
第113章『もういい加減はっきりしなさい!』
生まれたくもないのに生まれて、泣きたくもないのに泣いて、笑いたくもないのに笑って、怒りたくもないのに怒って、触りたくもない手に触って、キスしたくない口とキスをして、抱きたくもない女性を抱いて、生まれて欲しくもない子供が生まれて、喜びたくもないのに喜んで、心配したくもないのに心配して、取りたくもないのに歳を取って、死にたくもないのに死ぬ……。
生きるってもっと凄い事かと、勝手に期待してた。
これは今から30年ほど前、夏季休暇に家族とともに帰省し、生まれたばかりの娘を親兄弟たちに初めて会わせた後、その日の晩は昔の様に久々に、広間ぶち抜きで長テーブルを並べて、田舎らしく大勢でワイワイと賑やかに晩御飯を食べた後、甥、姪たちと広い庭で花火遊びをして、最後に「お休み」と言って、歯ブラシを咥えたまま自室に戻った後、自ら命を絶ったA君の遺書です。
A君は関西に生まれました。裕福な家庭で、一家は近所でも家族仲がいい事で知られていました。実直な父親と、品のいい若い母親との間には、A君の他に3人の兄弟がいました。休日にはよく近くのショッピングモールに出かけ、兄弟はそれぞれの年齢に応じた額のお小遣いをもらい、おもちゃを買ったり、ゲームに費やしたり、お菓子を食べたり、それぞれはそれぞれの裁量にまかせ自由にお金を使いました。その帰りの車では、それぞれがそれぞれの、満足したいい思い出を夢にし、父親はゆっくりと車を走らせ、そっと静かに自宅のガレージに入れるのでした。
この家庭では、暖かさはもう、水か空気のようなモノでした。たとえ痛みを感じても、それはすぐさまこの魔法のような雰囲気で麻痺させられるのです。A君も自分に渡された、3番目相応のお小遣いをいつも大切に握りしめていたと、のちに誰かに聞いたことがあります。
A君はあまり賢い子ではありませんでしたが、まじめにじっと物事を考える子だったと、これも誰かに聞いたことがあります。なにも特徴がなく、口数も少なく、機嫌が良いのか、悪いのか、傍目にはなかなかわからない、そんな子供だったようです。ただ、たまに笑ったときに出来る、左目の下の笑窪がほんの少し、見る人を不安にさせる表情に映ったと、これもその同じ誰かに聞きました。私は直接彼を知りませんが、そんな彼に対して何かぞくぞくするような共通点を感じて仕方がないのです。そんな私の人生が例えば、成功だとしたら、そっくりな彼の人生は 失敗、となるのでしょうか?それはトランプカードの表と裏のように、見るモノがその都度その都合に応じて良し悪しを判断してもいいようなモノなのでしょうか? 生きる事が大切なのは私も私なりにわかっているつもりです。でも、彼は考えたはずです。それこそ、私なんかよりも、何倍も、何倍も……。
「絵札は全部で12枚。ハート、スペード、クローバー、ダイア、の4種類。それぞれ3枚ずつで、しさんじゅうにで12枚。ほんで。オッサン、おばちゃん、オッサンの順番で、数字が一個ずつデカなる。」
彼は唯一の下の兄妹である妹に、トランプをこんなふうに説明しました。それを聞いた妹はケタケタと大笑いました。
オッサン、おばちゃん、オッサン、このフレーズがよほど気に入ったのでしょう。何度も繰り返して笑います。本当は彼は、ババ抜きのルールを説明したかったのですが、妹の大笑いによりその思惑はすっかり外れました。本当は残念だったでしょうが、A君はそんな妹をみながら一緒にケタケタと笑うのです。例の、この家族の雰囲気が彼の痛みを麻痺させた瞬間です。この時点ですでに危険なんですが、なぜだかわかります?
