
第100章『後縦靭帯骨化症という愛。(その4)』
ポカポカの日差しの中でネコの背中を撫でています。
温かいネコの背中は、嗅がなくてもいい匂いだとわかるんです。この『ひなたの猫はいい匂いがする』というのはおそらく世界共通の錯覚だと思われるのです。
つまり全世界が共有する錯覚は、確かにある、という事になりますよね。でもそれって、錯覚、なんでしょうか? 実際となにが違うのでしょう?
私は私という人間にさほど興味はありません。顔が良かろうが悪かろうが、頭が良かろうが悪かろうが、スタイルが良かろうが悪かろうが、家柄が良かろうが悪かろうが、育ちが良かろうが悪かろうが、健康が良かろうが悪かろうがどうでもいい。私が興味があるのは、私の周りの出来事のみで、それにはむしろ病的に興味がある、と言えそうです。
私がこの、病的に、と言うところは、私の身体の、或いは頭の中の、感覚や印象、予感やイメージ、記憶や直感などを、収集家の蝶のように種類・色・形ごとに分け、狂気じみた等間隔でびっちりと並べてはそれを眺めることを言います。
店は春の日差しに溢れています。『昔の子』と『今の子』はいつもと変わらず、来客に備えて掃除したり、商品のレイアウトを工夫したりしています。それはいつもと一緒。彼らはそうして、夏には夏の、秋には秋の、冬には冬の様子を見せてくれますから、今は春のそれ。ただそれだけ。40歳になる2匹の金魚も頗る元気な様子。私はそんな、ありきたりで幸せで、そして猫の匂いのように、いつでもいくらでも疑える目の前の光景を敢えて一切疑いません。そして私はきっとまた、フラフラと自分の立ち位置を変えて、ここに来たり戻ったり、トラックを運転したり、ギターを弾いたり、バイクに乗ったり、風呂に入ったり酒を飲んだり、将来を案じて捨て鉢になったり、一縷の夢を見出したりしながら、その度事に私の周りに現れるこの世界をまったくの現実として、創造するともなく想像しては観察しているのでしょう。
*
厨房には私のほかに4人の調理人がいました。私は基より人好きのするタイプではないので、ここでもまた少なからず人間関係に問題を作りました。 だいいち私は料理に関しては全くの素人で、しかも一番の年嵩という面倒くさい立ち位置から加わったのですから当然、包丁の持ち方も知らず、カレーすら満足に作れない私に奴らは、「俺、カレーが作れない奴生まれて初めて見たよ。」などと軽い嫌味を言いましたが私はこの連中の方にこそ、これまで嗅いだことがないような強烈な腐敗臭を感じたのです。それはあまりにも哀れで痛ましい、長い時間蔑ろにされた挙句、救われる事なく腐敗した『焦り』で、この連中が若くしてすでに頭打ちで終わる寸前である事を、こればかりは年の功でしょうか、はっきりと感じることが出来たのです。そしてこここそが今私がいる現実の中の一番つまらない部分。こんなつまらない想像をするから、こんなつまらない現実が出現しまうんだと。あぁ、恐ろし、恐ろし……。と心底思ったのです。
この4人を仮に、八朔、蜜柑、柚子、ネーブル、としましょうか。私は当初、自分が飲食店を経営する際のノウハウを得るためにここに入ったつもりでしたが、実際には役に立つノウハウは何一つありませんでした。あるのは意味のない序列と慣習だけ。そこにこの4種の柑橘は、駄々ぶちまけたように転がっていました。
まず八朔は、ホテルの厨房でやってたという立派な肩書を持ち、技術もこの店では一番で、その事で老社長からも一番信頼があったようですが、当の本人にはまったく自信がなく、逃げ回ってきた事は間違いありませんでした。
続いて蜜柑は、和食、洋食、中華、全部やってきたと豪語する割にプレッシャーに弱く、焦ると平気で生煮えのカツを客に出すような失態を犯し、言い訳ばかりが達者で腕のない、しかもプライドだけは誰よりも高い、無知と不見識と不摂生の権化のような男でした。
そして柚子は、一応は料理学校を卒業しているらしく、理論派風、ではありましたが、何をするにも猿真似止まりでまるで閃きがなく、発想力の欠片もない迂闊な奴でした。
