生小説風ブログ『いきてるきがする。』

今を生きてるきがするけど、でも一つじゃ寂しいし頼りないから、いろいろな場所や時間でも、私はいきてるきがする。


もくじ


序章


 2020年の8月の時間はゆっくりと推移しています。 

 そろそろ始めないといけないなぁ、と思いましてね……。 

生小説風ブログ『いきてるきがする。』初めまして、goodgodget と申します。

  ますこちらは今、コロナウイルスが大流行してますが、そちらはいかがでしょうか? 

  こんな風に……、

 もし時間が経っても年をとらない文章を書くとしたら、私にはこうするしかない。 

ひゅーすとん、ひゅーすとん、こちら2020すらっしゅ8より、応答願います。 

なんて……。 

 『時間が経つ』という事を変化するという事以外で考えると、どんな特徴があるのでしょうか。たとえば月との交信には光の速さを以てしても2秒かかります。それは月と地球との距離が34万キロあるからで、秒速30万キロの光でも往復するには2秒とちょっとかかるわけですね。わかりやすい単純な理屈です。

 それがもっと遠いの星、もっと離れた場所だと、当然もっともっと長くかかるわけですね。だから我々はただ返答を待つしかありません。何年も、何十年も。何百年は、待てません……。

 しかし光速で移動すると時間は経過しないらしいのです。んん? 時間が経過しない? じゃあ止まってる? いえ、光速で移動しています。つまり時間、距離、速度の関係は、お互いの条件次第で、相対的なモノらしいんです。だからさっきの月の話も……。

 月から地球までの2秒間は『今』が2秒間続いているわけです。変な話です。さらに言うと、光の速度をゼロとした場合、逆に我々が光速で動いていることになるんですね。変な話です。じゃあもし、遠ざかる二つの星の合算速度が光速に達した場合、そのどちらかの星で、もし赤ちゃんが小さな足で、ちょっと背伸びしただけでも、もう一つの星から見ると、赤ちゃんの足のサイズ分、時間は逆に進むのでしょうか。変な話です。 

 我々人類は、様々な天変地異や生存競争を経験して、生き残る事の大切さと虚しさを痛感してきました。そして出来る事なら意義深く、大切な存在として自分達を肯定したい、そう願って宗教や言語、文化文明をはぐくんできました。きっとそうに違いありません。私にはそれしか思い当たりません。だって生きるだけなら、他の動物と同じでも充分事は足りますから。

 そしてそれらの知識をもとに人類は少しずつ真実を知り始めた。進化した!と思っているようですが……。

 それらはすべて、『時間が前に進む』という条件の中だけの事で、実際は違います。

 実際は光速に近づこうが近づくまいが、すべてが『今』に相当するのです。月からの二秒が『今』ならば、宇宙の果てからの139億年もまた『今』なのです。そこを大きく取り違えているのです。

時間は進まない。経験は蓄積されない。それはあたかも薬棚の様に、目の前に整然と並んでいるのです。

 ただ我々は一度に一つの棚にしかピントを合わせられない。時間が前に進む、という概念に囚われている以上、そうしか出来ないのです。そして目の前に聳え立つの膨大な薬棚を次々に見ては、その眦の残像、記憶の残滓を、一人一人が自分勝手に重ねたり折り合わせたりして、過去や未来とうまく繋がるように『今』という瞬間を、瞬間的に作らなければならない。そこに誤解や偏見が様々な色や形として出来上がるのも、勝手に強引に結びつけちゃってるわけだから無理もないな話です。すべての差別や偏見はこうして出来上がったのです。

 そして今、どんな『今』と『今』を繋げてしまって、誰がこんな風にしちゃったのかわかりませんが、世界はコロナ病の大流行の他にも、飛行機が落ちたり、大爆発があったり、もうろくなことが起きていません。 

 いや~、ホントもう逃げたいです、どこでもいいから逃げてしまいたい。 

 私がこの店を立ち上げたのもきっと、そんな『今』と『今』が歪に噛み合ったタイミングだったのだと思います。 

 二年前の今、突然両膝に激痛が走り、診断の結果、半月板損傷と軟骨の剥離、下肢脛骨の変形があると診断されました。それ以来、入院加療のため仕事を辞め、収入がゼロになりました。両膝の手術に伴う片足ずつ二度の入院は延べ6週間にもなり、リハビリには9か月を要しました。高額医療費制度を利用しても、その後の通院と治療には毎月多額のお金と時間が掛かりました。もし家族の存在がなかったら、私なんてもうとっくに諦めてしまって、どこかの酒場でやけ酒飲んで酔い潰れて、早朝水色のごみ収集車に轢かれて死んでいた事でしょうよ。 

 とにかく苦しくて、どうしようもなくて、それなのに、いっちょ前に、息子の将来も心配で……。

である日、もう本当に逃げちまおう、と思ったんです。

 二人が寝静まった夜中にそっと起きて、靴をつまんで玄関に立つと、薄暗いポーチの隅に、なにやら動物が掘ったような小さな穴が見えたのです。 今も見えますし、入ろうと思えば入れますが、ここで生活するという決めた以上、その穴について、皆様に事細かに説明する事も、中を案内する事も、どうしても出来ないのです。でもその時の私はもう逃げる事しか頭になかったので、お、ココから逃げられそうだぞ。細いけど通れる。と迷わず逃げ込んだのでした。

 虚飾に満ちた愛情よ、夢とたばかる爆音よ、さようなら。

そうして一年ほど、私はその訳の分からない穴の中をうろうろと彷徨った挙句、結局またこの家にたどり着いたんです。心身はもうボロボロでした。

 一年経ち、家もすっかり苔むして、壁も窓もボロボロでしたが、そこはやっぱり同じ、真夜中の玄関でした。わはは、って嘲笑が聞こえた気がしましたね。

そうだよ、そうなんだよ。一度逃げた人間にとって、すべての道は逃げ道になるんだ。さあ、何してる? 何を立ち止まっちゃってる? もっと逃げろ!どんどん逃げろ逃げろ!

 そんな言葉も聞こえました。だから、もういい、逃げない。どこにも行けない。ココで生きよう、私はそう決めました。つまりここで死んでやろうと。

 それならば、ジッとしている事は生きている限り許されませんから、その時が来るまでは何かやらないと。料理人はもううんざりだ。ミュージシャンはきっぱり諦めた。でも金は要る。ならば商売をやろう。そうだ、ココで店を開こう。どんな現実も選べないなら、どんな現実にも繋がる店をココに作ればいい。その店で金が儲かれば一番いいじゃないか。

 妻に表情が急に明るくなったって言われましたね。

どうしたの? 体調がいいの? 何かいいことあった?って。

 そんな事あるわけがないじゃないか。ただ死を決心しただけだ。

 だが死を決心する事で、逆にいろいろな可能性が見えて来るのですね。正直驚きました。妙な、ヤケクソなやる気が出てきて、あぁ、そんなもんだよ。バカにはバカの判断があって、それに則した住む場所はいくらでもある。時間と空間は残酷なほど無限に広がっている。逃げろ! ほら逃げろ! ってね。

 もちろん、そんな事は妻には言いませんよ。ただ、あ、そう? と胡麻化しただけです。

 そして、そのお店のシンボルになるようないいキャラクターはいないかなぁって、ネットのフリー画像を探してたんですね。私は絵が描けませんので、いいキャラクターはどこかから持ってくるしかないんです。 そうしたらとてもいい、可愛くて、純粋な写真をみつけたんです。よし、これにしようと。

 調べたんですが、これは群馬県吾妻郡長野原町応桑にある諏訪神社の鳥居の左側に鎮座されている道祖神様のようです。 

 私はお店の真ん中に、その二人をドカッと置いてみたんです。

 すると頭の中にストーリーが浮かんできたんですね。勝手な想像かも知れませんが、この二人を見て浮かんできたストーリーだからきっと、二人がくれたストーリーに違いないんです。 

 どうやらこの二人はまだ出会ったばかりのようです。 

やや馴れ馴れしく肩に手を置く方が昔の子。 

両手を頬に当て困るように考えているのが今の子。 

いったいどこでどうやって会ったのかは見当もつきませんが、二人はある日うちの店にやってきて、 

「オジサン、俺たち二人でバイトさせてよ、安くでいいからさ、言っとくけど、俺たち家出少年じゃないよ。家もちゃんとある。でも事情があって帰れないんだよ。わかってくれよ、オジサン。だから内緒で。俺、掃除は得意だよ、盗み食いもしない、居眠りもしないよ」

 と言ったのは確か昔の子 今の子はその時も大人しく黙ってました。

  私は二人に店番を頼む事にしました。 

 フリー画像とのそんな出会いの不思議さを、今はそのまま感じ取ってていただきたいんです。


  では、このブログをご覧の皆様、どなた様も、どこを通って、どうやってここにお見えになったのか存じませんが、未来からお見えの方にも、過去からお見えの方にも、

  せっかくだから今のこの、西暦2020年8月の事をもう少しお話しておきましょう。 

 2019年、中国武漢で発生したコロナウイルスの世界的大流行のせいで、世界中が大混乱に陥っています。 ここ日本でも、東京オリンピックの延期高校野球の甲子園大会の中止の他、様々なスポーツ、音楽イベントが軒並み中止となり、世界経済への打撃は深刻です。そのほかには、感染予防のための出社制限によるテレワークの普及など、世の中は根幹から揺らいでいます。鳴動しています。

 アメリカと中国の関係はますます悪くなっています。『ティックトック』という中国のアプリケーションが、秘密の漏洩の危険性があるという理由から、アメリカの『マイクロソフト』に買収されそうになってますが、これは、どう決着しました? 

 小学六年生の息子の夏休みも残酷なほど短縮され、子供らはみな不満と不安を募らせて、大人になり始めた感性の大切な部分に致命的な傷をつけられながら尚、ギリギリと引っ張り回されています。

 我々大人もまた、どんどん精神的にもダメになり、行政も、政府が「大丈夫だ、旅行しろ!」と言ったかと思うと、東京都が「ダメです、じしゅくしてください!」と言ったり、右往左往しながら、ただ景気だけががまるでウォータースライダーの様に、面白いほどグルグルと、あちらこちら迷走し落ち続けるさまをただ眺めている有様です。 

ウォータースライダーというと、ハイドロポリスで有名な『としまえん』も、2020年8月をもって、94年の歴史にピリオドを打つことになりました。 

ひゅーすとん、ひゅーすとん、2020すらっしゅ8からの報告は以上です。 


第2章


 今朝、蝉の幼虫を見ました。見た事あります? 蝉の幼虫。抜け殻じゃなくてまだ動いているヤツです。近所のドン・キホーテに焼酎と炭酸水を買いに行く途中、公園のベンチの背凭れをヨチヨチ歩いていたんです。時間は午前9時頃でしょうか。とても可愛かったです。しかし可哀そうですが、こんなに日が高くなってまだ羽化していないようでは、きっともうセミにはなれないでしょう。アリに襲われて終わりでしょう。それでも本人はきっと、羽化ににいい場所を探して、よいしょよいしょと、決して伸びる事のないであろう小さな羽に6年越しの夢を煌めかせて、よいしょ、よいしょ、と……。

 空は高いかなぁ、上手く飛べるかなぁ、可愛い雌ゼミはいるかなぁ、と薄緑色の眼を朝の光にキラキラと輝かせて……。


 コロナウイルスによる経済的打撃も加え、殺人的な猛暑により、世界はいよいよ危機的な状況に追い込まれています。

 今日も暑いねぇ……、と、きっと北半球のあちらこちらで様々な言語で口々に囁かれている言葉だと思われます。しかしその言葉が持つ本当の意味の恐ろしさを理解している人は、まあほとんどいないでしょうね。

 良い事にも悪い事にも、人間はすぐに慣れてしまうんですね。それを理解したとか、解明されたとか、進化したと呼ぶなら、人類はもう終わりです。また土に潜って遠い朝を待つしかないようです。

 現実が思っているよりもずっと外側で、すでに手遅れなほどに、どんどん早く、どんどん悪くなっていく。それは熱中症の症状にも似ているようです。

 まるで自覚のないまま、ある日突然、ばたっと倒れる。

 私の店は、まあ、はい……、お盆休みという事でしょう。まったく暇々です。でもこれもきっと、私が思っているよりもずっと悪いです。窓から入ってくる風に揺れる風鈴の音と蝉の声だけがバカに姦しく耳に響くのがその証拠です。二人は居眠り三昧。暇でやる事がないのだからしょうがないですが、居眠りしないって言ったのに……、私が見ていないとでも思ってるんでしょうか。

ところがこれはネット雑貨店なので、パソコンのスイッチ一つでいつでも見られるんですよ。

 不思議なこの子ら……。

 この二人が知り合ってまだ間がないんだなぁと気づいたのは、実は店番を頼んで暫くしてからの事です。二人の会話を盗み聞きして、その内容から何となく察しが付いたのです。


「ねぇ、君はなんであんなとこにいたの?」

「あぁ、それはお前と同じ理由だと思うよ」

「でも僕は、なんで自分があんな所にいたのか見当もつかないんだ」

「だいたいわかるだろ。眠った覚えもないのに目が覚めて、走った覚えもないのに立ち止まって見ると、ずっと見てきたのにまるで見覚えのないあの場所にいた。違う?」

「違わない」

「つまりそういう事だよ。俺たちは死んだんだ

「え?」

「お前、最後、何覚えてる?」

「ママがすごく泣いてた。でももう何も言う事が出来なくて、君は?」

「手から茶碗が落ちたんだ。でももう、拾えなかった……」

ふ~ん……。


 この店は一見、雑貨屋に見えるでしょう? でもよく見ると食べ物も売ってます。

 サンドイッチに、おにぎり、あとは妻の手作りパンも。

 カレーもあります。カレー弁当。でも夏のカレーは怖いんですね。夏と言えばカレーなんて以前はよく言ってましたけど、アウトドアと言えばカレーでしょ! なんて事は今もよく言ってますど、

 カレーにはウェルシュ菌、という菌が発生しやすいんです。

このウェルシュ菌がとても厄介な菌で、加熱してもなかなか死滅しません。主に肉類に存在するんですが、土中に存在する菌のため根菜にもいる可能性があります。

だから肉類と人参とジャガイモを入れなければある程度発生は抑えられるんですが、でもねぇ……、

肉と人参とジャガイモが入っていないカレーって、なんかねぇ……。

 ウェルシュ菌は酸素を嫌う性質があるので、加熱する際にはよく混ぜる事。空気に触れさせる方がいいんですね。レンジでチン、なんかやっても、ただ温まるだけで全然、ウェルシュ菌はへっちゃらですから。

 そのカレー弁当が、今日も売れ残ってます。これもお盆休みでサラリーマンがいないせいでしょう。店がね、軌道に乗るまではね、いろんな損失は仕方がない。

  コロナのせいで、今年は我が家も帰省を見送りました。

 妻と息子を連れてのロングドライブはとても楽しいです。息子もいとこ達に会うのを本当に楽しみにしていたんですが、本当なら京都にある父親の墓前に花を手向けているはずの今日、私は埼玉県にいて、早朝からパソコンに向かうという変わらぬ朝を過ごす事になりました。

 墓を掃除したよと、兄が写真を送ってくれました。

 そこには子供の頃、今は認知症で寝たきりの母親と手をつないで写っていたのと同じ墓石が写ってました。

 実家の事は、全く兄に任せっきりです。私は何もしていません。

 来年は帰省できるんでしょうかね。そして来年まで、母は生きていてくれるんでしょうか。もう何年も寝たきりの母。最近少し調子が悪いと、これも兄が教えてくれました。了解、とだけ返信しておきました。だって他に何も言う事がないから……。

 私はすっかりネットの中の人です。ネットの中にしか存在しない、バーチャル家族、

バーチャルバカ息子です。

もし、母の記憶が消去されれば、バカ息子としての私も消去されてしまう事でしょう。

 それも仕方がない……。


第3章


「今日の事ははっきりと覚えてるよ。おじいちゃんがラジオを聴きながら泣いてたからね。だから俺が死んだのはそれより後って事になるね」

「僕が生まれるずっと前だね。どうして死んじゃったの?」

「多分餓死だね。戦争は終わってからの方がずっと酷かった。戦争が終わると、大人は急に何も言わなくなって、自分の事しか考えなくなった。だから俺たち子供はたまらないよ。今まで味方だった大人が、ただの体の大きな敵になったんだ」

「8月15日は、終戦記念日って学校で習ったよ。日本がアメリカに負けた日だって」

「アメリカに負けたんじゃない。連合国に負けたんだよ。世界大戦だから、一対一の戦いじゃない。だからどこかの国と約束なんかしたって意味がないんだよ。ソビエトを見ただろ? 結局、戦争はルール無視の殺し合いだよ」

原爆は戦争を終わらせるために仕方がなかったって、学校の先生が言ってた」

「お前はどう思うんだ?新型爆弾」

「原子爆弾の事?」

「そう、落とされた当時は原子力を使った爆弾なんて誰も知らなかったからそう言ってた」

「ちゃんと考えたことはなかったけど、やっぱり、いけないと思う」

「いい子の意見だな。今の子はみんないい子だからね、じゃあ、なにがいけなかったと思うんだ?もし日本が先に新型爆弾を作ってたら間違いなくアメリカに落としてたと思わないか。そしてアメリカ人が何十万人も死んだ。これのどこがいけなかったんだ?」

「……」

「落とす方と、落とされる方、どっちが悪いんだ?」

「両方、悪いです……」

「不正解。両方、悪くない。損をしたから被害者じゃない。得をしたから加害者じゃない」

「今日も、暇かな?」

「絶対暇に決まってるよ、こんなクーラーもないような店、誰も来るはずがない」


 猛暑が続きます。今思えば一泊ぐらいどこかに出掛けてもよかったかなと思いますが、その間、猫はどうすればいい? ペットホテルって、思ってたより高い……。それにうちの猫は超が付くほどの甘えん坊の暴れん坊なので、ペットホテルは可哀そう。

 8月15日。今日は終戦記念日です。韓国では『光復節』という祝日らしいです。日帝の支配から独立を勝ち取った日という意味だそうです。

未だもめてます日韓関係。元徴用工問題に関しては、日本側の立場は、1965年の日韓国交正常化に伴う請求権協定によってすべて解決済みとするもの。

韓国側の主張としては、個人の請求権は請求権協定には含まれないとするもの。

 どちらにしても、共倒れだけは避けたいものです。もうこの問題、解決してますか? どうなりました? 今わかるのは、日本のマスメディアが報道しているほど、日本の立場が圧倒的に優位なわけではないという事ぐらいでしょうかね。日本は韓国よりもお金も軍の装備もたっぷり持っているかのように思っている日本人は結構多いように見えますが、この百年に一度と言ってもいい未曽有の国難であるコロナ禍に於いても、経営困難に陥っている企業や個人事業主に対する補償金や援助金を出し渋っている日本政府にお金があるとは思えません。

 これも、どう着地しました? 日本はもう、滅びましたか?

 急速な経済的復興を戦後の日本のシンボルのように思っている人が、私たちの世代にもたくさんいるようですが、何度倒れても立ち上がるという、そんな反省のない姿が本当にそんなに素敵でしょうか?

 私は細々でもいいから、倒れずに進む方がいいと思うんです。戦後、日本は国の復興を急ぐあまり、様々な問題を棚上げにしてきました。今の日韓関係も或いはそうかもしれません。その他にも、公害問題や、労働環境の問題。気合入れろー! の一言で、たくさんの問題を無理やり押し切ってきたという側面、ありませんか?

