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『いきてるきがする。』《第19部・冬》




 第96章『ウサギとペンギン』

 去年はウサギの着ぐるみでエライ目にあったから、今年は普通のバイトにした。でもなるべくお金のいいやつ。年末までの短期バイトだから、多少無理してでも稼がないと、彼女と過ごすスイートなクリスマス&ハッピーニューイヤーが今年もまた台無しになってしまう。

 彼女は派手な洋服が好きだから俺もそれに合わせて、普段着ないような派手な服を選ぼう。しかし派手な服は大概、高い。だからそのために、時給がやけに高い、徹夜通しのオフィスの引っ越しのバイトを選んだんだ。

 思えば去年は、本当にひどいクリスマス&ハッピーニューイヤーだったなぁ……。

               *

 JR大森駅前に午前5時半、まだ真っ暗な路上には人影がいくつかあって、パンを齧ったり、煙草を吹かしたりしたりしていた。とうとう俺も、この仲間に入ってしまったか……。

 初めに言っておくけど、俺は強烈なレイシストだ。人種とか国籍とか性別とか、そんなわかりやすいモノばかりじゃない。生まれた都道府県も、声も、顔も、血液型も、背の高さも、髪の色も、直毛かくせっ毛かも。とにかくすべての違いを、俺は差別する。そしてそのすべてにおいて自分がゼロ点で、それ以外はマイナス。

 だから世界基準とは、

 日本人の男で、京都府出身のAB型で、声はやや低く、顔はやや大きく、身長は175㎝で、髪は巻き毛で、メンヘラで派手好きな日本人の彼女がいること。これが世界基準であり、それ以外はすべてがマイナス、ということになる。

 とにかく、平等なんて言う胡散臭い概念が世界中に差別をまき散らしていることはもう疑いようもない事実だ。俺はそんな茶番と戦うために1年かけてやっとここまで来た。いや、ここまで落ちた。そしてこんな、夢も希望も捨てた、いや、夢からも希望からも捨てられた抜け殻のような連中と一緒に、たぶんこのままワゴン車に乗せられてどこかのオフィスに連れていかれることだろう。いいじゃん、なんて普通なんだ。

 夜が開け始めた窓からベイブリッジが見えた。なに?横浜? そんな方に向かってるの? いろんな形のビルがたくさん並んでいて、まるで陽気な墓場のような街だ。隣のおっさんはぐっすり寝ている。ああ、コイツはこんな景色見やしないだろう、見たってなにも感じないだろう。ぼんやり酒臭い。こんなヤツでもできる仕事が、この世の中にはまだまだたくさんあるんだなぁ。ナメたもんだよ。

 オフィスに着くと、同じようなワゴン車から同じような連中がぞろぞろと降りてきた。いずれ劣らぬ、役立たずの顔。こんな奴らと仕事をするのは誰だって嫌だろう。きっとみんなそう思っているに違いない。そして俺もそのうちの一人。いいじゃんいいじゃん、極めて普通じゃん。

 仕事はきつかった。オフィスの機器は全部アホのように重く、昔やんちゃしてました、みたいないかつい現場主任が、精密機器だから揺らすなよ、壊したら自腹だからな。なんて言ってる。じゃあ壊してやろうか。お前が主任なんだから責任被らないわけねーだろ。

 そして昼。一応1時間の昼休み。飯を食うのも億劫なほど疲れていた俺は、黒コッぺを半分だけ食べてとりあえず寝ることにした。オフィスの床は思ったより優しかった。

 ポツポツと水滴が落ちる音が聞こえる。それが何の音だか、俺は気付いていながら、ん? 何? 水道の、栓かな? なんて間抜けな事を言って笑っている……。

 俺は逃げている。本当の俺はしっかり手を握って、大丈夫だよ。大丈夫だよ。なんて囁いている。

「おい、起きろ。午後だ。」そういわれて目を開けると本当に午後になっていた。午後も仕事はきつかった。みていると、怠ける奴はだいたい決まっていて、軽そうなパーティションとか、電話機とか、コピー用紙の空箱ばかり運んでいる。行きの車の中で寝ていた酒臭いおっさんはもちろんこのグループに所属している。同じ労働時間に対する仕事量の差が、レイシストの俺を寧ろ生き生きとさせる。俺の軍手はボロボロなのに、オヤジらの軍手は抜けるように白い。事故が起きればいい。必ず、明日の朝までに、どこかでデカい事故が起きますように。そんなことを呪詛のように反芻しながら、俺は敢えて重い機器ばかりを運んだ。本当のレイシストは行動が伴わなければ本当には成就されない。違いを徹底的に見せてやらなければ、すべてがマイナスの野郎どもを本気で失望させることなどできない。ビルの外に出るたびに俺の体じゅうからもうもうと湯気が立っていて、まるで印象派絵画のようになった自分が、実はそれほど嫌いじゃない。

 差別って、こういうところに優しく作用したりするから嫌われるんだろうな。差別の結果が美しいなんてそれこそ茶番だと。役立たずどもはそう言いたいんだろ?  

 頑張ったことがないお前らはこんな湯気、立てたこともないんだろう。空箱ばっかり運びやがって。あの酔いどれオヤジに、仮に俺の仕事をやらせたら、湯気が立つ前に必ず言うだろうな。 差別だ! って。そうだよ、それがどうした? 誰がお前なんか平等に扱うかよ!

 

                 *

 頭の中で槇原敬之などをかけながら、僕はウサギの着ぐるみを着て風船を配っていたんです。付き合ってた彼女が結婚することが分かり、もう気持ちがグチャグチャで、自分が人前にいることすら容認できなくなっていたので、僕は仕方がなくこの仕事を選んだんですが、やってみると、そこにはもう大嫌いな自分はいない。そればかりか知らない人までニコニコと手を振ってくれる。ウサギパワー、すげー!

 僕は自分にはウサギになりきる才能があると気づき、もう風船を嬉々として配りまくったんです。子供達は大喜びで受け取ってくれるし、可愛い女の子が、一緒に写真撮って、なんて。

 今後絶対、一生ない事だ。

               *

「10月いっぱいで退社するって聞いたけど、そのあと、どうするの?」

「結婚する。」

そんな言葉って、この世に、ある?

 急に心が逆戻りした。せっかく自分がいない世界を思う存分に楽しんでいたのに……。

 クリスマスのイルミネーションに彩られたアーケードから流れてくる人ごみの中に、僕は、シュッとしたイケメンと歩いてくる彼女をみつけた。クリスマスカラーを指し色に、オフィスでは見たこともないほどオシャレに着飾った彼女と、僕とは似ても似つかない背の高いマフラーをふんわりと巻いた上品な男が近づいてくる。

 あ、ウサギさんだ! 聞いたこともないような甘えた声で彼女が僕を見て笑っている。ウサギさん、私にも風船ちょうだい。 僕は一瞬たじろいだ。まだ2か月しかたってないんだから、彼女が世界で一番好きな事に何の変りもなかった。しかし僕にはウサギになりきる才能があった。ここぞとばかりに思いつく限りの可愛いポーズを、僕はとった。可愛い!!彼女は大喜びで、イケメンも喜ぶ彼女に満足げだった。僕は風船を一つ取り、紐の先に輪っかを作った。そして彼女の左手をとり、薬指にその輪っかを嵌めた。

 え?ウサギさんにプロポーズされた? どうしよう!

 彼女は一瞬驚いたような顔をしたが、僕はすぐに手をたたいて、両手を大きく広げて二人を祝福するポーズをとった。イケメンは、ありがとう、と照れくさそうに笑った。

 遠ざかっていく2人の姿を見ながら、僕は自分のいない世界が、どれほど円滑に回っているかを痛いほど知った。自分がすべての基準からずれている。自分がいない事が、すべてにおいて正解。

                *

 つまりだ。俺が今こうして生きているという事は、俺以外すべてが不正解でないと辻褄が合わないという事だ。水の落ちる音が、ぽつ……、と止まった。

 午前零時を回ると『午後』という徹夜仕事は、午後1時から始まった。自分の膝小僧の上で目を覚ました時、メールの着信に気づいた。彼女のお母さんからだった。

『幸恵、今、亡くなりました』

 とびきり重いコピー機の前にはなぜかあの酔っ払いのおっさんがいた。仕方なしに、といった感じでやる気はまったく感じられなかったが、飲み足したのか酒の匂いは感じられた。俺はこのおっさんとエレベータまで、何とかコピー機を運んだところで、「客用のエレベータ使うなって言っただろ!」という主任の声がした。コイツ、寝なくて平気なのか? 昔やんちゃやってただけあってスタミナだけはあるようだった。

 幸恵が自殺を図ったのは今月の初めだった。もう何度目だろう。気を付けてはいたが今回も防げなかった。ウサギの頭を外した瞬間に俺の世界は完全に閉じた。そして真っ暗で見知らぬ世界には俺と、幸恵だけがいた。幸恵と俺は同じだった。まさかこんな子が、ペンギンの中に入っているとは思いもよらなかった。

 幸恵は触れ合うことを極端に嫌った。まなざしが触れ合う事すら嫌がった。俺にはその訳が手に取るように分かった。じゃあ、そのままそうしていればいいのに。他人なんかどのみち、自分勝手に期待して、そして自分勝手に幻滅して去っていくだけのモノなのだから。でも幸恵は殊更明るく振舞おうとした。そして常に血を流していた。

 ねえ、今度一緒にディズニーランド行こうよ!! そう言って派手に着飾って、ミッキーとハイタッチして、ピースして写真を撮って。もう見ていて涙が出るほど、彼女は必死に頑張るのだ。

 よし、じゃあ今度、一緒にイタリアのフィレンツェに行こう! フランスシャンゼリゼ通りにも行こう!リオのカーニバルも見て、フィンランドにオーロラを見に行こう!

 彼女は喜んでいた。それが果てしなく彼女を傷つけている事に、俺は俺は気づいていなかった。

 いや、きっと気付いていた。彼女は俺と同じなのだから。気付いていながら俺はわざと、自分を慰めるためだけにそんなことを言ったのかもしれない。俺はその時も逃げた。彼女を踏み台にして。

 エレベータからコピー機を下ろそうとしたとき、酔っ払いのおっさんが戸袋に手を挟まれた。ギャーという耳障りな叫び声と同時に酒の匂いが飛び散った。慌てて飛んできた主任が俺に、「お前、何やってんだよ!」と言った。

 知らねーよ!ボケ!!

 俺はボロボロの軍手を投げ捨てて階段を下りて外に出た。雪が降っていた。真っ黒な空から白い雪がさも意味ありげに落ちては消えた。遠くに高速道路が見えた。

 さて、東京はどっちなんだろう……。俺はとりあえず高速道路を目指して歩いた。

★偉人とシロネコ(文豪編)★


●夏目漱石(SOSEKI NATSUME)



●芥川龍之介(RYUNOSUKE AKUTAGAWA)



●樋口一葉(ICHIYO HIGUCHI)



●泉鏡花(KYOKA IZUMI)



●宮沢賢治(KENJI MIYAZAWA)



●太宰治(OSAMU DAZAI)



●三島由紀夫(YUKIO MISHIMA)



●川端康成(YASUNARI KAWABATA)



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『いきてるきがする。』《第18部・秋》




第95章 『同じ場所、同じ時間に同じ。』

 少しずつ日が暮れていきます。夕日は足元あたりにやや佇んでいるようにも見えますが慌てた様子はありません。私ですか? 私は元気ですよ。でもその状態がいいのか悪いのか、いつまで続くのかは私には分りません。もうずいぶん長い間ここで同じことを考えています。やはりこれといった結論など出ないように思われます。結局私はこれからもここでずっと同じ事を考えていくより他に無いようですね。ただこの足元の明るさと温かさをどう解釈すればいいのか、それだけが私に委ねられた唯一の『今』のように思われるのです。

 『昔の子』『今の子』は今日も一日の勤めを終え、家路につこうとしています。40歳をとうに超えている2匹の金魚の泳ぐ水槽は今日もピカピカ。パンも弁当も一つも売れ残りませんでした。完売御礼。とてもいい日でした。そうして2人が帰ると店は空になり、やがて日没とともに私を巻き添えにして闇の中へと消えていくわけですが……。

 この子たちはいったいどこから来て、どこに帰っていくのか、実は私はそれを知りません。というよりもまだ決めていないのです。私が決めれば済む事なんですがね。今のところ彼らは毎日、どこからともなく現れて、どこへともなく去っていくことになっています。この曖昧さは不自然ですか? ホントに? 私が思うに、それは曖昧でも不自然でもありません。だって一般の人達だって同じでしょう。毎日電車で出会う人の事など、お互いに何も知らないのですから。彼は一体どこから来て、どこへ帰るのかなんて事をいちいち不思議がったところで仕方がありませんししません。ただ、大勢の人がいろんな場所でいろんなことを考えながらいろんな人と暮らしているんだろうなぁ……、と漠然と思うだけです。『現実』という、さも賢げで自信ありげなモノの99%以上がそれで埋め尽くされているんです。

 ただ、

 ストーリーという残酷な概念に、私の人生は常に縛られ続けているのは事実です。そして矛盾とか誤解というものに抗いきれずずっと苦しんで来ています。これまで通り、ここにいればいいのに、ここにずっといて、同じことをずっと考えていればそれで何の問題もないのに。そうして毎朝現れる『今の子』『昔の子』に、まったく疑いのない笑顔で、おはよう、とそういえばすべて丸く収まるというのに……。

 では、失礼します。そういってまず『今の子』が先に店を出ていきました。夕暮れはもう息絶え絶えです。『今の子』はかつて、自分は両親からのいじめを苦に自殺したのだと言いました。でも私は驚いたりしませんでした。なぜならば、私はその現場にいませんでしたし見てもいませんから。

 ほどなく『昔の子』も、じゃあ、失礼します。と言って出ていきました。わずかの時間差とはいえ外はほとんど真っ暗です。『昔の子』は戦後すぐ、餓死したのだといいました。最後、自分の手から滑り落ちた水粥が残った茶碗を、もう自力では拾えなかったといいます。

 それぞれの時代、残酷な死に方をした子供はきっと他にも大勢いたと思われます。こうしてストーリーが私の立ち位置をぐいぐいと押し狭めてきます。

 わかっています。私はいずれの出来事に対しても無力です。駄々、受け止めて従うしかないのです。しかし、私はそのいずれの出来事に対して、どうしても強い自責の念だけは抱かざるを得ないのです。私がその場にいれば、『今の子』『昔の子』も、西郷隆盛太宰治芥川龍之介も、死なずに済んだかもしれない。

 私はきっと今、『今』という完全平面の上に横たわっているのです。そしてその同一平面上には、宇宙・人類の普遍で無限の『今』があるのです。だったらば、私は何としても、『今の子』、『昔の子』、西郷・太宰・芥川3氏の落命の際にも立ち会えたはずなのです。

               *

 私の父の本当の母は、父が2歳の時に病死したそうです。当然私は会った事も、写真を見たことも、その存在についても聞いたことすらなかったのですが、私が結婚することを決め、妻になる人を連れて帰った夏の日に、突然父が、墓参りに行く、と言い出しました。私は盆に墓に参る事をことさら疑いませんでしたが、車に乗って墓に行く道がいつもと正反対であることにはすぐに気が付きました。やがて細い農道のドン突きにある見知らぬ民家の前に車を止めると、父は中に一声かけた後、その民家の手桶と酌を借り、また見知らぬ山の小道を、私と妻などいないかというほど自分勝手に登っていきました。やがて小さな墓石の前に立って、やっと連れてこれた。と呟くように言いました。「これが、お前のホンマのおばあちゃんの墓やで」墓石は苔生し、小塚の傾斜に合わせてすでに斜めになっていました。やがて崩れてなくなることは見てすぐにわかりました。父は勝手に線香を点け、そのあとに線香立てがない事に気づくと墓石の前に横に置きました。そして手を合わせると、お前らも線香あげてやってくれ。と言いました。

 私は婚約者の手前、やっと思いとどまりましたがその時、父に対する猛烈な嫌悪が吹き出しそうになったのです。

あんたはやっぱり勝手な人だ!

