『いきてるきがする。』《第10部・秋》


もくじ


第74章『たとえ空が高かかろと……。』 

 もういいんですよね。もう、ああすればよかった、こうすればよかったって考えなくてもすむようになったんですよね。俺達。 

   そう言って私の様子を用心深く伺うのは『昔の子』です。彼がどれだけ思い切った事を言うつもりかは、これから彼が話す事を聞かないとわかりませんが、未知の領域に踏み込もうとしているのは確かなようです。きっと不思議だったのでしょうね。私の事が、ずっと前から不思議でしかたがなかったのでしょう。 

                  * 

 もし他人を100%観察対象にしてしまったら、得られるモノはなにもなくなるでしょう。そこから自分を類推する事も不可能になりますからね。『相手を知る前にまず自分を知る』なんて事を言ったりもしますが、それは是非、同時進行でなくてはならないはずです。 

 他人とは本当に不思議なモノです。分けようとすればするほど境界線があいまいになっていく。全く理解できないと思っていた他人の行動がいつの間にか自分の行動原理になっていたり、自分が常識だと思っていた事を他人にひどく驚かれる事だってあります。 

 私の知り合いで『お箸は人数分』という家庭があります。食卓の真ん中に箸立てがあり、誰のお箸かは特に決まっていないそうです。それすら、へぇ~!と驚いたのに、また別の家庭では『歯ブラシは人数分』というところもありました。 

 さすがに、それはちょっと引いた……。とにかく、 

 あらゆる他人と自分の間には、『コイツ一体ナニモノなんだ? 自分とどんな関係なんだ? 』という疑問を永遠に問い続けさせるナニモノかが挟まっている様な気がします。 

  

 彼ら2人と私の間にも不自然な関係があります。ご存じの通り、ここには『今』しか存在しません。厳密に言うと世界中のどこでもそうなんですが、一般的にそういう事にはなりませんよね。記憶と類推が常に物事を時系列に並ばせてその邪魔をするのです。我々はそれなしには一切の知識を得られませんし関係も築けませんから、不利益が生じるのであればそれは致し方ない事。しかしそうではないのです。 

 まず、私が朝、目を覚まして真っ先に不自然だと感じるのは、寝る前の自分との不一致です。前の晩に書いた手紙を翌朝に読むと、は? という事はよくありますよね。一体どうなっているのでしょう。何がどう変化しているのでしょう。我々は誰も寝ている間、自分がどこで何をしているのか、何を考えているのかなんて知る由もありません。たとえ誰かがその様子を観察していて、「あなたは確かに一晩中その布団の中で眠ったまま過ごしましたよ」と証言してくれたとしても、それを実感する事は恐らく不可能なはずです。それなのによくもまあ、寝る前の記憶と目覚めた後の記憶を単純に繋いで一切の矛盾が生じないモノだと。 

 しかし実際には数多くの矛盾が発生しているのです。 

 私はそっと自分の『今』を彼らの『今』に近づけてみるのです。これもご存じと思いますが、こうしてお話をする限りにおいて、『今』はほんの瞬間でしかあり得ません。だから私は自分の『今』を射的のような気分で、でも、どこに当たろうとかまわないという気楽さでそうするのです。 

 すると私の今は彼らの一瞬で擦過してしまう様な限りなく短い『今』の中に押し留まろうとしたり、あるいはとても抱えきれない様な悠久の『今』を一目の景色の中に収めようとしたり、いろいろ工夫しているのがわかるのです。もっともそれは彼らにとっては工夫でも何でもなく、ただ生活しているだけなのかもしれませんが……。 

 そしてそこに私はいろいろな形で現れる。他人の一部として現れたり、一部が他人として現れたり。 

               * 

 帽子の様にポンと顔を脱いだ『昔の子』はまるで別人のようになりました。そして、 

  

 わかってますよ。俺には記憶の混濁があると言うのでしょう? そう言いました。私は、 そうだね、私には、どうもそう見えて仕方がないんだよ。そう答えました。 

 彼は矛盾する2つの記憶を持っていました。自分の手から茶碗が落ちたのをもう拾えなかった、それが生きていた最後の記憶だと、以前『今の子』と話していたのをききました。その話から、私は彼が生きたのはおそらく戦時中だろうと思いました。彼は大戦中に、食糧不足によって餓死した少年だと想像されるのです。彼が死んだ時、彼の父親は出征していていなかったようです。のちに戦死したことが告げられるのですが、彼の葬式に父親はちゃんと参列していているのです。そればかりか、その葬式には『昔の子』も参列していて、その場合その葬式は父親の葬式なのです。いったいどういう事なのでしょうか。 

 おそらく彼はこと切れる瞬間、茶碗が手を滑ってから畳に落ちるまでのわずかな時間に、『今』の表面を現れたり消えたりを繰り返し、やがて時間から解放された時に、それがあたかも2つの、あるいは複数の『今』を過ごしていたかのような記憶になったのでしょう。明らかに矛盾ですよね。でも彼にしてみればただ時間を一直線に生きたわけですから不思議でも矛盾でもあるはずがありません。 

 ところで……、 

 あなたは『渡辺』という親友の事を覚えていますか?『久志』という弟の事を覚えてますか? 

