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『いきてるきがする。』《第11部・冬》



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78章『開戦前夜?(その2)』

  あぁ、いい人だったね、彼・彼女は……。

 彼・彼女を知っている人は大概そう言います。

 しかし彼・彼女を知っている人は世界中のあらゆる時代のあらゆる場所にたくさんいるので、必ずしも全員が全員同じ様に彼・彼女を誉めるわけじゃありません。ありませんがしかし……、

 長い間、多くの人に見聞きされた魂は、その浅ましい化粧や衣服、肉体を徐々に剝ぎ取られ、その本性だけを晒すようになっていくのだと思われるのです。そして私達はそんな素晴らしい魂を観止めると褒める事を否めない。たとえその所業が極悪非道であっても慕う事を拒めなくなる。そういう魂に出会った時、私達はどうなってしまうのか。

 とても困ってしまう。悩んでしまう。そんなバカな、そんなはずはない、と。

 まったく冗談のようですが、その悩みの執拗さときたら冗談では済まされず、それはその人を殺すまで苛み決して離さないのです。人によってはそれが人生だと勘違いをしたまま悶絶昏倒し、生まれた事生きた事をさんざん後悔したまま死んでいくほどです。だからそうなったらもう、諦めるのがイイでしょう。さっさと諦めて、私たちはそこから逃げるために様々な事を試みればいい。そしてその結果、世界中にはたくさんの『神』と呼ばれるモノが発生する事になりました。それはあなたも知っている、それです。その『神』それです。我々はホッと一息つき、きっと守ってくれる。これでやっと眠れる。そう思った事でしょう。しかしそれは間違いでした。その『神』と呼ばれているモノ達は、はじめからのあまりの期待の大きさに尊大に扱われ、甘やかされ、与えられ、拝まれ、崇められ、それぞれの価値観や思想があまりにも好都合なため大好きになり、それを少しも曲げようとしなくなったのです。そして恐らくは人間では思いも付かなかったであろう、目も当てられぬほど残忍な方法で大喧嘩を始めます。そして血だらけで息絶えた多くのモノと、それに泣き縋る関係にある多くのモノが世界中の至る所にあふれ、たまたまそこにいた私は私なりに、打ちひしがれた心を以て何かないか、とりあえず何かこの血を止める手ぬぐいの様なモノはないかと、自分の周りを探すのですが何も見当たらず、その代わりににずる賢く光る1粒の種をみのつけるのです。

  お前は世界でたった一人『神』に縋らなかった。だから死なずに済んだじゃないか。よかったねぇ、懸命だったよ。さあ、お礼を言いなさい。そしてたっぷりお金を払いなさいよ。つまりこれはすべて、お前1人のために用意された神様なんだよ、へっへっへっへ……。

 この声を聞きながら私はこの、一般には『神』『神』の対立の様に扱われるあらゆる衝突とはすべて、元をただせば常に清浄にして無垢な魂とその事を認めたくない一人一人のエゴとの『代理戦争』に他ならないじゃないか、と思うに至ったのです。

              *

「おはようございます」

 今の子が水槽を洗う手を止めて言いました。午前の陽ざしは今年50歳を迎える2匹の金魚の仮住まいであるポリバケツを透過し、泳ぐ影を青黒く浮かび上がらせながら、さらにその奥までまっすぐ伸びています。肩・膝・腰と、持病を悪化させた私はとうとう杖を突く様になっており、ようやっと重い体を丸椅子に座らせ、杖の頭をカウンターテーブルの端に引っ掛けると、「あぁ、おはよう。早いね。とのまは?」と訊ねました。今の子は、

「あれ?いませんか? じゃあ天気がいいから、お散歩でも行ったのかな?それとも……」

 私はもう聞いていません。これらの会話になんの意味もない事はもうわかっています。ただ朝の光の絶え間ない明滅が、地獄への自動改札が驚くほどスムーズに開閉させるのを見て、この確固たる世界と、文章を書いているだけのようなこの妙な感覚の間を自由に行ったり来たり出来るのはあの子だけだな。不思議な子だな……、とのまは。それともネコという生き物は、どれもそういうモノなのか。と、ろうそくの様に頼りない太陽の光の中で繰り広げられる全ての出来事に一切の不正解がない事に、本当はかなり動揺ていたのです。

