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『いきてるきがする。』《第21部・夏》




        第106章『緑君、書くよ、いい?(その4)』 

 日向はまだまだ暑いが木陰はもう然程でもなく、バーベキューの煙も臭過ぎず家々の笑い声とともに夏の陰影を燻らし、蝉の声もまたうるさ過ぎず木下闇の中にしっとりとして溜まっていく。風は吹き、また凪ぎして、前髪を少し煽られた妻もまだ泣き始める様子はない。息子の坊主頭もなめし皮のように汗が光ってとても綺麗。これは、絶好のチャンス、かもしれない……。

 「ここまでよく頑張ってきたと思う。うん、本当に立派だと思うよ。」

 よし、上手く言えた。父親のスピーチとしては合格点だろう。この非の打ちどころのない現実に私はしばし満面の笑みを浮かべる。そして、もうこれで十分。私の息子に対して言いたい事はすべて終わった。そしてここからは、私は父親も脱ぎ捨てて更なるこの、途方もなく大切で魔法的に変転する素敵なウソに、下卑た現実が混じらないようにと、それはそれはもう慎重に慎重に、出来得る限りの『今』を閃き、それを寄せ集めて……。

                 *

 小学生の頃、近所の空地に野晒しになっていた古いプレハブの所有者が分からず、どうするのか議論の末、町内会の費用で取り壊すのは理屈に合わないし、かといってこのまま放っておくのも下品だし物騒だと急遽、所有者が特定されるまでそこで開催されることになった『版画教室』なる場当たり的な企画に、おそらくは一枚噛んでいたのであろう親父に唆され入会させられた時、まだ作品を一つも作る前から『天才少年』と褒め称えられ持ち上げられ、なんか怪しいと思いながらもせっせと作品を作ったがその実、その裏では大人たちから、「あんなのは盗作だ、凡人の見栄だ。」と揶揄され馬鹿にされていたと知って失望して泣いた時の自分の顔や、

 のちに母親に『お父さんの留守中に子ども一人殺した』と回想させる事になる、父親が海外旅行中の夜中に喘息の発作を起こし、近所の町医者で打ってもらった注射に対する過剰反応から意識不明になり、宮津市の救急病院のベッドの上で辛うじて目を覚ました時の『あれ? 僕、死んだんじゃあないの?』と何の不思議もなく平然と自分に問いかけた明け泥む朝の危なっかしい光や、

 自宅の裏山に引き籠り用の基地を建設中に足を滑らせて滑落した時に一度だけ見てそれ以来一度も見ていない、羽に数字が書いてある奇妙な蝶々の姿や、

 バンドの練習の帰り、平塚市・南金目の緩いカーブで転倒し、アスファルトの上を滑走する左上を火花を散らしながらゆっくりと離れていくバイクの映像や、

 とにかく、ありとあらゆる『今』とそこに接触する様々な場所や人、散らばっているであろう記憶も及ばないほど遠く微細な出来事や、またそのそれぞれに伴う会話や眼差しや表情の全てに適合するように、そしていつかその誰とどこで出会っても一切の矛盾もないようにと、私は話し掛けている。

                  *

『昔の子』「なんで急にそんな変な事を訊くんです?」と言った。

「誰にとっても『毎日』という区切りは、あるようでないようなモノでしょ。それは自分のモノじゃないし、誰のものでもないかもしれない。だからよっぽどのことがない限り不思議がってもいけないし不満を持ってもいけないと思ったんだよ。」

 『昔の子』は、ふ~んと不得要領な様子。私はさらに、

「ただ、生きてるって事自体は疑いようのない事実だから、これは確実に自分のモノだけど、でもそれだけに、これもやっぱり不思議がってもいけないし、不満を持ってもいけないと思うんだよ。」

 息子は私の次の言葉を待ってじっとこっちを見つめている。私は続ける。

「だってさ、不思議と思うのは心の底では疑ってるって事だし、不満を持つのは心の底では否定してるって事でしょ? でもこれらはそんな事が通用するようなレベルじゃないって事を言いたいんだ。実際、美しいとか、好きとか、形も色もないけど、もっともっと絶対的で圧倒的、じゃない?」

『昔の子』『今の子』は同時に頷く。息子も。

「でもその同じ事が、私には美しいけど君には醜かったり、迷惑であったり、腹が立ったり、悲しかったり、怖かったりすることってあるよね?そしてそれはその逆もあるという事だね? つまり、じゃあ実際には何が起きてるかって事。数学的すぎる?そんな事ないと思うんだけど……。