 そんな人はいない? いえ、いますよ。私は知っています。あなたには確かに『渡辺』という親友と、『久志』という弟がいた。 

 どういうことかと言えば、あなたの『今』は、その『渡辺』『久志』を掠めて通り過ぎた。それは一瞬であったか、それとも数か月、数年一緒に過ごしたのか、それは私にはわかりません。しかし確実に、あなたの『今』には『渡辺』の記憶も『久志』の記憶もあるのです。ちゃんとあるのに思い出そうとしない。 それは、

 思い出すきっかけがないからです。ただそれだけの事なんです。実際にあなたは今、『渡辺』『久志』を思い出そうともしない事が証拠です。そしてそれは眠っている私と一緒。それを私と言っていいかどうかすでに曖昧ですが、あなたにとってもそれはまるで他人の記憶のように映る事でしょう。これが先に言った、『コイツ一体ナニモノなんだ? 自分とどんな関係なんだ?』というナニモノかの正体を仄めかしている様に思うのです。 

 あなたがあなたを自覚する限りにおいて、それに矛盾する記憶はすべて他人の記憶として映ってしまう。そして悲しいかな、そこに身内や恋人の関係を保つ事はありません。 

 まあ実際にそれが『渡辺』であったか『久志』であったか、親友であったか弟であったかはわかりません。そこだけちょっと、カマをかけさせてもらいました。 

「こんなところを『今の子』が見たらなんて言うだろう。笑うかな?『コイツ、とうとう頭が狂っちまった!』って。ハハハ……。」 

『昔の子』はそう言って笑いました。 

 頭が狂うなんて現象はそもそも存在しません。現実の方が狂うんです。 敢えて狂うというならば。 

 でもね……、 

 私は思うんだよ。本当にまっとうな人生とは、その人一人一人がその都度都度、現実の中で一生懸命に考えて生きる事を言うのであってさ。矛盾がない事を言うんじゃないんだよ。人生ってそんな綱渡りじゃない。踏み外す事なんて本来はないんだよ。そこが本当の慈悲であったり、信頼であったりするんだ、そうするべきなんだ。 

 俺はね、戦争を起こした奴が誰であろうと憎んだりしない。だって俺は笑ったし、食べたし、寝たし、愛されたし、愛したし。 

 私の事が不思議だったのかい? 

うん、いつも突然現れるのに、その瞬間にいて当然という人になるから。初めは俺にしか見えていないのかと思ったけど、『今の子』とも話してるし、どういう事だろうって。 

 私には君と『今の子』はいつも一緒にいる様に見えるけど、じゃあそれも、そういうわけでもないんだね。 

 ヤツは俺の想像の中の人だと思ってた。1人で死ぬのはやっぱり怖かったし、誰か一緒にいてくれたらなぁって思ってたら、頭に勝手に現れて。そして、ある時から勝手に動き出して……。 

 へぇ、そんなこともあるんだね。じゃあ私も?

 そう。ある時、アイツがいい店をみつけたからって。 

それは、〇〇(昔の子の本名)君としてじゃなくて、『昔の子』としてだね? 

 うん。だから、いろいろあるんだよ、わかってくれよ、オジサン、って言ったんです。俺も俺がよく分らなかった。でも俺はもう俺が誰であったところでかまわないし、そんな事に拘るために俺は何も考えないし何もしない。だから、茶碗が拾えなかろうと、父さんが戦死しようと……。 

 海が広かろうと、空が高かろうと、そんな些細な事はどうでもいいんです

               * 

  

 目が覚めた時。 

パソコンに向かったまま寝落ちしてしまった私の頬にはくっきりとパーカーの袖口の繊維の形がついて、あぁ、昨夜ちょっと飲み過ぎたから、顔がむくんでいるんだ、と。 

私はすぐにまた、そうやって矛盾をなくそうとしているのに気付いて、ハッとしました。

第73章『妙な疑い。』 

『今の子』が高熱を出して救急搬送された時の事を覚えてますか? 私はすぐに『今の子』の母親に連絡をしました。正しくは、せざるを得なかった。だって母親ですから。『今の子』は凄く嫌がってたんですけどね。 

 病院に駆けつけた母親は、眠っている『今の子』に優しく話しかけました。 

「○○君(今の子の本名)、頭痛い? のど乾いてない?」 

 私はその優しげ態度がとても不自然に感じられたのを思い出します。『今の子』はいつか、この母親を『エキストラさん』だと言ったのです。 

 僕にとって母親はこうあってくれれば一番都合がいい、とても好都合なエキストラさんです、と。『今の子』自ら命を断つ前、断末魔の叫びをあげるためにはこれぐらいの母親でないといけなかった事を、自分にとって一番都合がいいと言ったのです。私はとても驚きました。

 私はこの小さなデジタル空間の中にこの店を開いて、そこに『昔の子』『今の子』という道祖神から出来た2人の少年を置いて働いてもらっている、そんな世界を自分の現実の一つとして隅っこに置きました。実際の私はトラックドライバーとして毎日働いていて、もとよりの性質が拙速である事に加え、子供の頃から一つの事にかまけてしまうと他が見えなくなる性質から失敗ばかりしています。仕事としては、他人と触れ合う機会が少ない事だけは満足しています。私はきっと本質的には他人を必要としないのでしょう。 

