うのか? じゃあ何のためなんだ? 大気に酸素を供給するため? ほぉ~、御大層な!猫の額ほどの公園がまるでアマゾン気取りだな。 

 なに! それも違うのか?じゃあ何のためだ? マジわかんねーわ。何で??

 あぁ、ホントはよくわかってるよ。あれだろ?『癒し』 だろ? まったく、ふたことめには念仏みたいに 癒し、癒し、言いやがって。お前らが癒されなきゃならない理由がどこにあるんだ? お国が戦争しているわけでもなし、爆弾が落っこってくる心配もしないで口開けてガーガー寝ていられるんだから、毎日遊んでるようなモンじゃねーかよ! 

 それをテキトーに木を植えりゃアホみたいに群がりやがって、あぁ癒された!自然、最高! 平和、最高!! って、バカか? 木と平和に何の関係があるんだよ……。 

 平和なんてな、戦争の海に浮かんだ小舟みたいのモンなんだよ。2発も原爆落とされてまだ気付いてねーのかよ! こりゃたまらん!平和も神もねぇ、ってさすがに気付いただろ? その通り!あるのは自然だけだ。どこまで行っても自然だけ。不自然なんてどこにもありゃしねーんだよ! 

 しかし賢い人間は先の戦争で大いに学んだんだとよ。それで大いに成長したんだとよ。その結果、へーわ、なんて成分のわからない錠剤こしらえて、とにかく飲め!と、地雷の様に世界中にばら撒いたんだね。飲まん奴はしね!とね。大概の人間はそれを何も疑わずにパクっと飲んだ。そうしたらだんだん笑いが止まらなくなってくる。 

 ハハハハハハハッ!ってな、指2本立ててピースピース!だってよ、ありゃ完全に副反応だよ。

そんなシャブ中野郎が「いきてるって素晴らしい!!」だと?そういう愚にもつかない妄想が、徹底的に自然を無視するように人間を仕向けてるんだ。そして手前勝手な不自然なだけの地球環境を守ろうとか、あらゆる生き物と共存しようとか、100年後の子供たちに最高の環境を残してやろう!とかね。完全にイカれてる。 

 そしてそういう傲慢な考え方が正義・正論として崇められる様になると、またそれが全ての戦争の原因となるんだよ。 何回繰り返すんだよ。そんな『よてーちょーわ』をよ!


 この島にもかつて『日本人』って民族がいたさ。絶滅したけどね。今はかつて日本人住んでいた列島に日本人の亡骸を肥やしに繁茂した雑草が生い茂るだけの耕作放置地だよ。でもそれでよかったのかもな。それが自然だよ。 


 いえいえ、なかなかそこまでは落ちぶれてはいないでしょ。 

 だって君、あの公園のメッセージにしたって、別に私に向けられたモノでも君に向けられたモノでもないだろ。誰の健康を気遣ったモノでもない。詭弁だよ。今の平和はすべてあれと一緒だよ、責任逃れ、詭弁だ。 

 そして世界はいつでも消えられるように粛々とその準備だけを整えているんだ。すべての創意工夫はそのためだって訳さ。風が気持ちいいだって?夕日が美しいだって? ハハハ、噴飯モノだ。何か言えるのかい? 

そんな悲観的な、ハハハ……。

                   *

 店から、万引き犯を捕まえた、と言う連絡があり店に向かっているところです。全然売れない店にも、万引き犯はちゃんとくるんだなぁと私は、いったいどんな奴だろうと、むしろワクワクして歩いていました。 

 公園の木々は初夏の装いを見せ始めています。夏が近づくにつれ、緑はますます濃く険しく、真剣なまなざしに変ってくるようです。それを見て私は毎年、木々が決して夏を歓迎していないのを感じるのです。 

 店にいたのは、老人男性でした。売り物の椅子に腰かけて、売り物のマグカップを一つ手に持っていました。 

 いらっしゃいませ。私が言うと老人は、あぁ、こんにちは。そう言ってにっこりと笑いました。私が、この人? と目配せすると、今の子は、この人です。と目配せを返してきました。  


 夏の木々がやろうとしている事の本当の意味はいったい何なのでしょう。ただやみくもに地を覆い尽くして生存競争に明け暮れた挙句、やがて窒息して滅びてしまう事なのでしょうか。 

 それともセミやカブトムシに居場所を提供して、彼らを神のよう優しく守る事でしょうか。しかし彼らの口はもともと樹液を飲む仕組みにしかなっていませんから別段感謝する気はないようです。我々だってそうでしょ? 

 誰が、火山や雷や台風にいちいち感謝します? 

 そして木々は自らの存在を疎ましく思いながら、誰がこんな苦しい事をさせるんだ? と詮無い事を呟き、身をよじっては枝を伸ばし、濃緑の葉で全身を覆い日の光を避けながら、それでも日の光がないと生きていけない自らの存在の矛盾に苛立ちつつ、煩悶懊悩を繰り返しながらも、結局小さな生き物を守るという目的のために自分が生かされていて、そのために全生命を費やしている事には最後まで気づかずに、やがてにそっと枯れ果てるのですよ。 

 たとえばね……、 私は老人に言いました。

 たとえば、お互いがお互いの背景になっているとしたら、それは矛盾でしょうか? 

 あぁ、そうだね、あぁ、そういう言い方も、あるかもしれないね。老人は深く頷きます。

 やっぱり、この人だ……。 

 その瞬間、私の指先に、生きたままザリガニの腰を毟った時の、ブリッとした感覚が蘇りました。 

 まだ、セミは鳴いていないようですね。私が言うとその老人は、まだもう少し早いようですね、と言います。 

やっぱり、間違いない。あの時の人だ。

  そして私の耳に、セミの羽根を毟った時の断末魔の声が蘇りました。 

 子供の残酷さは『愛着』によるモノだと以前ここで書いたことがあります。『愛着』『愛情』の様に思いやりや信頼の内に留まる事はありません。そしてすべての感覚を完全に支配してしまいます。私も子供の頃、自分が心底残酷な人間だという事を知りました。それは怒られたからです。田圃でザリガニを捕まえては、それをそのまま道路に投げると、ヨチヨチと田圃に戻ろうと歩くザリガニを砂利を積んだダンプカーがグシャッと潰していくのです。 

 そんな時、私はホッとするんです。 得も言われぬ歓喜が心の底から湧き上がるようでした。皆さんはきっと 他の大人と同じように『可哀そうだろ!』と子供の私を叱るはずです。 それを可哀そうだと思わないような奴は『人間失格』だという事です。つまり私は『人間失格』だという事です。 それならそれでいいでしょう。

 でも私はね、ザリガニの一生の役割がそこで終わるなんて少しも思ってはいなかったんです。何かをするという事は何かを殺すという事に他ならない。私はただそれをやっただけ。現に今、私はあの、唯一無二の、グシャッ、というザリガニが潰れる音を、羽根をもがれた激痛と絶望に上げたセミの断末魔の叫びを思い出しています。それ考えながら文章を書いています。もしあの経験が無かったら、私はこんな文章は書けなかったでしょう。何もせずに生き続けるのは不可能なのと同じ意味で、何も殺さずに生きる事は不可能という事です。