 3人はまた同時に頷く。私はさらに続ける。

同じ一つの出来事を、或いは甘受して、或いは拒絶する。そんな事ってあると思う? そう、ないんだよ。絶対ないの。だから、どうしても痛い思いをしたくなければ自分をゼロとして、まったく無視して他人と接するとか、そんな事がもし出来ればいいけど、出来る? 出来そう?」

3人は今度は同時に首を振る。 まだ私は続ける。

「そうなんだよ。私も君を見ててそう思ったんだ。すべては仲間がいるから初めて出来る事なんだなぁ、ってね。『他人パワー』というヤツだよ。その相手は別に知り合いである必要はないんだよ。嫌いでもいい、なんなら一生一度も会わなくてもいい。でも誰もいないのとは違う。誰もいないとたぶん私たちは一生、何一つも気付かない。理解も出来ない。そうしてやみくもに自分のためだけに努力しようとしてみたり、逆に自分を度外視して自暴自棄な事をやったり、変な方にばかり向いてっちゃうんだよ。」

 初めて見る少年が一人加わる。私は彼に少し微笑む。

「そう。だから、今ここにいないから、いない。じゃあ済まされないんだよ。そんな無責任であるはずがないから。どんなに辛い時でも、必ずどこかに誰かがいてその誰かと共有している。辛いと思う事自体がそれを証明している。それ以外考えられない。それ以外はもうあり得ないんだよ。」

 そう言うと私は思わず、自分を許そうとして、すぐにやめた。それは迂闊にゼロになろうとしたのをやめたという事。よく見ると彼にはちゃんと緑君の面影があった。私は安心してさらに言った。

それは生きていても死んでいても同じ事なんだよ。どんな辛い時間でも、そんな時間すら貰えなかった子もいる。じゃあ貰った人間はどうする? どうするべき? 要らないならじゃあ、あげたら? その子ならきっと大事に使ってくれるよ。『うわぁ、大変だなぁ!』 なんてね、笑顔で言いながらね。でもあげられないなら、代わりに僕らがその子のやりそうな事をやるんだよ。そうやって『今』を共有する。それしかないんだよ!」

               *

 タイムアウトを告げる蝉しぐれが突然耳に飛び込んできました。

 じゃあスミマセン、そろそろ、まとめを……。

 見ると足元の影は長くなり、げんなりした表情の息子と、泣く機会を完全に失くして憮然とし立ってている妻がいた。

「たくさんの楽しい思い出をありがとうね。うまく共有できたと思います。お前がいてくれたおかげで父ちゃんもさらに成長できた気すらしてます。あとはお前がこれからも、ケガも病気もなく、100年を超える天寿を健康健全な状態で正々堂々と全うしてくれれば、もう父ちゃんの宇宙は100点満点だよ!」

 小さな笑いが起きました。別に狙ったわけじゃないんですけどね……。

狙ったわけじゃないのに笑われると、なんだか本気で照れますよね……。     

               《おわり》

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       第105章『緑君、書くよ、いい?(その3)』

 私には死者に問いかけるような能力もなければ趣味もない。

 怖い話はまあ好きっちゃあ好きだけど、それは単純に夏の風物詩として、つまり『ウソ話』として好きなだけで、実際自分の周りを霊魂がウロウロしてて、突然机の上のモノを動かしたり、椅子や花瓶を倒したりしたら普通にゲンナリしてしまうでしょう。それは恐怖というよりも、現実にウソが紛れ込むというか、ただの偶然を都合よく解釈してるというか。とにかく、人間の感性が絡むとせっかくの事実が全部ウソっぽくなって困る。なんだ、全部ウソなんじゃん。下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり……、なんて勝手に虚しくなっちゃったりして。

 当たり前だよ!考えそのものを手前勝手にウソベースに持って行っといて、そりゃ虚しいに決まってるだろ。それに、

 そんな話を実際に身の回りをウロウロしているであろう霊魂達と一緒にするのは、すごく悪趣味だと、私には思えるよ。

 馬と一緒に馬刺しの話をするようなもんだよ。まるで馬が馬である事が欠点みたいじゃないか。もし霊魂霊魂である事を欠点だなんて言ってしまったら、私らはもう、終わってないか?