 自分だってよく覚えていない実母の墓前に、さらに何も知らない婚約者と私を連れてきて、あなたの孫ですよ、この度、結婚することになりました。と報告したところでなんになる? 覚えていないんだろ? あなたは悲しんでもいない自分を憐れんで、知りもしない母を慕い、苦しくもない事を苦しんで生きてきた。

 茶碗を落として拾えなかった少年の事を話してあげよう。

 母親の苛烈ないじめを苦に自ら命を絶った少年の事を話してあげよう。

 私がさいなまれているのは、彼らをどうしても救うことなど出来なかったという自責の念です。そしてそれを強いるストーリーです。私はじゃあ、何のために今、彼らに会って彼らと話をしているのでしょう。 幸い、彼はその事実について、私が知っていることを知りません。知らずに働いてくれています。私はなにも質問はしません。彼らも私に何も質問はしません。それはただの不文律なのか信頼なのかはわかりません。

 やれやれ、とっぷりと日が暮れてしまいました。その闇の中で、私はまたそれが自分の『今』だ、なんて言い始めて、まったく別の話をし始めるかもしれませんよ。でも決まっている事が一つだけあります。それは私が、幸せを目指しているという事。どんな材料が悪くても、そこから幸せを目指すことは必定だと思うからです。たとえ目の前にこんにゃくしかなくても、それを使って岩を掘り続けるべきだと思うわけです。もちろん、ストーリーはそれを邪魔します。こんにゃくで?岩を? 掘る?? と、あざけ笑います。

 いいじゃないですか、矛盾や誤解があったって、想像の域を出なくったって。それが間違いなく、あなたの『今』なのだから。

保護猫『とのま』の一言成長日記2024。11月~12月



11/21(木)

 今朝も起こしに来てくれませんでした。寒いからというよりも、やっぱり私の体調を気遣ってくれているように思えます。試しに、何分延長したら起こしてくれるかと、目覚ましのスヌーズをし続けて2回。その間、「とのちゃん、起こしに来て」と念じ続けて約20分後、ニャニャ、と言いながら起こしに来てくれました。寒い朝だから、とのちゃんも暖かい場所に非難しなさいよ。ありがとう、大丈夫だからね。今日も一日家族みんなでよろしくね。

11/20(水)

 今日は珍しく、私が起きても起きてきませんでした。しばらくして、のっそり、起きてきました。体調が悪くないといいけど。ウンチも、おしっこの中に閉じ込めるような形でした。以前は、そんなことなかったのに。何か少しでもいつもと違うと体調の変化が気になります。でも全然元気だけどね。今日も一日家族みんなでよろしくね。

11/19(火)

 今日は病院で休み。でもけがをした息子を学校まで送り届けます。そのあと、病院。昨日もずいぶん遅くまで筋トレをしていた様子。まあ、そんな時間も必要だよ。今日はめちゃ寒いからけがをしたところを冷やさないように。今日も一日、家族みんなでよろしくね。

11/18(月)

 今朝もアラームと同時に起こしに来てくれました。割と暖かい朝です。昨日、兄さんが練習試合中に裏太ももを痛めるアクシデントで病院に行ってきたよ。まあ、大したことはないようだけど、兄さんだいぶ凹んでたからとのちゃんも慰めてやってね。天気はまあまあみたい。今日も一日、家族みんなでよろしくね。

11/17(日)

 今朝はブラウザの不具合により、45分ぐらいロスしました。ワードプレスの編集画面が表示されず。ブラウザのキャッシュを削除して解決。でも映像がすべてデフォルトされてしまって、それはそれで復旧が大変そう……。今日も兄さんの練習試合です。午後、観に行くかも。でも天気があまりよくなさそうです。とのちゃんはいつも通り、4時に起こしてくれて、今はカリカリタイム。今日も一日家族みんなでよろしくね。

11/16(土)

 今朝もアラームの鳴らない中、いつも通りの時間に体内時計ばっちりで起こしに来てくれました。昨日、手卸2tはきつかった。こしがやや痛い、そのせいか、大人しめ尚子氏方でした。いつも気づかいありがとうとのちゃん。今日も兄さんの試合を見に行くのでとのちゃんには尾する番を頼むことになりそうだよ。ごめんな、今日も一日家族みんなでよろしくね。

11/15(金)

 今朝は私が起きるまで、妻の布団で待機していた様子。あれ?起こしに来ないなぁ、と思ったんだけど、ちゃんと起きてました。雨が降ってます。だからベランダはなし。でも7時ぐらいにはやむってさ。明日は兄さんの公式戦を観戦に行くので、とのちゃんはまた、留守番。ごめんな。今日も一日家族みんなでよろしくね。

11/14(木)

 今朝は私がトイレに起きた3時に同時に起きて、え?もう起きるの?って感じでしばらく私のそばにいましたが、そのうち、あ、ただのトイレか……、と気づいたらしく、また妻のところに二度寝に行きました。しかし、毎朝、本当は何時に起きてるんだろう。昼間ねてるとはいえ、家族亭地番の早起きなのには間違いない。おしりの周りに、黒い、ウンチ、貨と思ったら、そうじゃないらしい。リンパ、なんとか?が付いている。取った方がいいのかな。今日も一日、家族みんなでよろしくね。

11/13(水)

 今朝は私の方が早起き。でもとのちゃんももう起きて様子をうかがっていた様子で、私が起きるとすぐに起きてきて、すりすり攻撃で迎撃してきました。ちょっと風があるみたいだね。今日はお母さんが起きてくる前に出かけるからベランダはなしだよ。いい天気ならいいね。今日も一日、家族みんなでよろしくね。

11/12(火)

 今朝はアラームの時間に合わせて起こしに来てくれました。起きてたのか、慌てて起きたのか、最近朝が寒いので、きっととのちゃんもつらいはず。2つある猫草ポット、一つ植え替えるね。夏と違って冬は伸びるのが遅いから、頻繁に植え替えないと。昨日、ちょっと、吐いた?猫草じゃなくて、ただの、つば、か、胃液?調子悪いの?今は元気です。今日も一日、家族みんなでよろしくね。

11/11(月)

 月曜日の朝です。とのちゃんは毎度、定刻におこしてくれました。でも今日は自分もアラームで起きた様子。すっかり朝が寒くなったね。なに?ベランダに出たいの?今朝は催促してます。昨日雨が降ってたから、ちょっと見てみるよ。今日も一日、家族みんなでよろしくね。

11/10(日)

 今朝は日曜日でアラームがないので、ちょっと甘えて5時に起床。気が付けばとのちゃんは私の横で香箱座りで待機、そして私が目を覚ますのを確認して、小鳴き2回、そのあと腕の上で、香箱座り、あったか攻撃で起こしてくれました。でも冬のあったか攻撃は、逆効果化と……。今日も一日、家族みんなでよろしくね。

11/9(土)

 今朝は土曜日でアラームが鳴らないにもかかわらず、今朝も、ですね、とのちゃんはその6.5㎏の体重を生かし、胸乗っかり攻撃で一気に起こしてくれました。今朝はめちゃ寒いので、暖房をつけてしまったよ。とのちゃんもさすがに、ベランダに出たい様子はありません。今日も兄さんの野球を見に行くので、とのちゃんは留守番かな。たぶん、お母さんがチュールをくれると思うよ。じゃあ今日も、家族みんなでよろしくね。

11/8(金)

今朝も、4時きっかりに起こしに来てくれました。でも私が寒さに負けて、10分だけ遅刻したんですが、そんな私も、まるで親のように、そばで見守ってくれる、時に君は我が家の主だね。今日も、これからもよろしく。そして今日も、家族みんなでよろしくね。

11/7(木)

今朝もアラームと同時に起こしに来てくれました。私の体調を、よし、と判断したのか、今朝は容赦ない、鼻フック攻撃で起こしてくれました。今は窓辺ネコ遂行中。寒いのに。今日も一日、家族みんなでよろしくね。

11/6(水)

 今朝は3時半に、ちょっと早めに起こしに来てくれました。どうやら、伸び始めた猫草が気になる様子で、私が起きた後もずっと、「ほら!猫草、もうあんなに伸びてるよ!」としきりに窓辺に誘導する姿が、またあさイチから可愛らしいことこの上ない。まあ明日、そう、明日だね。明日上げることにしよう。今日も一日家族みんなでよろしくね。

11/5(火)

今朝は妻の布団にいて私が自主的に着てくるのを待っていた様子。甘えるな! ということでしょうか?わかりました。今週は火曜日スタート、天気はまあまあよさそうな関東地方です。息子は昨日の試合、2試合目に代打で出場、フォアボールでした。今日も一日、家族みんなでよろしくね。

11/4(月)

今朝も、ちょっと寝坊ですが、定刻に起こしてくれました。アラームが鳴る月曜ですが振休で休みです。昨日、2試合に続き、今日も2試合の、連休なしの野球全力少年は、まだ寝てます。大変だね。高校生も。昨日、入間の航空祭だったようで、飛行機が飛んでましたね。今日もいい天気そうです、とのちゃん、今日も午後お留守番かも。ごめんな、ゆっくりしてて。餌と水とトイレは万全にしていくからさ。今日も一日家族みんなでよろしくね。

11/3(日)

 今朝はなぜか30分早起きしてしまいました。とのちゃんが枕元でゴロゴロ言ってたので、もうそんな時間?と思ったけど30分早かった。そのまま寝ようと思ったら、とのちゃんが、詰まんない……って言ったので、起きることにしました。ネコ語だったけど、アクセントがはっきり、つまんない……だったので、起きることにしたんだよ。今日は、お母さんは三島、兄さんは戸田にお出かけ、お父さんも午前中は野暮用でお出かけ。とのちゃん、またちょっと、お留守番お願いね。今日も一日、家族みんなでよろしくね。

11/2(土)

 今朝はそばに来るものの、結局起こしてくれませんでした。私が疲れていると判断したときにそうするみたいで、やっぱり、今朝はちょっと疲れているようです。季節の変わり目はとのちゃんも体だるいんだろうなぁ、それなのに、早起きして、起こしてくれて、ありがとうね。助かってるよ、とのちゃん。でも、今日は雨が降ってるからベランダはなし。今日も一日、家族みんなでよろしくね。

11/1(金)

 今朝はなぜか1時ごろから私の足元に来て寝てました。とのちゃん。いつもはお母さんのところにいるのに、でもちゃんと4時には起こしてくれました。そこはいつもと変わらない。さあ、今日から11月ですね。まずは今日一日、家族みんなでよろしくね。

『いきてるきがする。』《第17部・夏》




94章『Seven Bridges

 空を覆った雨粒の一粒一粒が太陽の光を7色に分けた瞬間、それまで恐怖でしかなかった光は希望へと変わり、卑屈に逃げ回っているだけだった俺の体からはいろんな欲望が噴き出した。五感は解き放たれ、まるで他人事の様に好き勝手に独り歩きを始めた。お前らなんか知るか!俺がいい、俺が一番好きだ!俺は今こそ自分を好きになる、好きになってみせる!そう思っている、ただそれだけかもしれない。

 それが神様の仕業だなんて噴飯物だ。

 風鈴がチリリンと鳴り、辺りを一層静かにするように、僕はエアコンのモーター音に一層の暑気を募らせている。世界の森を一瞬で枯らしてしまいそうな強烈な日差しの中、僕はふと、目の前のこの全風景から夏をすっかり漉し取ってしまったらどうだろう、そして今一度そこに、わがままな何か別のモノを当て嵌めてしまったらどうだろう、と考えた。しかしそのあまりに雑な閃きにかえって困惑としている、ただそれだけなのかもしれない。

 それが神様の悪戯だなんて噴飯物だ。

 まるでゴミ箱のような世の中さ。役に立つものなど何もありゃしない。あるのはただかつてそこで生きたモノ達が一様に持て余し、中途半端に放り出してきた生活の残骸だけだ。それを文化だの文明だのと飾り立てて何になる? もし私に出来る事があるとすればそれはただ、その残骸に無駄な痕跡を残さないようにして誰かにそっとその席を譲る事だけだ。『昔の子』『今の子』はここにはいない。きっと誰かに席を譲ったのだろう。そうしてお互いの現実の間を行ったり来たり、寄ったり離れたりしながら徐々に元いた場所を見失っていく。私は長い夢の川を渡り切ったような疲労感と伴にこの店にいる。そして好きなように回想してはまた眠りに落ちようとしている、ただそれだけなのかもしれない。

 それが神様の慈悲だなんて噴飯物だ。

 そしてやっと今、おそらくは数十年間に及ぶであろうこの経験を通じて一つの結論、つまり居場所にたどり着いたわけだ。それは自分がこれまでいかにわがままな記憶ばかりを選び続けてきたか、何かに迷うたび、私は許され、依怙贔屓され、生かされ、太陽とたった一点のみで接して暮らし続ける怠惰を大目に見てもらってきたかという事を表す動かぬ証拠であり、かつて光が突然7つに分かれたのと同じぐらい圧倒的な真実であると同時に、淡い幻影に過ぎない事も表している。しかしそれもただそれだけなのかもしれない。

 自分を『俺』と呼び、『僕』と呼び、『私』と呼ぶ。

 小説を書く上でこれは、駄目ですね。人称を一致させるためには呼び方も一致させなければいけない。でも私はなにも私として私の意見を書いているのでは決してないのです。書かないと何も残らないから仕方なく書いているのです。出来事や記憶ばかりがまるで蝉の抜け殻のようにその正体もなく、あちこちに散らばっているのは、どうにも気持ちが悪いですからね。だから私はその出来事や記憶ごとに従っているのです。従っているつもりなのですが……、

 あまりにも文章力が拙いため、今目の前に起きている事ですら、こんな風にあっちこっちと趣旨が飛び、取り留めもなくなっているのです。お恥ずかしい……。しかし現実を一点に絞れば、それ以外のすべてがウソになるという、それがどうにも、私には居た堪れないのです。

              *

「ただいま」と言って少年が1人、続いて「今戻りました」と言ってもう一人入ってきました。おそらく彼らが『昔の子』『今の子』でしょう。

 お帰り、暑かったでしょ? 私はそう言って彼らに微笑みかける。何の意味もない、誰のためでもない私の笑顔。でもそれはぴったりと現実に当て嵌まっています。

「もう、死にそうですよ」顔を真っ赤にした『昔の子』が言います。それは比喩でも冗談でもなく本当の事なのでしょう。そりゃあ、そうでしょう、だって、

 8月と言えば実際に日本が真っ黒焦げに焼かれたのと同じ月ですから。晴れた空を見上げていたら、突然黒い雲が現れて、あっと思う間に、滝のような雨が降ってきました。

 これが、その時は真っ黒だったそうだよ。知らんけど……。

 『昔の子』『今の子』も、へぇ……と言って聞いています。

「別に『黒』という色が悪いんじゃない。本当に悪い部分は……。」

 そう言いかけてやめました。本当に悪いのは他でもない、良く知らない記憶をやみくもにかき集めては、よくわからない世界について出鱈目を喋っている私なのですから。

 なんであれ、そんな雨はもう2度と降らないに越したことはないよね。

私が言うと、2人は同時にうなづきました。

『昔の子』が亡くなった少し後の事です。

『今の子』が生まれるずっと前の事です。

 きのこ雲はまだ山の向こうに見えてます。人々の悲鳴は蝉の声にかき消されて聞こえない。私は大方、何かの目的でその山を越え、爆心地へと向かおうとバス停にでもいるのでしょう。そして汗をぬぐい、雲を見上げては地獄の業火を穿つ雨の臭いでも探しているのでしょう。

 いいかい、世界は一つなんだよ。色も一つだ。でも見る角度によって全然違う。それをいちいち真実だ! いや違う!と言って争うのかい?

 いいかい、心なんてどこにもないんだよ。あるのは誰かが持て余して捨てていった残骸だけだ。我々にとってはそれがすべてで、それ以外は、自分もやがてその残骸の一つになるという予定調和が1つあるだけなんだ。

 あぁ、確かに虹はきれいだよ。それは間違いない。でもな、あの日、あの雨の後、今と同じに虹が掛かったというんだよ。そうしたら同時に、そこらじゅうからいろんな欲望が噴出してきて、自分が一番好きだ! 自分が好きで何が悪い! お前らは勝手にしろ!と。俺は是非善悪もない瓦礫の只中を、ブレーキが壊れた自転車みたいに一気に走り抜けた。 

 

 虹の橋を渡る大勢の人の姿が見える、そんな角度があるいはあるのかもしれないが私には見えない。

 でも見えたとしても、渡り切ったそこにはやはりいつか見たような景色が続いていて、その累々と広がる残骸がどんなに悲惨で醜く臭くても、僕たちは決してそれを片付けてはいけない。それはウソになるから。

 やってきた事を正しく見るには、なにも改ざんしてはいけないからね。

              *

 膝のリハビリも兼ねて、真冬の公園を歩いていたら、木の幹に蝉の抜け殻が一つ、しっかりと掴まっていた。

 冬の日差しの中で尚君は、夏をその眼の中にとどめ置くつもりでそんな事を続けているのか? 木の幹よ、あなたはそんな小さな反則を企てる抜け殻に気付かないフリをして優しさを見せているつもりなのか。

  セミの抜け殻を『君』と呼び、木の幹を『あなた』と呼ぶ。

 これは『擬人法』といい、小説を書く上ではごく初歩的な表現技術ですよね。幼児教育においてこれと似た『アニミズム』というのがあるのですが、玩具や食べ物に命を吹き込んで、「ほら、トマトさんが食べて欲しいって。捨てられるの嫌だなぁって泣いてるよ。」などと言って愛情や、優しさ、命の大切さなどを養う方法として使用されているのですが、

 うちの息子はプラレールでこれを実践してみたところ、「今日はプラレールと一緒に寝る」と言って一緒に寝てました可愛い!!

 こんな可愛い子達を戦場に送るような未来は、絶対に選ばない。



       第93章 『落書き』

 なに描いてんの?

ん?  絵だよ。とっても大事な絵だよ。

 ふ~ん、と肩越しにのぞき込んでくる息子がとても可愛い。私は息子の細い息を耳元に感じながら思う。

 興味津々のようだが、君にこの絵は見せられないな。この絵が完成したらすぐ、私はある男にこれを見せに行かなければいけない。

 さて、私の幸せな時間はすべて過ぎました。あとは過去とも未来ともつかない時間を出来るだけ正確に捌き、あしらうだけ。でもそれは死後に札束を数えるような空しい行為でもあるのです。もはや腹も減らない、眠くもならない、性欲もない私にとって札束は、いかにも無益で無力で、あらゆる行動と思考を苦痛に変えるだけのモノなのです。

 蝉しぐれでしょうか? 

