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『いきてるきがする。』《第15部・冬》



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  第89章『遺品のメモ』

『司法取引だっていうんで、 ウン と言ったんだよ。そうしたらその一言が証拠になって、たちまち俺の死刑が確定しちまった。お前1人でやったんだな。だと?冗談じゃねー! お前が俺に やれ!と言ったんじゃねーかよ!』

遺品整理をしていたら、そんなメモをみつけてしまって……。

 どうしようかな、いまさら身内に知らせても手遅れだし、警察に見せても、何だか面倒な事になりそうだし。

 でもねぇ、このメモが明るみに見出れば、騙されて亡くなったっぽいこの人の面目も少しは保たれるかも知れないし……。

 だから私は今、世界でたった一人だけ、この些細な人権問題について試されているという事になる。結論を求められているのではない。この人はもう死んでいるのだから結論は出ている。私はただ試されているという事だ。辺りを見渡しても、それに注目していそうな神や仏は見当たらない。同僚2人は私だけを残して幸楽苑に昼飯を食いに行った。全くの私1人だ。外は外の御多分に漏れず、立ち枯れた様な冬の街路樹が不自然な等間隔で罪深く並んでいて、白いのか、黒いのか、キラキラとしてまるで判然としないバイクや車がその下を倦むでもなく、急くでもなく駄々通り過ぎる。それは悪も善も綯い交ぜで、その光景について強いて言うならばそれは、誰のせいでもなく、誰のモノでもなく、誰のためでもない。誰の興味も引かない、言わばただの『ゴミ』だ。

 私の浜銀銀行口座はもう何年も前に凍結されて手出しできないが、まあ多分、数千円しか残高もないので私だって痛くも痒くもないが、そういう口座の事を銀行業界では『ゴミ』と呼ぶらしいが、この人権問題も、神様業界では『ゴミ』と呼ばれているに違いない。最近はゼロエミッションだの、SDG’sだのと、環境の問題がやたらと声高に取りざたされるが、より深刻なゴミ問題があるとしたら、むしろこっちのほうだ。それを私はいきなりホイと渡されたのとだから、正直、迷惑以外の何物でもない。

 私はポケットの中でメモを揉み揉みしながら、そのうち読めなくならないかなぁ、そしたらこの弁当の空箱と一緒にコンビニのゴミ箱にダンプして、あ、しまった、捨てちゃった、と白々しい芝居をすれば幾らか罪の意識も薄まるだろうなどと考え始めていた。

 だいいち、これが本人のメモかどうかわからないじゃないか。

 でも何十年も本人以外誰も入っていないという実家のひきこもり部屋から出てきたこのメモを他人の書いたとするにはあまりにも無理があるようだし、それこそ筆跡鑑定なんてやられたら、これを本人が書いたという事を疑うせっかくの余地も壊滅する。

 シュレディンガーの猫……。私の悪人はもう決まってるのにそれが保留の状態で止まっている。

 そして私はやはり試されている。

 私は果たして、善人なんだろうか、悪人なんだろうか……。

 午後までにまだ30分ほどあったので、私は自分がこのメモと弁当箱を果たしてコンビニのゴミ箱に捨てるのか捨てないのかを見てみる事にした。コンビニには若いサラリーマンが数人レジの順番を待っていた。私は当然、自分がそのままゴミ箱に向かうのかと思いきやなぜか店に入った。しかしこれには驚かない。これは私がたまに発動する『良心の呵責』で、エレベータのボタンを押す時、手をグにして中指で突っつくように素早く押したり、電車やバスのつり革を出来るだけ小さくく掴むのと同じで、私は不潔です。でも触ってスミマセンという『良心の呵責』。これだろう。何も買わないでただ捨てる事への配慮としてのフェイク行為だとしたら、私はやはり捨てる気でいるらしい。 

 

 次に雑誌コーナーで立ち止まった。そしてあろうことか私は空の弁当箱を持ったまま本を取ろうとした。タルタルソースが付着したら、その本を買わなければならないだろ。と訝しく見ていると、

 それなら買わされてもいい本を触ろう。ってなんだお前、それでも触るかよ! とこれには少し驚いた。全ての商品についてただの便利屋で専門店ではないという、コンビニに対する侮蔑が垣間見えた。もしこれが本屋だったら絶対にやらないだろう。私はバイク雑誌を手に取り、邪魔だから買う前にまずゴミを捨てようとして慌てて立ち止まった。このまま店を出ると、その瞬間に万引きが成立してしまう事に気付いたからだ。

