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『いきてるきがする。』《第5部 夏》


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 第37章(ご内聞に)

 町を歩いていて、あぁ、世の中とまだもう少しだけ繋がっているなと感じられるポイントは3つ。 


1.公園の水飲み場に張られた『使用禁止』の黄色いテープ。 

2.コンビニの袋にまとめられた白いボール状の生活ゴミ。

3.盗難防止の紐が付いている消毒剤。 


ですかね。 ご覧になってすぐわかると思いますが、これら3つはすべて異常です。私はこういう異常を見るとホッとするようです。停滞とは淀みの事です。動かなければなりません。異常と正常では圧倒的に異常の方が流動的でアクティヴですから。こんな状態、絶対長く続くはずがありません。 

『犬を連れ込んではいけません!』 『キャッチボール禁止!!』 

 おいおい!なんだそりゃ? 犬の散歩もキャッチボールもできない公園なんて何の意味があんだよ。 だいたい公園の木ってのは、野球のボールが引っ掛かったり、犬がションベンかけるためにわざわざ植えられているんじゃないのか?  

 違うのか? じゃあ何のためなんだ? 大気に酸素を供給するため? ほぉ~、御大層な!猫の額ほどの公園がまるでアマゾン気取りだな。 

 なに! それも違うのか?じゃあ何のためだ? マジわかんねーわ。何で??

 あぁ、ホントはよくわかってるよ。あれだろ?『癒し』 だろ? まったく、ふたことめには念仏みたいに 癒し、癒し、言いやがって。お前らが癒されなきゃならない理由がどこにあるんだ? お国が戦争しているわけでもなし、爆弾が落っこってくる心配もしないで口開けてガーガー寝ていられるんだから、毎日遊んでるようなモンじゃねーかよ! 

 それをテキトーに木を植えりゃアホみたいに群がりやがって、あぁ癒された!自然、最高! 平和、最高!! って、バカか? 木と平和に何の関係があるんだよ……。 

 平和なんてな、戦争の海に浮かんだ小舟みたいのモンなんだよ。2発も原爆落とされてまだ気付いてねーのかよ! こりゃたまらん!平和も神もねぇ、ってさすがに気付いただろ? その通り!あるのは自然だけだ。どこまで行っても自然だけ。不自然なんてどこにもありゃしねーんだよ! 

 しかし賢い人間は先の戦争で大いに学んだんだとよ。それで大いに成長したんだとよ。その結果、へーわ、なんて成分のわからない錠剤こしらえて、とにかく飲め!と、地雷の様に世界中にばら撒いたんだね。飲まん奴はしね!とね。大概の人間はそれを何も疑わずにパクっと飲んだ。そうしたらだんだん笑いが止まらなくなってくる。 

 ハハハハハハハッ!ってな、指2本立ててピースピース!だってよ、ありゃ完全に副反応だよ。

そんなシャブ中野郎が「いきてるって素晴らしい!!」だと?そういう愚にもつかない妄想が、徹底的に自然を無視するように人間を仕向けてるんだ。そして手前勝手な不自然なだけの地球環境を守ろうとか、あらゆる生き物と共存しようとか、100年後の子供たちに最高の環境を残してやろう!とかね。完全にイカれてる。 

 そしてそういう傲慢な考え方が正義・正論として崇められる様になると、またそれが全ての戦争の原因となるんだよ。 何回繰り返すんだよ。そんな『よてーちょーわ』をよ!


 この島にもかつて『日本人』って民族がいたさ。絶滅したけどね。今はかつて日本人住んでいた列島に日本人の亡骸を肥やしに繁茂した雑草が生い茂るだけの耕作放置地だよ。でもそれでよかったのかもな。それが自然だよ。 


 いえいえ、なかなかそこまでは落ちぶれてはいないでしょ。 

 だって君、あの公園のメッセージにしたって、別に私に向けられたモノでも君に向けられたモノでもないだろ。誰の健康を気遣ったモノでもない。詭弁だよ。今の平和はすべてあれと一緒だよ、責任逃れ、詭弁だ。 

 そして世界はいつでも消えられるように粛々とその準備だけを整えているんだ。すべての創意工夫はそのためだって訳さ。風が気持ちいいだって?夕日が美しいだって? ハハハ、噴飯モノだ。何か言えるのかい? 

そんな悲観的な、ハハハ……。

                   *

 店から、万引き犯を捕まえた、と言う連絡があり店に向かっているところです。全然売れない店にも、万引き犯はちゃんとくるんだなぁと私は、いったいどんな奴だろうと、むしろワクワクして歩いていました。 

 公園の木々は初夏の装いを見せ始めています。夏が近づくにつれ、緑はますます濃く険しく、真剣なまなざしに変ってくるようです。それを見て私は毎年、木々が決して夏を歓迎していないのを感じるのです。 

 店にいたのは、老人男性でした。売り物の椅子に腰かけて、売り物のマグカップを一つ手に持っていました。 

 いらっしゃいませ。私が言うと老人は、あぁ、こんにちは。そう言ってにっこりと笑いました。私が、この人? と目配せすると、今の子は、この人です。と目配せを返してきました。  


 夏の木々がやろうとしている事の本当の意味はいったい何なのでしょう。ただやみくもに地を覆い尽くして生存競争に明け暮れた挙句、やがて窒息して滅びてしまう事なのでしょうか。 

 それともセミやカブトムシに居場所を提供して、彼らを神のよう優しく守る事でしょうか。しかし彼らの口はもともと樹液を飲む仕組みにしかなっていませんから別段感謝する気はないようです。我々だってそうでしょ? 

 誰が、火山や雷や台風にいちいち感謝します? 

 そして木々は自らの存在を疎ましく思いながら、誰がこんな苦しい事をさせるんだ? と詮無い事を呟き、身をよじっては枝を伸ばし、濃緑の葉で全身を覆い日の光を避けながら、それでも日の光がないと生きていけない自らの存在の矛盾に苛立ちつつ、煩悶懊悩を繰り返しながらも、結局小さな生き物を守るという目的のために自分が生かされていて、そのために全生命を費やしている事には最後まで気づかずに、やがてにそっと枯れ果てるのですよ。 

 たとえばね……、 私は老人に言いました。

 たとえば、お互いがお互いの背景になっているとしたら、それは矛盾でしょうか? 

 あぁ、そうだね、あぁ、そういう言い方も、あるかもしれないね。老人は深く頷きます。

 やっぱり、この人だ……。 

 その瞬間、私の指先に、生きたままザリガニの腰を毟った時の、ブリッとした感覚が蘇りました。 

 まだ、セミは鳴いていないようですね。私が言うとその老人は、まだもう少し早いようですね、と言います。 

やっぱり、間違いない。あの時の人だ。

  そして私の耳に、セミの羽根を毟った時の断末魔の声が蘇りました。 

 子供の残酷さは『愛着』によるモノだと以前ここで書いたことがあります。『愛着』『愛情』の様に思いやりや信頼の内に留まる事はありません。そしてすべての感覚を完全に支配してしまいます。私も子供の頃、自分が心底残酷な人間だという事を知りました。それは怒られたからです。田圃でザリガニを捕まえては、それをそのまま道路に投げると、ヨチヨチと田圃に戻ろうと歩くザリガニを砂利を積んだダンプカーがグシャッと潰していくのです。 

 そんな時、私はホッとするんです。 得も言われぬ歓喜が心の底から湧き上がるようでした。皆さんはきっと 他の大人と同じように『可哀そうだろ!』と子供の私を叱るはずです。 それを可哀そうだと思わないような奴は『人間失格』だという事です。つまり私は『人間失格』だという事です。 それならそれでいいでしょう。

 でも私はね、ザリガニの一生の役割がそこで終わるなんて少しも思ってはいなかったんです。何かをするという事は何かを殺すという事に他ならない。私はただそれをやっただけ。現に今、私はあの、唯一無二の、グシャッ、というザリガニが潰れる音を、羽根をもがれた激痛と絶望に上げたセミの断末魔の叫びを思い出しています。それ考えながら文章を書いています。もしあの経験が無かったら、私はこんな文章は書けなかったでしょう。何もせずに生き続けるのは不可能なのと同じ意味で、何も殺さずに生きる事は不可能という事です。

つまり生きる事は殺す事なんです。 

 だから私は、出来るなら一秒も欠かさずにザリガニを殺し続けたいほどでした。もっともっと幸せになりたかったのかもしれません。もっともっと楽しく生きたかったのかもしれません。或いは私は、ザリガニもセミも全部食べてしまえばよかったのでしょうか? いいえ、それは違います。それこそ詭弁です。よりよく生きようとする純粋な思いはきっと純粋な『愛着』によってしか醸成されません。純粋なまま大人にはなれないのはそういう事です。 

 常に生きているモノのために、常に死に続けるモノがいるのは誰でもわかっているはずです。その逆も然り。水が流れ続けるのと同じです。地面の傾斜を悪魔と罵っても仕方ありません。神だと崇めても仕方ありません。しかし流れない水はやがて腐ります。ひょっとして、人の心が腐敗に向かうのを、子供の私は看過できなかったのかもしれませんよ。それが証拠に、昔から私は、真っ平に静まった田圃や湖にアベコベに映る全世界の無責任さを忌み嫌い恐怖していました。あんな巧妙なウソもないモノです。 

 でもどうしても、そのために我々に出来る事があるとしたら……。 

 いなくなることでしょうね……。 

 そう言って老人は笑います。 

 つまり、あなたはその事を私に伝えたかったんですね?

 その人はあの時と同じ顔で優しく笑いました。 

 だって……。じゃあなんで、可哀想だろ! って大声で叱ってくれなかったんです? 

 ん……、老人は少し寂しそうに俯きました。そして、 

 あの時、私はもうそういう良し悪しの外にいたんだよ、 

と言いました。 

 一切の良し悪しの外、つまりすべて良し悪しを自分で決めなければならない存在に、なりかかっていたんだね。 

 ちょっとわかりにくいんですけど、それは死ぬ事を言ってます? 

 いや、そうじゃない。死んではいないけど、いろんな物事が、全く平等に、同じ速さで目の前に現れて、ゆっくりと提示される。そうなるとなかなか良し悪しの判断が難しい。 

 ん、どういう事でしょう? 

 貴方の命と、セミの命と、ザリガニの命が、全く同じに目の前に提示されたら、誰を優先しますか?もし貴方と言うのなら、私は貴方を怒鳴ってはいけません。もし、セミと言うのなら、私は貴方の両腕を毟るしかありません。もしザリガニのと言うのなら、私は貴方を轢き殺すしかありません。そうやって、すべての後ろには無限の結果が続き永遠に広がっていくのですから、私はただ見ているしかありません。それはまさにさっきあなたが仰った、お互いがお互いの背景になっていると言えますね。 ハハハ……。 

 私は、間違いを犯したのでしょうか? 

 もし間違いを犯したのなら、蝉も、ザリガニもそういういう事になるでしょう。そこにいた私も。しかし私はもうその誰の立場で判断できなくなりかけていたんですよ。 

           


 すみません。そう言って一人の女性が入ってきました。 

 飲み物を買いにちょっと目を離した隙に、すみませんでした。なにか、壊しませんでした? あら、なに持ってるの!ちゃんとお返しして! 

 女性は慣れた手つきで老人の手からマグカップを毟り取ってテーブルに戻しました。 すみません、今後は十分に気を付けますので、あの……、苑には、この事は、ご内聞にお願いしたいんですけど……。 

 あぁ、わかりました。何もなかったですから、だいじょうぶですよ。 

 ありがとうございます。 

 老人と女性は一緒に店を出ていきました。出る時、老人が私に振り向いて小さく会釈しました。私も会釈を返しました。あの時と、同じ顔で。 

 ボケちゃうと、大変ですね。 と今の子が言いました。 

 そうだね、ボケたくないね。 私は言いました。 

 わからなくなるんですね。 昔の子が言いました。 

 どっちだろうね。全てわかっているのかもしれないよ。

 私が言うと、今の子昔の子も、キョトンしてしまいました。私のいう事がわからなかった、のではないでしょう。 

 多分、『何を当たり前な事を言ってるんですか?』 

 という意味の、キョトン、でしょう。 


第38章(コロナでしょうか?)

     

 どうも元気がないと思ったら熱が38度もあり、すぐに病院に行けと言ったのですが行かなかったようです。今の子にはそういう強情なところがあるようです。 

 そしてその夜、昔の子から今の子が倒れたと連絡があり、私は急いで店に赴きました。今の子はぐったりと床に横たわったままで、名前を呼んでも返事が曖昧でした。私はすぐに救急車を呼びました。今の子は朦朧としながらも、嫌だ、嫌だ、と繰り返すその理由の一つに、私は思い当たる節がありましたありましたが……。 

 そんなこと言ったって仕方がないじゃないか。 

 救急隊員に今の子の名前や住所や、私との関係を訊かれた私は、あの母親に連絡を取るしかなかったのです。 

 私だって気が重かったです。今の子が置かれている環境に問題がある思った私は、連れて帰るという母親に、今の子を渡さなかった経緯があるからです。 

 ほら、きっとこうなると思ってました。だからあなたなんかに任せたくなかったんです! きっとそう言われると思ったのですが、電話に出た母親は殊の外冷静に、わかりました、すぐ行きます。と言って電話を切りました。 

 母親が病院に現れた時には今の子の状態は幾分落ち着いていました。 

『○○君』と名前を呼び掛ける母親に今の子は、ん……、と言って目を瞑りました。そして小さな鼾をかき始めました。 

 コロナでしょうか? 

 そう言いながらも、母親は私には一瞥もくれません。

 

 私は母親のこういう態度の隅々にまであの見知らぬ人間の影響を見ないわけにはいかないのです。 

皇極法師。 

  この母親はまだ洗脳されたままなのでしょうか。 

  頭痛い? 喉、乾いてない? 

 母親は優しい声でそう訊ねました。今の子は何も答えません。 

 先生、コロナじゃないでしょうか? 

 母親は医者にもそう訊ねます。私は医者を見ました。こういう場合、一体医者がどんな説明をするのか、私はとても興味がありました。医者は、 

 そんな事わかるもんですか、 そう言いました。母親はキョトンとしています。 

 え?検査したり、いろいろ調べればわかるじゃないですか? 

 うんうん、そうやってね、あなたはまだまだ胡麻化そうとする。騙され続けようとするんですね。

 私は医者のこの言葉の意味に、この時は気付けなかったのです。コロナじゃないと思い込もうとしている事を、やや厳しめに指摘しているのだろうとか、そんな風にして、実際に目の前に起きている事を胡麻化そうとしていたのです。

何を言ってるんです先生。揶揄ってらっしゃるんですか?

じゃあね……、そう言うと医者は椅子を回して母親に向きます。 

じゃあ坂本龍馬はコロナですか? ナポレオンは? 

 母親はさらにキョトンとします。 

ツタンカーメンは? キリストは? 

あの……、仰ってる意味が、よくわかりません。 

 いいえ、あなたはわかってらっしゃる。わかっていてわざとわからないふりをしている。たまにいるんです。そういう方、特に親御さんにね。 

 あ、先生、それについてはいいんです。答えていただかなくてもいいです。 

 私はたまらずに割って入りました。詳細はまだわかりません。ただまた世界がゴチャゴチャになりそうな予感があったのです。私がいつも見ていた、あの、妻や息子が暮らしている大切な世界が、一瞬にしてゴチャゴチャになる瞬間がまたやってきそうな気がしたのです。 

 やっぱりふざけてらっしゃる、 当然、母親はそう言い返します。 何で坂本龍馬やナポレオンがコロナかどうかなんて事が関係あるんですか? 私は息子の事を訊いてるんです。今の息子の状態はどうですかと訊いてるんですよ。 

 医者は眼鏡をはずしてやれやれという顔をしました。そしてハハハハ、と笑ってしまったのです。

 何が可笑しいのです? 目には明らかに怒りの光が満ちていました。この医者は少し意地が悪い人のようです。薄い笑いを浮かべながらこう言ったのです。 

 息子さんねぇ、もう亡くなってるじゃないですか? あなたはそれを知らなかったとでも仰るのですか? 

 医者はまるでシャツでも選ぶように、『今』というクローゼットから白衣を一つ選んで羽織りました。それは珍しい事でも何でもありません。普段我々も普通にやっている事ですから。 

 え!何をおっしゃるんです! 息をしているじゃないですか。寝息だってちゃんと聞こえてます。 

 いえいえいえいえいえいえいえいえ……。医者は笑いを嚙み殺しているように見えます。もう耐えられなかったと思います。もし私がこの母親の立場なら、その場で医者を殴り倒していた事でしょう。その点、母親は冷静でした。 

 医者である以上はね、当然命を救うために最善を尽くします。しかしもう亡くなってる人を、どうやって救うのです。コロナかどうか、どうやって検査できるんです? 

  私は目の前で『今』がグニャグニャになっていくのがわかります。その時ようやく、私はまだ見ぬあの男の思惑に流されていると気付いたのです。この医者は、皇極法師! 

 落ち着いて! 二人ともこだわり過ぎなんですよ。いい意味でも、悪い意味でも! 

  私は、『今』の軸を完全に見失っていました。しかし妻と息子が暮らす世界を諦めるわけにはいきません。私はもう、自分が何を言ってるのかよくわからなくなっていました。 

 私は母親と医者のちょうど真ん中あたりでただオロオロと左右を見ている状態です。2人それぞれの時間に、まるで乗り切れないのです。情けないけど仕方ありません。母親の顔がどんどん青白くなり、怒りがこみあげているのがわかります。医者は淡々と死亡診断書を書き、母親は息子の寝息を確かめている。医者の机の時計は午後9時半過ぎでした。私はジッとして判断を待ちます。 私は、自分に『落ち着け!落ち着け!』と言い聞かせます。

 人間は必ずいつか死にます。なぜだかそうです、それが一般です。みんな死ぬ、まあそれはいいんですが、それってゴールテープを切るようなモノなのですね。ゴールテープを切った瞬間に、ストップウォッチは止まります。そうしないと正確な記録が取れませんからね。ただ過去と未来は初めから『今』のその中にすべて含まれているのです。含まれていますがしかし、 

 『今』を点として定義して、必ず時系列に並べてないと、現実としては訳が分からなくなるのです。いろいろな辻褄が合わなくなります。しかし辻褄が合わなくなるのは、現実を点として定義して時系列に並べるからで……。

 それは過去、今、未来が混然と混ざり合っているというよりも、むしろ習慣というか、さらに言うと一種の『クセ』のようなモノなのですね。 

 理解というならば、全て目の前に確実にしているのですが、『点』として理解する事を人間は良しとしません。時間に応じて見る癖が、どうしても目の前の現実を納得させないのです。理由は過去にあり、結果は未来にある。『今』はそうちょうど真ん中。つまり私の今の立ち位置ですね。だから何もわかりません。だからオロオロとして左右を見ているのです。誰かと理解を共有するためにはどうしても、『今』を同じ一点に定めないと、そして時系列に並べないと、人間同士は会話すら成り立たないんです。はぁ? 何の話? と、なってしまうんです。 

 熱はだいぶ下がったようです。医者が言いました。でもそれにしたって、医者が母親に譲歩したわけじゃありません。母親が矛盾を突かない事からもわかります。母親は『○○君』と優しく名前を呼びました。今の子は、ん……、と返事とも寝言ともつかない声を出しました。私だけが弾き出されたような状態でした。 

 でもよかった。 

 2021ねん7がつ、世界中を席巻するコロナウイルスは、無数の『今』を持って襲い掛かっています。いいえ、正確には襲い掛かるとは違います。そこにじっと佇んでいるだけなんですが……。 

 時系列にしか理解できない人間にはそれが突然に見えるんです。何度も何度も、同じ繰り返しても、それが毎回突然に見えるんです。人生は一度きり、なんて事、みんな言いますもんね。 

 坂本龍馬もナポレオンも、ツタンカーメンもキリストも、ストップウォッチは止まったまま、それでもずっと、歩いたり止まったりしているんですよ。 

 ここは何処なんだろう? この先、どうなるんだろう? 