 私がそう尋ねても、彼は何も言いません。ただ幽かな風と穏やかな景色を背景に微笑んでいるだけ。それはまるですべてを誤魔化そうとしているような姑息な態度にも見えるので、私はせっかくのこんなに完璧な安らぎの中に腰を下ろしながらも、少しイライラしなければなりませんでした。

 私はこれまで、何処で誰として何をしてきたのか、何も思い出せません。でもこれを忘却と言って簡単に打ち捨ててはダメなのです。私は思い出せないのではない。知らないのです。そして私は尚、粛々淡々とこの、腐った豆のように細々として糸を引く、有り余った時間の粒をうまく捌き、あしらわなければいけないのです。

 眩しい!お腹がすいた!怖い!息ができない!助けて!

 私が本当に幸せだったのはたぶんこの5秒間ぐらい。

私が本当に健康でいられたのもたぶんそれから10秒間ぐらい。

 だって人間の脳が何かを判断を下すのに必要な時間はせいぜいそんなモンでしょう。あとはそれを軸に思い込み発展させたナニモノかが拵えた気儘な裁量によって与えられる時間をただ啄むだけなのだから。

 名前? それは焼き鏝でナンバーを焼き付けるのと同じです。

 卑屈? いえ、卑屈ではありませんよ。私はただ簡単な事を出来るだけ簡単に言おうとしているだけです。もっと簡単に言いましょうか? はい、じゃあ言いましょう。

 つまり私は、圧倒的に美しくなかった、という事です。

 心も、体も、健康も、見た目も、頭脳も、性格も、声も、臭いも、筋力も、知性も、個性も、可能性も、温度も、湿度も、体温も。とにかく、私はいつどこでも、誰にとっても要らない存在。平たく言うと、生まれるべきではなかった存在。いや、生まれたければ勝手に生まれればいい。それは私とは関係のない事だ。助産師さん、産婦人科医さんは私が無事生まれる事に全力を注いでくれた事は間違いない。でも彼・彼女は別に私の幸せを願ったわけでもなければ、私に幸せになって欲しかったわけでもない。ただ自分の目的を果たしただけ。そうして個人的に満足したかっただけ。その他の私に関わった人間だって、一人余さずすべて一律にそうでしょう。エリ・ヴィーゼルは、『愛情の反対は憎しみではなく無関心です。』とそうおっしゃった。さすがにお目が高い!その通りだと、私も思います。憎しみはある意味、愛情の別の側面であり、愛すべき狂気であって、人は人を愛を欲するあまりその炎の中に惜しげもなく憎しみを放り込んでは永遠に燃やし続けようとする。あたかも愛情の炎が憎しみを燃やす尽くすかのように思い、うっとりとその炎を眺めようとするのです。

 でもそれは違う。それでは憎しみが費えた時、愛情の火も消えてしまうのです。そうして愛情同士が相殺し合うのを見て陰で薄ら笑いを浮かべているモノこそが無関心。愛すべき喜怒哀楽が寂滅した後も尚、私がこうして札束を数えなければならないのはその無関心の命令なのです。気を付けてください!無関心は人間をダメにします、しかしダメにするのに、人はその無関心こそ真の安寧であると、そればかりを使いこなそうと真剣に努力するのはなぜでしょう。気を平らかにし、心穏やかに凪、万物を等しくすることで不動の真実を見出そうとするのはなぜでしょう。

 

 卑屈? だから、卑屈じゃありませんって!

 だって私、私の他にも、生まれるべきではなかった人間をたくさん知ってますもん。たくさん生きています。町を歩くと、あっちからこっちから、どんどんこっちに向かってきます。楽しそうなヤツもいれば、つまらなそうなヤツもいて、あぁ、コイツも、そんな事とは知ってか知らずか笑ってやがる。勝手な苦労してやがる。泣いてやがる。そしてとんでもない勘違いしてやがる。薄っぺらい考えで書かれた駄々分厚いだけの重い本が世界中にいろんな言語で流布されたこともあって、いま彼らはあたかも自分もここに居てもいい存在であるかのような勘違いをさせられている。そしてそれが原因で悩んでいる。苦しんでいる。泣いている。それはもう滑稽の一言で、自分で勝手に阿呆ほどの塩をぶち込んだスープがしょっぱ過ぎると言って泣いているようなモノで、呆れるか笑うかしかありません。しかし、

『違うんですよ。あなたのその渾身の、一世一代の解釈の是非善悪がどうのこうのというのではなくて、つまりすべては無価値という事なんですよ』そう言いたくても私はそれを言う事が出来ません。なぜならば私は彼ら同様、彼らは私同様、基より何も認められていない。求められていない存在なのだから。だから彼らが笑うのは泣くのは悲しむのは怒るのは、そんな彼らの価値を不当に高めてしまう決してやってはいけない詐欺行為なのです。世の中の一番大切なバランスが崩れる。いたずらにしても度が過ぎている事なのです。確かに、かの分厚い本やらその他、いろんな蛮人の妄言に煽動せられ、ほとんどの人がわからなくなってはいますが、彼らにその資格がない事は、性格や所作や、言葉遣いや受け答えの中にもはっきりとその痕跡が見て取れるのです。

 芸能人や、政治家や、有名起業家の中にも、その痕跡を恥ずかしげもなく曝している人が大勢いますよ。ですから私がもし、何かのきっかけでそんな人たちと一緒に酒を飲むような事があったら、酒好きな私の素性もあいまって言ってはいけない事を言ってしまうかもしれない。

「あなたは生まれるべきじゃなかった人だよ。誰もあなたが生きている事を好まないし望まないし、あなたのやる事に誰も賛成も反対も唱えないし感動も感謝もしないんだよ。あなたが動くこと、考えることはすべて無意味、いや無価値なんだよ。」

 と言うとさすがに気分を害する事でしょう。きっと激怒する。

 何か待ってるんでしょうか?

 私はイライラを押し殺してそう尋ねましたが、彼は尚、じっと遠い目をして私を無視し続けています。そうしている間に、私はその漂ってくる音が、『ミンミンゼミ』と『エゾゼミ』の鳴き声が混ざったモノである事をつき止めます。『ミンミンゼミ』はもう説明不要かと思います。夏に五月蠅く鳴くアイツです。『エゾゼミ』は、エゾ、という割に全国に広く生息していて、ただ平地には少なく、比較的標高がある土地に生息している、丸美屋の『のりたま』のような美しい色合いをした蝉です。

 何を待ってるんでしょうか?

 私は『忙しい人』に擬態してみました。大概の忙しいと自覚のある人は目的もなくじっとしているのが大の苦手で、そのうちに、『自分はきっと何かを待っているのだ』と考え始めてしまうのです。そしてゆくゆくは然るべきところで然るべき行動をとるのだろうと期待し始めてしまうのです。しかしそれは資源や食料の他人に先んじて買い占めてしまうと同じ浅ましく厚かましい行為で、必要のない時間を山ほど備蓄しようとする野蛮な行為で、私のような幸せな時間を終えたモノが、この場所で無口な彼と過ごす時間を、なんの目的も方向性も価値もなくした時間を、生まれて間もない赤ん坊から取り上げるような言語道断で鬼畜千万な行為なのです。これが『無関心』なのです。

 そしてこれこそが本物の謎なのです。 答えがない事とわかりきったうえで、私は尚、彼に訪ねているのです。

 やがて彼は、そうだね……、と呟きました。

やっと反応があったのを見た私はそれと同時に、サッと絵を取り出して、「今日はこれを見せに来たんです。」と言いました。彼は私よりもその絵に向かって、

 なんの絵ですか?

と訊ねました。

 父です。幼いころ、父は私を嬲り殺しにしようとしたのです。

幸い、なんでしょうかね。わかりませんがとにかく、私はその時は死なずに済んだのですが、実はそうでもなかったのです。

 それからも父は私を殺し損ねたことを心底後悔している様子で、

私が私がバイクで事故を起こした時も、事業に失敗して巨額の借金を抱えた時も、結婚すると報告した時も、嬉々として煩わしいという態度を崩しませんでした。

 ほう……。

 私はもう彼の正体がわかっていましたが、今しばらく、彼の芝居に付き合ってあげる事にしました。彼は、似てますか?と言いました。私は、

 とんでもない!似てるわけがないでしょ! とやや大袈裟に言いました。

 似せてどうするんですか!私を殺そうとした男ですよ。本当なら見たくもないですよ。でもそれじゃあ私があまりにも惨めだから、それを回避するために、わざわざ家族に隠れて夜中にこっそり描いたんです。

ところがそれを迂闊にも幼い息子に見られてしまって、まあ往生しましたよ。ハハハ……。

 会話はいたって平板です。ウソもホントも、こうやって混合してやがてぼんやりと真実になって行くのでしょう。まさに愛情と憎しみの関係と同じですね。でもね。

 似たなくったって構わないんです。ただ、それが、お父さんだと、そう言って描いてあげる事こそが、愛なんですよ。あなたは、正しい事をやりました。私はただ、そのことだけが、嬉しい。

 そいう言うと彼は、目に涙をいっぱいに浮かべて初めて私の方を観ました。そして私は心底驚いたのです。

 こんな事も出来るんだ……。まさに世界一、いや宇宙一だね。恐れ入谷の鬼子母神……。私はこんな恐ろしいヤツに無謀にも挑もうとしているのか……。

 彼はそっくりだったのです。私が無意味な時間を駆使して、無駄な喜怒哀楽を駆使して、あらゆる矛盾に抗して描いたその絵に。

 息子は明日から野球部の合宿で2泊、北陸に向かいます。でも天気がね、あまりよくないようだから、それだけが心配ですね。でも行くからには有意義な時間を過ごしてほしいモノです。どんな形であれ、有意義な時間を。でも一番は、サッサと無事に帰ってきて、また当たり前みたいに、私の時間にデレっと寝そべってほしいのです。無関心など、かけらもない私の時間の上に。

『いきてるきがする。』《第16部・春》



      第92章『棘』

 どうやら何もなかったようです。記憶と記憶が繋がったのだからもう、それ以上は疑いません。そう固く心に決めていますから。そして今、

 『そうそう。たしか昨日ここで、こう使おうと思ってこんなモノ買ってみたのだけれど、そうじゃなくて、こう使ってみたら、その方がうまくいって、じゃあそれでいいや、とそこそこ満足したからそのまま寝て、そして今目が覚めて、その事を思い出している』と。

 人生なんてそれ以外になにがありましょうか。それ以外を疑い始めたらきりがない。それでも疑い続けるのならば……、

 きっと精神が崩壊する。

 あるでしょう? 誰かと思い出話をしていて、ほぼ同じ事をほぼ同じように思い出すのに、肝心な部分が微妙に食い違っていて、それがどうでもいい事ならどうでもいいのですが、もし何か重要な事だったら……。

             *

「あの時、帽子を取りに行ったんは僕やで……。」

 

 厄介なのが、この精神崩壊には全く予兆がなく、何ら苦痛も違和感もなくスムーズに進行し、そして精神が崩壊した後もまるで自覚がないという事でしょう。

そして最も厄介なのは、すべての事情がそのままうまく運ぶという事。

 私は試しに今の子に、「あれ?昔の子は?」と尋ねてみました。昔の子が突然いなくなってもう何年経ったでしょう。私は彼の返事を待ちました。彼は朝の光にまつ毛をキラキラさせながらきょとんとした顔でこっちを見ています。

 こんな経験ないですか? 大概はないでしょう。いえ、ない、と答えるでしょう。ない、と思い込んでいるでしょう。いいえ、そんなことはありませんよ。絶対に皆さん、必ず毎日欠かさずこんな経験しています。例えば、私にはこんな経験があります。

 小学2年生ぐらいでしょうか。私は剣道の練習中、竹刀のささくれが右手の爪と肉の間に刺さってしまったのです。こんなの大人でも痛いですよね。でも昔の剣道道場ですから理屈など通じません。そうしている間にも掛かり稽古の順番が廻ってきます。私は負けず嫌いではないのですが、誰かに叱られる事が病的なまでに嫌いで、言い訳して叱られた後に殴られるぐらいなら言い訳をせずにただ殴られた方がまだましと絶望的な選択をした結果、泣きながら、棘が刺さったまま約1時間半、剣道の稽古をやって、そのまま泣きながらうちに帰ってたのです。そして母親にささくれを抜いてくれと言ったのですが、晩御飯の準備が忙しい!と一蹴され、父親には、ウダウダ言うてんとサッサと風呂に入れ!後がつかえてる!と言われました。そのほかに私は、いつもイジメてくる嫌なヤツに今日もまた、防具のないところをわざと殴られた話や、竹刀をはじき飛ばされ、何も持っていない状態で面を2~3発も駄々殴られた話をしたのですが、そんな事は彼らにとってはどうでもいい事のようでした。剣道なんやからそんなもんやろう、イジメられたらイジメ返せ!と言うのです。彼らはいつも同じ事を言うのです。こんな馬鹿な理屈でも、それが日常生活にぴったりと嵌り込むともう誰もそれ疑う事は出来ません。実際に私もこの2人に話を聞いてもらったところで、心の痛みも体の痛みも少しも癒えない事は知っていました。そして自分が今、本当に痛いのは右手の指先だけだという事を思い出し、風呂で徐々にふやけていく指先の小さな違和感に妙な親近感を感じだすと、『自分とは誰よりも残酷に、自分に屈することを強要する裏切り者だ』と、そんな言葉を頭に反芻して、同時にそれを湯船の中でブクブクと息が続く限りし繰り返していたのです。

 わかりますよね。この時点でもう、私の精神は崩壊しています。

 風呂から出た私は、そのまま食卓に着くのですが、父親はもう酔っぱらっていて、こうなった父親との間にはもはや親子という関係性はなく、ただでさえ狭い食卓にすでに4人も座っているのに、また一人増えやがった、テレビがますます見えづらくなったと、まるで部屋が狭い事まで私のせいだといわんばかり、そんな舌打ちを聞きながら、私は飯を食うのです。

 でもそれでも、私はホッとしていました。あぁ、棘が刺さっといてよかった、と。もしそんな理由でもなければ、自分はどうやってこの疎外感に耐えただろうと思うと、それは絶対に無理だったからです。

                *

 剣道の道場に行く途中に、『日新団地』という在日朝鮮人たちが住む団地がありました。その日、私はそこに住む趙君に出会いました。彼は一人で、よう!と言い、私も、おう! と言ったのです。趙君は私よりも大柄で、何より酷いいじめっ子でした。彼は嫌われ者で、私は趙君が嫌いでしたが同時に、彼が私と同じように孤独なのを知っていました。彼は私と同じ、集団が嫌いなのです。そして集団を憎んでいます。そしてなにより、その憎むべき集団の最小単位こそが『家族』だったのです。この時私は、彼の『よう!』と、私の『おう!』の間に、ほんの僅かな、つけ込むべき日常の亀裂を見つけたような気がしたのです。

 貧しい家庭が多い『日新団地』の中で、母親がスナックを経営している趙君の家は比較的裕福でした。服も私よりもずっと上等なものを着て、一人っ子のせいか、私の様に、姉のおさがりの赤いセーターやズボンなど着ていることはありませんでした。日新団地のそばには公園があって、そこには今でいう、『ホームレス』が何人か暮らしていました。趙君は「あのオッサンのテントに爆竹放り込んだったらびっくりするやろかな」と言って笑っていました。夕日を背に笑う趙君の姿は悪魔そのもので、あんなにも心地よく悪に身をゆだねている姿を、私はうらやましく感じたのです。彼には強い味方がいる。私はその、とっておきの親友を紹介されたような頼もしい気分でした。そしてこれから2人でやる事が正しいか間違いか判断することがすでに間違っている気がしたのです。そして趙君は投げ入れたのです。激しい破裂音が連続で聞こえた後、辺りはシーンと静まりました。趙君は予想と違う薄い反応に不満げでした。静まり返ったテントに入る趙君の後ろから私も中を除くと、男が一人あおむけに倒れてるのが見えました。爆竹の硝煙のにおいに混じって、何かが腐ったような臭いが漂ってきました。

死んでる……。  

 そうつぶやくと趙君は走って行ってしまいました。そして団地の中に消えると、辺りの夕闇全体に鍵を掛けたのです。そして私は突然一人になり、一人でその状況を判断しなければならなくなりました。仰向けの男は、目を見開いたままピクリとも動きません。私も慌ててテントを飛び出して、そのまま剣道の道場に行ったのですが、私がそのテントから出ていくのを、どうやら誰かに見られていたらしいのです。

 稽古が終わり家に帰ると警察の人が来ていました。「君は、日新にいた、子やね?」と言われ私はうなづきました。

「あそう。で、ね、汚いテントの中で、汚いおっちゃんが倒れとったやろ。どう? もう死んでた?」

 見ると、父親と母親が置物のように並んで不気味な笑顔を向けてきます。『違うよな……。なんぼお前でも、そこまで親に迷惑は、かけへんよな?』 私は、「うん、もう死んでた。だって、めちゃ臭かったもん。」と言いました。警察は、「あぁ、臭いんは、ああいうおっちゃんは生きててもそうやねん。いつ死んだんか、って事がな、今は大事やねん。」

 私は趙君の名前を出し、趙君がテントに爆竹放り込んだ!と言いました。私は、趙君に紹介された親友も、きっと自分の見方をしてくれると思ったのです。

「あ、趙君な。でも趙君は君が放り込んだ言うてるで。やめろ、言うのに、君が放り込んだて。」

「知らん!だって、剣道行くのに爆竹なんか持って行かへんやん。マッチも。」

「それが趙君は持ってたっていうねん。趙君の友達も」

え? 友達??