 アブねぇ! と冷や汗をかいている。自分がこんな些細な犯罪にすらこんなにも潔癖症であるとは知らなかった。これには驚いた。こうして未確認な己の出自が次々と明らかになる中、このメモを書いた人がもし私の様なら、突然『死刑』なんて言う、ド不潔で巨大な悪の毒壺に突き落とされ、グイグイと首を推し沈められてやがて窒息死したのかと思うと少し気の毒になった。

 私は空の弁当箱とメモを持ったまま列に並び、持ったまま会計を済ませた。袋は? とも、ゴミ預かりましょうか?とも訊かれなかった。

 買いはしたが私にバイクを買う予定もお金も覚悟もなく、もはやそんなに欲しくもなかった。私が欲しいのは、無限の愛だけ。

 そう、無限の愛……。

 無限の愛はすべてを救うのだと信じている。それはどんな人にもその一端が必ず向けられていて、それに縋る事に対して、誰も警戒も躊躇も遠慮もすべきではないと考えている。限りある命に感謝する事は間違っている。命は時に残酷だ。苦しむために、バカにされるためだけに生まれてきたような命は、実際にたくさんいるじゃないか。

 コンビニを出ようとした時、同僚2人と鉢合わせた。

「お前、事業ゴミをコンビニのゴミ箱に捨てるなよ。文句出ちゃうからさ。そうしたら次から他のコンビニでも捨てられなくなるだろ」

 このバカなパラドックスに私は一切反応する必要はない。ただ……、

 街路樹やキラキラと光る車やバイクが私に優しくも冷たくもないのは、ひょっとしてこれこそが無限の愛だからかもしれないと思った。私の頭の中では、いつか死んだ、或いは、いつか死ぬ。という遠い記憶が常にガラガラと鈴の様に鳴り響いていて、私はその都度何かを考えているようでいて実際はその音を聴いているだけなのかもしれないし、それだけが正しいのかもしれないし、それしかできないのかもしれない。だからこの人も決して気の毒な人ではない。

 生きる事そのものにもともと特別な意味はなく、ただ無限の愛を感受するため金魚掬いのポイの様に渡されて、金魚を狙ったぞ!掬ったぞ!というあらたかな記憶だけが立ち枯れた様な街路樹やキラキラと光る車やバイクの中に永遠に閉じ込められて、時間はその永遠以外に何も保証しない。

 そして私は勢いよく捨てた。    


  第88章『縛られ日記』

 これ、日記でいいんですよね?

私が何をやるとか、やらないとか、そんな事ぐらいで、いいんですよね?ホントに。

 えっと……、じゃあ、始めます。

 あの大きな分岐点からあなたにはどれぐらいの時間が経っているのか私には知る由もありませんが、私は今、自分がほどなく、事象の中に融解してしまおうとしているのを、必死に食い止めようとしている状態なのです。

 あぁ、そうですよ。これは日記ですからね。パーソナルな。だから誰が見てもわかる様な事を書いたりしませんからね。あなたがここで、私に面と向かって座っていると仮定して、そしてあなたがあらかた私の事情を知っていると仮定して、それでも絶対にあなたにはわからないような出来事について、今から書くつもりですよ。

             *

 君は僕が今どれぐらい『努力』をしあぐねているかわかるまい。

毎日、君は飯を食ったりトイレに行ったりして、それ相応の時間を過ごしている事だろう。そして、それに付随した様々な行動を組み合わせて、さも上手くいってる、心と身体のバランスが良く取れていると、無意識な充実感に満たされているに違いない。でもそれは決して当たり前の事ではない。まったく考えてもみないのか? 自分が転びそうになった時、小さな何者かが、自分の足の裏で、うんと踏ん張ってそうならないようにさせたり、運転中に眠くて仕方がなくなった時に、わざとエロティックな想像をさせて眠らせないようにさせたりと。そいつの目的はなんだ?そいつの正体はなんなんだ? とは。

 

 私は自分が1人ごちた気付き、いるはずもない誰かの目を気にして、夜中の2時にきょろきょろと部屋の中を見回した。

それもこれも、昨日の何気ない質問が影響しているに間違いない。

 どうだい?もしも、もしね。この店に、もう1人アルバイト君が入るとしたら、君はどんな子がいい?