 私はいつか店はあの子らに任せて、旅に出たいと思っています。そして、いろんな場所でいろんな人に会って話して、それぞれ様々なニーズに合った商品開発に勤しむ。そうして有用なコンテンツを発信し続けて、できるだけ長く、出来るだけ多くの誰かの役に立ち、役に立った分のその何割かの収入を得て生活費の足しにしたい。小さくて壮大な、私の夢です。

  通りを隔てた向かいの豆腐屋の主人が、葦簀越しにぼんやりと夏空を眺めているのが見えます。 もう、今年で終わりかな……、とでも考えているんでしょうか。ここに引っ越してもう5年になりますが、客がいるのを見た事がありません。前に一度買った事があるんですが、確かに美味い事は美味いんですが、スーパーの三倍近い値段で、こりゃ売れないわ……と、正直そう思ったのを覚えてます。

 でもこれが平和なんじゃないでしょうかね。ご主人もおっしゃってました。 そんなご時世だよ……、って。 別にスーパーを恨んでる風ではなかったですよ。人間も動物も植物も、滅ぶべき時に滅ぶのが一番正しいんです。そしてただ淡々とその現実を受け止める。それを平和というんです。老兵は死なず、ただ消え去るのみ。 豆腐屋も、蝉の幼虫もまた然り。悲劇をすべて悪にしてしまうと、悪の撲滅は同時に善の撲滅になってしまいましょう。

 お互いを毒づいても気分のいい方はありません。それはルーズルーズの関係です。それでも毒づくのは、そうする事に利益があるからで、そう確信した時だけ、人はわざとそうするんだと思うんですね。ただ……、

 蝉が落ち始めると、夏が終わり始める。

 人間には自然の摂理をどうする事もできない。無力です。人間の考えは人間以外には理解されない、人間は人間以外には無力なんです。

 環境破壊も最近は声高に叫ばれています。SDGs(Sustainable Development Goals)これも、人間に対する人間のアクションですね。

 どうなりましたか? 予想しうる最悪の結果は、争いのタネになっただけで、そしていたずらに予算や時間を費やしただけで、結局何の成果もなく立ち消えてしまう事。 2030年までの目標らしいですから、どうですか?持続可能な生活環境は、実現されましたか?

 さて、2020年8月。今日は午後、息子と一緒にバッティングセンターに行く予定です。

 もちろん、マスクをして。


 

第4章


 

 40度に迫る炎天下、庭に水を撒きながら考えている。

 畑を作ろうかと。

 商売人の息子で畑なんかやったことがない私が、手入れの大変さなどまるで知らずに、ただ思い付きでそう考えているだけなんですけどね。庭で夏野菜が収穫できれば素敵だなぁと。それに年を取ってからそんな空間があれば、とてもおじいちゃんっぽいんじゃないかと。


 孫が草履を蹴飛ばしてこの窓から、おじいちゃん! おばあちゃん! と飛び込んでくる。お盆休み、息子が孫の浮き輪を腕に通して、車のキーを掛けて、ほらほら!玄関から入れ! と言う。妻は一年ぶりに見る孫に舞い上がって、汗だくの頭をガシガシ撫でながら、まあ大きくなって! と、おばあちゃんの慣用句を言う。

 私はどこかまだよそよそしい息子の嫁に、畑から無言で手を上げる。嫁は初めてうちに来た時と同じような堅苦しい頭の下げ方をする。

 お疲れさん、暑かったでしょ? と訊くと、いえ、道が空いてたんでそれほどでも、と嫁は少しズレた返答をした。

 その日の夜、私は自分の手料理で息子家族をもてなした。 庭でとれたナスやキュウリやゴーヤ、トマトやピーマンを使って作った、煮びたしやら、チンジャオロース、ゴーヤチャンプルやら、鶏肉のトマトソース煮やらを、子供の頃と同じ、無感動に食べながらテレビでライオンズ戦を見ていた息子が、明日は千葉の海に行く予定だと言った。

 私の両親が死んで、すっかり足が遠退いた京都府。もう故郷ではない、そんな気がしている。息子が子供の頃は、毎年夏になると若狭の海に海水浴に出掛けたもんだった。 遠浅の白浜は、ほど近い場所にヒラメやコチの稚魚がたくさんいて、小さなフグの群れがいて、岩場の潮だまりには、フナ虫やイソギンチャクやカニがたくさんいた。

 いつだったか息子がエイの子供を捕まえてきたことがあった。

 危ない! その魚は毒があるから! 私がそう言って息子から網を取り上げてそっと取り出したそのエイの子供は、すでに死んでいた。

 コロナウイルスの問題があって帰省を断念したあの年から、だんだん故郷から遠退いて行ったように思える。息子も中学生になってからは部活や学校活動忙しくなり、だんだん親と行動を共にになくなっていった。まあ健全な成長だろう。

 息子家族が帰る日、私は庭でとれたトマトやナスやピーマンを大量に渡した。 いらねぇよ、と、息子は案の定そういったが、私は譲らなかった。

「持ってけよ! これが最後の収穫になるんだから」

「え?畑、どうすんの? やめちゃうの?」

「もう、ここは引き払ってさ、引っ越すんだよ。もっと小さなマンションに」

「え? じゃあこの家どうすんの?」

「お前、住むか?」

「無理に決まってんじゃん」

 はははは……、と息子家族は大量の夏野菜を車に積んで、左ウインカーと共に帰っていった。

後ろ向きに手を振る孫が、次の右ウインカーと共に見えなくなった。


  そう、やるなら今しかない。

 来年中学生になる息子に、いろいろ買ってやらなければ。自転車もそうだし、野球のグローブも。最近すっかり背が伸びで、靴のサイズなんかは私を凌駕し始めている。とにかく、いろいろ金がかかる。

 店をのぞいてみると、あの子ら、相変わらず暇そうにしている。ネットショップだからね。24時間対応ですから、どうなってるのか、あの子らはずっと昼でいる。ネットの世界に昼夜はないのかもしれない。

「おはよう。暑いね。なんか売れた?」

「あ、おはようございます。いえ、何も売れないけど……」

「売れないけど?何?」

「お客さんが来ました。女性の。店長いますかって」

「女性? 誰だろう」

 その女性はそれだけ訊くと、また来ますからと言って何も買わずに帰ったらしい。なんか買ってほしかったなぁ……。


第5章


 トラックを運転していて突然、ヒマワリ畑に出くわしたんです。とても暑い日で、きっと頭も少しボーっとしていたのでしょう。急に目の前に飛び込んできたのでびっくりしましたよ。

 大地を黄色く染めるヒマワリ。

  それはあまりに立派だったので、誰がなんのために、こんなにたくさんのヒマワリを植えてたんだろうって、普段は思わないような事がとても不思議に思えました。 

 畑というからには何かを収穫してるんでしょうね。

 種ですかね。あのメジャーリーガーがよくベンチで食べている、あれ。 

 どう思います? あれ。見てて、うわ汚ねぇ! って思いません? 殻をペッペペッペ吐いてさ。私は野球もメジャーリーグも大好きですがあれだけは嫌いですね、不衛生です。コロナが猛威を振る今だからこそ、だけではなくて、下品です。ああいうお行儀の悪さをワイルドとか、細かい事は気にしない豪放磊落な男みたいに思ってるのだとしたら呆れてしまいます。何も考えずにやっているんだとしたらそれは文化の違いなので、アメリカでやってる分には何も言いません。 

 ところで、このヒマワリ畑にはある特徴があったんです。その特徴のせいで、私は平衡感覚を失いかけたんです。大地がうねって見えたんです。交通量の多い国道沿いにああいう畑は危険ですね。

 みると、ヒマワリは色分けされているのです。黄色いヒマワリと、少しオレンジ掛かったヒマワリが、濃淡の曲線を描いています。私はすぐにピンときました。 

 これは上空から見たら絵になっているに違いない。 

 よくあるじゃないですか、田圃に二種類の苗を植えて、収穫時になると見事な阪神タイガースのマークになっていたりする。あれをヒマワリでやっているに違いない。 

 いったいどこから、誰が見るんだろう。 周りを見たところ、高い山も建物もない。

 あ、今はドローンがあるのか……。 


 店には今日は誰も来ていないらしい。開店休業とは正にこのことだね。うちの場合、コロナのせいじゃないからね。そんなすぐにお客が押し寄せるなんて初めから思っていないけど、誰か、せめて一日一人ぐらいは来てほしいなぁ……。 

 居眠りばかりしていると思っていたけど、あの二人は結構こまめに掃除はしてくれているようです。金魚の水も綺麗だし、Tシャツの棚もよく整理されている。 

あ、客が来ないんだから棚が乱れるわけないか……。 

 レイアウトを変えてみるかな。レトロな扇風機を置いてみたけど、邪魔に大きい気もする。 

『ひざ通商。』 

一番新作は、ロック名言シリーズ。第一弾はジョンレノンが射殺された時、ジョニーロットンが言ったとされる名言。 

『世の中何にも変わんねーよ!』 

 ジョニーロットンはなぜそんなにべもない事を言ったんでしょうね。人が一人死んだ、それだけの事だよ、ジョンの命が特別価値があるわけじゃない。そういう事を言いたかったのでしょうか。それとも、ジョンの命の価値は、ミュージシャンとしての価値じゃねーよ!と、言いたかったのでしょうか。それともただ、世の中の風潮に反抗したかっただけなのでしょうか。

 そんな事を考えさせられる言葉、ジョニーロットン。

『世の中何にも変わんねーよ!』

 しかし新作と言っても、全然売れなきゃ旧作と何の違いもないな。取り上げるネタをもっと時世に即したモノにすればいいのかな。 

『アベノマスク』とか『自粛警察』とかね。 

 でもそれやっちゃうと一気に文章が年を取るんだよね。2020年8月の事を具体的に今の事として書いたら、その時で読む人の目線が固定されちゃうからね。飽くまで2020年8月の方を見ているだけ、みたいな書き方にしないと。 

 あ、店長、こないだの人。 

 昔の子の声がしました。 

 みると中を覗くようにして、とても綺麗な人が立っていました。 


第6章


 私は必死に思い出そうとしました。 

だれだっけ? 

 昔からそうなんです。私は人の顔と名前を覚えるのがものすごく苦手なんですね。でもこんな若い人なら、知り合ったとしてもそんな昔ではないはずです。 おそらく何かのライヴイベントか……。 でも埼玉に引っ越してからはすっかりイベントからも足が遠退いてしまって……、ああいう場所ってまた薄暗いから余計に、顔と名前が全然覚えられないんだよなぁ。

 店長さんですか? 

 その人は私に言いました。 

 えぇ、まあ、そうです。 

 

  初めてお会いします。 

  その人はそう言いました。 

 あぁ、初めまして。いらっしゃいませ。 

 正直少しホッとしましたね。実はドライバーを始めてから記憶力が極端に衰えたような気がしていたのです。人の名前や顔以外にも、得意先の名前や、昨日の晩御飯、酷い時には自分の携帯番号も。ドライバーは1日7時間から、長い日は10時間ぐらい運転しなければならなくて、その間はずっと秒刻みで、次々と飛び込んでくる種々雑多な情報をどんどん処理し続けなければならないんですね。その結果、脳はある種のトランス状態になるのです。 

 トランス状態。 

 思考が意識から離れて、自分が自動操縦になった様な状態の事です。 

 そしてそういう状態が続くと、簡単な言葉や名前が出てこなくなるんです。なんていうか、認識と言語が遠ざかるというか、逆に感覚と行動が直結するというか。

 この間は息子の名前が出てこなくて、これはヤバいなぁ……、と思ったところだったので。

 酷暑の中、汗一つかかずに涼しい顔でいるその綺麗な人はあまり興味なさそうに、でもくまなく店内を見まわしていました。 まるで自分の落とし物を探しているようです。

「こういうシャツの絵は全部、店長が描いたのですか?」 

「そうですね。でも実は私、絵があまり得意じゃないんですよ、だからネットから引っ張ってきて、それをコラージュしてるだけなんです」 

 へぇ、とその人はやはり興味無げに、次にお弁当を眺めて、 

 これも、店長が作るんですか? と訊きました。 

えぇ、これは以前、調理師をやってたもので、美味しいですよ。お1ついかがですか?   

 そうですか、調理師もやられていたんですか。 

そう言ってその人は尚、店内を細かく物色しているようでした。 

 鏡がないんですね。その人は言いました。 

 あ、本当だ! 鏡がない! 今気づいた。Tシャツを売ってるくせに鏡がない!

  私は、どんな顔をしてますか? その人は言いました。

 え?

 私は、男ですか? 女ですか? 

 その人はそう言ったのです。 びっくりして、そしてその時初めて、私はその人の綺麗な顔をまともに見たんです。 

 しみ込んでくるような美しさです。確かに、端正に整った顔はあらゆる男女の美しい特徴をすべて備えているように思われました。大き過ぎない目と小さ過ぎない鼻、頬も雫が同時に頬を滑り落ちたように自然で滑らかな曲線を頤に結んで、唇は開く直前の蕾の様に柔らかく噤み、少し茶色みを帯びた豊かな髪の毛は首筋のあたりでブドウの房のようにふんわりと留まっています。 

 私は、男ですか? 女ですか?

 とても微妙な質問です。間違うのはとても失礼になります。さあ、どっちだ? 

 私は真剣に悩まざるを得ませんでした。或いは、この人はその中性的で美しい見た目を悪用して、どこに行ってもそう言って相手を困らせているのでしょうか。そうやって楽しんでいるんでしょうか。 

 いや、違う。この人が美しいのは、きっと私だけだ。この人の男女の見分けがつかないのもきっと私だけだ、そして……、

 私はこの人を知っている、見た事がある。

 身長は私ほどあるでしょうか、もう少し低いでしょうか、 私は、だと見ました。 

 男であって欲しい。私はなぜかそう思ったのです。

 男であったなら、私は嬉しい。 

  それはこの時、この人の面影の中に、忘れていたある記憶がよみがえったからです。

 もし男であったなら、私は彼に、なんという名前を付けたのだろう。私は今彼を、なんと呼べばいいのだろう。

  あの時、あの女の子が出ていくのを見送った時、

 私はひょっとして君も一緒に見送っていたのかもしれないのだから……。


第7章

 まあ人生なんて天皇家にでも生まれない限りは放ったらかしの伸び放題のバッサバサで、余計なところから余計なモノが生えてきたり、突然切れちゃったりして……、 

 まあ雑草とたいして変わらないです。 

 酔ってます。酔ってくだを巻いてます。少し嫌な事があったモノで。私はいつもそうやって嫌な事は基本、胡麻化してやり過ごします。それしか知らないのです。

 でも妻は違う。妻は私とは違って自分の決めた目標や意志にしっかりと従うタイプなんです。 

なかなかに頑固な人ですが、でもそれは裏返せばとても従順な人という事で、なんでもよく考えて、真面目な目標を立てて、それを目指してひたむきに努力する。諦めるのが嫌いだから、もともと変な目標も立てないし、荒唐無稽な野望も抱かない。妻の人生はきっと、持って生まれた人生の一番太い幹を着実に登っていると思う。どんな形であれ、私は妻が幸せになる事を望んでいます。それを一番に望みます。妻は本当にちゃんとした女性です。私は昔から、ちゃんとした女性が好きなんです。

 一方、何も考えず無計画にフラフラと生きてきた私は、生まれた時に親に貰った人生の、一番太い幹からは遠く離れた小枝の先の枝っ葉の、風に靡いてヒラヒラしている少し縮れた先っちょの部分に辛うじて捕まっているのでしょうね。もし妻という大樹に出会わなければ、こんな貧弱な蔓草はきっと、野鳥にちぎられて巣の底の方で糞に塗れて朽ち果てていた事でしょう。 

 まあしょうがない。人生、後悔なんてしてもしょうがないんですが、或いはあの時、ああなっていれば、こうなっていたかも知れない、なんて事を、戯れに考えたりする事はなくもないですよね。 


  ひどく行儀の悪い女の子が二人いたんです。 

 真夏のコンビニで、ガラスケースの扉を開けっぱなしにして、う~んどうしよう。どれにしよう、なんて言いながら、同じチューハイを選んだり戻したりしてるんです。 

 どうでもいいからさっさと決めろや! 

 私がやや強引にその女の子二人の間に割って入り、手を突っ込んでお目当てのモルツの500缶を2本、取ったんですが……、 

 そのとき一人の女の子の、あれですよ……、おっぱいにね、肘がちょっと触れたような気がしたんですね。もちろんわざとではありませんよ、ありませんけど。 

 女の子の方も、あ、って感じで、少し身をかわしたんで、私も思わず、あ、すんません、って言ってしまったんです。 

 そこでもっと気まずい感じになってくれればよかったんですが、 

 突然笑い出したんですね。女の子、二人して。 

 あ~、おっぱい触られてやんの! なんて。そうしたらもう一人の子は顔を真っ赤にして、全然触られてないよ! なんて言い出してもう、私としては最悪の展開です。 

 で結局、三人で近所の神社でウダウダと飲み始めてしまったんです。夜の神社でする怖い話は面白かったなぁ……。 

 しかし真夏の夜の神社は蚊がすごくて、おまけに三人とも酒を飲んでたからもう刺されまくりで。 

 とにかく、ムヒ付けよう。ムヒ! 

 と、三人で私の部屋に避難したんです。当時、私の狭い部屋にはギターやベースが7本も立ち並んでいて、CDも800枚ぐらいありましたかね。CDも800枚並ぶとそこそこな壁ですよ。 

 すごーい! なんて言われて。 

 この若い女の子の、すごーい!は、実際は凄くない奴の自尊心をどれほど心地よく刺激するか知ってますか? そりゃもう、すごいんです。

 で、結局明け方近くまで、音楽聞いたり、酒買い出しに行ったりして過ごしました。その時、まだ私は二人の名前も知らなかったんです。 

 まあ、この流れからだとお察しの通り、私はそのうちの一人と付き合い始めたんですね。それは、おっぱい触ってない方の子です。こんな安っぽい偶然が、バカな出会いが、ともすると一生の腐れ縁になる危険性を伴っているとは、全く考えもせずにね……。 


第8章

  全く、毎日暑いですね。でももうすぐ、夏は終わります。 

 それはトラックを運転していても、例えばいつの間にかどっさりと咲いた百日紅が、殺風景だった道の両脇にゆらゆらとその重そうな英を揺すっているのを見ると、 

 百日紅ってこんなにいろんな色があるんだなぁ……、なんて思ったりする事からもわかります。   

 それは夏が終わる事を告げるメッセージをさりげなく告げてくれているのでしょうが、私はただ花の色が変わったとしか気付かないんです。メッセージにはいつもその続きがあるようです。

 やがてセミも、少しずつ赤トンボへと変わる。そうやって夏から秋へ、あらゆるモノが、死なずに変化を以て呼応する、本当はそうに違いない。 

 そして赤トンボはだんだんカマキリに化ける。カマキリはだんだんコオロギに化ける。そしてコオロギはだんだん……。 

 ゴキブリに化けて、人間と共に冬を越しましたとさ。 

 めでたし、めでたし。 

 本当にそれでよかったのに。そうやっていろんな生き物は変化ながら生き続ける、そんな仕組みでも全然良かったのにね。 

 でも神様はそんな方法は選ばなかったみたいです。 

なぜならばそこには……、 

 性がないから。 

 『三大欲』なんて括られますが、私は性欲が一番神聖だと思っています。あとの二つはただ個体が生き残るため。性欲は『種の存続のため』。全然、格が違います。 

 私は子供の頃から虫が大好きでした。昆虫図鑑を眺めては、実際に捕まえた虫と見比べたりして遊んでいました。それは成虫だけではなく、その卵も、幼虫も、蛹も。そのあまりにも他の生き物とは違い過ぎる成長過程に、私はあらゆる可能性を照らし合わせて、ワクワクしながら観察したものです。 

 そして何種類も飼いました。それはカブトムシ、クワガタなどのスタンダードな昆虫に限らず、蝶々、蛾、バッタ、蜘蛛、ダンゴムシ、アリ、ハエ、なども飼いました。 

 その交尾の様子も、カブトムシのオスとメスが土の中で秘かにお尻をつなげてたり、イトトンボが二匹繋がってハートの形になっていたり、蝶々が葉っぱの後ろでそっとお尻を合わせてたりするのを不思議な気持ちで見ていました。 

 それは普段のクールで知的な虫の様子からはかけ離れて、あまりにも無防備でみっともない姿に見えました。これは虫の姿じゃないな、と薄々感づいていたのかもしれません。 

 そしてそんな姿をみつけると、私は必ず虐殺しました。 

 嫌だったのです。虫はもっとクールで、素敵でいて欲しい。私はセミの羽根を毟ったり、バッタの足を毟ったりして。それをそのまま池に放り込んで鯉に食べさせたり、蜘蛛の巣に投げたり、無理やりカマキリに喰わせたりしました。それはきっと愛情を遥かに超えたある力のせいで無意識にそんな事をするんだと。

 いえ決して自分の蛮行のいい訳を言うのではなくて、本当にそう思うんです。子供の残虐性を説明するにはこの力を説明するしかない様なのです。そしてその力の事を、『愛着』というのだと思うんです。愛着は愛情よりもはるかに強く、純粋であるがゆえに、どんな欲望や感情よりも優先されるんです。いったい自分の感情のどこにリンクしているのかわからないこの愛着というモノには、制御しようもない乱暴で傍若無人な性質が入っているんだなぁと、つくづく思うんです。 