最後がネーブル。この男は料理人云々以前に人間的に重篤な問題を抱えており、不幸な家庭に育ったらしく、愛情への猜疑心と渇望が全身にむき出しになっていました。そして狭い檻のような心の内側から世の中を盗み見てはその内側に理想の楽園の絵を描いて世の中との関係を拒絶しながら手繰り寄せるような徒労を繰り返す、中でも一番危険な人間でした。
そして、この集団を束ねる老社長は、自分が戦時中子供だった事を常に笠に着ては、「お前らは恵まれ過ぎている!だからアマちゃんなんだ!お金が貰えるだけありがたいと思え!」などと言っては早出・遅番を強い、賄いにまでいちいちケチをつけ、「昔は茄子のヘタだって食べたんだ!!」などと喚き散らし、そのくせレジのお金で孫におもちゃを買ったりと下卑た事も平気でやらかすのでした。
こんな連中と綺麗な輪など基より作れるはずもなかったと今でも思います。私はすぐに関係を断ち切って、仕事だけに専念するつもりでいたのですが、それも無理でした。もし私がもっと器用であれば、或いはこの毒壺の回る轆轤を回し続ける事も出来たのかもしれません。しかし私はもとよりそんな器用な人間ではありませんし、毒壺を回し続ける事にも何の意味も見出せませんでした。私のそんな態度はすぐに周囲に伝わり、私はほどなく誰からも嫌われるようになりました。バランスを崩した毒壺はたちまち倒れ、辺り中に毒をぶちまけたのです。連中はレシピノートを隠したり、ウソのオーダーを伝えたり、私の作った料理をそのまま捨てたりしました。そうすれば私が困るだろう、焦るだろう、叱られるだろう、きっとそう思ったのでしょうが、実際には私は作り直せばいいだけで、それは単に客が迷惑しているのだという事に、悲しいかなこの強烈な腐敗臭を放つ連中の頭脳では辿り着けなかったようです。毒が客席まで飛び散っている事に、奴らの頭では終ぞ気付かなかったようです。
因みに、『出汁の引き方を教えてくれませんか。』と頼んだ時。
八朔は、何でも訊くんじゃねー考えろ! と言いました。
蜜柑は、そんなもん、美味く引きゃいいんだよ! と言いました。
柚子は、わからない……。と言いました。
ネーブルは、それは人それぞれ違うから、と言いました。
いずれ劣らぬバカな答えです。
正直に、知らない、と言えばいいのに……。
唯一、知ってそうな柚子まで、わからない、という始末。
そして腐敗臭は一層きつくなります。私は限界にまた一歩近づきます。
*
トラック島の夕日はとても綺麗で、本当に戦時下なのかと疑うほどです。
海風がふいに私の髪を揺らしました。乾いた風は何千キロも彼方の波の音を運んでくるようでした。祝日のない6月を前にウンザリとしていた私は、まさかこんなに綺麗な夕陽を見るなんて思ってもみなかったのです。
心が緩んでいくのを感じました。ホッと息をつくとその場に寝転がってしまいそう。うっとりとしている自分は、ひょっとして、若くて可愛い女子なのかもしれない……。
ハッと我に返りました。そしてもう一度、頭の中を整理します。
これは誰もが一度は考えることかもしれませんね。
自分が、男性? 或いは、女性?
しかし萩原さんが私を、茂さんの姪、と言った以上、私は女性でなればなりません。それは、『ネコのいい匂い』のように、いくらでも疑える現実ではありましたが私は一切疑わないのです。そしてそうする事は困難なようで、実際はそうでもない。
あぁ、そうですか、私、女性ですか。そんなモンで止めておけばいいんです。実際そうですよね? 毎日毎日、そこまで性別って意識してませんよね?
たとえ性的な関心が女性の方に傾いていてもそれでいいじゃないですか。
萩原さんにそういう姪がいる事が、そんなに不思議ですか?不自然ですか?
全然。性自認の多様性はなにも最近になって俄かに発現した事ではありませんものね。
別の兵隊が、「よかったら一緒にご飯でも食べませんか?」と言いました。え?と言って思わず視線を落とした私の仕草は、或いは十分に女性的であったかもしれません。でも……。
落ち着けよ。落ち着け……。私は自分に言い聞かせました。この時代の男女の関係について、自分は何も知らないのです。
<続く>

第99章『後縦靭帯骨化症という愛。(その3)』
もうどうでもいいや……と呟いた時、
ダメだ!それでは全てがダメになる。という誰かの声に私はハッとする。
こんな経験ありません?
