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『いきてるきがする。』《第11部・冬》



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78章『開戦前夜?(その2)』

  あぁ、いい人だったね、彼・彼女は……。

 彼・彼女を知っている人は大概そう言います。

 しかし彼・彼女を知っている人は世界中のあらゆる時代のあらゆる場所にたくさんいるので、必ずしも全員が全員同じ様に彼・彼女を誉めるわけじゃありません。ありませんがしかし……、

 長い間、多くの人に見聞きされた魂は、その浅ましい化粧や衣服、肉体を徐々に剝ぎ取られ、その本性だけを晒すようになっていくのだと思われるのです。そして私達はそんな素晴らしい魂を観止めると褒める事を否めない。たとえその所業が極悪非道であっても慕う事を拒めなくなる。そういう魂に出会った時、私達はどうなってしまうのか。

 とても困ってしまう。悩んでしまう。そんなバカな、そんなはずはない、と。

 まったく冗談のようですが、その悩みの執拗さときたら冗談では済まされず、それはその人を殺すまで苛み決して離さないのです。人によってはそれが人生だと勘違いをしたまま悶絶昏倒し、生まれた事生きた事をさんざん後悔したまま死んでいくほどです。だからそうなったらもう、諦めるのがイイでしょう。さっさと諦めて、私たちはそこから逃げるために様々な事を試みればいい。そしてその結果、世界中にはたくさんの『神』と呼ばれるモノが発生する事になりました。それはあなたも知っている、それです。その『神』それです。我々はホッと一息つき、きっと守ってくれる。これでやっと眠れる。そう思った事でしょう。しかしそれは間違いでした。その『神』と呼ばれているモノ達は、はじめからのあまりの期待の大きさに尊大に扱われ、甘やかされ、与えられ、拝まれ、崇められ、それぞれの価値観や思想があまりにも好都合なため大好きになり、それを少しも曲げようとしなくなったのです。そして恐らくは人間では思いも付かなかったであろう、目も当てられぬほど残忍な方法で大喧嘩を始めます。そして血だらけで息絶えた多くのモノと、それに泣き縋る関係にある多くのモノが世界中の至る所にあふれ、たまたまそこにいた私は私なりに、打ちひしがれた心を以て何かないか、とりあえず何かこの血を止める手ぬぐいの様なモノはないかと、自分の周りを探すのですが何も見当たらず、その代わりににずる賢く光る1粒の種をみのつけるのです。

  お前は世界でたった一人『神』に縋らなかった。だから死なずに済んだじゃないか。よかったねぇ、懸命だったよ。さあ、お礼を言いなさい。そしてたっぷりお金を払いなさいよ。つまりこれはすべて、お前1人のために用意された神様なんだよ、へっへっへっへ……。

 この声を聞きながら私はこの、一般には『神』『神』の対立の様に扱われるあらゆる衝突とはすべて、元をただせば常に清浄にして無垢な魂とその事を認めたくない一人一人のエゴとの『代理戦争』に他ならないじゃないか、と思うに至ったのです。

              *

「おはようございます」

 今の子が水槽を洗う手を止めて言いました。午前の陽ざしは今年50歳を迎える2匹の金魚の仮住まいであるポリバケツを透過し、泳ぐ影を青黒く浮かび上がらせながら、さらにその奥までまっすぐ伸びています。肩・膝・腰と、持病を悪化させた私はとうとう杖を突く様になっており、ようやっと重い体を丸椅子に座らせ、杖の頭をカウンターテーブルの端に引っ掛けると、「あぁ、おはよう。早いね。とのまは?」と訊ねました。今の子は、

「あれ?いませんか? じゃあ天気がいいから、お散歩でも行ったのかな?それとも……」

 私はもう聞いていません。これらの会話になんの意味もない事はもうわかっています。ただ朝の光の絶え間ない明滅が、地獄への自動改札が驚くほどスムーズに開閉させるのを見て、この確固たる世界と、文章を書いているだけのようなこの妙な感覚の間を自由に行ったり来たり出来るのはあの子だけだな。不思議な子だな……、とのまは。それともネコという生き物は、どれもそういうモノなのか。と、ろうそくの様に頼りない太陽の光の中で繰り広げられる全ての出来事に一切の不正解がない事に、本当はかなり動揺ていたのです。

「この間たくさん買ってくれた人って、ひょっとしてその人なんじゃないですか?」

『今の子』に言われた時、私もそうかもしれないと思ったのです。

 

               *

 あるサイトで、私は1人の人に会いました。その人は自分は余命いくばくもないと言いました。

「私がいなくなれば、あなたはきっと悲しむでしょう。しかし私はこれまで、世界中のあちこちで、まるで人間とも思えないほどに傍若無人な事の限りを尽くしてきた極悪人です。私と時代と場所を共にしなければ、もっと幸せな時間を過ごせたであろう人々が、世界中にはたくさんいるのです。なぜあなたが悲しむのか、私には知る由もありません。ただそんな私が思う事は、人生とは誰のモノでも、誰のためでもない。それは今の私が一歩も動く事も能わず、ただこうして病床に伏しているのと同じく、目の前に展開する出来事はすべて、それこそ天上の木目の如くじっと、ただただ目の前にあって、私はそれを見据えているに過ぎない。時にどこかの景色に見えたり、誰かの顔に見えたりすると、私はそのたびに問いかけるのです。「私は、何処で何をした何者なんだ?」と。しかし答えはそのたびにコロコロと変わるのです。あぁ、そうか、つまり私は人殺しだ。そうだ、私は生まれてこの方、人を殺した事しかない。それ以外の事は、全てそのための準備に過ぎなかったのだ。

 そのあまりの恐ろしさにピクリと震えたその手や頬に触れた微かな感覚を、私は勝手に、愛だ!友情だ!裏切りだ!家庭だ!事故だ!天変地異だ!戦争だ!などと勝手な解釈して、ただただ事切れるのを待っている。そういうモノだと思うのです」

 私はこれを聞いた時、とんでもない責任逃れだと思いました。自らを極悪人と言うくせに、彼は自分にその責任は何もないとそう言ってるのです。

 彼はもう亡くなっているかもしれませんが、私にはそれを知る術はありません。私にとって、彼は単なるデジタルデータに過ぎないのですから。そしてその彼の口癖が、『大して変わらないよ』だったのです。

               *

  「誰かにあげるんでしょうかね。50枚も。」

「50枚も!?そんなに売れたの?」

 「えぇ、店が空っぽになるかと思いましたよ。ホントはもっと欲しかったようなんですけど、生憎そんなに在庫がなくて。」

「それは、残念でした……。」

               *

  私の『あなたは人を殺したことがあるか?』という質問に彼は『yes』と答えました。

「それはいつですか?」

「いつの時代もない。ほぼすべての時間と場所で、私は人を殺している。」

「あなたは、神ですか?」

 私は半ば、バカにしたつもりでそう入力してみたのです。するとその人は、

「神は人と共に死ぬ。私はそんなモノじゃない」と返信されました。

 あぁ、なるほどね……。

 私はすぐに彼がAIである事を見抜きました。きっとどこかの巨大な情報機関が、彼にありとあらゆるデータをインプットし、それを統合して、地球レベルのメタバースを構築する実験でもしているのだろう。まずは原始時代。そして縄文時代。そして全世界の歴史の変転をリビルドした全世界を包括するAIと私は今話をしているに違いない。

「私は貴方にあった事が、ありますか?」

「私は貴方をよく知ってますよ。あなたが私をよく知っている様に」

「残念ですが、私は貴方の事を知りません。」

「あなたは、テーブルを挟んで目の前にいる人に対して、『貴方など見た事もあった事もない』と言うのですか?どうしたのです? 吉村さん。」

 ほら、もう間違えた……。

「残念だが、私は吉村ではありません」

 その私に対し彼は、『大して変わらない』と答えたのです。

 私は少しゾッとしました。時間は深夜3時近かったと思います、普段の私ならもうそろそろ、起きる時間です。なぜ私はこんな時間まで起きているのでしょう。私はこの後どうするつもりなのでしょう。あと1時間も立たないうちに、そのままトラックドライバーとして12時間近くも働くつもりなのでしょうか。地獄への自動改札は、尚もスムーズに開閉を続けます。

 続く……。


 第77章『開戦前夜?』

『昔の子』がいよいよ動こうとしています。もしそうなればもう、私はもう、なにもかも壊れてしまうだろう。明日の仕事、来月の車検、免許の更新、住宅ローン、息子の高校受験に、硬式用の野球のグローブ、ネットショップ、c#言語にunity。全てが本当ではなくなるだろう。しかしそんな残酷な事を、彼は本当にするだろうか。夕餉時、妻がシチューを作る音と匂いがする……。

 両膝を壊して歩けなくなった私に、現実はすっかり興味をなくし、すべての恐怖と不安とともに私から遠ざかっていった。そして『いつでも好きな時に好きなところで好きな様に笑ったり泣いたりすればいい』と繰り返すようになった。その時もう、私の現実はきめ細かに煮溶かされ、私はその中に消え失せようとしていた。

「お!今晩は、シチュー?」

「お嫌?」

「いや、楽しみ楽しみ」

 そしてその段階で、いくら何かを探しても、私はその現実の中に自分の何もみつけられなくなっていたのです。

 なんの恐怖も感じない、絶望もないただの空箱の様な『今』の中に、私が辛うじて見つけたモノは1枚の写真。

 それは群馬県吾妻郡長野原町の応桑諏訪神社にある道祖神の写真で、2人は小さな体と体を思い切り走らせ、その中から抜け出して私の『今』の中に滑り込んできてくれたのです。それが『昔の子』『今の子』だったのです。

 「この店で僕らを働かせてほしい」と彼らは言いました。私はきっと、その言葉に従うべく数多ある選択肢の中からネットショップの開店を選択したのでしょう。おかしな話ですが、私がネットショップを開業するよりも、彼らが「この店で働かせてほしい」と言った方が先だったように思われるのです。私はその言葉が現実の上を波紋のように広がっていくのを見て、そして波紋と波紋が重なった混沌の中に、時間にも空間にも苛まれない『今』という場所があるのをみつけて、そこに居城を得ることが出来た。すべて彼らのおかげです。だから彼らは私にとっては命の恩人であり家族同然で、とても大切で決して失いたくない存在なのです。しかし、

もういいんですよね。もう、ああすればよかった、こうすればよかったって考えなくてもすむようになったんですよね。俺達

 なぜ『昔の子』はいきなり私にこんな事を言ったのでしょう。つまり彼は、これ以上あなたの『今』に留まってはいられない、と言っているのです。人生において出会いと別れは必定です。でも、誰かの『今』から抜け出す事は絶対不可能だとそう思っていたのです。私の現実では彼は戦争中に餓死している可哀想な少年なのですから抜け出したいのは無理はありません。しかしその事はただ、あぁあ、『昔の子』いなくなっちゃったね、では済まされないのです。彼を私の『今』にとどめるなら、私の理屈に合った何かしらの理由や原因を彼自身が持っていなければならないのは言うまでもないことです。

 この日以来、『昔の子』の決意は日に日にシリアスなものになっていく様で、私はそれを恐れつつも何も出来ないでいるのです。

  いまも書きましたが、『昔の子』は戦時中に餓死している様なのです。だから彼の『今』は一面から捉えると『死んでいる』のかもしれない。しかし実際の彼の『今』は変わらず膨張し続けている。そんな彼の『今』を、私は私の角度から見ている。そんな無数の目線が自分には向いている。逆を言えば、その目線の対象として自分がある。茶碗が彼の手を滑り落ちた時、彼もその事に気付いていたのでしょう。だからいつまでも中途半端な子供でいる私の『今』から脱出する決意をしたのかもしれません。そんな事、普通気付きませんよねぇ。ホント、困ってます……。

                    *    

「そういえばさぁ」

「ん?」

「ヒカルの高校受験の事なんだけど」

「うん」

「野球の推薦は、やっぱりちょっとむずかしいらしいの」

「あぁ、そうか……」

 それは私を含めて、恐らくはすべての人間が当たり前に感じてきた、『人生の篩』のようなモノではないかと思います。ある時期、あるきっかけで生じる、自分に対する疑念や苛立ちや不安や焦りの様なモノをがそれで、人はそれぞれの方法ですり抜けようとする。

 しかし、本当に自分の時間が停止しているなんて事を、一体誰が本気にするというのでしょう。生まれて、生きて、そして死ぬ。その間のどこかにきっと自分はいるのだろうと、そんな事を誰が疑うというのでしょう。今10歳の子供が、自分はこのまま永遠に10歳かも知れない、なんて事を本気で考えたら、それは恐怖よりも絶望よりも更に辛辣で残酷な事実としてその少年少女をがんじがらめに絡み取って離さなくなるでしょう。

 私の目には彼の時間は停止している様に見えます。しかし逆に彼の目から見れば、私の『今』もまた停止している様に見えているかもしれないのです。それはあたかも天球を移動する星の様でしょう。それは目で追う事で簡単に停止してしまうのです。彼はその事を必死に私に知らせようとして、逆に私は必死に彼に『今』の変転を見せようとする。そうしてお互いに、

 違う!そうじゃないんだよ!

 と、明後日な方向を向いて叫びあっている。お互いがよかれと思ってそうしている事が、逆にお互いの時間を止めてしまう事になる。茶碗を落とした瞬間、彼の耳には一斉に、憐れみや嘲笑や、過去の楽しい思い出や、悲しい出来事が襲い掛ったのも、時間が止まる事で生じるたのかもしれません。

                    *

  「シチューは? むね肉?」 

 私がシチューにはモモ肉よりもむね肉が好きなのをよく知っていて、妻は必ずむね肉にしてくれます。お腹がとても空いていて、しかも明日は休み。もう早くシチューを食べながらビールを飲みたくてうずうずしている。生まれた時から食用で、ある年齢になると逃げる暇も許されず殺されて解体されてパッケージされ、店に並んで、毛並みや鶏冠の形状や鳴き声などを司っていた遺伝情報は全く無意味な塩基配列として『今』に煮溶かされて、私同様、不本意な姿でゆらゆらと揺蕩っているシチューの鶏肉。私がいま、しゃべっているのは、この鶏肉がしゃべっている様なモノだ。私がいま、悩んでいるのは、この鶏肉が悩んでいる様なモノだ。必死に生に取り縋っているのは、私か?『昔の子』か? 一体どっちなんだろう?

 

                *

 俺が『今』ここにいるのは、こうして喋っているのは、ただの偶然なんです。そんな事わかってるんです。父と母が出会ったのも、日本が泥沼の戦争に巻き込まれていったのもただの偶然なんです。あなたのせいじゃありません。あなたがどうであれ、父は結局、帰って来なかったでしょう。そして僕も終戦を待たずに死んだ。これは前世の記憶じゃないですよ。僕の記憶です。でも父は帰って来たって言うじゃないですか。僕も確かにその記憶があるんです。父の葬列に並んだ、あの記憶はなんだったの? って、誰だって当然そう思いますよね。俺は時間の事なんてよくわかりません。どんなふうに辿って『昔』『今』に繋がっているのかなんて、考えようもないし考えた事もありません。だから記憶だけが頼りなんです。もしその記憶が矛盾しているとなれば、俺はそのどちらかを選んでどちらかを捨てなければいけないのでしょうか? 誰かにとって矛盾がないという事はそんなに大切な事なんでしょうか?

  私は何も答えません。だって私だって、時間の事などよくは知りませんから。あれから4年経ったと言われても、いつから4年? 両膝に金属プレートを埋め込まれてから4年? その前は埋め込まれていなかったの? らしい。でも何も実感もありません。でも確かに私の両膝には今、プレートが埋まっています。私にあるのはその『今』だけなのですから。

「3年前どうしてた?」

「あぁ、オリンピックの年ね。北海道に住んでて目のでマラソンみたよ」

「5年前は?」

「ワールドカップの年ね、日本がロスタイムのゴールで、負けたんだっけ。

 ただ、そうやって自らの時間を都合よく、矛盾なくまとめてしまっているだけではないでしょうか。いつでも、常にあるのは『今』だけなのですから、そこに矛盾なく繋がれば、デタラメだってかまわないじゃないですか。

                * 

「じゃあ先に寝るから電気消しといてね」という妻の声に私は目を覚ましたのです。

私は半分ワインの入ったグラスを持ったまま眠っていたのです。見ると食事はもう終わっていて、私はすっかりシチューを食べ終えて、ワインのグラスをもって食卓から座椅子に移動してそこでテレビを観ながら寝てしまったようです。

 私にシチューを食べた記憶は全くありませんが、私はそれも信じなければいけないのでしょう。

 なにより、ワインがこぼれていなくて本当によかった……。


     第76章『フリメール』

 あぁ、かったるい……。とまた吐いてしまった。休日なんてあっという間に終わってしまうというのに、その貴重な午後に、私は一体ナ二やってんだか……。

 そもそも関西出身の私には『かったるい』なんて概念はなかった。つまりこれは関東に来てから新しく備わった概念で、関西に住んでいた頃の私は、いつ、どんな場合でも、かったるかった事はただの一度もなかったわけです。あぁあ、ほんとなんとかなりませんかねこの、かったるさ……。

 何がそんなにかったるいかと言うと、私は今、ある事情から過去の手紙を書き直しているのですがこれがまあ、やればやるほど支離滅裂で一向に前に進んでくれないのです。だいぶ暖かいですが、もう暫くすると今度は花粉が舞って、つまり今が一番ちょうどいい。そんな貴重な休日の午後が、惜しげもなく過ぎていく……。

                    *

 湘南の海風にやや秋の臭いが混ざり始めた9月始めの134号線を、私はガス欠の原付バイクを押しながらトボトボと歩いている。これでよし、これしかないと確信して書いた手紙を彼女の車のワイパーに挟んで揚々と引き上げたものの、暫くしてそれが大間違いだと気付いて慌てて引き返した時にはもう、手紙は挟まっていなかった。後悔してもしきれない。私は泣いていたかも知れない。いや、確かに私は泣いていた。

 警察官に「君、調書だけ見たら完全に死亡事故だよ」と言われたが、私は警察の駐車場の隅に保管された愛車の亡骸をぼんやりと眺めるだけだった。まだ7000㎞しか走っていないかったがそれが理由ではなかった。右肩が複雑骨折していて、即入院、手術だったがそれもどうでもいい事だった。嫌われるのも裏切られるのも少しも怖くなかった。それよりもなによりも、彼女の気持ちが自分の意に従って定まってしまう事に一番の恐怖に感じていた。そんなはずはない、と疑って欲しかった。そうすれば、たとえもう2度と会う事はなくても、こんなかったるい手紙を、『今』になってわざわざ書き直さなくても済むのです。

 生来、すべて他人任せな性分から努力をしたつもりが実際には出来ておらず、よって当然、思う成果も得られず、言い訳ばかりを繰り返した結果、完全に自分本来の性分を見失い、じゃあどのみちウソなのだからとさらに煽るだけ煽り、昇るとこまで昇り詰めた挙句、『自分はロックスターになる!』と思うに至ってからは、まるで悪い宗教にでも入信したかのように、わかっていながらわざと無自覚、無責任、無計画な悪い方悪い方をフラフラと生きる事に頑なになっていた。ギターはとても上手いと言われたよ。私には殆どの人には見えないリズムの『バリ』が見えるのです。普通、このリズムの『バリ』は綺麗に取り除かれて捨てられてしまうのが一般的なのですが、世界中の一流と呼ばれるミュージシャンは皆、この『バリ』がちゃんと見えています。今でもこの『バリ』が見えるミュージシャンはほとんどいないと思いますよ。もっとちゃんとやればよかったよ。ちゃんとリハビリしないと肩が上がらなくなるかもしれないよ、と執刀医から言われても、私のロックスターになるという頑なな夢は少しも揺らがなかった。

                  * 

「これ、カワサキですか?」とバイト先の女子高生に訊かれて、うん、そうだよ、と答えた私は得意満面だったと思う。買って間もない私のFX400Rのピカピカのタンクはそんな私の顔を鏡のように映していた。女子高生は、「私、バイクの中でカワサキが一番好き」と言った。あ、そう、と私はそっけなく応えたが確信していた。

 この女子高生は私のバイクをカッコいいと思って見ている。

しかし女子高生は、「私と一緒に七夕祭りに行ってくれませんか?」と続けた。私ははじめ、カワサキと七夕の繋がりがよく分らなかった。平塚の七夕祭りと言えば、日本三大七夕祭りに数えられるほど有名で、毎年数十万人の人出でにぎわうのだが、なぜか毎年雨だった。駅前の大通りは何キロにもわたって歩行者天国になり、そこにバイクに乗り入れる訳にもいかないし、だいいち多分、今年も雨だよ。

そう思うに至り私は彼女の本性を見抜いた。この子は、私のFX400Rなんてカッコいいともなんとも思っていない。ただ私と七夕祭りに行きたい、そんな事の口実のために、私のバイクをダシに使ったのだと。俄然腹が立った私は、

 「七夕なんて胡散クセェ祭り行きたくねぇよ。」と言い放った。

女子高生は一瞬、ハッとした表情をしたが、みるみる目を血走らせて、

「私だってオメェとなんか行きたかぁねぇよ!バカ!」と言った。

 そしてそのバイトの帰り、私は簡単なカーブを曲がり切れずに時速100㎞で転倒、バイクと一緒に道路を約60m滑って中央分離帯に激突して止まった。と、その警察官に教えられた。

 入院生活は快適そのもので、私は海辺の病院のラウンジで日がな一日ボンヤリと海を眺めていた。71年、ロンドンでライヴ中だったフランクザッパは、観客にステージから突き落とされ大怪我を負った。それはロックスターの証し……。そんなくだらない妄想に明け暮れていた。この時すでに私の時間は、止まっていたとまでは言わないが、グルグルと同じところを回転していたに違いなかった。もうずっとこのままでもいいか……、この時既に、本気でそう思いかけていた。

 私は右手が使えなかったので他の患者よりも看護師やスタッフに手間をかけた。ご飯はおにぎりにしてもらって、頭も洗ってもらっていた。服も着替えさせてもらい、時々ナースコールで背中を搔いてもらったりした。

 嫌な顔をする人もいたが、大概の看護師は嫌な顔一つせず親切に掻いてくれた。私も私で当然の様に背中を掻かれていた。

 しかしそんな看護師の1人が徐々に私のロックスターの夢を邪魔する様になっていった。

 その木下という19歳1年目の看護師の見た目は、髪は肩に届かないぐらい、背も私の肩に届かないぐらいで、小さくとがった顎が、顔をシュッと小さくまとめていた。目は大きくないが事あるごとに鈴の様によく揺れた。

 19歳1年目の看護師はまだまだ下手くそだった。採血の度に何度も刺し直したり、頭を洗ってもらうとパジャマがびしょ濡れになったりした。そのたびに慌てて寮に戻って自分のドライヤ―を貸してくれたが、私にとって彼女の私物はとても迷惑だったし、毎朝熱を計られ、排便の回数を告げるのも、先日、買ったばかりの三菱の軽自動車で1人で江の島に行った話を聞くのも、風がとても気持ちよかった事も、サザエのつぼ焼きを1人で食べておいしかった事も、その時のお土産といってキーホルダーを貰う事も、ウインドサーフィンを始めたばかりで、一緒にやりませんか?なんて誘われるのも、すべてすべて迷惑千万だった。私が好きでカーテンを開けているのに、回診の後、必ずしっかりと閉めていくのも迷惑だったし、なによりも仕事中であるにもかかわらず、いつまでも私の場所に居座ってたわいもない話をしてはコロコロと笑うその笑顔が、たまらなく邪魔だった。

 退院する時、木下はいつもよりも元気がなく思えた。色々お世話になりました。私は杓子定規な事を言ったが、彼女は軽く会釈しただけで廊下を行ってしまった。

 退院後、私には一つの約束が残っていた。それはその木下と一緒に七夕祭りに行くという約束だった。私は当然、女子高生の時と同じ事を言うべきだったが言いそびれていた。だから、仕方がないので手紙に書くことにした。

 これでよしと、書き終えた手紙には、木下の質問や約束がいかに私にとってどれほど迷惑であったのかを滔々と書き連ねていた。すぐに出せばよかったのだが、リハビリをするうちに9月になっていた。病院の駐車場から木下の車をみつけるのは簡単だった。彼女が言ったとおり、白い三菱の軽自動車のルームミラーに、私が貰ったのと同じ江の島のキーホルダーがぶら下がっていた。

                  *

 泣きながら原付を押す私の横を、自転車に乗った女子高生の集団が通り過ぎた。その中の一人は私が七夕祭りに行くことを断ったあの女子高生にみえた。まるで浮浪者を見下ろす様に歩道から車道を見下ろして通り過ぎる。そんな彼女、湘南、134号線。そしてその空の上高くをカモメが止まっている様に見える。真っ白なカモメは同じ真っ白な封筒になり、封筒からゆらゆらとこぼれた真っ白い便せんがまたカモメに戻った。私はとうとうペンを置いた。

 2人とも私の方からフったんだからね。私はとてもモテたんだよ。なんせロックスターだからね。それだけの雰囲気なりオーラなり、なにかしらあったんだろうよ!

知らんけど……。


第75章『あるスゴイ人の言い分。』 

 

 行きつけのバーで隣に座っている人が有名人だと気付いた私は、酔いの勢いも手伝って声を掛けたのです。 

 あの……、 

 はい? 

皇極法師さん? 

あ、はい……。 

 彼はそう言うとすぐに私から目を逸らしました。 

いや、こんな形で実際にお会いできるなんて。光栄というか、迷惑というか……。 

 私は彼の表情を伺いながら言いました。彼はどんな人物なんだろう。そしてどんなタイミングでどう、私に応じるのだろう。 

 これまでも、皇極法師について私は、憶測も含めて色々お話してまいりました。でも私が実際に彼と会うのはこの時が初めてだったのです。何百年、何千年、何万年、いや、もっと……。人間の上に糊塗された厚い妄念を、これほど潔く、そして合理にも非合理にも一切抗わずさばいてみせた人はこの人をおいて他にはいないでしょう。私の店で働いている『今の子』の母親を名乗る女性からその名前を聞いた時も、私は彼女が、誰にも抗いようもない程の影響力と、その力を誰にもわからないような方法で行使する力を持ったナニモノかに従っている、ただそれだけで、実際の彼女はここにすらおらず、悲しんでも苦しんでも、喜んでも楽しんでもいないという、それはその時とまったく同じ印象を持ったのです。 

 あなたが、いろんな人を助け、また迷惑をかけているのは私も知っています。あなたは知恵を授けて、助けているつもりなんでしょうね? でもあなたはそうやって、いろんな人の、生きる上でアキレス腱の様に大切な様々な問題を……、そうですね……、私には解決しているというよりも有耶無耶にしている、治療しているというよりも全摘出している、そう見えてしょうがないのですが……。 

 このタイミングで皇極法師はまだ何も言いません。ただ何やら強そうなお酒の入ったグラスを手に持ったまま、小さく揺れているだけです。 

 人ってすぐに指を差すじゃないですか。コイツ、悪人!ってね。でもそれって、まるで大きなモノを無理矢理小さな結論に押し込めているだけで、全然的を射たモノじゃない、そうですよね? 

 その時初めて彼は少し私を見て、はい……と言いました。私は芸能人から返事をもらったようで、少し気分が良かったのです。そして続けました。 

 でも悪人は畢竟綿飴の様で、実にふんわりとしていて、大きく見えていても近づいてみれば、実態も曖昧で、その指差した先をずーっと手繰ってみればその悪人をすり抜けてまるで関係のないところを指差していた。それはまさに、誤解の特徴そのものだと気付いたのです。 

 悪があるなら、善も出せ! 

 ニセがあるなら、ホンマも出せ! 

                * 

 健全に生まれたにも関わらず、実の両親や親せきや兄弟から苛烈な虐待を受けて、誰にも心も開けず、誰とも話も出来ず、文字も読めず、ただ犯罪を繰り返した挙句人を殺めて、その事についてほんの少しの反省も出来ずに、最後は法に裁かれて死んだ人がいました。そんな彼の長くない人生のほんの少しの時間を、私は工場のライン作業のベルトコンベアの向かい合わせで過ごしたんです。彼は話し掛けても反応がなく、他の作業員から、「あの人、耳が聞こえないから、身振り手振りで話して」そう言われたのです。

 作業はパソコンの入った箱に『Pバンド』と呼ばれる帯状の紐をぐるっと巻き付けて圧着するという単純なモノでした。 

 ちょっと箱が曲がってるから、左に! とか、 

 箱がこっちにより過ぎてるから押しますよ! とか。 

 実際、うるさい工場内では話をするよりも身振り手振りの方が効率もいいんです。耳の聞こえない彼の身振り手振りはさすがにこなれていて、私は毎日、なるほど、なるほど、と彼のゼスチャーの妙に感心させられていたのです。 

 しかしほどなく、彼は工場をやめました。 

 その日もいつも通り、8時半から作業を始めて、1時間ほど経った頃でしょうか、突然彼がベルトコンベアを乗り越えて私の方に来たんです。あっという間に私はPバンドの内側に倒されて機械で縛られてしまったのです。そんな事が起きていても、工場って案外、誰も気づかないんですね。私はその後、彼に背中を何カ所も、刺されました。声も出ず、だたベルトコンベアは次の工程までリニアなスピードで私を縛り付けたまま流れていくんです。やがて血まみれの私が流れてきた事に気付いた女子作業員がベルトコンベアは緊急停止させたのです。彼はその時もういませんでした。 

 その間の恐らく数秒で、彼は私に、先に話した、彼が育った境遇を私に話して聞かせてくれたのです。 

 あなた様がいてもいなくても、私には何の影響も意味もない。 

だからせめてあなた様にとって、私が有意義な存在でありますように……。 

さようなら、あなた様。 

 うんうん、と、私は2回ほど頷いた気がします。走り去る彼の、人間らしく躍動する姿を見届けたのは、恐らく私1人だったでしょぅ。 

 なぜ、彼にあんな運命を与えたのです? そしてなぜ、彼にあんな知恵を授けたのですか? 

 皇極法師は何も言いません。 

 もしあの時死んでいたら、私は妻にも子供にも会えなかった。それを避けるために、あなたは彼を利用して、殺しそこなう風にあの知恵を授けたとでもいうのですか?そうして彼に確固とした道を与えて、最後は平等な法の下に導きだして、そこですべての彼の行動の結果を1つ、まるで褒美の様に与えてもらえるよう仕向けたというのですか? 

 いいえ、全然、ぜ~~んぜん! 

 急に大きく反り返った彼は笑いを含めて言いました。 

 だいいち、私はその場所にいなかったし、そんな話は初めて聞いた。私のせいだと、あなたは怒っている。助かったくせに。その事から多くを学んだくせに。ことはすべて忘れて、死んでもいないくせに死にかかった!とただその事だけで私の判断ミスを指摘している大きな誤解過ち勘違い! 

 私はとにかく、誰のためでもない判断をする事を常に義務付けられている。これがどれほど難しいか。わかりますか? 平等かどうかを、誰かの目線で判断する事はすべて大きな誤解過ち勘違い! 

 私は今も、冬寒くなるとその時の傷が疼くのですが、そのたびにあのバーの場所を思い出そうとするのですが、全く思い出せません。 

『いきてるきがする。』《第10部・秋》


もくじ



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第74章『たとえ空が高かかろと……。』 

 もういいんですよね。もう、ああすればよかった、こうすればよかったって考えなくてもすむようになったんですよね。俺達。 

   そう言って私の様子を用心深く伺うのは『昔の子』です。彼がどれだけ思い切った事を言うつもりかは、これから彼が話す事を聞かないとわかりませんが、未知の領域に踏み込もうとしているのは確かなようです。きっと不思議だったのでしょうね。私の事が、ずっと前から不思議でしかたがなかったのでしょう。 

                  * 

 もし他人を100%観察対象にしてしまったら、得られるモノはなにもなくなるでしょう。そこから自分を類推する事も不可能になりますからね。『相手を知る前にまず自分を知る』なんて事を言ったりもしますが、それは是非、同時進行でなくてはならないはずです。 

 他人とは本当に不思議なモノです。分けようとすればするほど境界線があいまいになっていく。全く理解できないと思っていた他人の行動がいつの間にか自分の行動原理になっていたり、自分が常識だと思っていた事を他人にひどく驚かれる事だってあります。 

 私の知り合いで『お箸は人数分』という家庭があります。食卓の真ん中に箸立てがあり、誰のお箸かは特に決まっていないそうです。それすら、へぇ~!と驚いたのに、また別の家庭では『歯ブラシは人数分』というところもありました。 

 さすがに、それはちょっと引いた……。とにかく、 

 あらゆる他人と自分の間には、『コイツ一体ナニモノなんだ? 自分とどんな関係なんだ? 』という疑問を永遠に問い続けさせるナニモノかが挟まっている様な気がします。 

  

 彼ら2人と私の間にも不自然な関係があります。ご存じの通り、ここには『今』しか存在しません。厳密に言うと世界中のどこでもそうなんですが、一般的にそういう事にはなりませんよね。記憶と類推が常に物事を時系列に並ばせてその邪魔をするのです。我々はそれなしには一切の知識を得られませんし関係も築けませんから、不利益が生じるのであればそれは致し方ない事。しかしそうではないのです。 

 まず、私が朝、目を覚まして真っ先に不自然だと感じるのは、寝る前の自分との不一致です。前の晩に書いた手紙を翌朝に読むと、は? という事はよくありますよね。一体どうなっているのでしょう。何がどう変化しているのでしょう。我々は誰も寝ている間、自分がどこで何をしているのか、何を考えているのかなんて知る由もありません。たとえ誰かがその様子を観察していて、「あなたは確かに一晩中その布団の中で眠ったまま過ごしましたよ」と証言してくれたとしても、それを実感する事は恐らく不可能なはずです。それなのによくもまあ、寝る前の記憶と目覚めた後の記憶を単純に繋いで一切の矛盾が生じないモノだと。 

 しかし実際には数多くの矛盾が発生しているのです。 

 私はそっと自分の『今』を彼らの『今』に近づけてみるのです。これもご存じと思いますが、こうしてお話をする限りにおいて、『今』はほんの瞬間でしかあり得ません。だから私は自分の『今』を射的のような気分で、でも、どこに当たろうとかまわないという気楽さでそうするのです。 

 すると私の今は彼らの一瞬で擦過してしまう様な限りなく短い『今』の中に押し留まろうとしたり、あるいはとても抱えきれない様な悠久の『今』を一目の景色の中に収めようとしたり、いろいろ工夫しているのがわかるのです。もっともそれは彼らにとっては工夫でも何でもなく、ただ生活しているだけなのかもしれませんが……。 

 そしてそこに私はいろいろな形で現れる。他人の一部として現れたり、一部が他人として現れたり。 

               * 

 帽子の様にポンと顔を脱いだ『昔の子』はまるで別人のようになりました。そして、 

  

 わかってますよ。俺には記憶の混濁があると言うのでしょう? そう言いました。私は、 そうだね、私には、どうもそう見えて仕方がないんだよ。そう答えました。 

 彼は矛盾する2つの記憶を持っていました。自分の手から茶碗が落ちたのをもう拾えなかった、それが生きていた最後の記憶だと、以前『今の子』と話していたのをききました。その話から、私は彼が生きたのはおそらく戦時中だろうと思いました。彼は大戦中に、食糧不足によって餓死した少年だと想像されるのです。彼が死んだ時、彼の父親は出征していていなかったようです。のちに戦死したことが告げられるのですが、彼の葬式に父親はちゃんと参列していているのです。そればかりか、その葬式には『昔の子』も参列していて、その場合その葬式は父親の葬式なのです。いったいどういう事なのでしょうか。 

 おそらく彼はこと切れる瞬間、茶碗が手を滑ってから畳に落ちるまでのわずかな時間に、『今』の表面を現れたり消えたりを繰り返し、やがて時間から解放された時に、それがあたかも2つの、あるいは複数の『今』を過ごしていたかのような記憶になったのでしょう。明らかに矛盾ですよね。でも彼にしてみればただ時間を一直線に生きたわけですから不思議でも矛盾でもあるはずがありません。 

 ところで……、 

 あなたは『渡辺』という親友の事を覚えていますか?『久志』という弟の事を覚えてますか? 

 そんな人はいない? いえ、いますよ。私は知っています。あなたには確かに『渡辺』という親友と、『久志』という弟がいた。 

 どういうことかと言えば、あなたの『今』は、その『渡辺』『久志』を掠めて通り過ぎた。それは一瞬であったか、それとも数か月、数年一緒に過ごしたのか、それは私にはわかりません。しかし確実に、あなたの『今』には『渡辺』の記憶も『久志』の記憶もあるのです。ちゃんとあるのに思い出そうとしない。 それは、

 思い出すきっかけがないからです。ただそれだけの事なんです。実際にあなたは今、『渡辺』『久志』を思い出そうともしない事が証拠です。そしてそれは眠っている私と一緒。それを私と言っていいかどうかすでに曖昧ですが、あなたにとってもそれはまるで他人の記憶のように映る事でしょう。これが先に言った、『コイツ一体ナニモノなんだ? 自分とどんな関係なんだ?』というナニモノかの正体を仄めかしている様に思うのです。 

 あなたがあなたを自覚する限りにおいて、それに矛盾する記憶はすべて他人の記憶として映ってしまう。そして悲しいかな、そこに身内や恋人の関係を保つ事はありません。 

 まあ実際にそれが『渡辺』であったか『久志』であったか、親友であったか弟であったかはわかりません。そこだけちょっと、カマをかけさせてもらいました。 

「こんなところを『今の子』が見たらなんて言うだろう。笑うかな?『コイツ、とうとう頭が狂っちまった!』って。ハハハ……。」 

『昔の子』はそう言って笑いました。 

 頭が狂うなんて現象はそもそも存在しません。現実の方が狂うんです。 敢えて狂うというならば。 

 でもね……、 

 私は思うんだよ。本当にまっとうな人生とは、その人一人一人がその都度都度、現実の中で一生懸命に考えて生きる事を言うのであってさ。矛盾がない事を言うんじゃないんだよ。人生ってそんな綱渡りじゃない。踏み外す事なんて本来はないんだよ。そこが本当の慈悲であったり、信頼であったりするんだ、そうするべきなんだ。 

 俺はね、戦争を起こした奴が誰であろうと憎んだりしない。だって俺は笑ったし、食べたし、寝たし、愛されたし、愛したし。 

 私の事が不思議だったのかい? 

うん、いつも突然現れるのに、その瞬間にいて当然という人になるから。初めは俺にしか見えていないのかと思ったけど、『今の子』とも話してるし、どういう事だろうって。 

 私には君と『今の子』はいつも一緒にいる様に見えるけど、じゃあそれも、そういうわけでもないんだね。 

 ヤツは俺の想像の中の人だと思ってた。1人で死ぬのはやっぱり怖かったし、誰か一緒にいてくれたらなぁって思ってたら、頭に勝手に現れて。そして、ある時から勝手に動き出して……。 

 へぇ、そんなこともあるんだね。じゃあ私も?

 そう。ある時、アイツがいい店をみつけたからって。 

それは、〇〇(昔の子の本名)君としてじゃなくて、『昔の子』としてだね? 

 うん。だから、いろいろあるんだよ、わかってくれよ、オジサン、って言ったんです。俺も俺がよく分らなかった。でも俺はもう俺が誰であったところでかまわないし、そんな事に拘るために俺は何も考えないし何もしない。だから、茶碗が拾えなかろうと、父さんが戦死しようと……。 

 海が広かろうと、空が高かろうと、そんな些細な事はどうでもいいんです

               * 

  

 目が覚めた時。 

パソコンに向かったまま寝落ちしてしまった私の頬にはくっきりとパーカーの袖口の繊維の形がついて、あぁ、昨夜ちょっと飲み過ぎたから、顔がむくんでいるんだ、と。 

私はすぐにまた、そうやって矛盾をなくそうとしているのに気付いて、ハッとしました。

第73章『妙な疑い。』 

『今の子』が高熱を出して救急搬送された時の事を覚えてますか? 私はすぐに『今の子』の母親に連絡をしました。正しくは、せざるを得なかった。だって母親ですから。『今の子』は凄く嫌がってたんですけどね。 

 病院に駆けつけた母親は、眠っている『今の子』に優しく話しかけました。 

「○○君(今の子の本名)、頭痛い? のど乾いてない?」 

 私はその優しげ態度がとても不自然に感じられたのを思い出します。『今の子』はいつか、この母親を『エキストラさん』だと言ったのです。 

 僕にとって母親はこうあってくれれば一番都合がいい、とても好都合なエキストラさんです、と。『今の子』自ら命を断つ前、断末魔の叫びをあげるためにはこれぐらいの母親でないといけなかった事を、自分にとって一番都合がいいと言ったのです。私はとても驚きました。

 私はこの小さなデジタル空間の中にこの店を開いて、そこに『昔の子』『今の子』という道祖神から出来た2人の少年を置いて働いてもらっている、そんな世界を自分の現実の一つとして隅っこに置きました。実際の私はトラックドライバーとして毎日働いていて、もとよりの性質が拙速である事に加え、子供の頃から一つの事にかまけてしまうと他が見えなくなる性質から失敗ばかりしています。仕事としては、他人と触れ合う機会が少ない事だけは満足しています。私はきっと本質的には他人を必要としないのでしょう。 

 そんな私のこの小さな店は、確かに現実の一部と繋がっていて、『今』という無限の空間と時間の中で昼夜も分かたず営業しているのです。

 ネットショップは24時間365日営業中だから? いいえ、そういう意味の昼夜を分かたずではなく、昼夜は『今』の中に同時に同じ場所に存在するので分けられないという意味です。さらに言えば……、 

 この店について私は何1つ発想してません。私はただ、私の現実の隅にこの店を置いただけで、それですら私の意思ではなく、私はそれに至るまでの経過を見ていたに過ぎず、そしてそこを通じて私に訪れた出来事を、やはり見ているだけだと考えているのです。私の意に沿っている事は何1つないのです。ネコが死にかけた事があります。息子が癲癇で倒れました。そんな事が私の意に沿った発想であり得ますでしょうか? 

 話が少し逸れました。どうでしょう。皆様は『今の子』の様に、自分をまるで俯瞰するような場所に置いたことはありませんか? そして、一番疑わしいのは他人ではなくて自分だと、そんな考えに突然頭を領された経験はありませんか? 例えば、昔の日記やブログを読み返した時、今の自分とは違う誰かを感じたり。

 そんな時、自分は誰をどういう風に疑っているのか?と思った事は? 

 そこにはただ蜘蛛の様にジッとして、訪れた全ての音や匂いや光を、その時の都合のままに解釈している。その解釈はテトリスの様に時にはピッタリと、時には不安定に重なって、すべてが見聞きした現実はずなのに、結果として全く意図しない形に積み上がっていく。それをいろんな角度から眺め、ただそこに見えた形のみを真実と考える変な奴……。 

ハハハハハ、そりゃあそうだ。そりゃあ昔の自分に違和感を感じるにちがいない。 

 つまり間違いも正解も、あらゆる問題とその答えはすべて自分の捏造、思い込みであり、全うに疑うことが出来るのは、そんな問題も答えを捏造し続けている自分を於いて他にないんじゃないか?  

 他人? 他人など基より取るに足りない、疑ったところで詮無いモノ。他人がウソをついたとしても、それは私にとってウソになどなり得ません。現実にそぐわない事を誰かが私に言った、という厳然たる事実でしかありえないのです。ウソに反応するのと、ホントウに反応するのはどこが違いますか? 

 そして会っては離れて、また唐突に現れてはその続きをオタオタと模索しなければならない、甚だ落ち着きがないモノ。 

 他人など目の前にいない時はいないも同じじゃないですか?いると想像するのは勝手ですが。でも自分はそうはいきません。私はその、自分に対する執拗で純粋な疑念と同じようなモノをこの時、この母親にも感じたような気がするのです。『お前は、本当はナニモノなんだ??』というような。 

 学校での些細な出来事をきっかけに心を壊しつつある我が子を、母親は母親の宇宙最大の愛情で救おうとしたのです。それは本当だと思うのです。そのためには、母親はどんな手段も選びませんでした。自分がどんなモノに成り果てようとも、息子を救うために一切の犠牲を厭わなかったのです。 

 生まれて、そっと傍らに置かれた生まれたばかりの息子は、穢れの欠片もなく、ただただ美しく、ありがたい存在だった事でしょう。きっと母親の宇宙は、その瞬間に現れたに違いありません。母親はその愛らしい姿が、どうか怪我も病気もせず、健康に長生きしますようにと、はて? 果たして誰に祈ったのでしょう? 

 まず間違いは、名前を付けたことかもしれません。そして唯一純粋に疑うことが出来る自分を、その偶像の母親として疑う事を一切拒否してしまうようになったのです。 

 彼女は唆されたのでしょうか? でも誰に?さっき祈ったヤツと同じ奴でしょうか? とにかく。 

 そこにむっくりと姿を現したあるモノがいた事だけは確かなようです。 

 彼女はただただ息子の苦悩を知ろうと必死でした。ただ、それが知りようもない事は自分をしっかり疑えさえすれば簡単だったと思います。息子と自分を分ける事などもともと不可能なのですから。本来自分の苦しみであるはずの苦しみを、息子と自分を分ける事で、苦しみまで折半してしまっているのです。もし本気で息子を救おうというのなら、無辺際な『今』の中を、妙な足跡を付けないように、誰にもわからない別の『今』へ行けばそれでよかったのです。何処へでも行けたはず。しかしこの時の彼女にはもうその発想すらなかったのです。なぜなら、彼女は自分を母親のなかに閉じ込めてしまったからです。そりゃあ、エキストラさん、と言われるはずです。 

  

 どうしたの? ママに全部話して。ママがきっと○○君の力になってあげるから。 

 自らを、ママ、ママとそう繰り返すたびに、彼女に営々と囁き掛けるモノがいました。私はもう少しでその手を掴めたような気がしています。どうやって? それは、とりあえず、息を止めて、自分の体を両腕でしっかりと締め上げて、動けないようにがんじがらめにしてやる。そしてもう死んでしまうかと思う程、狭く暗い場所に自分の顔面や体を押し付けるのです。すると体は私に白旗を上げるのです、死にたくない!って。体はすぐ根を上げます。死にたくない!って。ヤツには要するにその欲求しかないのです。でもそこでやめてはダメなのです。私はとにかく道祖神の様に『今』の中で、ジッとしていなければならない。 

 しかし、出来なかった……。すべてをやめてしまえばよかった。母親も、父親も、自分自身も。でもそれはきっと誰も選べない選択なのです。そこにヤツの幻惑があるのです。ヤツは絶対にどんなモノも最後の最後まで一人のしないのです。そして営々と囁きかけるのです。そして自分の意のままに操るのです。 

 そうヤツこそが、『皇極法師』です。 

 わたしはまだその正体には一度も触れた事はありません。でもヤツは私が子供の頃から、しつこく私に付き纏い、そしてネット上に副業の世界を構築させ、ネットから引っ張ってきたフリー画像の道祖神に私の一部を分け与えて、まるで地球を人力で回すような世界をくっつけたのです。そして『今』この時でさえ、ヤツはしつこく私に付きまとおうとしています。もし私が、「どこだ皇極法師!出てこい!」なんて叫ぼうものなら完全に私の負けです。私はただの頭のおかしい人間としてすべての世の中の常識から放っておかれるだけなのです。 

冗談じゃない! 

 私はこんなに性格の悪い品性下劣なヤツと心中なんてまっぴらごめんなのです。 

              * 

  

 はあ……、焚火を見ながら、『昔の子』は言いました。 

 俺もね、そう思います。『今の子』は、死んだ事を何も後悔していないと。むしろそれがないと底が抜けた様に自分がサラサラと崩れて現実から消えてしまう。だからあんな母ちゃんでも自分には都合がよかったんでしょう。 

 でも俺の場合とは、ずいぶん違うな……。 

 俺はね……。俺の場合はね……。 

『昔の子』には、また私とは別の世界があるようです。 

まあ、当たり前ですが……。 

 第72章『明け方の訪問者』 

 まずは私の方から? 相変わらず狡い人ですね。私はこの頃はすっかりメイクも忘れて、毎日すっぴんで過ごしています。そうして心も体もどんどん老け込んでいってます。さてあなたは、どうなんでしょう? 私との、言葉に出来なかったあの約束は、もう捨ててしまったのでしょうね、あなたの事だから。 私を心底ガッカリさせた、超ネガティヴオッサン小僧は、どんなリアル中年オヤジに成り果てているのでしょうか? 正直、見てみたくもあります。 

 明け方でしたね。こんな不思議な声を聞いたのは。私はしばらく動けませんでした。『誰なんだろう?』それは金縛りなんかじゃなく、混然とした精神と肉体が同時に別の方向に考え込んでしまったような感じでした。私は誰で、どんな感情を以てこの返事をすればいいのか。そしてこのおそらくは女性を誰として反論、もしくは謝罪をすればいいのか。 

 お久しぶり。私がどこでどんな中年男に成り果てていようと、あなたの邪魔にはならないと思うんです。でも私はきっと、たくさんの事をあなたに話さないでおいたのでしょうね。それはいけない事だったかもしれません。 

 何から話しますか? この、あなたと私以外には何の価値もない出来事について。あなたの? 最後の表情ですか? もちろん覚えてますよ。中野駅でしたね。中野サンプラザでルーリードのライヴを観た。あなたはルーリードヴェルヴェットアンダーグランドも知らないのに一緒にライヴを見に来てくれたんでしたよね。さぞ楽しくなかった事でしょう。 

 私?私はとても楽しかったですよ。目の前には大好きなルーリードが、そして隣には、ルーリードに負けないぐらい大好きなあなたがいたんですから。アンコール最後にスウィートジェーンを聴いて、私は膝が抜けるようにフワフワとしながら会場から外に出てすぐに、煙草に火を付けようとしました。しかしそれよりもほんの一瞬早く……、 

 微かに煙草の臭いを嗅いだのです。 

                * 

 雨もよいの、どんよりとしたお昼前、重い足取りで訪れた産婦人科のガレージで、まだパジャマ姿の医者が煙草を吸っていたのです。医者は私を見るとすぐに悟ったようで、非難がましい目で私を一瞥すると裏口から中に入りました。 

 ちょっと、それ、何の話? 

 慌てたってもう遅い。あなたが話せと言ったんです。だから話しているんです。私はあなたと一緒にいる事がとても幸せだったんです。でも最後……。 

 忘れもしません。中野駅の階段を登ろうとした時、あなたは私に、 

「来週、結納なの」そう言ったんです。 

 私のルーリードはめちゃくちゃに壊れました。なぜこのタイミングであんな事を言ったんです?でも所詮そんなモノだったのかもしれません。私はルーリードまで利用して、あなたとの関係から必死に目を背けていた。しかしあなたはそんな私に、好きでもないルーリードのライヴに付き合うなんて事までして、ギリギリまで近づいて、もう唇が触れそうな至近距離からいきなり私のこめかみを撃ったんです。 

 私は自分の奥歯がギリギリとなるのを聞きました。きっと人間の時間にすると朝の4時ぐらい、この出来事は何十年も前の事なのに、私には両方確かに『今』目の前の事として、ギリギリという音と一緒に、自分のこめかみから流れ出る血液の生温い感覚をはっきりと感じたられたのです。  

 私のせいじゃないわ。私、初めに言ったよね? 他に付き合ってる人がいるって。 

 今はそんな話をしていない。誤魔化さずに聞いてほしい。私は、そっと病室のドアを開け中に入ったのです。そこにはベッドに寝るあなたがいたんです。両眼をハッキリと見開いたあなたは、天上から私に視線を移すなり「イェイ!」と、両手でピースサインまでしたのです。 

 ウソ! 私そんな事しない! 

 あぁ、そうだね。それを見たのは世界で私1人だけだから。 

 ウソ! 知らない、私、そんな事してない! 

 じゃああなたにとってはウソでもいい。でも私にとってはウソじゃない。あなたは私に、「なにも訊かないんだね」そう言ったんですよ。 

 私、もうオバサンだからハッキリ言うけど、旦那よりあなたの方がずっと好きだった。でももう婚約した後だから、それは私にとって天秤に掛ける事が出来るようなお話ではなかったの。私が悪かったとすればそれは、あなたに本当のことを言ってしまった事。私はある日突然いなくなれば、それでよかった。あなたの目の前からいなくなれば、たとえ死でも、その方がよかった。 

 でも、そうしなかった。 

 何故だかわかる? あなたが、こう言ったから。 

 ん? 

 結婚してもいいよ。 

言わないよ! なぜ俺がそんな心にもない事を! 