                 *       

「マイクがないものでね……。地声で。出来るだけ大きな声でお願いします。」

  え?まだ35秒? ちょっともう、勘弁してくれないかなぁ……。

                 *

「これまで私は毎日毎日、何かを意図的に誤魔化し、諦め続けててきたような気がするんだけど、君はどう? そういう事、ある? ない?」

 私のこのとりとめもない質問を、初めは笑ってごまかそうとした『昔の子』でしたが、そうですね……、と考えだした。

 俺は……、そういうのは、ないですね……。毎日、ですか? 毎日って言ったって、店長の毎日と俺の毎日とは全然違う。『今の子』とも全然違う。昨日とか今日とか明日とかじゃなくて、毎日って結局『今』の事じゃないですか。それだったら俺の毎日っていえば常に、真っ白に乾いた地面と手から滑り落ちた茶碗。それだけなんですよね。ほんと、それしかない。

 私は頷いた。あぁ、それは君が死んだ時の事を言ってるんだね。それは私にとっての、玄関のわきに開いた穴のそばで、片手に靴をぶら下げてぼんやりと立っている自分の姿のようなものだね。(第一部・参照)

 『今』が一瞬と永遠の両方の特徴を持っている以上、誰かになにかを問いかけるのもそれに答えるのも、実はとても難しいんです。それにはお互いの『今』『今』を合わせる必要がありますから。でも合わせようにも、誰にそんなに都合よく自分の『今』を他の誰かの『今』に合わせるなんて出来ます? そもそも『今』を意図的にある一点に特定する事自体が不可能に思えるんです。だから我々は、偶然に隣り合わせた『今』『今』をお互いにちょっとずつウソをついてはそれをにして無理矢理にくっつけて共通の『今』を捏造するんです。それが今あなたが、そして私が見ている『今』なんです。そして我々はもう、その作業に完全に慣れてしまっているのです。

 今、目の前に立つ、健康的に真っ黒に日焼けした、泥塗れの野球のユニフォームを着た逞しい青年息子であり、隣に立つ、感極まって今にも泣きそうな顔をしている中年の女性であると認識した時、はじめて私の『今』であり、ここが市営球場の隣の公園の芝生の上であり、森の木陰の激しいセミの鳴き声の中、野球部を引退する高校三年生の息子へ言葉をかける父親である、事になるのです。

 さ。早く……。

 私はできるだけ静かに、ゆったりと安心して、そしてウソのない言葉で息子の野球人生が大きな区切りを迎えた事を労いたいし祝いたいのですが、しかしそうしようと思えば思うほど、私の頭の中にはこれまで私が無責任に撒き散らしてきた様々なウソ誤魔化し言葉濁流となって浮かんでは消え、浮かんでは消えていくのです。

  結局、私にはこれだけか……。綺羅星のように美しい息子と、それにつと寄り添う月のような妻と、そのすべてを取り巻く深淵なる天球のような森の木陰と、流星の様に飛び交う蝉の鳴き声に包まれて尚、私は私のこの小汚い流れを前に気持ちはいよいよ萎み、度胸は竦み、いつの間に私はこんな汚らしい流れに身を晒してしまっていたのだろう。とどんよりとして落ちていくばかりなのです。しかし思えばそんなのは当たり前で今に始まった事じゃない。だってこれまでお前は自分が呪われた分、同じだけ周囲を呪い、嫌われた分、きっちり周りを嫌ってきたじゃないか。それは復讐ではなくただのバランスだと、私は本気でそう思っていたのです。もちろん、罪の意識など微塵もあるはずがありません。

 もうどのみち助からない命ってあるじゃない。私はつまりあれだよ。生まれた時からどうせ、私の足はいつか私を転ばせるために歩き、腕はいつか振り払われるために握り、目は光を奪われるために見開き、そして命は、一切誰にも惜しまれることなく事切れるためにほんの僅かに閃いているに過ぎないんだとそう思い、たとえ喜びをもらってもそれをいつか必ず来るだろう不幸や憤懣に備えとして贅肉の様に体中にブクブクと貯め込んで生きてきた。そんな気がするのです。しかしそれもまた、私にとってはただのバランス、だったのです。

 そんな命は。在り方として最低です。つまり私の命は、『最低の命』なのです。

 はぁ……、と一つ大きなため息をついて、私はいつものようにその場を適当にあしらって誤魔化しの言葉を口にしようとした時、

 『そんな要らんのやったら僕にちょうだいよ』という綺麗な声が私の耳にはっきりと聞こえたのです。

  こんな使い道ないような時間でも、いい?

