
第110章『黒い花がたくさん咲いている場所へ。』(その3)
楽しかったぁ!と息子は溌剌として言いました。父ちゃん、ビビり過ぎだって、恥ずかしいよ。とも言いました。阿倍野ハルカスの屋上から墜落して、まだそれほど時間は経っていないようです。続いて妻も入ってきました。そして『昔の子』『今の子』『それ以外の子』をみるなり、いつも主人がお世話になっています、とお決まりの挨拶をしました。これは普段から彼女の反射的に発する言葉となっており、いつか会社まで迎えに来てもらった時、たまたまそこにいた取引先のドライバーにも同じ挨拶しました。
要するに、誰でもいいんです。ただ自分が知らない人と私が一緒にいるととりあえずそう言う事に決めているようです。私も、「取引先のドライバーには特にお世話になってないよ」なんて事、言いません。妻の目にお世話になってる人に見えるならそれでいい。果たして、妻と息子にはこの3つのキャラクターがなにに見えているのか、私にはわかりません。わかりませんがわかる必要もないでしょう。私だって、人間関係なんてその場の状況に応じた思い込みのようなモンですし、状況が変わればもう跡形もなく忘れて、本当にいるのかいないのかも判然としない、たとえ町で出会っても気付く事もない。そんな程度のモノなんですからね。
*
北陸方面の仕事を終え、上越道から関越道に入ると、あぁ、関東に帰ってきたなぁ、と思います。今回は雪もなく、立ち往生にも巻き込まれず帰ってこられたのは幸いでした。めったにない北陸方面の仕事を私が担当することになり、今はその帰りです。頭の中にはまだボンヤリと、阿倍野ハルカスでの出来事が有耶無耶として燻ぶっているような感覚があります。まあいずれただの想像でしょう。でも想像なしには何も判断できない事はもはや常識だと思います。私の未来も過去も、まるで図書館の本の様に時系列に整然と並んでいます。しかし別にその順番でなくても何も困らないし、誰も傷つくこともない。
矛盾? さて、もし矛盾があるとしたそれは、始めの順番との矛盾の事でしょう。一番に重要なのは、この順番がバラバラになれば同時に、私の時間も空間もバラバラになる、そしてそれが新しい時系列になる、という至極当たり前の事。この話の初めの章で言いましたが、私がここに恥ずかしげもなく堂々と披歴しているそれは、私の日記でもなく創作でもなく、私の宇宙です。誰とも何ともぶつからずに厳然と存在している鉄壁な私の宇宙なのです。バカにしないでください。私にだって、ちゃんと宇宙ぐらいあります。自分の宇宙と自分を分離して考える事は、それ自体が前提としてすでに間違っているというのは、おそらく世界中のどの宗教の誰一人として余さずに納得していただけるこの世の第一条件だと私は信じています。敢えて信じる必要すらないような事だと思っています。そして私は当然のように鼻歌交じりにラジオを聞いて、途中サービスエリアで休憩がてらご当地ソフトクリームとカフェラテを買って食べて飲んで、まあ気楽な仕事です。ただ……。
私にはこの外に喫緊の課題があります。それは、先の章で『今の子』と『昔の子』が言った、
『場所ごと時間ごと想像する。そしてそれに目印を作る。』
と いうモノです。あの子ら、凄い事を言いますよね。これは皆さんのよくご存じなところだと、西洋の『天国』、東洋の『極楽』、がそれにあたります。しかしこれらはもうその後の人たちに散々弄ばれこき使われ、触られ削られ、色を塗られ落書きされ、転がされ落とされ、もう原形さえ留めていないように思われるのです。だから新しく、私はその、誰もが知っているのにわからないそれを、彼らとともに名前を付け、保存のための目印をつけなければならないのです。
もし、私の例えが悪かったせいで誤解されている人がいらしたら、その人のために。
くれぐれも、宇宙は神様ではありません。だから何の御利益もありません。ただ、気が付いたモノだけのモノです。気が付かないモノに宇宙の方から勝手ににじり寄って来たりはしません。また、
宇宙? 空? 139億光年の空間?
いえいえ、そんな狭い解釈では困ります。第一、それじゃあ自分がどこにも入ってないじゃないですか。私はカフェラテを握る右手とハンドルを握る左手に、言いました。
いいぞ、その調子。その調子ですすめ。空間も時間も、すっかり安心しきってるように見えるぞ。奴らはよく言えば素直、悪く言えば無防備だ。一度も誰とも喧嘩したことがないんだよ。あと2時間もすれば日が暮れる。そうしたらヘッドライトを点けるんだ。バレないように、慎重に……。
≪続く……。≫
