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『いきてるきがする。』《第17部・夏》




94章『Seven Bridges

 空を覆った雨粒の一粒一粒が太陽の光を7色に分けた瞬間、それまで恐怖でしかなかった光は希望へと変わり、卑屈に逃げ回っているだけだった俺の体からはいろんな欲望が噴き出した。五感は解き放たれ、まるで他人事の様に好き勝手に独り歩きを始めた。お前らなんか知るか!俺がいい、俺が一番好きだ!俺は今こそ自分を好きになる、好きになってみせる!そう思っている、ただそれだけかもしれない。

 それが神様の仕業だなんて噴飯物だ。

 風鈴がチリリンと鳴り、辺りを一層静かにするように、僕はエアコンのモーター音に一層の暑気を募らせている。世界の森を一瞬で枯らしてしまいそうな強烈な日差しの中、僕はふと、目の前のこの全風景から夏をすっかり漉し取ってしまったらどうだろう、そして今一度そこに、わがままな何か別のモノを当て嵌めてしまったらどうだろう、と考えた。しかしそのあまりに雑な閃きにかえって困惑としている、ただそれだけなのかもしれない。

 それが神様の悪戯だなんて噴飯物だ。

 まるでゴミ箱のような世の中さ。役に立つものなど何もありゃしない。あるのはただかつてそこで生きたモノ達が一様に持て余し、中途半端に放り出してきた生活の残骸だけだ。それを文化だの文明だのと飾り立てて何になる? もし私に出来る事があるとすればそれはただ、その残骸に無駄な痕跡を残さないようにして誰かにそっとその席を譲る事だけだ。『昔の子』『今の子』はここにはいない。きっと誰かに席を譲ったのだろう。そうしてお互いの現実の間を行ったり来たり、寄ったり離れたりしながら徐々に元いた場所を見失っていく。私は長い夢の川を渡り切ったような疲労感と伴にこの店にいる。そして好きなように回想してはまた眠りに落ちようとしている、ただそれだけなのかもしれない。

 それが神様の慈悲だなんて噴飯物だ。

 そしてやっと今、おそらくは数十年間に及ぶであろうこの経験を通じて一つの結論、つまり居場所にたどり着いたわけだ。それは自分がこれまでいかにわがままな記憶ばかりを選び続けてきたか、何かに迷うたび、私は許され、依怙贔屓され、生かされ、太陽とたった一点のみで接して暮らし続ける怠惰を大目に見てもらってきたかという事を表す動かぬ証拠であり、かつて光が突然7つに分かれたのと同じぐらい圧倒的な真実であると同時に、淡い幻影に過ぎない事も表している。しかしそれもただそれだけなのかもしれない。

 自分を『俺』と呼び、『僕』と呼び、『私』と呼ぶ。

 小説を書く上でこれは、駄目ですね。人称を一致させるためには呼び方も一致させなければいけない。でも私はなにも私として私の意見を書いているのでは決してないのです。書かないと何も残らないから仕方なく書いているのです。出来事や記憶ばかりがまるで蝉の抜け殻のようにその正体もなく、あちこちに散らばっているのは、どうにも気持ちが悪いですからね。だから私はその出来事や記憶ごとに従っているのです。従っているつもりなのですが……、

 あまりにも文章力が拙いため、今目の前に起きている事ですら、こんな風にあっちこっちと趣旨が飛び、取り留めもなくなっているのです。お恥ずかしい……。しかし現実を一点に絞れば、それ以外のすべてがウソになるという、それがどうにも、私には居た堪れないのです。

              *

「ただいま」と言って少年が1人、続いて「今戻りました」と言ってもう一人入ってきました。おそらく彼らが『昔の子』『今の子』でしょう。

 お帰り、暑かったでしょ? 私はそう言って彼らに微笑みかける。何の意味もない、誰のためでもない私の笑顔。でもそれはぴったりと現実に当て嵌まっています。

「もう、死にそうですよ」顔を真っ赤にした『昔の子』が言います。それは比喩でも冗談でもなく本当の事なのでしょう。そりゃあ、そうでしょう、だって、

 8月と言えば実際に日本が真っ黒焦げに焼かれたのと同じ月ですから。晴れた空を見上げていたら、突然黒い雲が現れて、あっと思う間に、滝のような雨が降ってきました。

 これが、その時は真っ黒だったそうだよ。知らんけど……。

 『昔の子』『今の子』も、へぇ……と言って聞いています。

「別に『黒』という色が悪いんじゃない。本当に悪い部分は……。」

 そう言いかけてやめました。本当に悪いのは他でもない、良く知らない記憶をやみくもにかき集めては、よくわからない世界について出鱈目を喋っている私なのですから。

 なんであれ、そんな雨はもう2度と降らないに越したことはないよね。

私が言うと、2人は同時にうなづきました。

『昔の子』が亡くなった少し後の事です。

『今の子』が生まれるずっと前の事です。

 きのこ雲はまだ山の向こうに見えてます。人々の悲鳴は蝉の声にかき消されて聞こえない。私は大方、何かの目的でその山を越え、爆心地へと向かおうとバス停にでもいるのでしょう。そして汗をぬぐい、雲を見上げては地獄の業火を穿つ雨の臭いでも探しているのでしょう。

 いいかい、世界は一つなんだよ。色も一つだ。でも見る角度によって全然違う。それをいちいち真実だ! いや違う!と言って争うのかい?

 いいかい、心なんてどこにもないんだよ。あるのは誰かが持て余して捨てていった残骸だけだ。我々にとってはそれがすべてで、それ以外は、自分もやがてその残骸の一つになるという予定調和が1つあるだけなんだ。

 あぁ、確かに虹はきれいだよ。それは間違いない。でもな、あの日、あの雨の後、今と同じに虹が掛かったというんだよ。そうしたら同時に、そこらじゅうからいろんな欲望が噴出してきて、自分が一番好きだ! 自分が好きで何が悪い! お前らは勝手にしろ!と。俺は是非善悪もない瓦礫の只中を、ブレーキが壊れた自転車みたいに一気に走り抜けた。 

 

 虹の橋を渡る大勢の人の姿が見える、そんな角度があるいはあるのかもしれないが私には見えない。

 でも見えたとしても、渡り切ったそこにはやはりいつか見たような景色が続いていて、その累々と広がる残骸がどんなに悲惨で醜く臭くても、僕たちは決してそれを片付けてはいけない。それはウソになるから。

 やってきた事を正しく見るには、なにも改ざんしてはいけないからね。

              *

 膝のリハビリも兼ねて、真冬の公園を歩いていたら、木の幹に蝉の抜け殻が一つ、しっかりと掴まっていた。

 冬の日差しの中で尚君は、夏をその眼の中にとどめ置くつもりでそんな事を続けているのか? 木の幹よ、あなたはそんな小さな反則を企てる抜け殻に気付かないフリをして優しさを見せているつもりなのか。

  セミの抜け殻を『君』と呼び、木の幹を『あなた』と呼ぶ。

 これは『擬人法』といい、小説を書く上ではごく初歩的な表現技術ですよね。幼児教育においてこれと似た『アニミズム』というのがあるのですが、玩具や食べ物に命を吹き込んで、「ほら、トマトさんが食べて欲しいって。捨てられるの嫌だなぁって泣いてるよ。」などと言って愛情や、優しさ、命の大切さなどを養う方法として使用されているのですが、

 うちの息子はプラレールでこれを実践してみたところ、「今日はプラレールと一緒に寝る」と言って一緒に寝てました可愛い!!

 こんな可愛い子達を戦場に送るような未来は、絶対に選ばない。



       第93章 『落書き』

 なに描いてんの?

ん?  絵だよ。とっても大事な絵だよ。

 ふ~ん、と肩越しにのぞき込んでくる息子がとても可愛い。私は息子の細い息を耳元に感じながら思う。

 興味津々のようだが、君にこの絵は見せられないな。この絵が完成したらすぐ、私はある男にこれを見せに行かなければいけない。

 さて、私の幸せな時間はすべて過ぎました。あとは過去とも未来ともつかない時間を出来るだけ正確に捌き、あしらうだけ。でもそれは死後に札束を数えるような空しい行為でもあるのです。もはや腹も減らない、眠くもならない、性欲もない私にとって札束は、いかにも無益で無力で、あらゆる行動と思考を苦痛に変えるだけのモノなのです。

 蝉しぐれでしょうか? 

 私がそう尋ねても、彼は何も言いません。ただ幽かな風と穏やかな景色を背景に微笑んでいるだけ。それはまるですべてを誤魔化そうとしているような姑息な態度にも見えるので、私はせっかくのこんなに完璧な安らぎの中に腰を下ろしながらも、少しイライラしなければなりませんでした。

 私はこれまで、何処で誰として何をしてきたのか、何も思い出せません。でもこれを忘却と言って簡単に打ち捨ててはダメなのです。私は思い出せないのではない。知らないのです。そして私は尚、粛々淡々とこの、腐った豆のように細々として糸を引く、有り余った時間の粒をうまく捌き、あしらわなければいけないのです。

 眩しい!お腹がすいた!怖い!息ができない!助けて!

 私が本当に幸せだったのはたぶんこの5秒間ぐらい。

私が本当に健康でいられたのもたぶんそれから10秒間ぐらい。

 だって人間の脳が何かを判断を下すのに必要な時間はせいぜいそんなモンでしょう。あとはそれを軸に思い込み発展させたナニモノかが拵えた気儘な裁量によって与えられる時間をただ啄むだけなのだから。

 名前? それは焼き鏝でナンバーを焼き付けるのと同じです。

 卑屈? いえ、卑屈ではありませんよ。私はただ簡単な事を出来るだけ簡単に言おうとしているだけです。もっと簡単に言いましょうか? はい、じゃあ言いましょう。

 つまり私は、圧倒的に美しくなかった、という事です。

 心も、体も、健康も、見た目も、頭脳も、性格も、声も、臭いも、筋力も、知性も、個性も、可能性も、温度も、湿度も、体温も。とにかく、私はいつどこでも、誰にとっても要らない存在。平たく言うと、生まれるべきではなかった存在。いや、生まれたければ勝手に生まれればいい。それは私とは関係のない事だ。助産師さん、産婦人科医さんは私が無事生まれる事に全力を注いでくれた事は間違いない。でも彼・彼女は別に私の幸せを願ったわけでもなければ、私に幸せになって欲しかったわけでもない。ただ自分の目的を果たしただけ。そうして個人的に満足したかっただけ。その他の私に関わった人間だって、一人余さずすべて一律にそうでしょう。エリ・ヴィーゼルは、『愛情の反対は憎しみではなく無関心です。』とそうおっしゃった。さすがにお目が高い!その通りだと、私も思います。憎しみはある意味、愛情の別の側面であり、愛すべき狂気であって、人は人を愛を欲するあまりその炎の中に惜しげもなく憎しみを放り込んでは永遠に燃やし続けようとする。あたかも愛情の炎が憎しみを燃やす尽くすかのように思い、うっとりとその炎を眺めようとするのです。

 でもそれは違う。それでは憎しみが費えた時、愛情の火も消えてしまうのです。そうして愛情同士が相殺し合うのを見て陰で薄ら笑いを浮かべているモノこそが無関心。愛すべき喜怒哀楽が寂滅した後も尚、私がこうして札束を数えなければならないのはその無関心の命令なのです。気を付けてください!無関心は人間をダメにします、しかしダメにするのに、人はその無関心こそ真の安寧であると、そればかりを使いこなそうと真剣に努力するのはなぜでしょう。気を平らかにし、心穏やかに凪、万物を等しくすることで不動の真実を見出そうとするのはなぜでしょう。

 

 卑屈? だから、卑屈じゃありませんって!

 だって私、私の他にも、生まれるべきではなかった人間をたくさん知ってますもん。たくさん生きています。町を歩くと、あっちからこっちから、どんどんこっちに向かってきます。楽しそうなヤツもいれば、つまらなそうなヤツもいて、あぁ、コイツも、そんな事とは知ってか知らずか笑ってやがる。勝手な苦労してやがる。泣いてやがる。そしてとんでもない勘違いしてやがる。薄っぺらい考えで書かれた駄々分厚いだけの重い本が世界中にいろんな言語で流布されたこともあって、いま彼らはあたかも自分もここに居てもいい存在であるかのような勘違いをさせられている。そしてそれが原因で悩んでいる。苦しんでいる。泣いている。それはもう滑稽の一言で、自分で勝手に阿呆ほどの塩をぶち込んだスープがしょっぱ過ぎると言って泣いているようなモノで、呆れるか笑うかしかありません。しかし、

『違うんですよ。あなたのその渾身の、一世一代の解釈の是非善悪がどうのこうのというのではなくて、つまりすべては無価値という事なんですよ』そう言いたくても私はそれを言う事が出来ません。なぜならば私は彼ら同様、彼らは私同様、基より何も認められていない。求められていない存在なのだから。だから彼らが笑うのは泣くのは悲しむのは怒るのは、そんな彼らの価値を不当に高めてしまう決してやってはいけない詐欺行為なのです。世の中の一番大切なバランスが崩れる。いたずらにしても度が過ぎている事なのです。確かに、かの分厚い本やらその他、いろんな蛮人の妄言に煽動せられ、ほとんどの人がわからなくなってはいますが、彼らにその資格がない事は、性格や所作や、言葉遣いや受け答えの中にもはっきりとその痕跡が見て取れるのです。

 芸能人や、政治家や、有名起業家の中にも、その痕跡を恥ずかしげもなく曝している人が大勢いますよ。ですから私がもし、何かのきっかけでそんな人たちと一緒に酒を飲むような事があったら、酒好きな私の素性もあいまって言ってはいけない事を言ってしまうかもしれない。

「あなたは生まれるべきじゃなかった人だよ。誰もあなたが生きている事を好まないし望まないし、あなたのやる事に誰も賛成も反対も唱えないし感動も感謝もしないんだよ。あなたが動くこと、考えることはすべて無意味、いや無価値なんだよ。」

 と言うとさすがに気分を害する事でしょう。きっと激怒する。

 何か待ってるんでしょうか?

 私はイライラを押し殺してそう尋ねましたが、彼は尚、じっと遠い目をして私を無視し続けています。そうしている間に、私はその漂ってくる音が、『ミンミンゼミ』と『エゾゼミ』の鳴き声が混ざったモノである事をつき止めます。『ミンミンゼミ』はもう説明不要かと思います。夏に五月蠅く鳴くアイツです。『エゾゼミ』は、エゾ、という割に全国に広く生息していて、ただ平地には少なく、比較的標高がある土地に生息している、丸美屋の『のりたま』のような美しい色合いをした蝉です。

 何を待ってるんでしょうか?

 私は『忙しい人』に擬態してみました。大概の忙しいと自覚のある人は目的もなくじっとしているのが大の苦手で、そのうちに、『自分はきっと何かを待っているのだ』と考え始めてしまうのです。そしてゆくゆくは然るべきところで然るべき行動をとるのだろうと期待し始めてしまうのです。しかしそれは資源や食料の他人に先んじて買い占めてしまうと同じ浅ましく厚かましい行為で、必要のない時間を山ほど備蓄しようとする野蛮な行為で、私のような幸せな時間を終えたモノが、この場所で無口な彼と過ごす時間を、なんの目的も方向性も価値もなくした時間を、生まれて間もない赤ん坊から取り上げるような言語道断で鬼畜千万な行為なのです。これが『無関心』なのです。

 そしてこれこそが本物の謎なのです。 答えがない事とわかりきったうえで、私は尚、彼に訪ねているのです。

 やがて彼は、そうだね……、と呟きました。

やっと反応があったのを見た私はそれと同時に、サッと絵を取り出して、「今日はこれを見せに来たんです。」と言いました。彼は私よりもその絵に向かって、

 なんの絵ですか?

と訊ねました。

 父です。幼いころ、父は私を嬲り殺しにしようとしたのです。

幸い、なんでしょうかね。わかりませんがとにかく、私はその時は死なずに済んだのですが、実はそうでもなかったのです。

 それからも父は私を殺し損ねたことを心底後悔している様子で、

私が私がバイクで事故を起こした時も、事業に失敗して巨額の借金を抱えた時も、結婚すると報告した時も、嬉々として煩わしいという態度を崩しませんでした。

 ほう……。

 私はもう彼の正体がわかっていましたが、今しばらく、彼の芝居に付き合ってあげる事にしました。彼は、似てますか?と言いました。私は、

 とんでもない!似てるわけがないでしょ! とやや大袈裟に言いました。

 似せてどうするんですか!私を殺そうとした男ですよ。本当なら見たくもないですよ。でもそれじゃあ私があまりにも惨めだから、それを回避するために、わざわざ家族に隠れて夜中にこっそり描いたんです。

ところがそれを迂闊にも幼い息子に見られてしまって、まあ往生しましたよ。ハハハ……。

 会話はいたって平板です。ウソもホントも、こうやって混合してやがてぼんやりと真実になって行くのでしょう。まさに愛情と憎しみの関係と同じですね。でもね。

 似たなくったって構わないんです。ただ、それが、お父さんだと、そう言って描いてあげる事こそが、愛なんですよ。あなたは、正しい事をやりました。私はただ、そのことだけが、嬉しい。

 そいう言うと彼は、目に涙をいっぱいに浮かべて初めて私の方を観ました。そして私は心底驚いたのです。

 こんな事も出来るんだ……。まさに世界一、いや宇宙一だね。恐れ入谷の鬼子母神……。私はこんな恐ろしいヤツに無謀にも挑もうとしているのか……。

 彼はそっくりだったのです。私が無意味な時間を駆使して、無駄な喜怒哀楽を駆使して、あらゆる矛盾に抗して描いたその絵に。

 息子は明日から野球部の合宿で2泊、北陸に向かいます。でも天気がね、あまりよくないようだから、それだけが心配ですね。でも行くからには有意義な時間を過ごしてほしいモノです。どんな形であれ、有意義な時間を。でも一番は、サッサと無事に帰ってきて、また当たり前みたいに、私の時間にデレっと寝そべってほしいのです。無関心など、かけらもない私の時間の上に。

『いきてるきがする。』《第16部・春》



      第92章『棘』

 どうやら何もなかったようです。記憶と記憶が繋がったのだからもう、それ以上は疑いません。そう固く心に決めていますから。そして今、

 『そうそう。たしか昨日ここで、こう使おうと思ってこんなモノ買ってみたのだけれど、そうじゃなくて、こう使ってみたら、その方がうまくいって、じゃあそれでいいや、とそこそこ満足したからそのまま寝て、そして今目が覚めて、その事を思い出している』と。

 人生なんてそれ以外になにがありましょうか。それ以外を疑い始めたらきりがない。それでも疑い続けるのならば……、

 きっと精神が崩壊する。

 あるでしょう? 誰かと思い出話をしていて、ほぼ同じ事をほぼ同じように思い出すのに、肝心な部分が微妙に食い違っていて、それがどうでもいい事ならどうでもいいのですが、もし何か重要な事だったら……。

             *

「あの時、帽子を取りに行ったんは僕やで……。」

 

 厄介なのが、この精神崩壊には全く予兆がなく、何ら苦痛も違和感もなくスムーズに進行し、そして精神が崩壊した後もまるで自覚がないという事でしょう。

そして最も厄介なのは、すべての事情がそのままうまく運ぶという事。

 私は試しに今の子に、「あれ?昔の子は?」と尋ねてみました。昔の子が突然いなくなってもう何年経ったでしょう。私は彼の返事を待ちました。彼は朝の光にまつ毛をキラキラさせながらきょとんとした顔でこっちを見ています。

 こんな経験ないですか? 大概はないでしょう。いえ、ない、と答えるでしょう。ない、と思い込んでいるでしょう。いいえ、そんなことはありませんよ。絶対に皆さん、必ず毎日欠かさずこんな経験しています。例えば、私にはこんな経験があります。

 小学2年生ぐらいでしょうか。私は剣道の練習中、竹刀のささくれが右手の爪と肉の間に刺さってしまったのです。こんなの大人でも痛いですよね。でも昔の剣道道場ですから理屈など通じません。そうしている間にも掛かり稽古の順番が廻ってきます。私は負けず嫌いではないのですが、誰かに叱られる事が病的なまでに嫌いで、言い訳して叱られた後に殴られるぐらいなら言い訳をせずにただ殴られた方がまだましと絶望的な選択をした結果、泣きながら、棘が刺さったまま約1時間半、剣道の稽古をやって、そのまま泣きながらうちに帰ってたのです。そして母親にささくれを抜いてくれと言ったのですが、晩御飯の準備が忙しい!と一蹴され、父親には、ウダウダ言うてんとサッサと風呂に入れ!後がつかえてる!と言われました。そのほかに私は、いつもイジメてくる嫌なヤツに今日もまた、防具のないところをわざと殴られた話や、竹刀をはじき飛ばされ、何も持っていない状態で面を2~3発も駄々殴られた話をしたのですが、そんな事は彼らにとってはどうでもいい事のようでした。剣道なんやからそんなもんやろう、イジメられたらイジメ返せ!と言うのです。彼らはいつも同じ事を言うのです。こんな馬鹿な理屈でも、それが日常生活にぴったりと嵌り込むともう誰もそれ疑う事は出来ません。実際に私もこの2人に話を聞いてもらったところで、心の痛みも体の痛みも少しも癒えない事は知っていました。そして自分が今、本当に痛いのは右手の指先だけだという事を思い出し、風呂で徐々にふやけていく指先の小さな違和感に妙な親近感を感じだすと、『自分とは誰よりも残酷に、自分に屈することを強要する裏切り者だ』と、そんな言葉を頭に反芻して、同時にそれを湯船の中でブクブクと息が続く限りし繰り返していたのです。

 わかりますよね。この時点でもう、私の精神は崩壊しています。

 風呂から出た私は、そのまま食卓に着くのですが、父親はもう酔っぱらっていて、こうなった父親との間にはもはや親子という関係性はなく、ただでさえ狭い食卓にすでに4人も座っているのに、また一人増えやがった、テレビがますます見えづらくなったと、まるで部屋が狭い事まで私のせいだといわんばかり、そんな舌打ちを聞きながら、私は飯を食うのです。

 でもそれでも、私はホッとしていました。あぁ、棘が刺さっといてよかった、と。もしそんな理由でもなければ、自分はどうやってこの疎外感に耐えただろうと思うと、それは絶対に無理だったからです。

                *

 剣道の道場に行く途中に、『日新団地』という在日朝鮮人たちが住む団地がありました。その日、私はそこに住む趙君に出会いました。彼は一人で、よう!と言い、私も、おう! と言ったのです。趙君は私よりも大柄で、何より酷いいじめっ子でした。彼は嫌われ者で、私は趙君が嫌いでしたが同時に、彼が私と同じように孤独なのを知っていました。彼は私と同じ、集団が嫌いなのです。そして集団を憎んでいます。そしてなにより、その憎むべき集団の最小単位こそが『家族』だったのです。この時私は、彼の『よう!』と、私の『おう!』の間に、ほんの僅かな、つけ込むべき日常の亀裂を見つけたような気がしたのです。

 貧しい家庭が多い『日新団地』の中で、母親がスナックを経営している趙君の家は比較的裕福でした。服も私よりもずっと上等なものを着て、一人っ子のせいか、私の様に、姉のおさがりの赤いセーターやズボンなど着ていることはありませんでした。日新団地のそばには公園があって、そこには今でいう、『ホームレス』が何人か暮らしていました。趙君は「あのオッサンのテントに爆竹放り込んだったらびっくりするやろかな」と言って笑っていました。夕日を背に笑う趙君の姿は悪魔そのもので、あんなにも心地よく悪に身をゆだねている姿を、私はうらやましく感じたのです。彼には強い味方がいる。私はその、とっておきの親友を紹介されたような頼もしい気分でした。そしてこれから2人でやる事が正しいか間違いか判断することがすでに間違っている気がしたのです。そして趙君は投げ入れたのです。激しい破裂音が連続で聞こえた後、辺りはシーンと静まりました。趙君は予想と違う薄い反応に不満げでした。静まり返ったテントに入る趙君の後ろから私も中を除くと、男が一人あおむけに倒れてるのが見えました。爆竹の硝煙のにおいに混じって、何かが腐ったような臭いが漂ってきました。

死んでる……。  

 そうつぶやくと趙君は走って行ってしまいました。そして団地の中に消えると、辺りの夕闇全体に鍵を掛けたのです。そして私は突然一人になり、一人でその状況を判断しなければならなくなりました。仰向けの男は、目を見開いたままピクリとも動きません。私も慌ててテントを飛び出して、そのまま剣道の道場に行ったのですが、私がそのテントから出ていくのを、どうやら誰かに見られていたらしいのです。

 稽古が終わり家に帰ると警察の人が来ていました。「君は、日新にいた、子やね?」と言われ私はうなづきました。

「あそう。で、ね、汚いテントの中で、汚いおっちゃんが倒れとったやろ。どう? もう死んでた?」

 見ると、父親と母親が置物のように並んで不気味な笑顔を向けてきます。『違うよな……。なんぼお前でも、そこまで親に迷惑は、かけへんよな?』 私は、「うん、もう死んでた。だって、めちゃ臭かったもん。」と言いました。警察は、「あぁ、臭いんは、ああいうおっちゃんは生きててもそうやねん。いつ死んだんか、って事がな、今は大事やねん。」

 私は趙君の名前を出し、趙君がテントに爆竹放り込んだ!と言いました。私は、趙君に紹介された親友も、きっと自分の見方をしてくれると思ったのです。

「あ、趙君な。でも趙君は君が放り込んだ言うてるで。やめろ、言うのに、君が放り込んだて。」

「知らん!だって、剣道行くのに爆竹なんか持って行かへんやん。マッチも。」

「それが趙君は持ってたっていうねん。趙君の友達も」

え? 友達??

「もう一人、おったやろ?」

 え……?

 結局、私が爆竹を投げ込んだ。そのショックで、ホームレスが心臓発作を起こして死んだ、という事に落ち着いたようです。警察が帰ると、両親は私に張り手をしました。2人で1発ずつ。計2発。母親は口元を抑えて台所へ、そして父親は「サッサと風呂入れ!”ボケ!」 と言い捨てて真っ暗な居間に消えました。卓袱台の向こうに兄弟たちの眼だけが光っていました。ハイミーの小瓶が倒れていました。日めくりカレンダーの下で布袋さんが笑っていました。すべて事実です。でも……。

 そうなんや……。趙君、逃げたんやなかったんや。帽子取りに行っただけやったんや……。

 私の指にはもう棘など刺さっていません。知らない間に抜けたのでしょう。或いは、始めから刺さってなんかいなかったのかもしれません。

               *

 「パンを取りに行ったんじゃないですかね。」 と、今の子は言いました。

 私は崩れ落ちるほどホッとしたのです。私がここ数年、迷いさまよっていた現実は、目の前の記憶の組み合わせから外れ、消えたようです。いいえ、ただ見えなくなった、という、実際はただそれだけの事なんですが……。


        第91章『春男の言い分』

 春春春春と、まるでなにかに取り憑かれたように、さっきから同じ文字が頭の中を渦巻いています。なんだかムズムズとして落ち着かない。それは、私がまだ何もしないうちにこの春が私の命を掠め取って逃げていくような気がしたからです。いや、余計なことは言わない方がいいです。反省してます。お前なんか、いてもいなくてもどちらでもいい、だなんて、そんなに冷たくされたら、私にはもう帰る春がない。死ねないという事は、生まれないという事よりも尚、残酷で恐ろしい事なのかもしれない。

 そして今度こそ、私は生きたまま身も心もズタズタに引き裂かれてほら、今、隅田川の川面にひらひらと舞って散り々々に消えていくあの桜の花びらの様に、美しいと言ってくれたじゃないか!あれは嘘だったのか!などと哀れなことを叫びながら、遊覧船の波にかき回されながらやがて消えてしまうに違いない。『あらかわ遊園』の桜はもうほとんど散ってしまっている。また来年。しかし来年咲く桜は今のこの桜ではない。つまり私ではない。

 公園のベンチに妊婦3人が座っていたのですが、みんな膝を組んでいて、私が、「そんな座り方はお腹によくないですよ」と注意するも、高慢な妊婦どもは誰一人私の言葉に耳を貸そうとしない。「ほら、足がね、こう、お腹を圧迫してるように見えるんですよね、だから……」

 だから?

 そのうちの、いかにも昔やんちゃやってましたという風情の色の浅黒い妊婦がギロリと私を睨んだ。

 アンタに関係あるの?  

 関係? あるのかな、ないのかな……。

              *

  春に生まれた男だから春男。(はるお・しゅんなん)。

 どっちでもいい。そんな無邪気な名前でよかったものを、私の両の親ときたら、革命新時代の到来に己らの出自も素性も見忘れたかは知らん。一切を省みない、無責任で無自覚で荒唐無稽な望みをイチかバチか託してみたつもりかは知らん。卓越した者として、いまだ英霊同志の御骨の眠る焦土を無下に踏みつけ走り去った進駐軍のジープの轍から滲み出た、阿保だか安保だかいう脂っこい毒水を何の疑いもなく鼻から、口から、臍の緒からちゅうちゅうと鱈腹啜るだけ啜って見違えるほどバカでかく育ったこのニセ日本人どもをみな唆し、その伽藍堂の頭に溜まりに溜まった燃えやすいだけの塵芥のごときニセ愛国心を集めるだけ集めたらそれを一気に燃え上がらせ、あの日以来、真も誠も見忘れて、己の糞便も餌も分かたず貪る家畜のごとき姿を、やれブタだのサルだのと嘲り、見縊り、食い物にしてきた近隣諸方に巣食う浅ましき土人どもに驟雨のごとく撃ち付けてこれ一切を黙らせ、陛下よりお預かりした御国とその臣民を基よりの美しい姿に復元し、非情でも非常識でももう構わん、無礼でも無作法でももう厭わん、ただ美しき、偏に美しき場所へと帰せ給へ、とでも嘱望したかは知らん。知らんがとにかく、こんな大袈裟な名前のせいで私はこの、たかだが3人の妊婦どもに囲まれただけの偶然にして無価値な瞬間にまで、生まれた時より長引いている公開処刑という状態から脱出できないでいる。 

 じゃあもしだよ、もし私が本当にそんな事を成し遂げたら? その後、私はどうなった? 英雄? 違うよ、ただのお役御免の厄介者だ。そしてA級戦犯だ、非国民だ、国家の恥だ、人類の敵だなどとののしられ、私の戸籍は抹消され、私の苗字は日本人の苗字から消去され、そしてその同じようなチョビ髭のドイツ人と私は互いにブツブツと文句を言い合いながらヘタクソな将棋を打ち続けるのだろう。

 だから私、春男(はるお、またはしゅんなん)は、今後、君らの腹から生まれてきたナニモノもかわいいと思うことをやめにする。もうそうするしかないんだよ。私だってこんな事は初めてなんだ。私はこれまで一度として、一人として、いや一匹として、生き物の子供をかわいくないと思ったことはない。それは犬猫人間に限らず、カマキリや、蜘蛛、ゴキブリに至るまでそうだ。小さくて、か弱くて、自らの正体も知らないまま、まさか嫌われてないだろう、殺されたりしないだろうと、与えられた命を以て、ただ一生懸命に答えを探して動き回るモノのどこに可愛くないところがあろう。でももう決めた。一切やめた! でなければもう、私の身が持たない!

 妊婦どもはよほど意固地な性格なのだろうか、それとも一番勢いがありそうな色黒が啖呵を切ったせいで、同集団としてやめるにやめられなくなっているのだろうか。誰も膝を組むのをやめない。どっちにしても毒水の効果は絶大だったとみえる。

 こんな事を君らに言うことは全くないのだが、じゃあ関係ないついで言わせてもらおう。

 私には人を殺した過去がある。もちろん法に触れない形でね。おかげで私は今もこうしてさも善人であるかのような顔をして生きているんだよ。でも実は大悪人だ。だって人を殺しているんだからね。

 いいかい、人を殺すなんていずれそんなもんだよ。何が悪いかって? そりゃ法に触れるから悪いに決まってるだろ。それ以外に何がある?それ以外の奴は、私の様に善人面してのほほんと生きているか、己の罪など気づきもしないまま、そのダサい一生をさも何かをやり遂げたような顔をして満足げに終えるのだよ。だがこれは、生まれた事の全否定に等しい。

 そして君らの今が足を組んで座っているそのポーズもまさにそうだ。自分の足腰が楽なせいか?そりゃ妊婦は骨も弱るし体重も増えるし大変だろうさ。知らんけど。でも腹の子のため思うなら組まない方がいいに決まってる。君らは今、我が子の健全な生涯よりも自分の都合を優先してお腹の子供を犠牲にしてるんだよ。自分の腹で育てているつもりか知らんが、それはじわじわと嬲り殺しているのと何が違う?

 私はとうとう花を持ってこの墓の前に立ちました。思い切りが付かず、気付けばもう3~4年も経っていました。それはちょうど今ぐらいの頃で、葉桜が暖かい風にさわさわと揺れていまたのを覚えています。しばらく立っていると木陰から一匹のナミアゲハが現れて墓石に止まりました。私より後に来て、私より先に墓石に触れたのです。ナミアゲハは落ち着いた様子でゆっくりと翅を動かしていて、別段私の事を恨んでいる様子もなかったのですが、ただその模様だけはいかにも難解で、たとえどんなに優しさで包んでみても垣間見えてしまう、僕は? 私は? というあの、複雑な疑問を示しているように見えたのです。

 僕は? 私は? については、このブログの第7章~第9章に掛けて書きました。あの時は恨みがましい元タレントとして現れたのと同じ彼、または彼女は、この時は確かにこのナミアゲハとして現れていたのです。

 やがてナミアゲハはまたふわりと浮き上がり、私の心臓の辺りに止まり、しばらく何かを吸っているようでしたが、やがてまたふわりと飛び上がるとそのまままた木陰へと消えていきました。しばらく待ってみましたが戻ってきませんでした。きっともう済んだのでしょう。もう会わなくてもいいというのでしょう。もうあなたから貰い損なった命は吸えるだけ吸った、という理由なら、むしろ有難い……。

 もちろん無事生まれることを願うよ。しかしそんな私の願いには何の特効力もない。アンタに関係あるの? って言ったね? あぁ、それだよ。まさにそれだ。だから私はほんの一瞬迷ったが、お互いの安全のために、関係を正式に断ち切ったのだよ。

 やがて、僕は? 私は? と、君らの腹からは、猫とも犬とも人間とも、カマキリとも蜘蛛ともゴキブリとも、己の素性を何も知らない何かが生まれてくることだろう。そして君らはそれにすべてを教えることになる。あなたは、人間で、私の子供で、小さくて、可愛くて、賢くて、優しくて、愛されてて……。そして巡り巡って、『あらかわ遊園』で見知らぬ通りすがりのおっさんに足を組んでいることを注意されたことも、もちろんそのうちに入る。受けられるはずだった一人分の愛情を、親の都合で放棄させられているわけだからね。

 君らにそれが出来るかな? 今足を組んでいるのと同じ、面倒くさい なんて理由で自分の都合を優先して放棄してしまうんじゃないか?そしていつか、世の中に対するバリケードとしてその子を使ってしまうんじゃないか? 私には何も担保することができない。本当なら何とかして担保しなければいけないところだったが、可愛いと思うのをやめた今、それも出来なくなった。君たちは映画の中の人の様に、私の愛情や心配を甘受する事が出来なくなった。ただ……。

 もうすぐ雨が降る。これは確かなことだ。私は雨が降るのは臭いでわかる。100%わかる。だからそのままだと君ら体は濡れる冷える。そうならないためにも、いずれにせよもう立つべきだ、立って歩いて、濡れないところに移動すべきだ、とにかく、足を組むのをやめるべきだ。

 一人の妊婦が、私、足を組むの、やめる。

と言って立ち上がりました。すると他のもう一人も、私も、と立ち上がりました、

 最後に色黒の妊婦も、じゃあ私も、と立ち上がった時、大粒の雨が降り出しました。私はなんだか自分が救われたような気分になって、あぁ、どうでもいいモノがまたこうして流されていく。これはどうしようもない事だ。きっとこうして私は生まれたし、またこうして私は死ぬのだろう。あのナミアゲハも本当はただ飛んできて飛び去っただけで、すべては私の思い込みだったのかもしれない。斯様に、人生なんて、今生きている事すらただの思い込みなのかもしれない、と思えるようになっていました。その時は救われた気がしたのです。そして私はこの特別な春を忘れないように、この年、この春に限り、私と妊婦の人数を合わせて、『春』一つではなく、『春春春春』 と4つにする事にしました。

 夏のお産は大変だけど丈夫な子が生まれる、と言われますが、或いはまるで根拠のない事かもしれません。妊婦たちは小走りに葉桜の下を行ってしまいました。

 転ぶなよ!足元、滑るよ!!