なんて、我々と同じような事を思いながらぐるぐると、疑心暗鬼に歩き回っているんです。アイツは死んだな。こいつも死んだな。 と他人ばかりに目を遣りながら……。 

 翌日、熱の下がった今の子と一緒に店に戻りました。 

母親は今の子を連れて帰るとは言いませんでした。そのまま病院からタクシーで帰っていきました。梅雨の雨がシトシトと降っていて、タクシーは病院の坂を下りて見えなくなると、ドット疲れが湧いてきました。 


第39章(真夏のチンドン屋)

 車検なのに有給使えって、有給は夏休みのためにとっておきたいんですよ。 

 じゃあそう本部と直で掛け合ってみなよ、無駄だと思うけど。とにかく昔からうちはそういうシステムだからさ。 

  知らんがな。 

 こうやってね、世の中は廃れていくんですよ。廃れてきたんですよ。文明なんてね、恐らくは廃れに廃れた成れの果ての姿ですよ。立派でも何でもない。人間の歴史なんて、ただ廃墟の上に廃墟を築いてきただけ。祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す。 

  知らんがな。 

 仕事が減り、昼過ぎに終わることもしばしばで、そんな時、私は近所の公園をぶらぶらするんです。夕方まで。 

 3年前、私は両膝の手術をしました。半月板軟骨がボロボロで、内視鏡で見ると、粉々に千切れた半月板が、深海の生物の様に、ふわふわとひざの中を漂っているのが見えました。そしてそれからほぼ一年間、私は世の中から完全にドロップアウトする事になる。まるで動物園の熊みたいに、狭い家のなかをウロウロして、毎日何の価値も見出さず、誰にも許されもせず、誰の許しを請いもせずただただ生きていたのです。 

 あれが熊かい? なんであんなにデカいんだ。それなのになんであんなに目が小さいんだ? 座布団みたいなデカい手でおいでおいでしているよ。おい、ちょっと誰か、パンくず投げてみろ、あ!食った! でかい図体して、あいつパンくずなんかを喰ったよ。ますます要らない図体だな。 

 そう、檻の中にいるのに、熊は熊である必要はない。人や鹿を瞬殺する腕力にも何の必然性もない。私も、家の中をウロウロするのに、親である必要も夫である必要もない。 

 こんな意気地のない事を言ってると、優しいあなたはきっとこう言ってくれるでしょう。 

『いえいえ、全く逆です。熊だから、その無駄に大きな体に固い毛皮を纏って檻の中にいるんです。森の中に潜んでいるなら、誰がそれを森と分別して熊と呼びましょう? 家の中にいて何の問題もないのなら、誰がそれを家庭と分別して親と呼びましょう? 親だから、無駄な愛情や不安を纏って家の中をウロウロするんです。 

 あなたは、父親として、夫として、家族の心の支えになっている事は間違いないのだから安心していればいい。まずは心を腐らせずに、怪我が治ればまた、仕事ができるようになるんだから、それまではじっくり時間をかけて治せばいいじゃないですか。人生、山あれば、谷あり、ですよ』と。  

 ありがとうございます。でも、優しいお言葉に無礼なお言葉で反駁しますが、実際には山も谷もありませんよ。時間なんて、私にとってはのっぺりとしただけの、存在しないと同じようなモノなんです。それに私が過ごしているのは時間の上じゃありません。檻の中です。そして私はこんな事に気付いたんです。 

 私が私である根拠も責任も、おろか必要など、初めからどこにもなかったんじゃないか。いや、実際私など、何処にもいないんじゃないか。  

 私が自分のそばにこんな世界がぴったりくっついてある事を知ったのは、こんな風に自分の存在を疑った事に端を発しています。私は、私に限らず、自我というモノは、実在しないんじゃないか? ある日ふと、そう思ったんです。そうしたら急に何もかもが止まって見えた……。 

 月から地球まで、2秒間『今』が継続しているという考え方は、結果的に私を救ってくれました。誤解でも何でも構いません。宇宙の仕組みなんて、私には基よりどうでもいい事です。だから相対性理論にしたって、私には時間の特徴のほんの一面としか考えないのです。シーケンスされる時間と、放射状に広がる空間の、どうせ追いつけようもないこの2者の、どっちが鬼なのかも判然としない果てなき追いかけっこは、檻の中の私に、目の前からすべてを奪いながらも同時に、そのすべてが目の前に存在してある事を保証してくれました。

 昔近所にいじめっ子がいて、私にだけとっておきのおもちゃを見せてくれなかった、それと同じです。でもいじめっ子の手の中には、確実にそのおもちゃがある。だからくやしいんでしょう?

 そしてそれが、今の私の全ての励みになってます。私はこの励みなしに、自力で生きている事はたった1秒だって不可能だと強く確信しています。 

 だが恐ろしい事に、この世の中ので生きているほとんどの人は、この励みを持たずに暮らしているんです。私に言わせれば、それは自動車の手放し運転と同じです。 何でそんな事をしてるんです? 怖くないですか? 辛くないですか? ねえ、すると妙な景色が頭をよぎりませんか? 自分が死ぬか、或いは殺すか。 

 それ、嘘でも妄想でも想像でもないですよ。目の前にある、厳然とした現実ですよ。檻から出た熊は必ず発狂します。そして人やモノを手当たり次第に襲撃します。檻で隔てられていたある事はわかっていたけれど、実際にはなかった不可解なモノがいきなり目の前に迫ってくるのだから無理もありません。 

 人間だって同じ事。例えば、明日自分が死ぬとしても、それはもう目の前にありありと見えているのです。そう頭をよぎった以上、その恐怖は現実のそれと何ら変わりがありませんからね。私はそれを、目の前にありありと見ながら、でも檻によって守られている。そう思う事でやっと、毎日の生活を送っているのです。 

 自宅療養の間、私はよく同じ夢を見ました。アクセルもブレーキも付いてないトロッコに乗った幼い息子と妻が、どんどんと炭鉱の深い穴の奥に向かって滑り落ちていく。私は追いつこうとレールの上を走ろうとするのですが、膝がガクガクで全く走れません。

 そして気付くのです。それまでは登り坂だと思って勝手に苦しみ喘いでいた人生が、実際はずっと下り坂だったという事です。疲れようが、膝がガクガクで走れなかろうが止まれない。そしてどんどんろくでもない方向へと下り続ける。 

 そうです、人生はずっと下り坂なのです。 

 いい事なんて何もない。どうせ行きつくところは死です。そんな事は誰でも知っている。じゃあ何かを目指す、目標を持つってどういう事なのよ?

                   *  

 目標なんてね、ただの寄り道に過ぎないんだよ。峠の団子屋だよ。ハハハ……。 

 激しいせみしぐれの中、公園の木陰のベンチにチンドン屋さんが3人で休憩していました。公園で今日行われるはずだったイベントが中止になったのを知らされずに来てしまったと言っています。てんでに持っているのは公園入口の自販機でさっき買ったばかりだと思われる、まだ冷たそうな、たくさん水滴の付いたペットボトルの麦茶。600ccの少し大きいタイプです。座長と思われる恵比寿様の表面には大袈裟なしわの影と汗の粒が点々と浮いています。 

 来月、君らの給料すら覚束ないというところだよ。払えないかもしれない。 

 残りの二人は黙っている。一人は黒襟の町娘風、クラリネットを膝の上に持っている。もう一人は瓦版屋風、手ぬぐいを頭にのせてチンドン太鼓を前に抱えている。 

 君ら、まだ若いんだしさ、やめてもいいんだよ。生きるってのはね、そりゃあもう残酷な流れ作業ですよ。

 やめませんよ! 

 クラリネットを持った町娘が言いました。 

 私やめません。やっと見つけられそうなんです。 

 娘の広めのおでこにも、汗の球が光って見えます。 

 子供の頃はお姫様になるのが夢でした。でも両親が離婚した瞬間に、私はお姫様ではなくなった事を知りました。でもどうしても自分をもっと素敵にしたくて、好きになりたくて、地下アイドルもやりました、舞台女優も、風俗嬢もやりました。でも全然好きになれなかった。むしろどんどん嫌いになった。ずっと人前が嫌いで、人と話すのが嫌いで……。 

 『ふん、実力もないくせに目立とうと思って』何をやってもすぐにそんな言葉が聞こえてくるんです。誰かに言われるんじゃなくて、自分の中から聞こえるんです。生きる事はなんですか? 目立とうとする事ですか? 自分を好きになるために努力する事は、目立とうとする事なんですか? 

 そう言うと娘は立ち上がり、クラリネットで『美しき天然』を吹き始めました。はげしいせみしぐれが一瞬にしてクラリネットの旋律を包みます。新しい蝉しぐれの誕生です! 新しい公園の誕生です! 新しい地球の、新しい宇宙の誕生です! 娘は嬉々として『美しき天然』を吹いています。 

 素晴らしい! 私はそう思いました。もともと素晴らしい『美しき天然』の旋律が、娘の着物の和柄とクラリネットの音色と相まって、まるで針と糸の様に、空間を見る見るうちに刺繍していくようでした。 

 あの瞬間だけは本当に、命も金も、どこにもない様に見えたんです!

 しかしなんて暑い日なんでしょう! このまま吹き続けると、娘はきっと熱中症で倒れてしまいます。もう白粉のない首の辺りが真っ赤です。 

 君のクラリネットの腕はホンモノだ。 

 チンドン太鼓を抱えた瓦版屋の男がそう言いました。 

 とてもにわかに覚えたとは思えないよ。ウィーンフィルにだって君ほどの奏者はいないよ。君はクラリネットで生きていくべきだ。 

 あなたこそ! 今度は娘が瓦版屋に向かって言います。 

 あなたのチンドン太鼓こそ、軽い響きの中にもしっかりと粘りのあるグルーヴがあって、レッチリのチャドスミスよりもパワフルで、エルヴィンジョーンズよりも流麗だわ。 

 そして座長! 

 二人は声を合わせました。 

 ん? なんだ?  

 あなたの声は、誰よりも何よりも人の心を温めます。真夏の太陽の様です。それは言葉の分からない外国の人の心をも温めるんです。 

 あ、あぁ、そうかい。それは、どうもありがとう。 

 僕らはまさに奇跡の3人なんです。給料なんかどうでもいい。座長、今、幾らあります? 

  幾らもないけど、どうするんだ? 

  今から僕ら3人で南半球に行きませんか? 

  南半球?行って、どうする? 

 僕らがやれる事は一つです。真冬の南半球に行って、真夏みたいに温めてやるんです! 

 私は自分が汗まみれな事に気付きました。だってかれこれ10分近くも、こんなやり取りを炎天下で聞いているのですから。 

 ん~、まあともかくだ。飯にしよう! 

 そう言うと座長は立ち上がりました。 

 そこにリンガーハットがあったから、そこに行こう。 

 メタセコイヤの並木をリンガーハットに向かって歩いていく3人の後姿を、私は見えなくなるまで見送りました。 

 3人は南半球に行くんでしょうかね。でも……、 

  熱情って、素敵ですね。 命って、目標って、素敵ですね!

 10分で100年分の夏を過ごしたような気分になりました。

誠に世知辛い、金と命が平気で天秤に掛けられるような世の中でこそ、

 何が一番大切なのか考えてみる。 

  とりあえず、有給じゃないな……。 


第40章(祖父の悩み)

 

 2021・8より、ひゅーすとん、ひゅーすとん。 

 様々な問題を抱えながら、2020東京オリンピックは正論とモラルの木々をなぎ倒しつつ前へ前へと進んでいます。結果は上々です。 

 あ、言わないで!ネタバレしないようにね!! 

 コロナウイルスももう人間の手を完全に離れ、打つ手もないまま、これもまた安全と健康の木々をなぎ倒しつつ、前へ前へと進んでいます。そんな中、東京は自分は勝手にオリンピックで浮かれつつ、国民には、絶対に浮かれるな! と矛盾した事を言っております。まるでチンピラが派手な車でガンガンに音楽を掛けながら、「ナニ見とんじゃコラ!」とまわりに因縁をつけているようです。

 あ、これも言わないで!ネタバレしないように。 

以上、2021・8からでした。ひゅーすとん……。 


 金魚の水槽を見ながら、どうやら私は居眠りをしてしまったようです。今の子も、昔の子もここにはいません。私は少しずつ、2人と私の関係を理解し始めているようです。雨が続いていたせいか、風がなんとも生温く、窓辺の超小型空気清浄機(一般的には『風鈴』とも言いますが)がフル稼働しているにもかかわらず、額には汗がにじんできます。 

 さて、と、私は誰もいない空間に話し掛けます。私は子供の頃からよくこれをやるんです。独り言ではないですよ、じっと耳を澄ましていれば、ちゃんと返事も聞こえて来るんです。 


 で、話の続きだけど、私があんなに泣いていたのは、戦争で父親を亡くしたせいだというそれは、あなたが実際に見てきた事、或いは体験してきた事をそのまま私に負わせているにすぎなんじゃないの? でなきゃこんな店を、こんなところに構えるきっかけが、私に与えられるわけがないじゃないですか。  

 ちゃんと、あなたが選んだ結果ですよ。

 そりゃあそうさ、すべては流れだから。でもその流れがどこからきたのか、私には見当もつかないし、そもそも決められない。自分の顔が、誰から受け継いで誰に似ているのかも、自分では決められないし理解することもない。 

 あなたは、両親の両方に少しずつ似てますよ。 

 そりゃあそうさ、私だって自分が第一世代の新品の命だなんて己惚れてはいない。使い古された中古の命で十分満足なんだけど、私だって私なりに考えたり、予想したりしてきたのさ。 だからこそわかるんだ。それはいつも突然に起きる。まるで消去法を逆手に取ったように意地悪く、いつも私の予想の間隙をついて突然起きて、そのまま何事もなく通り過ぎる。その一端で、命を落としたか、落とさなかったか。それはあまりにも些末な事過ぎるんじゃないかな? 

 でもそれが世界で一番健全な真実なんでしょ? 

 そんな事、誰が言ったの? はじめに言ったのは誰? 君? 僕? どっち? 

 いや、あなたが言ったじゃないですか! 

 え、知らない。君が言ったんじゃなかったの? 君って誰? どっち? 


 こんな調子で話しているといつも、フッと目が覚めるんです。 

 え、うそ? ぜんぶ夢? じゃあ、私は、あんなに頑張った剣道もまったく出来ないの? ギターも、まったく弾けないの? 

 そんな事を、もう何度経験した事か……。 

 だから私は何も不思議には思わないんです。今の子昔の子がいなくても、それはきっとそういう事情が、今私の目の前にあるのだろうと、ただそう思えば済む事です。 

 小さな黒い蜘蛛が一匹、カーテンをヨチヨチと登っていきます。 


  少年が入ってきました。私には初対面はあり得ないので、ジッとその少年を見ます。 

 誰だっけ? 

 少年は両手で小銭を混ぜながら、もじもじと食べ物ばかりを見ています。 

 誰だっけ? 

 やがて少年は、おじさん、と私を呼びました。 

 ん?  なに? 

 うん、えっと、50銭の餅買おうかな。70銭の餅買おうかな。 

 その一言で、私はピンときました。 

 あぁ、よく考えた方がいい。

 丸坊主の少年は綺麗な歯を見せて笑います。

 お父さんがね、小遣いをくれたんだ。金毘羅山のお祭りに行って来いって。

 そう、よかったね。お父さんは、怖い人かい? 

 怖くないけど変な人。変な機械を持ってきて、変なモノ作って売ってる。 

 あぁ、それは、カメラというんだよ。 

カメラ?? 

 そう、そしてその変なモノは、写真というんだ。 

しゃしん?? 

 少年はおそらく私の祖父です。祖父は大戦中、トラック島で戦死したと聞いています。でも同時に、私は祖父の膝の上で、戦争中の話を聞いた記憶もあるんです。 


 お前みたいに誰のいう事も聞かん自由な子は、自由に生きたらエエんやで。 ホンマにエエ時代やからな。何でも出来る、何してもかまへん、ホンマに、エエ時代やからな。 

 

 そう言って祖父は私の頭をポンポンと撫でるように叩きます。鴨居に飾ってある祖父の写真は出征前に曽祖父が撮ったモノだと聞きました。孫の私が言うのもなんですが、祖父はものすごいイケメンなんです。 

『大日本帝国海軍』と刺繍された海軍帽は、祖父の凛々しさと、祖父がいかに小顔であったかを如実に物語っています。 

大戦中。

 祖父は乗っている船が沈没する際、機関銃の弾が飛び交う海に飛び込んだそうです。機関銃の弾は、見えるそうですよ。空気を裂く音と共に、目の前を敵、味方なくただ飛び交う弾丸は存外平等なモノで、それほど怖くはなかったそうですよ。 

 で、飛び込む際、祖父は左足首に弾丸を受けたそうです。タイミングからいえば、0.何秒、でしょうね。頭に当たるのと。そしてそのまま日本の船に救出されるまで、恐らくは数時間、泳ぎ続けたそうです。アメリカの戦闘機は、泳いでいる祖父めがけて機関銃を掃射して来たそうです。 

 こらアカン! 絶対死ぬ! 思てな。おじいちゃん、次からメリケンの飛行機見えたら死んだフリしたってん。ほな、何もせんとブーンって飛んでいきおるわ。ほんで、あぁ、助かった!いうてな、ほんでまた泳ぐねん。 

 トラック島については、 

 あのな、よう『爆弾の雨』言うやろ。豪雨や! 無茶苦茶すんなぁ、いうてな。遠慮ないなぁ!思てな。殺す気か! 言うてな。ほんで、しゃあないからおじいちゃんも機関銃撃つんやけど、何処向けて撃つと思う? 機関銃は敵に向けて撃つモンやろ。せやから上向けて撃つしかないねん。ないねんけどこれがまあ大した破れ傘でな。もう途中でやめてん。アホらしなって来てな。弾も勿体ないし、絶対届けへん思てな。ほんで上見たら、ナニ、なんも大した事あれへん。 

 黒いトンボや、トンボが飛んどるだけや……。 

 あぁ、あれがホンマにトンボやったらすぐ捕まえたんねんけどな。ほんで『おい、南方の珍しいトンボ捕まえてきたぞ!』いうてな、虫好きのお前のお父ちゃんにお土産にもできたんやろけどな……。 


 祖父は私が中学生の時に亡くなりました。肺癌でした。やせ細って、でも棺に収まった顔は、生きている時よりずっと父親に似ている気がしました。 

 トラック島で死んだ祖父と、今目の前にいる祖父は、同じ顔なんだろうか。トラック島で亡くなった祖父もやはり、お前は自由に生きたらエエんやで! と言ってくれたでしょうか。 

 黒い蜘蛛がパッと何かに飛びついたと同時に、ドアが開いて今の子がパンを抱えて店に入ってきました。 

 あ、店長。 

 そういえば、私はこの2人にだけは面識がない気がするのです。きっと何か特別な関係に違いありません。

  おかえり。暑いのにご苦労様。

 両手の塞がった今の子が足で閉めようとしているドアの向こうから、風に乗って小さな笛太鼓の音が聞こえてきました。 

 ん?お祭り?