つまり生きる事は殺す事なんです。 

 だから私は、出来るなら一秒も欠かさずにザリガニを殺し続けたいほどでした。もっともっと幸せになりたかったのかもしれません。もっともっと楽しく生きたかったのかもしれません。或いは私は、ザリガニもセミも全部食べてしまえばよかったのでしょうか? いいえ、それは違います。それこそ詭弁です。よりよく生きようとする純粋な思いはきっと純粋な『愛着』によってしか醸成されません。純粋なまま大人にはなれないのはそういう事です。 

 常に生きているモノのために、常に死に続けるモノがいるのは誰でもわかっているはずです。その逆も然り。水が流れ続けるのと同じです。地面の傾斜を悪魔と罵っても仕方ありません。神だと崇めても仕方ありません。しかし流れない水はやがて腐ります。ひょっとして、人の心が腐敗に向かうのを、子供の私は看過できなかったのかもしれませんよ。それが証拠に、昔から私は、真っ平に静まった田圃や湖にアベコベに映る全世界の無責任さを忌み嫌い恐怖していました。あんな巧妙なウソもないモノです。 

 でもどうしても、そのために我々に出来る事があるとしたら……。 

 いなくなることでしょうね……。 

 そう言って老人は笑います。 

 つまり、あなたはその事を私に伝えたかったんですね?

 その人はあの時と同じ顔で優しく笑いました。 

 だって……。じゃあなんで、可哀想だろ! って大声で叱ってくれなかったんです? 

 ん……、老人は少し寂しそうに俯きました。そして、 

 あの時、私はもうそういう良し悪しの外にいたんだよ、 

と言いました。 

 一切の良し悪しの外、つまりすべて良し悪しを自分で決めなければならない存在に、なりかかっていたんだね。 

 ちょっとわかりにくいんですけど、それは死ぬ事を言ってます? 

 いや、そうじゃない。死んではいないけど、いろんな物事が、全く平等に、同じ速さで目の前に現れて、ゆっくりと提示される。そうなるとなかなか良し悪しの判断が難しい。 

 ん、どういう事でしょう? 

 貴方の命と、セミの命と、ザリガニの命が、全く同じに目の前に提示されたら、誰を優先しますか?もし貴方と言うのなら、私は貴方を怒鳴ってはいけません。もし、セミと言うのなら、私は貴方の両腕を毟るしかありません。もしザリガニのと言うのなら、私は貴方を轢き殺すしかありません。そうやって、すべての後ろには無限の結果が続き永遠に広がっていくのですから、私はただ見ているしかありません。それはまさにさっきあなたが仰った、お互いがお互いの背景になっていると言えますね。 ハハハ……。 

 私は、間違いを犯したのでしょうか? 

 もし間違いを犯したのなら、蝉も、ザリガニもそういういう事になるでしょう。そこにいた私も。しかし私はもうその誰の立場で判断できなくなりかけていたんですよ。 

           


 すみません。そう言って一人の女性が入ってきました。 

 飲み物を買いにちょっと目を離した隙に、すみませんでした。なにか、壊しませんでした? あら、なに持ってるの!ちゃんとお返しして! 

 女性は慣れた手つきで老人の手からマグカップを毟り取ってテーブルに戻しました。 すみません、今後は十分に気を付けますので、あの……、苑には、この事は、ご内聞にお願いしたいんですけど……。 

 あぁ、わかりました。何もなかったですから、だいじょうぶですよ。 

 ありがとうございます。 

 老人と女性は一緒に店を出ていきました。出る時、老人が私に振り向いて小さく会釈しました。私も会釈を返しました。あの時と、同じ顔で。 

 ボケちゃうと、大変ですね。 と今の子が言いました。 

 そうだね、ボケたくないね。 私は言いました。 

 わからなくなるんですね。 昔の子が言いました。 

 どっちだろうね。全てわかっているのかもしれないよ。

 私が言うと、今の子昔の子も、キョトンしてしまいました。私のいう事がわからなかった、のではないでしょう。 

 多分、『何を当たり前な事を言ってるんですか?』 

 という意味の、キョトン、でしょう。 


第38章(コロナでしょうか?)

     

 どうも元気がないと思ったら熱が38度もあり、すぐに病院に行けと言ったのですが行かなかったようです。今の子にはそういう強情なところがあるようです。 

 そしてその夜、昔の子から今の子が倒れたと連絡があり、私は急いで店に赴きました。今の子はぐったりと床に横たわったままで、名前を呼んでも曖昧な返事をします。私はすぐに救急車を呼びました。今の子が朦朧としながらも、嫌だ、嫌だ、と繰り返す理由の一つに、私は見当がついていました。 

 そんなこと言ったって仕方がないじゃないか。 

 救急隊員に今の子の名前や住所や、私との関係を訊かれた私は、母親に連絡を取るしかなかったのです。 

 私だって気が重かったです。今の子が置かれている環境に問題がある思った私は、連れて帰るという母親に、今の子を渡さなかった経緯があるからです。 

 ほら、きっとこうなると思ってました。だからあなたなんかに任せたくなかったんです! きっとそう言われると思ったのですが、電話に出た母親は殊の外冷静に、わかりました、すぐ行きます。と言って電話を切りました。 

 母親が病院に現れた時には今の子の状態は幾分落ち着いていました。 

『○○君』と名前を呼び掛ける母親に今の子は、ん……、と言って目を瞑りました。そして小さな鼾をかき始めました。 

 コロナでしょうか? 

 そう言いながらも、母親は私には一瞥もくれません。

 

 私は母親のこういう態度の隅々にまであの見知らぬ人間の影響を見ないわけにはいかないのです。 

皇極法師。 

  この母親はまだ洗脳されたままなのでしょうか。 

  頭痛い? 喉、乾いてない? 

 母親は優しい声でそう訊ねました。今の子は何も答えません。 

 先生、コロナじゃないでしょうか? 

 母親は医者にもそう訊ねます。私は医者を見ました。こういう場合、一体医者がどんな説明をするのか、私はとても興味がありました。医者は、 

 そんな事わかるもんですか、 医者はそう言いました。母親はキョトンとしています。 

 え?検査したり、いろいろ調べればわかるじゃないですか? 

 うんうん、そうやってね、あなたはまだまだ胡麻化そうとする。騙され続けようとするんですね。

 私は医者のこの言葉の意味に、この時は気付けなかったのです。コロナじゃないと思い込もうとしている事を、やや厳しめに指摘しているのだろうとか、そんな風に胡麻化そうとしていたのです。

何を言ってるんです先生。揶揄ってらっしゃるんですか?

じゃあね……、そう言うと医者は椅子を回して母親に向きます。 

じゃあ坂本龍馬はコロナですか? ナポレオンは? 

 母親はさらにキョトンとします。 

ツタンカーメンは? キリストは? 