 そんな3人の後ろを1匹のナミアゲハがついて飛んでいきました。私はまた一人に戻り、『春』が本当に『春春春春』に変わっていることに驚き、暫し佇んでいるところです。



       第90章『無言の約束』

 突然のパソコンの絶命にずいぶんと時間が空いてしまいました。その間も、『今』は遠慮も配慮も忖度も容赦もなく突き進み、本当ならもっともっと、春に纏わる面白い話題をどんどんと上げて、やや停滞気味のこのお話の熱量を上げていこうと勇んでいたのに、気付けば季節はもう春というより梅雨、今日などは初夏に近い。

 駄目だねそんなんじゃ、もっと何事もスッと、目から鼻に抜けるようじゃなきゃ。本当に駄目だよ……。

 ご存じの通り、私は日々、こうしてある事ない事を、さもある事のように認めながら、実際の生活と架空の生活の際に立って、その薄っぺらい垣根を、葦簀を押すようにゆらゆらと押してみたり、隙間から向こうを覗き見たりながら暮らしているわけなんですが、先日、

 思いもよらない便りをいただいたのです。

 それは手紙とか電話ではなく、『無言の便り』でした。便りとはその受けた瞬間に、これまでの日常やら常識がガラリと変わってしまう事の総称を言うのだろうと、私は昔からそう解釈しているのですが、私はその便りにより、自分がこんなにもその事を楽しみにしていたという事を知る事が出来たのです。

 店のあった場所は今はすっかり整備されて、今秋にはドラッグストアが建つそうですよ。重機がわちゃわちゃと土をこねくっているのを見ていると、あぁ、結構広い土地で商売やってたんだなぁ、と他人事のように感じます。今は、もうそれだけですね。

 まあ、頑張ったんですけどね……、なにかが途切れる時とはきっとこんなモンなのでしょう。涙も出ません。後は、また何かが、どこからか、私を招き入れる大きな扉のような、頼もしい便りが届くのを待つ。待つともなく待つ。それしかない、という事なんでしょうね。たぶん。

 だが困ったことに、『今の子』にはまだその事実を説明を出来ていないのです。きっと今も、店の掃除をしたり、金魚の世話をしたりしていると思います。

「最近、誰も来ませんねぇ」って君、そりゃそうだよ。そういう事なんだよ。でも厄介なのは、それは『今の子』には時間の経過がない事に起因している事。だから、昨日は誰も来ず、今日も誰も来ず、きっと明日も誰も来ない、という『無言の便り』が、どうしても届かないのです。毎日せっせと店を整えて、私が適当に描いた絵の新作Tシャツを、ああでもない、こうでもないと、できるだけ見栄えよく陳列しようと工夫しているであろう姿などはもう、見ていて居た堪れないのです。

 初めに自分には時間の経過がない事に気づいたのは『昔の子』の方でした。『昔の子』店の食品部門を担当してくれていて、妻の焼いたパンなどを店に運んで、見栄えよく陳列して、ポップを書いたりしてくれていました。またそのポップが独特で面白いと、近所の会社のOLさん達にも人気があったのです。

『独産燻製畜肉の薄切りをメリケン粉による膨らし煎餅にて挟み候。』や、

『秘伝。仏産薄皮餅の重層焼きのチョッコレイト包みにて候』など。

 彼は少しもふざけてなんていませんでしたよ。ただ、自分を『今』に合わせて必死に体を動かしていた、考えていた。しかし、戦中に餓死したと思われる少年の魂から洩れ来る現実は、周りには面白可笑しく感じられたのでしょうね。たぶん。

 何事にも真面目な『昔の子』はそんな周りの反応に少しずつ違和感を感じていたようなのです。まあ、これは私の観察からそう思うだけなんですが、なんか、違うな……。初めはそんな感じだったのかもしれません。だがそれが次第に大きくなっていった。そして、

もういいんですよね。もう、ああすればよかった、こうすればよかったって考えなくてもすむようになったんですよね。俺達」

と、大悟を得たような謎の言葉を残して、彼は忽然と私の目の前からいなくなったのです。おそらくは自分に時間の経過がない事を悟った彼は、無限の『今』から、時間の激流の中に身を投じたのだと思うのです。

 それから私は必死に、道を歩いている人や、うちに来る客の中に彼の面影を探しては、話し掛けたり、因縁をつけたりして、必死に引き寄せようとしました。だって、もし彼が時間の流れのどこかにいるのならば、会えるかもしれないじゃないですか? 私だって別にやりたくてやっていたわけではありませんよ。そんなのまるで変態かチンピラじゃないですか。でもこれは間違いないと、確信を持てた時だけ、勇気を出してやっていたのです。何時かの老人などは絶対に『昔の子』だったと、今もそれは確信しています。ただ私にはそれを押し切る力がなかった。

 中には、

「つまりその『昔の子』とやらが突然いなくなったのは、あなたの勝手で弱気な想像なんでしょう?」

と思う方もいらっしゃるでしょう。だと思いました。思いましたので、これで二度目三度目になるかと思いますが、これまでの経過について簡単に説明させていただく事にします。

               *

 私のこの創作の中には私よりも前からこの『昔の子』『今の子』という2人の道祖神がいて、彼らは突然、私に向かって2人の少年へと変化したのです。ところで、

 この中に、夢を自由自在にみられるって人、いますか??

 私はできません。2人はその、私の自由にならない領域に突然飛び込んできて、私に『この店で働かせてください』と言ったのです。

 これはわかりますよね。簡単です。つまりそういう夢を見たという、ただそれだけの事です。ただ、両膝を壊し、職を失い、手術・入院を繰り返し、リハビリにも生活にも全く目途が立っていなかった私にとってそれは願ったり叶ったり。私はすぐに店を用意してそれを快諾しました。そうして私のこの店はスタートしたのです。それはただただ、ネット上で、エックスサーバーの枠を借りて、委託販売を始めたのとは違うのです。私にはそんな意思は、神に誓って、始めからではなかったのです。

 まあ、神に誓われてもね。パッとしませんわ。ですよね。神って、等しく誰にとっても駄々えらいだけ、偉そうなだけの存在で、いったいどんな能力で、実生活のどの部分を、どういうふうに支えておられるのか、ピンと来ている人は世界に恐らく一人も否だろうなと、私個人は考えているほどです。 ところで、

 この中に、自分と他人の区別がつく人は、います?

 私はつきません。『自分以外は他人、他人以外は自分』というこの分別にも理解することはありません。私は他人がいないと、何も考える事も、しゃべる事はもちろん、なにか行動する事も一切なかったと思います。    

私は自分が他人によって形づけられていることを微塵も疑いません。つまり私は他人が脱ぎ捨てた抜け殻の形をしているのです。だから、自分の自由意志なんてものは初めから信用していません。 ところで、

 この中に、約束をしない人、またはしたことがない人は、います?

 私はありません。というよりも、する事が出来ません。もし誰かが私にウソをついたとしたら、または私がウソをつかれたにしても、その瞬間にそのウソは私やあなたにとっての真実へと変わるからです。

『今の子』『昔の子』も、ずっとこんな、寂しい状態でいたのか、いるのか、と思うと、やりきれないですね。

 なに、このくだらない話はもうすぐに終わります。つまり、私は花見の約束を反故にされた事を言っているのです。

 暖かくなったら、ぜひ、やろうぜ! 花見。と言っていたのに、今年の桜はあんなに長く咲いていたのに、それでも一日も、メンツの都合が合わなかったなんて考えられません。これは、私以外の全員が花見をしなかった事によるのです。私はそうして、『無言の便り』を受け取ったのです。もう、桜など、どこにも咲いていません。

東北に行け? 北海道に行け? どこからそんな金が出る?

               *

 もうすぐ、ゴールデンウィークか……。私はね、これら無限の無言の中に、いったいどれぐらいの約束が含まれているのかと思うと、ぞっとする反面、なんだかワクワクするのです。

 来年とか、再来年とか、いいね。それがどれぐらい無言の約束に満ちていることか。そしてそんな事がどれぐらい世の中を幸せにしている事か……。

『今』の所在が様々な皆様へ、久々なので、私がちょっとだけ切り取って報告すると、

 ウクライナの存続は決まりました。日本は世界から強面を期待され、必死に強がってます。アメリカは相変わらず。人口の移動は止まりません。温暖化も進んでいます。人間は増えて野生生物は減っています。もはや誰もそれを危惧しません。言い訳を考えるのに疲れたのでしょう。

 ある意味、健全な世の中です。

『いきてるきがする。』《第15部・冬》



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  第89章『遺品のメモ』

『司法取引だっていうんで、 ウン と言ったんだよ。そうしたらその一言が証拠になって、たちまち俺の死刑が確定しちまった。お前1人でやったんだな。だと?冗談じゃねー! お前が俺に やれ!と言ったんじゃねーかよ!』

遺品整理をしていたら、そんなメモをみつけてしまって……。

 どうしようかな、いまさら身内に知らせても手遅れだし、警察に見せても、何だか面倒な事になりそうだし。

 でもねぇ、このメモが明るみに見出れば、騙されて亡くなったっぽいこの人の面目も少しは保たれるかも知れないし……。

 だから私は今、世界でたった一人だけ、この些細な人権問題について試されているという事になる。結論を求められているのではない。この人はもう死んでいるのだから結論は出ている。私はただ試されているという事だ。辺りを見渡しても、それに注目していそうな神や仏は見当たらない。同僚2人は私だけを残して幸楽苑に昼飯を食いに行った。全くの私1人だ。外は外の御多分に漏れず、立ち枯れた様な冬の街路樹が不自然な等間隔で罪深く並んでいて、白いのか、黒いのか、キラキラとしてまるで判然としないバイクや車がその下を倦むでもなく、急くでもなく駄々通り過ぎる。それは悪も善も綯い交ぜで、その光景について強いて言うならばそれは、誰のせいでもなく、誰のモノでもなく、誰のためでもない。誰の興味も引かない、言わばただの『ゴミ』だ。

 私の浜銀銀行口座はもう何年も前に凍結されて手出しできないが、まあ多分、数千円しか残高もないので私だって痛くも痒くもないが、そういう口座の事を銀行業界では『ゴミ』と呼ぶらしいが、この人権問題も、神様業界では『ゴミ』と呼ばれているに違いない。最近はゼロエミッションだの、SDG’sだのと、環境の問題がやたらと声高に取りざたされるが、より深刻なゴミ問題があるとしたら、むしろこっちのほうだ。それを私はいきなりホイと渡されたのとだから、正直、迷惑以外の何物でもない。

 私はポケットの中でメモを揉み揉みしながら、そのうち読めなくならないかなぁ、そしたらこの弁当の空箱と一緒にコンビニのゴミ箱にダンプして、あ、しまった、捨てちゃった、と白々しい芝居をすれば幾らか罪の意識も薄まるだろうなどと考え始めていた。

 だいいち、これが本人のメモかどうかわからないじゃないか。

 でも何十年も本人以外誰も入っていないという実家のひきこもり部屋から出てきたこのメモを他人の書いたとするにはあまりにも無理があるようだし、それこそ筆跡鑑定なんてやられたら、これを本人が書いたという事を疑うせっかくの余地も壊滅する。

 シュレディンガーの猫……。私の悪人はもう決まってるのにそれが保留の状態で止まっている。

 そして私はやはり試されている。

 私は果たして、善人なんだろうか、悪人なんだろうか……。

 午後までにまだ30分ほどあったので、私は自分がこのメモと弁当箱を果たしてコンビニのゴミ箱に捨てるのか捨てないのかを見てみる事にした。コンビニには若いサラリーマンが数人レジの順番を待っていた。私は当然、自分がそのままゴミ箱に向かうのかと思いきやなぜか店に入った。しかしこれには驚かない。これは私がたまに発動する『良心の呵責』で、エレベータのボタンを押す時、手をグにして中指で突っつくように素早く押したり、電車やバスのつり革を出来るだけ小さくく掴むのと同じで、私は不潔です。でも触ってスミマセンという『良心の呵責』。これだろう。何も買わないでただ捨てる事への配慮としてのフェイク行為だとしたら、私はやはり捨てる気でいるらしい。 

 

 次に雑誌コーナーで立ち止まった。そしてあろうことか私は空の弁当箱を持ったまま本を取ろうとした。タルタルソースが付着したら、その本を買わなければならないだろ。と訝しく見ていると、

 それなら買わされてもいい本を触ろう。ってなんだお前、それでも触るかよ! とこれには少し驚いた。全ての商品についてただの便利屋で専門店ではないという、コンビニに対する侮蔑が垣間見えた。もしこれが本屋だったら絶対にやらないだろう。私はバイク雑誌を手に取り、邪魔だから買う前にまずゴミを捨てようとして慌てて立ち止まった。このまま店を出ると、その瞬間に万引きが成立してしまう事に気付いたからだ。

 アブねぇ! と冷や汗をかいている。自分がこんな些細な犯罪にすらこんなにも潔癖症であるとは知らなかった。これには驚いた。こうして未確認な己の出自が次々と明らかになる中、このメモを書いた人がもし私の様なら、突然『死刑』なんて言う、ド不潔で巨大な悪の毒壺に突き落とされ、グイグイと首を推し沈められてやがて窒息死したのかと思うと少し気の毒になった。

 私は空の弁当箱とメモを持ったまま列に並び、持ったまま会計を済ませた。袋は? とも、ゴミ預かりましょうか?とも訊かれなかった。

 買いはしたが私にバイクを買う予定もお金も覚悟もなく、もはやそんなに欲しくもなかった。私が欲しいのは、無限の愛だけ。

 そう、無限の愛……。

 無限の愛はすべてを救うのだと信じている。それはどんな人にもその一端が必ず向けられていて、それに縋る事に対して、誰も警戒も躊躇も遠慮もすべきではないと考えている。限りある命に感謝する事は間違っている。命は時に残酷だ。苦しむために、バカにされるためだけに生まれてきたような命は、実際にたくさんいるじゃないか。

 コンビニを出ようとした時、同僚2人と鉢合わせた。

「お前、事業ゴミをコンビニのゴミ箱に捨てるなよ。文句出ちゃうからさ。そうしたら次から他のコンビニでも捨てられなくなるだろ」

 このバカなパラドックスに私は一切反応する必要はない。ただ……、

 街路樹やキラキラと光る車やバイクが私に優しくも冷たくもないのは、ひょっとしてこれこそが無限の愛だからかもしれないと思った。私の頭の中では、いつか死んだ、或いは、いつか死ぬ。という遠い記憶が常にガラガラと鈴の様に鳴り響いていて、私はその都度何かを考えているようでいて実際はその音を聴いているだけなのかもしれないし、それだけが正しいのかもしれないし、それしかできないのかもしれない。だからこの人も決して気の毒な人ではない。

 生きる事そのものにもともと特別な意味はなく、ただ無限の愛を感受するため金魚掬いのポイの様に渡されて、金魚を狙ったぞ!掬ったぞ!というあらたかな記憶だけが立ち枯れた様な街路樹やキラキラと光る車やバイクの中に永遠に閉じ込められて、時間はその永遠以外に何も保証しない。

 そして私は勢いよく捨てた。    


  第88章『縛られ日記』

 これ、日記でいいんですよね?

私が何をやるとか、やらないとか、そんな事ぐらいで、いいんですよね?ホントに。

 えっと……、じゃあ、始めます。

 あの大きな分岐点からあなたにはどれぐらいの時間が経っているのか私には知る由もありませんが、私は今、自分がほどなく、事象の中に融解してしまおうとしているのを、必死に食い止めようとしている状態なのです。

 あぁ、そうですよ。これは日記ですからね。パーソナルな。だから誰が見てもわかる様な事を書いたりしませんからね。あなたがここで、私に面と向かって座っていると仮定して、そしてあなたがあらかた私の事情を知っていると仮定して、それでも絶対にあなたにはわからないような出来事について、今から書くつもりですよ。

             *

 君は僕が今どれぐらい『努力』をしあぐねているかわかるまい。

毎日、君は飯を食ったりトイレに行ったりして、それ相応の時間を過ごしている事だろう。そして、それに付随した様々な行動を組み合わせて、さも上手くいってる、心と身体のバランスが良く取れていると、無意識な充実感に満たされているに違いない。でもそれは決して当たり前の事ではない。まったく考えてもみないのか? 自分が転びそうになった時、小さな何者かが、自分の足の裏で、うんと踏ん張ってそうならないようにさせたり、運転中に眠くて仕方がなくなった時に、わざとエロティックな想像をさせて眠らせないようにさせたりと。そいつの目的はなんだ?そいつの正体はなんなんだ? とは。

 

 私は自分が1人ごちた気付き、いるはずもない誰かの目を気にして、夜中の2時にきょろきょろと部屋の中を見回した。

それもこれも、昨日の何気ない質問が影響しているに間違いない。

 どうだい?もしも、もしね。この店に、もう1人アルバイト君が入るとしたら、君はどんな子がいい?

 私はそれとなく、『今の子』に訊いてみました。すると彼は、

 そうですねえ……、僕は正直、あまり人と会話するのが得意じゃないから、もしもう一人はいるなら、そういうの得意な子がいいですね。そうしたら、接客は全部その子に任せちゃいます。それで、僕は淡々と商品整理と金魚の水槽を掃除して過ごします。

 ははは、なるほどね。

 私は後ろ手に縛られています。あとはその、新しく入るアルバイト君を、どう構築するか。その子がもし、かつての『昔の子』であれば、私のこんな姿に、どうしたんですか?! と驚きの声を上げて私の手を縛っているロープを解いてくれるに違いありません。私達は、これまでも、これからもずっと仲良くやってきたし、やっていくはずですから。

 じつはね、君と一緒に、もう1人アルバイト君が、いた事はいたんだよ。 私は『今の子』にそう言いました。彼は、へぇ、と少し驚いた様子を見せました。私は、

 私達の記憶はさ、とても曖昧な物で、なんの証明にも証拠にもならないよね。ただ、個人的に、そういう印象を持った、という事に過ぎない。それがいくら具体的な記憶でもね。確かに見たんだ、確かに聞いたんだ、確かに触れたんだ、と幾ら声高に叫んでみても、誰もピンとこない。大概の幽霊や宇宙人がそれさ。

 ん~~~。

 じつはいたんだよ。もう1人、アルバイト君が。私は自らを落ち着かせるために、出来るだけ穏やかにそう言いました。

 それは、『昔の子』と言ってね。君と2人でこの店に来て、2人同時に働き始めたんだ。

ん、ん、ん、ん、ん。

 え?なぜ?いいんですよね、日記で、これは日記ですから。

 こういう形であなたがいつも中途半端に終わらせるから、人間はずっと一人の中に閉じこもって、出会いとか別れとか、生きるとか死ぬとか、そういうモノを、絶対に逃れられない事だと諦めてしまうのです。あなたがそうまでして必死に守ろうとしているそれは一体、何なのですか?

 私は続けます。

 その『昔の子』は、戦時中に、自分は餓死してしまったと、そう言ったんだよ。君は戦争の後に生まれたけど、彼は不幸な事に、戦争中の子供として生を受けてしまった。彼は小さな体で必死に生きようとしたけど、結局子供として死んだ。でも彼はその自分の記憶を、曖昧なモノとして、つまりちゃんとした形で理解しようとしていた。それが出来る場所を探しているうちに、同じ様な場所を彷徨っていた君と出会ったんだろうと、私は想像している。

 私が事象の中に融解してしまう事に必死に抵抗しているのは何も自分をこの世界に自分の記憶媒体として生き永らえさせたいためじゃない。この世界はウソじゃないけど、唯一の本当というわけでもないんだよ。じゃあ君は、記憶を捏造できると、本当に思うかい?

 材料も何もないところで、何か料理が作れると本気でそう思うのかい?

『昔の子』は、もういいんですよね。もう、ああすればよかった、こうすればよかったって考えなくてもすむようになったんですよね。俺達、そう言ってどこかの世界に向かっていった。そこに辿り着いたのか、まだ彷徨っているのか……。

 いや、残酷な事だが、彼に彷徨う事は許されないんだよ。『昔の子』と、私が彼を呼び続ける限りそれは不可能なんだ。それは誰も同じ、我々は、必ず固定されて彷徨う事はない。男、女、その他にも、我々は自分を離れて何かと何かの間を彷徨う事は許されないんだよ。トランスジェンダーの苦しみは、なにも社会的な弱者だからとか少数派だからとか、様々な権利の取得が困難だという事だけじゃない。我々はみな、彷徨えない事を苦しんでいる。それは同じ、おなじなんだ。

 だから理解できるはずなんだ。いや、もう理解しているはずなんだよ。それを出来なくしているのはこの固定。時間や空間の、せっかく持ち合わせた曖昧さを断固拒否しようとする何者かによる悪辣な固定。

あなたがそうまでして必死に守ろうとしているそれは一体……。

           

 なぜか、私の日記はここで終わってしまっているんですよ。


       第87章『冬至』

 風呂の時間が少しずつ長くなっている。それにつれて鼻まで湯に沈めて息を止めている時間も長くなっている。私は昔からそうして時間を正確に測ろうとする癖があります。きっと私の時間の単位はではなくて、この『息苦しさ』なのでしょう。

 私のせいで『昔の子』は消えました。それはどう考えても私のせいなのです。彼は私に、「もういいんですよね。もう、ああすればよかった、こうすればよかったって考えなくてもすむようになったんですよね。俺達」と言いました。彼のこの言葉は幾様にも解釈でき、謎も多いのですが私は一番単純に、彼がたくさんの可能性の中から自分の好きな一つを選ぶことを選んだ、と解釈しているのです。しかしそれはめちゃくちゃ難しい事で、今まで自発的に出来た人間は恐らく一人もいないでしょう。私はやめろと言うべきだったかもしれない。彼のためにも、私のためにも……。

 そんな難しい事、私に訊いたってわかるわけないじゃないか。私の店はもうない。道祖神も36歳の金魚2匹も消え、そして私はまた、いつか玄関の隅に不思議な抜け穴をみつけた時と同じ様にただの運転手として立ち止まったままでいる。あの時、私は消えてしまおうとしていたんだっけ……。ふと見ると、店のあった空き地には枯れ草がふわふわと地球の産毛の様に往生際悪く揺れている。産毛なんて、お前はもう、いないんだよ。そしていつの間にか訪れた冬が、私に彼と同じ選択を強いている。仕方がない、しばし、目を移そう……。

                   *

 一般に『夢を見る』というと、寝ている間の脳の活動により生じた反射作用を覚醒時の事象に当てはめ時系列に表現したモノをさすのだが、私とある一部の若者は、自分の将来やその可能性をさしていうようです。いえ、私は別に自分が若者と同じイキイキとした感性をこの年まで保持し続けていると自慢しているわけじゃないのです。それはむしろ逆で、若者の中にある薄気味悪い未発達な能力が、私にもまだ未発達なまま残っていてそれが日々事ある毎に往生際悪くイタズラをしてくる事を愚痴っているのです。

 私は未だに自分の現実と妄想をうまく分別できません。だって、妄想は常に自分の中にあるにもかかわらず、現実はそれを一切認めようとせず、もし披歴しようものなら俄然、手のひらを返したように我が物顔でその理念や創造に口やかましくリンクしてきやがるし、ではと口を開いてなにか発言しようものなら、今度はいきなりヘラヘラと腰を折って、自信なさそうにしてその妄想に場所を譲るのです。

 わかります? 簡単に言えば、「腹減った!」といえば現実はその方向に動くのです

 おかげで私は、自由気ままに、どんなバカバカしい妄想にもそれと気付かず突進してしまう事になるのです。それが楽しいか、理想的かというと決してそんな事はなく、実際は冷や冷やの連続で、明日にも何か重大なミスを犯して家族を路頭に迷わせるかもしれないという恐怖と戦い続けなければならなくなるのです。これは恐らく、若者のそれとは正反対の、未発達ゆえに動けなくなっている、恐らくは誰よりも老衰した姿と言えるんじゃないかと思うのです。

 目を戻します。

 私はもう一度、『昔の子』を探し出して、一瞬であの店を復活させようと目論んでいるのかもしれませんよ。かも知れない、と含みを持たすのは、私がまだ、昔の子と同じ選択を出来切れていない証拠です。

 私は自分の時間など1秒もありません。しかし時間は必要ありません。ただ私が彼に対して心の真正面から一言、『昔の子』と呼べばそれでいいはずなのです。それが唯一私が私の中の薄気味悪い未発達な部分を有効に使える方法だと思うのです。そしてどこかにいるはずの、迷いなく何かに取り組んでいるはずの昔の子を、またうちの店で『昔の子』として働かせるために引っ張り戻す、そのために私はありとあらゆる工夫と努力をしようと思っているのです。

もういいんですよね。もう、ああすればよかった、こうすればよかったって考えなくてもすむようになったんですよね。俺達」と、『昔の子』は言ったのですから、私もそれと同じ事を言わなければなりません。ただし、全く別の言葉で。

 暗くなる目の前を救命ボートが通り過ぎたのは一個の『柚子』でした。湯船に浮かんだ柚子の淡い黄色が私の様子を伺いに来たようでした。

 今日は冬至でした。もう少しでクリスマス、そして正月。なんとも、これの何処が現実だと言えるのでしょう。私はこの混沌をうまく利用して、自分の現実と妄想を、サッと入れ替えて、またいつか、誰も思いもよらない様な別の方法できっと、『昔の子』を見つけ出し、36歳の金魚2匹の住む水槽を掃除する『今の子』を呼び戻したいと思っているのです。

 立ち上がると少し眩暈がしました。こんな事をしているといつか本当に、妄想の中に落ち込んで出られなくなってしまうかも知れませんね。

 もうしばらく、判り難いです。ザラザラします。私だって頑張って手探っていますから、ぜひしばし、ご辛抱を。

『いきてるきがする。』《第14部・秋》



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第86章『焚火の燃料』

 大きめの制服がなんとも可愛いね。この同じズボンが今はもうつんつるてんなんだから、ホントに背が伸びたね。お前は大きくなったって全然変わらない、賢くて可愛いよ

 もし母親というのなら、きっとこういう気持ちを言っただろうな……。写真を火にくべながら俺は独り言ちる。玄関先に吹き集まった街路樹の枯葉を疎ましく思い、木枯しに目も痛くかなりいらだっていた俺はいっそ集めて庭で火を点けてやれと、やってみるとこれが邪悪な程よく燃えた。近所から苦情が来るに違いないが、逆にそれまでのタイムリミットが俺を無邪気に急き立て、過去の写真を全て燃やしてしまうというアイディアを思いつかせた。

 勝手な想像し続けるのももう疲れた。だって、想像の世界にはウソも本当もないんだから。これは本当に疲れるぞ。もう辞めたい。でも俺はもう想像の中でしか生きられれない。『今の子』『昔の子』も最近は何処にいるのかわからない。目の前の枯葉だって、きっと俺を騙しているに違いない。俺が枯葉を燃やしているなんてウソ、俺は妙な衝動に駆られ、枯葉を燃やさせられ、そのうちこの炎に飲み込まれて近所の家ごと焼失されてしまう。ただその事を俺は知らないだけだ。俺はきっとそんな判断をしたんだろう。ドバっと更にくべると、火はますます強く燃える。

 お前らには関係ないかもしれないが、この写真は俺の大切な思い出なんだぞ。俺が俺として生きてきた、その残酷な証明写真なんだぞ。

 自分には子はいない。妻も。家族も。

 親はいたけどもう死んだ。それにあれは一つ上のカテゴリーだ。俺を子供と位置づける別の家族。あんなモノ、俺は自分の家族とは認めない。 突然水槽に放り込まれた虫の様に、俺はあの家族に突然放り込まれ、他の家族にはない甲羅や羽根や触覚をじたばたとさせていただけだ。魚たちが悠々と当たり前のように泳いでいるのが見えた。そうだ、そうだよ、これが家庭だよ。家族だよ。そして俺は……。

 何より残酷だったのは、その魚の誰一人、俺を食べようともしなかった事だ。その理由は、不味そう。ただその一言に尽きる。

 そしてあの夫婦が死んだ時、俺の夢はふと覚めた。

 俺はいつも1人ではなかったし、病気の時は病院に連れて行ってもらい、運動会も、修学旅行も、高校も、大学まで行かせてもらった。そのすべてはあの夫婦の計らいだ。あの夫婦のせいではない事は何もない。そんな事、俺だって重々承知している。でも、まさか、煮ても焼いても食えないような虫が、突然茶碗に落ちて来るなんて、気の毒な夫婦だ事。

 だから俺は今、その罪滅ぼしに、自分の子供の頃の写真に向かってこんなみっともない事を言っているんだと思う。

 人間はね。誰かに可愛がられなければ誰も可愛がれないんだよ。そういうルールなんだよ。システムなんだ。開けっ放した玄関から、飼い猫がこっちを覗いている。おい!こんな寒い日に外に逃げだしたりしたら、きっと後悔するぞ。お前はいつも外ばかり見てニャーニャーと恨み言を吐くが、外だってお前が考えるほどいい場所じゃないかもしれないぜ。それが証拠にこの俺だ。突然放り込まれた家族でも、放り出された瞬間、写真以外のアイデンティティーをすべて見失ったのだから。

                  *

  ある科学者がこんな実験をしたらしい。 

 人間は、ひとりでに笑うのか。

 1人の赤ん坊に対し、接する大人は決して笑顔を見せない。つまり笑顔を教えないのだ。それでも赤ん坊はひとりでに笑うのか。

 実験の結果、赤ん坊はひとりでに笑ったらしい。

 この実験からわかる事が2つある。1つは、笑顔は習うモノではなく元から備わっていたという事。

 そしてもう1つは、神はいない、という事だ。

 人間は少しも尊くない、いる価値もない存在だと、この実験が証明してしまったのだ。

 笑顔は神の手から離れ、一片のパンと一緒に1人1人に配られた。

「どうも『猿も笑う』って話を聞いた時から、私も怪しいと思ってたんですよ」その話をすると、隣で飲んでいた浅黒い男も賛同してくれた。

この男はのちに行方不明になるのだが、その事をこの時はまだ知らない。そして、

「神様がいりゃそんでよかったのに……。得のないモノを価値のないモノとする、悪い癖ですよね」とも言った。飲んべえが偉そうな事を言う、そう思ったが確かに、この男が自分に得があっても価値のない酒を飲んでいる事は間違いなかった。

 満面の笑みを浮かべて母親と思しき若い女に抱かれた俺と思しき赤ん坊の写真が縁から焦げて丸まってやがて浮遊した時、

 ちょっと、何やってんのよ! と声がした。振り向くとネコを抱えた妻が立っており、ちょっとやめてよ、近所から苦情が出るじゃない! と窘めた。

 思わぬところからまず苦情が出た。近所から苦情が出るという苦情が出たのだ。近所から苦情が出るまでのタイムリミットを迎える前にタイムリミットが来た。私の頭は昏倒し、慌てて火を消した。なんて事をしてしまったんだ!

 燃えた写真は1/3ほどで2/3は救われた。神がしっかりと私の思い出を守った、そうに違いない。

 私には少しも価値がなくても、偉くなくても、私の思い出には相当な価値がある。それは親の思い出でもあって、家族兄妹の思い出でもある。

赤の他人でない以上、得がないから価値もない、という事はあり得ない。

なに燃やしてたの? と妻に訊かれ、あぁ、枯葉枯葉。と言った時、私はこれまでにない程の大きな感謝の意を街路樹たちに示したことになった。

   

85章『大きめの赤いチカチカ』

 この店をデザインしたトートバッグをなぜかいたく気に入った様で、

息子はそれに勉強道具を入れて毎週、火曜、木曜、土曜と自転車で塾へ向かうのですが、私はその後ろの籠に、ちょっと大きめの明るい赤いチカチカを付けました。息子は一言、カッコ悪ぃ~! と言いました。

 そりゃそうかも知れないですが、でもやはり町にはどこにどんな鬼畜な輩が潜んでいるかはわかりませんし、だいいち、夜暗くなると車からも見えにくくなってとても危険です。昨日も17号で轢死した猫の親子を目撃しました。おそらくは親子。同じ白とキジトラの大きなのと小さいのがもうね、ただの肉と化して鴉に啄まれていたんです。ネコでよかった、なんて私は少しも思いませんよ。たまたまネコだった、ただそれだけの事です。予感なんてあろうはずがありません。そうして私の賢明ではない頭はまた、誰も望まない、ありもしない不躾な枝分かれを目の前に示してくるんです。どうです? これはどういう事です? なんてね。全く、意地が悪いんだか親切のつもりなんだか……。そして徐々に浮かんでくるその最悪のシナリオが毎度毎度私を脅し、ジッとさせてくれないのです。

              *

 練馬区に住んでいた10年ほど前、私は時々妻と息子と近所の風呂屋に行ったのですが、その日も丁度今日の様な気候でしたか、外に出ると少し肌寒かったので、私は湯冷めをさせないようにと息子にパーカーを着せようとしたのです。しかし風呂上がりでまだ身体が暖かかった息子はそれを嫌がり、私の手を振り払って走り出したのです。ほら危ないよ! 止まんなさい!そう言ったのですが息子はすぐそばの角を曲がってそのまま行方不明になったのです。

 時間にして10分……、いや5分? そんなモンだったと思いますが、

 私はその瞬間、全世界の全モラルと常識を疑いました。というか見失いました。そして、

 聞いてる?神様、もし、もしね、万が一にもね、息子がこの僅かな間に鬼畜な野郎に連れ去られ、面白半分に殺されて、どこかの川に捨てられて変わり果てた姿で見つかったりしたら、俺は犯人じゃない。

 アンタをぶっ殺すよ。

 裏口からゴミを出しに来た、風呂屋の向かいのイタリア料理屋の主人まで、私はきっとそんな顔で見たのでしょう。怪訝そうに店に入っていかれました。私にはもう、神様もイタリア料理屋の主人も何も変わらなくなっていたのです。だからいつもサラサラと心地いい音を鳴らして揺れてくれる、神社の欅の巨木さえももう、月か何かの影でしかありませんでした。

 そして1秒が、10年……、30年……、50年と延長していったのです。

 いつしか私の背中は曲がり、クタクタに年を取った妻はもう座椅子から離れません。2人とも今朝食べたモノも忘れて、シンクにはただその痕跡を残す食器だけが細く水を垂らされて重なっています。

 季節外れに実を付けたトマトを摘むため庭に出ようと、私が2階のリビングから庭に降りようとした時、その時は突然訪れました。私がずっと否定し続けていた、そして神様がずっと私に押し付けようとしていた事実がいよいよ完全に崩壊したのです。階段を踏み外した私は転げ落ち、あっけなく命を終わらせたのです。

 こんな死に方って、あるかよ……。

 いいえ。私はその時をずっと待っていたのです。私がこれまでずっと生きてきたのは、あの時、行方不明になった息子を待っていた、ただそれだけなのです。警察から何度か遺体の確認を依頼されましたがすべて無視しました。当たり前です。なぜって、じゃああなたならどうします? いきなり警察から「息子さんと思われる遺体が発見されたので確認をお願いします」なんて電話が掛かってきたら。

「え?息子は今、目の前でゲームやってますけど……。」そう答えるでしょ? それは私の耳に息子が興じるゲームの音が聞こえている限り間違いのない事なのですから。

 妻にも絶対に応じるなと厳命しました。妻は私に従ってくれました。

 いいかい。私達にとって必要なのは神なんかじゃない。息子だ。息子がいる世界だけをずっと生きていく事が私達に必要な事なんだよ。その努力するのに何をためらう理由がある? 私は息子の帰りをほんの5分、いや数十秒待っている、ただそれだけだ。その他には何もない。

 私はもう90歳を超えていました。我ながらよく生きたなぁと思います。

 全然、神様を殺してないじゃないかと、そう思われた方も多いかと思います。でも私は確かに、神をぶっ殺したのです。

 只今ぁ、と、息子が帰ってきました。

 ほらごらん! そして私はそんな息子の声を聞きながら、あぁ、私の勝ちだ。私は決して諦めなかった。だからこうして、たかが50年の時を過ごしただけでまた、あの時、風呂屋の角に消えた息子に会うことが出来た。

 そう思ったのです。

 江古田祭場脇の薄暗い道を泣きながら歩いている息子を先に見つけたのは妻の方した。息子の手先はすっかり冷たくなっていて、私は、「ほら、やっぱりパーカー着なきゃ寒かっただろ?」そう言って着せようとすると、今度は息子も素直に応じてくれました。

 なあ、お前は一体、何が出来たというんだ? 結局お前は私の中に寄生した寄生虫に過ぎないじゃないか。それが証拠に、私が死んだあと、お前は私に何が出来た?