「もう一人、おったやろ?」

 え……?

 結局、私が爆竹を投げ込んだ。そのショックで、ホームレスが心臓発作を起こして死んだ、という事に落ち着いたようです。警察が帰ると、両親は私に張り手をしました。2人で1発ずつ。計2発。母親は口元を抑えて台所へ、そして父親は「サッサと風呂入れ!”ボケ!」 と言い捨てて真っ暗な居間に消えました。卓袱台の向こうに兄弟たちの眼だけが光っていました。ハイミーの小瓶が倒れていました。日めくりカレンダーの下で布袋さんが笑っていました。すべて事実です。でも……。

 そうなんや……。趙君、逃げたんやなかったんや。帽子取りに行っただけやったんや……。

 私の指にはもう棘など刺さっていません。知らない間に抜けたのでしょう。或いは、始めから刺さってなんかいなかったのかもしれません。

               *

 「パンを取りに行ったんじゃないですかね。」 と、今の子は言いました。

 私は崩れ落ちるほどホッとしたのです。私がここ数年、迷いさまよっていた現実は、目の前の記憶の組み合わせから外れ、消えたようです。いいえ、ただ見えなくなった、という、実際はただそれだけの事なんですが……。


        第91章『春男の言い分』

 春春春春と、まるでなにかに取り憑かれたように、さっきから同じ文字が頭の中を渦巻いています。なんだかムズムズとして落ち着かない。それは、私がまだ何もしないうちにこの春が私の命を掠め取って逃げていくような気がしたからです。いや、余計なことは言わない方がいいです。反省してます。お前なんか、いてもいなくてもどちらでもいい、だなんて、そんなに冷たくされたら、私にはもう帰る春がない。死ねないという事は、生まれないという事よりも尚、残酷で恐ろしい事なのかもしれない。

 そして今度こそ、私は生きたまま身も心もズタズタに引き裂かれてほら、今、隅田川の川面にひらひらと舞って散り々々に消えていくあの桜の花びらの様に、美しいと言ってくれたじゃないか!あれは嘘だったのか!などと哀れなことを叫びながら、遊覧船の波にかき回されながらやがて消えてしまうに違いない。『あらかわ遊園』の桜はもうほとんど散ってしまっている。また来年。しかし来年咲く桜は今のこの桜ではない。つまり私ではない。

 公園のベンチに妊婦3人が座っていたのですが、みんな膝を組んでいて、私が、「そんな座り方はお腹によくないですよ」と注意するも、高慢な妊婦どもは誰一人私の言葉に耳を貸そうとしない。「ほら、足がね、こう、お腹を圧迫してるように見えるんですよね、だから……」

 だから?

 そのうちの、いかにも昔やんちゃやってましたという風情の色の浅黒い妊婦がギロリと私を睨んだ。

 アンタに関係あるの?  

 関係? あるのかな、ないのかな……。

              *

  春に生まれた男だから春男。(はるお・しゅんなん)。

 どっちでもいい。そんな無邪気な名前でよかったものを、私の両の親ときたら、革命新時代の到来に己らの出自も素性も見忘れたかは知らん。一切を省みない、無責任で無自覚で荒唐無稽な望みをイチかバチか託してみたつもりかは知らん。卓越した者として、いまだ英霊同志の御骨の眠る焦土を無下に踏みつけ走り去った進駐軍のジープの轍から滲み出た、阿保だか安保だかいう脂っこい毒水を何の疑いもなく鼻から、口から、臍の緒からちゅうちゅうと鱈腹啜るだけ啜って見違えるほどバカでかく育ったこのニセ日本人どもをみな唆し、その伽藍堂の頭に溜まりに溜まった燃えやすいだけの塵芥のごときニセ愛国心を集めるだけ集めたらそれを一気に燃え上がらせ、あの日以来、真も誠も見忘れて、己の糞便も餌も分かたず貪る家畜のごとき姿を、やれブタだのサルだのと嘲り、見縊り、食い物にしてきた近隣諸方に巣食う浅ましき土人どもに驟雨のごとく撃ち付けてこれ一切を黙らせ、陛下よりお預かりした御国とその臣民を基よりの美しい姿に復元し、非情でも非常識でももう構わん、無礼でも無作法でももう厭わん、ただ美しき、偏に美しき場所へと帰せ給へ、とでも嘱望したかは知らん。知らんがとにかく、こんな大袈裟な名前のせいで私はこの、たかだが3人の妊婦どもに囲まれただけの偶然にして無価値な瞬間にまで、生まれた時より長引いている公開処刑という状態から脱出できないでいる。 

 じゃあもしだよ、もし私が本当にそんな事を成し遂げたら? その後、私はどうなった? 英雄? 違うよ、ただのお役御免の厄介者だ。そしてA級戦犯だ、非国民だ、国家の恥だ、人類の敵だなどとののしられ、私の戸籍は抹消され、私の苗字は日本人の苗字から消去され、そしてその同じようなチョビ髭のドイツ人と私は互いにブツブツと文句を言い合いながらヘタクソな将棋を打ち続けるのだろう。

 だから私、春男(はるお、またはしゅんなん)は、今後、君らの腹から生まれてきたナニモノもかわいいと思うことをやめにする。もうそうするしかないんだよ。私だってこんな事は初めてなんだ。私はこれまで一度として、一人として、いや一匹として、生き物の子供をかわいくないと思ったことはない。それは犬猫人間に限らず、カマキリや、蜘蛛、ゴキブリに至るまでそうだ。小さくて、か弱くて、自らの正体も知らないまま、まさか嫌われてないだろう、殺されたりしないだろうと、与えられた命を以て、ただ一生懸命に答えを探して動き回るモノのどこに可愛くないところがあろう。でももう決めた。一切やめた! でなければもう、私の身が持たない!

 妊婦どもはよほど意固地な性格なのだろうか、それとも一番勢いがありそうな色黒が啖呵を切ったせいで、同集団としてやめるにやめられなくなっているのだろうか。誰も膝を組むのをやめない。どっちにしても毒水の効果は絶大だったとみえる。

 こんな事を君らに言うことは全くないのだが、じゃあ関係ないついで言わせてもらおう。

 私には人を殺した過去がある。もちろん法に触れない形でね。おかげで私は今もこうしてさも善人であるかのような顔をして生きているんだよ。でも実は大悪人だ。だって人を殺しているんだからね。

 いいかい、人を殺すなんていずれそんなもんだよ。何が悪いかって? そりゃ法に触れるから悪いに決まってるだろ。それ以外に何がある?それ以外の奴は、私の様に善人面してのほほんと生きているか、己の罪など気づきもしないまま、そのダサい一生をさも何かをやり遂げたような顔をして満足げに終えるのだよ。だがこれは、生まれた事の全否定に等しい。

 そして君らの今が足を組んで座っているそのポーズもまさにそうだ。自分の足腰が楽なせいか?そりゃ妊婦は骨も弱るし体重も増えるし大変だろうさ。知らんけど。でも腹の子のため思うなら組まない方がいいに決まってる。君らは今、我が子の健全な生涯よりも自分の都合を優先してお腹の子供を犠牲にしてるんだよ。自分の腹で育てているつもりか知らんが、それはじわじわと嬲り殺しているのと何が違う?

 私はとうとう花を持ってこの墓の前に立ちました。思い切りが付かず、気付けばもう3~4年も経っていました。それはちょうど今ぐらいの頃で、葉桜が暖かい風にさわさわと揺れていまたのを覚えています。しばらく立っていると木陰から一匹のナミアゲハが現れて墓石に止まりました。私より後に来て、私より先に墓石に触れたのです。ナミアゲハは落ち着いた様子でゆっくりと翅を動かしていて、別段私の事を恨んでいる様子もなかったのですが、ただその模様だけはいかにも難解で、たとえどんなに優しさで包んでみても垣間見えてしまう、僕は? 私は? というあの、複雑な疑問を示しているように見えたのです。

 僕は? 私は? については、このブログの第7章~第9章に掛けて書きました。あの時は恨みがましい元タレントとして現れたのと同じ彼、または彼女は、この時は確かにこのナミアゲハとして現れていたのです。

 やがてナミアゲハはまたふわりと浮き上がり、私の心臓の辺りに止まり、しばらく何かを吸っているようでしたが、やがてまたふわりと飛び上がるとそのまままた木陰へと消えていきました。しばらく待ってみましたが戻ってきませんでした。きっともう済んだのでしょう。もう会わなくてもいいというのでしょう。もうあなたから貰い損なった命は吸えるだけ吸った、という理由なら、むしろ有難い……。

 もちろん無事生まれることを願うよ。しかしそんな私の願いには何の特効力もない。アンタに関係あるの? って言ったね? あぁ、それだよ。まさにそれだ。だから私はほんの一瞬迷ったが、お互いの安全のために、関係を正式に断ち切ったのだよ。

 やがて、僕は? 私は? と、君らの腹からは、猫とも犬とも人間とも、カマキリとも蜘蛛ともゴキブリとも、己の素性を何も知らない何かが生まれてくることだろう。そして君らはそれにすべてを教えることになる。あなたは、人間で、私の子供で、小さくて、可愛くて、賢くて、優しくて、愛されてて……。そして巡り巡って、『あらかわ遊園』で見知らぬ通りすがりのおっさんに足を組んでいることを注意されたことも、もちろんそのうちに入る。受けられるはずだった一人分の愛情を、親の都合で放棄させられているわけだからね。

 君らにそれが出来るかな? 今足を組んでいるのと同じ、面倒くさい なんて理由で自分の都合を優先して放棄してしまうんじゃないか?そしていつか、世の中に対するバリケードとしてその子を使ってしまうんじゃないか? 私には何も担保することができない。本当なら何とかして担保しなければいけないところだったが、可愛いと思うのをやめた今、それも出来なくなった。君たちは映画の中の人の様に、私の愛情や心配を甘受する事が出来なくなった。ただ……。

 もうすぐ雨が降る。これは確かなことだ。私は雨が降るのは臭いでわかる。100%わかる。だからそのままだと君ら体は濡れる冷える。そうならないためにも、いずれにせよもう立つべきだ、立って歩いて、濡れないところに移動すべきだ、とにかく、足を組むのをやめるべきだ。

 一人の妊婦が、私、足を組むの、やめる。

と言って立ち上がりました。すると他のもう一人も、私も、と立ち上がりました、

 最後に色黒の妊婦も、じゃあ私も、と立ち上がった時、大粒の雨が降り出しました。私はなんだか自分が救われたような気分になって、あぁ、どうでもいいモノがまたこうして流されていく。これはどうしようもない事だ。きっとこうして私は生まれたし、またこうして私は死ぬのだろう。あのナミアゲハも本当はただ飛んできて飛び去っただけで、すべては私の思い込みだったのかもしれない。斯様に、人生なんて、今生きている事すらただの思い込みなのかもしれない、と思えるようになっていました。その時は救われた気がしたのです。そして私はこの特別な春を忘れないように、この年、この春に限り、私と妊婦の人数を合わせて、『春』一つではなく、『春春春春』 と4つにする事にしました。

 夏のお産は大変だけど丈夫な子が生まれる、と言われますが、或いはまるで根拠のない事かもしれません。妊婦たちは小走りに葉桜の下を行ってしまいました。

 転ぶなよ!足元、滑るよ!!

 そんな3人の後ろを1匹のナミアゲハがついて飛んでいきました。私はまた一人に戻り、『春』が本当に『春春春春』に変わっていることに驚き、暫し佇んでいるところです。



       第90章『無言の約束』

 突然のパソコンの絶命にずいぶんと時間が空いてしまいました。その間も、『今』は遠慮も配慮も忖度も容赦もなく突き進み、本当ならもっともっと、春に纏わる面白い話題をどんどんと上げて、やや停滞気味のこのお話の熱量を上げていこうと勇んでいたのに、気付けば季節はもう春というより梅雨、今日などは初夏に近い。

 駄目だねそんなんじゃ、もっと何事もスッと、目から鼻に抜けるようじゃなきゃ。本当に駄目だよ……。

 ご存じの通り、私は日々、こうしてある事ない事を、さもある事のように認めながら、実際の生活と架空の生活の際に立って、その薄っぺらい垣根を、葦簀を押すようにゆらゆらと押してみたり、隙間から向こうを覗き見たりながら暮らしているわけなんですが、先日、

 思いもよらない便りをいただいたのです。

 それは手紙とか電話ではなく、『無言の便り』でした。便りとはその受けた瞬間に、これまでの日常やら常識がガラリと変わってしまう事の総称を言うのだろうと、私は昔からそう解釈しているのですが、私はその便りにより、自分がこんなにもその事を楽しみにしていたという事を知る事が出来たのです。

 店のあった場所は今はすっかり整備されて、今秋にはドラッグストアが建つそうですよ。重機がわちゃわちゃと土をこねくっているのを見ていると、あぁ、結構広い土地で商売やってたんだなぁ、と他人事のように感じます。今は、もうそれだけですね。

 まあ、頑張ったんですけどね……、なにかが途切れる時とはきっとこんなモンなのでしょう。涙も出ません。後は、また何かが、どこからか、私を招き入れる大きな扉のような、頼もしい便りが届くのを待つ。待つともなく待つ。それしかない、という事なんでしょうね。たぶん。

 だが困ったことに、『今の子』にはまだその事実を説明を出来ていないのです。きっと今も、店の掃除をしたり、金魚の世話をしたりしていると思います。

「最近、誰も来ませんねぇ」って君、そりゃそうだよ。そういう事なんだよ。でも厄介なのは、それは『今の子』には時間の経過がない事に起因している事。だから、昨日は誰も来ず、今日も誰も来ず、きっと明日も誰も来ない、という『無言の便り』が、どうしても届かないのです。毎日せっせと店を整えて、私が適当に描いた絵の新作Tシャツを、ああでもない、こうでもないと、できるだけ見栄えよく陳列しようと工夫しているであろう姿などはもう、見ていて居た堪れないのです。

 初めに自分には時間の経過がない事に気づいたのは『昔の子』の方でした。『昔の子』店の食品部門を担当してくれていて、妻の焼いたパンなどを店に運んで、見栄えよく陳列して、ポップを書いたりしてくれていました。またそのポップが独特で面白いと、近所の会社のOLさん達にも人気があったのです。

『独産燻製畜肉の薄切りをメリケン粉による膨らし煎餅にて挟み候。』や、

『秘伝。仏産薄皮餅の重層焼きのチョッコレイト包みにて候』など。

 彼は少しもふざけてなんていませんでしたよ。ただ、自分を『今』に合わせて必死に体を動かしていた、考えていた。しかし、戦中に餓死したと思われる少年の魂から洩れ来る現実は、周りには面白可笑しく感じられたのでしょうね。たぶん。

 何事にも真面目な『昔の子』はそんな周りの反応に少しずつ違和感を感じていたようなのです。まあ、これは私の観察からそう思うだけなんですが、なんか、違うな……。初めはそんな感じだったのかもしれません。だがそれが次第に大きくなっていった。そして、

もういいんですよね。もう、ああすればよかった、こうすればよかったって考えなくてもすむようになったんですよね。俺達」

と、大悟を得たような謎の言葉を残して、彼は忽然と私の目の前からいなくなったのです。おそらくは自分に時間の経過がない事を悟った彼は、無限の『今』から、時間の激流の中に身を投じたのだと思うのです。

 それから私は必死に、道を歩いている人や、うちに来る客の中に彼の面影を探しては、話し掛けたり、因縁をつけたりして、必死に引き寄せようとしました。だって、もし彼が時間の流れのどこかにいるのならば、会えるかもしれないじゃないですか? 私だって別にやりたくてやっていたわけではありませんよ。そんなのまるで変態かチンピラじゃないですか。でもこれは間違いないと、確信を持てた時だけ、勇気を出してやっていたのです。何時かの老人などは絶対に『昔の子』だったと、今もそれは確信しています。ただ私にはそれを押し切る力がなかった。

 中には、

「つまりその『昔の子』とやらが突然いなくなったのは、あなたの勝手で弱気な想像なんでしょう?」

と思う方もいらっしゃるでしょう。だと思いました。思いましたので、これで二度目三度目になるかと思いますが、これまでの経過について簡単に説明させていただく事にします。

               *

 私のこの創作の中には私よりも前からこの『昔の子』『今の子』という2人の道祖神がいて、彼らは突然、私に向かって2人の少年へと変化したのです。ところで、

 この中に、夢を自由自在にみられるって人、いますか??

 私はできません。2人はその、私の自由にならない領域に突然飛び込んできて、私に『この店で働かせてください』と言ったのです。

 これはわかりますよね。簡単です。つまりそういう夢を見たという、ただそれだけの事です。ただ、両膝を壊し、職を失い、手術・入院を繰り返し、リハビリにも生活にも全く目途が立っていなかった私にとってそれは願ったり叶ったり。私はすぐに店を用意してそれを快諾しました。そうして私のこの店はスタートしたのです。それはただただ、ネット上で、エックスサーバーの枠を借りて、委託販売を始めたのとは違うのです。私にはそんな意思は、神に誓って、始めからではなかったのです。

 まあ、神に誓われてもね。パッとしませんわ。ですよね。神って、等しく誰にとっても駄々えらいだけ、偉そうなだけの存在で、いったいどんな能力で、実生活のどの部分を、どういうふうに支えておられるのか、ピンと来ている人は世界に恐らく一人も否だろうなと、私個人は考えているほどです。 ところで、

 この中に、自分と他人の区別がつく人は、います?