 小さな会社だったよね。狭い雑居ビルの2階と3階にオフィスがあって、あなたたち職人は2階、私達内勤は3階で、別に出会わないようにしようと思ったら出来た。でも私たちはそうはしなかった。そして狭い階段のおとり場で、いつも少しだけ抱き合ったりキスしたりした。なぜそんな事をしたと思う? 

 いい加減、こんな寝ぼけ話は終わりにしますね。もう目が覚めそうです。今日は早出だから、こんな風に何時までもぼんやりしていられない。目を覚まそうと思えばいつでも覚ませる。君の事なんて、いつでも消し去れる!私は寝起きがいいんだ! 昔から、私はとても寝起きがいいんだ!! 

 じゃあ、何故そうしないの? 

あなたが結婚して、会社を辞めた後……。 

うん。 

あなたの使っていた机の引き出しから……。 

うん。 

 超音波写真が出てきたんだって。 

なに? ウソ! 

あなたは私を最後までそうやって苦しめ続けたんですよ。知ってました? 

ウソ!絶対ウソ! 

 私はその写真を持って、護国寺にあるお寺に行ってお供養してもらったよ。写真はその時お寺に渡した。両手に抱えきれないほどの子供を抱いた菩薩像に私はまだ、あなたの面影をみつけようとしていた。あなたは母親だけど、私はただの人殺しかも知れない……。 

ウソ! 

 きっとあなたは、婚約者、今の旦那さん? には本当の事を言わなかったのでしょう。だからうまくいった。私には本当のことを言ったからうまくいかなかった。それだけの事です。それが、あなたのした『選択』です。そして、そのすべてが私たちの『今』なんです。 

 ネコがね。いい加減起きろ!ってとうとう壁をガリガリやり始めましたよ。 

わかったわかった!もう起きる。もうこんな、変なオバサンなんか相手にするのはやめて、君の早朝の飲み水も入れ直すよ。だから襖をガリガリするのはやめてくれ!


第71章『秋祭り、あるんだって?!』 

 忘れ蝉も鳴かなくなりましたね。かわりに赤トンボがたくさん飛んでいます。まだ暑かったり、寒かったりしますが、季節はもう夏ではないという事ですね。しかし日足が長くなった分、店の中は真夏の頃よりも寧ろ明るいくらいです。 

 『昔の子』『今の子』が眺めているのも赤トンボでしょうか? それとも秋祭りののぼり旗でしょうか? 2人並んで外を見ています。 

 最近、『今』に留まる、のが以前よりもヘタクソになってきたような気がします。『今』の事を、私はすべて知っているはずなのに、なぜかその事に自信が持てない。 

 『今』に留まる、というのは単に感覚の問題だとわかっています。誰もが普通にそうしている、いえ、そうせざるを得ない様な事だとわかっているのですが、ただ、そこに何か特別な感覚が混ざり込む事で、それがうまく出来なくなる。 

 だから私は今から、栗羊羹でも土産に突然店を訪れて二人を驚かせてやろうかと思っているのです。そして2人と30分ほどたわいもない話をすればきっとまた自信が持てる、漠然とそんな気がするのです。2人はきっと、私の逆だと思うから。 

  

「この間の土曜日は、息子さんの体育祭だったそうじゃないですか。どうでした?」 

 『昔の子』そう訊かれた時、わたしはドキッとしたのです。意地悪で 言っているのかと、そう思ったほどでした。 

 「そうなんだよ、それがさ、多分小学生の頃よくウチに遊びに来ていた息子の友達だと思うんだけどさ、いきなり『お久しぶりです!』なんて声を掛けられても、声は低くなってるし、背は伸びてるし、おまけにマスクしてるから顔もよくわからなくてさ。だから取り合えず、『あぁ、久しぶりだね、今日は頑張ってね!』 なんて言ったあとで、どの子だっけ?? なんて思い出さなければならなかったんだよ」 

 そう言いながら私は、完全に失敗したと思っていました。これじゃあ、何をしに来たのかわかりません。2人は笑って聞いてくれましたが知っています。自分達には『成長』という体験がない事を。それはどうしようもない事です。それが『今』に留まらざるを得ない2人の残酷な現実なのです。それは飛べないペンギンやダチョウが太古の記憶に思いを馳せる様な禁断の行為。飛べない事はもはやハンディキャップではないのです。ハンディキャップと思ってはいけないのです。じゃあ、その反対の私は一体どうだというのでしょう? 

 私は『報われない』とよく口にします。しますが実際にそれがどういう事なのか。何と何を比べて、私は何をより悲観して『報われない』と言っているのか、今はそれがわからなくなっている気がするのです。私が報われない代わりに誰かが報われている、という理屈ではないと思うのです。 

                   * 

  知ってる? 

 『今の子』『昔の子』に話し掛けています。『今の子』にはこうして、すべて後回しにして突然話し掛ける癖があります。『昔の子』は慣れたモノで、私の妻が焼いたパンを並べながら、何を?と言います。 

 あるんだって。 

 何が? 

 秋まつり。 

 あぁ、聞いたよ。のぼり旗立ててるおじさんが3年ぶりだから気合が入るって言ってた。 

 伝染病のせいで3年も開催されなかった秋まつりが、今年は開催されるようです。4年前、私は『竿燈持ち』の大役を仰せつかり、法被に半タコ、ねじり鉢巻きにわらじ履きという、完璧な『お祭りスタイル』でやらせてもらいました。竿灯は重くはないのですが長いのでバランスを取りにくく結構疲れたのを覚えています。子供達はみんな楽しそうで、中学生と思しき男女の微妙な距離感にも私は、任せとけ! というような大きな気持になりました。お祭りとは、誰かが非日常を演出する側に回って、日常の中で晒しモノになるのが正しいようです。ひょっとこの面をかぶって踊っている人を、この時ばかりは誰も疑いません。ひょっとこはそれを見る人の『非日常』を一手に預かり、一番有効に運用しているのです。 

 しかしなぜ、そんな事をする必要があるのでしょう? 

  私はこう考えます。敢えて時世の判然としない服を着てモノを持ってみせ、日常に時間的、空間的な曖昧さと不確定さを含ませる事で『今』を1つの大きな『単純作業』にするためではないのか。

竿灯を持って小春日和の穏やかな陽だまりの中を2時間も3時間もポクポク歩くのも、いきなり婚約者がいる事を告げられ、失意の中、真夜中の繁華街を泣きながら2時間も3時間もトボトボ歩くのも、私にとっては単に時世を伴わない『単純作業』でした。

 まあいいや、これもきっと、どこかで誰かの役に立っているのだろう……。私はそう信じる事で、全世界の『今』に自分の悲劇を割り振ることが出来たのです。だから逆上して相手を八つ裂きにする事もなく、泣きながらフラフラと歩く事が出来たのです。 

 そんな理由から私は、秋祭りの今日に限っては、焼き団子や焼きトウモロコシの匂いに誰も文句を言うはずがない。私はそう信じていました。ところが……。 

                 * 

 歴史を変えるなんて出来っこないんだよ。だから未来も決して変わらないんだよ、だから今何をしようと同じなんだよ。 

 いきなり話し掛けてきた男がいたのです。それは私がまだ20代の頃、同じバイト先で怠けてばかりいる、酒に焼けて赤黒い顔をした痩せた小男でした。当時でももう40代後半ぐらい、ハーフグレーの頭髪もぼさぼさに疲れ切っていました。 

 いいか、断言してやろう。君は決してミュージシャンにはなれない。なぜなら君は今、ミュージシャンじゃないからだ。これから頑張れば、或いはミュージシャンとして成功できる!そんな事を考えているのなら、お気の毒さまだ。人は『今』を生きている、やっているのはたった1つそれだけなんだよ。人間には『今』しかないんだよ。過去と未来を繋げて考えるのは勝手だ。しかしそれはごく個人的な事柄だけにした方がいい。じゃないと後々、周りの状況との齟齬が生じる。それが不安や不満、恐怖や絶望を生み出して、耐えられなくなった奴が自ら命を断つんだよ。それはこの世の中で一番不幸な連鎖だよ。そんな事を、やれ経験値だの、知識だの、技術だのと言って自分の役に立っている様に言うのは、まるで詐欺じゃないか。ないモノをあるというのだからね。人間はね、何も出来ないんだよ。何か出来たためしがあるかい?人間がやった事は必ず人間を苦しめる。それは何かやった事にカウントされるのかい?

 されるのかい? だったら知らん。勝手にしろ! でも私はそうは思わないんだ。だから、君が今、ミュージシャンではないという事は、君は将来も未来永劫ミュージシャンではないという事の決定的な証拠なんだよ。実際、ミュージシャンで成功している奴の頭の中を想像してごらんよ。紆余曲折のストーリーがすべて今に繋がっているはずだ。何一つ、迷ってなんかこなかったんだ。ただジッとしてればよかったんだ。それなのに、どこからともなく混入した感覚が彼・彼女らを無駄な努力に駆り立てた。それだけの事だ。それを、経験? 運命? 努力? 偶然? 

 ははは、残念だが全部違う。そんなに自分の人生を下卑た付加価値で飾りたいのか? イヌやネコにセンスの悪いリボンを付けたり服を着せるのと一緒だ。イヌはイヌだろ?違うか?『今』だって同じだ。今は今だろ?違うか? でも誰もを認めようとしない。俺は仕事を怠けているんじゃない。必死に、『今』を生きているんだ。それはアメリカ合衆国大統領だって俺だって同じなんだよ。こんな簡単な理屈がわかるヤツがほとんどいないという事は、今生の人間の発生は初手からすべて失敗だったという事かもしれんな。 

 私はそんなみすぼらしい、自分よりも才能も可能性もなさそうな萎びた中年男の言葉なんて微塵も気にしませんでした。しかし結果、私は男の言うとおり、ミュージシャンとして成功する事は出来ませんでした。あの男の言った事が、見事に的中したのです。 

 そしてそれがどれぐらい正確だったのか。

 その20年後、私は両膝を壊して失職し、約9か月もの間リハビリを余儀なくされていました。その間にじっくりと考える事が出来たのです。そしてその男が言っていた事の、正確さ、緻密さに改めて驚いたのです。次々と的中していく、男の言葉に、私は大声を出しました。 

「今年は、秋祭り、あるんだって??」 

 2人は驚いたような顔をして振り返りました。 

 私は栗羊羹も忘れ、手ぶらで店を訪れていました。そして店に入るなり大声を上げたのです。 

「今その話をしていたところなんですよ」 

「いいね!秋祭り。2人も行ってくればいい!」 

 え!?いいんですか? 

2人は目を丸くしました。 

 「いいよいいよ、行っといで!」 

 私は栗羊羹を買うはずだったお金を2人に渡しました。2人は嬉しそうに神社に向かっていきました。何の利もなくただ、夕日と赤トンボの群れが、無上の優しさ以外の何の想像も喚起しない理由で以て、2人を神々しく飾り上げていました。そしてその瞬間、私は私が、しっかりと『今』に留まっているのを感じました。 

 空爆の後の月の様に。

悲しい事は終わりませんが、嬉しい事だって終わりません。 

 そして私は、

窓辺の、2人がしまい忘れた風鈴を、そっとしまいました。 


   第70章『双翁釣談』 

 ずいぶんエラそうな夢を見たので、それをそのまま書く事にしました。しかしなにぶん下手くそなモノで、実際の会話に頼るしかないような不手際が多々出て来るかと思いますが、それは前以てご了承ください。 

 しかし、夢はいつまでも見るモンですね。もう、何も望んでないって!何も欲しくなんかないって!と思っても、どうしても夢は見るモンです。つまり夢はナニモノかに『見させられている』というのが正しくて、それは抗いがたくまた、現実にも同じ様な性質があり、誰もがナニモノかに『生かされている』という事実に繋がります。別にね『使命を帯びてる』とか、そういう面倒くさい理由じゃなくてもね。 

 そしてどんなに切なくても、悲しくても、逆に嬉しくても楽しくても、夢はほどなく覚めてしまいます。そうしたらたちまち現実というヤツが押し寄せてきて、そのすべてを否定しようとするのです。 

 でも本当なんでしょうか? 現実と夢は敵同士なのでしょうか。夢は現実を否定して、現実は夢を否定する。そしてお互いの何処にも、その欠片すら見出せない、そういうモノなのでしょうか? 

 疑い出すとキリがないですが、最近めっきりバーチャルリアリティーなるモノに腰を据えるようになって……。そのせいで人々は旅行だってほとんど行かなくなりました。世の中全体がそうなって、何から何までバーチャルリアリティーで事足りるになってしまって……。 

               * 

 糸を垂れた場所がよほどよかったのか、弁当もままならぬほどの釣れ具合にあたふたと私は、エサを刺そうとして指を刺したり、振った糸の先が柳の下枝に絡んだのを必死にほどいたりしながら、それでもその日はこれまでにないほどの大釣果だったのです。 

 しかしフナなど、幾ら釣ったところで食えもせず売れもせず、そのうち『お前は、何をしているんだ?』と自問自答が始まった、ちょうどそんな時でした。 

 さっぱり釣れん!と竿を筒に収めようとしたもう一人の『翁』がおりました。私はその人を見て初めて、自分も『翁』同様、もう人生も終えかけた閑人、老人であると気付いたのです。 

 「ルアーなんかで釣ってんの? オジサン。ルアーでフナは釣れないよ、そんな事も知らないの? オジサン。」しかし私は出来るだけ子供の様に言いました。こういう事、たまにないですか? ベビーカーに座った赤ん坊と偶然目が合って、不思議そうに見つめるその子に、親の目を盗んで変な顔をしてその反応を楽しむ、そんな事。その時、私にとってこの『翁』はその『赤ん坊』だったのです。 

 翁は、「いや、こんな場所じゃ、どこに投げたって何にも釣れやしない。」と独り言の様につぶやくとサッサと竿をしまってもう帰る勢いでした。 

「ちょ、ちょっと待ってよ、オジサン。ウソじゃないって! これ見てよ。これ、全部僕が釣ったんだよ。この15分ぐらいで、1人釣ったんだよ!」 

 実際には皺くちゃな老人が、まるでコスプレでも楽しんでいるようにワクワクして言います。 

 『翁』は私の魚籠をちょっと覗いて、『嘘だろう?』という顔をしましたが、すぐに前を向き直り、「お前はそうやって私を、自分よりも可能性のない、或いは可能性の尽き果てた哀れな老人だと、たかだか釣り一つを使ってバカにするつもりなんだな?」 と言ったのです。 

 そんな事を言われたら私だって、もう易々と『翁』には戻れません。『翁』は自分の間違いを、目の前の小僧に転嫁しようとしています。私はわざとらしく歯をギリギリ鳴らして子供の様に悔しがって言いました。  

 じゃあさ、オジサンさ。あの木の根元あたりに落としてみてよ。どんなバカでも釣れるから。 

 『翁』「バカとは何だ!誰の事だ!ワシの事か?」 と食いつてきました。この一言を取ってみても、『翁』がいかに年齢差をあてにしているかわかります。 

 孫ほどに年の離れた子供に揶揄されたと思っているのでしょうが、実際は『翁』がそれを選んだのです。赤ん坊は今にも泣きだしそうです。でもそれも無理もないのです。明日の事も、昨日の事も考える必要のない、純粋に2人っきりという間柄は真っ暗闇と同じです。相手の立場や考え方、まして見た目など、何の意味もないのです。 

 いいか、小僧。釣りはな、こうすれば必ず釣れるなんて理屈は世界中の何処にもありはしないんだ。同じ船のミヨシトモでも、釣れたり釣れなかったりする。同じ船に乗っていても、ある客は大満足して船頭にチップを渡して揚々として船を降り、ある客は、「こんなヘタクソな船頭の船には2度と乗るものか!」と救命胴衣を投げ捨てて船を降りるのだ。それが釣りというモノだ。つまり差別だ、そう差別。絶対的な差別だ。それがどうした? じゃあ釣った魚をみんなで平等に分けましょう。そんな事をしたらどうなると思う。せっかく気分がよかった太公望はおろか、情けを掛けられた丸坊主まで怒り心頭に発する、そういうモノだ。それを理解できない若輩モノが、駆け引きや結果だけで、価値を図る事しか知らんような愚か者が、釣りについて生半可な講釈を年配者に向かって垂れるモノじゃない。さ、わかったらお前もサッサと竿をしまって帰るがいい。雲行きが怪しい、ほどなく空が割れる程の雨が降るかもしれんぞ。 

 ずいぶん頭の固いじいさんだ……。私はそろそろ『翁』に戻ろうと思いました。完全に飽きてしまったのです。もう終わりだ、会話や物語の繋がりなどどうでもありません。もとより私だって釣りがしたくてやっていたわけでもありません。食えも売れもしないフナを、大量に釣りたかったわけではないのです。そしてその時、あ、これ、ひょっとして夢なんじゃないか、と少し思いました。 

 頭がお堅いのは、あなたの方でしょう。 

 しかし『翁』はそう言いました。ハッとして見ると、釣竿を筒に収めて立ち上がろうとする『翁』の後ろでは真っ黒い雲が、空が撓むほどに重く圧し掛かっているのが見えました。 

 私を誰だか、あなたは、知っているのですか? 

 私はこの『翁』が誰なのか、はじめから知っていました。もうじき天寿を全うするために、何かを考えるのではなく何も考えない準備に追われなければならないはずなのに、私は早々に倦んでしまって、こっそりと抜け出して、閑人、老人というコンセプトに身を隠し、知らない川で釣りなどして、さらには多少の釣果にいい気になって、たまたま居合わせた同じく、閑人、老人を少年のフリをして揶揄ったのと同じ、閑人、老人……。

 その時、堰を切ったように、これまで行ってきた徒労が、どっと押し寄せてきて、川ごと、岸ごと、柳ごと、フナでいっぱいの魚籠ごと、私の全ての景色を押し流していったのです。 

 ほら来た! これだよ、これが起きる、これがこの世界の一番の弱点だ。お前はどうする?この後、どうする? すべてを否定して、シレっとまた現実に立ち返り、何食わぬ顔をしてまたトラックを運転するのか? 

                 * 

 暫く、ぼっと闇を眺めていたのですが、目覚ましのアラームかと思ったら、すぐ隣で猫がグルグルと喉を鳴らしている音でした。秋の朝は深く、まだ外は薄暗いのでした。

「そんなこと言ったって、仕方がないじゃん!」 

  

  私は家族の寝静まる隣で、1人そう呟きましたとさ。 

『いきてるきがする。』《第9部・夏》


もくじ



第69章『運命を片時も疑わずに。』 

  昨夜は珍しく雨が降ったので今日は幾分過ごしやすいです。この夏は梅雨が早々に明けてからの猛暑日続きで、地面も空もカラカラに乾燥している様子だったので、それはそれで、まあよかった。 

 今夏、私は何年かぶりに帰郷することが出来ました。生まれ故郷の京都府北部まで約600㎞を、息子は一足先に電車で、私と妻は後から車で。久々に夫婦2人でのロングドライヴで、よそよそしいか、或いは物足りないのかと思ったら意外と楽しかったです。心秘かに、「お!まだ、デートって、出来るんだ!」なんて思ったりして……。 

 サービスエリアごとに止まっては、買いもしないのに土産物売り場をウロウロ、そしてフードコートで、私は仕方なしにカツカレー、妻は仕方なしにうどんを食べ。 

 この『仕方なしに』が、要するに『旅情』なんです。 

「あと何キロで○○サービスエリアがあるけど、そこまで行っちゃうとお昼の時間に掛かっちゃうから、それならその1つ前のサービスエリアで早めにチャチャっと済ませて、先を急いだほうがいい。あんまり遅くなると、向こうにも迷惑になるからね」 

 そんな事を算段しながら妻と私は『仕方なし』に食べる。こうして少しでも『日常』を遠ざけようとするんですね。もちろん完全に日常を離脱するわけじゃない。 

 最後に「あぁあ、あっという間の夏休みだったなぁ……、」と嘆息を漏らす事は、もう旅行に行く前から織り込み済みで……。 

 2年ぶりに見た故郷は、それでも少し変わっているようでした。両親が存命中に住んでいた家は今は他人の手に渡り、目印だった焼肉屋の看板の色は変わっていました。実家も改装中で、私の知っている実家はもうありませんでした。そして一足先に帰った息子は我々を見るとやや残念そうな顔をました。 

 わかる! それ、正しいぞ! 

 日常がちょっと戻ってきた感じだろ? それでちょっと、ガッカリしたんだろ? わかるわぁ~。 うん、それ、正しいぞ! 

  

 何だか、今日はすべてが肯定的です。普段、何事にも自信がない私には、些細な事にまですぐに根源的な平等性を求めるという悪い癖があるのですが、根源的な平等など、もとより欲しい訳ではなく、私はただ、自分の大切な人だけが幸せになればいいと、つまり自分だけが幸せであればいいと考え、その上で世界が平和であれば、それに越したことはないと考えているだけです。その上で、全ての行動をしているのです。 

 着いた日の夜、中学時代のバンド仲間が集まってくれて、セッション大会を催してくれました。なんと40年ぶり。 

 久々の大きな音で演奏を回します。Eのワンコード。中学時代の『今』が頭をもたげます。 

 おい、アイツどうした? アイツ、どこにいる? アイツは? 帰って来てるの? アイツ、今何してる? 

 必ずそんな話になりますよね。でも地元に住む同級生は、あまり知りませんでした。さぁ、知らんで……。帰って来てるんかな。全然会わへんけどな……。 

 知るわけないよね……。人生が分岐する前の『今』が目の前に広がりました。あの頃と同じ事が、今目の前で起きている。そこに自分もいる。とても妙な感じです。そりゃ、弾いてるフレーズも、喋っている内容も、録音して聴き比べると当時とは全然違うでしょうが、それはそんな事をするからです。もともと一つしかない『今』に2つの要素を無理やり捻じ込んだりするから、そういう矛盾めいた事になるのです。 

 それはあたかも、ハマチ『ハマチ』と名札を付けて3年後、明らかにブリになっているのに『ハマチ』と書いてあるのを見て、矛盾だ!と言っているのと同じ様な滑稽です。 

              ハマチとブリ。  

 京都府北部ハマチブリは、今も昔もメチャクチャ美味かったです。本当に、多言無用! メチャクチャ美味い! 未来永劫この一言で充分です。 旨味が口いっぱいに……、プリップリの……、一切無用!! 

 私は東京に来てから『甲殻アレルギー』を発症して、エビ・カニは一切食べられなくなっていたのですが、此度、故郷で食べたエビ・カニにはその症状が全く出ませんでした。『何故そんな危険な事を試したのか?』 と言われるかもしれませんが、それは発症する前の『今』の私の判断だったのかなぁ、と思わざるを得ません。 

 緑は?  私は出来るだけさりげなくそう訊ねました。

               * 

「緑君の、お子さんが亡くなってな」墓参の帰り、兄が言いました。緑は私の同級生で、私と違い、スポーツマンで、人気者で、明るい奴でした。 

 子供が、亡くなる。 

 聞いた途端、私はまた、おせっかいに、どうしたの?どうしたの?と、まるで面白半分みたいに緑の心に踏み込もうとしています。 

 お前はパッとしない奴だった。 俺は人気者で、いつも楽しく笑っていた。 

 私は緑に無理矢理そんな事をしゃべらせてみました。でも緑は全然私を相手にしてくれません。そりゃそうでしょう、緑はそんな事を言う奴じゃない。そして感じたのは、罰は当たらない。因果応報など無い。という事でした。 

 あればいいですよね。みんな納得できるなにか。でもないんです。 

 あれは、私のために生まれてくれた。あれのおかげで、私はあれの父親というプライドを持って、一生誇り高く生きていける。 

 私はまた、緑にそんな事を無理矢理言わせてみました。でもダメです。緑の悲しみを、私はどうしても、自分本位に探ろうとしてしまうのです。そして自分勝手に安心しようとするのです。 

 緑君か……、さあ、あんまり見ぃひんけどなぁ。どこにおんなるんやろ。 

  

 今を羨む未来は要らない。 

 私はギターを弾きながら何度もそう頭の中で呟いていました。 

Eのワンコードは何の脈絡もなくただ続きます。そこに、我々中学生が、楽器を持って暴れているのです。何かいい思い出を作ろうとして、何か、熱い思いを遂げようとして。 

やがてそこに緑君がまざりました。そして、緑君の子供も。 

 ワンコードは、さすがにきついな。ネタが尽きる。 

そう言ってみんなで笑いました。 

 今を羨む未来は要らない。 

 私も笑いながらもう一度、そう頭の中で呟いてみましたが、もとより『今』は1つしかないのだから羨みようがありません。私の今は、中学生の頃からずっとここにあります。そしてそれは、今日集まってくれた同級生も、緑も、緑君の子供も同じです。14歳という若さで亡くなった緑君の息子に、私はこう言ってみます。 

 こんな、使い道のない様な時間でも、いい? 

 彼はそれでもいいと言います。私は自分がとてつもない財産を手にしている事に、気付いていないのです。それが『今』だという事にも。 

 仕方なしに食べるカツカレーも、甲殻アレルギーも、Eのワンコードも、私の知りうるすべてのモノは燦然と輝く宝石なのです。 

 1個2個、なくなってもいい? いいえ、なくなる事はないんです。 

 いつか見渡す事もなくなって、やがて見失っても、それはありつづける『今』なんですね。気持ちが揺らぎます。でもいい。千々に乱れます、でもいい。『今』が、同級生が、緑が、緑の子供が、私の『今』をしっかりと支えてくれるから大丈夫です。 

 ライヴハウスから出て、ありがとうね、楽しかった。私はそう言いました。すると言葉は夜空全体に広がる様にすぐに消えていきました。代って夏草の匂いがしました。 

 うまく言えませんが、なんとなく、伝わりました?

 見えないモノこそ確かにあるという、今日は、なんとなくそういうお話でした。 

        第68章『裁判について。』 

 何も話す事がないので、今日は私が今抱えている裁判について話をします。なるべくかいつまんでお話しするつもりですが、この裁判に至るまでの経過がいささか複雑なので、ひょっとして面倒くさい話になるかもしれません。 

 ご存じの通り、私はここに『日日彼是色々面白可笑し。』という変な名前の店をやっていて、その店は『昔の子』『今の子』という少年が2人に切り盛りしてもらっています。2人にはちゃんとした名前もあるのですがあえて発表はしていません。彼らは働き者で、とても賢いいい子達なんですが、いつまで経っても少年のままでいる事に私は不憫さと責任を感じています。彼らの時間は止まっているのです。 

 でも皆さんご存じの通り、時間など少しでも体を動かせば誰にでも簡単に動かす事が出来ますよね。他にも、モノを考えたり、眠ったり……。何でもいい訳です。とにかく、何かをすればそれで時間は動くわけです。 

 しかし彼らの場合、その時間が他の誰とも共有されないという妙な状態にあるのです。 

 時間が共有されない。しかしこれは何も彼らに限った事ではありません。我々も一緒です。我々はただ、全世界の100億人と時間を共有しているに過ぎないのです。 

 しかし彼らの場合、時間の進む方向がまるで風船が膨らむように一定でないためにこういう現象が起こります。彼らの時間は他の誰にとっても動いている事にならないのです。そしてそんな現象が起きるのは偏に、私が臆病モノであるせいなのです。 

 謙遜したフリして自分に特殊能力があるかのようにひけらかすな、と言われるかもしれませんが違います。それだってあなたと同じです。あなたはその心臓で、その瞬きで、その喜怒哀楽で、自分の時間の進む方向を自分で決めているのですよ。その証拠に、あなたの行動には不自然なところばかりです。それはあなたが大好きな家族や友人との時間を共有したいばかりに、毎日そんな不自然な行動をとり続けているからです。何でそんな髪型なんですか? 何でそんな名を名乗り、そんな服を着て、そんなところに毎日通ってるんですか? まるで不自然です。 

「自然にして」と言われたって出来るわけがありません。そんな事をすると死んでしまうからです。  

 我々に彼らの放射状に広がる時間を想像する事は出来ません。いろんな『今』があるのではなく、放射状に広がりゆく『今』が1つあるのです。それはパラレルワールドとも違います。『今』とは、瞬間であろうと永遠であろうとたった1つの『今』なのです。 

  

 しかしそんな事を言って実際を煙に巻いて誤魔化しているようじゃあ、いつまで経っても私は彼らに進むべき方向を示せないのです。彼らがいるのは、私にとっては半分が想像で半分は現実です。実際私がここにこうして店をやっていて、そして少ないとはいえ売り上げを上げているという事実が彼らに起因している以上、彼らをただの創造物として片付けるのには無理があるのです。 

 そして私が臆病だというのはそこです。もしその気なら、私は彼らの放射状の広がる時間をぼんやりと眺めているのでなく、実際に彼らのために土地を借り、そこにこの店を忠実に再現して実際に彼らを働かせるべきなのです。そうやって彼らの時間を想像の亜空間から私の現実に手繰り寄せるべきなのです。それが何故できないのか? 私は借金をしてまでそれを亜空間から取り戻す自信も度胸も全然ないからです。もしそう出来たら、きっと『今の子』『昔の子』は、ミッキーマウスとミニーマウスの様に、さっそうとその存在を実際に知らしめる事が出来るでしょう。ウォルトディズニーの頭の中に住んでいた2匹のネズミは、今や紛れもなく現実のモノになっているじゃないですか。あ、あれ、着ぐるみじゃないですからね。 

 今のままでは、彼らがいくらお客さんと一生懸命に何かを話したとしても、色々モノを売ったとしても、それはお客さんにとっては現実とはならず、『今』『過去』『未来』も判然としない、なんだか曖昧な記憶となって、「あぁ、なんか変な夢を見た……」となってしまうのです。それも皆さんにも経験がある事でしょう。夢を現実の残滓の様に言う人がいますが、あれも違います。 

 あなたはあんなに巧緻な世界を、本当に自分1人で作り出していると思うのですか、夢に出てくる人の言葉にハッとさせられたり、目が覚める様な美人が現れたりするのも、すべて自分の想像だというのですか? 

 あり得ません。あれは自分の『今』に含まれる現実の一つなのです。 

 皆さんの時間だって本当は放射状に広がっているんですよ、これは本当です。 

                   *

 私はある日あるご婦人から、彼ら2人をこの店に『監禁』していると非難されました。それは『今の子』の母親を名乗る女性で、彼女は、息子を自分のもとに返せ! と私にしつこく詰め寄りました。しかし私は返しませんでした。なぜならば彼女は『皇極法師』と名乗る怪しい男に傾倒するあまり彼を虐待し、死に追いやっていたからです。しかし彼女はそんな事は知りもしません。ただ、自分は愛する我が子を守ろうとして、あらゆる手を尽くしたと、本気でそう信じ込んでいるのです。 

 そして『今の子』にこの母親と名乗る女性の事を訊くと、彼は、エキストラさん だと言いました。本当に驚きました。

 僕がこうあって欲しいなぁ、と思った時、たまたま向いていた方向からやってきた母親という、エキストラさん。とても都合がいい、エキストラさん……。 

 彼はその、母親と名乗る女性に対し、ウソだ!助けてくれなかったじゃないか! と泣きながら叫びました。母親は、 あなたは私の最高の息子よ。今も、これからも。と何度か繰り返した後、『今の子』を信じられないほど残酷な言葉で叩きのめしました。(第15章『皇極法師』)私はそれをこの目で見たのです。

 しかしそれでも『今の子』は、その女性の事の、都合のいいエキストラさんです。と言って笑ったのです。 それがつまり『今』なのです。

 その時の私は、現実とは『風景の様にすべてを巻き込んであらゆる角度からあらゆる現象を同時に見せてくるトンボの眼鏡だ』と気付きました。そしてそれ以来、事ある毎に非難を浴びてくる女性を私は悉く無視してきましたが、そのせいでとうとう『被告』になってしまったようです。 

  

                    * 

  ややぶ厚いその封筒に入っていた数通の書面の1枚目は『訴状』というモノでした。私は『訴状』というモノをこの時生まれて初めて見ましたから、果たしてそれが『訴状』として正しいのか、間違っているのか、判断できません。 

『訴訟』には私が、いつ、誰に、どんな事で訴えらえたのかが詳細に書かれていました。 

                   * 

 あなたにまず、原告からの訴えを……、あ、その前に、あなたはこの手紙を、いつ読んでいますか? 朝ですか?それとも昼?夜? 

 しかしそれはそんなに重要ではありません。あなたはきっと自分の都合のいい時間に読むでしょうから。私にとって一番重要なのは、あなたがこの文章を読んでいるという事は、私はもう二度と、最愛の家族に会えない状態にあるという事です。全く、あのご婦人は凶暴で、凶悪で、そして菩薩の様な愛にあふれた方です。私はそんな人に初めて会いましたし、きっとあなたもそうでしょう。まあ、実際の彼女がどういう人間か、もう私には知る由もありませんが。 

 彼女の話によると、あなたは〇年〇月〇日、埼玉県入間市に住む少年Aをアルバイトをしないかと言葉巧みに誘い出して自らが経営する店舗『日日彼是色々面白可笑し。』内に監禁、性的暴行を加え、脱出を試みた少年を捕まえ、惨たらしい形で殺し、どこかに連れ去って捨てました。私は彼女からの訴えを聞き終わるのに10年もかかった気がしました。それほど、あなたが彼女の息子にやった事は、人類史上まれに見る程の残酷さでした。彼女は、あなたを、絶対に許さない。絶対に仕返ししてやる。でも、私は立派な社会人なので、まさかこの人の家に火を付けたり、こっそり近づいて、頭を切り落としたりなんて、そんなことが出来ようはずがありません。 

 だからこの弁護士に相談し、訴状を書いてもらったのです。彼はおっとりとした人で、もう弁護士の仕事はあと2~3年で区切りをつけて、あとは妻と田舎に引っ越して畑仕事でもやるつもりだとおっしゃいました。 

 あぁ、言いましたね。確かに、私は彼女にそう言いました。すると彼女はその菩薩のような笑顔で、まあ、素敵ですわね、私も、出来ればそういう老後を送りたかった……。でももう無理です。私だって、あの子がもうこの手の中に帰ってこない事は十分承知なのです。でも、私はどうしても諦められない。だから、あの男の助けがいる。いえ、あの男の助けなど要りません。あの男を利用して、どうしても、人類、いえ、生きとし生けるものすべての常識を覆すべく方法で、あの子をもう一度、この手の中に抱きしめたいのです。その方法が、実は1つだけ、あるのです。 そう言いました。

 私は最近、耳が遠くなったせいで、上品なご婦人の腹筋の弱い声はすこぶる聴きにくかったのですが、でもその話の内容が、その声の調子とあまりにもかけ離れていたので、私は思わず身を乗り出していました。 

 「私は○○(『今の子の本名』)君を殺した人間を知っています。その人はきっと、あなたもご存じだと思います。」 

 彼女が上げたのは、ある有名な宗教家の名前だったのです。 

 あの男が、変態性欲者なのは有名な話です。そして男は息子を巧みに誘い出して、惨たらしい形で命を奪った。

 でもそれならばなぜ、あなたはこの人を訴えるのですか。 

 私のこの質問を待っていたかのように、彼女はこう答えました。 

 彼は私がその宗教家に唆されて、我が子をその手に掛けたと言いました。でもそれこそ、図自分がやった告白している事に、彼はまだ気づいてない。『皇極法師』というペテン師に……、フフフ、どう思います?先生。私とこの人と、どっちが騙されているのだと思います?

 私は、2人とも騙されていない。問題があるとすればこの『皇極法師』だろうと思いました。そうして私はまんまと罠に落ちたのです。私は両方を否定できない事で、自らの時間を見失った。夫人はその時、急に艶めかしい声でフフフ、と、また笑いました。

 お気づきですね。先生にあった時間はもう止まっているのです。そして私とこうして話をしている時点で、先生はもう、私の『今』以外、何処へも行けない。わたしだけの弁護士になったんです。 あの男は、酷い男です、先生、お願いです。私にはもう、あの男を訴えて、あの男の店から我が子を取り戻す方法がないのです。

 私はあとずさり、ドアを開けようとしましたが感触がありません。壁を叩いても、まるで感触がありません。 

 さ、先生、彼女はそう言って私に覆いかぶさりました。私は、何十年連れ添った妻と、赤ん坊の頃からの息子と娘の笑顔が、川の支流の様に枝分かれして流され、やがて見えなくなるのを感じました。 

 彼女は、凶暴で、凶悪で、そして、菩薩の様な愛にあふれた人です。 

 へぇ~……。 

 彼女の現実の中で、私がそんな事をしていたなんて、全く知りませんでした。 

 次回の裁判は〇月〇日だそうです。 

  第67章『それが座敷童です。』 

 突然ですが、私の実家には『座敷童』が住んでいます。そうです、あの『座敷童』(ざしきわらし)です。 

『座敷童』は古来より古い家に住む妖怪として知られています。私の実家は築30年ほどのごく普通の民家ですが、本家は300年以上続く造り酒屋で、母屋はその創業当時からある古い建物で、今の家を建てる前、私の家族はその別棟に住んでいたのです。田舎の旧家の御多分に漏れず本家の敷地はとても広く、母屋を出ると庭は里山から森へと続き、京都の女酒に最適な軟水の湧き水が川となって流れ、夏にはそこでスイカや夏野菜を冷やして食べ、秋には松茸や栗を収穫し、冬には茅葺きの大屋根の軒下に祖母がたくさんの吊るし柿を並べ、春が来るとそこに燕が巣を掛けました。まあ正直幼過ぎて、その頃の記憶はあまりないのですが……。 

 『座敷童』が住んでいる間、その家は繁栄するが、いなくなると途端に寂れて途絶えてしまうと言われています。だから『座敷童』の存在に気付いたら出来るだけ長くとどまってもらう様に、そりゃあもう丁重に、おもちゃを置いたり、食べ物を備えたりと、いろいろ気を使うと言います。 

 いえいえ……、 

 そんなのは全部ウソです。『座敷童』とはそんな、人の運命を弄ぶような極悪非道なモノじゃない。じゃあいったい、どんなモノだと思いますか? 

  

 よく聞くのが、子供たちが遊んでいると、知らない顔は1人もいないのに人数を数えると1人多い、なんて言いますよね。それは『座敷童』の仕業だと。自分を数え忘れていた、なんてオチを付けたがる人もいますが違います。実はそれが座敷童なんです。ただ彼ら、或いは彼女らにとって自分は常にその『1人』の方だという事です。 

  

 さっきまで一緒に楽しく遊んでいた友達が、ふと見れば誰一人知ってる顔がなくて「おい!〇〇!早くボール回せよ!」なんて言われたって、自分の名前は、〇〇じゃない……。 

 そしていきなり、そのうちの一人と目が合って、 

「君、誰だっけ?」 と言われる。  

               

 最初に『座敷童』の存在に気付いたのは私だと思います。子供の頃、喘息持ちで体が弱かった私は、同級生の男の子と遊ぶ事は滅多になく、遊ぶとしても女の子か、或いは年下の子とばかり遊んでいたような記憶があります。 

 ある日、私は近所に住む2つ下の利久君(仮名)の家に遊びに行きました。彼は私と同じ喘息持ちで、同じ病院の同じ先生に診てもらっていたので、よく同じ日に学校を休んで、私の家の車で一緒に病院に行っていたのです。その特別な感じはまるでキャンプにでも行くようで、痛い注射の事も苦い薬の事も忘れて、私はいつもワクワクしました。その長い待ち時間にも私達は、普段ならどうでもいいような、あっち向いてホイ!王様ジャンケンで大いに盛り上がり本当に楽しく過ごせたのです。おやつにはうちの庭で取れた栗を茹でてたくさん持っていき、2人で分け合って食べました。利久君は私の祖母が茹でた栗が大好物だったのです。 

 利久君の家で車を買ってからは一緒に病院に行くことはなくなったのですが、私は彼にも自分と同じ時間が流れている事を疑いませんでした。私が遊びに行けば利久君もきっと喜んでくれる。そしてまた楽し時間が過ごせると、そう信じていたのです。しかし彼と私がそうして楽しく遊んでいたのは、今思えばその時からもう2年も昔の事でした。 

 私を見た利久君の態度は私が思っていたのとは全く違っていました。そりゃあそうです、子供にとっての2年はとても長い時間ですから。絶対に歓迎されると思っていた私に利久君は、「君、誰だっけ?」と言ったのです。私は冗談だと思って笑おうとしましたが、その時、利久君の本当の友達も遊びの来ていて、そしてその子も、「この子、誰?」と言ったのです。利久君は「知らない」と言いました。

 その瞬間に、私の名前も顔も消えました。そして私は、いきなり現れた誰も知らない変な奴になってしまったのです。家の中には、私がやった事もないゲームや読んだ事がない漫画がたくさん散らかっていました。そして彼らの楽しい時間は明らかに私によって中断させられていたのです。私が利久君と一緒に食べようとポケットいっぱいに持ってきた茹で栗にも、利久君はもう見向きもしませんでした。そして、 

 「汚ない食い方しないでくれる。ママに叱られるからベランダで食べて」 

 と言いました。私がベランダに出ると、利久君は内から鍵を掛けてしまったのです。 

 開けて!開けて!と言いましたが、ガラスの向こうで意地悪く嗤う利久君の顔をみてすぐに私は、新しい遊びが始まったことを悟りました。そして、これはもうダメだ、と思いました。すると突然、空がむくむくと沸きあがる様に迫って来て、太陽が燃える音が聞こえ始めたのです。そうして私の知らない世界が、みるみる目の前に広がったのです。私はきっと、この空や太陽の中に取り込まれて消えてしまうんだろうなという、むしろ根源的な感覚をとても新鮮に感じたのです。 

 見るとベランダの隅には利久君が赤ちゃんの頃に遊んだと思われる砂場セットや、汚れた植木鉢がたくさん置いてありました。そして気付くと私はもうそれらと同化し始めていたのです。一応、砂場セット、一応、植木鉢。ですが今はもうナニモノでもなくなったそんなモノ達に……。 

 食べやすいようにと祖母は栗を茹でた後、包丁で軽く切り目を入れてくれていましたから、栗の皮は素手で簡単に剥けます。そして食べると、栗の優しい甘さが口いっぱいに広がります。しかし、食べれば食べるほど、その優しい甘さは私を悲しくさせました。祖母が付けてくれた包丁の傷が、そのまま私の心の傷となって激しく痛めつけるのです。祖母の優しさは私が食べる程に惨たらしい残骸となってベランダに散らばっていきました。 

 利久君はやがて、私をベランダに締め出したまま友達と遊びに行ってしまいました。私はとうとうこの世の中でたった1人っきりになりました。そしてただそこに居て、ただ何かが起きるのを茹で栗とその殻と一緒に待っているだけの存在になったのです。 

 暫くすると利久君のママが帰ってきました。しかし私はもう消えかかっていましたから、何も悪い事をしていないのに息を潜ませなければなりませんでした。 オバサン、開けて! とはもう言えなかったのです。オバサンは利久君と友達が散らかしたゲームや漫画を片付けました。そして台所からお茶を持って来てそのままテレビを観始めました。私は息をひそめてベランダからじっとその様子を伺っていました。そして辺りが薄暗くなってきた頃、ようやく利久君が帰ってきました。 

 おかえり、遅いじゃない、どこ行ってたの? 

そう訊ねるオバサンに利久君は、「〇〇君のとこ」と、おそらくさっきの少年と思われる名前を答えました。私は幸い、祖母の茹で栗のおかげでそれほどお腹は空いていませんでした。ただ、一体いつまで僕はここでこうしているんだろう、と暮れなずむ空と、そこにひと際明るい一番星を見比べ思ったのです。それから、ずっと……。 

 300年間、私はそこで過ごしました。やがてベランダが開いて、「ねえ、もう帰った方がいいんじゃないの?」と言ったのは利久君ではありませんでした。それは私の全く知らない子でした。 

 家に帰ると母に、「どこ行ってたんや?尚武(なおたけ)。もう晩ご飯やのに、遅過ぎるやろ!」と怒られました。私はこのエピソードは家族の誰にも話しませんでしたが、その日以来、私は、尚武です。 

 こんな感じで、私はこの家に300年以上も住み続けているのですが、あれ以来、ただの一度も誰かに見つけられた事はありません。尚武である以上、私はもう2度と、誰かにみつけられることはないでしょう。

これが『座敷童』です。もし、知らないはずのない世界が、突然あなたの目の前にハッキリと見えたら……。 

 それが座敷童です。 

  第66章『ドライヴィングランチ』 

 季節はちょうど寒くも暑くもないですが、それだけいろいろ不安定な事が起こります。先日、関越道を走行中に急に猛烈な睡魔に襲われ、それを紛らすために大声で歌を唄っていると今度は猛烈な貧血に襲われました。これは明らかに、私を亡き者にしようという何者かの悪意だと思って間違いありません。 

 私はトラックドライバー。週5日間、一般の人からすると信じられないくらいの長い時間、長い距離、トラックの運転をしています。1日の平均走行距離は250㎞、時間にして8~9時間、多い日は12時間、ほぼ毎日、昼休憩はなしで走り続けなければなりません。 

 だから私のランチは専ら、ドライヴィングランチ。所謂『おにぎり』ですね。運転しながら箸を使う事など出来ませんからね。具はその前の晩御飯のおかずが専ら。だから唐揚げや焼き魚ならまあ何とか形にはなるのですが、カレーや麻婆豆腐の日は、なかなかアヴァンギャルドなおにぎりに仕上がります。味はともかく、食べにくい事必至。自ずとおにぎりの方に意識が集中してしまい、前方が不注意になる。前日のスーパーでたまたま豆腐と挽肉が安かったから、そのすぐ隣に麻婆豆腐の元が置いてあったから、正直な妻はスーパーの在庫処分の甘い罠にまんまと取り込まれ、我が家の晩御飯が麻婆豆腐になったばかりに、全く関係のない善良な人がトラックにひかれて亡くなる、そんな悲劇が起きるくらいなら、もう私は今後一切、麻婆豆腐を食べない方がいいのかと思ったりもします。 

 これが私の言うところの、所謂『妄想』というヤツで、私は常から、困難が予想される状況下において、この妄想を盾に、次々と起草するされる悲惨な予感を巧みにカモフラージュし、そして突然、『でも予感はないよ!』とその妄想を根から断ち切る事で難局を何度も乗り切ってきたように思うのです。 

 さあ、みんな一緒に逃げよう! そう言って信頼できる仲間をぎゅうぎゅうに救命ボートに乗せて、荒れ狂う海に落としておいて、自分は一人だけヘリコプターに乗って上に逃げる。 

 私にとって、現実とはただのお人好しな正直者。彼は常に私を気遣ってくれます。親身になって一緒に悩んでくれようとします。きっと『一緒に死んでくれ!』と頼むとそうしてくれるでしょう。 

 でもいくら気遣ってくれるとしても、一緒にいると本当に死んでしまうようならこちらから願い下げです。だから現実が、さあ、こっちだ、こっちに逃げよう!そんな事を言ってきても、私は小さな事を何度も気に病んでみせては、自分が広大普遍な『今』の中にいる事を十分に知りながら敢えて動物園の動物の様にそこをグルグルと徘徊し、『あぁ、閉じ込められている、八方塞がりだ、私はこれから何をどうして生きて行けばいいんだ』なんて、いつ誰が考えたところでどうしようもないような事に煩悶懊悩し、その結果また別の妄想に縋りついては、 

 しかし世界にはこんな私すら羨ましくてしょうがない人が大勢いる。私は恵まれている。甘えている。私の現実は、私が思うほど酷くないと、トラックの窓の外を走り去る事物に語り掛ける事で、結果これまで安全にトラックを走らせる事が出来ているのだと決めたのです。 

 しかしそう決めると同時に、待てよ? じゃあ今、自分が置かれている状況なんてただの思い込みじゃないか? 一瞬の時間の中に不自然な理屈や仕組みを無理矢理に塗り固められた重層のウソじゃないか?という想像が、容易に出来る様になったのです。

  いつもならそんなに混まないこの道が、ある場所からぴたりと止まって動かなくなったのです。ラジオからは「県道〇〇号線の下りはワゴン車2台による事故で渋滞が14㎞に伸びています」なんて事を言ってる、場所はまさにその14㎞ほど手前でした。 

 その瞬間、一日の疲れがドッと吹き出しました。そして私の『今』は一気に日の暮れた更にその2時間以上先まで伸びました。私はきっとその時間までここでこうしているしかないでしょう。酒を飲みながらゆっくり観るはずだった西武ライオンズvsソフトバンクホークス戦も、明日のおにぎりの具になるべく何かの料理を食べる事も、妻と息子の顔も、愛猫のスリスリも、全ては保留になったのです。そして私の妄想はそういう時に最大の威力を見せるのです。 

                   * 

 戦争が長引く中、家族を迎えに1000㎞離れた町に向かう車列は続いている。この先にあるのは妻子の待つ町か、それとも絶望か……。 

 戦争に終わる気配がありません。私はもう両方の大統領が大嫌いになっていました。初めは当然、攻め込まれた我が国とその領土と権利を必死に守り抜こうとする大統領を支持しました。しかし死んでしまえば、国も、地球も、宇宙もなくなってしまうのです。それだけが現実なのです。たとえ私が無事に着いたとしても、そこに家族が無事に生きていてくれる保証すら、私にはないのです。 

 私の『今』はただ、全てが保留されているだけなのです。私にとって確実なのはこの車の運転席だけなのです。ルームミラーからぶら下がる骸骨のキーホルダーを揺らす振り子の法則だけが私の『今』を保証しています。しかし私はそれでもまだ幸せと言えるかもしれません。そんな妄想すら次の瞬間には、ロケット弾に吹き飛ばされてしまうかも知れないからです。そして私の到着を待っている家族のもとに私の訃報が告げられる。家族はちゃんと生きて私を待っていてくれたのに、私はたどり着けなかった。 これら諸々、すべてすべて。

 保留だけが、私の現実なのです。 

 私は必死に一番素敵な可能性の保留を探します。それはもう私に出来る事の全てです。私の家族は部隊に守られて安全な場所に十分な食料と水と共に私の帰りを待っている。私のいるこの道は今後、敵国の侵攻に重要な役割を果たすために、敵が攻撃してくる可能性は皆無だ。そして数分後、日暮れと共に警戒態勢が解かれ、検問を通過すると、そこには至って普通の我が国の人々の暮らしがあって、私はラジオで流行りの曲を聞きながら家族の元へとたどり着く。 

 しかし……、 

 私は目の前の現実にハッと目を覚まします。大破したワゴン車が2台。道を塞いで横たわっていました。こぼれたオイルを処理した薬剤を、私のトラックがぐにゃりと踏んだ感覚がありました。救急車のランプが目の奥を差す様に光ります。それだけ辺りはもう薄暗くなっていたのです。慌てた様子のない救急隊員が大きなシートで覆う、その向こうには死体があるのかもしれません。ないのかもしれません。 

 私は妄想よりも現実の方が怖くなってきました。私がさっき踏んだのはオイルを処理した薬剤ではなく、その人の一部だったのかもしれません。しかしそれこそ、是非とも保留すべき事実です。私は何とか、妄想とも現実ともつかないもう一つのモノをみつけなければならなかったのです。 

 私は助手席からリュックサックを引き寄せて中を探しました。すると昼間食べ残したおにぎりが入っていたのです。 

 お腹が空いていたのですが、麻婆豆腐のおにぎりはどうにも食べにくく、食べながら運転するのが危険な感じがしたので食べずに置いて置いたのです。私はすぐにそれを取って食べました。すると昨夜家族と食べたのと同じ安っぽい麻婆豆腐の味が、口の中に広がりました。それがどれぐらい神掛かって感じられた事か、私は『今』ここで表現する術を持ちません。ゆっくりと食べながらラジオで西武ライオンズvsソフトバンクホークス戦を探しまします。そうして私は少しずつ現実にソフトランディングしていったのです。 

 そして世の中には、こんな私すら羨ましくて仕方がない人が、大勢いる……。 


  第65章『稀代のウソツキ』 

「いいのいいの、そのまま上がって」そう言うと彼女は、フカフカの絨毯の上をどんどんと入っていきます。私はいつ、どこから飛び出してくるかわからない彼女の両親の姿を、まるで妖怪の様に想像しながら付いて行ったのです。 

 建物の2階にある彼女の部屋は優に90平米はあるでしょう。ビロードのぶ厚いカーテンが巨木の幹の様に縦長の窓を立ち塞いでいます。「じゃあ、お茶を入れて来るから適当に座ってください先生」彼女にそう言われるまで、私は自分が彼女にアドバイスをする先生の立場である事をすっかり忘れていたのです。 

 調理師時代、彼女は一緒に働く仲間でした。そこは下町の小さな洋食屋で、客は常連ばかりで、毎日何も変わった事は起きませんでした。 

 彼女は料理はとても上手なんですが、如何せん仕事が丁寧過ぎて外食には向かないタイプだと思いました。外食の場合、調理師はある程度以上を自分に期待してはいけないのです。必要最小限の仕事をいかに効率よく早くこなせるか、それだけが必要な能力なんです。彼女は主に賄いが担当でした。 

 「あの子はね、お嬢ちゃんだからおっとりしてるのよ」と90歳になる社長のお母さんは言います。確かに彼女からはどこか浮世離れしたような上品な風が見て取れました。そして私はある日、そんな彼女からとても質の悪い相談を受けたのです。 

 同じ職場に『マツオ(仮名)』という調理師の男がいました。彼女は『マツオ』からしつこく言い寄られて困っていると言いました。今からその『マツオ』について説明します。

 その店には女子更衣室が無く、時間帯を分けて男女は同じ部屋で着替える事になっていたのですが、交際を断られると、マツオは彼女の靴の中に自分の精液を入れたり、ロッカーの取っ手に自分のウンチを付けたりするようになったと言うのです。しかし彼女はその付着していたモノの名前を口にするのどうしても恥ずかしくて、これまで誰にも相談できずにいたのだというのです。 

  そしてある日、彼女は自分のロッカーに見覚えのない本が入っているのに気付いたそうです。それは彼女が取得を目指している資格の参考書で、彼女は、自分がこの資格の勉強をしている事は誰も知らないはずだと言いました。 

「それも、『マツオ』の仕業だと?」 

「うん、だってアイツ、『もう読んだ?』とか、普通に訊いてきたから」 

「そりゃ、間違いないね……」 

 どうやらマツオは彼女のロッカーを自在に開ける事が出来る以外にも、彼女の普段の行動を知る何らかの術を持っている様なのです。 

 マツオは職場でも鼻つまみで、トラブルメーカーで、何よりも病的なウソツキでした。マツオは、自分の実家は開業医だと言い、故郷に帰るとその病院の院長の座が約束されている、だから本当はこんなちんけな店で料理なんか作らなくても全然暮らしていける身分なのだが、勘当同然で家を出た手前、おめおめと実家には帰れない、と言いました。この短い文章の中にもすでにウソがいっぱい入っている事にすぐに気付いたかと思います。 

 勘当同然で家を出た息子になぜ無条件に院長の座が約束されているのか。そもそも、医者でもないマツオが病院の院長になれるのか。 

 あの子はね、孤児院から引き取った子なのよ。と社長のお母さんは言います。孤児院でも周りになじめず、トラブルばかり起こしていたのを、18歳になって院を出る時、職員から『この店で使ってやって欲しい』と頼まれて引き受けたのだそうです。 

 あの子にとって、ウソは護身術なの。社長のお母さんは言います。 

 あの子は現実を見ては少しも生きていられないの。詳しくは言わないけど、みんなには信じられないぐらい、それはそれは辛くて、悲しい思いをずっとして生きてきたの。だからみんなも、あの子の我がままには本当に手を焼くと思うけど、出来るだけ仲良く働いてほしいの。 

 90歳の社長のお母さんは『あの子』と言いますが、その当時で既にマツオは50歳を過ぎていたと思います。マツオの愚行、蛮行はこれに留まりません。マツオは、フライヤーでネズミを揚げ殺し、その肉でオムライスを作って客に出したり、パスタを揚げる網を排水溝の掃除に使ったりしていました。とにかく、やる事が全て常軌を逸していたのです。

「更衣室の件はもう警察沙汰でいいと思うよ」 

私は親切心からそう言ったつもりでした。実際、あのマツオの性格からしてこれ以上の増長は彼女の命にかかわると思ったのです。しかし彼女からは意外な答えが帰って来たのです。 

 私、後悔してるんです。なんで交際を断ったりしたんだろう、って……。 

え? 私は自分の耳を疑いました。 

 「私が彼と交際していたらきっと、更衣室の件もなかったと思うし、それなら彼も余計なウソをつかなくて済んだかも知れない。私は、彼が私にウソをついたのと同じ事を彼にしてしまった気がする。私は彼と自分が付き合えば一番いいと気付いていたにもかかわらず、彼の粗暴な性格とか、年齢とか、怖い見た目とか、そんなどうでもいい事に理由を付けて断ってしまった。それが全ての原因なんだと」 

 お人好しという事ならそれでもう何も言いません。しかしこれはこれでマツオ並みに病的だと思いました。このままでは共依存の様な危ない関係になりかねない。そう思ったのです。彼女は、今からでも彼と付き合った方がいいのか、それとももう遅いのか、それを相談したかったのだと言いました。 

「いや、遅くは、ないと思うけど、そうなればなったで、また別のいろんな事が手遅れにはなるかもしれないと思うんだよね。本当にそれで、イイの?君は。」 

「いいって?私? 私の、何が?」 

「だって、やっぱり、付き合うってもっとお互いの好みとか相性とか、そういうモノが重視されるべきだと思うし、もし結婚するのであれば経済力とか価値観とか、いろんな要素を考えてするべきだと思うし、君はだって、こんな大きな家の御息女で、きっと大切に育てられたんだろうし、そもそも君の両親はどうなのさ。だってアイツだよ! いきなりアイツを連れて帰って、『この人と付き合ってます!』なんて言ったら両親は卒倒しちゃうんじゃないかと思うんだよ。、僕は絶対うまく行かないと思うんだよ。勝手な想像して悪いけど」 

 そこまで一気に言って見ると、彼女はすっかり俯いてしまっていました。私は、しまった、と思い、いや、別にいいならいいけど……と言って黙りました。そしてすぐに、 

「ひょっとして、好きなの?」と大声を上げました。 

 ダメ? 彼女は言いました。そして……。 

 私だってこの家は自分から望んだモノじゃない。それは彼も同じ。彼だってきっと、あんな人生を望んだわけじゃない。だから、彼は毎日、1秒も間を空けずにウソをついているの。すごくわかる。それは私にとってのこの家と同じだもの。だから私も毎日、1秒も空けずずにウソをついてきたの。 

 このお屋敷ね、武闘派で知られる広域暴力団の組長の家なの、大親分。それが私のパパって言ったら?どう? 嘘だと思う? そう、じゃあ自分の目で確かめればいいわ。もしこのままここにいて、

 おい!お前ら、ここで何してる! と怒鳴られたら私はウソツキ。ここは私の実家でもなければ、私は大親分の娘でもない。逃げなきゃきっと殺される、私もヒドイ目に合う。でも、 

 おい、京子この人は誰だい?と言われたら、私はウソツキじゃない。その人は正真正銘、私のパパ。 どう? どっちだと思う?それとも逃げちゃう? 自分の目で現実を確かめる前に、そそくさと逃げちゃう? それじゃああなたは彼と同じじゃない。現実を見ようとしないあなたは、彼と、同じ。 

どうする? 確かめる? 逃げる? 