*
せっせと働いている『昔の子』と『今の子』の2人を、私は初めて見たように眺める訓練をしています。目をつぶって、パッと開くその瞬間に、今まで見た事がない風景が飛び込んでくる。出来ないはずはない。そんな事を繰り返す。それが目下のところの私にとって最大の実験であり試練なのです。そうやって現実をごまかさずに見れば、もう道理も理屈もぐちゃぐちゃな事がわかるはずです。そう出来ればいろいろ都合がいい。ただし出来なければその分、いろいろ都合が悪い……。
店には相変わらず、私がヒマのつれづれにデザインした、お経などのデザインを施した、Tシャツやトートバッグが並んではいるのですが、まったく目新しさを感じません。そもそも、時間の経過が関係ない店なのですから『新作』なんて概念そのものには初めから何の意味もありません。
あのさ、例えばさ……、と、私は2人のどちらにともなく話しかけます。「え、なんですか?」と『昔の子』が振り向いて答えます。
もう言っちゃうけどさ、君、今はそうしてうちで働いてくれてるけどさ、いつか君が、何かに気付いていなくなったことがあったじゃない。覚えてないか……。まあいいや。その時にね、俺と『今の子』は本当に困ってたんだよ。どうする?どうする?って、もう漠然と、何もかもなくなっちゃうんじゃないか?って、ホントに心配してたんだからね。それぐらい、俺らのコミュニケーションってバーチャルなモノでしょ。バーチャルな分、切れたり繋がったり形は自由で融通は効くけどでも、なにか一つでも欠けたらまったく成り立たなくなる。パズルと水彩画の違いみたい。パズルならピッタリ当て嵌めれば最低限、好き嫌いはあれど失敗はないけど、それ以外はすべてが失敗になる。1ピースでもなくすともう永遠に完成しない、つまり失敗だよ。逆に水彩画にはこれといった成功はないけど、失敗までもまた際限がない。現状が突然失敗になるかもしれない。もう俺はもう言っちゃうけど、君は戦前の子供でしょう?戦後すぐ餓死したんでしょ。悪いけど、パソコンで『今の子』との話を盗み聞きしちゃったんだよ。ごめんな。でも、という事は、君は俺より全然年上のはずじゃん。それどころか、君は俺の大叔父なの?そしてその時、俺は女だった?違った?そんな事を君に訊きながらでも、目の前の実際は全然違うじゃん。何言ってるの??俺の方が全然オッサンじゃん!この実際って実際のところどうなん?合ってるの?間違ってるの?意味あんの??ないの?どう思う??
私は自分の考えがまとまる前に話し始めて、その前に話し終わった感じがとても不快でしたが『昔の子』の返答は完璧でした。
「一生自分の顔を直接見る事が出来ない事に絶望してたらウソもホントもないですよ。」
この彼の一言がどういう意味かというと、鏡を見て、左右逆の世界を全部ウソだというなら、元々左右が合った世界に君はいない。つまり君本人もウソという事。逆に君の見ている世界は逐一、その他の人からすると左右逆の世界なのだからそこにその人はいない。つまり相手がいる世界に君はいないし、君がいる世界に相手はいない。そんな2人にお互いなんて関係はそもそも存在しない。そんなモノ同士が、実際は??どうなん??なんて言い合ってるのは、提灯の光を頼りに提灯に火を点けようとしているようなモノ。斯様に、実際という括りは、それを小さくすれば小さくするほど矛盾はデカくデカくなり、大きくすれば大きくするほど、矛盾は小さく小さくなる。でも大きくても小さくても、矛盾は矛盾。
『昔の子』は自分がいなくなった事なんて知らないだろう。それはA君が、甥や姪と花火をしている間に、自分が命を絶つなんて思ってもみなかったのと同じ様に。知らないんじゃなくて。わかってないのかもしれない。第一『昔の子』が居なくなったのは私個人の感覚だから『今の子』とだって、どうだか……。ただ、それを言われても別段不思議にも思ってない様子から、『昔の子』は確かに何かを見抜いている、何かに気付いているように思えて仕方がないのです。私には『昔の子』が、
違うってなんすか? 違わない以外は全部、違う、っすか?
なんでいつもそんなに一個だけなんです??
ウソと本当は必ず対で一個一個って、いつ誰が決めたんです??
それ雑過ぎっす!! 雑というかウソっす!!
ある意味では真実かもしれないけど、それはそういう、ウソっす!!