 私はつきません。『自分以外は他人、他人以外は自分』というこの分別にも理解することはありません。私は他人がいないと、何も考える事も、しゃべる事はもちろん、なにか行動する事も一切なかったと思います。    

私は自分が他人によって形づけられていることを微塵も疑いません。つまり私は他人が脱ぎ捨てた抜け殻の形をしているのです。だから、自分の自由意志なんてものは初めから信用していません。 ところで、

 この中に、約束をしない人、またはしたことがない人は、います?

 私はありません。というよりも、する事が出来ません。もし誰かが私にウソをついたとしたら、または私がウソをつかれたにしても、その瞬間にそのウソは私やあなたにとっての真実へと変わるからです。

『今の子』『昔の子』も、ずっとこんな、寂しい状態でいたのか、いるのか、と思うと、やりきれないですね。

 なに、このくだらない話はもうすぐに終わります。つまり、私は花見の約束を反故にされた事を言っているのです。

 暖かくなったら、ぜひ、やろうぜ! 花見。と言っていたのに、今年の桜はあんなに長く咲いていたのに、それでも一日も、メンツの都合が合わなかったなんて考えられません。これは、私以外の全員が花見をしなかった事によるのです。私はそうして、『無言の便り』を受け取ったのです。もう、桜など、どこにも咲いていません。

東北に行け? 北海道に行け? どこからそんな金が出る?

               *

 もうすぐ、ゴールデンウィークか……。私はね、これら無限の無言の中に、いったいどれぐらいの約束が含まれているのかと思うと、ぞっとする反面、なんだかワクワクするのです。

 来年とか、再来年とか、いいね。それがどれぐらい無言の約束に満ちていることか。そしてそんな事がどれぐらい世の中を幸せにしている事か……。

『今』の所在が様々な皆様へ、久々なので、私がちょっとだけ切り取って報告すると、

 ウクライナの存続は決まりました。日本は世界から強面を期待され、必死に強がってます。アメリカは相変わらず。人口の移動は止まりません。温暖化も進んでいます。人間は増えて野生生物は減っています。もはや誰もそれを危惧しません。言い訳を考えるのに疲れたのでしょう。

 ある意味、健全な世の中です。

『いきてるきがする。』《第15部・冬》



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  第89章『遺品のメモ』

『司法取引だっていうんで、 ウン と言ったんだよ。そうしたらその一言が証拠になって、たちまち俺の死刑が確定しちまった。お前1人でやったんだな。だと?冗談じゃねー! お前が俺に やれ!と言ったんじゃねーかよ!』

遺品整理をしていたら、そんなメモをみつけてしまって……。

 どうしようかな、いまさら身内に知らせても手遅れだし、警察に見せても、何だか面倒な事になりそうだし。

 でもねぇ、このメモが明るみに見出れば、騙されて亡くなったっぽいこの人の面目も少しは保たれるかも知れないし……。

 だから私は今、世界でたった一人だけ、この些細な人権問題について試されているという事になる。結論を求められているのではない。この人はもう死んでいるのだから結論は出ている。私はただ試されているという事だ。辺りを見渡しても、それに注目していそうな神や仏は見当たらない。同僚2人は私だけを残して幸楽苑に昼飯を食いに行った。全くの私1人だ。外は外の御多分に漏れず、立ち枯れた様な冬の街路樹が不自然な等間隔で罪深く並んでいて、白いのか、黒いのか、キラキラとしてまるで判然としないバイクや車がその下を倦むでもなく、急くでもなく駄々通り過ぎる。それは悪も善も綯い交ぜで、その光景について強いて言うならばそれは、誰のせいでもなく、誰のモノでもなく、誰のためでもない。誰の興味も引かない、言わばただの『ゴミ』だ。

 私の浜銀銀行口座はもう何年も前に凍結されて手出しできないが、まあ多分、数千円しか残高もないので私だって痛くも痒くもないが、そういう口座の事を銀行業界では『ゴミ』と呼ぶらしいが、この人権問題も、神様業界では『ゴミ』と呼ばれているに違いない。最近はゼロエミッションだの、SDG’sだのと、環境の問題がやたらと声高に取りざたされるが、より深刻なゴミ問題があるとしたら、むしろこっちのほうだ。それを私はいきなりホイと渡されたのとだから、正直、迷惑以外の何物でもない。

 私はポケットの中でメモを揉み揉みしながら、そのうち読めなくならないかなぁ、そしたらこの弁当の空箱と一緒にコンビニのゴミ箱にダンプして、あ、しまった、捨てちゃった、と白々しい芝居をすれば幾らか罪の意識も薄まるだろうなどと考え始めていた。

 だいいち、これが本人のメモかどうかわからないじゃないか。

 でも何十年も本人以外誰も入っていないという実家のひきこもり部屋から出てきたこのメモを他人の書いたとするにはあまりにも無理があるようだし、それこそ筆跡鑑定なんてやられたら、これを本人が書いたという事を疑うせっかくの余地も壊滅する。

 シュレディンガーの猫……。私の悪人はもう決まってるのにそれが保留の状態で止まっている。

 そして私はやはり試されている。

 私は果たして、善人なんだろうか、悪人なんだろうか……。

 午後までにまだ30分ほどあったので、私は自分がこのメモと弁当箱を果たしてコンビニのゴミ箱に捨てるのか捨てないのかを見てみる事にした。コンビニには若いサラリーマンが数人レジの順番を待っていた。私は当然、自分がそのままゴミ箱に向かうのかと思いきやなぜか店に入った。しかしこれには驚かない。これは私がたまに発動する『良心の呵責』で、エレベータのボタンを押す時、手をグにして中指で突っつくように素早く押したり、電車やバスのつり革を出来るだけ小さくく掴むのと同じで、私は不潔です。でも触ってスミマセンという『良心の呵責』。これだろう。何も買わないでただ捨てる事への配慮としてのフェイク行為だとしたら、私はやはり捨てる気でいるらしい。 

 

 次に雑誌コーナーで立ち止まった。そしてあろうことか私は空の弁当箱を持ったまま本を取ろうとした。タルタルソースが付着したら、その本を買わなければならないだろ。と訝しく見ていると、

 それなら買わされてもいい本を触ろう。ってなんだお前、それでも触るかよ! とこれには少し驚いた。全ての商品についてただの便利屋で専門店ではないという、コンビニに対する侮蔑が垣間見えた。もしこれが本屋だったら絶対にやらないだろう。私はバイク雑誌を手に取り、邪魔だから買う前にまずゴミを捨てようとして慌てて立ち止まった。このまま店を出ると、その瞬間に万引きが成立してしまう事に気付いたからだ。

 アブねぇ! と冷や汗をかいている。自分がこんな些細な犯罪にすらこんなにも潔癖症であるとは知らなかった。これには驚いた。こうして未確認な己の出自が次々と明らかになる中、このメモを書いた人がもし私の様なら、突然『死刑』なんて言う、ド不潔で巨大な悪の毒壺に突き落とされ、グイグイと首を推し沈められてやがて窒息死したのかと思うと少し気の毒になった。

 私は空の弁当箱とメモを持ったまま列に並び、持ったまま会計を済ませた。袋は? とも、ゴミ預かりましょうか?とも訊かれなかった。

 買いはしたが私にバイクを買う予定もお金も覚悟もなく、もはやそんなに欲しくもなかった。私が欲しいのは、無限の愛だけ。

 そう、無限の愛……。

 無限の愛はすべてを救うのだと信じている。それはどんな人にもその一端が必ず向けられていて、それに縋る事に対して、誰も警戒も躊躇も遠慮もすべきではないと考えている。限りある命に感謝する事は間違っている。命は時に残酷だ。苦しむために、バカにされるためだけに生まれてきたような命は、実際にたくさんいるじゃないか。

 コンビニを出ようとした時、同僚2人と鉢合わせた。

「お前、事業ゴミをコンビニのゴミ箱に捨てるなよ。文句出ちゃうからさ。そうしたら次から他のコンビニでも捨てられなくなるだろ」

 このバカなパラドックスに私は一切反応する必要はない。ただ……、

 街路樹やキラキラと光る車やバイクが私に優しくも冷たくもないのは、ひょっとしてこれこそが無限の愛だからかもしれないと思った。私の頭の中では、いつか死んだ、或いは、いつか死ぬ。という遠い記憶が常にガラガラと鈴の様に鳴り響いていて、私はその都度何かを考えているようでいて実際はその音を聴いているだけなのかもしれないし、それだけが正しいのかもしれないし、それしかできないのかもしれない。だからこの人も決して気の毒な人ではない。

 生きる事そのものにもともと特別な意味はなく、ただ無限の愛を感受するため金魚掬いのポイの様に渡されて、金魚を狙ったぞ!掬ったぞ!というあらたかな記憶だけが立ち枯れた様な街路樹やキラキラと光る車やバイクの中に永遠に閉じ込められて、時間はその永遠以外に何も保証しない。

 そして私は勢いよく捨てた。    


  第88章『縛られ日記』

 これ、日記でいいんですよね?

私が何をやるとか、やらないとか、そんな事ぐらいで、いいんですよね?ホントに。

 えっと……、じゃあ、始めます。

 あの大きな分岐点からあなたにはどれぐらいの時間が経っているのか私には知る由もありませんが、私は今、自分がほどなく、事象の中に融解してしまおうとしているのを、必死に食い止めようとしている状態なのです。

 あぁ、そうですよ。これは日記ですからね。パーソナルな。だから誰が見てもわかる様な事を書いたりしませんからね。あなたがここで、私に面と向かって座っていると仮定して、そしてあなたがあらかた私の事情を知っていると仮定して、それでも絶対にあなたにはわからないような出来事について、今から書くつもりですよ。

             *

 君は僕が今どれぐらい『努力』をしあぐねているかわかるまい。

毎日、君は飯を食ったりトイレに行ったりして、それ相応の時間を過ごしている事だろう。そして、それに付随した様々な行動を組み合わせて、さも上手くいってる、心と身体のバランスが良く取れていると、無意識な充実感に満たされているに違いない。でもそれは決して当たり前の事ではない。まったく考えてもみないのか? 自分が転びそうになった時、小さな何者かが、自分の足の裏で、うんと踏ん張ってそうならないようにさせたり、運転中に眠くて仕方がなくなった時に、わざとエロティックな想像をさせて眠らせないようにさせたりと。そいつの目的はなんだ?そいつの正体はなんなんだ? とは。

 

 私は自分が1人ごちた気付き、いるはずもない誰かの目を気にして、夜中の2時にきょろきょろと部屋の中を見回した。

それもこれも、昨日の何気ない質問が影響しているに間違いない。

 どうだい?もしも、もしね。この店に、もう1人アルバイト君が入るとしたら、君はどんな子がいい?

 私はそれとなく、『今の子』に訊いてみました。すると彼は、

 そうですねえ……、僕は正直、あまり人と会話するのが得意じゃないから、もしもう一人はいるなら、そういうの得意な子がいいですね。そうしたら、接客は全部その子に任せちゃいます。それで、僕は淡々と商品整理と金魚の水槽を掃除して過ごします。

 ははは、なるほどね。

 私は後ろ手に縛られています。あとはその、新しく入るアルバイト君を、どう構築するか。その子がもし、かつての『昔の子』であれば、私のこんな姿に、どうしたんですか?! と驚きの声を上げて私の手を縛っているロープを解いてくれるに違いありません。私達は、これまでも、これからもずっと仲良くやってきたし、やっていくはずですから。

 じつはね、君と一緒に、もう1人アルバイト君が、いた事はいたんだよ。 私は『今の子』にそう言いました。彼は、へぇ、と少し驚いた様子を見せました。私は、

 私達の記憶はさ、とても曖昧な物で、なんの証明にも証拠にもならないよね。ただ、個人的に、そういう印象を持った、という事に過ぎない。それがいくら具体的な記憶でもね。確かに見たんだ、確かに聞いたんだ、確かに触れたんだ、と幾ら声高に叫んでみても、誰もピンとこない。大概の幽霊や宇宙人がそれさ。

 ん~~~。

 じつはいたんだよ。もう1人、アルバイト君が。私は自らを落ち着かせるために、出来るだけ穏やかにそう言いました。

 それは、『昔の子』と言ってね。君と2人でこの店に来て、2人同時に働き始めたんだ。

ん、ん、ん、ん、ん。

 え?なぜ?いいんですよね、日記で、これは日記ですから。

 こういう形であなたがいつも中途半端に終わらせるから、人間はずっと一人の中に閉じこもって、出会いとか別れとか、生きるとか死ぬとか、そういうモノを、絶対に逃れられない事だと諦めてしまうのです。あなたがそうまでして必死に守ろうとしているそれは一体、何なのですか?

 私は続けます。

 その『昔の子』は、戦時中に、自分は餓死してしまったと、そう言ったんだよ。君は戦争の後に生まれたけど、彼は不幸な事に、戦争中の子供として生を受けてしまった。彼は小さな体で必死に生きようとしたけど、結局子供として死んだ。でも彼はその自分の記憶を、曖昧なモノとして、つまりちゃんとした形で理解しようとしていた。それが出来る場所を探しているうちに、同じ様な場所を彷徨っていた君と出会ったんだろうと、私は想像している。

 私が事象の中に融解してしまう事に必死に抵抗しているのは何も自分をこの世界に自分の記憶媒体として生き永らえさせたいためじゃない。この世界はウソじゃないけど、唯一の本当というわけでもないんだよ。じゃあ君は、記憶を捏造できると、本当に思うかい?

 材料も何もないところで、何か料理が作れると本気でそう思うのかい?

『昔の子』は、もういいんですよね。もう、ああすればよかった、こうすればよかったって考えなくてもすむようになったんですよね。俺達、そう言ってどこかの世界に向かっていった。そこに辿り着いたのか、まだ彷徨っているのか……。

 いや、残酷な事だが、彼に彷徨う事は許されないんだよ。『昔の子』と、私が彼を呼び続ける限りそれは不可能なんだ。それは誰も同じ、我々は、必ず固定されて彷徨う事はない。男、女、その他にも、我々は自分を離れて何かと何かの間を彷徨う事は許されないんだよ。トランスジェンダーの苦しみは、なにも社会的な弱者だからとか少数派だからとか、様々な権利の取得が困難だという事だけじゃない。我々はみな、彷徨えない事を苦しんでいる。それは同じ、おなじなんだ。

 だから理解できるはずなんだ。いや、もう理解しているはずなんだよ。それを出来なくしているのはこの固定。時間や空間の、せっかく持ち合わせた曖昧さを断固拒否しようとする何者かによる悪辣な固定。

あなたがそうまでして必死に守ろうとしているそれは一体……。

           

 なぜか、私の日記はここで終わってしまっているんですよ。


       第87章『冬至』

 風呂の時間が少しずつ長くなっている。それにつれて鼻まで湯に沈めて息を止めている時間も長くなっている。私は昔からそうして時間を正確に測ろうとする癖があります。きっと私の時間の単位はではなくて、この『息苦しさ』なのでしょう。

 私のせいで『昔の子』は消えました。それはどう考えても私のせいなのです。彼は私に、「もういいんですよね。もう、ああすればよかった、こうすればよかったって考えなくてもすむようになったんですよね。俺達」と言いました。彼のこの言葉は幾様にも解釈でき、謎も多いのですが私は一番単純に、彼がたくさんの可能性の中から自分の好きな一つを選ぶことを選んだ、と解釈しているのです。しかしそれはめちゃくちゃ難しい事で、今まで自発的に出来た人間は恐らく一人もいないでしょう。私はやめろと言うべきだったかもしれない。彼のためにも、私のためにも……。

 そんな難しい事、私に訊いたってわかるわけないじゃないか。私の店はもうない。道祖神も36歳の金魚2匹も消え、そして私はまた、いつか玄関の隅に不思議な抜け穴をみつけた時と同じ様にただの運転手として立ち止まったままでいる。あの時、私は消えてしまおうとしていたんだっけ……。ふと見ると、店のあった空き地には枯れ草がふわふわと地球の産毛の様に往生際悪く揺れている。産毛なんて、お前はもう、いないんだよ。そしていつの間にか訪れた冬が、私に彼と同じ選択を強いている。仕方がない、しばし、目を移そう……。

                   *

 一般に『夢を見る』というと、寝ている間の脳の活動により生じた反射作用を覚醒時の事象に当てはめ時系列に表現したモノをさすのだが、私とある一部の若者は、自分の将来やその可能性をさしていうようです。いえ、私は別に自分が若者と同じイキイキとした感性をこの年まで保持し続けていると自慢しているわけじゃないのです。それはむしろ逆で、若者の中にある薄気味悪い未発達な能力が、私にもまだ未発達なまま残っていてそれが日々事ある毎に往生際悪くイタズラをしてくる事を愚痴っているのです。

 私は未だに自分の現実と妄想をうまく分別できません。だって、妄想は常に自分の中にあるにもかかわらず、現実はそれを一切認めようとせず、もし披歴しようものなら俄然、手のひらを返したように我が物顔でその理念や創造に口やかましくリンクしてきやがるし、ではと口を開いてなにか発言しようものなら、今度はいきなりヘラヘラと腰を折って、自信なさそうにしてその妄想に場所を譲るのです。