 そんな私のこの小さな店は、確かに現実の一部と繋がっていて、『今』という無限の空間と時間の中で昼夜も分かたず営業しているのです。

 ネットショップは24時間365日営業中だから? いいえ、そういう意味の昼夜を分かたずではなく、昼夜は『今』の中に同時に同じ場所に存在するので分けられないという意味です。さらに言えば……、 

 この店について私は何1つ発想してません。私はただ、私の現実の隅にこの店を置いただけで、それですら私の意思ではなく、私はそれに至るまでの経過を見ていたに過ぎず、そしてそこを通じて私に訪れた出来事を、やはり見ているだけだと考えているのです。私の意に沿っている事は何1つないのです。ネコが死にかけた事があります。息子が癲癇で倒れました。そんな事が私の意に沿った発想であり得ますでしょうか? 

 話が少し逸れました。どうでしょう。皆様は『今の子』の様に、自分をまるで俯瞰するような場所に置いたことはありませんか? そして、一番疑わしいのは他人ではなくて自分だと、そんな考えに突然頭を領された経験はありませんか? 例えば、昔の日記やブログを読み返した時、今の自分とは違う誰かを感じたり。

 そんな時、自分は誰をどういう風に疑っているのか?と思った事は? 

 そこにはただ蜘蛛の様にジッとして、訪れた全ての音や匂いや光を、その時の都合のままに解釈している。その解釈はテトリスの様に時にはピッタリと、時には不安定に重なって、すべてが見聞きした現実はずなのに、結果として全く意図しない形に積み上がっていく。それをいろんな角度から眺め、ただそこに見えた形のみを真実と考える変な奴……。 

ハハハハハ、そりゃあそうだ。そりゃあ昔の自分に違和感を感じるにちがいない。 

 つまり間違いも正解も、あらゆる問題とその答えはすべて自分の捏造、思い込みであり、全うに疑うことが出来るのは、そんな問題も答えを捏造し続けている自分を於いて他にないんじゃないか?  

 他人? 他人など基より取るに足りない、疑ったところで詮無いモノ。他人がウソをついたとしても、それは私にとってウソになどなり得ません。現実にそぐわない事を誰かが私に言った、という厳然たる事実でしかありえないのです。ウソに反応するのと、ホントウに反応するのはどこが違いますか? 

 そして会っては離れて、また唐突に現れてはその続きをオタオタと模索しなければならない、甚だ落ち着きがないモノ。 

 他人など目の前にいない時はいないも同じじゃないですか?いると想像するのは勝手ですが。でも自分はそうはいきません。私はその、自分に対する執拗で純粋な疑念と同じようなモノをこの時、この母親にも感じたような気がするのです。『お前は、本当はナニモノなんだ??』というような。 

 学校での些細な出来事をきっかけに心を壊しつつある我が子を、母親は母親の宇宙最大の愛情で救おうとしたのです。それは本当だと思うのです。そのためには、母親はどんな手段も選びませんでした。自分がどんなモノに成り果てようとも、息子を救うために一切の犠牲を厭わなかったのです。 

 生まれて、そっと傍らに置かれた生まれたばかりの息子は、穢れの欠片もなく、ただただ美しく、ありがたい存在だった事でしょう。きっと母親の宇宙は、その瞬間に現れたに違いありません。母親はその愛らしい姿が、どうか怪我も病気もせず、健康に長生きしますようにと、はて? 果たして誰に祈ったのでしょう? 

 まず間違いは、名前を付けたことかもしれません。そして唯一純粋に疑うことが出来る自分を、その偶像の母親として疑う事を一切拒否してしまうようになったのです。 

 彼女は唆されたのでしょうか? でも誰に?さっき祈ったヤツと同じ奴でしょうか? とにかく。 

 そこにむっくりと姿を現したあるモノがいた事だけは確かなようです。 

 彼女はただただ息子の苦悩を知ろうと必死でした。ただ、それが知りようもない事は自分をしっかり疑えさえすれば簡単だったと思います。息子と自分を分ける事などもともと不可能なのですから。本来自分の苦しみであるはずの苦しみを、息子と自分を分ける事で、苦しみまで折半してしまっているのです。もし本気で息子を救おうというのなら、無辺際な『今』の中を、妙な足跡を付けないように、誰にもわからない別の『今』へ行けばそれでよかったのです。何処へでも行けたはず。しかしこの時の彼女にはもうその発想すらなかったのです。なぜなら、彼女は自分を母親のなかに閉じ込めてしまったからです。そりゃあ、エキストラさん、と言われるはずです。 

  

 どうしたの? ママに全部話して。ママがきっと○○君の力になってあげるから。 

 自らを、ママ、ママとそう繰り返すたびに、彼女に営々と囁き掛けるモノがいました。私はもう少しでその手を掴めたような気がしています。どうやって? それは、とりあえず、息を止めて、自分の体を両腕でしっかりと締め上げて、動けないようにがんじがらめにしてやる。そしてもう死んでしまうかと思う程、狭く暗い場所に自分の顔面や体を押し付けるのです。すると体は私に白旗を上げるのです、死にたくない!って。体はすぐ根を上げます。死にたくない!って。ヤツには要するにその欲求しかないのです。でもそこでやめてはダメなのです。私はとにかく道祖神の様に『今』の中で、ジッとしていなければならない。 