 あぁ、公園の神社に露店が出てましたよ。 

 あ、そうなの、縁日かな? ちょっと行ってみようか。 

 え!僕も行っていいですか?じゃあ、ちょっと待ってください。パンを並べますから。 

 公園の木の間からのぼり旗が数本見えました。そしてその下に、さっきの少年が両手で小銭を混ぜながら立っているのが見えました。 

 50銭の餅買おうか、70銭の餅買おうか……。 


第41章(オカンを思うと)

 兄から届いたメールには『今、うちの墓、こんな感じ』と写真が添付されてありました。そこには見覚えのある墓石が、ずいぶんと広々としたところにポツンと立っていました。 

 子供の頃は、お墓の水汲み場に行列ができるほど多くの家族と出くわしたモノですが、一つまた一つと墓を継ぐ家も途絶え、かつてお墓があった場所はだんだんと更地となっていったのです。

『ご苦労様でした』と私はそっけないメールを返しました。もっと気の利いた言葉も思い付くのですが、その辺は何と言いますか、身内に対する照れというか甘えというか……。 

 実家の事はすべて兄に任せっきりで、私は遠の昔にその権利を放棄してしまったような形になっています。だからこの件についてあまり暖かい感じが抱けません。申し訳ないような気持ちをただぼんやりと引きずりつつ、私は母の夢うつつの世界を想像してみるのです。 

  

 通夜の夜、兄は私に、 

「オカンは、お前の心配ばっかりしとったなぁ」と言いましたが、私は即座にそれを否定しました。 

 「ちゃうちゃう。信頼がなかっただけや」 

 兄はそれきり黙りました。線香の煙だけがつーっと、天に向かって真縦に糸を引いていました。 

          


 アンタにそんな事出来んのか? 

 アカンアカン!余計な事して怪我すんのがオチや。 

 やめときって! 絶対失敗するで! 

 しょーもない事せんでも方がええ。 

 アンタは黙ってジッとしとったらそんでエエねん。 

 長袖着て行き!すぐ風邪ひくくせに。 

 ほら!絶対やる思たわ! せやから言うたんや!お母ちゃんの言う事聞かへんからこういう事なんねん。アンタは自分の頭で判断せんと、お母ちゃんのいう事だけ聞いとったらそんでエエねん! 

 アンタの目ぇは……、もう一生、治れへんって……。 

 母はそう言って眉間に皺を寄せました。そして私を見てため息をつきました。深い意味は感じません。ただ表情が暗く、口の悪い女性だった、それだけの印象です。そして彼女は私の不幸な出来事を材料に、私の失敗は当然予見できたと、失敗したのは私が注意を怠ったせいだと、円錐角膜を患った事を私本人の5倍も10倍も落ち込んでみせて、暗に私を責めるのです。   

 そのくせ自分が謝る時は、 

 あそ! そらお母ちゃんが悪かった。ゴメンチャイチャイ、チャイニーズ! なにをいつまでもネチネチ言うとんねん! そこがアンタのアカンとこや!  

 これは、ギャグ、でしょうか?ギャグで済ませちゃってもいいのでしょうか? 人によっては、おもろいやんか、明るいエエオカンやん、なんて言いますが私には到底そんな風には思えません。 

           


 兄が、「アカン、ちょっと眠たなってきた、先に寝かしてくれ」と言って隣の部屋に行きました。私はビールグラスを手に頷きます。 

 人は、2回死ぬ。と言ったのは、永六輔さん、でしたっけ? 

 1度目は肉体の死、2度目は忘却による死。 

誰もその人の事を思い出さなくなったとき、2度目の死が、つまり本当に消滅が訪れるのだという事でしょうね。 

 それがいいと思います。永遠に遺体が残って、永遠に人々の記憶に残って、じろじろ見られて、もう終わってしまった自分のやった事についていつまでもとやかく言われ続けるのは、さぞやかましい事でしょう。  

 たとえそれが尊敬や愛情からであってもね……。


 息子が『心霊番組』を観ています。ビデオに偶然映った恐怖映像が何度もリピートされて、息子はそれをやや硬い表情で観ています。明らかに作ったようなモノや、顔といえば顔に見えなくもない、という微妙な様なモノまで。 

 『これは、この場所に取り憑いた、地縛霊の姿なのか……。』 

 私は息子の硬い横顔とテレビ画面を見比べてニヤニヤしています。安い焼酎が面白さを加担しています。 

 私は、『人が死んだらどうなる? どこへ行く?』 なんて事にはまるで興味がありません。もともと、人は死んだら、という発想がないんです。それは、いきている、という実感もないせいだと思っています。 

 私ではなくて、私以外が生きている。それで何の矛盾もないじゃないですか。どうしてことさら自分が生きている事にしてしまうのでしょう。私の母の死は、母以外の人に起きた出来事でしょう? 違いますか? 

 同じように、私が生まれたのは母の出来事でもしも母がその事を誰にも伝えずそのまま死んだら、私は母と一緒に消えてしまうのです。 

 ところが、 

 私には父がいて兄がいて姉がいて妹がいます。更に妻もいて息子もいます。友達もいて、職場には同僚がいます。仕事の取引先の人もいて、道すがら毎日すれ違う人もいて、これから出会うであろう人もいます。だから私はその人達の中に、少しずついるに過ぎないのです。 

 だから私は誰にも誤解されません。そのそれぞれが私なんです。 

 じゃあ実際にこの文章を書いているのが誰かって言うと、それは私ではなく、私に興味を持っ誰かなんです。 

 だれ? 誰かと言うと、それは……。 

 *

 私の店には二人の子供が店番をしているでしょう。 

昔の子 と、今の子。 

 あの2人は私がこのブログを書き始めるにあたって、何かマスコット的キャラクターはいないかと、フリー画像を眺めていてみつけたのです。 

  2人は、群馬県長野原町の応桑諏訪神社の鳥居のそばに鎮座される道祖神様です。そんなに古いモノでもなく、それほど有名なモノでもないようですが、私はこの2人が自分の店番にぴったりだと直感したのです。すぐに連れてきました。というよりも、2人が突然私の店のドアを開けて、店番をさせて! と入ってきたと考えています。私に断る事は出来ません。そう頼まれた時、私はこの2人の中にいるんですから。私はこの2人に店番を頼まれるために、わざわざここ店を構えているのですから。 

 でももしもその時、私が2人の頼みを断っていたとしたら……。 

 ドミノの列を逆に倒すような、奇妙な現象が起きていたかも知れません。 

 断った瞬間、私は2人の中にいないとなると、その前の、心霊番組を硬い表情で見ている息子とテレビ画面を見比べてニヤニヤしていた私もいない、という事は、母の通夜の話をしている私もいない……。 

 そして遂に私は、私を産んだ母の記憶からも消えてしまう事になり、1度目の死、2度目の死、ならぬ、 

 『1度目の誕生、2度目の誕生』もなくなってしまう事でしょう。 

 母の葬儀の時、結婚したばかりの頃の両親の写真が飾ってありました。もちろん、私がそんな写真を見るのはその時が初めてです。どこかの山に登った時のようなのですが、2人は肩を抱いて満面の笑みを浮かべているのです。 

 若い頃の父は背も高く、近所でも噂になるほどのイケメンだったと聞きました。母も、息子の私が言うのもなんですが、まるで女優さんの様な端正な顔立ちで笑っています。 

 へぇ~、なんて、私はその不可思議な写真を感動をもって眺めました。この2人はまさか将来、私の様な体の弱い、言う事を訊かない、癇癪持ちで、目を絶望的に悪くする、扱いづらい性格の子供を授かろうとは思ってもいまい。もちろん望んでもいまい。私は自分の1度目の誕生以前の写真を眺めているのです。 

         


「おお、すまんすまん。寝坊した。ほな、寝てくれ」 

そう言って兄が起きてきました。まだ1時間ぐらいしか経っていません。もうちょっと寝ててもかまへんで、私がそう言いましたが兄は、そんなんしたら余計眠たなって朝起きられへん、といい歯を磨き始めました。外はまだ真っ暗です。 

 「ほな、ちょっと寝さしてもらいます」 

 私はそう言ってコンタクトレンズを外して横になったのですが、そこから先の記憶はありません。朝、埼玉県を出て、高速を乗り継いで夕方に京都府についてから、バタバタとして一睡もしていなかった疲れが一気に出たのでしょう。もう若くないですから。 

             


 兄が送ってくれた写真をよく見ると、墓石の左上の木立の影に何か人の顔のようなモノが写っていました。それは、母です! 

 間違いありません! 私を叱責する時のなんとも気の抜けた、やるせない表情がそのまま母なんです。そういえば、こんな顔してよう叱られたなぁ……、私は息子に、 

「おい!見てみ。ここにおばあちゃん写ってるわ」そう言って見せました。息子は「全然似てねーよ」といいます。 

「どこがや!そっくりやないか!」私が言うと息子は、 

「おばあちゃんはこんなムスッとしてなかったよ。もっとニコニコしてた!」そう言います。 

 そうか、ほな、おばあちゃんと違うか……。 

 ほらね、私はこうして、どんな時も自分ではあり得ないのです。今は息子の中に、突然わけのわからない事を言って盛り上がる変なオヤジ、として存在しているわけです。こんな私に興味を持ったモノがあるとすれば、それはもう、あの方しかありません。 

 神様。 

 神様はたまたま 私の『今』を ちょっとお眺めになったのでしょう。それは私がたまたまフリー素材の道祖神を眺めたようなモノでしょう。そこで初めて、私は母が私の『今』の中に確かにいる事に気付くわけですが、それも神様が覗いてくれない限り、私には気付く術もないのです。 

  

 息子は、「観なきゃよかったよ……」心霊番組を観た事を、少し後悔している様子です。よっぽど怖かったのか……。 

 だから、このな、写真の左上のこのおばあちゃんの…… 

 だから、似てねーって! 

 息子はそう言うと、妙にキョロキョロしながら自分の部屋に向かいました。

『いきてるきがする。』《第4部 春》


《第四部 春》

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第29章(赤いギター)

  

 店舗が3つに増えるに従い似たような商品も増えたので、それならばそれぞれが気に入った商品を選んでディスプレーしようじゃないか、という事になりました。 私は愛猫、とのまのパーカーとマグカップ、それにTシャツを選びました。

 あぁ、やっと胸が空いた、私がそう言って笑うと、2人は気味悪るそうに言いました。 

  何かあったんですか? 

いや、なにもない。普通だ、そのまま、そのままが妙に気持ちいいんだよね。 

 感傷的になっていたこの1か月ほど。私はそれを解消したかったのでしょう。

 人に気を遣われるのは気分がいいモノではありません。同情される事もそう。他人だってまたそうなのです。私はある人々から見れば間違いなく、可哀想な人なんです。

 本職のドライバーの仕事がどんどん少なくなっていく中、突然息子が癲癇の発作で倒れ、空想のお店にかまけているのもいいけれど、これからどんどんお金のかかる息子を、どうやって育てていこうかと、そういう事もきっと慢性的な心配事として私の心に暗く沈着していたのでしょうね。『今』にこだわるあまり、私は毎日、未来とは何の関係もない事をやっているのかもしれない。残酷な未来を見てみぬフリをしているのかもしれない。でもそんな事を言ってしまえば、すべての感覚を研ぎ澄まして感知する、毎日毎分毎秒の悩みや考えもまた、何の意味もない事になってしまいます。そして見てみぬフリをするのが、唯一の正解という事にもなりかねません。そうして日々は只、駄々悶々と積み上げられて……。それはなんとも味気ないモノです。なけなしでも、死ぬ瞬間までもせめて目だけでも楽しめるようにと、そんな理由で お札を綺麗に印刷するのでしょうかね? ありがたい。

 先日、自宅にあってずっとほったらかしだった赤いギターを捨てました。ギターには複雑なパーツが多いので、捨てるならバラバラにしないと、市の分別のルールに従わないのです。 

 奴は、なんていうか、強情と言うか、自分がこう言ったら曲げない。 

 私はジャズのフレーズに興味があり、でもやりたい音楽はロック。だからやりたいのは、極めたいのはロックギターとジャズギターのちょうど真ん中あたり。いや違う!もっと高みを目指していたかったのですが……。 

 かの赤いギターは、ジャズなんてオッサンのする事だ!と聞かないんです。 

 確かにジャズは、オッサンが『F』の字の穴が開いた、木目調の丸みを帯びた形のギターを、ニヤニヤとドラムやベースと目配せしながら余裕綽々で弾いている印象が強いです。音も大人しく、まるでやる気がない人間が、やる事がない時に聴く音楽だ、と中学生ぐらいまではそう思ってました。 

 ウェスモンゴメリーが凄い!とか、ジョーパスのコードワークは珠玉だ! なんて言われたって所詮は退屈なジャズじゃないか。 

 私はもともと速弾きが嫌いだったので、もっぱらブルースギターばかり弾いていたのですが、クオーターチョーキングの半分のそのまた半分ぐらいのところに、魂の答えが潜んでいるような気がして、ただひたすら向き合おうとしていた時に、エリッククラプトンクリームというバンド時代にブルースギターの速弾きをやっているのを知って慌てました。 

 そして、高校生ぐらいの時、 

 ジャンポールブレリーと、ヴァ―ノンリードと、デヴィッドフュージンスキーという3人のギターリストに立て続けに出会い、ジャズがロックを喰ってる!!と死ぬかと思うほど慌てました。 フュージョンと呼ばれたジャンルもかつてありましたがあんなモノはどうでもいい。あんなブルースもロックも味噌も糞も残酷に細かく刻んでは丹念にこね合わせて ハンバーグみたいに誰でも食べられるようにして で?何を作るの? 

と見ていると、全部楕円に丸めて、真ん中にくぼみをつけて……。 

 結局ハンバーグかよ!! もっと五重塔とか、ゴジラとかを作るんじゃねーのかよ!! 

 どこか違ったんですね。間違っていたと言ってもいい。そしてギターを弾いていてもいつもどこか何かわだかまっていたんですね。そんな時に自分がやろうとしていた事がすでに全然新しくないとわかったのだから、そりゃあもう慌てますよ。どうしよう、どうしよう、今更何一つ全く追いつかない。相手は音楽大学を出ている超インテリです。 

 気が付けば私は一生懸命に真似していました。そうしたら、それはそれで楽しいなって思って。あぁあ、諦めたな……、って気付いてしまったんですよ。高校の頃、仲間のミュージシャン達に、「俺は新しいジャンルを作りたいんだ!」と言って、は? と言う顔をされました。そのためには、誰の真似も許されない、自分の手本は自分だけ。そんな病的に頑なな思い込みは、私の目を閉ざし、世の中をただ敵としてしか見ていなかったようです。人を慕う事には楽しさも伴うのだと、ツンツンに尖っていた私が初めて実感したのはおそらく、実力を認めて諦めた瞬間だったのかもしれない。 良いような、悪いような……。

 そして私と赤いギターはどんどん険悪になっていきました。細かい事を言えば、ネックの握りとか、ブリッジの仕組みとか、音のうねりとか、どうしても、正解はロックだ! 速弾きだ!と、赤い奴は全く譲らない。 

 神奈川厚木市の楽器店のギター売り場で、そこそこな値段で売ってたんです。外国メーカーで、試奏すると、のびやかなサスティーンが挑発的で、すべての音域がパワフルそのもの、ブリッジとナットで弦がビス止めされていて、どんなに激しくアーミングしてもピッチはビクともしない。そして何よりも、ハムバッカーというピックアップが一つリアにマウントされていて、いかにも融通が利かなそうな身形。 

 暫くはずっと、ライヴごとにそのギターを弾いてました。ぼってりと太いわりに薄いネックは、コードよりもフレーズ引きに向いていて、私はバンドのオーダーにも従わず、ずっとリフばかり弾いてました。メンバーからはうるさい!と注意されましたが、私と赤い奴はお構いなし、コイツの望むのはこういうギターだと、とても分かり易かったんです。本当に楽しかった。 

 最後にネックをのこぎりで切って不透明ゴミ袋に入れて口を結んだ私はまるでバラバラ殺人犯の気分になりました。自分が妙に冷静でいる事にもまた、もはや驚きはありませんでした。 

 店長、このギターはまだ置いときます? 

昔の子が、店にずっと置いてあるクラッシックギターを手に、私に訊いてきました。 

 そうだね、どうしよう、売れたら、売る? 

え?こんなボロボロにギターを? 幾らで売るんです? 

 300万円。 

 あぁ、そこまでやると、ひょっとして勘違いした人に売れるかもしれませんね。 

 ハハハ、 

 ハハハ、 

 赤い奴はもう回収されたか?

 みると今の子が、生暖かい陽光の中で網を持って、36歳の金魚2匹を掬おうと慎重に狙っています。 


第30章(自転車を直しなさい)

 花粉に全く反応しない私の眼鼻がとても有難い。 そのおかげで春はとても気持ちよく感じられます。それはきっと私が春生まれのせいもあるでしょう。私がこの世に迎えれらた時の、初めて浴びた太陽の暖かさや、風の匂いの親しみが、私の基礎をなしているのでしょう。そんな、生まれたという、さあ今から好きに過ごしてもいい余暇が始まったよ、という知らせを、私は今でも楽しく、はっきりと思い出す事が出来るのです。 

 新型コロナが世界に蔓延して以来、マスクをする事や手洗いをする事が世界中に常識として浸透し日常化した事で、インフルエンザの蔓延を劇的に抑え込むことに成功しています。マスクの開発も進んだため、花粉症の人にも随分と楽になった事でしょう。 

 あぁ、なんてすばらしい。やればできる!そうやればできる! 

 要は意識なんです。意識の高まりが何よりも大切なんです。今ではもう滅多に見かけなくなった歩きタバコだってそうじゃないですか。 

 私がまだタバコを吸っていた20年前なら、歩き煙草は注意される対象ですらありませんでした。その頃から、副流煙の悪影響も、火種がちょうど子供の顔の高さになる危険性も指摘されていました。ただ、そんな事を理由に注意したところで、 は? と変な顔をされるのが関の山だったに違いありません。 

 それどころか逆に、変なヤツ、クレーマー、近所の鼻つまみ、さびしんぼうの逆ギレと判断され、やばいヤツだ!逃げろ逃げろ! と、そんな態度をとられたに違いありません。 

 新型コロナ以来、世界の清潔の度合いは飛躍的に向上しました。清潔か不潔かが文明と非文明を分ける条件の一つとなったのはいい事だと思います。不潔は許さない、許されない、という物差しを尊重する事は、とても先進的なことだと思います。 

           


  どうしたんですか? 