 わかります? 簡単に言えば、「腹減った!」といえば現実はその方向に動くのです

 おかげで私は、自由気ままに、どんなバカバカしい妄想にもそれと気付かず突進してしまう事になるのです。それが楽しいか、理想的かというと決してそんな事はなく、実際は冷や冷やの連続で、明日にも何か重大なミスを犯して家族を路頭に迷わせるかもしれないという恐怖と戦い続けなければならなくなるのです。これは恐らく、若者のそれとは正反対の、未発達ゆえに動けなくなっている、恐らくは誰よりも老衰した姿と言えるんじゃないかと思うのです。

 目を戻します。

 私はもう一度、『昔の子』を探し出して、一瞬であの店を復活させようと目論んでいるのかもしれませんよ。かも知れない、と含みを持たすのは、私がまだ、昔の子と同じ選択を出来切れていない証拠です。

 私は自分の時間など1秒もありません。しかし時間は必要ありません。ただ私が彼に対して心の真正面から一言、『昔の子』と呼べばそれでいいはずなのです。それが唯一私が私の中の薄気味悪い未発達な部分を有効に使える方法だと思うのです。そしてどこかにいるはずの、迷いなく何かに取り組んでいるはずの昔の子を、またうちの店で『昔の子』として働かせるために引っ張り戻す、そのために私はありとあらゆる工夫と努力をしようと思っているのです。

もういいんですよね。もう、ああすればよかった、こうすればよかったって考えなくてもすむようになったんですよね。俺達」と、『昔の子』は言ったのですから、私もそれと同じ事を言わなければなりません。ただし、全く別の言葉で。

 暗くなる目の前を救命ボートが通り過ぎたのは一個の『柚子』でした。湯船に浮かんだ柚子の淡い黄色が私の様子を伺いに来たようでした。

 今日は冬至でした。もう少しでクリスマス、そして正月。なんとも、これの何処が現実だと言えるのでしょう。私はこの混沌をうまく利用して、自分の現実と妄想を、サッと入れ替えて、またいつか、誰も思いもよらない様な別の方法できっと、『昔の子』を見つけ出し、36歳の金魚2匹の住む水槽を掃除する『今の子』を呼び戻したいと思っているのです。

 立ち上がると少し眩暈がしました。こんな事をしているといつか本当に、妄想の中に落ち込んで出られなくなってしまうかも知れませんね。

 もうしばらく、判り難いです。ザラザラします。私だって頑張って手探っていますから、ぜひしばし、ご辛抱を。

『いきてるきがする。』《第14部・秋》



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第86章『焚火の燃料』

 大きめの制服がなんとも可愛いね。この同じズボンが今はもうつんつるてんなんだから、ホントに背が伸びたね。お前は大きくなったって全然変わらない、賢くて可愛いよ

 もし母親というのなら、きっとこういう気持ちを言っただろうな……。写真を火にくべながら俺は独り言ちる。玄関先に吹き集まった街路樹の枯葉を疎ましく思い、木枯しに目も痛くかなりいらだっていた俺はいっそ集めて庭で火を点けてやれと、やってみるとこれが邪悪な程よく燃えた。近所から苦情が来るに違いないが、逆にそれまでのタイムリミットが俺を無邪気に急き立て、過去の写真を全て燃やしてしまうというアイディアを思いつかせた。

 勝手な想像し続けるのももう疲れた。だって、想像の世界にはウソも本当もないんだから。これは本当に疲れるぞ。もう辞めたい。でも俺はもう想像の中でしか生きられれない。『今の子』『昔の子』も最近は何処にいるのかわからない。目の前の枯葉だって、きっと俺を騙しているに違いない。俺が枯葉を燃やしているなんてウソ、俺は妙な衝動に駆られ、枯葉を燃やさせられ、そのうちこの炎に飲み込まれて近所の家ごと焼失されてしまう。ただその事を俺は知らないだけだ。俺はきっとそんな判断をしたんだろう。ドバっと更にくべると、火はますます強く燃える。

 お前らには関係ないかもしれないが、この写真は俺の大切な思い出なんだぞ。俺が俺として生きてきた、その残酷な証明写真なんだぞ。

 自分には子はいない。妻も。家族も。

 親はいたけどもう死んだ。それにあれは一つ上のカテゴリーだ。俺を子供と位置づける別の家族。あんなモノ、俺は自分の家族とは認めない。 突然水槽に放り込まれた虫の様に、俺はあの家族に突然放り込まれ、他の家族にはない甲羅や羽根や触覚をじたばたとさせていただけだ。魚たちが悠々と当たり前のように泳いでいるのが見えた。そうだ、そうだよ、これが家庭だよ。家族だよ。そして俺は……。

 何より残酷だったのは、その魚の誰一人、俺を食べようともしなかった事だ。その理由は、不味そう。ただその一言に尽きる。

 そしてあの夫婦が死んだ時、俺の夢はふと覚めた。

 俺はいつも1人ではなかったし、病気の時は病院に連れて行ってもらい、運動会も、修学旅行も、高校も、大学まで行かせてもらった。そのすべてはあの夫婦の計らいだ。あの夫婦のせいではない事は何もない。そんな事、俺だって重々承知している。でも、まさか、煮ても焼いても食えないような虫が、突然茶碗に落ちて来るなんて、気の毒な夫婦だ事。

 だから俺は今、その罪滅ぼしに、自分の子供の頃の写真に向かってこんなみっともない事を言っているんだと思う。

 人間はね。誰かに可愛がられなければ誰も可愛がれないんだよ。そういうルールなんだよ。システムなんだ。開けっ放した玄関から、飼い猫がこっちを覗いている。おい!こんな寒い日に外に逃げだしたりしたら、きっと後悔するぞ。お前はいつも外ばかり見てニャーニャーと恨み言を吐くが、外だってお前が考えるほどいい場所じゃないかもしれないぜ。それが証拠にこの俺だ。突然放り込まれた家族でも、放り出された瞬間、写真以外のアイデンティティーをすべて見失ったのだから。

                  *

  ある科学者がこんな実験をしたらしい。 

 人間は、ひとりでに笑うのか。

 1人の赤ん坊に対し、接する大人は決して笑顔を見せない。つまり笑顔を教えないのだ。それでも赤ん坊はひとりでに笑うのか。

 実験の結果、赤ん坊はひとりでに笑ったらしい。

 この実験からわかる事が2つある。1つは、笑顔は習うモノではなく元から備わっていたという事。

 そしてもう1つは、神はいない、という事だ。

 人間は少しも尊くない、いる価値もない存在だと、この実験が証明してしまったのだ。

 笑顔は神の手から離れ、一片のパンと一緒に1人1人に配られた。

「どうも『猿も笑う』って話を聞いた時から、私も怪しいと思ってたんですよ」その話をすると、隣で飲んでいた浅黒い男も賛同してくれた。

この男はのちに行方不明になるのだが、その事をこの時はまだ知らない。そして、

「神様がいりゃそんでよかったのに……。得のないモノを価値のないモノとする、悪い癖ですよね」とも言った。飲んべえが偉そうな事を言う、そう思ったが確かに、この男が自分に得があっても価値のない酒を飲んでいる事は間違いなかった。

 満面の笑みを浮かべて母親と思しき若い女に抱かれた俺と思しき赤ん坊の写真が縁から焦げて丸まってやがて浮遊した時、

 ちょっと、何やってんのよ! と声がした。振り向くとネコを抱えた妻が立っており、ちょっとやめてよ、近所から苦情が出るじゃない! と窘めた。

 思わぬところからまず苦情が出た。近所から苦情が出るという苦情が出たのだ。近所から苦情が出るまでのタイムリミットを迎える前にタイムリミットが来た。私の頭は昏倒し、慌てて火を消した。なんて事をしてしまったんだ!

 燃えた写真は1/3ほどで2/3は救われた。神がしっかりと私の思い出を守った、そうに違いない。

 私には少しも価値がなくても、偉くなくても、私の思い出には相当な価値がある。それは親の思い出でもあって、家族兄妹の思い出でもある。

赤の他人でない以上、得がないから価値もない、という事はあり得ない。

なに燃やしてたの? と妻に訊かれ、あぁ、枯葉枯葉。と言った時、私はこれまでにない程の大きな感謝の意を街路樹たちに示したことになった。

   

85章『大きめの赤いチカチカ』

 この店をデザインしたトートバッグをなぜかいたく気に入った様で、

息子はそれに勉強道具を入れて毎週、火曜、木曜、土曜と自転車で塾へ向かうのですが、私はその後ろの籠に、ちょっと大きめの明るい赤いチカチカを付けました。息子は一言、カッコ悪ぃ~! と言いました。

 そりゃそうかも知れないですが、でもやはり町にはどこにどんな鬼畜な輩が潜んでいるかはわかりませんし、だいいち、夜暗くなると車からも見えにくくなってとても危険です。昨日も17号で轢死した猫の親子を目撃しました。おそらくは親子。同じ白とキジトラの大きなのと小さいのがもうね、ただの肉と化して鴉に啄まれていたんです。ネコでよかった、なんて私は少しも思いませんよ。たまたまネコだった、ただそれだけの事です。予感なんてあろうはずがありません。そうして私の賢明ではない頭はまた、誰も望まない、ありもしない不躾な枝分かれを目の前に示してくるんです。どうです? これはどういう事です? なんてね。全く、意地が悪いんだか親切のつもりなんだか……。そして徐々に浮かんでくるその最悪のシナリオが毎度毎度私を脅し、ジッとさせてくれないのです。

              *

 練馬区に住んでいた10年ほど前、私は時々妻と息子と近所の風呂屋に行ったのですが、その日も丁度今日の様な気候でしたか、外に出ると少し肌寒かったので、私は湯冷めをさせないようにと息子にパーカーを着せようとしたのです。しかし風呂上がりでまだ身体が暖かかった息子はそれを嫌がり、私の手を振り払って走り出したのです。ほら危ないよ! 止まんなさい!そう言ったのですが息子はすぐそばの角を曲がってそのまま行方不明になったのです。

 時間にして10分……、いや5分? そんなモンだったと思いますが、

 私はその瞬間、全世界の全モラルと常識を疑いました。というか見失いました。そして、

 聞いてる?神様、もし、もしね、万が一にもね、息子がこの僅かな間に鬼畜な野郎に連れ去られ、面白半分に殺されて、どこかの川に捨てられて変わり果てた姿で見つかったりしたら、俺は犯人じゃない。

 アンタをぶっ殺すよ。

 裏口からゴミを出しに来た、風呂屋の向かいのイタリア料理屋の主人まで、私はきっとそんな顔で見たのでしょう。怪訝そうに店に入っていかれました。私にはもう、神様もイタリア料理屋の主人も何も変わらなくなっていたのです。だからいつもサラサラと心地いい音を鳴らして揺れてくれる、神社の欅の巨木さえももう、月か何かの影でしかありませんでした。

 そして1秒が、10年……、30年……、50年と延長していったのです。

 いつしか私の背中は曲がり、クタクタに年を取った妻はもう座椅子から離れません。2人とも今朝食べたモノも忘れて、シンクにはただその痕跡を残す食器だけが細く水を垂らされて重なっています。

 季節外れに実を付けたトマトを摘むため庭に出ようと、私が2階のリビングから庭に降りようとした時、その時は突然訪れました。私がずっと否定し続けていた、そして神様がずっと私に押し付けようとしていた事実がいよいよ完全に崩壊したのです。階段を踏み外した私は転げ落ち、あっけなく命を終わらせたのです。

 こんな死に方って、あるかよ……。

 いいえ。私はその時をずっと待っていたのです。私がこれまでずっと生きてきたのは、あの時、行方不明になった息子を待っていた、ただそれだけなのです。警察から何度か遺体の確認を依頼されましたがすべて無視しました。当たり前です。なぜって、じゃああなたならどうします? いきなり警察から「息子さんと思われる遺体が発見されたので確認をお願いします」なんて電話が掛かってきたら。

「え?息子は今、目の前でゲームやってますけど……。」そう答えるでしょ? それは私の耳に息子が興じるゲームの音が聞こえている限り間違いのない事なのですから。

 妻にも絶対に応じるなと厳命しました。妻は私に従ってくれました。

 いいかい。私達にとって必要なのは神なんかじゃない。息子だ。息子がいる世界だけをずっと生きていく事が私達に必要な事なんだよ。その努力するのに何をためらう理由がある? 私は息子の帰りをほんの5分、いや数十秒待っている、ただそれだけだ。その他には何もない。

 私はもう90歳を超えていました。我ながらよく生きたなぁと思います。

 全然、神様を殺してないじゃないかと、そう思われた方も多いかと思います。でも私は確かに、神をぶっ殺したのです。

 只今ぁ、と、息子が帰ってきました。

 ほらごらん! そして私はそんな息子の声を聞きながら、あぁ、私の勝ちだ。私は決して諦めなかった。だからこうして、たかが50年の時を過ごしただけでまた、あの時、風呂屋の角に消えた息子に会うことが出来た。

 そう思ったのです。

 江古田祭場脇の薄暗い道を泣きながら歩いている息子を先に見つけたのは妻の方した。息子の手先はすっかり冷たくなっていて、私は、「ほら、やっぱりパーカー着なきゃ寒かっただろ?」そう言って着せようとすると、今度は息子も素直に応じてくれました。

 なあ、お前は一体、何が出来たというんだ? 結局お前は私の中に寄生した寄生虫に過ぎないじゃないか。それが証拠に、私が死んだあと、お前は私に何が出来た?

お前は私をジッと見ていたようだが私はお前など始めから見もしていない。

私が見ていたのは私が必要とするモノ・人・事。それだけだ。

 こんな死に方って、あるかよ……。

あぁ、予感はないよ。始めから予感なんて、どこにも何もないんだよ。だから気をつけなければいけないんだよ。余計な考えにありもしない横槍を刺されないためにもね。

 赤いチカチカは昼までも点けた方がいいぞ。と私は息子に言ったのですが、

息子は忘れたフリをして、いつも点けずに帰ってきます。


第84章『最後の最後』

  僕がどんなに脅したって、挑発的な口調で罵ってみせたってソイツは、

 まあ、そう怒るなよ。だいいち怖いじゃないか。僕は君のそういうところがいいところでもあって悪いところでもあるのはわかるけど、でも私にはとてもとても、君の魅力も欠点もみつけられないよ。そんな頼りのないこんな老人を、君はもう必要としていないだろ?

なんて言われて全く拍子抜け……。

ホントにコイツがあの『皇極法師』なのか??

ホントにコイツがあの、時間と命を牛耳る主なのか??

 振り上げた拳を振り下ろす直前に、俺が少し迷ったのは確かです。

               *

まるで精度を欠いた時計の様に、私たちはいつも少し遅れて、毎日おっかなびっくりと過ぎた時間ばかりを相手に生きてしまっています。要らない事だと本当は知りながら、あぁ、遅れた!あぁ、間に合わなかった! なんて、あたかも予期できた未来に抗い切れなかった事を後悔しているかのように考えて、せっかくの『今』をそんなどうでもいい事のために費やしてしまっているのです。もうやめませんか? 私の事も、どうか忘れてください。私はあなたにとってなんの役にも立たないアカの他人です。それでいいんです。僕もあなた同様、そうなりたい。でもこれだけは確かです。

 何がどうなって事態がどう転ぼうとも……、

 私は最後の最後に、必ずあなたを幸せにします。

 セミナーで観た時のアイツは確かに精悍だった。老人の皮を被った若者だった。発想は鋭く、舌鋒はもっと鋭く、眼差しはさらに鋭かった。

「でも焼き鳥屋でバイトなんかしてたって、夢も家族も財産も持てませんよ先生!」

 私のこの発言で会場全体が静まり返りました。そこにいた恐らく数百人の聴衆と、ネット越しの、おそらくは何万・何十万の視聴者も、ジッとして動けなくなったった事でしょう。

 私が今こうして英雄でいられるは、たったこの一言のおかげなのです。老人はそっとマイクを構えて言いました。

 あなたは、あなたの人種を、そして今喋っている言葉を、どうして学びましたか? あなたはそもそも、そんな自分のアイデンティティーに満足してますか? そして今その言葉を喋っているのは、その言葉で考えているのは、本当にあなたですか? あなたが世の中に対して抱いている不満や不安はとりもなおさず、そんな不満足で不安定な自分に対してのモノじゃないのですか?って、誰かもあなたとまったく同じように考えていると考えた事はありますか?

 もちろんすぐに拍手が起きましたよ。割れんばかりの。会場の壁も床も、グラグラ揺らすほどの拍手が。数百人対1人。でも私は全然負けていません。私は知っていたのです。私1人に、この冗談のように高価格な羽毛布団のセットを買わせるため、ただそれだけのために、この目の前の男は、数十万人を動かしているのだと。これが商売のためであるはずがありません。だからこの目の前の男はハッキリと、私を殺そうとしていたのです。

 しかしそうなると私だって面白くないわけがない。これで私が見事、この超高級羽毛布団セットを購入すると、果たしてどういう結果を引き起こす事になるのか。私はわかっています。郊外なら中古の一戸建てが楽に買えるほどのこの超高級羽毛布団セットにそれに見合うだけの寝心地が、

 6畳1K、西武池袋線練馬駅から徒歩45分の、私の他は不法滞在の外国人で、毎晩2時3時まで訳の分からない言葉の歌で埋め尽くされてろくに眠れない、警察に通報してやること数十回、アパートの前で襲われる事数回、その仕返しに奴ら全員の部屋のドアノブを破壊して入れなくしてやったら、更にその仕返しに原付を燃やされた、そんな無法地帯の安アパートで得られるはずがありません。私はついでに、その不満まで、この超高級羽毛布団セットにぶつけてやろうと本気で、強盗してでも金を工面してこれを買おうとしていたのです。

 だってお前、万能なんだろ? やれよ、やってみろよ。

 だから私は全くひるみませんでした。寧ろ会場のあちこちで私を振り向く数百人のさくらの白い顔が、まるでチラチラと蛍の様に綺麗だとさえ感じられたぐらいです。

 一対一でやりましょうや!先生!