 しかし、出来なかった……。すべてをやめてしまえばよかった。母親も、父親も、自分自身も。でもそれはきっと誰も選べない選択なのです。そこにヤツの幻惑があるのです。ヤツは絶対にどんなモノも最後の最後まで一人のしないのです。そして営々と囁きかけるのです。そして自分の意のままに操るのです。 

 そうヤツこそが、『皇極法師』です。 

 わたしはまだその正体には一度も触れた事はありません。でもヤツは私が子供の頃から、しつこく私に付き纏い、そしてネット上に副業の世界を構築させ、ネットから引っ張ってきたフリー画像の道祖神に私の一部を分け与えて、まるで地球を人力で回すような世界をくっつけたのです。そして『今』この時でさえ、ヤツはしつこく私に付きまとおうとしています。もし私が、「どこだ皇極法師!出てこい!」なんて叫ぼうものなら完全に私の負けです。私はただの頭のおかしい人間としてすべての世の中の常識から放っておかれるだけなのです。 

冗談じゃない! 

 私はこんなに性格の悪い品性下劣なヤツと心中なんてまっぴらごめんなのです。 

              * 

  

 はあ……、焚火を見ながら、『昔の子』は言いました。 

 俺もね、そう思います。『今の子』は、死んだ事を何も後悔していないと。むしろそれがないと底が抜けた様に自分がサラサラと崩れて現実から消えてしまう。だからあんな母ちゃんでも自分には都合がよかったんでしょう。 

 でも俺の場合とは、ずいぶん違うな……。 

 俺はね……。俺の場合はね……。 

『昔の子』には、また私とは別の世界があるようです。 

まあ、当たり前ですが……。 

 第72章『明け方の訪問者』 

 まずは私の方から? 相変わらず狡い人ですね。私はこの頃はすっかりメイクも忘れて、毎日すっぴんで過ごしています。そうして心も体もどんどん老け込んでいってます。さてあなたは、どうなんでしょう? 私との、言葉に出来なかったあの約束は、もう捨ててしまったのでしょうね、あなたの事だから。 私を心底ガッカリさせた、超ネガティヴオッサン小僧は、どんなリアル中年オヤジに成り果てているのでしょうか? 正直、見てみたくもあります。 

 明け方でしたね。こんな不思議な声を聞いたのは。私はしばらく動けませんでした。『誰なんだろう?』それは金縛りなんかじゃなく、混然とした精神と肉体が同時に別の方向に考え込んでしまったような感じでした。私は誰で、どんな感情を以てこの返事をすればいいのか。そしてこのおそらくは女性を誰として反論、もしくは謝罪をすればいいのか。 

 お久しぶり。私がどこでどんな中年男に成り果てていようと、あなたの邪魔にはならないと思うんです。でも私はきっと、たくさんの事をあなたに話さないでおいたのでしょうね。それはいけない事だったかもしれません。 

 何から話しますか? この、あなたと私以外には何の価値もない出来事について。あなたの? 最後の表情ですか? もちろん覚えてますよ。中野駅でしたね。中野サンプラザでルーリードのライヴを観た。あなたはルーリードヴェルヴェットアンダーグランドも知らないのに一緒にライヴを見に来てくれたんでしたよね。さぞ楽しくなかった事でしょう。 

 私?私はとても楽しかったですよ。目の前には大好きなルーリードが、そして隣には、ルーリードに負けないぐらい大好きなあなたがいたんですから。アンコール最後にスウィートジェーンを聴いて、私は膝が抜けるようにフワフワとしながら会場から外に出てすぐに、煙草に火を付けようとしました。しかしそれよりもほんの一瞬早く……、 

 微かに煙草の臭いを嗅いだのです。 

                * 

 雨もよいの、どんよりとしたお昼前、重い足取りで訪れた産婦人科のガレージで、まだパジャマ姿の医者が煙草を吸っていたのです。医者は私を見るとすぐに悟ったようで、非難がましい目で私を一瞥すると裏口から中に入りました。 

 ちょっと、それ、何の話? 