 私は部屋を飛び出して一散に階段を下りました。すると玄関の扉を塞ぐように、恰幅のいい中年の男が立っていたのです。 

 おい!お前!うちでナニやってる!?  それはマツオでした。 

私は構わずマツオを突き飛ばして外に出ました。 

 まったく、先生も楽じゃねぇ! 

 私は正門まで続くの小道の木漏れ日の中を走り、やがて抜けるように高く青い空を見上げ、木々の小鳥の囀りを聞いて、次第に速度を落とし、やがて歩き始めました。 大きなお屋敷が誰のモノでも、私には元々関係なかったのです。

 おやおや、なんて立派で、綺麗なお庭だ事……。 

『いきてるきがする。』《第8部・春》


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第64章『オモイデ、アリ〼。』 

 今日は私が店番をしています。2人にはお使いに出てもらっています。少し時間がかかる様なお使いに出てもらっているので、暫く帰って来ないと思います。というのも、今日は皆さんに話す事が、話したい事があるのです。 

 しかしあの2人がいないと、この店はこんなにも冴えない古びた雑貨屋なんですね……。ゴールデンウィークが終わってからこっち、急に夏の様な日が続いたかと思うとジトジトと冷たい雨が降ったりして、何だか体調もすぐれません。 

 窓辺の万年風鈴が チリ、と鳴ったので目をやると、窓の向こうに人参色をしたケシの花がたくさんゆらゆらと気楽げに揺れているのが見えました。何かに似ているな、どこかで見たな、と考えるとそれはいつか神田駅のホームで見た酔漢達にそっくりでした。私がまだ未成年だったあの頃、酔漢達はみな模範囚の様に見えたモノです。そして巡り巡って、気が付くと自分までその模範囚となり今、私達は共に店の内と外でこうして揺れているのだから面白いモノです。そしてあの時同様、ほどなく雨が降るようです。 

 2人にお使いを仰せ付けた引き換えに私は、2人から多くの事を仰せつかりました。 

 今日はたくさん荷物が着きます。今日の発送分の品物に関しては触らないでください。それ以外は、Tシャツなら男女それぞれMサイズを柄ごとに1枚ずつ、袋から出して中央の台に見栄えよく置いてください。残りの在庫分は衣類はカラーバリエーションがグラデーションになるよう重ねて戸棚に、お客さんから見える様に綺麗に収めてください。小物も一つずつ出して、在庫は箱ごと見えない様に台の下に仕舞ってクロスを掛けて置いてください。平積みはやめてください。売れなくなります。どうもうちの商品はたくさん並ぶと急に魅力がなくなるようです。それはデザインに問題があると思います。いずれも一点モノでしか成り立たない様なクセのあるモノばかりで、しかも大人が着るにはふざけ過ぎていて、子供が着るには可愛くなさ過ぎるのです。それというのは店長が顧客のニーズを全く考慮せずすべて思い付きでデザインするからで、実際に買っていく人を見ても大概は後先考えない衝動買いか、さもなくば誰かに送って困らせてやろうというイタズラ好きな人ばかりのようです。 

 ずいぶんな言われようですが、これが実際なのでしょう。 

  

 昨日、フレデリックのしっぽの付け根に白いモノをみつけました。 

『おぐされ病』という病気らしく、いろんな原因があるのですが、医者の言いうところによると、フレデリック自身の免疫力の低下もあるのではないか、という事でした。薬をもらって、今朝から水槽に入れてるんですが、なにぶんご高齢につき、慎重には慎重を重ねて……。あ、これも触らなくていいですから。 

  

 フレデリックとは金魚の名前です。誰が付けた名前なんでしょう。人間ならもう300歳ぐらいでしょうか? いつからこの店にいるのでしょうか? 

 いえきっと、私はこれらの事はすべて知っているのです。しかし私があまりに長く生き過ぎたせいで、今初めて知った事も、ずっと昔から知っていた事もまったく区別がなくなっているのです。それは例えるなら、宇宙から地球を俯瞰しているような感じでしょうか。 

 宇宙から見れば東京も大阪も変わりません。更に遠く俯瞰すれば、銀河系もアンドロメダ星雲も変わりません。時間は長く過ぎれば過ぎるほど、『今』は遠くから俯瞰されるような変化をするのです。 

 もっと若い頃の私は『今』を時計の針の何倍も細かく刻んではそれを浪費しているような罪悪感に苦しんでいましたが、今はもうそんな事はありません。『今』は老いた猫と並んで、私の傍らでじっとしています。 

 言いたい事がある、と言いましたが、それは他でもないこの、私の溜まりに溜まった思い出の『処理問題』です。どうか皆さんにも使ってもらいたいというのが趣旨なのです。 

 他人の思い出を使うって?どういう事?と思われるかもしれませんが、思い出はもともと独り占めできるものはありません。こう言うと、じゃあ、夢は? と大概は仰るが夢にしたって独り占めできるものではありません。思い出も夢も、誰かと共通しているのが通常です。 

 私達は様々な場所を旅します。それは単に空間的にという意味ではなく、想像のエリアも含めた全体を示します。そしてその日に見た事、聞いた事、やった事を行商して回っているのです。 あぁ、今日はこんな事があった、でもこんな事もあった、だからこんな事になった、という按配で、それを人に見せて回っているのです。そして誰かがその思い出を気に入ればそれを持っていきます。お代なんて有りません。ただ、ひと声かけて持っていくのです。そしてその人が掛けた何気ない一言が、あなたの思い出や夢の内容を決めているんです。 

               * 

 やあ、忙しいそうだね、今日は。 

 早速、誰かが話し掛けてきました。 

  2人はお使いかい? どおりで忙しいわけだ。じゃあそのフレデリックという金魚について教えてくれないか? 

 私は金魚の事を話します。 

 あの金魚は私が小学2年生の時に神社の縁日で掬ったモノです。生き物が嫌いな父親に黙って、おばあちゃんと行った縁日で私は生まれて初めて金魚を掬ったのです。 

 5匹も掬ったのですが、家に帰るなり酔った父に取り上げられ、そのまま家の前を流れる側溝に捨てられてしまいました。血の雫の様な赤い金魚が、ボウフラが湧いた汚らしい側溝に消えていったのです。私は側溝に飛び込んでヘドロの中から金魚を掬いだしましたが、2匹しか見つかりませんでした。 

 ヘドロまみれの私に、父は酒臭い息で言いました。 

「お父ちゃんはな、動物が大好きなんだよ。子供の頃はいろんな動物を飼った。でも今は全部死んでしまった。自分が動物より先に死ねば楽でいいが、じゃあ残された動物はどうなる? 逆に動物が先に死ねば、それはお前が考えているよりもずっと悲しくて辛い事だ。動物を飼うという事はそういう事だ。どちらにせよ、お前は自分の人生を敢えて悲しみの袋小路に追い込むことになるんだ。それは無駄な事だ、やらなくてもいい選択だ。動物は絶対に飼ってはダメだ!」 

「じゃあ、人間の子供はどうなんだよ?」 

人間の子供は飼うんじゃない。子供の命は親の命の一部だ。大切かそうじゃないかという存在じゃない。だから大丈夫だ。先に死んでも、先に死なれても、存在を疑う必要はない。だから別段問題はない」 

「じゃあ、俺はどうなんだよ?」 

お前は大問題だ。お前は紛れもなく父ちゃんの子だ。だから厄介なんだ。」酔っぱらった父はその時、少しまじめな顔になりました。

 お前は生まれた時にほとんど死んでいた。お父ちゃんはそんなお前をベストじゃないと直感したんだ。だからもう諦めたからいいと言ったのに、医者が勝手にお前を生き返らせた。案の定、お前は父ちゃんには懐かず、ばーさんにばかり懐いて、父ちゃんのお前に対する愛情はどんどん薄れていった。それは父ちゃんをどんどん不幸にする事だ。だから父ちゃんは父ちゃんもお前も不幸にならないための唯一の方法を取った。それは神様から生まれた正真正銘の自分の息子であるお前を『飼う』事だ。飯を食わせて、病気をすると医者に連れて行って、誕生日のお祝いをして、旅行に行って、運動会に参加して、人並みに大学まで通わせた。でもただそれだけだ。父ちゃんはお前に何の見返りも期待せず、お前に感謝されない様にと、それだけを気を付けた。父ちゃんは自らの意志で、全く可愛くないモノを細心の愛情を込めたのとまったく同じように飼育したんだよ。犬猫と人間の混ぜこぜだ。これは大変だぞ。しかしそれでお前も私も救われたと、父ちゃんは自負している。今でも父ちゃんはお前が生まれてくれてよかったと思っているよ。そのお陰で父ちゃんは親子という関係の脆弱さを知った。疑う事が出来た。そして親子の関係を力づくで制御する必要性に気付いた。だから父ちゃんはお前に感謝している」 

その時の2匹が、あの金魚です。」

「……。」

「どうですか?」 

「つまんねぇ話、要らねぇ」 

「あぁ、そうっすか、じゃあ、神田駅のホームから酔っ払いが転落してそこに急行列車が……」 

「あぁ、それも、要らねぇ」 

「あぁ、そうっすか……。」 

 今日は、まだゼロのようです……。誰の現実も夢もシェア出来ていません。私はしばらく、ただぼんやりと夜景を眺める様に億千万の生活が星の一つ一つに宿っているのを眺めている事になりそうです。

 そうしてジッと庭を見ていると、『今』の自分がどういう状況に置かれているのか自分勝手に決めても一向にかまわない事に気付くんです。出来るんですよ。で、そこに花瓶につと花を1輪活けるように、

私の思い出の数々、置いてみませんか? オモイデ、アリ〼。

                 

                * 

  ポツポツという音で目を覚ますと同時に2人が帰ってきました。 

 お帰り、早かったね。  

 お帰りじゃないですよ店長。雨降ってきましたよ。窓閉めなきゃダメじゃないですか! 

 あぁ、そうかそうか。そりゃ大変だ。で、売れた? 

 売れませんよ。 

 万年風鈴がまた、チリ、と鳴りました。これはさっきも聞きました、遅かりしの雨告げのチリ、です。 夏までまだもう少しありそうな気がしました。 

第63章『拝啓、ミスター・ルサンチマン!』 

 私など大した人間ではないし、何も知らないし、何も出来ないのですが、こんな私に憧れ、必死に追いつこうとしたが追いつけず、ついにはルサンチマンから私を殺そうとした人がいたのです。これは私がドライバーになる前にいた職場での話です。 

 まず初めに、私は12歳でギターを始めました。まあ多少の才はあったのではないでしょうか。周りの友達よりも上達が早く、お前はなかなか筋がいい、東京でもイケるんちゃうか?!という周りの大人のいい加減な言葉を信じ、高校を卒業すると同時に、私は極東で一番大きくて一番危険な街、東京に足を踏み入れたのです。 

 そこでは壊れたバイクを高額で買わされたり、厄介な宗教団体に合宿と称して監禁されたり、殺人の前科がある変態性欲者の餌食になりそうになったり、 AV女優の運転手としてアメリカに行ったらパスポートを取り上げられ帰れなくなったりと色々ありましたが、もとより東京はバケモノの巣窟だと思っていたのでそれなりに処理できました。 

 しかしこれだけは意外でした。それは音楽が本当に楽しかったという事。 

 田舎にいた頃は、東京というモノを誇大に妄想しては、そこで暮らすにはきっともっと大きな角をはやさなければ、もっと派手な翼をはやさなければ、と荒唐無稽な条件が次々と頭に浮かび、『こんな田舎でこんな凡百な連中を相手に手こずっているようではとてもとても東京では通用しない!』と周りとの関係をわざとギスギスとさせて、相手の欠点ばかりに目を向けてその分自分を少しでも優位に立たせようとする、そんな卑屈で意味のない習慣が身に沁みついていたのです。 

 ところが実際に東京に来てみると、連中は皆とても楽しそうで、自分以外にいいプレーヤーをみつけたら寧ろ嬉しそうに近づいてきて、一緒にやろうよ! と声を掛けてくる。自分の可能性と相手の可能性を同等に見るんですね、しかも私には考えられないほど、ごく自然に……。 

 あぁ、つまりこれが東京なんだな……、と思いましたが、そう気付いた時はもう私にはそこを伸ばす伸びしろが見当たりませんでした。私は自分の才能にも可能性にも見切りをつけた事はこれまで1度もありませんが、ただ私には誰かの力を伸ばす力がなかった事だけは痛感せざるを得ませんでした。バンドをやろうと意気込んでいたくせに、私はバンドそのものをまるで信用していなかったのです。 

 30歳を過ぎた時、私はミュージシャンの夢を諦めて、普通に就職する事にしたのです。 

 まあ、よくある話ですね。 私はいつも恐れて怯えていた、ただそれだけです。誰かこんな凡人に憧れますかね? もし彼にもその事をちゃんと話せていれば、彼の私への病的な憧憬やルサンチマンは幾分か色褪せたモノになっていたかもしれません。殺す価値もない奴だと、早々に気付いていたかも知れません。彼は確かに、私の目から見ても、何も持っていませんでした。知識も、技術も、社交性も、話術も、素敵な表情も、罪のない嘘も、夢らしい夢も、希望も、目標も。 

 彼は職場の先輩でした。私よりも年は若いのですが、職場では先輩でした。私はいつか彼に仕事のやり方をたずねた事がありました。すると彼は、これは僕のやり方だから正解じゃない。だから僕のやり方を参考にするのは勝手だけど、自分の正解は自分で見つけて、と言いました。それからも、何かを訪ねるたびに彼は、これは正解じゃない、と同じ事を言いました。それは道理です。そして仕事に慣れ始めるに従って私は、彼が言ったとおり自分で工夫したやり方に変えていったのです。それは当然、彼にとっても正解のはずでしたが、しかし彼は事ある毎に私のやり方を非難するようになりました。 

 そんなやり方じゃ2度手間になる。僕の話、聞いてた? 

 と言っては、私のやった事をあてつけがましくやり直したりするのです。私は温厚な性格なので大概、態度には出しませんが、そういうあてつけがましい行為に対しては、自分でも驚くほど耐性がなく、その時も、傷ついたのか腹が立ったのかは今や判然としませんが、とにかく私は彼に対して猛烈な不快感を持つ様になっていったのです。 

 彼は私を見ても笑いません。当然私も彼を見て笑いません。仕事は慣れれば誰にでも出来るような単純なモノでした。だから私は彼を、彼は私を、出来るだけ仕事が連携しない様に、そしてその分、その他の社員とは出来るだけ楽しそうに話す様にと、それはげんなりするほど低辺な戦いを続けたのでした。底辺の戦いに関しては彼に分があるように感じていましたが、その時はまだ勝負としては互角だった様に思います。 

 しかしあるファクターが私に大きく加勢します。それは、その職場の所長が、『大のロック好き』という事情でした。所長と私はロックの話で盛り上がりました。所長は大のロ―リングストーンズファンで、私はいつも、ほんの少しだけ話の下手に出る形を取ります。すると話はとても盛り上がるのです。これを『銀座のホステス方式』と私は勝手に呼んでいるのですが……。 

 実はローリングストーンズの知識も、私には相当あるのです。でもわざとわからないふりをして相手に花を持たせる。これを相手にわからない様にするのです。そして相手が気持ちよくなっているところで、ストーンズのスピンオフ的話題、大ファンにとってはどうでもいいような、雑学的話題を振り掛けると所長は、お前は、本当によく知ってるなぁ~、と言って感心するのです。 

 恐らく私のそういうところが彼の琴線に触れたのだと、私は推測しています。彼は俄然、音楽を、特にローリングストーンズを聴くようになったのです。そして、 

「所長、知ってます? ロンドンのビル・ワイマンが経営するレストランのお土産のライターが、使い捨てなのに700円もするんですよ」などと、悲しいほどに絞りだしてきた話題で細々と対抗しようとするのです。私はかつての自分を見るようでした。彼を少し哀れに感じたほどでした。敵を恐れるあまり巨大に見えて、小石の様なモノまで投げつけて身を守ろうとする。 

 きみ、私と所長の話はそんな大したモノじゃない。ただの雑談なんだよ……。 

 しかし私は私で、明らかに彼の劣勢を意識して、それこそ必要以上に楽し気にローリングストーンズの話をして見せたのも事実です。私は読書も好きなので、ローリングストーンズの話にうまく交えて、三島由紀夫と川端康成の裏話や、ジョルジュ・バタイユガルシア・マルケスの様な、やや癖のある作家の雑学などを披露し、ますます『お前はホントにいろんな事をよく知ってるなぁ~」と言われ、彼を突き離しに掛かったのです。毎日彼の歯ぎしりが聞こえて来るようでしたが、それはそれで全然不快ではなかったです。 

 そんなある日、彼が突然、私を食事に誘ってきたのです。 

 彼は私を居酒屋に誘いました。そして突然、これまで取ってきた不遜な態度を全てを詫びてきたのです。あれはすべて、自分の不甲斐なさから出た事で、あなたには関係ない。私はあなたの豊かな知識と経験が羨ましくて仕方がなかった。自分は貧しい母子家庭に育ち、あらゆる欲望を諦めなければならなかった。そんな母親もある日、再婚相手と家を出て帰らなくなった。私は母を待ったまま親戚に引き取られ、そこで『飼育』されたんだと。 

 僕は、本当は警察官になりたかったんです。この世の中から、あらゆる不平等や理不尽を根絶したかったのです。彼はそう言いました。そして、でも、諦めました。と言ったのです。 

 『飼育』されながらも、彼は母を待っていたのだと言いました。いつか、あらゆる世の中の不平等や理不尽の間を縫って、母の白い手が私を目掛け、一直線に伸びてくるのを、バカバカしい話ですが、つい最近まで本当に心待ちにしていたのだと。 

 でも、諦めました。それは偏に、あなたのおかげです。 

 そいう言うと彼は、テーブルの下に隠していた両手を振り上げると私の胸めがけて包丁を振り下ろしたのです。大柄な彼がいきなり立ち上がったせいで、居酒屋のテーブルが彼の肘を押し、包丁は私の胸のややズレた場所に刺さりました。店内で悲鳴が上がり、私は彼の両手を両手で押さえた形で絵の様に膠着しました。そして彼はさめざめと泣きながら、 

 なんで? これも、ダメなの? 

 と言ったのです。 

 『命掛け』なんて簡単に言いますが、命なんて邪魔なだけじゃないでしょうか。命なんてモノを意識すればするほど、人生が他人事になってしまうんじゃないでしょうか。私は、彼のために立派に死ぬ事も出来たんじゃないでしょうか。それが正解だったのではないでしょうか。 

 私は彼を凹ませるためだけについた、ジョルジュ・バタイユやガルシア・マルケス、三島由紀夫と川端康成、ローリングストーンズについての数々の嘘を胸に抱えて、彼の代わりにまっとうな社会人として、父親として生きる事を誓います。 

第62章『名前は、椎名。』 

 さっきからずっと庭を眺めてはため息をついています。恋をしてるのかって?そんなんじゃありません。揶揄わないでください。喜怒哀楽が疲れ切ってしまった私の事などもう覚えている人も少ないかと思います。私の事が見えている人はもう1人もいないかもしれません。なぜならば私はあの出来事以来、すっかり自己嫌悪に陥り、自暴自棄になって、携帯からすべてのアドレスを消去して、SNSの全てのアカウントを削除してその上、何度も覚悟の足りない、中途半端な自殺未遂を繰り返して、そうしながら孤独の淵の奥深くに卑しく身を沈めているのですから。 

 私の名前は椎名。ウソでも本当でもそんなのどうでもいいです。 

 大好物はスイカ、いつかの夏の海であの子と食べたあのスイカです。日焼けしたあの子は、浮き輪に座ったまま器用に種をぷっぷと吹き出して……。それ以外は何を食べても同じです。 

 難しい問題は次から次と現れては私を掠めて飛んでゆきました。飛んで行ったのならいいじゃないか!と、そう仰ってもそれは違います。『今』とは常に、その掠めている瞬間の事なんですから。突然降りかかってくる、悲しみや恐怖は常に『今』なんです。それに、掠めるといったって、それはまるで剃刀のような勢いなんですよ。完全に私の命を狙っているんです。 

 だからまずは私は正体を隠す必要があるのです。だからまずは私の性別が男か女かわからなくするために、初恋の話から始めます。私の初恋は幼稚園の頃、同じクラスではなく違うクラスの、近所に住む……。 

「あ~あ、また始まったよ」そう言ってペンをくるくるし始めた。 

私?私の名前は椎名。ウソでも本当でもそんなのどうでもいいよ。 

どうせまた、そこから結婚して子供を3人設けて、なんのかんので今に至るまでのいきさつを滔々と2時間も3時間も話すんでしょ。もうウンザリだよ……。なんなんですかね、こうやって頭がおかしくなったフリさえすれば、罪はどんどん軽くなるってシステム。 

 昔みたいにタバコの煙がモクモクという事はありませんが、この部屋の中はその分、凛とした重い空気がみっちりとしています。タバコの煙など、たとえあったとしても揺れようもないでしょう。 

 私が庭を見ていたのは昨日の午後の事です。雑草が伸びたので娘達と一緒に草引きをするよと声を掛けて、それぞれが庭に出てくるのを待っていた時でした。風に揺れる雑草が私の足元で小さく揺れるのを眺めている時、私には今までの私の状況のすべてが、あたかも頭の中だけに限られた事のように思えてきたのです。私があの人と結婚したことも、あの人との間に2人の娘と、そして、あの子を授かった事も……。 

 私は大きくかぶりを振ります。違う違う!! 頭の中に限られた事なわけがない。でも私の心は尚、揺れる雑草を見て寛いでいるのです。バカな!嫌だ嫌だ! そんなにして、私はあの子を否定したいのか?もともとなき者にしたいのか?? 

 いくら私があの子の悲惨な最期を『今』に投げつけてみても、穏やかな風はやみませんし、私の心は落ち着いたまま乱れません。 

 そういうあなたは、心の傷を何だと思っています?どういう性質のものだと思っています? 

 そう訊かれて私は即座に、必ず癒す事が出来るモノだと思いますと答えたのです。するとその人は、なぜ、そう思う?と再び訊きました。私は、 

 人はいつまでも一つの事に固執していては前に進めません。人間は生きる限り先を、未来を見なければなりません。過去はどうする事も出来ませんが、未来はなんとでもすることが出来る。そう思って生きる事こそが魂を幸せに保つ事だと思うからです。 

 そんな、今思えば優等生過ぎる、雛形どおりの全く親や社会からの受け売りな事を、でもその時は本気でそう思ってそう答えたのです。 

 過去も未来を含まない、そんな『今』が、あなたには見えるんですね? 

 そう訊かれて私はあわてて訂正しようとしましたが、それはダメだとハッキリ言われました。一度そう答えたのならもうそれは本音として覆らないと。覆ったとしても、それは全てウソだと。『その人』は言います。 

 すべてのチャンスは一度だけだと……。 

  私は椎名といいます。でもそれはもともとは、誰名(すいな)から派生した名字で、誰も私の名前を知らない、という意味で……。 

  

 椎名、強いな、恣意な、思惟な、シーナ、sheena. 

 そんな調子で、私はきっと誰にでもなれるんでしょうね、いや、なれたのでしょう。その気になれば鳥にだって。そうして庭にポンと降り立って、心の向くままにミミズや虫を啄んだり、誰も見てさえいなければ植木鉢や車のボンネットの上にフンをして、そのまま鳥として、羽根を繕ったり、そこで偶然にスイカの種をみつけて……。 

 あ! やっと娘達が出てきました。双子なんですよ。2人とも私が言うのも何ですが、とても美人。お揃いの鍔広の帽子がとてもよく似合っています。さあ、草引きを始めますよ! 

                   * 

 やれやれ……、やっと終わったよ。今日は草むしりまでか。それで、あれでしょ、庭で草むしりをしていてスイカの種をみつけて、息子のあの出来事を思い出して、取り乱して、娘達に介抱されるんでしょ。そのあとは何でしたっけ? 何回聴いても、そこから先を忘れちゃうんですよね。まあ、どうせデタラメだからどうでもいいんですけど……。 

 私の名前は椎名。出身は京都なんですけど、なんでも千葉に多い苗字らしくて、部首の隹(ふるとり)はしっぽの短い、ずんぐりとした鳥、という意味があるらしいのですよ。それが木に止まっているって、そんな意味なんですかね? そりゃ鳥だから気に止まっても何も不思議じゃないでしょうけどでもね、椎名だからって、実際は何も私の事を表してはいないんですよね。 だから、そんな風に呼ばれても、一応返事はしますけど、納得しているようなしていない様な……。名前とか、何なら顔とか。 

  

 何なんでしょうね? わからなくなりますよね。いつも。  

第61章『春を走らせ!走らせ春を!』  

 素敵だなぁ、と呟いたら……。 

 そりゃ、そうでしょ。今年もこうして無事に桜が咲いてくれたんだからこんなに素敵な事は他にあるわけがないでしょ? まったく咲かない可能性だって、まるでなかったわけじゃない。黒い雲や冷たい風は、いつもどこかで渦巻いている。それが今年も房総半島の春が、こんなに素敵に無事にやってきたのだから、こんなに素敵な事が他にあるわけがないでしょ? 

 房総半島の春? そうか、私が見ているこれは、房総半島の春なのか……。 

 房総半島のちょうど真ん中辺にあるこの現場は、曲がりくねった狭い山道のどん詰まりに追い詰められたキツネの様に蹲っていて、余所者の私を見ると息をひそめるのか、だだっ広い敷地内にはいつも人影がなく、散々ウロウロと歩き回ってやっと誰かをみつけても、私の管轄じゃない、とか、フォークのオペレーターに訊いて、とたらい回しにされた挙句、もうちょっと早く持って来れなかったの? などと心無い文句を言われるのが常なので、朝、配車表でここをみつけると気持ちが沈むのが常なのですが、春だけは別。そうじゃない。とにかく、その道すがらの桜の見事な事! 

 今はソメイヨシノは終わり、花吹雪を演じているのは専ら八重桜。品で言うとやや線が太く、繊細な桜を演じるにはソメイヨシノよりやや劣ると評価されがちな八重桜が、それならばと一世一代、その一番の特徴であるふくよかな枝先を、まるで酔った楊貴妃の白妙の指先から下がるライチの房の様にたおやかに艶めかしく揺すってみせるのです。 

 お見事! 私はハンドルを握りながら拍手喝采! 

                 * 

 ディーゼルエンジンも今日は心なしかしゃいでいるようです。いつもよりウンウンと唸りを上げて坂を上ります。あなたもあるでしょう、お散歩中の犬のような気分。あっちこっちに素敵なモノがあり過ぎて、いったいどこに行きたいのかわからなくなるような気分。 いかんいかんと、私は気を取り戻します。

 この時間にまだ船橋だから、卸すのは午後イチになりそうだな。その後は多分、有明辺りで積んで都内近県に2~3件。それで終わりにしても事務所に着くのは17時前後と言ったところか……。 

 昔ならば何日もかかった道のりが、わずか数時間で過ごされる文明社会。結果として私は昔の人の何倍もの時間を過ごしている事になるでしょう。今日午前だけで私はきっと、江戸時代の旅人の数日分にも換算される時間を過ごした事でしょう。でもそれは単にトラックのスピードのせいじゃない。頭の中身が、時間を飛ばし読みをしようとしているのです。私の脳みそは道すがらの何百年のメッセージを一瞬で捕えようと無理をするのです。でもそれは昔の旅人だって同じです。何百年も昔にふと私をみつけて歩き出す、そんな無理をするのです。私と旅人は図らずもそうして、抜きつ抜かれつしながらお互いをめざして歩いている。会えない事もあるでしょうが、うまく会える事もある。 

 どうせ昼に掛かるのだから同じ事だと、私は路傍にトラックを止めて午後のちょうどいい時間までそこで昼休憩を取る事にしました。窓を開けるとソメイヨシノより稍々大ぶりの八重桜の花びらがいっぱい入ってきました。それはいつか昔、私が放った毛束のサルが花弁なって帰って来たモノかもしれません。私のメッセージは遠い中国の遠い作家に無事届けられたようです。そう、私だってなにかの目的のためにそこへ向かい、それを終えてまた戻るのだから旅人に変りない。その運ぶモノが例え、一通の恋文だろうが、20トンの建築資材だろうがなんら変わりはない。 

 『今』私の目の前に咲くこの立派な八重桜の老木は、江戸時代の旅人をしてわざわざ私に会いに向かわせるための標となって何百年も昔にこの道を歩かせしめたのでしょう。彼の目的は正に、私に会う事、そして一通の恋文を渡す事だったのです。もし私がちょうどその場所にトラックを止めていたとしたら、一体どういう現象が起きると思います? 

                   * 

 あぁ、やっと追いついた。この恋文は、貴方へのモノです。 

 え? でも私には、思い当たる人が1人もありませんが……。 

 そりゃ、そうでございましょう。おなごがそうそう恋心など悟らせようはずもございません。 さ、どうぞ、お読みください。それまで私はここで、一服させてもらいます。そう言ってガードレールにもたれると彼は猫の根付けをグイっと引っ張り、煙管を出すと煙草の葉を詰めはじめました。 

 受け取った手紙からは微かに香が香りがします。開くとそこには綺麗な平仮名がサラサラとして、知識のない私には全然読めないのですが、きっと私も年柄もなくドキドキと火照っていたのでしょう、その微熱のせいか、頭に入るなり平仮名はザラメの様に易々と解けては沸々と語り掛けてきたのでした。 

                  * 

『あなたへ。私は今、夢を見ているのでしょうか? あなたがはっきりと見えるのです。あなた、私は恋をした事がありません。それはきっと、誰かが私を望まなかったせいでしょう。いったい誰が、何のために私を望まなかったのでしょう。私は私の命が続く限り、その人と、その人が私を望まなかった訳と、そして最後に、その人の代わりに私を望んでくれる人を探したのですが、とうとう見つかりませんでした。それにはあまりにも私の命は短すぎたのです。私はそのあまりの辛さから、その考えを何度も捨てようとしました。しかしそのたびに、望まれない私がその考えを捨てたりしたらそれこそ、私は何なのか、私の命は、私の苦しみは、私の希望は何なのか、そのすべてを私自ら捨ててしまう事になるのです。それは矛盾です。揶揄われたのと同じです。もしそうならば、私を望まなかった張本人が私自身であったならばその時は、私は初めて腹を立てると決めているのです。憤怒に我を忘れて、髪を掻きむしってのた打ち回ると決めているのです。 

 今、気持ちはとても穏やかです。私の前には、小さな八重桜の苗木がほんの数輪の花をつけております。こんな小さな苗木に咲いた花でさえ、時に連れて老木と同じように散ってしまうのですから、私の命が幾許もなくとも文句は言いません。ただこの苗木がいつか見上げるほどの大木となって、そして私を望む人がふとその姿に目を止めて、その場所に立ち止まってくれたならば、私はその人に手紙を書くことが出来ると思うのです。 

あなたへ、あなたは私を望みますか? 望んでくれますか?』 

                  *  

 私が目を上げたのと同時に、読み終わりましたか? と言って彼はガードレールから立ち上がりました。 

 えぇ、でも、なんて返事を書けばいいのかさっぱりわかりませんよ……。で、この人はその、亡くなったんでしょうか? 

 はははは、そりゃ、もう何百年も前にね。いいんですよ、今、貴方が思う率直な気持ちで。 

 そう言われてもねぇ……、私はあくせくしながらようやく返事を書きました。それを渡すと、彼はそっと懐にしまい、 

 確かにお預かりしました。して……、 

と、猫の様に鼻を中空クンクンとさせ、さっきから春の香に混じって妙な匂いがしませんか? と言いました。そういえば確かに何かが焦げるような臭いがします。 

 大方、私のこの方への想いが、手紙の端っこでも焦がしてしまったのでしょう。私が言うと、彼は大きに笑いました。 

 ワハハハハハ! そんなに熱い内容なら私もちょっと読んでみたくなりました。読んでいいですか? 

 ダメダメ!絶対ダメですよ。何処の世界に人の恋文を盗み読みする人がいるんですか! 

 ワハハハハハ! 何処の世界にもおかしな奴はいるモンです。人のモノとも、自分のモノとも区別もつかず、いい事しているつもりで悪い事をしては、未来の、過去の人達に嫌われたり、また好かれたりしている。そりゃあもう、悔しいほど是非の付かない、おかしな連中が……。 

 とにかくその手紙、絶対に途中で読んじゃダメですからね。ちゃんとこの人に届けてくださいよ。 

 まあ、長い間ですからね、私にだってふっと魔が差す事がある。我慢する度胸はあってもふとした拍子にそれが徒となることもある。それならば堂々と今、ちょっとだけ。 

 だからダメだって言ってんじゃん!しつこいオヤジだな! 

 ワハハハハハ! 

                  * 

 そっと目を開けて時計を見るとちょうどいい時間です。私は腹の上に溜まった八重桜の花びらを払うとエンジンを掛けました。そしてギアを入れてハザードランプを消して右ウインカーを出し、再び走り出そうとしたのですが……。 

 妙にはしゃいでいるなと思っていたディーゼルエンジンの調子が妙なのです。ウンウンと唸るばかりで全然坂を上りません。 

 去年の車検の時、私はちゃんと言いましたよね? 

『クラッチの調子が悪いので診てください』って。 

 状況を告げると、電話の向こうで事務方が大慌てしている様子が聞こえてきました。 

 「えぇ、あの、予定していたトラックがですね、今、千葉で故障して動けなくなってしまった関係で、急遽別便を手配しますけど、もう少しお時間がかかるかと思うのですが……」  

 じゃあそれまで、私はこの桜の下で恋をしていようと思います。 


第60章『ウソを承知で。』 

  

 ゴールデンウィークが近づいてくると、自分の行動範囲がグッと広がっていくというか、いろんな場所がより身近に感じられるというか、自分が赴いてもいい範囲がいよいよ広く世の中に認可され始めてくるというか。 

  

 旅に出たい。知らない場所で知らない人と接したい。そこで新しい何かを経験をしたい。これはもう本能でしょう。人間が生きる上で必要な衝動でしょう。同時にそれは引きこもっている人間には残酷な背徳感を与える悪魔でしょう。 

 書を捨てよ、町に出よう! 

 その通り。インドア派であれアウトドア派であれ、もう他人の考えや生き様なんて胡散臭いモノを頼りにするのは一切やめにして、もっともっと、人は自分の内なる考えを頼りに生きてみたらどうでしょうか。その上で、他人はマイパーツとして認識するのがいいのかと思います。 

 でも一聴するとそれは他人を自分の都合のいいように理解して利用するという、とても利己的で浅ましい考え方のように感じますね。しかし実際は逆で、自分が意のままに行動するには、まるで杖の様に他人が絶対に必要である事を理解するという事を大いに助けるのです。 

 私は息子と車に乗って出かけます。妻も、と誘ったのですが家事が忙しいという事で今日はお留守番。妻がいないのだから、そんなに遠出は出来まい。晩ご飯のおかずもちゃんと3人分用意しているはずだから、それまでには必ず帰って風呂に入って食卓の前に鎮座する義務が、私と息子にはある。そんな条件付きで。 

                 * 

 大きくせり出した松を避けると今度は、『うどん・そば』 と書いた看板にぶつかりそうになりました。おっと危ない! その看板を避けると自然と駐車場に導かれ、うまい事導きやがったな! と私は笑う。昼なのに、土の駐車場には他に車が2~3台。入ると専門店と言うにはあまりにオートマチックな、食券を自販機で買って席に着くと、国籍不明の目の血走った店員が薄暗い厨房の奥から黙って出てきて半券をもぎってまた厨房の中に消える。うどんとそばはウソのような早さ出てきました。 

 ウソを承知で言うとなぁ……、私はなぜか口ごもっています。息子は大盛りの天ぷらうどんとサイドメニューの明太子おにぎりを上手に交互に食べながら返事もしません。 

 ウソを承知で言うとなぁ、父ちゃんは今、脅迫されているんだよ。 

 誰に? 息子はうどんをすすりながら訊いてきました。 

 ある、オバサンに。お前も知ってるだろ。父ちゃんの店。ほら、ネット上の店。 

 あぁ、『日日彼是面白可笑し。』? 

 そうそう、そのお店の事をネットで小説みたい紹介して遊んでるんだけど、ある日そこに、オバサンがやって来てさ。 

 オバサン? 

 そうオバサン。オバサンって言っても父ちゃんよりも若いと思う。綺麗なオバサンだよ。で、そのオバサンがさ、うちの店で働いている2人の子供の1人の母親だって言いだしてさ、息子を返せ!って言うんだよ。 

 ふーん……。 

 でもさ、父ちゃんとしてはその証拠がないわけ。で、ね、本人に訊いたわけよ。あれ、本当に母ちゃん? って。そうしたらさ、『あれはエキストラさんです』なんて言うんだよ。困っちゃってさ。 

 ふーん……。 

 エキストラ? なに?それ。って。そうしたらさ、『僕が自分が死んだいきさつがこうならいいのに、と思う上で必要だと思ったママです。』なんて事を言い出すんだよ。 

 ふーん……。 

 で、父ちゃんが拒否するとそのオバサンが未成年者略取誘拐の罪で父ちゃんを訴える、みたいな事を言い出してるんだよ。 父ちゃん、逮捕されるかもしれない。

 ふーん……。 

 でさ、いろいろ話してるうちに、そのオバサンが、どうやら変なヤツに洗脳されてることがわかってきたんだよ。『皇極法師』っていうヤツらしいんだけど、お前の友達とかでさ、そんな話聞かない? 

 聞かない。 

 あ、そう。それならいい。聞かないなら聞かない方がいい。それで、ここからがちょっとややこしいんだけど、その『皇極法師』ってヤツがさ、どうやら1人じゃないっていうか、人格じゃないって事に、最近気が付いてさ。 

 ふーん……。 

 人格じゃない。つまり、その時その時で、人の心や考えに忍び込んでくる何者か、みたいな。そこまではなんとなく気付いたんだよ。おまえ、こういう事ない? 例えば、ひらがなとか色をジーっと見てるうちに、突然ナニモノかわからなくなる現象。ない?

 今のところない。 

 あ、そう。それならいい。ないならない方がいい。でもこんな事考えた事ない? 『あ』『あ』で、『オレンジ色』『オレンジ色』でも、どっちが先なんだろうって。もともと『あ』があって『あ』が出来たの?それとも、『あ』が出来て『あ』が生まれたの? 

 そりゃ、『あ』が先でしょ? 

 お前もそう思う。実は父ちゃんもそう思ってるんだよ。つまりそうだよ、何かに名前を付けたのでも、名前が何かを生み出したのでもない。『あ』は同時に出来たんだよな。それ以外に考えられない。でもそうだとしたら、『皇極法師』は? 父ちゃんが作っちゃったって事? そのせいで、オバサンは洗脳されて、父ちゃんは脅迫されているの? 

 息子はすっかり食べ終わった天ぷらうどんの器を『返却口』に戻して帰ってきました。そしてこう言ったのです。 

 でもそれは全部、父ちゃんが作った世界のお話でしょ? 

 そうだよ、だから最初に『ウソを承知で』って言ったじゃん! 

               *      

 結局車でわざわざさして旨くもないうどんを食べに来ただけでした。え!まさかゴールデンウィークのお出掛け、これで終了? と息子は悲惨な顔をしました。午後はまだたっぷり時間があったので、いったん家に帰ってまたバッティングセンターに行くことにしました。今度こそ、妻も家事を終え、付き合ってくれると思います。 

        第59章『アイドルの命日』 

  

 あまりにも美しくなりすぎた彼は、大胆なポーズとともに雑居ビルの屋上の手摺の外側に消えたのでした。 

 僕は花を持ってガードレールの前に膝をつく。交通量の多い交差点だから邪魔になっている事はわかっています。また田舎モノが感傷に浸って変な事やってるなという冷たい視線は仕方がないとして、この日が彼の命日だと知っている人は、『今』この場所に何人いるのだろうと思った。 

 祈っている様に見えても、僕はこの一連の出来事に一片の悲しみも感じていません。彼が最後に浴びた風はきっと、世界中の誰もがうらやむホンモノの風だったと思うから。悲しみも苦しみも一切を洗い流してくれたに違いないと思うから。どうだった? だから僕は今年も、ただそれだけを訊きにここへ来た。気持ちよかった? 

 ただ惜しむらくは今年の今日がまるで真夏の様にクソ暑い日だという事。 

「ほれ!兄さん若い成りしてすぐへばらんともうちょっと頑張れや! あとここ2センほど掘って、平ぁらにして! ここ平ぁらに!」 

 若くったって暑いモノは暑いし、バテるモノはバテるんです。僕はさっきから、ドカヘルを被ってスコップで地面を平らにしています。腕の太さから想像するに、年齢は20歳前後。土の匂いから類推するに、場所は生まれ故郷でしょうか? 借りたドカヘルは代々どんなオッサンたちがどんな理由で渡り被ってきたのか知らないけれど、もう臭くて臭くて堪りません……。 

 よし出来た。ほなタバコしようか! そう言ってにっこり笑った親方の顔がどんなに善良そうに見えても、僕には上下の前歯が4本とも痩せた歯茎からニョキっとはみ出して今にも抜けそうなのは如何にも不衛生で不摂生で、休憩!と言ったらまるでその事しか考えていない様な、まるで裏も表もない様な笑顔を、どうしても善良だなんて依怙贔屓な判定は出来ません。もし不意にショベルカ―が倒れて、僕がその下敷きになって虫の息でも、親方は、だいじょうぶか? なんて平気で訊いてきそうだから……。 

 だから僕はこういう人にこそ、彼のエピソードを語るべきだと思ったのです。 

「昔、アイドルの友達がいたんすよ」 

「アイドル? なんや、ベッピンさんか?」 

「いえ、男のアイドル」 

「なんや男かいな、興味ない」 

「それがそんな男前じゃなくて『アイドル? なれるの?』なんて訊いたぐらいなんです」 

「あれやろ、整形手術やろ。芸能界なんてそんなヤツばっかりや。女も男も売れるためなら手段を択ばん。枕営業もホイホイな奴ばっかりやろ」 

 親方はどうやら、アイドルが自分とは関係のない存在だと決めつけているようです。彼にとってはまるで月の裏側の様な話を、すべてお見通しの様に話します。そうです。すべてデタラメでいいんです。きっとわざとそうしているんです。自分の歯茎が痩せて、前歯がグラグラで不衛生で不摂生である理由の肩代わりを、アイドル達がセッセとしてくれている事にわざと気付かないフリをしています。それは純朴に擬態したプライドという堅牢な壁です。とても厄介な鎧です。 

「それが、流行の方が彼にすり寄ってきたんですよ。ある地方局の食レポで大福もちを食べた時、『食べ方が可愛い!』なんて言われたのをきっかけに突然テレビや雑誌で『1000年に1人の男の子』なんて騒がれ出して」 

「ワシはその『男が可愛い』ちゅー意味がようわからへんのよ。赤ちゃんならわかるけど、大人の男はカラはゴツイし、髭も生えるし声は低いし、どっこも可愛くないやろ。おなごの方が形も声も、全然可愛らしい思うけどな」 

 その瞬間、弁当が腐るほどの熱風がザっと吹き抜けました。 

                   * 

 彼は悪魔に睨まれた。 

 僕は彼がアイドルになりたがってるのを知ってから、今まで見えなかった彼のおかしな特徴が見える様になりました。彼はアイドルになるために感情を捨てようとしていました。アイドルに喜怒哀楽は必要ないと思ったようです。以前、ある格闘家が『格闘家に前歯は要らない』と言って全部抜いてしまったという話を聞いたことがあります。彼にとっての感情は、その格闘家にとっての前歯と同じようなモノだったと思われるのです。脱着可能な喜怒哀楽。 

 実際、それで彼はどんどん上手くいったのです。彼は喜びたい時に喜んで、悲しみたい時に悲しめるようになったんです。それも、ウソじゃなく、本当に……。 

 そうして彼は彼を望まれるままのアイドルにすることが出来た。 

 ただ、彼の思うアイドルと、世の中が欲する彼はまるで違うのです。まるで違うというよりは正反対なのです。僕はこのズレに気付くことが出来ませんでした。 

              * 

 やがて年を取り、人気もなくなり、完全に行き詰った彼が一度だけ僕に希望したことがありました。それは自分の葬式に掛ける曲を作ってくれというモノでした。彼にはもう、感情が完全にありませんでした。 

「僕がさ、死ぬからさ、そうしたらそれを利用してさ、君はそのレクイエムで有名になればいい。そうしたらさ、君は儲かるし、僕お死の価値が上がるって事さ、いいだろ」 

 まあ、確かにナイスアイディアだと思いましたね。

「死ぬとか、何言ってんの、お前」 

 僕は一応そう言った。すると彼は、 

「いいからいいから、遠慮しないで!」 

 と笑顔で言います。それはもう、見た事がないほどの美しい笑顔で。 

「遠慮なんかしてねーよ!」 

 いいえ、ウソです。僕は確かに遠慮していたのです。 

「目を覚ませよ、お前さ、命を何だと思ってんの?」 

「命? 喜怒哀楽でしょ?」 

「バカ、喜怒哀楽が命じゃねーよ。命があっての喜怒哀楽だよ」 

「どこが違うの?」 

「え?」 

「命と喜怒哀楽。どこが違うの?」 

              * 

 うわー!嫁の手弁当が砂だらけやがな!もう食われへん!風のアホ! ほれ、兄さんタバコは終わりや、尻上げ! ほな午後はあっちを、もう2センほど掘って、あっちも平ぁらにして!平ぁらに!! 

 


第58章『記憶、正しく……。』

 

 どんなに辿っても実際になかった記憶には辿り着けない事は、誰にでも簡単にわかるよね??つまり逆を言うと、辿り着いたらならそれは実際にあったという事になるよね。 

 じゃあどうだろう、夢は。あれは記憶じゃないのかな? 

 間違いなく記憶だよね。じゃあ夢は実際にあった事でいいよね? 

 違う?なぜ? 