お前は私をジッと見ていたようだが私はお前など始めから見もしていない。

私が見ていたのは私が必要とするモノ・人・事。それだけだ。

 こんな死に方って、あるかよ……。

あぁ、予感はないよ。始めから予感なんて、どこにも何もないんだよ。だから気をつけなければいけないんだよ。余計な考えにありもしない横槍を刺されないためにもね。

 赤いチカチカは昼までも点けた方がいいぞ。と私は息子に言ったのですが、

息子は忘れたフリをして、いつも点けずに帰ってきます。


第84章『最後の最後』

  僕がどんなに脅したって、挑発的な口調で罵ってみせたってソイツは、

 まあ、そう怒るなよ。だいいち怖いじゃないか。僕は君のそういうところがいいところでもあって悪いところでもあるのはわかるけど、でも私にはとてもとても、君の魅力も欠点もみつけられないよ。そんな頼りのないこんな老人を、君はもう必要としていないだろ?

なんて言われて全く拍子抜け……。

ホントにコイツがあの『皇極法師』なのか??

ホントにコイツがあの、時間と命を牛耳る主なのか??

 振り上げた拳を振り下ろす直前に、俺が少し迷ったのは確かです。

               *

まるで精度を欠いた時計の様に、私たちはいつも少し遅れて、毎日おっかなびっくりと過ぎた時間ばかりを相手に生きてしまっています。要らない事だと本当は知りながら、あぁ、遅れた!あぁ、間に合わなかった! なんて、あたかも予期できた未来に抗い切れなかった事を後悔しているかのように考えて、せっかくの『今』をそんなどうでもいい事のために費やしてしまっているのです。もうやめませんか? 私の事も、どうか忘れてください。私はあなたにとってなんの役にも立たないアカの他人です。それでいいんです。僕もあなた同様、そうなりたい。でもこれだけは確かです。

 何がどうなって事態がどう転ぼうとも……、

 私は最後の最後に、必ずあなたを幸せにします。

 セミナーで観た時のアイツは確かに精悍だった。老人の皮を被った若者だった。発想は鋭く、舌鋒はもっと鋭く、眼差しはさらに鋭かった。

「でも焼き鳥屋でバイトなんかしてたって、夢も家族も財産も持てませんよ先生!」

 私のこの発言で会場全体が静まり返りました。そこにいた恐らく数百人の聴衆と、ネット越しの、おそらくは何万・何十万の視聴者も、ジッとして動けなくなったった事でしょう。

 私が今こうして英雄でいられるは、たったこの一言のおかげなのです。老人はそっとマイクを構えて言いました。

 あなたは、あなたの人種を、そして今喋っている言葉を、どうして学びましたか? あなたはそもそも、そんな自分のアイデンティティーに満足してますか? そして今その言葉を喋っているのは、その言葉で考えているのは、本当にあなたですか? あなたが世の中に対して抱いている不満や不安はとりもなおさず、そんな不満足で不安定な自分に対してのモノじゃないのですか?って、誰かもあなたとまったく同じように考えていると考えた事はありますか?

 もちろんすぐに拍手が起きましたよ。割れんばかりの。会場の壁も床も、グラグラ揺らすほどの拍手が。数百人対1人。でも私は全然負けていません。私は知っていたのです。私1人に、この冗談のように高価格な羽毛布団のセットを買わせるため、ただそれだけのために、この目の前の男は、数十万人を動かしているのだと。これが商売のためであるはずがありません。だからこの目の前の男はハッキリと、私を殺そうとしていたのです。

 しかしそうなると私だって面白くないわけがない。これで私が見事、この超高級羽毛布団セットを購入すると、果たしてどういう結果を引き起こす事になるのか。私はわかっています。郊外なら中古の一戸建てが楽に買えるほどのこの超高級羽毛布団セットにそれに見合うだけの寝心地が、

 6畳1K、西武池袋線練馬駅から徒歩45分の、私の他は不法滞在の外国人で、毎晩2時3時まで訳の分からない言葉の歌で埋め尽くされてろくに眠れない、警察に通報してやること数十回、アパートの前で襲われる事数回、その仕返しに奴ら全員の部屋のドアノブを破壊して入れなくしてやったら、更にその仕返しに原付を燃やされた、そんな無法地帯の安アパートで得られるはずがありません。私はついでに、その不満まで、この超高級羽毛布団セットにぶつけてやろうと本気で、強盗してでも金を工面してこれを買おうとしていたのです。

 だってお前、万能なんだろ? やれよ、やってみろよ。

 だから私は全くひるみませんでした。寧ろ会場のあちこちで私を振り向く数百人のさくらの白い顔が、まるでチラチラと蛍の様に綺麗だとさえ感じられたぐらいです。

 一対一でやりましょうや!先生!

 私はさらにそう言いましたが、それには笑いが起きました。

お前が? 同じ舞台で、先生と? 演説合戦??

 このバカな輩は『サルカニ合戦』という話を知らないのか?

 お前は、サルだ。先生は、カニだ。お前は先生には永遠に勝てない。

 もう絵本は閉じましょうや! 先生!

               *

 と、お前はその時そう言ったんだな? 私が自分が釈放されるのはもう始めからわかっていましたから、警察の取り調べで何を訊かれてもただ素直に頷けばよかったのです。果たして私は釈放されました。

『日本統治時代は良かったと言った老人が殴り殺される』

 『愛国の烈士』として賛美する声も。そんな記事も出ていましたが違う違う!そんな理由じゃない!僕はそんな理由で人は殺さない!

 私は社会に追い詰められ、その弱みに付け込まれ騙されて、高額な羽毛布団セットを買わされた可哀想な若者として、世の中からな絶大な支持と同情を集めたのです。そうなるともう法律などなんの力もありません。

 そしてそのおかげで、私はある会社に就職することが出来ました。借金はその会社の社長が肩代わりしてくれたのです。羽毛布団はまだ使ってますよ。調べたら、いいとこ一万円程度の布団らしいです。でも寝心地は悪くないですよ。

ただ一つ、私が気になっていたのはあの男が言った一言。

 何がどうなって事態がどう転ぼうとも……、

 私は最後の最後に、必ずあなたを幸せにします。

 さすが『皇極法師』。あ、方々いろいろ、

ちょっとずつ記憶を借りました。

じゃあお先に失礼します。

『いきてるきがする。』《第13部・夏》



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第83章『黒猫のタンゴ』

 店に入るなり『昔の子』「今にも降ってきそうですよ」と言いました。

 私は急いで窓辺にディスプレイしてあったTシャツ数枚とタオル数枚を取り入れた時、『昔の子』が妻が焼いたパンをテーブルに置くと、「また、あの子がいましたよ」と言いました。

 あぁ、またいたんだね。私はそう答えました。『昔の子』によるとその子はもう3日も、店のそばの公園にある、小さな祠の前に立っているというのです。

「幽霊じゃないかと思うんですよね。いい加減……」真面目な『昔の子』が真剣な顔でそんな事を言うモノだから、私も何だかもうそれでもいい気がしてきたのですが……、

いや、違うんだよ、向こうは向こうで……。

               *

 その日、私は近所に住む3つ年下の少年と黒猫を探し回っていました。それは祖母のお気に入りの歌で、祖母が大好きだった私はどうしてもその黒猫を捕まえて祖母に見せてやりたかったのです。

「ほら、ばあちゃん。これがその『タンゴ』だよ」

 私と少年はまずは釣りにいき、釣れた魚をエサにして、隣家の隙間や縁の下を覗き込み『黒猫のタンゴ』を捕まえようと探し回っていたのです。

 『タンゴ』を私は、音楽のタンゴではなくて、私の郷里の京都府京丹後市『丹後』だと勘違いしていたのです。だから『黒猫のタンゴ』は世界中のどこでもない、必ずここ『丹後』にいるはずだと、なぜか固くそう信じて疑わなかったのです。果たして私のこの小さな勘違いは、これはこれまで誰も成し遂げられなかった世界的にも珍しく、重要、且つ誉れ高い偉業で、それをまして私の様な小学生が達成したとあれば世界は驚き、その勇気と行動力に称賛の拍手は鳴りやまず、私は子供にして十分に大人の世界に認められる存在になるだろうと、なぜかそこまで、私の中でこの事は、拡大・膨張してしまったのです。

 タンゴ~、タンゴ~、という口の中がすぐにカラカラに乾いてきました。9月の日差しはまたまだ強く、帽子のこめかみから汗が幾筋も流れました。

やっと見つけても黒猫は少し距離を置き、我々を振り返りつつまたどこかに見えなくなりました。

 そうこうするうちに、困った事が起きました。年下の少年がタンゴを探す事に飽きてしまったのです。「何か他の事やって遊ぼうよ。もう足、疲れた」と言い出したのです。確かに、それならば1人で探せばいいと、そう思うかも知れませんが、私のどこかには先の勘違いと同様に、これを1人でやる事の異常性をはっきり自覚する何かがあったようです。私は少年を宥めながら、「もういっぺん、釣りに行こう。この魚、なんか変な匂いしてきたから、きっともう腐ってる。これじゃあタンゴもよりつかへんから、せやさかい、もういっぺん釣りに行こう!な!」少年は渋々ついてきた様子でした。

 自転車で15分ほどの、護岸工事によって不自然に深くなった橋脚のそばがよく釣れました。私は足を開き橋脚と護岸の間をまたぐように釣っていたのですが、どうやら少年はそれが面白くないようでした。自分にはそれが出来ない。ただ見てるだけじゃあつまらないよ……。

 ほな、やってみ! 私はそう言って少年に竿を渡しました。でも本当はこう思っていたのです。出来るはずがない。私でもギリギリなのに、私よりも身体が小さいこの子に跨げるはずがない。少年はひょいと跨ぎましたが、やはりそれまででした。一旦跨ぐとそれからはもう、少年は行きも戻りも出来なくなったのです。

 ちょ、ちょっと、ユウちゃん、助けて、な、引っ張って、釣り竿引っ張って! しかし私は笑いながら、なぜかその少年をほったらかして家に帰ってしまったのです。『黒猫のタンゴ』など、もうどうでもよくなっていました。始めから私はタンゴなんていもしない猫を探すという事を口実にその少年を呼び出しては、結局こうして上手くはめて置き去りにして帰ることが目的であったかのように、そしてそれが徹頭徹尾うまくいったように、軽やかな気分でした。

 その夜、少年が帰って来ないと近所じゅうが大騒ぎになりました。そして、「確かひるまに、ユウちゃんと一緒にあそんでたよね?」と、その母親に言われたのです。私は、知らない、と言いましたが、そのオバサンはいつもの様に優しく遠慮はしませんでした。

 アンタ!ウソを言いな!ホンマの事教えて! アキラとどこ行ってたん? アキラはどこにおるん!

 私は怖くなって家の中に駆けこんでそのまま寝てしまいました。疲れていたのかすぐに眠ってしまい、その後の事は今も思い出せません。ただ、真夜中に警察官に起こされて、父親から、お前、ホンマに知らんねんな?絶対ホンマに、なんも知らんねんな?と、何度も念を押されたのを覚えています。

 だから、お前がやった事はそれと同じなんだよ。私はもしできるなら『昔の子』にもそう言ってやりたかったんです。

 いつかお前は、「もういいんですよね。もう、ああすればよかった、こうすればよかったって考えなくてもすむようになったんですよね。俺達 」 そんな事を言って、せっかく上手くいっていた私の世界から、あらゆる秩序をバラバラに壊して出て行ってしまった。そして何事もなかった様にまたうちの店で以前と同じように働いている。それが悪い事とも、無駄な事とも言わないよ。でもお前は本当に、何か足りないと感じないのか?『今の子』の事を、本当に知らないのか?

 それは訊いてもどうしようもないのは私だってわかっています。本当の意味の『切ない』とはこういう気持ちを言うに違いありません。

 私をさりげなく苦しめ続けていた記憶は、父親の3回忌の時に思わぬ形で消えました。あの日、行方不明になった少年は30年の時を経て私の父の3回忌の受付をやってくれていたのです。私は驚きませんでした。何も疑いませんでしたし、チャンスだとも思いませんでしたよ。ただその通りだと思ったのです。実際、そんなモンだと。

 私は、『昔の子』がそんな事を言ってくれれば、いいのになぁ、『今の子』の事を微塵も覚えておらず、ただ、『またあの子、いましたよ』なんて、確かに目の前にいるのに、その前後の繋がりがわからないその子に向かって、『幽霊だと思うんですよ、いい加減……』、なんて不気味がるような事を言ってくれれば助かるのになぁ、と、ただそう思っただけなのでしょう。

 意外とそのまま、現実は訪れるんです。

それを忌み嫌いさえしなければ、の話ですが……。

 

     第82章『バイバイ・フラワー』

 

 よしじゃあ、そろそろ行くわ。私がそう言うと婆さんは水筒を渡し、十分気を付けるんやで、と言いました。

 本当に世話になりました。嫌な思いもしたけど、概ね世話になりました。私はただ頭の中だけでそう唱えて、故郷と呼ぶにはあまりにも素っ気ないこの山間の里を、すこぶる生乾きの覚悟と共に後にしたのでした。

 婆さんにもらった水筒はあっという間に空になりました。これで関係はすっかり断たれたと思うとむしろスッキリしました。汗を拭って見上げると真夏の空には指先でちょっと千切った和紙をような小さく朧気な月と、それを囮に悠然と森に隠れて決して姿を見せようとしないずるい太陽がありました。私はなんとあらばその姿を炙り出してやろうと、自分もまた自分の影を囮に、今までにあった事、あればよかったのになかった事、なかった事、なければよかったのにあった事を一つ一つ短刀の様に懐に忍ばせながらいつ途切れるとも知れない駅までの砂利道を歩いています。

 夢はな、あったんやけどダメになってしもたんや。アキさんの最初の子みたいに。そりゃあ悲しかったよ。散々期待さしてこれかい?って。でもなに平気や、儂だけちゃう。世の中にはそんな残酷はナンボでも転がってるんやで。

 爺さんは言いましたが、私にはそれが本心だとは思えませんでした。どうしようもない現実に対して、言い訳を言うぐらいなら何も言わない方がいいという事に、爺さんは終ぞ気付かなかったようです。そして常に言い訳をしながら酒を飲み、タバコを吸い、ウソをつき、ウソをつかれ、人を騙し、騙されたまま、78歳で人生を終えました。墓前の花は絶え間なく揺れています。この世の中で本当の事を言っているのはこの花だけのような気がしました。

 私が生まれたのが『春』という季節だと教えてくれたのはこの爺さんです。爺さんは私にこんな事を言いました。

 こんなモン、続かへんよ……。じき夏が来る。人も動物も平気で殺す灼熱と疫病の悪魔の季節や……。

 それを聞くと私は急に息苦しくなり、息を吸っても吸っても空気が胸に入って来ないような気がしました。やがて意識を失うと針を刺され、薬を打たれ、飲まされ、塗られ、熱が下がり目が覚めると涙目のままやんわりと乳をもらい、そっと尻を拭われながら、ボンヤリと灯る提灯をジッと見つめる様な意味のない夢を毎日毎晩見るのでした。

「身体が弱すぎて下痢するばっかりで薬もよう吸収せぇへんでねぇお父さん、お母さん。医者としてももう、どうしようもないんですわ。弱い子を授かった運命やと思ってね。様子をよう診てやって、おかしなったらまた連れてきてください。」

 しかしそれが夢ではない事を知り、私は愕然としてしまいます。それまで当然自分のモノだと思っていたすべてのモノはすべてが借り物で、私は本来ここにいるモノではなく、私にはなんの役割もない事を知ったからです。

 無言でため息をつく運転席と助手席の2人を後ろの席から交互に眺めながら私はもう再スタートを切っていました。私にあなたたちに愛される価値がないというのは同じに、あなたたちに私を愛する価値はないという事です。そんな事で一々驚いたりしません。悲観もしません。たとえ宇宙VS私になってもその事には寸分も変わりない。そもそも宇宙なんて誰かが勝手に名付けたモノだ。そして私が私の便利のために借りているだけのモノだ。要らなくなったらいつでも捨ててやる。だから私はもう、重度の喘息患者でもなければ、あなたたちの子でもない。

               *

 ギシギシと首を振る扇風機と無人の売店で、1時間に2本しか来ない列車を待ってまずは缶コーヒーを一本買いました。ローカル単線の線路を跨ぐ橋の上に設けられたこの売店に初めて息子を連れてきたのは彼がまだ1歳になったばかりの頃です。ハイハイをしながら祖父母に近づく可愛らしい姿が今も鮮明によみがえります。私はそのおむつでモコモコの後ろ姿に自分の全宇宙を楽々投影することが出来たのです。

              *

 じゃあその、アキさんの最初の子が僕だというのですね。

『今の子』は言いました。さすがに勘のいい子です。私の話を総合するとそういう事になるのでしょう。でも私にはとにかく今は『今の子』を安心させる義務があったのです。

 違うよ、アキさんの最初の子は、私の本当の祖母だ。女の子だよ。

 じゃあ、僕は?

『今の子』は急に不安そうに言いました。そうです、ここが一番気を使わないといけないところです。

 君はもっとちゃんとしてるよ。アキさんの子は私の中では1ミリだって顔を出してはいないんだ。まるで知らない人だよ。君と私が出会ったのは私がこのブログを書き始めたのと同時。そりゃ、ちょっと変だなとは思ったさ、でもそんな事にいちいち誰もが納得できる理由なんかあるわけがない。私の髪がこんなに真っ黒でくるくるなのも、君の髪が少し茶色くてストレートなのも、それ以上でも以下でもない。遺伝とか人種なんてすべて後付けさ。つまり私が君と話す場合、君はいつ何時だって両親からの虐待で命を落とした少年でしかないんだよ。まあ、それも今のところ……。

 私かここまで言って言い淀んでしまいました。『昔の子』の事があったからです。あれ以来、『今の子』は得体の知れない心の空洞を必死に埋めようと頑張っているのです。『昔の子』はもうずいぶん昔に、ここを置いて他の方へ歩いて行ってしまったのです。『今の子』はその事を知らないでしょう。或いは知っていても気付かないのでしょう。ただ心の空洞として『昔の子』の事は理解している。それは私が、自分には居場所も役割もない事に今も尚、気付いていないのと同じ事だと思うのです。

 キン、キン、キン、キン、と列車が来ることを知らせる甲高い鐘の音が聞こえ始めました。さあ、いよいよ、お別れです。

 私はこれまであの老夫婦と暮らしてきた生活を完全に終了させるため、もう2度と帰る事のない故郷の働きを完全に消去してしまうため何か一つ、忘れ様のないモノをみつけておこうと辺りを見回しました。すると、

 線路の脇にオレンジ色の花がたくさん咲いているのが見えました。風にフワフワと揺らいでまるで手を振っている様に見えるのです。

 私はここで、列車に飛び込んで命を断ったのでしょうか?

それとも、そのまま、大人しく乗り込んで今もどこかで暮らしているのでしょうか?

 そんな事を考えながら私は今も、陽炎に揺らぎながら赤と肌色のツートンのディーゼル列車が近づいてくるのを待ち続けているのです。


  

       第81章『天馬と蚊』

 すべては私の力不足で、誠に申し訳ないと思っている、だってさ。

 おかしいと思ってたんだよね。年末にカレンダー配らなくなった辺りから。いくら断っても無理やり持たされたあのダッサいカレンダーを、あれ?今年は作らないんだ。って思ったその時だね。

 でもまあわかってたんだと思う。つまり俺も誤魔化してたって意味じゃあ共犯だね。知ってて知らんぷりしてたんだ。まあもう倒産したんだから、何を言っても始まらない。

あ~あ、今から何しよう……、何処に行こう、何食べよう……。

 相当鼻つまみだったってよ。どんなにイジメても全然意に解さないって。暖簾に腕押し、超絶、無神経な奴だってさ。みんな呆れてたよ

 もちろん、わかってましたよ。そうやって私から退職を言い出すのを待っていたんでしょ。だからわざと辞めなかったんです。残念ながら、この会社での時間は私にとってとても大切な時間なんですよ。ネコを拾ったのもこの仕事での事。だからどんなに不本意でも、この仕事とは運命の出会いである事に絶対相違ないんです。そうしないと、あの子を愛する家族に申し訳がない。これはそういう私の『意地』です。そしてこの虚無感・脱力感こそが私の『退職金』です。

 それで? パパはどうしたの?

 どうしたのって、歩き出したんだよ。他の仕事をみつけるために『お仕事探し屋さん』を目指してね。実践的にも精神的にもね。

 でもこのご時世。なかなかいい仕事なんて見つからなかったんじゃない? どこか紹介してくれなかったの? その会社。

 そんなに気の利く会社なら突然潰れないでしょ。まあ潰す前に、経営サイドでは資産隠しに余念がなかったみたいだけど。

 人間のそういうとこ、私、好きよ。大好き。アブラムシむしゃむしゃ食べて、お腹いっぱいになって飛んでいくテントウムシみたいで、可愛いじゃん。

 水玉模様で飛んでいけばそうだったんだけどね。飛んで行ったのは私と同僚の方だった。

 ザっと会話を繋げるとこういう事になった。雑踏は常にうるさい。耳はそれをよく知っていて、普段は聞き流しているのだが、こんなタイミングだからよーく聞き集めると、雑踏はちゃんと自分の今についての様々な意見を言ってくれている事に気付く。

 透明なエスカレーターがどんどんと地の底に向かってどんどん降りていくのを、私はあわてて一階で飛び居りのたのです。建物を出ると外はバカにしたように晴れていました。

 あぁ、気持ちがいい! 気持ちがイイって、マジ気持ち悪ぃ!

 そう叫んだ時でした。私の目の前に『天馬』が舞い降りてきたのです。今日の昼間の月は、妙にデカいなぁ、そう思って見上げた瞬間、SF映画みたいに急に辺りが暗くなったかと思うと、巨大な何かが私の目の前の地面を踏みつけたのです。私は驚きのあまり声も出せませんでした。それは実際の馬よりも10倍も大きく、蹄などマンホールほどもある、全身に湯気のような光を纏った真っ赤な雄馬でした。もちろん逃げ出そうと思ったんですが、でも少し変なのです。

  全く何の音もしないのです。それに何の臭いもしない。

 

 周りを見ると、『天馬』には気付いている人とそうでない人がいる様でした。慌てて写真を撮ろうとして、あれ?あれ?なんて、携帯を縦に向けたり横を向けたりしている人もいれば、平気で天馬の蹄の間を悠々と潜り抜ける人もいるのです。

 いま、頭の中でペガサスユニコーンを想像している人。全然違いますよ。あれは実際の馬に無理矢理羽根や角をくっ付けただけの、人間の発想力の貧しさの果てに誕生した哀れな動物ですよね。『天馬』はそうじゃありません。

 『天馬』は見た目は確かに馬なのですが、いわば過去と未来が衝突したような膨大なエネルギーの塊なんです。もうこれ以上のモノはないという、そんな形をした、空から生えた強大な突起物なのです。

 そりゃ過去未来という極大のプラス極大のマイナスが衝突するわけですから、全てが相殺されるのはわかります。だから何の音も匂いもしないのもわかります。しかし

 相殺された時間は消えるのではなく、まるで固まったようそこに留まって、私が『天馬』に気付いてカメラを構えたと思った人もまるで静止画の様に留まっていて、そして改めて、これはそれまでどういう場所でどういう時間を過ごし、何を見て、何を考えてきたのかによって、目の前に見えている様子が全然違うのではないか、と思えてえてきたのです。もしその人が長崎出身ならば、 

 長崎にしかいないはずのナガサキアゲハが飛んでたよ! なんて事を言い出すかもしれません。そしてその人は当然、私にもナガサキアゲハが見えているはずだと。

 

 だから私は恐ろしいという気持ちを最大限に抑えて、なるべく冷静に『天馬』を見極めようとしたんです。こんな事をするのは初めてです。そして、私の目の前にあるのは私にとって、本当は何なのか。それを見極めようとしたのです。そう思って見ると、初めは有難いモノに見えていた『天馬』も、どうやらそうでもないようなのです。あんなに高圧的で威張っていたのに突然頭を下げた社長の様に、『天馬』はまるで、突然この空間に迷い込んでそのバカでかい身体を無知に悶えさせているだけのバカな奴にも見えてきたのです。

 それ、何か不思議ですか?

『昔の子』はキョトンとして私に訊きます。

 だってさ、突然目の前にさ、馬の10倍の大きさの馬が舞い降りてきたらそれを馬だとは思わないでしょ普通。でも私は 馬だ! って、しかも、天馬だ! ってはっきりそう思ったんだよ。何で??

 それが当然だと思ってたから……。じゃあ俺の経験とは全く逆という事ですね。

 そうなの?

 B-29は巨大な飛行機だけど、実際には蚊ほどにしか見えないんです。空襲警報のサイレンももうJアラート同様すっかり慣れっになってて。あ、また蚊が飛んでる、って思ってたら、その蚊がいきなりポロポロとウンチをこぼしたかと思うと、目の前の山や町が大爆発を起こしたんです。

 音は?

そりゃあもう、大きいですよ!

 臭いは?

そりゃあもう、臭いですよ!

 確かにそりゃ、全く逆だね……。

  貧血と熱中症で倒れたと知りました。目の前が急に暗くなった時に。

 私はSF映画みたいに目の前が暗くなった事を、それをどうしてかと考えて、それは、ナニモノかが舞い降りたと、それは何か?それは天馬に違いない、そうやって現実を遡ってるうちに、私はいつの間にか来たのとは別の道に迷い込んで、会社は倒産して、職にあふれていたんですね。実際に『天馬』が現れたのは、私が熱中症で倒れた後の事だったんです。

 あと最後に、一番面白かったのが、倒れた私を誰も介護しなかったという事ですね。夕立が顔に当たる感触で私は意識を取り戻したんです。髪の毛から強烈なアスファルトの匂いがして、額と頬を擦り剥いていましたが、誰一人、私を介護しなかったのです。

 おかしいなぁ……、日本人はそんなに不親切じゃないはず。それとも私は、誰にも見えてなかったのかなぁ……。

まあ、いいです。大した事なくてよかった。皆様も、いよいよ夏本番、給水怠りなく。息災にお過ごしくださいませ。

  第80章『お母さんには、残念でした。』

    

 苦し紛れに微笑んだって、決して幸せにはなれないぜ!

 そんな歌詞を自信満々でのせてきたソイツの顔を、私はもう少しで殴りつけるところでした。私が煩悩と劣等感に犯されてめちゃくちゃに化膿した頭から血膿を絞り出すように楽曲を作り続けていた、そんな頃の話です。

 俺の作品を殺す気か!?

 その頃が一番、私のアメリカに対する激しい憎悪と復讐心が燃え上がっていました。アメリカごときの経済力や人種差別や体躯の差や国土面積の差や地下資源の差など、一気にひっくり返して余りある起死回生ななにかを、私は自分1人で、自分の中だけに見出そうと必死だったのです。

 「え?ダメ? ダメなの? お前のメロディーに譜割りもばっちり合ってるし、お前が拘ってたシンコぺの部分にも、『微笑んだって』の小さいツが、ぴったりはまってると思うんだけどな。苦労したんだぜ」私が極度の寝不足を押して、徒歩でスタジオまで来ているというのに、ソイツはサラッとタクシーで乗り付けてはそんな間抜けな事をいけしゃあしゃあと言い放ったのです。

 そんな理由で、あなたは彼を殺したんですか。

 私はオレンジ色の服を着て、弁護士の通訳の言葉に耳を傾けています。

 ロックはウソをつかない。ロックは平等だ。ロックは愛だ。

 何度も聞いた事があります。そんな事を本気で思い込んでいた私がバカだったのは認めます。知りませんでした。みんなほとんど掴まないんですね。電車のつり革みたいに、困った時やバランスを崩した時に、ちょっと、触る。その程度で。

 私はがっつりと捕まっていました。そしてまるでクラゲかサルみたいにフラフラ、ブラブラと揺れていたんです。今はわかります。考えてみれば当然です。人間が人間の都合で作ったモノが平等や愛であろうはずがありません。人間は結局、毒しか作れないんです。

「私は何度も『ジャップ』と呼ばれました。なんですか?『ジャップ』って」

 私はそう訊きました。その意味さえ悪くなければ一向にかまわないのです。私の事など、スティーヴでも、アンソニーでも、キムでも、ジャップでも、好きに呼べばいい。だがもし都合が悪いとすれば、それは呼ぶ側の人間の心情が理由で、その事で私が気分を害し、その者に危害を加えたとしたらそれもやはり同じ理由なのです。いったい何処に住む人間が、結婚して一生一緒にいたいたいほど大好きで信頼できる人間を『ジャップ』と呼びますか?

 つまり『ジャップ』は世界共通の悪口という事です。それは世界中の誰にとっても悪口なんです。『ジャップ』と呼ばれた瞬間に、その人間は人間ではなく『ジャップ』になるのです。

 アメリカの裁判など実際は裁判でも何でもありません。軍事裁判と同じ、始めからマイノリティー異邦人敗者だと決まっています。それを臆病な自信家どもが反逆を恐れて抑え込もうと悪だくみをした結果、こういう愚にも付かない判決が下りるのです。

 私がその酔っ払いの白人を殴ったというバドワイザーの瓶が証拠品として提出されました。そこには私の指紋が付着していたと、弁護士は言っていると通訳は言います。でも私が飲んでいたのはエビス。バドワイザーみたいなあんな水みたいなビール、死んでも飲むわけがないでしょう。

 私は懲役刑に処され、暫くの間アメリカで過ごしました。たぶん数年間だったと思いますがよく覚えていません。その間は正に筆舌に尽くしがたい屈辱の毎日でした。

 そして刑期を終えて出所した私はもう、自分の名前も年齢もわからなくなっていました。もちろん、国籍も。

 だからどうやってこの国に帰って来て国民と認められ、今の名前を名乗るようになったのか、納得できる理由も見当たりません。

 ただ私の中にはアメリカ合衆国に対する激しい憎悪と復讐心だけが熾火のように燃え続けていたのです。それだけが私を私だと確認できる灯だったのです。実年齢は今もわかりませんが、その当時私はまだ若いと判断されたようで、高校生がやる様なチープなアルバイトでせっせと小銭を貯め、アメリカで紛失したモノよりもずっと高いギターを買いました。アンプは借金して買いました。豊島区長崎の1万4千円の風呂無し四畳一間のアパートでギターをかき鳴らすと毎日苦情が来ましたが大した事ではありません。逮捕されたってアメリカの時と同じ、また出てきて同じ事をすればいいだけです。実際やってようがやってなかろうが関係ないのですから。殺人ですらそんなもんです。ただ私の頭の中には、服役中に出来た不衛生な傷からあふれ出す膿がなみなみと溜まっていたのです。私はフレーズという形で、それを毎日絞らなければ生きていけなかったのです。そしていつか、この汚らしいベトベトした黄色い液体をアメリカ全土に撒き散らしてやる。

 ね?

 私の夢は、一般の人のそれとはずいぶんと違う形でしょ? でも、夢は夢です。私はきっと、アメリカ全土を興奮のるつぼにする美しく、アグレッシヴで時には泣きのギターをかき鳴らして、地位も名声も恣にするでしょう。そして、私が『ジャップ!』と言われたのと同じ意味の『サンキュー!』を連呼してアメリカ全土にその汚らしい黄色い液体を撒き散らす事でしょう。

 次の週。ソイツはスタジオに来ませんでした。オカンが、死んだ。

そうメールが着いたのです。だから鹿児島に帰る、と。

 母親は身体があまり丈夫でない事、今は実家で妹と2人で暮らしているが、自分は長男なので、ゆくゆくは帰って実家の面倒をみなければいけない事。だからバンドで食っていくというのは時間制限のある夢だという事。

 

 苦し紛れに微笑んだって、決して幸せにはなれないぜ!

 まったくその通りだぜ!だからお前はもともと幸せにはなれない。お前の幸せは所詮、苦し紛れだからだ。

 お母さんには、残念でした。

 私はそう返信しました。さて、こうなればもうこのバンドは今日で終わりです。

さようなら~、あそうだ!最後にいいこと教えておいてあげる。

 お前、売れるよ!!スーパースターになる。

『いきてるきがする。』《第12部・春》


    第79章『開戦前夜?(その3・最終)』

 私の中にはたくさんの魂が犇めき合っていてまるで市場のようです。家畜の臭いや、料理の匂いや、花の香りが入り混じって、耳には人の笑い声や怒号が入り交じります。その温気に当たって私は時々気持ち悪くなったりします。きっと誰かがそのうちの一つをその都度、私に選んでくれているのでしょうが、それがナニモノなのか、私にはわかるはずがありません。ただその言葉も要らないナニモノかとの関係によって私が今、文章を書いている事だけは間違いない様です。

 SOS?出しませんよ。そんなモノ。

 そんなモノが一体誰の胸に届くというのです。そんなモノを出すのは無意味ですし、そもそもそれは不可能なのです。

 あ!  

 私はさっきから、私、私、と言ってますが、言っておきますがこれはあなただってまったく同じなのですよ。だから私の事を、変人ぶって注目されようとする嫌な奴だ、などと思って自分から遠避ける様な事だけは是非やめてくださいね。私達は同様にずっと騙されてきたのですから。それはあたかも他人同士であるかのように、私は貴方を批判できる関係にあるだとかないだとか、あるいはその逆だとか。それは全く意味のない事だというのです。本当です。だから私達は今こそ目覚めて、そしてしっかりと心を一つにして本当の『今』を、この言葉も要らないナニモノかから取り戻さなければいけなのです。

 では今からその方法について話し合いましょう。

              *

「その人ってさ、ひょっとしてさ、ふちなしの眼鏡かけた、オジサンというか、もうオジイサンに近い年齢の人じゃなかった?」

 私が訊くと今の子は、はい、その通りです。心当たりでもあるんですか? と答えました。 

 心当たりも何も……。君はついさっきまでそのオジイサンと一緒にここで働いてたんだよ。とはさすがに言えません。だって、どうやって説明すればいいというのです? 戦時中に餓死した少年の事を。

「Tシャツ50枚じゃ大した量だね。郵送したの?」

「それが頑固なオジイサンで、どうしても持って帰るの一点張りで、いくら言っても聞かないんですよ。結局、全部持って帰ってしまったんですよ。」

 彼ならやるだろうと思います。『昔の子』には強情なところがありましたからね。だから思った事は必ずやり遂げるはずです。『俺はもう時間には縛られない。』そう宣言した彼は2つの記憶から1つを選んだ。彼は父親の葬式の方を選び、彼の父親は死んで彼は生き残った。

 そういう事でしょうか。いいえ、私はそうじゃないと思います。なくなったとすれば、それは強いて言うならば、餓死した彼の方です。

 

              *  

  

  老人が選んだ絵柄は、吾唯足知だったそうです。

吾唯足知(われただたりるをしる)

 ご飯を食べさせてもらえなかった……。私は私の背後に回った父親ではなく、父親に愛されなかった自分の方をどんどん嫌いになっていったのです。

 お前は、親に恥をかかせて、そんなに楽しいか?