『うん全然、それで、いい。』

 私はいつかこの濁流が引いたら、今自分がいるこの場所を覗いてみようと思っています。きっとそこにはもう何もないし、誰もいないし、何も書いてない。そしてその時、私は子供でも大人でも、父親でも息子でも、男でも女でもなく、日本人でもそれ以外の国の人間でもなく、ただ目の前の光景を傍観するナニモノかになっているはずです。それは神様と同じ。ただただすべてを傍観する、そんなモノ。

40秒経過……。困ったなぁ。 

  無理だよなぁ……、絶対無理だよなぁ……。そんな事を急にやれったって、気が遠くなるような話だよ。しかも、アドリブで?1分や、2分で? だから……、

           言うよ、緑君。いい?

                 *

  最初に気ぃ付いたんは5年生ぐらいの頃やって聞いたけど……。

 兄は慎重にハンドルを切りながら言いました。野球の練習の後、「なんか、ちょっとフラフラする」そう言ったかと思うと、彼はその場に倒れ込んだそうです。

 脳腫瘍でな。まあ、手術で一命は取り留めたんやけど、ちょっと体に麻痺が残ってしまってな。

 それでも彼は野球をやめなかったそうです。不自由になった体でこれまで通り、同じユニフォーム、同じグローブで、砂塵を巻き上げ白球を追いかけ、これまで同様に、いやむしろそれ以上に全力で野球をやったそうです。無理だという人もいたでしょうね。嗤うヤツもいたかもしれない。同情の声だって、彼の耳には入っていたかもしれないと、私は勝手な想像しています。でも彼に諦めたような色は微塵も見られなかったそうです。彼は自分の『今』の、その先の先にあるモノまでしっかりと見据えていたそれほどまでに彼の『今』は私のような濁流とは違い、どこまでも明澄に澄み切っていたと、私はまた勝手に想像しています。。ただその流れはどんどんと激しさを増していった。それでも彼は、その激しい流れの中に凛として立ち、気持ちよさそうに体を晒して笑っているようなのです。

 僕は何も変わらない。僕には今、僕の目の前にあるすべてがある!

 これも全部ウソなの? 緑君、彼、私、妻、息子、そして野球部の仲間たち。みんなが少しずつ出し合って精密に組み上げたこれはむしろ『今』の結晶なんじゃない?

 いや、残念だけどそんな事はありません。予感はないよ。すべては偶然。そう、それは揺らがないんだよ。私たちに何かを理解できるはずがない。理解できないからウソが必要にだった。そうでしょ? 言葉も、哲学も、宗教も。

 ウソしか理解しない我々の魂が、ほとほと呪わしいよ……。

                    *

  でも中2の時、転移が見つかってな、その時はもう、どうしようもなかったって……。

 享年 14歳。彼は短い一生を終えました。そのわずか14年の間に、彼の『今』は私の『今』に偶然にほんの少しだけ触れた。それだけの事だと思います。私はただ同級生の息子、そして息子の同級生というだけの彼に出会い、その生に感銘を受け、勝手な想像して夢を見て、彼の事を追いかけ手前勝手に何かをやろうとしているに過ぎない。拙い文章でそれがどこまで適うのか。私にわかるはずもない。ただ一つ言えることは、彼は今もその同じ『今』の何処かにいる。私の『今』と違い、彼の『今』は明澄で何処までも澄み切っているのだから、私はいつか彼を探し出す事は可能だと本気で思っているし、いつかめぐり合う事だって可能だと思っている。そしてこの期に及んでは私は私と同じただの傍観者に過ぎないこのモノに特に言いたい事などない。ただ一言、私はどうしてもコイツにしなければ気が済まないない質問があった。

                 お前さ……、

 彼の、夢を、希望を、頑張りを、可能性を、将来を。 どう説明するんだよ

 

              《続く……。》

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       第104章『緑君、書くよ。いい?(その2)』