あの……、仰ってる意味が、よくわかりません。 

 いいえ、あなたはわかってらっしゃる。わかっていてわざとわからないふりをしている。たまにいるんです。そういう方、特に親御さんにね。 

 あ、先生、それについてはいいんです。答えていただかなくてもいいです。 

 私はたまらずに割って入りました。詳細はまだわかりません。ただまた世界がゴチャゴチャになりそうな予感があったのです。私がいつも見ていた、あの、妻や息子が暮らしている大切な世界が、一瞬にしてゴチャゴチャになる瞬間がまたやってきそうな気がしたのです。 

 やっぱりふざけてらっしゃる、 当然、母親はそう言い返します。 何で坂本龍馬やナポレオンがコロナかどうかなんて事が関係あるんですか? 私は息子の事を訊いてるんです。今の息子の状態はどうですかと訊いてるんですよ。 

 医者は眼鏡をはずしてやれやれという顔をしました。そしてハハハハ、と笑ってしまったのです。

 何が可笑しいのです? 目には明らかに怒りの光が満ちていました。この医者は少し意地が悪い人のようです。薄い笑いを浮かべながらこう言ったのです。 

 息子さんねぇ、もう亡くなってるじゃないですか? あなたはそれを知らなかったとでも仰るのですか? 

 医者はまるでシャツでも選ぶように、『今』というクローゼットから白衣を一つ選んで羽織ります。それは珍しい事でも何でもありません。それは普段我々も普通にやっている事ですから。 

 え!何をおっしゃるんです! 息をしているじゃないですか。寝息だってちゃんと聞こえてます。 

 いえいえいえいえいえいえいえいえ……。医者は笑いを嚙み殺しているように見えます。もう耐えられなかったと思います。もし私がこの母親の立場なら、その場で医者を殴り倒していた事でしょう。その点、母親は冷静でした。 

 医者である以上はね、当然命を救うために最善を尽くします。しかしもう亡くなってる人を、どうやって救うのです。コロナかどうか、どうやって検査できるんです? 

  私は目の前で『今』がグニャグニャになっていくのがわかります。その時ようやく、私はまだ見ぬあの男の思惑に流されていると気付いたのです。この医者は、皇極法師! 

 落ち着いて! 二人ともこだわり過ぎなんですよ。いい意味でも、悪い意味でも! 

  私は、『今』の軸を完全に見失っていました。しかし、妻と息子が暮らす世界を諦めるわけにはいきません。私はもう、自分が何を言ってるのかよくわからなくなっていました。 

 私が今立っている場所は時間の影響がないんです。それは母親と医者の、ちょうど真ん中あたりで、私はただオロオロと左右を見ている状態です。情けないけど仕方ありません。母親の顔がどんどん青白くなり、怒りがこみあげているのがわかります。医者は淡々と死亡診断書を書き、母親は息子の寝息を確かめている。医者の机の時計は午後9時半過ぎでした。私はジッとして判断を待ちます。 私は、自分に『落ち着け!落ち着け!』と言い聞かせます。

 人間は必ずいつか死にます。なぜだかそうです、それが一般です。みんな死ぬ、まあそれはいいんですが、それってゴールテープを切るようなモノなのですね。ゴールテープを切った瞬間に、ストップウォッチは止まります。そうしないと正確な記録が取れませんからね。ただ過去と未来は初めから『今』のその中にすべて含まれているのです。含まれていますがしかし、 

 『今』を点として定義して、必ず時系列に並べてないと、現実としては訳が分からなくなるのです。いろいろな辻褄が合わなくなります。しかし辻褄が合わなくなるのは、現実を点として定義して時系列に並べるからで……。

 それは過去、今、未来が混然と混ざり合っているというよりも、むしろ習慣というか、さらに言うと一種の『クセ』のようなモノなのですね。 

 理解というならば、全て目の前に確実にしているのですが、『点』として理解する事を人間は良しとしません。時間に応じて見る癖が、どうしても納得させないのです。理由は過去にあり、結果は未来にある。『今』はそうちょうど真ん中。つまり私の今の立ち位置ですね。だから何もわかりません。だからオロオロとして左右を見ているのです。誰かと理解を共有するためにはどうしても、『今』を同じ一点に定めないと、そして時系列に並べないと、人間同士は会話すら成り立たないんです。はぁ? 何の話? と、なってしまうんです。 

 熱はだいぶ下がったようです。医者が言いました。でもそれにしたって、医者が母親に譲歩したわけじゃありません。母親が矛盾を突かない事からもわかります。母親は『○○君』と優しく名前を呼びました。今の子は、ん……、と返事とも寝言ともつかない声を出しました。私だけが弾き出されたような状態でした。 

 でもよかった。 

 2021ねん7がつ、世界中を席巻するコロナウイルスは、無数の『今』を持って襲い掛かっています。いいえ、正確には襲い掛かるとは違います。そこにじっと佇んでいるだけなんですが……。 

 時系列にしか理解できない人間にはそれが突然に見えるんです。何度も何度も、同じ繰り返しても、それが毎回突然に見えるんです。人生は一度きり、なんて事、みんな言いますもんね。 

 坂本龍馬もナポレオンも、ツタンカーメンもキリストも、ストップウォッチは止まったまま、それでもずっと、歩いたり止まったりしているんですよ。 

 ここは何処なんだろう? この先、どうなるんだろう? 

なんて、我々と同じような事を思いながらぐるぐると、疑心暗鬼に歩き回っているんです。アイツは死んだな。こいつも死んだな。 と他人ばかりに目を遣りながら……。 

 翌日、熱の下がった今の子と一緒に店に戻りました。 

母親は今の子を連れて帰るとは言いませんでした。そのまま病院からタクシーで帰っていきました。梅雨の雨がシトシトと降っていて、タクシーは病院の坂を下りて見えなくなると、ドット疲れが湧いてきました。 


第39章(真夏のチンドン屋)

 車検なのに有給使えって、有給は夏休みのためにとっておきたいんですよ。 

 じゃあそう本部と直で掛け合ってみなよ、無駄だと思うけど。とにかく昔からうちはそういうシステムだからさ。 

  知らんがな。 

 こうやってね、世の中は廃れていくんですよ。廃れてきたんですよ。文明なんてね、恐らくは廃れに廃れた成れの果ての姿ですよ。立派でも何でもない。人間の歴史なんて、ただ廃墟の上に廃墟を築いてきただけ。祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す。 

  知らんがな。 

 仕事が減り、昼過ぎに終わることもしばしばで、そんな時、私は近所の公園をぶらぶらするんです。夕方まで。 

 3年前、私は両膝の手術をしました。半月板軟骨がボロボロで、内視鏡で見ると、粉々に千切れた半月板が、深海の生物の様に、ふわふわとひざの中を漂っているのが見えました。そしてそれからほぼ一年間、私は世の中から完全にドロップアウトする事になる。まるで動物園の熊みたいに、狭い家のなかをウロウロして、毎日何の価値も見出さず、誰にも許されもせず、誰の許しを請いもせずただただ生きていたのです。 