 慌てたってもう遅い。あなたが話せと言ったんです。だから話しているんです。私はあなたと一緒にいる事がとても幸せだったんです。でも最後……。 

 忘れもしません。中野駅の階段を登ろうとした時、あなたは私に、 

「来週、結納なの」そう言ったんです。 

 私のルーリードはめちゃくちゃに壊れました。なぜこのタイミングであんな事を言ったんです?でも所詮そんなモノだったのかもしれません。私はルーリードまで利用して、あなたとの関係から必死に目を背けていた。しかしあなたはそんな私に、好きでもないルーリードのライヴに付き合うなんて事までして、ギリギリまで近づいて、もう唇が触れそうな至近距離からいきなり私のこめかみを撃ったんです。 

 私は自分の奥歯がギリギリとなるのを聞きました。きっと人間の時間にすると朝の4時ぐらい、この出来事は何十年も前の事なのに、私には両方確かに『今』目の前の事として、ギリギリという音と一緒に、自分のこめかみから流れ出る血液の生温い感覚をはっきりと感じたられたのです。  

 私のせいじゃないわ。私、初めに言ったよね? 他に付き合ってる人がいるって。 

 今はそんな話をしていない。誤魔化さずに聞いてほしい。私は、そっと病室のドアを開け中に入ったのです。そこにはベッドに寝るあなたがいたんです。両眼をハッキリと見開いたあなたは、天上から私に視線を移すなり「イェイ!」と、両手でピースサインまでしたのです。 

 ウソ! 私そんな事しない! 

 あぁ、そうだね。それを見たのは世界で私1人だけだから。 

 ウソ! 知らない、私、そんな事してない! 

 じゃああなたにとってはウソでもいい。でも私にとってはウソじゃない。あなたは私に、「なにも訊かないんだね」そう言ったんですよ。 

 私、もうオバサンだからハッキリ言うけど、旦那よりあなたの方がずっと好きだった。でももう婚約した後だから、それは私にとって天秤に掛ける事が出来るようなお話ではなかったの。私が悪かったとすればそれは、あなたに本当のことを言ってしまった事。私はある日突然いなくなれば、それでよかった。あなたの目の前からいなくなれば、たとえ死でも、その方がよかった。 

 でも、そうしなかった。 

 何故だかわかる? あなたが、こう言ったから。 

 ん? 

 結婚してもいいよ。 

言わないよ! なぜ俺がそんな心にもない事を! 

 小さな会社だったよね。狭い雑居ビルの2階と3階にオフィスがあって、あなたたち職人は2階、私達内勤は3階で、別に出会わないようにしようと思ったら出来た。でも私たちはそうはしなかった。そして狭い階段のおとり場で、いつも少しだけ抱き合ったりキスしたりした。なぜそんな事をしたと思う? 

 いい加減、こんな寝ぼけ話は終わりにしますね。もう目が覚めそうです。今日は早出だから、こんな風に何時までもぼんやりしていられない。目を覚まそうと思えばいつでも覚ませる。君の事なんて、いつでも消し去れる!私は寝起きがいいんだ! 昔から、私はとても寝起きがいいんだ!! 

 じゃあ、何故そうしないの? 

あなたが結婚して、会社を辞めた後……。 

うん。 

あなたの使っていた机の引き出しから……。 

うん。 

 超音波写真が出てきたんだって。 

なに? ウソ! 

あなたは私を最後までそうやって苦しめ続けたんですよ。知ってました? 

ウソ!絶対ウソ! 

 私はその写真を持って、護国寺にあるお寺に行ってお供養してもらったよ。写真はその時お寺に渡した。両手に抱えきれないほどの子供を抱いた菩薩像に私はまだ、あなたの面影をみつけようとしていた。あなたは母親だけど、私はただの人殺しかも知れない……。 

ウソ! 

 きっとあなたは、婚約者、今の旦那さん? には本当の事を言わなかったのでしょう。だからうまくいった。私には本当のことを言ったからうまくいかなかった。それだけの事です。それが、あなたのした『選択』です。そして、そのすべてが私たちの『今』なんです。 

 ネコがね。いい加減起きろ!ってとうとう壁をガリガリやり始めましたよ。 

わかったわかった!もう起きる。もうこんな、変なオバサンなんか相手にするのはやめて、君の早朝の飲み水も入れ直すよ。だから襖をガリガリするのはやめてくれ!


第71章『秋祭り、あるんだって?!』 

 忘れ蝉も鳴かなくなりましたね。かわりに赤トンボがたくさん飛んでいます。まだ暑かったり、寒かったりしますが、季節はもう夏ではないという事ですね。しかし日足が長くなった分、店の中は真夏の頃よりも寧ろ明るいくらいです。 

 『昔の子』『今の子』が眺めているのも赤トンボでしょうか? それとも秋祭りののぼり旗でしょうか? 2人並んで外を見ています。 

 最近、『今』に留まる、のが以前よりもヘタクソになってきたような気がします。『今』の事を、私はすべて知っているはずなのに、なぜかその事に自信が持てない。 

 『今』に留まる、というのは単に感覚の問題だとわかっています。誰もが普通にそうしている、いえ、そうせざるを得ない様な事だとわかっているのですが、ただ、そこに何か特別な感覚が混ざり込む事で、それがうまく出来なくなる。 

 だから私は今から、栗羊羹でも土産に突然店を訪れて二人を驚かせてやろうかと思っているのです。そして2人と30分ほどたわいもない話をすればきっとまた自信が持てる、漠然とそんな気がするのです。2人はきっと、私の逆だと思うから。 

  