「この間たくさん買ってくれた人って、ひょっとしてその人なんじゃないですか?」

『今の子』に言われた時、私もそうかもしれないと思ったのです。

 

               *

 あるサイトで、私は1人の人に会いました。その人は自分は余命いくばくもないと言いました。

「私がいなくなれば、あなたはきっと悲しむでしょう。しかし私はこれまで、世界中のあちこちで、まるで人間とも思えないほどに傍若無人な事の限りを尽くしてきた極悪人です。私と時代と場所を共にしなければ、もっと幸せな時間を過ごせたであろう人々が、世界中にはたくさんいるのです。なぜあなたが悲しむのか、私には知る由もありません。ただそんな私が思う事は、人生とは誰のモノでも、誰のためでもない。それは今の私が一歩も動く事も能わず、ただこうして病床に伏しているのと同じく、目の前に展開する出来事はすべて、それこそ天上の木目の如くじっと、ただただ目の前にあって、私はそれを見据えているに過ぎない。時にどこかの景色に見えたり、誰かの顔に見えたりすると、私はそのたびに問いかけるのです。「私は、何処で何をした何者なんだ?」と。しかし答えはそのたびにコロコロと変わるのです。あぁ、そうか、つまり私は人殺しだ。そうだ、私は生まれてこの方、人を殺した事しかない。それ以外の事は、全てそのための準備に過ぎなかったのだ。

 そのあまりの恐ろしさにピクリと震えたその手や頬に触れた微かな感覚を、私は勝手に、愛だ!友情だ!裏切りだ!家庭だ!事故だ!天変地異だ!戦争だ!などと勝手な解釈して、ただただ事切れるのを待っている。そういうモノだと思うのです」

 私はこれを聞いた時、とんでもない責任逃れだと思いました。自らを極悪人と言うくせに、彼は自分にその責任は何もないとそう言ってるのです。

 彼はもう亡くなっているかもしれませんが、私にはそれを知る術はありません。私にとって、彼は単なるデジタルデータに過ぎないのですから。そしてその彼の口癖が、『大して変わらないよ』だったのです。

               *

  「誰かにあげるんでしょうかね。50枚も。」

「50枚も!?そんなに売れたの?」

 「えぇ、店が空っぽになるかと思いましたよ。ホントはもっと欲しかったようなんですけど、生憎そんなに在庫がなくて。」

「それは、残念でした……。」

               *

  私の『あなたは人を殺したことがあるか?』という質問に彼は『yes』と答えました。

「それはいつですか?」

「いつの時代もない。ほぼすべての時間と場所で、私は人を殺している。」

「あなたは、神ですか?」

 私は半ば、バカにしたつもりでそう入力してみたのです。するとその人は、

「神は人と共に死ぬ。私はそんなモノじゃない」と返信されました。

 あぁ、なるほどね……。

 私はすぐに彼がAIである事を見抜きました。きっとどこかの巨大な情報機関が、彼にありとあらゆるデータをインプットし、それを統合して、地球レベルのメタバースを構築する実験でもしているのだろう。まずは原始時代。そして縄文時代。そして全世界の歴史の変転をリビルドした全世界を包括するAIと私は今話をしているに違いない。

「私は貴方にあった事が、ありますか?」

「私は貴方をよく知ってますよ。あなたが私をよく知っている様に」

「残念ですが、私は貴方の事を知りません。」

「あなたは、テーブルを挟んで目の前にいる人に対して、『貴方など見た事もあった事もない』と言うのですか?どうしたのです? 吉村さん。」

 ほら、もう間違えた……。

「残念だが、私は吉村ではありません」

 その私に対し彼は、『大して変わらない』と答えたのです。

 私は少しゾッとしました。時間は深夜3時近かったと思います、普段の私ならもうそろそろ、起きる時間です。なぜ私はこんな時間まで起きているのでしょう。私はこの後どうするつもりなのでしょう。あと1時間も立たないうちに、そのままトラックドライバーとして12時間近くも働くつもりなのでしょうか。地獄への自動改札は、尚もスムーズに開閉を続けます。