 夢というのは目を覚ましている間に見たり聞いたりした事が、睡眠時に頭の中で整理される過程に於いて副次的に生成されたイメージの残骸なんだよって? なぜそう思う? 

 残骸というなら寧ろ、今君が頭に思い描いている昨日の記憶の方じゃないのかい? 誰と会った、何を話した、気分がよかった、ムカついた。 

 そりゃあ、事象を一つ一つ他人を交えて確認し合えば、それがお互いの記憶と合致すれば、お互いの真実と言える事は言えるかもしれないけど、でもそれは半分、他人の記憶じゃないのかい? 個人の記憶というなら、他人の意見が混じった記憶よりも混じらない記憶の方が、より一層自分にとっての真実と言えるんじゃないのかい?そう考えるのが普通じゃないのかい? なのになぜ君は混ぜ物だらけの方を真実と、夢の方を残骸だと決めつけているんだい? 

 僕の知り合いでさ、可哀想なオバサンがいてさ。その人は自分の子供をずっと虐待していたんだね。育児ノイローゼさ。その男の子は結局死んでしまうんだけど、そのオバサンはそれが自分のせいではないと必死に言い訳を考えてるんだ。そりゃあもう必死さ。笑ってしまうぐらい。 

 だから僕は一言、『あなたのせいじゃない理由を、とりあえず100個探しなさい。探してみつけるんですよ。作るんじゃなくて、それだけに専念しなさい。』ってね、言ってみたんだよ。するとそのオバサン本当に探し始めちゃってさ、どう思う? 実際に虐待してたんだから虐待してない理由なんて、あるわけないじゃない。ところが……。 

 ある日、そのオバサンが嬉しそうな顔で僕の所に来てさ、息子をみつけました!って言うんだよ。始め聞いた時、全然意味が分からなかった。でも変な事を吹っ掛けちゃった手前僕も、あらそう、それは良かったですね。なんてね、平常心を装って言ったんだよ。するとオバサンは、でも息子はある質の悪いお店で店員紛いな事させられてこき使われてるから、今から取り戻しに行ってくる、って。 

 あぁ、とうとう狂っちゃった。可哀そうだけど、僕は彼女の話は全部妄想だと、そう確信したんだ。したんだよ、したんだけどさ……。 

 彼女は真剣な目で、僕にもその店に来て欲しい。そして頑固者の店長を説得して欲しい。なんて言うんだよ。僕は内心、知らねーよ! って思いながら、じゃあ今度僕もその店に行って、その頑固者の店長と話をしてみる。と、仕方がない、約束したんだ。 

 その約束の日が、実は一昨日だったんだけどさ。当然、僕としては気が乗らない訳さ。だってどんな顔で行けばいいのさ? 気が狂ったオバサンだよ、その店で僕はどんな悪党呼ばわりされているか見当もつかないじゃない。きっとあのオバサンの事だから、自分に知恵を授けてくれた大先生、みたいに触れ回ってるに違いない。悪いけど僕はそんな大したものじゃない。そしてそんなのが相手には真逆に作用するんだよ。インチキ野郎さ、皇極法師だよ。結局僕は行かなかった。『遅れていく』とだけ連絡してね。 

 で、暇になった午後を、僕は街歩きに費やそうとして電車に乗ったんだ。いつもと同じ、何処で降りるかなんて決めないさ。適当な駅で降りで、そのまま駅前の道をずーっと、でもそうだな、本当にただ歩くのはあまりにも無責任だから、とりあえず、あの高圧電線に従って歩いてみよう。そう決めたんだから、それなりの結果が必ず出るのはわかり切っているからね。 

 果たして僕は、高圧電線の下をずーっと歩き続けた。公園を抜けて、踏切を渡って、そしてある小さな小屋のような建物に出くわしたんだ。 

 まったく驚いたよ。 

 そこにはあのオバサンが娘らしい2人の女の子と一緒にいたんだよ。そしてその店の人間と何かを言い争ってたんだ。信じられるかい? 僕は適当な駅で降りて適当に歩いて、結局オバサンとの約束の場所に来てしまったんだよ。 

 どう? これ、僕の真実だと思う? 

どう考えたってそうじゃない。それで僕はピンときた。 

これは、オバサンの真実に僕が取り込まれているからだって。   

 そこで、夢の話に戻るよ。 

 改めて、君は本当に夢は自分が覚醒時に見聞きした記憶の残骸だと思うのかい? あんなに巧緻に作り込まれた世界が、本当に自分の拙い経験と幼稚な発想力だけで作り上げられていると思うのかい? 

 僕はその店のドアを開けた。きっと拙い事になる。そう思ったけど、何事もなかったよ。ただ僕はその店の店員の少年になった。『昔の子』というらしい。ただそれだけの事だよ。要らない人間や、その場にいるはずもない人間は、夢の方から必要な人間に置き換えられる。夢ってそういうモンじゃない? 

 じゃあ、君の言う現実は? 現実だってそうじゃない? 君は常にその場所に必要な人間に置き換えられている。自分がなぜそこに居るのか、どこの誰だか、名前も顔もわからなくなった事、これまで一度でもあった。ないはずだ。ないよね。それでいいんだよ。それで普通なんだよ。ただ時間の経過を『過去』『今』『未来』みたいにして並べちゃうとそんな当たり前な事が理解できなくなる。そして無理矢理、ありもしない理屈を作ってそれに凝り固まろうとするんだ。 

 オバサンは僕に気付かない。そりゃそうだよ。僕は店員の少年なんだから。僕がいらっしゃいませ、というとオバサンは明らかな作り笑顔で、あら、こんにちは、素敵なお店ね、なんてことを言うんだよ。もうなんだか気味が悪くてさ……。 

 僕は店長に荷物を渡して、確か、パンだったと思う。いい匂いがしたのを覚えてる。それを渡して何食わぬ顔で店の掃除を始めたんだよ。で、あ、やっぱり、拙い事になってる、って、その時気が付いたんだ。 

 僕は『昔の子』と呼ばれて、怪しまれもせずその日をその店で過ごした。すると、もう1人の、そのオバサンが自分の息子だと言った男の子が僕に、君は、なぜここにいるの? なんて事を訊いてきたんだ。 

 あぁ、拙い事になった……。 

 僕は渋々自分の事を話した。僕は、生まれたタイミングが悪くてね、戦争が終わってすぐに餓死したんだ。そうしたらその少年は、ふーん、って、それだけ。だろうね。他人なんてまずそんなモンだよね。 

 その少年はオバサンが言ったとおり、自分はママにイジメ殺された、って言ったけど、目は少しも悲しんでいなかった。むしろその配役に満足している様にすら見えたんだ。まあ、これは僕の主観だけどね。 

 わかるかい? もしここで僕が目を覚ましたら、それが『夢』という事になるんだよ。目を覚まさなければ、僕はずっとあの冴えない店で『昔の子』なんて呼ばれて、店の掃除をしたり、定期的にパンを運んだり、大きな金魚の世話に明け暮れなければいけないんだ。 

 ちょっと気になったのが、その店の店長という人でさ。その人は僕ほどはっきりと自分がなぜ死んだのかを理解していない様子だったんだ。まあ、大概の人はそんな事を理解しないんでしょうけどね。自分が死んだ瞬間を見ていない。そんな人もまれにいるんだね。 

 だから彼は今も、夢を見たり覚めたりしながら、『今』の中を彷徨っているんだ。 

 そしてそれは君も一緒だよ……。 

 なぜ違うんだい? なぜ、違うと思うんだい? 



第57章『早春あくび雑記』 

 だから!タイヤがツルツルなんですって!こないだの雪の日なんか本当に危なかったんですよ!  

 朝早に電話しました。昨夜、9時過ぎに仕事を終えた時はもう誰いなかったのです。 朝っぱらから文句の電話を取った休日当番は明らかの不機嫌そうに、 

 だって、うちはタイヤは一括で注文するんだからさ、君だけ先に替えるわけにいかないだろ。だからどうしてもこの時期になってしまうんだよ。 

 と言いました。私には彼が言う『だって』『どうしても』の意味がわかりません。誰かわかります? 

 電話を切ると私は外に出ました。今日はよく晴れているので公園でも散歩して憂さを晴らそうと思ったのです。

 強い風にメタセコイヤが獰猛に揺れています。春一番でしょうか。もしそうだとしても私は感動などしません。大きな木がなすすべなく揺すられている姿に私自身を投影して、『今』が誰かの都合で勝手に浪費されていくという、どうしようもない不愉快を感じているだけです。

 イカンな……。

 時間はさしずめ煙草のようです。イカンな、イカンな、と思いながらもついダラダラと火を点けてしまう。そして周りに迷惑を掛けつつ自分の命までダメにしてしまう。そしてそれはすべて『だって』『どうしても』の様なモノに集約され、私のワガママという事になる。 

 さあ、どうしてくれよう、私は私の『今』をどうしてくれようと、木洩れ日の美しい朝のマラソン道を、恐らく私1人だけがイライラしながら歩いているに違いありません。 ドッグランでは数匹の犬が全力疾走しています。まるで地球を回しているよう。もし本当にあの数匹の犬が地球を回しているんだとしたらそれはなかなかの滑稽です。そんな理由の中に、私や家族の運命が収まっているんですから。悪魔の髪の毛の様にしつこく絡みつく長い影を、犬たちはものともせず走り回っています。 

 そうか、そういう事ね。私もそうすればいいんだ。私は私の『今』がグッと広がるのを感じました。これは喧嘩で言うところの、とうとう殴り返したのと一緒です。静かな木漏れ日の中で私は1人、喧嘩を始めたのです。私は今目の前に広がった『今』の端の方に注目します。そこには誰かの不手際の尻を拭うべく予定変更によって雪の予報が出ている群馬の山間の現場に向かう途中、ツルツルのタイヤのせいでスリップ事故を起こしてトラックごと谷底に転落して死んだ私と、その言い逃れを必死に考える会社の人間と、悲嘆にくれる私の家族がいます。 

 彼の『だって』『どうしても』はとうとう私を殺しました。 

 なぜタイヤを替えてくれなかったんですか? 主人は何度もそう頼んでいたはず。 

 妻が言うのに対し、会社の人間の頭の中には言い訳以外なにもないように見えます。 

 あぁあ、めんどくせぇことになっちまった……。しかし私は次に目に転じ、彼の家族にフォーカスを当てます。 

「お父さんの会社で、死亡事故があったんだって。お父さんその事で今大変みたい」

 妻は毎日帰りが遅い主人の健康を気遣います。娘はそんな母親を気遣います。 

  しかしそれはやがて、娘の同級生に知られることになります。 

 おい、知ってる?○○の親父の運送会社で死亡事故があってさ、アイツの親父、その責任を問われてるんだって。アイツの親父のせいで、人が死んだんだぜ。 

 娘はやがてその事でいじめを受ける様になります。人殺しの子!  

 私は助けません。娘は学校に行けなくなり、自宅に引きこもって自殺未遂を繰り返す様になりました。 

 あぁあ、何で我が家こんな目に合うんだ、アイツが勝手に事故ったせいで、こっちは大迷惑だよ……。 

ハハハハ、私は笑いました。いい気味。ざまぁみさらせ!!私は自分の『死』の影を鞭の様に撓らせて、何度も何度もその可哀想な娘を打ち据えました。そしてその悲痛な様子を十分に見届けてから、何事もなかったように家族の元へ戻るのです。 

「今日はマジで怖かったよ。峠道でスリップしてさ、もうちょっとで谷底に落ちるとこだったよ」妻は眉をひそめて「早くタイヤ替えてもらいなよ」と言います。妻の顔をジッと見ると確かに、さっきまで泣いていた跡が見えたのです。

「なに?泣いてたの?」

「うん、今日は花粉が酷くて……」 それが、昨日の事。

 私は一切の『過去』『未来』がすべて『今』の一部であるとしっかり認識しています。つまり私は生きると同時に死んでいる。さしずめ『シュレディンガーの猫』のようです。 

 お察しの通り、私はとても消耗しています。反省や言い訳や開き直りがもう手が付けられないぐらいにグチャグチャに混然となって膨張し続けているのです。だから今日はもう、店に顔を出すのもやめておきます。顔を出したところで、店には2人の少年がいて、私を見るなり、あ、店長、おはようございます。なんていつもと同じ事を言うのはわかっています。私はさも落ち着き払って、この2人にはまるで関係のない事でイライラしている自分を隠ぺいしようと骨を折らなければなりません。いい加減こういう予定調和が世界からなくなって欲しい。『今』『今』として常に正しく認識されなければいけない。そうすればだれでも世界中どこに行っても、それぞれ常に自分自身の『今』を、ピクニックの敷物の様に、思い思いにその場所に広げることが出来るとおもうのです。 

 私はベンチに腰を下ろしました。昨夜の雨のせいで少し湿っていましたが、そんな事はどうでもありません。 

 『シュレディンガーの猫』と言いましたが、実は誰もがそうなのです。それは不思議でもなんでもないのです。 

 あぁ、また気持ちの悪いニュースが入ってきました。私の『今』は煙草の煙の様に、主人である私の意に反して妙な形に広がります。 

 ひゅーすとん、ひゅーすとん……。 

2022年2月。 ウクライナに侵攻したロシア軍は、予想だにしないウクライナ軍の激しい抵抗にあい、戦況思わしくない様子……。 

 眼耳鼻舌身意に守られて、私達は初めて安心していろんな場所に行けるんですね。そしていろんな人にあって、いろんな話をして、そうして物事が前に進んでいるかのように思う。しかし眼耳鼻舌身意はすべてディフェンシヴな機能に他なりません。『死』に対して人間が圧倒的に受け身に感じられるのも、こんなディフェンシヴな機能のみですべてを決めてしまおうとするからです。この呪縛から逃れるには、『今』を出来るだけ大きく広げて、その中に生きる、或いは死ぬ自分をもっとはっきりと正確に認識する必要があるのです。いやもう、私にはそれ以外に楽になる方法はないと確信してさえいるのです。 

 本当は誰もがもっと自由奔放にそれぞれの『今』に翻弄されるべきなのです。手も足も意味がないぐらい無限の可能性にもみくちゃにされるべきです。そして様々に思い知るべきなのです。

 この度の戦争でウクライナとロシア双方に数多くの死者が出ました。それは明らかな悲劇です。葬ることが出来ない子供の死体が路傍に積まれているとききました。しかし自分の優しさが自分にしか作用しない事はけっして学ばないのが人間です。自分可愛さこそ一番の敵であり絶対悪。それは大統領を見ていたらわかるでしょ?それなのに『憎しみ』の対極に『優しさ』があるという風にしか世界中の宗教は教えません。憎しみを否定するために優しさを人身御供に使うのです。初めからそこに誤魔化しがあるのです。 

 目を覚ますと、ドッグランにはもう1匹もいませんでした。犬が消えると、悪魔の髪の毛も消えるのですね。知らなかった。悪魔の原因が犬だったなんて……。 

 思いきり吸い込むと少しにおいを感じました。何の臭いだろう? 桜はまだしばらく咲きそうもない様子です。 

 ベンチを立つとズボンの尻がしっとりと濡れていました。きっと猿の尻の様にくっきりと濡れている事でしょう。 

 みっともないけど仕方がない。乾くまでもうしばらく、マラソン道をウロウロしてから帰ろうと思います。 


 第56章『まったく酷ぇヤツ』 

 珍しい人が店を訪れました。彼は私を見るなり、久しぶり!とも言わず、まったく酷ぇヤツが多くて困るよ、と言ったのです。その瞬間、私の目はきっとキラリとしたはずです。罰が当たったと思ったからです。なんだい? 聞かせてくれと言うと彼は、人の不幸は蜜の味ってか? と言って笑いました。 

 彼と私は15年ほど前、バンドのメンバー募集サイトで知り合いました。彼は当時から、音楽のセンスよりも商いのセンスが素晴らしく、一緒にバンドをやっていた1年ほどの間だけ、CDやティーシャツやステッカーなど、バンドのノベルティーグッズの売り上げが倍増したのを思い出します。まるでバンドの人気が上がったような、そんな心地よい勘違いをさせてくれました。しかし1年ほど一緒にやったところで、彼は突然いなくなったのです。そんな彼が10数年ぶりに私の前に現れたのです。 

「俺が会社を始めたきっかけは借金だったって、言ったっけ? そうなんだよ。それまでは俺もお前と一緒で、ちゃんと本気でプロミュージシャンを目指してたんだよ。でも諦めたね。もうそれどころじゃないって。だからお前と会った時の俺はもうミュージシャンじゃなかったんだよ。俺にとって音楽はただの借金を返すためのツールでしかなくなってた。悪く思うなよ。俺には俺の立ち位置がある。とにかく借金を返さなきゃならない。そのために必要なのは、そっけない金融機関の審査や、目付きのアブねぇ町金の連中じゃなくて、何にもわかってないくせに荒唐無稽な夢ばかり見て、怖がりもせずに突っ込んでいくような、夢も現実も、味噌も糞も一緒くたな奴らだと思った。それならミュージシャンか劇団員かなって思ってさ。結果、俺のその勘は当たってたわけさ。俺は連中の中から芽が出そうな奴らを集めて小さなプロダクションを開設して、それがとんとん拍子にうまくいった。ほら、『Enterbrain』ってバンド知ってるだろ、ポッキーのCMの。あれうちの子だよ。とにかく、借金の返済に目星がついたら、わけわかんねー夢ばっかり見て現実をみない、面倒クセェ連中と音楽ごっこなんて嫌なこった!ってなったわけ。understand?」 

 確かに、うちのバンドは彼のおかげでノベルティーグッズも売れて、ライヴの出演依頼も増えて、ひょっとして、このままメジャーデビュー行けるんじゃないか?と疑わせるところまでいきました。私もそれはひとえに彼の商才のおかげで、彼もそんな自分の才能を十分に理解していましたから、自信を持って当然だと思うんです。でも私はそんな彼の態度がとても嫌だったのです。俺はノベルティーグッズを売りたいんじゃない、楽曲を売りたいんだ! 

 あのさ、あの音源貸してくんねぇ? 彼は言いました。 音源を? どうすんの? 私は尋ねました。

 今がチャンスなんだよ、使いたいんだよ、あれ。そうしたらすべてうまくいくんだよ。

 私は、 大事な音源だから貸せないな。そう言いました。彼の本心を探ろうと思ったのです。 

 いやいや、それおかしくねぇ?俺もギター弾いてんだからさ、俺にも使う権利があるだろ? 

  ないよ。あれはメロも歌詞も全部俺が作った曲だから、権利は全部俺にある。 

 おかしい!おかしい! じゃあお前があの音源で金稼いでも俺には1円も入らないって事? 

 お前は俺の作ったコード進行にちょっとリフを乗せただけだからないも同然だ。 

 それ絶対におかしいって! 

 お前がそうしたんだろ。アレンジでも何でも、何を訊いても、「別にいいんじゃん、それで」しか言わなかったじゃねーかよ。バレてたよ、お前が片手間でバンドやってたってね。そんな奴に俺は1円も渡す気はない。

 そんなくだらない過去のメンツに拘ってる場合じゃねーんだってさ。彼はもう笑っていませんでした。 

 何があったのさ? 私が言うと、彼は、

 俺、先月オヤジになったんだ。と言ったのです。 

 え? あ!そう。それは、おめでとう! 

 彼はもう50歳を過ぎていますから、それはとてもおめでたい事です。 彼は続けました。 

 だからさ、1からやり直したいわけよ。 


 ご存じの通り、私の店には、『今の子』『昔の子』という2人の少年がいます。彼らはそれぞれの理由から、若くして時間の括りから抜け出て、たまたま私の『今』とリンクして私の店にやってきたのです。彼らが応桑諏訪神社の道祖神である事はこれまで何度も言ってます。しかしその前に彼らは、我々に五感を示す『今』という存在でもあり、おそらく全ての時代が見えていると思われるのです。なぜそう思うのかは私もよくわかりません。しかし、彼らの会話や行動を見て私は少しずつ、彼らは私の『今』そのものであると推察できるようになったのです。

 音楽で1からやり直したい。娘を一流ミュージシャンの娘にしたい。 

  彼は言いました。しかし彼はなにを1からやり直すと言っているのでしょうか。いったん死ぬと言っているのでしょうか。 

  『死』は人間が作ったモノです。『生』もまたそうです。『今』を無理矢理にこの2つに分けた時点で、我々は何もわからなくなったのです。 

  一流ミュージシャンって言うけどさ、お前そんなにいいミュージシャンだっけ?

 私が言うと彼は、

 金儲けのためにやってた俺を本当の俺と思うなよ!自慢じゃないけど俺は天才だよ。ギターの神様だよ。 

 私は ハハハ、と笑いました。私の知るかぎりの彼のギターはいかにも子供っぽい速弾きでした。天才の真似をした少年が弾くギターそのものだったのです。 

 おい!何で笑うんだよ。じゃあ正直に言おうか、あの音源、お前が歌うより俺が歌った方が絶対に良かった。ギターも俺が全部弾いた方が絶対に良かった、そうすりゃ売れた。なにより俺が確実に絶対に売った。

 俺の楽曲じゃねーかよ!

 楽曲は認めてやろう。俺は楽曲作れねーからな。まあまあの曲だ。そのまあまあな曲を、俺が確実に売ってやろうと言ってるんだから感謝してもおかしくないぐらいだぜ。

 だから、なにがあったんだって? 彼はようやく本当の事を言いました。 

 騙された。会社を、乗っ取られた。 

 理由は知りません。ただ彼は相当に追い詰められているようです。もう首に縄を掛けているか、或いは屋上に靴を揃えているか、恐らくはそんな状態でしょう。だからこんなに必死になっていろんな所を回って『今』を回収しているのです。もし次の『今』が見つからなければ、彼はそのまま足を浮かせることになるのかもしれません。

 私は音源を彼に渡しました。彼は、ワルイね。でもイイの? お前のギター全部消えちゃうけど、いいの。と言いました。

でもな、くれぐれも楽曲は俺の楽曲なんだからな。絶対に俺のクレジットで発表しろよな!

 彼は、I guarantee!(確約する!)と言って、音源と共に店を出ていきました。

                   * 

  今、彼は誰なんだろう。どこでうまくいっているんだろう。

あの野郎……、確約しといて、俺の名前でクレジットしなかったな。全く酷ぇ奴だ。

子供はもう、だいぶ大きくなった事でしょう。店の窓から見ると、強い風が吹いているようです。でも『春一番』ではないようです。 


『いきてるきがする。』《第7部・冬》


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第49章『一次関数』

 

 見上げたらバッサリと、何もかも切り落とされた空が我関せずと広がっていて、昨日などまるで無かったようだ。 

 さて俺はこれから、どっちに進めばいいのだろう?  

 真っ白く光る土の道を、俺は歩いた。とにかく誰かに会いたかった。 

 どれぐらい歩いたかな。1時間? 10時間? 100時間? それにしても暑いなぁ……、夏って、こんなに暑かったっけ? それに夏ってこんなに、長かったっけ? 

 のどが渇いたので川の水を飲もうとしたらザリガニやドジョウがたくさんいる水はとても澄んでいて、でもいざ俺が飲もうと顔を近づけるとたちまち、奴らは泥を巻き上げて畔の中に隠れた。俺に飲めなくしやがった。 

 水はたちまち汚れてしまった。そうか、汚いのは俺だというんだな。俺だけが世界でたった一つ汚れているんというんだな。俺が動くと世界が汚れてしまうというんだな。この考えの卑しさといったらなんだ? 水に映った俺の顔は何だ? ガリガリのシワシワで、もうジジイの様じゃないか!  

 冗談じゃない! 俺はまだ小学生だぞ! なぜこんなに汚い?  

 そうか、わかったよ……。みんなまとめて俺が喰ってやるから。俺はザリガニとドジョウを捕まえて河原の焚火に投げ込んだ。そして焼きあがるまで1人で遊んだんだ。まるで子供の様に、知らない民家の木に登り、しばらく遠くを眺めていたら、なぜだか急に涙が出そうになってきたもんだから、慌てて飛び降りたら足から変な音が出た。でももういい、もう気にしない。そのまま足を引き摺って、誰もいない納屋に忍び込んで、甕の水をたらふく飲んだ。あぁ、いい気分。きっとそのまま暫く眠ったんだな。 

『この子がいなかったら、みんなで旅行に行けたかも。犬も猫も飼えたかも。妹も死なずに済んだかも、俺もお前も、あんな恥ずかしい思いをしなくて済んだかも……。』 

 項垂れた夫婦が小さな布団を挟んでいる。布団には眠る子供。きっと俺だ。まだ何も気づいてない頃の俺だ。 

 外に出た。焚火はすでに燃え尽きていて、掘り返すと真っ黒に焦げた頭蓋骨が出てきた。そしてその近くからぞろぞろと、朱鷺色の焼けたザリガニや琥珀の腹を反らせたドジョウたちがうじゃうじゃと出てきた。どれもこんがりと焼けている。全て俺の仕業だ。俺のモノ。俺は食った。

  腹が減ってて本当によかった。じゃなきゃ、こんなに汚い命が自分だなんてとても耐え切れないよ。今の子は大変だな……。そりゃ辛いよな……。毎日毎日、腹も減らずに、のども乾かずに、ただただ嫌な事ばかりを目の前に並べられて……。 

 と、つまりそういう事ですね?             


 中学校に通っていない今の子に私は、「勉強なら私が教えてやる」と、余計な事を口走ってしまいました。中学生ぐらいなら私にだって教えられる。そう思ったんですが……。 

 いざやってみると英語以外はまるで覚束ない。本当に忘れているんですね。苦労している私を見て、昔の子が言いました。 

        

 だからつまりこの『一次関数』というのは、xとyがある特別な関係にあって切っても切れない状態なのを数式であらわしたものですね。 

 まあ、そういう事だね。 

 xとyは、仲がいいんですか? 悪いんですか? 

 え? なにそれ? ちょっと、よくわからない質問なんですけど……。 

 わかりにくい事は擬人化するとよく判るんです。例えば、xとyがメチャクチャ仲が悪いと考えたら、割とすんなりわかると思うんです。 

 そうかな。どうして? 

 たとえば、y=3x。 


 yはxの3倍。yになるにはxは今の3倍にならないといけない。体が小さいxは何とか頑張ろうとするが、所詮はチビなのでとりあえず虚勢を張るしかない。そうしてがんばっていれば、いつか神様が現れて、僕を憐れんで、よく頑張ったと褒めてくれて、yと同じにしてくれる。真っ直ぐで綺麗な橋を掛けて、さあ、ここを渡っておいでと手招きしてくれるに違いない。 

 だからxはひとまず嘘をついて同じになろうとするんですね。『3』という山高帽子を被ったりして。 

 いや、それはちょっと違うよ。xは3倍になって、本当にyと同じになったんだ。まったく同じになったんだよ。 

 じゃあ、なぜ、いつまでもxと呼ぶんです? y=yでいいじゃないですか。なぜ3倍になってもxがついて回るんです? それは誰もそれを望まないからですよ。誰にとっても都合が悪いからです。いくら同じだと言っても、周りはxはずっとxのままだと思っている。そう思っていたい。3倍になるのは大変ですよ。嘘をつき続けるのも辛いです。でもそんなxの努力など誰も認めない。 

「アイツは、山高帽なんかを被ってyぶってはいるけど、本当はxだぜ」 

 でもy=yじゃあ関数にならないからねぇ……。 

 そう、それです。結局、面白くないんですよ。平等ってそういう事を言うんです。まるで違うモノを無理やり同じように見せかけておいて、はい、平等になりました!よかったね、世界は平和です! なんて口先では言いながら、でもほら、見てごらん、あの尖がった目。短い手足。あれは間違いない。xだよ。 

 君は、じゃあ、yは嫌な奴で、xは可哀そうな奴だと、そう仮定するとうまく理解できるというんだね? 

 まさか! 問題を解く人間がどちらかの味方なんかするなんてあり得ない!俺は両方、必ず幸せになってもらおうと努力するんです。差別がない、何ら噓偽りのない穏やかな世界を、xにもyにも平等に与えてあげる。そのために俺は必死に計算するんです。そしていつか彼らに=で握手をさせるために。 

 素晴らしい! それこそ理想の世界だ。様々な差を差として理解した上で平等を築く。これこそ正解だ。君の言うとおりだよ! 

  

 はい、そう思ってました。でも実際はそうじゃなかったのです。都合が悪いのはなにもyばかりじゃあないんです。一見虐げられて卑屈そうに見えるxにとっても事情は同じなんです。xも実はyになんか少しもなりたくないんです。憧れてもいない。yはいつまでもxを矮小なニセモノだと思っていて、xはいつまでもyを意地悪な偽善者だと思っている。その状態が一番都合がいいんです。俺が必死に計算しても、=で渡しても、どちらもその橋の両側でいがみ合うだけで決して渡ろうとしないんです。それでもしつこく橋を渡そうとすると、ついには両方からこう言われるのです。 

  

 邪魔なんだよ、お前。 

 え? またちょっと、なに言ってるかよくわからなくなってきたんですけど……。 

 俺は必死に問題を解いた。そして、y=3xを成立させたんです。でも彼らは大きなため息をついてこう言います。 

 あのさぁ、計算しちゃったらさ、せっかくのy=3xが、y=yになっちゃう、って事でしょ。 つまり0=0と変わらないって事だよ。お前ら両方消えろ! って言ってんのと同じなんだよ。まったく何してくれてんだよ。何でそんなヒドイ事するんだよ。 

 戦争は誰かの利益のために誰かがやってるとでも思ってた? 馬鹿だね。全てが、全ての存在が、アイデンティティが、すでに戦争そのものなんだよ。戦争を否定する事は、全世界を否定する事と同じなんだよ。神様の橋は誰も望んでいない。なぜならば、 

全ての幸せは、全ての正義は、不平等の中にしか存在しないからだよ。  

 xとyは仲が悪かったわけじゃないんです。仲が悪いフリをする事で、お互いを補完してたんですね。彼らの理想はそういう不平等な『平和』であり『愛』なんです。それ以外、彼らには想像する事すら出来ないんです。それにも気付かずに俺は、平和のため、愛のためだと、しなくてもいい計算なんかして、世の中をグチャチャにしていたんです。そして結局俺は1人で耐えていた。誰もいないわけだよ。俺が1人で戦争を起こして、1人で耐えていたんだから。 

 ん~……。 

 でもね、俺はそれでも計算するからよかったんだと思えるんですね。足の骨が折れてても尚、ザリガニやドジョウを喰ってでも生きようとした、そして歩き続けた自分がいたからこそ、俺は今の子と出会って、そしてこの店にも、店長にも出会えたわけですから。 

 ん~……。          


 だからぁ、xとかyとか言ったって新しい事は何もないんだよ。ただ違う数字だという事だけ理解していれば、あとはなんでも。答えはね、1つじゃなくてもいいんだよ。そこが小学校の『算数』と中学校の『数学』の一番大きな違いかもね。 

 しかし息子はもう聞いてもいません。明日、数学のテストだと言うのに、「あ!そうだ!」と言ったかと思うと、何やらゲームのコントローラーをいじり始めました。 

 おいおい、もう勉強終わり? 

 ゲームの時間があと15分余ってたのを思い出した。 

まあ、私の子ですから、嫌いな事はやらないんでしょうね。 

でも私の中学生の頃よりも、断然成績がいいのは妻に似たのでしょうね。 

 寒いんだから、ゲームしてるぐらいならサッサと寝ろ! と言って、私の方がサッサと寝てしまいました。 


第50章『足並み』


 あまり自分の時間を安売りするのはもうやめよう、と思いました。だって私にはもうそれほど冗長な時間が残されているわけじゃない。しかしいくら私が『今』に全てが含まれているのだと知っていても、この世界にはシーケンシャルなモノを基本として駆動するという悪い癖があって、そこには『時間』という粗悪な燃料があって、『足並み』というおざなりなギアレシオがある。それをどうするべきか。 

 足並み……、か。 

 別に足並みが乱れたからと言って個人が困る事は何一つ起きないはずなのに、足並みを乱すと、風紀が乱れる、風紀が乱れると、平安な生活が脅かされる、となぜかどんどんネガティヴな方向へと発想を持っていき、せっかく『今』が暖かな陽だまりに包まれて、風は穏やかで、腹も背も痛くないにもかかわらず、まるで悪い事の前兆であるかのように解釈されてしまう。これがいわゆる『不安』の正体です。 

 不安……、か。 

 先月辺りから私の所にも欠礼の葉書が例年よりもずっと多く届いています。多くの知人の親族がなくなったという事です。私の義父も今年の春、亡くなりました。 

 それはもう『不安』ではないんだね。もう諦めないといけない、耐えないといけない事なんだね。とシーケンサーはなぜか得意げ。この時とばかり畳みかける様に慰めてきます。

 ここにきて急に強まった冬の刺すような寒さも追い打ちをかけます。夏、目覚ましアラームよりも30分も早く、小さな鼻息をフンフンさせて起こしてくれていたネコは、ここ一月ほどはすっかり起こしてくれなくなりました。飼い主としては薄ら寂しい朝になりました。 

 早出の日はだいたい5時前には出掛けますね。だから4時には起きます。当然この時期、外はまだ真っ暗です。軽い鉄扉をなるべく音をたてないようにそっと閉めると、私はバイクを、ろくに暖機せずに走り出します。心のどこかに、中国製の125ccバイク、という侮蔑があるような気が、毎朝しています。 

 朝焼けの美しさだけがホンモノの『今』を感じさせてくれます。『今』が全てだと気付いたというならば、その『今』の一番美しいところだけ抽出して味わう事が出来るはずなのですが、それがなかなか、これから仕事だと思うと難しいのです。 

 『今日は戸田から板橋、足立、江戸川から千葉の茜浜。そのまま357で戻って有明で積んで横須賀。下で帰って事務所に着くのは18時。実働12時間……。 

 もうだいたい、夕方の自分の疲れ果てた姿が予想できるのです。不満ですか?あぁ、とても不満ですよ。うちは12時間働いても給料は8時間分しか出ないんです。そういう会社なんだそうです。 

  でもいいでしょうか? 予想なんてしたら絶対ダメなんですよ。人生、予想したら終わりです。 

 昨日も三つ目通りで、大型トラックが乗用車と事故を起こしましたね。ニュースでも報道されました。大型が積んでいた荷の種類が悪かった。ご愁傷様です。私はその時、そのすぐ前を走っていたんです。煙が上がるのが見えたのですが、自分が夕方に疲れ果てている姿を予想していたのでそのまま茜浜に向かってしまったのです。 

 もし、もしですよ。私がすぐに車を路肩に止めて消火作業に掛かっていれば、あの人は死なずに済んだかもしれない。 

 ぶつかられる直前まで、あの人は、「正月の前にクリスマスがあるなぁ、アイツ何欲しがってたっけ? スイッチ、とか言ってたなぁ、最近はおもちゃもバカに出来ないからなぁ、サンタも楽じゃねぇ……」なんて事を考えていたかも知れません。 

 でもその人のクリスマスは、来なかったんです。 

 もし、もしですよ。その人がそんな事を考えていなければ、『今』の一番美しいところを抽出して楽しんでいれば、たとえ助からなかったとしても、悲劇は劇的に軽減されたはずです。 

 人は際限なく悲惨になれます。それを避けるには、今以外の事を『今』に混入させるのを一切やめる事です。どんな事があろうとも、『今』『今』でしかないんです。楽観でも悲観でもない。結果の良し悪しを導いたり、遠ざけたりする事は、万に一つもないのです。 

 「仕事、終了しました。」そう無線を入れると、「お疲れ様です。じゃあカムバックで」と言われます。 

 私はそれから2時間ほど、1円にもならない時間に、空荷のトラックを走らせます。 

一切、予想はしません。どうしようか。とにかく今、どうしようか。 

 私の直近の夢として一番デカいモノに、『キャンピングカーを買う』というのがあります。キャンピングカーで最も人気があるのが、2tトラックベースの『キャブコン』と言われるサイズで、1000万円近くするものもあります。 

 これは、キャブコン。 

ヘッドライトは、キャンプ場へ続く道を照らしている。後ろのキャビネットには食材と、夕食をしたくする妻と、運転席の上のバンクベッドに寝転がってスイッチに興じる息子がいる。 

 おい、暗いところでゲームすんな! 

私は上に向かって話し掛ける。キャンプ場にはランタンがあって、バーベキュー用の備え付けのコンロがあって。 

 私はそうやって本当に自分勝手に足並みを乱しているはずなのですが、でも、ほらごらん。 

 誰も困らない。 


第51章『2会目』


 珍しい人から連絡があり練馬に来ています。以前は練馬に住んでいて、息子が生まれた時はまだ練馬区民でした。連絡をくれたのは小学生の頃の同級生で、今は郷里で料理屋をやっている人間なんですが、たまたま関東に出てきたので、久々にどう? という事で呼び出されたわけです。 

 かつての最寄り駅である江古田駅を降り、小さい方の北口改札を出ます。そこから斜めに入る小道をいくとその先に小さな公園があるんですが、そこに1本、背の高いメタセコイヤがあったのです。見ると私は、いつかそのてっぺん近くで小学生が おーい! と叫んでいた記憶が蘇ります。 

 危ないから下りなさい! 私が思わず叫んだのに、その少年はわざと枝をゆさゆさと揺すって、ボスザルさながらな権力を振りかざします。あの高さまで登れるのは、いくら身軽な子供でもその少年だけなのでしょう。木の下では群れの平ザルの様な少年たちが、やや羨望の眼差しで見上げています。高さは優に10メートル以上はあります。落ちれば確実に死にます。 

 しかし、砂場で子供を遊ばせているバギー軍団のお母さん達は何の関心も示しません。きっと日常の光景なんでしょう。あまりにそっけないのでそのうち私も、そんなに危なくないのかな……、と思えてきて叫ぶのをやめたのです。 

あれから8年……。 

 メタセコイヤは切られていて、そこにはブランコが出来ていました。 

 砂場やレジャーテーブルは昔のままだったのですが、昔ほど子供でにぎわっておらず、入り口には『サッカー、キャッチボール禁止!ペットの連れ込み禁止!』 

という、ありがちな看板が立っていました。 

 約束の時間までまだあったので私はかつて住んでいたマンションまで行ってみる事にしました。 

 そこは4階建てのマンションの2階にある1DKで、自転車置き場はなく、ハメ殺しの窓は開かない、風呂は2度焚き出来ず、ガス台は一口。おまけに以前は反社会組織の事務所だったらしく、突然○暴の警察官がやって来て、 

 おい!ここで何やってんだ! なんてドアをガンガン叩かれ、それでいて家賃10万円強という、今と比べたらすさまじい悪条件だったのですが、当時の練馬の家賃相場から考えたらそれもきっと日常だったのでしょう。私も、東京で暮らすなんてそんなモンだろうと、何も疑わずに住んでいたのです。 

 見るとベランダに、息子が通っていた幼稚園の制服が干してありました。きっと我々の後に住んだ家族の子供が、同じ幼稚園に通っているんだなぁ、とほっこりとみていたのですが……。 

 しかし、どう見てもそれは息子の制服でした。 

 そんなはずがあるわけがありませんが、でもほら、ちゃんと息子の名前も書いてある。ん~、また『今』がワイドになって、8年も経ったのに『今』のままのようです。 

 正直、たまに不便ですね、この『今』の在り方は。だって誰にも共感を得られない正解は、一般的には『間違い』という事になるのでしょう? つまり私は目の前の光景を『間違い』と判じる必要があるのですから。 

 まあ同姓同名の子がいないとも限らない。こんな誤魔化しで煙に巻いて私はそのまま、息子がよく遊んでいた『八雲公園』に向かいました。『八雲公園』にはコンクリートの大きな滑り台があって、息子は当時、そこを上まで駆け上ることが出来ずに悔しくて泣いていました。またそんな、可愛い記憶が蘇ります。 

 夏はやぶ蚊が凄くて、『ここの池で水遊びをすると必ず風邪をひく』というジンクスは、8年経った今でもママたちを悩ませているのだろうかと見ると、さすがにもう冬だからもう水はありませんでした。やぶ蚊もいません。しかし夏の名残のセミの抜け殻が、欅の落ち葉に混ざってあちこちに落ちています。時間はこうやって経っている様に見せかけておいて、ある部分では経っていないのですね。そして私が来ると慌てて『今』に混ぜこぜにして、さもその通りの時間が流れましたよと言わんばかりの誤魔化しをやるのです。 

 セミの抜け殻は、きっとさっき羽化したばかりなのです。違うと言えますか? なぜ? 見てもいないのに? それにそうじゃないと、これからの話がまた全部『間違い』になってしまいます。わざわざ練馬まで来たのに、それもすべて。 

 私はシーソーに腰を掛けました。買った覚えのない缶コーヒーを握っています。すると、おーい、ここここ、と滑り台の上から声が聞こえました。それは約束の彼女で、彼女はコックスーツのまま私に向かって手を振っています。 

 もういいよ……、わざと時間と場所をごちゃごちゃにして、そんな事で不思議なお話を捏造しようとしている。もうこれ以上お前のつまらない作り話に付き合っていられない。そうですよね。やめましょうか? いいですよ、やめても、しかし……、 

 あり得ないと思える事や、つまらないと思える事から目を逸らしたり、自分が納得いかない事や興味がない事をすべてない事にしていたら、最後の最後に自分の手の中に何が残ります? 

 おもちゃ箱の蓋ばかりが残るのです。なにか『期待』はあったのですね? それはわかります。でもそれはおもちゃ箱の蓋を開けるまでの話です。ふたを開けたら、あとは結果が出てくるだけ。それは? 本当に望んだものでした? そんな事が一度でもありました? そもそも貴方は、本当にそんな結果が欲しくてその蓋を開けました? 私にはそうは思えない。蓋は意思に関わらず勝手に開いた、違います? 

 そしてただガチャガチャとうるさいエピソードの蓋だけが残るのです。その前後に付随していたはずの『希望』『予想』など、初めからなかったのです。 

 だから、私は必死に『今』を見ようとするんじゃないですか。見えているのは、聞こえているのは『今』だけなんです。ゴチャゴチャ勝手な判断したり、期待を掛けたりするなんて事は、そもそも出来様がないのです。 

 しきそくぜくう?? くうそくぜしき?? 私はそれがなんの意味かすら分かりません。科学ではある物が消える事はないと言いながら、宗教では常にある物は何もないという。そしてそれは両方正解だという。矛盾にしても単純すぎます。 

 まあ公園でウロウロしているだけなのに、先達お歴々のお言葉を論って大袈裟に話を膨らませる必要もないでしょう。先を急ぎます。もう、終わりますから。 

 彼女とは初めはわかりませんでした。そればかりか私は、約束したのが彼女であった事すら、その瞬間に知ったのです。 

 滑り台から降りてきたのは、真っ白いコックスーツを着た、出会ったばかりの頃の初々しい彼女でした。 

 なんで、コックスーツなんか着てるの? 

 わかってるくせに……。 

 浅草のカッパ橋で買って、そのまま着てきたのだという。 

 うん、わかってる。それでずっと心の中に蟠っていたから、こういう事が出来た。 

 君の店に行きたい。君の作った料理を食べてみたい。 

 来年かな。 

 来年か……、まあそれでいい。 

 僕らは明らかに、冗談のように、そして合言葉のように『来年』と言った。来年はすぐそこの様であって、永遠に来ないようでもありました。 


  

 そして私達は笑い合って、そのままフラフラ練馬駅まで歩いて『福ちゃん』という博多ラーメン屋に入った頃にはもう、私の覚悟は決まっていました。入ったすぐ右側の席に着くと同時に私はプロポーズしたんです。 

 ラーメン屋か……。と呟いた妻の顔が忘れられません。 

 この結果は確かに私が望んだものでした。私は彼女にとても感謝しています。もし彼女から電話がなければ、私は妻と結婚できなかったでしょう。でもそのためにはもう一つ条件があったのです。それは公園のメタセコイヤが切られなければならなかった事。やはり事故があったらしいのです。私は妻と結婚した事と、なぜもっと強く少年を叱らなかったかという事が未来永劫パックになっている事に気付きました。  

 だからね、何かというとすぐ結果結果って言うけどさ、ナニ? 何で勝手に線引いちゃうの? その結果が終わったってどうやって誰が判断すんのよ。出来事は、基本、未来永劫、終わらないの。今、こうやって、飲んだくれてくだまいてる事だって、ちゃんと未来永劫終わらないんだよ。 

 店の運営が芳しくないと、すっかり酔っぱらった彼女は愚駄を巻いています。コックスーツは少し汚れてしまいました。明日帰るというけど、何処に泊るの? と訊くと、池袋の漫画喫茶だと言いました。 

 彼女とは人生でもう1度、会います。 

今回はその『2会目』。 


第52章『サンタクロース的』


 季節が冬っぽくなってくると思い出す事があります。それはサンタクロース的なオジサンが実際にいたという話です。 

  私の古い友人で1年ほどホームレス生活をしたヤツがいます。私と同じで、夢を追いかけて上ばかり見ていて、足を踏み外したのです。90年代以降、日本経済は急減速し、増えましたもんね。ホームレス。彼もその一人。

 今日本の1人当たりのGDPはOECD加盟国内でも19位と振るわず、かつての経済大国の面影はもうありません。失業率も上がり、持ち家を手放す人や、ホームレス生活に落ちる人、自殺者も増えているのです。

 『今』、世界はしょんぼりと沈み込んでいますよね。景気は冷え込む一方なのに温暖化は進み、貧富の格差は広がる一方なのに疫病は等しく蔓延しています。いったいどっちが本来の姿なのかわからなくなりそうですね。絶望と恐怖と不安ばかりが雲の様に全世界を覆うこの時代を、きっと100年後の教科書は『暗黒時代』として表記する事でしょう。あ、因みに、まだまだ終わりませんからね。この時代……。 

 しかし彼は「ホームレスは決してドリームレスなんかじゃない。あの時、オレはホンモノの夢を見た」と不思議な事を言うのです。


            

 アルタの前を道なりに緩やかに右を向いて、山手線の下を潜るよう左折しようとした時、暗がりからスーッと影のようなモノが飛び出してきたんです。私は思わずブレーキを掛けました。危ない! でも見ると誰もいない。 だから私は、あぁ、あの人だなぁ、とそう思う事にしたのです。勿論、実際は目の錯覚なのでしょうけどね。冬の夕方は特に見え辛いですから。 

 かつて新宿駅東口にはフェンスで囲まれた『聖域』がありました。今はもうありません。そしてそのフェンスの内側には数体のオジサンは住んでいたのです。オジサン達野良猫の様な警戒心を以て、常に怯え、僻み、怒っていました。 

  危ねぇだろ!! 飛び出したオジサンの持つワンカップには雨水の様に空しい酒がほんの少し残っているだけでした。 私は、まあまあお互いさまで、とオジサンを宥めます。オジサンにとって『今』は、わずかに残った酒のように大切でかけがえのないモノだと知っているからです。

  あの頃の日本はまだ、世界を相手にはしゃぐことが出来ました。街のあちこちには今からは想像もつかないほど豪華なクリスマスのイルミネーションが狂ったように飾られて、社会全体が正体不明の熱に浮かされていたのです。こんな状態は長くは続かない、そのうち足を掬われる、その事を、本当は誰もが知っていたのです。知っていながら誰もそっちを見ない様にしていたのです。その頃から、現実は現実ではなくなり、『今』使い捨てようにその都度廃棄されるだけのモノになったのです。

 なぜそういう心理に傾いたのか。自分の立つ地面の傾きと、体の傾きの整合性を疑う。 

 それが本当は一番重要な事だったのですが、そんな生産性のない事を気にするモノはあの時代、自殺者以外は誰もいませんでした。 

 やがてその矛先はかつての宿敵に向きました。コテンパンにやられた腹いせの様な、それはどこか復讐のようでもありました。それならそれで変な気を遣わずに、もっと露骨に、最後まで復讐すればよかったんですが、あの時、パンツまで脱がされて、公衆の面前で土下座をさせられた事に対する永遠にぬぐえない屈辱が、持ち前の謙虚さに似せたシニカルな気取りとなって、結局その邪魔したのです。 


 友人が最後の吐息をつくと、オジサンは、お前にはまだまだ先があるのに、かってに終わらせようとしている。お前にはまだまだ可能性があるのに、使わずに捨てようとしている。悲しくもないし腹も立たない、ただ羨ましいだけだ。そう言ったそうですよ。 

 友人の命日にあたるクリスマスイヴは、もう私の中にはありません。消えました。あの頃、私と友人の共通点は、『天才の名を恣にして27歳で惜しまれつつもオーヴァードーズでこの世を去る』といういかにも単純で、簡単に手に入りそうな夢だけでした。 

 あの日、私と別れた友人は1人で歌舞伎町で飲み直したそうですよ。あんなに飲んで、足元も覚束ない状態だったのに、そのあとまた1人で……。 

 案の定、彼は何件目かの飲み屋にギターを忘れてきてしまって、ちょうどそのフェンスの前で気が付き立ち尽くしたと言います。見上げると煌びやかなイルミネーションが空しく、あぁ、もう先に掴んじゃおうかな、そうすりゃ、あとは誰かが何とかしてくれるんじゃねーかな……、と、ふとそう思ったそうです。 

 夢を追うのは楽じゃない。でも追わないのはもっと楽じゃない。つまり消去法で生きてきたわけです。消去法とはつまり、『逃げ』なわけです。追っかけているようで、実はずっと逃げてきた。そしてまた、今1人でこうして、夢とも現実ともつかない世界をウロウロして逃げ道を探している。

 その時、誰かと肩がぶつかったそうです。 

「オラぁ! お前誰にぶつかってんだよ!」と数人の男は友人を必要以上に強く突き飛ばしたそうです。タイミングが悪すぎました。友人は立つのもやっとなほどベロベロに酔ってい上に、杖となるギターを置き忘れていたのです。 

 頭を強く打ったのが致命傷だったようです。頭の中を、暖かいモノが流れるのを感じたと言います。それは血管が破裂したことを言ってるのでしょう。ほどなく意識が遠退いて目が霞んできたと言います。しかしそれにつれ、それまではただ煌びやかだったイルミネーションの、それまでは気が付かなかった辺鄙な括りが溶け、様々な人の形や会話に変ったといいます。俺はバカだったと、友人は笑います。 

 クリスマスイヴとか、イルミネーションとか、歌舞伎町とか、天才とか、オーバードーズとか、あってない様なモノにばかり目を奪われていて、実際に目の前にあるイルミネーションが本当は何なのかすら全然わかっていなった。イルミネーションに交じって、

 やだ、死んでる……。死んでるよね? あれ。そんな声も聞こえたそうです。 

 まあ当然でしょうね。きよしこの夜、美味しい料理を食べて、お酒も飲んで、プレゼントも貰って、とてもいい気分。楽しい時間がひと段落、さあ、これからさらにイヴの夜を楽しもう、そう思っている人にとっては、あり得ないほどの『クズ』のような人間を見た場合に対するそれは『慈悲』という優しく正当な『虐待』なのです。障害者を指さす子供に対してお母さんが言う『指さしちゃダメ!』という、あれと同じですね。指をさす事すら憚られる人間が、確かにこの世にはいるようです。大概の虐待は、こうした優しさから派生しているように思えます。天才の名を恣にするはずだった友人は『クズ』として心無い『慈悲』を浴びたのです。こういう優しさがないところには虐待はないのです。つまり優しさは虐待の種なのです。 

 友人の葬儀の時、いつも優しい顔で笑ってくれていた友人の母親に、何で最後まで一緒にいてくれなかったの!と激しく詰め寄られました。私は『そんなこと言われても……』と思いましたが黙っていました。これも優しい虐待に当たると思います。息子が先に亡くなるなんて絶対にあってはいけない事でしょうね。でも私はその時、ただこういえばよかったのです。 

 お母さん、アイツがどうかしたんですか? 