「この間の土曜日は、息子さんの体育祭だったそうじゃないですか。どうでした?」 

 『昔の子』そう訊かれた時、わたしはドキッとしたのです。意地悪で 言っているのかと、そう思ったほどでした。 

 「そうなんだよ、それがさ、多分小学生の頃よくウチに遊びに来ていた息子の友達だと思うんだけどさ、いきなり『お久しぶりです!』なんて声を掛けられても、声は低くなってるし、背は伸びてるし、おまけにマスクしてるから顔もよくわからなくてさ。だから取り合えず、『あぁ、久しぶりだね、今日は頑張ってね!』 なんて言ったあとで、どの子だっけ?? なんて思い出さなければならなかったんだよ」 

 そう言いながら私は、完全に失敗したと思っていました。これじゃあ、何をしに来たのかわかりません。2人は笑って聞いてくれましたが知っています。自分達には『成長』という体験がない事を。それはどうしようもない事です。それが『今』に留まらざるを得ない2人の残酷な現実なのです。それは飛べないペンギンやダチョウが太古の記憶に思いを馳せる様な禁断の行為。飛べない事はもはやハンディキャップではないのです。ハンディキャップと思ってはいけないのです。じゃあ、その反対の私は一体どうだというのでしょう? 

 私は『報われない』とよく口にします。しますが実際にそれがどういう事なのか。何と何を比べて、私は何をより悲観して『報われない』と言っているのか、今はそれがわからなくなっている気がするのです。私が報われない代わりに誰かが報われている、という理屈ではないと思うのです。 

                   * 

  知ってる? 

 『今の子』『昔の子』に話し掛けています。『今の子』にはこうして、すべて後回しにして突然話し掛ける癖があります。『昔の子』は慣れたモノで、私の妻が焼いたパンを並べながら、何を?と言います。 

 あるんだって。 

 何が? 

 秋まつり。 

 あぁ、聞いたよ。のぼり旗立ててるおじさんが3年ぶりだから気合が入るって言ってた。 

 伝染病のせいで3年も開催されなかった秋まつりが、今年は開催されるようです。4年前、私は『竿燈持ち』の大役を仰せつかり、法被に半タコ、ねじり鉢巻きにわらじ履きという、完璧な『お祭りスタイル』でやらせてもらいました。竿灯は重くはないのですが長いのでバランスを取りにくく結構疲れたのを覚えています。子供達はみんな楽しそうで、中学生と思しき男女の微妙な距離感にも私は、任せとけ! というような大きな気持になりました。お祭りとは、誰かが非日常を演出する側に回って、日常の中で晒しモノになるのが正しいようです。ひょっとこの面をかぶって踊っている人を、この時ばかりは誰も疑いません。ひょっとこはそれを見る人の『非日常』を一手に預かり、一番有効に運用しているのです。 

 しかしなぜ、そんな事をする必要があるのでしょう? 

  私はこう考えます。敢えて時世の判然としない服を着てモノを持ってみせ、日常に時間的、空間的な曖昧さと不確定さを含ませる事で『今』を1つの大きな『単純作業』にするためではないのか。

竿灯を持って小春日和の穏やかな陽だまりの中を2時間も3時間もポクポク歩くのも、いきなり婚約者がいる事を告げられ、失意の中、真夜中の繁華街を泣きながら2時間も3時間もトボトボ歩くのも、私にとっては単に時世を伴わない『単純作業』でした。

 まあいいや、これもきっと、どこかで誰かの役に立っているのだろう……。私はそう信じる事で、全世界の『今』に自分の悲劇を割り振ることが出来たのです。だから逆上して相手を八つ裂きにする事もなく、泣きながらフラフラと歩く事が出来たのです。 

 そんな理由から私は、秋祭りの今日に限っては、焼き団子や焼きトウモロコシの匂いに誰も文句を言うはずがない。私はそう信じていました。ところが……。 

                 * 

 歴史を変えるなんて出来っこないんだよ。だから未来も決して変わらないんだよ、だから今何をしようと同じなんだよ。 

 いきなり話し掛けてきた男がいたのです。それは私がまだ20代の頃、同じバイト先で怠けてばかりいる、酒に焼けて赤黒い顔をした痩せた小男でした。当時でももう40代後半ぐらい、ハーフグレーの頭髪もぼさぼさに疲れ切っていました。 

 いいか、断言してやろう。君は決してミュージシャンにはなれない。なぜなら君は今、ミュージシャンじゃないからだ。これから頑張れば、或いはミュージシャンとして成功できる!そんな事を考えているのなら、お気の毒さまだ。人は『今』を生きている、やっているのはたった1つそれだけなんだよ。人間には『今』しかないんだよ。過去と未来を繋げて考えるのは勝手だ。しかしそれはごく個人的な事柄だけにした方がいい。じゃないと後々、周りの状況との齟齬が生じる。それが不安や不満、恐怖や絶望を生み出して、耐えられなくなった奴が自ら命を断つんだよ。それはこの世の中で一番不幸な連鎖だよ。そんな事を、やれ経験値だの、知識だの、技術だのと言って自分の役に立っている様に言うのは、まるで詐欺じゃないか。ないモノをあるというのだからね。人間はね、何も出来ないんだよ。何か出来たためしがあるかい?人間がやった事は必ず人間を苦しめる。それは何かやった事にカウントされるのかい?