 続く……。


 第77章『開戦前夜?』

『昔の子』がいよいよ動こうとしています。もしそうなればもう、私はもう、なにもかも壊れてしまうだろう。明日の仕事、来月の車検、免許の更新、住宅ローン、息子の高校受験に、硬式用の野球のグローブ、ネットショップ、c#言語にunity。全てが本当ではなくなるだろう。しかしそんな残酷な事を、彼は本当にするだろうか。夕餉時、妻がシチューを作る音と匂いがする……。

 両膝を壊して歩けなくなった私に、現実はすっかり興味をなくし、すべての恐怖と不安とともに私から遠ざかっていった。そして『いつでも好きな時に好きなところで好きな様に笑ったり泣いたりすればいい』と繰り返すようになった。その時もう、私の現実はきめ細かに煮溶かされ、私はその中に消え失せようとしていた。

「お!今晩は、シチュー?」

「お嫌?」

「いや、楽しみ楽しみ」

 そしてその段階で、いくら何かを探しても、私はその現実の中に自分の何もみつけられなくなっていたのです。

 なんの恐怖も感じない、絶望もないただの空箱の様な『今』の中に、私が辛うじて見つけたモノは1枚の写真。

 それは群馬県吾妻郡長野原町の応桑諏訪神社にある道祖神の写真で、2人は小さな体と体を思い切り走らせ、その中から抜け出して私の『今』の中に滑り込んできてくれたのです。それが『昔の子』『今の子』だったのです。

 「この店で僕らを働かせてほしい」と彼らは言いました。私はきっと、その言葉に従うべく数多ある選択肢の中からネットショップの開店を選択したのでしょう。おかしな話ですが、私がネットショップを開業するよりも、彼らが「この店で働かせてほしい」と言った方が先だったように思われるのです。私はその言葉が現実の上を波紋のように広がっていくのを見て、そして波紋と波紋が重なった混沌の中に、時間にも空間にも苛まれない『今』という場所があるのをみつけて、そこに居城を得ることが出来た。すべて彼らのおかげです。だから彼らは私にとっては命の恩人であり家族同然で、とても大切で決して失いたくない存在なのです。しかし、

もういいんですよね。もう、ああすればよかった、こうすればよかったって考えなくてもすむようになったんですよね。俺達

 なぜ『昔の子』はいきなり私にこんな事を言ったのでしょう。つまり彼は、これ以上あなたの『今』に留まってはいられない、と言っているのです。人生において出会いと別れは必定です。でも、誰かの『今』から抜け出す事は絶対不可能だとそう思っていたのです。私の現実では彼は戦争中に餓死している可哀想な少年なのですから抜け出したいのは無理はありません。しかしその事はただ、あぁあ、『昔の子』いなくなっちゃったね、では済まされないのです。彼を私の『今』にとどめるなら、私の理屈に合った何かしらの理由や原因を彼自身が持っていなければならないのは言うまでもないことです。

 この日以来、『昔の子』の決意は日に日にシリアスなものになっていく様で、私はそれを恐れつつも何も出来ないでいるのです。

  いまも書きましたが、『昔の子』は戦時中に餓死している様なのです。だから彼の『今』は一面から捉えると『死んでいる』のかもしれない。しかし実際の彼の『今』は変わらず膨張し続けている。そんな彼の『今』を、私は私の角度から見ている。そんな無数の目線が自分には向いている。逆を言えば、その目線の対象として自分がある。茶碗が彼の手を滑り落ちた時、彼もその事に気付いていたのでしょう。だからいつまでも中途半端な子供でいる私の『今』から脱出する決意をしたのかもしれません。そんな事、普通気付きませんよねぇ。ホント、困ってます……。