 え? ときっと母親はきょとんとしたに違いありません。それで、そうね、そうよね。と照れくさそうに頭を搔いた事でしょう。友人が倒れたところには偶然水の入ったビニール製のウエイトがあったそうです。オジサンは偶然を装ってそこに置いたらしいと、友人は言いますが、私は偶然を装う必要など少しもない気がします。ただ、夢を追う友人にとってそれは是非偶然であって欲しい。オジサンはイルミネーションの中から現れて、先ほどの言葉を言うと、そっとそれを首の下に置いたと言います。それはまるでサンタクロースのようだったと。


 私が見た影はきっとそのオジサンの一人だと思うのです。残りの酒を、グイっと煽ると、オジサンはもとの所に消えました。いる事は確かなのですが、それは霊でも、妖精でも、宇宙人でもありません。それは誰しもの手の下に、当たり前に出来ている影の様に、『今』がふくよかに織りなす単純な出来事の一つで、そういう我々がそもそも、そういう出来事の一つなんです。 

 そう思うとやっぱり、生きているって素敵ですね。そう意識するだけで、いろんなモノが見えて、いろんな音が聴けて、美味しいモノが食べられて、好き合ったり、嫌い合ったり、時間なんてあっという間に過ぎてしまいます。

 あのクリスマスイヴから約1年間、彼は意識のない状態が続きました。彼の母親は今も、あの時はホント、生きた心地がしなかったわよ、と回想するそうです。 今は意識も戻り、順調に回復して後遺症もなく過ごしています。  母親は、音楽なんかやめなさい!そう何度も言ったらしいのですが、彼は今も月に1~2回のペースでライヴを行い、精力的に活動していますよ。 

 12/24ってさ、キリストの誕生日じゃないんだって。そんな文献どこにもないんだって。ただなんとなく日付を逆算したらだいたいこの頃、という程度なんだって。 

 でも良くない? それで。キリストが生まれた日で。キリストが生まれたという事実で、もう良くない?? 


第53章『100年の徒然』


『桃鉄』って知ってますか? 正しくは『桃太郎電鉄』。サイコロを振って出た数だけマスを進んで、日本各地に設定されたゴールを目指すという、まあ双六のようなゲームで、お正月には丁度いいです。我が家のリビングには元旦から、その『桃鉄』の軽快なサウンドが蜜の様な日差しの中に溢れています。所謂、素敵な『正月』です。 

 もとより『正月』とはこんな風に、徒然を如何にトラディショナルに過ごすかがなにより重要であったように思うのですが、ところがここ最近、『脱年賀状』など、おそらくは数百年スパンの大変革の時期を迎えつつあるように思えるのです。我が家にも、『今年限りで、年賀状卒業します!』なんて言う年賀状が何通も届きました。 

 正月をどう変革していくのか。これ、案外重要案件かも知れませんよ。 

 私が最後に双六をしたのは5~6歳の頃、母の実家で、やはりお正月だったと記憶します。襖をすべて取っ払い、ぶち抜きの大広間と化した和室の長テーブルには、酔っ払った大人たちの胴間声に混じって、伸びやかな子供の声がします。みんな双六をやっているのですが、私はその端っこで、みんなとは明後日な方を向いて座っています。 

 私のいとこは多く、私の兄妹も合わせると10人もいるのです。 

 知ってますか? 一見平和に見える双六も、場合によってはガッチガチの『イジメ遊び』に成り果てるんですよ。11人いると当然、駒が足りませんよね。だから2人1組でやるのですが、私だけ1人組。理由は誕生日に『6』が付かないから。他の子は全員、年か月か日に『6』が付くのです。これは始めからみんなわかっている事でした。何かというと、お前だけ『6』が付かない、ってあたかもそれが欠点であるかのように言われ続けてきましたからね。だから今回のこの基準も、明らかに私を1人組にすることを仕組まれたルールだったのです。おまけに一番初めに上がってしまった私は、あとは見ているだけ……。ワハハハ、と笑い声が起きても、え?何があったの? とたずねても、お前に説明してると話が長なる、とスルーされるのです。

 癇癪持ちの私が、こんなところでみんなと一緒に泊まるのは嫌だ!と母親に言うと、なんでまたアンタだけ他の子と違うこと言うの!なんで仲良く出来ひんの! と、私だけ叱られてしまいました。 私にとって、双六など、ロクなゲームじゃなかったんです。           


 『桃鉄』で息子を完膚なきまでに下した私は、「くそ、もう一回やろ!」という息子の声を背に、パーカーを羽織って外に出ました。私なりの正月大変革の一環として考えに考えた結果、煙草をひと箱買ってくる、というのを思いついたのです。20年ぶりに、煙草を吸ってやろうと思い付いたのです。 

 私が煙草をやめたのは30になる少し手前ぐらいでしょうか。咥え煙草で本を読んでいて、煙が目に染みるのが鬱陶しくて、そのまま箱ごとゴミ箱にドン!それきり吸っていません。私の禁煙はこうして、0.5秒で完遂されたのです。 

 だから、まあ1本ぐらい吸っても大丈夫でしょう。煙草を吸った瞬間、きっと私の『今』は20年前の『今』に少しくリンクするはずです。『今』が少しくヤニ色の染まるはずです。 

 コンビニでマイルドセブンを買おうとしたらその銘柄はもうない、強いて言うならメビウスです。と言われました。私はメビウスを買って躊躇なく火を点けました。青い煙が快晴の元日の空にスプレッドしていきます。 

『初煙草』いいんです。一富士二鷹三茄子。そして四煙草、知ってました?

 読んでいたのは幸田露伴の『五重塔』でした。のっそりは腕はいいが、如何せん人間がどんくさい大工。報われない天才に対して巨大なシンパシーを持っていた私がそっと感情移入しようとすると煙草の煙がその邪魔をして、 

 お前は大工じゃないし腕もよくない。ただ聞きかじりのギターを弾いて、バカな夢を見ているだけの、自分の盆百極まりない駄曲に付ける陳腐な内容の歌詞をデコレーションするための語彙と世界観を借りるのが目的の、打算的で貧弱な読書を恥ともしない、無神経で無責任な男だ、と言います。 

 そんな風に読書の邪魔をされる筋交いは誰にもないと怒った私は、そのままその、憎きタバコを握りつぶして捨てました。メビウスは買われて1分でゴミの束になりました。 

 『初怒り』これでいいんです。喜怒哀楽の一番しんどいのを使っちゃいました。 

 2度目の禁煙に成功した私は揚々と足取りも軽く店に向かいました。『初出勤』です。店にはもう2人がいて、あ、あけましておめでとうございます、と元気に挨拶してくれました。 

 あぁ、あけましておめでとうございます。今年も、暇かも知れないけど、腐らず頑張ってお店、よろしくお願いします。 

私はそう言いました。すると今の子がすぐに、なんか煙草臭いですね、と言いました。 

あぁ、そうわかる? さっき1本だけ吸ったんだよ。もう吸わない。 

 『今の子が煙草の臭いに敏感だ』という、今までにない『今』をみつけた私は、それを新年に見つけた新しい『今』で、すばらしい瑞兆だとしました。今の子の母親は、普段は吸わないのですが、機嫌が悪い時、或いは自暴自棄になっている時、自分を汚す意味で煙草を吸うのだと言いました。 

 そうか、煙草にはそんな使い道もあったのか。私はまた嬉しくなりました。他人のこういうサンプルをたくさん持って、私はきっとまたスタジオに籠って新しい曲を書くつもりなのでしょう。しかしそれは20年前の私であって、『今』の私ではないのです。 

 名曲が出来上がる事を期待しつつ、私は家に戻ってきました。家に入ると息子が開口一番、うえ! 煙草クセェ! と言いました。 

 そうか、まだそんなに匂いうか? 私は20年前の『今』が早く消えてくれることを祈りました。 

 20年前、私は、あぁ、もういい、そろそろ出かけよう、と、当時まだ付き合っていた妻に言いました。妻はもうとっくに準備が出来ていて、待たせていたのは私の方でした。勿体ない、と、妻は私が捨てた煙草の箱をみながら言いました。年明けのライヴに間に合わせようと、新曲の歌詞を練っていた私は完全に煮詰まってしまい、初詣に行く約束を、妻に待ってもらっていたのです。結局その曲はライヴには間に合わず、メンバーにも不評で没になるのですが、そんな事とはつゆ知らず、一世一代の名曲のつもりで、私は書いていたのです。 

 息子は『桃鉄』をやりたいけど煙草臭いのが気になって集中できない、と文句を言います。 

 そんなセンシティブなもんか。たかだか双六じゃないか。 私が言うと、 

 カードの使い方で、勝敗が決まるんだよ。と息子が言い返します。 

 じゃあ、煙草の匂いが完全に消えたらもう一回勝負するか。私が言うと息子は、当然、だってまだ21年しか経ってないじゃん。 

と言いました。 

 え? 私は息子のこの突然の、『今』を超越した言葉に一瞬たじろぎましたが、この『桃鉄』には100年モードというのがあるらしく、今はまだその21年目という事だとわかりました。 

 勝負はまだ全然ついてない、と息子は勇ましく言い放ちます。 

 そうだよ! 辞めるから負けが確定するんだよ!勝負の行方なんてな、人生が終わるまで誰にもわかるはずがないんだよ。でも出来ないと思ってやったら出来るはずがないんだよ。自分で決めるんだ。自分がそっち向いてんたらそうなる。逆に出来ると思ってやってたら、それは出来なくても出来た事に、最終的にはなるんだよ。いいか、だから、21年目の自分が今どっちを向いているのか、それをちゃんと精査しなけりゃいけないんだよ。そうじゃなきゃ、つまらない曲の歌詞を書くのに、四苦八苦して、初詣も行きそびれて、おまけに20年も、あんなに大好きだった煙草も吸えなくなってしまうんだよ。  

 な、何言ってんの? と息子は不思議そうに言いました。 

 何でもないよ。まだ、臭いか? 

 うん、だいたい消えた。じゃあ22年目に突入しますか!

 おう!負けへんで!! 

 2人とも、もうお昼だから一旦やめて。お餅、何個食べる? 

 2個!  


  第54章『暗い暗いツボの中』 


 せっかくいい感じに暮らしてたのに……。思わずため息をつきました。そんな事は私には珍しい。 

 正月休みはとても有意義な時間でした。息子ともたっぷりと一緒の時間を過ごせたし、我が家のツンデレ猫も概ね、私を歓迎してくれたようです。だがネットのニュースで『うつ』を発症した人の記事を読んだ途端、ナニモノかがいきなり噛み付いてきたのです。 

 突然ふと心によぎる。それが『うつ』の始まりだったと、その人も言っています。  

  

 仕事に対する熱意も経験も知識も責任感もあって、そしてなにより、私よりもずっと若い。つまりあらゆる面で私よりも可能性に満ちたその人はある朝、まるで糸が切れた様に、何も出来なくなったと言います。そして家族の前で泣き叫んだそうです。 

 もう、無理だ!何もやりたくない! 

 いったいその人の身に何が起きたのでしょうか? きっとその人の取り巻かれている状況に特別な変化があったわけではないのです。変化があったのは、その人がいる次元と、その方向……。 

 私の店には2人の少年、今の子昔の子が働いています。私は以前、2人と私の関係性が少しわかってきた、と言いました。私は2人が、私自身の過去未来だと想像したのです。そう思う事が一番無理がないように思われたのです。私には『今』という厳密な時間はありません。同様に『過去』『未来』という確固とした時間もないのです。私は、今の子今から未来昔の子今から過去、そして私はそのあるかなきかの隙間の『今』という瞬間にしか存在しないモノだと考えたのです。 

 そもそも、私の命は私が生まれた時に始まったのではないと考えています。 

 私には帝国軍人の祖父がいました。血の繋がらない祖母がいました。共産主義に傾倒して投獄され獄死した祖父がいました。絶対に笑わない祖母がいました。父と母がいました。その人達の様々な事情に応じて、私は生まれるしかなかったのです。私の全てはその人達に委ねられ、操られ、やがてそれら鬩ぎ合うベクトルが均衡してジッとして見える一つの点をみつけたのです。そしてそれを『自分』だと決めたのです。しかし本当の自分とはその点を見出したモノの事を言うはずですよね。 

 斯様に『自分』なんてモノはまるで牛乳のキャップの様に利便性を優先した結果、仕方なくあるだけのモノだと思えるのです。 

 しかしそれも結局、私が私の立ち位置から勝手に想像した事に過ぎずないのです。実際には彼ら2人がナニモノなのかという事は相変わらず何一つわかっていないのです。2人とも、いないと言えばいないのです。

 私は彼らをネットのフリー画像の中から見つけ出したと、これまで何度も説明していますね。彼らは群馬県の応桑諏訪大社の道祖神だと。誰がどう見たってそうです。でも私はこの2人から、自分では思い付くはずもない今と昔を得たのもまた紛れもない事実なのです。何のアテもないままにただ暇に任せてフリー画像を眺めていた私がこの道祖神を見てふと、『そうだ、この2人を店のマスコットにして、ネットショップを始めてみよう』という考えに至ったのですから、その事自体が私自身モノでない事は明白です。だってそうじゃないですか? それはどうしたってこの2人を見た瞬間に、突然どこかから訪れたナニモノかという事になるのです。 

 一般には『ひらめき』、などと言いますが、『ひらめき』の何処に自分が含まれていますか? 含まれていないからハッと思いとどまるのでしょう?含まれていたらただ当たり前に納得するだけで終わるでしょう?登別クマ牧場のヒグマが、飼育員から与えられたペレットを、あたかも自分で獲得したように誤解しているだけでしょう。 

 理解とは誤解を正解に曲解する事を言うのでしょうか? いいえ、絶対に違うと思います。じゃあ正解とはなんでしょう? 何処にあるのでしょう? 妥協の産物として以外の正解が、果たして本当にあるのでしょうか? 

 現にこうして普通に暮らしている様でいても、実際は果てしない謎を背負ったままです。だって、携帯電話の仕組みを把握してますか? ナビは? WIFIは? 

 心のツボの奥にはこれらの他にも、理解しえない理屈や道理が漆の様に不気味に怪しくたっぷりと溜まっているのがわかるでしょう。私はどうしてそんなところを覗いているのでしょうね。そんなところを覗くから不安になるのです。不幸にもなるのです。その闇の中にはおそらく、誰が望むどんなモノもありません。ただ考え付くすべての可能性がどんよりとして眠っているだけなのです。 

 でも普通、覗くでしょ? それはそういう事実を目の当たりにしたからです。つまり我々は『気付かない』という事を恐怖するのではなく、『気付いていない』という事に対して漠然と恐怖するのですね。 

 初詣に行ってもうだいぶ経ちますが、あれから何の音沙汰もありません。日常はウソの様に元通りなって、まるで正月などなかったようです。私の初詣も既読スルー。勢いで買った破魔矢だけが空しくキッチンの端に置いたままになっています。 

 或いは正月など、本当になかったのかもしれません。私は永遠にこの月日にくぎ付けになっているのかもしれないのです。『時間が流れる』と言いますが、もし流れているとしたら、それは過去も未来も一緒に流れているのでしょう。 

 あぁ、まだまだ話し足りない。足りないが、どうやらここらで時間のようです。今、玄関が開く音がしました。初詣から帰ってきたようです。去年はいろいろ、彼なりに大変な一年だったようです。何を願ったのか、やけに嬉しそうにな声が聞こえます。この屋の主はきっと、この書き込みを見て驚く事でしょうね。ただ、彼は今かなり混乱し心を痛めてますから、或いはこんな事を、自分は書いたのかもしれないと、いつものように弱気な合点をするかもしれません。 

 私ですか? 私は、いろんな名前があるのですが、そうですね、一番わかり易いところで、『皇極法師』と名乗っておきましょう。彼の『うつ』と一緒にお暇したいと思います。 

 では失礼いたします。 


      第55章『AB型のさきえさん』 


私、AB型だからホント、自分が次に何をするのか、ホントにわからないの。 

 さきえさん(漢字がわからない……)と一緒に働いていたのは、ほんの1~2年だったと思います。 

 本人が言うとおり、彼女は突然、職場の隣の商店の息子と結婚して店をやめました。それからも何度か見掛けたのですが、結婚する前と何も変わらない様に見えました。実際、何をするかわからないという人ほど、結果として的を射た事をしている気がします。 

 本当はこんなふうに、思い切った決心などせず、なにも深く考えず生きるのが一番健康的でいいのでしょうね。でもそれが本当は一番大変で才能が必要なんですよね。 

 某、凶悪犯罪組織の首謀者の死刑が執行された時、私はさきえさんに、彼をどう思うかと訊ねました。彼女は、少し考えてから、結局何も答えませんでした。 

 可哀想? 

 そうですね……。 

 でも何千人も被害者を出した事件の首謀者だよ。死刑になっても仕方がないと思う。私がそう言うと、さきえさんは、うん、私もそう思います。と言いました。 

 でも可哀想? 

 そう考えれば確かに、そんなに可哀想でもないですね。 

 あなたにはね、自分の意見と言うか、考えはないの? 

私は、ある種の愛情をこめてそう訊ねたんです。私は自分の考えや言う事がコロコロ変わる人が嫌いではありません。人に操られやすく、騙されやすく、流されやすい人ほど穏やかで、周りを信用している様に見えるからです。でもさきえさんはこう答えたのです。 

 私の意見は私以外の誰かにとってはただのデタラメなんです。デタラメはなるべく言いたくないんです。 

 じゃあ、自分の意見や考え方には、何の意味も価値もないと? 

 とんでもない!違いますよ!私にとっては何よりも大切ないモノです。だから絶対に譲りませんよ。私はこう見えて、とても頑固で強情なんです。 

 でも、他人に言う事じゃない、と? 

 口に出すとその瞬間、ウソになるのが、なんだかとても残念で勿体なく感じるんです。だから無暗に言わない。

  

 そんな風に、とても強情で何一つ答えてくれないさきえさんはでも、血液型は? と訊ねた時だけ、AB型です、と答えてくれました。私も同じ血液型です。 

 そうか、AB型か。なんか連帯感あるよね、AB型同士って。 

 そうですね。嫌われモンですからね。 

 でも、『天才肌』ってよく言われるよ。言われない? 

 言われます。でも何回言われても、『天才肌』の意味が分からない。『天才』じゃなくて『天才肌』って、『中華』に対しての『中華風』みたいな感じ?つまり『中華』じゃない。 

 つまりつまり、天才じゃない、って事? 

 そういう事かなって思って、別に嬉しくもない。 


 今の子は、自分の体が成長しているのを恐怖しています。 

 昔の子は、自分の体が成長しているのを喜んでいます。 

 仮に2人が死んだ年齢を同じ11歳ぐらいだとして、昔の子が死んだのは戦後まもなくだと思われます。今の子は、母親の行動から察するにおそらく、数か月、或いは数年前ぐらいだと想像できます。今の子は、 

 たったの11年しか親子でいていられなかった。そんな申し訳ない気持ちがどうしても拭えないんです。もっとママを信用すればよかった、話せばよかった、甘えればよかった。そんな気持ちと、虐待の恐怖が一緒に蘇って息が詰まる……。いっそ完全に僕を忘れてくれれば、その時は僕は何事もなかったような顔をしてまたママの所に戻れる気がするんです。 

 実際そうだと思いです。昔の子は、 

 あんな時代、11年でも生きられた事に感謝してるよ。長生きした人と比べたってしょうがない。長生きして人をたくさん迷惑かけて、大勢人を殺して恨まれながら死刑になるヤツもいる。それに比べてば俺の命は綺麗だ。そして月日とともに、俺の悲しみはどんどん忘れられていく。つまり俺の悲劇はどんどん癒されていくってことだ。それが楽しくなくてなんだろう。これも、あの父親と母親の間に生まれたからだと感謝も出来るんです。 

 これも実際そうだと思います。 

 11年しか生きられなかったと、11年も生きられた。同じ年齢で死を迎えた子供同士、こんなにも違うんですね。 

  

『自分』は最初にみつける真実です。でも一般の人はそうは考えないでしょう。そこからすべてが始まっている様に思う。命も然り。そしてそこにある真実だけをただ見極めようと目を見張る。 

 しかしさきえさんとか、今の子昔の子のような人にとっては、そこは多くの事物の隙間の様に、フラフラと形を変える陽炎の様なモノで、その好き嫌いは自分で判断する以外にはどんな物差しもなく、是非もないと考える様に見えます。 

 凶悪犯罪組織は今も名前を変えて活動しているようです。私の仕事現場の近くの公園に、赤いのぼり旗がずらりと並んでいます。それは伏見稲荷神社の鳥居を連想させます。何か、結界の様に、邪悪なモノを封じ込めているようです。のぼり旗には、 

『〇〇〇(組織名)は我が町には要らない!』 

 と書いてありました。 

 先日、さきえさんが3人目の子供を無事出産したとききました。おめでというございます。あなたの子供に生まれて、その子はとても幸せ者だと思います。 

 最近明るい話が少なかったので、もう春も近い事だし、最後に少し明るい話を入れてみました。 

  

『いきてるきがする。』《第6部 秋》


もくじ


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第42章(夢紫蘇)

 

  さ、飲んでください。冷めてしまいますから。

 綺麗な色でしょ? これはね、『夢紫蘇』といいましてね。うちの田舎にはそこら中にいっぱい生えているんですよ。まあ、雑草ですね。ハハハ……。それをね、摘んでね、軒下に吊るして天日で半日ほど乾かしてから、ゆっくり手で揉むんですね。それを煎じて飲むんです。

 子供の頃の私は酷い喘息持ちでね、夜中に発作が起きると、母が決まってこのお茶を入れてくれるんです。安息効果があるんですよ。飲むと本当に、スッと息が楽になるんです。私はホッとして見上げるのですが、そこには仁王様みたいに佇立する、スッピンで眉毛がほとんどない母の姿があるんです。母は私の手から湯呑を毟り取ると、それを流しに投げてそのまま寝るんです。よほど眠かったんでしょうね。その後の鼾が雷のようで……。今思い出しても、奇妙な様な、甘い様な、怖い様な、変な思い出ですね……。


 外には煙のような雨が降っています。曇ってますが明るいです。オンブバッタが飛ぶ瞬間が見えました。着地すると同時に、秋の気配がそこらじゅうからドッと沸いてきて、今年の秋刀魚の不漁が告げられ、白菜が値上がりしてと、秋は次から次にやって来ます。そうしてだんだんと深まっていきます。オンブバッタの功績は偉大です。 

 この秋の連休は何だか、コンセントが抜けたように静かですね。風鈴すら、チリとも鳴りません。 

 以前とはだいぶ『今』の様子が変わってきたようです。或いは『今』ありきの『今』を勝手に捏造してしまっているせいかもしれません。自分で勝手に作った『今』『今』というよりも過去と未来の間の空白の様でなんとも味気ないですね本当の『今』を捕らえるのは本当に難しい事ですからね。 

 過去は存在しない、未来も存在しない。 

 そんな風にして少しずつ、柔軟体操で股関節を広げるようにゆっくりと『今』広げていくと、やがて真っ平で一つの大きな『今』になりますよ。いえ、本当に。 

 ハハハハ……。 

 お互い、こんな穏やかな日がずっと続けばいいですね。未来も過去も何も考えずに、ずっとこうしていられたら、そりゃ、誰だっていいに決まってますよ。それはそうなんですけどね……、

 店なんかをやってるとね、どうしても今いる場所を世界の縮図の様に考えてしまうんですよね。世界を運転するコクピットのようなモノだと、どうしてもそんな風に考えてしまうところがあるんですね。 

 ここから、自分はどう打って出るか、なんて風に考えを曇らせてしまうんです。別に、生きる事は戦う事ではありませんから、戦略なんか要りませんのに。 

 今だってね、私がこうしてあなたと話しているのは、果たして話しているのか、聞いているのか、なんて思ってるんですよ。会話なのか、独り言なのか。 

 結局、同じなんですけどね。それが証拠に、私は最近、自分が言った言葉にひどく痛み入る事があるんですよ。有難いなぁ……、ごめんなさい……、と。さっきの母に対する一言だって自分が言った事とも思えない。誠に、有難いなぁ……、ごめんなさい……でしょう。 

 私は一体誰に何を言っているんだろう? 人に良かれと思って言った言葉は、巡り巡って実は自分にそう言い聞かせたいだけだったりしますね。つまり、人に良かれと思いたい自分の欲求を満たしたいための独り言。他人はそれに、強制的に付き合わされているだけ。 

だからこれも、さっきの母に対する言葉と同じですね。私が両親にとって迷惑な子だとあなたに言いたいたいばかりに、母は鬼にされてしまいました。 

 有難いなぁ……、ごめんなさい……。 

 そしてあなたは、そんな不安定で不格好な親子関係を無理やり鑑賞させられてしまいました。 

 有難いなぁ……、ごめんなさい……。 

 さて、あなたは私を逮捕しに来たというのは本当ですか?  私には一体、どんな罪状が? 

 ささ、飲んでください。もう冷めてしまいましたか……。 

 この霧雨がもし開けて、私は顔を上げて、あぁ、それでも心のどこかで、私は2人の事を待ってるんだなぁ、やっぱり心細いんだなぁ、と気付くと、その時は私はいちもにもなく、時間を刳り貫いて出来た道を、どんどん進んでいくのです。『今』にぽっかりと穴を開けてその空洞の中を自宅の玄関脇まで急ぐのです。 

近々、母親のところに行こうと思ってるんですよ。どうも拒否されているようなんです。母はね、私が死んだと思ってるんですよ。そう思いながらも母はそれを認めようとせずに、ずっと私を探し続けているんです。信じたくないんですね。だから母は戦ってます。自分自身の描いた妄想と、やはり自分自身が描いた現実のはざまでね。

 私は自殺したようなんです。覚えているのは、『ママがすごく泣いてた。でももう何も言う事が出来なくて』という言葉だけです。それによれば、僕には双子の妹がいて、明るい子だったのに、中学でいじめにあって、それを苦にして自殺したのだと……。

 私だって母を助けたい。だから私の方からも会いに行こうと思っているのです。そうやってお互いが歩み寄れば、お互いの悲しみを共有するか、あるいは相殺できるんじゃないかと思って。 

 でもそのバランスが『皇極法師』のせいでなかなかうまくいかないようなんですね。 

 母が『皇極法師』という男に洗脳されていると、店長のブログを見て知りました。店長が言う『皇極法師』とはいったい誰の事でしょう。店長もそれについては触れていません。でも私がその人を知らないわけがないと思うんです。私はその人が母と私についてすべてを知っているような気がしてならないんです』 


  そうです。その通りですよ、お巡りさん。あなたの仰る通りです。 

これはね、『夢紫蘇』なんかじゃありません。あなたが仰るその、元気の出る野草です。 

 でも喘息にいいのは本当ですよ。ピータートッシュというレゲエミュージシャンをご存じですか?彼もそう言ってます。私の生まれた集落には医者がいなかったから、空き地にたくさん生えているそれを、みんな刈って各々の家の軒下に干すんです。乾いた葉っぱが風に触れあう音が秋の景色そのもので綺麗でね。お!だいぶ乾いてきた。なんて祖父の顔がほころぶんです。 

「これはな、喘息にエエお茶やから、ゆっくり飲み」 

 祖父の優しさが染みました。とても飲みやすい温度にしてあるんです。 フーっと吹いて、少し飲んでため息をつくと、私をいつも苦しめる、同級生と同じように運動場を走ることも許さない意地悪な、毎月痛い注射をさせる邪悪なモノが、一気に出ていく様な気がして……。そしてもう息つくのも金輪際でいい。そんな風に、小学校低学年の少年が、自分の人生に満足感すら覚えるんです。悲しいやら、優しいやら……。

 私はね、お巡りさん。法律なんかよりも、祖父の優しさの方がよっぽど頼りになるし大切なんです。 

お巡りさん、貴方が遵守してる、その法律はね……、僕を守ってはくれませんでしたよ。

 法律は人間を守りません。人間が法律を守るんです。 

 同じように伝染病も、人間が守るんです。それだけじゃない。イジメも、殺人も、戦争も。すべて人間が懇切丁寧、守り続けているんです。なければ生きていけないんでしょう。だって、そうじゃなけりゃ、こんなに長く人間と一緒に居られるわけがないじゃないですか。人間には、殺人も戦争も、私の両親の様に、絶対に一緒に居なければならない、大切な愛なんです。それが自分のためであろうがなかろうが、命に関わろうが関わるまいが、縋るしかないんですよ。 だって、

 それ以外の愛がどこにありましょうか? 


 雨がやみ、刳り貫いた『今』を抜けて自宅に戻ると、まだ朝の5時半じゃないですか! 玄関先で猫だけが起きて、目をキラキラさせて出迎えてくれました。 

 今日は休みだから、もうひと眠りする事にします。 



第43章(キリギリス)

 約束に遅れそうになって慌ててドアを開けたちょうどそこに、小さなキリギリスがジッとしていました。私がつま先でツン、とやってもキリギリスは傲然として動きません。殺るなら殺れ!と言わんばかり。 

『何もしないよ。何をそんなに拗ねてているんだ?』私は問いました。しかし考えてみれば秋の虫は、生まれた時には春も夏も終わっているんです。拗ねたくなる気持ちもわからなくもありません。実際そんな自らの不幸を知ってか知らずか、キリギリスは尚、卑屈な強情さを保ったまま動きません。 

 でもこれを100年、いえ1000年、いいえ100億年ベースにすると、私も多分同じ様なモノだと思います。 

 何でこんな時期に生まれてきたんだろう? 

 目を奪う美しい星々も、舌を溶かす美味しい果実も、流麗華美な鳥たちのさえずりも、もうずっと昔に消え果てた……。楽しい季節はすでに終わってしまった。 

  

 そして今、何も望まない私がここにいる。それがどれほど懲罰的な事であるのか。 私にはきっと、永遠にわからない……。

 あ、そういえば昔、働いていた喫茶店でこんな注文をされたことがあります。 

「ビザトースト、ピザ抜きで」。私が、え? と聞き返すと、その人は普通のトーストが食べたいんだけど、メニューにないからそう注文をしたのだと言いました。 

 何一つ欲しいモノがないメニューの中からでも、必ず何かを一つ選ばなければなりません。 

 閑話休題。話が逸れました。


 私はタクシーに乗って、入間市方面に向かっているところです。今の子の母親に指定された場所に向かっているのです。 

 今の子から母親に連絡を取って欲しいと言われたのは一昨日ぐらいだったと思います。私は、連絡を取るのはいいけど会えるかどうかはわからないよ、と言いました。以前にも言いましたが、私が関わると、この親子は少し面倒な関係になるのです。 

 今の子の母親は迷走しています。息子が死んだのは自分のせいだという考えに必死に抵抗しているのです。私は彼女のせいだとは思いません。だから彼女を応援したいのですが、それは同時に、私は彼女から息子を奪い取った悪人になるという事です。ある日、彼女は今の子の双子の妹を連れて店にやってきました。そして私に、なぜ親の私に一言も報告せずに未成年である息子を店で働かせているんですか、それは誘拐と同じです、犯罪ですよ。と詰め寄ったのです。 

 私にとっては寝耳に水です。だって私にとって、今の子は、私がこのブログを立ち上げる際、フリー画像の中から見つけてきた道祖神なのですから。しかし母親にとってそれは紛れもなく、自殺した息子なのです。 

 今の子の母親に指定されたのは入間市にある大型ショッピングモールの駐車場でした。既婚の男女が会うには、とてもよく考えられた場所だと感心しました。 

 駐車場の手前でいいと言うと運転手は、あそこの入口のそばにバス停があるから、出来れば一回入って、ぐるっと回って出口から出た方がいいんですけどね。皆さんそうなさいますよ、と言いました。 

 じゃあそれでお願いします。 

 車道の端を中学生が数人自転車で走っています。よほど命が有り余っているのか、彼らはまともに自転車を漕ぐ事も難しいようです。 

 あれがねぇ、ホント怖いんですよ。運転手がそう言ったので私は思わず、そうなんです!そうなんですよ!私もトラックドライバーやってるんでよくわかりますよ。ホント自転車が一番怖いですよね、と同調しました。 

 運転手はミラー越しにチラと見て、あぁ、ドライバーさんですか、と言いました。 


 果たして同じ人間が道祖神であったり、自殺した少年であったりする事はあるのでしょうか? あるようです。なにも理屈に合わない事はない。誰も関心を示さない世界では、様々な理屈に合わない事が起きています。ただ誰も気づかないない。いえ、気付こうともしないのです。 

 人生は絶えず自分で選択している様でいて実はそうじゃない事は、誰だってよく知っていますよね。生まれつき容姿端麗な皆様、選びました? 選ばないですよね。じゃあ不細工な皆様、選びました? まさか選ばないですよね。斯様にして我々は全く選んだ覚えのないモノを自分とされ、その全責任を負わされている。そんな理不尽に敢えて無抵抗でいるのです。そしてそれを埋め合わせるために、人間は様々な誤魔化しや、嘘や、矛盾を生み出すのです。でもそれすら本当はそうじゃない。誤魔化し、嘘、矛盾を作り出すためにわざわざ我々はいる。では本当の我々は何処にいて何をしているのでしょう? それを考えるにはまず、 

 我々一人一人が別々の存在じゃないという事を前提にすべきです。 

 私は道祖神の写真を気に入り、店のマスコットに決めました。そのつもりでした。しかし思い返してみると、私がなぜブログを書き始めたのか、そもそもの理由がなく、それに至ったであろう様々な事情1つ1つにも、突き詰めれば何も理由がないのです。やはりそれは初めからそこにあった以外に考えられないのです。つまり私はまんまとそこに導かれたという事です。じゃあ誰がそんな残酷な場所に私を導いたのでしょうか。

誰も導いてはいません。

 私はずっと同じ場所にいます。おそらく永遠に動くことはありません。ただし同じ私は、同時に同じ場所に無限にいるのです。我々が選んでいると思っているのは、その自分を自分で勝手に選んでいるだけなのです。 

 嘘や矛盾は論理の間に成立する事はあっても、現実の間に成立する事はありませんよね。きっと皆さんそう思ってますよね。もし像がダンボの様に耳で羽ばたいて飛んだとしたら、そこには論理矛盾が生じます。体重を考えても、推力を考えても絶対にあり得ませんがもし、実際に目の前で飛んでいたらどうします? 私たちは必死にその理屈を探すでしょう。探さなくてはなりません。現実は絶対否定できませんから、同じように……。 

 現実であればもう何も疑う事は出来ないのです。疑うとはつまり、信じている事が大前提で、またその証拠でもあるのです。 


 

 タクシーは駐車場をぐるりと一周しました。その途中で私は今の子の母親らしい人物をみつけました。 

 あ、運転手さん、ここでいいです。あの人ですから。 

 私が言うと、運転手は、 

 あの人?あぁ、あの人は、ずっとあそこに立ってるんですよ。もう、何年も……。 

 そう言いました。 

 私は異世界との親和性みたいな現象にはすっかり慣れているので、特に地縛霊だとか、エネルギー体だとか、そういう禍々しい事は言いませんが、とにかく会わなければいけない人なので、降ろしてください。と言いました。 

 あぁ、そうですか。わかりました。しかしあなたで、何人目ですかね。じゃああなたもあの人を、『今の子の母親』だと、そう仰るのですね? 

 私が、え?!とルームミラーを見ると同時にタクシーのドアが開きました。今の子の母親は私に気付くと、小さく会釈した様に見えました。 


第44章(生霊)

 

 もし今のような時勢でなければマスクなどしていなかったでしょうが、私はその顔のよくわからない女性に会釈を返しました。

 あれはね、『生霊』って言うんですよ。  タクシーの運転手は私にお釣りを渡しながらそう言います。

 『生霊』は仕立てのいい和服を着て、おもむろに日傘をたたみます。 

 ほらほら怖い怖い。今、みました? ああやってね、あなたをちょっとずつ自分の現実に寄せ付けてているんですよ。あぁ、怖い!わかりませんか? あの人さっきから、周りに全く関係ない動きをしてるんです。普通は絶対できませんよね。我々普通の人間には。 

 私は女性の仕草に何の違和感も感じません、しかし運転手は、

 ほら、また! 間違いない。あれが『生霊』ですよ。わかりませんか?わかりますよね?私ら運転手だってそうでしょ。交通ルールに従って車を運転するのは当然ですが、それだけじゃどうしようもない場面に突然出くわす事あるじゃないですか、割り込みとか、飛び出しとか。そういう時は何が我々を追い詰めてるか、わかります? 

 多様性です。それまでまで習慣に隠れて全然見えてなかった多様性がいきなり堰を切ったように目の前に飛び出してくるんです。左側通行? 車道? 信号? 横断歩道? すべては同じ条件の別々なモノとして提示されるのです。事故を避けるためにあなたは何を選びますか? 

 他人にとって最も危険な場面は、自分にとってもやはり最も危険な場面ですよ。あの人は、いえ、あの『生霊』はね、想像上の存在じゃない。むしろ我々よりもいろんな現実の間に、縦糸と横糸を蜘蛛の巣の様に張り、獲物を待っているのです。『生霊』は我々の様に時間に縛られる事はありませんし、その事を想像する事も出来ないのです。だから生霊本人は普通にして立っているいるつもりなのでしょうが……。

その時点で私はすでに、その女性に見覚えがあるのかないのか判然としなくなっていました。或いは初対面かも知れない。会釈をしたように見えただけかもしれない。

わかりませんか? あの人は、自分のいる、どうしようもなく危険な、とても悲しくて、辛くて、死んでしまいたいような現実へとあなたを誘っているんですよ。

あなたはその蜘蛛の巣に飛び込もうとしている、キリギリスなんですよ。 

 私はハッとして運転手の顔を見ました。運転手は、そうです私です。そういう顔をしたように見えたのです。 

 ね、お客さん、もうわかったでしょ? 何度も何度も、会ってるんですよ。私達も。自転車に乗る中学生の危機意識が足りないとあなたはおっしゃったじゃないですか? そういう、あなたはどうなんです?              


 別に逃げ帰ってきたわけじゃありませんが……。 

 結局、私は今の子の母親には会えませんでした。会わなかったと言った方がいいかもしれません。そして私はいま、自宅のリヴィングにいます。そしてゲームをする息子を後ろから眺めながらこのブログを書いています。勘が外れる事はよくありますからね。私も余り勘がいい方ではないので、よくいろんな物事を誤解してしまうのです。それはとりもなおさず直前までその勘違いが私にとって真実であったという事です。それが、何か、誰かの一言で、一瞬でウソになる。真実でなくなる。 

 締め切り、昨日だったんだけど……。そう言われて目の前が真っ暗になったことがあります。でも考えてみれば、その直前まで、私は勘違いしていて、その勘違いの方が圧倒的に事実で、それ以外はなかったんです。自分も、他人も、地球も、宇宙も。そしてその一言で、全てがウソに変わったんです。 

 やれやれと私は、諦めたような、騙されたような、けだるい感覚に陥りながら、今の子にはこの事の顛末をなんて話せばいいのか考えています。そこが今の私の一番難しい現実なんです。 

 息子が、久しぶりに3人でファミスタやろうよ!と言ってます。この、3人で、という響きが私の心を言いようもなく温めます。私の大切な3人。かけがえのない3人。しかし、3人でゲームをやる事自体はやぶさかでないのですが、1日1時間と決めた時間はとうに過ぎているのだから、契約上それはまずいだろうと、わざと渋って見せています。日ごろから息子には、どうしても通したい無理があるなら、駄々をこねずちゃんとプレゼンしろ! と言ってます。そのプレゼンの内容が面白ければ、再考の余地が、なくもない、現実は或いは変わるかもと。とにかく。 

 今は目を休めてそれからだろう。ファミスタはずいぶん久しぶりだから、そりゃきっとやったら楽しいだろうけどね。 

 明日は天気は曇りの様子。年末に向けて仕事が立て込んでくると思ったら、あまりそうでもなく、ただ、細かい、私がみても全然お金にならなそうな仕事ばかり割り振られて、あぁ、世の中の末端にいる。と強く実感できています。私の実感はきっといろんな結果の共鳴が齎しているはずです。息子がファミスタをやると言って聞かないのも、選挙の結果ばかりでテレビが全然面白くないと文句ばかり言っているのも、きっとその将来にも、微妙に共鳴している事なのでしょう。 

 今の子が命を落とした原因にも、或いは共鳴しているのかもしれません。今の子の母親は、いじめが原因だと言いますが、実際はそれを心配するあまり、母親が取った行動に問題があったのだと思います。その原因に、私の実感が共鳴している以上、私は今の子の母親には絶対に会えないという事になりそうです。それを、今の子にはどう説明するか。どの現実を通じて説明するか。

 あのタクシー運転手は、誰だったんだろう。もう何度も私と会っていて、私が今の子の母親に会うのを何度も止めていると、そんな事を言っていましたね。 

 あれは『皇極法師』だったのかもしれない。そんな事をふと思いました。 


第45章(高床式廃墟)

 日々トラックを運転しているといろんなところで廃墟を目にします。私は無類の『廃墟好き』なんです。消えかかった看板などをみつけると、目を凝らして読んだりするのがとても面白いし好きなんです。 

 『きみ……しま、しょてん?』そこから一気に想像は広がります。書店にはかつて近所の小学生が立ち読みをしたり文房具を買いに来たりしたのでしょうが、今はシャッターが下りて、そのシャッターにはニューヨークの地下鉄紛いなスプレーの落書きが施されています。 

 先日、千葉と埼玉の県境の某有名ステーキハウスの後ろにコンクリート作りの高床式廃墟をみつけました。私の理想とする廃墟です。高床式廃墟。 

 電源はあるのかな? 水回りは? 私はいろいろ想像します。朽ちた金属の階段を見るだけで気持ちがゾクゾクします。もう住む気満々。私は勝手にそこに引きこもってみます。 

 長い間に積もった埃が日の光に曝され続けた独特の匂いが室内に充満してます。前に使っていた人が残していったと思われる机や椅子、それに工具が転がっています。どうやらここは自動車の修理工場だったようです。2階の一部が吹き抜けになっていて、きっとここにはクレーンか何かが設置してあったと思われます。 

 まずは窓を開けようとしたのですが、さび付いていてビクとも動きません。パソコンとソファーを持ち込めばとりあえず大丈夫。食事はしばらくステーキハウスで何とかしましょう。収入はネットの広告収入でなんとかなると仮定します。 もちろん、ドライバーなんてしませんよ。

 最初の夜が来ました。果たしてどれぐらい寒いのか、或いは暑いのか、想像がつきません。変な虫や野良猫が住み着いているかもしれません。コンクリートは昼間の日の光に温められ、程好い感じです。勝手に住んでいるので住所がありません。つまりネット回線が引けません。だからそれもあってここを選んだのですが、 

ステーキハウスのフリーWi-Fiを使いましょう。 

 パスワードを求めて店に入ると、カウボーイハットを被った女性の給仕さんが2人いました。席についてメニューを見ると、一番安いメニューでも1200円ほどしています。まあステーキだからそんなものかもしれません。ステーキはポスターから期待できるほど美味くも、とはいえ不味くもなく、でも1200円ならコンビニの方がいいと思いました。しかし歩いて行けそうな場所にコンビニはない。その不便さが程好い自律心を芽生えさせるのに抜群の効果を生みます。さすが、いいところに高床式廃墟をみつけたモノだ、と、私は妙な自画自賛をします。 

 そうこうしているうちに次の現場に着きました。初めての現場なので、とりあえず受付のを探します。初めての現場はルールが全くわからないのです。 

 お疲れ様です。フォークリフトに乗った人に声を掛けると、はい、と平常な返事が返ってきました。この時点でこの現場は80%成功です。荷受けの人の中には、私の相知らぬ理由で自家の不機嫌を起こしている人も少なくなく、話しかけても、無視するか、『そこに書いてあるだろ、ちゃんと読めよ!』 などと不遜な態度で接してくるモノがあるのです。 

 しかしそれでも誰もいないよりもマシです。誰もいない現場は本当に困ります。誰もいないのだから、よしんば自分で勝手に荷を卸したとしても受領印がもらえません。そういう時はただひたすらに人影を待つのみです。 

   

 秋の日は短いので、そうこうしているうちに、日はどんどん西に傾いてきます。星も綺麗です。明日も晴れの予報、そこまではいいのですが、今日はここで終わりなんだけど、誰かいませんか? 

 そこに一人の老人が自転車でやってきました。 

 私は駆け寄り、あの、納品なんですけど、と声を掛けます。私に気付いた老人は振り向いてこう言いました。 

 あぁ、適当に卸しといて。 

 私は倉庫の隅にある、ずいぶん年季の入ったフォークリフトのエンジンを掛けようとキーを回すのですが、全く動く気配がありません。古過ぎて、バッテリーが上がってしまっているのです。しかも倉庫の中はがらんどうで荷物らしいものは何一つありません。さっきの老人の姿も、もうありません。 

 そういう時、私は千載一遇のチャンスを逃したような絶望的な気分になるのです。 

 もっとこうすりゃよかった。ああすりゃよかった。ここは明らかに廃墟です。私は廃墟に荷物を運んでしまったのです。 

  

 無線で会社に連絡しますが、住所はそこで合っているから誰か来るまで待ってくれ。の一点張り。見てないからそんな事を言えるんだ。ここは、明らかに廃墟なんです! 

 すっかり夜になりました。星はギラギラとして獣の目の様に怪しくいやらしく、夕方の方がよっぽど綺麗でした。気が滅入る夜です。夜の毒気が星の光に満ちるのです。 

 でも幸い、私はフォークマンに首尾よく荷を下ろしてもらい、受領印も貰う事が出来ました。 

 さて、これで今日の予定は終わりです。私は会社にカムバックの無線を入れて帰路に付きます。 

 そして帰る前に私は今一度、その廃墟の倉庫に目を向けるのです。 

 そこにはかつて溢れていたであろう品物が溢れています。多分、日本が高度成長に沸いていた、1970年代ぐらいでしょうか。あのフォークはまだ現役で動いていて、高く高く荷物を積み上げています。余裕のない表情の若い荷役たちがぶつかりそうになりながらフォークリフトですれ違います。 

 くれぐれも、事故を起こさないように。 

 高床式廃墟の前を通り過ぎ今、私は埼玉県を横断する国道298号線を南に向かって走っています。 


第46章 『OLさん』 

 本当に他に手段はなかったのかと苦々しく思い返しています。目の前にいた今の子の母親を私は、会えなかった事にして帰って来てしまったのです。コロナ対策のマスクをいい事に、「あ、すみません人違いでした」の一言で事実をその方向に流してしまったのです。 

 しかしそれも今となっては、果たしてあの和服の女性は本当に今の子の母親だったのか、本当に人違いだったんじゃないかという、あやふやなモノになっているのもまた事実なんです。 

 今の子はいつも通り普通にしています。別段、残念そうにも見えませんし、強がっているようにも見えません。いつも通り、ひとしきり店の中を整理してから、今は金魚のエサを一つまみ、パラパラと水槽に落としています。 

 だからこれもまた私の勝手な想像になってしまうのですが……、 

 以前、彼の母親と名乗る女性が彼の妹だという双子の姉妹を連れて店に来た事があります。その時彼は、あれはエキストラです、と言ったのです。 

 僕がそうだったらいいのになぁ、と思ったママと妹、つまりエキストラさんです、と笑いながら言ったのです。私はとても驚いたのを覚えています。そしてあの時は気付かなかったのですが、それはとても悲しい告白だったように今は思います。今の子には、たとえ会えたとしてもその人が自分の母親だと認識できる術が何もないからです。 

 今の彼の『今』は無限です。死んだのだからそういう事です。その無限の現実の中から自分の母親を認識する術はもう、自分の想像でしかあり得ません。全ての出会いが、愛情が、信頼が、もはや想像でしかありえない。こんな孤独な事、こんな悲しい事、他にありますか? 

 だから私も是非会わせたいと思って臨んだのですが、事態は私が思っているよりもずっと複雑だったようです。この親子を会わせるには、私はあえてどちらかに騙される必要があったのです。そしてその上でもっと考えて、もっといろいろ想像を逞しくして、そして思い切った行動をとる必要があったのです。私は生きているモノの妙な癖で、どうしても真実を誰かに与えられるモノだと思い込む節があるようです。そして私は最後の最後に臆病風に吹かれたのでしょう。タクシーの運転手に『生霊』だと言われて怖気づいたのでしょう。 

 しかしじゃあ彼はどうやって自分が死んだという障壁を乗り越えるつもりだったのでしょう。私の失敗を、彼はすべて見抜いていたのでしょうか? その上で彼はさらに何かアクションを起こす準備としてしながら、黙って金魚にエサを与えているのでしょうか? 

 私はこの親子と自分の事情が知れてくるにつれて、彼の母親がこんなところにまでやってきたという事実を、今更ながら脅威に感じています。息子に会いたいという一途な気持ちがそこまで強力だなんて。時間に縛られた人間として生きながらにして無限の今の中に体を捻じ込んできたのです。そして手を伸ばして、とうとう息子の体を探り当て、そして自分のもとに引き寄せたのですから。これが『母親の愛』でしょうか? そしてそれを『生霊』というのでしょうか?   

 なれるんですね。人間は『生霊』になれるモノなのですね。 

 私も人間なので暫くは『今』の中にとどまり続けますが、産まれた以上、時間が止まるまでの限界はやはり持っているのです。ゆっくりと、大きな船が止まる様に、いつか私の時間が止まる時を、私はたまに想像したりしますが、そこには一体どんな景色があるのかは想像もつきません。きっと今までと同じ景色やよく知った顔が、あたかも本棚に本を返す様にピッタリと納まってもう、わからなくなるのだろうと想像するばかりです。 

 そしてあらゆる親子が、そこでもまた親子であればいいと切に思うのです。たとえ親子である事に気付けなくても、その安らぎや信頼がそのままであってさえくれれば、それはとても気分がいい事でしょう。 

 トラックを運転しているとたまに感じる、初めて来る場所に対する郷愁のようなモノや、初めて話をする人に対する信頼の様なモノすべてが、今の中に含まれて私を常に覆っているのだと想像します。そして私にわかるのは、私が真実だと想像している『今』だけなのでしょう。 

             


 昔の子は? と私は今の子に訊きました。 

 奥さんのパンを取りに。最近近所のOLさんがよく買いに来てくれるようになったんです。 

 オーエルさんって!ずいぶん古い言葉を使うんだね。 

え? 言わないんですか? OLって。 

 言わないよ!それにその言葉、差別用語だよ。他所で使わない方がいいよ。 

 え?そうなんですか? 知らなかった。 

 『オフィス・レディー』の頭文字を取って『OL』って言ってたんだけど、ほら、君らがこの店に来た年に、コロナウイルスが世界的に大流行したの、覚えてる? 