オムレツを作っていて、まさに今この瞬間!!という大事なタイミングで突然ガスが止まって、べチャッとした半かたまりの溶き卵がとても残念な形でフライパンの中でゆっくりゆっくりと冷えていく……。
それはその少し前に発生した小さな地震のせいで安全装置が作動してガスが止まったからなのですが、私はこの些細な出来事の源泉を、たかが私がオムレツを作るのを邪魔するぐらいの事で、こんなにも大袈裟な、地球規模の仕組みを使う馬鹿で幼稚なナニモノかの姿に見出すと、私の目の前には本当に、醜悪なバケモノが浮かび上がったのです。
バケモノは、
やめろやめろ!全部諦めろ!何もかも、今すぐやめろ!諦めろ!と言いました。どうやらコイツは私を、コイツの住処である臭くて汚い所へと誘い込もうとそうとしている様子でした。
え?諦めろって? このオムレツを?
そうだ、とにかく今やってる事をすぐに全部やめろ!すべて諦めろ!お前が解放されるにはそれしかない。ないんだよ!
しょうもない一言ですが、これはこれまで一生懸命に、平穏無事に暮らしてきたつもりの私にとっては無礼極まりない一言で、それはただ目の前のオムレツが一つ無駄になるだけではなく、これまでも、そしてこれから続くであろうすべての出来事に対しても須らく、お前はこれまでどおり、無能で無慈悲で無責任であれよと、あたかも私の無知蒙昧を優しく諭すかのように、愛情たっぷりに導くかのように仕向けてくるのです。
お前は、父か?
(男の声)「卵は悪くないよ。悪いのはお前だ。そうだろ? 卵が自分の好きな形にならなかったと勝手にがっかりして勝手に見捨てたのは誰だ? そう、お前だ。 オムレツだと? 違う、それは卵だ。命の尊厳はそうそう簡単に変えられるものではない。もとより、お前にそんな能力はない。ガスが止まっても余熱で十分オムレツを作れるヤツもいれば、お前のように早々に諦めては地震のせいにして自らの失敗を他に転嫁しようとする愚か者もいる。」
それともお前は、母か?
(女の声)「誰にも望まれず、期待されず喜ばれもせず、ただただ食べられるためだけに生を受けた夢精卵という命の、お前はなにを理解できたというの? わかった。じゃあもし、この世のすべてがそんな風に生まれ、そんな風に消えるのだとすれば、お前は自分に何の価値を見出すの? 可能性? そうらもう引っ掛かった!そう。つまりお前のせいよ。この世のすべての悲劇は、お前のような身勝手な可能性を信じ、それが叶わなかった事を口惜しく悔しく残念に思うヤツが生み出した悪夢なの。もし私が地球規模の力を尽くしてお前がオムレツを作るのを邪魔をしたと文句を言うのならば、すべてはそんなお前の浅はかさのせいなの!」
じゃあいっそ、ぐちゃぐちゃにして炒り玉子にしちゃえばいいんじゃないの??
(男女の声)「この大馬鹿者め! この期に及んでお前はまだ、安易に別のモノにすり替えて事をやり過ごそうとするのか!炒り卵など、誰が望んだ?誰が食べたいと言った? あまつさえ誰にも望まれず、何の可能性も持たずに生まれてきた可哀そうな卵を、無慈悲に、無責任に、ぞんざいに扱っては自分の失敗の代償を炒り玉子などという屈辱に満ちたレッテルを張ることで小さな卵一つに転嫁しようとするとは情けない……。まったくお前は、どこまで馬鹿で臆病者で卑怯者なんだ!」
いや、申し訳ないけど。オムレツだから……、卵は3個、使ってます。
細かい事はいい!!!
そうなんですよ。コイツ、目も当てられないほど醜悪な見た目のバケモノくせに、たまにこういう、愛情に似た臭い事を言うんです。満開の桜の園を吹く春風のように無垢で無作為で、なんならこの世のすべてを散り尽くしたとしてもそれは寧ろ美しい事で……。
あるモノは実は無いモノの正体。無いモノが実はあるモノの正体。
などと、笑うでもなく泣くでもなくただ一言……。
色即是空、諸行無常。いいか、boy.