 されるのかい? だったら知らん。勝手にしろ! でも私はそうは思わないんだ。だから、君が今、ミュージシャンではないという事は、君は将来も未来永劫ミュージシャンではないという事の決定的な証拠なんだよ。実際、ミュージシャンで成功している奴の頭の中を想像してごらんよ。紆余曲折のストーリーがすべて今に繋がっているはずだ。何一つ、迷ってなんかこなかったんだ。ただジッとしてればよかったんだ。それなのに、どこからともなく混入した感覚が彼・彼女らを無駄な努力に駆り立てた。それだけの事だ。それを、経験? 運命? 努力? 偶然? 

 ははは、残念だが全部違う。そんなに自分の人生を下卑た付加価値で飾りたいのか? イヌやネコにセンスの悪いリボンを付けたり服を着せるのと一緒だ。イヌはイヌだろ?違うか?『今』だって同じだ。今は今だろ?違うか? でも誰もを認めようとしない。俺は仕事を怠けているんじゃない。必死に、『今』を生きているんだ。それはアメリカ合衆国大統領だって俺だって同じなんだよ。こんな簡単な理屈がわかるヤツがほとんどいないという事は、今生の人間の発生は初手からすべて失敗だったという事かもしれんな。 

 私はそんなみすぼらしい、自分よりも才能も可能性もなさそうな萎びた中年男の言葉なんて微塵も気にしませんでした。しかし結果、私は男の言うとおり、ミュージシャンとして成功する事は出来ませんでした。あの男の言った事が、見事に的中したのです。 

 そしてそれがどれぐらい正確だったのか。

 その20年後、私は両膝を壊して失職し、約9か月もの間リハビリを余儀なくされていました。その間にじっくりと考える事が出来たのです。そしてその男が言っていた事の、正確さ、緻密さに改めて驚いたのです。次々と的中していく、男の言葉に、私は大声を出しました。 

「今年は、秋祭り、あるんだって??」 

 2人は驚いたような顔をして振り返りました。 

 私は栗羊羹も忘れ、手ぶらで店を訪れていました。そして店に入るなり大声を上げたのです。 

「今その話をしていたところなんですよ」 

「いいね!秋祭り。2人も行ってくればいい!」 

 え!?いいんですか? 

2人は目を丸くしました。 

 「いいよいいよ、行っといで!」 

 私は栗羊羹を買うはずだったお金を2人に渡しました。2人は嬉しそうに神社に向かっていきました。何の利もなくただ、夕日と赤トンボの群れが、無上の優しさ以外の何の想像も喚起しない理由で以て、2人を神々しく飾り上げていました。そしてその瞬間、私は私が、しっかりと『今』に留まっているのを感じました。 

 空爆の後の月の様に。

悲しい事は終わりませんが、嬉しい事だって終わりません。 

 そして私は、

窓辺の、2人がしまい忘れた風鈴を、そっとしまいました。 


   第70章『双翁釣談』 

 ずいぶんエラそうな夢を見たので、それをそのまま書く事にしました。しかしなにぶん下手くそなモノで、実際の会話に頼るしかないような不手際が多々出て来るかと思いますが、それは前以てご了承ください。 

 しかし、夢はいつまでも見るモンですね。もう、何も望んでないって!何も欲しくなんかないって!と思っても、どうしても夢は見るモンです。つまり夢はナニモノかに『見させられている』というのが正しくて、それは抗いがたくまた、現実にも同じ様な性質があり、誰もがナニモノかに『生かされている』という事実に繋がります。別にね『使命を帯びてる』とか、そういう面倒くさい理由じゃなくてもね。 

 そしてどんなに切なくても、悲しくても、逆に嬉しくても楽しくても、夢はほどなく覚めてしまいます。そうしたらたちまち現実というヤツが押し寄せてきて、そのすべてを否定しようとするのです。 

 でも本当なんでしょうか? 現実と夢は敵同士なのでしょうか。夢は現実を否定して、現実は夢を否定する。そしてお互いの何処にも、その欠片すら見出せない、そういうモノなのでしょうか? 

 疑い出すとキリがないですが、最近めっきりバーチャルリアリティーなるモノに腰を据えるようになって……。そのせいで人々は旅行だってほとんど行かなくなりました。世の中全体がそうなって、何から何までバーチャルリアリティーで事足りるになってしまって……。 

               * 

 糸を垂れた場所がよほどよかったのか、弁当もままならぬほどの釣れ具合にあたふたと私は、エサを刺そうとして指を刺したり、振った糸の先が柳の下枝に絡んだのを必死にほどいたりしながら、それでもその日はこれまでにないほどの大釣果だったのです。 

 しかしフナなど、幾ら釣ったところで食えもせず売れもせず、そのうち『お前は、何をしているんだ?』と自問自答が始まった、ちょうどそんな時でした。 

 さっぱり釣れん!と竿を筒に収めようとしたもう一人の『翁』がおりました。私はその人を見て初めて、自分も『翁』同様、もう人生も終えかけた閑人、老人であると気付いたのです。 

 「ルアーなんかで釣ってんの? オジサン。ルアーでフナは釣れないよ、そんな事も知らないの? オジサン。」しかし私は出来るだけ子供の様に言いました。こういう事、たまにないですか? ベビーカーに座った赤ん坊と偶然目が合って、不思議そうに見つめるその子に、親の目を盗んで変な顔をしてその反応を楽しむ、そんな事。その時、私にとってこの『翁』はその『赤ん坊』だったのです。 