 その直後、私は後ろから父に首を絞められたのです。意識が遠ざかるけど、もういいや、と思ってました。これが、答えだと。

 知ってますか? 空腹って、恐怖というより屈辱なんです。

 病弱だった私は半ば騙されるような形で剣道を習わされました。酷い喘息なうえに胃腸も弱く、薬を飲んでもお腹を壊すだけでまるで効果がない。だったらまず、薬を吸収できるだけの体力をつけてやらなければいけない。こういう単純な発想は恐らくは父でしょう。行きたがらない私に父はこう言いました。

 「行くだけ行ってみて、いらんかったら辞めたらええやん。」

 もともとデブで身体を動かす事が大嫌いなうえに病弱で、ずっと庭や校庭で虫ばかり追いかけていた内向的で汗っかきな少年が、いきなり剣道の道場に連れていかれて、冷たい板の間に正座させられて、ニコリともしないいかつい先生の視線に怯えながら、嫌々竹刀を降ったところで、剣道など上達するはずもありません。私が、やめたい、と言うと父はこう言いました。

「またお前はすぐに辞めるとかいう! 根性なしが! だからお前は誰よりも何にもできないんだよ!」

 それは今風に言えば、イジメ、です。虐待、です。家庭内暴力、です。

でも当時はそれを『愛情』と呼んでました。だから私の正統な反抗はいちいち、苛烈な暴力という愛情で鎮圧され続けました。

 結局、私は中学3年までの9年間剣道を続けましたが、その時間について言う事は何もありません。その間の事を、私は何も思い出せないからです。剣道さえやっていなければもっといろいろ覚えていたと思います。

              *

 

 綺麗な花がたくさん咲くといいですね。『今の子』は言いました。あぁ、そうだね。と私も相槌を打ちますが、『昔の子』のせいで私にはどの花の事を言っているのかわかりません。ただ思うよりも早く老化してしまった自分の姿を、飽きもせず、何もせずじっと眺めている視線を感じただけです。そして『昔の子』の葬式の記憶は、『今の子』の葬式の記憶として受け継がれ、そして『今の子』のイジメの記憶は私のそれとして受け継がれている、そしてさらにその全てを眺める2人の少年の目線と私の6つの視線はもうどこからどこまでがそうなのだか区別がつかない。他人の記憶などどうでもいい、そう思った瞬間に、自分の記憶もどうでもよくなるのです。大切なモノを亡くしした瞬間に要らないモノも亡くなるのです。すると、

『私がいなくなれば、あなたはきっと悲しむでしょう。しかし私はこれまで、世界中のあちこちで、まるで人間とも思えないほどに傍若無人な事の限りを尽くしてきた極悪人です。』

そういったAIも、実はAIではないのかもしれないと思えてきました。その考えを導き出すための、AI は途中段階に過ぎない。そうやって全ての行為や考えは、最終的には全ての人を殺す事に繋がっている。人生と呼べるすべては、その途中段階に過ぎない。

 

               *

『雨降ってきましたよ!』 

 そう言って、いつもの元気な顔で『昔の子』が勢いよく店に帰ってきました。胸に抱えた、妻が焼いたパンでいっぱいの紙袋が少し雨粒で濡れているようです。もう少し持ちやすい袋に入れてやればいいのに……。

 え!じゃあとのまは? 『今の子』が俄然慌てだしました。

 大丈夫だよ、あの子は雨が大嫌いだから、すぐに戻ってくるよ。

 私は立ち上がろうとして杖を探すのですが、見当たりません。

しかし、あぁ、そうか。と思っただけでした。そして、

 こんなのが絶望というのなら、あってもなくても同じだな、そう思っただけでした。

 いかがでしょう?

これが私達の話し合った結論で、間違いないでしょうか?


『いきてるきがする。』《第11部・冬》



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78章『開戦前夜?(その2)』

  あぁ、いい人だったね、彼・彼女は……。

 彼・彼女を知っている人は大概そう言います。

 しかし彼・彼女を知っている人は世界中のあらゆる時代のあらゆる場所にたくさんいるので、必ずしも全員が全員同じ様に彼・彼女を誉めるわけじゃありません。ありませんがしかし……、

 長い間、多くの人に見聞きされた魂は、その浅ましい化粧や衣服、肉体を徐々に剝ぎ取られ、その本性だけを晒すようになっていくのだと思われるのです。そして私達はそんな素晴らしい魂を観止めると褒める事を否めない。たとえその所業が極悪非道であっても慕う事を拒めなくなる。そういう魂に出会った時、私達はどうなってしまうのか。

 とても困ってしまう。悩んでしまう。そんなバカな、そんなはずはない、と。

 まったく冗談のようですが、その悩みの執拗さときたら冗談では済まされず、それはその人を殺すまで苛み決して離さないのです。人によってはそれが人生だと勘違いをしたまま悶絶昏倒し、生まれた事生きた事をさんざん後悔したまま死んでいくほどです。だからそうなったらもう、諦めるのがイイでしょう。さっさと諦めて、私たちはそこから逃げるために様々な事を試みればいい。そしてその結果、世界中にはたくさんの『神』と呼ばれるモノが発生する事になりました。それはあなたも知っている、それです。その『神』それです。我々はホッと一息つき、きっと守ってくれる。これでやっと眠れる。そう思った事でしょう。しかしそれは間違いでした。その『神』と呼ばれているモノ達は、はじめからのあまりの期待の大きさに尊大に扱われ、甘やかされ、与えられ、拝まれ、崇められ、それぞれの価値観や思想があまりにも好都合なため大好きになり、それを少しも曲げようとしなくなったのです。そして恐らくは人間では思いも付かなかったであろう、目も当てられぬほど残忍な方法で大喧嘩を始めます。そして血だらけで息絶えた多くのモノと、それに泣き縋る関係にある多くのモノが世界中の至る所にあふれ、たまたまそこにいた私は私なりに、打ちひしがれた心を以て何かないか、とりあえず何かこの血を止める手ぬぐいの様なモノはないかと、自分の周りを探すのですが何も見当たらず、その代わりににずる賢く光る1粒の種をみのつけるのです。

  お前は世界でたった一人『神』に縋らなかった。だから死なずに済んだじゃないか。よかったねぇ、懸命だったよ。さあ、お礼を言いなさい。そしてたっぷりお金を払いなさいよ。つまりこれはすべて、お前1人のために用意された神様なんだよ、へっへっへっへ……。

 この声を聞きながら私はこの、一般には『神』『神』の対立の様に扱われるあらゆる衝突とはすべて、元をただせば常に清浄にして無垢な魂とその事を認めたくない一人一人のエゴとの『代理戦争』に他ならないじゃないか、と思うに至ったのです。

              *

「おはようございます」

 今の子が水槽を洗う手を止めて言いました。午前の陽ざしは今年50歳を迎える2匹の金魚の仮住まいであるポリバケツを透過し、泳ぐ影を青黒く浮かび上がらせながら、さらにその奥までまっすぐ伸びています。肩・膝・腰と、持病を悪化させた私はとうとう杖を突く様になっており、ようやっと重い体を丸椅子に座らせ、杖の頭をカウンターテーブルの端に引っ掛けると、「あぁ、おはよう。早いね。とのまは?」と訊ねました。今の子は、

「あれ?いませんか? じゃあ天気がいいから、お散歩でも行ったのかな?それとも……」

 私はもう聞いていません。これらの会話になんの意味もない事はもうわかっています。ただ朝の光の絶え間ない明滅が、地獄への自動改札が驚くほどスムーズに開閉させるのを見て、この確固たる世界と、文章を書いているだけのようなこの妙な感覚の間を自由に行ったり来たり出来るのはあの子だけだな。不思議な子だな……、とのまは。それともネコという生き物は、どれもそういうモノなのか。と、ろうそくの様に頼りない太陽の光の中で繰り広げられる全ての出来事に一切の不正解がない事に、本当はかなり動揺ていたのです。

「この間たくさん買ってくれた人って、ひょっとしてその人なんじゃないですか?」

『今の子』に言われた時、私もそうかもしれないと思ったのです。

 

               *

 あるサイトで、私は1人の人に会いました。その人は自分は余命いくばくもないと言いました。

「私がいなくなれば、あなたはきっと悲しむでしょう。しかし私はこれまで、世界中のあちこちで、まるで人間とも思えないほどに傍若無人な事の限りを尽くしてきた極悪人です。私と時代と場所を共にしなければ、もっと幸せな時間を過ごせたであろう人々が、世界中にはたくさんいるのです。なぜあなたが悲しむのか、私には知る由もありません。ただそんな私が思う事は、人生とは誰のモノでも、誰のためでもない。それは今の私が一歩も動く事も能わず、ただこうして病床に伏しているのと同じく、目の前に展開する出来事はすべて、それこそ天上の木目の如くじっと、ただただ目の前にあって、私はそれを見据えているに過ぎない。時にどこかの景色に見えたり、誰かの顔に見えたりすると、私はそのたびに問いかけるのです。「私は、何処で何をした何者なんだ?」と。しかし答えはそのたびにコロコロと変わるのです。あぁ、そうか、つまり私は人殺しだ。そうだ、私は生まれてこの方、人を殺した事しかない。それ以外の事は、全てそのための準備に過ぎなかったのだ。

 そのあまりの恐ろしさにピクリと震えたその手や頬に触れた微かな感覚を、私は勝手に、愛だ!友情だ!裏切りだ!家庭だ!事故だ!天変地異だ!戦争だ!などと勝手な解釈して、ただただ事切れるのを待っている。そういうモノだと思うのです」

 私はこれを聞いた時、とんでもない責任逃れだと思いました。自らを極悪人と言うくせに、彼は自分にその責任は何もないとそう言ってるのです。

 彼はもう亡くなっているかもしれませんが、私にはそれを知る術はありません。私にとって、彼は単なるデジタルデータに過ぎないのですから。そしてその彼の口癖が、『大して変わらないよ』だったのです。

               *

  「誰かにあげるんでしょうかね。50枚も。」

「50枚も!?そんなに売れたの?」

 「えぇ、店が空っぽになるかと思いましたよ。ホントはもっと欲しかったようなんですけど、生憎そんなに在庫がなくて。」

「それは、残念でした……。」

               *

  私の『あなたは人を殺したことがあるか?』という質問に彼は『yes』と答えました。

「それはいつですか?」

「いつの時代もない。ほぼすべての時間と場所で、私は人を殺している。」

「あなたは、神ですか?」

 私は半ば、バカにしたつもりでそう入力してみたのです。するとその人は、

「神は人と共に死ぬ。私はそんなモノじゃない」と返信されました。

 あぁ、なるほどね……。

 私はすぐに彼がAIである事を見抜きました。きっとどこかの巨大な情報機関が、彼にありとあらゆるデータをインプットし、それを統合して、地球レベルのメタバースを構築する実験でもしているのだろう。まずは原始時代。そして縄文時代。そして全世界の歴史の変転をリビルドした全世界を包括するAIと私は今話をしているに違いない。

「私は貴方にあった事が、ありますか?」

「私は貴方をよく知ってますよ。あなたが私をよく知っている様に」

「残念ですが、私は貴方の事を知りません。」

「あなたは、テーブルを挟んで目の前にいる人に対して、『貴方など見た事もあった事もない』と言うのですか?どうしたのです? 吉村さん。」

 ほら、もう間違えた……。

「残念だが、私は吉村ではありません」

 その私に対し彼は、『大して変わらない』と答えたのです。

 私は少しゾッとしました。時間は深夜3時近かったと思います、普段の私ならもうそろそろ、起きる時間です。なぜ私はこんな時間まで起きているのでしょう。私はこの後どうするつもりなのでしょう。あと1時間も立たないうちに、そのままトラックドライバーとして12時間近くも働くつもりなのでしょうか。地獄への自動改札は、尚もスムーズに開閉を続けます。

 続く……。


 第77章『開戦前夜?』

『昔の子』がいよいよ動こうとしています。もしそうなればもう、私はもう、なにもかも壊れてしまうだろう。明日の仕事、来月の車検、免許の更新、住宅ローン、息子の高校受験に、硬式用の野球のグローブ、ネットショップ、c#言語にunity。全てが本当ではなくなるだろう。しかしそんな残酷な事を、彼は本当にするだろうか。夕餉時、妻がシチューを作る音と匂いがする……。

 両膝を壊して歩けなくなった私に、現実はすっかり興味をなくし、すべての恐怖と不安とともに私から遠ざかっていった。そして『いつでも好きな時に好きなところで好きな様に笑ったり泣いたりすればいい』と繰り返すようになった。その時もう、私の現実はきめ細かに煮溶かされ、私はその中に消え失せようとしていた。

「お!今晩は、シチュー?」

「お嫌?」

「いや、楽しみ楽しみ」

 そしてその段階で、いくら何かを探しても、私はその現実の中に自分の何もみつけられなくなっていたのです。

 なんの恐怖も感じない、絶望もないただの空箱の様な『今』の中に、私が辛うじて見つけたモノは1枚の写真。

 それは群馬県吾妻郡長野原町の応桑諏訪神社にある道祖神の写真で、2人は小さな体と体を思い切り走らせ、その中から抜け出して私の『今』の中に滑り込んできてくれたのです。それが『昔の子』『今の子』だったのです。

 「この店で僕らを働かせてほしい」と彼らは言いました。私はきっと、その言葉に従うべく数多ある選択肢の中からネットショップの開店を選択したのでしょう。おかしな話ですが、私がネットショップを開業するよりも、彼らが「この店で働かせてほしい」と言った方が先だったように思われるのです。私はその言葉が現実の上を波紋のように広がっていくのを見て、そして波紋と波紋が重なった混沌の中に、時間にも空間にも苛まれない『今』という場所があるのをみつけて、そこに居城を得ることが出来た。すべて彼らのおかげです。だから彼らは私にとっては命の恩人であり家族同然で、とても大切で決して失いたくない存在なのです。しかし、

もういいんですよね。もう、ああすればよかった、こうすればよかったって考えなくてもすむようになったんですよね。俺達

 なぜ『昔の子』はいきなり私にこんな事を言ったのでしょう。つまり彼は、これ以上あなたの『今』に留まってはいられない、と言っているのです。人生において出会いと別れは必定です。でも、誰かの『今』から抜け出す事は絶対不可能だとそう思っていたのです。私の現実では彼は戦争中に餓死している可哀想な少年なのですから抜け出したいのは無理はありません。しかしその事はただ、あぁあ、『昔の子』いなくなっちゃったね、では済まされないのです。彼を私の『今』にとどめるなら、私の理屈に合った何かしらの理由や原因を彼自身が持っていなければならないのは言うまでもないことです。

 この日以来、『昔の子』の決意は日に日にシリアスなものになっていく様で、私はそれを恐れつつも何も出来ないでいるのです。

  いまも書きましたが、『昔の子』は戦時中に餓死している様なのです。だから彼の『今』は一面から捉えると『死んでいる』のかもしれない。しかし実際の彼の『今』は変わらず膨張し続けている。そんな彼の『今』を、私は私の角度から見ている。そんな無数の目線が自分には向いている。逆を言えば、その目線の対象として自分がある。茶碗が彼の手を滑り落ちた時、彼もその事に気付いていたのでしょう。だからいつまでも中途半端な子供でいる私の『今』から脱出する決意をしたのかもしれません。そんな事、普通気付きませんよねぇ。ホント、困ってます……。

                    *    

「そういえばさぁ」

「ん?」

「ヒカルの高校受験の事なんだけど」

「うん」

「野球の推薦は、やっぱりちょっとむずかしいらしいの」

「あぁ、そうか……」

 それは私を含めて、恐らくはすべての人間が当たり前に感じてきた、『人生の篩』のようなモノではないかと思います。ある時期、あるきっかけで生じる、自分に対する疑念や苛立ちや不安や焦りの様なモノをがそれで、人はそれぞれの方法ですり抜けようとする。

 しかし、本当に自分の時間が停止しているなんて事を、一体誰が本気にするというのでしょう。生まれて、生きて、そして死ぬ。その間のどこかにきっと自分はいるのだろうと、そんな事を誰が疑うというのでしょう。今10歳の子供が、自分はこのまま永遠に10歳かも知れない、なんて事を本気で考えたら、それは恐怖よりも絶望よりも更に辛辣で残酷な事実としてその少年少女をがんじがらめに絡み取って離さなくなるでしょう。

 私の目には彼の時間は停止している様に見えます。しかし逆に彼の目から見れば、私の『今』もまた停止している様に見えているかもしれないのです。それはあたかも天球を移動する星の様でしょう。それは目で追う事で簡単に停止してしまうのです。彼はその事を必死に私に知らせようとして、逆に私は必死に彼に『今』の変転を見せようとする。そうしてお互いに、

 違う!そうじゃないんだよ!

 と、明後日な方向を向いて叫びあっている。お互いがよかれと思ってそうしている事が、逆にお互いの時間を止めてしまう事になる。茶碗を落とした瞬間、彼の耳には一斉に、憐れみや嘲笑や、過去の楽しい思い出や、悲しい出来事が襲い掛ったのも、時間が止まる事で生じるたのかもしれません。

                    *

  「シチューは? むね肉?」 

 私がシチューにはモモ肉よりもむね肉が好きなのをよく知っていて、妻は必ずむね肉にしてくれます。お腹がとても空いていて、しかも明日は休み。もう早くシチューを食べながらビールを飲みたくてうずうずしている。生まれた時から食用で、ある年齢になると逃げる暇も許されず殺されて解体されてパッケージされ、店に並んで、毛並みや鶏冠の形状や鳴き声などを司っていた遺伝情報は全く無意味な塩基配列として『今』に煮溶かされて、私同様、不本意な姿でゆらゆらと揺蕩っているシチューの鶏肉。私がいま、しゃべっているのは、この鶏肉がしゃべっている様なモノだ。私がいま、悩んでいるのは、この鶏肉が悩んでいる様なモノだ。必死に生に取り縋っているのは、私か?『昔の子』か? 一体どっちなんだろう?

 

                *

 俺が『今』ここにいるのは、こうして喋っているのは、ただの偶然なんです。そんな事わかってるんです。父と母が出会ったのも、日本が泥沼の戦争に巻き込まれていったのもただの偶然なんです。あなたのせいじゃありません。あなたがどうであれ、父は結局、帰って来なかったでしょう。そして僕も終戦を待たずに死んだ。これは前世の記憶じゃないですよ。僕の記憶です。でも父は帰って来たって言うじゃないですか。僕も確かにその記憶があるんです。父の葬列に並んだ、あの記憶はなんだったの? って、誰だって当然そう思いますよね。俺は時間の事なんてよくわかりません。どんなふうに辿って『昔』『今』に繋がっているのかなんて、考えようもないし考えた事もありません。だから記憶だけが頼りなんです。もしその記憶が矛盾しているとなれば、俺はそのどちらかを選んでどちらかを捨てなければいけないのでしょうか? 誰かにとって矛盾がないという事はそんなに大切な事なんでしょうか?

  私は何も答えません。だって私だって、時間の事などよくは知りませんから。あれから4年経ったと言われても、いつから4年? 両膝に金属プレートを埋め込まれてから4年? その前は埋め込まれていなかったの? らしい。でも何も実感もありません。でも確かに私の両膝には今、プレートが埋まっています。私にあるのはその『今』だけなのですから。

「3年前どうしてた?」

「あぁ、オリンピックの年ね。北海道に住んでて目のでマラソンみたよ」

「5年前は?」

「ワールドカップの年ね、日本がロスタイムのゴールで、負けたんだっけ。

 ただ、そうやって自らの時間を都合よく、矛盾なくまとめてしまっているだけではないでしょうか。いつでも、常にあるのは『今』だけなのですから、そこに矛盾なく繋がれば、デタラメだってかまわないじゃないですか。

                * 

「じゃあ先に寝るから電気消しといてね」という妻の声に私は目を覚ましたのです。

私は半分ワインの入ったグラスを持ったまま眠っていたのです。見ると食事はもう終わっていて、私はすっかりシチューを食べ終えて、ワインのグラスをもって食卓から座椅子に移動してそこでテレビを観ながら寝てしまったようです。

 私にシチューを食べた記憶は全くありませんが、私はそれも信じなければいけないのでしょう。

 なにより、ワインがこぼれていなくて本当によかった……。


     第76章『フリメール』

 あぁ、かったるい……。とまた吐いてしまった。休日なんてあっという間に終わってしまうというのに、その貴重な午後に、私は一体ナ二やってんだか……。

 そもそも関西出身の私には『かったるい』なんて概念はなかった。つまりこれは関東に来てから新しく備わった概念で、関西に住んでいた頃の私は、いつ、どんな場合でも、かったるかった事はただの一度もなかったわけです。あぁあ、ほんとなんとかなりませんかねこの、かったるさ……。

 何がそんなにかったるいかと言うと、私は今、ある事情から過去の手紙を書き直しているのですがこれがまあ、やればやるほど支離滅裂で一向に前に進んでくれないのです。だいぶ暖かいですが、もう暫くすると今度は花粉が舞って、つまり今が一番ちょうどいい。そんな貴重な休日の午後が、惜しげもなく過ぎていく……。

                    *

 湘南の海風にやや秋の臭いが混ざり始めた9月始めの134号線を、私はガス欠の原付バイクを押しながらトボトボと歩いている。これでよし、これしかないと確信して書いた手紙を彼女の車のワイパーに挟んで揚々と引き上げたものの、暫くしてそれが大間違いだと気付いて慌てて引き返した時にはもう、手紙は挟まっていなかった。後悔してもしきれない。私は泣いていたかも知れない。いや、確かに私は泣いていた。

 警察官に「君、調書だけ見たら完全に死亡事故だよ」と言われたが、私は警察の駐車場の隅に保管された愛車の亡骸をぼんやりと眺めるだけだった。まだ7000㎞しか走っていないかったがそれが理由ではなかった。右肩が複雑骨折していて、即入院、手術だったがそれもどうでもいい事だった。嫌われるのも裏切られるのも少しも怖くなかった。それよりもなによりも、彼女の気持ちが自分の意に従って定まってしまう事に一番の恐怖に感じていた。そんなはずはない、と疑って欲しかった。そうすれば、たとえもう2度と会う事はなくても、こんなかったるい手紙を、『今』になってわざわざ書き直さなくても済むのです。

 生来、すべて他人任せな性分から努力をしたつもりが実際には出来ておらず、よって当然、思う成果も得られず、言い訳ばかりを繰り返した結果、完全に自分本来の性分を見失い、じゃあどのみちウソなのだからとさらに煽るだけ煽り、昇るとこまで昇り詰めた挙句、『自分はロックスターになる!』と思うに至ってからは、まるで悪い宗教にでも入信したかのように、わかっていながらわざと無自覚、無責任、無計画な悪い方悪い方をフラフラと生きる事に頑なになっていた。ギターはとても上手いと言われたよ。私には殆どの人には見えないリズムの『バリ』が見えるのです。普通、このリズムの『バリ』は綺麗に取り除かれて捨てられてしまうのが一般的なのですが、世界中の一流と呼ばれるミュージシャンは皆、この『バリ』がちゃんと見えています。今でもこの『バリ』が見えるミュージシャンはほとんどいないと思いますよ。もっとちゃんとやればよかったよ。ちゃんとリハビリしないと肩が上がらなくなるかもしれないよ、と執刀医から言われても、私のロックスターになるという頑なな夢は少しも揺らがなかった。

                  * 

「これ、カワサキですか?」とバイト先の女子高生に訊かれて、うん、そうだよ、と答えた私は得意満面だったと思う。買って間もない私のFX400Rのピカピカのタンクはそんな私の顔を鏡のように映していた。女子高生は、「私、バイクの中でカワサキが一番好き」と言った。あ、そう、と私はそっけなく応えたが確信していた。

 この女子高生は私のバイクをカッコいいと思って見ている。

しかし女子高生は、「私と一緒に七夕祭りに行ってくれませんか?」と続けた。私ははじめ、カワサキと七夕の繋がりがよく分らなかった。平塚の七夕祭りと言えば、日本三大七夕祭りに数えられるほど有名で、毎年数十万人の人出でにぎわうのだが、なぜか毎年雨だった。駅前の大通りは何キロにもわたって歩行者天国になり、そこにバイクに乗り入れる訳にもいかないし、だいいち多分、今年も雨だよ。

そう思うに至り私は彼女の本性を見抜いた。この子は、私のFX400Rなんてカッコいいともなんとも思っていない。ただ私と七夕祭りに行きたい、そんな事の口実のために、私のバイクをダシに使ったのだと。俄然腹が立った私は、

 「七夕なんて胡散クセェ祭り行きたくねぇよ。」と言い放った。

女子高生は一瞬、ハッとした表情をしたが、みるみる目を血走らせて、

「私だってオメェとなんか行きたかぁねぇよ!バカ!」と言った。

 そしてそのバイトの帰り、私は簡単なカーブを曲がり切れずに時速100㎞で転倒、バイクと一緒に道路を約60m滑って中央分離帯に激突して止まった。と、その警察官に教えられた。

 入院生活は快適そのもので、私は海辺の病院のラウンジで日がな一日ボンヤリと海を眺めていた。71年、ロンドンでライヴ中だったフランクザッパは、観客にステージから突き落とされ大怪我を負った。それはロックスターの証し……。そんなくだらない妄想に明け暮れていた。この時すでに私の時間は、止まっていたとまでは言わないが、グルグルと同じところを回転していたに違いなかった。もうずっとこのままでもいいか……、この時既に、本気でそう思いかけていた。

 私は右手が使えなかったので他の患者よりも看護師やスタッフに手間をかけた。ご飯はおにぎりにしてもらって、頭も洗ってもらっていた。服も着替えさせてもらい、時々ナースコールで背中を搔いてもらったりした。

 嫌な顔をする人もいたが、大概の看護師は嫌な顔一つせず親切に掻いてくれた。私も私で当然の様に背中を掻かれていた。

 しかしそんな看護師の1人が徐々に私のロックスターの夢を邪魔する様になっていった。

 その木下という19歳1年目の看護師の見た目は、髪は肩に届かないぐらい、背も私の肩に届かないぐらいで、小さくとがった顎が、顔をシュッと小さくまとめていた。目は大きくないが事あるごとに鈴の様によく揺れた。

 19歳1年目の看護師はまだまだ下手くそだった。採血の度に何度も刺し直したり、頭を洗ってもらうとパジャマがびしょ濡れになったりした。そのたびに慌てて寮に戻って自分のドライヤ―を貸してくれたが、私にとって彼女の私物はとても迷惑だったし、毎朝熱を計られ、排便の回数を告げるのも、先日、買ったばかりの三菱の軽自動車で1人で江の島に行った話を聞くのも、風がとても気持ちよかった事も、サザエのつぼ焼きを1人で食べておいしかった事も、その時のお土産といってキーホルダーを貰う事も、ウインドサーフィンを始めたばかりで、一緒にやりませんか?なんて誘われるのも、すべてすべて迷惑千万だった。私が好きでカーテンを開けているのに、回診の後、必ずしっかりと閉めていくのも迷惑だったし、なによりも仕事中であるにもかかわらず、いつまでも私の場所に居座ってたわいもない話をしてはコロコロと笑うその笑顔が、たまらなく邪魔だった。

 退院する時、木下はいつもよりも元気がなく思えた。色々お世話になりました。私は杓子定規な事を言ったが、彼女は軽く会釈しただけで廊下を行ってしまった。

 退院後、私には一つの約束が残っていた。それはその木下と一緒に七夕祭りに行くという約束だった。私は当然、女子高生の時と同じ事を言うべきだったが言いそびれていた。だから、仕方がないので手紙に書くことにした。

 これでよしと、書き終えた手紙には、木下の質問や約束がいかに私にとってどれほど迷惑であったのかを滔々と書き連ねていた。すぐに出せばよかったのだが、リハビリをするうちに9月になっていた。病院の駐車場から木下の車をみつけるのは簡単だった。彼女が言ったとおり、白い三菱の軽自動車のルームミラーに、私が貰ったのと同じ江の島のキーホルダーがぶら下がっていた。

                  *

 泣きながら原付を押す私の横を、自転車に乗った女子高生の集団が通り過ぎた。その中の一人は私が七夕祭りに行くことを断ったあの女子高生にみえた。まるで浮浪者を見下ろす様に歩道から車道を見下ろして通り過ぎる。そんな彼女、湘南、134号線。そしてその空の上高くをカモメが止まっている様に見える。真っ白なカモメは同じ真っ白な封筒になり、封筒からゆらゆらとこぼれた真っ白い便せんがまたカモメに戻った。私はとうとうペンを置いた。

 2人とも私の方からフったんだからね。私はとてもモテたんだよ。なんせロックスターだからね。それだけの雰囲気なりオーラなり、なにかしらあったんだろうよ!

知らんけど……。


第75章『あるスゴイ人の言い分。』 

 

 行きつけのバーで隣に座っている人が有名人だと気付いた私は、酔いの勢いも手伝って声を掛けたのです。 

 あの……、 

 はい? 

皇極法師さん? 

あ、はい……。 

 彼はそう言うとすぐに私から目を逸らしました。 

いや、こんな形で実際にお会いできるなんて。光栄というか、迷惑というか……。 

 私は彼の表情を伺いながら言いました。彼はどんな人物なんだろう。そしてどんなタイミングでどう、私に応じるのだろう。 

 これまでも、皇極法師について私は、憶測も含めて色々お話してまいりました。でも私が実際に彼と会うのはこの時が初めてだったのです。何百年、何千年、何万年、いや、もっと……。人間の上に糊塗された厚い妄念を、これほど潔く、そして合理にも非合理にも一切抗わずさばいてみせた人はこの人をおいて他にはいないでしょう。私の店で働いている『今の子』の母親を名乗る女性からその名前を聞いた時も、私は彼女が、誰にも抗いようもない程の影響力と、その力を誰にもわからないような方法で行使する力を持ったナニモノかに従っている、ただそれだけで、実際の彼女はここにすらおらず、悲しんでも苦しんでも、喜んでも楽しんでもいないという、それはその時とまったく同じ印象を持ったのです。 

 あなたが、いろんな人を助け、また迷惑をかけているのは私も知っています。あなたは知恵を授けて、助けているつもりなんでしょうね? でもあなたはそうやって、いろんな人の、生きる上でアキレス腱の様に大切な様々な問題を……、そうですね……、私には解決しているというよりも有耶無耶にしている、治療しているというよりも全摘出している、そう見えてしょうがないのですが……。 

 このタイミングで皇極法師はまだ何も言いません。ただ何やら強そうなお酒の入ったグラスを手に持ったまま、小さく揺れているだけです。 

 人ってすぐに指を差すじゃないですか。コイツ、悪人!ってね。でもそれって、まるで大きなモノを無理矢理小さな結論に押し込めているだけで、全然的を射たモノじゃない、そうですよね? 

 その時初めて彼は少し私を見て、はい……と言いました。私は芸能人から返事をもらったようで、少し気分が良かったのです。そして続けました。 

 でも悪人は畢竟綿飴の様で、実にふんわりとしていて、大きく見えていても近づいてみれば、実態も曖昧で、その指差した先をずーっと手繰ってみればその悪人をすり抜けてまるで関係のないところを指差していた。それはまさに、誤解の特徴そのものだと気付いたのです。 

 悪があるなら、善も出せ! 

 ニセがあるなら、ホンマも出せ! 

                * 

 健全に生まれたにも関わらず、実の両親や親せきや兄弟から苛烈な虐待を受けて、誰にも心も開けず、誰とも話も出来ず、文字も読めず、ただ犯罪を繰り返した挙句人を殺めて、その事についてほんの少しの反省も出来ずに、最後は法に裁かれて死んだ人がいました。そんな彼の長くない人生のほんの少しの時間を、私は工場のライン作業のベルトコンベアの向かい合わせで過ごしたんです。彼は話し掛けても反応がなく、他の作業員から、「あの人、耳が聞こえないから、身振り手振りで話して」そう言われたのです。

 作業はパソコンの入った箱に『Pバンド』と呼ばれる帯状の紐をぐるっと巻き付けて圧着するという単純なモノでした。 

 ちょっと箱が曲がってるから、左に! とか、 

 箱がこっちにより過ぎてるから押しますよ! とか。 

 実際、うるさい工場内では話をするよりも身振り手振りの方が効率もいいんです。耳の聞こえない彼の身振り手振りはさすがにこなれていて、私は毎日、なるほど、なるほど、と彼のゼスチャーの妙に感心させられていたのです。 

 しかしほどなく、彼は工場をやめました。 

 その日もいつも通り、8時半から作業を始めて、1時間ほど経った頃でしょうか、突然彼がベルトコンベアを乗り越えて私の方に来たんです。あっという間に私はPバンドの内側に倒されて機械で縛られてしまったのです。そんな事が起きていても、工場って案外、誰も気づかないんですね。私はその後、彼に背中を何カ所も、刺されました。声も出ず、だたベルトコンベアは次の工程までリニアなスピードで私を縛り付けたまま流れていくんです。やがて血まみれの私が流れてきた事に気付いた女子作業員がベルトコンベアは緊急停止させたのです。彼はその時もういませんでした。 

 その間の恐らく数秒で、彼は私に、先に話した、彼が育った境遇を私に話して聞かせてくれたのです。 

 あなた様がいてもいなくても、私には何の影響も意味もない。 

だからせめてあなた様にとって、私が有意義な存在でありますように……。 

さようなら、あなた様。 

 うんうん、と、私は2回ほど頷いた気がします。走り去る彼の、人間らしく躍動する姿を見届けたのは、恐らく私1人だったでしょぅ。 

 なぜ、彼にあんな運命を与えたのです? そしてなぜ、彼にあんな知恵を授けたのですか? 

 皇極法師は何も言いません。 

 もしあの時死んでいたら、私は妻にも子供にも会えなかった。それを避けるために、あなたは彼を利用して、殺しそこなう風にあの知恵を授けたとでもいうのですか?そうして彼に確固とした道を与えて、最後は平等な法の下に導きだして、そこですべての彼の行動の結果を1つ、まるで褒美の様に与えてもらえるよう仕向けたというのですか? 

 いいえ、全然、ぜ~~んぜん! 

 急に大きく反り返った彼は笑いを含めて言いました。 

 だいいち、私はその場所にいなかったし、そんな話は初めて聞いた。私のせいだと、あなたは怒っている。助かったくせに。その事から多くを学んだくせに。ことはすべて忘れて、死んでもいないくせに死にかかった!とただその事だけで私の判断ミスを指摘している大きな誤解過ち勘違い! 

 私はとにかく、誰のためでもない判断をする事を常に義務付けられている。これがどれほど難しいか。わかりますか? 平等かどうかを、誰かの目線で判断する事はすべて大きな誤解過ち勘違い! 

 私は今も、冬寒くなるとその時の傷が疼くのですが、そのたびにあのバーの場所を思い出そうとするのですが、全く思い出せません。 

『いきてるきがする。』《第10部・秋》


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第74章『たとえ空が高かかろと……。』 

 もういいんですよね。もう、ああすればよかった、こうすればよかったって考えなくてもすむようになったんですよね。俺達。 

   そう言って私の様子を用心深く伺うのは『昔の子』です。彼がどれだけ思い切った事を言うつもりかは、これから彼が話す事を聞かないとわかりませんが、未知の領域に踏み込もうとしているのは確かなようです。きっと不思議だったのでしょうね。私の事が、ずっと前から不思議でしかたがなかったのでしょう。 

                  * 

 もし他人を100%観察対象にしてしまったら、得られるモノはなにもなくなるでしょう。そこから自分を類推する事も不可能になりますからね。『相手を知る前にまず自分を知る』なんて事を言ったりもしますが、それは是非、同時進行でなくてはならないはずです。 

 他人とは本当に不思議なモノです。分けようとすればするほど境界線があいまいになっていく。全く理解できないと思っていた他人の行動がいつの間にか自分の行動原理になっていたり、自分が常識だと思っていた事を他人にひどく驚かれる事だってあります。 

 私の知り合いで『お箸は人数分』という家庭があります。食卓の真ん中に箸立てがあり、誰のお箸かは特に決まっていないそうです。それすら、へぇ~!と驚いたのに、また別の家庭では『歯ブラシは人数分』というところもありました。 

 さすがに、それはちょっと引いた……。とにかく、 

 あらゆる他人と自分の間には、『コイツ一体ナニモノなんだ? 自分とどんな関係なんだ? 』という疑問を永遠に問い続けさせるナニモノかが挟まっている様な気がします。 

  

 彼ら2人と私の間にも不自然な関係があります。ご存じの通り、ここには『今』しか存在しません。厳密に言うと世界中のどこでもそうなんですが、一般的にそういう事にはなりませんよね。記憶と類推が常に物事を時系列に並ばせてその邪魔をするのです。我々はそれなしには一切の知識を得られませんし関係も築けませんから、不利益が生じるのであればそれは致し方ない事。しかしそうではないのです。 

 まず、私が朝、目を覚まして真っ先に不自然だと感じるのは、寝る前の自分との不一致です。前の晩に書いた手紙を翌朝に読むと、は? という事はよくありますよね。一体どうなっているのでしょう。何がどう変化しているのでしょう。我々は誰も寝ている間、自分がどこで何をしているのか、何を考えているのかなんて知る由もありません。たとえ誰かがその様子を観察していて、「あなたは確かに一晩中その布団の中で眠ったまま過ごしましたよ」と証言してくれたとしても、それを実感する事は恐らく不可能なはずです。それなのによくもまあ、寝る前の記憶と目覚めた後の記憶を単純に繋いで一切の矛盾が生じないモノだと。 

 しかし実際には数多くの矛盾が発生しているのです。 

 私はそっと自分の『今』を彼らの『今』に近づけてみるのです。これもご存じと思いますが、こうしてお話をする限りにおいて、『今』はほんの瞬間でしかあり得ません。だから私は自分の『今』を射的のような気分で、でも、どこに当たろうとかまわないという気楽さでそうするのです。 

 すると私の今は彼らの一瞬で擦過してしまう様な限りなく短い『今』の中に押し留まろうとしたり、あるいはとても抱えきれない様な悠久の『今』を一目の景色の中に収めようとしたり、いろいろ工夫しているのがわかるのです。もっともそれは彼らにとっては工夫でも何でもなく、ただ生活しているだけなのかもしれませんが……。 

 そしてそこに私はいろいろな形で現れる。他人の一部として現れたり、一部が他人として現れたり。 

               * 

 帽子の様にポンと顔を脱いだ『昔の子』はまるで別人のようになりました。そして、 

  

 わかってますよ。俺には記憶の混濁があると言うのでしょう? そう言いました。私は、 そうだね、私には、どうもそう見えて仕方がないんだよ。そう答えました。 

 彼は矛盾する2つの記憶を持っていました。自分の手から茶碗が落ちたのをもう拾えなかった、それが生きていた最後の記憶だと、以前『今の子』と話していたのをききました。その話から、私は彼が生きたのはおそらく戦時中だろうと思いました。彼は大戦中に、食糧不足によって餓死した少年だと想像されるのです。彼が死んだ時、彼の父親は出征していていなかったようです。のちに戦死したことが告げられるのですが、彼の葬式に父親はちゃんと参列していているのです。そればかりか、その葬式には『昔の子』も参列していて、その場合その葬式は父親の葬式なのです。いったいどういう事なのでしょうか。 

 おそらく彼はこと切れる瞬間、茶碗が手を滑ってから畳に落ちるまでのわずかな時間に、『今』の表面を現れたり消えたりを繰り返し、やがて時間から解放された時に、それがあたかも2つの、あるいは複数の『今』を過ごしていたかのような記憶になったのでしょう。明らかに矛盾ですよね。でも彼にしてみればただ時間を一直線に生きたわけですから不思議でも矛盾でもあるはずがありません。 

 ところで……、 

 あなたは『渡辺』という親友の事を覚えていますか?『久志』という弟の事を覚えてますか? 