  私がぼっとしていると昔の子がこう訊きます。 

 いや、何でもないよ、たまにこうして春の日を楽しんでるんだよ。こういう地味な形でね。 

 そうなんですか、と昔の子は言います。 

 いつもそうなんだ。私はいつも、君とこうして話している時でさえ、自分はナニモノなんだろう、誰と何を話しているんだろうって考えているんだよ。君だけじゃない。家で息子や妻と話す時も。 

 あぁ、それ考えだすと、頭が変になりますよね。 昔の子は言います。 

  そう。そうやって、ずいぶんとあっちこっちウロウロ動き回ってきた気がするけど、いざこうしてジッとしてみると何だかずっとジッとしていたような、気持ちだけがウロウロしていただけの様な変な気分になる。 時間は1秒たりとも経過していない。

 昔の子は何も答えませんでした。正体を知ることが、唯一できない事だという事を、当たり前のように信じているか、或いは、まるで信じていないかのどちらかなのかもしれません。 

 君は以前戦時中の話をしていたね。 

 昔の子は、あぁ、はい。あの時確か、今の子と、自分が死んだ時の話をしていたと思います。  と言いました。 

  そんな話をして、辛くならないのかい? 

 そりゃ、その時は辛かったと思います。でもそれはそういう時間が流れたと言うに尽きると思います。戦争の終わり頃、近所の川を流れていく死体を見た事があるんです。あれと同じだって。見なければ、誰も気づかない。僕がいた事すら誰も知らない。そりゃ僕だってそれなりに感謝されて生まれているはずなので、生きる事自体に疑いを持ったりしません。 ただ、いざもう死ぬ、となった時、すべてだと思っていた時間の流れが少しずつ遠退いていく様な感じがしたんです。そうしたら急に楽になってきて、あれ? 自分がいたのは時間の中じゃなかった。え? じゃあ、どこにいたの? って。 

 わかるなぁ、私は戦争経験こそないけれど、子供の頃から体が弱くてね、何度も死にかけてるんだよ。何度経験してもいつも思う事だね。私もそうなんだ。面白過ぎて、ついつい何度も見て、その都度ワクワクしてしまう映画みたいに。とてもよくできた話だよ。それで? 

 僕の場合、お父さんより先に死んでしまったので、父の死それ自体を悲しむことはありませんでした。ただ、逆に僕の葬式に参列していたお父さんが僕に気付いて肩をギュッと抱いてくれた時は少し涙が出そうになりました。こんな事、出来るんだ、出来たんだ、ってね。想像は、現実の一部だったんだってね。その時ぐらいですかね、時間が自分から離れているのをいいモンだなと感じたのは。

  パンの入った大きな袋を持って帰ってきた今の子の頭に、桜の花びらが一つ付いていました。私は感慨深く眺めます。いるだけで、いいんだなぁ……。と。どこであれ、誰であれ、一緒にいるだけで。    


 ホントウにいい加減早く直しなさいよ! 私はやや強めに妻にそう警告しましたが妻は、あぁ、そうね。そうだね。と聞いているようないないような……。 

 あのね、あれは死ぬよ。いつか本当に死ぬよ。 

 先日、とてもお世話になっている先輩ドライバーが事故を起こしたんです。俺の前方不注意だから、と先輩は言います。自分の過失だと、でもね。 

 鉄の塊と生身の人間がぶつかって実際どっちが損をするかなんて、法律の云々以前に、本能的に知っているはず。 

 道路に於いて歩行者は一番弱い存在なんです。自然界で言うと鰯とか、アブラムシようなモノです。彼らが進んで死を望むのか、あるいは完全に諦めたら話になりませんが、彼らは本来、必死に逃げるべきです。捕食される運命を絶対に容認してはいけない。もっともっと絶対弱者であることを自覚すべきです。 

 無警戒過ぎる! 

 私がさらに語気を強めると妻は、あぁはいはい、仰せの通りでございます。すんません、と言いました。 

 ずっと言ってるんですよ。自転車のブレーキワイヤーが伸び伸びで全然ブレーキが効かないから早く直しなさい、って。 

 何でそうなのかな? だいたい自転車はわがまますぎるよ。右も走るし左も走るし、歩道も走るし車道も走るし、一通も逆走するし、免許も要らないし、ウインカーもないし。 

 そおだねぇ、と妻は洗濯物を持ってクローゼットに消えました。 

 それとも私が持って行っていけばいいのかな? 

 私は家事が忙しいのだから、ブログとか書いてる間に持って行ってよ! と、妻は別の言葉で言っているのかもしれません。 

 今日は雨だから、明日か、来週以降、行こう。 


第31章(猫が鳴きました)

 話題としてあまり新しくないので、このまま捨ててしまおうかと迷ったのですが、新しいかどうか判断するのは私ではないので、そのまま、誰のためでもない事をお話しする事にします。 

 天気は毎日ほぼ予報通り。私はそれをさも初めて見るように一喜一憂したりしてその実、日が照ろうが照るまいが、雨が降ろうが降らまいが、風が吹こうが吹くまいが何もせずにじっとしています。ここでこうして考えているのが、私の出来る事の唯一だからです。 

 ずっと前、私がまだ生きていた頃、息子が一人おりました。妻も一人おりました。ジリ貧の生活ではありましたが、私は何とか仕事を続け、それなりに生活していました。 

 それが息子が小学6年生の時、突然癲癇の発作を起こしたのです。私はその事について思い出して、ああだった、こうだった、あぁすればよかった、こうするべきだった、という事はしません。ただ妻の行動や、発言を思い出して、今でも柔らかく反芻する事は、時々します。 

 どれぐらい心配か、それは想像するには難くないと思います。私は息子が蚊に刺されるのも嫌だったんですから。息子がもっと小さかったある夏の夜、蚊に刺されて痒くて眠れないとぐずった時は、私は半分ぐらい本気で、この世から蚊を殲滅する方法はないものかと考えたぐらいです。 

 確かに、心配していたらキリがありません。でもどれぐらい心配するのがいいとか、そんな手加減に中りを付ける事が果たして親のテクニック、ノウハウと言えるのでしょうかね。私は、妻の意見に対して、それ以外の意見を考えて言い合う事で、それがあたかも子育ての幅を広げているかのように思おうとしていたのかもしれませんね。今思えば、すべて胡麻化しであったように思えます。 

 子育ての幅。 

 手を伸ばせば今も、息子も妻もすぐそこにいます。 

 それはまるで私がまだ生きていた頃、和室に並んで寝ていた時と何も変わりません。時々、息子の顔を覗き込んで、寝がえりを促したりして。春先は寝息が苦しそうになるんですね。花粉症気味でしたから。 

 思えば楽しい時間とはそういう時間の事だった気がします。私が何を言いたいのか、よくわからないでしょう? 

 だから言ったんですよ、これはあまり新しい話題ではないので、面白くないですよって。 

 私は目を覚ましたんです。隣には息子と妻がまだ寝ています。トラックドライバーの私は家族のだれよりも早く目を覚ますのです。あぁ違った、ネコだ。ネコが一番早起きだ。 

 ふと見上げてじっと目を見つめるネコが何かを訴え掛けている事はもう疑う余地もないのです。 

 ん? 何? なんか用? 

 するとどうしても話し掛けてしまうのです。 これはおそらく全世界共通でしょう。 それは赤ちゃんに話し掛けるのとは全然違います。 

赤ちゃんはいずれ言葉を覚えて返してくれる期待があるでしょう。でもまさかネコにそんな事を期待する人はいないはずです。 

 じゃあ、なぜ話しかけるのか。 

 その時、ネコがニャーと鳴いたのです。 

 本来、具体的に気持ちが伝わる事がとても危険で、致命的な間違いを犯す事がある。それをネコは知っているかのようです。 

 だから私はもう何も言いませんし、何も要りません。 

ただただ、ん? 何? なんか用? と話しかけるのです。 

 上手く出来ました。 これでよし。

 普段あまり感じられない。物事が完了した感じ。もうこれ以上は何も起きない。何をやっても変わらないという感じ。 

 これも普通なら絶望でしょうね。でもこの時は違う。ネコは、まあきっとイヌでもいいでしょうね。或いは金魚や小鳥でもいいと思う。相手が人以外ならなんでも。言葉はただの鳴き声となり、自分の意志は100%受け手に委ねられる。そして私も元々そう考えていたことになるのです。それでいいです。もうそれで、私の意見など事足りるのです。  

 私はこれからもきっとずっとジッとしています。そしてどこかに目を向けて、何が起こるか想像します。 

 それを『今』と思えるならば、即ちそれが『生きている』という事になるのかもしれない……。 

 とりあえず寝ている息子の頭を撫でてみたら、思っていたよりもずっと大きく、髪の毛も固く、もはや子供のサイズではないです。これだけあれば十分だ。あとは癲癇の脳波だけ消滅してくれればそれでいい。そしていつか、私は息子をこの店に連れていきたいと思っています。どうすれば、一番いい形で息子を、あの二人、昔の子今の子が店番をしているあの店に連れていく事が出来るだろうか。 

 とりあえずこのブログを読ませてみようか。でも少し雑な気がする。それに今は野球にしか興味がない息子が、果たして読んでくれるかどうか。 

 私はやはり何もせずにジッと考えています。 

 そして突然ネコに胸に乗っかられて、やや乱暴に起こされると、私の五感はその時、場所と時間に縛られて『今』が始まるのかなぁ、と思って、薄暗い室内に目をやるとネコの眼は全く光っていません。もうすでに私の想像は間違っています。でもこんな事は日常茶飯事です。 

 さあ、今日は何をしようか。本当にどうでもいい話をしてしまいました。結局、朝ネコがニャーと鳴いた。それだけの話です。

 少なくとも皆様にとっては、何の価値もない、感想もない、答えもない、そんな話をしてしまいましたね。 

 どうでしょう、それでも15分ぐらいかかりましたかね? 私はそれでもいいです。やはり話してよかった。もし後々、どうしても嫌になったら、すぐに元に戻って、やっぱり捨ててしまおうと思います。

 夏に向け、店に並べるモノを、もっとマッチョアップすべきか、それとももっとシェイプアップするべきか。 

 あぁ、そうそう。タグをプリント用紙にプリントしてみましたよ。グッズ直売への第一歩です。 

 説明書をよく読まなかったから、もう少しで反転してプリントするところでした。危ない危ない! 


第32章(あるのだろうか?)

 返事が来たんです。車の保険の満了のお知らせや、免許の更新のお知らせに混ざって、上品な便箋が届いた事を妻は何と思ったんでしょう。誰から? 訊くと妻に私は、知らない、と言いました。 

 今の子の母親からでした。それはいつか私が出した手紙の返事のようです。 

 あぁ、この人か、という私の言い方は多少言い訳がましく響いたかもしれません。いつまでやってんの!もう時間過ぎてるでしょ! そろそろゲーム止めてお風呂に入んなさい! と息子に言った口調が、いつもよりやや厳しかったような気がしました。的外れな焼きもちでも、それはそれでよしとします。        


 お手紙有難うございます。感激して読ませていただきました。あんな冷静さを欠いた無礼な手紙を送り付けた事は、今思い出しても顔から火が出る思いでございます。仰る通り、私はもうあの子の母親ではありません。あの子は私の元を離れていった子です。それも、あの子の自身の意志で。

 きっと私はすべての責任をあなたに被せようとしていたのでしょう。そうしてこの苦悩をすべてあなたに押し付けて決着をつけようとしたのでしょう。 

 その事は皇極法師にも厳しく注意をいただきました。法師は仰います。あなたのそういう自制の利かない勝手な行動が、ますますあなたからあの子をあなたから遠ざけているのです。あなたは本気で、あの子を取り戻したいのか?と。 

 もちろん、本気です。私にとってこの手紙のやりとりが成立している世界だけがあの子の母親でいられる世界なのです。あなたはきっと、こんな私の異常な精神状態を文面から読み取って、あんなに不躾な手紙にもご丁寧に返事を下さったのでしょう。優しい方。 皇極法師にお礼の手紙を書きなさいと言われました。当然そうするつもりでした。そうして今、そのとおりにしているわけです。私は一体、何人の関係のない人にあんな不躾な手紙を送り付けたのでしょう。それは覚えていないほどです。本当にお恥ずかしい。 

 でもあなただけは返事をくれました。だから私はあなたを信じます。私が娘たちとあなたの店を訪れた時、あの子は見違える程逞しく見えました。顔色もよく、もう一人の少年の方ととても溌溂として楽しそうに見えたのです。私はそんな息子の姿を認めたくなかったのです。すべてがお前のせいだという、私があの子に対して私がやってきた事すべてへの、それは当てつけだと感じたのです。私はあなたとあなたのお店に、激しく嫉妬したのです。 

 腕の中でジッとしているあの子を、私は激しく揺すりました。目を開けて、目を開けて! と。 

 でもだんだん体を揺すっている腕が疲れて来るのを感じたのです。その時、私は気付きました。私はもう揺する事にすらつかれ始めている、誰か、きっかけをください。この子の母親を、辞めるきっかけを。

 だって、もう腕が疲れたのだもの……。 

 私のお願いを聞いてもらえますか? 

 私はきっともう、あの子を抱きしめる事は出来ないのでしょうね。皇極法師は諦めるなと仰いますが、私だって娘たちをいつまでも放ったらかしにしてあの子にばかりかまけているわけにはまいりません。娘たちにも、もう兄が死んでしまったことを隠せなくなってきました。あの日、あの店で会ったあれが、あなたたちのお兄さんよ、と言ったところで、娘たちにはわからなかった事でしょう。ひょっとして私は、娘たちからも宥められているのでしょうか。おかしなお母さんが、これ以上おかしくならないために主人と口裏を合わせてくれているだけなのでしょうか。

 ある日娘たちから、お母さん、ちょっと来て、 と言われてついていくと、精神科の外来に連れていかれて、問診を受けさせられて、大量の薬を貰ったり、そのまま入院させられたりするんでしょうか。 

 ちょっと! やめて! ここから出して!  

 そう叫ぶ私を、娘と主人が、ガラス越しに情けなそうな顔をして眺めている。 そんな時が来るのでしょうか。それとも、もう来ているのでしょうか。病室から、私はこの手紙を書いているのでしょうか?

 私はあなたを信頼します。だから、あなたも私を信頼せざるを得ないのです。

 御存じでしょう? あなたにも、決して誰にも説明できない大切な世界を一つ、お持ちですものね? 

 私達は、私達のこの意思の疎通は、お互いの力で断ち切る事はもはや無理なのです。何人たりともそれは不可能なのです。 

 たった一人、皇極法師を除いては。 


          

 リビングに戻ると、食卓には夕餉が並んでいます。中心は回鍋肉です。あとは、私の酒のアテの冷奴と、蒸し鶏のサラダ。回鍋肉は息子の大好物で、妻は週に一度は必ず作ってくれます。 

 やれやれ、私はそう言って椅子に座りました。この世界が、一人のご婦人の手によってあっという間にめちゃくちゃにされるのかと思うと、思わずため息が出てしまいます。 

 ネコを飼い始めてから、あっという間に汚くなったドアや壁紙が愛おしくそこにはあります。座椅子の上から、すっかり大きくなった息子の頭が少し見えています。 

 あるのかね……。 

 え? なにが? 回鍋肉じゃない方がよかった? 

 いや、そうじゃないよ。 


第33章(1会目)

 目を奪うほど大量の桜の花びらがフロントガラスにひらひらと纏わりついてきます。私はそれをワイパーで左右に散らしながら、もう今年の桜は終わりだなぁ、と感じています。寂しくもありますがなに、来年になればまた咲きますよ。そして私はまた今の子も連れて、昔の子と一緒に、昔の子の行きつけのバーの常連客達と一緒に、早稲田通り沿いの河原で花見をするのです。 

 春にいる間、私は旅をしているような気分になります。それは一般にいうように空間を移動するのではなく、無理に例えると自身が果てしなく膨張していく様な旅です。 

 ある日、私は白い服を着た少女と近所の神社で遊んでいる夢を見ました。神社にはなぜか砂場があって、そこで私たちは砂まみれになって遊んでいるのです。私はその少女が時々、邪魔そうにかき上げる茶色い髪の毛が、あまりにも魅力的で、まともに見れないのです。 

 喘息気味で体力がなく、運動神経が悪い私は、すばしっこい女の子についていけません。神社の階段の遥か上の方で、時々振り返って私を待っている少女が、私はだんだん憎らしく思えてきました。 

 そわそわと落ち着かない様子のその少女の姉は、どことなく似ているところもあるのですが、少女よりも体つきがっしりとして顎も眉も太く、なにより明らかに私に対する興味が薄いのがわかります。 

 暫くすると松葉杖をついた少女が病室から出てきました。 

 あなたのために、手術したの。 

 みると少女の可愛らしかった茶色い髪は丸坊主に刈られて、顔は砂まみれで、目にいっぱい涙をためて、もう走れない。もうあんなに速く石段ものぼれない。と言いました。 

 あなたのために、手術をしたの。 

 でもその言葉を聞いた瞬間、私のその少女への恋慕は急速に薄れていきました。そしてむくむくと頭を持ち上げたのは、ざまあみろ!と言う、とことんいやらしい復讐心でした。私は少女が姉の肩を借りながら、病院の長い廊下の向こうに消えるのを黙って見ていました。 

 その後、私はその少女と3度出会う事になります。 

 白い体操服を着て剣道教室に現れた少女は、上野という名前でした。少女は私など知らない顔をしていました。私も知らないふりをしました。少し精神的に大人になっていたのか、それともかつての敗北感を挽回したかったのか、私も少女も互いに冷たい態度をとりました。 

 少女は道着ではなく体操服の上に防具を付けていました。その姿がみっともないと、私は散々馬鹿にしたのです。しかし少女は平気な顔をしていました。そして一人、面!面! と澄んだ声を出して竹刀を振っていました。 

 ある日、私と少女は試合さながらの『掛かり稽古』をすることになりました。私よりも一年もあとに入って、ほとんど素振りしかしていない少女を私は侮り、メチャクチャに叩いて泣かしてやろうと思っていました。しかし、 

 いざ稽古を始めると、少女の竹刀は素早く、私はあっという間に2本取られて負けてしまったのです。茣蓙に正座して、面を外した少女の茶色い髪の毛が、私に一切の言い訳をさせませんでした。私は悔し泣きをしていたので、なかなか面を外せなかった。しかし少女はすんなりと面を外して、綺麗な顔で私を見て、少し侮蔑するように笑いました。 

 私はもう剣道をやめたくて仕方がなくなったのですが、暫くすると少女の方が剣道をやめてしまいました。 

 道着が買えないほど家が貧乏だったから、と言うのがもっぱらの噂でした。本当かどうかはわかりません。私は辛うじて同点に追いついたような空しい満足感を無理やり口の中に突っ込まれたような気がしました。 

 これが1度目。

                   


 息子はまだ寝ています。本当によく寝るなぁ……。 

いいよ、ぐっすり寝ているならそれが一番。癲癇も落ち着いている、いいね。すべて、いいね。今日もいい日になりそうだよ。でも今日はおじいちゃんのお通夜だから、9時には起きなさい。 

 昨日はバッティングセンターに行ったね。いや、久しぶりに見るバットを振り回す姿が、ますます頼もしくなった気がする。 

 しかし、駐車場の無料券が飲み込まれて、結局100円払ったのは、今思い出しても解せないなぁ……。 


第34章(猫とキャッチホン)

 電話のコードをくるくると指に巻きつけながら話していると割り込み電話が入ってきました。 あぁ割り込みだ、ちょっと待ってて。 

 そう言って電話を切り替えると、バンドのメンバーからの、今週末のライヴの最終リハがどうの、選曲がどうのという、まったくどうでもいい電話でした。 

 あぁ、任せる! 全部任せるよ! 