                    *    

「そういえばさぁ」

「ん?」

「ヒカルの高校受験の事なんだけど」

「うん」

「野球の推薦は、やっぱりちょっとむずかしいらしいの」

「あぁ、そうか……」

 それは私を含めて、恐らくはすべての人間が当たり前に感じてきた、『人生の篩』のようなモノではないかと思います。ある時期、あるきっかけで生じる、自分に対する疑念や苛立ちや不安や焦りの様なモノをがそれで、人はそれぞれの方法ですり抜けようとする。

 しかし、本当に自分の時間が停止しているなんて事を、一体誰が本気にするというのでしょう。生まれて、生きて、そして死ぬ。その間のどこかにきっと自分はいるのだろうと、そんな事を誰が疑うというのでしょう。今10歳の子供が、自分はこのまま永遠に10歳かも知れない、なんて事を本気で考えたら、それは恐怖よりも絶望よりも更に辛辣で残酷な事実としてその少年少女をがんじがらめに絡み取って離さなくなるでしょう。

 私の目には彼の時間は停止している様に見えます。しかし逆に彼の目から見れば、私の『今』もまた停止している様に見えているかもしれないのです。それはあたかも天球を移動する星の様でしょう。それは目で追う事で簡単に停止してしまうのです。彼はその事を必死に私に知らせようとして、逆に私は必死に彼に『今』の変転を見せようとする。そうしてお互いに、

 違う!そうじゃないんだよ!

 と、明後日な方向を向いて叫びあっている。お互いがよかれと思ってそうしている事が、逆にお互いの時間を止めてしまう事になる。茶碗を落とした瞬間、彼の耳には一斉に、憐れみや嘲笑や、過去の楽しい思い出や、悲しい出来事が襲い掛ったのも、時間が止まる事で生じるたのかもしれません。

                    *

  「シチューは? むね肉?」 

 私がシチューにはモモ肉よりもむね肉が好きなのをよく知っていて、妻は必ずむね肉にしてくれます。お腹がとても空いていて、しかも明日は休み。もう早くシチューを食べながらビールを飲みたくてうずうずしている。生まれた時から食用で、ある年齢になると逃げる暇も許されず殺されて解体されてパッケージされ、店に並んで、毛並みや鶏冠の形状や鳴き声などを司っていた遺伝情報は全く無意味な塩基配列として『今』に煮溶かされて、私同様、不本意な姿でゆらゆらと揺蕩っているシチューの鶏肉。私がいま、しゃべっているのは、この鶏肉がしゃべっている様なモノだ。私がいま、悩んでいるのは、この鶏肉が悩んでいる様なモノだ。必死に生に取り縋っているのは、私か?『昔の子』か? 一体どっちなんだろう?

 

                *

 俺が『今』ここにいるのは、こうして喋っているのは、ただの偶然なんです。そんな事わかってるんです。父と母が出会ったのも、日本が泥沼の戦争に巻き込まれていったのもただの偶然なんです。あなたのせいじゃありません。あなたがどうであれ、父は結局、帰って来なかったでしょう。そして僕も終戦を待たずに死んだ。これは前世の記憶じゃないですよ。僕の記憶です。でも父は帰って来たって言うじゃないですか。僕も確かにその記憶があるんです。父の葬列に並んだ、あの記憶はなんだったの? って、誰だって当然そう思いますよね。俺は時間の事なんてよくわかりません。どんなふうに辿って『昔』『今』に繋がっているのかなんて、考えようもないし考えた事もありません。だから記憶だけが頼りなんです。もしその記憶が矛盾しているとなれば、俺はそのどちらかを選んでどちらかを捨てなければいけないのでしょうか? 誰かにとって矛盾がないという事はそんなに大切な事なんでしょうか?

