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『いきてるきがする。』《第16部・春》




       第90章『無言の約束』

 突然のパソコンの絶命にずいぶんと時間が空いてしまいました。その間も、『今』は遠慮も配慮も忖度も容赦もなく突き進み、本当ならもっともっと、春に纏わる面白い話題をどんどんと上げて、やや停滞気味のこのお話の熱量を上げていこうと勇んでいたのに、気付けば季節はもう春というより梅雨、今日などは初夏に近い。

 駄目だねそんなんじゃ、もっと何事もスッと、目から鼻に抜けるようじゃなきゃ。本当に駄目だよ……。

 ご存じの通り、私は日々、こうしてある事ない事を、さもある事のように認めながら、実際の生活と架空の生活の際に立って、その薄っぺらい垣根を、葦簀を押すようにゆらゆらと押してみたり、隙間から向こうを覗き見たりながら暮らしているわけなんですが、先日、

 思いもよらない便りをいただいたのです。

 それは手紙とか電話ではなく、『無言の便り』でした。便りとはその受けた瞬間に、これまでの日常やら常識がガラリと変わってしまう事の総称を言うのだろうと、私は昔からそう解釈しているのですが、私はその便りにより、自分がこんなにもその事を楽しみにしていたという事を知る事が出来たのです。

 店のあった場所は今はすっかり整備されて、今秋にはドラッグストアが建つそうですよ。重機がわちゃわちゃと土をこねくっているのを見ていると、あぁ、結構広い土地で商売やってたんだなぁ、と他人事のように感じます。今は、もうそれだけですね。

 まあ、頑張ったんですけどね……、なにかが途切れる時とはきっとこんなモンなのでしょう。涙も出ません。後は、また何かが、どこからか、私を招き入れる大きな扉のような、頼もしい便りが届くのを待つ。待つともなく待つ。それしかない、という事なんでしょうね。たぶん。

 だが困ったことに、『今の子』にはまだその事実を説明を出来ていないのです。きっと今も、店の掃除をしたり、金魚の世話をしたりしていると思います。

「最近、誰も来ませんねぇ」って君、そりゃそうだよ。そういう事なんだよ。でも厄介なのは、それは『今の子』には時間の経過がない事に起因している事。だから、昨日は誰も来ず、今日も誰も来ず、きっと明日も誰も来ない、という『無言の便り』が、どうしても届かないのです。毎日せっせと店を整えて、私が適当に描いた絵の新作Tシャツを、ああでもない、こうでもないと、できるだけ見栄えよく陳列しようと工夫しているであろう姿などはもう、見ていて居た堪れないのです。

 初めに自分には時間の経過がない事に気づいたのは『昔の子』の方でした。『昔の子』店の食品部門を担当してくれていて、妻の焼いたパンなどを店に運んで、見栄えよく陳列して、ポップを書いたりしてくれていました。またそのポップが独特で面白いと、近所の会社のOLさん達にも人気があったのです。

『独産燻製畜肉の薄切りをメリケン粉による膨らし煎餅にて挟み候。』や、

『秘伝。仏産薄皮餅の重層焼きのチョッコレイト包みにて候』など。

 彼は少しもふざけてなんていませんでしたよ。ただ、自分を『今』に合わせて必死に体を動かしていた、考えていた。しかし、戦中に餓死したと思われる少年の魂から洩れ来る現実は、周りには面白可笑しく感じられたのでしょうね。たぶん。

 何事にも真面目な『昔の子』はそんな周りの反応に少しずつ違和感を感じていたようなのです。まあ、これは私の観察からそう思うだけなんですが、なんか、違うな……。初めはそんな感じだったのかもしれません。だがそれが次第に大きくなっていった。そして、

もういいんですよね。もう、ああすればよかった、こうすればよかったって考えなくてもすむようになったんですよね。俺達」

と、大悟を得たような謎の言葉を残して、彼は忽然と私の目の前からいなくなったのです。おそらくは自分に時間の経過がない事を悟った彼は、無限の『今』から、時間の激流の中に身を投じたのだと思うのです。