  両親の墓参を済ませて実家に向かう車の中で兄が私に言いました。

「そういえば、緑君ってお前の同級生やっけ?」

「緑君? あぁ、野球部の、うん知ってるよ。ほんで? 緑君がどうしたん?」

 そう聞きながら私は、まぶしい夏空が少しずつ曇っていくような感じでいました。

 小学校の中学年ぐらいから私は自分がいよいよ、家族からも世の中からも歓迎されない、私が一人生きるにはどうしても様々な苦労や迷惑を、自分が受けるのではなく周りに撒き散らすような、とても問題が多い厄介な人間である事を周囲の会話や行動から覚るようになっていました。

 例えば、家族でワッと笑いが起きた時、私は大概その輪の外にいて、「え?何?何の話?」と訊くのですが、家族の返答は決まって「お前には関係ない。」か、「お前に話すと長なる。」というモノでした。逆に私が何か楽しかった事を話そうとしても、家族はまるで関心のない素振りで目を逸らすか、何か私の説明に言い間違いや不詳な部分があればまずそれを指摘し、「お前、何言うてるかいっこもわからへんからまとまってから話せ!」と突き放されるのが常でした。きっと家族が楽しい事は私には関係なく、私が楽しい事は家族には関係ないのだろう。この家族で一人だけガラスケースの中にいるような、そして日に3度、ピンセットで差し出されるコオロギを食べている無感情な爬虫類ような感覚を、私はいよいよ、自力では払拭しきれなくなっていました。

 兄は、「緑君の、お子さんがな……。」そう言うと少し間をあけ、四つ角を用心深く曲がりました。そして、

「こないだ、亡くなったんや。」と言いました。

 私は少し驚きましたが、正直、特に仲のいい友人であったわけでもない緑君の身の上に起きた不幸に、それほど大きな関心を持ったわけではありませんでした。

「え~。そら、なんとも、お気の毒に……。」私はただそう返事をしました。

 緑君は野球部で、笑顔が爽やかな、誰からも好かれる好青年でした。野球も上手く、ウソかホントウかファンクラブがあったという噂も聞いたことがあります。そんな、私とは全く逆な、世界の日向をまっすぐ歩いているような彼を、私は殊更妬んだりはしませんでしたがただ、

 同じ年に同じ町で生まれても、容姿端麗で性格明朗であれば、こんな田舎でもこんなにも軽やかに生きていられるものかと素直に関心していたのは確かでした。それほど彼は自分とはかけ離れた素敵な存在でした。そしてそこから折り返すと私はますます、自分にいくつ不遇な点があったとしてもそれは自分のみに与えられた特別なモノであり、周りの環境とはまるで無関係である、という理不尽で絶望的な事実を、やはりコオロギの様にただ受け止め、食うしかなかったのです。

 

 いえいえ違いますよ。今、私の息子が野球をやってるのはそんな彼に対するルサンチマンの裏返しではないですよ。私は初め、息子には水泳をやらせようと思っていたんです。カッコいいじゃないですか、水泳体形って。しかし息子は、自分は水泳ではなくこのスポーツがやると野球を見つけてきたのです。だからこれは純粋に息子の意思であり、あるとすればただの偶然の接点という事です。

 そして今となっては、野球は息子の支えであり、息子は私の支えであり、この2つをなくしては、私の住む世界は何一つ存在出来ないようになっているのです。子供が楽しそうに軽やかに、笑って、走って、喋って、唄って、食べて、眠る。こんな事が親にとっては一番望ましい事であり、とにかく健康でいてくれる事が一番の親孝行であるという事は、今の私にはしっかりとはっきりとわかります。

 そういう意味ではやはり、幼少期からひどい喘息持ちで入退院を繰り返していた私は大した親不孝者でした。私の両親はそんな親不孝者から、少しでも目を逸らす方法を必死に考えたと思われます。それにはどうやら2つの方法があったようでした。

 一つには視覚的方法。そしてもう一つには精神的方法。

 そしてそのそれぞれにはもう2つずつ、具体的な所作があるようでした。それは、

 徹底的に関わるか、一切関与しないか。

 一見、矛盾するようなこの2つ方法と所作ですが、出来ればこれを同時の行うのが、やはりより一層層理想的なのです。

  そこでまず、両親は私に『楽しいよ』とウソをつき、週2回の剣道教室に通うことを勧めたのです。そうすることで、これまでどおり全く手を触れずに、まずは視覚的には週2回、数時間の間、週末に練習試合や出稽古や合宿がある場合は月に数日この家族の見栄えを悪くする親不孝者から解放される時間と空間を得る事できたのです。更には剣道により、肉体も精神も強くなったとしたら、やがて喘息も克服出来るのではないかという期待が出来るならこれもまたこれまでどおり、全く手を触れる事無く精神的にも少しは解放される事になるのです。