 あれが熊かい? なんであんなにデカいんだ。それなのになんであんなに目が小さいんだ? 座布団みたいなデカい手でおいでおいでしているよ。おい、ちょっと誰か、パンくず投げてみろ、あ!食った! でかい図体して、あいつパンくずなんかを喰ったよ。ますます要らない図体だな。 

 そう、檻の中にいるのに、熊は熊である必要はない。人や鹿を瞬殺する腕力にも何の必然性もない。私も、家の中をウロウロするのに、親である必要も夫である必要もない。 

 こんな意気地のない事を言ってると、優しいあなたはきっとこう言ってくれるでしょう。 

『いえいえ、全く逆です。熊だから、その無駄に大きな体に固い毛皮を纏って檻の中にいるんです。森の中に潜んでいるなら、誰がそれを森と分別して熊と呼びましょう? 家の中にいて何の問題もないのなら、誰がそれを家庭と分別して親と呼びましょう? 親だから、無駄な愛情や不安を纏って家の中をウロウロするんです。 

 あなたは、父親として、夫として、家族の心の支えになっている事は間違いないのだから安心していればいい。まずは心を腐らせずに、怪我が治ればまた、仕事ができるようになるんだから、それまではじっくり時間をかけて治せばいいじゃないですか。人生、山あれば、谷あり、ですよ』と。  

 ありがとうございます。でも、優しいお言葉に無礼なお言葉で反駁しますが、実際には山も谷もありませんよ。時間なんて、私にとってはのっぺりとしただけの、存在しないと同じようなモノなんです。それに私が過ごしているのは時間の上じゃありません。檻の中です。そして私はこんな事に気付いたんです。 

 私が私である根拠も責任も、おろか必要など、初めからどこにもなかったんじゃないか。いや、実際私など、何処にもいないんじゃないか。  

 私が自分のそばにこんな世界がぴったりくっついてある事を知ったのは、こんな風に自分の存在を疑った事に端を発しています。私は、私に限らず、自我というモノは、実在しないんじゃないか? ある日ふと、そう思ったんです。そうしたら急に何もかもが止まって見えた……。 

 月から地球まで、2秒間『今』が継続しているという考え方は、結果的に私を救ってくれました。誤解でも何でも構いません。宇宙の仕組みなんて、私には基よりどうでもいい事です。だから相対性理論にしたって、私には時間の特徴のほんの一面としか考えないのです。シーケンスされる時間と、放射状に広がる空間の、どうせ追いつけようもないこの2者の、どっちが鬼なのかも判然としない果てなき追いかけっこは、檻の中の私に、目の前からすべてを奪いながらも同時に、そのすべてが目の前に存在してある事を保証してくれました。

 昔近所にいじめっ子がいて、私にだけとっておきのおもちゃを見せてくれなかった、それと同じです。でもいじめっ子の手の中には、確実にそのおもちゃがある。だからくやしいんでしょう?

 そしてそれが、今の私の全ての励みになってます。私はこの励みなしに、自力で生きている事はたった1秒だって不可能だと強く確信しています。 

 だが恐ろしい事に、この世の中ので生きているほとんどの人は、この励みを持たずに暮らしているんです。私に言わせれば、それは自動車の手放し運転と同じです。 何でそんな事をしてるんです? 怖くないですか? 辛くないですか? ねえ、すると妙な景色が頭をよぎりませんか? 自分が死ぬか、或いは殺すか。 

 それ、嘘でも妄想でも想像でもないですよ。目の前にある、厳然とした現実ですよ。檻から出た熊は必ず発狂します。そして人やモノを手当たり次第に襲撃します。檻で隔てられていたある事はわかっていたけれど、実際にはなかった不可解なモノがいきなり目の前に迫ってくるのだから無理もありません。 

 人間だって同じ事。例えば、明日自分が死ぬとしても、それはもう目の前にありありと見えているのです。そう頭をよぎった以上、その恐怖は現実のそれと何ら変わりがありませんからね。私はそれを、目の前にありありと見ながら、でも檻によって守られている。そう思う事でやっと、毎日の生活を送っているのです。 

 自宅療養の間、私はよく同じ夢を見ました。アクセルもブレーキも付いてないトロッコに乗った幼い息子と妻が、どんどんと炭鉱の深い穴の奥に向かって滑り落ちていく。私は追いつこうとレールの上を走ろうとするのですが、膝がガクガクで全く走れません。

 そして気付くのです。それまでは登り坂だと思って勝手に苦しみ喘いでいた人生が、実際はずっと下り坂だったという事です。疲れようが、膝がガクガクで走れなかろうが止まれない。そしてどんどんろくでもない方向へと下り続ける。 

 そうです、人生はずっと下り坂なのです。 

 いい事なんて何もない。どうせ行きつくところは死です。そんな事は誰でも知っている。じゃあ何かを目指す、目標を持つってどういう事なのよ?

                   *  

 目標なんてね、ただの寄り道に過ぎないんだよ。峠の団子屋だよ。ハハハ……。 

 激しいせみしぐれの中、公園の木陰のベンチにチンドン屋さんが3人で休憩していました。公園で今日行われるはずだったイベントが中止になったのを知らされずに来てしまったと言っています。てんでに持っているのは公園入口の自販機でさっき買ったばかりだと思われる、まだ冷たそうな、たくさん水滴の付いたペットボトルの麦茶。600ccの少し大きいタイプです。座長と思われる恵比寿様の表面には大袈裟なしわの影と汗の粒が点々と浮いています。 

 来月、君らの給料すら覚束ないというところだよ。払えないかもしれない。 

 残りの二人は黙っている。一人は黒襟の町娘風、クラリネットを膝の上に持っている。もう一人は瓦版屋風、手ぬぐいを頭にのせてチンドン太鼓を前に抱えている。 

 君ら、まだ若いんだしさ、やめてもいいんだよ。生きるってのはね、そりゃあもう残酷な流れ作業ですよ。

 やめませんよ! 

 クラリネットを持った町娘が言いました。 

 私やめません。やっと見つけられそうなんです。 

 娘の広めのおでこにも、汗の球が光って見えます。 

 子供の頃はお姫様になるのが夢でした。でも両親が離婚した瞬間に、私はお姫様ではなくなった事を知りました。でもどうしても自分をもっと素敵にしたくて、好きになりたくて、地下アイドルもやりました、舞台女優も、風俗嬢もやりました。でも全然好きになれなかった。むしろどんどん嫌いになった。ずっと人前が嫌いで、人と話すのが嫌いで……。 

 『ふん、実力もないくせに目立とうと思って』何をやってもすぐにそんな言葉が聞こえてくるんです。誰かに言われるんじゃなくて、自分の中から聞こえるんです。生きる事はなんですか? 目立とうとする事ですか? 自分を好きになるために努力する事は、目立とうとする事なんですか? 