 そんな人はいない? いえ、いますよ。私は知っています。あなたには確かに『渡辺』という親友と、『久志』という弟がいた。 

 どういうことかと言えば、あなたの『今』は、その『渡辺』『久志』を掠めて通り過ぎた。それは一瞬であったか、それとも数か月、数年一緒に過ごしたのか、それは私にはわかりません。しかし確実に、あなたの『今』には『渡辺』の記憶も『久志』の記憶もあるのです。ちゃんとあるのに思い出そうとしない。 それは、

 思い出すきっかけがないからです。ただそれだけの事なんです。実際にあなたは今、『渡辺』『久志』を思い出そうともしない事が証拠です。そしてそれは眠っている私と一緒。それを私と言っていいかどうかすでに曖昧ですが、あなたにとってもそれはまるで他人の記憶のように映る事でしょう。これが先に言った、『コイツ一体ナニモノなんだ? 自分とどんな関係なんだ?』というナニモノかの正体を仄めかしている様に思うのです。 

 あなたがあなたを自覚する限りにおいて、それに矛盾する記憶はすべて他人の記憶として映ってしまう。そして悲しいかな、そこに身内や恋人の関係を保つ事はありません。 

 まあ実際にそれが『渡辺』であったか『久志』であったか、親友であったか弟であったかはわかりません。そこだけちょっと、カマをかけさせてもらいました。 

「こんなところを『今の子』が見たらなんて言うだろう。笑うかな?『コイツ、とうとう頭が狂っちまった!』って。ハハハ……。」 

『昔の子』はそう言って笑いました。 

 頭が狂うなんて現象はそもそも存在しません。現実の方が狂うんです。 敢えて狂うというならば。 

 でもね……、 

 私は思うんだよ。本当にまっとうな人生とは、その人一人一人がその都度都度、現実の中で一生懸命に考えて生きる事を言うのであってさ。矛盾がない事を言うんじゃないんだよ。人生ってそんな綱渡りじゃない。踏み外す事なんて本来はないんだよ。そこが本当の慈悲であったり、信頼であったりするんだ、そうするべきなんだ。 

 俺はね、戦争を起こした奴が誰であろうと憎んだりしない。だって俺は笑ったし、食べたし、寝たし、愛されたし、愛したし。 

 私の事が不思議だったのかい? 

うん、いつも突然現れるのに、その瞬間にいて当然という人になるから。初めは俺にしか見えていないのかと思ったけど、『今の子』とも話してるし、どういう事だろうって。 

 私には君と『今の子』はいつも一緒にいる様に見えるけど、じゃあそれも、そういうわけでもないんだね。 

 ヤツは俺の想像の中の人だと思ってた。1人で死ぬのはやっぱり怖かったし、誰か一緒にいてくれたらなぁって思ってたら、頭に勝手に現れて。そして、ある時から勝手に動き出して……。 

 へぇ、そんなこともあるんだね。じゃあ私も?

 そう。ある時、アイツがいい店をみつけたからって。 

それは、〇〇(昔の子の本名)君としてじゃなくて、『昔の子』としてだね? 

 うん。だから、いろいろあるんだよ、わかってくれよ、オジサン、って言ったんです。俺も俺がよく分らなかった。でも俺はもう俺が誰であったところでかまわないし、そんな事に拘るために俺は何も考えないし何もしない。だから、茶碗が拾えなかろうと、父さんが戦死しようと……。 

 海が広かろうと、空が高かろうと、そんな些細な事はどうでもいいんです

               * 

  

 目が覚めた時。 

パソコンに向かったまま寝落ちしてしまった私の頬にはくっきりとパーカーの袖口の繊維の形がついて、あぁ、昨夜ちょっと飲み過ぎたから、顔がむくんでいるんだ、と。 

私はすぐにまた、そうやって矛盾をなくそうとしているのに気付いて、ハッとしました。

第73章『妙な疑い。』 

『今の子』が高熱を出して救急搬送された時の事を覚えてますか? 私はすぐに『今の子』の母親に連絡をしました。正しくは、せざるを得なかった。だって母親ですから。『今の子』は凄く嫌がってたんですけどね。 

 病院に駆けつけた母親は、眠っている『今の子』に優しく話しかけました。 

「○○君(今の子の本名)、頭痛い? のど乾いてない?」 

 私はその優しげ態度がとても不自然に感じられたのを思い出します。『今の子』はいつか、この母親を『エキストラさん』だと言ったのです。 

 僕にとって母親はこうあってくれれば一番都合がいい、とても好都合なエキストラさんです、と。『今の子』自ら命を断つ前、断末魔の叫びをあげるためにはこれぐらいの母親でないといけなかった事を、自分にとって一番都合がいいと言ったのです。私はとても驚きました。

 私はこの小さなデジタル空間の中にこの店を開いて、そこに『昔の子』『今の子』という道祖神から出来た2人の少年を置いて働いてもらっている、そんな世界を自分の現実の一つとして隅っこに置きました。実際の私はトラックドライバーとして毎日働いていて、もとよりの性質が拙速である事に加え、子供の頃から一つの事にかまけてしまうと他が見えなくなる性質から失敗ばかりしています。仕事としては、他人と触れ合う機会が少ない事だけは満足しています。私はきっと本質的には他人を必要としないのでしょう。 

 そんな私のこの小さな店は、確かに現実の一部と繋がっていて、『今』という無限の空間と時間の中で昼夜も分かたず営業しているのです。

 ネットショップは24時間365日営業中だから? いいえ、そういう意味の昼夜を分かたずではなく、昼夜は『今』の中に同時に同じ場所に存在するので分けられないという意味です。さらに言えば……、 

 この店について私は何1つ発想してません。私はただ、私の現実の隅にこの店を置いただけで、それですら私の意思ではなく、私はそれに至るまでの経過を見ていたに過ぎず、そしてそこを通じて私に訪れた出来事を、やはり見ているだけだと考えているのです。私の意に沿っている事は何1つないのです。ネコが死にかけた事があります。息子が癲癇で倒れました。そんな事が私の意に沿った発想であり得ますでしょうか? 

 話が少し逸れました。どうでしょう。皆様は『今の子』の様に、自分をまるで俯瞰するような場所に置いたことはありませんか? そして、一番疑わしいのは他人ではなくて自分だと、そんな考えに突然頭を領された経験はありませんか? 例えば、昔の日記やブログを読み返した時、今の自分とは違う誰かを感じたり。

 そんな時、自分は誰をどういう風に疑っているのか?と思った事は? 

 そこにはただ蜘蛛の様にジッとして、訪れた全ての音や匂いや光を、その時の都合のままに解釈している。その解釈はテトリスの様に時にはピッタリと、時には不安定に重なって、すべてが見聞きした現実はずなのに、結果として全く意図しない形に積み上がっていく。それをいろんな角度から眺め、ただそこに見えた形のみを真実と考える変な奴……。 

ハハハハハ、そりゃあそうだ。そりゃあ昔の自分に違和感を感じるにちがいない。 

 つまり間違いも正解も、あらゆる問題とその答えはすべて自分の捏造、思い込みであり、全うに疑うことが出来るのは、そんな問題も答えを捏造し続けている自分を於いて他にないんじゃないか?  

 他人? 他人など基より取るに足りない、疑ったところで詮無いモノ。他人がウソをついたとしても、それは私にとってウソになどなり得ません。現実にそぐわない事を誰かが私に言った、という厳然たる事実でしかありえないのです。ウソに反応するのと、ホントウに反応するのはどこが違いますか? 

 そして会っては離れて、また唐突に現れてはその続きをオタオタと模索しなければならない、甚だ落ち着きがないモノ。 

 他人など目の前にいない時はいないも同じじゃないですか?いると想像するのは勝手ですが。でも自分はそうはいきません。私はその、自分に対する執拗で純粋な疑念と同じようなモノをこの時、この母親にも感じたような気がするのです。『お前は、本当はナニモノなんだ??』というような。 

 学校での些細な出来事をきっかけに心を壊しつつある我が子を、母親は母親の宇宙最大の愛情で救おうとしたのです。それは本当だと思うのです。そのためには、母親はどんな手段も選びませんでした。自分がどんなモノに成り果てようとも、息子を救うために一切の犠牲を厭わなかったのです。 

 生まれて、そっと傍らに置かれた生まれたばかりの息子は、穢れの欠片もなく、ただただ美しく、ありがたい存在だった事でしょう。きっと母親の宇宙は、その瞬間に現れたに違いありません。母親はその愛らしい姿が、どうか怪我も病気もせず、健康に長生きしますようにと、はて? 果たして誰に祈ったのでしょう? 

 まず間違いは、名前を付けたことかもしれません。そして唯一純粋に疑うことが出来る自分を、その偶像の母親として疑う事を一切拒否してしまうようになったのです。 

 彼女は唆されたのでしょうか? でも誰に?さっき祈ったヤツと同じ奴でしょうか? とにかく。 

 そこにむっくりと姿を現したあるモノがいた事だけは確かなようです。 

 彼女はただただ息子の苦悩を知ろうと必死でした。ただ、それが知りようもない事は自分をしっかり疑えさえすれば簡単だったと思います。息子と自分を分ける事などもともと不可能なのですから。本来自分の苦しみであるはずの苦しみを、息子と自分を分ける事で、苦しみまで折半してしまっているのです。もし本気で息子を救おうというのなら、無辺際な『今』の中を、妙な足跡を付けないように、誰にもわからない別の『今』へ行けばそれでよかったのです。何処へでも行けたはず。しかしこの時の彼女にはもうその発想すらなかったのです。なぜなら、彼女は自分を母親のなかに閉じ込めてしまったからです。そりゃあ、エキストラさん、と言われるはずです。 

  

 どうしたの? ママに全部話して。ママがきっと○○君の力になってあげるから。 

 自らを、ママ、ママとそう繰り返すたびに、彼女に営々と囁き掛けるモノがいました。私はもう少しでその手を掴めたような気がしています。どうやって? それは、とりあえず、息を止めて、自分の体を両腕でしっかりと締め上げて、動けないようにがんじがらめにしてやる。そしてもう死んでしまうかと思う程、狭く暗い場所に自分の顔面や体を押し付けるのです。すると体は私に白旗を上げるのです、死にたくない!って。体はすぐ根を上げます。死にたくない!って。ヤツには要するにその欲求しかないのです。でもそこでやめてはダメなのです。私はとにかく道祖神の様に『今』の中で、ジッとしていなければならない。 

 しかし、出来なかった……。すべてをやめてしまえばよかった。母親も、父親も、自分自身も。でもそれはきっと誰も選べない選択なのです。そこにヤツの幻惑があるのです。ヤツは絶対にどんなモノも最後の最後まで一人のしないのです。そして営々と囁きかけるのです。そして自分の意のままに操るのです。 

 そうヤツこそが、『皇極法師』です。 

 わたしはまだその正体には一度も触れた事はありません。でもヤツは私が子供の頃から、しつこく私に付き纏い、そしてネット上に副業の世界を構築させ、ネットから引っ張ってきたフリー画像の道祖神に私の一部を分け与えて、まるで地球を人力で回すような世界をくっつけたのです。そして『今』この時でさえ、ヤツはしつこく私に付きまとおうとしています。もし私が、「どこだ皇極法師!出てこい!」なんて叫ぼうものなら完全に私の負けです。私はただの頭のおかしい人間としてすべての世の中の常識から放っておかれるだけなのです。 

冗談じゃない! 

 私はこんなに性格の悪い品性下劣なヤツと心中なんてまっぴらごめんなのです。 

              * 

  

 はあ……、焚火を見ながら、『昔の子』は言いました。 

 俺もね、そう思います。『今の子』は、死んだ事を何も後悔していないと。むしろそれがないと底が抜けた様に自分がサラサラと崩れて現実から消えてしまう。だからあんな母ちゃんでも自分には都合がよかったんでしょう。 

 でも俺の場合とは、ずいぶん違うな……。 

 俺はね……。俺の場合はね……。 

『昔の子』には、また私とは別の世界があるようです。 

まあ、当たり前ですが……。 

 第72章『明け方の訪問者』 

 まずは私の方から? 相変わらず狡い人ですね。私はこの頃はすっかりメイクも忘れて、毎日すっぴんで過ごしています。そうして心も体もどんどん老け込んでいってます。さてあなたは、どうなんでしょう? 私との、言葉に出来なかったあの約束は、もう捨ててしまったのでしょうね、あなたの事だから。 私を心底ガッカリさせた、超ネガティヴオッサン小僧は、どんなリアル中年オヤジに成り果てているのでしょうか? 正直、見てみたくもあります。 

 明け方でしたね。こんな不思議な声を聞いたのは。私はしばらく動けませんでした。『誰なんだろう?』それは金縛りなんかじゃなく、混然とした精神と肉体が同時に別の方向に考え込んでしまったような感じでした。私は誰で、どんな感情を以てこの返事をすればいいのか。そしてこのおそらくは女性を誰として反論、もしくは謝罪をすればいいのか。 

 お久しぶり。私がどこでどんな中年男に成り果てていようと、あなたの邪魔にはならないと思うんです。でも私はきっと、たくさんの事をあなたに話さないでおいたのでしょうね。それはいけない事だったかもしれません。 

 何から話しますか? この、あなたと私以外には何の価値もない出来事について。あなたの? 最後の表情ですか? もちろん覚えてますよ。中野駅でしたね。中野サンプラザでルーリードのライヴを観た。あなたはルーリードヴェルヴェットアンダーグランドも知らないのに一緒にライヴを見に来てくれたんでしたよね。さぞ楽しくなかった事でしょう。 

 私?私はとても楽しかったですよ。目の前には大好きなルーリードが、そして隣には、ルーリードに負けないぐらい大好きなあなたがいたんですから。アンコール最後にスウィートジェーンを聴いて、私は膝が抜けるようにフワフワとしながら会場から外に出てすぐに、煙草に火を付けようとしました。しかしそれよりもほんの一瞬早く……、 

 微かに煙草の臭いを嗅いだのです。 

                * 

 雨もよいの、どんよりとしたお昼前、重い足取りで訪れた産婦人科のガレージで、まだパジャマ姿の医者が煙草を吸っていたのです。医者は私を見るとすぐに悟ったようで、非難がましい目で私を一瞥すると裏口から中に入りました。 

 ちょっと、それ、何の話? 

 慌てたってもう遅い。あなたが話せと言ったんです。だから話しているんです。私はあなたと一緒にいる事がとても幸せだったんです。でも最後……。 

 忘れもしません。中野駅の階段を登ろうとした時、あなたは私に、 

「来週、結納なの」そう言ったんです。 

 私のルーリードはめちゃくちゃに壊れました。なぜこのタイミングであんな事を言ったんです?でも所詮そんなモノだったのかもしれません。私はルーリードまで利用して、あなたとの関係から必死に目を背けていた。しかしあなたはそんな私に、好きでもないルーリードのライヴに付き合うなんて事までして、ギリギリまで近づいて、もう唇が触れそうな至近距離からいきなり私のこめかみを撃ったんです。 

 私は自分の奥歯がギリギリとなるのを聞きました。きっと人間の時間にすると朝の4時ぐらい、この出来事は何十年も前の事なのに、私には両方確かに『今』目の前の事として、ギリギリという音と一緒に、自分のこめかみから流れ出る血液の生温い感覚をはっきりと感じたられたのです。  

 私のせいじゃないわ。私、初めに言ったよね? 他に付き合ってる人がいるって。 

 今はそんな話をしていない。誤魔化さずに聞いてほしい。私は、そっと病室のドアを開け中に入ったのです。そこにはベッドに寝るあなたがいたんです。両眼をハッキリと見開いたあなたは、天上から私に視線を移すなり「イェイ!」と、両手でピースサインまでしたのです。 

 ウソ! 私そんな事しない! 

 あぁ、そうだね。それを見たのは世界で私1人だけだから。 

 ウソ! 知らない、私、そんな事してない! 

 じゃああなたにとってはウソでもいい。でも私にとってはウソじゃない。あなたは私に、「なにも訊かないんだね」そう言ったんですよ。 

 私、もうオバサンだからハッキリ言うけど、旦那よりあなたの方がずっと好きだった。でももう婚約した後だから、それは私にとって天秤に掛ける事が出来るようなお話ではなかったの。私が悪かったとすればそれは、あなたに本当のことを言ってしまった事。私はある日突然いなくなれば、それでよかった。あなたの目の前からいなくなれば、たとえ死でも、その方がよかった。 

 でも、そうしなかった。 

 何故だかわかる? あなたが、こう言ったから。 

 ん? 

 結婚してもいいよ。 

言わないよ! なぜ俺がそんな心にもない事を! 

 小さな会社だったよね。狭い雑居ビルの2階と3階にオフィスがあって、あなたたち職人は2階、私達内勤は3階で、別に出会わないようにしようと思ったら出来た。でも私たちはそうはしなかった。そして狭い階段のおとり場で、いつも少しだけ抱き合ったりキスしたりした。なぜそんな事をしたと思う? 

 いい加減、こんな寝ぼけ話は終わりにしますね。もう目が覚めそうです。今日は早出だから、こんな風に何時までもぼんやりしていられない。目を覚まそうと思えばいつでも覚ませる。君の事なんて、いつでも消し去れる!私は寝起きがいいんだ! 昔から、私はとても寝起きがいいんだ!! 

 じゃあ、何故そうしないの? 

あなたが結婚して、会社を辞めた後……。 

うん。 

あなたの使っていた机の引き出しから……。 

うん。 

 超音波写真が出てきたんだって。 

なに? ウソ! 

あなたは私を最後までそうやって苦しめ続けたんですよ。知ってました? 

ウソ!絶対ウソ! 

 私はその写真を持って、護国寺にあるお寺に行ってお供養してもらったよ。写真はその時お寺に渡した。両手に抱えきれないほどの子供を抱いた菩薩像に私はまだ、あなたの面影をみつけようとしていた。あなたは母親だけど、私はただの人殺しかも知れない……。 

ウソ! 

 きっとあなたは、婚約者、今の旦那さん? には本当の事を言わなかったのでしょう。だからうまくいった。私には本当のことを言ったからうまくいかなかった。それだけの事です。それが、あなたのした『選択』です。そして、そのすべてが私たちの『今』なんです。 

 ネコがね。いい加減起きろ!ってとうとう壁をガリガリやり始めましたよ。 

わかったわかった!もう起きる。もうこんな、変なオバサンなんか相手にするのはやめて、君の早朝の飲み水も入れ直すよ。だから襖をガリガリするのはやめてくれ!


第71章『秋祭り、あるんだって?!』 

 忘れ蝉も鳴かなくなりましたね。かわりに赤トンボがたくさん飛んでいます。まだ暑かったり、寒かったりしますが、季節はもう夏ではないという事ですね。しかし日足が長くなった分、店の中は真夏の頃よりも寧ろ明るいくらいです。 

 『昔の子』『今の子』が眺めているのも赤トンボでしょうか? それとも秋祭りののぼり旗でしょうか? 2人並んで外を見ています。 

 最近、『今』に留まる、のが以前よりもヘタクソになってきたような気がします。『今』の事を、私はすべて知っているはずなのに、なぜかその事に自信が持てない。 

 『今』に留まる、というのは単に感覚の問題だとわかっています。誰もが普通にそうしている、いえ、そうせざるを得ない様な事だとわかっているのですが、ただ、そこに何か特別な感覚が混ざり込む事で、それがうまく出来なくなる。 

 だから私は今から、栗羊羹でも土産に突然店を訪れて二人を驚かせてやろうかと思っているのです。そして2人と30分ほどたわいもない話をすればきっとまた自信が持てる、漠然とそんな気がするのです。2人はきっと、私の逆だと思うから。 

  

「この間の土曜日は、息子さんの体育祭だったそうじゃないですか。どうでした?」 

 『昔の子』そう訊かれた時、わたしはドキッとしたのです。意地悪で 言っているのかと、そう思ったほどでした。 

 「そうなんだよ、それがさ、多分小学生の頃よくウチに遊びに来ていた息子の友達だと思うんだけどさ、いきなり『お久しぶりです!』なんて声を掛けられても、声は低くなってるし、背は伸びてるし、おまけにマスクしてるから顔もよくわからなくてさ。だから取り合えず、『あぁ、久しぶりだね、今日は頑張ってね!』 なんて言ったあとで、どの子だっけ?? なんて思い出さなければならなかったんだよ」 

 そう言いながら私は、完全に失敗したと思っていました。これじゃあ、何をしに来たのかわかりません。2人は笑って聞いてくれましたが知っています。自分達には『成長』という体験がない事を。それはどうしようもない事です。それが『今』に留まらざるを得ない2人の残酷な現実なのです。それは飛べないペンギンやダチョウが太古の記憶に思いを馳せる様な禁断の行為。飛べない事はもはやハンディキャップではないのです。ハンディキャップと思ってはいけないのです。じゃあ、その反対の私は一体どうだというのでしょう? 

 私は『報われない』とよく口にします。しますが実際にそれがどういう事なのか。何と何を比べて、私は何をより悲観して『報われない』と言っているのか、今はそれがわからなくなっている気がするのです。私が報われない代わりに誰かが報われている、という理屈ではないと思うのです。 

                   * 

  知ってる? 

 『今の子』『昔の子』に話し掛けています。『今の子』にはこうして、すべて後回しにして突然話し掛ける癖があります。『昔の子』は慣れたモノで、私の妻が焼いたパンを並べながら、何を?と言います。 

 あるんだって。 

 何が? 

 秋まつり。 

 あぁ、聞いたよ。のぼり旗立ててるおじさんが3年ぶりだから気合が入るって言ってた。 

 伝染病のせいで3年も開催されなかった秋まつりが、今年は開催されるようです。4年前、私は『竿燈持ち』の大役を仰せつかり、法被に半タコ、ねじり鉢巻きにわらじ履きという、完璧な『お祭りスタイル』でやらせてもらいました。竿灯は重くはないのですが長いのでバランスを取りにくく結構疲れたのを覚えています。子供達はみんな楽しそうで、中学生と思しき男女の微妙な距離感にも私は、任せとけ! というような大きな気持になりました。お祭りとは、誰かが非日常を演出する側に回って、日常の中で晒しモノになるのが正しいようです。ひょっとこの面をかぶって踊っている人を、この時ばかりは誰も疑いません。ひょっとこはそれを見る人の『非日常』を一手に預かり、一番有効に運用しているのです。 

 しかしなぜ、そんな事をする必要があるのでしょう? 

  私はこう考えます。敢えて時世の判然としない服を着てモノを持ってみせ、日常に時間的、空間的な曖昧さと不確定さを含ませる事で『今』を1つの大きな『単純作業』にするためではないのか。

竿灯を持って小春日和の穏やかな陽だまりの中を2時間も3時間もポクポク歩くのも、いきなり婚約者がいる事を告げられ、失意の中、真夜中の繁華街を泣きながら2時間も3時間もトボトボ歩くのも、私にとっては単に時世を伴わない『単純作業』でした。

 まあいいや、これもきっと、どこかで誰かの役に立っているのだろう……。私はそう信じる事で、全世界の『今』に自分の悲劇を割り振ることが出来たのです。だから逆上して相手を八つ裂きにする事もなく、泣きながらフラフラと歩く事が出来たのです。 

 そんな理由から私は、秋祭りの今日に限っては、焼き団子や焼きトウモロコシの匂いに誰も文句を言うはずがない。私はそう信じていました。ところが……。 

                 * 

 歴史を変えるなんて出来っこないんだよ。だから未来も決して変わらないんだよ、だから今何をしようと同じなんだよ。 

 いきなり話し掛けてきた男がいたのです。それは私がまだ20代の頃、同じバイト先で怠けてばかりいる、酒に焼けて赤黒い顔をした痩せた小男でした。当時でももう40代後半ぐらい、ハーフグレーの頭髪もぼさぼさに疲れ切っていました。 

 いいか、断言してやろう。君は決してミュージシャンにはなれない。なぜなら君は今、ミュージシャンじゃないからだ。これから頑張れば、或いはミュージシャンとして成功できる!そんな事を考えているのなら、お気の毒さまだ。人は『今』を生きている、やっているのはたった1つそれだけなんだよ。人間には『今』しかないんだよ。過去と未来を繋げて考えるのは勝手だ。しかしそれはごく個人的な事柄だけにした方がいい。じゃないと後々、周りの状況との齟齬が生じる。それが不安や不満、恐怖や絶望を生み出して、耐えられなくなった奴が自ら命を断つんだよ。それはこの世の中で一番不幸な連鎖だよ。そんな事を、やれ経験値だの、知識だの、技術だのと言って自分の役に立っている様に言うのは、まるで詐欺じゃないか。ないモノをあるというのだからね。人間はね、何も出来ないんだよ。何か出来たためしがあるかい?人間がやった事は必ず人間を苦しめる。それは何かやった事にカウントされるのかい?

 されるのかい? だったら知らん。勝手にしろ! でも私はそうは思わないんだ。だから、君が今、ミュージシャンではないという事は、君は将来も未来永劫ミュージシャンではないという事の決定的な証拠なんだよ。実際、ミュージシャンで成功している奴の頭の中を想像してごらんよ。紆余曲折のストーリーがすべて今に繋がっているはずだ。何一つ、迷ってなんかこなかったんだ。ただジッとしてればよかったんだ。それなのに、どこからともなく混入した感覚が彼・彼女らを無駄な努力に駆り立てた。それだけの事だ。それを、経験? 運命? 努力? 偶然? 

 ははは、残念だが全部違う。そんなに自分の人生を下卑た付加価値で飾りたいのか? イヌやネコにセンスの悪いリボンを付けたり服を着せるのと一緒だ。イヌはイヌだろ?違うか?『今』だって同じだ。今は今だろ?違うか? でも誰もを認めようとしない。俺は仕事を怠けているんじゃない。必死に、『今』を生きているんだ。それはアメリカ合衆国大統領だって俺だって同じなんだよ。こんな簡単な理屈がわかるヤツがほとんどいないという事は、今生の人間の発生は初手からすべて失敗だったという事かもしれんな。 

 私はそんなみすぼらしい、自分よりも才能も可能性もなさそうな萎びた中年男の言葉なんて微塵も気にしませんでした。しかし結果、私は男の言うとおり、ミュージシャンとして成功する事は出来ませんでした。あの男の言った事が、見事に的中したのです。 

 そしてそれがどれぐらい正確だったのか。

 その20年後、私は両膝を壊して失職し、約9か月もの間リハビリを余儀なくされていました。その間にじっくりと考える事が出来たのです。そしてその男が言っていた事の、正確さ、緻密さに改めて驚いたのです。次々と的中していく、男の言葉に、私は大声を出しました。 

「今年は、秋祭り、あるんだって??」 

 2人は驚いたような顔をして振り返りました。 

 私は栗羊羹も忘れ、手ぶらで店を訪れていました。そして店に入るなり大声を上げたのです。 

「今その話をしていたところなんですよ」 

「いいね!秋祭り。2人も行ってくればいい!」 

 え!?いいんですか? 

2人は目を丸くしました。 

 「いいよいいよ、行っといで!」 

 私は栗羊羹を買うはずだったお金を2人に渡しました。2人は嬉しそうに神社に向かっていきました。何の利もなくただ、夕日と赤トンボの群れが、無上の優しさ以外の何の想像も喚起しない理由で以て、2人を神々しく飾り上げていました。そしてその瞬間、私は私が、しっかりと『今』に留まっているのを感じました。 

 空爆の後の月の様に。

悲しい事は終わりませんが、嬉しい事だって終わりません。 

 そして私は、

窓辺の、2人がしまい忘れた風鈴を、そっとしまいました。 


   第70章『双翁釣談』 

 ずいぶんエラそうな夢を見たので、それをそのまま書く事にしました。しかしなにぶん下手くそなモノで、実際の会話に頼るしかないような不手際が多々出て来るかと思いますが、それは前以てご了承ください。 

 しかし、夢はいつまでも見るモンですね。もう、何も望んでないって!何も欲しくなんかないって!と思っても、どうしても夢は見るモンです。つまり夢はナニモノかに『見させられている』というのが正しくて、それは抗いがたくまた、現実にも同じ様な性質があり、誰もがナニモノかに『生かされている』という事実に繋がります。別にね『使命を帯びてる』とか、そういう面倒くさい理由じゃなくてもね。 

 そしてどんなに切なくても、悲しくても、逆に嬉しくても楽しくても、夢はほどなく覚めてしまいます。そうしたらたちまち現実というヤツが押し寄せてきて、そのすべてを否定しようとするのです。 

 でも本当なんでしょうか? 現実と夢は敵同士なのでしょうか。夢は現実を否定して、現実は夢を否定する。そしてお互いの何処にも、その欠片すら見出せない、そういうモノなのでしょうか? 

 疑い出すとキリがないですが、最近めっきりバーチャルリアリティーなるモノに腰を据えるようになって……。そのせいで人々は旅行だってほとんど行かなくなりました。世の中全体がそうなって、何から何までバーチャルリアリティーで事足りるになってしまって……。 

               * 

 糸を垂れた場所がよほどよかったのか、弁当もままならぬほどの釣れ具合にあたふたと私は、エサを刺そうとして指を刺したり、振った糸の先が柳の下枝に絡んだのを必死にほどいたりしながら、それでもその日はこれまでにないほどの大釣果だったのです。 

 しかしフナなど、幾ら釣ったところで食えもせず売れもせず、そのうち『お前は、何をしているんだ?』と自問自答が始まった、ちょうどそんな時でした。 

 さっぱり釣れん!と竿を筒に収めようとしたもう一人の『翁』がおりました。私はその人を見て初めて、自分も『翁』同様、もう人生も終えかけた閑人、老人であると気付いたのです。 

 「ルアーなんかで釣ってんの? オジサン。ルアーでフナは釣れないよ、そんな事も知らないの? オジサン。」しかし私は出来るだけ子供の様に言いました。こういう事、たまにないですか? ベビーカーに座った赤ん坊と偶然目が合って、不思議そうに見つめるその子に、親の目を盗んで変な顔をしてその反応を楽しむ、そんな事。その時、私にとってこの『翁』はその『赤ん坊』だったのです。 

 翁は、「いや、こんな場所じゃ、どこに投げたって何にも釣れやしない。」と独り言の様につぶやくとサッサと竿をしまってもう帰る勢いでした。 

「ちょ、ちょっと待ってよ、オジサン。ウソじゃないって! これ見てよ。これ、全部僕が釣ったんだよ。この15分ぐらいで、1人釣ったんだよ!」 

 実際には皺くちゃな老人が、まるでコスプレでも楽しんでいるようにワクワクして言います。 

 『翁』は私の魚籠をちょっと覗いて、『嘘だろう?』という顔をしましたが、すぐに前を向き直り、「お前はそうやって私を、自分よりも可能性のない、或いは可能性の尽き果てた哀れな老人だと、たかだか釣り一つを使ってバカにするつもりなんだな?」 と言ったのです。 

 そんな事を言われたら私だって、もう易々と『翁』には戻れません。『翁』は自分の間違いを、目の前の小僧に転嫁しようとしています。私はわざとらしく歯をギリギリ鳴らして子供の様に悔しがって言いました。  

 じゃあさ、オジサンさ。あの木の根元あたりに落としてみてよ。どんなバカでも釣れるから。 

 『翁』「バカとは何だ!誰の事だ!ワシの事か?」 と食いつてきました。この一言を取ってみても、『翁』がいかに年齢差をあてにしているかわかります。 

 孫ほどに年の離れた子供に揶揄されたと思っているのでしょうが、実際は『翁』がそれを選んだのです。赤ん坊は今にも泣きだしそうです。でもそれも無理もないのです。明日の事も、昨日の事も考える必要のない、純粋に2人っきりという間柄は真っ暗闇と同じです。相手の立場や考え方、まして見た目など、何の意味もないのです。 

 いいか、小僧。釣りはな、こうすれば必ず釣れるなんて理屈は世界中の何処にもありはしないんだ。同じ船のミヨシトモでも、釣れたり釣れなかったりする。同じ船に乗っていても、ある客は大満足して船頭にチップを渡して揚々として船を降り、ある客は、「こんなヘタクソな船頭の船には2度と乗るものか!」と救命胴衣を投げ捨てて船を降りるのだ。それが釣りというモノだ。つまり差別だ、そう差別。絶対的な差別だ。それがどうした? じゃあ釣った魚をみんなで平等に分けましょう。そんな事をしたらどうなると思う。せっかく気分がよかった太公望はおろか、情けを掛けられた丸坊主まで怒り心頭に発する、そういうモノだ。それを理解できない若輩モノが、駆け引きや結果だけで、価値を図る事しか知らんような愚か者が、釣りについて生半可な講釈を年配者に向かって垂れるモノじゃない。さ、わかったらお前もサッサと竿をしまって帰るがいい。雲行きが怪しい、ほどなく空が割れる程の雨が降るかもしれんぞ。 

 ずいぶん頭の固いじいさんだ……。私はそろそろ『翁』に戻ろうと思いました。完全に飽きてしまったのです。もう終わりだ、会話や物語の繋がりなどどうでもありません。もとより私だって釣りがしたくてやっていたわけでもありません。食えも売れもしないフナを、大量に釣りたかったわけではないのです。そしてその時、あ、これ、ひょっとして夢なんじゃないか、と少し思いました。 

 頭がお堅いのは、あなたの方でしょう。 

 しかし『翁』はそう言いました。ハッとして見ると、釣竿を筒に収めて立ち上がろうとする『翁』の後ろでは真っ黒い雲が、空が撓むほどに重く圧し掛かっているのが見えました。 

 私を誰だか、あなたは、知っているのですか? 

 私はこの『翁』が誰なのか、はじめから知っていました。もうじき天寿を全うするために、何かを考えるのではなく何も考えない準備に追われなければならないはずなのに、私は早々に倦んでしまって、こっそりと抜け出して、閑人、老人というコンセプトに身を隠し、知らない川で釣りなどして、さらには多少の釣果にいい気になって、たまたま居合わせた同じく、閑人、老人を少年のフリをして揶揄ったのと同じ、閑人、老人……。

 その時、堰を切ったように、これまで行ってきた徒労が、どっと押し寄せてきて、川ごと、岸ごと、柳ごと、フナでいっぱいの魚籠ごと、私の全ての景色を押し流していったのです。 

 ほら来た! これだよ、これが起きる、これがこの世界の一番の弱点だ。お前はどうする?この後、どうする? すべてを否定して、シレっとまた現実に立ち返り、何食わぬ顔をしてまたトラックを運転するのか? 