 結果、私の精神と体は両親の期待通り強くなり、小学高学年の頃には喘息の症状は全く出なくなりました。まったく上手い方法を思いついたものだと本当に感心してしまいます。これというのも、これまで頑なにガラスケースの中で直接手を触れずに育ててきたという事実による裏付けが大きな効力を発揮しているのです。体は強くなりましたがその間、剣道教室で苛烈なイジメにあった私の焼けるような悲しみ、苦しみ、恐怖、痛みはもちろん、彼らにはまったく見えません。声も聞こえません。それはまるで食肉加工場で当たり前のように鶏が羽毛が毟り取られ捨てられるように、何の当たり障りもなくスムーズにゴミとして集められ、運び去られて捨てられてしまうからです。そしてやがて空になったガラスケースを眺めて、あぁ、綺麗。ずっとこんな綺麗な時間と空間がキープできたらいいのになぁ……、という思いに耽る事は、こういった入念で丁寧なお膳立てを無くしては、単なる鬼畜な親として世の中全般に見做されてしまう事になってしまうのです。

 まったく、上手い方法を思いついたものです。

 そして私はと言うと、なんとその事にまで慣れてしまおうとし始めたのです。それはとうとう、自分で自分に見切りをつけた瞬間でした。それではもう、救われません。人間にとって一番つらい事は、自分の悲しみ苦しみ痛みには何の価値もないとされる事なんじゃないかと、この幼年にしてすでに気付き始めていたような追憶がありますが、それに関しては判然としません。しかししばらくすると、そんな自分を嘲け笑う声は、なんと自分の内奥からも聞こえるようになり始めまたのです。

 これは、マズイなぁ……、と、さすがにそう思いましたね。

 俺の中で何かが、謀反を起こしてる……。とても危険だなぁ……。

 そう思いながらも私には何もなす術もなく、どこか一歩引いた場所から朽ちて行く自分をただただ眺めている、そんな日が続いていたのです。

 子供の心はね、皆さん。広いようで狭いんです。何でも受け入れるけど何処にも傷が付かないいわけじゃない。

 子供の心はね、皆さん。狭いようで広いんです。何も知らないけど何も理解できないわけじゃない。

 私は夜な夜な、自分の忌々しい心臓の音を聞きながら眠りに就きました。

そしてその間にも、世の中では様々な凶悪犯罪が立て続けに起こります。

  犯人なんか、全部殺してしまえばいいのに……。

 テレビで取り上げられる凶悪犯に、私はそこそこ真っ当な憎悪を抱くようになっていました。ただそれは紛れもなく『近親憎悪』というヤツでした。

自分に対する嫌悪がそのまま他人の方を向いた時、私は自分がとんでもなく残虐非道な人間になる事に気付き慄然としました。それがものすごく怖くて、私はいつしか誰に対しても、本当の気持ちを言わなくなっていました。そしてそのすべての捌け口を音楽に向けた。音楽はまるで掃き溜めの様に寛容に、私の排出する汚物をすべて受け入れてくれました。私は必死に過激な歌詞やメロディーを作っては、それをなるべく自分から遠いところに置いて、自分の狂気をそっちにおびき寄せておいてはその間にこそこそとその場を退散する事で生き場所を得てきました。だから私の作る曲はどれも、白々しい変態性と嘘くさい狂気に満ちていたんだと、今ならば簡単にわかるんです。

「なくなった緑君の息子さん、〇也(私の息子です)と同い年と違うかな?」

その言葉を聞いた私は危うく、子供のころ意地悪だった兄が突然蘇ったかと思うところでした。

              《続く……。》

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    第103章『緑君、書くよ。いい?(その1)』

 去年の予選が終わってから一年。とうとうこの時が来ました。

 かつては路上ライヴハウスで大勢の人の前でギターをかき鳴らしては過激な歌を大声で喚き散らしていた事がまるで嘘のように、私はいつの間にこんなに人前が苦手になったんだろう、なんて、正直自分でも驚いています。

 おそらくこれは父母未生の彼方よりずっとずっと続く世界共通のある大きなストーリーで。なに、誰かの使い古しでも予定調和でも一向、構いません。私はもとより、それに則ってオヤジをこなしてきただけなのですから。

