
第76章『フリメール』
あぁ、かったるい……。とまた吐いてしまった。休日なんてあっという間に終わってしまうというのに、その貴重な午後に、私は一体ナ二やってんだか……。
そもそも関西出身の私には『かったるい』なんて概念はなかった。つまりこれは関東に来てから新しく備わった概念で、関西に住んでいた頃の私は、いつ、どんな場合でも、かったるかった事はただの一度もなかったわけです。あぁあ、ほんとなんとかなりませんかねこの、かったるさ……。
何がそんなにかったるいかと言うと、私は今、ある事情から過去の手紙を書き直しているのですがこれがまあ、やればやるほど支離滅裂で一向に前に進んでくれないのです。だいぶ暖かいですが、もう暫くすると今度は花粉が舞って、つまり今が一番ちょうどいい。そんな貴重な休日の午後が、惜しげもなく過ぎていく……。
*
湘南の海風にやや秋の臭いが混ざり始めた9月始めの134号線を、私はガス欠の原付バイクを押しながらトボトボと歩いている。これでよし、これしかないと確信して書いた手紙を彼女の車のワイパーに挟んで揚々と引き上げたものの、暫くしてそれが大間違いだと気付いて慌てて引き返した時にはもう、手紙は挟まっていなかった。後悔してもしきれない。私は泣いていたかも知れない。いや、確かに私は泣いていた。
警察官に「君、調書だけ見たら完全に死亡事故だよ」と言われたが、私は警察の駐車場の隅に保管された愛車の亡骸をぼんやりと眺めるだけだった。まだ7000㎞しか走っていないかったがそれが理由ではなかった。右肩が複雑骨折していて、即入院、手術だったがそれもどうでもいい事だった。嫌われるのも裏切られるのも少しも怖くなかった。それよりもなによりも、彼女の気持ちが自分の意に従って定まってしまう事に一番の恐怖に感じていた。そんなはずはない、と疑って欲しかった。そうすれば、たとえもう2度と会う事はなくても、こんなかったるい手紙を、『今』になってわざわざ書き直さなくても済むのです。
生来、すべて他人任せな性分から努力をしたつもりが実際には出来ておらず、よって当然、思う成果も得られず、言い訳ばかりを繰り返した結果、完全に自分本来の性分を見失い、じゃあどのみちウソなのだからとさらに煽るだけ煽り、昇るとこまで昇り詰めた挙句、『自分はロックスターになる!』と思うに至ってからは、まるで悪い宗教にでも入信したかのように、わかっていながらわざと無自覚、無責任、無計画な悪い方悪い方をフラフラと生きる事に頑なになっていた。ギターはとても上手いと言われたよ。私には殆どの人には見えないリズムの『バリ』が見えるのです。普通、このリズムの『バリ』は綺麗に取り除かれて捨てられてしまうのが一般的なのですが、世界中の一流と呼ばれるミュージシャンは皆、この『バリ』がちゃんと見えています。今でもこの『バリ』が見えるミュージシャンはほとんどいないと思いますよ。もっとちゃんとやればよかったよ。ちゃんとリハビリしないと肩が上がらなくなるかもしれないよ、と執刀医から言われても、私のロックスターになるという頑なな夢は少しも揺らがなかった。
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「これ、カワサキですか?」とバイト先の女子高生に訊かれて、うん、そうだよ、と答えた私は得意満面だったと思う。買って間もない私のFX400Rのピカピカのタンクはそんな私の顔を鏡のように映していた。女子高生は、「私、バイクの中でカワサキが一番好き」と言った。あ、そう、と私はそっけなく応えたが確信していた。
この女子高生は私のバイクをカッコいいと思って見ている。
しかし女子高生は、「私と一緒に七夕祭りに行ってくれませんか?」と続けた。私ははじめ、カワサキと七夕の繋がりがよく分らなかった。平塚の七夕祭りと言えば、日本三大七夕祭りに数えられるほど有名で、毎年数十万人の人出でにぎわうのだが、なぜか毎年雨だった。駅前の大通りは何キロにもわたって歩行者天国になり、そこにバイクに乗り入れる訳にもいかないし、だいいち多分、今年も雨だよ。
そう思うに至り私は彼女の本性を見抜いた。この子は、私のFX400Rなんてカッコいいともなんとも思っていない。ただ私と七夕祭りに行きたい、そんな事の口実のために、私のバイクをダシに使ったのだと。俄然腹が立った私は、
「七夕なんて胡散クセェ祭り行きたくねぇよ。」と言い放った。
女子高生は一瞬、ハッとした表情をしたが、みるみる目を血走らせて、
「私だってオメェとなんか行きたかぁねぇよ!バカ!」と言った。
そしてそのバイトの帰り、私は簡単なカーブを曲がり切れずに時速100㎞で転倒、バイクと一緒に道路を約60m滑って中央分離帯に激突して止まった。と、その警察官に教えられた。
入院生活は快適そのもので、私は海辺の病院のラウンジで日がな一日ボンヤリと海を眺めていた。71年、ロンドンでライヴ中だったフランクザッパは、観客にステージから突き落とされ大怪我を負った。それはロックスターの証し……。そんなくだらない妄想に明け暮れていた。この時すでに私の時間は、止まっていたとまでは言わないが、グルグルと同じところを回転していたに違いなかった。もうずっとこのままでもいいか……、この時既に、本気でそう思いかけていた。