 私は投げやりにそう言い放ち、また電話を切り替えました。すると相手は、もういいの?と言いました。 

 あぁ、いいいい、どうでもいい電話だよ。  

 それよりさ、先週買った宝くじが一番違いの組違いだった話、したっけ? 本当なんだよ。最後の一桁が一番違いだったんだよ! でもそれってただの外れくじだよね。ハハハハ……。 

 電話を切ると虚しさは後から後から募ります。こうやっている間にも、あの子は急いで婚約者と電話をしているに違いない。 

 あ、ごめんなさい、いいのいいの、どうでもいい電話だから。 

 電話を切って初めて、外が土砂降りな事に気付きました。もうどうでもいいんです。外が雨だろうが、月が出ていようが。自分が生きてようが死んでようが。ゴロンと寝転んで酒の続きを飲みながら、0時が過ぎるのを待っている。絶対に0時より早くは寝ない! 夜は起きているものだから。そして昼間の内に蓄積された、ベタベタと質の悪い出来事をすべて、要るモノ要らないモノに分けて、夢と現実に振り分けてから寝る。それが正しい夜の過ごし方だから。 

 酔いの耳鳴りに紛れて、ニャーニャーという細い声が聞こえてきました。ずぶぬれの暗幕の内で、日常のどこにも属さない、まるで指先に刺さった小さな棘のようなか細い声でした。私は外に出てその棘のような声の出処を探しました。隣の中国人しか住んでいないボロボロのアパートと隔てるブロック塀にランダムに配置されている模様のパターンの小さな穴の部分に、小さな猫がすっぽりと収まってニャーニャーと鳴いていたんです。小さな顔の半分ほども大きな口を開けて、ニャーニャーと。 

 今二つの大きなモノに終わりが迫っている事に気付かれましたか? 気付きますよね、普通。 

 一つはバンド。お、上手いじゃん! と褒められた中学1年のあの日からずっと私はその洗脳が溶けず、大学を卒業しても就職もせずずっとギターを弾き続けました。 いや、そこそこ評判もよかったです。天才だ! ってね。よく言われましたよ。 

 でも私は天才ではありません。ただのひねくれた、自分の身の置き所を見失ってよろよろと彷徨っているだけのバカな若者でした。私は猫を引っ張り出そうと手を突っ込んだんですが、ネコは小さな顔を怒らせて、シャー!と言ってなかなか出て来ません。私は汚い野良猫にかみつかれて変な病気になったら大変だ、と心のどこかで思いながら、それでもしつこく子猫と格闘し、ようやくその子猫を引っ張り出す事が出来ました。 

 部屋に持ち込んでみると、子猫は土砂降りの中で見たよりもはるかに汚く、顔は鼻水と目ヤニでベタベタになっていました。目はほとんど開いていませんでした。普段から折り合いが悪い中国人に聞かれたらそれこそ変な因縁を吹っ掛けられかねない真夜中に、ネコは、ニャーニャーと、体からは信じられないほどの大音量で鳴きます。 

 中国人は複数の男と一人の女が一緒に住んでいましたが、ちょうどよくセックスが始まりました。よし、これはしばらく続く、今だったら大声で鳴いても大丈夫。私はティッシュを濡らして猫の顔を拭いてやりました。優しい俺。こんなに優しい俺が、なんでこんなにも惨めなんだろう、ギターなんかに縋ってさ、ありもしない夢を入れるための、空っぽの大きな葛籠を担いでさ、この先どう生きればいいというんだろう。答えなんか、本当にあるのか? 

 ネコは身の程知らずに必死の抵抗を見せます。違う!違うんだよ!お前を、助けるためにやってんの! 

 暫くそんな格闘を続け、子猫の顔は少しずつ綺麗になっていきました。しかし、子猫はすでに風邪をひいているらしく、くしゃみが止まりません。するとそのたびに、質の悪そうな黄緑の鼻水が飛び散るのです。 

 うわ! 汚ぇ! 

 私は、コイツをうまく使えば、あの子が結婚するまでにまだあと何回かは会えるかもしれないと考えたのです。 

 隣のアパートからは女の声が聞こえています。あの子とは似ても似つかない、動物みたいな声。 

 子猫捕まえたんだよ。可愛いよ、見に来ない? 

そう言ってやろう、今から電話するか。でも今頃は、もう残業を終えた婚約者があの子の部屋にやって来て、すでに始めているかもしれない。 

 私は受話器を上げてあの子の番号を打ちました。 

 あの子は結局、出ませんでした。30回もコールしたのに。 

 時計を見るともう1時近かった。私は私の酒のツマミの魚肉ソーセージに食らいつく子猫をつまみ上げ、土砂降りの外に放り投げました。 

 お前は、もう要らないってさ。会いたくないって。だって電話に出ないんじゃ、しょうがいないだろ? 残念だな。世の中に嫌われるって、そういう事なんだよ。お前は何も悪くないのにな。嫌な世の中だな……。早く終わっちまえばいいのに。 

 私は猫に話し掛けます。あの時、どうだった? 私は怖かった? 憎かった? 悲しかった? 結局、死んじゃった?  

 ネコはグルグルと喉を鳴らすだけで何も答えません。 私はギターにも話し掛けます。

 あのバンド、その後どうなった? 誰か一人でもプロになった?

 ギターはしれーっとして光る。お前が気にすんじゃねーよ。

  はいはい、そりゃそうだ……。


第35章(ゆうちゃん)

 気まぐれに店に来てみると珍しく二人はいません。窓も飽きっぱなし。命といえば今年37歳になる金魚の2つだけ。

椅子に腰を掛けてじっとしていると風が入ってきました。

 さっき家で同じ様に椅子に腰を掛けて、同じように窓を開けたら、やはり同じ風が入ってきて、そして同じ事を考えました。 これが春の匂いなんだろうか……。 

 まあ実際は近所の生活臭とアスファルトと埼玉特有の土埃の匂いが混ざった匂いなんでしょうけどね。 

 もし寿司屋と同じ匂いが突然オフィスでしたら、単なる異臭騒ぎでしょうね。

 気持ちの良し悪しもそのとおりで、そのモノよりも状況によって左右されるのだという事です。 

 だから春の晴れた日の風の匂いはまるで『裸の王様』です。あぁ、いい匂い。さあ、今日はどこに行って何をするか。 

 私もまた『裸の王様』です。誰もいない店の中をグルグルと歩き回り、一生続く演説のネタを考えているのです。聞くモノたちをどう感動させてやろうか。そんな事を考えているうちに店はすっかり古びてしまって、もう誰も寄り付かなくなりました。まさかこんなところに店があるなんて、きっと誰も知らないのでしょう。これまで多くの問題を抱えたまま突っ走てきた。もちろん後悔なんてしてません。満足してますよ。彼是と迷いながら、時には誤魔化しながら自分なりに一生懸命やってきた、そんな自負はあるのです。 

 君が6歳の時、こんなチャンスをあげたんだよ。 

 そう言って意地悪く笑ったのは6歳の時に1年だけ同じ学校にいた『ゆうちゃん』という男です。 

 もう『ゆうちゃん』と呼ぶのは憚られるほど老いて痩せて髭蒸した顔です。でも間違いなく『ゆうちゃん』です。 

 演説はそうして始まりました。細い光がゆうちゃんから私に向いて射しているのです。 

 ほらね、僕はキーパーソン。あなたの人生のキーパーソンだったんですよ。 

 『第一章』で、確か書きましたよね。 

 月から地球までは光の速さでも1秒かかる。それは月と地球の距離が34万キロで、秒速30万キロの光でも1秒とちょっとかかるという事。でもそれは1秒間『今』が継続しているという事で、つまり、それがたとえ宇宙の果てからの139億年でもやはり『今』なんだという事。 

 僕はあっちこっち転校してきたから、友達を選別する目はものすごくシビアになった。僕の家はほら、『諸川』の向こう側だったでしょ?『諸川』って汚いね!初めて見た時、うわ! 汚い川!って思ったよ。今でもあんなに汚いの? これからここに住むのかと思ったらもうそれだけで気が滅入ってたんだよ。 

 お父さんが銀行員とか外交官で転勤が多いとか、そういう理由ならよかったんだけど、僕のお父さんはただの見栄っ張りで夢ばかり追いかけてた。そしていつも商売に失敗するんだね。その都度借金を作って、それで逃げ回ってたんだ。もちろんその時の僕はそんな理由は知らないよ。そして僕はいつもいい服を着せられてた。ボロボロのいい服だよ。 

 だからきっとみんな僕をお坊ちゃまだと思ってたでしょ? 見た目はね、確かにそうだけど……。 

 ゆうちゃんは私だけ、家に上がる事を許してくれなかった。他の子が自由に出入りする『諸川』の向こうの瀟洒な洋館に、私だけは入る事が出来なかったんです。高い2階のベランダの窓が開け放されて、そこからは友達の笑い声とが聞こえます。私は友達づてにゆうちゃんの家のなかの様子を聞きました。 

 すげーいっぱいおもちゃがあって、お菓子も大皿にいっぱいあって、でっかいテレビがいつも付きっぱなしになってて、壁にはシカの頭が突き出てる。お父さんのお酒の瓶が壁みたいに並んでて、別の壁にはデカい絵や写真が何枚も掛かってて、お菓子をこぼそうが、ピザを落とそうがゆうちゃんは全然気にしない。あぁ、いいよいいよ、って。お金持ちってすげーなぁ。 

 しかしゆうちゃんはすぐに学校に来なくなりました。そして気が付くと、優ちゃんの家の二階の窓は、真夜中でも開いたままになって、ほどなく取り壊されました。 

 築80年の洋館のオーナーは京都府の別の町に住んでいて、そんなところに人が住んでいるなんて知らない、貸した覚えもない、と言ったそうです。 

 そういえば、君とは一言も話したことがないよね。 

 当り前さ。僕は君を友達として認めなかったんだから。いつも遠くから疑り深い目でジッとこっちを見ている君には、僕の本性を見透かされている事が、僕にはすぐにわかったからね。 

 そんな事はない。僕も君の家で、おもちゃに囲まれて遊びたかった。 

 おもちゃ? なんだい? それ。 あぁ、アイツらがそういったのかい? じゃあ、それでいいんじゃない。でもね、僕は君には絶対に見せたくなかった。 

 あの部屋の中を。アンテナもなくて、近所の自動販売機から引っ張ってきた電力で、ずっとワーナーブラザースの同じアニメが付きっぱなしになっているテレビや、父が廃材で作った大きな鹿の頭や、捨てられた映画のポスターを木枠にはめただけの巨大な絵や、洋酒の空き瓶が並ぶ棚や、冷凍が溶けて腐って誰も手を付けない冷めたピザや、近所のスーパーからくすねてきたお菓子で山盛りのお皿を。 

 あ、店長。 

 妻の焼いたパンを抱えて入ってきたのは今の子でした。 

 あぁ、お疲れさま。君がお使いとは珍しいね、相方はどうした? 

 え? 相方? あぁ、昔の子の事ですか? 

 え……。 

  二人は今の子『君』昔の子『お前』と、それ以外は名前で呼び合っていたと記憶します。 

 だから言ったでしょ、僕は君の人生のキーパーソン。 

  ゆうちゃんから射している様に見えていた光は、ゆうちゃんが動くたびに長い影になってゆらゆらと揺れるのです。 

 みんないない。君一人だ。信じられないかもしれないけど、あの時、僕が家に上げた友達はもう一人もいない。みんな、死んだんだ。 

 光はどうやら、ゆうちゃんの更に遠い奥から射しているのです。 

 それは、偶然? 

 偶然だって? 偶然なんてこの世にはないんだよ。 

 君がどうしたのじゃない。僕にだってどうも出来るわけないじゃないか。6歳だよ。ただ、僕には勘があった。君は、僕の友達じゃない。 

 勘ってさ、すべてそうなんだよ。君も覚えておいた方がいい。誰のためじゃない。もう結婚して子供もいるんだろ。ならなおさら、絶対覚えておいた方がいい。 

 君はナニモノなんだ? 

 店長、店長。 

 私は昔の子の声で目を覚ましましたが、敢えて目を閉じてジッとしていました。じゃあね、と手を振るゆうちゃんの影が顔の上をゆらゆらと動くのがわかります。そして窓から近所の生活臭とアスファルトと埼玉独特の土埃が混ざった匂いがしてきました。 


          

第36章(父親って?)

 踵がつぶれてるじゃないか、こんな靴じゃみっともなくて行けないよ!

私が言うと妻は、いいじゃない靴を脱ぐ事なんてないから。と言いました。 

 ばかいえ!お葬式だぞ。親父の時もお袋の時も、靴は必ず脱いだじゃないか。 

 ここは埼玉です。京都とは習慣が違いますから。 

 お葬式がそんなに違うわけないだろ。それにドリフのコントでもあるじゃないか。読経中に足がしびれて、焼香の時に祭壇に倒れる、っていうあれ。そうしたら棺桶からチョーさんがむっくり起き上がって、ダメだっこりゃ! って。ドリフは東京のコメディアンだろ?

 だから、ここは埼玉だから! 

 埼玉なんて東京みたいなもんだろ。それにじゃあ志村けんはどうなんだ? 東村山出身だろ。もろに埼玉じゃないか! 

 あら、東村山は東京ですよ。

あ、そうか……、いや、東村山とか秋津はもう埼玉だ。

 いくら何でも強引すぎるでしょ。それに志村さんが考えたコントじゃないかもしれないでしょ? 

 いいや志村だね。あのセンスは絶対に志村だ! 

 放送作家かもしれないじゃない。 

 いいや、志村だ! 

 私はこんなつまらない事で妻と喧嘩したのです。妻も私も気が立っていたんです。 

 入院中だった義父が突然亡くなったのです。調子がいいと聞いていたのに、先月末に肺炎を起こし、たったの1週間で亡くなってしまった。私はそのお通夜に向かう時、自分の黒い靴のかかとが潰れてみっともなくなっている事に気付きを妻に怒っていたのです。 

 自分がこんな事で怒るなんて自分でも意外でした。妻も驚いたでしょう。それには私には長らく誤魔化してきた事が関係していると思われます。

 典型的なB型気質で、家族はしばしばその気紛れな行動に驚かされたと妻は言いますが、私の印象では、義父はとても大きくておおらかな人でした。元消防士である義父は、まじめで責任感の強い人でした。私は自分がそういう印象を持っている事を、もっと素直に伝えるべきだったと今は思います。私はきっと、甘えたかったのだろうなぁ、と思います。 

 私は実父との折り合いが悪く、自分は望まれない子で、この家族は自分の家族ではない、ここは自分の居場所ではない、と強く感じていました。幼い頃は妙な雰囲気にただ拗ねていただけだったかもしれません。しかし年齢が進むにつれてそれはなくなるどころか逆に妙な整合性を持って攻めてくるようになりました。かつては家族だけだった私の敵は、世の中全般を味方につけ襲い掛かってきます。なるほどね、そういう訳で私はこの家族には必要ないんだ、という理路整然とした理由は私の中で徐々に冷えて溶岩の様にゴツゴツとして固まり、成人を迎える頃にはもうすっかり苔蒸して滑らかになり、たまに帰省した時など、父と二人で談笑しながら酒を飲みながら話すまでになりました。 

 なあ、オトン。俺はおった方がええ? おらん方がええ? 

 少し酔った父はこう答えたます。 

 そうやなぁ……そんな事をまともに訊かれたら、こっちもまともに答えなアカンのやろうけど、そうやなぁ、 きょうび子供4人は多かったかも知らんなぁ。正直、金もエライかかるしなぁ、いやいや別に実際におるからそらおったらエエんやけど。でも、もともとおらんかったら、いう事やったら、飽くまで仮説やで!仮説やけど、そうやなぁ、お前は、特におらんでもよかったかもしらんなぁ……。その方が家族として収まりが良かったかも知らんなぁ……。 

 いやいや、勘違いせんといてくれよ。タラレバのはなしやろ? その気で訊いてんやろ? こっちもその気で答えてるんやらな。だって順番的に考えて見ぃ。まずお姉ちゃんやろ、ほんでお兄ちゃんや、ほんでお前やろ、その下に妹がおる。 

 一人目は娘や。娘いうたらそりゃあもう、男親にとっては目に入れても痛ないほど可愛いのは当然や。これはお父ちゃんが決めたんとちゃうぞ。昔からそう言われているから必ずそうなんや。 

 ほんでお兄ちゃんや。な!一姫二太郎や、それが家族の理想的な形なんは、これも父ちゃんが決めたんとちゃうぞ。先祖代々、お歴々が尊い経験から割り出した黄金の真実や。それにうちは商売やってるから長男いうたら跡継ぎや。そりゃあもう下にも置かん様に育てんのんが親としての最低にして最大の義務やと、お父ちゃん真面目にそう思うてる。跡継ぎが大事にされるいうんもお父ちゃんが決めたんとちゃうしな。これも歴史が証明してる黄金の真実や。 

            

 実家に着くと義父はまた布団に寝ていました。まるで見覚えがない顔に驚いていると、ね、似てないでしょ? と言って義母が近づいてきました。  

 綺麗にしてもらったのはいいんだけど、なんか顔が違っちゃったわね。でもちょっと、笑ってるみたいでいいでしょ。 

 しばらく眺めていましたが確かに、綺麗ですが今にも起きて来そうな気はしませんでした。亡くなっている。時間の束縛から解放された遺体は独特で、ただ存在だけが圧倒的にドーンとそこにあるのです。どうすれば、どう接すればいいのかわからない。

 ほどなく葬儀社の方が来て、祭壇の設置場所や、葬儀会場に向かうまでの手順や役割の細かい説明を受けました。納棺の時、春冷えの寒い日が続いていた事もあって、寒いといけないからと掛けていた、実家で一番いい羽毛布団を、え!この布団も一緒に焼いちゃうんですか? と言った時の義姉の素直に驚いた表情に、その瞬間だけほんの少し空気が明るくなりました。 

 棺は私と息子と義理の兄と葬儀社の方の4人で霊柩車へと運びました。重いですから、力のある方が頭の方へ、といわれ、運送屋 という理由で私が頭の方を持つ事になりました。両膝の悪い私はおそらく一番不適任だったと思います。             

 ほんでお前やろ。せっかく一姫二太郎で喜んでたんが、なんやバランス悪なってしもたなぁ、て思たんは確かやな。 

 お前、水素が何で爆発しやすいんか知ってるか? あれはな、バランスが悪いからや。バランスが悪かったらバランスがええ方に向かおうとすんのんが、これもお父ちゃんが決めたんちゃう。これはもう分子レベルの常識なんや。これで宇宙も成り立っとんねん。乾坤不動、唯一無二の摂理や。これもお父ちゃんが決めたんとちゃうぞ。すべてがそうなってんねん、そういうモンやねん。 妹か? あれはお前、末っ子やないか。末っ子は家族のみならず、おじいちゃんおばあちゃんからも、みんなから可愛がられんのも、これも神様が決めたルールやで。お前がどうこう文句言うような事とちゃう!