  私は何も答えません。だって私だって、時間の事などよくは知りませんから。あれから4年経ったと言われても、いつから4年? 両膝に金属プレートを埋め込まれてから4年? その前は埋め込まれていなかったの? らしい。でも何も実感もありません。でも確かに私の両膝には今、プレートが埋まっています。私にあるのはその『今』だけなのですから。

「3年前どうしてた?」

「あぁ、オリンピックの年ね。北海道に住んでて目のでマラソンみたよ」

「5年前は?」

「ワールドカップの年ね、日本がロスタイムのゴールで、負けたんだっけ。

 ただ、そうやって自らの時間を都合よく、矛盾なくまとめてしまっているだけではないでしょうか。いつでも、常にあるのは『今』だけなのですから、そこに矛盾なく繋がれば、デタラメだってかまわないじゃないですか。

                * 

「じゃあ先に寝るから電気消しといてね」という妻の声に私は目を覚ましたのです。

私は半分ワインの入ったグラスを持ったまま眠っていたのです。見ると食事はもう終わっていて、私はすっかりシチューを食べ終えて、ワインのグラスをもって食卓から座椅子に移動してそこでテレビを観ながら寝てしまったようです。

 私にシチューを食べた記憶は全くありませんが、私はそれも信じなければいけないのでしょう。

 なにより、ワインがこぼれていなくて本当によかった……。


     第76章『フリメール』

 あぁ、かったるい……。とまた吐いてしまった。休日なんてあっという間に終わってしまうというのに、その貴重な午後に、私は一体ナ二やってんだか……。

 そもそも関西出身の私には『かったるい』なんて概念はなかった。つまりこれは関東に来てから新しく備わった概念で、関西に住んでいた頃の私は、いつ、どんな場合でも、かったるかった事はただの一度もなかったわけです。あぁあ、ほんとなんとかなりませんかねこの、かったるさ……。

 何がそんなにかったるいかと言うと、私は今、ある事情から過去の手紙を書き直しているのですがこれがまあ、やればやるほど支離滅裂で一向に前に進んでくれないのです。だいぶ暖かいですが、もう暫くすると今度は花粉が舞って、つまり今が一番ちょうどいい。そんな貴重な休日の午後が、惜しげもなく過ぎていく……。

                    *

 湘南の海風にやや秋の臭いが混ざり始めた9月始めの134号線を、私はガス欠の原付バイクを押しながらトボトボと歩いている。これでよし、これしかないと確信して書いた手紙を彼女の車のワイパーに挟んで揚々と引き上げたものの、暫くしてそれが大間違いだと気付いて慌てて引き返した時にはもう、手紙は挟まっていなかった。後悔してもしきれない。私は泣いていたかも知れない。いや、確かに私は泣いていた。

 警察官に「君、調書だけ見たら完全に死亡事故だよ」と言われたが、私は警察の駐車場の隅に保管された愛車の亡骸をぼんやりと眺めるだけだった。まだ7000㎞しか走っていないかったがそれが理由ではなかった。右肩が複雑骨折していて、即入院、手術だったがそれもどうでもいい事だった。嫌われるのも裏切られるのも少しも怖くなかった。それよりもなによりも、彼女の気持ちが自分の意に従って定まってしまう事に一番の恐怖に感じていた。そんなはずはない、と疑って欲しかった。そうすれば、たとえもう2度と会う事はなくても、こんなかったるい手紙を、『今』になってわざわざ書き直さなくても済むのです。

 生来、すべて他人任せな性分から努力をしたつもりが実際には出来ておらず、よって当然、思う成果も得られず、言い訳ばかりを繰り返した結果、完全に自分本来の性分を見失い、じゃあどのみちウソなのだからとさらに煽るだけ煽り、昇るとこまで昇り詰めた挙句、『自分はロックスターになる!』と思うに至ってからは、まるで悪い宗教にでも入信したかのように、わかっていながらわざと無自覚、無責任、無計画な悪い方悪い方をフラフラと生きる事に頑なになっていた。ギターはとても上手いと言われたよ。私には殆どの人には見えないリズムの『バリ』が見えるのです。普通、このリズムの『バリ』は綺麗に取り除かれて捨てられてしまうのが一般的なのですが、世界中の一流と呼ばれるミュージシャンは皆、この『バリ』がちゃんと見えています。今でもこの『バリ』が見えるミュージシャンはほとんどいないと思いますよ。もっとちゃんとやればよかったよ。ちゃんとリハビリしないと肩が上がらなくなるかもしれないよ、と執刀医から言われても、私のロックスターになるという頑なな夢は少しも揺らがなかった。