 私とその女の子はそのうち半同棲のような生活になりました。私は少し年下のその女の子の声も顔も可愛いと思いましたし、話をしていても楽しかった。もしあの頃のいい加減な判断でよかったら、結婚するなら結婚してもよかったかもしれません。しかしその頃の私は音楽狂いで自分の時間は絶対に誰にも譲りたくなかったんです。 

 テレビに出ているミュージシャンで自分に適うヤツなんてまるで見当たりませんでした。ただ自分にはとにかく運がない、きっと前世で一万人ぐらい殺しているに違いない。だから周りに合わせてジッとしていたらろくな事が起きない。周りに流されたらダメになる。だから出来るだけ自分の意志で動かなければ、動いて少しでもこの、生まれた時からまとわりついている疫病神を振り払わないといけない。 

 今思うとそんな歪な焦りのようなモノがあった気がします。私は常に急き立てられていたのです。どんな楽しい時も、どんな嬉しい時も、『今はな……』という不気味な囁きが聞こえて自然体ではいられない。身構えてしまうんですね。身の回りのすべての事に。女の子も暫くはそんなわがままな夢を追いかけている、少し年上の男の事を素敵に思ってくれていたのかもしれません。いろいろ甲斐甲斐しく身の回りのことなどをやってくれたんです。 

 しかしそのうち、私の気持ちが自分が望むほど強くないのに気付いたのか、女の子は妙なわがままを言いだす様になりました。ディズニーランドに連れていけ、一緒に水着を選べ、フレンチの店に連れていけ、犬を飼え、車を買え、左でギターを引いてくれ、など。

 しかしそれが全てダメだとわかると、今度は妙な行動に出るようになりました。私のモノを勝手に捨て、代わりに自分の生活物資を私の部屋に持ってきて、自分の洗濯物を私の部屋のベランダに干す様になりました。しかしそれでもダメだとわかると、今度は明らかに二股を掛け始めたんです。

 それは女の子が完全に私に愛想を尽かし切るまでのほんの暫くの間、おそらく2~3週間のことだったと思います。 

 女の子は私の部屋にいながら私の目の前で誰かに電話を掛けて、うん、今から遊ぼうよ。いいよ、そっち行くよ、なんて夜中に出掛けて行きました。そしてそんな日は大概、翌日まで帰ってきませんでした。 

 しかし私はむしろ、そんな夜は歓迎でした。女の子が出ていくと、私は誰にも邪魔されずに心置きなく音楽に取り組むことが出来たからです。残酷な話ですが、私は女の子が二股を始めた後の方が、ずっと一緒に過ごしやすくなったんです。

  やがて女の子は自分の荷物を置き去りにして帰ってこなくなりました。それきりです。 

 それから一年ぐらい経って、私は偶然あの、おっぱいを触った方の女の子に、あの同じコンビニで出会ったんです。 

 あぁ、久しぶり、と挨拶を交わしてそのまま立ち去ろうとしたんですが、 

  知ってます? と、女の子が言うんです。 

  私は当然、知らない、と答えました。

 あの女の子は妊娠したそうです。そして大学もやめて、郷里に帰ったと。 

 子供は? と訊くと、堕ろした、という事でした。 

 私は何も感じなかったんです。女の子にも、女の子が堕ろしたという子供にも。きっと淡々とそう言う風に事が運んだんだろうなと。産声を上げられなかった子供も、あくびを飲み込むようにまた、彼女の中に消えたんだろうと、そんな風に思っていたに違いありません。

 それからしばらく、私は何事もなく過ごしていたのですが、ある日、ふとしたきっかけから、私は自分がある言葉を言えなくなっていることに気が付いたのです。その言葉を言おうとすると首の辺りに強烈な緊張が走り、そのまま首をもがれてしまう様な錯覚に陥るのです。殺した虫達の無表情な顔が浮かびました。羽根や足を毟ると、虫達は途端に不格好になり、無力になり、ヨチヨチヨタヨタと、あてもなく、とにかくそこからいなくなろうと這いまわるのです。私がそれを掴んで池に投げ込むと、黒い水底から紅白の模様がゆらゆらと浮かび上がり、のっぺりとしたやはり無表情な顔が一気にガバッと飲み込む。それが全てです。そこに言葉などありません。それは信頼のような、協調のような……、いいえ、その両方とも全然違います。

 私が言えなくなったその言葉は『好き』

 私は彼女の事が好きだったのでしょうか。彼女は私の事が好きだったのでしょうか。それはわかりません。それを考える事にあまり意味がありません。じゃあ、

 私が彼女を捨てたのでしょうか。彼女が私を捨てたのでしょうか。それも分かりません。

それを考えるのも、あまり価値を感じません。 ただ……、

 あの時以来、私と彼女には等しく、強烈な力が働いている事だけは確かなのです。それは『三大欲』など必要ともしません。あらゆる感情も命の尊厳も無意味です。そしてただ、私と彼女を等しく結びつけようとする、純粋無垢な狂気。これこそが『愛着』だと思うのです。

 私は、男ですか? 女ですか? 

 その問いかけは、私を遠い夏の日に引き戻したんです。 


第9章

 今日の空は本当に素敵でしたよ。茨城県水戸市を走っていたんですが見た事もない。まるで天地創造、ミケランジェロが描いた天蓋のような、360度パノラマの、ツルツルに磨き上げられた天球のてっぺんが恐ろしく高く晴れ上がっているところに、ちょうどお茶の水博士でいうところの鉢周りに沿って、白い雲が幾重にも連なってモクモクと沸いているんです。うわぁ、地球だぁ! なんて思わず叫びましたよ。 

 しかしその直後、ものすごいスコールに襲われたんです。もうね、ワイパーなんて有って無きモノ。一瞬にして前が何も見えなくなりました。そしていくら前を見ようと思っても、フロントグラスには無数のペイズリー柄の大小が次々と、あっちこっちに出来ては消える。もうね目のピントなんかどこにも合いませんよ。やがて雨のトンネルを抜けると、そこはもう東京都だったんです。ほんの数十秒ほどに思われた時間が数時間も経過していたんです。何だかキツネに摘ままれたような気がしました。   

 昨日パソコンにメールがついたんです。 

 いえ、メールなんか毎日何通もつくんですが、大概は、『お得なクーポン使いませんか?』 とか 『夏ですよ、旅行に行かないんですか?』 とか、『鍬とザルは、調べただけ? まだ買わないんですか? 庭を畑にするんじゃなかったんですか?』 というどうでもいいモノばかりで、見ずに削除するんですが……、 

 でもこのメールにはちゃんと差出人の名前があったんですね。全然ピンとこなくても名前があると、誰だろう? とつい思い返してしまいます。 

『お久しぶりっす、吉岡です』 

 吉岡と言われて思い出せるのは、小学生の頃から数えてもせいぜい5~6人、お久しぶりと言うならば皆お久しぶりな人ばかりですが、このテンションから推察するに、きっとあの吉岡だと思い当たる吉岡が一人いました。 

 吉岡には変な癖、というか一種の病気がありました。それは、モノを噛まずに食べてそのまま吐く、というモノです。 

 一緒に食事に行っても、吉岡はとても早食いで、ラーメンなど、モノの一分ほどで完食してしまうんです。そして店を出たらすぐ、その店の陰ですべて吐く。非常識千万で、店にしてみても大迷惑な話なんですが、吉岡はそれをある種の冗談か、或いは得技のように思っている様子でした。 実際これを家族の前でやるとめちゃめちゃウケたんだそうです。

  私には家族も含めて全員病気のように思えますが、その家族にとっては普通の事だったのかもしれませんね。

 そんな病気のせいか、彼は私よりもはるかに身長が高いのに、足は私の腕ほどの太さしかなく、吐いた後は決まって、その棒の様な体をマリオネットの様に力なくゆらゆらと動かしながら、

  すごくねぇ? なんて言って、にやにやと笑うんです。 正直、不気味でした。

 私がなぜこんな吉岡みたいな変なヤツと一緒にいたかというと、それは吉岡がベースで私がギターだったからです。吉岡の弾くベースはデタラメ寸前で危なっかしいのですが、私にはとても魅力的に聞こえたんです。だから一緒にバンドをやりたいのは私の方でした。でも吉岡は音楽にまるで執着がなく、すぐに他の事に気が向いてしまうんです。それは熱しやすく冷めやすいではなく、冷めるまでも待っていられないんです

 特に女性に関してはそう。浮気とか二股なんて概念は、彼の中には存在しないのでしょう。そしてそうなったらもう、吉岡はスタジオには来ません。 

 結局、吉岡と私は一緒にステージに立つ事はありませんでした。そしてある日、俺はジャグラーになる、と言って行方をくらまして以来、かれこれ十何年、全く音信が途絶えていたんです。 

 吉岡には子供がいるという噂もありました、それは高校生の時に同級生を妊娠させて産ませた子供で、吉岡はその女の子の家族の追跡から逃れるために、場所や名前を転々と変えているという噂でした。

 私は一度、その事について吉岡に直接訊いてみたことがあるんですが、吉岡は珍しく真顔になり、そしてはっきり、嘘だ、と言いました。だから質問者の責任として、私はそれは本当の事だと信じてきたのです。 

  メール、迷ったんですが開けてみました。すると。 

 永代供養の御ご相談なら……、という文言と共に、あれ、あれ、という間に何枚も写真がダウンロードされて、『ご契約成立まであと10秒。解除にはコチラをクリック!』というカウントダウンまで開始されました。 

 スパムメールでした……。 

 慌てずに削除しました。そんなのはエロサイトで何度も経験済みでしたからね。 

 しかしね、『墓』という普通の人があまり買わないモノをモチーフに契約成立を迫り、慌てて解除を押したら別の契約が成立してしまうなんていう、誰が考えたんでしょうね、こんな狡い商売を。 

 いや待てよ。案外、本当に吉岡かもしれない。 

 ジャグラーを諦めてまたフラフラとどこかの町を彷徨っていて、たまたまこの詐欺商法に出会い、さて誰にメールを送るかと考えた時、吉岡の頭にふと私の顔が浮かんだのかも。 

 アイツならボケっとしているから、ひっかかるだろう、そう思ってメールをくれたのかもしれません。 

 そうではないと言い切る事は出来ないし、それはきっと永遠にわからない事でしょう。しかし実際に私はこのメールで吉岡の事や、子供の事、相手の女の子とその家族の事、一緒に行った定食屋の事まで思い出したのだから、この人達が今どこで何をして暮らしていようとも、そこは私にとってパラレルワールドに違いなく、私もきっと吉岡を通じでそっちの世界に行き来できるに違いないんです。そこで私はいったい、何を言って何をやるのでしょう。 

 吉岡の子供は、男の子だったのか、女の子だったのか。 


 私は男ですか?女ですか? 

  女でしょう。私はそう言いました。

  私には息子がいますから、もう一人は娘が欲しかったんです。 

  二人はじっと座っています。知らんぷりをしてますが絶対に聞いていると思います。 

  その綺麗な人は、一瞬笑ったような顔をしました。そして 

 知らないんですか? 今は性別を特定する事はナンセンスなんですよ。私だけじゃない、世の中には自分の性別がわからない人がたくさんいる。それなのに、男か女かという理由で、結婚出来たり出来なかったり、財産が持てたり持てなかったりする、そんな世の中の仕組みそのものを変える必要があるんですよ。 私がこの質問をすると、大概の人は、やれ男だ。いや女だ。全然わからない、なんて面白がって答えるんです。何が面白いんです?みんな知ってる当たり前の事を知らない奴がいる、みんな持ってる当たり前のモノを持ってない奴がいる、そんな差別意識で自分を優位に感じているのですか? 自分の性を知らないのはあなたたちの方だ。

 根拠もなくただ与えられた性を疑いもせず、女から見た男、男から見た女、女から見た女、男から見た男。すべてデタラメです。単なる思い込みです。そうじゃないというならば、男でも女でもない私は存在しないという事でしょうか?存在してはいけなかったんでしょうか? この質問はいつも正しく理解されません。この質問がどれぐらい重い意味を含んでいるか、男にも女にも、ただの一度も理解されたことはないんです。 

 いや、質問されたらそりゃ、誰だってなんか答えようとしますよ。それにね……。 

 私にだって言い分はあります。 

 私はどうしたって性差はなくならないと思うんですよ。いろいろ問題がある事は私だって知ってます。でもそれは性差が悪いんじゃない。男女の権利の問題だと思うんです。男女だって多様性の一つです。真っ平らの平等なんてもともとあるわけがないし、そんな平等は想像する事すら出来ないんです。だからたとえ、男と女の間に様々な人達がいたとしても、男女という構造の多様性に過ぎず、それがどんなに複雑になったところで、それは三角形が四角形、五角形となっていくだけで永遠に丸にはならないのと一緒です。差はあって然り、その差を出来るだけ明確にして、すべての間にウィンウィンの関係を築くのが大切だと思うんです。そのためにはまず対立の構造から失くしていかないといけない。それは男女の問題だけじゃなくていろんな問題の中で……。 

 うるさい! 

 その人は最後はもう叫ぶようにそう言いました。 

 どっちだって訊いているんだ! 私は男か? 女か?

 女だ!君は女だ! 私もそう叫びました。

 しばらく、シンとしました。蝉の声ばかりが、シャーシャー耳の奥の奥で聞こえていました。

 そうですか……、じゃあ私は、娘ですね。よかった、それを聞いて安心しました。

そういうとその人は、そっと店を出ていきました。

 変なヤツ……。

昔の子が言いました。

 僕、あの人知ってます。 

今の子が言いました。 

 え? 誰? 

 ずいぶん痩せてて気付かなかったんですけど、最近までテレビに出てたお姉タレントです。恋人の連れ子に対する暴力が原因で引退したんです。 その子が自分の事をオジサンって呼んだのに腹が立ってやったと、言ってました。

 子供に対する暴力。小さな力のない子供、希望を胸にすべての可能性に期待して明るく生きていこうとする子供。それが虐待されて殺される。虐待はなぜ起きるのだろう。子供の期待はなぜ裏切られるのだろう。

 私は、男ですか?女ですか? 

 どっちでもいいよ。ただ幸せでいてくれたら、それが一番良い。

 私は、男ですか?女ですか?

 君、君は本当にそれを訊きに来たんじゃないのかい? 君はあの時、あの女の子が堕ろした私の子だろ? このブログを通じてパラレルワールドから父親である私に会いに来てくれたんじゃないのかい? 

 私は、男ですか?女ですか?

 もしそうなら大歓迎だ。また来年もぜひ来てほしい。夏雲の中から、パッと晴れ間が見えたらぜひ、もう一度ここを覗いてみてほしい。 私はヒマワリで、『おかえり!』と空からも見えるように大きく描くよ。そして酒でも飲みながらいろいろな話をしよう。君の質問にはすべて答えるよ。私にはきっと、その義務がある。 

  店長、とのま、最近、元気ない気がするんですけど……。 

 昔の子が言いました。 

 蝉の声を聴くように窓辺にじっと香箱座りをして動かない、私の愛猫『とのま』。 

 この頃から、とのまは急に元気がなくなり始めたんです。 


第10章

 野球の試合に向かう息子の背中に向かって、私は後ろからそっとヒット祈願の柏手を打つ。でもその柏手の本当の意味はヒット祈願ではなく、とにかくなんであれ、無事に家に帰って来る事を願う柏手なんです。 当然ですよね、家族の健康以上に大切なモノは、この宇宙には存在しないんだからね。 

 まあ、そんなこと言っててもなに、あと百年もすればどんな大切な家族もバラバラになって、濃厚な愛情や思い出も希釈されて、土だの風だの光だの、まあこれでもかというほど細かく分解されて、まだ誰も見た事がない景色の中に、そこを吹く風の音の中に、そしてそこを初めて訪れた人の心の中に、『今』としてふわりと香ってみたりするんでしょうけどね。それが私にとって果たして、本意だか不本意だか……。 

 そして今、私が感じているこの、まったりとした夏の昼下がりの感覚もきっと、かつて誰かがその体の中で燻蒸した濃厚な感覚が程好く希釈されたモノの一部に違いありません。それが今、目の前の電柱で猛り狂うオスミンミンゼミの腹の共鳴板とか、路上販売のスイカの中に隠された濃い甘味とか、江戸風鈴のややヒステリックな響きとか、向かいの豆腐屋の葦簀にジッと止まったまま鳴かないメスのアブラゼミの乾いた卵管とか、入道雲の中に潜む遠雷の予感とか、巣鴨駅前商店街の涼感ミストのカルキの臭いとか、江古田らーめん太陽のファンから吹き出す煮干し風味の温い風とか、ときわ幼稚園のバスの中に並ぶ小さな麦わら帽子と顎のゴムひもとか、坊主頭で立ち漕ぎをする男子生徒の、『向原中学校』と書かれた、テカテカと光る黒いエナメルのスポーツバッグとか、台車に高々とシッパーを積み重ねて用心深く歩道を押す生協のドライバーの半袖シャツの汗染みにまで、満遍なく共鳴するからこそようやく、夏は特に一人一人が何もしなくても夏ならしくなるのですよ。ほら、全くその通り。 

  みなさんもこの夏はきっと、痛いほど感じてらっしゃるのでは? 

 今年の夏は、夏らしくなかった、と。

 人間は6根(眼耳鼻舌身意)で物事を理解しますが、実際には6根だけではなかなか物事を理解する事は難しいようなんですね。すべてを把握できるようには、もともと出来ていないのかも知れないですね。だからこそのこれは『夏の見える化大作戦』なんです。 

ガソリンに色を付けるのも、ガスに匂いを付けるのも同じ、『見える化』です。ガスの場合は『嗅げる化』でしょうか。そうやってようやく人間は夏を夏と感知することが出来るんですね。 

 もし、あなたが三年寝太郎で、三年ぶりに目覚めたとして、その季節を起きてすぐに言い当てることが出来ましょうか? 

 妙に蒸し暑いけど金木犀が香るから秋だろう、とか、やけに冷えるけど、隣の中華屋が『菜の花チャーハン始めました』って看板出してるから春先だろう、となるでしょうね。つまりそれも見える化して判断しているんです。 

 その大切な夏の見える化の一つが今、危機を迎えています。 

 試合数が120試合と大幅に減ったうえ、観客制限でチケットも取れず、ライオンズの戦績も低迷する中、我が家のプロ野球への関心が分刻み、秒刻みに遠退いていくのを私はもう、どうしようもない気持ちでただ見ているのです。本当なら今頃は、交流戦も終えていよいよ夏の陣、エンジン全開モードだったのに、たったの60試合で、もうBクラス決定の雰囲気。ライオンズはね、先行逃げ切りタイプなんです。だから今Bクラスだと、これからエンジンを全開にしても、調子が上がる頃にはシーズンが終わってしまう事になるんです。つまり夏が来ると同時に冬が来る、シーズンが終わるという事です。ライオンズにとってこれはもう、地球の公転速度が変わるほどの激変なんですよ! 

 それに球場に行けない多くのファンは、テレビでの放送がなければ、試合を見られないんです。有料チャンネルを契約している人は別ですよ、これは格差社会の問題です。

 個人的にはテレ玉にもっと頑張って欲しいですね。あれだけ球場でグッズを売ってるテレビ局も他にはないんですから。 

 テレ玉とNACK5は埼玉県民のための局であって、埼玉県民が喜ぶ放送を第一に心がけてもらいたい。 

 埼玉県民が喜ぶ放送と言えば一も二もなく。 

 ライオンズ戦でしょう!! 