             *            

 私は義父を乗せた霊柩車を、義母、義姉、妻、息子を乗せて追いました。風が強く吹いて、路傍の捨て看板が外れそうなほど揺れています。そして桜の花びらが目の前を激しく覆うのです。逃げているわけではないのに霊柩車は速く、激しい桜の花吹雪の中に見失う錯覚に襲われるのです。 私は必死に追いかけます。 もし見失ったら、家族ごともう戻れない。じゃあそのまま、お父さんと一緒に……。そんな気すらしたのです。 

 妻が言ったとおり、埼玉は京都とは違い、お通夜のお線香番は要らないようです。去年、私の実母が亡くなった時は、兄と二人で葬儀場に泊まって線香番をしました。兄は「オカンはお前の心配ばっかりしとったなぁ」と言いました。私は「違うて、信頼がなかっただけや」と言いました。多分両方本当でしょう。 

 長い病床生活のせいで母の体はもうボロボロでしたから、死に化粧を綺麗に施されたとはいえ、顔はやはり見覚えがなかったのを思い出します。オカン、やっと楽んなったな、と母の亡骸に話しかける兄を、楽になったのは兄貴の方だろうと思いながら見ていました。母が認知症を患い徘徊を繰り返すようになった時も、寝たきりになった後も、結局私は何も関わることがなかったので、母の死を悼むよりも、兄の労をねぎらう様な気持ちが強かったのです。 

           *             

 ほんでお前がまた病弱でなぁ。風邪いうたらみなひいとったなぁ。ほんですぐ高熱出してひきつけ起こすねん。 

 喘息も酷ぅてな、毎月一回は必ず仕事休んで病院に連れてかなアカンねん。それも片道2時間やで。「もうちょっと近くの病院でなんとなりませんか?」 言うたけど医者が、行け! 言うから行かなしゃーらへん。その途中でお前は毎回車に酔うてゲー吐くし、着いたら着いたで5時間も6時間も待たされて、診察は5分や! たったの5分! 「悪ぅも良ぅもなってません」そんでしまいや。それやったら電話で何とかなりませんか、いう話やで、正直。 

 ほんでまた車2時間運転して帰ってくんねんからこっちもヘトヘトや。1日仕事休んでこれかぁ……、ってな、商売人にはキツイで正直……。 

 ほんでお前がまたようイジメられてな。これも体がひ弱やからや思てな、鍛えたろう思って剣道やらしたら剣道教室でもいじめられてな、野球やらしたら野球チームでいじめられてな、性格もどんどん卑屈になっていって、ちょっとしたことですぐメソメソ泣くし拗ねるし、そのくせ根は頑固なモンやから一回拗ねたらなかなか機嫌直さへん。もうメンドクサイ!放っとこ! ってなるよ普通。お前だけのために親やっとんのとちゃうねん!こっちは。 

           *           

 義父は孫がもう中学生だと聞いて驚いていたといいます。もし病気でなければ、一緒に写真を撮って、入学のお祝いに美味しいモノ食べて、また一緒にゲームも出来たのに。 

 そう想像させる、義父の遺影は息子とゲームをしている時の写真でした。遺影としては珍しい、少し横顔の優しい視線の先にいる息子の姿が見える様な素敵な遺影でした。 

 読経が終わると、参列者で棺に花を乗せます。そうして義父の体をいっぱいの花で包みます。花を置く自分がとても偽善的に見えました。せいぜいこうして別れを惜しむふりをして、迷惑ばかりかけて、ろくにお礼も言わないまま、別れる事になった私は、こんな花で埋め尽くして義父を見えなくしようとしている。 


 おもちゃを買うにしてもね、お姉ちゃんはすぐに決めてサッと買っちゃうんだけど、すぐに飽きちゃうんだね。それに比べて下の子は、ジッーと見て、悩んで悩んで、やっと一つ決める。でもボロボロになるまで遊ぶんだよ。姉妹でも随分違うもんだなぁ、とね、おもしろいなぁ、と思ったよ。 

 いつか義父が自分の2人の娘の性格についてそう話していたのを思い出しました。言われてみれば確かに、妻にはそういうところがあります。スーパーで七味唐辛子を一つ買うにも、ジーっとラベルを見て、おもむろに棚に戻すと、その隣の七味唐辛子を取ってまたジーっと見比べる。 

 何にも変わらないって! 私は思い出し、思わず吹き出しそうになりました。そして慌てて辺りを見回したのです。 

 やはり私だけが他の人とは違います。私だけは義父との関係を、こんな黒い服を着て、かかとの潰れた黒い靴を履いて誤魔化そうとしている。私の置いた花だけが汚れて浮いて見えたのです。すると義父はむっくりと起き上がり、私の置いた花だけを、汚そうにつまんで棺の外に捨てるのです。 

 ストップストップ!! 

 そこや! そこがお前の一番アカンとこや! なんやねん! 何でもかんでも自分が悪い事にしたらそれで解決すんのか? それでホンマに納得してんのか? ほな何でそんな拗ねてんねん? ぜんぜん納得してへんやないか! それで周りはどうなんや? 納得してんのか? してへんわ! それで迷惑してる人も大勢おるんじゃ! ワシが実際そうや!  

 自分で勝手に拗ねるよう仕向けといて拗ねたんは周りのせいやってか?? アホ抜かせ! お前が思う様にばっかり周りは動かへんわ! 酔っぱらってる思って適当にお話を進めんなよ! ちょっと、貸せ! ワシにマイク貸せ! 

 あぁ、あ、え~、こんにちは。 

 このお話をお聞きになってる皆様。初めまして。私はこの男の親父です。ブログでなんて名乗ってるのか知りませんが、コイツは私のアホの次男坊の『智之』いいます。意味はありません。私が適当に付けました。きっといろいろご迷惑かけてることでしょう。せやから本人に成り代わり、先に謝らしてもらいます。 

どうもすんません。 

 でね、さっきコイツが勝手に書いてた私の言葉ありますでしょ。あれは、まあ正直、遠からずですわ。さすがによう見てるなぁ思て見てましたわ。いや、観察眼はね、昔から鋭いんです。虫好きでね。虫の細かい特徴なんか、上手に絵に描いてましたわ。そんな子ですわ。

 正直知りまへんでしたわ。そうか、そんな寂しかったんか、って。言われたらそんな負い目も、思い当たる節も、ない事はない、でもね、皆さん。 

 私は私なりに必死やったという事、良かろうが悪かろうが、私にはこれしか出来ひんかったという事をわかって欲しいんですわ。 

 私の親父は戦争で死にましたわ。私が8歳の時ですわ。それからずーっと死ぬまで、私は独りぼっちですわ。ホンマのオカンは私が赤ちゃんの時に死んでますからね。抱っこされた記憶もありません。おまけに私、長男でね、親父が出征しておらへんから親父代わりに働かなアカン。学校もろくに行かんと、軍需工場で人殺しの道具作ってました。でも子供やから借してもらえる道具も使い古しのボロボロばっかりで、やすりなんかもうツルツルで全然削られれへん。それでも、お前!ちゃんと磨け! 言うて大人から頭バシバシしばかれて、泣きながら家着いたら、2人目のオカンが弟に乳あげとるわけですわ。ただいま、言うても返事もくれません。しゃーない。乳やりながら疲れて寝とるんですわ。 

 ほんで私は一人で飯食うんです。薄暗いあばら家の卓袱台で冷めたそれも固い固い飯をですわ。しかも全然足りひん。もうね、寂しいとかそんなレベルちゃいますよ。死にたいとも思わへん。とにかく笑いたい、腹抱えて笑いたい。ホンマそれだけですわ。  

 いえいえ、同情なんか要りませんよ。そんな時代に生まれたんは誰のせいでもない。でもね、同情はどんどんしてあげてください。しかも無条件で。同情こそが究極のエゴイズムやと思うんです。ほんでそんなエゴイズムこそが、ホンマの愛情やと思うんです。学がないんでね、難しい事は一切わかりまへん。でもね。

『情けは人のためならず』言うでしょ? ホンマにそこに掛かってると思うんです。悪い奴は後を絶ちません。悲惨な出来事もなくなりません。それでも楽しい思いしたいでしょ? 出来るだけ楽したい思うでしょ? 素敵な思いしたいでしょ? ほなそうしましょ、したらいいんです。しましょ、しましょ、でもね。 

一緒にしましょ。 

 もう、いい……。 

 エエ事ない!もうちょっとで終わるから最後まで言わせろ!皆さん、必要ない人間なんて、古今東西、どこにも一人もいてないんですよ。 オウムの大将も、鉄十字のドイツ人も、要らない人間じゃないんです。生まれた時はみんな首ガクガクで足ヨチヨチで、誰かがそのおむつを満身の愛情をもって替えたんです。私もこの子に言わしたら親失格。でもね、そんな親を必要ないなんて言うたらなんも始まらんでしょ。どう思います? 

 いいって! 

 エエ事ない!一つ言えんのは、私にはあの子が絶対に必要やったという事。それは私が望む望まざるに関係なく。あんな出来損ないの、病気ばっかりして、勉強もスポーツも出来へん。ひねくれモンで人の邪魔ばっかりして、いろいろ問題を起こして、中学も高校も、何べんも呼び出しを喰ろて、そのたんびに、すんません、すんません、て下げたもない頭下げて。 

 いいんです! 

 エエ事ない!でも私はね、あの子が私をどう思おうと、どうしても感謝するしかない。したくなくてもするしかない。それは私も幸せでいたいから。私の人生はあの子なしには全てあり得なかった。今は時間の縛りから抜け出て平らかに見てます。自分の人生を平らかに。そしたらすぐにわかります。遠くの山も、近くの川も、その形になったんは、すべて全部のおかげだとすぐわかります。楽しい事はこっちのおかげ、苦しい事はこっちのせい、なんて線は何処にも引いてません。まあ、なだらかなもんですわ。生きてるうちは、多かれ少なかれ手の足の引っ張り合いでしょう。 その足の引っ張り合いを……、

 もういいですって、お義父さん。 

 ん? 

 もう、いいんです。  

 あれ、バレてたの? 

 ダメですよ、勝手に親父に成りすましちゃ。 

 あ、そう。なに、バレてたの、ハハハハ。 


 その時、静かにぶ厚い扉が閉じました。そして棺は完全に見えなくなりました。これぐらい殺風景な方が本当のお別れらしいと私は思います。 

 だってうちの親父はそんなこと言いませんもん。私の親父の葬式に来ていただいた時、お義父さん、もう少し早く来るべきでした、って項垂れましたよね。だからきっと、お義父さんならうちの親父の事を、もうそんなに悪く言うのはやめなさいな、とそう言うだろうなと思ってました。私は私で、親父は親父、お義父さんはお義父さんって、どこかで分けて考えていたんですね。でも確かに、今こうしてみれば何も変わらない。どこにも境界線なんかない。何もかもがいっしょ……。


 私達は、『時間』という細い綱の上を歩いているうちは、おい!揺らすなよ!絶対、揺らすなよ! ってダチョウ倶楽部みたいに大騒ぎするんです。そしてそれに終始して終わるんです。でもいざ両足が地面に着いてみると、別に何も起きていない事に気付くんですよね。私は今、父と同じ事を考えています。私はずっと一人でした。でもそれは悲劇と言うのではなく、あまりにも暖かく、至極当たり前の事だと言いたい。私は一方的に、父に感謝したいのにできない、甘えたいのに甘えられない、そのジレンマを隠してていたんです。父ちゃん父ちゃん父ちゃん!と、あと100回も1000回も呼んで駆け寄りたかった、でもそれが出来なかった、そんなジレンマを私は今もずっと誤魔化しているのです。 そしてこれからもずっと、生きている限りはずっと誤魔化し続けるのです。しかしこれをこれを簡単に悲劇と言ってしまうと、私の人生はもう悲劇以外のナニモノでもなくなるのです。だから私は決してそうは言いません。私には、誤魔化し続ける崇高なる理由があるのです。

 お義父さんは、もういいんですか? 

 うん、もっと残念かと思ったけど、実際そうでもない。早く死んでも長生きしても、そんなには変わらない。生きていたいのは生きている間だけだって事に気付いたよ。きっと京都のお父さんもそうだよ。だからそんな残念がる事はない。死んだあとも、どんどん考えてあげて、印象を変えていけばいい、そうすればいつか仲直りだって出来る。それが真実だと思うよ。 

 そうですかね。じゃあ私もまだ遅くないですかね? 

 遅いとか早いとかはすべてなくなるからね。本当はもっと広くて緩やかなもんだよ。いいと思う。 


 お骨が、太いですね。 

 葬儀場の人がいいました。義父はがっしりした人だったのでそうでしょう。刷毛を使って、細かな欠片まで集めて骨壺に入れると、少し蓋が締まりづらいほどでした。 

  違うもんだね。 

  ね、違うでしょ? 

  うん……。 

 私の田舎の京都ではお骨をすべて骨壺には入れません。喉仏と、あとは数カ所の決まった部位の骨を入れると、残りは処分してしまいます。 

 これからだね。 

 うん、まだいろいろ、お香典返しとか、三回忌、七回忌とか、まだまだ大変だから。 

 うちは一番近くに住んでいるんだから、お母さんの手伝いをちゃんとして。 

 そりゃ、言われなくったってしますよ。 

 義父のいない宇宙はそれから、あまりにも優しく暖かな慈雨を降らせました。これを優しさと言わずして何というのでしょう。私は普通に戻りました。妻もその様です。 

 今一番正しくお別れが出来たと思い、少し嬉しいぐらいの気持ちです。 

『いきてるきがする。』《第3部・冬》


《第三部・冬》

もくじ



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第23章(母親からの手紙)

 寒い朝です。テレビでは今年一番だと言ってます。運動を心掛けると決心したはずなのに、気付くとパジャマのまま、リビングで猫の頭を撫でながら、日向にだらしのない影をくゆらせていたります。今年もあとわずかですね。

 息子の野球も今シーズンは終了。よく頑張りました。最後の試合、すごく面白かったよ。3打数2安打2打点1得点。全5点中3点に絡む大活躍だったな。来年はもう中学生か。きっと野球の練習もこれまでよりもずっと厳しくなるぞ。そういう意味でも、お前は今、本当に大切な時間を過ごしているんだなぁ、と見てて思うよ。

  そして父ちゃんも今、大切な時間を過ごしている。父ちゃんにとって大切な時間というのは言うまでもなく、お前とお母さんととのまと過ごす時間の事だよ。そうやってね、世の中のお父さんはホクホクしながらお金を稼いでいるんだよ。別に感謝なんかしなくていいからな。好きでやってるだけだから。

 いつの間にか街路樹はすっかり葉っぱを落とし切って、まるで竹ぼうきみたいな先鋭な枝を幾本も冬空に向けては、ぴゅーぴゅーと凍えております。

  先日は突然お邪魔しまして失礼いたしました。〇〇〇(今の子の本名)の母でございます。

 あの子がそちらでお世話になっていると聞いて、お礼かたがた出向かせていただいたつもりだったのですが、とんだお見苦しいところをお見せしてしまって申し訳ありませんでした。

 ところで、あの子はどういうきっかけでそちらのお店のお手伝いをさせていただくようになったのでしょうか。我々の監督不行き届きを棚に上げてこんな事を言うのは誠に心苦しいばかりなんですが、見てもお分かりだと思いますが、あの子はまだ未成年でございます。お店を手伝わせるのであれば、なぜご一報いただけなかったのかと、それだけを主人ともども非常に残念に思っております。

 御存じとは思いますが、中学生を働かせるのは法律違反です。やむを得ない場合でも親の同意が必要です。今回は皇極法師様によって、すぐに居場所を突き止められたからいいようなものの、我々がもし捜索願を出していたら、あなたは誘拐犯として逮捕される可能性もあったのです。それはあなたも望む結果ではなかったと思います。

 脅しているように聞こえたら申し訳ありません。そんなつもりはありません。私たちただ、我々家族の平穏な暮らしに、是非ご協力いただきたくお願いを申し上げているのです。そのためにはあの子と我が家について包み隠さずお話しして、事情を十分に組んでいただいた上で、ご納得いただき、一日も早くあの子が我が家に帰って、前と同じように、家族で一緒に仲良く暮らしていく事を、あなたからも強く説得していただきたいのです。   

 あの子は我が家に長男として生まれました。とても小さな、2000グラム少しの赤ちゃんでしたが、大きな声で泣いてくれて、私は嬉しくて涙が止まらなかったのを覚えています。

 あの子は、とても優しくて、賢くて、よく笑う、本当に我が家の太陽でした。

 その翌年、双子の姉妹を授かりました。先日、そちらのお店に一緒に連れて行ったのがそれでございます。可愛い笑顔と笑い声に包まれて、私達は本当に幸せでした。

 ところがあの子が中学になった頃から、友達数人による、あの子に対するいじめが始まり、あの子は部屋に閉じこもるようになりました。我々はあの子に何とか学校に行ってもらおうと、学校とも担任の先生とも何度も話し合いましたが、あの子は、自分はこの家の子供じゃない、ここは自分がいる家族じゃない、の一点張りで全く聞く耳を持たなくなったのです。

 そういう病気があると聞きました。思春期の子供は、心も体も成長する時期であると同時に、バランスを崩しやすい時期もあり、強い外部からの圧力でいったんそのバランスが崩してしまうと発症する病気だと聞きました。自己肯定感が持てず、世の中に対して強い不安や不信を抱いてしまう。他人は親も兄妹もすべて自分を除け者にしているように感じて、誰も何も信用できなくなる。

 まず環境を変える事だと、カウンセラーに言われました。 新しい環境で、出来るだけリラックスして過ごす事だと。我々は和歌山県に引っ越したのです。和歌山県は私の生まれ故郷でもあり、自然も豊かで、親戚もいとこもたくさんいるのです。環境が変われば、きっとあの子も元の朗らかな子に戻ってくれると、そう信じていたのです。

 でもダメでした。あの子は、どこに行ってもお前らと一緒にいる以上一緒だ、と言いました。私達のいったいなにがいけなかったのでしょう。私達はいったいどうすればよかったのでしょう。

 悪魔が憑いていると言われました。藁にも縋る気持ちで、私達は悪魔祓いの儀式まで受けたのです。神父の手からあの子に聖水を掛けられた時にあの子は、ふん、ただの水じゃねーかよ、と言って笑ったのです。その眼はもう私の知っているあの子の眼ではありませんでした。のちにその聖水は本当に水道水だったと聞かされて驚きました。神父は、悪魔祓いは精神のバランスを取り戻すための治療で、水なら何でもいいと言いました。

 そう我々だって嘘でもいいんです。本当が目も当てられないほど酷い物なら、一生嘘の中に閉じこもってもいい。でも私がそんな不埒な事を思ったせいでしょうか、それともこれが言霊の恐ろしさでしょうか。そう思った途端、私はあの子の事が急に疎ましく思えてきたのです。あの眼付き、体、声、匂い。何もかもが私の知る息子のモノではありませんでしたから。

あれば私の子供じゃない……。

  あの子のあの体には一体、何が住んでいるのでしょうか。堪り兼ねてそう訊いた時、皇極法師はこう仰られました。

 誰もおらん。

 私はホッとしました。私の勘は、半分当たっていたのです。私は皇極法師に出会い、この世の中でようやく味方が出来た気がしたのです。


 

 

第24章(洗脳)

 毎朝必ずコーヒーを飲むことにしています。インスタントコーヒーね。そしてヨーグルトを、カレーライスのスプーンに2杯ぐらい食べます。そうすると前日のお酒が嘘のようにスッと抜けるんですね。でもこれじゃいけませんね、コーヒーに頼りっ放しって。 まるで秘密のおまじないのようです。

 昨日UP-Tに3店舗目を作ったんですが、今ちょっと休止中です。またすぐ復帰します。こうご期待! 