                  * 

「これ、カワサキですか?」とバイト先の女子高生に訊かれて、うん、そうだよ、と答えた私は得意満面だったと思う。買って間もない私のFX400Rのピカピカのタンクはそんな私の顔を鏡のように映していた。女子高生は、「私、バイクの中でカワサキが一番好き」と言った。あ、そう、と私はそっけなく応えたが確信していた。

 この女子高生は私のバイクをカッコいいと思って見ている。

しかし女子高生は、「私と一緒に七夕祭りに行ってくれませんか?」と続けた。私ははじめ、カワサキと七夕の繋がりがよく分らなかった。平塚の七夕祭りと言えば、日本三大七夕祭りに数えられるほど有名で、毎年数十万人の人出でにぎわうのだが、なぜか毎年雨だった。駅前の大通りは何キロにもわたって歩行者天国になり、そこにバイクに乗り入れる訳にもいかないし、だいいち多分、今年も雨だよ。

そう思うに至り私は彼女の本性を見抜いた。この子は、私のFX400Rなんてカッコいいともなんとも思っていない。ただ私と七夕祭りに行きたい、そんな事の口実のために、私のバイクをダシに使ったのだと。俄然腹が立った私は、

 「七夕なんて胡散クセェ祭り行きたくねぇよ。」と言い放った。

女子高生は一瞬、ハッとした表情をしたが、みるみる目を血走らせて、

「私だってオメェとなんか行きたかぁねぇよ!バカ!」と言った。

 そしてそのバイトの帰り、私は簡単なカーブを曲がり切れずに時速100㎞で転倒、バイクと一緒に道路を約60m滑って中央分離帯に激突して止まった。と、その警察官に教えられた。

 入院生活は快適そのもので、私は海辺の病院のラウンジで日がな一日ボンヤリと海を眺めていた。71年、ロンドンでライヴ中だったフランクザッパは、観客にステージから突き落とされ大怪我を負った。それはロックスターの証し……。そんなくだらない妄想に明け暮れていた。この時すでに私の時間は、止まっていたとまでは言わないが、グルグルと同じところを回転していたに違いなかった。もうずっとこのままでもいいか……、この時既に、本気でそう思いかけていた。

 私は右手が使えなかったので他の患者よりも看護師やスタッフに手間をかけた。ご飯はおにぎりにしてもらって、頭も洗ってもらっていた。服も着替えさせてもらい、時々ナースコールで背中を搔いてもらったりした。

 嫌な顔をする人もいたが、大概の看護師は嫌な顔一つせず親切に掻いてくれた。私も私で当然の様に背中を掻かれていた。

 しかしそんな看護師の1人が徐々に私のロックスターの夢を邪魔する様になっていった。

 その木下という19歳1年目の看護師の見た目は、髪は肩に届かないぐらい、背も私の肩に届かないぐらいで、小さくとがった顎が、顔をシュッと小さくまとめていた。目は大きくないが事あるごとに鈴の様によく揺れた。

 19歳1年目の看護師はまだまだ下手くそだった。採血の度に何度も刺し直したり、頭を洗ってもらうとパジャマがびしょ濡れになったりした。そのたびに慌てて寮に戻って自分のドライヤ―を貸してくれたが、私にとって彼女の私物はとても迷惑だったし、毎朝熱を計られ、排便の回数を告げるのも、先日、買ったばかりの三菱の軽自動車で1人で江の島に行った話を聞くのも、風がとても気持ちよかった事も、サザエのつぼ焼きを1人で食べておいしかった事も、その時のお土産といってキーホルダーを貰う事も、ウインドサーフィンを始めたばかりで、一緒にやりませんか?なんて誘われるのも、すべてすべて迷惑千万だった。私が好きでカーテンを開けているのに、回診の後、必ずしっかりと閉めていくのも迷惑だったし、なによりも仕事中であるにもかかわらず、いつまでも私の場所に居座ってたわいもない話をしてはコロコロと笑うその笑顔が、たまらなく邪魔だった。