 そう言うと娘は立ち上がり、クラリネットで『美しき天然』を吹き始めました。はげしいせみしぐれが一瞬にしてクラリネットの旋律を包みます。新しい蝉しぐれの誕生です! 新しい公園の誕生です! 新しい地球の、新しい宇宙の誕生です! 娘は嬉々として『美しき天然』を吹いています。 

 素晴らしい! 私はそう思いました。もともと素晴らしい『美しき天然』の旋律が、娘の着物の和柄とクラリネットの音色と相まって、まるで針と糸の様に、空間を見る見るうちに刺繍していくようでした。 

 あの瞬間だけは本当に、命も金も、どこにもない様に見えたんです!

 しかしなんて暑い日なんでしょう! このまま吹き続けると、娘はきっと熱中症で倒れてしまいます。もう白粉のない首の辺りが真っ赤です。 

 君のクラリネットの腕はホンモノだ。 

 チンドン太鼓を抱えた瓦版屋の男がそう言いました。 

 とてもにわかに覚えたとは思えないよ。ウィーンフィルにだって君ほどの奏者はいないよ。君はクラリネットで生きていくべきだ。 

 あなたこそ! 今度は娘が瓦版屋に向かって言います。 

 あなたのチンドン太鼓こそ、軽い響きの中にもしっかりと粘りのあるグルーヴがあって、レッチリのチャドスミスよりもパワフルで、エルヴィンジョーンズよりも流麗だわ。 

 そして座長! 

 二人は声を合わせました。 

 ん? なんだ?  

 あなたの声は、誰よりも何よりも人の心を温めます。真夏の太陽の様です。それは言葉の分からない外国の人の心をも温めるんです。 

 あ、あぁ、そうかい。それは、どうもありがとう。 

 僕らはまさに奇跡の3人なんです。給料なんかどうでもいい。座長、今、幾らあります? 

  幾らもないけど、どうするんだ? 

  今から僕ら3人で南半球に行きませんか? 

  南半球?行って、どうする? 

 僕らがやれる事は一つです。真冬の南半球に行って、真夏みたいに温めてやるんです! 

 私は自分が汗まみれな事に気付きました。だってかれこれ10分近くも、こんなやり取りを炎天下で聞いているのですから。 

 ん~、まあともかくだ。飯にしよう! 

 そう言うと座長は立ち上がりました。 

 そこにリンガーハットがあったから、そこに行こう。 

 メタセコイヤの並木をリンガーハットに向かって歩いていく3人の後姿を、私は見えなくなるまで見送りました。 

 3人は南半球に行くんでしょうかね。でも……、 

  熱情って、素敵ですね。 命って、目標って、素敵ですね!

 10分で100年分の夏を過ごしたような気分になりました。

誠に世知辛い、金と命が平気で天秤に掛けられるような世の中でこそ、

 何が一番大切なのか考えてみる。 

  とりあえず、有給じゃないな……。 


第40章(祖父の悩み)

 

 2021・8より、ひゅーすとん、ひゅーすとん。 

 様々な問題を抱えながら、2020東京オリンピックは正論とモラルの木々をなぎ倒しつつ前へ前へと進んでいます。結果は上々です。 

 あ、言わないで!ネタバレしないようにね!! 

 コロナウイルスももう人間の手を完全に離れ、打つ手もないまま、これもまた安全と健康の木々をなぎ倒しつつ、前へ前へと進んでいます。そんな中、東京は自分は勝手にオリンピックで浮かれつつ、国民には、絶対に浮かれるな! と矛盾した事を言っております。まるでチンピラが派手な車でガンガンに音楽を掛けながら、「ナニ見とんじゃコラ!」とまわりに因縁をつけているようです。

 あ、これも言わないで!ネタバレしないように。 

以上、2021・8からでした。ひゅーすとん……。 


 金魚の水槽を見ながら、どうやら私は居眠りをしてしまったようです。今の子も、昔の子もここにはいません。私は少しずつ、2人と私の関係を理解し始めているようです。雨が続いていたせいか、風がなんとも生温く、窓辺の超小型空気清浄機(一般的には『風鈴』とも言いますが)がフル稼働しているにもかかわらず、額には汗がにじんできます。 

 さて、と、私は誰もいない空間に話し掛けます。私は子供の頃からよくこれをやるんです。独り言ではないですよ、じっと耳を澄ましていれば、ちゃんと返事も聞こえて来るんです。 


 で、話の続きだけど、私があんなに泣いていたのは、戦争で父親を亡くしたせいだというそれは、あなたが実際に見てきた事、或いは体験してきた事をそのまま私に負わせているにすぎなんじゃないの? でなきゃこんな店を、こんなところに構えるきっかけが、私に与えられるわけがないじゃないですか。  

 ちゃんと、あなたが選んだ結果ですよ。

 そりゃあそうさ、すべては流れだから。でもその流れがどこからきたのか、私には見当もつかないし、そもそも決められない。自分の顔が、誰から受け継いで誰に似ているのかも、自分では決められないし理解することもない。 

 あなたは、両親の両方に少しずつ似てますよ。 

 そりゃあそうさ、私だって自分が第一世代の新品の命だなんて己惚れてはいない。使い古された中古の命で十分満足なんだけど、私だって私なりに考えたり、予想したりしてきたのさ。 だからこそわかるんだ。それはいつも突然に起きる。まるで消去法を逆手に取ったように意地悪く、いつも私の予想の間隙をついて突然起きて、そのまま何事もなく通り過ぎる。その一端で、命を落としたか、落とさなかったか。それはあまりにも些末な事過ぎるんじゃないかな? 

 でもそれが世界で一番健全な真実なんでしょ? 

 そんな事、誰が言ったの? はじめに言ったのは誰? 君? 僕? どっち? 

 いや、あなたが言ったじゃないですか! 

 え、知らない。君が言ったんじゃなかったの? 君って誰? どっち? 


 こんな調子で話しているといつも、フッと目が覚めるんです。 

 え、うそ? ぜんぶ夢? じゃあ、私は、あんなに頑張った剣道もまったく出来ないの? ギターも、まったく弾けないの? 

 そんな事を、もう何度経験した事か……。 

 だから私は何も不思議には思わないんです。今の子昔の子がいなくても、それはきっとそういう事情が、今私の目の前にあるのだろうと、ただそう思えば済む事です。 

 小さな黒い蜘蛛が一匹、カーテンをヨチヨチと登っていきます。 


  少年が入ってきました。私には初対面はあり得ないので、ジッとその少年を見ます。 

 誰だっけ? 

 少年は両手で小銭を混ぜながら、もじもじと食べ物ばかりを見ています。 

 誰だっけ? 

 やがて少年は、おじさん、と私を呼びました。 

 ん?  なに? 

 うん、えっと、50銭の餅買おうかな。70銭の餅買おうかな。 

 その一言で、私はピンときました。 

 あぁ、よく考えた方がいい。

 丸坊主の少年は綺麗な歯を見せて笑います。

 お父さんがね、小遣いをくれたんだ。金毘羅山のお祭りに行って来いって。

 そう、よかったね。お父さんは、怖い人かい? 