 今日もライオンズ戦は地上波ではやらないみたいだし、じゃあ自分の店でも覗いてみることにします。きっと相変わらず暇でしょうけどね……。 

  でもグーグルアナリティクスを見ると、毎日、何人かは御来店くださっている様子なんですね、たまに外国からも。ありがとうございます。ごゆるりとお寛ぎください。 

 しかし相変わらず売り上げがいかないのは、あの子らの接客態度に問題があるわけじゃなく、店が汚いわけでもない。あの子たちは観葉植物も、金魚の水槽も常に綺麗にしてくれているし、新商品も見やすいところに置いてくれている。

 やっぱり、商品の魅力が足りないせいですね……。あとは宣伝が足りないせいだと思います。すみません、全部店長である私のせいです。 

 それは、まあ追々の課題として……。 

 今一番心配なのはネコの『とのま』の事なんです。 

 昔の子が言うところによると、三日前ぐらいから頻繁に床に横たわるようになったというんです。以前なら金魚の水槽を洗おうとすると必ずやってきて邪魔したのがそれもせずに、一昨日まではエサも普通に食べていたようなんですが、昨日辺りからだんだん食べなくなって、水ばかり飲んでは何度もトイレに行くようになったというんです。 

 水ばかり飲んで、夏バテか? 昔の子も初めはそれ程気にしなかったそうなんですが、何度もトイレに行く割には、おしっこが全然出ていないのに気付いて、そしてそのたびに、いかにもストレスフルな、昔の子が言うには、ふゎん~~、という変な鳴き声を繰り返すようになったと言います。 

 これも私のせいです……。 

 以前病院で、5.5kgだとちょっと太り気味なので注意してくださいと言われていたんです。でも注意するったって、エサをあげないわけにはいかないので、気を付けつつも結局これまで通りあげていたのがきっと悪かったんでしょうね。 原因は尿管結石でした。

 そして昨日から、突然けいれんのように背中を震わせて吐くようになったそうなんです。しかも一日に何度も。昔の子はすぐに私に連絡しようかと思ったらしいのですが、私のどの時間に連絡していいのかがわからず、きっと夜ならいいだろうと、昨夜連絡くれたらしいんですが、私は眠っていて気付かなかったようなんです。 

 今とのまは私の家で療養してます。そしてうちでもやはり昔の子が言うように、ぐったりと横になってお腹で苦しい息をしています。そして何も食べず、もはや水も飲まず、時々苦しそうに背中を震わせて、何もない胃液を吐いているんです。 

 医者が言うには、この時期だから急性胃腸炎だと思いますが、あまりに頻繁に吐くようだと、誤嚥の可能性もあります。何か変なモノのみこんだりしませんでした? もし、腸に何かが詰まっていたら、その時は手術になります。この子は、いろいろ飲んじゃうタイプの子ですか? 

と訊きます。 

 昔の子は、誤嚥については特に心当たりはないと言います。ただ時々、観葉植物の葉を齧っていたといいます。医者は、ユリ科の植物やカーネーションには毒性があるが、ポトスの葉には毒はないので、それが原因ではないだろうと言います。 

 原因不明……、たったの3日で、こんなに痩せてしまうのか……。

 いったいどこの時間から、あの子達は私に連絡をくれているのでしょう。彼らの言っている事が果たして今の自分にとってどの時点の事なのか判然としないんです。そして私もまた、パソコンから彼らのどの時間にアクセスしているのかわかりません。店はいつでも昼です。そしていつでも、とのまは窓辺て外を見ています。 

 今、とのまは私のひざ元で寝ています。そして苦しい息をしています。それを見ながらも、私は時々、あの二人にとのまの様子を訊かなければなりません。私はあの二人から、とのまを預かってきたんですが、それは今の時間に対して、どの時間なのか。ある時点で、とのまがもういないようならば、それはおそらく助からなかったという事でしょう。今の状態が、必ずしも今の答えではないんです。もし彼らが、とのまが死んだ後の時間から連絡をくれたら、私は今、とのまの亡骸を抱いている事になるのでしょうね。

 今私の目の前で、息絶え々々にしろ必死で生きているからといって、生きているとは限らないんです。それには予感がものすごく邪魔をします。どんなに振り切っても押し寄せてくる予感が、何もかも目の前の本当をわからなくするんです。

 まさに『シュレーディンガーの猫』です。愛猫が苦しんでいる時に、もうこんなコンセプトでブログを書くのは止めようかとも考えましたが、今の現実がどうなるのか、あの子らのいる場所では既にどうなっているのか、これはすべてが今である証拠として、苦しいけどやはり書き残しておきたいと思います。 


第11章

 コオロギの声が聞こえてきます。それはいつぞや私が、畑にしてしまおうか、と考えていた庭から聞こえてくるんです。もしこの夏、本当に庭を畑にしていたならば、彼らはきっと土ごと、卵ごと、幼虫ごと掘り起こされて日の光に曝されて死んでいたでしょうね。日本中に猛暑を齎した狂気の光は彼らを容赦しなかったでしょう。彼らは今、当然のように鳴いていますがそれは違う。今も違うかもしれないぜ……。 

 どんなに暑かろうが、もう秋です。そう名前が付いてますから、38度あろうとも湿度が80%あろうともそれはまったく、蒸し暑い秋です。 

 とのまについて。 

 あれ以来、あの二人からは何の連絡もありません。私は毎日朝と晩、店を覗いては見るんですが、向こうから連絡がない以上詳しい事は何もわかりません。 

 私は今、漫然ととのまの体を撫でています。しかし実際はどうなっているのか……。喜んでもいられません。悲しんでもいられません。そして手元のとのまは、やはりぐったりとして動きません。 

 もし確実にとのまを助ける方法があるとしたら、それはとにかく今をずっと継続させるしかないでしょう。何もせず、何も考えず、何も書かず、ただずっと病んだとのまの背中を撫で続ける。その代わり、とのまは未来永劫、ずっと苦しみ続けることになるでしょう。今日でもう三日、いえ四日目です、とのまは何も飲まず、何も食べていません。病院でもらった薬も、すぐに吐いてしまいます。 もう数日も体力は持たないと思います。

 しかしこうもランダムに時間が前後するのを感じていると、やがてそれにも慣れてきて、物忘れや勘違いのすべてが真実であるような気がしてくるんですね。一瞬の後には、とのまなんて猫の記憶は一切なくなっているかもしれないし、その代わりに大きな犬を飼っているかもしれないし、トラックごと高速道路で潰れているかもしれないし、血の付いた包丁を持って白昼の繁華街で立ち尽くしているいるかもしれない。それはただ、さっきまで知らなかった事実を、今は知ってるだけ、そんな気がしてくるんです。 

  私は記憶は蓄積しないと言いました。それは薬棚のようにいつでも目の前に整然と並んでいるモノだと。今もそう思っています。 じゃあ私のこの記憶も、その一つなんでしょうか。

 昨日店に、中国人のお客さんがみえたんですよ。 

 その方は男性で、日本人の女性と結婚してずっと日本に住んでいらっしゃるそうで日本語はペラペラでした。そして日本に長く住んでいる外国人にはありがちなんですが、私よりもずっと気を使った丁寧で綺麗な日本語を話されるのです。 

 その人は私の店を、綺麗だ、お洒落で、とても落ち着く、と仰ってくれました。今の子は、小さな声で、シェーシェー、と言いましたが、昔の子は中国人と聞いては少し緊張していたようです。 

 とのまは知らん顔。ずっと窓の外をみてます。 

 仮にここで私が二人に、とのまの具合はどう? と訊いたとしても、二人は は? と変な顔をするだけでしょう。 

 え? そこに、窓のところにいますけど、と言われるだけに決まってます。 

 私は元気なとのまを目の前に眺めながら、病気のとのまを少し忘れてしまいそうな、そんな不安定な状態でその中国の方と話していたようです。 

 その方は最近引っ越してきたばかりで、今お気に入りの場所を探して街を散策しているんだとおっしゃりました。見るからに上品で、きっと大きな会社の役員か、そうでなければ大資産家の次男坊といった雰囲気で、私は、今日こそは何か買っていただけるかもしれないと、その時から少し上の空でその方の話を聞いていたような気もします。 

 Tシャツを見て、ずいぶん乱暴な日本語が書かれていますねぇ、と、その人は笑いました。そこにはジョニーロットンの言葉『世の中間にも変わんねーよ!』と書かれたTシャツが掛かっていました。私は、えぇ、そういう言葉を、若い人は好むんです、と返答をしたんです。 

 その人は、そうですね、若い人はどこでも血気盛んですから。そしてすぐに夢中になってしまいます。悪い事ではないのですが、ほどほどにしないと、若い人の情熱は彼らが思うよりもずっと不安定なモノですから。だからお酒を飲んだぐらいの事で悪い言葉を吐いてはいけません。平和なんてただの口約束です。そんな口約束なんてすぐ破られます。上海だって、今はあんなに栄えていますが、一つ利害がこじれたら、いつどうなる事か……。 

 そう仰ったんです。 私は、あぁ、すみません……、と謝ってしまいましたよ。その方があまりにも悠々としてお話になるモノで。

 この人はいったいいつからお見えになっているんだろうと、私はその時初めてそう思いました。この店には、『今』という厳密な時間はありませんから、中国人イコールお金持ち、お金持ちイコール『爆買い!』謝謝! 你好!と思っていたと思います。 

 上海のご出身ですか? わたしがそう訊ねるとその人は、はい、と言って笑いました。上海の大学を出て、留学生として日本に来て、そのまま住み着いてしまいました、と。 

 日本は、どうですか? 私はまたそんなありきたりな質問をしました。どう? なんて訊かれたって、そんなのどうにも答えようががありませんよね。でもその人は、 

 今は素敵です。だから今のうちにその素敵な日本という国をよく見ておかないと、おそらくほどなく、見られなくなる気がします、そう言ったのです。

 私は、この人は19世紀の上海から来たんじゃないかと予想しました。 

 上海が世界都市として、一番栄えた時代といえばそれはおそらく19世紀でしょう。その頃の上海には繁栄と同時に、これから始まる世界大戦を予感させる、常軌を逸した不自然な活気のようなモノがきな臭く漂っていたに違いありません。 

 子供が成人すれば、私は家族を日本において上海に帰ります。それが一番いいと思っています。その方はそう仰いました。 

 だからそれまでどうか、日本が中国と大喧嘩をしないように、そう願います

 そしてそう仰いました。 

 だが残念ですがそうはいきませんでした。満州事変、盧溝橋事件を機に加速していく日本と中国の対立はやがて大東亜戦争へと続き、世界中の戦乱の渦に飲み込まれていったのは、近代史を学校で習わなかった若者でも知っている事だと思います。その結果が、広島と長崎の原爆に繋がる。

 でもその人は、続けてこう言ったんです。 

東京オリンピックは、本当に残念でした。 

 え? 私がその人を振り返った瞬間、パソコンにメールの着信音がしたんです。 

 店長、とのまが……。 


第12章

 超大型台風が沖縄に近づいています!

沖縄から九州にかけて、かつてないほどの大風、大雨に襲われる危険性があると、テレビでは最大級の注意を呼び掛けています。関東地方にはまだそれほど影響はないようですが、風は日増しに強くなっているようです。 

 洗濯物を干す妻に、なんて報告すればいいのだろう……と、私はさっきからそればかりを考えているんです。息子の野球の試合が毎週末土曜日と日曜日にあるので、週末はむしろ平日よりもずっと忙しくしているんです。お弁当を作ったりユニフォームを洗って干したりして。 

あ、ユニフォームって一着しかないんですよ。だから連日試合だと、天気が悪いともう乾かないんですね。そうなると雨の中、近所のコインランドリーに持っていくしかないんです。うちの洗濯機は乾燥機能は付いていませんので。 

だから風が強くて晴れている、今日の様な天気は実に、妻にとっては味方なのかもしれませんね。 

 綺麗に日焼けした息子は、まるで猫が我が家にいる事なんて忘れたように、帰ってくるなりアイスクリームにむしゃぶりつきました。そして、散々野球をしてきた後なのに、アイスクリームを食べ終わるとすぐまたどこかに遊びに行ってしまいました。自宅滞在時間5分……。 

 元気なもんだね。と私が言うと妻は、 

 まだ、うんちでない? と言いました。 

私はドキッとして、聞こえなかったフリをするんです。 

 病院では、とのまの症状は単なる胃腸炎ではなさそうだという事になり、血液検査や、エコー検査にレントゲン検査、それに栄養点滴と、おしっこを強制的に出させる点滴も、首のあたりにやりました。 

 点滴を始めるととのまの首回りやお腹周りがみるみるうちに膨らんできて、それは腹水が溜まって死んだ私の叔母の姿そっくりでした。 

 ほら、見て。三人目が出来た! あら恥ずかしわ! 

 なんてお道化てみせていましたが、その黄ばんだ眼と異様に膨らんだお腹は、子供の私の目にも、叔母はもう助からないんだろうなとわかるほどでした。40を待たずに、叔母は亡くなったんです。 

 だからこれも延命措置なんだろうなと、私はそんな気がしてなりませんでした。 

 これでいくらか楽になってくれればいんですが、なんせまだ一歳半だから、もともと持っている病気が突然発症するなんて事も普通に考えられるんですね、後は体質ですね。この子は内臓に何か疾患を持って生まれているのかもしれません。 


 私は急いでそのメールに返信したんです。そうしないとどこにいるのかわからないですから。店に行ってみると昔の子はいつになく神妙な面持ちで私を迎えました。 

 とのまが、どうかしたのかい? 

私が訊くと、昔の子はチラッと、今の子の方を見ました。今の子はまるでこっちを見ようとしません。 

 あの……、店長、とのま、逃げちゃいました。 

は? 私は何だか拍子抜けでした。私はおそらくは少し先から連絡をくれたものだとばかり思っていたので、昔の子の、とのまが逃げた、という報告が意外過ぎたのです。 

 逃げた? どこに? いつ? 

 それが、気が付いたら、いつもいる窓辺にいなくて、きっとまたどこかで日向ぼっこでもしているんだろうなぁ、って思ってたんですが、でも水も全然飲んでないし、エサも全然減ってないから、なんか嫌な予感がして、それで探してみたんですけど見つからなくて、店の周りには、稲荷山公園の方まで探したんですが、いないんです。 すみません……。 

 こういうところは断然昔の子の方がしっかりしているなぁ、と私は感心しました。今の子は少し離れた場所で、知らんふりをしていますが絶対に会話を聞いています。そして会話の流れが自分にとって危険でなくなったのを見計らって、おもむろに話しかけてくるんです。 

 臆病なのか、強かなのか、厄介ごとには絶対近づかない性格のようです。 

 じゃあ、元気なんだね? 私はそう言いました。 

 えぇ、でも、もう年も年だから心配で……。昔の子は言いました。 

 そうか、もうとのまは、年なのか……。 

 うん、まあ、そのうち帰ってくると思うから、もし帰ってきたらまた連絡ちょうだい。 

 私はなるべく優しくそう言いました。だって、ネコが逃げたのは二人のせいではありませんから。

 繊細で計算高いというか、今の子には危険を感知するアンテナが鋭過ぎるようです。私は以前彼らが、自分たちはもう死んでいるんだ、などと話していたのを思い出しました。 

 その会話は私が途中から盗み聞いたモノで、その前後にどういう会話が交わされていたのかわかりませんが、でも、彼らはお互いを、自分たちはもう死んでいると、そういう条件でいるようなんです。 そうでなければ、とても都合が悪いようなんです。

 昔の子は、自分の死因は餓死だと言ってました。今の子は、何なのでしょう?

 彼らはもともと道祖神ですし、私がこのブログを始める時に、パソコンで探していて一目惚れした一枚の写真でもあります。だから彼らを素材で言うならばそれは石ですし、そんな事を言うならば、無機物に生きるも死ぬもあるものかという事にもなりましょう。 

 でも私だって、どんなに心が弱っていようと無機物に一目ぼれする事などありません。彼らは明らかに私に有機的な影響を及ぼしたんです、だから、 

 彼らは道祖神であって、生き物であって、私の店の番をしてくれている二人の子供であってまた、私の一部でもあるんです。 


 うちに戻ると、妻は息子の野球のユニフォームをたたんでいるところでした。もう乾いたようです。 

 さて、私は妻に何と話せばいいのでしょうか。 

あぁ、そうだ、とのまだけど……、 

私が言うと、妻は手を止めて私を見ました。 

 もう大丈夫だと思う。さっき、君が野球の応援に行っている時、うんちしたよ。で、そのうんちの中に君が言ってた髪ゴムが入ってた。長ーいの。おそらく原因はそれだよ。 

 先生に見せたら、こんな長いのがもし腸に詰まったらそれこそ命にかかわるところだったって言ってた。危ないところだったって、でももう大丈夫だよ。すぐに元気になるよ。 

 なるべく包み隠さず、淡々と言うように心掛けたつもりでしたが、妻はやはり泣きそうな顔になりました。 

 ごめんね、とのちゃん、ごめんね。 

 と、妻は言いながら、寝ているとのまに頬ずりを繰り返しました。おそらく15年か、20年後、年老いたとのまは逃げてしまうんですが、それについてはまだ言わないでいいような気がしています。またすぐ戻ってくるかもしれないしね。 

 中国からのお客様はそんなまるで上の空な私と30分ほど話をして帰られました。何も買わずに……。 

  ありがとうございました。再見! 


第13章

「しかしすごい雨だったね、屋根が抜けるかと思ったよ」 

「日本が亜熱帯化している証拠だよ。100年前と比べて地球の平均気温は0.8度上昇しているんだ。問題はたった0.8度じゃない、たったの100年でだよ」 

「最近店、少し忙しくなってきたと思わない? なんかあった?」 

バタフライエフェクトって知ってる?地球のどこかで蝶々が羽ばたくと、やがてその影響が地球の裏側まで到達するって、あれ」 

「聞いたことある。じゃあ今僕らがこうして話してる事で、地球の裏側では誰かの店が大繁盛しているかもしれないという事?」 

「誰か死んでるかもしれない」 

「考え方だね、ただの……」 

「そうだね、結果の原因を過去にしか求めていない間違った考え方だ。未来の結果が今なのかも知れないのにね……」 

「今こんな話をしているのは、未来にあった出来事の結果かもしれないという事?なんだか夏休みの宿題を永遠に先延ばしにしているみたいだね。いいのかな、僕らこんな事してて」 

「みんな同じだよ、死ぬことを先延ばしにしてに生きてるんだから」 

「あ、そうか、そうだね」 


 二件目の店を出しました! 2020すらっしゅ9に。 

 と言っても当然ネット上の、デザインを登録するだけのお店です。『SUZURI』という、東京・渋谷にある会社のようですね。私の大好きなバンド、『ゆらゆら帝国』とのコラボTシャツを一発で気に入って、私も出品させてもらう事にしたんです。 

 さあいよいよ夏が終わります。暑い中にも時々、『蛍の光』のような涼しい風が吹いたりしています。人生一度きりと言いますが、秋は何度も来ます。特にここにいればね、同じ秋だって何度も何度も来るんですよ。 

 あれも秋でしたね……。

 私の友人でプロボクサーがいたんですが、ボクシングで食べて行けるわけじゃなく、彼はカレー屋さんをやろうとしたんですね。でもランニングコストがかかるから一人では難しい。そこで彼はバーをやりたがってる友達を誘って一緒に一件の店を借りて、昼間は自分がカレー屋をやって、夜は友達がバーをやる、するとランニングコストが半分ずつで済む、という、なかなか賢いやり方で始めたんですが……、 

 バーがカレー臭い、という大問題が発生して、結局うまくいかなかったようです。商売って難しいよね、って彼は笑って言いましたね。

 それはちょうど、私が3か月間のアメリカ放浪の旅から帰ってきて、生まれて初めて外国人になってみて、人種や文化の違い、それによる考え方の違いを実際に体験して、その良いところ、悪いところを考えていたころでした。アメリカに人種差別はもちろんありますよ。それは日本の人種差別みたいに陰湿に潜在化することなく、カリフォルニアの乾いた風の様に、なんならサラサラとして意識や肌の表面から奥の奥にまで深く浸透して、堂々と生活の一部になっているような差別でした。

 2020、アメリカの白人警官によって黒人男性が殺されたことに端を発する、『black lives matter問題』覚えてますか? 日本では小さな問題でしたが、アメリカでは大問題でした。それはその問題の奥深さ、解決の難しさによるモノだと思いました。私にはあのデモ行進も、何だか予定調和に見えましたよ。時々こういう事をやって、ガス抜きをする、本当に、根本的に解決するつもりはアメリカ人の誰の中にもないんだと、そう感じたんです。アメリカの場合、人種差別は日本みたいに、『臭いモノには蓋』では、差別する側もされる側も不都合なんです。それがないともはや生きていけないほど複雑に日常生活にしみ込んだ大切な人種差別の様に見えました。

 ヨーロッパ系の人の考えの傾きとして、『勧善懲悪』というのがあります。悪い奴は徹底的に悪い。良いモノは完璧に良い。イエスかノーか。お前はどっちなんだ? 自分が正しいためには誰かが必ず間違ってないといけない。自分が被害者でい続けるためには、誰かが加害者でい続けなければいけない。環境活動家のグレタさん(覚えてます?スウェーデン人の女の子)が大人たちを痛烈に批判したのもそうですし、フランスの大統領が「これはコロナとの戦争だ!」と言ったのもそう。