私は右手が使えなかったので他の患者よりも看護師やスタッフに手間をかけた。ご飯はおにぎりにしてもらって、頭も洗ってもらっていた。服も着替えさせてもらい、時々ナースコールで背中を搔いてもらったりした。
嫌な顔をする人もいたが、大概の看護師は嫌な顔一つせず親切に掻いてくれた。私も私で当然の様に背中を掻かれていた。
しかしそんな看護師の1人が徐々に私のロックスターの夢を邪魔する様になっていった。
その木下という19歳1年目の看護師の見た目は、髪は肩に届かないぐらい、背も私の肩に届かないぐらいで、小さくとがった顎が、顔をシュッと小さくまとめていた。目は大きくないが事あるごとに鈴の様によく揺れた。
19歳1年目の看護師はまだまだ下手くそだった。採血の度に何度も刺し直したり、頭を洗ってもらうとパジャマがびしょ濡れになったりした。そのたびに慌てて寮に戻って自分のドライヤ―を貸してくれたが、私にとって彼女の私物はとても迷惑だったし、毎朝熱を計られ、排便の回数を告げるのも、先日、買ったばかりの三菱の軽自動車で1人で江の島に行った話を聞くのも、風がとても気持ちよかった事も、サザエのつぼ焼きを1人で食べておいしかった事も、その時のお土産といってキーホルダーを貰う事も、ウインドサーフィンを始めたばかりで、一緒にやりませんか?なんて誘われるのも、すべてすべて迷惑千万だった。私が好きでカーテンを開けているのに、回診の後、必ずしっかりと閉めていくのも迷惑だったし、なによりも仕事中であるにもかかわらず、いつまでも私の場所に居座ってたわいもない話をしてはコロコロと笑うその笑顔が、たまらなく邪魔だった。
退院する時、木下はいつもよりも元気がなく思えた。色々お世話になりました。私は杓子定規な事を言ったが、彼女は軽く会釈しただけで廊下を行ってしまった。
退院後、私には一つの約束が残っていた。それはその木下と一緒に七夕祭りに行くという約束だった。私は当然、女子高生の時と同じ事を言うべきだったが言いそびれていた。だから、仕方がないので手紙に書くことにした。
これでよしと、書き終えた手紙には、木下の質問や約束がいかに私にとってどれほど迷惑であったのかを滔々と書き連ねていた。すぐに出せばよかったのだが、リハビリをするうちに9月になっていた。病院の駐車場から木下の車をみつけるのは簡単だった。彼女が言ったとおり、白い三菱の軽自動車のルームミラーに、私が貰ったのと同じ江の島のキーホルダーがぶら下がっていた。
*
泣きながら原付を押す私の横を、自転車に乗った女子高生の集団が通り過ぎた。その中の一人は私が七夕祭りに行くことを断ったあの女子高生にみえた。まるで浮浪者を見下ろす様に歩道から車道を見下ろして通り過ぎる。そんな彼女、湘南、134号線。そしてその空の上高くをカモメが止まっている様に見える。真っ白なカモメは同じ真っ白な封筒になり、封筒からゆらゆらとこぼれた真っ白い便せんがまたカモメに戻った。私はとうとうペンを置いた。
2人とも私の方からフったんだからね。私はとてもモテたんだよ。なんせロックスターだからね。それだけの雰囲気なりオーラなり、なにかしらあったんだろうよ!
知らんけど……。

第75章『あるスゴイ人の言い分。』
行きつけのバーで隣に座っている人が有名人だと気付いた私は、酔いの勢いも手伝って声を掛けたのです。
あの……、
はい?
皇極法師さん?
あ、はい……。
彼はそう言うとすぐに私から目を逸らしました。
いや、こんな形で実際にお会いできるなんて。光栄というか、迷惑というか……。
私は彼の表情を伺いながら言いました。彼はどんな人物なんだろう。そしてどんなタイミングでどう、私に応じるのだろう。
これまでも、皇極法師について私は、憶測も含めて色々お話してまいりました。でも私が実際に彼と会うのはこの時が初めてだったのです。何百年、何千年、何万年、いや、もっと……。人間の上に糊塗された厚い妄念を、これほど潔く、そして合理にも非合理にも一切抗わずさばいてみせた人はこの人をおいて他にはいないでしょう。私の店で働いている『今の子』の母親を名乗る女性からその名前を聞いた時も、私は彼女が、誰にも抗いようもない程の影響力と、その力を誰にもわからないような方法で行使する力を持ったナニモノかに従っている、ただそれだけで、実際の彼女はここにすらおらず、悲しんでも苦しんでも、喜んでも楽しんでもいないという、それはその時とまったく同じ印象を持ったのです。
あなたが、いろんな人を助け、また迷惑をかけているのは私も知っています。あなたは知恵を授けて、助けているつもりなんでしょうね? でもあなたはそうやって、いろんな人の、生きる上でアキレス腱の様に大切な様々な問題を……、そうですね……、私には解決しているというよりも有耶無耶にしている、治療しているというよりも全摘出している、そう見えてしょうがないのですが……。
このタイミングで皇極法師はまだ何も言いません。ただ何やら強そうなお酒の入ったグラスを手に持ったまま、小さく揺れているだけです。
人ってすぐに指を差すじゃないですか。コイツ、悪人!ってね。でもそれって、まるで大きなモノを無理矢理小さな結論に押し込めているだけで、全然的を射たモノじゃない、そうですよね?