 怖くないけど変な人。変な機械を持ってきて、変なモノ作って売ってる。 

 あぁ、それは、カメラというんだよ。 

カメラ?? 

 そう、そしてその変なモノは、写真というんだ。 

しゃしん?? 

 少年はおそらく私の祖父です。祖父は大戦中、トラック島で戦死したと聞いています。でも同時に、私は祖父の膝の上で、戦争中の話を聞いた記憶もあるんです。 


 お前みたいに誰のいう事も聞かん自由な子は、自由に生きたらエエんやで。 ホンマにエエ時代やからな。何でも出来る、何してもかまへん、ホンマに、エエ時代やからな。 

 

 そう言って祖父は私の頭をポンポンと撫でるように叩きます。鴨居に飾ってある祖父の写真は出征前に曽祖父が撮ったモノだと聞きました。孫の私が言うのもなんですが、祖父はものすごいイケメンなんです。 

『大日本帝国海軍』と刺繍された海軍帽は、祖父の凛々しさと、祖父がいかに小顔であったかを如実に物語っています。 

大戦中。

 祖父は乗っている船が沈没する際、機関銃の弾が飛び交う海に飛び込んだそうです。機関銃の弾は、見えるそうですよ。空気を裂く音と共に、目の前を敵、味方なくただ飛び交う弾丸は存外平等なモノで、それほど怖くはなかったそうですよ。 

 で、飛び込む際、祖父は左足首に弾丸を受けたそうです。タイミングからいえば、0.何秒、でしょうね。頭に当たるのと。そしてそのまま日本の船に救出されるまで、恐らくは数時間、泳ぎ続けたそうです。アメリカの戦闘機は、泳いでいる祖父めがけて機関銃を掃射して来たそうです。 

 こらアカン! 絶対死ぬ! 思てな。おじいちゃん、次からメリケンの飛行機見えたら死んだフリしたってん。ほな、何もせんとブーンって飛んでいきおるわ。ほんで、あぁ、助かった!いうてな、ほんでまた泳ぐねん。 

 トラック島については、 

 あのな、よう『爆弾の雨』言うやろ。豪雨や! 無茶苦茶すんなぁ、いうてな。遠慮ないなぁ!思てな。殺す気か! 言うてな。ほんで、しゃあないからおじいちゃんも機関銃撃つんやけど、何処向けて撃つと思う? 機関銃は敵に向けて撃つモンやろ。せやから上向けて撃つしかないねん。ないねんけどこれがまあ大した破れ傘でな。もう途中でやめてん。アホらしなって来てな。弾も勿体ないし、絶対届けへん思てな。ほんで上見たら、ナニ、なんも大した事あれへん。 

 黒いトンボや、トンボが飛んどるだけや……。 

 あぁ、あれがホンマにトンボやったらすぐ捕まえたんねんけどな。ほんで『おい、南方の珍しいトンボ捕まえてきたぞ!』いうてな、虫好きのお前のお父ちゃんにお土産にもできたんやろけどな……。 


 祖父は私が中学生の時に亡くなりました。肺癌でした。やせ細って、でも棺に収まった顔は、生きている時よりずっと父親に似ている気がしました。 

 トラック島で死んだ祖父と、今目の前にいる祖父は、同じ顔なんだろうか。トラック島で亡くなった祖父もやはり、お前は自由に生きたらエエんやで! と言ってくれたでしょうか。 

 黒い蜘蛛がパッと何かに飛びついたと同時に、ドアが開いて今の子がパンを抱えて店に入ってきました。 

 あ、店長。 

 そういえば、私はこの2人にだけは面識がない気がするのです。きっと何か特別な関係に違いありません。

  おかえり。暑いのにご苦労様。

 両手の塞がった今の子が足で閉めようとしているドアの向こうから、風に乗って小さな笛太鼓の音が聞こえてきました。 

 ん?お祭り?

 あぁ、公園の神社に露店が出てましたよ。 

 あ、そうなの、縁日かな? ちょっと行ってみようか。 

 え!僕も行っていいですか?じゃあ、ちょっと待ってください。パンを並べますから。 

 公園の木の間からのぼり旗が数本見えました。そしてその下に、さっきの少年が両手で小銭を混ぜながら立っているのが見えました。 

 50銭の餅買おうか、70銭の餅買おうか……。 


第41章(オカンを思うと)

 兄から届いたメールには『今、うちの墓、こんな感じ』と写真が添付されてありました。そこには見覚えのある墓石が、ずいぶんと広々としたところにポツンと立っていました。 

 子供の頃は、お墓の水汲み場に行列ができるほど多くの家族と出くわしたモノですが、一つまた一つと墓を継ぐ家も途絶え、かつてお墓があった場所はだんだんと更地となっていったのです。

『ご苦労様でした』と私はそっけないメールを返しました。もっと気の利いた言葉も思い付くのですが、その辺は何と言いますか、身内に対する照れというか甘えというか……。 

 実家の事はすべて兄に任せっきりで、私は遠の昔にその権利を放棄してしまったような形になっています。だからこの件についてあまり暖かい感じが抱けません。申し訳ないような気持ちをただぼんやりと引きずりつつ、私は母の夢うつつの世界を想像してみるのです。 

  

 通夜の夜、兄は私に、 

「オカンは、お前の心配ばっかりしとったなぁ」と言いましたが、私は即座にそれを否定しました。 

 「ちゃうちゃう。信頼がなかっただけや」 

 兄はそれきり黙りました。線香の煙だけがつーっと、天に向かって真縦に糸を引いていました。 

          


 アンタにそんな事出来んのか? 

 アカンアカン!余計な事して怪我すんのがオチや。 

 やめときって! 絶対失敗するで! 

 しょーもない事せんでも方がええ。 

 アンタは黙ってジッとしとったらそんでエエねん。 

 長袖着て行き!すぐ風邪ひくくせに。 

 ほら!絶対やる思たわ! せやから言うたんや!お母ちゃんの言う事聞かへんからこういう事なんねん。アンタは自分の頭で判断せんと、お母ちゃんのいう事だけ聞いとったらそんでエエねん! 

 アンタの目ぇは……、もう一生、治れへんって……。 

 母はそう言って眉間に皺を寄せました。そして私を見てため息をつきました。深い意味は感じません。ただ表情が暗く、口の悪い女性だった、それだけの印象です。そして彼女は私の不幸な出来事を材料に、私の失敗は当然予見できたと、失敗したのは私が注意を怠ったせいだと、円錐角膜を患った事を私本人の5倍も10倍も落ち込んでみせて、暗に私を責めるのです。   

 そのくせ自分が謝る時は、 

 あそ! そらお母ちゃんが悪かった。ゴメンチャイチャイ、チャイニーズ! なにをいつまでもネチネチ言うとんねん! そこがアンタのアカンとこや!  