罪などもともと何処にもないのだよ。
あるのはお前のその、薄汚れた小さな『我』だけなんだ。
なんて括るのですよ。汚いっすよね!? 私は、
どうしよ、失敗しちゃったよ。誰か、食べる?
と同僚の調理師に訊いたのですが、
要らねぇよ。捨てちゃえよ。と言います。
気付きましたか? 見えました?この一言の中にある、世の底辺を這いずり回り、逃げ回って尚、行き場のみつからない、垢じみた肌着のような薄っぺらい矜持一枚を羽織っただけの哀れな落人の姿が……。
ふん、と鼻で嗤い、半かたまりの卵が残飯のカゴに落ちる、ドサ……、という力ない音を聞きながら私は、誰にも聞こえない声で呟きます。
大嫌いなんだよな……、お前の、そういうとこ。
*
ほう、ここに到着しましたか……。そうですか、はい。
じゃあ。ここは巣鴨です。『おばあちゃんの原宿』として全国でも有名な、
『巣鴨地蔵通り』で私が調理師として働いていた頃の話です。
そのころの私にはまだ綺麗な夢があったのです。
ええ、甘えですよ。世の中が自分を必要としてくれているという、
とんでもない甘えです。
私はここの他にも、日本橋の和食の名店『和田万』からも正社員の内定をもらっていたのですが断りました。それは私にとっては自分を自分の夢へ導く上で、一番大切な事とは何か、名店だか何だか知らねーけれど、何を選べば一番自分に都合がいいかという判断を何よりも優先させなければなりませんでした。そのために私は私独特の方法である、片手に私の夢を乗せ、もう片方の手にはその夢に与える水とエサを乗せた姿勢で、失礼します。とこのいかつい店に入ったのですが、その瞬間からもう、世の中はどうにもおかしくなってきたです。それというのも……、
『和田万』は有名料理雑誌に載るほどの名店のくせに、素人の私のわがままに対してあまりにも、イエス、が多すぎたのです。
私、音楽やってるので長髪ですが……、
うちは帽子被るので、長髪はオッケーです。
ライヴがあるのでちょいちょい休みますが……、
ドタキャンはダメだけど、一週間前に行ってくれればオッケーです。
調理の経験、まったくありませんけど……、
うちはみんなそうですよ。親切な指導がモットーです。
職場から遠いので交通費が高いですが、
もちろん、全額、支給します。
全てウソだと見破るのは簡単でした。それは入り口に掛けられたいかつい金文字の木看板と、店全体から漂ってくる狂気じみた清潔極まりない匂と、達筆なメニュー、きっちり揃ったテーブル一つ一つに置かれた、一輪挿しに刺さった季節の花のこわばった表情からも確実でした。もしあんな言葉を鵜呑みにしてここに就職していたとしたら、私は初日から研修という名の苛烈で無意味ないじめにあって頭をおかしくしていたことでしょう。これは憶測ではありませんよ。十分本当の事です。
和食の世界は甘くない、なんて言葉を聞いたことがないですか? それはどういう意味かというと……。
見習いの分際で休みなんかあるわけねーだろ。
先輩の言う事は絶対だ。
何でも訊くんじゃねー、見て盗め。
何度も訊くんじゃねー、一発で覚えろ。
料理とは修羅の業、厨房は精神錬成の道場。
でもね、そんなバカな事を言い出したのはせいぜい戦後になってからなのですよ。それは敗戦で矜持をすべて失って何も頼るものがなくなった日本人の心の隙を突いてまんまと真ん中に居座った邪気のようなものなのです。
私のお爺さん、元帝国軍人のお爺さん。命を懸けて国を守ろうとした、本物の日本人のお爺さん。
お爺さんはいつか僕に、『エエ時代になったんやから、お前は好きなことやったらエエ』って言ってくれたけど、良くなったのは栄養状態と治安だけで、人間は全然よくなってませんよ。寧ろ戦争の前よりも悪くなった。相手を騙すことしか考えなくなった。それって、相手を殺すことしか考えなかった戦時中よりずっと悪いですよ。
一瞬で死ぬ薬を飲ませるよりも、一生苦しんでのた打ち回る薬を飲ませる方がよっぽど悪質だと思いませんか? 今の日本は国民全員がお互いにこの薬を飲ませ合ってるようなモノです。そして人間の可能性と幸福を、国家の平和と繁栄を、根底から完全に抹殺しようとしているのです。お爺さんが命懸けで守ろうとしたこの国を毒殺しようとしているのですよ。
*
私はその背の高い兵隊に話しかけました。
もしかして、萩原、さん、でしょうか?