 あ、はい。懐かしいといったら語弊がありますけど、あの年は、ホントいろいろありましたもんね。 

そう、君とお母さんの事とか。私が完全消滅しそうになったり……。まあ、それはともかく。あの年あたりからかな、ジェンダーの問題が急に大きく取りざたされて、とにかく性別を表す言葉を世界中の言語から抹殺しようってところまで機運が盛り上がっちゃった。アメリカでは性別を『x』と表記したパスポートが発行されたり、とにかく、性別、性差というモノが諸悪の根源の様にやり玉に挙げられたんだよ。 

 ちょうどその頃でしたね、地球環境を守ろうって運動が盛り上がってたのも。 

そうそう、SDG’sだっけ? あれも同じだよ。ワンワールド、世界は一つの精神さ。我々は一つにならなければならない。なぜならば我々は一つの大きな問題を共有しているからだ。ってことだったのかな。 

 とにかく、あのウイルスが結果として世界の価値観を一つにしてしまったんだよ。まさに、絶対神が降臨したようなモンさ。大金持ちも、貧乏人も、等しく同じ理由で死ぬんだという事が、ようやく身に染みたんだね。 

 あれで実際、個人の存在意義もなくなりましたもんね。 

 うん。残念ながら、人間は完全に騙された。いや、厳密に言うと、ずっと騙され続けてた。 


 ドアが開き昔の子がたくさんのパンを持って入ってきました。 

 もっと、持ちやすい袋に入れてやればいいのに……。 

 あ、店長、もう待ってますよ。OLさんが。 

 覗くと、きっと肌寒い晩秋の陽だまりの中、お財布1つ手に持ってカーディガンを羽織ったOLさんが4~5人待っているのが見えました。 


第47章 『非公認生物』 

 妻が年末調整の書類に頭を悩ませている間、私はただパソコンを叩いて非生産的な事をやり続けています。そして、もう年末か、今年も終わるのか……、などとぼんやり考えています。 

 コロナウイルスの感染者数の激減に伴い練習試合が増えた息子は、今朝も7時前に家を出ました。 

 私は、週末に家にいる間は、ほとんど役に立つことはやらないので、その良心の呵責を希釈するため自らすすんで風呂を洗います。そしてたまに昼御飯を作ったりしています。それは夫婦の長い生活の中で出来上がった不文律で、『神の見えざる手』というかとにかく、火曜日の夜は私がカレーは作るというのはもう当然の事になっています。それはまるで『蜂の8の字ダンス』の様な、生きる上でとても重要で、且つ、可愛い行為、ルールだと満足しています。そして私はつくづくそんな細かいルールにいちいち守られないと生きられないんだなと感じています。もしこれらのルールがすべてなくなると、私の様な元々弱い個体は一瞬で死ぬか殺されてしまうんだろうなと直感してます。私は大自然から認可を受けていない『非公認生物』で、あらゆる自然現象は私を抹殺する方向に働きかけるのは当然の摂理で、それが圧倒的な正解で、そんな私が生き続ける事はそもそも間違いなので、それでも無理矢理生き続けようとわがままを言うならば、私は大自然のルールを悉く否定するか無視するようなルールを自ら拵えて身を守る以外に策はないんだなと、発想をどんどん膨張させているのです。だからそんな悪魔的なルールならせめても『蜂の8の字ダンス』ぐらい見た目だけでも可愛らしくないといけないと思うのです。 

 年末調整の書類にひと段落を付けた妻は、天気がいいから一緒に買い物に行かないかと誘ってきました。私は当然了解します。そして非生産的な仕事を中断してシャットダウンすると、ノートパソコンを、まるで眠っている自分の頬を張るような忌々しい勢いで叩き閉めました。もともと非公認な生物はもう、自分を裏切りました。妻と天気のいい日に一緒に買い物に行くという一見可愛いいルールの裏には、こんなにも邪悪な裏切りが隠れ潜んでいるのです。 

 いつ? どこ? と訊くと、今日は『業務用スーパー』の豚肉が安いのでまずそこに行くと言っています。妻は多少割安であっても大量にモノを買い込むことを好みません。必要なモノを、必要な時に、必要なだけ。冷蔵庫に使う目的が曖昧な食材が雑然とあるのが嫌なのだと言います。だから我が家の冷蔵庫はいつもスカスカ……。その方が掃除しやすいと言います。 

『業務用スーパー』って、近所にあります? うちの近所の『業務用スーパー』は元大手家電量販店の店舗を改装した店で、私としては『業務用スーパー』よりもまだ大手家電量販店の印象の方が強いのです。もともと炊飯器があった場所には大きな平積みの冷蔵庫があって、大袋の餃子やフランクフルトがガシガシと置かれています。 

 ここが家電量販店だった頃、私はもう少しで高価なパン焼き機を買ってしまうところだったのを思い出しました。その頃の私は今の様に、ネットの中に店を構えて、そこでTシャツやマグカップや、カレーやパンを売って収入を得ようなんて事は考えていませんでした。ちゃんと目に見えて、手に触れる店舗を構えて、そこで昼間はカレーやパンを売って、夜はライヴバーをやって収入を得ようと思っていたのです。 

             


 その頃、私はまだドライバーではなくて調理師でした。しかし調理の仕事は私には過酷過ぎました。結局11年間もやった割に大した調理技術も得ることなく諦めてしまいました。 

 ただ言い訳を許してもらえるなら、それは私にやる気がなかったわけではなく、恐らく才能や閃きがなかったわけでもなく、私を最も邪魔したのは、料理に対する『プロ意識』という死神でした。 

 死神の賢さには本当に舌を巻きますね。そう感じる人も少なくないのじゃないかと思います。死神はなぜ、あんなにも適切な人間をみつけて取り付くことが出来るのでしょうか。さすが死神とはいえ、神は神。我々一般衆生にはとても太刀打ちできないんだなぁと。つくづく感じた11年でした。 

 同僚達はおそらく『公認生物』なのだと思います。高校を出てからずっと飲食業に就いて、私よりも年が若いにすでに10年以上のキャリアを持った人が大勢いたのです。私は凄い料理人に囲まれて、やや緊張していたのです。ただ私は年齢の上下は、自分が上であろうとしたであろうと気にならない質なので、毎朝、先輩料理人たちに私からあいさつをしました。 

 おはようございます! 私が言うと、先輩料理人達は、いいよ、朝から空気、固いよ。と言って笑います。そして、出汁の引き方、鍋の振り方、親切に教えてくれました。想像していた『料理人』という険しい気位というモノはまるでなく、失敗しても、あぁ、そうやってね、失敗して覚えていくんだよ。火傷してねーか? なんて常に新人の私を優しく気を遣ってくれました。私はまたルールに守られて、いきている事を感じました。まったく忌々しい事が、私を感謝させ、落ち着かせ、やる気を出させました。 

 しかしある日、それはある大きなイベントのあった日で、朝から客が引きも切らず、水を飲む暇もないぐらい忙しい日だったのですが……、 

 家庭ではあり得ないほどの大きく重い鍋をガシガシと振りながら、目にもとまらぬ速さで料理をさばき、出していく辣腕料理人達の手管に私はついていくのがやっとでした。そして次々と出される料理はやがて、ホールの従業員のキャパを超えて、置き去りにされるようになり始めました。しかし料理人たちは料理を作ることを止めません。ホールと厨房をつなぐカウンターの上には残酷に冷めた料理がどんどんと増えていくのです。 

 ちょっと、一旦、止めませんか? 私が堪らず言うと、 

 え? なんで? と先輩達は不思議な顔をします。 

料理、冷めてますよ。私が言うと、あぁ、さっさと運ばねーからだよ。と言って笑います。 

 やがて料理は大量に残されて戻ってくるようになりました。しかし誰も気にしません。私は自分が『非公認生物』なので不満を感じる事や文句をいう事が不正解なのをよく知っています。それが大自然の摂理で、大正解なのですから。でも私は我慢が出来ませんでした。 

 ちょっと、いったん止めましょうよ。全然運べないからから。 私が言うと、

は?じゃあ、やめるよ。お前作れよ。と 料理人は一番鍋を離れて、タバコを吸いに外に行ってしまいました。私は慣れない大鍋を振り、大量の料理を作る事になり、そして案の定、右手の甲に油をかぶり大火傷を負ってしまいました。今も、その痕ははっきりと残っています。 

 これが? プロ意識?? 私は唖然としました。 

 しかし私はそれから10年ほど、その同じ理屈の中で、同じ事を繰り返したわけです。仕事に慣れた私は、ただその場が過ごしやすいと言うだけで、私が生きるために絶対に譲ってはいけないルールを裏切って、私を抹殺しようとする大自然のルールに従って、やがて軽やかに大鍋を振りながら、ヘラヘラと笑って、出ようが出まいが関係なく大量の料理を作るようになっていたのです。          


 妻が私を買い物に誘った本当の訳は、重い水とお米を買うからでしたいい、それでいい。まるで『蜂の8の字ダンス』そのものな、素敵な可愛い、そして残酷なルールでした。 

 帰りに練習試合から帰ってきた息子と会いました。すっかり大きくなって帰ってきました。今日は、ヒット1本打ったと言っています。いい、それでいい。 



 第48章 『グリーンスラックス』 

 小説をどうにかして上手く描きたくて、いろんな人の作品を読んでみたり、この人、面白いよ!と言われた作家の作品を追いかけてみたり、いろいろやったのですが、やっぱりどうにも、それは他人が他人の目で見て描いたモノで、自分が書きたいモノではない。読みたいモノでもない。つまり、どんな作品をどれだけ読もうとも、満足しようがない。やっぱり自分の読みたいモノは自分で書くしかないという事に、どうしてもなってしまいました。 

 音楽もそうでした。どんなに素晴らしい演奏を聴いてもライヴを見ても、最終的には自分が聞きたい音楽は自分で作るしかない。そしてその作品は世界中から絶大な支持を得て、天才の名を恣にして、27歳でオーヴァードーズで突然いなくなる。そんな現実は私にとって不自然でも何でもありませんでした。疑う余地など少しもなかったのです。 

 当然、それは間違いでした。 

 きっと天罰だったのでしょう。もしこんな考えにかまけている若い人がいたとしたら、いったん止まって、ゼロから自分の感性を見つめなおしてくださいと言います。絶対に。 

 『自分が聞きたいモノは、他人も聞きたいモノでなくてはならない』そんな事を本気で言ってるんだとしたら噴飯物です。他人は一も二もなく自分を評価しなければならないと? 

 もし本当に本気で言ってるんだとしたら……、 

 バカです。 

 あぁ、そうか……。じゃあ私の長い音楽ライフは何十年も掛けて自分の中のバカを育ててきただけだったのか。私は悪性腫瘍をせっせと育ててきただけだったのか。 

と、ある日気が付き、大いに落胆したのです。 

 畢竟ずるに、才能とは他人が決めるモノなのです。私にはバンクシーの良さが一向にわかりませんが、それは私が間違っているのでも、バンクシーが正しいのでもなく、ただ現実が違うのです。

 ボウズ、夢を手に入れるなんて考えるな、雲をつかむような話だよ……。 

 オヤジによく言われたのを思い出します。 

 いいか、お前はね、とにかく人の迷惑にならないように、それだけ考えて、人を見て真似だけして生きていきなさい。お前がその浅い見識や知識で判断するから踏み外すんだよ。お前が損するだけならいいが、それは必ず、巡り巡って他人の迷惑になる。それなのに、お前の身の回りの大切なお手本を見もしない。 

 それがお前の欠点だ。欠点であり弱点だ。 

  お前の欠点や弱点はいつか必ずお前の邪魔をする。そんなモノを『個性』だとか『主張』だなんて、努々考えてはいけないよ 。きっと今こうして私がしゃべっている事も、お前にとっては退屈極まりないことだろう。所詮は、他人が他人の目で見た世界についてくだくだと語っている様にしか思えないんだろう。そうだ、それはそうに違いない。だがな……、 

 つまり生きる事は退屈な事だということだよ。これが唯一の正解だ。 

 父は80を待たずに死にましたが、私もだんだんと父の死んだ年齢に近づくにつれ、きっと最終的には自分もそう思うのだろうと感じています。

 ただ、退屈な事だという、その意味が、いったいどういう意味なのかが重要になってくるんだと思っています。必死になったヤツが絶望するのだという理屈に異議を唱える人は、世界に一人もいないと思うからです。 

             


  

 旧知の友人が自ら命を断ったと聞かされた時の私の心情は、おおよそ尋常なモノではなかったと覚えています。私は何をしていいのかわからず、とりあえず共通の、すぐに会えそうな友人に電話でそのことを伝えました。案の定、すぐに会おうという事になりました。 

 ヤツの部屋であったのですが、本当に始めの1時間ぐらいは、お互い一言も話さずに、ただ手酌で酒を飲んでいたのを思い出します。やがて徐にヤツが、 

アイツの、下の名前、なんだっけ? と言ったのです。 

それを思い出さないと始まらない。それをずっと考えていたのだと言いました。 

 私は、タケオだ、といいましたが、ヤツは違うと言いました。そして、多分ヨシタケだ、と言いました。お互い譲りませんでしたので、じゃあ卒業アルバムで確認しようという事になり、押し入れの奥からわざわざ段ボール箱を出し、その中の埃塗れの一冊を引っ張り出して確認した名前は、そのいずれでもありませんでした。 

 じゃあ、俺らは誰について話をすればいいんだ? 

写真の顔は一致しているのですが、喋った記憶や、その裏にあったと思われる陰鬱でシニカルな本音の一つ一つが、ヤツと私ではまるで違うのです。 

 ヤツはとうとう、お前、なんも知らんくせに! と怒り出しました。 

 いやいや、知らんのはお前やて! 私も譲りません。お互いに、彼を自分の作品にしたかったのでしょう。 

  


 彼の棺にはグリーンのスラックスが納められたそうです。それは入社が内定していた会社の入社式に履いていくはずだったモノで、店員が、入社式だから紺か、グレーがいいんじゃないですか、といくら言っても彼は、いや、これが俺だから、と言って譲らなかったそうです。その翌日、彼は命を断ったそうです。 

                   *

 という風にね、自分の考えに固執してね、自分を取り巻く環境を、どうにか自分らしくしようとしたってね、うまくいった奴って、世界に一人でもいるのかね? 


 私は独り言のつもりだったので、そうですねぇ~という、昔の子の声がした時、飛び上がるほど驚きました。 

「俺ならとにかく、そう、とにかく胸を張りますね。それぐらい誰にだって出来る事でしょう。そしてわからない事にだけ目を向けます。だって、わからない事なら何とでもなるでしょ。毒を飲んだら死にますよ、首を吊ったら死にますよ。そんなのわかり切った事じゃないですか。常にわからない方を見てればいいんですよ、そして胸を張って何も考えないで笑っていれば、とりあえずいいんですよ」 

  

「じゃあ君は、なにがあってもなにもやらないの?」私が問いかけました。すると昔の子は、 

「わからない事に対して、何が出来るんです? だから俺はただ自分が思う様に行動するだけです。誰の迷惑にもなりようがない。誰にもわからないんだから。死んだ時、俺は手から茶碗が落ちるまで、落ちるなんて少しも思わなかった。予感なんてないんですよ。運命なんてないんです。だから今、胸を張ろうと思ったから胸を張るんです。それだけです、答えになってませんか?」 

 「それで、君は、退屈じゃないのか?」私がそう訊ねると、昔の子はハハハハと笑って、 

しっかりしてくださいよ!店長。退屈も何も、俺専用の答えなんて、もともと有るわけないじゃないですか!虫や動物や、命が一つ一つに専用の答えがあったら世の中どうなります? 麦飯で握り飯を握る様なもんですよ。ボロボロに崩れて、時間だってバラバラに進んで収拾がつかない。我々は一緒になって一つの時間を共有しているんですよね。そうやって動かしてるんですよね。我々が自らそうしてるんですよね。違います?? ちょっと、しっかりしてくださいよ、店長。入荷品の検品するからどいてください。老いぼれましたね、店長……」 

 なかなか言う様になったな昔の子……。明け方、ヤツ部屋を出た時、私はいつかコイツとも疎遠になるだろうと予感したのを思い出しました。そして実際、結婚を機に音信不通になっている事を思いました。しかしそれも予感ではなかった。その時は考えもしなかったのでしょう。今、そんな風に思い出しているだけで。

なぜ、会ったのだろう? ただ旧友の死を肴に飲みたかっただけなのかもしれない。

 ところで、私は今何歳なんだろう。痛たたた……、長く座り過ぎて腰が痛い。一応、季節は秋という事で……。 

  

『いきてるきがする。』《第5部 夏》


もくじ


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 第37章(ご内聞に)

 町を歩いていて、あぁ、世の中とまだもう少しだけ繋がっているなと感じられるポイントは3つ。 


1.公園の水飲み場に張られた『使用禁止』の黄色いテープ。 

2.コンビニの袋にまとめられた白いボール状の生活ゴミ。

3.盗難防止の紐が付いている消毒剤。 


ですかね。 ご覧になってすぐわかると思いますが、これら3つはすべて異常です。私はこういう異常を見るとホッとするようです。停滞とは淀みの事です。動かなければなりません。異常と正常では圧倒的に異常の方が流動的でアクティヴですから。こんな状態、絶対長く続くはずがありません。 

『犬を連れ込んではいけません!』 『キャッチボール禁止!!』 

 おいおい!なんだそりゃ? 犬の散歩もキャッチボールもできない公園なんて何の意味があんだよ。 だいたい公園の木ってのは、野球のボールが引っ掛かったり、犬がションベンかけるためにわざわざ植えられているんじゃないのか?  

 違うのか? じゃあ何のためなんだ? 大気に酸素を供給するため? ほぉ~、御大層な!猫の額ほどの公園がまるでアマゾン気取りだな。 

 なに! それも違うのか?じゃあ何のためだ? マジわかんねーわ。何で??

 あぁ、ホントはよくわかってるよ。あれだろ?『癒し』 だろ? まったく、ふたことめには念仏みたいに 癒し、癒し、言いやがって。お前らが癒されなきゃならない理由がどこにあるんだ? お国が戦争しているわけでもなし、爆弾が落っこってくる心配もしないで口開けてガーガー寝ていられるんだから、毎日遊んでるようなモンじゃねーかよ! 

 それをテキトーに木を植えりゃアホみたいに群がりやがって、あぁ癒された!自然、最高! 平和、最高!! って、バカか? 木と平和に何の関係があるんだよ……。 

 平和なんてな、戦争の海に浮かんだ小舟みたいのモンなんだよ。2発も原爆落とされてまだ気付いてねーのかよ! こりゃたまらん!平和も神もねぇ、ってさすがに気付いただろ? その通り!あるのは自然だけだ。どこまで行っても自然だけ。不自然なんてどこにもありゃしねーんだよ! 

 しかし賢い人間は先の戦争で大いに学んだんだとよ。それで大いに成長したんだとよ。その結果、へーわ、なんて成分のわからない錠剤こしらえて、とにかく飲め!と、地雷の様に世界中にばら撒いたんだね。飲まん奴はしね!とね。大概の人間はそれを何も疑わずにパクっと飲んだ。そうしたらだんだん笑いが止まらなくなってくる。 

 ハハハハハハハッ!ってな、指2本立ててピースピース!だってよ、ありゃ完全に副反応だよ。

そんなシャブ中野郎が「いきてるって素晴らしい!!」だと?そういう愚にもつかない妄想が、徹底的に自然を無視するように人間を仕向けてるんだ。そして手前勝手な不自然なだけの地球環境を守ろうとか、あらゆる生き物と共存しようとか、100年後の子供たちに最高の環境を残してやろう!とかね。完全にイカれてる。 

 そしてそういう傲慢な考え方が正義・正論として崇められる様になると、またそれが全ての戦争の原因となるんだよ。 何回繰り返すんだよ。そんな『よてーちょーわ』をよ!


 この島にもかつて『日本人』って民族がいたさ。絶滅したけどね。今はかつて日本人住んでいた列島に日本人の亡骸を肥やしに繁茂した雑草が生い茂るだけの耕作放置地だよ。でもそれでよかったのかもな。それが自然だよ。 


 いえいえ、なかなかそこまでは落ちぶれてはいないでしょ。 

 だって君、あの公園のメッセージにしたって、別に私に向けられたモノでも君に向けられたモノでもないだろ。誰の健康を気遣ったモノでもない。詭弁だよ。今の平和はすべてあれと一緒だよ、責任逃れ、詭弁だ。 

 そして世界はいつでも消えられるように粛々とその準備だけを整えているんだ。すべての創意工夫はそのためだって訳さ。風が気持ちいいだって?夕日が美しいだって? ハハハ、噴飯モノだ。何か言えるのかい? 

そんな悲観的な、ハハハ……。

                   *

 店から、万引き犯を捕まえた、と言う連絡があり店に向かっているところです。全然売れない店にも、万引き犯はちゃんとくるんだなぁと私は、いったいどんな奴だろうと、むしろワクワクして歩いていました。 

 公園の木々は初夏の装いを見せ始めています。夏が近づくにつれ、緑はますます濃く険しく、真剣なまなざしに変ってくるようです。それを見て私は毎年、木々が決して夏を歓迎していないのを感じるのです。 

 店にいたのは、老人男性でした。売り物の椅子に腰かけて、売り物のマグカップを一つ手に持っていました。 

 いらっしゃいませ。私が言うと老人は、あぁ、こんにちは。そう言ってにっこりと笑いました。私が、この人? と目配せすると、今の子は、この人です。と目配せを返してきました。  


 夏の木々がやろうとしている事の本当の意味はいったい何なのでしょう。ただやみくもに地を覆い尽くして生存競争に明け暮れた挙句、やがて窒息して滅びてしまう事なのでしょうか。 

 それともセミやカブトムシに居場所を提供して、彼らを神のよう優しく守る事でしょうか。しかし彼らの口はもともと樹液を飲む仕組みにしかなっていませんから別段感謝する気はないようです。我々だってそうでしょ? 

 誰が、火山や雷や台風にいちいち感謝します? 

 そして木々は自らの存在を疎ましく思いながら、誰がこんな苦しい事をさせるんだ? と詮無い事を呟き、身をよじっては枝を伸ばし、濃緑の葉で全身を覆い日の光を避けながら、それでも日の光がないと生きていけない自らの存在の矛盾に苛立ちつつ、煩悶懊悩を繰り返しながらも、結局小さな生き物を守るという目的のために自分が生かされていて、そのために全生命を費やしている事には最後まで気づかずに、やがてにそっと枯れ果てるのですよ。 

 たとえばね……、 私は老人に言いました。

 たとえば、お互いがお互いの背景になっているとしたら、それは矛盾でしょうか? 

 あぁ、そうだね、あぁ、そういう言い方も、あるかもしれないね。老人は深く頷きます。

 やっぱり、この人だ……。 

 その瞬間、私の指先に、生きたままザリガニの腰を毟った時の、ブリッとした感覚が蘇りました。 

 まだ、セミは鳴いていないようですね。私が言うとその老人は、まだもう少し早いようですね、と言います。 

やっぱり、間違いない。あの時の人だ。

  そして私の耳に、セミの羽根を毟った時の断末魔の声が蘇りました。 

 子供の残酷さは『愛着』によるモノだと以前ここで書いたことがあります。『愛着』『愛情』の様に思いやりや信頼の内に留まる事はありません。そしてすべての感覚を完全に支配してしまいます。私も子供の頃、自分が心底残酷な人間だという事を知りました。それは怒られたからです。田圃でザリガニを捕まえては、それをそのまま道路に投げると、ヨチヨチと田圃に戻ろうと歩くザリガニを砂利を積んだダンプカーがグシャッと潰していくのです。 

 そんな時、私はホッとするんです。 得も言われぬ歓喜が心の底から湧き上がるようでした。皆さんはきっと 他の大人と同じように『可哀そうだろ!』と子供の私を叱るはずです。 それを可哀そうだと思わないような奴は『人間失格』だという事です。つまり私は『人間失格』だという事です。 それならそれでいいでしょう。

 でも私はね、ザリガニの一生の役割がそこで終わるなんて少しも思ってはいなかったんです。何かをするという事は何かを殺すという事に他ならない。私はただそれをやっただけ。現に今、私はあの、唯一無二の、グシャッ、というザリガニが潰れる音を、羽根をもがれた激痛と絶望に上げたセミの断末魔の叫びを思い出しています。それ考えながら文章を書いています。もしあの経験が無かったら、私はこんな文章は書けなかったでしょう。何もせずに生き続けるのは不可能なのと同じ意味で、何も殺さずに生きる事は不可能という事です。

つまり生きる事は殺す事なんです。 

 だから私は、出来るなら一秒も欠かさずにザリガニを殺し続けたいほどでした。もっともっと幸せになりたかったのかもしれません。もっともっと楽しく生きたかったのかもしれません。或いは私は、ザリガニもセミも全部食べてしまえばよかったのでしょうか? いいえ、それは違います。それこそ詭弁です。よりよく生きようとする純粋な思いはきっと純粋な『愛着』によってしか醸成されません。純粋なまま大人にはなれないのはそういう事です。 

 常に生きているモノのために、常に死に続けるモノがいるのは誰でもわかっているはずです。その逆も然り。水が流れ続けるのと同じです。地面の傾斜を悪魔と罵っても仕方ありません。神だと崇めても仕方ありません。しかし流れない水はやがて腐ります。ひょっとして、人の心が腐敗に向かうのを、子供の私は看過できなかったのかもしれませんよ。それが証拠に、昔から私は、真っ平に静まった田圃や湖にアベコベに映る全世界の無責任さを忌み嫌い恐怖していました。あんな巧妙なウソもないモノです。 

 でもどうしても、そのために我々に出来る事があるとしたら……。 

 いなくなることでしょうね……。 

 そう言って老人は笑います。 

 つまり、あなたはその事を私に伝えたかったんですね?

 その人はあの時と同じ顔で優しく笑いました。 

 だって……。じゃあなんで、可哀想だろ! って大声で叱ってくれなかったんです? 

 ん……、老人は少し寂しそうに俯きました。そして、 

 あの時、私はもうそういう良し悪しの外にいたんだよ、 

と言いました。 

 一切の良し悪しの外、つまりすべて良し悪しを自分で決めなければならない存在に、なりかかっていたんだね。 

 ちょっとわかりにくいんですけど、それは死ぬ事を言ってます? 

 いや、そうじゃない。死んではいないけど、いろんな物事が、全く平等に、同じ速さで目の前に現れて、ゆっくりと提示される。そうなるとなかなか良し悪しの判断が難しい。 

 ん、どういう事でしょう? 

 貴方の命と、セミの命と、ザリガニの命が、全く同じに目の前に提示されたら、誰を優先しますか?もし貴方と言うのなら、私は貴方を怒鳴ってはいけません。もし、セミと言うのなら、私は貴方の両腕を毟るしかありません。もしザリガニのと言うのなら、私は貴方を轢き殺すしかありません。そうやって、すべての後ろには無限の結果が続き永遠に広がっていくのですから、私はただ見ているしかありません。それはまさにさっきあなたが仰った、お互いがお互いの背景になっていると言えますね。 ハハハ……。 

 私は、間違いを犯したのでしょうか? 

 もし間違いを犯したのなら、蝉も、ザリガニもそういういう事になるでしょう。そこにいた私も。しかし私はもうその誰の立場で判断できなくなりかけていたんですよ。 

           


 すみません。そう言って一人の女性が入ってきました。 

 飲み物を買いにちょっと目を離した隙に、すみませんでした。なにか、壊しませんでした? あら、なに持ってるの!ちゃんとお返しして! 

 女性は慣れた手つきで老人の手からマグカップを毟り取ってテーブルに戻しました。 すみません、今後は十分に気を付けますので、あの……、苑には、この事は、ご内聞にお願いしたいんですけど……。 

 あぁ、わかりました。何もなかったですから、だいじょうぶですよ。 

 ありがとうございます。 

 老人と女性は一緒に店を出ていきました。出る時、老人が私に振り向いて小さく会釈しました。私も会釈を返しました。あの時と、同じ顔で。 

 ボケちゃうと、大変ですね。 と今の子が言いました。 

 そうだね、ボケたくないね。 私は言いました。 

 わからなくなるんですね。 昔の子が言いました。 

 どっちだろうね。全てわかっているのかもしれないよ。

 私が言うと、今の子昔の子も、キョトンしてしまいました。私のいう事がわからなかった、のではないでしょう。 

 多分、『何を当たり前な事を言ってるんですか?』 

 という意味の、キョトン、でしょう。 


第38章(コロナでしょうか?)

     

 どうも元気がないと思ったら熱が38度もあり、すぐに病院に行けと言ったのですが行かなかったようです。今の子にはそういう強情なところがあるようです。 

 そしてその夜、昔の子から今の子が倒れたと連絡があり、私は急いで店に赴きました。今の子はぐったりと床に横たわったままで、名前を呼んでも返事が曖昧でした。私はすぐに救急車を呼びました。今の子は朦朧としながらも、嫌だ、嫌だ、と繰り返すその理由の一つに、私は思い当たる節がありましたありましたが……。 

 そんなこと言ったって仕方がないじゃないか。 

 救急隊員に今の子の名前や住所や、私との関係を訊かれた私は、あの母親に連絡を取るしかなかったのです。 

 私だって気が重かったです。今の子が置かれている環境に問題がある思った私は、連れて帰るという母親に、今の子を渡さなかった経緯があるからです。 

 ほら、きっとこうなると思ってました。だからあなたなんかに任せたくなかったんです! きっとそう言われると思ったのですが、電話に出た母親は殊の外冷静に、わかりました、すぐ行きます。と言って電話を切りました。 

 母親が病院に現れた時には今の子の状態は幾分落ち着いていました。 

『○○君』と名前を呼び掛ける母親に今の子は、ん……、と言って目を瞑りました。そして小さな鼾をかき始めました。 

 コロナでしょうか? 

 そう言いながらも、母親は私には一瞥もくれません。

 

 私は母親のこういう態度の隅々にまであの見知らぬ人間の影響を見ないわけにはいかないのです。 

皇極法師。 

  この母親はまだ洗脳されたままなのでしょうか。 

  頭痛い? 喉、乾いてない? 

 母親は優しい声でそう訊ねました。今の子は何も答えません。 

 先生、コロナじゃないでしょうか? 

 母親は医者にもそう訊ねます。私は医者を見ました。こういう場合、一体医者がどんな説明をするのか、私はとても興味がありました。医者は、 

 そんな事わかるもんですか、 そう言いました。母親はキョトンとしています。 

 え?検査したり、いろいろ調べればわかるじゃないですか? 

 うんうん、そうやってね、あなたはまだまだ胡麻化そうとする。騙され続けようとするんですね。

 私は医者のこの言葉の意味に、この時は気付けなかったのです。コロナじゃないと思い込もうとしている事を、やや厳しめに指摘しているのだろうとか、そんな風にして、実際に目の前に起きている事を胡麻化そうとしていたのです。

何を言ってるんです先生。揶揄ってらっしゃるんですか?

じゃあね……、そう言うと医者は椅子を回して母親に向きます。 

じゃあ坂本龍馬はコロナですか? ナポレオンは? 

 母親はさらにキョトンとします。 

ツタンカーメンは? キリストは? 

あの……、仰ってる意味が、よくわかりません。 

 いいえ、あなたはわかってらっしゃる。わかっていてわざとわからないふりをしている。たまにいるんです。そういう方、特に親御さんにね。 

 あ、先生、それについてはいいんです。答えていただかなくてもいいです。 

 私はたまらずに割って入りました。詳細はまだわかりません。ただまた世界がゴチャゴチャになりそうな予感があったのです。私がいつも見ていた、あの、妻や息子が暮らしている大切な世界が、一瞬にしてゴチャゴチャになる瞬間がまたやってきそうな気がしたのです。 

 やっぱりふざけてらっしゃる、 当然、母親はそう言い返します。 何で坂本龍馬やナポレオンがコロナかどうかなんて事が関係あるんですか? 私は息子の事を訊いてるんです。今の息子の状態はどうですかと訊いてるんですよ。 

 医者は眼鏡をはずしてやれやれという顔をしました。そしてハハハハ、と笑ってしまったのです。

 何が可笑しいのです? 目には明らかに怒りの光が満ちていました。この医者は少し意地が悪い人のようです。薄い笑いを浮かべながらこう言ったのです。 

 息子さんねぇ、もう亡くなってるじゃないですか? あなたはそれを知らなかったとでも仰るのですか? 

 医者はまるでシャツでも選ぶように、『今』というクローゼットから白衣を一つ選んで羽織りました。それは珍しい事でも何でもありません。普段我々も普通にやっている事ですから。 

 え!何をおっしゃるんです! 息をしているじゃないですか。寝息だってちゃんと聞こえてます。 

 いえいえいえいえいえいえいえいえ……。医者は笑いを嚙み殺しているように見えます。もう耐えられなかったと思います。もし私がこの母親の立場なら、その場で医者を殴り倒していた事でしょう。その点、母親は冷静でした。 

 医者である以上はね、当然命を救うために最善を尽くします。しかしもう亡くなってる人を、どうやって救うのです。コロナかどうか、どうやって検査できるんです? 

  私は目の前で『今』がグニャグニャになっていくのがわかります。その時ようやく、私はまだ見ぬあの男の思惑に流されていると気付いたのです。この医者は、皇極法師! 

 落ち着いて! 二人ともこだわり過ぎなんですよ。いい意味でも、悪い意味でも! 

  私は、『今』の軸を完全に見失っていました。しかし妻と息子が暮らす世界を諦めるわけにはいきません。私はもう、自分が何を言ってるのかよくわからなくなっていました。 

 私は母親と医者のちょうど真ん中あたりでただオロオロと左右を見ている状態です。2人それぞれの時間に、まるで乗り切れないのです。情けないけど仕方ありません。母親の顔がどんどん青白くなり、怒りがこみあげているのがわかります。医者は淡々と死亡診断書を書き、母親は息子の寝息を確かめている。医者の机の時計は午後9時半過ぎでした。私はジッとして判断を待ちます。 私は、自分に『落ち着け!落ち着け!』と言い聞かせます。

 人間は必ずいつか死にます。なぜだかそうです、それが一般です。みんな死ぬ、まあそれはいいんですが、それってゴールテープを切るようなモノなのですね。ゴールテープを切った瞬間に、ストップウォッチは止まります。そうしないと正確な記録が取れませんからね。ただ過去と未来は初めから『今』のその中にすべて含まれているのです。含まれていますがしかし、 

 『今』を点として定義して、必ず時系列に並べてないと、現実としては訳が分からなくなるのです。いろいろな辻褄が合わなくなります。しかし辻褄が合わなくなるのは、現実を点として定義して時系列に並べるからで……。

 それは過去、今、未来が混然と混ざり合っているというよりも、むしろ習慣というか、さらに言うと一種の『クセ』のようなモノなのですね。 

 理解というならば、全て目の前に確実にしているのですが、『点』として理解する事を人間は良しとしません。時間に応じて見る癖が、どうしても目の前の現実を納得させないのです。理由は過去にあり、結果は未来にある。『今』はそうちょうど真ん中。つまり私の今の立ち位置ですね。だから何もわかりません。だからオロオロとして左右を見ているのです。誰かと理解を共有するためにはどうしても、『今』を同じ一点に定めないと、そして時系列に並べないと、人間同士は会話すら成り立たないんです。はぁ? 何の話? と、なってしまうんです。 

 熱はだいぶ下がったようです。医者が言いました。でもそれにしたって、医者が母親に譲歩したわけじゃありません。母親が矛盾を突かない事からもわかります。母親は『○○君』と優しく名前を呼びました。今の子は、ん……、と返事とも寝言ともつかない声を出しました。私だけが弾き出されたような状態でした。 

 でもよかった。 

 2021ねん7がつ、世界中を席巻するコロナウイルスは、無数の『今』を持って襲い掛かっています。いいえ、正確には襲い掛かるとは違います。そこにじっと佇んでいるだけなんですが……。 

 時系列にしか理解できない人間にはそれが突然に見えるんです。何度も何度も、同じ繰り返しても、それが毎回突然に見えるんです。人生は一度きり、なんて事、みんな言いますもんね。 

 坂本龍馬もナポレオンも、ツタンカーメンもキリストも、ストップウォッチは止まったまま、それでもずっと、歩いたり止まったりしているんですよ。 

 ここは何処なんだろう? この先、どうなるんだろう? 

なんて、我々と同じような事を思いながらぐるぐると、疑心暗鬼に歩き回っているんです。アイツは死んだな。こいつも死んだな。 と他人ばかりに目を遣りながら……。 

 翌日、熱の下がった今の子と一緒に店に戻りました。 

母親は今の子を連れて帰るとは言いませんでした。そのまま病院からタクシーで帰っていきました。梅雨の雨がシトシトと降っていて、タクシーは病院の坂を下りて見えなくなると、ドット疲れが湧いてきました。 


第39章(真夏のチンドン屋)

 車検なのに有給使えって、有給は夏休みのためにとっておきたいんですよ。 

 じゃあそう本部と直で掛け合ってみなよ、無駄だと思うけど。とにかく昔からうちはそういうシステムだからさ。 

  知らんがな。 

 こうやってね、世の中は廃れていくんですよ。廃れてきたんですよ。文明なんてね、恐らくは廃れに廃れた成れの果ての姿ですよ。立派でも何でもない。人間の歴史なんて、ただ廃墟の上に廃墟を築いてきただけ。祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す。 

  知らんがな。 

 仕事が減り、昼過ぎに終わることもしばしばで、そんな時、私は近所の公園をぶらぶらするんです。夕方まで。 

 3年前、私は両膝の手術をしました。半月板軟骨がボロボロで、内視鏡で見ると、粉々に千切れた半月板が、深海の生物の様に、ふわふわとひざの中を漂っているのが見えました。そしてそれからほぼ一年間、私は世の中から完全にドロップアウトする事になる。まるで動物園の熊みたいに、狭い家のなかをウロウロして、毎日何の価値も見出さず、誰にも許されもせず、誰の許しを請いもせずただただ生きていたのです。 

 あれが熊かい? なんであんなにデカいんだ。それなのになんであんなに目が小さいんだ? 座布団みたいなデカい手でおいでおいでしているよ。おい、ちょっと誰か、パンくず投げてみろ、あ!食った! でかい図体して、あいつパンくずなんかを喰ったよ。ますます要らない図体だな。 

 そう、檻の中にいるのに、熊は熊である必要はない。人や鹿を瞬殺する腕力にも何の必然性もない。私も、家の中をウロウロするのに、親である必要も夫である必要もない。 

 こんな意気地のない事を言ってると、優しいあなたはきっとこう言ってくれるでしょう。 

『いえいえ、全く逆です。熊だから、その無駄に大きな体に固い毛皮を纏って檻の中にいるんです。森の中に潜んでいるなら、誰がそれを森と分別して熊と呼びましょう? 家の中にいて何の問題もないのなら、誰がそれを家庭と分別して親と呼びましょう? 親だから、無駄な愛情や不安を纏って家の中をウロウロするんです。 

 あなたは、父親として、夫として、家族の心の支えになっている事は間違いないのだから安心していればいい。まずは心を腐らせずに、怪我が治ればまた、仕事ができるようになるんだから、それまではじっくり時間をかけて治せばいいじゃないですか。人生、山あれば、谷あり、ですよ』と。  

 ありがとうございます。でも、優しいお言葉に無礼なお言葉で反駁しますが、実際には山も谷もありませんよ。時間なんて、私にとってはのっぺりとしただけの、存在しないと同じようなモノなんです。それに私が過ごしているのは時間の上じゃありません。檻の中です。そして私はこんな事に気付いたんです。 

 私が私である根拠も責任も、おろか必要など、初めからどこにもなかったんじゃないか。いや、実際私など、何処にもいないんじゃないか。  

 私が自分のそばにこんな世界がぴったりくっついてある事を知ったのは、こんな風に自分の存在を疑った事に端を発しています。私は、私に限らず、自我というモノは、実在しないんじゃないか? ある日ふと、そう思ったんです。そうしたら急に何もかもが止まって見えた……。 

 月から地球まで、2秒間『今』が継続しているという考え方は、結果的に私を救ってくれました。誤解でも何でも構いません。宇宙の仕組みなんて、私には基よりどうでもいい事です。だから相対性理論にしたって、私には時間の特徴のほんの一面としか考えないのです。シーケンスされる時間と、放射状に広がる空間の、どうせ追いつけようもないこの2者の、どっちが鬼なのかも判然としない果てなき追いかけっこは、檻の中の私に、目の前からすべてを奪いながらも同時に、そのすべてが目の前に存在してある事を保証してくれました。

 昔近所にいじめっ子がいて、私にだけとっておきのおもちゃを見せてくれなかった、それと同じです。でもいじめっ子の手の中には、確実にそのおもちゃがある。だからくやしいんでしょう?

 そしてそれが、今の私の全ての励みになってます。私はこの励みなしに、自力で生きている事はたった1秒だって不可能だと強く確信しています。 

 だが恐ろしい事に、この世の中ので生きているほとんどの人は、この励みを持たずに暮らしているんです。私に言わせれば、それは自動車の手放し運転と同じです。 何でそんな事をしてるんです? 怖くないですか? 辛くないですか? ねえ、すると妙な景色が頭をよぎりませんか? 自分が死ぬか、或いは殺すか。 

 それ、嘘でも妄想でも想像でもないですよ。目の前にある、厳然とした現実ですよ。檻から出た熊は必ず発狂します。そして人やモノを手当たり次第に襲撃します。檻で隔てられていたある事はわかっていたけれど、実際にはなかった不可解なモノがいきなり目の前に迫ってくるのだから無理もありません。 

 人間だって同じ事。例えば、明日自分が死ぬとしても、それはもう目の前にありありと見えているのです。そう頭をよぎった以上、その恐怖は現実のそれと何ら変わりがありませんからね。私はそれを、目の前にありありと見ながら、でも檻によって守られている。そう思う事でやっと、毎日の生活を送っているのです。 

 自宅療養の間、私はよく同じ夢を見ました。アクセルもブレーキも付いてないトロッコに乗った幼い息子と妻が、どんどんと炭鉱の深い穴の奥に向かって滑り落ちていく。私は追いつこうとレールの上を走ろうとするのですが、膝がガクガクで全く走れません。

 そして気付くのです。それまでは登り坂だと思って勝手に苦しみ喘いでいた人生が、実際はずっと下り坂だったという事です。疲れようが、膝がガクガクで走れなかろうが止まれない。そしてどんどんろくでもない方向へと下り続ける。 

 そうです、人生はずっと下り坂なのです。 

 いい事なんて何もない。どうせ行きつくところは死です。そんな事は誰でも知っている。じゃあ何かを目指す、目標を持つってどういう事なのよ?

                   *  

 目標なんてね、ただの寄り道に過ぎないんだよ。峠の団子屋だよ。ハハハ……。 

 激しいせみしぐれの中、公園の木陰のベンチにチンドン屋さんが3人で休憩していました。公園で今日行われるはずだったイベントが中止になったのを知らされずに来てしまったと言っています。てんでに持っているのは公園入口の自販機でさっき買ったばかりだと思われる、まだ冷たそうな、たくさん水滴の付いたペットボトルの麦茶。600ccの少し大きいタイプです。座長と思われる恵比寿様の表面には大袈裟なしわの影と汗の粒が点々と浮いています。 

 来月、君らの給料すら覚束ないというところだよ。払えないかもしれない。 

 残りの二人は黙っている。一人は黒襟の町娘風、クラリネットを膝の上に持っている。もう一人は瓦版屋風、手ぬぐいを頭にのせてチンドン太鼓を前に抱えている。 

 君ら、まだ若いんだしさ、やめてもいいんだよ。生きるってのはね、そりゃあもう残酷な流れ作業ですよ。

 やめませんよ! 

 クラリネットを持った町娘が言いました。 

 私やめません。やっと見つけられそうなんです。 

 娘の広めのおでこにも、汗の球が光って見えます。 

 子供の頃はお姫様になるのが夢でした。でも両親が離婚した瞬間に、私はお姫様ではなくなった事を知りました。でもどうしても自分をもっと素敵にしたくて、好きになりたくて、地下アイドルもやりました、舞台女優も、風俗嬢もやりました。でも全然好きになれなかった。むしろどんどん嫌いになった。ずっと人前が嫌いで、人と話すのが嫌いで……。 

 『ふん、実力もないくせに目立とうと思って』何をやってもすぐにそんな言葉が聞こえてくるんです。誰かに言われるんじゃなくて、自分の中から聞こえるんです。生きる事はなんですか? 目立とうとする事ですか? 自分を好きになるために努力する事は、目立とうとする事なんですか? 

 そう言うと娘は立ち上がり、クラリネットで『美しき天然』を吹き始めました。はげしいせみしぐれが一瞬にしてクラリネットの旋律を包みます。新しい蝉しぐれの誕生です! 新しい公園の誕生です! 新しい地球の、新しい宇宙の誕生です! 娘は嬉々として『美しき天然』を吹いています。 

 素晴らしい! 私はそう思いました。もともと素晴らしい『美しき天然』の旋律が、娘の着物の和柄とクラリネットの音色と相まって、まるで針と糸の様に、空間を見る見るうちに刺繍していくようでした。 

 あの瞬間だけは本当に、命も金も、どこにもない様に見えたんです!

 しかしなんて暑い日なんでしょう! このまま吹き続けると、娘はきっと熱中症で倒れてしまいます。もう白粉のない首の辺りが真っ赤です。 

 君のクラリネットの腕はホンモノだ。 

 チンドン太鼓を抱えた瓦版屋の男がそう言いました。 

 とてもにわかに覚えたとは思えないよ。ウィーンフィルにだって君ほどの奏者はいないよ。君はクラリネットで生きていくべきだ。 

 あなたこそ! 今度は娘が瓦版屋に向かって言います。 

 あなたのチンドン太鼓こそ、軽い響きの中にもしっかりと粘りのあるグルーヴがあって、レッチリのチャドスミスよりもパワフルで、エルヴィンジョーンズよりも流麗だわ。 

 そして座長! 

 二人は声を合わせました。 

 ん? なんだ?  

 あなたの声は、誰よりも何よりも人の心を温めます。真夏の太陽の様です。それは言葉の分からない外国の人の心をも温めるんです。 

 あ、あぁ、そうかい。それは、どうもありがとう。 

 僕らはまさに奇跡の3人なんです。給料なんかどうでもいい。座長、今、幾らあります? 

  幾らもないけど、どうするんだ? 

  今から僕ら3人で南半球に行きませんか? 

  南半球?行って、どうする? 

 僕らがやれる事は一つです。真冬の南半球に行って、真夏みたいに温めてやるんです! 

 私は自分が汗まみれな事に気付きました。だってかれこれ10分近くも、こんなやり取りを炎天下で聞いているのですから。 

 ん~、まあともかくだ。飯にしよう! 

 そう言うと座長は立ち上がりました。 

 そこにリンガーハットがあったから、そこに行こう。 

 メタセコイヤの並木をリンガーハットに向かって歩いていく3人の後姿を、私は見えなくなるまで見送りました。 

 3人は南半球に行くんでしょうかね。でも……、 

  熱情って、素敵ですね。 命って、目標って、素敵ですね!

 10分で100年分の夏を過ごしたような気分になりました。

誠に世知辛い、金と命が平気で天秤に掛けられるような世の中でこそ、

 何が一番大切なのか考えてみる。 

  とりあえず、有給じゃないな……。 


第40章(祖父の悩み)

 

 2021・8より、ひゅーすとん、ひゅーすとん。 

 様々な問題を抱えながら、2020東京オリンピックは正論とモラルの木々をなぎ倒しつつ前へ前へと進んでいます。結果は上々です。 

 あ、言わないで!ネタバレしないようにね!! 

 コロナウイルスももう人間の手を完全に離れ、打つ手もないまま、これもまた安全と健康の木々をなぎ倒しつつ、前へ前へと進んでいます。そんな中、東京は自分は勝手にオリンピックで浮かれつつ、国民には、絶対に浮かれるな! と矛盾した事を言っております。まるでチンピラが派手な車でガンガンに音楽を掛けながら、「ナニ見とんじゃコラ!」とまわりに因縁をつけているようです。

 あ、これも言わないで!ネタバレしないように。 

以上、2021・8からでした。ひゅーすとん……。 


 金魚の水槽を見ながら、どうやら私は居眠りをしてしまったようです。今の子も、昔の子もここにはいません。私は少しずつ、2人と私の関係を理解し始めているようです。雨が続いていたせいか、風がなんとも生温く、窓辺の超小型空気清浄機(一般的には『風鈴』とも言いますが)がフル稼働しているにもかかわらず、額には汗がにじんできます。 

 さて、と、私は誰もいない空間に話し掛けます。私は子供の頃からよくこれをやるんです。独り言ではないですよ、じっと耳を澄ましていれば、ちゃんと返事も聞こえて来るんです。 


 で、話の続きだけど、私があんなに泣いていたのは、戦争で父親を亡くしたせいだというそれは、あなたが実際に見てきた事、或いは体験してきた事をそのまま私に負わせているにすぎなんじゃないの? でなきゃこんな店を、こんなところに構えるきっかけが、私に与えられるわけがないじゃないですか。  

 ちゃんと、あなたが選んだ結果ですよ。

 そりゃあそうさ、すべては流れだから。でもその流れがどこからきたのか、私には見当もつかないし、そもそも決められない。自分の顔が、誰から受け継いで誰に似ているのかも、自分では決められないし理解することもない。 

 あなたは、両親の両方に少しずつ似てますよ。 

 そりゃあそうさ、私だって自分が第一世代の新品の命だなんて己惚れてはいない。使い古された中古の命で十分満足なんだけど、私だって私なりに考えたり、予想したりしてきたのさ。 だからこそわかるんだ。それはいつも突然に起きる。まるで消去法を逆手に取ったように意地悪く、いつも私の予想の間隙をついて突然起きて、そのまま何事もなく通り過ぎる。その一端で、命を落としたか、落とさなかったか。それはあまりにも些末な事過ぎるんじゃないかな? 

 でもそれが世界で一番健全な真実なんでしょ? 

 そんな事、誰が言ったの? はじめに言ったのは誰? 君? 僕? どっち? 

 いや、あなたが言ったじゃないですか! 

 え、知らない。君が言ったんじゃなかったの? 君って誰? どっち? 


 こんな調子で話しているといつも、フッと目が覚めるんです。 

 え、うそ? ぜんぶ夢? じゃあ、私は、あんなに頑張った剣道もまったく出来ないの? ギターも、まったく弾けないの? 

 そんな事を、もう何度経験した事か……。 

 だから私は何も不思議には思わないんです。今の子昔の子がいなくても、それはきっとそういう事情が、今私の目の前にあるのだろうと、ただそう思えば済む事です。 

 小さな黒い蜘蛛が一匹、カーテンをヨチヨチと登っていきます。 


  少年が入ってきました。私には初対面はあり得ないので、ジッとその少年を見ます。 

 誰だっけ? 

 少年は両手で小銭を混ぜながら、もじもじと食べ物ばかりを見ています。 

 誰だっけ? 

 やがて少年は、おじさん、と私を呼びました。 

 ん?  なに? 

 うん、えっと、50銭の餅買おうかな。70銭の餅買おうかな。 

 その一言で、私はピンときました。 

 あぁ、よく考えた方がいい。

 丸坊主の少年は綺麗な歯を見せて笑います。

 お父さんがね、小遣いをくれたんだ。金毘羅山のお祭りに行って来いって。

 そう、よかったね。お父さんは、怖い人かい? 

 怖くないけど変な人。変な機械を持ってきて、変なモノ作って売ってる。 

 あぁ、それは、カメラというんだよ。 

カメラ?? 

 そう、そしてその変なモノは、写真というんだ。 

しゃしん?? 

 少年はおそらく私の祖父です。祖父は大戦中、トラック島で戦死したと聞いています。でも同時に、私は祖父の膝の上で、戦争中の話を聞いた記憶もあるんです。 


 お前みたいに誰のいう事も聞かん自由な子は、自由に生きたらエエんやで。 ホンマにエエ時代やからな。何でも出来る、何してもかまへん、ホンマに、エエ時代やからな。 

 

 そう言って祖父は私の頭をポンポンと撫でるように叩きます。鴨居に飾ってある祖父の写真は出征前に曽祖父が撮ったモノだと聞きました。孫の私が言うのもなんですが、祖父はものすごいイケメンなんです。 

『大日本帝国海軍』と刺繍された海軍帽は、祖父の凛々しさと、祖父がいかに小顔であったかを如実に物語っています。 

大戦中。

 祖父は乗っている船が沈没する際、機関銃の弾が飛び交う海に飛び込んだそうです。機関銃の弾は、見えるそうですよ。空気を裂く音と共に、目の前を敵、味方なくただ飛び交う弾丸は存外平等なモノで、それほど怖くはなかったそうですよ。 

 で、飛び込む際、祖父は左足首に弾丸を受けたそうです。タイミングからいえば、0.何秒、でしょうね。頭に当たるのと。そしてそのまま日本の船に救出されるまで、恐らくは数時間、泳ぎ続けたそうです。アメリカの戦闘機は、泳いでいる祖父めがけて機関銃を掃射して来たそうです。 

 こらアカン! 絶対死ぬ! 思てな。おじいちゃん、次からメリケンの飛行機見えたら死んだフリしたってん。ほな、何もせんとブーンって飛んでいきおるわ。ほんで、あぁ、助かった!いうてな、ほんでまた泳ぐねん。 

 トラック島については、 

 あのな、よう『爆弾の雨』言うやろ。豪雨や! 無茶苦茶すんなぁ、いうてな。遠慮ないなぁ!思てな。殺す気か! 言うてな。ほんで、しゃあないからおじいちゃんも機関銃撃つんやけど、何処向けて撃つと思う? 機関銃は敵に向けて撃つモンやろ。せやから上向けて撃つしかないねん。ないねんけどこれがまあ大した破れ傘でな。もう途中でやめてん。アホらしなって来てな。弾も勿体ないし、絶対届けへん思てな。ほんで上見たら、ナニ、なんも大した事あれへん。 

 黒いトンボや、トンボが飛んどるだけや……。 

 あぁ、あれがホンマにトンボやったらすぐ捕まえたんねんけどな。ほんで『おい、南方の珍しいトンボ捕まえてきたぞ!』いうてな、虫好きのお前のお父ちゃんにお土産にもできたんやろけどな……。 


 祖父は私が中学生の時に亡くなりました。肺癌でした。やせ細って、でも棺に収まった顔は、生きている時よりずっと父親に似ている気がしました。 

 トラック島で死んだ祖父と、今目の前にいる祖父は、同じ顔なんだろうか。トラック島で亡くなった祖父もやはり、お前は自由に生きたらエエんやで! と言ってくれたでしょうか。 

 黒い蜘蛛がパッと何かに飛びついたと同時に、ドアが開いて今の子がパンを抱えて店に入ってきました。 

 あ、店長。 

 そういえば、私はこの2人にだけは面識がない気がするのです。きっと何か特別な関係に違いありません。

  おかえり。暑いのにご苦労様。

 両手の塞がった今の子が足で閉めようとしているドアの向こうから、風に乗って小さな笛太鼓の音が聞こえてきました。 

 ん?お祭り?