 フィーリーというホームレスの黒人青年の口癖は「だって俺、黒人だから、非差別民族だから」でした。別段、悪びれた様子も拗ねた様子もありませんでしたね。彼は奨学金をもらって大学に通ってました。普通にバーで酒も飲んでました。日本ではありえない事です。

 そんな妙な現実を目の当たりにして、何かやらなきゃ! と思っていた頃、帰国祝いと称して高田馬場で一緒に飲んでいた時の話です。 懐かしい……。


 店を覗くと、時々ネコがいなかったり風鈴がなかったりするんですが、気付きました?それはつまり、私が意図せずもいろんな時間の店をランダムに覗いているという事なんでしょう。ですから冒頭の二人の会話も、いつ頃交わされた会話なのかハッキリしません。 

 彼らはいつも同じような事を話していますね。天気がどうしたとか、店がヒマだとか、たまに新聞に書いてあった事件事故の事などを話しているようです。この間はコロナウィルスの事を話してましたね。戦争で死ぬのと、コロナで死ぬのはどっちがいい? 交通事故で死ぬのと、コロナで死ぬのはどっちがいい? なんて。

 生まれた時代が全然違うはずなのに二人は不思議とウマが合うようです。というのも、昔の子は、憎き鬼畜米英! 大日本帝国バンザイ! なんて言いませんし、今の子も、ゲームだ! ユーチューブだ! なんて言いません。彼らにはやはり、時制というモノがないようです。ただあの年齢共通の感性同士を呼応させているようなんです。考え方が違っても、その価値観を合わせると上手くいく、そういう事なんでしょうかね。

 そういえば、アメリカ人の子供もやっぱり子供でしたね。突然変なはしゃぎ方をしたり、理不尽なわがままを真剣に言ってみたり、それがダメだとわかるとしばらく考えるような顔になって、妙な提案をしてきたり……。

 2000すらっしゅ8、アメリカカリフォルニア州カルバーシティーに於ける、ジェイコブス7歳とそのママの会話。

「ママ!おもちゃ買って!」

「ダメ!」

「じゃあ、明日買って!」

 子供は世界中どこに行っても子供。それは唯一安心できる出来事かも知れませんね。


「退屈にならないためにはどうしたらいい?」 

「退屈になる前で、止めればいい」 

「悲しくならないためには? どうすればいい?」 

「やっぱり、悲しくなる前で止めればいい」 

止める、とは時間の事でしょうか。そんなの無理に決まってます。

 私の母親がもうすぐ死にそうです。 

 もうずいぶん長い間、介護生活を送っているんですが、この間、2020すらっしゅ9ですね、兄から連絡があり、もうすぐの様だよ、と。 

 私はきっと、一番いい時期を探してそこに行ってみようと思うんですね。母親と過ごした一番いい時期っていつなんだろう。やっぱり子供の頃かなぁ……、でもなぁ……。 

 私は母親とまともに会話した記憶がないんです。目を合わさない人だったし、話もあまり上手な人ではありませんでした。それに加え、子供の頃の私はあまりにも病弱過ぎて、それこそ迷惑をかけた記憶しかないんです。喘息が酷く、夜中じゅう母親に背中をさすってもらったり、クリームパンをもらったりして。兄弟が寝ている夜中に自分だけクリームパンを食べているという、空しい優越感……。 

 とにかく、もうじきいなくなる母に、いいえ、時間の縛りから解放される母に、もう一度赤ん坊に戻って、二人の様に達観した事を訊いてみたいですね。 僕、可愛い? ホントに可愛かった? とか訊いてみたいですね。 

 昔の子の死因は餓死のようですが、今の子の死因は何でしょう。あの子はどういう理由で、時間をランダムに過ごす選択をしたんでしょう。 

 人生一度きりだよ! とプロボクサーは私に言いました。 

 好きな事やらないでどうするんだよ。それで死んでも本望だろ?ウジウジ生きてるよりもさ、スパッとやって、スパッと終わろうぜ。12ラウンドをさ! 

 って、アスリート独特のさばさばとした口調で彼は言いました。確かにね、確かに人生は一度きりです。でもそれは終わるという意味の一度きりじゃない気がするんです。 

 有漏路より無漏路に帰る一休み、雨降らば降れ、風吹かば吹け 

 続くという事ですよね、これって。 

 母ももうじき時間をランダムに過ごす存在になるでしょう。そうしたらむしろ私は、今までの様に、年に一度しか顔を見せない、遠い関東で過ごす、親不孝なバーチャルバカ息子から、もう少し近い存在になれる気がするんですよね。 そして母も、息子が生まれた時のように嬉しそうな顔で、わざわざこの店にも来てくれるかもしれません。

 以上、2020すらっしゅ9から報告でした。 


第14章

昨日、トラックをぶつけちゃいました。新宿区にある小さな公園のそばにある現場に納品して、そのままバックで切り返そうとした時、公園の入り口にある柵のようなモノにね、ゴツンって……。ウインカーを破損ちゃいしましたよ。当然、自腹直しです。また余計なお金が掛かる……。

 でも人じゃなくて良かったです。ぶつける少し前、公園脇の歩道を同じ色の帽子をかぶった幼稚園児がたくさん歩いていたんです。あー、トラックだ! フォークリフトもある! なんて言いながら。もしあの子らを傷つけたり殺したりしてたらもう、ここも終わり。そんな事があった後まで、私の想像力は持ちませんから。 

 いろいろデザインしたTシャツも、マグカップも、お弁当もパンも観葉植物も金魚も、太陽も、風も、道祖神の二人も全部。すべてがパッと消える。空の上から真っ黒い大きなシャッターがガラガラと下りてきてピシャっと閉まって、それでおしまい。 

 そう思うと、この世界はいかにも弱々しいですね。まあ、そんな事にならないように十分気を付けますよ。 

 さて私は、雨が降り出す前にトラックの修理代を下ろしに銀行まで行ってきます。最寄りの駅のキャッシュディスペンサーが確か午前中から使えたはずなのでそこへ。 

 その途中、ちょっと店に寄ってみようかと思ってます。なに、その気になればパソコンからじゃなくても歩いても行けるんです。玄関の隅から続いている、ほら、いつか私が逃げ込んだ細いけもの道を少し歩くと、茂みの間から見えてくる信号がもう笠原町の交差点なんですよ。そのまま行くと道は入間の方まで続いています。 

 入間には航空自衛隊の基地があり、毎年秋に航空ショーが開催され、全国からたくさんの航空ファンが集まって賑わいます。私も息子が小さい頃、一度行った事があるのですが、ブルーインパルスの迫力には圧倒されました。 

 超低空を背面飛行で飛び去って行くジェット機の勢いに思わず首をすくめてしまいましたよ。見ている人達はみんな大喝采。お父さんに肩車された小さな男の子も、小さな手をたたいて喜んでいました。高い技術を誇る航空自衛隊のパイロット。しかし、その入間飛行場から飛び立った練習機が墜落する事故があったんです。 

 1999年11月22日13時42分、入間基地を飛び立ったロッキード社製T-33A練習機は突然のエンジントラブルに見舞われた。 

 機体はそのまま降下し続け、入間川沿いのゴルフクラブの敷地内に墜落した。搭乗していた二人のパイロットは命を落とした。 

 事故は当初、練習機という事もあり経験の浅いパイロットによる操縦ミスが原因と思われ、自衛隊の訓練に対する批判の声も出たが、搭乗していた二人のパイロットはいずれも飛行時間5000時間を超える超ベテランパイロットで、その後のパイロットと管制官との通話記録から、事故の原因はエンジントラブルによるもので、パイロットは市街地に墜落することを避けるため、操縦がままならない機体を出来るだけ人気の少ない入間川沿いへと向かわせたために脱出が遅れて命を落としたことがわかった。 

 避けようがなかったと思います。でも避けようがなかった運命の、最後のほんの数分、いや数秒は、やはりパイロットが決めたんだと思いますよ。結果って、生きる事死ぬ事を度外視してもいろいろ出せるモノなんですね。神様はきっと、人が何人死のうが一向関心がないはずだから、神様の慈悲はもっと全体に向いているから、失敗と成功はもともと人間が都合よく勝手に決めたモノだから、実際の成功と失敗は、生きる死ぬの外側にもたくさん散らばってあるという事ですね。

 落ちていく飛行機を、二人のパイロットは見たかな、どの辺に落ちたか、見届けたかな……。あぁ、河川敷に落ちた、大災害は免れた。よかった……。そこまで、見届けたかな……。

 私のウインカーなんて、ただの電球が切れただけですよ。

 私は入間の方へは向わず、途中を左に折れて線路沿いの細い未舗装の道をしばらく歩きました。その方が少し近いんです。頭の上には真っ黒い高圧線が、東京電力入間変電所に向かって何本も伸びています。どんよりとした秋の空が重く圧し掛かって今にも切れそうです。 

 稲荷山公園では犬友らしき女性が2人、飼い犬同士を遊ばせながら話をしてました。二人ともおしっこ用の水の入ったペットボトルを持って話をしています。私は、間違って飲んでしまう事はないのかな、なんて思ってしまいます。だって先週までは本当に暑かったですから。でも本当に困った時は飲めばいいと思います。別にペットボトルの中身がおしっこじゃないですからね。 

 蝉はもう1匹も鳴いていません、小さな子供がお母さんとボール遊びをしていますが、昨日の雨のせいでボールがドロドロです。 

 この公園を斜に横切ればそこがいつもご覧になっているあの店なんですよ。 

 私がいきなり来たので、二人は驚いた顔をしました。あぁ、おはようございます、そんな挨拶ができるのは昔の子の方です。今の子はちょっと頭を下げただけです。 

 この前はいなかった猫が窓辺に帰ってきてますが、二人からはあれ以来、何の連絡もありませんから、年老いた猫はちゃんと戻ってきたのかどうかはまだわかりません。

昨日は? どうだった? 誰か来た? 

私は昔の子に訊きます。昔の子は、午後に女性が三人みえただけです。そう言いました。 

あぁ、上出来上出来。 私はそう言って笑いながら今の子の方を見ましたが、今の子は私と目が合うとすぐに目を逸らしてしまいました。いつも以上におどおどしているように見えたので、私は何かあったのかなと、今思えばその時にそう思ったんです。 

 その夜、私はパソコンで、今月の来客数、新規ビジター数、直帰率、平均滞在時間などを確認して目標達成率の低さに愕然としていました。普段はあまり夜更かしはしないのですが、その夜はなぜか、今後の店の在り方や、方向性が気になって、いろいろ考えているうちについ夜更かしをしていたのです。眠る前にちょっと店を覗いてみました。店はお昼過ぎぐらいで、若い女性が2人と、中年の女性1人が来店中でした。

 今日昔の子が言ってた女性客かな、何か買ってくれないかな。

 そんな事を考えながら、私はそのままパソコンの電源を切ろうとしたんです、しかしその時、若い女性の声が聞こえたんです。 

お兄ちゃん、いい加減目を覚まして! 

 お兄ちゃん? 私は液晶画面を覗き込みました。猫は窓辺にいなく、ただ風鈴だけがチリチリと揺れていました。 


第15章

 晴れたかと思ったら今はドンヨリとした雲が垂れ込めてます。多分もうすぐ雨が降り出すでしょう。秋はそういう季節だと思います。風は今のところ……、ないようですね。でも遠くの雲は速いです。目の前で未舗装な道が分岐しているのを感じます。上がろうか、下がろうか。それは人に寄りけりです。秋はそういう季節だと思います。 

 トラックの修理代は1万円で済みました。済みましたと言っても1万円は1万円ですけどね……。 

 最近寝不足が続いているんです。トラックをぶつけてから、今の在り方、今後の在り方について考えることが多くなって、気が付くと夜が遅くなってしまっているんです。 

 これも秋の魔力でしょうか。妙に不安で、自分はいつどうなってしまうかわからない不安定な生活を家族に強いている、そんな気がしてならないんですね。親の仕事って子供の心の在り方に大きな影響を与えますもんね。でもそれはどの職業だって同じです。 

 たとえば息子が憧れているプロ野球選手にしても、シーズン中はほとんどお父さんに会えない生活を子供に強いる事になるし、消防士や警察官、看護師の子供は、 

 今日はいる? 明日は? 今度の日曜は? 休み? 仕事?  

 という質問を強いる事になるでしょう。子供もいつかそれが普通になって、寂しさを黙殺するような癖がついて、人生って、生活ってそういうモノだと、一生そう思うようになってしまうんでしょうね。 

 私の友人で宅配便のドライバーがいるんですが、彼は職場が遠い事もあって朝は毎朝5時に出勤して、帰宅するのは22時半という生活を続けているんです。だから朝出掛ける時には子供はまだ寝ていて、夜帰宅すると子供はもう寝ているそうです。日曜日の夜、子供は寝る時にこう言うそうです。 

 おやすみなさいパパ、また来週、って。 

 切ない一言です。彼は笑って言いますが本心からではないと思います。

 また別の友人の話ですが、この度、27年間勤めた会社を辞めて転職したんです。新たなスタートを切ったんです。すげぇな! と思いましたが同時に、なんてわがままな! って思いました。

 これは果たしてわがままなんでしょうか。もちろん、家族の今後を考えての事に決まってます。でもそれで生活の環境が大きく変わり、家族に心配をかける事になったらどうするのでしょうか。以前より悪い条件になったらどうするんでしょうか。自分がその変化に耐えられる自信は、家族にとってみてもちゃんとしたモノである確証はあるのでしょうか。

 私はもちろん、誠意あるわがままだと思ってます。どちらであったにせよ、人生は不利な判断をすべて避けてはいられません。パンチを避けてばかりじゃ、相手はいつまで経っても倒れてくれませんからね。大丈夫、絶対成功する。私はそう確信している。頑張れ!斎藤。 

 明日からはまたちゃんと9時には寝ようと思ってます。 


  

  中年の女性は静かに言いました。 

  もう帰ってきて。お父さんもね、もう怒ってないから。 

 三人はどうやら今の子の家族のようです。若い二人は今の子の姉妹でしょうか。

 何でここがわかったの? と、今の子は小さな声で言いました。 

 御祈祷を受けたの、あなたも知ってるでしょ? 皇極法師にね、そうしたら、まだいる、ここにいるってね、おっしゃったの。 

 今の子の母親と思しきその女性は、まるで楽しい事を口にする様に『皇極法師』という名前を言いました。もちろん私はそれがどんな人だか知りません。 

 連れ戻そうったってそうはいかないよ。これは僕が初めて自分で決めた事なんだ。 

 今の子は、さっきよりやや大きな声で言いました。 

 お願い、わがまま言わないで。中年女性は優しく言いました。 

 わがまま? だって僕、ずっといい子だったよ。ずっと、いいお兄ちゃんだったでしょ。 

  そう、あなたは私の最高の息子よ。今も、これからも。 

 女性はそう声を潤ませました。姉妹も口元を震わせています。何かあったようですね、まあどこの家庭にも、年ごろの子供がいるところは、何かしら感情と感情の齟齬の様なものがあるものだと思います。それに他人がとやかく 口を挟むのはおせっかいですし、それで解決するような事でもないと思います。だから私は話の流れだけを盗み聞きしていていたんです。

 ウソだ!だって助けてくれなかったじゃないか!

 今の子は突然叫んだんです。それは私が思わずヘッドホンを外してしまうほどの大きな声でした。

 全部全部、おまえが悪い、お前がしっかりしてないからダメなんだ、お前のせいで、私は恥をかいたって。僕が、何を言っても全然ダメだったじゃないか。 

 お兄ちゃんってそうなの。どこの家だって同じなの。それは家族の一員として、お父さんもお母さんもあなたを頼りにしているからなの。 

 ウソだ! 僕がお金を盗んだ時、一番話を聞いてくれなかったのはパパじゃないか! 一番ガッカリしてたのはママじゃないか! 

 あなたは私の最高の息子よ。今も、これからも。 

 最高なもんか! 僕は最低の息子だよ! 友達に嫌われないように家のお金を盗んで渡してた、家族の恥さらしの最低の息子だよ。 

 あなたは私の最高の息子よ。今も、これからも。 

 妹のお風呂の写真を盗み撮りして友達に渡してた、母さんの宝石を盗んで売った、駐車場の車をパンクさせたのも僕だ。近所のボヤ騒ぎも僕だ。夜中じゅうシャワーを出しっ放しにしてたのも僕だ。学校の壁に卑猥な落書きをしたのも僕だ。公園で子猫を焼き殺したのも僕だ。学校の池に石灰を撒いて鯉を全滅させたのも僕だ。  全部僕だ! 僕がやったんだ! 

 あなたは私の最高の息子よ。今も、これからも。 

 僕はね、ママ、ちゃんと叱って欲しかったんだよ。悪い事をしたら、ちゃんと目を見て叱って欲しかったんだ。僕だってやりたくなかった。でも、やらないと仲間外れになる。僕にはわかるんだ、自分がたった一人っきりだって事が、ハッキリわかるんだよ。僕はいつからそうなの? 何がきっかけで、こんなに一人っきりになったの? 教えてよ。助けてよ。 

 あなたは私の最高の息子よ。今も、これからも。 

 パパとママには、ガッカリしてほしくなかった。諦めないでほしかったんだ。そしてちゃんと なぜなんだ! って理由を聞いてほしかったんだよ。僕に興味を持ってほしかった。結果なんて、どうでもいいじゃん。子猫も鯉も、もう生き返らないよ。僕だって……。

  そういえば昔の子がいませんね。また猫でも探しに行ってるんでしょうか。 

 ママ、このマグカップ可愛い、欲しい。 

  一人の女の子が言いました。 あ! ありがとうございます! 

  後にしなさい。しかし中年女性は見もせずそう言いました。 

 とにかくね、パパももう許すって言ってるから。 

 何を許すんだ! 

 今まで聞いた、おそらくこの時が、一番の大きな声だったでしょう。 

 僕の何を許すんだ! 僕は何を許されなきゃいけないんだよ! 

 何を? 許す? ですって? 

 その一言で、これまで優しかった女性の眼付が急に変わりました。そして睨むように、自分よりも少し背の高い今の子を見上げました。 

 あんた、わかってんの? 時間がないのよ、皇極法師は高いのよ。30分で10万円もするの。中学に入って、あんたが急に変になって、頭がおかしいんじゃないかって病院でカウンセリングを受けたけど異常が見つからなくて、じゃあどうしようかって、家族で途方に暮れていたところに声をかけてくれたのが皇極法師なのよ。そうしたらあなたは、法師から逃げるようにサッサと死んだわ。 ママわかってる、逃げたんでしょ? 法師が怖くて、逃げたんでしょ! それが家族にとって一番困る事だってわかってて、あなたはそうしたのよ。違う? 