俺ら見てて、わからないっすか? 俺と『今の子』を見てて。
そういう意味なんだと、思うんですが……。
あっそう、か……。と、一人合点をしたように見えたかもしれませんがその実、私は相手が子供だと思って不用意に話しかけた挙句、すっかり相手の年の功に打ち負かされた形なっていました。
でも、そんな私がはっきりとわかるのは、私は今、確かな何かをハッキリさせようとその方法を探っているという事です。それは私が死ねばいい、死ねばすべてはご破算、という単純なモノではないようです。私は死ぬでしょう。いつか何かの形で。それは決まっている。疑う余地もない。でも、だからと言ってそれで何かが変わるわけじゃない。実際『昔の子』も『今の子』もそれを経験している。でも何も変わってないでしょ。そして彼らは月の様に自分のある一面だけを常に私の方に向けたまま、今日も当たり前のように私の目の前に現れて、店の片付けをやったり、掃除をしてくれたりしている。だったら、何も変わってないのに殊更死ぬって変じゃね??何も起きてないのに殊更生きるって変んじゃね??
よく考えてごらんさ。君だって、私だって……。
生まれたくて生まれたわけじゃないし、泣きたくて泣いたわけじゃないし、笑いたくて笑ったわけじゃないし、怒りたくて怒ったわけじゃないし、触りたくて触ったわけじゃないし、キスしたくてキスしたわけじゃないし、抱きたくて抱いたわけじゃないし、生まれて欲しくて生まれてもらったじゃないし、喜びたくて喜んだわけじゃないし、心配したくて心配したわけじゃないし、年を取りたくて取ったわけじゃないし、死にたくて死ぬ、わけじゃない。
つまり、私の意志などもとより何処にもない。私は生まれてもいなければ、死んでもいない。もともと、私などどこにもいないという事。
*
A君の死を悲劇というならば、A君は温かい家庭に殺されたようなモノなのです。これには納得しない人もたくさんいるかと思いますが確かな事です。ヒドイ家庭は問題視されますが、優しく温かい家庭はその問題の垣根を潜り抜け、アセトアルデヒドの様に無慈悲に脳を麻痺させるのです。彼の本当の苦しみは、その幸せの中に潜んでいたのじゃないでしょうか。
自分がやった事が、言った事が、思った事が、動いたことが、すべて何かへの抵抗だったとしたら、いったい自分は何に対して抗ってるのだろう……。
しかし、時にヒドイ家庭がなら放り投げてくれるその大切なヒントを、暖かく平和な家庭は絶対に渡そうとしない。
心配している、信頼してる、愛している、そんな事を言ってはまた、大量の毒を飲ませて酩酊状態の内々にこの、余計なことに気付いてしまいそうな厄介なデキモノを切除してしまおうとしている。100まで生きれば大往生。来世で逢いましょう。なんて科学的には否定している風ても、本当は誰も否定してないんだよ。死ねば終わりなんて本当は誰も思ってないんだよ! さようなら! だから! その続きを話そうと言ってるんじゃないか!!
*
A君は、娘の首が座るのに4か月かかると聞いてとても驚いていたそうです。
そんなに、かかるのか……。と。
そして、その大切な娘に毒がかからないように慎重に慎重に、上から覆いかぶさる様に抱っこして大切に大切にベッドまで運んだそうですよ。そして金輪際、娘に毒がかからないようにするには、自分は実際、何をしたらいいのか、この毒で娘が苦しまないためには、自分は実際、どこに行けばいいのか……。
でも、今私が一番不思議なのは、私はこの話を一体いつ誰から聞いたのかという事です。
どうしても、思い出せないんですよね。或いは、
どうしても、思い出したくないんですよね……。
《終わり》

2026・春 第112章『骨折というのは。』
ドヤ?痛い?
うん、痛い。
でも、ちょっとワクワクするやろ?
うん、ちょっとワクワクする。
そうや、そんなもんやて、初めての『骨折』って。
私と息子は、ガラスケースの中にいる『骨折』という虫を興味深く眺めている。見ていると骨折はいろんな形になって、時にいろんな色に変わる。
けったいやなコイツ。何喰うんやろう?
何でも喰いくさるで。でも食ったらその分、命が痩せる。
え?食ったら、命が、痩せんの?