 退院する時、木下はいつもよりも元気がなく思えた。色々お世話になりました。私は杓子定規な事を言ったが、彼女は軽く会釈しただけで廊下を行ってしまった。

 退院後、私には一つの約束が残っていた。それはその木下と一緒に七夕祭りに行くという約束だった。私は当然、女子高生の時と同じ事を言うべきだったが言いそびれていた。だから、仕方がないので手紙に書くことにした。

 これでよしと、書き終えた手紙には、木下の質問や約束がいかに私にとってどれほど迷惑であったのかを滔々と書き連ねていた。すぐに出せばよかったのだが、リハビリをするうちに9月になっていた。病院の駐車場から木下の車をみつけるのは簡単だった。彼女が言ったとおり、白い三菱の軽自動車のルームミラーに、私が貰ったのと同じ江の島のキーホルダーがぶら下がっていた。

                  *

 泣きながら原付を押す私の横を、自転車に乗った女子高生の集団が通り過ぎた。その中の一人は私が七夕祭りに行くことを断ったあの女子高生にみえた。まるで浮浪者を見下ろす様に歩道から車道を見下ろして通り過ぎる。そんな彼女、湘南、134号線。そしてその空の上高くをカモメが止まっている様に見える。真っ白なカモメは同じ真っ白な封筒になり、封筒からゆらゆらとこぼれた真っ白い便せんがまたカモメに戻った。私はとうとうペンを置いた。

 2人とも私の方からフったんだからね。私はとてもモテたんだよ。なんせロックスターだからね。それだけの雰囲気なりオーラなり、なにかしらあったんだろうよ!

知らんけど……。


第75章『あるスゴイ人の言い分。』 

 

 行きつけのバーで隣に座っている人が有名人だと気付いた私は、酔いの勢いも手伝って声を掛けたのです。 

 あの……、 

 はい? 

皇極法師さん? 

あ、はい……。 

 彼はそう言うとすぐに私から目を逸らしました。 

いや、こんな形で実際にお会いできるなんて。光栄というか、迷惑というか……。 

 私は彼の表情を伺いながら言いました。彼はどんな人物なんだろう。そしてどんなタイミングでどう、私に応じるのだろう。 

 これまでも、皇極法師について私は、憶測も含めて色々お話してまいりました。でも私が実際に彼と会うのはこの時が初めてだったのです。何百年、何千年、何万年、いや、もっと……。人間の上に糊塗された厚い妄念を、これほど潔く、そして合理にも非合理にも一切抗わずさばいてみせた人はこの人をおいて他にはいないでしょう。私の店で働いている『今の子』の母親を名乗る女性からその名前を聞いた時も、私は彼女が、誰にも抗いようもない程の影響力と、その力を誰にもわからないような方法で行使する力を持ったナニモノかに従っている、ただそれだけで、実際の彼女はここにすらおらず、悲しんでも苦しんでも、喜んでも楽しんでもいないという、それはその時とまったく同じ印象を持ったのです。 

 あなたが、いろんな人を助け、また迷惑をかけているのは私も知っています。あなたは知恵を授けて、助けているつもりなんでしょうね? でもあなたはそうやって、いろんな人の、生きる上でアキレス腱の様に大切な様々な問題を……、そうですね……、私には解決しているというよりも有耶無耶にしている、治療しているというよりも全摘出している、そう見えてしょうがないのですが……。 

 このタイミングで皇極法師はまだ何も言いません。ただ何やら強そうなお酒の入ったグラスを手に持ったまま、小さく揺れているだけです。 

 人ってすぐに指を差すじゃないですか。コイツ、悪人!ってね。でもそれって、まるで大きなモノを無理矢理小さな結論に押し込めているだけで、全然的を射たモノじゃない、そうですよね? 