 あの爺さんが僕に行ったんだよ。お前には守護霊が一人もいない、未来永劫、たった一人っきりだってね。 

 昔の子が帰ってきました。大きな袋を抱えています。どうやら妻の焼いたパンを取りに行ってたようです。もう少し持ちやすい袋に入れてやればいいのに。

いらっしゃいませ! と言う昔の子の澄んだ声に、店がパッと明るくなったようです。

 あら、こんにちは、素敵な店ですね。 

 中年女性は仮面を裏返すように笑ってそう言いました。 

「ありがとうございます。どうぞ、ごゆっくり」 

「ううん、もう帰るところなの。楽しかったわ」 

「え! じゃあママ、このマグカップは、買ってよ」 

「また今度ね。きっとまた来る事になるから」

「え~、じゃあついてきた意味ないじゃん!買ってよ」

「今度、また今度ね」 

 そう言って、3人は店を出ていきました。 

 お兄ちゃん、またね。 

 お兄ちゃん、またね。 


 

  結局私はまた夜更かしをしてしまいました。 

  そして今、パソコンを閉じて思うんです。 

 今の子は、この皇極法師と言う謎の祈祷師が作り出した幻なんじゃないかと。 

 あの家族は、もともと何か問題を抱えていた。 

それは父親に起因する事かもしれないし、娘たちが原因かもしれないし、或いは母親の問題かも知れない。バラバラになりそうな家族の結束を保つために、この皇極と言う偉そうな名前をかたる祈祷師はその問題のスケープゴートとして一人の少年を捏造した。 

 その少年は突然背負わされた運命に翻弄されたまま、きっと本当に命を絶ったのだと思います。今の子はその一人きりの少年に仕立て上げられてしまった。 

 子供に対する虐待など、毎日本当に嫌な話題が後を絶ちません。実の親から虐待を受け、幼い命を落とす子供たち。周囲からはじかれて、自殺に追い込まれる子供たち。 

 彼らは何のために生まれてきたんでしょう。生まれる理由が天寿を全うすることにないとすれば、この子たちはやはり、虐待され、殺されるために生まれてきた事になるんでしょうか。 いいえ絶対に違います。

 私はね、こういう、皇極 みたいなタイプのペテン師が大嫌いなんですよ。見た目は一つの家族に救いの手を差し伸べている様に見えるかもしれない。しかしこの男はそのために一人の悲惨な少年を作り出したんですから。世のため人のため、そんな事を考えるのはすべて自分のためです。自分の手柄のためなんです。 世も人も、すべて自分の手柄の材料にしてしまっているんです。そしてそれを独り占めして、蜘蛛が獲物を溶かして飲むようにペロリペロリと舐めているんです。

 あ、とうとう雨が降ってきました。涙みたいに、控えめで切ない雨です。

 子供が生まれた瞬間から、親は夢を見始めるんだと思うんです。それこそ何十年も続く長い夢を。 

 その夢こそが子供の人生なんです。子供自ら人生を夢見る事なんかないんです。だから親は、子供が暮らすその夢の世界を、出来るだけ豊かに想像してあげなければならないんです。 

 トラックの運転手は大切な仕事です。でも常に危険が伴います。だから私は出来るだけ悪い夢を見ないように、そして妙な世界に息子を、妻を住ませない様に気を付けて、この秋からも、とりあえずもうしばらくは続けようと思ってますよ。 

 コロナがまだまだ心配です。なんともおしとやかな年末を迎えそうです。 

 以上、2020すらっしゅ9から報告でした。 


第16章

 庭が草茫々になってます。夏前、妻と二人で汗だくになってやった草むしりが、すっかり元の木阿弥です。でもこの繰り返しが自然のリズムなんだと思って諦めて眺めているんです。それに……、 

 別に見苦しくないですからね。雑草ったって、ただそこらじゅうに生えるから有難がられないだけで価値がないわけじゃない。価値がない草がそんなに茫々と生えるわけがない。 

 その証拠に、雑草の中からは、虫のいい声が聞こえてますよ。

 昨夜は久々湯船に浸かりました。そのせいか久々に良く寝られた気がします。そして黎明に、とろとろ葛湯に浮かんでいるような夢を見ていると、ネコがやって来るんです。やって来て起こしてくれるんですが、その起こし方が少々乱暴でね。顎髭をね、抜くんですよ。毛抜きの様に器用にキュッて噛んでは、プチっと。 

 いっぺんに目が覚めます。いい方法を編み出したもんです。 

 私は起こしてくれたお礼にエサを少しだけあげるんですが、食べたり食べなかったりするんですよ。 

 気まぐれ? ネコってそういう生き物ですか? でも不思議じゃないですか? 食べるなら、あぁ、エサが欲しくて私を起こしたんだなと納得できるんですが、食べないと、じゃあなぜ、私を起こしたんだろう?って思ってしまうんです。日によっては私を起こすとすぐにまた寝てしまう時もあるんです。そうなるともう完全に私を起こすためだけにやっている様にしか思えない。それは私が仕事に遅刻しない様に? 慌てて出かけて、忘れ物をしたり、事故を起こしたりしないように? そんな事を考えているのでしょうかね、まさかね……。 でも結果そうなっているのだから、そう思う事にします。ありがとね、とのま。


 昨日はアメリカからのお客さんがあったようです。へぇ~、どんな人だった? と訊くと、細くて背の高い、目の青い、栗色の巻き毛の男性だったと言います。カリフォルニアから来たというその男性は、日本に興味があるといい、店の中を何枚も写真にとって、ひとしきりいろんなモノを手にとって、何も買わずに帰ったそうです。 

 そうか、何も買わずにね……。 

 はい……。 

 今の子はあの日以来、何か吹っ切れた様に明るくなりました。今も金魚の水槽を洗ってくれているんですが、以前なら、生き物が苦手だ、と言っては昔の子に任せっきりだったのが、率先してやってくれるようになったそうです。まずは金魚を掬おうと網を持って身構えている、その内気な白い肌が、窓辺の日の光を受けて生き生きと光って見えます。 

 ママがすごく泣いてた。でももう、何も言う事が出来なくて……。 

 今の子は以前、昔の子に、最後に覚えている事は何かと訊かれてそう答えています。瀕死の我が子に必死で呼びかける母親の泣き叫ぶ痛々しい姿が想像されます。 今の子はやはり、自殺したんでしょうか。

 上品で優しそうな女性と、どことなく姿形が似た二人の綺麗な娘を私は、今の子の家族だったと疑いません。でもどこかに違和感があったのは確かです。私は何に違和感を感じたのでしょう。家族ってどういう定義があるのでしょうか。なにがどうなれば家族で、それがどうなれば家族じゃなくなってしまうんでしょう。

 アメリカからのお客様は、店にあったザルを頭にかぶって、これはベトコンの帽子だろ? みたいな事を言って傘でマシンガンを撃つ真似をして見せたと言います。昔の子はとても不愉快だったと言いました。その話は私にも不愉快でした。 

 以前、渋谷のスクランブルを生の魚を持って、おーい!誰か刺身を喰いたい奴はいるか? なんて叫びながら信号待ちをしているタクシーのボンネットの上にその生の魚を置き去りにするアメリカ人の動画を見たことがあります。それもとても不快でした。 

 アメリカ人が喜ぶ事の特徴として、後先を考えずにその場限りの無茶な事をやって平気な顔をしている、と言うのがある様ですよ。 後の事なんか知らねーよ。と、肩をすくめて片口で笑うようなあの態度です。私はそういう無責任な態度が大嫌いなんです。だからあの、アメリカ人がみんな大喜びするパイ投げなどは本当に大嫌いでした。食べ物を無駄にして、部屋を汚して何が面白い? いったい誰が掃除するんだろう。きっと奴隷がやるんだろうな。と思ってました。

 なんなんでしょうね。世の中のルールを無視して、世の中との繋がりを茶化して見せると、そんなに面白いんでしょうかね。ところが、なんと!

 その人はそんな動画で、アメリカのみならず世界中から喜ばれて、年間億単位の金を稼ぐらしいです。なんと、世の中から価値を認められているんです。立派なもんですが、まったく信じられません。 全く信じられませんが、立派なもんです。

 こういうおかしな人に共感するおかしな人は、世の中にたくさんいるという事が証明されましたね。でも本当におかしな人は、さも普通の顔をして、真面目な顔をして過ごしているんです。本当におかしな人は、絶対おかしな人に見えないんです。少なくとも私にはそれを見抜く力はないようです。それはもし自分がそうであっても全く気付かないという事です。

 だから私は今、妙に慎重に、そして残酷な気持ちになっているのかもしれません。 

 我が子が自ら命を絶つという悲惨な現実を目の前に突き付けられた母親は、半狂乱で息子の名前を呼んでいます。しかしそれと同時に、自分はいつまそうしているのかという素朴な疑問についても考えています。その不自然な感触は、まるで喪服の様に、それ自体としては決して不快ではないが、普段とはまるで違う違和感として体中のあちこちに現れるのです。 喪服が悲しいのでしょうか、いいえ、違うと思うんです。

 この不自然な感触に慣れるまでにはある程度の時間を要します。人はそれに足りるに十分な時間分、自分を出来るだけ遠くに投げようとするんです、すると実際の今の立ち位置から、グーンと未来に引き伸ばされた三角旗のような不自然な形の自分が出来上がります。それがこの違和感だと思うのです。やがて時間が経てば、投げた時間と今が一致するんですが、そうなるまでの差異の事を、この場合は、悲しみと言うのだと思うんです。

 自分はいつまでこうしているのか。出来るだけ早く終わらせて、また楽しく普通に過ごしたい。それならば時間を前借りして、自分を遠くに置けばいいんじゃないか。気付いてます? 今の悲しみは、そんな短絡的でわがままな事をやった割を食ってるんです。本当の自分はもうはるか未来で、何事もなかったようにのほほんと暮らしているんですよ。ひどい事をしたモノですね。

 しかしそれは時間が前に進む事を前提にしたとても安全で正しい考え方ですし、一般にも正しいとされています。

 しかし今の子にはその『今』という確固とした時間がありません。 逆に言うと今の子にとって『今』は何処まで行っても、今でしかありません。それは考えようによっては何より残酷な気がします。ジッと網を持って、金魚の動きに集中している今の子は、ジッと『今』に耐えているしかないんです。たとえどんなに深く傷ついていたとしても……。

 昨日の三人は、ご家族かい? 

 私は今の子にそう訊きました。今の子はやっと一匹目の金魚を掬ったところでした。 

 いいえ、 

 今の子は言いました。 

 え? 違うの? じゃあどういう知り合い? 

 そう訊ねると今の子は、う~ん……、と言って考え込んでしまったんです。 

 しいて言えば……、 

 そして今の子はとんでもない事を言ったんです。 

 エキストラさんです。 

 エキストラ……? 

 まるで要領を得ずぽかんとしていたのでしょう。可笑しそうに笑いながら、今の子は私に言いました。 

 あれは、僕がこうあって欲しいなぁ、と思ったママと妹たちです。僕は家族の誰にも理解されなかった。そして家族は誰もそんな僕に気付こうともしない。僕は最後の最後までSOSを発信し続けてた。でも、結局誰も来てはくれなかったし、そばに居てもくれなかった……。 

 というね、エキストラさんです。僕は思い切り文句を言うんです。なぜ、僕ばっかりこんな目に合うんだ! なぜ誰もそばに居てくれなかったんだ! ってね。そうしたらスッキリするんですよ。あぁ、自分はこんなにも正当な理由で死んだんだって思えるでしょ、だから。 

 ちょ、ちょっと待ってよ。じゃああれは、芝居? 

  そう訊ねると今の子は、う~ん、とまた考え込んでしまいました。 

 芝居……、じゃないけど、でも実際じゃない。そういう意味では、芝居かも。でも、そんなの芝居だって言ってたら、このブログだって芝居でしょ。僕らだって消えてなくなるわけだし。でもそんな事を言ったら何も始まらない。宇宙も始まらない。ビッグバンだってただの仮説でしょ。同じです。だから実際じゃないけど、決して芝居じゃない。

 現に君は私の店で毎日こうして働いていてくれるけど、本当は群馬県吾妻郡長野原町の諏訪神社の鳥居の脇に鎮座する道祖神様なんだしね。それを子供扱いにして、自分のネットショップの店員にしたのは、他でもない私なんだしね。 

 つまりそれって、僕は店長のエキストラって事でしょ。 

 あ……、と、思いましたね。 

 じゃあ、君の本当のご家族はどうしているの? 

 私がそう訊くと、今の子はすっと真顔になって、 

 多分、まだ何にも気が付いてないと思います……。 

 そう言ました。 

  その時、昔の子が店に入ってきました。大きな袋には妻が焼いたと思しきパンがいっぱいに入っています。もうちょっと持ちやすい袋に入れてやればいいのに、私はそう思いました。昔の子の焼けた肌と白い歯のせいで、店の中はパッと明るくなりました。 

 あ、そういえば、と私を見るなり昔の子が言いました。

 あのアメリカのお客さん、店長にって、名刺を置いていきましたよ。捨てちゃいます?


第17章

 この一年のグラデーションが、だいたい見えてきた気がします。あぁ、今年は本当にのっぺりしてるなぁ……、そんなため息が出ます。頑張った割に手応えがない。そんな1年ももう7割ぐらい過ごした事になりますね。もうあと3割、こうなったら何かあるより何事もなく終わって欲しいです。 

 毎年の事ながら、この時期だんだん日が短くなって、朝晩が暗くなってくると、なんだか生活そのものが厳しくなってきたような感じがして、家族との繋がりとか、家の傷み具合とか、口座の残高とか、膝の按配など、とにかく是非しっかりしててほしいモノがちゃんとしっかりしているかを、今一度確かめたくなります。 

 でも、正月が近づく頃には、何だか諦めたようにのんびりしてまうんですけどね。 あぁ、早く来い来いお正月。 

 今年も雪が降るのかな……、ドライバーにとって積雪ほど怖いモノはありませんからね。降っても、ちょっとだけにして欲しい。 

 あ、雪と言えばこんな話、ご存じですか? 

カマキリの卵です。 

 あの、ふわふわとした泡のような、薄茶色の2センチ位の塊です。

 ある雪深い地方では、カマキリがどこに卵を産み付けるかで、その年の積雪の量がわかるというんです。 つまり、その位置が高ければ、その年の積雪の量は多い、低ければ、少ない、という。 

 本当ならカマキリってすごい! 

 でもそれよりも……、 

 その法則に気付いた昔の人の観察力が凄い。なによりも科学みたいに理屈っぽくなくて素朴なところがいい。理に適ってるとか矛盾がないとか、そういうことじゃないんですね。ただそうだからそう、というね、お淑やかなゴリ押し。 

 そうです、どんなゴリ押しも、お淑やかにすればそれなりに受け入れられるはずなんです。 


 

 名刺? なんでアメリカ人が名刺なんか持ってるの。私はそう言いました。そして、大方、日本に興味があるとか言いながら、ただバカにしたいだけのアメリカン観光客の一人だろうなんか盗まれてないか見てくれ、とそう言いました。 

 そうです、私はアメリカがあまり好きじゃないんです。 

 だってあんなに横暴な国も他にないでしょう。自分だけが正しくて、自分の都合だけが優先されて、自分の考えだけが理解されるのが当たり前だと思っている。 

 どこでああいうみっともない考えが出来上がったんでしょう。アメリカ建国の理念って、なんでしたっけ? 

 多分自由とか平等とか言ってるんでしょうけど、そんなのはまるでまやかしです。 

 今世界の平和を脅かしている原因の一つは間違いなくアメリカですからね。 

 アメリカは、今後も永遠に反省するつもりはないのでしょうか? ずっとああやって、手前勝手な自由や平等を世界中にゴリ押しし続けるつもりなのでしょうか。 

 あぁ、捨てちゃえ! 

 私は昔の子にそう言いました。はーい、と昔の子は言われるままにその名刺を捨てようとしたのですが、 

 ちょっと待って! 

 私はすぐに止めました。それは名刺というには大き過ぎる、はがきほどもある紙でした。 

 なに? そのデカさ。名刺じゃないでしょ? 

 だって、名前しか書いてないですよ。ジェイソン……、ヒル。 

 ジェイソン ヒル。きっとアメリカにはよくある名前でしょう。私は以下の事を書く前に、あらかじめにネットで調べてみました。するとアメリカンフットボールの選手がいました。音楽家にもいました。でもこれから話すジェイソン ヒルはもちろん彼らの事ではありません。 

 私の言うジェイソン ヒルは私がアメリカにいた時に知り合ったユダヤ系アメリカ人の事です。彼は私と会うなり、俺はニューヨーカーだ、とくだらない嘘をつきました。日本人ならニューヨークと言えば一目置くだろうという、ジェイソンの甘い憶測がその計算高くギラギラとした青い目に見えたので、私はいっぺんに嫌になって、へぇ、と言って軽く受け流したんです。すると、 

 お前、日本みたいなF●CKな国から来たくせに、俺の言う事を信用してねーのか! この腐れF●CK’N J●P!と言いました。 

 そしてその翌日、 

 ごめんな……、昨日は酔っぱらってた。何言ったか覚えてないけど悪かった。そう言って謝ってきたんです。 

 あぁ、いいよ、俺もよく覚えてない。 

 私がそう言うと、 

 なんだよお前その態度は! 俺が謝ってやってんじゃねーかよ。J●Pのくせにマウントを捕ろうとすんじゃねーよ、お前なんかアメリカじゃあただの下等民族なんだからな、勝手に道を歩くなよ納税もしてないくせによ! 

 と、また勝手にブチ切れた上、いきなり殴りかかってきたのです。警察沙汰にしてやろうかと思ったんですが、その時バーには、コカインやLSDを持っている客が大勢いて、店と客の全員から全力で止められたんです。 

 ジェイソンは勝ち誇ったように、ほら見たか。お前の仲間なんて、ココには一人もいないんだよ。 

と言いました。確かにそうだと思いました。 

 私はもう、こんな集団に迎合するのは真っ平ごめんだと思いました。そんなの当たり前です。自分の事しか考えてない、自由も平等もクソもない、アメリカという国は、アメリカをリスペクトする誰もが住める国だと聞いていました。でもそのアメリカはアメリカ人が考えた手前勝手なアメリカの事で、偏狭で、差別的で、他人の事などまるで意に介さない。そしてその意に介さない事が意志の強さ、ねじ伏せる力がリーダーシップだという、そんなバカな勘違いをしていないと、誰一人として自分のアイデンティーがわからない様な脆弱な集団なんです。

 その結果、声の大きな方、体の大きな方、力の強い方、金を持ってる方が優位に立つ、あらゆる特徴の暴力的な方が優先される、そんな安物集団に成り果てたのです。そしてそんな理不尽さを合理的だ!と言って喜んで採用しているんですから呆れたモノです。そんなのは、我々日本人の目から見れば民族でもないし国家でもありません。ただの雑民です、烏合の衆です。 

 アメリカって結局なんでもない、この旗の事なんだな……。 

私は、バーの便所の横に軽薄に掲げられた星条旗を見て口元の血を拭いながらそう呟いたんです。 

 それからもジェイソンは、事あるごとに体の小さな、英語の拙い独りぼっちの日本人である私をバカにして、時に脅して、殴りかかって、隙を見ては私の金を盗もうとしました。 

 当時、私は一週間150ドルという、ウクライナ系移民が経営する激安モーテルに住んでいたんですが、どういう訳かそこにもジェイソンはやって来ました。まるでストーカーです。ジェイソンは、 

 おい、腹減ったよ。バナナ買ってくれよ。 

 と言ってきました。バナナなんて1房、2ドルもしない安い食べ物だったので、面倒くさいから買って追い返してやるかと、一瞬思って慌てて首を横に振りました。私はまんまと、ジェイソンの鬱陶しさに、アメリカに屈するところだったんです。 

 私は知る限りの汚い英語で、お前に喰わせるバナナはねぇ! と言ってやりました。 

 するとジェイソンはいきなり私の目覚まし時計を投げつけてきたのです。目覚まし時計はガラス窓を突き破って外に飛び出しました。 

 慌てて飛んできたモーテルのオーナーにジェイソンは、このJ●Pがいきなり俺に時計を投げつけてきたんだ。警察を呼んでくれ! 