その時初めて彼は少し私を見て、はい……と言いました。私は芸能人から返事をもらったようで、少し気分が良かったのです。そして続けました。
でも悪人は畢竟綿飴の様で、実にふんわりとしていて、大きく見えていても近づいてみれば、実態も曖昧で、その指差した先をずーっと手繰ってみればその悪人をすり抜けてまるで関係のないところを指差していた。それはまさに、誤解の特徴そのものだと気付いたのです。
悪があるなら、善も出せ!
ニセがあるなら、ホンマも出せ!
*
健全に生まれたにも関わらず、実の両親や親せきや兄弟から苛烈な虐待を受けて、誰にも心も開けず、誰とも話も出来ず、文字も読めず、ただ犯罪を繰り返した挙句人を殺めて、その事についてほんの少しの反省も出来ずに、最後は法に裁かれて死んだ人がいました。そんな彼の長くない人生のほんの少しの時間を、私は工場のライン作業のベルトコンベアの向かい合わせで過ごしたんです。彼は話し掛けても反応がなく、他の作業員から、「あの人、耳が聞こえないから、身振り手振りで話して」そう言われたのです。
作業はパソコンの入った箱に『Pバンド』と呼ばれる帯状の紐をぐるっと巻き付けて圧着するという単純なモノでした。
ちょっと箱が曲がってるから、左に! とか、
箱がこっちにより過ぎてるから押しますよ! とか。
実際、うるさい工場内では話をするよりも身振り手振りの方が効率もいいんです。耳の聞こえない彼の身振り手振りはさすがにこなれていて、私は毎日、なるほど、なるほど、と彼のゼスチャーの妙に感心させられていたのです。
しかしほどなく、彼は工場をやめました。
その日もいつも通り、8時半から作業を始めて、1時間ほど経った頃でしょうか、突然彼がベルトコンベアを乗り越えて私の方に来たんです。あっという間に私はPバンドの内側に倒されて機械で縛られてしまったのです。そんな事が起きていても、工場って案外、誰も気づかないんですね。私はその後、彼に背中を何カ所も、刺されました。声も出ず、だたベルトコンベアは次の工程までリニアなスピードで私を縛り付けたまま流れていくんです。やがて血まみれの私が流れてきた事に気付いた女子作業員がベルトコンベアは緊急停止させたのです。彼はその時もういませんでした。
その間の恐らく数秒で、彼は私に、先に話した、彼が育った境遇を私に話して聞かせてくれたのです。
あなた様がいてもいなくても、私には何の影響も意味もない。
だからせめてあなた様にとって、私が有意義な存在でありますように……。
さようなら、あなた様。
うんうん、と、私は2回ほど頷いた気がします。走り去る彼の、人間らしく躍動する姿を見届けたのは、恐らく私1人だったでしょぅ。
なぜ、彼にあんな運命を与えたのです? そしてなぜ、彼にあんな知恵を授けたのですか?
皇極法師は何も言いません。
もしあの時死んでいたら、私は妻にも子供にも会えなかった。それを避けるために、あなたは彼を利用して、殺しそこなう風にあの知恵を授けたとでもいうのですか?そうして彼に確固とした道を与えて、最後は平等な法の下に導きだして、そこですべての彼の行動の結果を1つ、まるで褒美の様に与えてもらえるよう仕向けたというのですか?
いいえ、全然、ぜ~~んぜん!
急に大きく反り返った彼は笑いを含めて言いました。
だいいち、私はその場所にいなかったし、そんな話は初めて聞いた。私のせいだと、あなたは怒っている。助かったくせに。その事から多くを学んだくせに。ことはすべて忘れて、死んでもいないくせに死にかかった!とただその事だけで私の判断ミスを指摘している大きな誤解過ち勘違い!
私はとにかく、誰のためでもない判断をする事を常に義務付けられている。これがどれほど難しいか。わかりますか? 平等かどうかを、誰かの目線で判断する事はすべて大きな誤解過ち勘違い!
私は今も、冬寒くなるとその時の傷が疼くのですが、そのたびにあのバーの場所を思い出そうとするのですが、全く思い出せません。