 私はそれとなく、『今の子』に訊いてみました。すると彼は、

 そうですねえ……、僕は正直、あまり人と会話するのが得意じゃないから、もしもう一人はいるなら、そういうの得意な子がいいですね。そうしたら、接客は全部その子に任せちゃいます。それで、僕は淡々と商品整理と金魚の水槽を掃除して過ごします。

 ははは、なるほどね。

 私は後ろ手に縛られています。あとはその、新しく入るアルバイト君を、どう構築するか。その子がもし、かつての『昔の子』であれば、私のこんな姿に、どうしたんですか?! と驚きの声を上げて私の手を縛っているロープを解いてくれるに違いありません。私達は、これまでも、これからもずっと仲良くやってきたし、やっていくはずですから。

 じつはね、君と一緒に、もう1人アルバイト君が、いた事はいたんだよ。 私は『今の子』にそう言いました。彼は、へぇ、と少し驚いた様子を見せました。私は、

 私達の記憶はさ、とても曖昧な物で、なんの証明にも証拠にもならないよね。ただ、個人的に、そういう印象を持った、という事に過ぎない。それがいくら具体的な記憶でもね。確かに見たんだ、確かに聞いたんだ、確かに触れたんだ、と幾ら声高に叫んでみても、誰もピンとこない。大概の幽霊や宇宙人がそれさ。

 ん~~~。

 じつはいたんだよ。もう1人、アルバイト君が。私は自らを落ち着かせるために、出来るだけ穏やかにそう言いました。

 それは、『昔の子』と言ってね。君と2人でこの店に来て、2人同時に働き始めたんだ。

ん、ん、ん、ん、ん。

 え?なぜ?いいんですよね、日記で、これは日記ですから。

 こういう形であなたがいつも中途半端に終わらせるから、人間はずっと一人の中に閉じこもって、出会いとか別れとか、生きるとか死ぬとか、そういうモノを、絶対に逃れられない事だと諦めてしまうのです。あなたがそうまでして必死に守ろうとしているそれは一体、何なのですか?

 私は続けます。

 その『昔の子』は、戦時中に、自分は餓死してしまったと、そう言ったんだよ。君は戦争の後に生まれたけど、彼は不幸な事に、戦争中の子供として生を受けてしまった。彼は小さな体で必死に生きようとしたけど、結局子供として死んだ。でも彼はその自分の記憶を、曖昧なモノとして、つまりちゃんとした形で理解しようとしていた。それが出来る場所を探しているうちに、同じ様な場所を彷徨っていた君と出会ったんだろうと、私は想像している。

 私が事象の中に融解してしまう事に必死に抵抗しているのは何も自分をこの世界に自分の記憶媒体として生き永らえさせたいためじゃない。この世界はウソじゃないけど、唯一の本当というわけでもないんだよ。じゃあ君は、記憶を捏造できると、本当に思うかい?

 材料も何もないところで、何か料理が作れると本気でそう思うのかい?

『昔の子』は、もういいんですよね。もう、ああすればよかった、こうすればよかったって考えなくてもすむようになったんですよね。俺達、そう言ってどこかの世界に向かっていった。そこに辿り着いたのか、まだ彷徨っているのか……。

 いや、残酷な事だが、彼に彷徨う事は許されないんだよ。『昔の子』と、私が彼を呼び続ける限りそれは不可能なんだ。それは誰も同じ、我々は、必ず固定されて彷徨う事はない。男、女、その他にも、我々は自分を離れて何かと何かの間を彷徨う事は許されないんだよ。トランスジェンダーの苦しみは、なにも社会的な弱者だからとか少数派だからとか、様々な権利の取得が困難だという事だけじゃない。我々はみな、彷徨えない事を苦しんでいる。それは同じ、おなじなんだ。

 だから理解できるはずなんだ。いや、もう理解しているはずなんだよ。それを出来なくしているのはこの固定。時間や空間の、せっかく持ち合わせた曖昧さを断固拒否しようとする何者かによる悪辣な固定。

あなたがそうまでして必死に守ろうとしているそれは一体……。

           

 なぜか、私の日記はここで終わってしまっているんですよ。


       第87章『冬至』

 風呂の時間が少しずつ長くなっている。それにつれて鼻まで湯に沈めて息を止めている時間も長くなっている。私は昔からそうして時間を正確に測ろうとする癖があります。きっと私の時間の単位はではなくて、この『息苦しさ』なのでしょう。