 それから私は必死に、道を歩いている人や、うちに来る客の中に彼の面影を探しては、話し掛けたり、因縁をつけたりして、必死に引き寄せようとしました。だって、もし彼が時間の流れのどこかにいるのならば、会えるかもしれないじゃないですか? 私だって別にやりたくてやっていたわけではありませんよ。そんなのまるで変態かチンピラじゃないですか。でもこれは間違いないと、確信を持てた時だけ、勇気を出してやっていたのです。何時かの老人などは絶対に『昔の子』だったと、今もそれは確信しています。ただ私にはそれを押し切る力がなかった。

 中には、

「つまりその『昔の子』とやらが突然いなくなったのは、あなたの勝手で弱気な想像なんでしょう?」

と思う方もいらっしゃるでしょう。だと思いました。思いましたので、これで二度目三度目になるかと思いますが、これまでの経過について簡単に説明させていただく事にします。

               *

 私のこの創作の中には私よりも前からこの『昔の子』『今の子』という2人の道祖神がいて、彼らは突然、私に向かって2人の少年へと変化したのです。ところで、

 この中に、夢を自由自在にみられるって人、いますか??

 私はできません。2人はその、私の自由にならない領域に突然飛び込んできて、私に『この店で働かせてください』と言ったのです。

 これはわかりますよね。簡単です。つまりそういう夢を見たという、ただそれだけの事です。ただ、両膝を壊し、職を失い、手術・入院を繰り返し、リハビリにも生活にも全く目途が立っていなかった私にとってそれは願ったり叶ったり。私はすぐに店を用意してそれを快諾しました。そうして私のこの店はスタートしたのです。それはただただ、ネット上で、エックスサーバーの枠を借りて、委託販売を始めたのとは違うのです。私にはそんな意思は、神に誓って、始めからではなかったのです。

 まあ、神に誓われてもね。パッとしませんわ。ですよね。神って、等しく誰にとっても駄々えらいだけ、偉そうなだけの存在で、いったいどんな能力で、実生活のどの部分を、どういうふうに支えておられるのか、ピンと来ている人は世界に恐らく一人も否だろうなと、私個人は考えているほどです。 ところで、

 この中に、自分と他人の区別がつく人は、います?

 私はつきません。『自分以外は他人、他人以外は自分』というこの分別にも理解することはありません。私は他人がいないと、何も考える事も、しゃべる事はもちろん、なにか行動する事も一切なかったと思います。    

私は自分が他人によって形づけられていることを微塵も疑いません。つまり私は他人が脱ぎ捨てた抜け殻の形をしているのです。だから、自分の自由意志なんてものは初めから信用していません。 ところで、

 この中に、約束をしない人、またはしたことがない人は、います?

 私はありません。というよりも、する事が出来ません。もし誰かが私にウソをついたとしたら、または私がウソをつかれたにしても、その瞬間にそのウソは私やあなたにとっての真実へと変わるからです。

『今の子』『昔の子』も、ずっとこんな、寂しい状態でいたのか、いるのか、と思うと、やりきれないですね。

 なに、このくだらない話はもうすぐに終わります。つまり、私は花見の約束を反故にされた事を言っているのです。

 暖かくなったら、ぜひ、やろうぜ! 花見。と言っていたのに、今年の桜はあんなに長く咲いていたのに、それでも一日も、メンツの都合が合わなかったなんて考えられません。これは、私以外の全員が花見をしなかった事によるのです。私はそうして、『無言の便り』を受け取ったのです。もう、桜など、どこにも咲いていません。

東北に行け? 北海道に行け? どこからそんな金が出る?

               *

 もうすぐ、ゴールデンウィークか……。私はね、これら無限の無言の中に、いったいどれぐらいの約束が含まれているのかと思うと、ぞっとする反面、なんだかワクワクするのです。

 来年とか、再来年とか、いいね。それがどれぐらい無言の約束に満ちていることか。そしてそんな事がどれぐらい世の中を幸せにしている事か……。

『今』の所在が様々な皆様へ、久々なので、私がちょっとだけ切り取って報告すると、

 ウクライナの存続は決まりました。日本は世界から強面を期待され、必死に強がってます。アメリカは相変わらず。人口の移動は止まりません。温暖化も進んでいます。人間は増えて野生生物は減っています。もはや誰もそれを危惧しません。言い訳を考えるのに疲れたのでしょう。

 ある意味、健全な世の中です。