 これは、ギャグ、でしょうか?ギャグで済ませちゃってもいいのでしょうか? 人によっては、おもろいやんか、明るいエエオカンやん、なんて言いますが私には到底そんな風には思えません。 

           


 兄が、「アカン、ちょっと眠たなってきた、先に寝かしてくれ」と言って隣の部屋に行きました。私はビールグラスを手に頷きます。 

 人は、2回死ぬ。と言ったのは、永六輔さん、でしたっけ? 

 1度目は肉体の死、2度目は忘却による死。 

誰もその人の事を思い出さなくなったとき、2度目の死が、つまり本当に消滅が訪れるのだという事でしょうね。 

 それがいいと思います。永遠に遺体が残って、永遠に人々の記憶に残って、じろじろ見られて、もう終わってしまった自分のやった事についていつまでもとやかく言われ続けるのは、さぞやかましい事でしょう。  

 たとえそれが尊敬や愛情からであってもね……。


 息子が『心霊番組』を観ています。ビデオに偶然映った恐怖映像が何度もリピートされて、息子はそれをやや硬い表情で観ています。明らかに作ったようなモノや、顔といえば顔に見えなくもない、という微妙な様なモノまで。 

 『これは、この場所に取り憑いた、地縛霊の姿なのか……。』 

 私は息子の硬い横顔とテレビ画面を見比べてニヤニヤしています。安い焼酎が面白さを加担しています。 

 私は、『人が死んだらどうなる? どこへ行く?』 なんて事にはまるで興味がありません。もともと、人は死んだら、という発想がないんです。それは、いきている、という実感もないせいだと思っています。 

 私ではなくて、私以外が生きている。それで何の矛盾もないじゃないですか。どうしてことさら自分が生きている事にしてしまうのでしょう。私の母の死は、母以外の人に起きた出来事でしょう? 違いますか? 

 同じように、私が生まれたのは母の出来事でもしも母がその事を誰にも伝えずそのまま死んだら、私は母と一緒に消えてしまうのです。 

 ところが、 

 私には父がいて兄がいて姉がいて妹がいます。更に妻もいて息子もいます。友達もいて、職場には同僚がいます。仕事の取引先の人もいて、道すがら毎日すれ違う人もいて、これから出会うであろう人もいます。だから私はその人達の中に、少しずついるに過ぎないのです。 

 だから私は誰にも誤解されません。そのそれぞれが私なんです。 

 じゃあ実際にこの文章を書いているのが誰かって言うと、それは私ではなく、私に興味を持っ誰かなんです。 

 だれ? 誰かと言うと、それは……。 

 *

 私の店には二人の子供が店番をしているでしょう。 

昔の子 と、今の子。 

 あの2人は私がこのブログを書き始めるにあたって、何かマスコット的キャラクターはいないかと、フリー画像を眺めていてみつけたのです。 

  2人は、群馬県長野原町の応桑諏訪神社の鳥居のそばに鎮座される道祖神様です。そんなに古いモノでもなく、それほど有名なモノでもないようですが、私はこの2人が自分の店番にぴったりだと直感したのです。すぐに連れてきました。というよりも、2人が突然私の店のドアを開けて、店番をさせて! と入ってきたと考えています。私に断る事は出来ません。そう頼まれた時、私はこの2人の中にいるんですから。私はこの2人に店番を頼まれるために、わざわざここ店を構えているのですから。 

 でももしもその時、私が2人の頼みを断っていたとしたら……。 

 ドミノの列を逆に倒すような、奇妙な現象が起きていたかも知れません。 

 断った瞬間、私は2人の中にいないとなると、その前の、心霊番組を硬い表情で見ている息子とテレビ画面を見比べてニヤニヤしていた私もいない、という事は、母の通夜の話をしている私もいない……。 

 そして遂に私は、私を産んだ母の記憶からも消えてしまう事になり、1度目の死、2度目の死、ならぬ、 

 『1度目の誕生、2度目の誕生』もなくなってしまう事でしょう。 

 母の葬儀の時、結婚したばかりの頃の両親の写真が飾ってありました。もちろん、私がそんな写真を見るのはその時が初めてです。どこかの山に登った時のようなのですが、2人は肩を抱いて満面の笑みを浮かべているのです。 

 若い頃の父は背も高く、近所でも噂になるほどのイケメンだったと聞きました。母も、息子の私が言うのもなんですが、まるで女優さんの様な端正な顔立ちで笑っています。 

 へぇ~、なんて、私はその不可思議な写真を感動をもって眺めました。この2人はまさか将来、私の様な体の弱い、言う事を訊かない、癇癪持ちで、目を絶望的に悪くする、扱いづらい性格の子供を授かろうとは思ってもいまい。もちろん望んでもいまい。私は自分の1度目の誕生以前の写真を眺めているのです。 

         


「おお、すまんすまん。寝坊した。ほな、寝てくれ」 

そう言って兄が起きてきました。まだ1時間ぐらいしか経っていません。もうちょっと寝ててもかまへんで、私がそう言いましたが兄は、そんなんしたら余計眠たなって朝起きられへん、といい歯を磨き始めました。外はまだ真っ暗です。 

 「ほな、ちょっと寝さしてもらいます」 

 私はそう言ってコンタクトレンズを外して横になったのですが、そこから先の記憶はありません。朝、埼玉県を出て、高速を乗り継いで夕方に京都府についてから、バタバタとして一睡もしていなかった疲れが一気に出たのでしょう。もう若くないですから。 

             


 兄が送ってくれた写真をよく見ると、墓石の左上の木立の影に何か人の顔のようなモノが写っていました。それは、母です! 

 間違いありません! 私を叱責する時のなんとも気の抜けた、やるせない表情がそのまま母なんです。そういえば、こんな顔してよう叱られたなぁ……、私は息子に、 

「おい!見てみ。ここにおばあちゃん写ってるわ」そう言って見せました。息子は「全然似てねーよ」といいます。 

「どこがや!そっくりやないか!」私が言うと息子は、 

「おばあちゃんはこんなムスッとしてなかったよ。もっとニコニコしてた!」そう言います。 

 そうか、ほな、おばあちゃんと違うか……。 

 ほらね、私はこうして、どんな時も自分ではあり得ないのです。今は息子の中に、突然わけのわからない事を言って盛り上がる変なオヤジ、として存在しているわけです。こんな私に興味を持ったモノがあるとすれば、それはもう、あの方しかありません。 

 神様。 

 神様はたまたま 私の『今』を ちょっとお眺めになったのでしょう。それは私がたまたまフリー素材の道祖神を眺めたようなモノでしょう。そこで初めて、私は母が私の『今』の中に確かにいる事に気付くわけですが、それも神様が覗いてくれない限り、私には気付く術もないのです。 

  

 息子は、「観なきゃよかったよ……」心霊番組を観た事を、少し後悔している様子です。よっぽど怖かったのか……。 

 だから、このな、写真の左上のこのおばあちゃんの…… 

 だから、似てねーって! 