 私のせいで『昔の子』は消えました。それはどう考えても私のせいなのです。彼は私に、「もういいんですよね。もう、ああすればよかった、こうすればよかったって考えなくてもすむようになったんですよね。俺達」と言いました。彼のこの言葉は幾様にも解釈でき、謎も多いのですが私は一番単純に、彼がたくさんの可能性の中から自分の好きな一つを選ぶことを選んだ、と解釈しているのです。しかしそれはめちゃくちゃ難しい事で、今まで自発的に出来た人間は恐らく一人もいないでしょう。私はやめろと言うべきだったかもしれない。彼のためにも、私のためにも……。

 そんな難しい事、私に訊いたってわかるわけないじゃないか。私の店はもうない。道祖神も36歳の金魚2匹も消え、そして私はまた、いつか玄関の隅に不思議な抜け穴をみつけた時と同じ様にただの運転手として立ち止まったままでいる。あの時、私は消えてしまおうとしていたんだっけ……。ふと見ると、店のあった空き地には枯れ草がふわふわと地球の産毛の様に往生際悪く揺れている。産毛なんて、お前はもう、いないんだよ。そしていつの間にか訪れた冬が、私に彼と同じ選択を強いている。仕方がない、しばし、目を移そう……。

                   *

 一般に『夢を見る』というと、寝ている間の脳の活動により生じた反射作用を覚醒時の事象に当てはめ時系列に表現したモノをさすのだが、私とある一部の若者は、自分の将来やその可能性をさしていうようです。いえ、私は別に自分が若者と同じイキイキとした感性をこの年まで保持し続けていると自慢しているわけじゃないのです。それはむしろ逆で、若者の中にある薄気味悪い未発達な能力が、私にもまだ未発達なまま残っていてそれが日々事ある毎に往生際悪くイタズラをしてくる事を愚痴っているのです。

 私は未だに自分の現実と妄想をうまく分別できません。だって、妄想は常に自分の中にあるにもかかわらず、現実はそれを一切認めようとせず、もし披歴しようものなら俄然、手のひらを返したように我が物顔でその理念や創造に口やかましくリンクしてきやがるし、ではと口を開いてなにか発言しようものなら、今度はいきなりヘラヘラと腰を折って、自信なさそうにしてその妄想に場所を譲るのです。

 わかります? 簡単に言えば、「腹減った!」といえば現実はその方向に動くのです

 おかげで私は、自由気ままに、どんなバカバカしい妄想にもそれと気付かず突進してしまう事になるのです。それが楽しいか、理想的かというと決してそんな事はなく、実際は冷や冷やの連続で、明日にも何か重大なミスを犯して家族を路頭に迷わせるかもしれないという恐怖と戦い続けなければならなくなるのです。これは恐らく、若者のそれとは正反対の、未発達ゆえに動けなくなっている、恐らくは誰よりも老衰した姿と言えるんじゃないかと思うのです。

 目を戻します。

 私はもう一度、『昔の子』を探し出して、一瞬であの店を復活させようと目論んでいるのかもしれませんよ。かも知れない、と含みを持たすのは、私がまだ、昔の子と同じ選択を出来切れていない証拠です。

 私は自分の時間など1秒もありません。しかし時間は必要ありません。ただ私が彼に対して心の真正面から一言、『昔の子』と呼べばそれでいいはずなのです。それが唯一私が私の中の薄気味悪い未発達な部分を有効に使える方法だと思うのです。そしてどこかにいるはずの、迷いなく何かに取り組んでいるはずの昔の子を、またうちの店で『昔の子』として働かせるために引っ張り戻す、そのために私はありとあらゆる工夫と努力をしようと思っているのです。

もういいんですよね。もう、ああすればよかった、こうすればよかったって考えなくてもすむようになったんですよね。俺達」と、『昔の子』は言ったのですから、私もそれと同じ事を言わなければなりません。ただし、全く別の言葉で。

 暗くなる目の前を救命ボートが通り過ぎたのは一個の『柚子』でした。湯船に浮かんだ柚子の淡い黄色が私の様子を伺いに来たようでした。

 今日は冬至でした。もう少しでクリスマス、そして正月。なんとも、これの何処が現実だと言えるのでしょう。私はこの混沌をうまく利用して、自分の現実と妄想を、サッと入れ替えて、またいつか、誰も思いもよらない様な別の方法できっと、『昔の子』を見つけ出し、36歳の金魚2匹の住む水槽を掃除する『今の子』を呼び戻したいと思っているのです。

 立ち上がると少し眩暈がしました。こんな事をしているといつか本当に、妄想の中に落ち込んで出られなくなってしまうかも知れませんね。

 もうしばらく、判り難いです。ザラザラします。私だって頑張って手探っていますから、ぜひしばし、ご辛抱を。