 私はさらにそう言いましたが、それには笑いが起きました。

お前が? 同じ舞台で、先生と? 演説合戦??

 このバカな輩は『サルカニ合戦』という話を知らないのか?

 お前は、サルだ。先生は、カニだ。お前は先生には永遠に勝てない。

 もう絵本は閉じましょうや! 先生!

               *

 と、お前はその時そう言ったんだな? 私が自分が釈放されるのはもう始めからわかっていましたから、警察の取り調べで何を訊かれてもただ素直に頷けばよかったのです。果たして私は釈放されました。

『日本統治時代は良かったと言った老人が殴り殺される』

 『愛国の烈士』として賛美する声も。そんな記事も出ていましたが違う違う!そんな理由じゃない!僕はそんな理由で人は殺さない!

 私は社会に追い詰められ、その弱みに付け込まれ騙されて、高額な羽毛布団セットを買わされた可哀想な若者として、世の中からな絶大な支持と同情を集めたのです。そうなるともう法律などなんの力もありません。

 そしてそのおかげで、私はある会社に就職することが出来ました。借金はその会社の社長が肩代わりしてくれたのです。羽毛布団はまだ使ってますよ。調べたら、いいとこ一万円程度の布団らしいです。でも寝心地は悪くないですよ。

ただ一つ、私が気になっていたのはあの男が言った一言。

 何がどうなって事態がどう転ぼうとも……、

 私は最後の最後に、必ずあなたを幸せにします。

 さすが『皇極法師』。あ、方々いろいろ、

ちょっとずつ記憶を借りました。

じゃあお先に失礼します。

『いきてるきがする。』《第13部・夏》



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第83章『黒猫のタンゴ』

 店に入るなり『昔の子』「今にも降ってきそうですよ」と言いました。

 私は急いで窓辺にディスプレイしてあったTシャツ数枚とタオル数枚を取り入れた時、『昔の子』が妻が焼いたパンをテーブルに置くと、「また、あの子がいましたよ」と言いました。

 あぁ、またいたんだね。私はそう答えました。『昔の子』によるとその子はもう3日も、店のそばの公園にある、小さな祠の前に立っているというのです。

「幽霊じゃないかと思うんですよね。いい加減……」真面目な『昔の子』が真剣な顔でそんな事を言うモノだから、私も何だかもうそれでもいい気がしてきたのですが……、

いや、違うんだよ、向こうは向こうで……。

               *

 その日、私は近所に住む3つ年下の少年と黒猫を探し回っていました。それは祖母のお気に入りの歌で、祖母が大好きだった私はどうしてもその黒猫を捕まえて祖母に見せてやりたかったのです。

「ほら、ばあちゃん。これがその『タンゴ』だよ」

 私と少年はまずは釣りにいき、釣れた魚をエサにして、隣家の隙間や縁の下を覗き込み『黒猫のタンゴ』を捕まえようと探し回っていたのです。

 『タンゴ』を私は、音楽のタンゴではなくて、私の郷里の京都府京丹後市『丹後』だと勘違いしていたのです。だから『黒猫のタンゴ』は世界中のどこでもない、必ずここ『丹後』にいるはずだと、なぜか固くそう信じて疑わなかったのです。果たして私のこの小さな勘違いは、これはこれまで誰も成し遂げられなかった世界的にも珍しく、重要、且つ誉れ高い偉業で、それをまして私の様な小学生が達成したとあれば世界は驚き、その勇気と行動力に称賛の拍手は鳴りやまず、私は子供にして十分に大人の世界に認められる存在になるだろうと、なぜかそこまで、私の中でこの事は、拡大・膨張してしまったのです。

 タンゴ~、タンゴ~、という口の中がすぐにカラカラに乾いてきました。9月の日差しはまたまだ強く、帽子のこめかみから汗が幾筋も流れました。

やっと見つけても黒猫は少し距離を置き、我々を振り返りつつまたどこかに見えなくなりました。

 そうこうするうちに、困った事が起きました。年下の少年がタンゴを探す事に飽きてしまったのです。「何か他の事やって遊ぼうよ。もう足、疲れた」と言い出したのです。確かに、それならば1人で探せばいいと、そう思うかも知れませんが、私のどこかには先の勘違いと同様に、これを1人でやる事の異常性をはっきり自覚する何かがあったようです。私は少年を宥めながら、「もういっぺん、釣りに行こう。この魚、なんか変な匂いしてきたから、きっともう腐ってる。これじゃあタンゴもよりつかへんから、せやさかい、もういっぺん釣りに行こう!な!」少年は渋々ついてきた様子でした。

 自転車で15分ほどの、護岸工事によって不自然に深くなった橋脚のそばがよく釣れました。私は足を開き橋脚と護岸の間をまたぐように釣っていたのですが、どうやら少年はそれが面白くないようでした。自分にはそれが出来ない。ただ見てるだけじゃあつまらないよ……。

 ほな、やってみ! 私はそう言って少年に竿を渡しました。でも本当はこう思っていたのです。出来るはずがない。私でもギリギリなのに、私よりも身体が小さいこの子に跨げるはずがない。少年はひょいと跨ぎましたが、やはりそれまででした。一旦跨ぐとそれからはもう、少年は行きも戻りも出来なくなったのです。

 ちょ、ちょっと、ユウちゃん、助けて、な、引っ張って、釣り竿引っ張って! しかし私は笑いながら、なぜかその少年をほったらかして家に帰ってしまったのです。『黒猫のタンゴ』など、もうどうでもよくなっていました。始めから私はタンゴなんていもしない猫を探すという事を口実にその少年を呼び出しては、結局こうして上手くはめて置き去りにして帰ることが目的であったかのように、そしてそれが徹頭徹尾うまくいったように、軽やかな気分でした。

 その夜、少年が帰って来ないと近所じゅうが大騒ぎになりました。そして、「確かひるまに、ユウちゃんと一緒にあそんでたよね?」と、その母親に言われたのです。私は、知らない、と言いましたが、そのオバサンはいつもの様に優しく遠慮はしませんでした。

 アンタ!ウソを言いな!ホンマの事教えて! アキラとどこ行ってたん? アキラはどこにおるん!

 私は怖くなって家の中に駆けこんでそのまま寝てしまいました。疲れていたのかすぐに眠ってしまい、その後の事は今も思い出せません。ただ、真夜中に警察官に起こされて、父親から、お前、ホンマに知らんねんな?絶対ホンマに、なんも知らんねんな?と、何度も念を押されたのを覚えています。

 だから、お前がやった事はそれと同じなんだよ。私はもしできるなら『昔の子』にもそう言ってやりたかったんです。

 いつかお前は、「もういいんですよね。もう、ああすればよかった、こうすればよかったって考えなくてもすむようになったんですよね。俺達 」 そんな事を言って、せっかく上手くいっていた私の世界から、あらゆる秩序をバラバラに壊して出て行ってしまった。そして何事もなかった様にまたうちの店で以前と同じように働いている。それが悪い事とも、無駄な事とも言わないよ。でもお前は本当に、何か足りないと感じないのか?『今の子』の事を、本当に知らないのか?

 それは訊いてもどうしようもないのは私だってわかっています。本当の意味の『切ない』とはこういう気持ちを言うに違いありません。

 私をさりげなく苦しめ続けていた記憶は、父親の3回忌の時に思わぬ形で消えました。あの日、行方不明になった少年は30年の時を経て私の父の3回忌の受付をやってくれていたのです。私は驚きませんでした。何も疑いませんでしたし、チャンスだとも思いませんでしたよ。ただその通りだと思ったのです。実際、そんなモンだと。

 私は、『昔の子』がそんな事を言ってくれれば、いいのになぁ、『今の子』の事を微塵も覚えておらず、ただ、『またあの子、いましたよ』なんて、確かに目の前にいるのに、その前後の繋がりがわからないその子に向かって、『幽霊だと思うんですよ、いい加減……』、なんて不気味がるような事を言ってくれれば助かるのになぁ、と、ただそう思っただけなのでしょう。

 意外とそのまま、現実は訪れるんです。

それを忌み嫌いさえしなければ、の話ですが……。

 

     第82章『バイバイ・フラワー』

 

 よしじゃあ、そろそろ行くわ。私がそう言うと婆さんは水筒を渡し、十分気を付けるんやで、と言いました。

 本当に世話になりました。嫌な思いもしたけど、概ね世話になりました。私はただ頭の中だけでそう唱えて、故郷と呼ぶにはあまりにも素っ気ないこの山間の里を、すこぶる生乾きの覚悟と共に後にしたのでした。

 婆さんにもらった水筒はあっという間に空になりました。これで関係はすっかり断たれたと思うとむしろスッキリしました。汗を拭って見上げると真夏の空には指先でちょっと千切った和紙をような小さく朧気な月と、それを囮に悠然と森に隠れて決して姿を見せようとしないずるい太陽がありました。私はなんとあらばその姿を炙り出してやろうと、自分もまた自分の影を囮に、今までにあった事、あればよかったのになかった事、なかった事、なければよかったのにあった事を一つ一つ短刀の様に懐に忍ばせながらいつ途切れるとも知れない駅までの砂利道を歩いています。

 夢はな、あったんやけどダメになってしもたんや。アキさんの最初の子みたいに。そりゃあ悲しかったよ。散々期待さしてこれかい?って。でもなに平気や、儂だけちゃう。世の中にはそんな残酷はナンボでも転がってるんやで。

 爺さんは言いましたが、私にはそれが本心だとは思えませんでした。どうしようもない現実に対して、言い訳を言うぐらいなら何も言わない方がいいという事に、爺さんは終ぞ気付かなかったようです。そして常に言い訳をしながら酒を飲み、タバコを吸い、ウソをつき、ウソをつかれ、人を騙し、騙されたまま、78歳で人生を終えました。墓前の花は絶え間なく揺れています。この世の中で本当の事を言っているのはこの花だけのような気がしました。

 私が生まれたのが『春』という季節だと教えてくれたのはこの爺さんです。爺さんは私にこんな事を言いました。

 こんなモン、続かへんよ……。じき夏が来る。人も動物も平気で殺す灼熱と疫病の悪魔の季節や……。

 それを聞くと私は急に息苦しくなり、息を吸っても吸っても空気が胸に入って来ないような気がしました。やがて意識を失うと針を刺され、薬を打たれ、飲まされ、塗られ、熱が下がり目が覚めると涙目のままやんわりと乳をもらい、そっと尻を拭われながら、ボンヤリと灯る提灯をジッと見つめる様な意味のない夢を毎日毎晩見るのでした。

「身体が弱すぎて下痢するばっかりで薬もよう吸収せぇへんでねぇお父さん、お母さん。医者としてももう、どうしようもないんですわ。弱い子を授かった運命やと思ってね。様子をよう診てやって、おかしなったらまた連れてきてください。」

 しかしそれが夢ではない事を知り、私は愕然としてしまいます。それまで当然自分のモノだと思っていたすべてのモノはすべてが借り物で、私は本来ここにいるモノではなく、私にはなんの役割もない事を知ったからです。

 無言でため息をつく運転席と助手席の2人を後ろの席から交互に眺めながら私はもう再スタートを切っていました。私にあなたたちに愛される価値がないというのは同じに、あなたたちに私を愛する価値はないという事です。そんな事で一々驚いたりしません。悲観もしません。たとえ宇宙VS私になってもその事には寸分も変わりない。そもそも宇宙なんて誰かが勝手に名付けたモノだ。そして私が私の便利のために借りているだけのモノだ。要らなくなったらいつでも捨ててやる。だから私はもう、重度の喘息患者でもなければ、あなたたちの子でもない。

               *

 ギシギシと首を振る扇風機と無人の売店で、1時間に2本しか来ない列車を待ってまずは缶コーヒーを一本買いました。ローカル単線の線路を跨ぐ橋の上に設けられたこの売店に初めて息子を連れてきたのは彼がまだ1歳になったばかりの頃です。ハイハイをしながら祖父母に近づく可愛らしい姿が今も鮮明によみがえります。私はそのおむつでモコモコの後ろ姿に自分の全宇宙を楽々投影することが出来たのです。

              *

 じゃあその、アキさんの最初の子が僕だというのですね。

『今の子』は言いました。さすがに勘のいい子です。私の話を総合するとそういう事になるのでしょう。でも私にはとにかく今は『今の子』を安心させる義務があったのです。

 違うよ、アキさんの最初の子は、私の本当の祖母だ。女の子だよ。

 じゃあ、僕は?

『今の子』は急に不安そうに言いました。そうです、ここが一番気を使わないといけないところです。

 君はもっとちゃんとしてるよ。アキさんの子は私の中では1ミリだって顔を出してはいないんだ。まるで知らない人だよ。君と私が出会ったのは私がこのブログを書き始めたのと同時。そりゃ、ちょっと変だなとは思ったさ、でもそんな事にいちいち誰もが納得できる理由なんかあるわけがない。私の髪がこんなに真っ黒でくるくるなのも、君の髪が少し茶色くてストレートなのも、それ以上でも以下でもない。遺伝とか人種なんてすべて後付けさ。つまり私が君と話す場合、君はいつ何時だって両親からの虐待で命を落とした少年でしかないんだよ。まあ、それも今のところ……。

 私かここまで言って言い淀んでしまいました。『昔の子』の事があったからです。あれ以来、『今の子』は得体の知れない心の空洞を必死に埋めようと頑張っているのです。『昔の子』はもうずいぶん昔に、ここを置いて他の方へ歩いて行ってしまったのです。『今の子』はその事を知らないでしょう。或いは知っていても気付かないのでしょう。ただ心の空洞として『昔の子』の事は理解している。それは私が、自分には居場所も役割もない事に今も尚、気付いていないのと同じ事だと思うのです。

 キン、キン、キン、キン、と列車が来ることを知らせる甲高い鐘の音が聞こえ始めました。さあ、いよいよ、お別れです。

 私はこれまであの老夫婦と暮らしてきた生活を完全に終了させるため、もう2度と帰る事のない故郷の働きを完全に消去してしまうため何か一つ、忘れ様のないモノをみつけておこうと辺りを見回しました。すると、

 線路の脇にオレンジ色の花がたくさん咲いているのが見えました。風にフワフワと揺らいでまるで手を振っている様に見えるのです。

 私はここで、列車に飛び込んで命を断ったのでしょうか?

それとも、そのまま、大人しく乗り込んで今もどこかで暮らしているのでしょうか?

 そんな事を考えながら私は今も、陽炎に揺らぎながら赤と肌色のツートンのディーゼル列車が近づいてくるのを待ち続けているのです。


  

       第81章『天馬と蚊』

 すべては私の力不足で、誠に申し訳ないと思っている、だってさ。

 おかしいと思ってたんだよね。年末にカレンダー配らなくなった辺りから。いくら断っても無理やり持たされたあのダッサいカレンダーを、あれ?今年は作らないんだ。って思ったその時だね。

 でもまあわかってたんだと思う。つまり俺も誤魔化してたって意味じゃあ共犯だね。知ってて知らんぷりしてたんだ。まあもう倒産したんだから、何を言っても始まらない。

あ~あ、今から何しよう……、何処に行こう、何食べよう……。

 相当鼻つまみだったってよ。どんなにイジメても全然意に解さないって。暖簾に腕押し、超絶、無神経な奴だってさ。みんな呆れてたよ

 もちろん、わかってましたよ。そうやって私から退職を言い出すのを待っていたんでしょ。だからわざと辞めなかったんです。残念ながら、この会社での時間は私にとってとても大切な時間なんですよ。ネコを拾ったのもこの仕事での事。だからどんなに不本意でも、この仕事とは運命の出会いである事に絶対相違ないんです。そうしないと、あの子を愛する家族に申し訳がない。これはそういう私の『意地』です。そしてこの虚無感・脱力感こそが私の『退職金』です。

 それで? パパはどうしたの?

 どうしたのって、歩き出したんだよ。他の仕事をみつけるために『お仕事探し屋さん』を目指してね。実践的にも精神的にもね。

 でもこのご時世。なかなかいい仕事なんて見つからなかったんじゃない? どこか紹介してくれなかったの? その会社。

 そんなに気の利く会社なら突然潰れないでしょ。まあ潰す前に、経営サイドでは資産隠しに余念がなかったみたいだけど。

 人間のそういうとこ、私、好きよ。大好き。アブラムシむしゃむしゃ食べて、お腹いっぱいになって飛んでいくテントウムシみたいで、可愛いじゃん。

 水玉模様で飛んでいけばそうだったんだけどね。飛んで行ったのは私と同僚の方だった。

 ザっと会話を繋げるとこういう事になった。雑踏は常にうるさい。耳はそれをよく知っていて、普段は聞き流しているのだが、こんなタイミングだからよーく聞き集めると、雑踏はちゃんと自分の今についての様々な意見を言ってくれている事に気付く。

 透明なエスカレーターがどんどんと地の底に向かってどんどん降りていくのを、私はあわてて一階で飛び居りのたのです。建物を出ると外はバカにしたように晴れていました。

 あぁ、気持ちがいい! 気持ちがイイって、マジ気持ち悪ぃ!