そや、ほんでも腹が減るもんやからどうしても食うやろ、ほしたらどんどん痩せてって、いずれ死ぬる。
死ぬる??ほな食わんほうがええやん。というか、コイツ、なんも食わんくても平気なん?
いやいや、食わへんかったら当然、餓死する。身体がな。でも食うと今度は命の方がどんどん痩せてくんや。
なにそれ。ほなどうすんの?食っても食わんくても、どっちにしても結局は死ぬるっちゅう事なん?
そうやで。それがどうした?
なんや、八方塞がりでちょっと気の毒んなってきたわ。
何を言うとん!食っても食わんくても結局死ぬるんはワシらかて一緒やろ。飯食うてるかぎり1000年でも2000年でも生きられんのか?そんなオッサンどこにおんねん。お父ちゃん見た事ないわ。
あ、まあ、そうか。そうやな、ほな、普通か……。
そや、至極普通の事や。ワシらの体かて、パッと見ィはよう肥えてるように見えてるかも知らんけど、その実、命の中身はガリガリに痩せてってんのかも知らんで。案外命のタネ明かしてそんな感じなんちゃう。飯食うから死ぬ、て。知らんけど……。
春大会直前の練習試合で、息子はファーストにヘッドスライディングをした拍子に、左手の甲を骨折してしまいました。ベースに触る時、思ったよりも深く触れてしまい、身体が左手を追い越した際、妙な風にひねった、という事のようでした。レントゲンには、はっきりとまっすぐに、想像したより大きなヒビが写っていました。もう少し大袈裟にひねっていたら手術だったよ。と言われ、その時はゾッとしたようですが、私も経験があるんですが、生まれて初めての骨折というのは、なぜかプライマリー喜びを伴って、不思議な非日常に足を踏み入れたような、そこでどう生活するのかという、アドベンチャリーなワクワクを禁じ得ないモノなのです。
だから絶望と同じ空気の中、風呂に赴く息子は鼻歌交じりに包帯を解き、現れた不自然に腫れぼったい左手を目の前にかざし、しげしげと眺めては、うわ、パンパンやん……。 と呟いています。
しかし春大会は絶望的……。でも確実に何か新しいベクトルが伸び始めている。風呂上がりの身体と命の敵対関係や、明日の天気と試合結果の蜜月関係や、町のノイズや、夕餉の香りや、ネコの声のあられもない三つ巴の関係。そのすべてが我儘になにか新しいベクトルを指しているように感じられる。そりゃすべてが新鮮なわけです。しかし今はまず、しっかり治して夏大会に備えたい。それにはこの『骨折』という虫といかに対峙するか、そして退治するか。よく考えなければならない。決して同情している場合では、ない。
*
ガラスケースに入ってるのは『骨折』という虫ではなく私自身でした。
狭いところはいくら狭くてもまったく苦ではないのですが、広いところ、特に天井知らずの青空や、濃紺の海に対しては果てしない恐怖を感じる。だから私にとっては、この世界は是非ガラス越しであってほしいのです。どんな音も色も匂いも是非。私がなぜそんな風になったか。
息子には言えないが、私の頭の中にはちゃんとした父親像が存在しない。いわばあてずっぽうのオヤジを演じているわけです。私の父親は私が子供の頃、脳内の管理監督者の交代が行われ、見ず知らずの人となり、私から赤ちゃんの特徴が消える頃にはもう他人でした。私を膝の上に置くのを極端に嫌がり、御飯の食べ方、喋り方、歩き方、笑い方、泣き方、汗のかき方に至るまで、まるで存在そのものを受け付けないと言った拒否感を呈する事に一切の遠慮をしませんでした。それからの私は我が家の恥となり、邪魔者となり、暗部を一手に引き受ける邪悪なキーストーンとなり、なくちゃ困るから仕方がないけど、出来ればなくてあればなくて欲しい。という存在になりました。故に私には、息子に対しての父親像を、出来るだけリアルに、理想的に、想像力豊かにして巧みに捏造しなければならない義務が生じているのです。
そんなもん、本能に任せておけば自然に何とかなる。と思っているバカ。お前、それは全く違うぞ!