 と言ったんです。 

 しかしオーナーはモーテル経営の資格を持ってないらしく、もじもじとしただけで通報はしませんでした。そして契約書に書いてあるという事で、私に窓の修理代を請求してきました。私は英語が読めないので、仕方がなく窓の修理代を弁償したんです。その金額すら正当な価格であったかどうかわかりません。 

 もうこれ以上、ジェイソンについて、アメリカについて書くのは止めにします。これで私がアメリカを好きじゃないわけが十分わかってもらえたと思います。 

 

 ジェイソンはジェイソンでアメリカじゃないだろう、という声も聞こえてきそうですが、私にはジェイソンこそがアメリカなんです。それ以外のアメリカはジェイソンの背景に過ぎません。 

 ただ私が日本に帰る時、ジェイソンはなぜか魚の置物をくれたんです。それは細工の悪い木彫りの、そして手荷物にしては邪魔なぐらいに大きなモノでした。それには手紙らしい紙切れがくっ付いていたのを思い出したのです。 

 私は空港に向かうタクシーの中にその魚の置物を置き去りにしました。どうしても一緒に飛行機に乗るのが嫌だったので。どうしても日本に連れて帰るのが嫌だったので。 

 ちょっと見せて、私は昔の子からその大きな名刺を受け取りました。名刺にはヘンプの匂いが染みついていました。あのバーと同じ匂いです。名刺の裏側にはやはり、うっすらと消えかかった短い英文が書き添えられていました。 

 『帰ると聞いて驚いたよ。お前はずっとアメリカにいるんじゃなかったのか。もうアメリカには帰ってこないのか? この魚はスシじゃないぜ、くれぐれも体に気を付けて、また会おう』  

 ジェイソンが死んだ事を、私は日本の新聞で知りました。ミネソタ州で起きた白人警察官による黒人男性暴行死事件は、瞬く間に世界中に広がりました。カリフォルニアで起きた抗議行動に巻き込まれて死んだ白人男性の名前がジェイソン ヒルでした。あのジェイソン ヒルかどうかは、わかりません。 

 ジェイソン ヒルはなぜ殺されなければならなかったのか。 

 こうネットに書き込んだのはある黒人活動家です。彼は、アメリカには人種、宗教、言語、性別の他にも様々な差別がある。それはアメリカには民族としての一貫したアイデンティティーがないからだと指摘します。日本では古来からの宗教である日本神道と、外来の宗教である仏教が仲良く共存している。生まれた時には神社に参り、死んだらに葬られ、クリスマスにキリストの誕生を祝った一週間後の正月には年神様を迎えるという。そこにあるのは、通底する一つの民族としての日本であり、アメリカにはこれが完全に欠落している。しかしアメリカにも通底するモノがある。それは我々アメリカ人の多くが、黒人も白人も関係なく、自由と平等のシンボルとして信じて疑わない、個人至上主義という考え方だ。自分の人生は自分のモノ、自分の意志でどう扱っても構わないという考え方がそれだ。だが当然、一人の人生には多くの他人が深く関わってくる。もしジェイソンのような素行不良で薬物中毒の人間までが、この考えを手放そうとしないならば、それは一変して毒となり、人間を滅ぼす思想へと変貌するのだと。我々が銃を手放せないのもそのせいなのだと。

 集団と個人を同等に考えるのが個人主義だ。個人を優先させるのは個人至上主義だ。我々は個人主義と個人至上主義を絶対に混同してはならない。

 しかし私には、ジェイソンはまったく個人至上主義者には見えませんでした。彼はむしろ個性のない抜け殻のような人間でした。 

 彼はただのひねくれものでした。人がああ言うとこう言うだけの、口の減らないただのバカな男でした。そしてアメリカ社会からもドロップアウトした哀れな1個人でした。 

 彼は最後まで、アメリカ人であるためのアイデンティティーを必死に求めていたんだと思うんです。アメリカ人と言うアイデンティティーが自分を苦境から救い出す唯一のアイテムだと気付いていたんでしょう。 

 私はジェイソンに会ったおかげで、自分が日本人として生まれ、宗教も言葉も性別も、何もかも織り込んで日本人である事を自覚出来ている事に気付きました。たとえ金がたくさん稼げなくても、両膝が悪くても、視力が悪くても、体が小さくても、頭が悪くても、見た目が悪くても関係ありません、とても感謝しているのです。 

 ジェイソンはきっと、いちいち戦わなければならなかったんだと思うんです。日本人が来たらその日本人と自分。アメリカ人が来たらそのアメリカ人と自分。しかしアメリカンとしてのアイデンティーはついに彼には示されなかったようです。 

 彼はきっと暴徒化した群衆に、あの口の悪さで何かを言ったんじゃないかと思うんです。それでトラブルに巻き込まれて殺された。 

 でもその一言は決してF●CKブラックでもF●CKホワイトでもなかったと思いますよ。 

 きっとそれは、F●CKアメリカ! 

 雉も鳴かずば撃たれまい。 

 ホントに、どんくさい奴……。いいかジェイソン、ゴリ押しはな、もっとお淑やかにするもんだよ。腹減らない? バナナ、一緒に喰わない? そういえばきっと私は快くバナナぐらい奢ってやったさ。それで一緒に喰えばよかったんだよ。そうしたら私はガラスも弁償せずに済んだんだ。すべてはお前のせいだ! お前がバカなせいだよ! 

  店長、変なモノがありました、そういう昔の子の手には、 何だか見覚えがある魚の置物がありました。 

 こんな商品、ありましたっけ? 

 あぁ、いいよ、そのまま置いといて。 

 売るんですか? 幾らにすればいいんですか?  

 そうだなぁ……、私は当時、モーテルのガラス代が75ドルだったのを思い出して、 

 じゃあ、75ドル、と言いました。 

 75ドル! 高っ! 絶対売れませんよ! 

 いいんだ、いいんだよ。 

 ジェイソン、私は絶対にお前にガラス代を弁償してもらうからな。だから何十年でも、この魚の置物は75ドルだ! 


第18章

休みの日はなるべく外に出る事にしてるんです。妻にも運動不足を指摘され、膝のためにも継続的な運動を心がけた方がいいんじゃないかと言われました。 

 そういう訳で今、散歩中です。 

 近所に散歩にとてもいい公園があるんですよ。広くて、緑もたくさんあって、散歩用のコースもあって、ジョギングをする人に抜かれたり、すれ違ったりして。 

 楓でしょうか、大きな枯葉がサラサラと風に流れてゆきます。擦れ合う裸の枝と枝が、夏とはまた違う乾いた音をさせています。夏がもう完全に終了して、実りの秋が来たんだなと感じますね。秋といえば、とにかく食べ物が旨い! 戻り鰹に秋刀魚、栗に柿にキノコいろいろ、お米も新米が出て、スーパーにはおでんセットがお目見えします。それに一年の夕暮れ時の夕暮れ色はまた格別に綺麗です。この赤トンボが全部落ちたらさあ、冬ごもりですよ皆さん。これからどんどん寒くなります。覚悟はいいですか? 

 欅の幹にセミの抜け殻が付いてました。おそらくこの抜け殻の主はもうこの世にはいないでしょうね。凧が高い枝に引っ掛かってます。夏の間は葉っぱで見えなかったのでしょう。それで諦められてしまったのでしょう。何だか絶望的に見えます。柴犬が斜めになって飼い主を引っ張ってます。どこにそんなに急いで行こうとしているのか。とにかく前に進みたい、何かいい事があるかもしれない! そんなポジティヴで一途な眼差しが、生き急ぐ犬の姿そのものに感じられて、また愛おしいですね。 

 母の具合は、あれ以来何の連絡もないところを見るときっと悪いなりに落ち着いているのでしょう。私から連絡をする事はありません。実家にとって私はバーチャルな存在ですから。パソコンや携帯電話の電源を入れない限り、私は存在しないのですから。 

 あれ? 

 いつも歩いている散歩道のはずが、突然わからなくなったんです。このまままっすぐ進めば、時々息子が練習に使っている野球場の近くに出るはずなんですが、その高い照明塔が、もうそろそろ見えてくるはずなんですが……。 

 ないんですよ。野球場が。 

 野球場がなくなるなんて事はあり得ませんから、多分私が道に迷ったんでしょう。でも一本道をどうやって迷う? 

 私は後ろを振り返りました。そこには今来たばかりの道が続いていました。当たり前です。そこにはランナーや散歩をする人達が見えます。これも当たり前でしょうね。私も彼らと同じに素性を隠して散歩をしている、そんなお互いに見覚えがない人同士が妙に親し気に近寄ってくる感じです。 

 私はそのうちの、夫婦と思しき男女を見ました。その二人はジョギングと言うにはあまりに遅い、早歩きぐらいのペースで近づいてきます。明らかに着こなれていないジョギングウェアは色違いのお揃いです。私の心臓が突然早く鳴りだしました。 

 すれ違いざまに男性が、

おう! と私に声をかけてきたのです。 

 それは父です。8年も前に死んだ私の父。 

 そして隣の女性は母です。認知症で寝たきりの母。 

 8年前に死んだ父と、認知症で寝たきりの母が、何で並んでうちの近所の公園をジョギングしているんでしょう。でもそんな時、私は敢えて疑わないように心掛けているんです。ほら来た!今だ! とばかりに、目の前の光景をどう解釈するのが一番自分にとって快適か、素敵か、魅力的か判断したいと、常に思っているんです。父は言いました。 

 何や、ジョッキングしてんのか。そうやな、お前ももう、そこそこの年なんやからな、運動もせなアカンな、酒ばっかり飲んでたら、お父ちゃんみたいに80前で死んでしまうぞ。それに最近お前、変な夢見るやろ、それな、肝臓や。肝臓が知らせとんのや。沈黙の臓器、肝臓の悲鳴やで! 

 父は突然死にました。死ぬ前日まで、車で母とデパートに買い物に行っていたんですよ。そして母がどうしても欲しいとおねだりしたらしい、安物のスヌーピーの財布を買って帰ってきたんです。 それは金色を下品にあしらった、いかにも正規品ではない悪趣味で大きな財布でした。

 知ってました? 人が突然死ぬと警察が来るんですよ。私の実家にも警察が来たそうです。不審死でないか、状況を調べるのだそうで、掛かりつけの医者も来て、持病について警察と話していたそうです。 

 母は帽子を目深にかぶったまま、俯いて黙っています。顔はよく見えませんけど、母に間違いありません。 

 父が死んだと思われるその同じ日の同じ時刻。 

 私は新曲の歌詞を考えていたんです。8年前は、まだバンドをやってましたから。でももうダメかなぁ、って薄々自分の才能や可能性に見切りをつけ始めていたんですね、じゃあ何する? こんな年までこんな事に人生引っ張っておいて、じゃあこれから何をするんだよ。と問いかけてくる自分が鬱陶しくて仕方ありませんでした。だから体に負荷をかけて、ここまでやったんだという無理矢理な事実を捏造するために、私は音楽をやってたんですね。でもそれはただの言い訳で、ただ往生際が悪いだけで、そんな事をしてもいい作品は生まれませんよね。 

 時間は午前3時か、もう4時近かったかもしれません。 

 電話が鳴ったんです。母からでした。 

どう? 何してんの? 

 何してんのって、夜中の3時ですよ。母はその時すでに認知症の症状が重く、道に迷った時のために、服にはすべて、名前と、住所と、血液型と、電話番号が書かれた布切れを縫い付けられているほどでした。だから電話なんて掛けられるはずがありません。 

 先生は、何時来てくらはりますか? 

 でた、先生……。母は兄の事も私の事も何かの先生だと思っているらしく、先生、先生、と呼ぶんです。 

 なるべく早い方がええんですけど、まだまだ掛かりますか? 

 そうやねぇ、今から行っても明日の昼過ぎになりますわ。 

 認知症には調子を合わせるのがいいときいていたので私はそう答えたんです。 

 そんな!そんな遅なりますのん? 男の子がえらいしんどそうなんですわ先生、何とかもうちょっと早よなりませんか? 

 なりませんなぁ、ここ埼玉ですしね。 

そんなん埼玉かなんか知らんけど、タクシーかなんかでシュッと来てくらはったら、お金はうちが払いますさかいに。 

 いやいや、お金貰うてもね奥さん。行かれへんもんは行かれへんのんです。もうちょっとしたら朝やから、ほしたらまた連絡ください。 

 私はそう言いました。 

 ほんなら、なるべく早よ、ホンマに真剣にお願いしますよ。 

 はいはい、と私は電話を切ったんです。 

そして7時半ごろ、本当にもう一度、実家から電話があったんです。 

 兄でした。オトンが死んだ、と。 

 私がもしあの時、母の様子を察してすぐに兄に知らせていたら、父は助かっていたかも知れませんね。せっかく母が知らせてくれたのを、私は、はいはい、と言ってやり過ごしてしまったんです。

 葬儀の日の夜、母は仏壇の父の遺影に向かってじっと座っていました。オカン、もう寝るよ。と言うと、 

黙っとって! 今お父ちゃんと話してんの! と言って、またジッと遺影を見つめているんです。 

 あの時、何話してたん? 

私は母に訊きました。母は俯いたまま、もうええねん。と小さく言いました。 少し照れているようにも見えました。

 いろいろあったけど、それはそれやねん。思い出なんかな、一緒におったらあってない様なモンやねん。最終的にな、一緒にランニング出来たら、そんでええねん。ほんで、どっちかがしんどなったら休み、今度はちゃう方がしんどなったら休みしてな、ゆっくりでもずーっと一緒にランニング出来たら、ほんでみな、ええねん。 

 ワシら、ずーっと走ってるから、お前もちょいちょい走りに来いや。まあ、そんな再々は会われへんかも知らんけどな。でもホンマに、運動せな、ホンマに、酒を飲みすぎんようにせな。せやないとホンマにお父ちゃんみたいに、ホンマに80前でぽっくり死んでまうぞ。わかった? 

 父はそう言ってまた、母と一緒に早歩きほどの速さで走っていきました。 

 その向こうには高い照明塔が見え、へぇい! ふぇい!という野球少年の声が聞こえてきました。お揃いの二人も、あんなに小さくなってしまうともう、果たして本当に私の父と母だったのかどうか疑わしくなります。やがて植え込みの向こうに曲がって消えました。 

 バーチャルな息子に会いに、わざわざバーチャルな世界に会いに来てくれたのかもしれませんね。息子が生まれた時、わざわざ京都から会いに来てくれたように。

 酒、ね。確かにね、ちょっと控えるかな。でもこれからが食べ物がおいしくなる季節だしなぁ、鍋とビール、おでんと焼酎のお湯割り。まあ、考えるともなく考えておきましょう。 


第19章

 う~む、秋ねぇ、秋物ねぇ……、と。 

 ここ数日、秋モノのデザインについて仕事の間も考えているんです。ほらほら!また車ぶつけるぞ!と言われそうですね。はい、気を付けます。だいいち、秋モノを秋に考えてるんじゃあ遅過ぎますよね。その通りだと思います。でも秋って四季の中で一番短い気がしません? うかうかしているとすぐに冬になってしまう。 

 だいたい秋は定義が曖昧だと思うんです。休みがないですからね。春休み、夏休み、冬休みがあって、秋だけないんですね。きっとそれもあるかも知れません。 

 いったい何がどうなっている間が秋なのでしょう。銀杏を踏みつぶして、くせぇ!って言っている間は秋なのでしょうか、ビールの秋限定ラベルを売ってる間は秋なのでしょうか、富士の裾野に紅葉が始まると秋なのでしょうか、ジャック・オー・ランタンが町に並ぶと秋なのでしょうか。そして富士山が冠雪するともう冬なのでしょうか、ハロウィーンが終わるともう冬なのでしょうか、そして武尊山のライチョウが白くなると、それはもう完全に冬なのでしょうか。 

 確かに、景色や食べ物もいいのですが、もし本当に皆様と共有できる秋のイメージをデザインするとすれば、皆様と共有できる様な秋の体験、思い出を探ってみるのが一番いいような気がします。 

 でもねぇ……、秋の思い出ねぇ……。 


 店の近くの公園に、晴れた日には近所の保育園から園児達が、よくお散歩に来るんです。お兄ちゃんお姉ちゃんは手を繋いで、もっと小さい子はワゴンに乗って。 

 可愛いですよ。小さな蹲踞で砂場で砂をほじくってたり、真剣な顔で団栗を砂場の縁に並べたりしてるのを、私もたまに訪れた時に見たりするんですが、木立ちと同化したりまた現れたり、まるで走り回る妖精の影と一緒に遊んでいる様に見えます。そして時間が空間と一緒に山の向こうまで、明日のその先の先の未来までグーンっと引っぱられている様に、秋の日差しはとても柔軟に感じられるんです。夏と比べると随分柔らかです。 

 落ち葉は地球のお昼寝毛布~、そっと包んであげましょう~、ってね、子供達が可愛い声で変な振り付けで歌ってます。 可愛いですね。

 それでね、 

 その園児たちを引率の保育士の方で、ものすごく綺麗な女性がいるんです。本当にモデルみたい。身長は私ぐらいあるでしょうか、でも顔の大きさは私の半分ぐらいでしょうね、腰の高さなんてもう、並ぶのが恥ずかしいぐらい。それなのにいつもジャージの上下で、化粧っ気はまるでなくて髪の毛もギュッと一本に結んでて……。 

 いえ、別にじろじろと観察していたわけじゃないですよ。その人の事は、昔の子から聞いたんです。 

 あの店の店員さんね、とその人の方から声をかけてきたそうなんです。ちょうど昔の子が、妻の焼いたパンを持って公園を斜に突っ切ろうとしていた時だそうです。その人は以前うちの店に来てくれた事があるらしく、昔の子の事を覚えていたようです。 

 突然美人に話し掛けられたからきっと、昔の子も緊張したのでしょうね、訊かれてもいない店の事をあれこれと喋ったそうです。 

 うちは実際にある店じゃなくて、ブログの中にだけあるお店で、だから来店できるのはそのブログの中にいる人だけなので、この公園も、公園の木も、太陽も風も、あなたも、きっとブログの中にだけいる一般人なんです。 

 なんて言ったらしいんですよ。 

 へぇ……、と、その人はわかったようなわからないような返事をしたそうですよ。そりゃそうでしょう、目の前にある公園も、公園の木々も、風も太陽も、自分が引率して連れてきている名前も顔もはっきり覚えている小さな子供達までが、ブログの中にしかいない一般人だって言われてピンと来る人なんていないでしょう。 

 それから昔の子はその人と挨拶を交わすようになったらしいんです。なかなかやります昔の子。 

 きっと昔の子は、その人の姿をみつけると用もないのに公園を訪れたりしていたのでしょうね。ほら、以前にも何度か昔の子が店にいない時があったじゃないですか。多分あの時がそうです。いいんです、どうせ店は暇ですし、昔の子も男の子だから優しい美人が気になるのは当然です。

 昔の子の話では、その人は遠い町から通っていて、病気のお母さんの食事を作ってから出勤するので朝はとても早いんだそうです。だから冬はまだ暗いうちに起きて家を出なければならなくて、それがちょっとだけ辛い。でも秋は逆に朝が楽しいのだと。だんだん開けてくる朝の風景は、ほかのどの季節よりも秋が一番綺麗で、見ているだけでなんか得したような気分になるんだそうです。 よーし、やるぞ! って、やる気がもらえるって。

 昔の子の話を鵜呑みにすれば、この人は全く非の打ち所がない素敵な女性ですが、私は初めから、なぜこんな綺麗な人がモデルや女優を目指さなかったのかと、不思議に思っていました。 私も何度か遠巻きに見たことがあるのですが確かに、ちょっといないほど綺麗な人です。

 一度も考えなかったのかなぁ……。いえ別に、美人が必ずそれを飯のタネにしなければならない理屈も道理もないのはわかってるんですが、ないものねだりの絵空事として、もし私が男に換算して彼女に見合うほどの美形を持って生まれていたならば、一も二もなくモデルか俳優を目指していただろうと思いますよ。多少演技が下手くそでも歌が下手くそでも、あれほどに美形ならば関係ありません。周りが何とかしてくれるんです。人気者はね、最初から才能や実力で評価されないんですよ。大概は話題になってから。ビジネスの世界ですから、才能は養殖されるんです。しかし美貌は別です。つまりそこだけが一番大切なんですよ。スポーツにしろ芸術にしろ、持って生まれた才能を生かさないのは罪だと、以前誰かが言ってました。私もそう思うんです。それならば美貌だってそうでしょう。

 そして世の中からキャーキャーと騒がれて、いいギャラ貰って、いい家に住んで、いいモノ食べて……。かつてロックスターを目指していた頃の私にとって、そんな世界はごく身近にありました。現実のすぐ隣に、手を伸ばせば届く場所にある世界でした。 

 そんな荒唐無稽な世界を久々に私に真面目に想像させるほど、そのジャージの上下でノーメイクの人は現実離れして綺麗だったのかなと、まあ思い出しての1.5掛けにしろ、今はそう思えるんです。 

 昔の子が最後にその人を見たのは、先月の始めの秋の長雨が続いていた頃だそうです。雨の中、傘を差して公園に来ていたその人はいつもと違うスーツ姿だったそうです。その人は公園の隅にある小さな祠に、何かを置いていたそうです。いつもと違う様子に、昔の子は思わず飛び出して行ったに違いありません。 

 その人は昔の子に気が付くと少し場都悪げな顔をした後、すぐに笑顔になって言ったそうです。 

 私、保育士辞めるの。だから、この公園に来るのも今日が最後なの。だから、ずっと子供達を見守ってくれていたこの祠さんにね、ありがとうを言いに来たのよ。 

 あぁ、そうですか。こちらこそ、ありがとうございます。 

  変な挨拶をしました、と昔の子は笑います。 

 いつかあなたが言ってた、ここはブログの中にだけある町で、公園も、公園の木々も風も太陽も、この雨も、ブログの中だけにあるんだって話。あれは私もそうだと思うの。本当の事だと思う。私はずっとここをブログの中だと知らずに住んでて、そんな世界が全てだと思ってた。でも今、こことはまるで違う他の場所で生活する事になって、そうじゃない事に気付いたの。私はこの世界からはいなくなる、みんなとも、この公園とも、もちろんあなたともお別れかと思うと少し寂しいけど、それはよくある事だし、避けようもない事だし、全然おかしなことじゃないわ。 

 お母さんに何かあったのかと訊こうとしてやめたんだと言います。うん昔の子、ナイスジャッジ! 

 その人は祠に何を置いていったの?