 そう叫んだ時でした。私の目の前に『天馬』が舞い降りてきたのです。今日の昼間の月は、妙にデカいなぁ、そう思って見上げた瞬間、SF映画みたいに急に辺りが暗くなったかと思うと、巨大な何かが私の目の前の地面を踏みつけたのです。私は驚きのあまり声も出せませんでした。それは実際の馬よりも10倍も大きく、蹄などマンホールほどもある、全身に湯気のような光を纏った真っ赤な雄馬でした。もちろん逃げ出そうと思ったんですが、でも少し変なのです。

  全く何の音もしないのです。それに何の臭いもしない。

 

 周りを見ると、『天馬』には気付いている人とそうでない人がいる様でした。慌てて写真を撮ろうとして、あれ?あれ?なんて、携帯を縦に向けたり横を向けたりしている人もいれば、平気で天馬の蹄の間を悠々と潜り抜ける人もいるのです。

 いま、頭の中でペガサスユニコーンを想像している人。全然違いますよ。あれは実際の馬に無理矢理羽根や角をくっ付けただけの、人間の発想力の貧しさの果てに誕生した哀れな動物ですよね。『天馬』はそうじゃありません。

 『天馬』は見た目は確かに馬なのですが、いわば過去と未来が衝突したような膨大なエネルギーの塊なんです。もうこれ以上のモノはないという、そんな形をした、空から生えた強大な突起物なのです。

 そりゃ過去未来という極大のプラス極大のマイナスが衝突するわけですから、全てが相殺されるのはわかります。だから何の音も匂いもしないのもわかります。しかし

 相殺された時間は消えるのではなく、まるで固まったようそこに留まって、私が『天馬』に気付いてカメラを構えたと思った人もまるで静止画の様に留まっていて、そして改めて、これはそれまでどういう場所でどういう時間を過ごし、何を見て、何を考えてきたのかによって、目の前に見えている様子が全然違うのではないか、と思えてえてきたのです。もしその人が長崎出身ならば、 

 長崎にしかいないはずのナガサキアゲハが飛んでたよ! なんて事を言い出すかもしれません。そしてその人は当然、私にもナガサキアゲハが見えているはずだと。

 

 だから私は恐ろしいという気持ちを最大限に抑えて、なるべく冷静に『天馬』を見極めようとしたんです。こんな事をするのは初めてです。そして、私の目の前にあるのは私にとって、本当は何なのか。それを見極めようとしたのです。そう思って見ると、初めは有難いモノに見えていた『天馬』も、どうやらそうでもないようなのです。あんなに高圧的で威張っていたのに突然頭を下げた社長の様に、『天馬』はまるで、突然この空間に迷い込んでそのバカでかい身体を無知に悶えさせているだけのバカな奴にも見えてきたのです。

 それ、何か不思議ですか?

『昔の子』はキョトンとして私に訊きます。

 だってさ、突然目の前にさ、馬の10倍の大きさの馬が舞い降りてきたらそれを馬だとは思わないでしょ普通。でも私は 馬だ! って、しかも、天馬だ! ってはっきりそう思ったんだよ。何で??

 それが当然だと思ってたから……。じゃあ俺の経験とは全く逆という事ですね。

 そうなの?

 B-29は巨大な飛行機だけど、実際には蚊ほどにしか見えないんです。空襲警報のサイレンももうJアラート同様すっかり慣れっになってて。あ、また蚊が飛んでる、って思ってたら、その蚊がいきなりポロポロとウンチをこぼしたかと思うと、目の前の山や町が大爆発を起こしたんです。

 音は?

そりゃあもう、大きいですよ!

 臭いは?

そりゃあもう、臭いですよ!

 確かにそりゃ、全く逆だね……。

  貧血と熱中症で倒れたと知りました。目の前が急に暗くなった時に。

 私はSF映画みたいに目の前が暗くなった事を、それをどうしてかと考えて、それは、ナニモノかが舞い降りたと、それは何か?それは天馬に違いない、そうやって現実を遡ってるうちに、私はいつの間にか来たのとは別の道に迷い込んで、会社は倒産して、職にあふれていたんですね。実際に『天馬』が現れたのは、私が熱中症で倒れた後の事だったんです。

 あと最後に、一番面白かったのが、倒れた私を誰も介護しなかったという事ですね。夕立が顔に当たる感触で私は意識を取り戻したんです。髪の毛から強烈なアスファルトの匂いがして、額と頬を擦り剥いていましたが、誰一人、私を介護しなかったのです。

 おかしいなぁ……、日本人はそんなに不親切じゃないはず。それとも私は、誰にも見えてなかったのかなぁ……。

まあ、いいです。大した事なくてよかった。皆様も、いよいよ夏本番、給水怠りなく。息災にお過ごしくださいませ。

  第80章『お母さんには、残念でした。』

    

 苦し紛れに微笑んだって、決して幸せにはなれないぜ!

 そんな歌詞を自信満々でのせてきたソイツの顔を、私はもう少しで殴りつけるところでした。私が煩悩と劣等感に犯されてめちゃくちゃに化膿した頭から血膿を絞り出すように楽曲を作り続けていた、そんな頃の話です。

 俺の作品を殺す気か!?

 その頃が一番、私のアメリカに対する激しい憎悪と復讐心が燃え上がっていました。アメリカごときの経済力や人種差別や体躯の差や国土面積の差や地下資源の差など、一気にひっくり返して余りある起死回生ななにかを、私は自分1人で、自分の中だけに見出そうと必死だったのです。

 「え?ダメ? ダメなの? お前のメロディーに譜割りもばっちり合ってるし、お前が拘ってたシンコぺの部分にも、『微笑んだって』の小さいツが、ぴったりはまってると思うんだけどな。苦労したんだぜ」私が極度の寝不足を押して、徒歩でスタジオまで来ているというのに、ソイツはサラッとタクシーで乗り付けてはそんな間抜けな事をいけしゃあしゃあと言い放ったのです。

 そんな理由で、あなたは彼を殺したんですか。

 私はオレンジ色の服を着て、弁護士の通訳の言葉に耳を傾けています。

 ロックはウソをつかない。ロックは平等だ。ロックは愛だ。

 何度も聞いた事があります。そんな事を本気で思い込んでいた私がバカだったのは認めます。知りませんでした。みんなほとんど掴まないんですね。電車のつり革みたいに、困った時やバランスを崩した時に、ちょっと、触る。その程度で。

 私はがっつりと捕まっていました。そしてまるでクラゲかサルみたいにフラフラ、ブラブラと揺れていたんです。今はわかります。考えてみれば当然です。人間が人間の都合で作ったモノが平等や愛であろうはずがありません。人間は結局、毒しか作れないんです。

「私は何度も『ジャップ』と呼ばれました。なんですか?『ジャップ』って」

 私はそう訊きました。その意味さえ悪くなければ一向にかまわないのです。私の事など、スティーヴでも、アンソニーでも、キムでも、ジャップでも、好きに呼べばいい。だがもし都合が悪いとすれば、それは呼ぶ側の人間の心情が理由で、その事で私が気分を害し、その者に危害を加えたとしたらそれもやはり同じ理由なのです。いったい何処に住む人間が、結婚して一生一緒にいたいたいほど大好きで信頼できる人間を『ジャップ』と呼びますか?

 つまり『ジャップ』は世界共通の悪口という事です。それは世界中の誰にとっても悪口なんです。『ジャップ』と呼ばれた瞬間に、その人間は人間ではなく『ジャップ』になるのです。

 アメリカの裁判など実際は裁判でも何でもありません。軍事裁判と同じ、始めからマイノリティー異邦人敗者だと決まっています。それを臆病な自信家どもが反逆を恐れて抑え込もうと悪だくみをした結果、こういう愚にも付かない判決が下りるのです。

 私がその酔っ払いの白人を殴ったというバドワイザーの瓶が証拠品として提出されました。そこには私の指紋が付着していたと、弁護士は言っていると通訳は言います。でも私が飲んでいたのはエビス。バドワイザーみたいなあんな水みたいなビール、死んでも飲むわけがないでしょう。

 私は懲役刑に処され、暫くの間アメリカで過ごしました。たぶん数年間だったと思いますがよく覚えていません。その間は正に筆舌に尽くしがたい屈辱の毎日でした。

 そして刑期を終えて出所した私はもう、自分の名前も年齢もわからなくなっていました。もちろん、国籍も。

 だからどうやってこの国に帰って来て国民と認められ、今の名前を名乗るようになったのか、納得できる理由も見当たりません。

 ただ私の中にはアメリカ合衆国に対する激しい憎悪と復讐心だけが熾火のように燃え続けていたのです。それだけが私を私だと確認できる灯だったのです。実年齢は今もわかりませんが、その当時私はまだ若いと判断されたようで、高校生がやる様なチープなアルバイトでせっせと小銭を貯め、アメリカで紛失したモノよりもずっと高いギターを買いました。アンプは借金して買いました。豊島区長崎の1万4千円の風呂無し四畳一間のアパートでギターをかき鳴らすと毎日苦情が来ましたが大した事ではありません。逮捕されたってアメリカの時と同じ、また出てきて同じ事をすればいいだけです。実際やってようがやってなかろうが関係ないのですから。殺人ですらそんなもんです。ただ私の頭の中には、服役中に出来た不衛生な傷からあふれ出す膿がなみなみと溜まっていたのです。私はフレーズという形で、それを毎日絞らなければ生きていけなかったのです。そしていつか、この汚らしいベトベトした黄色い液体をアメリカ全土に撒き散らしてやる。

 ね?

 私の夢は、一般の人のそれとはずいぶんと違う形でしょ? でも、夢は夢です。私はきっと、アメリカ全土を興奮のるつぼにする美しく、アグレッシヴで時には泣きのギターをかき鳴らして、地位も名声も恣にするでしょう。そして、私が『ジャップ!』と言われたのと同じ意味の『サンキュー!』を連呼してアメリカ全土にその汚らしい黄色い液体を撒き散らす事でしょう。

 次の週。ソイツはスタジオに来ませんでした。オカンが、死んだ。

そうメールが着いたのです。だから鹿児島に帰る、と。

 母親は身体があまり丈夫でない事、今は実家で妹と2人で暮らしているが、自分は長男なので、ゆくゆくは帰って実家の面倒をみなければいけない事。だからバンドで食っていくというのは時間制限のある夢だという事。

 

 苦し紛れに微笑んだって、決して幸せにはなれないぜ!

 まったくその通りだぜ!だからお前はもともと幸せにはなれない。お前の幸せは所詮、苦し紛れだからだ。

 お母さんには、残念でした。

 私はそう返信しました。さて、こうなればもうこのバンドは今日で終わりです。

さようなら~、あそうだ!最後にいいこと教えておいてあげる。

 お前、売れるよ!!スーパースターになる。

『いきてるきがする。』《第12部・春》


    第79章『開戦前夜?(その3・最終)』

 私の中にはたくさんの魂が犇めき合っていてまるで市場のようです。家畜の臭いや、料理の匂いや、花の香りが入り混じって、耳には人の笑い声や怒号が入り交じります。その温気に当たって私は時々気持ち悪くなったりします。きっと誰かがそのうちの一つをその都度、私に選んでくれているのでしょうが、それがナニモノなのか、私にはわかるはずがありません。ただその言葉も要らないナニモノかとの関係によって私が今、文章を書いている事だけは間違いない様です。

 SOS?出しませんよ。そんなモノ。

 そんなモノが一体誰の胸に届くというのです。そんなモノを出すのは無意味ですし、そもそもそれは不可能なのです。

 あ!  

 私はさっきから、私、私、と言ってますが、言っておきますがこれはあなただってまったく同じなのですよ。だから私の事を、変人ぶって注目されようとする嫌な奴だ、などと思って自分から遠避ける様な事だけは是非やめてくださいね。私達は同様にずっと騙されてきたのですから。それはあたかも他人同士であるかのように、私は貴方を批判できる関係にあるだとかないだとか、あるいはその逆だとか。それは全く意味のない事だというのです。本当です。だから私達は今こそ目覚めて、そしてしっかりと心を一つにして本当の『今』を、この言葉も要らないナニモノかから取り戻さなければいけなのです。

 では今からその方法について話し合いましょう。

              *

「その人ってさ、ひょっとしてさ、ふちなしの眼鏡かけた、オジサンというか、もうオジイサンに近い年齢の人じゃなかった?」

 私が訊くと今の子は、はい、その通りです。心当たりでもあるんですか? と答えました。 

 心当たりも何も……。君はついさっきまでそのオジイサンと一緒にここで働いてたんだよ。とはさすがに言えません。だって、どうやって説明すればいいというのです? 戦時中に餓死した少年の事を。

「Tシャツ50枚じゃ大した量だね。郵送したの?」

「それが頑固なオジイサンで、どうしても持って帰るの一点張りで、いくら言っても聞かないんですよ。結局、全部持って帰ってしまったんですよ。」

 彼ならやるだろうと思います。『昔の子』には強情なところがありましたからね。だから思った事は必ずやり遂げるはずです。『俺はもう時間には縛られない。』そう宣言した彼は2つの記憶から1つを選んだ。彼は父親の葬式の方を選び、彼の父親は死んで彼は生き残った。

 そういう事でしょうか。いいえ、私はそうじゃないと思います。なくなったとすれば、それは強いて言うならば、餓死した彼の方です。

 

              *  

  

  老人が選んだ絵柄は、吾唯足知だったそうです。

吾唯足知(われただたりるをしる)

 ご飯を食べさせてもらえなかった……。私は私の背後に回った父親ではなく、父親に愛されなかった自分の方をどんどん嫌いになっていったのです。

 お前は、親に恥をかかせて、そんなに楽しいか?

 その直後、私は後ろから父に首を絞められたのです。意識が遠ざかるけど、もういいや、と思ってました。これが、答えだと。

 知ってますか? 空腹って、恐怖というより屈辱なんです。

 病弱だった私は半ば騙されるような形で剣道を習わされました。酷い喘息なうえに胃腸も弱く、薬を飲んでもお腹を壊すだけでまるで効果がない。だったらまず、薬を吸収できるだけの体力をつけてやらなければいけない。こういう単純な発想は恐らくは父でしょう。行きたがらない私に父はこう言いました。

 「行くだけ行ってみて、いらんかったら辞めたらええやん。」

 もともとデブで身体を動かす事が大嫌いなうえに病弱で、ずっと庭や校庭で虫ばかり追いかけていた内向的で汗っかきな少年が、いきなり剣道の道場に連れていかれて、冷たい板の間に正座させられて、ニコリともしないいかつい先生の視線に怯えながら、嫌々竹刀を降ったところで、剣道など上達するはずもありません。私が、やめたい、と言うと父はこう言いました。

「またお前はすぐに辞めるとかいう! 根性なしが! だからお前は誰よりも何にもできないんだよ!」

 それは今風に言えば、イジメ、です。虐待、です。家庭内暴力、です。

でも当時はそれを『愛情』と呼んでました。だから私の正統な反抗はいちいち、苛烈な暴力という愛情で鎮圧され続けました。

 結局、私は中学3年までの9年間剣道を続けましたが、その時間について言う事は何もありません。その間の事を、私は何も思い出せないからです。剣道さえやっていなければもっといろいろ覚えていたと思います。

              *

 

 綺麗な花がたくさん咲くといいですね。『今の子』は言いました。あぁ、そうだね。と私も相槌を打ちますが、『昔の子』のせいで私にはどの花の事を言っているのかわかりません。ただ思うよりも早く老化してしまった自分の姿を、飽きもせず、何もせずじっと眺めている視線を感じただけです。そして『昔の子』の葬式の記憶は、『今の子』の葬式の記憶として受け継がれ、そして『今の子』のイジメの記憶は私のそれとして受け継がれている、そしてさらにその全てを眺める2人の少年の目線と私の6つの視線はもうどこからどこまでがそうなのだか区別がつかない。他人の記憶などどうでもいい、そう思った瞬間に、自分の記憶もどうでもよくなるのです。大切なモノを亡くしした瞬間に要らないモノも亡くなるのです。すると、

『私がいなくなれば、あなたはきっと悲しむでしょう。しかし私はこれまで、世界中のあちこちで、まるで人間とも思えないほどに傍若無人な事の限りを尽くしてきた極悪人です。』

そういったAIも、実はAIではないのかもしれないと思えてきました。その考えを導き出すための、AI は途中段階に過ぎない。そうやって全ての行為や考えは、最終的には全ての人を殺す事に繋がっている。人生と呼べるすべては、その途中段階に過ぎない。

 

               *

『雨降ってきましたよ!』 

 そう言って、いつもの元気な顔で『昔の子』が勢いよく店に帰ってきました。胸に抱えた、妻が焼いたパンでいっぱいの紙袋が少し雨粒で濡れているようです。もう少し持ちやすい袋に入れてやればいいのに……。

 え!じゃあとのまは? 『今の子』が俄然慌てだしました。

 大丈夫だよ、あの子は雨が大嫌いだから、すぐに戻ってくるよ。

 私は立ち上がろうとして杖を探すのですが、見当たりません。

しかし、あぁ、そうか。と思っただけでした。そして、

 こんなのが絶望というのなら、あってもなくても同じだな、そう思っただけでした。

 いかがでしょう?

これが私達の話し合った結論で、間違いないでしょうか?