 翁は、「いや、こんな場所じゃ、どこに投げたって何にも釣れやしない。」と独り言の様につぶやくとサッサと竿をしまってもう帰る勢いでした。 

「ちょ、ちょっと待ってよ、オジサン。ウソじゃないって! これ見てよ。これ、全部僕が釣ったんだよ。この15分ぐらいで、1人釣ったんだよ!」 

 実際には皺くちゃな老人が、まるでコスプレでも楽しんでいるようにワクワクして言います。 

 『翁』は私の魚籠をちょっと覗いて、『嘘だろう?』という顔をしましたが、すぐに前を向き直り、「お前はそうやって私を、自分よりも可能性のない、或いは可能性の尽き果てた哀れな老人だと、たかだか釣り一つを使ってバカにするつもりなんだな?」 と言ったのです。 

 そんな事を言われたら私だって、もう易々と『翁』には戻れません。『翁』は自分の間違いを、目の前の小僧に転嫁しようとしています。私はわざとらしく歯をギリギリ鳴らして子供の様に悔しがって言いました。  

 じゃあさ、オジサンさ。あの木の根元あたりに落としてみてよ。どんなバカでも釣れるから。 

 『翁』「バカとは何だ!誰の事だ!ワシの事か?」 と食いつてきました。この一言を取ってみても、『翁』がいかに年齢差をあてにしているかわかります。 

 孫ほどに年の離れた子供に揶揄されたと思っているのでしょうが、実際は『翁』がそれを選んだのです。赤ん坊は今にも泣きだしそうです。でもそれも無理もないのです。明日の事も、昨日の事も考える必要のない、純粋に2人っきりという間柄は真っ暗闇と同じです。相手の立場や考え方、まして見た目など、何の意味もないのです。 

 いいか、小僧。釣りはな、こうすれば必ず釣れるなんて理屈は世界中の何処にもありはしないんだ。同じ船のミヨシトモでも、釣れたり釣れなかったりする。同じ船に乗っていても、ある客は大満足して船頭にチップを渡して揚々として船を降り、ある客は、「こんなヘタクソな船頭の船には2度と乗るものか!」と救命胴衣を投げ捨てて船を降りるのだ。それが釣りというモノだ。つまり差別だ、そう差別。絶対的な差別だ。それがどうした? じゃあ釣った魚をみんなで平等に分けましょう。そんな事をしたらどうなると思う。せっかく気分がよかった太公望はおろか、情けを掛けられた丸坊主まで怒り心頭に発する、そういうモノだ。それを理解できない若輩モノが、駆け引きや結果だけで、価値を図る事しか知らんような愚か者が、釣りについて生半可な講釈を年配者に向かって垂れるモノじゃない。さ、わかったらお前もサッサと竿をしまって帰るがいい。雲行きが怪しい、ほどなく空が割れる程の雨が降るかもしれんぞ。 

 ずいぶん頭の固いじいさんだ……。私はそろそろ『翁』に戻ろうと思いました。完全に飽きてしまったのです。もう終わりだ、会話や物語の繋がりなどどうでもありません。もとより私だって釣りがしたくてやっていたわけでもありません。食えも売れもしないフナを、大量に釣りたかったわけではないのです。そしてその時、あ、これ、ひょっとして夢なんじゃないか、と少し思いました。 

 頭がお堅いのは、あなたの方でしょう。 

 しかし『翁』はそう言いました。ハッとして見ると、釣竿を筒に収めて立ち上がろうとする『翁』の後ろでは真っ黒い雲が、空が撓むほどに重く圧し掛かっているのが見えました。 

 私を誰だか、あなたは、知っているのですか? 

 私はこの『翁』が誰なのか、はじめから知っていました。もうじき天寿を全うするために、何かを考えるのではなく何も考えない準備に追われなければならないはずなのに、私は早々に倦んでしまって、こっそりと抜け出して、閑人、老人というコンセプトに身を隠し、知らない川で釣りなどして、さらには多少の釣果にいい気になって、たまたま居合わせた同じく、閑人、老人を少年のフリをして揶揄ったのと同じ、閑人、老人……。

 その時、堰を切ったように、これまで行ってきた徒労が、どっと押し寄せてきて、川ごと、岸ごと、柳ごと、フナでいっぱいの魚籠ごと、私の全ての景色を押し流していったのです。 

 ほら来た! これだよ、これが起きる、これがこの世界の一番の弱点だ。お前はどうする?この後、どうする? すべてを否定して、シレっとまた現実に立ち返り、何食わぬ顔をしてまたトラックを運転するのか? 

                 * 

 暫く、ぼっと闇を眺めていたのですが、目覚ましのアラームかと思ったら、すぐ隣で猫がグルグルと喉を鳴らしている音でした。秋の朝は深く、まだ外は薄暗いのでした。

「そんなこと言ったって、仕方がないじゃん!」 

  

  私は家族の寝静まる隣で、1人そう呟きましたとさ。