 祠には小さな、が置かれていたそうです。

 骨? 

 はい、小さな、鳥の骨みたいな。

 雨水の溜まった小さな白磁器の皿の上に、ちょこんと、小さな骨が置かれていたそうです。

 私はきっと嫌な顔をしたと思います。その時私が考えた事と昔の子が考えた事は、或いは同じではなかったかもしれません。

 これ以上は何も訊かない事にします。大丈夫、あの人は今もお母さんと一緒に幸せに暮らしているよ。

 いわゆる初恋ですかね。でも道祖神が? 初恋? いえ、悪くないかもしれませんよ。道祖神が恋をしたって。 


 ん~、秋か……、秋ねぇ~。 

 私が悩んでいると、パソコンから二人の言い争いが聞こえてきたんです。 

 寒いから窓閉めようぜ。昔の子が言うと、今の子が、風鈴が鳴らなくなるから嫌だ、と言っています。 

 いいよ、寒いから閉めようよ。 

 嫌だ! 

 今の子は相変わらず頑なでしたが、この日は昔の子の方がさらに頑なでした。 

 嫌じゃない! 閉めるったら閉めるんだ! 

 どうして?

 俺は、風鈴の音が嫌いなんだよ! 


第20章

今世界中で猛威を振るっているウイルスも十年後にはインフルエンザと変わらなくなるそうです。インフルエンザと変わらなくなる? なにが? 

それはとりもなおさず、人間の認識が、という事の様です。ウイルスの危険性は変わらない。ただ人間の認識が変わる。インフルエンザ並みにしか警戒しなくなるという事。 

 毎年多くの人が命を落とすインフルエンザは実際はまだまだ克服されていない危険な伝染病であるにもかかわらず、インフルエンザはやってるから、気を付けてね、手洗い、うがいしてね、なんて言うぐらいで、別段普段と変わらず満員電車に乗って通勤、通学し、映画館や遊園地へ出掛ける様に、そのうちなる。 

 要するに、このウイルスの危険を意識しなくなる時が、あと10年でやって来る、という事のようです。つまり終息とは頭の中の問題らしいです。いいです、それで納得するならば、要はみんなが納得すればそれで収束なんですね……。 

さて、 

 私がパソコンを閉じようとしたときに聞こえてきた二人の言い争いは、これから思わぬ方に向かいます。 


 風鈴の音が嫌いなんてそんな事、言ってなかったじゃないか。 

 俺は、秋の風鈴が嫌いなんだよ。 

 秋の風鈴? 夏の風鈴と何が違うの? 

 違うさ!全然違う! お前も、死んだならわかるだろ? 

 ううん、わからない。死んだけど、わからない。 

 その間も、窓辺の風鈴がチリチリと鳴るので、そのたびに昔の子は嫌な顔をします。私も以前は、昔の子はそんな事は言ってなかったように思うのですが……。 

 お前、お葬式って出た事ある? 

 ない。家族の誰よりも先に僕が死んじゃったからなぁ。 

 俺は父さんの葬式に出た。でも父さんはそこにいなかったんだよ。遺体が帰ってこなかったんだ。代わりに、戦地の石が送られてきた。うちの家族はみんな、その石に向かって手を合わせたんだ。バカバカしいだろ。 

 うん、変な感じだね。 

 悲しくもなんともなかった。最後に父さんに会ったのは戦争が終わる3か月ほど前、今度は南の方に行くって言ってた。俺の頭を2・3回、ポンポンって叩いて、しっかり頼むぞ、って。でも目は俺は見ていなかった。俺の事なんか考えてなかったんだ。きっと父さんはもうずっと遠い海の向こうに行きっ放しで、今目の前にいる父さんは実際にはここにはいない。父さんはもうこの世にはいないんじゃないかって、そんな感じがしたんだよ。 

 ふ~ん、で、何で風鈴が嫌いなの。 

 うちの家族はみんなやせ細ってて、おじいさんも、おばあさんも、母さんも。後は妹。妹には実際には会ったことはないんだけどね。 

 え? ないの? 

 うん、ここがややこしいんだけど。僕が死んだ後に生まれたんだよ。 

 え? でも。 

 まあ聞いて。出棺の時、鈴を鳴らすんだけど、その音が風鈴と同じなんだよ。季節は秋だった。俺は空腹でさ、父さんの葬式どころじゃなかったんだよ。もううち帰って、ふかし芋を思う存分食べたかったんだよ。枯れたススキが揺れる田舎の細い道を、ゆっくりゆっくり歩いて何の意味があるんだよ! もういいよ、さっさと帰ろうよ!帰ってみんなでなんか食べようよ! そう言ってさ、後ろを振り返ったんだよ。そうしたら……。 

 うん、そうしたら? 

 父さんがいるんだよ、俺のすぐ後ろに。俯いて付いてくる。びっくりしたよ。みんなと同じ速さで、ゆっくりゆっくり歩いて。俺が、父さん!ってね、そう言って袖を掴んだら、父さんは袖口を見て少し笑って、そうか、そこにいたのか……、って小さな声で言ったんだ。そしてその時、赤とんぼがね、父さんの肩に止まったんだよ。それでわかった、これは、俺の葬式なんだって。 

 俺の手から滑り落ちた茶碗を、母さんが拾い上げて、ススキの原に投げたんだ。それは夕暮れの空に、ホント、ユーフォーみたいに綺麗に飛んでった。俺は父さんに抱き上げられて、納屋の後ろで服を脱がされて体を綺麗に洗ってもらった。白い布は貴重なのに、俺は真っ白な服を着せられて、あぁ、愛されてたんだなぁ、って、その時初めて思ったよ。もうちょっと早く気付きたかったなぁ。父さんがいないから、俺は本当に大変だったんだ。だから、父さんの事もちょっと恨んでた。最後の時も、しっかり頼む、じゃなくてさ、もっとさ、お前の事を愛してているぞ、とかさ、お前と俺は永遠に親子だ! とかさ、嘘でもいいから言って欲しかったよ。 

 わかった、じゃあ、風鈴は外そうよ。 

 いや、なんか話したらどうでもよくなったよ。別に大した事じゃない。父さんももう死んだよ。母さんも。もう全部終わった事だよ。 

 妹さんは? 

 妹はもう大学を出て結婚して子供もいるよ。生きてりゃ俺だってそうなってた。でもいいよ、幸せそうで何よりだ。 

 私はそこでパソコンを閉じました。時計を見るともう12時を過ぎてて、慌ててシャットダウンしたんです。次の日は宇都宮まで行かなければならなかったので、もう3時間も寝られなかったんです。 

 しかしね、いろんな季節があるもんですね。今年の夏みたいに、まるで夏らしくない夏もあれば、妙に物悲しい秋もあって。 

 おかしなことになるのはこの後なんですが、それは次にお話します。 


第21章

 長雨の一週間がようやく終わり、明日は朝から息子の野球の試合の遠征ため車を出す予定になってますが、台風の影響で試合そのものがあるのかないのかわかりません。そのうち連絡が来るでしょう。 

 街路樹の百日紅も少しずつ色が褪せてきました。でもあれはああいう花の色なんですね。実によく季節を語ります。だからあれは衰えた色じゃなくて、散り際に見せる誇り高い花の色、メッセージなんですね。 

 花の色は、うつりにけりな、いたづらに 

 我が身世に降る、ながめせしまに。 

 いえいえ、まだまだ、お美しゅうございますよ。 

 店の外に出るとふと金木犀の香りがして、その方向に目をやると、公園の小さなオレンジ色がもう地面にずいぶんと落ちているのが見えたんです。ドウダンツツジも少しだけ色付いてます。 

 急に寒くなったので金魚の水温が気になって店に来てみたんですが、私が店にいるとどうも落ち着かない様子なのでさっさと退散することにします。『風鈴問題』がまだ燻っているんでしょうかね。以下、店のモニタリングはパソコンで……。 

 苦しんでいるのかもしれません。あの子達も私も。ただそれに気付いていないだけ。以前、私は『今』について少し理屈を言いました。 

 それは光速に相対してリニアに進行する時間を極小のセクターに切り離した先っちょの事を『今』と言うのではなく、すべての時間が同時に悠久に長々として『今』である、という理屈。 

 薬棚に例えたこともありました。時間は目の前に無数に並ぶ薬棚のようなモノで、それを私たちは一つずつしか見られない。 

 文章を読む時も、どんなに速読のできる人も、1文字ずつしか見られない、それ以外は記憶の前後左右を繋げているというのに、少し似てますか。 

 時間が我々が永遠に生きる事の邪魔をしているのは間違いありません。時間が我々を等しく殺すのです。 

 生まれてから死ぬまでの時間が人生だと思っているから、死んだらすべてが終わる、という絶望的な考えしか思い浮かばないのですね。誰も、私も。 

 同時に2つの、3つの、いえ、無数の今があればどうだろう? いや、あるわけがない。意識が一つだから、命が一つだから、今も一つ。それは当然です。それが常識です。 

 アインシュタイン博士、過去へは戻れますか? 

 光速よりも早く移動できれば時間は逆行するはずだよ。 

 という質問と答えも、『今』『過去』『未来』が挟んでいると言うのが絶対条件が必要です。 

 じゃあやはり、全ての時間が同時に『今』であったならば、という考えは相当に無理があり過ぎるのでしょうかね? 

 量子論では、物質は確率的に存在する、なんてとんでもない事が発想されています。確率的に?存在する? 

アインシュタイン博士は、 

 君は月が見ている時にだけ存在すると、本気で信じられるのかい? と言ったといいます。 

 『存在』という言葉の意味も再考しないといけないほどの大胆な理屈です。こっちの方が無理があると思うのですが、今はこれが本当とされています。 

 単なる、解釈の違い? 見る角度の違い? 

 でもそれならば、今が同時にいくつあっても、それも確立の問題、というのはどうでしょうかね。 

 私は今、悩んでいるかもしれないし、悩んでいないかもしれない。 

 この夏、猫が死にかけました。本当に、たった一年で、大切な家族をひとり失くすところだったんです。一週間も何も飲まず食わず、薬すら吐き出してしまって、鳴きもしないでうずくまったまま。あぁ、この子はもうそう覚悟を決めてしまったのか……。 

 本気でそう考えました。 

 でもさすがは野良猫の子。日本が世界に誇る『ジャパニーズボブテイル』の原種だけの事はあります。 

 ある日、ペロっと、水を舐めたんです。 

 それからはもう、劣勢のボクサーが一瞬の相手の隙を見て猛ラッシュを掛けるような、ある種捨て身とも思える怒涛の食欲を見せ、今は元通り元気になりました。 

 でも、私はその事を、知っているかもしれないし、知らないかもしれない。 

 この猫は十何年後、ふといなくなってしまいます。 

 昔の子がその事を私に告げてくれたんです。窓辺にいたはずの猫が、どこを探してもいないと。 

 あれから、あの『今』からは何の連絡もありません。見つかれば、多分そう連絡があると思うんですが……。あるいはこの『今』ではないどこかの『今』には、もう連絡が来ているのかもしれません。 

 みつかりました! とか、縁の下に、毛皮をみつけました……、とか。 

 そんな連絡を受けた私は今、悲しんでいるのかもしれないし、喜んでいるのかもしれない。 

 昔の子は、父親の遺骨代わりの石と一緒に、自分は埋葬されたのだと言いました。一つの棺に、二人分も狭いよ。といいながら少し嬉しそうでした。 

 ジェットコースターに並んで乗っているようだね、と、今の子が上手い例えをしたら、昔の子はさらに嬉しそうに、そう、ちょうどそんな感じ、と言って笑ったんです。 

 昔の子と戦地の石。どちらが主役だったのでしょうね。敢えてあてずっぽうを言うと……、 

 戦地で亡くなった昔の子の父親は、終戦後しばらくして戻ってきたのかもしれません。そして、息子が既に亡くなっている事を知り、自分の身代わりに石を一緒に埋葬したのかもしれません。 

 飽くまで、かも知れません、ですよ! 本当に戦地で亡くなっていたのかもしれないですよ。それは誰にもわかりませんし、誰にも一つに決められません。 

 ただ昔の子はそのいずれも知っているから少し話がややこしいように見えるのです。戦地で死んだ父親の子が、自分が死んだ後生まれるわけがありませんからね。父親の葬式が自分の葬式にすり替わる事も、普通はありませんからね。ただし、すべてが『今』であれば、それは当たり前で簡単な事なんでしょうね。すべての確立が『1』になる世界。 

 アインシュタイン博士は、神はサイコロを振らない、と言ったそうですが、サイコロの1から6までが、すべて確率『1』になる世界にいるとしたら? 

 私は彼らの『今』をランダムに選んでいるという事になります。それはおそらく私の思う私の意志ではなく、私に関わる何らかの理屈か要素で。 

 すべての『今』を平等につまびらかに出来るようになることを『死ぬ』というならば、『死ぬ』は『生きる』のバージョンアップのようにも思えます。つまり私も生きながらすでに少し死んでいる。有漏路から無漏路に『帰る』のではなく、有漏路を無漏路に『換える』のでしょう。 

 ただしそうなるともう、時系列にものを考えたり判断したりする事は出来なくなりますからね。つまり悩みがなくなります。当たり前です、すべての時間が『今』なんですから。 

 要するに私はもっと自由に選べるようになればいいんです。そのための理屈や要素を、無限の薬棚から超能力的に、奇跡的に選び出せばいいんです。その確率はすべて『1』なんですから自信を持って。 

 風鈴はね……。 

今の子が言いました。 

 風鈴はね、僕が死ぬときに、最後に見たモノで、最後に聴いた音なんだ。 


第22章

 秋もずいぶん深まってきました。四季の中で秋だけを『深まる』と言うんですね。いい表現だと思います。春が深まる、とか、夏が深まる、とか、冬が深まる、って何となくしっくりきませんもんね。でも秋だけは深まるがぴったりです。 

 さすがにもう長袖ですね。私はバイク通勤なので、その上からブルゾンを着て、それでも早出の日なんかは寒くて震えます。 

 だからさ、やっぱり窓閉めようね、今の子

 店にも暖房を付けなきゃなぁ……。とりあえず私の部屋の電気ヒーターを持って来くるかな。ガスを引くと幾らぐらいかかるのだろう。店の営業が全然軌道に乗らないから、ブログの中の世界とはいえ、あまり大金は掛けられません。あ、先日、給料日でした。この、倍は欲しい!! 


 あの風鈴の音を聞いてさ、いつか誰かが僕に気付いてくれるんじゃないかと思ってさ。僕はまだまだ未練タラタラらなんだよ。 

 今の子が言いました。 

 風鈴が止みました。ずっと鳴り続けていた事に、鳴りやむまで気付かなかったんです。見ると金魚が水面近くにいます。それは気圧が下がっているせいだと思います。私が縁日で掬った金魚は今年36歳になります。 

 今の子は続けます。  

 きっと苦しいんだと思う。死ぬってさ、時間が止まる事だと思ってた。だからもう何があっても何も感じなくなって、永遠にジッとしてるもんだと思ってたんだ。全然甘かったよ。 

 え? そうじゃないのかい? 私はじっとパソコンの中の、二人の会話に耳を傾けています。 

 俺は生きられなかったけど、お前はなに? 自分で死んだのか? そうなんだな? 

 うん……、申し訳ないけど。僕は君と違って、ほとんどお腹も空いた記憶もないほど裕福だったよ。家族で旅行に行ったり、海外だって行ったよ。ハワイ、台湾、カナダにも行った。楽しかったよ。それがどうして死ななければならなかったのか、君には理解できないだろうね。 

 死ぬ理由なんていろいろさ。でも死ぬ瞬間の気持ちはきっとみんな同じじゃないかと思うんだよな。これしかないと思う。なんて言うか、泣きたくなるような。なにもかも全部投げ出して、とことん泣きたくなるんだよな。な、そうだったろ? 

 うん、そうだった。そして死んだ瞬間に、自分がどれぐらい自分の事を大切に思ってたか、愛してたかわかるんだよね。でもその時はもう遅い。 

 すげぇ美味かったよ。最後に喰った大根雑炊。汚ぇ茶碗でさ、雑炊ったって、米なんかほとんど入ってねぇの。でもあれが生涯で一番美味かった。食べてる途中から、カウントダウンが始まるんだよ。チッチッチって。あれ? 何だろう、って思うんだ。でもあんまり美味いから箸が止まらないんだよ。そして食い終わった瞬間に、スーッとさ、力が抜けたんだ。あんなのは初めてだったよ。それで、あぁ、これが締めくくりだな、って。それなりに納得したよ。もうこれで、俺のメニューはすべて終わったんだな、って。 

 あれは妙な感じだよね。僕も。僕は逃げたって、逃げ切ったってそう思いたいのに、死んだ瞬間にはそう思えなかった。頑張った、達成した、そんな感じ。でも生きてる限りそれは無理だったような。だから死ぬしかなかった、死んでよかったって。でもね、僕はやっぱり、未練タラタラなんだ。なぜって、僕はもっと生きていたかったから。 

 そうかぁ、俺は、もういいや。大変過ぎたからな。それに俺は自分の意志で死んだわけじゃないから生きる選択肢はなかったような気がするんだよな。 

 そんな自分を、君は可哀想だと思う? 

 可哀想? なんで俺が可哀そうなんだ? 俺ぐらい必死に生きた奴いないと思ってるぜ。小さな体で、知識もなくて、仲間もいなくて、戦後のあんな滅茶苦茶な世界でよく絶望しなかったと思うよ。そうだな、俺は絶望しなかったんだよな。そこはすげぇと思う。 

 君はすごいよ、ほんとうに。僕は絶望して自殺したから。だから未練があるのかな。いや、待てよ違う。なんていうんだろう。死んだ事を後悔はしてないんだよ。僕にもこれしかなかった気がする。でも、もっと何かやりたかったんじゃないかって、そんな感じの、なにかもやもやが残ってるんだ。君にはないの? 

 そりゃ生きてりゃいろいろあったろうね。でもそんな風に考えた事ないな。もう誰も俺の事を覚えてる奴なんかいないしね。みんな死んじゃったよ。妹がまだ生きてるけど、会った事ないもんね。 

 そうか、それか……。うん、確かにそれかもしれない。僕はまだ誰かが僕の事を覚えているから、だから生きたいのかもしれない。でもさ、生きてる人は死んだ瞬間がずーっと、今がずーっと続くのを知らないから、だからあんなに平気で喜怒哀楽を弄べるわけでしょ。それって楽しいのかな、なんの意味あるのかな、ってちょっと思う。 

 そんな事わかるわけないさ。日本人が日本語しかわからないのと一緒だよ。そういう世界でしか生きてないんだから。実際は『死ぬ』なんて現象がないなんて、どうやって説明するんだよ。彼らは、時間はずーっと前に進むものだと思い込んでるんだ。だからその上でしか何も考えられないんだよ。俺らだってそうだったじゃない。早く戦争終わらないかなぁ、とか、早く父ちゃん帰ってこないかなぁ、とか。そろそろお昼だなぁ、腹減ってなぁ、とか。 でも実際はそうじゃないじゃない。 

 もしさ、もし、ね。 

 うん。 

 もしも僕が生き返ったら、君とはお別れすることになるのかな? だって、幽霊と一緒にお店番なんか出来ないでしょ。 

 幽霊って言いうな! でもそうか。そうなるな。生き返ったら、お前はまた時間に縛られて暮らすことになるから、そうしたら、全部の時間が今の俺は、幽霊か……。 

 この店にも来られるかなぁ? 

まあ、店長がちょくちょく来るぐらいだから、来られなくはないだろうけど……。 

  君の事も忘れてしまうのかなぁ。 

 どうだろうね。生き返った人間は一人もいないからわからないね。でも、生まれ変わるなら頭が初期化されて赤ちゃんから始まるから覚えてないだろうけどさ、生まれ変わるとなると、どうだろうね。でも可能性低いぞ~! 


 先日、手紙が届いたんです。朝出がけにポストを見るのですが、大概は『家、売りませんか?』とか『家、買いませんか?』とか、『ピザ、二枚目は半額!』なんてフライヤーばかりが入っているのですが、その時は何か神妙な雰囲気の封筒が入っていたんです。私はそれを仕事用のリュックに入れて、しばらく忘れていたんですが、先日、雨の日に合羽を着ようとして、その封筒を再びみつけたんです。 

 封筒には実名が書いてありましたが、ここでは伏せておきます。 

 『突然のお手紙失礼いたします。 先日そちらのお店にお伺いしました。〇〇〇の母でございます。』