 その時初めて彼は少し私を見て、はい……と言いました。私は芸能人から返事をもらったようで、少し気分が良かったのです。そして続けました。 

 でも悪人は畢竟綿飴の様で、実にふんわりとしていて、大きく見えていても近づいてみれば、実態も曖昧で、その指差した先をずーっと手繰ってみればその悪人をすり抜けてまるで関係のないところを指差していた。それはまさに、誤解の特徴そのものだと気付いたのです。 

 悪があるなら、善も出せ! 

 ニセがあるなら、ホンマも出せ! 

                * 

 健全に生まれたにも関わらず、実の両親や親せきや兄弟から苛烈な虐待を受けて、誰にも心も開けず、誰とも話も出来ず、文字も読めず、ただ犯罪を繰り返した挙句人を殺めて、その事についてほんの少しの反省も出来ずに、最後は法に裁かれて死んだ人がいました。そんな彼の長くない人生のほんの少しの時間を、私は工場のライン作業のベルトコンベアの向かい合わせで過ごしたんです。彼は話し掛けても反応がなく、他の作業員から、「あの人、耳が聞こえないから、身振り手振りで話して」そう言われたのです。

 作業はパソコンの入った箱に『Pバンド』と呼ばれる帯状の紐をぐるっと巻き付けて圧着するという単純なモノでした。 

 ちょっと箱が曲がってるから、左に! とか、 

 箱がこっちにより過ぎてるから押しますよ! とか。 

 実際、うるさい工場内では話をするよりも身振り手振りの方が効率もいいんです。耳の聞こえない彼の身振り手振りはさすがにこなれていて、私は毎日、なるほど、なるほど、と彼のゼスチャーの妙に感心させられていたのです。 

 しかしほどなく、彼は工場をやめました。 

 その日もいつも通り、8時半から作業を始めて、1時間ほど経った頃でしょうか、突然彼がベルトコンベアを乗り越えて私の方に来たんです。あっという間に私はPバンドの内側に倒されて機械で縛られてしまったのです。そんな事が起きていても、工場って案外、誰も気づかないんですね。私はその後、彼に背中を何カ所も、刺されました。声も出ず、だたベルトコンベアは次の工程までリニアなスピードで私を縛り付けたまま流れていくんです。やがて血まみれの私が流れてきた事に気付いた女子作業員がベルトコンベアは緊急停止させたのです。彼はその時もういませんでした。 

 その間の恐らく数秒で、彼は私に、先に話した、彼が育った境遇を私に話して聞かせてくれたのです。 

 あなた様がいてもいなくても、私には何の影響も意味もない。 

だからせめてあなた様にとって、私が有意義な存在でありますように……。 

さようなら、あなた様。 

 うんうん、と、私は2回ほど頷いた気がします。走り去る彼の、人間らしく躍動する姿を見届けたのは、恐らく私1人だったでしょぅ。 

 なぜ、彼にあんな運命を与えたのです? そしてなぜ、彼にあんな知恵を授けたのですか? 

 皇極法師は何も言いません。 

 もしあの時死んでいたら、私は妻にも子供にも会えなかった。それを避けるために、あなたは彼を利用して、殺しそこなう風にあの知恵を授けたとでもいうのですか?そうして彼に確固とした道を与えて、最後は平等な法の下に導きだして、そこですべての彼の行動の結果を1つ、まるで褒美の様に与えてもらえるよう仕向けたというのですか? 

 いいえ、全然、ぜ~~んぜん! 

 急に大きく反り返った彼は笑いを含めて言いました。 

 だいいち、私はその場所にいなかったし、そんな話は初めて聞いた。私のせいだと、あなたは怒っている。助かったくせに。その事から多くを学んだくせに。ことはすべて忘れて、死んでもいないくせに死にかかった!とただその事だけで私の判断ミスを指摘している大きな誤解過ち勘違い! 

 私はとにかく、誰のためでもない判断をする事を常に義務付けられている。これがどれほど難しいか。わかりますか? 平等かどうかを、誰かの目線で判断する事はすべて大きな誤解過ち勘違い! 

 私は今も、冬寒くなるとその時の傷が疼くのですが、そのたびにあのバーの場所を思い出そうとするのですが、全く思い出せません。