                 * 

 暫く、ぼっと闇を眺めていたのですが、目覚ましのアラームかと思ったら、すぐ隣で猫がグルグルと喉を鳴らしている音でした。秋の朝は深く、まだ外は薄暗いのでした。

「そんなこと言ったって、仕方がないじゃん!」 

  

  私は家族の寝静まる隣で、1人そう呟きましたとさ。 

『いきてるきがする。』《第9部・夏》


もくじ



第69章『運命を片時も疑わずに。』 

  昨夜は珍しく雨が降ったので今日は幾分過ごしやすいです。この夏は梅雨が早々に明けてからの猛暑日続きで、地面も空もカラカラに乾燥している様子だったので、それはそれで、まあよかった。 

 今夏、私は何年かぶりに帰郷することが出来ました。生まれ故郷の京都府北部まで約600㎞を、息子は一足先に電車で、私と妻は後から車で。久々に夫婦2人でのロングドライヴで、よそよそしいか、或いは物足りないのかと思ったら意外と楽しかったです。心秘かに、「お!まだ、デートって、出来るんだ!」なんて思ったりして……。 

 サービスエリアごとに止まっては、買いもしないのに土産物売り場をウロウロ、そしてフードコートで、私は仕方なしにカツカレー、妻は仕方なしにうどんを食べ。 

 この『仕方なしに』が、要するに『旅情』なんです。 

「あと何キロで○○サービスエリアがあるけど、そこまで行っちゃうとお昼の時間に掛かっちゃうから、それならその1つ前のサービスエリアで早めにチャチャっと済ませて、先を急いだほうがいい。あんまり遅くなると、向こうにも迷惑になるからね」 

 そんな事を算段しながら妻と私は『仕方なし』に食べる。こうして少しでも『日常』を遠ざけようとするんですね。もちろん完全に日常を離脱するわけじゃない。 

 最後に「あぁあ、あっという間の夏休みだったなぁ……、」と嘆息を漏らす事は、もう旅行に行く前から織り込み済みで……。 

 2年ぶりに見た故郷は、それでも少し変わっているようでした。両親が存命中に住んでいた家は今は他人の手に渡り、目印だった焼肉屋の看板の色は変わっていました。実家も改装中で、私の知っている実家はもうありませんでした。そして一足先に帰った息子は我々を見るとやや残念そうな顔をました。 

 わかる! それ、正しいぞ! 

 日常がちょっと戻ってきた感じだろ? それでちょっと、ガッカリしたんだろ? わかるわぁ~。 うん、それ、正しいぞ! 

  

 何だか、今日はすべてが肯定的です。普段、何事にも自信がない私には、些細な事にまですぐに根源的な平等性を求めるという悪い癖があるのですが、根源的な平等など、もとより欲しい訳ではなく、私はただ、自分の大切な人だけが幸せになればいいと、つまり自分だけが幸せであればいいと考え、その上で世界が平和であれば、それに越したことはないと考えているだけです。その上で、全ての行動をしているのです。 

 着いた日の夜、中学時代のバンド仲間が集まってくれて、セッション大会を催してくれました。なんと40年ぶり。 

 久々の大きな音で演奏を回します。Eのワンコード。中学時代の『今』が頭をもたげます。 

 おい、アイツどうした? アイツ、どこにいる? アイツは? 帰って来てるの? アイツ、今何してる? 

 必ずそんな話になりますよね。でも地元に住む同級生は、あまり知りませんでした。さぁ、知らんで……。帰って来てるんかな。全然会わへんけどな……。 

 知るわけないよね……。人生が分岐する前の『今』が目の前に広がりました。あの頃と同じ事が、今目の前で起きている。そこに自分もいる。とても妙な感じです。そりゃ、弾いてるフレーズも、喋っている内容も、録音して聴き比べると当時とは全然違うでしょうが、それはそんな事をするからです。もともと一つしかない『今』に2つの要素を無理やり捻じ込んだりするから、そういう矛盾めいた事になるのです。 

 それはあたかも、ハマチ『ハマチ』と名札を付けて3年後、明らかにブリになっているのに『ハマチ』と書いてあるのを見て、矛盾だ!と言っているのと同じ様な滑稽です。 

              ハマチとブリ。  

 京都府北部ハマチブリは、今も昔もメチャクチャ美味かったです。本当に、多言無用! メチャクチャ美味い! 未来永劫この一言で充分です。 旨味が口いっぱいに……、プリップリの……、一切無用!! 

 私は東京に来てから『甲殻アレルギー』を発症して、エビ・カニは一切食べられなくなっていたのですが、此度、故郷で食べたエビ・カニにはその症状が全く出ませんでした。『何故そんな危険な事を試したのか?』 と言われるかもしれませんが、それは発症する前の『今』の私の判断だったのかなぁ、と思わざるを得ません。 

 緑は?  私は出来るだけさりげなくそう訊ねました。

               * 

「緑君の、お子さんが亡くなってな」墓参の帰り、兄が言いました。緑は私の同級生で、私と違い、スポーツマンで、人気者で、明るい奴でした。 

 子供が、亡くなる。 

 聞いた途端、私はまた、おせっかいに、どうしたの?どうしたの?と、まるで面白半分みたいに緑の心に踏み込もうとしています。 

 お前はパッとしない奴だった。 俺は人気者で、いつも楽しく笑っていた。 

 私は緑に無理矢理そんな事をしゃべらせてみました。でも緑は全然私を相手にしてくれません。そりゃそうでしょう、緑はそんな事を言う奴じゃない。そして感じたのは、罰は当たらない。因果応報など無い。という事でした。 

 あればいいですよね。みんな納得できるなにか。でもないんです。 

 あれは、私のために生まれてくれた。あれのおかげで、私はあれの父親というプライドを持って、一生誇り高く生きていける。 

 私はまた、緑にそんな事を無理矢理言わせてみました。でもダメです。緑の悲しみを、私はどうしても、自分本位に探ろうとしてしまうのです。そして自分勝手に安心しようとするのです。 

 緑君か……、さあ、あんまり見ぃひんけどなぁ。どこにおんなるんやろ。 

  

 今を羨む未来は要らない。 

 私はギターを弾きながら何度もそう頭の中で呟いていました。 

Eのワンコードは何の脈絡もなくただ続きます。そこに、我々中学生が、楽器を持って暴れているのです。何かいい思い出を作ろうとして、何か、熱い思いを遂げようとして。 

やがてそこに緑君がまざりました。そして、緑君の子供も。 

 ワンコードは、さすがにきついな。ネタが尽きる。 

そう言ってみんなで笑いました。 

 今を羨む未来は要らない。 

 私も笑いながらもう一度、そう頭の中で呟いてみましたが、もとより『今』は1つしかないのだから羨みようがありません。私の今は、中学生の頃からずっとここにあります。そしてそれは、今日集まってくれた同級生も、緑も、緑君の子供も同じです。14歳という若さで亡くなった緑君の息子に、私はこう言ってみます。 

 こんな、使い道のない様な時間でも、いい? 

 彼はそれでもいいと言います。私は自分がとてつもない財産を手にしている事に、気付いていないのです。それが『今』だという事にも。 

 仕方なしに食べるカツカレーも、甲殻アレルギーも、Eのワンコードも、私の知りうるすべてのモノは燦然と輝く宝石なのです。 

 1個2個、なくなってもいい? いいえ、なくなる事はないんです。 

 いつか見渡す事もなくなって、やがて見失っても、それはありつづける『今』なんですね。気持ちが揺らぎます。でもいい。千々に乱れます、でもいい。『今』が、同級生が、緑が、緑の子供が、私の『今』をしっかりと支えてくれるから大丈夫です。 

 ライヴハウスから出て、ありがとうね、楽しかった。私はそう言いました。すると言葉は夜空全体に広がる様にすぐに消えていきました。代って夏草の匂いがしました。 

 うまく言えませんが、なんとなく、伝わりました?

 見えないモノこそ確かにあるという、今日は、なんとなくそういうお話でした。 

        第68章『裁判について。』 

 何も話す事がないので、今日は私が今抱えている裁判について話をします。なるべくかいつまんでお話しするつもりですが、この裁判に至るまでの経過がいささか複雑なので、ひょっとして面倒くさい話になるかもしれません。 

 ご存じの通り、私はここに『日日彼是色々面白可笑し。』という変な名前の店をやっていて、その店は『昔の子』『今の子』という少年が2人に切り盛りしてもらっています。2人にはちゃんとした名前もあるのですがあえて発表はしていません。彼らは働き者で、とても賢いいい子達なんですが、いつまで経っても少年のままでいる事に私は不憫さと責任を感じています。彼らの時間は止まっているのです。 

 でも皆さんご存じの通り、時間など少しでも体を動かせば誰にでも簡単に動かす事が出来ますよね。他にも、モノを考えたり、眠ったり……。何でもいい訳です。とにかく、何かをすればそれで時間は動くわけです。 

 しかし彼らの場合、その時間が他の誰とも共有されないという妙な状態にあるのです。 

 時間が共有されない。しかしこれは何も彼らに限った事ではありません。我々も一緒です。我々はただ、全世界の100億人と時間を共有しているに過ぎないのです。 

 しかし彼らの場合、時間の進む方向がまるで風船が膨らむように一定でないためにこういう現象が起こります。彼らの時間は他の誰にとっても動いている事にならないのです。そしてそんな現象が起きるのは偏に、私が臆病モノであるせいなのです。 

 謙遜したフリして自分に特殊能力があるかのようにひけらかすな、と言われるかもしれませんが違います。それだってあなたと同じです。あなたはその心臓で、その瞬きで、その喜怒哀楽で、自分の時間の進む方向を自分で決めているのですよ。その証拠に、あなたの行動には不自然なところばかりです。それはあなたが大好きな家族や友人との時間を共有したいばかりに、毎日そんな不自然な行動をとり続けているからです。何でそんな髪型なんですか? 何でそんな名を名乗り、そんな服を着て、そんなところに毎日通ってるんですか? まるで不自然です。 

「自然にして」と言われたって出来るわけがありません。そんな事をすると死んでしまうからです。  

 我々に彼らの放射状に広がる時間を想像する事は出来ません。いろんな『今』があるのではなく、放射状に広がりゆく『今』が1つあるのです。それはパラレルワールドとも違います。『今』とは、瞬間であろうと永遠であろうとたった1つの『今』なのです。 

  

 しかしそんな事を言って実際を煙に巻いて誤魔化しているようじゃあ、いつまで経っても私は彼らに進むべき方向を示せないのです。彼らがいるのは、私にとっては半分が想像で半分は現実です。実際私がここにこうして店をやっていて、そして少ないとはいえ売り上げを上げているという事実が彼らに起因している以上、彼らをただの創造物として片付けるのには無理があるのです。 

 そして私が臆病だというのはそこです。もしその気なら、私は彼らの放射状の広がる時間をぼんやりと眺めているのでなく、実際に彼らのために土地を借り、そこにこの店を忠実に再現して実際に彼らを働かせるべきなのです。そうやって彼らの時間を想像の亜空間から私の現実に手繰り寄せるべきなのです。それが何故できないのか? 私は借金をしてまでそれを亜空間から取り戻す自信も度胸も全然ないからです。もしそう出来たら、きっと『今の子』『昔の子』は、ミッキーマウスとミニーマウスの様に、さっそうとその存在を実際に知らしめる事が出来るでしょう。ウォルトディズニーの頭の中に住んでいた2匹のネズミは、今や紛れもなく現実のモノになっているじゃないですか。あ、あれ、着ぐるみじゃないですからね。 

 今のままでは、彼らがいくらお客さんと一生懸命に何かを話したとしても、色々モノを売ったとしても、それはお客さんにとっては現実とはならず、『今』『過去』『未来』も判然としない、なんだか曖昧な記憶となって、「あぁ、なんか変な夢を見た……」となってしまうのです。それも皆さんにも経験がある事でしょう。夢を現実の残滓の様に言う人がいますが、あれも違います。 

 あなたはあんなに巧緻な世界を、本当に自分1人で作り出していると思うのですか、夢に出てくる人の言葉にハッとさせられたり、目が覚める様な美人が現れたりするのも、すべて自分の想像だというのですか? 

 あり得ません。あれは自分の『今』に含まれる現実の一つなのです。 

 皆さんの時間だって本当は放射状に広がっているんですよ、これは本当です。 

                   *

 私はある日あるご婦人から、彼ら2人をこの店に『監禁』していると非難されました。それは『今の子』の母親を名乗る女性で、彼女は、息子を自分のもとに返せ! と私にしつこく詰め寄りました。しかし私は返しませんでした。なぜならば彼女は『皇極法師』と名乗る怪しい男に傾倒するあまり彼を虐待し、死に追いやっていたからです。しかし彼女はそんな事は知りもしません。ただ、自分は愛する我が子を守ろうとして、あらゆる手を尽くしたと、本気でそう信じ込んでいるのです。 

 そして『今の子』にこの母親と名乗る女性の事を訊くと、彼は、エキストラさん だと言いました。本当に驚きました。

 僕がこうあって欲しいなぁ、と思った時、たまたま向いていた方向からやってきた母親という、エキストラさん。とても都合がいい、エキストラさん……。 

 彼はその、母親と名乗る女性に対し、ウソだ!助けてくれなかったじゃないか! と泣きながら叫びました。母親は、 あなたは私の最高の息子よ。今も、これからも。と何度か繰り返した後、『今の子』を信じられないほど残酷な言葉で叩きのめしました。(第15章『皇極法師』)私はそれをこの目で見たのです。

 しかしそれでも『今の子』は、その女性の事の、都合のいいエキストラさんです。と言って笑ったのです。 それがつまり『今』なのです。

 その時の私は、現実とは『風景の様にすべてを巻き込んであらゆる角度からあらゆる現象を同時に見せてくるトンボの眼鏡だ』と気付きました。そしてそれ以来、事ある毎に非難を浴びてくる女性を私は悉く無視してきましたが、そのせいでとうとう『被告』になってしまったようです。 

  

                    * 

  ややぶ厚いその封筒に入っていた数通の書面の1枚目は『訴状』というモノでした。私は『訴状』というモノをこの時生まれて初めて見ましたから、果たしてそれが『訴状』として正しいのか、間違っているのか、判断できません。 

『訴訟』には私が、いつ、誰に、どんな事で訴えらえたのかが詳細に書かれていました。 

                   * 

 あなたにまず、原告からの訴えを……、あ、その前に、あなたはこの手紙を、いつ読んでいますか? 朝ですか?それとも昼?夜? 

 しかしそれはそんなに重要ではありません。あなたはきっと自分の都合のいい時間に読むでしょうから。私にとって一番重要なのは、あなたがこの文章を読んでいるという事は、私はもう二度と、最愛の家族に会えない状態にあるという事です。全く、あのご婦人は凶暴で、凶悪で、そして菩薩の様な愛にあふれた方です。私はそんな人に初めて会いましたし、きっとあなたもそうでしょう。まあ、実際の彼女がどういう人間か、もう私には知る由もありませんが。 

 彼女の話によると、あなたは〇年〇月〇日、埼玉県入間市に住む少年Aをアルバイトをしないかと言葉巧みに誘い出して自らが経営する店舗『日日彼是色々面白可笑し。』内に監禁、性的暴行を加え、脱出を試みた少年を捕まえ、惨たらしい形で殺し、どこかに連れ去って捨てました。私は彼女からの訴えを聞き終わるのに10年もかかった気がしました。それほど、あなたが彼女の息子にやった事は、人類史上まれに見る程の残酷さでした。彼女は、あなたを、絶対に許さない。絶対に仕返ししてやる。でも、私は立派な社会人なので、まさかこの人の家に火を付けたり、こっそり近づいて、頭を切り落としたりなんて、そんなことが出来ようはずがありません。 

 だからこの弁護士に相談し、訴状を書いてもらったのです。彼はおっとりとした人で、もう弁護士の仕事はあと2~3年で区切りをつけて、あとは妻と田舎に引っ越して畑仕事でもやるつもりだとおっしゃいました。 

 あぁ、言いましたね。確かに、私は彼女にそう言いました。すると彼女はその菩薩のような笑顔で、まあ、素敵ですわね、私も、出来ればそういう老後を送りたかった……。でももう無理です。私だって、あの子がもうこの手の中に帰ってこない事は十分承知なのです。でも、私はどうしても諦められない。だから、あの男の助けがいる。いえ、あの男の助けなど要りません。あの男を利用して、どうしても、人類、いえ、生きとし生けるものすべての常識を覆すべく方法で、あの子をもう一度、この手の中に抱きしめたいのです。その方法が、実は1つだけ、あるのです。 そう言いました。

 私は最近、耳が遠くなったせいで、上品なご婦人の腹筋の弱い声はすこぶる聴きにくかったのですが、でもその話の内容が、その声の調子とあまりにもかけ離れていたので、私は思わず身を乗り出していました。 

 「私は○○(『今の子の本名』)君を殺した人間を知っています。その人はきっと、あなたもご存じだと思います。」 

 彼女が上げたのは、ある有名な宗教家の名前だったのです。 

 あの男が、変態性欲者なのは有名な話です。そして男は息子を巧みに誘い出して、惨たらしい形で命を奪った。

 でもそれならばなぜ、あなたはこの人を訴えるのですか。 

 私のこの質問を待っていたかのように、彼女はこう答えました。 

 彼は私がその宗教家に唆されて、我が子をその手に掛けたと言いました。でもそれこそ、図自分がやった告白している事に、彼はまだ気づいてない。『皇極法師』というペテン師に……、フフフ、どう思います?先生。私とこの人と、どっちが騙されているのだと思います?

 私は、2人とも騙されていない。問題があるとすればこの『皇極法師』だろうと思いました。そうして私はまんまと罠に落ちたのです。私は両方を否定できない事で、自らの時間を見失った。夫人はその時、急に艶めかしい声でフフフ、と、また笑いました。

 お気づきですね。先生にあった時間はもう止まっているのです。そして私とこうして話をしている時点で、先生はもう、私の『今』以外、何処へも行けない。わたしだけの弁護士になったんです。 あの男は、酷い男です、先生、お願いです。私にはもう、あの男を訴えて、あの男の店から我が子を取り戻す方法がないのです。

 私はあとずさり、ドアを開けようとしましたが感触がありません。壁を叩いても、まるで感触がありません。 

 さ、先生、彼女はそう言って私に覆いかぶさりました。私は、何十年連れ添った妻と、赤ん坊の頃からの息子と娘の笑顔が、川の支流の様に枝分かれして流され、やがて見えなくなるのを感じました。 

 彼女は、凶暴で、凶悪で、そして、菩薩の様な愛にあふれた人です。 

 へぇ~……。 

 彼女の現実の中で、私がそんな事をしていたなんて、全く知りませんでした。 

 次回の裁判は〇月〇日だそうです。 

  第67章『それが座敷童です。』 

 突然ですが、私の実家には『座敷童』が住んでいます。そうです、あの『座敷童』(ざしきわらし)です。 

『座敷童』は古来より古い家に住む妖怪として知られています。私の実家は築30年ほどのごく普通の民家ですが、本家は300年以上続く造り酒屋で、母屋はその創業当時からある古い建物で、今の家を建てる前、私の家族はその別棟に住んでいたのです。田舎の旧家の御多分に漏れず本家の敷地はとても広く、母屋を出ると庭は里山から森へと続き、京都の女酒に最適な軟水の湧き水が川となって流れ、夏にはそこでスイカや夏野菜を冷やして食べ、秋には松茸や栗を収穫し、冬には茅葺きの大屋根の軒下に祖母がたくさんの吊るし柿を並べ、春が来るとそこに燕が巣を掛けました。まあ正直幼過ぎて、その頃の記憶はあまりないのですが……。 

 『座敷童』が住んでいる間、その家は繁栄するが、いなくなると途端に寂れて途絶えてしまうと言われています。だから『座敷童』の存在に気付いたら出来るだけ長くとどまってもらう様に、そりゃあもう丁重に、おもちゃを置いたり、食べ物を備えたりと、いろいろ気を使うと言います。 

 いえいえ……、 

 そんなのは全部ウソです。『座敷童』とはそんな、人の運命を弄ぶような極悪非道なモノじゃない。じゃあいったい、どんなモノだと思いますか? 

  

 よく聞くのが、子供たちが遊んでいると、知らない顔は1人もいないのに人数を数えると1人多い、なんて言いますよね。それは『座敷童』の仕業だと。自分を数え忘れていた、なんてオチを付けたがる人もいますが違います。実はそれが座敷童なんです。ただ彼ら、或いは彼女らにとって自分は常にその『1人』の方だという事です。 

  

 さっきまで一緒に楽しく遊んでいた友達が、ふと見れば誰一人知ってる顔がなくて「おい!〇〇!早くボール回せよ!」なんて言われたって、自分の名前は、〇〇じゃない……。 

 そしていきなり、そのうちの一人と目が合って、 

「君、誰だっけ?」 と言われる。  

               

 最初に『座敷童』の存在に気付いたのは私だと思います。子供の頃、喘息持ちで体が弱かった私は、同級生の男の子と遊ぶ事は滅多になく、遊ぶとしても女の子か、或いは年下の子とばかり遊んでいたような記憶があります。 

 ある日、私は近所に住む2つ下の利久君(仮名)の家に遊びに行きました。彼は私と同じ喘息持ちで、同じ病院の同じ先生に診てもらっていたので、よく同じ日に学校を休んで、私の家の車で一緒に病院に行っていたのです。その特別な感じはまるでキャンプにでも行くようで、痛い注射の事も苦い薬の事も忘れて、私はいつもワクワクしました。その長い待ち時間にも私達は、普段ならどうでもいいような、あっち向いてホイ!王様ジャンケンで大いに盛り上がり本当に楽しく過ごせたのです。おやつにはうちの庭で取れた栗を茹でてたくさん持っていき、2人で分け合って食べました。利久君は私の祖母が茹でた栗が大好物だったのです。 

 利久君の家で車を買ってからは一緒に病院に行くことはなくなったのですが、私は彼にも自分と同じ時間が流れている事を疑いませんでした。私が遊びに行けば利久君もきっと喜んでくれる。そしてまた楽し時間が過ごせると、そう信じていたのです。しかし彼と私がそうして楽しく遊んでいたのは、今思えばその時からもう2年も昔の事でした。 

 私を見た利久君の態度は私が思っていたのとは全く違っていました。そりゃあそうです、子供にとっての2年はとても長い時間ですから。絶対に歓迎されると思っていた私に利久君は、「君、誰だっけ?」と言ったのです。私は冗談だと思って笑おうとしましたが、その時、利久君の本当の友達も遊びの来ていて、そしてその子も、「この子、誰?」と言ったのです。利久君は「知らない」と言いました。

 その瞬間に、私の名前も顔も消えました。そして私は、いきなり現れた誰も知らない変な奴になってしまったのです。家の中には、私がやった事もないゲームや読んだ事がない漫画がたくさん散らかっていました。そして彼らの楽しい時間は明らかに私によって中断させられていたのです。私が利久君と一緒に食べようとポケットいっぱいに持ってきた茹で栗にも、利久君はもう見向きもしませんでした。そして、 

 「汚ない食い方しないでくれる。ママに叱られるからベランダで食べて」 

 と言いました。私がベランダに出ると、利久君は内から鍵を掛けてしまったのです。 

 開けて!開けて!と言いましたが、ガラスの向こうで意地悪く嗤う利久君の顔をみてすぐに私は、新しい遊びが始まったことを悟りました。そして、これはもうダメだ、と思いました。すると突然、空がむくむくと沸きあがる様に迫って来て、太陽が燃える音が聞こえ始めたのです。そうして私の知らない世界が、みるみる目の前に広がったのです。私はきっと、この空や太陽の中に取り込まれて消えてしまうんだろうなという、むしろ根源的な感覚をとても新鮮に感じたのです。 

 見るとベランダの隅には利久君が赤ちゃんの頃に遊んだと思われる砂場セットや、汚れた植木鉢がたくさん置いてありました。そして気付くと私はもうそれらと同化し始めていたのです。一応、砂場セット、一応、植木鉢。ですが今はもうナニモノでもなくなったそんなモノ達に……。 

 食べやすいようにと祖母は栗を茹でた後、包丁で軽く切り目を入れてくれていましたから、栗の皮は素手で簡単に剥けます。そして食べると、栗の優しい甘さが口いっぱいに広がります。しかし、食べれば食べるほど、その優しい甘さは私を悲しくさせました。祖母が付けてくれた包丁の傷が、そのまま私の心の傷となって激しく痛めつけるのです。祖母の優しさは私が食べる程に惨たらしい残骸となってベランダに散らばっていきました。 

 利久君はやがて、私をベランダに締め出したまま友達と遊びに行ってしまいました。私はとうとうこの世の中でたった1人っきりになりました。そしてただそこに居て、ただ何かが起きるのを茹で栗とその殻と一緒に待っているだけの存在になったのです。 

 暫くすると利久君のママが帰ってきました。しかし私はもう消えかかっていましたから、何も悪い事をしていないのに息を潜ませなければなりませんでした。 オバサン、開けて! とはもう言えなかったのです。オバサンは利久君と友達が散らかしたゲームや漫画を片付けました。そして台所からお茶を持って来てそのままテレビを観始めました。私は息をひそめてベランダからじっとその様子を伺っていました。そして辺りが薄暗くなってきた頃、ようやく利久君が帰ってきました。 

 おかえり、遅いじゃない、どこ行ってたの? 

そう訊ねるオバサンに利久君は、「〇〇君のとこ」と、おそらくさっきの少年と思われる名前を答えました。私は幸い、祖母の茹で栗のおかげでそれほどお腹は空いていませんでした。ただ、一体いつまで僕はここでこうしているんだろう、と暮れなずむ空と、そこにひと際明るい一番星を見比べ思ったのです。それから、ずっと……。 

 300年間、私はそこで過ごしました。やがてベランダが開いて、「ねえ、もう帰った方がいいんじゃないの?」と言ったのは利久君ではありませんでした。それは私の全く知らない子でした。 

 家に帰ると母に、「どこ行ってたんや?尚武(なおたけ)。もう晩ご飯やのに、遅過ぎるやろ!」と怒られました。私はこのエピソードは家族の誰にも話しませんでしたが、その日以来、私は、尚武です。 

 こんな感じで、私はこの家に300年以上も住み続けているのですが、あれ以来、ただの一度も誰かに見つけられた事はありません。尚武である以上、私はもう2度と、誰かにみつけられることはないでしょう。

これが『座敷童』です。もし、知らないはずのない世界が、突然あなたの目の前にハッキリと見えたら……。 

 それが座敷童です。 

  第66章『ドライヴィングランチ』 

 季節はちょうど寒くも暑くもないですが、それだけいろいろ不安定な事が起こります。先日、関越道を走行中に急に猛烈な睡魔に襲われ、それを紛らすために大声で歌を唄っていると今度は猛烈な貧血に襲われました。これは明らかに、私を亡き者にしようという何者かの悪意だと思って間違いありません。 

 私はトラックドライバー。週5日間、一般の人からすると信じられないくらいの長い時間、長い距離、トラックの運転をしています。1日の平均走行距離は250㎞、時間にして8~9時間、多い日は12時間、ほぼ毎日、昼休憩はなしで走り続けなければなりません。 

 だから私のランチは専ら、ドライヴィングランチ。所謂『おにぎり』ですね。運転しながら箸を使う事など出来ませんからね。具はその前の晩御飯のおかずが専ら。だから唐揚げや焼き魚ならまあ何とか形にはなるのですが、カレーや麻婆豆腐の日は、なかなかアヴァンギャルドなおにぎりに仕上がります。味はともかく、食べにくい事必至。自ずとおにぎりの方に意識が集中してしまい、前方が不注意になる。前日のスーパーでたまたま豆腐と挽肉が安かったから、そのすぐ隣に麻婆豆腐の元が置いてあったから、正直な妻はスーパーの在庫処分の甘い罠にまんまと取り込まれ、我が家の晩御飯が麻婆豆腐になったばかりに、全く関係のない善良な人がトラックにひかれて亡くなる、そんな悲劇が起きるくらいなら、もう私は今後一切、麻婆豆腐を食べない方がいいのかと思ったりもします。 

 これが私の言うところの、所謂『妄想』というヤツで、私は常から、困難が予想される状況下において、この妄想を盾に、次々と起草するされる悲惨な予感を巧みにカモフラージュし、そして突然、『でも予感はないよ!』とその妄想を根から断ち切る事で難局を何度も乗り切ってきたように思うのです。 

 さあ、みんな一緒に逃げよう! そう言って信頼できる仲間をぎゅうぎゅうに救命ボートに乗せて、荒れ狂う海に落としておいて、自分は一人だけヘリコプターに乗って上に逃げる。 

 私にとって、現実とはただのお人好しな正直者。彼は常に私を気遣ってくれます。親身になって一緒に悩んでくれようとします。きっと『一緒に死んでくれ!』と頼むとそうしてくれるでしょう。 

 でもいくら気遣ってくれるとしても、一緒にいると本当に死んでしまうようならこちらから願い下げです。だから現実が、さあ、こっちだ、こっちに逃げよう!そんな事を言ってきても、私は小さな事を何度も気に病んでみせては、自分が広大普遍な『今』の中にいる事を十分に知りながら敢えて動物園の動物の様にそこをグルグルと徘徊し、『あぁ、閉じ込められている、八方塞がりだ、私はこれから何をどうして生きて行けばいいんだ』なんて、いつ誰が考えたところでどうしようもないような事に煩悶懊悩し、その結果また別の妄想に縋りついては、 

 しかし世界にはこんな私すら羨ましくてしょうがない人が大勢いる。私は恵まれている。甘えている。私の現実は、私が思うほど酷くないと、トラックの窓の外を走り去る事物に語り掛ける事で、結果これまで安全にトラックを走らせる事が出来ているのだと決めたのです。 

 しかしそう決めると同時に、待てよ? じゃあ今、自分が置かれている状況なんてただの思い込みじゃないか? 一瞬の時間の中に不自然な理屈や仕組みを無理矢理に塗り固められた重層のウソじゃないか?という想像が、容易に出来る様になったのです。

  いつもならそんなに混まないこの道が、ある場所からぴたりと止まって動かなくなったのです。ラジオからは「県道〇〇号線の下りはワゴン車2台による事故で渋滞が14㎞に伸びています」なんて事を言ってる、場所はまさにその14㎞ほど手前でした。 

 その瞬間、一日の疲れがドッと吹き出しました。そして私の『今』は一気に日の暮れた更にその2時間以上先まで伸びました。私はきっとその時間までここでこうしているしかないでしょう。酒を飲みながらゆっくり観るはずだった西武ライオンズvsソフトバンクホークス戦も、明日のおにぎりの具になるべく何かの料理を食べる事も、妻と息子の顔も、愛猫のスリスリも、全ては保留になったのです。そして私の妄想はそういう時に最大の威力を見せるのです。 

                   * 

 戦争が長引く中、家族を迎えに1000㎞離れた町に向かう車列は続いている。この先にあるのは妻子の待つ町か、それとも絶望か……。 

 戦争に終わる気配がありません。私はもう両方の大統領が大嫌いになっていました。初めは当然、攻め込まれた我が国とその領土と権利を必死に守り抜こうとする大統領を支持しました。しかし死んでしまえば、国も、地球も、宇宙もなくなってしまうのです。それだけが現実なのです。たとえ私が無事に着いたとしても、そこに家族が無事に生きていてくれる保証すら、私にはないのです。 

 私の『今』はただ、全てが保留されているだけなのです。私にとって確実なのはこの車の運転席だけなのです。ルームミラーからぶら下がる骸骨のキーホルダーを揺らす振り子の法則だけが私の『今』を保証しています。しかし私はそれでもまだ幸せと言えるかもしれません。そんな妄想すら次の瞬間には、ロケット弾に吹き飛ばされてしまうかも知れないからです。そして私の到着を待っている家族のもとに私の訃報が告げられる。家族はちゃんと生きて私を待っていてくれたのに、私はたどり着けなかった。 これら諸々、すべてすべて。

 保留だけが、私の現実なのです。 

 私は必死に一番素敵な可能性の保留を探します。それはもう私に出来る事の全てです。私の家族は部隊に守られて安全な場所に十分な食料と水と共に私の帰りを待っている。私のいるこの道は今後、敵国の侵攻に重要な役割を果たすために、敵が攻撃してくる可能性は皆無だ。そして数分後、日暮れと共に警戒態勢が解かれ、検問を通過すると、そこには至って普通の我が国の人々の暮らしがあって、私はラジオで流行りの曲を聞きながら家族の元へとたどり着く。 

 しかし……、 

 私は目の前の現実にハッと目を覚まします。大破したワゴン車が2台。道を塞いで横たわっていました。こぼれたオイルを処理した薬剤を、私のトラックがぐにゃりと踏んだ感覚がありました。救急車のランプが目の奥を差す様に光ります。それだけ辺りはもう薄暗くなっていたのです。慌てた様子のない救急隊員が大きなシートで覆う、その向こうには死体があるのかもしれません。ないのかもしれません。 

 私は妄想よりも現実の方が怖くなってきました。私がさっき踏んだのはオイルを処理した薬剤ではなく、その人の一部だったのかもしれません。しかしそれこそ、是非とも保留すべき事実です。私は何とか、妄想とも現実ともつかないもう一つのモノをみつけなければならなかったのです。 

 私は助手席からリュックサックを引き寄せて中を探しました。すると昼間食べ残したおにぎりが入っていたのです。 

 お腹が空いていたのですが、麻婆豆腐のおにぎりはどうにも食べにくく、食べながら運転するのが危険な感じがしたので食べずに置いて置いたのです。私はすぐにそれを取って食べました。すると昨夜家族と食べたのと同じ安っぽい麻婆豆腐の味が、口の中に広がりました。それがどれぐらい神掛かって感じられた事か、私は『今』ここで表現する術を持ちません。ゆっくりと食べながらラジオで西武ライオンズvsソフトバンクホークス戦を探しまします。そうして私は少しずつ現実にソフトランディングしていったのです。 

 そして世の中には、こんな私すら羨ましくて仕方がない人が、大勢いる……。 


  第65章『稀代のウソツキ』 

「いいのいいの、そのまま上がって」そう言うと彼女は、フカフカの絨毯の上をどんどんと入っていきます。私はいつ、どこから飛び出してくるかわからない彼女の両親の姿を、まるで妖怪の様に想像しながら付いて行ったのです。 

 建物の2階にある彼女の部屋は優に90平米はあるでしょう。ビロードのぶ厚いカーテンが巨木の幹の様に縦長の窓を立ち塞いでいます。「じゃあ、お茶を入れて来るから適当に座ってください先生」彼女にそう言われるまで、私は自分が彼女にアドバイスをする先生の立場である事をすっかり忘れていたのです。 

 調理師時代、彼女は一緒に働く仲間でした。そこは下町の小さな洋食屋で、客は常連ばかりで、毎日何も変わった事は起きませんでした。 

 彼女は料理はとても上手なんですが、如何せん仕事が丁寧過ぎて外食には向かないタイプだと思いました。外食の場合、調理師はある程度以上を自分に期待してはいけないのです。必要最小限の仕事をいかに効率よく早くこなせるか、それだけが必要な能力なんです。彼女は主に賄いが担当でした。 

 「あの子はね、お嬢ちゃんだからおっとりしてるのよ」と90歳になる社長のお母さんは言います。確かに彼女からはどこか浮世離れしたような上品な風が見て取れました。そして私はある日、そんな彼女からとても質の悪い相談を受けたのです。 

 同じ職場に『マツオ(仮名)』という調理師の男がいました。彼女は『マツオ』からしつこく言い寄られて困っていると言いました。今からその『マツオ』について説明します。

 その店には女子更衣室が無く、時間帯を分けて男女は同じ部屋で着替える事になっていたのですが、交際を断られると、マツオは彼女の靴の中に自分の精液を入れたり、ロッカーの取っ手に自分のウンチを付けたりするようになったと言うのです。しかし彼女はその付着していたモノの名前を口にするのどうしても恥ずかしくて、これまで誰にも相談できずにいたのだというのです。 

  そしてある日、彼女は自分のロッカーに見覚えのない本が入っているのに気付いたそうです。それは彼女が取得を目指している資格の参考書で、彼女は、自分がこの資格の勉強をしている事は誰も知らないはずだと言いました。 

「それも、『マツオ』の仕業だと?」 

「うん、だってアイツ、『もう読んだ?』とか、普通に訊いてきたから」 

「そりゃ、間違いないね……」 

 どうやらマツオは彼女のロッカーを自在に開ける事が出来る以外にも、彼女の普段の行動を知る何らかの術を持っている様なのです。 

 マツオは職場でも鼻つまみで、トラブルメーカーで、何よりも病的なウソツキでした。マツオは、自分の実家は開業医だと言い、故郷に帰るとその病院の院長の座が約束されている、だから本当はこんなちんけな店で料理なんか作らなくても全然暮らしていける身分なのだが、勘当同然で家を出た手前、おめおめと実家には帰れない、と言いました。この短い文章の中にもすでにウソがいっぱい入っている事にすぐに気付いたかと思います。 

 勘当同然で家を出た息子になぜ無条件に院長の座が約束されているのか。そもそも、医者でもないマツオが病院の院長になれるのか。 

 あの子はね、孤児院から引き取った子なのよ。と社長のお母さんは言います。孤児院でも周りになじめず、トラブルばかり起こしていたのを、18歳になって院を出る時、職員から『この店で使ってやって欲しい』と頼まれて引き受けたのだそうです。 

 あの子にとって、ウソは護身術なの。社長のお母さんは言います。 

 あの子は現実を見ては少しも生きていられないの。詳しくは言わないけど、みんなには信じられないぐらい、それはそれは辛くて、悲しい思いをずっとして生きてきたの。だからみんなも、あの子の我がままには本当に手を焼くと思うけど、出来るだけ仲良く働いてほしいの。 

 90歳の社長のお母さんは『あの子』と言いますが、その当時で既にマツオは50歳を過ぎていたと思います。マツオの愚行、蛮行はこれに留まりません。マツオは、フライヤーでネズミを揚げ殺し、その肉でオムライスを作って客に出したり、パスタを揚げる網を排水溝の掃除に使ったりしていました。とにかく、やる事が全て常軌を逸していたのです。

「更衣室の件はもう警察沙汰でいいと思うよ」 

私は親切心からそう言ったつもりでした。実際、あのマツオの性格からしてこれ以上の増長は彼女の命にかかわると思ったのです。しかし彼女からは意外な答えが帰って来たのです。 

 私、後悔してるんです。なんで交際を断ったりしたんだろう、って……。 

え? 私は自分の耳を疑いました。 

 「私が彼と交際していたらきっと、更衣室の件もなかったと思うし、それなら彼も余計なウソをつかなくて済んだかも知れない。私は、彼が私にウソをついたのと同じ事を彼にしてしまった気がする。私は彼と自分が付き合えば一番いいと気付いていたにもかかわらず、彼の粗暴な性格とか、年齢とか、怖い見た目とか、そんなどうでもいい事に理由を付けて断ってしまった。それが全ての原因なんだと」 

 お人好しという事ならそれでもう何も言いません。しかしこれはこれでマツオ並みに病的だと思いました。このままでは共依存の様な危ない関係になりかねない。そう思ったのです。彼女は、今からでも彼と付き合った方がいいのか、それとももう遅いのか、それを相談したかったのだと言いました。 

「いや、遅くは、ないと思うけど、そうなればなったで、また別のいろんな事が手遅れにはなるかもしれないと思うんだよね。本当にそれで、イイの?君は。」 

「いいって?私? 私の、何が?」 

「だって、やっぱり、付き合うってもっとお互いの好みとか相性とか、そういうモノが重視されるべきだと思うし、もし結婚するのであれば経済力とか価値観とか、いろんな要素を考えてするべきだと思うし、君はだって、こんな大きな家の御息女で、きっと大切に育てられたんだろうし、そもそも君の両親はどうなのさ。だってアイツだよ! いきなりアイツを連れて帰って、『この人と付き合ってます!』なんて言ったら両親は卒倒しちゃうんじゃないかと思うんだよ。、僕は絶対うまく行かないと思うんだよ。勝手な想像して悪いけど」 

 そこまで一気に言って見ると、彼女はすっかり俯いてしまっていました。私は、しまった、と思い、いや、別にいいならいいけど……と言って黙りました。そしてすぐに、 

「ひょっとして、好きなの?」と大声を上げました。 

 ダメ? 彼女は言いました。そして……。 

 私だってこの家は自分から望んだモノじゃない。それは彼も同じ。彼だってきっと、あんな人生を望んだわけじゃない。だから、彼は毎日、1秒も間を空けずにウソをついているの。すごくわかる。それは私にとってのこの家と同じだもの。だから私も毎日、1秒も空けずずにウソをついてきたの。 

 このお屋敷ね、武闘派で知られる広域暴力団の組長の家なの、大親分。それが私のパパって言ったら?どう? 嘘だと思う? そう、じゃあ自分の目で確かめればいいわ。もしこのままここにいて、

 おい!お前ら、ここで何してる! と怒鳴られたら私はウソツキ。ここは私の実家でもなければ、私は大親分の娘でもない。逃げなきゃきっと殺される、私もヒドイ目に合う。でも、 

 おい、京子この人は誰だい?と言われたら、私はウソツキじゃない。その人は正真正銘、私のパパ。 どう? どっちだと思う?それとも逃げちゃう? 自分の目で現実を確かめる前に、そそくさと逃げちゃう? それじゃああなたは彼と同じじゃない。現実を見ようとしないあなたは、彼と、同じ。 

どうする? 確かめる? 逃げる? 