 しかし、もう正月ですね。静かな正月になりそうですね。そしてまた1年やり直し。そんな気分が年々強くなるような気がします。希望と未来が、諦念と過去に凌駕され続けているという事なのでしょうか。もっとしっかりしないといけません。

昔のように華やかな状態に戻さなければ。 

 オレンジ色のモヒカン頭で、ジャンポールブレリーと、デヴィッドフュージンスキーバーノンリードジミヘンドリックスデヴィッドギルモアを足して濃縮した様な、化け物ギターリストになって、天才の名を恣にして、全国、全世界ツアーに出掛けると本気で思っていた頃のバランスに、ほんの少しでも近づけるように……。 

 忘年会はどうする? と息子に訊くと、育ち盛りの息子はとにかく肉を喰いたいと言います。 

 よし、じゃあ、そうしよう。 すたみな太郎で。


 今、私の気分がやや沈んでいるのは、例の今の子の母親からの手紙の返事が、ともすると喧嘩腰になってしまったのではないかと悔やんでいるからです。今の子の母親からの手紙を読むうちに、私は親という存在のあまりの身勝手さを腹立たしく思ったと同時に、親という存在の恐ろしさが冬の寒さの様に深々と忍び寄ってくるの感じたからです。 

 先日はご来店いただきまして誠にありがとうございました。『ひざ通商。』の代表を務めております。〇〇〇(私の本名)です。早速、〇〇〇(今の子の本名)君に店を手伝ってもらう様になった経緯をお話しいたします。 

 私があの店を立ち上げたのはこの夏の頃です。コロナが世間を震撼させていた、まさにその頃です。私はトラックドライバーを生業としておりますが、他の業界に違わず、運送業界もこのコロナの大打撃を受けて、仕事が激減しておりまして、そのために私は副業として、この仕事を始めました。 

 副業と言いましても、私はこの世界に直接店を出しているわけではありません。

 私が今話しているのは、私のブログの中の世界に対してなんです。なかなか信じてもらえないと思いますが、例えばパソコンや携帯電話のスイッチを切ってしまえば、私はこの世界からいなくなってしまうのです。そんな状態で、私は〇〇〇君に出会ったのです。息子さんは、もう一人の少年と2人で私の店を訪れて、手伝わせてくれと、そう言ったのです。 

 先程も申しましたが、私は普段トラックドライバーをしている関係で、日中は店を覗いたりする事はほとんどできません。なに、別に覗かなくてもネットのショップなので店番は要らないようなモノなのですが、まずはコンセプトとして、ブログの中に、あたかも本当の店を経営しているという風にしたかったもので、それで2人にお店番を頼む事にしたのです。 

  2人は私に、帰る家はあるが帰れない。そんな事情を汲んで欲しい、という趣旨の事を言いました。そう言われると私にはそれを疑う余地はありません。なぜならば、この2人をネットのフリー画像の中から見つけたのは私だからです。

 ネットのフリー画像の中に、私の子が?  

 あなたはそう訝しがられるかもしれません。しかし、私の方からすると、 

 ネットのフリー画像に、人間の親が? 

 となる訳です。斯様に、私達はとても微妙な関係にあるのです。誘拐犯として私が逮捕されたかもしれないと仰いましたが、それはないでしょう。なぜならば私はパソコンと携帯の電源を切れば、もうここにはいなくなるのですから。

 いよいよ頭がおかしいとお思いでしょ? でも考えてみてください。実際の世界でも、死ぬとはそういう事じゃないでしょうか。

 そして任意にスイッチを入れると、死んでない事になる。生き返ったのではないのです。死んでいない事になるのです。我々は現に、毎日そうやって生きているのです。 

 皇極法師様は私に、徹底的にあの子を孤独に曝せ、と言いました。

 あの子の魂は今、自分の体を疑って寄り付けないでいる。それで空き家の様になった体に、とっかえひっかえ邪気や悪鬼が入れ替わっている。悪魔祓いなどやったところで、またすぐに別のモノが入ってくる。同情して優しくしようものならそれこそ相手の思うと簿だ。だから、徹底的に冷たくして、誰も何も寄り付かないようにすれば、幾らなんでも、あんな寒いところに誰かいるなんて思えなくなる。そうすればようやく、息子の魂は少し疑うのをやめ、心を開きかけ、そしてこの体に帰ってくると。私は心を鬼にして、あの子に出来るだけ冷たく接しました。それは身を切り刻まれる思いでした。そんなことが自分に出来るのか、そんな事をして私は酷い親ではないのか。 

 あの子はますます私に反抗的になりました。 


第25章(私の宇宙)

 緩やかな冬の日差しがベランダからリビングに差し込んでいますが、きっと4時半を過ぎるともう暗くなってくるでしょう。だから5時には帰って来いと、そう言って息子を遊びに行かせたのです。 

 仕事をしている時、私はラジオをつけています。だいたい、FM-TOKYOを聴いているのですが、その放送の中で、タレントの風見しんごさんが出ている農協の交通事故ゼロキャンペーンのCMがあるのです。風見さんの娘さんは、登校途中に交通事故で亡くなっているんです。風見さんは、 

 お子さんに、繰り返し危険を教えてあげてください。と仰ってます。事故が起きてからでは遅いから、と。運転者としても父親としても、身に詰まされるCMです。 

 だから私は息子が野球の練習に行くとき、学校に行くとき、そして遊びに行くとき、必ず、車やバイクに気を付けろよ! と一言声を掛けます。仕事で朝が早い時は、息子が小学1年生の時、父の日に描いてくれた私の似顔絵に、何もない、何事もなく必ず帰ってくるから、お前も必ず無事で帰って来いよ、と声をかけてから出掛ける事にしています。 

 願掛けですね、強迫神経症の軽いヤツです。 

 息子はちゃんと5時前に帰ってきました。そしていつもと何も変わらずに、腹減った!と言って年末にお正月用に買っておいたミニラーメンを食べ始めました。私は風呂を沸かそうとして1階に下りたんです。そして風呂の栓をしようとした時、2階で何かが床に落ちる物音がしたのです。息子が食べていたのはマグカップに入れるタイプのミニラーメンだったので、私は息子がそれを落としたのだとすぐにわかりました。普段からゲームをやりながらおやつを食べたりして、その事を再三注意をしていたので、おそらく今回もそうだろうと、おい、何落としたんだよ! と言いながら2階に戻ったんです。 

 2階のリビングにはラーメンが散乱して、息子が倒れていたのです。手足を硬直させて、痙攣しているのです。私は頭が真っ白になって、自分が誰なのか、それしかわからなくなったんです。私はこの子の父親。 

 おーい、おーい、そう言って抱きすくめても暫く息子の体はがたがたと痙攣を止めませんでした。やがて少しずつ力が抜け始めると、今度は大きな鼾をかき始めました。そして、目が白黒に戻り、少しずつキョロキョロと動き始めたのです。これで、まず大丈夫な事は、私は知っていました。 

 救急搬送された病院では、てんかんの可能性がある、と言われました。それも、だいたいわかっていました。2か月前、同じように学校でも倒れていたからです。  

 ただ……。 

 万が一、そう考えると現実を信じる気がしなくなるのです。そして、あの子がこの事を気に病まないか、そう思うとますます、現実を信じる気がしなくなるのです。 

 でも、現実を胡麻化す事は出来ても、信じない事は出来ません。だから私はこの事で、息子よりもまず、自分が傷つかないようにすると決めたのです。息子は何処でどんな状態でいても、私にとっての宇宙であることに変わりはない。私はその宇宙に住んでいる。そして息子は私の夢の中に住んでいる。 

 私が傷付くと、息子の住む世界が曇るのです。 

 息子が傷付くと、私の住む宇宙が歪むのです。 

 親は子のためにいるのでもなく、子は親のためにいるのでもないのです。ただお互いに絶対に必要な存在であるという、この事だけは疑う余地もないほど確かな事だと、まずはそう決めたのです。そしてこの、必要である、という事実を、私は私の力の及ぶだけ、一番大きく解釈したいのです。現実も、命も、時間も超えて更に尚大きく。 

 今の子の母親の手紙は、このあたりから私の感情を逆撫でし始めました。 

            


 あの子の反抗的な態度や、仕草、暴力は、あの子の回帰を阻む虫どもが苦しむ姿に見えてきたのです。私は、自分がおかしくなっている事に気付いていました。でも同時に、それに必死に抵抗しているのも私だと、そうも気付いていたのです。私はあの子を無視し続けました。そして、虫どもを苦しめる、さらに効果的な方法を発見したのです。 

 私は無視を保ちながら、時々優しく話しかけるという技を編み出したのです。これは私が思いつく限りの、一番残酷で効果的な手段でした。虫どもは私の策にまんまとはまりました。そして掌を反すように優しく話しかける私に、待ってましたとばかりに、さも息子の様なフリをして甘えようとし始めたのです。周りから見れば息子が心を開いている様に見えていた事でしょう。でも今そんな事で気を許すと、虫どもの思う壺です。きっともう少し、もう少しで、息子はこの体に帰ってくる。 

 皇極法師は私のやり方を褒めてくれました。実に息子思いで、優しいいい方法だと。反発させていては長引くばかり、決して心を見せず、ただ優しく接するのは、母親の本能を持つ本当の母親にしかできない事だよ。そう言ってくれたのです。私は涙が出ました。皇極法師だけが、私を理解してくれている。 

 しかしある日、あの子は突然いなくなりました。釣り糸が切れた様に、ふっつりと手応えがなくなったのです。肝心の体が、家に帰って来なくなったのです。主人と相談して警察に捜索願を出しました。2日後、森の中でうずくまっている息子が発見されたと警察から連絡がありました。主人と私は急いで警察に向かいました。そこにはカップラーメンを持って俯いている息子の体がありました。あの子は私達を見るなり、泣きそうな顔になったのです。 

 その顔を見て私は虫どもが、いよいよ息子の体を持て余していると確信しました。もう少し!もう少し! 

 駆け寄って抱きしめた息子の体からは、胸を突く獣のような臭いがしました。私は必死にそれを我慢して、どこに行ってたの! と言ってさめざめと泣いて見せたのです。勝負ありです。そうしながらテレパシーで、息子の体ごと逃げようったってそうはいかないよ、あの子の体はお前の意のままにはならない。生きていけないんだよ。この世の中で、中学生を雇ってくれるような場所はそうそうないからね。そうやってお前はヨボヨボの爺ぃになるまで一生、交番のカップラーメンだけを食べて生きていくつもりかい? 舐めるんじゃないよ! 人間は、人間の体は、お前が考えるよりもずっと面倒くさいんだよ! 

 帰りのタクシーの中で、あの子は嬉しそうでした。父さんと母さんと3人なんて、何時ぶりだろう、そんな事を言いました。家に帰るとまた、私のおぞましい責め苦が待っている事も知らずに……。 


第26章(闇に潜む善)

 限られた時間の中で、どれだけ有意義なことが出来るか。時間に縛られた人間は、体と魂を分離して考える事を極端に怖がりますからね。縁起でもない! ってね。純粋に可愛いと思います。あ、いえいえ、別に見下しているのではありませんよ。羨んでいるのです。 

 私には終ぞ、そんな瞬間はなかったから……。必死に命にしがみついたような、そんな覚えがないんです。 


 私の三賀日は毎年とても忙しいのです。箱根駅伝を見なければいけないのでね。お正月はこれに決めています。毎年私の母校、東海大学がどんな走りを見せてくれるのか楽しみです。見渡す限りの瞬間が、彼らをぐるりと取り囲んでゴールテープの様に待ち受けています。 

 息子は私がテレビを独占している間、ゲームが出来ないと不満げですが、私は箱根駅伝だけは譲りません。それと理由はもうひとつ。 

 息子に痙攣を誘発させた原因の一つには、去年のクリスマスに貰って以来、ずっと気に入って遊び続けている、ニンテンドーswitchがあるのではと疑っているのです。 ありましたよね、『パカパカ事件』ポケモン、でしたっけ? 画面のフラッシングに見ていた子供が痙攣を起こして倒れたという、あの事件。

 私は視力が弱いので、ああいう色鮮やかな画面が目や脳に負担を掛けているのがはっきりとわかるのですが、夢中になってる子供達にはわからない。 

 ちょっとは、大切な目と脳を休めなさい。 

 でも息子は止めません。そして私も、そう言うだけで息子からゲーム機を取り上げる様な事はしません。この子の楽しい時間が、楽しげに遊んでいる時間が、私自身、もう何よりも好きだからです。どれぐらい楽しい時間を過ごすかどうか、これが幸せを測る一番正確な物差しになると本気で思うからです。こんな時間が息子にも私にもずっと続けはいいと、毎日、毎秒、欠かさずそう思っているのです。 

 あなたの手紙からは親としての苦悩が溢れて、同じ親として読んでいてとても心が痛みました。確かに、私は少し常識に外れていたかも知れません。この世界を、所詮は私がブログとして立ち上げたこの世界だと軽んじて、礼節を欠いた行動をとっていたのかと思います。それについて深くはお詫びいたします。

 しかし私はあなたの手紙を最後まで読み、あなたに〇〇〇君をお返しする事は出来ないと判断しました。私は少なからず絶望したのです。絶望的なほど、貴方と私の距離が近いのです。それはもちろん実際の距離の事ではありません。あなたは私に無断で私に近づきすぎたという事です。おかげで私は、自分の全てを見直して、安閑と暮らしていた家族との時間まで疑わなければならなくなりそうです。しかしあなたはその事を、自分の息子への愛が与えたパワーか何かの様に勘違いしている。 私が一番嫌いなのはそういう、闇に潜んだ善なのです。闇をエサに蔓延ろうとする、邪悪な善なのです。

 私は今こうしているのがとても辛いしとても楽しいのです。でもそれに気付く事はありません。それは生まれた時間から死ぬ時間までの間に全て喜怒哀楽は相殺されていて、何一つとして集約できる事などないからです。しかし無理にでもそうしなければ、私はあなたに対峙できないのです。あなたが私にバカ!と言う、すると私はあなたに、何だと!といいかえす。これはあなたと私がに対峙していないと出来ない事です。それはつまり、あなたと私が時間と場所を同じように固定する事です。連綿と続き途切れない時間と空間を不自然に切り取って、あられもない断面を晒し、それについて議論するという事です。 

  あなたと話す時、私もあなたも、固定された時間に、つまり写真に話し掛けているのと同じなんです。 

 バカバカしいでしょ。コイツ、完全に頭がいかれている、とお思いでしょう。そうです、他人の話を聞くなんてそんなもんです。大概はうまく伝わりません。だからもうやめます。結論から言います。 

 私はあなたに、息子さんを、〇〇〇君をお返ししません。彼の魂も、体も、暫くは私のブログの中に、そしてあの道祖神の中に、いてもらう事にします。 

 彼は私に言いました。 親はまだ自分に気づいてない、と。あなたたち家族を、ただのエキストラさんだとも言いました。どういう意味だか分かりますか? あなたの知っている息子さんは、あまりにもあなたの都合に合い過ぎていて、彼すら寄せ付けない。彼はその事を困っているのです。彼は苦しんでいる自分がいる事にも薄々気づいています。覗き込んだ流れの中に、ふと現れる苦悶の表情、そんな感じでしょうか。それは抗いがたい不安です。

 あなたが今必死に彼の中から追い出そうとしている虫、それも息子さんであることを、あなたはちゃんと気付くべきです。都合のいい息子だけを、自分の知っている息子だけを息子だと思ってはいけません。そしてその、皇極何某の様な類の人を妄信しない方がいいと箴言させていただきたい。こういう輩は何処にでもいます。そして人の弱みに付け込んで、もっともらしい事を言うのです。そういう才能には、恐ろしく長けた人種なのです。 

 彼があなたにとって、そして〇〇〇君にとって役立つことはありません。すぐに縁を切って、すぐに〇〇〇君を何も言わずに抱きしめてやってください。 

 あなたが私の店で話しかけていたあの道祖神を、あなたは実際には見た事がないかと思います。あれは群馬県吾妻郡長野原町応桑にある諏訪神社の鳥居の左側に鎮座する道祖神です。 一度見に行かれたらどうですか? そうすれば、彼があなたが思うとおりの息子かどうか、わかると思います。

 あなたには息子にしか見えなかったでしょ?でも実際はそうじゃない。そういう事が、実際にあるのです。

 自分が生きている間の、せいぜいいい時間だけを選んでそれだけを自分の息子とする事はどうか止めてください。過去、現在、未来、すべてが息子であると思ってください。それが本当の意味で言う、希望なんです。それは続くのです。体が、命が尽きた後も、その先の先の先まで。       


 なんという疲れる手紙を書いたモノかと思います。これじゃあまるで私は気の狂った人間にしか見えないでしょう。このご婦人も私の手紙を読んで、気の触れた男に息子が拉致されているとして私を誘拐犯として通報するかもしれません。出頭しろというならするならしようと思ってます。 

  そしてこの手紙を書いた直後、息子が倒れたんです。その瞬間、私はバチが当たったのだと思いました。 

 バチが? 当たる?  