叔父の苗字は母方の『萩原』だったと聞いていましたので、私はイチかバチかそう訊いてみたのです。その兵隊は、
ん、君は?だれかな?と言いました。私は自分とその人の関係を一瞬で偽造しなければなりませんでした。
私は、東京の徹(とおる)おじさんの甥で、茂(しげる)と申します。
全部、ウソです。私に徹という叔父もいなければ、名前も茂ではありません。しかし、
甥? 姪だろ?
と、萩原と思しきその兵隊は予想だにしない事を言いました。
しかしなにがあっても、私は決して動揺するわけにはいきません。創造の世界とは現実同様、思い通りにはなりません。そしてこの世界は、私が全責任を負うべく私の想像した世界なのですから。
私は、姪……。 兵隊は、
茂さんに姪がいたんだね。知らなかった。初めて会うね。
と言って笑いました。
きっと事実とはそういうものです。日本人である私がデタラメな日本語をしゃべれないのと同じく、身内である私には出鱈目な親戚関係は想像もできないのでしょう。
<続く。>

第98章『後縦靭帯骨化症という愛。(その2)』
おせちや鏡餅、新しい年を迎える準備をして、いざ年が明けてはやはり、年賀状が、誰にも出さなくても来るんですね、毎年、数枚。当然迷惑ではありませんよ。寧ろありがたい。おめでたい。お気遣いありがとうござます。手数かけさせてすみません。新年早々の無礼・不作法を恥じております。ちゃんとそこまで思います。それにその返事をする準備も、実はもう去年の内から出来ています。あらかじめ干支にちなんだ動物のレコードのジャケットを選び出して、ちょっと加工して使います。今年はアリスクーパーの『コンストリクター』をアレンジ。正月早々、こんな年賀状が着いた方は、さぞ驚かれることでしょう。
さて……、
春というにはまだまだ寒い。案の定、正月なんてあっという間に過ぎて今は3月。梅は、桜は、いつ咲きましょう? などと知っていながら知らないような顔でうそぶいてみせる。これも国民総演出の予定調和で、誰も答えなど欲しくない。ただ質問をする、そういう事の中に、永遠に対する敬意と尊重を含ませているのです。これも私は、大方そんな事だろうと思ってました。日本人はそういうことをする民族です。さてその間も、私はまた何んにもしていません。この3か月間、私の態度はずっと保留されていたわけです。そして、桜が咲いたな。アジサイが咲いたな。ヒマワリが咲いたな。コスモスが咲いたな。山茶花が咲いたな、と。そこまでは簡単に思い出せるがでも、それが何年前の、何処の、桜か、アジサイか、ヒマワリか、コスモスか、山茶花か、なんて事までは付随する記憶を頼らなければ思い出せかけもしません。私は毎年、それらの季節の花々を押し花のように潰して、重ねて、そのくせ二度と見ようともしないのです。
残念ですね……。それに残酷です。私はそうして自分の時間を、経験を、逐一無駄にし続けていると言っても過言ではないでしょう。
そのくせ、こうして唐突に思い出してみては、あれは実際、どういう事だったのか。それに従ったとしたら、今のこれは実際、どういう意味なのか、なんて思いを巡らせては、汚いものにほど同情し、あれはもしかして、愛だったのかもしれない。これはもしかして、愛なのかもしれない。なんて勝手にいいように解釈してはのぼせているのですから世話がありません。
そしてまんまと、今回も私の甘い勇気が試されました。そして性懲りもなく私はまた、私が病む、後縦靭帯骨化症が実は私への尊大な愛である。と、結論付けてしまったのです。私の昔からの性癖として、自分の勝手な思い込みを実際の理屈に従って検証して、少しでも納得出来ない場合はそれが ウソである、と結論付ける、というのがあります。それがたとえ、科学的に疑う余地がないような事であっても関係ありません。私の検査に合格しなかった事象はすべて、 ウソである。という事になるのです。当然、その逆も然り。
私の子供を身ごもったかもしれないあの女子大生も、お金持ちを装って虚飾の豪邸で私をもてなしてくれたあの色白の少年も。実際には、いたのか、いなかったのか……。