 あぁ、公園の神社に露店が出てましたよ。 

 あ、そうなの、縁日かな? ちょっと行ってみようか。 

 え!僕も行っていいですか?じゃあ、ちょっと待ってください。パンを並べますから。 

 公園の木の間からのぼり旗が数本見えました。そしてその下に、さっきの少年が両手で小銭を混ぜながら立っているのが見えました。 

 50銭の餅買おうか、70銭の餅買おうか……。 


第41章(オカンを思うと)

 兄から届いたメールには『今、うちの墓、こんな感じ』と写真が添付されてありました。そこには見覚えのある墓石が、ずいぶんと広々としたところにポツンと立っていました。 

 子供の頃は、お墓の水汲み場に行列ができるほど多くの家族と出くわしたモノですが、一つまた一つと墓を継ぐ家も途絶え、かつてお墓があった場所はだんだんと更地となっていったのです。

『ご苦労様でした』と私はそっけないメールを返しました。もっと気の利いた言葉も思い付くのですが、その辺は何と言いますか、身内に対する照れというか甘えというか……。 

 実家の事はすべて兄に任せっきりで、私は遠の昔にその権利を放棄してしまったような形になっています。だからこの件についてあまり暖かい感じが抱けません。申し訳ないような気持ちをただぼんやりと引きずりつつ、私は母の夢うつつの世界を想像してみるのです。 

  

 通夜の夜、兄は私に、 

「オカンは、お前の心配ばっかりしとったなぁ」と言いましたが、私は即座にそれを否定しました。 

 「ちゃうちゃう。信頼がなかっただけや」 

 兄はそれきり黙りました。線香の煙だけがつーっと、天に向かって真縦に糸を引いていました。 

          


 アンタにそんな事出来んのか? 

 アカンアカン!余計な事して怪我すんのがオチや。 

 やめときって! 絶対失敗するで! 

 しょーもない事せんでも方がええ。 

 アンタは黙ってジッとしとったらそんでエエねん。 

 長袖着て行き!すぐ風邪ひくくせに。 

 ほら!絶対やる思たわ! せやから言うたんや!お母ちゃんの言う事聞かへんからこういう事なんねん。アンタは自分の頭で判断せんと、お母ちゃんのいう事だけ聞いとったらそんでエエねん! 

 アンタの目ぇは……、もう一生、治れへんって……。 

 母はそう言って眉間に皺を寄せました。そして私を見てため息をつきました。深い意味は感じません。ただ表情が暗く、口の悪い女性だった、それだけの印象です。そして彼女は私の不幸な出来事を材料に、私の失敗は当然予見できたと、失敗したのは私が注意を怠ったせいだと、円錐角膜を患った事を私本人の5倍も10倍も落ち込んでみせて、暗に私を責めるのです。   

 そのくせ自分が謝る時は、 

 あそ! そらお母ちゃんが悪かった。ゴメンチャイチャイ、チャイニーズ! なにをいつまでもネチネチ言うとんねん! そこがアンタのアカンとこや!  

 これは、ギャグ、でしょうか?ギャグで済ませちゃってもいいのでしょうか? 人によっては、おもろいやんか、明るいエエオカンやん、なんて言いますが私には到底そんな風には思えません。 

           


 兄が、「アカン、ちょっと眠たなってきた、先に寝かしてくれ」と言って隣の部屋に行きました。私はビールグラスを手に頷きます。 

 人は、2回死ぬ。と言ったのは、永六輔さん、でしたっけ? 

 1度目は肉体の死、2度目は忘却による死。 

誰もその人の事を思い出さなくなったとき、2度目の死が、つまり本当に消滅が訪れるのだという事でしょうね。 

 それがいいと思います。永遠に遺体が残って、永遠に人々の記憶に残って、じろじろ見られて、もう終わってしまった自分のやった事についていつまでもとやかく言われ続けるのは、さぞやかましい事でしょう。  

 たとえそれが尊敬や愛情からであってもね……。


 息子が『心霊番組』を観ています。ビデオに偶然映った恐怖映像が何度もリピートされて、息子はそれをやや硬い表情で観ています。明らかに作ったようなモノや、顔といえば顔に見えなくもない、という微妙な様なモノまで。 

 『これは、この場所に取り憑いた、地縛霊の姿なのか……。』 

 私は息子の硬い横顔とテレビ画面を見比べてニヤニヤしています。安い焼酎が面白さを加担しています。 

 私は、『人が死んだらどうなる? どこへ行く?』 なんて事にはまるで興味がありません。もともと、人は死んだら、という発想がないんです。それは、いきている、という実感もないせいだと思っています。 

 私ではなくて、私以外が生きている。それで何の矛盾もないじゃないですか。どうしてことさら自分が生きている事にしてしまうのでしょう。私の母の死は、母以外の人に起きた出来事でしょう? 違いますか? 

 同じように、私が生まれたのは母の出来事でもしも母がその事を誰にも伝えずそのまま死んだら、私は母と一緒に消えてしまうのです。 

 ところが、 

 私には父がいて兄がいて姉がいて妹がいます。更に妻もいて息子もいます。友達もいて、職場には同僚がいます。仕事の取引先の人もいて、道すがら毎日すれ違う人もいて、これから出会うであろう人もいます。だから私はその人達の中に、少しずついるに過ぎないのです。 

 だから私は誰にも誤解されません。そのそれぞれが私なんです。 

 じゃあ実際にこの文章を書いているのが誰かって言うと、それは私ではなく、私に興味を持っ誰かなんです。 

 だれ? 誰かと言うと、それは……。 

 *

 私の店には二人の子供が店番をしているでしょう。 

昔の子 と、今の子。 

 あの2人は私がこのブログを書き始めるにあたって、何かマスコット的キャラクターはいないかと、フリー画像を眺めていてみつけたのです。 

  2人は、群馬県長野原町の応桑諏訪神社の鳥居のそばに鎮座される道祖神様です。そんなに古いモノでもなく、それほど有名なモノでもないようですが、私はこの2人が自分の店番にぴったりだと直感したのです。すぐに連れてきました。というよりも、2人が突然私の店のドアを開けて、店番をさせて! と入ってきたと考えています。私に断る事は出来ません。そう頼まれた時、私はこの2人の中にいるんですから。私はこの2人に店番を頼まれるために、わざわざここ店を構えているのですから。 

 でももしもその時、私が2人の頼みを断っていたとしたら……。 

 ドミノの列を逆に倒すような、奇妙な現象が起きていたかも知れません。 

 断った瞬間、私は2人の中にいないとなると、その前の、心霊番組を硬い表情で見ている息子とテレビ画面を見比べてニヤニヤしていた私もいない、という事は、母の通夜の話をしている私もいない……。 

 そして遂に私は、私を産んだ母の記憶からも消えてしまう事になり、1度目の死、2度目の死、ならぬ、 

 『1度目の誕生、2度目の誕生』もなくなってしまう事でしょう。 

 母の葬儀の時、結婚したばかりの頃の両親の写真が飾ってありました。もちろん、私がそんな写真を見るのはその時が初めてです。どこかの山に登った時のようなのですが、2人は肩を抱いて満面の笑みを浮かべているのです。 

 若い頃の父は背も高く、近所でも噂になるほどのイケメンだったと聞きました。母も、息子の私が言うのもなんですが、まるで女優さんの様な端正な顔立ちで笑っています。 

 へぇ~、なんて、私はその不可思議な写真を感動をもって眺めました。この2人はまさか将来、私の様な体の弱い、言う事を訊かない、癇癪持ちで、目を絶望的に悪くする、扱いづらい性格の子供を授かろうとは思ってもいまい。もちろん望んでもいまい。私は自分の1度目の誕生以前の写真を眺めているのです。 

         


「おお、すまんすまん。寝坊した。ほな、寝てくれ」 

そう言って兄が起きてきました。まだ1時間ぐらいしか経っていません。もうちょっと寝ててもかまへんで、私がそう言いましたが兄は、そんなんしたら余計眠たなって朝起きられへん、といい歯を磨き始めました。外はまだ真っ暗です。 

 「ほな、ちょっと寝さしてもらいます」 

 私はそう言ってコンタクトレンズを外して横になったのですが、そこから先の記憶はありません。朝、埼玉県を出て、高速を乗り継いで夕方に京都府についてから、バタバタとして一睡もしていなかった疲れが一気に出たのでしょう。もう若くないですから。 

             


 兄が送ってくれた写真をよく見ると、墓石の左上の木立の影に何か人の顔のようなモノが写っていました。それは、母です! 

 間違いありません! 私を叱責する時のなんとも気の抜けた、やるせない表情がそのまま母なんです。そういえば、こんな顔してよう叱られたなぁ……、私は息子に、 

「おい!見てみ。ここにおばあちゃん写ってるわ」そう言って見せました。息子は「全然似てねーよ」といいます。 

「どこがや!そっくりやないか!」私が言うと息子は、 

「おばあちゃんはこんなムスッとしてなかったよ。もっとニコニコしてた!」そう言います。 

 そうか、ほな、おばあちゃんと違うか……。 

 ほらね、私はこうして、どんな時も自分ではあり得ないのです。今は息子の中に、突然わけのわからない事を言って盛り上がる変なオヤジ、として存在しているわけです。こんな私に興味を持ったモノがあるとすれば、それはもう、あの方しかありません。 

 神様。 

 神様はたまたま 私の『今』を ちょっとお眺めになったのでしょう。それは私がたまたまフリー素材の道祖神を眺めたようなモノでしょう。そこで初めて、私は母が私の『今』の中に確かにいる事に気付くわけですが、それも神様が覗いてくれない限り、私には気付く術もないのです。 

  

 息子は、「観なきゃよかったよ……」心霊番組を観た事を、少し後悔している様子です。よっぽど怖かったのか……。 

 だから、このな、写真の左上のこのおばあちゃんの…… 

 だから、似てねーって! 

 息子はそう言うと、妙にキョロキョロしながら自分の部屋に向かいました。

『いきてるきがする。』《第4部 春》


《第四部 春》

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第29章(赤いギター)

  

 店舗が3つに増えるに従い似たような商品も増えたので、それならばそれぞれが気に入った商品を選んでディスプレーしようじゃないか、という事になりました。 私は愛猫、とのまのパーカーとマグカップ、それにTシャツを選びました。

 あぁ、やっと胸が空いた、私がそう言って笑うと、2人は気味悪るそうに言いました。 

  何かあったんですか? 

いや、なにもない。普通だ、そのまま、そのままが妙に気持ちいいんだよね。 

 感傷的になっていたこの1か月ほど。私はそれを解消したかったのでしょう。

 人に気を遣われるのは気分がいいモノではありません。同情される事もそう。他人だってまたそうなのです。私はある人々から見れば間違いなく、可哀想な人なんです。

 本職のドライバーの仕事がどんどん少なくなっていく中、突然息子が癲癇の発作で倒れ、空想のお店にかまけているのもいいけれど、これからどんどんお金のかかる息子を、どうやって育てていこうかと、そういう事もきっと慢性的な心配事として私の心に暗く沈着していたのでしょうね。『今』にこだわるあまり、私は毎日、未来とは何の関係もない事をやっているのかもしれない。残酷な未来を見てみぬフリをしているのかもしれない。でもそんな事を言ってしまえば、すべての感覚を研ぎ澄まして感知する、毎日毎分毎秒の悩みや考えもまた、何の意味もない事になってしまいます。そして見てみぬフリをするのが、唯一の正解という事にもなりかねません。そうして日々は只、駄々悶々と積み上げられて……。それはなんとも味気ないモノです。なけなしでも、死ぬ瞬間までもせめて目だけでも楽しめるようにと、そんな理由で お札を綺麗に印刷するのでしょうかね? ありがたい。

 先日、自宅にあってずっとほったらかしだった赤いギターを捨てました。ギターには複雑なパーツが多いので、捨てるならバラバラにしないと、市の分別のルールに従わないのです。 

 奴は、なんていうか、強情と言うか、自分がこう言ったら曲げない。 

 私はジャズのフレーズに興味があり、でもやりたい音楽はロック。だからやりたいのは、極めたいのはロックギターとジャズギターのちょうど真ん中あたり。いや違う!もっと高みを目指していたかったのですが……。 

 かの赤いギターは、ジャズなんてオッサンのする事だ!と聞かないんです。 

 確かにジャズは、オッサンが『F』の字の穴が開いた、木目調の丸みを帯びた形のギターを、ニヤニヤとドラムやベースと目配せしながら余裕綽々で弾いている印象が強いです。音も大人しく、まるでやる気がない人間が、やる事がない時に聴く音楽だ、と中学生ぐらいまではそう思ってました。 

 ウェスモンゴメリーが凄い!とか、ジョーパスのコードワークは珠玉だ! なんて言われたって所詮は退屈なジャズじゃないか。 

 私はもともと速弾きが嫌いだったので、もっぱらブルースギターばかり弾いていたのですが、クオーターチョーキングの半分のそのまた半分ぐらいのところに、魂の答えが潜んでいるような気がして、ただひたすら向き合おうとしていた時に、エリッククラプトンクリームというバンド時代にブルースギターの速弾きをやっているのを知って慌てました。 

 そして、高校生ぐらいの時、 

 ジャンポールブレリーと、ヴァ―ノンリードと、デヴィッドフュージンスキーという3人のギターリストに立て続けに出会い、ジャズがロックを喰ってる!!と死ぬかと思うほど慌てました。 フュージョンと呼ばれたジャンルもかつてありましたがあんなモノはどうでもいい。あんなブルースもロックも味噌も糞も残酷に細かく刻んでは丹念にこね合わせて ハンバーグみたいに誰でも食べられるようにして で?何を作るの? 

と見ていると、全部楕円に丸めて、真ん中にくぼみをつけて……。 

 結局ハンバーグかよ!! もっと五重塔とか、ゴジラとかを作るんじゃねーのかよ!! 

 どこか違ったんですね。間違っていたと言ってもいい。そしてギターを弾いていてもいつもどこか何かわだかまっていたんですね。そんな時に自分がやろうとしていた事がすでに全然新しくないとわかったのだから、そりゃあもう慌てますよ。どうしよう、どうしよう、今更何一つ全く追いつかない。相手は音楽大学を出ている超インテリです。 

 気が付けば私は一生懸命に真似していました。そうしたら、それはそれで楽しいなって思って。あぁあ、諦めたな……、って気付いてしまったんですよ。高校の頃、仲間のミュージシャン達に、「俺は新しいジャンルを作りたいんだ!」と言って、は? と言う顔をされました。そのためには、誰の真似も許されない、自分の手本は自分だけ。そんな病的に頑なな思い込みは、私の目を閉ざし、世の中をただ敵としてしか見ていなかったようです。人を慕う事には楽しさも伴うのだと、ツンツンに尖っていた私が初めて実感したのはおそらく、実力を認めて諦めた瞬間だったのかもしれない。 良いような、悪いような……。

 そして私と赤いギターはどんどん険悪になっていきました。細かい事を言えば、ネックの握りとか、ブリッジの仕組みとか、音のうねりとか、どうしても、正解はロックだ! 速弾きだ!と、赤い奴は全く譲らない。 

 神奈川厚木市の楽器店のギター売り場で、そこそこな値段で売ってたんです。外国メーカーで、試奏すると、のびやかなサスティーンが挑発的で、すべての音域がパワフルそのもの、ブリッジとナットで弦がビス止めされていて、どんなに激しくアーミングしてもピッチはビクともしない。そして何よりも、ハムバッカーというピックアップが一つリアにマウントされていて、いかにも融通が利かなそうな身形。 

 暫くはずっと、ライヴごとにそのギターを弾いてました。ぼってりと太いわりに薄いネックは、コードよりもフレーズ引きに向いていて、私はバンドのオーダーにも従わず、ずっとリフばかり弾いてました。メンバーからはうるさい!と注意されましたが、私と赤い奴はお構いなし、コイツの望むのはこういうギターだと、とても分かり易かったんです。本当に楽しかった。 

 最後にネックをのこぎりで切って不透明ゴミ袋に入れて口を結んだ私はまるでバラバラ殺人犯の気分になりました。自分が妙に冷静でいる事にもまた、もはや驚きはありませんでした。 

 店長、このギターはまだ置いときます? 

昔の子が、店にずっと置いてあるクラッシックギターを手に、私に訊いてきました。 

 そうだね、どうしよう、売れたら、売る? 

え?こんなボロボロにギターを? 幾らで売るんです? 

 300万円。 

 あぁ、そこまでやると、ひょっとして勘違いした人に売れるかもしれませんね。 

 ハハハ、 

 ハハハ、 

 赤い奴はもう回収されたか?

 みると今の子が、生暖かい陽光の中で網を持って、36歳の金魚2匹を掬おうと慎重に狙っています。 


第30章(自転車を直しなさい)

 花粉に全く反応しない私の眼鼻がとても有難い。 そのおかげで春はとても気持ちよく感じられます。それはきっと私が春生まれのせいもあるでしょう。私がこの世に迎えれらた時の、初めて浴びた太陽の暖かさや、風の匂いの親しみが、私の基礎をなしているのでしょう。そんな、生まれたという、さあ今から好きに過ごしてもいい余暇が始まったよ、という知らせを、私は今でも楽しく、はっきりと思い出す事が出来るのです。 

 新型コロナが世界に蔓延して以来、マスクをする事や手洗いをする事が世界中に常識として浸透し日常化した事で、インフルエンザの蔓延を劇的に抑え込むことに成功しています。マスクの開発も進んだため、花粉症の人にも随分と楽になった事でしょう。 

 あぁ、なんてすばらしい。やればできる!そうやればできる! 

 要は意識なんです。意識の高まりが何よりも大切なんです。今ではもう滅多に見かけなくなった歩きタバコだってそうじゃないですか。 

 私がまだタバコを吸っていた20年前なら、歩き煙草は注意される対象ですらありませんでした。その頃から、副流煙の悪影響も、火種がちょうど子供の顔の高さになる危険性も指摘されていました。ただ、そんな事を理由に注意したところで、 は? と変な顔をされるのが関の山だったに違いありません。 

 それどころか逆に、変なヤツ、クレーマー、近所の鼻つまみ、さびしんぼうの逆ギレと判断され、やばいヤツだ!逃げろ逃げろ! と、そんな態度をとられたに違いありません。 

 新型コロナ以来、世界の清潔の度合いは飛躍的に向上しました。清潔か不潔かが文明と非文明を分ける条件の一つとなったのはいい事だと思います。不潔は許さない、許されない、という物差しを尊重する事は、とても先進的なことだと思います。 

           


  どうしたんですか? 

  私がぼっとしていると昔の子がこう訊きます。 

 いや、何でもないよ、たまにこうして春の日を楽しんでるんだよ。こういう地味な形でね。 

 そうなんですか、と昔の子は言います。 

 いつもそうなんだ。私はいつも、君とこうして話している時でさえ、自分はナニモノなんだろう、誰と何を話しているんだろうって考えているんだよ。君だけじゃない。家で息子や妻と話す時も。 

 あぁ、それ考えだすと、頭が変になりますよね。 昔の子は言います。 

  そう。そうやって、ずいぶんとあっちこっちウロウロ動き回ってきた気がするけど、いざこうしてジッとしてみると何だかずっとジッとしていたような、気持ちだけがウロウロしていただけの様な変な気分になる。 時間は1秒たりとも経過していない。

 昔の子は何も答えませんでした。正体を知ることが、唯一できない事だという事を、当たり前のように信じているか、或いは、まるで信じていないかのどちらかなのかもしれません。 

 君は以前戦時中の話をしていたね。 

 昔の子は、あぁ、はい。あの時確か、今の子と、自分が死んだ時の話をしていたと思います。  と言いました。 

  そんな話をして、辛くならないのかい? 

 そりゃ、その時は辛かったと思います。でもそれはそういう時間が流れたと言うに尽きると思います。戦争の終わり頃、近所の川を流れていく死体を見た事があるんです。あれと同じだって。見なければ、誰も気づかない。僕がいた事すら誰も知らない。そりゃ僕だってそれなりに感謝されて生まれているはずなので、生きる事自体に疑いを持ったりしません。 ただ、いざもう死ぬ、となった時、すべてだと思っていた時間の流れが少しずつ遠退いていく様な感じがしたんです。そうしたら急に楽になってきて、あれ? 自分がいたのは時間の中じゃなかった。え? じゃあ、どこにいたの? って。 

 わかるなぁ、私は戦争経験こそないけれど、子供の頃から体が弱くてね、何度も死にかけてるんだよ。何度経験してもいつも思う事だね。私もそうなんだ。面白過ぎて、ついつい何度も見て、その都度ワクワクしてしまう映画みたいに。とてもよくできた話だよ。それで? 

 僕の場合、お父さんより先に死んでしまったので、父の死それ自体を悲しむことはありませんでした。ただ、逆に僕の葬式に参列していたお父さんが僕に気付いて肩をギュッと抱いてくれた時は少し涙が出そうになりました。こんな事、出来るんだ、出来たんだ、ってね。想像は、現実の一部だったんだってね。その時ぐらいですかね、時間が自分から離れているのをいいモンだなと感じたのは。

  パンの入った大きな袋を持って帰ってきた今の子の頭に、桜の花びらが一つ付いていました。私は感慨深く眺めます。いるだけで、いいんだなぁ……。と。どこであれ、誰であれ、一緒にいるだけで。    


 ホントウにいい加減早く直しなさいよ! 私はやや強めに妻にそう警告しましたが妻は、あぁ、そうね。そうだね。と聞いているようないないような……。 

 あのね、あれは死ぬよ。いつか本当に死ぬよ。 

 先日、とてもお世話になっている先輩ドライバーが事故を起こしたんです。俺の前方不注意だから、と先輩は言います。自分の過失だと、でもね。 

 鉄の塊と生身の人間がぶつかって実際どっちが損をするかなんて、法律の云々以前に、本能的に知っているはず。 

 道路に於いて歩行者は一番弱い存在なんです。自然界で言うと鰯とか、アブラムシようなモノです。彼らが進んで死を望むのか、あるいは完全に諦めたら話になりませんが、彼らは本来、必死に逃げるべきです。捕食される運命を絶対に容認してはいけない。もっともっと絶対弱者であることを自覚すべきです。 

 無警戒過ぎる! 

 私がさらに語気を強めると妻は、あぁはいはい、仰せの通りでございます。すんません、と言いました。 

 ずっと言ってるんですよ。自転車のブレーキワイヤーが伸び伸びで全然ブレーキが効かないから早く直しなさい、って。 

 何でそうなのかな? だいたい自転車はわがまますぎるよ。右も走るし左も走るし、歩道も走るし車道も走るし、一通も逆走するし、免許も要らないし、ウインカーもないし。 

 そおだねぇ、と妻は洗濯物を持ってクローゼットに消えました。 

 それとも私が持って行っていけばいいのかな? 

 私は家事が忙しいのだから、ブログとか書いてる間に持って行ってよ! と、妻は別の言葉で言っているのかもしれません。 

 今日は雨だから、明日か、来週以降、行こう。 


第31章(猫が鳴きました)

 話題としてあまり新しくないので、このまま捨ててしまおうかと迷ったのですが、新しいかどうか判断するのは私ではないので、そのまま、誰のためでもない事をお話しする事にします。 

 天気は毎日ほぼ予報通り。私はそれをさも初めて見るように一喜一憂したりしてその実、日が照ろうが照るまいが、雨が降ろうが降らまいが、風が吹こうが吹くまいが何もせずにじっとしています。ここでこうして考えているのが、私の出来る事の唯一だからです。 

 ずっと前、私がまだ生きていた頃、息子が一人おりました。妻も一人おりました。ジリ貧の生活ではありましたが、私は何とか仕事を続け、それなりに生活していました。 

 それが息子が小学6年生の時、突然癲癇の発作を起こしたのです。私はその事について思い出して、ああだった、こうだった、あぁすればよかった、こうするべきだった、という事はしません。ただ妻の行動や、発言を思い出して、今でも柔らかく反芻する事は、時々します。 

 どれぐらい心配か、それは想像するには難くないと思います。私は息子が蚊に刺されるのも嫌だったんですから。息子がもっと小さかったある夏の夜、蚊に刺されて痒くて眠れないとぐずった時は、私は半分ぐらい本気で、この世から蚊を殲滅する方法はないものかと考えたぐらいです。 

 確かに、心配していたらキリがありません。でもどれぐらい心配するのがいいとか、そんな手加減に中りを付ける事が果たして親のテクニック、ノウハウと言えるのでしょうかね。私は、妻の意見に対して、それ以外の意見を考えて言い合う事で、それがあたかも子育ての幅を広げているかのように思おうとしていたのかもしれませんね。今思えば、すべて胡麻化しであったように思えます。 

 子育ての幅。 

 手を伸ばせば今も、息子も妻もすぐそこにいます。 

 それはまるで私がまだ生きていた頃、和室に並んで寝ていた時と何も変わりません。時々、息子の顔を覗き込んで、寝がえりを促したりして。春先は寝息が苦しそうになるんですね。花粉症気味でしたから。 

 思えば楽しい時間とはそういう時間の事だった気がします。私が何を言いたいのか、よくわからないでしょう? 

 だから言ったんですよ、これはあまり新しい話題ではないので、面白くないですよって。 

 私は目を覚ましたんです。隣には息子と妻がまだ寝ています。トラックドライバーの私は家族のだれよりも早く目を覚ますのです。あぁ違った、ネコだ。ネコが一番早起きだ。 

 ふと見上げてじっと目を見つめるネコが何かを訴え掛けている事はもう疑う余地もないのです。 

 ん? 何? なんか用? 

 するとどうしても話し掛けてしまうのです。 これはおそらく全世界共通でしょう。 それは赤ちゃんに話し掛けるのとは全然違います。 

赤ちゃんはいずれ言葉を覚えて返してくれる期待があるでしょう。でもまさかネコにそんな事を期待する人はいないはずです。 

 じゃあ、なぜ話しかけるのか。 

 その時、ネコがニャーと鳴いたのです。 

 本来、具体的に気持ちが伝わる事がとても危険で、致命的な間違いを犯す事がある。それをネコは知っているかのようです。 

 だから私はもう何も言いませんし、何も要りません。 

ただただ、ん? 何? なんか用? と話しかけるのです。 

 上手く出来ました。 これでよし。

 普段あまり感じられない。物事が完了した感じ。もうこれ以上は何も起きない。何をやっても変わらないという感じ。 

 これも普通なら絶望でしょうね。でもこの時は違う。ネコは、まあきっとイヌでもいいでしょうね。或いは金魚や小鳥でもいいと思う。相手が人以外ならなんでも。言葉はただの鳴き声となり、自分の意志は100%受け手に委ねられる。そして私も元々そう考えていたことになるのです。それでいいです。もうそれで、私の意見など事足りるのです。  

 私はこれからもきっとずっとジッとしています。そしてどこかに目を向けて、何が起こるか想像します。 

 それを『今』と思えるならば、即ちそれが『生きている』という事になるのかもしれない……。 

 とりあえず寝ている息子の頭を撫でてみたら、思っていたよりもずっと大きく、髪の毛も固く、もはや子供のサイズではないです。これだけあれば十分だ。あとは癲癇の脳波だけ消滅してくれればそれでいい。そしていつか、私は息子をこの店に連れていきたいと思っています。どうすれば、一番いい形で息子を、あの二人、昔の子今の子が店番をしているあの店に連れていく事が出来るだろうか。 

 とりあえずこのブログを読ませてみようか。でも少し雑な気がする。それに今は野球にしか興味がない息子が、果たして読んでくれるかどうか。 

 私はやはり何もせずにジッと考えています。 

 そして突然ネコに胸に乗っかられて、やや乱暴に起こされると、私の五感はその時、場所と時間に縛られて『今』が始まるのかなぁ、と思って、薄暗い室内に目をやるとネコの眼は全く光っていません。もうすでに私の想像は間違っています。でもこんな事は日常茶飯事です。 

 さあ、今日は何をしようか。本当にどうでもいい話をしてしまいました。結局、朝ネコがニャーと鳴いた。それだけの話です。

 少なくとも皆様にとっては、何の価値もない、感想もない、答えもない、そんな話をしてしまいましたね。 

 どうでしょう、それでも15分ぐらいかかりましたかね? 私はそれでもいいです。やはり話してよかった。もし後々、どうしても嫌になったら、すぐに元に戻って、やっぱり捨ててしまおうと思います。

 夏に向け、店に並べるモノを、もっとマッチョアップすべきか、それとももっとシェイプアップするべきか。 

 あぁ、そうそう。タグをプリント用紙にプリントしてみましたよ。グッズ直売への第一歩です。 

 説明書をよく読まなかったから、もう少しで反転してプリントするところでした。危ない危ない! 


第32章(あるのだろうか?)

 返事が来たんです。車の保険の満了のお知らせや、免許の更新のお知らせに混ざって、上品な便箋が届いた事を妻は何と思ったんでしょう。誰から? 訊くと妻に私は、知らない、と言いました。 

 今の子の母親からでした。それはいつか私が出した手紙の返事のようです。 

 あぁ、この人か、という私の言い方は多少言い訳がましく響いたかもしれません。いつまでやってんの!もう時間過ぎてるでしょ! そろそろゲーム止めてお風呂に入んなさい! と息子に言った口調が、いつもよりやや厳しかったような気がしました。的外れな焼きもちでも、それはそれでよしとします。        


 お手紙有難うございます。感激して読ませていただきました。あんな冷静さを欠いた無礼な手紙を送り付けた事は、今思い出しても顔から火が出る思いでございます。仰る通り、私はもうあの子の母親ではありません。あの子は私の元を離れていった子です。それも、あの子の自身の意志で。

 きっと私はすべての責任をあなたに被せようとしていたのでしょう。そうしてこの苦悩をすべてあなたに押し付けて決着をつけようとしたのでしょう。 

 その事は皇極法師にも厳しく注意をいただきました。法師は仰います。あなたのそういう自制の利かない勝手な行動が、ますますあなたからあの子をあなたから遠ざけているのです。あなたは本気で、あの子を取り戻したいのか?と。 

 もちろん、本気です。私にとってこの手紙のやりとりが成立している世界だけがあの子の母親でいられる世界なのです。あなたはきっと、こんな私の異常な精神状態を文面から読み取って、あんなに不躾な手紙にもご丁寧に返事を下さったのでしょう。優しい方。 皇極法師にお礼の手紙を書きなさいと言われました。当然そうするつもりでした。そうして今、そのとおりにしているわけです。私は一体、何人の関係のない人にあんな不躾な手紙を送り付けたのでしょう。それは覚えていないほどです。本当にお恥ずかしい。 

 でもあなただけは返事をくれました。だから私はあなたを信じます。私が娘たちとあなたの店を訪れた時、あの子は見違える程逞しく見えました。顔色もよく、もう一人の少年の方ととても溌溂として楽しそうに見えたのです。私はそんな息子の姿を認めたくなかったのです。すべてがお前のせいだという、私があの子に対して私がやってきた事すべてへの、それは当てつけだと感じたのです。私はあなたとあなたのお店に、激しく嫉妬したのです。 

 腕の中でジッとしているあの子を、私は激しく揺すりました。目を開けて、目を開けて! と。 

 でもだんだん体を揺すっている腕が疲れて来るのを感じたのです。その時、私は気付きました。私はもう揺する事にすらつかれ始めている、誰か、きっかけをください。この子の母親を、辞めるきっかけを。

 だって、もう腕が疲れたのだもの……。 

 私のお願いを聞いてもらえますか? 

 私はきっともう、あの子を抱きしめる事は出来ないのでしょうね。皇極法師は諦めるなと仰いますが、私だって娘たちをいつまでも放ったらかしにしてあの子にばかりかまけているわけにはまいりません。娘たちにも、もう兄が死んでしまったことを隠せなくなってきました。あの日、あの店で会ったあれが、あなたたちのお兄さんよ、と言ったところで、娘たちにはわからなかった事でしょう。ひょっとして私は、娘たちからも宥められているのでしょうか。おかしなお母さんが、これ以上おかしくならないために主人と口裏を合わせてくれているだけなのでしょうか。

 ある日娘たちから、お母さん、ちょっと来て、 と言われてついていくと、精神科の外来に連れていかれて、問診を受けさせられて、大量の薬を貰ったり、そのまま入院させられたりするんでしょうか。 

 ちょっと! やめて! ここから出して!  

 そう叫ぶ私を、娘と主人が、ガラス越しに情けなそうな顔をして眺めている。 そんな時が来るのでしょうか。それとも、もう来ているのでしょうか。病室から、私はこの手紙を書いているのでしょうか?

 私はあなたを信頼します。だから、あなたも私を信頼せざるを得ないのです。

 御存じでしょう? あなたにも、決して誰にも説明できない大切な世界を一つ、お持ちですものね? 

 私達は、私達のこの意思の疎通は、お互いの力で断ち切る事はもはや無理なのです。何人たりともそれは不可能なのです。 

 たった一人、皇極法師を除いては。 


          

 リビングに戻ると、食卓には夕餉が並んでいます。中心は回鍋肉です。あとは、私の酒のアテの冷奴と、蒸し鶏のサラダ。回鍋肉は息子の大好物で、妻は週に一度は必ず作ってくれます。 

 やれやれ、私はそう言って椅子に座りました。この世界が、一人のご婦人の手によってあっという間にめちゃくちゃにされるのかと思うと、思わずため息が出てしまいます。 

 ネコを飼い始めてから、あっという間に汚くなったドアや壁紙が愛おしくそこにはあります。座椅子の上から、すっかり大きくなった息子の頭が少し見えています。 

 あるのかね……。 

 え? なにが? 回鍋肉じゃない方がよかった? 

 いや、そうじゃないよ。 


第33章(1会目)

 目を奪うほど大量の桜の花びらがフロントガラスにひらひらと纏わりついてきます。私はそれをワイパーで左右に散らしながら、もう今年の桜は終わりだなぁ、と感じています。寂しくもありますがなに、来年になればまた咲きますよ。そして私はまた今の子も連れて、昔の子と一緒に、昔の子の行きつけのバーの常連客達と一緒に、早稲田通り沿いの河原で花見をするのです。 

 春にいる間、私は旅をしているような気分になります。それは一般にいうように空間を移動するのではなく、無理に例えると自身が果てしなく膨張していく様な旅です。 

 ある日、私は白い服を着た少女と近所の神社で遊んでいる夢を見ました。神社にはなぜか砂場があって、そこで私たちは砂まみれになって遊んでいるのです。私はその少女が時々、邪魔そうにかき上げる茶色い髪の毛が、あまりにも魅力的で、まともに見れないのです。 

 喘息気味で体力がなく、運動神経が悪い私は、すばしっこい女の子についていけません。神社の階段の遥か上の方で、時々振り返って私を待っている少女が、私はだんだん憎らしく思えてきました。 

 そわそわと落ち着かない様子のその少女の姉は、どことなく似ているところもあるのですが、少女よりも体つきがっしりとして顎も眉も太く、なにより明らかに私に対する興味が薄いのがわかります。 

 暫くすると松葉杖をついた少女が病室から出てきました。 

 あなたのために、手術したの。 

 みると少女の可愛らしかった茶色い髪は丸坊主に刈られて、顔は砂まみれで、目にいっぱい涙をためて、もう走れない。もうあんなに速く石段ものぼれない。と言いました。 

 あなたのために、手術をしたの。 

 でもその言葉を聞いた瞬間、私のその少女への恋慕は急速に薄れていきました。そしてむくむくと頭を持ち上げたのは、ざまあみろ!と言う、とことんいやらしい復讐心でした。私は少女が姉の肩を借りながら、病院の長い廊下の向こうに消えるのを黙って見ていました。 

 その後、私はその少女と3度出会う事になります。 

 白い体操服を着て剣道教室に現れた少女は、上野という名前でした。少女は私など知らない顔をしていました。私も知らないふりをしました。少し精神的に大人になっていたのか、それともかつての敗北感を挽回したかったのか、私も少女も互いに冷たい態度をとりました。 

 少女は道着ではなく体操服の上に防具を付けていました。その姿がみっともないと、私は散々馬鹿にしたのです。しかし少女は平気な顔をしていました。そして一人、面!面! と澄んだ声を出して竹刀を振っていました。 

 ある日、私と少女は試合さながらの『掛かり稽古』をすることになりました。私よりも一年もあとに入って、ほとんど素振りしかしていない少女を私は侮り、メチャクチャに叩いて泣かしてやろうと思っていました。しかし、 

 いざ稽古を始めると、少女の竹刀は素早く、私はあっという間に2本取られて負けてしまったのです。茣蓙に正座して、面を外した少女の茶色い髪の毛が、私に一切の言い訳をさせませんでした。私は悔し泣きをしていたので、なかなか面を外せなかった。しかし少女はすんなりと面を外して、綺麗な顔で私を見て、少し侮蔑するように笑いました。 

 私はもう剣道をやめたくて仕方がなくなったのですが、暫くすると少女の方が剣道をやめてしまいました。 

 道着が買えないほど家が貧乏だったから、と言うのがもっぱらの噂でした。本当かどうかはわかりません。私は辛うじて同点に追いついたような空しい満足感を無理やり口の中に突っ込まれたような気がしました。 

 これが1度目。

                   


 息子はまだ寝ています。本当によく寝るなぁ……。 

いいよ、ぐっすり寝ているならそれが一番。癲癇も落ち着いている、いいね。すべて、いいね。今日もいい日になりそうだよ。でも今日はおじいちゃんのお通夜だから、9時には起きなさい。 

 昨日はバッティングセンターに行ったね。いや、久しぶりに見るバットを振り回す姿が、ますます頼もしくなった気がする。 

 しかし、駐車場の無料券が飲み込まれて、結局100円払ったのは、今思い出しても解せないなぁ……。 


第34章(猫とキャッチホン)

 電話のコードをくるくると指に巻きつけながら話していると割り込み電話が入ってきました。 あぁ割り込みだ、ちょっと待ってて。 

 そう言って電話を切り替えると、バンドのメンバーからの、今週末のライヴの最終リハがどうの、選曲がどうのという、まったくどうでもいい電話でした。 

 あぁ、任せる! 全部任せるよ! 

 私は投げやりにそう言い放ち、また電話を切り替えました。すると相手は、もういいの?と言いました。 

 あぁ、いいいい、どうでもいい電話だよ。  

 それよりさ、先週買った宝くじが一番違いの組違いだった話、したっけ? 本当なんだよ。最後の一桁が一番違いだったんだよ! でもそれってただの外れくじだよね。ハハハハ……。 

 電話を切ると虚しさは後から後から募ります。こうやっている間にも、あの子は急いで婚約者と電話をしているに違いない。 

 あ、ごめんなさい、いいのいいの、どうでもいい電話だから。 

 電話を切って初めて、外が土砂降りな事に気付きました。もうどうでもいいんです。外が雨だろうが、月が出ていようが。自分が生きてようが死んでようが。ゴロンと寝転んで酒の続きを飲みながら、0時が過ぎるのを待っている。絶対に0時より早くは寝ない! 夜は起きているものだから。そして昼間の内に蓄積された、ベタベタと質の悪い出来事をすべて、要るモノ要らないモノに分けて、夢と現実に振り分けてから寝る。それが正しい夜の過ごし方だから。 

 酔いの耳鳴りに紛れて、ニャーニャーという細い声が聞こえてきました。ずぶぬれの暗幕の内で、日常のどこにも属さない、まるで指先に刺さった小さな棘のようなか細い声でした。私は外に出てその棘のような声の出処を探しました。隣の中国人しか住んでいないボロボロのアパートと隔てるブロック塀にランダムに配置されている模様のパターンの小さな穴の部分に、小さな猫がすっぽりと収まってニャーニャーと鳴いていたんです。小さな顔の半分ほども大きな口を開けて、ニャーニャーと。 

 今二つの大きなモノに終わりが迫っている事に気付かれましたか? 気付きますよね、普通。 

 一つはバンド。お、上手いじゃん! と褒められた中学1年のあの日からずっと私はその洗脳が溶けず、大学を卒業しても就職もせずずっとギターを弾き続けました。 いや、そこそこ評判もよかったです。天才だ! ってね。よく言われましたよ。 

 でも私は天才ではありません。ただのひねくれた、自分の身の置き所を見失ってよろよろと彷徨っているだけのバカな若者でした。私は猫を引っ張り出そうと手を突っ込んだんですが、ネコは小さな顔を怒らせて、シャー!と言ってなかなか出て来ません。私は汚い野良猫にかみつかれて変な病気になったら大変だ、と心のどこかで思いながら、それでもしつこく子猫と格闘し、ようやくその子猫を引っ張り出す事が出来ました。 

 部屋に持ち込んでみると、子猫は土砂降りの中で見たよりもはるかに汚く、顔は鼻水と目ヤニでベタベタになっていました。目はほとんど開いていませんでした。普段から折り合いが悪い中国人に聞かれたらそれこそ変な因縁を吹っ掛けられかねない真夜中に、ネコは、ニャーニャーと、体からは信じられないほどの大音量で鳴きます。 

 中国人は複数の男と一人の女が一緒に住んでいましたが、ちょうどよくセックスが始まりました。よし、これはしばらく続く、今だったら大声で鳴いても大丈夫。私はティッシュを濡らして猫の顔を拭いてやりました。優しい俺。こんなに優しい俺が、なんでこんなにも惨めなんだろう、ギターなんかに縋ってさ、ありもしない夢を入れるための、空っぽの大きな葛籠を担いでさ、この先どう生きればいいというんだろう。答えなんか、本当にあるのか? 

 ネコは身の程知らずに必死の抵抗を見せます。違う!違うんだよ!お前を、助けるためにやってんの! 

 暫くそんな格闘を続け、子猫の顔は少しずつ綺麗になっていきました。しかし、子猫はすでに風邪をひいているらしく、くしゃみが止まりません。するとそのたびに、質の悪そうな黄緑の鼻水が飛び散るのです。 

 うわ! 汚ぇ! 

 私は、コイツをうまく使えば、あの子が結婚するまでにまだあと何回かは会えるかもしれないと考えたのです。 

 隣のアパートからは女の声が聞こえています。あの子とは似ても似つかない、動物みたいな声。 

 子猫捕まえたんだよ。可愛いよ、見に来ない? 

そう言ってやろう、今から電話するか。でも今頃は、もう残業を終えた婚約者があの子の部屋にやって来て、すでに始めているかもしれない。 

 私は受話器を上げてあの子の番号を打ちました。 

 あの子は結局、出ませんでした。30回もコールしたのに。 

 時計を見るともう1時近かった。私は私の酒のツマミの魚肉ソーセージに食らいつく子猫をつまみ上げ、土砂降りの外に放り投げました。 

 お前は、もう要らないってさ。会いたくないって。だって電話に出ないんじゃ、しょうがいないだろ? 残念だな。世の中に嫌われるって、そういう事なんだよ。お前は何も悪くないのにな。嫌な世の中だな……。早く終わっちまえばいいのに。 

 私は猫に話し掛けます。あの時、どうだった? 私は怖かった? 憎かった? 悲しかった? 結局、死んじゃった?  

 ネコはグルグルと喉を鳴らすだけで何も答えません。 私はギターにも話し掛けます。

 あのバンド、その後どうなった? 誰か一人でもプロになった?

 ギターはしれーっとして光る。お前が気にすんじゃねーよ。

  はいはい、そりゃそうだ……。


第35章(ゆうちゃん)

 気まぐれに店に来てみると珍しく二人はいません。窓も飽きっぱなし。命といえば今年37歳になる金魚の2つだけ。

椅子に腰を掛けてじっとしていると風が入ってきました。

 さっき家で同じ様に椅子に腰を掛けて、同じように窓を開けたら、やはり同じ風が入ってきて、そして同じ事を考えました。 これが春の匂いなんだろうか……。 

 まあ実際は近所の生活臭とアスファルトと埼玉特有の土埃の匂いが混ざった匂いなんでしょうけどね。 

 もし寿司屋と同じ匂いが突然オフィスでしたら、単なる異臭騒ぎでしょうね。

 気持ちの良し悪しもそのとおりで、そのモノよりも状況によって左右されるのだという事です。 

 だから春の晴れた日の風の匂いはまるで『裸の王様』です。あぁ、いい匂い。さあ、今日はどこに行って何をするか。 

 私もまた『裸の王様』です。誰もいない店の中をグルグルと歩き回り、一生続く演説のネタを考えているのです。聞くモノたちをどう感動させてやろうか。そんな事を考えているうちに店はすっかり古びてしまって、もう誰も寄り付かなくなりました。まさかこんなところに店があるなんて、きっと誰も知らないのでしょう。これまで多くの問題を抱えたまま突っ走てきた。もちろん後悔なんてしてません。満足してますよ。彼是と迷いながら、時には誤魔化しながら自分なりに一生懸命やってきた、そんな自負はあるのです。 

 君が6歳の時、こんなチャンスをあげたんだよ。 

 そう言って意地悪く笑ったのは6歳の時に1年だけ同じ学校にいた『ゆうちゃん』という男です。 

 もう『ゆうちゃん』と呼ぶのは憚られるほど老いて痩せて髭蒸した顔です。でも間違いなく『ゆうちゃん』です。 

 演説はそうして始まりました。細い光がゆうちゃんから私に向いて射しているのです。 

 ほらね、僕はキーパーソン。あなたの人生のキーパーソンだったんですよ。 

 『第一章』で、確か書きましたよね。 

 月から地球までは光の速さでも1秒かかる。それは月と地球の距離が34万キロで、秒速30万キロの光でも1秒とちょっとかかるという事。でもそれは1秒間『今』が継続しているという事で、つまり、それがたとえ宇宙の果てからの139億年でもやはり『今』なんだという事。 

 僕はあっちこっち転校してきたから、友達を選別する目はものすごくシビアになった。僕の家はほら、『諸川』の向こう側だったでしょ?『諸川』って汚いね!初めて見た時、うわ! 汚い川!って思ったよ。今でもあんなに汚いの? これからここに住むのかと思ったらもうそれだけで気が滅入ってたんだよ。 

 お父さんが銀行員とか外交官で転勤が多いとか、そういう理由ならよかったんだけど、僕のお父さんはただの見栄っ張りで夢ばかり追いかけてた。そしていつも商売に失敗するんだね。その都度借金を作って、それで逃げ回ってたんだ。もちろんその時の僕はそんな理由は知らないよ。そして僕はいつもいい服を着せられてた。ボロボロのいい服だよ。 

 だからきっとみんな僕をお坊ちゃまだと思ってたでしょ? 見た目はね、確かにそうだけど……。 

 ゆうちゃんは私だけ、家に上がる事を許してくれなかった。他の子が自由に出入りする『諸川』の向こうの瀟洒な洋館に、私だけは入る事が出来なかったんです。高い2階のベランダの窓が開け放されて、そこからは友達の笑い声とが聞こえます。私は友達づてにゆうちゃんの家のなかの様子を聞きました。 

 すげーいっぱいおもちゃがあって、お菓子も大皿にいっぱいあって、でっかいテレビがいつも付きっぱなしになってて、壁にはシカの頭が突き出てる。お父さんのお酒の瓶が壁みたいに並んでて、別の壁にはデカい絵や写真が何枚も掛かってて、お菓子をこぼそうが、ピザを落とそうがゆうちゃんは全然気にしない。あぁ、いいよいいよ、って。お金持ちってすげーなぁ。 

 しかしゆうちゃんはすぐに学校に来なくなりました。そして気が付くと、優ちゃんの家の二階の窓は、真夜中でも開いたままになって、ほどなく取り壊されました。 

 築80年の洋館のオーナーは京都府の別の町に住んでいて、そんなところに人が住んでいるなんて知らない、貸した覚えもない、と言ったそうです。 

 そういえば、君とは一言も話したことがないよね。 

 当り前さ。僕は君を友達として認めなかったんだから。いつも遠くから疑り深い目でジッとこっちを見ている君には、僕の本性を見透かされている事が、僕にはすぐにわかったからね。 

 そんな事はない。僕も君の家で、おもちゃに囲まれて遊びたかった。 

 おもちゃ? なんだい? それ。 あぁ、アイツらがそういったのかい? じゃあ、それでいいんじゃない。でもね、僕は君には絶対に見せたくなかった。 

 あの部屋の中を。アンテナもなくて、近所の自動販売機から引っ張ってきた電力で、ずっとワーナーブラザースの同じアニメが付きっぱなしになっているテレビや、父が廃材で作った大きな鹿の頭や、捨てられた映画のポスターを木枠にはめただけの巨大な絵や、洋酒の空き瓶が並ぶ棚や、冷凍が溶けて腐って誰も手を付けない冷めたピザや、近所のスーパーからくすねてきたお菓子で山盛りのお皿を。 

 あ、店長。 

 妻の焼いたパンを抱えて入ってきたのは今の子でした。 

 あぁ、お疲れさま。君がお使いとは珍しいね、相方はどうした? 

 え? 相方? あぁ、昔の子の事ですか? 

 え……。 

  二人は今の子『君』昔の子『お前』と、それ以外は名前で呼び合っていたと記憶します。 

 だから言ったでしょ、僕は君の人生のキーパーソン。 

  ゆうちゃんから射している様に見えていた光は、ゆうちゃんが動くたびに長い影になってゆらゆらと揺れるのです。 

 みんないない。君一人だ。信じられないかもしれないけど、あの時、僕が家に上げた友達はもう一人もいない。みんな、死んだんだ。 

 光はどうやら、ゆうちゃんの更に遠い奥から射しているのです。 

 それは、偶然? 

 偶然だって? 偶然なんてこの世にはないんだよ。 

 君がどうしたのじゃない。僕にだってどうも出来るわけないじゃないか。6歳だよ。ただ、僕には勘があった。君は、僕の友達じゃない。 

 勘ってさ、すべてそうなんだよ。君も覚えておいた方がいい。誰のためじゃない。もう結婚して子供もいるんだろ。ならなおさら、絶対覚えておいた方がいい。 

 君はナニモノなんだ? 

 店長、店長。 

 私は昔の子の声で目を覚ましましたが、敢えて目を閉じてジッとしていました。じゃあね、と手を振るゆうちゃんの影が顔の上をゆらゆらと動くのがわかります。そして窓から近所の生活臭とアスファルトと埼玉独特の土埃が混ざった匂いがしてきました。 


          

第36章(父親って?)

 踵がつぶれてるじゃないか、こんな靴じゃみっともなくて行けないよ!

私が言うと妻は、いいじゃない靴を脱ぐ事なんてないから。と言いました。 

 ばかいえ!お葬式だぞ。親父の時もお袋の時も、靴は必ず脱いだじゃないか。 

 ここは埼玉です。京都とは習慣が違いますから。 

 お葬式がそんなに違うわけないだろ。それにドリフのコントでもあるじゃないか。読経中に足がしびれて、焼香の時に祭壇に倒れる、っていうあれ。そうしたら棺桶からチョーさんがむっくり起き上がって、ダメだっこりゃ! って。ドリフは東京のコメディアンだろ?

 だから、ここは埼玉だから! 

 埼玉なんて東京みたいなもんだろ。それにじゃあ志村けんはどうなんだ? 東村山出身だろ。もろに埼玉じゃないか! 

 あら、東村山は東京ですよ。

あ、そうか……、いや、東村山とか秋津はもう埼玉だ。

 いくら何でも強引すぎるでしょ。それに志村さんが考えたコントじゃないかもしれないでしょ? 

 いいや志村だね。あのセンスは絶対に志村だ! 

 放送作家かもしれないじゃない。 

 いいや、志村だ! 

 私はこんなつまらない事で妻と喧嘩したのです。妻も私も気が立っていたんです。 

 入院中だった義父が突然亡くなったのです。調子がいいと聞いていたのに、先月末に肺炎を起こし、たったの1週間で亡くなってしまった。私はそのお通夜に向かう時、自分の黒い靴のかかとが潰れてみっともなくなっている事に気付きを妻に怒っていたのです。 

 自分がこんな事で怒るなんて自分でも意外でした。妻も驚いたでしょう。それには私には長らく誤魔化してきた事が関係していると思われます。

 典型的なB型気質で、家族はしばしばその気紛れな行動に驚かされたと妻は言いますが、私の印象では、義父はとても大きくておおらかな人でした。元消防士である義父は、まじめで責任感の強い人でした。私は自分がそういう印象を持っている事を、もっと素直に伝えるべきだったと今は思います。私はきっと、甘えたかったのだろうなぁ、と思います。 

 私は実父との折り合いが悪く、自分は望まれない子で、この家族は自分の家族ではない、ここは自分の居場所ではない、と強く感じていました。幼い頃は妙な雰囲気にただ拗ねていただけだったかもしれません。しかし年齢が進むにつれてそれはなくなるどころか逆に妙な整合性を持って攻めてくるようになりました。かつては家族だけだった私の敵は、世の中全般を味方につけ襲い掛かってきます。なるほどね、そういう訳で私はこの家族には必要ないんだ、という理路整然とした理由は私の中で徐々に冷えて溶岩の様にゴツゴツとして固まり、成人を迎える頃にはもうすっかり苔蒸して滑らかになり、たまに帰省した時など、父と二人で談笑しながら酒を飲みながら話すまでになりました。 

 なあ、オトン。俺はおった方がええ? おらん方がええ? 