 息子はそう言うと、妙にキョロキョロしながら自分の部屋に向かいました。

『いきてるきがする。』《第4部 春》


《第四部 春》

もくじ



第29章(赤いギター)

  

 店舗が3つに増えるに従い似たような商品も増えたので、それならばそれぞれが気に入った商品を選んでディスプレーしようじゃないか、という事になりました。 私は愛猫、とのまのパーカーとマグカップ、それにTシャツを選びました。

 あぁ、やっと胸が空いた、私がそう言って笑うと、2人は気味悪るそうに言いました。 

  何かあったんですか? 

いや、なにもない。普通だ、そのまま、そのままが妙に気持ちいいんだよね。 

 感傷的になっていたこの1か月ほど。私はそれを解消したかったのでしょう。

 人に気を遣われるのは気分がいいモノではありません。同情される事もそう。他人だってまたそうなのです。私はある人々から見れば間違いなく、可哀想な人なんです。

 本職のドライバーの仕事がどんどん少なくなっていく中、突然息子が癲癇の発作で倒れ、空想のお店にかまけているのもいいけれど、これからどんどんお金のかかる息子を、どうやって育てていこうかと、そういう事もきっと慢性的な心配事として私の心に暗く沈着していたのでしょうね。『今』にこだわるあまり、私は毎日、未来とは何の関係もない事をやっているのかもしれない。残酷な未来を見てみぬフリをしているのかもしれない。でもそんな事を言ってしまえば、すべての感覚を研ぎ澄まして感知する、毎日毎分毎秒の悩みや考えもまた、何の意味もない事になってしまいます。そして見てみぬフリをするのが、唯一の正解という事にもなりかねません。そうして日々は只、駄々悶々と積み上げられて……。それはなんとも味気ないモノです。なけなしでも、死ぬ瞬間までもせめて目だけでも楽しめるようにと、そんな理由で お札を綺麗に印刷するのでしょうかね? ありがたい。

 先日、自宅にあってずっとほったらかしだった赤いギターを捨てました。ギターには複雑なパーツが多いので、捨てるならバラバラにしないと、市の分別のルールに従わないのです。 

 奴は、なんていうか、強情と言うか、自分がこう言ったら曲げない。 

 私はジャズのフレーズに興味があり、でもやりたい音楽はロック。だからやりたいのは、極めたいのはロックギターとジャズギターのちょうど真ん中あたり。いや違う!もっと高みを目指していたかったのですが……。 

 かの赤いギターは、ジャズなんてオッサンのする事だ!と聞かないんです。 

 確かにジャズは、オッサンが『F』の字の穴が開いた、木目調の丸みを帯びた形のギターを、ニヤニヤとドラムやベースと目配せしながら余裕綽々で弾いている印象が強いです。音も大人しく、まるでやる気がない人間が、やる事がない時に聴く音楽だ、と中学生ぐらいまではそう思ってました。 

 ウェスモンゴメリーが凄い!とか、ジョーパスのコードワークは珠玉だ! なんて言われたって所詮は退屈なジャズじゃないか。 

 私はもともと速弾きが嫌いだったので、もっぱらブルースギターばかり弾いていたのですが、クオーターチョーキングの半分のそのまた半分ぐらいのところに、魂の答えが潜んでいるような気がして、ただひたすら向き合おうとしていた時に、エリッククラプトンクリームというバンド時代にブルースギターの速弾きをやっているのを知って慌てました。 

 そして、高校生ぐらいの時、 

 ジャンポールブレリーと、ヴァ―ノンリードと、デヴィッドフュージンスキーという3人のギターリストに立て続けに出会い、ジャズがロックを喰ってる!!と死ぬかと思うほど慌てました。 フュージョンと呼ばれたジャンルもかつてありましたがあんなモノはどうでもいい。あんなブルースもロックも味噌も糞も残酷に細かく刻んでは丹念にこね合わせて ハンバーグみたいに誰でも食べられるようにして で?何を作るの? 

と見ていると、全部楕円に丸めて、真ん中にくぼみをつけて……。 

 結局ハンバーグかよ!! もっと五重塔とか、ゴジラとかを作るんじゃねーのかよ!! 

 どこか違ったんですね。間違っていたと言ってもいい。そしてギターを弾いていてもいつもどこか何かわだかまっていたんですね。そんな時に自分がやろうとしていた事がすでに全然新しくないとわかったのだから、そりゃあもう慌てますよ。どうしよう、どうしよう、今更何一つ全く追いつかない。相手は音楽大学を出ている超インテリです。 

 気が付けば私は一生懸命に真似していました。そうしたら、それはそれで楽しいなって思って。あぁあ、諦めたな……、って気付いてしまったんですよ。高校の頃、仲間のミュージシャン達に、「俺は新しいジャンルを作りたいんだ!」と言って、は? と言う顔をされました。そのためには、誰の真似も許されない、自分の手本は自分だけ。そんな病的に頑なな思い込みは、私の目を閉ざし、世の中をただ敵としてしか見ていなかったようです。人を慕う事には楽しさも伴うのだと、ツンツンに尖っていた私が初めて実感したのはおそらく、実力を認めて諦めた瞬間だったのかもしれない。 良いような、悪いような……。

 そして私と赤いギターはどんどん険悪になっていきました。細かい事を言えば、ネックの握りとか、ブリッジの仕組みとか、音のうねりとか、どうしても、正解はロックだ! 速弾きだ!と、赤い奴は全く譲らない。 

 神奈川厚木市の楽器店のギター売り場で、そこそこな値段で売ってたんです。外国メーカーで、試奏すると、のびやかなサスティーンが挑発的で、すべての音域がパワフルそのもの、ブリッジとナットで弦がビス止めされていて、どんなに激しくアーミングしてもピッチはビクともしない。そして何よりも、ハムバッカーというピックアップが一つリアにマウントされていて、いかにも融通が利かなそうな身形。 

 暫くはずっと、ライヴごとにそのギターを弾いてました。ぼってりと太いわりに薄いネックは、コードよりもフレーズ引きに向いていて、私はバンドのオーダーにも従わず、ずっとリフばかり弾いてました。メンバーからはうるさい!と注意されましたが、私と赤い奴はお構いなし、コイツの望むのはこういうギターだと、とても分かり易かったんです。本当に楽しかった。 

 最後にネックをのこぎりで切って不透明ゴミ袋に入れて口を結んだ私はまるでバラバラ殺人犯の気分になりました。自分が妙に冷静でいる事にもまた、もはや驚きはありませんでした。 

 店長、このギターはまだ置いときます? 

昔の子が、店にずっと置いてあるクラッシックギターを手に、私に訊いてきました。 

 そうだね、どうしよう、売れたら、売る? 

え?こんなボロボロにギターを? 幾らで売るんです? 

 300万円。 

 あぁ、そこまでやると、ひょっとして勘違いした人に売れるかもしれませんね。 

 ハハハ、 

 ハハハ、 

 赤い奴はもう回収されたか?

 みると今の子が、生暖かい陽光の中で網を持って、36歳の金魚2匹を掬おうと慎重に狙っています。