 私は部屋を飛び出して一散に階段を下りました。すると玄関の扉を塞ぐように、恰幅のいい中年の男が立っていたのです。 

 おい!お前!うちでナニやってる!?  それはマツオでした。 

私は構わずマツオを突き飛ばして外に出ました。 

 まったく、先生も楽じゃねぇ! 

 私は正門まで続くの小道の木漏れ日の中を走り、やがて抜けるように高く青い空を見上げ、木々の小鳥の囀りを聞いて、次第に速度を落とし、やがて歩き始めました。 大きなお屋敷が誰のモノでも、私には元々関係なかったのです。

 おやおや、なんて立派で、綺麗なお庭だ事……。 

『いきてるきがする。』《第8部・春》


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第64章『オモイデ、アリ〼。』 

 今日は私が店番をしています。2人にはお使いに出てもらっています。少し時間がかかる様なお使いに出てもらっているので、暫く帰って来ないと思います。というのも、今日は皆さんに話す事が、話したい事があるのです。 

 しかしあの2人がいないと、この店はこんなにも冴えない古びた雑貨屋なんですね……。ゴールデンウィークが終わってからこっち、急に夏の様な日が続いたかと思うとジトジトと冷たい雨が降ったりして、何だか体調もすぐれません。 

 窓辺の万年風鈴が チリ、と鳴ったので目をやると、窓の向こうに人参色をしたケシの花がたくさんゆらゆらと気楽げに揺れているのが見えました。何かに似ているな、どこかで見たな、と考えるとそれはいつか神田駅のホームで見た酔漢達にそっくりでした。私がまだ未成年だったあの頃、酔漢達はみな模範囚の様に見えたモノです。そして巡り巡って、気が付くと自分までその模範囚となり今、私達は共に店の内と外でこうして揺れているのだから面白いモノです。そしてあの時同様、ほどなく雨が降るようです。 

 2人にお使いを仰せ付けた引き換えに私は、2人から多くの事を仰せつかりました。 

 今日はたくさん荷物が着きます。今日の発送分の品物に関しては触らないでください。それ以外は、Tシャツなら男女それぞれMサイズを柄ごとに1枚ずつ、袋から出して中央の台に見栄えよく置いてください。残りの在庫分は衣類はカラーバリエーションがグラデーションになるよう重ねて戸棚に、お客さんから見える様に綺麗に収めてください。小物も一つずつ出して、在庫は箱ごと見えない様に台の下に仕舞ってクロスを掛けて置いてください。平積みはやめてください。売れなくなります。どうもうちの商品はたくさん並ぶと急に魅力がなくなるようです。それはデザインに問題があると思います。いずれも一点モノでしか成り立たない様なクセのあるモノばかりで、しかも大人が着るにはふざけ過ぎていて、子供が着るには可愛くなさ過ぎるのです。それというのは店長が顧客のニーズを全く考慮せずすべて思い付きでデザインするからで、実際に買っていく人を見ても大概は後先考えない衝動買いか、さもなくば誰かに送って困らせてやろうというイタズラ好きな人ばかりのようです。 

 ずいぶんな言われようですが、これが実際なのでしょう。 

  

 昨日、フレデリックのしっぽの付け根に白いモノをみつけました。 

『おぐされ病』という病気らしく、いろんな原因があるのですが、医者の言いうところによると、フレデリック自身の免疫力の低下もあるのではないか、という事でした。薬をもらって、今朝から水槽に入れてるんですが、なにぶんご高齢につき、慎重には慎重を重ねて……。あ、これも触らなくていいですから。 

  

 フレデリックとは金魚の名前です。誰が付けた名前なんでしょう。人間ならもう300歳ぐらいでしょうか? いつからこの店にいるのでしょうか? 

 いえきっと、私はこれらの事はすべて知っているのです。しかし私があまりに長く生き過ぎたせいで、今初めて知った事も、ずっと昔から知っていた事もまったく区別がなくなっているのです。それは例えるなら、宇宙から地球を俯瞰しているような感じでしょうか。 

 宇宙から見れば東京も大阪も変わりません。更に遠く俯瞰すれば、銀河系もアンドロメダ星雲も変わりません。時間は長く過ぎれば過ぎるほど、『今』は遠くから俯瞰されるような変化をするのです。 

 もっと若い頃の私は『今』を時計の針の何倍も細かく刻んではそれを浪費しているような罪悪感に苦しんでいましたが、今はもうそんな事はありません。『今』は老いた猫と並んで、私の傍らでじっとしています。 

 言いたい事がある、と言いましたが、それは他でもないこの、私の溜まりに溜まった思い出の『処理問題』です。どうか皆さんにも使ってもらいたいというのが趣旨なのです。 

 他人の思い出を使うって?どういう事?と思われるかもしれませんが、思い出はもともと独り占めできるものはありません。こう言うと、じゃあ、夢は? と大概は仰るが夢にしたって独り占めできるものではありません。思い出も夢も、誰かと共通しているのが通常です。 

 私達は様々な場所を旅します。それは単に空間的にという意味ではなく、想像のエリアも含めた全体を示します。そしてその日に見た事、聞いた事、やった事を行商して回っているのです。 あぁ、今日はこんな事があった、でもこんな事もあった、だからこんな事になった、という按配で、それを人に見せて回っているのです。そして誰かがその思い出を気に入ればそれを持っていきます。お代なんて有りません。ただ、ひと声かけて持っていくのです。そしてその人が掛けた何気ない一言が、あなたの思い出や夢の内容を決めているんです。 

               * 

 やあ、忙しいそうだね、今日は。 

 早速、誰かが話し掛けてきました。 

  2人はお使いかい? どおりで忙しいわけだ。じゃあそのフレデリックという金魚について教えてくれないか? 

 私は金魚の事を話します。 

 あの金魚は私が小学2年生の時に神社の縁日で掬ったモノです。生き物が嫌いな父親に黙って、おばあちゃんと行った縁日で私は生まれて初めて金魚を掬ったのです。 

 5匹も掬ったのですが、家に帰るなり酔った父に取り上げられ、そのまま家の前を流れる側溝に捨てられてしまいました。血の雫の様な赤い金魚が、ボウフラが湧いた汚らしい側溝に消えていったのです。私は側溝に飛び込んでヘドロの中から金魚を掬いだしましたが、2匹しか見つかりませんでした。 

 ヘドロまみれの私に、父は酒臭い息で言いました。 

「お父ちゃんはな、動物が大好きなんだよ。子供の頃はいろんな動物を飼った。でも今は全部死んでしまった。自分が動物より先に死ねば楽でいいが、じゃあ残された動物はどうなる? 逆に動物が先に死ねば、それはお前が考えているよりもずっと悲しくて辛い事だ。動物を飼うという事はそういう事だ。どちらにせよ、お前は自分の人生を敢えて悲しみの袋小路に追い込むことになるんだ。それは無駄な事だ、やらなくてもいい選択だ。動物は絶対に飼ってはダメだ!」 

「じゃあ、人間の子供はどうなんだよ?」 

人間の子供は飼うんじゃない。子供の命は親の命の一部だ。大切かそうじゃないかという存在じゃない。だから大丈夫だ。先に死んでも、先に死なれても、存在を疑う必要はない。だから別段問題はない」 

「じゃあ、俺はどうなんだよ?」 

お前は大問題だ。お前は紛れもなく父ちゃんの子だ。だから厄介なんだ。」酔っぱらった父はその時、少しまじめな顔になりました。

 お前は生まれた時にほとんど死んでいた。お父ちゃんはそんなお前をベストじゃないと直感したんだ。だからもう諦めたからいいと言ったのに、医者が勝手にお前を生き返らせた。案の定、お前は父ちゃんには懐かず、ばーさんにばかり懐いて、父ちゃんのお前に対する愛情はどんどん薄れていった。それは父ちゃんをどんどん不幸にする事だ。だから父ちゃんは父ちゃんもお前も不幸にならないための唯一の方法を取った。それは神様から生まれた正真正銘の自分の息子であるお前を『飼う』事だ。飯を食わせて、病気をすると医者に連れて行って、誕生日のお祝いをして、旅行に行って、運動会に参加して、人並みに大学まで通わせた。でもただそれだけだ。父ちゃんはお前に何の見返りも期待せず、お前に感謝されない様にと、それだけを気を付けた。父ちゃんは自らの意志で、全く可愛くないモノを細心の愛情を込めたのとまったく同じように飼育したんだよ。犬猫と人間の混ぜこぜだ。これは大変だぞ。しかしそれでお前も私も救われたと、父ちゃんは自負している。今でも父ちゃんはお前が生まれてくれてよかったと思っているよ。そのお陰で父ちゃんは親子という関係の脆弱さを知った。疑う事が出来た。そして親子の関係を力づくで制御する必要性に気付いた。だから父ちゃんはお前に感謝している」 

その時の2匹が、あの金魚です。」

「……。」

「どうですか?」 

「つまんねぇ話、要らねぇ」 

「あぁ、そうっすか、じゃあ、神田駅のホームから酔っ払いが転落してそこに急行列車が……」 

「あぁ、それも、要らねぇ」 

「あぁ、そうっすか……。」 

 今日は、まだゼロのようです……。誰の現実も夢もシェア出来ていません。私はしばらく、ただぼんやりと夜景を眺める様に億千万の生活が星の一つ一つに宿っているのを眺めている事になりそうです。

 そうしてジッと庭を見ていると、『今』の自分がどういう状況に置かれているのか自分勝手に決めても一向にかまわない事に気付くんです。出来るんですよ。で、そこに花瓶につと花を1輪活けるように、

私の思い出の数々、置いてみませんか? オモイデ、アリ〼。

                 

                * 

  ポツポツという音で目を覚ますと同時に2人が帰ってきました。 

 お帰り、早かったね。  

 お帰りじゃないですよ店長。雨降ってきましたよ。窓閉めなきゃダメじゃないですか! 

 あぁ、そうかそうか。そりゃ大変だ。で、売れた? 

 売れませんよ。 

 万年風鈴がまた、チリ、と鳴りました。これはさっきも聞きました、遅かりしの雨告げのチリ、です。 夏までまだもう少しありそうな気がしました。 

第63章『拝啓、ミスター・ルサンチマン!』 

 私など大した人間ではないし、何も知らないし、何も出来ないのですが、こんな私に憧れ、必死に追いつこうとしたが追いつけず、ついにはルサンチマンから私を殺そうとした人がいたのです。これは私がドライバーになる前にいた職場での話です。 

 まず初めに、私は12歳でギターを始めました。まあ多少の才はあったのではないでしょうか。周りの友達よりも上達が早く、お前はなかなか筋がいい、東京でもイケるんちゃうか?!という周りの大人のいい加減な言葉を信じ、高校を卒業すると同時に、私は極東で一番大きくて一番危険な街、東京に足を踏み入れたのです。 

 そこでは壊れたバイクを高額で買わされたり、厄介な宗教団体に合宿と称して監禁されたり、殺人の前科がある変態性欲者の餌食になりそうになったり、 AV女優の運転手としてアメリカに行ったらパスポートを取り上げられ帰れなくなったりと色々ありましたが、もとより東京はバケモノの巣窟だと思っていたのでそれなりに処理できました。 

 しかしこれだけは意外でした。それは音楽が本当に楽しかったという事。 

 田舎にいた頃は、東京というモノを誇大に妄想しては、そこで暮らすにはきっともっと大きな角をはやさなければ、もっと派手な翼をはやさなければ、と荒唐無稽な条件が次々と頭に浮かび、『こんな田舎でこんな凡百な連中を相手に手こずっているようではとてもとても東京では通用しない!』と周りとの関係をわざとギスギスとさせて、相手の欠点ばかりに目を向けてその分自分を少しでも優位に立たせようとする、そんな卑屈で意味のない習慣が身に沁みついていたのです。 

 ところが実際に東京に来てみると、連中は皆とても楽しそうで、自分以外にいいプレーヤーをみつけたら寧ろ嬉しそうに近づいてきて、一緒にやろうよ! と声を掛けてくる。自分の可能性と相手の可能性を同等に見るんですね、しかも私には考えられないほど、ごく自然に……。 

 あぁ、つまりこれが東京なんだな……、と思いましたが、そう気付いた時はもう私にはそこを伸ばす伸びしろが見当たりませんでした。私は自分の才能にも可能性にも見切りをつけた事はこれまで1度もありませんが、ただ私には誰かの力を伸ばす力がなかった事だけは痛感せざるを得ませんでした。バンドをやろうと意気込んでいたくせに、私はバンドそのものをまるで信用していなかったのです。 

 30歳を過ぎた時、私はミュージシャンの夢を諦めて、普通に就職する事にしたのです。 

 まあ、よくある話ですね。 私はいつも恐れて怯えていた、ただそれだけです。誰かこんな凡人に憧れますかね? もし彼にもその事をちゃんと話せていれば、彼の私への病的な憧憬やルサンチマンは幾分か色褪せたモノになっていたかもしれません。殺す価値もない奴だと、早々に気付いていたかも知れません。彼は確かに、私の目から見ても、何も持っていませんでした。知識も、技術も、社交性も、話術も、素敵な表情も、罪のない嘘も、夢らしい夢も、希望も、目標も。 

 彼は職場の先輩でした。私よりも年は若いのですが、職場では先輩でした。私はいつか彼に仕事のやり方をたずねた事がありました。すると彼は、これは僕のやり方だから正解じゃない。だから僕のやり方を参考にするのは勝手だけど、自分の正解は自分で見つけて、と言いました。それからも、何かを訪ねるたびに彼は、これは正解じゃない、と同じ事を言いました。それは道理です。そして仕事に慣れ始めるに従って私は、彼が言ったとおり自分で工夫したやり方に変えていったのです。それは当然、彼にとっても正解のはずでしたが、しかし彼は事ある毎に私のやり方を非難するようになりました。 

 そんなやり方じゃ2度手間になる。僕の話、聞いてた? 

 と言っては、私のやった事をあてつけがましくやり直したりするのです。私は温厚な性格なので大概、態度には出しませんが、そういうあてつけがましい行為に対しては、自分でも驚くほど耐性がなく、その時も、傷ついたのか腹が立ったのかは今や判然としませんが、とにかく私は彼に対して猛烈な不快感を持つ様になっていったのです。 

 彼は私を見ても笑いません。当然私も彼を見て笑いません。仕事は慣れれば誰にでも出来るような単純なモノでした。だから私は彼を、彼は私を、出来るだけ仕事が連携しない様に、そしてその分、その他の社員とは出来るだけ楽しそうに話す様にと、それはげんなりするほど低辺な戦いを続けたのでした。底辺の戦いに関しては彼に分があるように感じていましたが、その時はまだ勝負としては互角だった様に思います。 

 しかしあるファクターが私に大きく加勢します。それは、その職場の所長が、『大のロック好き』という事情でした。所長と私はロックの話で盛り上がりました。所長は大のロ―リングストーンズファンで、私はいつも、ほんの少しだけ話の下手に出る形を取ります。すると話はとても盛り上がるのです。これを『銀座のホステス方式』と私は勝手に呼んでいるのですが……。 

 実はローリングストーンズの知識も、私には相当あるのです。でもわざとわからないふりをして相手に花を持たせる。これを相手にわからない様にするのです。そして相手が気持ちよくなっているところで、ストーンズのスピンオフ的話題、大ファンにとってはどうでもいいような、雑学的話題を振り掛けると所長は、お前は、本当によく知ってるなぁ~、と言って感心するのです。 

 恐らく私のそういうところが彼の琴線に触れたのだと、私は推測しています。彼は俄然、音楽を、特にローリングストーンズを聴くようになったのです。そして、 

「所長、知ってます? ロンドンのビル・ワイマンが経営するレストランのお土産のライターが、使い捨てなのに700円もするんですよ」などと、悲しいほどに絞りだしてきた話題で細々と対抗しようとするのです。私はかつての自分を見るようでした。彼を少し哀れに感じたほどでした。敵を恐れるあまり巨大に見えて、小石の様なモノまで投げつけて身を守ろうとする。 

 きみ、私と所長の話はそんな大したモノじゃない。ただの雑談なんだよ……。 

 しかし私は私で、明らかに彼の劣勢を意識して、それこそ必要以上に楽し気にローリングストーンズの話をして見せたのも事実です。私は読書も好きなので、ローリングストーンズの話にうまく交えて、三島由紀夫と川端康成の裏話や、ジョルジュ・バタイユガルシア・マルケスの様な、やや癖のある作家の雑学などを披露し、ますます『お前はホントにいろんな事をよく知ってるなぁ~」と言われ、彼を突き離しに掛かったのです。毎日彼の歯ぎしりが聞こえて来るようでしたが、それはそれで全然不快ではなかったです。 

 そんなある日、彼が突然、私を食事に誘ってきたのです。 

 彼は私を居酒屋に誘いました。そして突然、これまで取ってきた不遜な態度を全てを詫びてきたのです。あれはすべて、自分の不甲斐なさから出た事で、あなたには関係ない。私はあなたの豊かな知識と経験が羨ましくて仕方がなかった。自分は貧しい母子家庭に育ち、あらゆる欲望を諦めなければならなかった。そんな母親もある日、再婚相手と家を出て帰らなくなった。私は母を待ったまま親戚に引き取られ、そこで『飼育』されたんだと。 

 僕は、本当は警察官になりたかったんです。この世の中から、あらゆる不平等や理不尽を根絶したかったのです。彼はそう言いました。そして、でも、諦めました。と言ったのです。 

 『飼育』されながらも、彼は母を待っていたのだと言いました。いつか、あらゆる世の中の不平等や理不尽の間を縫って、母の白い手が私を目掛け、一直線に伸びてくるのを、バカバカしい話ですが、つい最近まで本当に心待ちにしていたのだと。 

 でも、諦めました。それは偏に、あなたのおかげです。 

 そいう言うと彼は、テーブルの下に隠していた両手を振り上げると私の胸めがけて包丁を振り下ろしたのです。大柄な彼がいきなり立ち上がったせいで、居酒屋のテーブルが彼の肘を押し、包丁は私の胸のややズレた場所に刺さりました。店内で悲鳴が上がり、私は彼の両手を両手で押さえた形で絵の様に膠着しました。そして彼はさめざめと泣きながら、 

 なんで? これも、ダメなの? 

 と言ったのです。 

 『命掛け』なんて簡単に言いますが、命なんて邪魔なだけじゃないでしょうか。命なんてモノを意識すればするほど、人生が他人事になってしまうんじゃないでしょうか。私は、彼のために立派に死ぬ事も出来たんじゃないでしょうか。それが正解だったのではないでしょうか。 

 私は彼を凹ませるためだけについた、ジョルジュ・バタイユやガルシア・マルケス、三島由紀夫と川端康成、ローリングストーンズについての数々の嘘を胸に抱えて、彼の代わりにまっとうな社会人として、父親として生きる事を誓います。 

第62章『名前は、椎名。』 

 さっきからずっと庭を眺めてはため息をついています。恋をしてるのかって?そんなんじゃありません。揶揄わないでください。喜怒哀楽が疲れ切ってしまった私の事などもう覚えている人も少ないかと思います。私の事が見えている人はもう1人もいないかもしれません。なぜならば私はあの出来事以来、すっかり自己嫌悪に陥り、自暴自棄になって、携帯からすべてのアドレスを消去して、SNSの全てのアカウントを削除してその上、何度も覚悟の足りない、中途半端な自殺未遂を繰り返して、そうしながら孤独の淵の奥深くに卑しく身を沈めているのですから。 

 私の名前は椎名。ウソでも本当でもそんなのどうでもいいです。 

 大好物はスイカ、いつかの夏の海であの子と食べたあのスイカです。日焼けしたあの子は、浮き輪に座ったまま器用に種をぷっぷと吹き出して……。それ以外は何を食べても同じです。 

 難しい問題は次から次と現れては私を掠めて飛んでゆきました。飛んで行ったのならいいじゃないか!と、そう仰ってもそれは違います。『今』とは常に、その掠めている瞬間の事なんですから。突然降りかかってくる、悲しみや恐怖は常に『今』なんです。それに、掠めるといったって、それはまるで剃刀のような勢いなんですよ。完全に私の命を狙っているんです。 

 だからまずは私は正体を隠す必要があるのです。だからまずは私の性別が男か女かわからなくするために、初恋の話から始めます。私の初恋は幼稚園の頃、同じクラスではなく違うクラスの、近所に住む……。 

「あ~あ、また始まったよ」そう言ってペンをくるくるし始めた。 

私?私の名前は椎名。ウソでも本当でもそんなのどうでもいいよ。 

どうせまた、そこから結婚して子供を3人設けて、なんのかんので今に至るまでのいきさつを滔々と2時間も3時間も話すんでしょ。もうウンザリだよ……。なんなんですかね、こうやって頭がおかしくなったフリさえすれば、罪はどんどん軽くなるってシステム。 

 昔みたいにタバコの煙がモクモクという事はありませんが、この部屋の中はその分、凛とした重い空気がみっちりとしています。タバコの煙など、たとえあったとしても揺れようもないでしょう。 

 私が庭を見ていたのは昨日の午後の事です。雑草が伸びたので娘達と一緒に草引きをするよと声を掛けて、それぞれが庭に出てくるのを待っていた時でした。風に揺れる雑草が私の足元で小さく揺れるのを眺めている時、私には今までの私の状況のすべてが、あたかも頭の中だけに限られた事のように思えてきたのです。私があの人と結婚したことも、あの人との間に2人の娘と、そして、あの子を授かった事も……。 

 私は大きくかぶりを振ります。違う違う!! 頭の中に限られた事なわけがない。でも私の心は尚、揺れる雑草を見て寛いでいるのです。バカな!嫌だ嫌だ! そんなにして、私はあの子を否定したいのか?もともとなき者にしたいのか?? 

 いくら私があの子の悲惨な最期を『今』に投げつけてみても、穏やかな風はやみませんし、私の心は落ち着いたまま乱れません。 

 そういうあなたは、心の傷を何だと思っています?どういう性質のものだと思っています? 

 そう訊かれて私は即座に、必ず癒す事が出来るモノだと思いますと答えたのです。するとその人は、なぜ、そう思う?と再び訊きました。私は、 

 人はいつまでも一つの事に固執していては前に進めません。人間は生きる限り先を、未来を見なければなりません。過去はどうする事も出来ませんが、未来はなんとでもすることが出来る。そう思って生きる事こそが魂を幸せに保つ事だと思うからです。 

 そんな、今思えば優等生過ぎる、雛形どおりの全く親や社会からの受け売りな事を、でもその時は本気でそう思ってそう答えたのです。 

 過去も未来を含まない、そんな『今』が、あなたには見えるんですね? 

 そう訊かれて私はあわてて訂正しようとしましたが、それはダメだとハッキリ言われました。一度そう答えたのならもうそれは本音として覆らないと。覆ったとしても、それは全てウソだと。『その人』は言います。 

 すべてのチャンスは一度だけだと……。 

  私は椎名といいます。でもそれはもともとは、誰名(すいな)から派生した名字で、誰も私の名前を知らない、という意味で……。 

  

 椎名、強いな、恣意な、思惟な、シーナ、sheena. 

 そんな調子で、私はきっと誰にでもなれるんでしょうね、いや、なれたのでしょう。その気になれば鳥にだって。そうして庭にポンと降り立って、心の向くままにミミズや虫を啄んだり、誰も見てさえいなければ植木鉢や車のボンネットの上にフンをして、そのまま鳥として、羽根を繕ったり、そこで偶然にスイカの種をみつけて……。 

 あ! やっと娘達が出てきました。双子なんですよ。2人とも私が言うのも何ですが、とても美人。お揃いの鍔広の帽子がとてもよく似合っています。さあ、草引きを始めますよ! 

                   * 

 やれやれ……、やっと終わったよ。今日は草むしりまでか。それで、あれでしょ、庭で草むしりをしていてスイカの種をみつけて、息子のあの出来事を思い出して、取り乱して、娘達に介抱されるんでしょ。そのあとは何でしたっけ? 何回聴いても、そこから先を忘れちゃうんですよね。まあ、どうせデタラメだからどうでもいいんですけど……。 

 私の名前は椎名。出身は京都なんですけど、なんでも千葉に多い苗字らしくて、部首の隹(ふるとり)はしっぽの短い、ずんぐりとした鳥、という意味があるらしいのですよ。それが木に止まっているって、そんな意味なんですかね? そりゃ鳥だから気に止まっても何も不思議じゃないでしょうけどでもね、椎名だからって、実際は何も私の事を表してはいないんですよね。 だから、そんな風に呼ばれても、一応返事はしますけど、納得しているようなしていない様な……。名前とか、何なら顔とか。 

  

 何なんでしょうね? わからなくなりますよね。いつも。  

第61章『春を走らせ!走らせ春を!』  

 素敵だなぁ、と呟いたら……。 

 そりゃ、そうでしょ。今年もこうして無事に桜が咲いてくれたんだからこんなに素敵な事は他にあるわけがないでしょ? まったく咲かない可能性だって、まるでなかったわけじゃない。黒い雲や冷たい風は、いつもどこかで渦巻いている。それが今年も房総半島の春が、こんなに素敵に無事にやってきたのだから、こんなに素敵な事が他にあるわけがないでしょ? 

 房総半島の春? そうか、私が見ているこれは、房総半島の春なのか……。 

 房総半島のちょうど真ん中辺にあるこの現場は、曲がりくねった狭い山道のどん詰まりに追い詰められたキツネの様に蹲っていて、余所者の私を見ると息をひそめるのか、だだっ広い敷地内にはいつも人影がなく、散々ウロウロと歩き回ってやっと誰かをみつけても、私の管轄じゃない、とか、フォークのオペレーターに訊いて、とたらい回しにされた挙句、もうちょっと早く持って来れなかったの? などと心無い文句を言われるのが常なので、朝、配車表でここをみつけると気持ちが沈むのが常なのですが、春だけは別。そうじゃない。とにかく、その道すがらの桜の見事な事! 

 今はソメイヨシノは終わり、花吹雪を演じているのは専ら八重桜。品で言うとやや線が太く、繊細な桜を演じるにはソメイヨシノよりやや劣ると評価されがちな八重桜が、それならばと一世一代、その一番の特徴であるふくよかな枝先を、まるで酔った楊貴妃の白妙の指先から下がるライチの房の様にたおやかに艶めかしく揺すってみせるのです。 

 お見事! 私はハンドルを握りながら拍手喝采! 

                 * 

 ディーゼルエンジンも今日は心なしかしゃいでいるようです。いつもよりウンウンと唸りを上げて坂を上ります。あなたもあるでしょう、お散歩中の犬のような気分。あっちこっちに素敵なモノがあり過ぎて、いったいどこに行きたいのかわからなくなるような気分。 いかんいかんと、私は気を取り戻します。

 この時間にまだ船橋だから、卸すのは午後イチになりそうだな。その後は多分、有明辺りで積んで都内近県に2~3件。それで終わりにしても事務所に着くのは17時前後と言ったところか……。 

 昔ならば何日もかかった道のりが、わずか数時間で過ごされる文明社会。結果として私は昔の人の何倍もの時間を過ごしている事になるでしょう。今日午前だけで私はきっと、江戸時代の旅人の数日分にも換算される時間を過ごした事でしょう。でもそれは単にトラックのスピードのせいじゃない。頭の中身が、時間を飛ばし読みをしようとしているのです。私の脳みそは道すがらの何百年のメッセージを一瞬で捕えようと無理をするのです。でもそれは昔の旅人だって同じです。何百年も昔にふと私をみつけて歩き出す、そんな無理をするのです。私と旅人は図らずもそうして、抜きつ抜かれつしながらお互いをめざして歩いている。会えない事もあるでしょうが、うまく会える事もある。 

 どうせ昼に掛かるのだから同じ事だと、私は路傍にトラックを止めて午後のちょうどいい時間までそこで昼休憩を取る事にしました。窓を開けるとソメイヨシノより稍々大ぶりの八重桜の花びらがいっぱい入ってきました。それはいつか昔、私が放った毛束のサルが花弁なって帰って来たモノかもしれません。私のメッセージは遠い中国の遠い作家に無事届けられたようです。そう、私だってなにかの目的のためにそこへ向かい、それを終えてまた戻るのだから旅人に変りない。その運ぶモノが例え、一通の恋文だろうが、20トンの建築資材だろうがなんら変わりはない。 

 『今』私の目の前に咲くこの立派な八重桜の老木は、江戸時代の旅人をしてわざわざ私に会いに向かわせるための標となって何百年も昔にこの道を歩かせしめたのでしょう。彼の目的は正に、私に会う事、そして一通の恋文を渡す事だったのです。もし私がちょうどその場所にトラックを止めていたとしたら、一体どういう現象が起きると思います? 

                   * 

 あぁ、やっと追いついた。この恋文は、貴方へのモノです。 

 え? でも私には、思い当たる人が1人もありませんが……。 

 そりゃ、そうでございましょう。おなごがそうそう恋心など悟らせようはずもございません。 さ、どうぞ、お読みください。それまで私はここで、一服させてもらいます。そう言ってガードレールにもたれると彼は猫の根付けをグイっと引っ張り、煙管を出すと煙草の葉を詰めはじめました。 

 受け取った手紙からは微かに香が香りがします。開くとそこには綺麗な平仮名がサラサラとして、知識のない私には全然読めないのですが、きっと私も年柄もなくドキドキと火照っていたのでしょう、その微熱のせいか、頭に入るなり平仮名はザラメの様に易々と解けては沸々と語り掛けてきたのでした。 

                  * 

『あなたへ。私は今、夢を見ているのでしょうか? あなたがはっきりと見えるのです。あなた、私は恋をした事がありません。それはきっと、誰かが私を望まなかったせいでしょう。いったい誰が、何のために私を望まなかったのでしょう。私は私の命が続く限り、その人と、その人が私を望まなかった訳と、そして最後に、その人の代わりに私を望んでくれる人を探したのですが、とうとう見つかりませんでした。それにはあまりにも私の命は短すぎたのです。私はそのあまりの辛さから、その考えを何度も捨てようとしました。しかしそのたびに、望まれない私がその考えを捨てたりしたらそれこそ、私は何なのか、私の命は、私の苦しみは、私の希望は何なのか、そのすべてを私自ら捨ててしまう事になるのです。それは矛盾です。揶揄われたのと同じです。もしそうならば、私を望まなかった張本人が私自身であったならばその時は、私は初めて腹を立てると決めているのです。憤怒に我を忘れて、髪を掻きむしってのた打ち回ると決めているのです。 

 今、気持ちはとても穏やかです。私の前には、小さな八重桜の苗木がほんの数輪の花をつけております。こんな小さな苗木に咲いた花でさえ、時に連れて老木と同じように散ってしまうのですから、私の命が幾許もなくとも文句は言いません。ただこの苗木がいつか見上げるほどの大木となって、そして私を望む人がふとその姿に目を止めて、その場所に立ち止まってくれたならば、私はその人に手紙を書くことが出来ると思うのです。 

あなたへ、あなたは私を望みますか? 望んでくれますか?』 

                  *  

 私が目を上げたのと同時に、読み終わりましたか? と言って彼はガードレールから立ち上がりました。 

 えぇ、でも、なんて返事を書けばいいのかさっぱりわかりませんよ……。で、この人はその、亡くなったんでしょうか? 

 はははは、そりゃ、もう何百年も前にね。いいんですよ、今、貴方が思う率直な気持ちで。 

 そう言われてもねぇ……、私はあくせくしながらようやく返事を書きました。それを渡すと、彼はそっと懐にしまい、 

 確かにお預かりしました。して……、 

と、猫の様に鼻を中空クンクンとさせ、さっきから春の香に混じって妙な匂いがしませんか? と言いました。そういえば確かに何かが焦げるような臭いがします。 

 大方、私のこの方への想いが、手紙の端っこでも焦がしてしまったのでしょう。私が言うと、彼は大きに笑いました。 

 ワハハハハハ! そんなに熱い内容なら私もちょっと読んでみたくなりました。読んでいいですか? 