 少し酔った父はこう答えたます。 

 そうやなぁ……そんな事をまともに訊かれたら、こっちもまともに答えなアカンのやろうけど、そうやなぁ、 きょうび子供4人は多かったかも知らんなぁ。正直、金もエライかかるしなぁ、いやいや別に実際におるからそらおったらエエんやけど。でも、もともとおらんかったら、いう事やったら、飽くまで仮説やで!仮説やけど、そうやなぁ、お前は、特におらんでもよかったかもしらんなぁ……。その方が家族として収まりが良かったかも知らんなぁ……。 

 いやいや、勘違いせんといてくれよ。タラレバのはなしやろ? その気で訊いてんやろ? こっちもその気で答えてるんやらな。だって順番的に考えて見ぃ。まずお姉ちゃんやろ、ほんでお兄ちゃんや、ほんでお前やろ、その下に妹がおる。 

 一人目は娘や。娘いうたらそりゃあもう、男親にとっては目に入れても痛ないほど可愛いのは当然や。これはお父ちゃんが決めたんとちゃうぞ。昔からそう言われているから必ずそうなんや。 

 ほんでお兄ちゃんや。な!一姫二太郎や、それが家族の理想的な形なんは、これも父ちゃんが決めたんとちゃうぞ。先祖代々、お歴々が尊い経験から割り出した黄金の真実や。それにうちは商売やってるから長男いうたら跡継ぎや。そりゃあもう下にも置かん様に育てんのんが親としての最低にして最大の義務やと、お父ちゃん真面目にそう思うてる。跡継ぎが大事にされるいうんもお父ちゃんが決めたんとちゃうしな。これも歴史が証明してる黄金の真実や。 

            

 実家に着くと義父はまた布団に寝ていました。まるで見覚えがない顔に驚いていると、ね、似てないでしょ? と言って義母が近づいてきました。  

 綺麗にしてもらったのはいいんだけど、なんか顔が違っちゃったわね。でもちょっと、笑ってるみたいでいいでしょ。 

 しばらく眺めていましたが確かに、綺麗ですが今にも起きて来そうな気はしませんでした。亡くなっている。時間の束縛から解放された遺体は独特で、ただ存在だけが圧倒的にドーンとそこにあるのです。どうすれば、どう接すればいいのかわからない。

 ほどなく葬儀社の方が来て、祭壇の設置場所や、葬儀会場に向かうまでの手順や役割の細かい説明を受けました。納棺の時、春冷えの寒い日が続いていた事もあって、寒いといけないからと掛けていた、実家で一番いい羽毛布団を、え!この布団も一緒に焼いちゃうんですか? と言った時の義姉の素直に驚いた表情に、その瞬間だけほんの少し空気が明るくなりました。 

 棺は私と息子と義理の兄と葬儀社の方の4人で霊柩車へと運びました。重いですから、力のある方が頭の方へ、といわれ、運送屋 という理由で私が頭の方を持つ事になりました。両膝の悪い私はおそらく一番不適任だったと思います。             

 ほんでお前やろ。せっかく一姫二太郎で喜んでたんが、なんやバランス悪なってしもたなぁ、て思たんは確かやな。 

 お前、水素が何で爆発しやすいんか知ってるか? あれはな、バランスが悪いからや。バランスが悪かったらバランスがええ方に向かおうとすんのんが、これもお父ちゃんが決めたんちゃう。これはもう分子レベルの常識なんや。これで宇宙も成り立っとんねん。乾坤不動、唯一無二の摂理や。これもお父ちゃんが決めたんとちゃうぞ。すべてがそうなってんねん、そういうモンやねん。 妹か? あれはお前、末っ子やないか。末っ子は家族のみならず、おじいちゃんおばあちゃんからも、みんなから可愛がられんのも、これも神様が決めたルールやで。お前がどうこう文句言うような事とちゃう!

             *            

 私は義父を乗せた霊柩車を、義母、義姉、妻、息子を乗せて追いました。風が強く吹いて、路傍の捨て看板が外れそうなほど揺れています。そして桜の花びらが目の前を激しく覆うのです。逃げているわけではないのに霊柩車は速く、激しい桜の花吹雪の中に見失う錯覚に襲われるのです。 私は必死に追いかけます。 もし見失ったら、家族ごともう戻れない。じゃあそのまま、お父さんと一緒に……。そんな気すらしたのです。 

 妻が言ったとおり、埼玉は京都とは違い、お通夜のお線香番は要らないようです。去年、私の実母が亡くなった時は、兄と二人で葬儀場に泊まって線香番をしました。兄は「オカンはお前の心配ばっかりしとったなぁ」と言いました。私は「違うて、信頼がなかっただけや」と言いました。多分両方本当でしょう。 

 長い病床生活のせいで母の体はもうボロボロでしたから、死に化粧を綺麗に施されたとはいえ、顔はやはり見覚えがなかったのを思い出します。オカン、やっと楽んなったな、と母の亡骸に話しかける兄を、楽になったのは兄貴の方だろうと思いながら見ていました。母が認知症を患い徘徊を繰り返すようになった時も、寝たきりになった後も、結局私は何も関わることがなかったので、母の死を悼むよりも、兄の労をねぎらう様な気持ちが強かったのです。 

           *             

 ほんでお前がまた病弱でなぁ。風邪いうたらみなひいとったなぁ。ほんですぐ高熱出してひきつけ起こすねん。 

 喘息も酷ぅてな、毎月一回は必ず仕事休んで病院に連れてかなアカンねん。それも片道2時間やで。「もうちょっと近くの病院でなんとなりませんか?」 言うたけど医者が、行け! 言うから行かなしゃーらへん。その途中でお前は毎回車に酔うてゲー吐くし、着いたら着いたで5時間も6時間も待たされて、診察は5分や! たったの5分! 「悪ぅも良ぅもなってません」そんでしまいや。それやったら電話で何とかなりませんか、いう話やで、正直。 

 ほんでまた車2時間運転して帰ってくんねんからこっちもヘトヘトや。1日仕事休んでこれかぁ……、ってな、商売人にはキツイで正直……。 

 ほんでお前がまたようイジメられてな。これも体がひ弱やからや思てな、鍛えたろう思って剣道やらしたら剣道教室でもいじめられてな、野球やらしたら野球チームでいじめられてな、性格もどんどん卑屈になっていって、ちょっとしたことですぐメソメソ泣くし拗ねるし、そのくせ根は頑固なモンやから一回拗ねたらなかなか機嫌直さへん。もうメンドクサイ!放っとこ! ってなるよ普通。お前だけのために親やっとんのとちゃうねん!こっちは。 

           *           

 義父は孫がもう中学生だと聞いて驚いていたといいます。もし病気でなければ、一緒に写真を撮って、入学のお祝いに美味しいモノ食べて、また一緒にゲームも出来たのに。 

 そう想像させる、義父の遺影は息子とゲームをしている時の写真でした。遺影としては珍しい、少し横顔の優しい視線の先にいる息子の姿が見える様な素敵な遺影でした。 

 読経が終わると、参列者で棺に花を乗せます。そうして義父の体をいっぱいの花で包みます。花を置く自分がとても偽善的に見えました。せいぜいこうして別れを惜しむふりをして、迷惑ばかりかけて、ろくにお礼も言わないまま、別れる事になった私は、こんな花で埋め尽くして義父を見えなくしようとしている。 


 おもちゃを買うにしてもね、お姉ちゃんはすぐに決めてサッと買っちゃうんだけど、すぐに飽きちゃうんだね。それに比べて下の子は、ジッーと見て、悩んで悩んで、やっと一つ決める。でもボロボロになるまで遊ぶんだよ。姉妹でも随分違うもんだなぁ、とね、おもしろいなぁ、と思ったよ。 

 いつか義父が自分の2人の娘の性格についてそう話していたのを思い出しました。言われてみれば確かに、妻にはそういうところがあります。スーパーで七味唐辛子を一つ買うにも、ジーっとラベルを見て、おもむろに棚に戻すと、その隣の七味唐辛子を取ってまたジーっと見比べる。 

 何にも変わらないって! 私は思い出し、思わず吹き出しそうになりました。そして慌てて辺りを見回したのです。 

 やはり私だけが他の人とは違います。私だけは義父との関係を、こんな黒い服を着て、かかとの潰れた黒い靴を履いて誤魔化そうとしている。私の置いた花だけが汚れて浮いて見えたのです。すると義父はむっくりと起き上がり、私の置いた花だけを、汚そうにつまんで棺の外に捨てるのです。 

 ストップストップ!! 

 そこや! そこがお前の一番アカンとこや! なんやねん! 何でもかんでも自分が悪い事にしたらそれで解決すんのか? それでホンマに納得してんのか? ほな何でそんな拗ねてんねん? ぜんぜん納得してへんやないか! それで周りはどうなんや? 納得してんのか? してへんわ! それで迷惑してる人も大勢おるんじゃ! ワシが実際そうや!  

 自分で勝手に拗ねるよう仕向けといて拗ねたんは周りのせいやってか?? アホ抜かせ! お前が思う様にばっかり周りは動かへんわ! 酔っぱらってる思って適当にお話を進めんなよ! ちょっと、貸せ! ワシにマイク貸せ! 

 あぁ、あ、え~、こんにちは。 

 このお話をお聞きになってる皆様。初めまして。私はこの男の親父です。ブログでなんて名乗ってるのか知りませんが、コイツは私のアホの次男坊の『智之』いいます。意味はありません。私が適当に付けました。きっといろいろご迷惑かけてることでしょう。せやから本人に成り代わり、先に謝らしてもらいます。 

どうもすんません。 

 でね、さっきコイツが勝手に書いてた私の言葉ありますでしょ。あれは、まあ正直、遠からずですわ。さすがによう見てるなぁ思て見てましたわ。いや、観察眼はね、昔から鋭いんです。虫好きでね。虫の細かい特徴なんか、上手に絵に描いてましたわ。そんな子ですわ。

 正直知りまへんでしたわ。そうか、そんな寂しかったんか、って。言われたらそんな負い目も、思い当たる節も、ない事はない、でもね、皆さん。 

 私は私なりに必死やったという事、良かろうが悪かろうが、私にはこれしか出来ひんかったという事をわかって欲しいんですわ。 

 私の親父は戦争で死にましたわ。私が8歳の時ですわ。それからずーっと死ぬまで、私は独りぼっちですわ。ホンマのオカンは私が赤ちゃんの時に死んでますからね。抱っこされた記憶もありません。おまけに私、長男でね、親父が出征しておらへんから親父代わりに働かなアカン。学校もろくに行かんと、軍需工場で人殺しの道具作ってました。でも子供やから借してもらえる道具も使い古しのボロボロばっかりで、やすりなんかもうツルツルで全然削られれへん。それでも、お前!ちゃんと磨け! 言うて大人から頭バシバシしばかれて、泣きながら家着いたら、2人目のオカンが弟に乳あげとるわけですわ。ただいま、言うても返事もくれません。しゃーない。乳やりながら疲れて寝とるんですわ。 

 ほんで私は一人で飯食うんです。薄暗いあばら家の卓袱台で冷めたそれも固い固い飯をですわ。しかも全然足りひん。もうね、寂しいとかそんなレベルちゃいますよ。死にたいとも思わへん。とにかく笑いたい、腹抱えて笑いたい。ホンマそれだけですわ。  

 いえいえ、同情なんか要りませんよ。そんな時代に生まれたんは誰のせいでもない。でもね、同情はどんどんしてあげてください。しかも無条件で。同情こそが究極のエゴイズムやと思うんです。ほんでそんなエゴイズムこそが、ホンマの愛情やと思うんです。学がないんでね、難しい事は一切わかりまへん。でもね。

『情けは人のためならず』言うでしょ? ホンマにそこに掛かってると思うんです。悪い奴は後を絶ちません。悲惨な出来事もなくなりません。それでも楽しい思いしたいでしょ? 出来るだけ楽したい思うでしょ? 素敵な思いしたいでしょ? ほなそうしましょ、したらいいんです。しましょ、しましょ、でもね。 

一緒にしましょ。 

 もう、いい……。 

 エエ事ない!もうちょっとで終わるから最後まで言わせろ!皆さん、必要ない人間なんて、古今東西、どこにも一人もいてないんですよ。 オウムの大将も、鉄十字のドイツ人も、要らない人間じゃないんです。生まれた時はみんな首ガクガクで足ヨチヨチで、誰かがそのおむつを満身の愛情をもって替えたんです。私もこの子に言わしたら親失格。でもね、そんな親を必要ないなんて言うたらなんも始まらんでしょ。どう思います? 

 いいって! 

 エエ事ない!一つ言えんのは、私にはあの子が絶対に必要やったという事。それは私が望む望まざるに関係なく。あんな出来損ないの、病気ばっかりして、勉強もスポーツも出来へん。ひねくれモンで人の邪魔ばっかりして、いろいろ問題を起こして、中学も高校も、何べんも呼び出しを喰ろて、そのたんびに、すんません、すんません、て下げたもない頭下げて。 

 いいんです! 

 エエ事ない!でも私はね、あの子が私をどう思おうと、どうしても感謝するしかない。したくなくてもするしかない。それは私も幸せでいたいから。私の人生はあの子なしには全てあり得なかった。今は時間の縛りから抜け出て平らかに見てます。自分の人生を平らかに。そしたらすぐにわかります。遠くの山も、近くの川も、その形になったんは、すべて全部のおかげだとすぐわかります。楽しい事はこっちのおかげ、苦しい事はこっちのせい、なんて線は何処にも引いてません。まあ、なだらかなもんですわ。生きてるうちは、多かれ少なかれ手の足の引っ張り合いでしょう。 その足の引っ張り合いを……、

 もういいですって、お義父さん。 

 ん? 

 もう、いいんです。  

 あれ、バレてたの? 

 ダメですよ、勝手に親父に成りすましちゃ。 

 あ、そう。なに、バレてたの、ハハハハ。 


 その時、静かにぶ厚い扉が閉じました。そして棺は完全に見えなくなりました。これぐらい殺風景な方が本当のお別れらしいと私は思います。 

 だってうちの親父はそんなこと言いませんもん。私の親父の葬式に来ていただいた時、お義父さん、もう少し早く来るべきでした、って項垂れましたよね。だからきっと、お義父さんならうちの親父の事を、もうそんなに悪く言うのはやめなさいな、とそう言うだろうなと思ってました。私は私で、親父は親父、お義父さんはお義父さんって、どこかで分けて考えていたんですね。でも確かに、今こうしてみれば何も変わらない。どこにも境界線なんかない。何もかもがいっしょ……。


 私達は、『時間』という細い綱の上を歩いているうちは、おい!揺らすなよ!絶対、揺らすなよ! ってダチョウ倶楽部みたいに大騒ぎするんです。そしてそれに終始して終わるんです。でもいざ両足が地面に着いてみると、別に何も起きていない事に気付くんですよね。私は今、父と同じ事を考えています。私はずっと一人でした。でもそれは悲劇と言うのではなく、あまりにも暖かく、至極当たり前の事だと言いたい。私は一方的に、父に感謝したいのにできない、甘えたいのに甘えられない、そのジレンマを隠してていたんです。父ちゃん父ちゃん父ちゃん!と、あと100回も1000回も呼んで駆け寄りたかった、でもそれが出来なかった、そんなジレンマを私は今もずっと誤魔化しているのです。 そしてこれからもずっと、生きている限りはずっと誤魔化し続けるのです。しかしこれをこれを簡単に悲劇と言ってしまうと、私の人生はもう悲劇以外のナニモノでもなくなるのです。だから私は決してそうは言いません。私には、誤魔化し続ける崇高なる理由があるのです。

 お義父さんは、もういいんですか? 

 うん、もっと残念かと思ったけど、実際そうでもない。早く死んでも長生きしても、そんなには変わらない。生きていたいのは生きている間だけだって事に気付いたよ。きっと京都のお父さんもそうだよ。だからそんな残念がる事はない。死んだあとも、どんどん考えてあげて、印象を変えていけばいい、そうすればいつか仲直りだって出来る。それが真実だと思うよ。 

 そうですかね。じゃあ私もまだ遅くないですかね? 

 遅いとか早いとかはすべてなくなるからね。本当はもっと広くて緩やかなもんだよ。いいと思う。 


 お骨が、太いですね。 

 葬儀場の人がいいました。義父はがっしりした人だったのでそうでしょう。刷毛を使って、細かな欠片まで集めて骨壺に入れると、少し蓋が締まりづらいほどでした。 

  違うもんだね。 

  ね、違うでしょ? 

  うん……。 

 私の田舎の京都ではお骨をすべて骨壺には入れません。喉仏と、あとは数カ所の決まった部位の骨を入れると、残りは処分してしまいます。 

 これからだね。 

 うん、まだいろいろ、お香典返しとか、三回忌、七回忌とか、まだまだ大変だから。 

 うちは一番近くに住んでいるんだから、お母さんの手伝いをちゃんとして。 

 そりゃ、言われなくったってしますよ。 

 義父のいない宇宙はそれから、あまりにも優しく暖かな慈雨を降らせました。これを優しさと言わずして何というのでしょう。私は普通に戻りました。妻もその様です。 

 今一番正しくお別れが出来たと思い、少し嬉しいぐらいの気持ちです。 

『いきてるきがする。』《第3部・冬》


《第三部・冬》

もくじ



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第23章(母親からの手紙)

 寒い朝です。テレビでは今年一番だと言ってます。運動を心掛けると決心したはずなのに、気付くとパジャマのまま、リビングで猫の頭を撫でながら、日向にだらしのない影をくゆらせていたります。今年もあとわずかですね。

 息子の野球も今シーズンは終了。よく頑張りました。最後の試合、すごく面白かったよ。3打数2安打2打点1得点。全5点中3点に絡む大活躍だったな。来年はもう中学生か。きっと野球の練習もこれまでよりもずっと厳しくなるぞ。そういう意味でも、お前は今、本当に大切な時間を過ごしているんだなぁ、と見てて思うよ。

  そして父ちゃんも今、大切な時間を過ごしている。父ちゃんにとって大切な時間というのは言うまでもなく、お前とお母さんととのまと過ごす時間の事だよ。そうやってね、世の中のお父さんはホクホクしながらお金を稼いでいるんだよ。別に感謝なんかしなくていいからな。好きでやってるだけだから。

 いつの間にか街路樹はすっかり葉っぱを落とし切って、まるで竹ぼうきみたいな先鋭な枝を幾本も冬空に向けては、ぴゅーぴゅーと凍えております。

  先日は突然お邪魔しまして失礼いたしました。〇〇〇(今の子の本名)の母でございます。

 あの子がそちらでお世話になっていると聞いて、お礼かたがた出向かせていただいたつもりだったのですが、とんだお見苦しいところをお見せしてしまって申し訳ありませんでした。

 ところで、あの子はどういうきっかけでそちらのお店のお手伝いをさせていただくようになったのでしょうか。我々の監督不行き届きを棚に上げてこんな事を言うのは誠に心苦しいばかりなんですが、見てもお分かりだと思いますが、あの子はまだ未成年でございます。お店を手伝わせるのであれば、なぜご一報いただけなかったのかと、それだけを主人ともども非常に残念に思っております。

 御存じとは思いますが、中学生を働かせるのは法律違反です。やむを得ない場合でも親の同意が必要です。今回は皇極法師様によって、すぐに居場所を突き止められたからいいようなものの、我々がもし捜索願を出していたら、あなたは誘拐犯として逮捕される可能性もあったのです。それはあなたも望む結果ではなかったと思います。

 脅しているように聞こえたら申し訳ありません。そんなつもりはありません。私たちただ、我々家族の平穏な暮らしに、是非ご協力いただきたくお願いを申し上げているのです。そのためにはあの子と我が家について包み隠さずお話しして、事情を十分に組んでいただいた上で、ご納得いただき、一日も早くあの子が我が家に帰って、前と同じように、家族で一緒に仲良く暮らしていく事を、あなたからも強く説得していただきたいのです。   

 あの子は我が家に長男として生まれました。とても小さな、2000グラム少しの赤ちゃんでしたが、大きな声で泣いてくれて、私は嬉しくて涙が止まらなかったのを覚えています。

 あの子は、とても優しくて、賢くて、よく笑う、本当に我が家の太陽でした。

 その翌年、双子の姉妹を授かりました。先日、そちらのお店に一緒に連れて行ったのがそれでございます。可愛い笑顔と笑い声に包まれて、私達は本当に幸せでした。

 ところがあの子が中学になった頃から、友達数人による、あの子に対するいじめが始まり、あの子は部屋に閉じこもるようになりました。我々はあの子に何とか学校に行ってもらおうと、学校とも担任の先生とも何度も話し合いましたが、あの子は、自分はこの家の子供じゃない、ここは自分がいる家族じゃない、の一点張りで全く聞く耳を持たなくなったのです。

 そういう病気があると聞きました。思春期の子供は、心も体も成長する時期であると同時に、バランスを崩しやすい時期もあり、強い外部からの圧力でいったんそのバランスが崩してしまうと発症する病気だと聞きました。自己肯定感が持てず、世の中に対して強い不安や不信を抱いてしまう。他人は親も兄妹もすべて自分を除け者にしているように感じて、誰も何も信用できなくなる。

 まず環境を変える事だと、カウンセラーに言われました。 新しい環境で、出来るだけリラックスして過ごす事だと。我々は和歌山県に引っ越したのです。和歌山県は私の生まれ故郷でもあり、自然も豊かで、親戚もいとこもたくさんいるのです。環境が変われば、きっとあの子も元の朗らかな子に戻ってくれると、そう信じていたのです。

 でもダメでした。あの子は、どこに行ってもお前らと一緒にいる以上一緒だ、と言いました。私達のいったいなにがいけなかったのでしょう。私達はいったいどうすればよかったのでしょう。

 悪魔が憑いていると言われました。藁にも縋る気持ちで、私達は悪魔祓いの儀式まで受けたのです。神父の手からあの子に聖水を掛けられた時にあの子は、ふん、ただの水じゃねーかよ、と言って笑ったのです。その眼はもう私の知っているあの子の眼ではありませんでした。のちにその聖水は本当に水道水だったと聞かされて驚きました。神父は、悪魔祓いは精神のバランスを取り戻すための治療で、水なら何でもいいと言いました。

 そう我々だって嘘でもいいんです。本当が目も当てられないほど酷い物なら、一生嘘の中に閉じこもってもいい。でも私がそんな不埒な事を思ったせいでしょうか、それともこれが言霊の恐ろしさでしょうか。そう思った途端、私はあの子の事が急に疎ましく思えてきたのです。あの眼付き、体、声、匂い。何もかもが私の知る息子のモノではありませんでしたから。

あれば私の子供じゃない……。

  あの子のあの体には一体、何が住んでいるのでしょうか。堪り兼ねてそう訊いた時、皇極法師はこう仰られました。

 誰もおらん。

 私はホッとしました。私の勘は、半分当たっていたのです。私は皇極法師に出会い、この世の中でようやく味方が出来た気がしたのです。


 

 

第24章(洗脳)

 毎朝必ずコーヒーを飲むことにしています。インスタントコーヒーね。そしてヨーグルトを、カレーライスのスプーンに2杯ぐらい食べます。そうすると前日のお酒が嘘のようにスッと抜けるんですね。でもこれじゃいけませんね、コーヒーに頼りっ放しって。 まるで秘密のおまじないのようです。

 昨日UP-Tに3店舗目を作ったんですが、今ちょっと休止中です。またすぐ復帰します。こうご期待! 

 しかし、もう正月ですね。静かな正月になりそうですね。そしてまた1年やり直し。そんな気分が年々強くなるような気がします。希望と未来が、諦念と過去に凌駕され続けているという事なのでしょうか。もっとしっかりしないといけません。

昔のように華やかな状態に戻さなければ。 

 オレンジ色のモヒカン頭で、ジャンポールブレリーと、デヴィッドフュージンスキーバーノンリードジミヘンドリックスデヴィッドギルモアを足して濃縮した様な、化け物ギターリストになって、天才の名を恣にして、全国、全世界ツアーに出掛けると本気で思っていた頃のバランスに、ほんの少しでも近づけるように……。 

 忘年会はどうする? と息子に訊くと、育ち盛りの息子はとにかく肉を喰いたいと言います。 

 よし、じゃあ、そうしよう。 すたみな太郎で。


 今、私の気分がやや沈んでいるのは、例の今の子の母親からの手紙の返事が、ともすると喧嘩腰になってしまったのではないかと悔やんでいるからです。今の子の母親からの手紙を読むうちに、私は親という存在のあまりの身勝手さを腹立たしく思ったと同時に、親という存在の恐ろしさが冬の寒さの様に深々と忍び寄ってくるの感じたからです。 

 先日はご来店いただきまして誠にありがとうございました。『ひざ通商。』の代表を務めております。〇〇〇(私の本名)です。早速、〇〇〇(今の子の本名)君に店を手伝ってもらう様になった経緯をお話しいたします。 

 私があの店を立ち上げたのはこの夏の頃です。コロナが世間を震撼させていた、まさにその頃です。私はトラックドライバーを生業としておりますが、他の業界に違わず、運送業界もこのコロナの大打撃を受けて、仕事が激減しておりまして、そのために私は副業として、この仕事を始めました。 

 副業と言いましても、私はこの世界に直接店を出しているわけではありません。

 私が今話しているのは、私のブログの中の世界に対してなんです。なかなか信じてもらえないと思いますが、例えばパソコンや携帯電話のスイッチを切ってしまえば、私はこの世界からいなくなってしまうのです。そんな状態で、私は〇〇〇君に出会ったのです。息子さんは、もう一人の少年と2人で私の店を訪れて、手伝わせてくれと、そう言ったのです。 

 先程も申しましたが、私は普段トラックドライバーをしている関係で、日中は店を覗いたりする事はほとんどできません。なに、別に覗かなくてもネットのショップなので店番は要らないようなモノなのですが、まずはコンセプトとして、ブログの中に、あたかも本当の店を経営しているという風にしたかったもので、それで2人にお店番を頼む事にしたのです。 

  2人は私に、帰る家はあるが帰れない。そんな事情を汲んで欲しい、という趣旨の事を言いました。そう言われると私にはそれを疑う余地はありません。なぜならば、この2人をネットのフリー画像の中から見つけたのは私だからです。

 ネットのフリー画像の中に、私の子が?  

 あなたはそう訝しがられるかもしれません。しかし、私の方からすると、 

 ネットのフリー画像に、人間の親が? 

 となる訳です。斯様に、私達はとても微妙な関係にあるのです。誘拐犯として私が逮捕されたかもしれないと仰いましたが、それはないでしょう。なぜならば私はパソコンと携帯の電源を切れば、もうここにはいなくなるのですから。

 いよいよ頭がおかしいとお思いでしょ? でも考えてみてください。実際の世界でも、死ぬとはそういう事じゃないでしょうか。

 そして任意にスイッチを入れると、死んでない事になる。生き返ったのではないのです。死んでいない事になるのです。我々は現に、毎日そうやって生きているのです。 

 皇極法師様は私に、徹底的にあの子を孤独に曝せ、と言いました。

 あの子の魂は今、自分の体を疑って寄り付けないでいる。それで空き家の様になった体に、とっかえひっかえ邪気や悪鬼が入れ替わっている。悪魔祓いなどやったところで、またすぐに別のモノが入ってくる。同情して優しくしようものならそれこそ相手の思うと簿だ。だから、徹底的に冷たくして、誰も何も寄り付かないようにすれば、幾らなんでも、あんな寒いところに誰かいるなんて思えなくなる。そうすればようやく、息子の魂は少し疑うのをやめ、心を開きかけ、そしてこの体に帰ってくると。私は心を鬼にして、あの子に出来るだけ冷たく接しました。それは身を切り刻まれる思いでした。そんなことが自分に出来るのか、そんな事をして私は酷い親ではないのか。 

 あの子はますます私に反抗的になりました。 


第25章(私の宇宙)

 緩やかな冬の日差しがベランダからリビングに差し込んでいますが、きっと4時半を過ぎるともう暗くなってくるでしょう。だから5時には帰って来いと、そう言って息子を遊びに行かせたのです。 

 仕事をしている時、私はラジオをつけています。だいたい、FM-TOKYOを聴いているのですが、その放送の中で、タレントの風見しんごさんが出ている農協の交通事故ゼロキャンペーンのCMがあるのです。風見さんの娘さんは、登校途中に交通事故で亡くなっているんです。風見さんは、 

 お子さんに、繰り返し危険を教えてあげてください。と仰ってます。事故が起きてからでは遅いから、と。運転者としても父親としても、身に詰まされるCMです。 

 だから私は息子が野球の練習に行くとき、学校に行くとき、そして遊びに行くとき、必ず、車やバイクに気を付けろよ! と一言声を掛けます。仕事で朝が早い時は、息子が小学1年生の時、父の日に描いてくれた私の似顔絵に、何もない、何事もなく必ず帰ってくるから、お前も必ず無事で帰って来いよ、と声をかけてから出掛ける事にしています。 

 願掛けですね、強迫神経症の軽いヤツです。 

 息子はちゃんと5時前に帰ってきました。そしていつもと何も変わらずに、腹減った!と言って年末にお正月用に買っておいたミニラーメンを食べ始めました。私は風呂を沸かそうとして1階に下りたんです。そして風呂の栓をしようとした時、2階で何かが床に落ちる物音がしたのです。息子が食べていたのはマグカップに入れるタイプのミニラーメンだったので、私は息子がそれを落としたのだとすぐにわかりました。普段からゲームをやりながらおやつを食べたりして、その事を再三注意をしていたので、おそらく今回もそうだろうと、おい、何落としたんだよ! と言いながら2階に戻ったんです。 

 2階のリビングにはラーメンが散乱して、息子が倒れていたのです。手足を硬直させて、痙攣しているのです。私は頭が真っ白になって、自分が誰なのか、それしかわからなくなったんです。私はこの子の父親。 

 おーい、おーい、そう言って抱きすくめても暫く息子の体はがたがたと痙攣を止めませんでした。やがて少しずつ力が抜け始めると、今度は大きな鼾をかき始めました。そして、目が白黒に戻り、少しずつキョロキョロと動き始めたのです。これで、まず大丈夫な事は、私は知っていました。 

 救急搬送された病院では、てんかんの可能性がある、と言われました。それも、だいたいわかっていました。2か月前、同じように学校でも倒れていたからです。  

 ただ……。 

 万が一、そう考えると現実を信じる気がしなくなるのです。そして、あの子がこの事を気に病まないか、そう思うとますます、現実を信じる気がしなくなるのです。 

 でも、現実を胡麻化す事は出来ても、信じない事は出来ません。だから私はこの事で、息子よりもまず、自分が傷つかないようにすると決めたのです。息子は何処でどんな状態でいても、私にとっての宇宙であることに変わりはない。私はその宇宙に住んでいる。そして息子は私の夢の中に住んでいる。 

 私が傷付くと、息子の住む世界が曇るのです。 

 息子が傷付くと、私の住む宇宙が歪むのです。 

 親は子のためにいるのでもなく、子は親のためにいるのでもないのです。ただお互いに絶対に必要な存在であるという、この事だけは疑う余地もないほど確かな事だと、まずはそう決めたのです。そしてこの、必要である、という事実を、私は私の力の及ぶだけ、一番大きく解釈したいのです。現実も、命も、時間も超えて更に尚大きく。 

 今の子の母親の手紙は、このあたりから私の感情を逆撫でし始めました。 

            


 あの子の反抗的な態度や、仕草、暴力は、あの子の回帰を阻む虫どもが苦しむ姿に見えてきたのです。私は、自分がおかしくなっている事に気付いていました。でも同時に、それに必死に抵抗しているのも私だと、そうも気付いていたのです。私はあの子を無視し続けました。そして、虫どもを苦しめる、さらに効果的な方法を発見したのです。 

 私は無視を保ちながら、時々優しく話しかけるという技を編み出したのです。これは私が思いつく限りの、一番残酷で効果的な手段でした。虫どもは私の策にまんまとはまりました。そして掌を反すように優しく話しかける私に、待ってましたとばかりに、さも息子の様なフリをして甘えようとし始めたのです。周りから見れば息子が心を開いている様に見えていた事でしょう。でも今そんな事で気を許すと、虫どもの思う壺です。きっともう少し、もう少しで、息子はこの体に帰ってくる。 

 皇極法師は私のやり方を褒めてくれました。実に息子思いで、優しいいい方法だと。反発させていては長引くばかり、決して心を見せず、ただ優しく接するのは、母親の本能を持つ本当の母親にしかできない事だよ。そう言ってくれたのです。私は涙が出ました。皇極法師だけが、私を理解してくれている。 

 しかしある日、あの子は突然いなくなりました。釣り糸が切れた様に、ふっつりと手応えがなくなったのです。肝心の体が、家に帰って来なくなったのです。主人と相談して警察に捜索願を出しました。2日後、森の中でうずくまっている息子が発見されたと警察から連絡がありました。主人と私は急いで警察に向かいました。そこにはカップラーメンを持って俯いている息子の体がありました。あの子は私達を見るなり、泣きそうな顔になったのです。 

 その顔を見て私は虫どもが、いよいよ息子の体を持て余していると確信しました。もう少し!もう少し! 

 駆け寄って抱きしめた息子の体からは、胸を突く獣のような臭いがしました。私は必死にそれを我慢して、どこに行ってたの! と言ってさめざめと泣いて見せたのです。勝負ありです。そうしながらテレパシーで、息子の体ごと逃げようったってそうはいかないよ、あの子の体はお前の意のままにはならない。生きていけないんだよ。この世の中で、中学生を雇ってくれるような場所はそうそうないからね。そうやってお前はヨボヨボの爺ぃになるまで一生、交番のカップラーメンだけを食べて生きていくつもりかい? 舐めるんじゃないよ! 人間は、人間の体は、お前が考えるよりもずっと面倒くさいんだよ! 

 帰りのタクシーの中で、あの子は嬉しそうでした。父さんと母さんと3人なんて、何時ぶりだろう、そんな事を言いました。家に帰るとまた、私のおぞましい責め苦が待っている事も知らずに……。 


第26章(闇に潜む善)

 限られた時間の中で、どれだけ有意義なことが出来るか。時間に縛られた人間は、体と魂を分離して考える事を極端に怖がりますからね。縁起でもない! ってね。純粋に可愛いと思います。あ、いえいえ、別に見下しているのではありませんよ。羨んでいるのです。 

 私には終ぞ、そんな瞬間はなかったから……。必死に命にしがみついたような、そんな覚えがないんです。 


 私の三賀日は毎年とても忙しいのです。箱根駅伝を見なければいけないのでね。お正月はこれに決めています。毎年私の母校、東海大学がどんな走りを見せてくれるのか楽しみです。見渡す限りの瞬間が、彼らをぐるりと取り囲んでゴールテープの様に待ち受けています。 

 息子は私がテレビを独占している間、ゲームが出来ないと不満げですが、私は箱根駅伝だけは譲りません。それと理由はもうひとつ。 

 息子に痙攣を誘発させた原因の一つには、去年のクリスマスに貰って以来、ずっと気に入って遊び続けている、ニンテンドーswitchがあるのではと疑っているのです。 ありましたよね、『パカパカ事件』ポケモン、でしたっけ? 画面のフラッシングに見ていた子供が痙攣を起こして倒れたという、あの事件。

 私は視力が弱いので、ああいう色鮮やかな画面が目や脳に負担を掛けているのがはっきりとわかるのですが、夢中になってる子供達にはわからない。 

 ちょっとは、大切な目と脳を休めなさい。 

 でも息子は止めません。そして私も、そう言うだけで息子からゲーム機を取り上げる様な事はしません。この子の楽しい時間が、楽しげに遊んでいる時間が、私自身、もう何よりも好きだからです。どれぐらい楽しい時間を過ごすかどうか、これが幸せを測る一番正確な物差しになると本気で思うからです。こんな時間が息子にも私にもずっと続けはいいと、毎日、毎秒、欠かさずそう思っているのです。 

 あなたの手紙からは親としての苦悩が溢れて、同じ親として読んでいてとても心が痛みました。確かに、私は少し常識に外れていたかも知れません。この世界を、所詮は私がブログとして立ち上げたこの世界だと軽んじて、礼節を欠いた行動をとっていたのかと思います。それについて深くはお詫びいたします。

 しかし私はあなたの手紙を最後まで読み、あなたに〇〇〇君をお返しする事は出来ないと判断しました。私は少なからず絶望したのです。絶望的なほど、貴方と私の距離が近いのです。それはもちろん実際の距離の事ではありません。あなたは私に無断で私に近づきすぎたという事です。おかげで私は、自分の全てを見直して、安閑と暮らしていた家族との時間まで疑わなければならなくなりそうです。しかしあなたはその事を、自分の息子への愛が与えたパワーか何かの様に勘違いしている。 私が一番嫌いなのはそういう、闇に潜んだ善なのです。闇をエサに蔓延ろうとする、邪悪な善なのです。

 私は今こうしているのがとても辛いしとても楽しいのです。でもそれに気付く事はありません。それは生まれた時間から死ぬ時間までの間に全て喜怒哀楽は相殺されていて、何一つとして集約できる事などないからです。しかし無理にでもそうしなければ、私はあなたに対峙できないのです。あなたが私にバカ!と言う、すると私はあなたに、何だと!といいかえす。これはあなたと私がに対峙していないと出来ない事です。それはつまり、あなたと私が時間と場所を同じように固定する事です。連綿と続き途切れない時間と空間を不自然に切り取って、あられもない断面を晒し、それについて議論するという事です。 

  あなたと話す時、私もあなたも、固定された時間に、つまり写真に話し掛けているのと同じなんです。 

 バカバカしいでしょ。コイツ、完全に頭がいかれている、とお思いでしょう。そうです、他人の話を聞くなんてそんなもんです。大概はうまく伝わりません。だからもうやめます。結論から言います。 

 私はあなたに、息子さんを、〇〇〇君をお返ししません。彼の魂も、体も、暫くは私のブログの中に、そしてあの道祖神の中に、いてもらう事にします。 

 彼は私に言いました。 親はまだ自分に気づいてない、と。あなたたち家族を、ただのエキストラさんだとも言いました。どういう意味だか分かりますか? あなたの知っている息子さんは、あまりにもあなたの都合に合い過ぎていて、彼すら寄せ付けない。彼はその事を困っているのです。彼は苦しんでいる自分がいる事にも薄々気づいています。覗き込んだ流れの中に、ふと現れる苦悶の表情、そんな感じでしょうか。それは抗いがたい不安です。

 あなたが今必死に彼の中から追い出そうとしている虫、それも息子さんであることを、あなたはちゃんと気付くべきです。都合のいい息子だけを、自分の知っている息子だけを息子だと思ってはいけません。そしてその、皇極何某の様な類の人を妄信しない方がいいと箴言させていただきたい。こういう輩は何処にでもいます。そして人の弱みに付け込んで、もっともらしい事を言うのです。そういう才能には、恐ろしく長けた人種なのです。 

 彼があなたにとって、そして〇〇〇君にとって役立つことはありません。すぐに縁を切って、すぐに〇〇〇君を何も言わずに抱きしめてやってください。 

 あなたが私の店で話しかけていたあの道祖神を、あなたは実際には見た事がないかと思います。あれは群馬県吾妻郡長野原町応桑にある諏訪神社の鳥居の左側に鎮座する道祖神です。 一度見に行かれたらどうですか? そうすれば、彼があなたが思うとおりの息子かどうか、わかると思います。

 あなたには息子にしか見えなかったでしょ?でも実際はそうじゃない。そういう事が、実際にあるのです。

 自分が生きている間の、せいぜいいい時間だけを選んでそれだけを自分の息子とする事はどうか止めてください。過去、現在、未来、すべてが息子であると思ってください。それが本当の意味で言う、希望なんです。それは続くのです。体が、命が尽きた後も、その先の先の先まで。       


 なんという疲れる手紙を書いたモノかと思います。これじゃあまるで私は気の狂った人間にしか見えないでしょう。このご婦人も私の手紙を読んで、気の触れた男に息子が拉致されているとして私を誘拐犯として通報するかもしれません。出頭しろというならするならしようと思ってます。 

  そしてこの手紙を書いた直後、息子が倒れたんです。その瞬間、私はバチが当たったのだと思いました。 

 バチが? 当たる?  

  ご覧になってわかる通り、私のロジックはまだまだ隙だらけです。自分の覚悟もあまりにもおざなりでした。そこに付け込まれたのでしょう。

  でも実際あるようですよ。 思い当たる節は、私の中にいくらでもありますから。 

 私は息子が倒れた背中と同じように、その倒れた時間を何度も何度も撫でて、願わくばその手触りが滑らかになる様に、何事もなくなるまでなで続けようとして、棘が刺さったのでしょう。そんな甘くない、そんな誤魔化しは効かないと、そう言われたのでしょう。

 現実とは想像もすべて含めて現実であるという事。 

 私には私の事は何もわかりません。だから生きているのでしょう。生きていられるのでしょう。 

 では今日もそろそろ出かけます。どこへって、仕事ですよ。私はトラックドライバーですから。 


         

第27章(Mother)

 

 あなたにはわからないと思います。 

 いきなり目の前から我が子がいなくなる事の、身を切り刻まれるような痛みは。 

 やっとみつけたんです。 

 お願いです、どうか、バカな理屈をこねて、私の心をいたずらに疲弊させず、家族の愛を無茶苦茶に踏み散らさず、速やかに、息子が戻ってきた息子の体ごと、我々家族の元に返してください。 

     *           

手紙をポストに落とすと、カーンという乾いた音がしました。晴れた冬空の様な高らかな音です。何もない、何の意味のない音です。今年は年賀状も届かなかったので、なんだか寂しい正月ですが、それもずっと前からわかっていた事ですから。  

 母は去年の11月に亡くなりました。私がこのブログで沈黙していた時間と重なっていると思います。母は年を越せませんでしたね。享年82歳。最後の数年は本当に可哀想でした。亡くなる前日の母の様子を、姉が携帯カメラで撮影したものを見せてくれました。目や口が微かに震える様に動いています。 

 母の命の火は、水面を微かに揺らしながら燃えている、そんな圧倒的な弱々しさがありました。そしてほどなく火は消えました。何も惜しまず、何もじらさず、ただ為されるがままに淡々と消えたようです。そして母が元居た場所のさざ波は消え、ただ何もない水面に戻りました。 

 姉はそれを確かめるように、母の額を何度も触ったり頬を触ったりしていますが、私にはそれがどういう意味だかよくわかりませんでした。 

 私の喜怒哀楽は常に相殺されて起伏はありません。穏やかな状態です。この後、家に戻ればきっとまたブログの続きを書くか、或いは新商品のデザインをするでしょう。気に入ったモノが出来たら嬉しいし、売れたら尚、嬉しい。しかしそれもすぐに相殺されていて実体のないモノになります。すべてのモノも、波も、音も、色もです。そんな状態で、私はこのブログを書いています。きっといつか誰かの、何かの役に立つような気がして、本当にただそんな予感のために書いているのです。 

  あの手紙は本当に届くのだろうかと少し疑っています。実際に出したのだから住所が間違っていなければ着くという事です。 

 リンクしたのでしょうね。今の子の母親が息子を必死に探すあまりに少しずつ拡張させていった『今』と、私がブログで作った『今』が。こんな事はきっとよくある事でしょう。そしていつか自分がそのどっちに住んでいるのかよくわからなくなればそれが、今よりずっと本当であることを、私は微塵も疑いません。 

 あれから、息子の様子は落ち着いています、今日は日曜だから、きっとまだ寝ています。帰ったら起こしてやろう。それとももう起きているだろうか。そしてうっすらと寝腫れた菩薩の様な顔をムスッとさせて、この正月に買ったばかりの大型の座椅子に座りながらぼんやりとテレビを観ているだろうか。 

 私は、おはよう、といってやろう。そして頭をガシガシしてやろう。きっと息子は面倒くさそうにその手を払いのけるだろう。 

 最近返事をしなくなってきた息子。そうしてだんだん自我をもって、その分、孤独になっていけばいい。それは私は助けない。私が助けるのは命だけだと、そう決めてるんです。いずれ同じ水面に戻る事を、私も息子もよく知っているのですから。 

 久々に店を覗いてみましょう。

 琥珀のようなヒンヤリとして少しも温かくない、粘っこい蜜の様な冬の陽光が店中に満ちています。36歳の大きな金魚の影が、英字新聞の上に揺れています。そして二人はいつものように、店の真ん中に座り、相変わらず何かコソコソと話をしている様子です。無限の記憶を持つモノ同士は、あらゆる話をするのですが、それはすべて時間を区切っただけの雑談なんですよ。 

          


 あのさぁ、地震の時さ、どこにいた? 

 山の上にいたよ、真っ黒い水が町を飲み込むのをみてた。君は? 

 気付かなかったんだよね。あっという間で。 

 あ、そうなの。苦しかった? 

 全然、あっという間だよ、あっという間。 

 私は少し身構えました。どうしてか、何とかして二人のこの会話を止めないといけない気がしたのです。私の悪い癖かも知れません。どうしようもない時間を何度も何度も撫でては何とか滑らかに鞣そうとする。それは誰でもやってしまうでしょ? あなただって、ついやってしまってるでしょ?

 2011年3月11日。 

 東北を襲った大地震は、1万5000人を超える死者と、2500人を超える行方不明者を出した。 

 思い出しても尚、私の心は平穏で穏やかなままです。ただ、あの時、ボロボロと泣いた記憶だけが、全く今の事のようにしてありありと蘇るだけです。私はコンタクトレンズのケースと洗浄液を数ケース被災地に送りました。都庁のサイトに本当に足りないモノのリストがあり、そこに書かれていたのです。妻は生理用品と紙おむつを送りました。やたらと毛布ばかりが送られて、正直迷惑してます! というコメントには批判する声が出た。 

 救援物資を迷惑とは何だ!! 

 善意は誤解されたわけでもなく届かなかったのではない。初めからなかったんです。対岸の火事に、視聴者参加型番組のように、少し触ってみたら、予想と違う面白くない反応を示されて面白くない。 

 被災した弱者のくせに! 生意気だ! 

 という全く残虐なだけの、救済の振りをした憂さ晴らしが、被災地を何度も何度も、津波のように襲ったんです。 

 私はまた、そんな様子を目の当たりにして大泣きした。 

「でも、よかったわ。」こんな声が聞こえたんです。 

「あのミサンガ、お姉ちゃんよね。うん、間違いない、お母さんはっきり覚えてるもん、あれはお姉ちゃんだわ。顔はね、もう全然わからない。でも、よかったわ。やっと見つかった。やっと帰ってきた」 

 私は号泣しながら、嗚咽と共に目を覚ましました。目の前の道路で水道管の埋設工事が始まりガンガンと、うるさいのです。そして家全体が揺れるのです。 

 息子は隣ですやすやと眠っています。少し頭を撫でてみたら、寝ながら私の手を面倒くさそうに払い避けたのです。 

 生意気な……。 


第28章(入院)

             

さてと、私は重い腰を上げます。もう何十年も前から、休日は私が風呂を洗う約束になっているからです。座椅子から立つのも一苦労。ずいぶん年を取ったモノです。 

 もしかすると私はもうじき、時間の呪縛から解放されたのかもしれませんね。 

 二月の初め、息子は野球の練習を無事に終えて帰って来ました。無事になんて言うのは大袈裟なようですが、癲癇の発作を起こす様になってから、私か妻が練習に付き添う様になったのです。それは医師からも、野球チームの方からも頼まれた事で。 

 まだ寒いですが天気は良く、トラックドライバーで運動不足が慢性化している私にはちょうどいい運動のようです。風が少しあって、砂埃っぽい中、目を細めながら、私は小学校のグランドの一番奥の方を走るユニフォーム姿の集団の中から、息子をすぐに見つけられた事にほっと安心したのです。 

 寒くないかと言うと、息子は少し寒いと言いました。でもいつもと同じようにリラックスしている様子で、息子はいつもと同じように座椅子にもたれ、おやつを食べながら、またいつもと同じようにyoutubeを見ていたのです。 

 夕方4時半ごろです。さて、そろそろ晩御飯だし、もうそろそろおやつは止めにして、と声を掛けようとした時、 

か……、か、あ……、ああ。 という息子の声が聞こえたのです。息子は座椅子に凭れたまま発作を起こしていました。私は息子に寄り添うより先に携帯電話を持ち、その様子を動画で撮影し始めました。以前医師から、そういう映像があった方が、より症状を特定しやすいと言われていたのを真っ先に思い出したのです。 

 何かとても残酷な事をしている様に感じました。 

 全身を痙攣させて、白目を真っ赤に血走らせている息子に手を差し伸べるでもなく、いち、に、さん、とカウントしながら撮影しているのは、まるで見殺しにしているような気分です。 

 でも皆様。 

 もし癲癇の発作に出会った場合は、私と同じようにしてください。そして迷わずに、必ずすぐに救急車を呼んでください。そしてその発作が、何分ぐらい続いたか救急隊に知らせてください。 

 私は救急隊に動画を見せ、主治医にも見せました。 

息子は何度も、自分の見られたくない姿を見られることになりました。 

 うん、少し、目が右に寄ってるかな、と医師は画面を拡大しようとしましたが、携帯の動画の画面は拡大できませんでした。 

 あぁ、ネコも心配してるね。 

 医師はそう言ってハハハと笑いました。画面には痙攣を起こしている息子に恐々と寄り添う猫が写っていました。撮影している時には、全く気が付きませんでした。 

 しばらく様子を見て、もう大丈夫でしょうという事で、息子はその日のうちに家に帰ってきました。飲んでいた薬は副反応を見るためで、もともと治療に有効な量には達していなかった、だから発作は起きても不思議ではない。と主治医は言いました。 

 妻と私は、妙に明るく餃子を包みました。少し遅くなった晩御飯は、息子が大好きな手作り餃子で、息子はやった! と言い喜びました。理由などたいしてありません。ただ私と妻は、ありえないほど陽気に餃子を包み続けたのです。おかげであっという間に包み終わりました。さらに、フライパンが買いなおしたばかりで新品であったため、餃子は焦げ付きもせず、まあ驚くほど綺麗に焼けました。 

 いただきます! 

  餃子の上を、季節外れの小さな虫が飛んでいたのでしょう、息子は目だけでその虫を追っている、そう見えたのです。 

 そしてそのまま、息子は二度目の発作を起こしたのです。さっきの発作からまだ3時間しか経っていません。目が右に寄ったのは、脳のそういう部位で発作が発生しているからだと医者は冷静に分析して見せましたが、念のためそのまま入院という事になりました。私は息子の表情が頭から離れず、眠り続ける息子の様子を、表情を、今まで感じたことがないほど忌々しく疑わしく見ていたのです。 

 或いは、私の時間がもうとっくに終わっているのかもしれません。たとえ終わっていたにしても全然かまいません。それは正しく言うと、私の時間が終わったのではなく、私が時間を感知出来なくなったという事でしょうからね。 

 穏やかな午前の日の光が私の膝に掛かっています。息子は座椅子に座ってテレビを観ています。今日はこれから、少し離れたグランドに練習に向かう予定です。 

 私はいろんな瞬間を同時に思い出しています。そしてその好きな瞬間を『今』とします。 

 それは誰にでも出来る事です。 

 何が起きるのか、起きたのか。私はすべてわかっています。要するにそのことがすべての不安なのです。すべての憶測も希望も、私は自分の中には不安として持っている、そしてそのそれぞれの時間が、目の前を網の目の様にランダムに流れているのです。 

 ちょっと……、 

 目を閉じて、そっと開けてみてください。何か変わりましたか? 何も変わらない、そう感じましたか? 

 それはあなたに希望だけが見えているという事ですね。 

 素晴らしいです!いつかまた、私は酷く悲しむかもしれないし、酷く喜ぶかもしれない。 

 その記憶のすべてが今、私の中にどんよりとさせる事なく、発作を起こすことなく、ジッと落ち着いている。そういう事でしょう。つまり今見えているのはすべて、希望という事に、

なりませんか?

 さあ、そろそろ出かけましょうか。私がその少し離れたグランドまで送っていくのです。 

 おい、そろそろ、準備しろ。 

 息子は返事をしません。 

 おい、おい! 

 私が慌てて座椅子まで行くと、息子はすやすやと眠っていました。 

 暖かい朝の光を浴びながら。 

 遅れるだろ! 

 私が頭をポンと叩くと、 

 痛ぇ! と目を覚ましました。 

 そんなモン、痛かぁねぇよ!