目の前の2人を疑う事が難しくても、頭の中にいる2人ならいくらでも疑えます。今私は、3月の麗らかな日差しになびくレースのカーテン越しに揺れる数本の黒い電線をぼんやりと眺めながら考えています。幾何学模様のようなその景色はまるで麻痺しているように私を一つの時間と場所に杭留めようとします。そしてこれと同じ事は時々、電車の中や町の中でも起きてしまいます。私が見ず知らずの人をぼんやりと眺めてしまうのもおそらくこの性癖からだと思われます。
この人は、僕の親なのかもしれない。恋人なのかもしれない。いつか僕を殺した犯人なのかもしれない……。
*
叔父はトラック島の空襲で命を落としたと聞きました。享年18歳。私の父の6つ上で、色白の男前だったと聞きました。声も身体も大きくて、運動神経抜群で、リーダーシップがあって、将来は学校の先生になりたいと言っていたそうですが、叔父と同じく帝国軍人だった祖父は息子には家業の写真館を継がせようと思っていた様で、教師になる事には反対していたそうです。しかしいざ、自分より先に亡くなってみれば、なんでもいいから元気で生きていてくれればそれが一番だと思い直すようになったそうです。そして私に対しても、
「お前は好きなことして好きに生きていったらほんでええ。こんなええ時代に生まれたんやから。それができるようになったんやから。」と穏やかに言ってくれたものでした。
叔父の写真はありません。叔父を知っている人ももういません。そして私はまた例の性癖で、『昔の子』と叔父の間の実際を理屈に従って照らし合わせて、もし合致する点が少しでもであればもう、私は『昔の子』は私のなき叔父である、と結論付けようとしています。結論ありきでは結果が偏ってしまう、という懸念もありそうですが大丈夫。われわれが思う実際なんて全てそのフィルターを通して出てきた複製物でしかないのですから。
私はひとまず、叔父が命を落としたというトラック島の船着き場の端に立ってみました。何も難しく考えないでください。すべては想像でいいんです。先程も言いましたが、実際は想像の複製物ですし、想像は先入観からしかチョイスできないし、先入観がないと目の前の事を何も理解できない事は、もう皆様もお気づきのはず。
*
生暖かい風が吹いています。石炭の臭いに混じって夕餉の匂いが漂ってきます。驚いた事に、こんな小さな島にもちゃんと町があるんですね。さすがに看板の文字などには多少の違和感はありますが、昔の映像として見るのとは違ってそれは現実の風景としてすんなりと受け入れられています。
子供が自転車を漕いで向かってきました。今の子供よりも小さいけどすばしっこそう。夕暮れ時、ライトを点けた車と点けていない車があります。
目の前の兵舎らしい建物から兵隊らしい一団が出てきました。みんな若くがっちりと引き締った体躯ですが、大人もやはり、今の大人よりも少し小柄に見えます。
しかしその中に、ひときわ背の高い兵隊がいます。他の兵隊よりも色白で、話す声も大きく響きます。
あれが、私の、叔父? 兵隊一人一人は、私をちらっと見てそのまま談笑して通り過ぎていきました。赤信号を待つその一団の様子は私が知っているの日常の風景となんら変わりません。一日の仕事を終え、同僚とそのまま飲みに行くサラリーマンの一団となんら変わりません。戦時下にもありふれた日常があり、ありふれた日常の中にも戦争がある。こんな当たり前のことに、私は今まで気づきませんでした。ここが、あと少しすれば見る影もない廃墟と化すことは、本当なんでしょうか?それはもう、絶対に避けられない事なのでしょうか?
私はそんな想像を、やめたり、また始めたりして、何かのバランスを取っているようです。それは個人の心のバランスよりもやや大きくて、やや難しいバランスです。みなさんは私が今、具体的に見えて当たり前で避けようのない風景だけを描写したことにお気づきになったでしょうか。私は怪しまれないように少し離れて、その兵隊の一団についていく事にしたのです。 続く……。