 ただ、その内容・詳細についてはやはり、『今』『今』でしかありえないという大宇宙の大原則に則り、私はこの感動的なシチュエーションに出来るだけ似合うエピソードを、現実とはまた別に考えなければなりません。

「えっと……、今日は本当に残念だったね。うん、負けてなかったよ。負けたんだけどね、実際は。でもうん、よく頑張った。頑張ったんだけど、まあ相手がほんのちょっと強かった、いや運が良かった、だけだね、きっと。」

 我ながら冴えないスピーチです。悔し涙にくれる息子と仲間たちに対して、『残念だったね』はないだろう。まるで他人の独り言だ。案の定、皆ポカンとしています。

「たばかりながら少しく申し上げますに、畢竟ずるに勝負とは結果と運の鬩ぎあいの事でありまして、運が結果を凌駕すれば即ち勝ち、結果が運を凌駕してしまえば即ち負け、なのでありまして、もとより、実力云々、努力云々などはいずれもこれ、後付けの答え合わせの札合わせ、要するに帳尻合わせに他ならず、勝って良かったね、負けて悪かったね、などという言葉にもおおよそなんの意味もなく駄々残酷なだけで、慰め施しとは程遠いモノであります。それでもどうしても慰め施しが欲しいというならばそりゃあもう、骨折箇所を冷やす水のごとくジャブジャブと使えば或いはその場だけ事足りるという事もあるにはありましょうが、根本的には何も変わっておらず、そんな場合は一も二もなく病院に行った方がいいのでありまして……、

 斯く偉そうな講釈を垂れております私でありますが、私などはまさにその権化、典型でありまして、生まれて、暮らして、ここでこうしている事のすべてには悉く意味はなく、私の優しさ、冷たさ、いやらしさ、悲しさ、嬉しさ、寂しさなどはバナナの皮のごとく、いざ食らうとならば即座に引っぺがして捨ててしまわなければならず、まあ、じゃあなんであなたはここにいるの? と改めてそうなりますが、これが摩訶不思議! なに、これだって悪口なんかじゃあありません。そうしてあらゆる偶然や奇跡とはまるで門外漢でありなががらそれでいて、それぞれ一人一人の中の偶然や奇跡の中でしか居られない、それが正に、『私』でありまして。

 それは例えるならばとある黄昏時、

『あれ? あそこに立ってるの誰だ? 絶対知り合いだよな、こんな時間にあんな所に立っているんだから。誰だよ、何の用だよ、あ、なんだ街路樹か……。』の時の、街路樹になる前の誰かこそが私でありまして、」

 意外と短かった2年……、いや、1年と半年。大きな節目を迎えた息子たちはこれまで、いろんな覚悟や考えの元、好む好まざるを得ず、無明な己と、その周りを惑星、もしくは蠅の如く、ぐるぐるブンブンと飛び回る数多出来事一つ一つに対し真摯に、だが有意義に、確固たる確信をもって対峙してきた、無明の地下に屹立する水晶の如きに、心に一偏の曇りもなきエリート集団なわけで……。

 困ったな……、場の空気を腐らせるのはもちろん本意じゃない。出来れば綺麗に終わらせたい。そして出来得ればちょっとぐらい拍手も欲しい。もし私が本当に心の底から暖かい人間であれば、がんばったね! よくやった!とでも言えば十分足りるほどの簡単な事なのだろうが、性根も正体も覚束ない私がいくら頭を凝らしても、その境地にたどり着く兆しもまた覚束なく、ひょっとしてもはや、万策尽き果てた状態……。始まってまだ30秒。

 蝉しぐれが頗るうるさい。こりゃ外国人観光客も驚くわ。温い風がザっと吹くたびに芝生の上の木陰が揺れて、聞こえないほど遠くの声が一瞬聞こえる。その彼・彼女はここにはいない。バーベキューの煙は鼻にこそばゆく、プールの水の塩素に抗う。つまりこれが夏。これが常識。子供の頃から一切疑わずに見てきたすべてが常識。是も非もない。そして今、これまでじっと見ていたその絵に、実際に触ってみるんだよ。怒られるぞ! でも構うもんか! 何としても何とかこの常識の範疇で私も、なんにも衒わず、本当は、本当に心の奥にある気持ちを自分の好きな形にして、慟哭するがごとくに告白してこの場の全てを終わりにしたい!

 だから……、緑君。言うよ。いい?

               《続く……。》

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