 ダメダメ!絶対ダメですよ。何処の世界に人の恋文を盗み読みする人がいるんですか! 

 ワハハハハハ! 何処の世界にもおかしな奴はいるモンです。人のモノとも、自分のモノとも区別もつかず、いい事しているつもりで悪い事をしては、未来の、過去の人達に嫌われたり、また好かれたりしている。そりゃあもう、悔しいほど是非の付かない、おかしな連中が……。 

 とにかくその手紙、絶対に途中で読んじゃダメですからね。ちゃんとこの人に届けてくださいよ。 

 まあ、長い間ですからね、私にだってふっと魔が差す事がある。我慢する度胸はあってもふとした拍子にそれが徒となることもある。それならば堂々と今、ちょっとだけ。 

 だからダメだって言ってんじゃん!しつこいオヤジだな! 

 ワハハハハハ! 

                  * 

 そっと目を開けて時計を見るとちょうどいい時間です。私は腹の上に溜まった八重桜の花びらを払うとエンジンを掛けました。そしてギアを入れてハザードランプを消して右ウインカーを出し、再び走り出そうとしたのですが……。 

 妙にはしゃいでいるなと思っていたディーゼルエンジンの調子が妙なのです。ウンウンと唸るばかりで全然坂を上りません。 

 去年の車検の時、私はちゃんと言いましたよね? 

『クラッチの調子が悪いので診てください』って。 

 状況を告げると、電話の向こうで事務方が大慌てしている様子が聞こえてきました。 

 「えぇ、あの、予定していたトラックがですね、今、千葉で故障して動けなくなってしまった関係で、急遽別便を手配しますけど、もう少しお時間がかかるかと思うのですが……」  

 じゃあそれまで、私はこの桜の下で恋をしていようと思います。 


第60章『ウソを承知で。』 

  

 ゴールデンウィークが近づいてくると、自分の行動範囲がグッと広がっていくというか、いろんな場所がより身近に感じられるというか、自分が赴いてもいい範囲がいよいよ広く世の中に認可され始めてくるというか。 

  

 旅に出たい。知らない場所で知らない人と接したい。そこで新しい何かを経験をしたい。これはもう本能でしょう。人間が生きる上で必要な衝動でしょう。同時にそれは引きこもっている人間には残酷な背徳感を与える悪魔でしょう。 

 書を捨てよ、町に出よう! 

 その通り。インドア派であれアウトドア派であれ、もう他人の考えや生き様なんて胡散臭いモノを頼りにするのは一切やめにして、もっともっと、人は自分の内なる考えを頼りに生きてみたらどうでしょうか。その上で、他人はマイパーツとして認識するのがいいのかと思います。 

 でも一聴するとそれは他人を自分の都合のいいように理解して利用するという、とても利己的で浅ましい考え方のように感じますね。しかし実際は逆で、自分が意のままに行動するには、まるで杖の様に他人が絶対に必要である事を理解するという事を大いに助けるのです。 

 私は息子と車に乗って出かけます。妻も、と誘ったのですが家事が忙しいという事で今日はお留守番。妻がいないのだから、そんなに遠出は出来まい。晩ご飯のおかずもちゃんと3人分用意しているはずだから、それまでには必ず帰って風呂に入って食卓の前に鎮座する義務が、私と息子にはある。そんな条件付きで。 

                 * 

 大きくせり出した松を避けると今度は、『うどん・そば』 と書いた看板にぶつかりそうになりました。おっと危ない! その看板を避けると自然と駐車場に導かれ、うまい事導きやがったな! と私は笑う。昼なのに、土の駐車場には他に車が2~3台。入ると専門店と言うにはあまりにオートマチックな、食券を自販機で買って席に着くと、国籍不明の目の血走った店員が薄暗い厨房の奥から黙って出てきて半券をもぎってまた厨房の中に消える。うどんとそばはウソのような早さ出てきました。 

 ウソを承知で言うとなぁ……、私はなぜか口ごもっています。息子は大盛りの天ぷらうどんとサイドメニューの明太子おにぎりを上手に交互に食べながら返事もしません。 

 ウソを承知で言うとなぁ、父ちゃんは今、脅迫されているんだよ。 

 誰に? 息子はうどんをすすりながら訊いてきました。 

 ある、オバサンに。お前も知ってるだろ。父ちゃんの店。ほら、ネット上の店。 

 あぁ、『日日彼是面白可笑し。』? 

 そうそう、そのお店の事をネットで小説みたい紹介して遊んでるんだけど、ある日そこに、オバサンがやって来てさ。 

 オバサン? 

 そうオバサン。オバサンって言っても父ちゃんよりも若いと思う。綺麗なオバサンだよ。で、そのオバサンがさ、うちの店で働いている2人の子供の1人の母親だって言いだしてさ、息子を返せ!って言うんだよ。 

 ふーん……。 

 でもさ、父ちゃんとしてはその証拠がないわけ。で、ね、本人に訊いたわけよ。あれ、本当に母ちゃん? って。そうしたらさ、『あれはエキストラさんです』なんて言うんだよ。困っちゃってさ。 

 ふーん……。 

 エキストラ? なに?それ。って。そうしたらさ、『僕が自分が死んだいきさつがこうならいいのに、と思う上で必要だと思ったママです。』なんて事を言い出すんだよ。 

 ふーん……。 

 で、父ちゃんが拒否するとそのオバサンが未成年者略取誘拐の罪で父ちゃんを訴える、みたいな事を言い出してるんだよ。 父ちゃん、逮捕されるかもしれない。

 ふーん……。 

 でさ、いろいろ話してるうちに、そのオバサンが、どうやら変なヤツに洗脳されてることがわかってきたんだよ。『皇極法師』っていうヤツらしいんだけど、お前の友達とかでさ、そんな話聞かない? 

 聞かない。 

 あ、そう。それならいい。聞かないなら聞かない方がいい。それで、ここからがちょっとややこしいんだけど、その『皇極法師』ってヤツがさ、どうやら1人じゃないっていうか、人格じゃないって事に、最近気が付いてさ。 

 ふーん……。 

 人格じゃない。つまり、その時その時で、人の心や考えに忍び込んでくる何者か、みたいな。そこまではなんとなく気付いたんだよ。おまえ、こういう事ない? 例えば、ひらがなとか色をジーっと見てるうちに、突然ナニモノかわからなくなる現象。ない?

 今のところない。 

 あ、そう。それならいい。ないならない方がいい。でもこんな事考えた事ない? 『あ』『あ』で、『オレンジ色』『オレンジ色』でも、どっちが先なんだろうって。もともと『あ』があって『あ』が出来たの?それとも、『あ』が出来て『あ』が生まれたの? 

 そりゃ、『あ』が先でしょ? 

 お前もそう思う。実は父ちゃんもそう思ってるんだよ。つまりそうだよ、何かに名前を付けたのでも、名前が何かを生み出したのでもない。『あ』は同時に出来たんだよな。それ以外に考えられない。でもそうだとしたら、『皇極法師』は? 父ちゃんが作っちゃったって事? そのせいで、オバサンは洗脳されて、父ちゃんは脅迫されているの? 

 息子はすっかり食べ終わった天ぷらうどんの器を『返却口』に戻して帰ってきました。そしてこう言ったのです。 

 でもそれは全部、父ちゃんが作った世界のお話でしょ? 

 そうだよ、だから最初に『ウソを承知で』って言ったじゃん! 

               *      

 結局車でわざわざさして旨くもないうどんを食べに来ただけでした。え!まさかゴールデンウィークのお出掛け、これで終了? と息子は悲惨な顔をしました。午後はまだたっぷり時間があったので、いったん家に帰ってまたバッティングセンターに行くことにしました。今度こそ、妻も家事を終え、付き合ってくれると思います。 

        第59章『アイドルの命日』 

  

 あまりにも美しくなりすぎた彼は、大胆なポーズとともに雑居ビルの屋上の手摺の外側に消えたのでした。 

 僕は花を持ってガードレールの前に膝をつく。交通量の多い交差点だから邪魔になっている事はわかっています。また田舎モノが感傷に浸って変な事やってるなという冷たい視線は仕方がないとして、この日が彼の命日だと知っている人は、『今』この場所に何人いるのだろうと思った。 

 祈っている様に見えても、僕はこの一連の出来事に一片の悲しみも感じていません。彼が最後に浴びた風はきっと、世界中の誰もがうらやむホンモノの風だったと思うから。悲しみも苦しみも一切を洗い流してくれたに違いないと思うから。どうだった? だから僕は今年も、ただそれだけを訊きにここへ来た。気持ちよかった? 

 ただ惜しむらくは今年の今日がまるで真夏の様にクソ暑い日だという事。 

「ほれ!兄さん若い成りしてすぐへばらんともうちょっと頑張れや! あとここ2センほど掘って、平ぁらにして! ここ平ぁらに!」 

 若くったって暑いモノは暑いし、バテるモノはバテるんです。僕はさっきから、ドカヘルを被ってスコップで地面を平らにしています。腕の太さから想像するに、年齢は20歳前後。土の匂いから類推するに、場所は生まれ故郷でしょうか? 借りたドカヘルは代々どんなオッサンたちがどんな理由で渡り被ってきたのか知らないけれど、もう臭くて臭くて堪りません……。 

 よし出来た。ほなタバコしようか! そう言ってにっこり笑った親方の顔がどんなに善良そうに見えても、僕には上下の前歯が4本とも痩せた歯茎からニョキっとはみ出して今にも抜けそうなのは如何にも不衛生で不摂生で、休憩!と言ったらまるでその事しか考えていない様な、まるで裏も表もない様な笑顔を、どうしても善良だなんて依怙贔屓な判定は出来ません。もし不意にショベルカ―が倒れて、僕がその下敷きになって虫の息でも、親方は、だいじょうぶか? なんて平気で訊いてきそうだから……。 

 だから僕はこういう人にこそ、彼のエピソードを語るべきだと思ったのです。 

「昔、アイドルの友達がいたんすよ」 

「アイドル? なんや、ベッピンさんか?」 

「いえ、男のアイドル」 

「なんや男かいな、興味ない」 

「それがそんな男前じゃなくて『アイドル? なれるの?』なんて訊いたぐらいなんです」 

「あれやろ、整形手術やろ。芸能界なんてそんなヤツばっかりや。女も男も売れるためなら手段を択ばん。枕営業もホイホイな奴ばっかりやろ」 

 親方はどうやら、アイドルが自分とは関係のない存在だと決めつけているようです。彼にとってはまるで月の裏側の様な話を、すべてお見通しの様に話します。そうです。すべてデタラメでいいんです。きっとわざとそうしているんです。自分の歯茎が痩せて、前歯がグラグラで不衛生で不摂生である理由の肩代わりを、アイドル達がセッセとしてくれている事にわざと気付かないフリをしています。それは純朴に擬態したプライドという堅牢な壁です。とても厄介な鎧です。 

「それが、流行の方が彼にすり寄ってきたんですよ。ある地方局の食レポで大福もちを食べた時、『食べ方が可愛い!』なんて言われたのをきっかけに突然テレビや雑誌で『1000年に1人の男の子』なんて騒がれ出して」 

「ワシはその『男が可愛い』ちゅー意味がようわからへんのよ。赤ちゃんならわかるけど、大人の男はカラはゴツイし、髭も生えるし声は低いし、どっこも可愛くないやろ。おなごの方が形も声も、全然可愛らしい思うけどな」 

 その瞬間、弁当が腐るほどの熱風がザっと吹き抜けました。 

                   * 

 彼は悪魔に睨まれた。 

 僕は彼がアイドルになりたがってるのを知ってから、今まで見えなかった彼のおかしな特徴が見える様になりました。彼はアイドルになるために感情を捨てようとしていました。アイドルに喜怒哀楽は必要ないと思ったようです。以前、ある格闘家が『格闘家に前歯は要らない』と言って全部抜いてしまったという話を聞いたことがあります。彼にとっての感情は、その格闘家にとっての前歯と同じようなモノだったと思われるのです。脱着可能な喜怒哀楽。 

 実際、それで彼はどんどん上手くいったのです。彼は喜びたい時に喜んで、悲しみたい時に悲しめるようになったんです。それも、ウソじゃなく、本当に……。 

 そうして彼は彼を望まれるままのアイドルにすることが出来た。 

 ただ、彼の思うアイドルと、世の中が欲する彼はまるで違うのです。まるで違うというよりは正反対なのです。僕はこのズレに気付くことが出来ませんでした。 

              * 

 やがて年を取り、人気もなくなり、完全に行き詰った彼が一度だけ僕に希望したことがありました。それは自分の葬式に掛ける曲を作ってくれというモノでした。彼にはもう、感情が完全にありませんでした。 

「僕がさ、死ぬからさ、そうしたらそれを利用してさ、君はそのレクイエムで有名になればいい。そうしたらさ、君は儲かるし、僕お死の価値が上がるって事さ、いいだろ」 

 まあ、確かにナイスアイディアだと思いましたね。

「死ぬとか、何言ってんの、お前」 

 僕は一応そう言った。すると彼は、 

「いいからいいから、遠慮しないで!」 

 と笑顔で言います。それはもう、見た事がないほどの美しい笑顔で。 

「遠慮なんかしてねーよ!」 

 いいえ、ウソです。僕は確かに遠慮していたのです。 

「目を覚ませよ、お前さ、命を何だと思ってんの?」 

「命? 喜怒哀楽でしょ?」 

「バカ、喜怒哀楽が命じゃねーよ。命があっての喜怒哀楽だよ」 

「どこが違うの?」 

「え?」 

「命と喜怒哀楽。どこが違うの?」 

              * 

 うわー!嫁の手弁当が砂だらけやがな!もう食われへん!風のアホ! ほれ、兄さんタバコは終わりや、尻上げ! ほな午後はあっちを、もう2センほど掘って、あっちも平ぁらにして!平ぁらに!! 

 


第58章『記憶、正しく……。』

 

 どんなに辿っても実際になかった記憶には辿り着けない事は、誰にでも簡単にわかるよね??つまり逆を言うと、辿り着いたらならそれは実際にあったという事になるよね。 

 じゃあどうだろう、夢は。あれは記憶じゃないのかな? 

 間違いなく記憶だよね。じゃあ夢は実際にあった事でいいよね? 

 違う?なぜ? 

 夢というのは目を覚ましている間に見たり聞いたりした事が、睡眠時に頭の中で整理される過程に於いて副次的に生成されたイメージの残骸なんだよって? なぜそう思う? 

 残骸というなら寧ろ、今君が頭に思い描いている昨日の記憶の方じゃないのかい? 誰と会った、何を話した、気分がよかった、ムカついた。 

 そりゃあ、事象を一つ一つ他人を交えて確認し合えば、それがお互いの記憶と合致すれば、お互いの真実と言える事は言えるかもしれないけど、でもそれは半分、他人の記憶じゃないのかい? 個人の記憶というなら、他人の意見が混じった記憶よりも混じらない記憶の方が、より一層自分にとっての真実と言えるんじゃないのかい?そう考えるのが普通じゃないのかい? なのになぜ君は混ぜ物だらけの方を真実と、夢の方を残骸だと決めつけているんだい? 

 僕の知り合いでさ、可哀想なオバサンがいてさ。その人は自分の子供をずっと虐待していたんだね。育児ノイローゼさ。その男の子は結局死んでしまうんだけど、そのオバサンはそれが自分のせいではないと必死に言い訳を考えてるんだ。そりゃあもう必死さ。笑ってしまうぐらい。 

 だから僕は一言、『あなたのせいじゃない理由を、とりあえず100個探しなさい。探してみつけるんですよ。作るんじゃなくて、それだけに専念しなさい。』ってね、言ってみたんだよ。するとそのオバサン本当に探し始めちゃってさ、どう思う? 実際に虐待してたんだから虐待してない理由なんて、あるわけないじゃない。ところが……。 

 ある日、そのオバサンが嬉しそうな顔で僕の所に来てさ、息子をみつけました!って言うんだよ。始め聞いた時、全然意味が分からなかった。でも変な事を吹っ掛けちゃった手前僕も、あらそう、それは良かったですね。なんてね、平常心を装って言ったんだよ。するとオバサンは、でも息子はある質の悪いお店で店員紛いな事させられてこき使われてるから、今から取り戻しに行ってくる、って。 

 あぁ、とうとう狂っちゃった。可哀そうだけど、僕は彼女の話は全部妄想だと、そう確信したんだ。したんだよ、したんだけどさ……。 

 彼女は真剣な目で、僕にもその店に来て欲しい。そして頑固者の店長を説得して欲しい。なんて言うんだよ。僕は内心、知らねーよ! って思いながら、じゃあ今度僕もその店に行って、その頑固者の店長と話をしてみる。と、仕方がない、約束したんだ。 

 その約束の日が、実は一昨日だったんだけどさ。当然、僕としては気が乗らない訳さ。だってどんな顔で行けばいいのさ? 気が狂ったオバサンだよ、その店で僕はどんな悪党呼ばわりされているか見当もつかないじゃない。きっとあのオバサンの事だから、自分に知恵を授けてくれた大先生、みたいに触れ回ってるに違いない。悪いけど僕はそんな大したものじゃない。そしてそんなのが相手には真逆に作用するんだよ。インチキ野郎さ、皇極法師だよ。結局僕は行かなかった。『遅れていく』とだけ連絡してね。 

 で、暇になった午後を、僕は街歩きに費やそうとして電車に乗ったんだ。いつもと同じ、何処で降りるかなんて決めないさ。適当な駅で降りで、そのまま駅前の道をずーっと、でもそうだな、本当にただ歩くのはあまりにも無責任だから、とりあえず、あの高圧電線に従って歩いてみよう。そう決めたんだから、それなりの結果が必ず出るのはわかり切っているからね。 

 果たして僕は、高圧電線の下をずーっと歩き続けた。公園を抜けて、踏切を渡って、そしてある小さな小屋のような建物に出くわしたんだ。 

 まったく驚いたよ。 

 そこにはあのオバサンが娘らしい2人の女の子と一緒にいたんだよ。そしてその店の人間と何かを言い争ってたんだ。信じられるかい? 僕は適当な駅で降りて適当に歩いて、結局オバサンとの約束の場所に来てしまったんだよ。 

 どう? これ、僕の真実だと思う? 

どう考えたってそうじゃない。それで僕はピンときた。 

これは、オバサンの真実に僕が取り込まれているからだって。   

 そこで、夢の話に戻るよ。 

 改めて、君は本当に夢は自分が覚醒時に見聞きした記憶の残骸だと思うのかい? あんなに巧緻に作り込まれた世界が、本当に自分の拙い経験と幼稚な発想力だけで作り上げられていると思うのかい? 

 僕はその店のドアを開けた。きっと拙い事になる。そう思ったけど、何事もなかったよ。ただ僕はその店の店員の少年になった。『昔の子』というらしい。ただそれだけの事だよ。要らない人間や、その場にいるはずもない人間は、夢の方から必要な人間に置き換えられる。夢ってそういうモンじゃない? 

 じゃあ、君の言う現実は? 現実だってそうじゃない? 君は常にその場所に必要な人間に置き換えられている。自分がなぜそこに居るのか、どこの誰だか、名前も顔もわからなくなった事、これまで一度でもあった。ないはずだ。ないよね。それでいいんだよ。それで普通なんだよ。ただ時間の経過を『過去』『今』『未来』みたいにして並べちゃうとそんな当たり前な事が理解できなくなる。そして無理矢理、ありもしない理屈を作ってそれに凝り固まろうとするんだ。 

 オバサンは僕に気付かない。そりゃそうだよ。僕は店員の少年なんだから。僕がいらっしゃいませ、というとオバサンは明らかな作り笑顔で、あら、こんにちは、素敵なお店ね、なんてことを言うんだよ。もうなんだか気味が悪くてさ……。 

 僕は店長に荷物を渡して、確か、パンだったと思う。いい匂いがしたのを覚えてる。それを渡して何食わぬ顔で店の掃除を始めたんだよ。で、あ、やっぱり、拙い事になってる、って、その時気が付いたんだ。 

 僕は『昔の子』と呼ばれて、怪しまれもせずその日をその店で過ごした。すると、もう1人の、そのオバサンが自分の息子だと言った男の子が僕に、君は、なぜここにいるの? なんて事を訊いてきたんだ。 

 あぁ、拙い事になった……。 

 僕は渋々自分の事を話した。僕は、生まれたタイミングが悪くてね、戦争が終わってすぐに餓死したんだ。そうしたらその少年は、ふーん、って、それだけ。だろうね。他人なんてまずそんなモンだよね。 

 その少年はオバサンが言ったとおり、自分はママにイジメ殺された、って言ったけど、目は少しも悲しんでいなかった。むしろその配役に満足している様にすら見えたんだ。まあ、これは僕の主観だけどね。 

 わかるかい? もしここで僕が目を覚ましたら、それが『夢』という事になるんだよ。目を覚まさなければ、僕はずっとあの冴えない店で『昔の子』なんて呼ばれて、店の掃除をしたり、定期的にパンを運んだり、大きな金魚の世話に明け暮れなければいけないんだ。 

 ちょっと気になったのが、その店の店長という人でさ。その人は僕ほどはっきりと自分がなぜ死んだのかを理解していない様子だったんだ。まあ、大概の人はそんな事を理解しないんでしょうけどね。自分が死んだ瞬間を見ていない。そんな人もまれにいるんだね。 

 だから彼は今も、夢を見たり覚めたりしながら、『今』の中を彷徨っているんだ。 

 そしてそれは君も一緒だよ……。 

 なぜ違うんだい? なぜ、違うと思うんだい? 



第57章『早春あくび雑記』 

 だから!タイヤがツルツルなんですって!こないだの雪の日なんか本当に危なかったんですよ!  

 朝早に電話しました。昨夜、9時過ぎに仕事を終えた時はもう誰いなかったのです。 朝っぱらから文句の電話を取った休日当番は明らかの不機嫌そうに、 

 だって、うちはタイヤは一括で注文するんだからさ、君だけ先に替えるわけにいかないだろ。だからどうしてもこの時期になってしまうんだよ。 

 と言いました。私には彼が言う『だって』『どうしても』の意味がわかりません。誰かわかります? 

 電話を切ると私は外に出ました。今日はよく晴れているので公園でも散歩して憂さを晴らそうと思ったのです。

 強い風にメタセコイヤが獰猛に揺れています。春一番でしょうか。もしそうだとしても私は感動などしません。大きな木がなすすべなく揺すられている姿に私自身を投影して、『今』が誰かの都合で勝手に浪費されていくという、どうしようもない不愉快を感じているだけです。

 イカンな……。

 時間はさしずめ煙草のようです。イカンな、イカンな、と思いながらもついダラダラと火を点けてしまう。そして周りに迷惑を掛けつつ自分の命までダメにしてしまう。そしてそれはすべて『だって』『どうしても』の様なモノに集約され、私のワガママという事になる。 

 さあ、どうしてくれよう、私は私の『今』をどうしてくれようと、木洩れ日の美しい朝のマラソン道を、恐らく私1人だけがイライラしながら歩いているに違いありません。 ドッグランでは数匹の犬が全力疾走しています。まるで地球を回しているよう。もし本当にあの数匹の犬が地球を回しているんだとしたらそれはなかなかの滑稽です。そんな理由の中に、私や家族の運命が収まっているんですから。悪魔の髪の毛の様にしつこく絡みつく長い影を、犬たちはものともせず走り回っています。 

 そうか、そういう事ね。私もそうすればいいんだ。私は私の『今』がグッと広がるのを感じました。これは喧嘩で言うところの、とうとう殴り返したのと一緒です。静かな木漏れ日の中で私は1人、喧嘩を始めたのです。私は今目の前に広がった『今』の端の方に注目します。そこには誰かの不手際の尻を拭うべく予定変更によって雪の予報が出ている群馬の山間の現場に向かう途中、ツルツルのタイヤのせいでスリップ事故を起こしてトラックごと谷底に転落して死んだ私と、その言い逃れを必死に考える会社の人間と、悲嘆にくれる私の家族がいます。 

 彼の『だって』『どうしても』はとうとう私を殺しました。 

 なぜタイヤを替えてくれなかったんですか? 主人は何度もそう頼んでいたはず。 

 妻が言うのに対し、会社の人間の頭の中には言い訳以外なにもないように見えます。 

 あぁあ、めんどくせぇことになっちまった……。しかし私は次に目に転じ、彼の家族にフォーカスを当てます。 

「お父さんの会社で、死亡事故があったんだって。お父さんその事で今大変みたい」

 妻は毎日帰りが遅い主人の健康を気遣います。娘はそんな母親を気遣います。 

  しかしそれはやがて、娘の同級生に知られることになります。 

 おい、知ってる?○○の親父の運送会社で死亡事故があってさ、アイツの親父、その責任を問われてるんだって。アイツの親父のせいで、人が死んだんだぜ。 

 娘はやがてその事でいじめを受ける様になります。人殺しの子!  

 私は助けません。娘は学校に行けなくなり、自宅に引きこもって自殺未遂を繰り返す様になりました。 

 あぁあ、何で我が家こんな目に合うんだ、アイツが勝手に事故ったせいで、こっちは大迷惑だよ……。 

ハハハハ、私は笑いました。いい気味。ざまぁみさらせ!!私は自分の『死』の影を鞭の様に撓らせて、何度も何度もその可哀想な娘を打ち据えました。そしてその悲痛な様子を十分に見届けてから、何事もなかったように家族の元へ戻るのです。 

「今日はマジで怖かったよ。峠道でスリップしてさ、もうちょっとで谷底に落ちるとこだったよ」妻は眉をひそめて「早くタイヤ替えてもらいなよ」と言います。妻の顔をジッと見ると確かに、さっきまで泣いていた跡が見えたのです。

「なに?泣いてたの?」

「うん、今日は花粉が酷くて……」 それが、昨日の事。

 私は一切の『過去』『未来』がすべて『今』の一部であるとしっかり認識しています。つまり私は生きると同時に死んでいる。さしずめ『シュレディンガーの猫』のようです。 

 お察しの通り、私はとても消耗しています。反省や言い訳や開き直りがもう手が付けられないぐらいにグチャグチャに混然となって膨張し続けているのです。だから今日はもう、店に顔を出すのもやめておきます。顔を出したところで、店には2人の少年がいて、私を見るなり、あ、店長、おはようございます。なんていつもと同じ事を言うのはわかっています。私はさも落ち着き払って、この2人にはまるで関係のない事でイライラしている自分を隠ぺいしようと骨を折らなければなりません。いい加減こういう予定調和が世界からなくなって欲しい。『今』『今』として常に正しく認識されなければいけない。そうすればだれでも世界中どこに行っても、それぞれ常に自分自身の『今』を、ピクニックの敷物の様に、思い思いにその場所に広げることが出来るとおもうのです。 

 私はベンチに腰を下ろしました。昨夜の雨のせいで少し湿っていましたが、そんな事はどうでもありません。 

 『シュレディンガーの猫』と言いましたが、実は誰もがそうなのです。それは不思議でもなんでもないのです。 

 あぁ、また気持ちの悪いニュースが入ってきました。私の『今』は煙草の煙の様に、主人である私の意に反して妙な形に広がります。 

 ひゅーすとん、ひゅーすとん……。 

2022年2月。 ウクライナに侵攻したロシア軍は、予想だにしないウクライナ軍の激しい抵抗にあい、戦況思わしくない様子……。 

 眼耳鼻舌身意に守られて、私達は初めて安心していろんな場所に行けるんですね。そしていろんな人にあって、いろんな話をして、そうして物事が前に進んでいるかのように思う。しかし眼耳鼻舌身意はすべてディフェンシヴな機能に他なりません。『死』に対して人間が圧倒的に受け身に感じられるのも、こんなディフェンシヴな機能のみですべてを決めてしまおうとするからです。この呪縛から逃れるには、『今』を出来るだけ大きく広げて、その中に生きる、或いは死ぬ自分をもっとはっきりと正確に認識する必要があるのです。いやもう、私にはそれ以外に楽になる方法はないと確信してさえいるのです。 

 本当は誰もがもっと自由奔放にそれぞれの『今』に翻弄されるべきなのです。手も足も意味がないぐらい無限の可能性にもみくちゃにされるべきです。そして様々に思い知るべきなのです。

 この度の戦争でウクライナとロシア双方に数多くの死者が出ました。それは明らかな悲劇です。葬ることが出来ない子供の死体が路傍に積まれているとききました。しかし自分の優しさが自分にしか作用しない事はけっして学ばないのが人間です。自分可愛さこそ一番の敵であり絶対悪。それは大統領を見ていたらわかるでしょ?それなのに『憎しみ』の対極に『優しさ』があるという風にしか世界中の宗教は教えません。憎しみを否定するために優しさを人身御供に使うのです。初めからそこに誤魔化しがあるのです。 

 目を覚ますと、ドッグランにはもう1匹もいませんでした。犬が消えると、悪魔の髪の毛も消えるのですね。知らなかった。悪魔の原因が犬だったなんて……。 

 思いきり吸い込むと少しにおいを感じました。何の臭いだろう? 桜はまだしばらく咲きそうもない様子です。 

 ベンチを立つとズボンの尻がしっとりと濡れていました。きっと猿の尻の様にくっきりと濡れている事でしょう。 

 みっともないけど仕方がない。乾くまでもうしばらく、マラソン道をウロウロしてから帰ろうと思います。 


 第56章『まったく酷ぇヤツ』 

 珍しい人が店を訪れました。彼は私を見るなり、久しぶり!とも言わず、まったく酷ぇヤツが多くて困るよ、と言ったのです。その瞬間、私の目はきっとキラリとしたはずです。罰が当たったと思ったからです。なんだい? 聞かせてくれと言うと彼は、人の不幸は蜜の味ってか? と言って笑いました。 

 彼と私は15年ほど前、バンドのメンバー募集サイトで知り合いました。彼は当時から、音楽のセンスよりも商いのセンスが素晴らしく、一緒にバンドをやっていた1年ほどの間だけ、CDやティーシャツやステッカーなど、バンドのノベルティーグッズの売り上げが倍増したのを思い出します。まるでバンドの人気が上がったような、そんな心地よい勘違いをさせてくれました。しかし1年ほど一緒にやったところで、彼は突然いなくなったのです。そんな彼が10数年ぶりに私の前に現れたのです。 

「俺が会社を始めたきっかけは借金だったって、言ったっけ? そうなんだよ。それまでは俺もお前と一緒で、ちゃんと本気でプロミュージシャンを目指してたんだよ。でも諦めたね。もうそれどころじゃないって。だからお前と会った時の俺はもうミュージシャンじゃなかったんだよ。俺にとって音楽はただの借金を返すためのツールでしかなくなってた。悪く思うなよ。俺には俺の立ち位置がある。とにかく借金を返さなきゃならない。そのために必要なのは、そっけない金融機関の審査や、目付きのアブねぇ町金の連中じゃなくて、何にもわかってないくせに荒唐無稽な夢ばかり見て、怖がりもせずに突っ込んでいくような、夢も現実も、味噌も糞も一緒くたな奴らだと思った。それならミュージシャンか劇団員かなって思ってさ。結果、俺のその勘は当たってたわけさ。俺は連中の中から芽が出そうな奴らを集めて小さなプロダクションを開設して、それがとんとん拍子にうまくいった。ほら、『Enterbrain』ってバンド知ってるだろ、ポッキーのCMの。あれうちの子だよ。とにかく、借金の返済に目星がついたら、わけわかんねー夢ばっかり見て現実をみない、面倒クセェ連中と音楽ごっこなんて嫌なこった!ってなったわけ。understand?」 

 確かに、うちのバンドは彼のおかげでノベルティーグッズも売れて、ライヴの出演依頼も増えて、ひょっとして、このままメジャーデビュー行けるんじゃないか?と疑わせるところまでいきました。私もそれはひとえに彼の商才のおかげで、彼もそんな自分の才能を十分に理解していましたから、自信を持って当然だと思うんです。でも私はそんな彼の態度がとても嫌だったのです。俺はノベルティーグッズを売りたいんじゃない、楽曲を売りたいんだ! 

 あのさ、あの音源貸してくんねぇ? 彼は言いました。 音源を? どうすんの? 私は尋ねました。

 今がチャンスなんだよ、使いたいんだよ、あれ。そうしたらすべてうまくいくんだよ。

 私は、 大事な音源だから貸せないな。そう言いました。彼の本心を探ろうと思ったのです。 

 いやいや、それおかしくねぇ?俺もギター弾いてんだからさ、俺にも使う権利があるだろ? 

  ないよ。あれはメロも歌詞も全部俺が作った曲だから、権利は全部俺にある。 

 おかしい!おかしい! じゃあお前があの音源で金稼いでも俺には1円も入らないって事? 

 お前は俺の作ったコード進行にちょっとリフを乗せただけだからないも同然だ。 

 それ絶対におかしいって! 

 お前がそうしたんだろ。アレンジでも何でも、何を訊いても、「別にいいんじゃん、それで」しか言わなかったじゃねーかよ。バレてたよ、お前が片手間でバンドやってたってね。そんな奴に俺は1円も渡す気はない。

 そんなくだらない過去のメンツに拘ってる場合じゃねーんだってさ。彼はもう笑っていませんでした。 

 何があったのさ? 私が言うと、彼は、

 俺、先月オヤジになったんだ。と言ったのです。 

 え? あ!そう。それは、おめでとう! 

 彼はもう50歳を過ぎていますから、それはとてもおめでたい事です。 彼は続けました。 

 だからさ、1からやり直したいわけよ。 


 ご存じの通り、私の店には、『今の子』『昔の子』という2人の少年がいます。彼らはそれぞれの理由から、若くして時間の括りから抜け出て、たまたま私の『今』とリンクして私の店にやってきたのです。彼らが応桑諏訪神社の道祖神である事はこれまで何度も言ってます。しかしその前に彼らは、我々に五感を示す『今』という存在でもあり、おそらく全ての時代が見えていると思われるのです。なぜそう思うのかは私もよくわかりません。しかし、彼らの会話や行動を見て私は少しずつ、彼らは私の『今』そのものであると推察できるようになったのです。

 音楽で1からやり直したい。娘を一流ミュージシャンの娘にしたい。 

  彼は言いました。しかし彼はなにを1からやり直すと言っているのでしょうか。いったん死ぬと言っているのでしょうか。 

  『死』は人間が作ったモノです。『生』もまたそうです。『今』を無理矢理にこの2つに分けた時点で、我々は何もわからなくなったのです。 

  一流ミュージシャンって言うけどさ、お前そんなにいいミュージシャンだっけ?

 私が言うと彼は、

 金儲けのためにやってた俺を本当の俺と思うなよ!自慢じゃないけど俺は天才だよ。ギターの神様だよ。 

 私は ハハハ、と笑いました。私の知るかぎりの彼のギターはいかにも子供っぽい速弾きでした。天才の真似をした少年が弾くギターそのものだったのです。 

 おい!何で笑うんだよ。じゃあ正直に言おうか、あの音源、お前が歌うより俺が歌った方が絶対に良かった。ギターも俺が全部弾いた方が絶対に良かった、そうすりゃ売れた。なにより俺が確実に絶対に売った。

 俺の楽曲じゃねーかよ!

 楽曲は認めてやろう。俺は楽曲作れねーからな。まあまあの曲だ。そのまあまあな曲を、俺が確実に売ってやろうと言ってるんだから感謝してもおかしくないぐらいだぜ。

 だから、なにがあったんだって? 彼はようやく本当の事を言いました。 

 騙された。会社を、乗っ取られた。 

 理由は知りません。ただ彼は相当に追い詰められているようです。もう首に縄を掛けているか、或いは屋上に靴を揃えているか、恐らくはそんな状態でしょう。だからこんなに必死になっていろんな所を回って『今』を回収しているのです。もし次の『今』が見つからなければ、彼はそのまま足を浮かせることになるのかもしれません。

 私は音源を彼に渡しました。彼は、ワルイね。でもイイの? お前のギター全部消えちゃうけど、いいの。と言いました。

でもな、くれぐれも楽曲は俺の楽曲なんだからな。絶対に俺のクレジットで発表しろよな!

 彼は、I guarantee!(確約する!)と言って、音源と共に店を出ていきました。

                   * 

  今、彼は誰なんだろう。どこでうまくいっているんだろう。

あの野郎……、確約しといて、俺の名前でクレジットしなかったな。全く酷ぇ奴だ。

子供はもう、だいぶ大きくなった事でしょう。店の窓から見ると、強い風が吹いているようです。でも『春一番』ではないようです。