まず、人間には本能はない。というか、あったけど自ら捨てた。お菓子の袋や煙草の箱を食べながら吸いながらポイポイ捨てる人、いますよね。私はあれが本当にダメで大嫌い。もう死刑でいいぐらい。捨てるなら捨てるにしても、出来るだけコンパクトにしてしかるべき場所に綺麗にまとめて捨てたい。食べるにしたって、食べながら商品名やアレルゲンや原材料をチェックしたり、オマケの有無を探したり、製造工場の意外な場所に驚いたりする事。それも含めて食べる、つまり生きる、という事でしょ?? 違う?私はそう思わない。
そう思わない人と私は、その時点で全アウトです。どんなに美人でも。大金持ちでも。速やかにパソコンの電源をオフにしてください。そして間違っても私に近づかないで。側に寄られるだけで虫唾が走る。場合によっては殴ってしまうかもしれない。だから危険です。
それほどに、それは私にとって絶対に捨てられたらダメなモノだったんですが父はそれを捨てた。きっと要らないと判断したんでしょう。そして食べながら商品名やアレルゲンや原材料や製造場所を確認できなくなったその人間は、そのうち自分が何を、なぜ食べているのかも確認できなくなりました。するともう確認しようともしなくなりました。そして確認しないままさらに余計にのべつ食い、そして捨て、捨ててはまた食う。
それを繰り返しそのうち綺麗なパッケージはなくなり、清潔な個包装の袋もなくなり、気付けば道端の泥水を這いつくばってずるずると飲んでいたんです。気持ち悪いですね。私は御免です。こんなイキモノに成り果てるのは真っ平御免。だから私は食べない事を選んだ。体は、死にますけどね。もう仕方がない。命の方が大事。
*
ほなコイツ、どうしたらええの?どっかおらんくなった方がええやん。
その通りや、それにはまず、しっかりエサを食わさなアカン。
そうなん?ほっといても死ぬるしエサ食わしても死ぬるんやろ。ほな食わさんでもええやん。お金のかからへん方がエエやん。徳やん。
あほ!しょうもない勘違いすんな。ワシは今、命の世界の話しとんにゃ!命の世界に金なんか鐚一文あるか!
そうなん?まあなんかようわからんけど、ほなエサ食わしたろや。なんでもええんやろ。命の世界の話やから。
ところがそこはそんな都合よくはいかん。命と食い物は一心同体少女隊や。食い物はとにかく、リアルに、リアルにしていかなアカン。
リアルて、例えば何喰わしたったらエエの?
お前、今、何を喰いたい?
焼き肉、かな。
ほなとりあえず、焼き肉でも行っとこか!
うわーホンマに!最高やん!! 焼き肉、ひっさしぶり!
そやろ!ほんで阿保ほど食うたんねん、体の材料や、腹がデコの硬さになるまで食うたれ!ほなこの骨折のアホは、その正体どおり、阿保みたいに食い腐るわけや。ほんでどんどん小さー小さーなってて、いつか消えて死ぬるねん。アホやろ、コイツ。 どや?ちょっとは理屈が繋がってきたんちゃうか?
まあ、何でもエエからすぐ行こ。今ならまだ並ばんですむかも知らん。
車で乗り付けた近所の食べ放題の焼き肉屋はまだ誰も並んでいなかった。席に案内されて、めいめいが皿に肉を取りテーブルに戻ると、あらかじめ頼んでおいたビールがすでに配膳されてあった。あとは、よしなに、というような事を言って店員はそれから一切我らに関心を示さなくなった。
そう、それでいい。誰かに関心を示すなんて誰にとっても迷惑千万な事だ。私は好きに食ってそして好きに死ぬ。まあ、成功でしょ。ともすれば暗い空気に飲まれそうだった私の最愛の息子を、私は何とか救う事が出来た。そう自画自賛しておこう。
ビールの泡がプチプチと、みる間に萎んでいく。
これすら、飲んでも飲まなくても、いずれ消えてしまうと言っているのだ。だったら、あるうちに。と、ジョッキの7割ほどを一気に飲むと妻が「帰りは私が運転か……、」とため息交じりに呟いた。
お願いします!!!
終わり