  ご覧になってわかる通り、私のロジックはまだまだ隙だらけです。自分の覚悟もあまりにもおざなりでした。そこに付け込まれたのでしょう。

  でも実際あるようですよ。 思い当たる節は、私の中にいくらでもありますから。 

 私は息子が倒れた背中と同じように、その倒れた時間を何度も何度も撫でて、願わくばその手触りが滑らかになる様に、何事もなくなるまでなで続けようとして、棘が刺さったのでしょう。そんな甘くない、そんな誤魔化しは効かないと、そう言われたのでしょう。

 現実とは想像もすべて含めて現実であるという事。 

 私には私の事は何もわかりません。だから生きているのでしょう。生きていられるのでしょう。 

 では今日もそろそろ出かけます。どこへって、仕事ですよ。私はトラックドライバーですから。 


         

第27章(Mother)

 

 あなたにはわからないと思います。 

 いきなり目の前から我が子がいなくなる事の、身を切り刻まれるような痛みは。 

 やっとみつけたんです。 

 お願いです、どうか、バカな理屈をこねて、私の心をいたずらに疲弊させず、家族の愛を無茶苦茶に踏み散らさず、速やかに、息子が戻ってきた息子の体ごと、我々家族の元に返してください。 

     *           

手紙をポストに落とすと、カーンという乾いた音がしました。晴れた冬空の様な高らかな音です。何もない、何の意味のない音です。今年は年賀状も届かなかったので、なんだか寂しい正月ですが、それもずっと前からわかっていた事ですから。  

 母は去年の11月に亡くなりました。私がこのブログで沈黙していた時間と重なっていると思います。母は年を越せませんでしたね。享年82歳。最後の数年は本当に可哀想でした。亡くなる前日の母の様子を、姉が携帯カメラで撮影したものを見せてくれました。目や口が微かに震える様に動いています。 

 母の命の火は、水面を微かに揺らしながら燃えている、そんな圧倒的な弱々しさがありました。そしてほどなく火は消えました。何も惜しまず、何もじらさず、ただ為されるがままに淡々と消えたようです。そして母が元居た場所のさざ波は消え、ただ何もない水面に戻りました。 

 姉はそれを確かめるように、母の額を何度も触ったり頬を触ったりしていますが、私にはそれがどういう意味だかよくわかりませんでした。 

 私の喜怒哀楽は常に相殺されて起伏はありません。穏やかな状態です。この後、家に戻ればきっとまたブログの続きを書くか、或いは新商品のデザインをするでしょう。気に入ったモノが出来たら嬉しいし、売れたら尚、嬉しい。しかしそれもすぐに相殺されていて実体のないモノになります。すべてのモノも、波も、音も、色もです。そんな状態で、私はこのブログを書いています。きっといつか誰かの、何かの役に立つような気がして、本当にただそんな予感のために書いているのです。 

  あの手紙は本当に届くのだろうかと少し疑っています。実際に出したのだから住所が間違っていなければ着くという事です。 

 リンクしたのでしょうね。今の子の母親が息子を必死に探すあまりに少しずつ拡張させていった『今』と、私がブログで作った『今』が。こんな事はきっとよくある事でしょう。そしていつか自分がそのどっちに住んでいるのかよくわからなくなればそれが、今よりずっと本当であることを、私は微塵も疑いません。 

 あれから、息子の様子は落ち着いています、今日は日曜だから、きっとまだ寝ています。帰ったら起こしてやろう。それとももう起きているだろうか。そしてうっすらと寝腫れた菩薩の様な顔をムスッとさせて、この正月に買ったばかりの大型の座椅子に座りながらぼんやりとテレビを観ているだろうか。 

 私は、おはよう、といってやろう。そして頭をガシガシしてやろう。きっと息子は面倒くさそうにその手を払いのけるだろう。 

 最近返事をしなくなってきた息子。そうしてだんだん自我をもって、その分、孤独になっていけばいい。それは私は助けない。私が助けるのは命だけだと、そう決めてるんです。いずれ同じ水面に戻る事を、私も息子もよく知っているのですから。 

 久々に店を覗いてみましょう。

 琥珀のようなヒンヤリとして少しも温かくない、粘っこい蜜の様な冬の陽光が店中に満ちています。36歳の大きな金魚の影が、英字新聞の上に揺れています。そして二人はいつものように、店の真ん中に座り、相変わらず何かコソコソと話をしている様子です。無限の記憶を持つモノ同士は、あらゆる話をするのですが、それはすべて時間を区切っただけの雑談なんですよ。 

          


 あのさぁ、地震の時さ、どこにいた? 

 山の上にいたよ、真っ黒い水が町を飲み込むのをみてた。君は? 

 気付かなかったんだよね。あっという間で。 

 あ、そうなの。苦しかった? 

 全然、あっという間だよ、あっという間。 

 私は少し身構えました。どうしてか、何とかして二人のこの会話を止めないといけない気がしたのです。私の悪い癖かも知れません。どうしようもない時間を何度も何度も撫でては何とか滑らかに鞣そうとする。それは誰でもやってしまうでしょ? あなただって、ついやってしまってるでしょ?

 2011年3月11日。 

 東北を襲った大地震は、1万5000人を超える死者と、2500人を超える行方不明者を出した。 

 思い出しても尚、私の心は平穏で穏やかなままです。ただ、あの時、ボロボロと泣いた記憶だけが、全く今の事のようにしてありありと蘇るだけです。私はコンタクトレンズのケースと洗浄液を数ケース被災地に送りました。都庁のサイトに本当に足りないモノのリストがあり、そこに書かれていたのです。妻は生理用品と紙おむつを送りました。やたらと毛布ばかりが送られて、正直迷惑してます! というコメントには批判する声が出た。 

 救援物資を迷惑とは何だ!! 

 善意は誤解されたわけでもなく届かなかったのではない。初めからなかったんです。対岸の火事に、視聴者参加型番組のように、少し触ってみたら、予想と違う面白くない反応を示されて面白くない。 

 被災した弱者のくせに! 生意気だ! 

 という全く残虐なだけの、救済の振りをした憂さ晴らしが、被災地を何度も何度も、津波のように襲ったんです。 

 私はまた、そんな様子を目の当たりにして大泣きした。 

「でも、よかったわ。」こんな声が聞こえたんです。 

「あのミサンガ、お姉ちゃんよね。うん、間違いない、お母さんはっきり覚えてるもん、あれはお姉ちゃんだわ。顔はね、もう全然わからない。でも、よかったわ。やっと見つかった。やっと帰ってきた」 

 私は号泣しながら、嗚咽と共に目を覚ましました。目の前の道路で水道管の埋設工事が始まりガンガンと、うるさいのです。そして家全体が揺れるのです。 

 息子は隣ですやすやと眠っています。少し頭を撫でてみたら、寝ながら私の手を面倒くさそうに払い避けたのです。 

 生意気な……。 


第28章(入院)

             

さてと、私は重い腰を上げます。もう何十年も前から、休日は私が風呂を洗う約束になっているからです。座椅子から立つのも一苦労。ずいぶん年を取ったモノです。 

 もしかすると私はもうじき、時間の呪縛から解放されたのかもしれませんね。 

 二月の初め、息子は野球の練習を無事に終えて帰って来ました。無事になんて言うのは大袈裟なようですが、癲癇の発作を起こす様になってから、私か妻が練習に付き添う様になったのです。それは医師からも、野球チームの方からも頼まれた事で。 

 まだ寒いですが天気は良く、トラックドライバーで運動不足が慢性化している私にはちょうどいい運動のようです。風が少しあって、砂埃っぽい中、目を細めながら、私は小学校のグランドの一番奥の方を走るユニフォーム姿の集団の中から、息子をすぐに見つけられた事にほっと安心したのです。 

 寒くないかと言うと、息子は少し寒いと言いました。でもいつもと同じようにリラックスしている様子で、息子はいつもと同じように座椅子にもたれ、おやつを食べながら、またいつもと同じようにyoutubeを見ていたのです。 

 夕方4時半ごろです。さて、そろそろ晩御飯だし、もうそろそろおやつは止めにして、と声を掛けようとした時、 

か……、か、あ……、ああ。 という息子の声が聞こえたのです。息子は座椅子に凭れたまま発作を起こしていました。私は息子に寄り添うより先に携帯電話を持ち、その様子を動画で撮影し始めました。以前医師から、そういう映像があった方が、より症状を特定しやすいと言われていたのを真っ先に思い出したのです。 

 何かとても残酷な事をしている様に感じました。 

 全身を痙攣させて、白目を真っ赤に血走らせている息子に手を差し伸べるでもなく、いち、に、さん、とカウントしながら撮影しているのは、まるで見殺しにしているような気分です。 

 でも皆様。 

 もし癲癇の発作に出会った場合は、私と同じようにしてください。そして迷わずに、必ずすぐに救急車を呼んでください。そしてその発作が、何分ぐらい続いたか救急隊に知らせてください。 

 私は救急隊に動画を見せ、主治医にも見せました。 

息子は何度も、自分の見られたくない姿を見られることになりました。 

 うん、少し、目が右に寄ってるかな、と医師は画面を拡大しようとしましたが、携帯の動画の画面は拡大できませんでした。 

 あぁ、ネコも心配してるね。 

 医師はそう言ってハハハと笑いました。画面には痙攣を起こしている息子に恐々と寄り添う猫が写っていました。撮影している時には、全く気が付きませんでした。 

 しばらく様子を見て、もう大丈夫でしょうという事で、息子はその日のうちに家に帰ってきました。飲んでいた薬は副反応を見るためで、もともと治療に有効な量には達していなかった、だから発作は起きても不思議ではない。と主治医は言いました。 

 妻と私は、妙に明るく餃子を包みました。少し遅くなった晩御飯は、息子が大好きな手作り餃子で、息子はやった! と言い喜びました。理由などたいしてありません。ただ私と妻は、ありえないほど陽気に餃子を包み続けたのです。おかげであっという間に包み終わりました。さらに、フライパンが買いなおしたばかりで新品であったため、餃子は焦げ付きもせず、まあ驚くほど綺麗に焼けました。 

 いただきます! 

  餃子の上を、季節外れの小さな虫が飛んでいたのでしょう、息子は目だけでその虫を追っている、そう見えたのです。 

 そしてそのまま、息子は二度目の発作を起こしたのです。さっきの発作からまだ3時間しか経っていません。目が右に寄ったのは、脳のそういう部位で発作が発生しているからだと医者は冷静に分析して見せましたが、念のためそのまま入院という事になりました。私は息子の表情が頭から離れず、眠り続ける息子の様子を、表情を、今まで感じたことがないほど忌々しく疑わしく見ていたのです。 

 或いは、私の時間がもうとっくに終わっているのかもしれません。たとえ終わっていたにしても全然かまいません。それは正しく言うと、私の時間が終わったのではなく、私が時間を感知出来なくなったという事でしょうからね。 

 穏やかな午前の日の光が私の膝に掛かっています。息子は座椅子に座ってテレビを観ています。今日はこれから、少し離れたグランドに練習に向かう予定です。 

 私はいろんな瞬間を同時に思い出しています。そしてその好きな瞬間を『今』とします。 

 それは誰にでも出来る事です。 

 何が起きるのか、起きたのか。私はすべてわかっています。要するにそのことがすべての不安なのです。すべての憶測も希望も、私は自分の中には不安として持っている、そしてそのそれぞれの時間が、目の前を網の目の様にランダムに流れているのです。 

 ちょっと……、 

 目を閉じて、そっと開けてみてください。何か変わりましたか? 何も変わらない、そう感じましたか? 

 それはあなたに希望だけが見えているという事ですね。 

 素晴らしいです!いつかまた、私は酷く悲しむかもしれないし、酷く喜ぶかもしれない。 

 その記憶のすべてが今、私の中にどんよりとさせる事なく、発作を起こすことなく、ジッと落ち着いている。そういう事でしょう。つまり今見えているのはすべて、希望という事に、

なりませんか?

 さあ、そろそろ出かけましょうか。私がその少し離れたグランドまで送っていくのです。 

 おい、そろそろ、準備しろ。 

 息子は返事をしません。 

 おい、おい! 

 私が慌てて座椅子まで行くと、息子はすやすやと眠っていました。 

 暖かい朝の光を浴びながら。 

 遅れるだろ! 

 私が頭をポンと叩くと、 

 痛ぇ! と目を覚ましました。 

 そんなモン、痛かぁねぇよ! 


『いきてるきがする。』《第2部・秋》


《第二部・秋》

もくじ



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第11章(上海からの客)

 いつの間にこんなに秋になったのでしょう。庭からコオロギの声が聞こえてきます。それは私がこの夏、畑にしてしまおうか、と考えていた辺りから聞こえてくるんです。もし私が本当に庭を畑にしていたならば今彼らはいません。きっと土ごと、卵ごと掘り起こされて日の光に曝されて死んでいたでしょうね。彼らは今、当然のように鳴いていますが、本当なら私の有言不実行に感謝すべきです。まあ、私自身がそうであるように、彼らだって鳴きたくて鳴いているのかどうかはわかりませんけど……。

 猫のとのまについて。 

 あれ以来、二人からは何の連絡もありません。私も毎日、店を覗いては見るんですが特に変った様子もありません。 もし仮に私が2人にとのまの様子を尋ねたとしても、きっと2人は、は? という不思議な顔をするだけでしょう。

 とのまは死んだのでしょうか。もしそんな事があったならば、今の私はとても悲しんでいるはずです。それともそれはもう遠い過去の出来事で、あぁ、そんな猫もいたっけね、となるのでしょうか。

 今が永遠に続く。これは不思議でも特殊な出来事でもないんです。どなたの身の上にも普通に起きている当たり前の事なんです。一瞬の後には、とのまなんて猫の記憶は一切なくなっているかもしれないし、その代わりに大きな犬を飼っているかもしれない。トラックごと高速道路で潰れてぼんやりと救急車の音を聞いているかもしれないし、妻とは別の人と結婚して息子とは別の子供を授かっているかもしれない。血の付いた包丁を持って白昼の繁華街で立ち尽くしているかもしれない。

  あらゆる可能性がすべて同時に進行している状況を『今』と呼ぶ事にすると、時間軸は太く、あらゆる悲しみはその中であらゆる喜びによって相殺され生まれた喜びさえ、生まれた死んだ悲しみによって完全に相殺されている状態にあると言えるのかもしれない。だから何があったところで焦っても仕方がありません。焦りようもありません。とにかくジッとしている分には、今後金輪際、何も起きないのです。

  昨日、中国人のお客さんがみえたんです。 

 その方は男性で、日本人の女性と結婚してずっと日本に住んでいらっしゃるそうで日本語はペラペラでした。そしてこれは日本に長く住んでいる外国人にはありがちなんですが、私よりもずっと日本に詳しく、私よりずっと丁寧で綺麗な日本語を話されるのです。 

 その人は私の店を、綺麗だ、お洒落で、とても落ち着く、と仰ってくれました。今の子は、小さな声で、謝謝(シェーシェー)、と言いましたが、その方の、お、発音がいいですね!という日本語があまりに流暢なので黙ってしまいました。

 その方は最近近所に引っ越してきたばかりで、今お気に入りの場所を探して街を散策しているんだと言います。見るからに上品で、きっと大きな会社の役員か、そうでなければ大資産家の御曹司といった雰囲気で、私は、今日こそは何か買っていただけるかもしれないと、そんな事ばかり考えて、少し上の空でその方の話を聞いていたような気もします。 

 Tシャツを見て、ずいぶん乱暴な日本語が書かれていますねぇ、と、その人は笑いました。そこにはジョニーロットンの言葉『世の中間にも変わんねーよ!』と書かれたTシャツが掛かっていました。私は、えぇ、そういう言葉を、若い人は好むんです、と返答をしたんです。 

 するとその人は、

 そうですね、若い人は血気盛んですから。常に新しいモノを欲しがって、古いモノを壊したがるものです。しかしそれもほどほどにしないと、若い人の情熱は彼らが思うよりもずっと不安定で扱いにくいモノですから。だからお酒を飲んだぐらいの事でむやみに悪い言葉を吐いてはいけません。それがきっかけで国を滅ぼすこともあります。戦争と平和は、決して対の概念ではないのです。平和なんてただの口約束です。戦争という海原に浮かんだ小舟のようなモノです。上海だって、今はあんなに栄えていますが、一つ利害がこじれたら、いつどうなる事か……。 

 そう仰ったんです。

 上海のご出身ですか? わたしがそう訊ねるとその人は、はい、と言って笑いました。上海の大学を出て、留学生として日本に来て、そのまま住み着いてしまいました、と。 

 この人はいったいいつの上海からお見えになっているんだろうと思いました。ここには、『今』という厳密な時間はありませんから、平成、令和の様に、中国人イコール『成金のお金持ち』、『爆買い!』とは繋がらないんです。 

 日本は、どうですか? 私はまたそんなくだらない質問をしてしまいました。これだけ日本語が流暢なのだから、もう何十年も日本で暮らしていられるに決まっています。その人は、 

 今は素敵です。だから今のうちにその素敵な日本という国をよく見ておかないと、おそらくほどなく、見られなくなる気がします、そう言ったのです。

 私はふと、この人は19世紀の上海から来たんじゃないかと思いました。 

 上海が世界都市として、一番栄えた時代といえばそれはおそらく19世紀でしょう。そしてきっとお金持ちもだくさんいた事でしょう。ただその頃の上海には繁栄と同時に、これから始まる世界大戦を予感させる、どこか常軌を逸したきな臭さが漂っていたに違いありません。 

 子供が成人すれば、私は家族を日本において上海に帰ります。それが一番いいと思っています。私は日本が大好きだから、日本人にはなりたくないんです。その方はそう言いました。  私はこの言葉を、 お互いの国の人間としての責任を、お互いに果たしましょうという意味だと解釈しました。

 だからどうか、日本が中国と大喧嘩をしないように、それだけを願います

 だが残念ですがそうはいきませんでした。満州事変、盧溝橋事件を機に加速していく日本と中国の対立はやがて大東亜戦争へと続き、世界中を戦乱の渦に飲み込んでいったのは周知の事です。そしてその結果が、広島と長崎の原爆に繋がった。

 でもその人は、続けてこう言ったんです。 

東京オリンピックは、本当に残念でした。 

 え? 私がその人を振り返った瞬間、着信音がしました。 昔の子からです。

 店長、とのまが……。 

第12章(台風接近中)

 超大型台風が沖縄に近づいています!

沖縄から九州にかけて、かつてないほどの大風、大雨に襲われる危険性があると、テレビでは最大級の注意を呼び掛けています。関東地方は、今はとてもよく晴れていてまだその影響はないようですが、風は少しずつ強くなっているようです。 

 洗濯物を干す妻を眺めながら私は、なんて報告すればいいのだろう……と、さっきからそればかりを考えているんです。妻が干しているのは息子の野球のユニフォーム。息子の野球の試合が毎週末の土曜日と日曜日にあるので、妻は週末のほうがむしろ忙しくしているんです。お弁当を作ったりユニフォームを洗って干したりして。 

あ、ユニフォームって一着しかないんですよ。だから連日試合だと、天気が悪いと乾かないんですね。そうなると近所のコインランドリーに持っていくしかないんです。うちの洗濯機は乾燥機能は付いていませんので。 

だから風が強くて晴れている、今日の様な天気は実に、妻にとっては味方なのかもしれませんね。 

 綺麗に日焼けした息子は、帰ってくるなりアイスクリームにむしゃぶりつきました。そして、散々野球をしてきた後なのに、アイスクリームを食べ終わるとすぐまたバットとグローブをもってどこかに遊びに行ってしまいました。在宅時間5分……。 

 元気なもんだね。と私が言うと妻は、 

 まだ、うんちでない? と言いました。 

私はドキッとして、聞こえなかったフリをしました。 

 病院では、とのまの症状は単なる胃腸炎ではなさそうだという事になり、血液検査や、エコー検査にレントゲン検査、それに栄養点滴と、おしっこを強制的に出させる点滴も、首のあたりにやりました。 

 点滴を始めるととのまの首回りやお腹周りがみるみるうちに膨らんできて、それは私の叔母の姿とそっくりでした。 

 ほら、見て。三人目が出来た! あら恥ずかしわ! 

 そんな事を言ってお道化てみせていましたが、その黄ばんだ眼と異様に膨らんだお腹は、まだ子供だった私の目にも、叔母はもう助からないんだろうなとわかるほどでした。40を待たずに、叔母は亡くなったんです。 

 だからこれも延命措置じゃないんだろうかと、私はそんな気がしてなりませんでした。 

 医者は、これでいくらか楽になってくれればいんですが、なんせまだ一歳半だから、もともと持っている病気が突然発症するなんて事も普通に考えられるんですね、まあ体質ですね。この子は内臓に何か疾患を持って生まれているのかもしれません。 そう言いました。


 とのま、逃げちゃいました……。 

 その返信はむしろ私には拍子抜けでした。

 逃げた? いつ?   

  わかりません。でも気が付いたら、いつもいる窓辺にいなくて、きっとまたどこかで日向ぼっこでもしているんだろうなぁ、って思ってたんですが、でも朝から水も全然飲んでないし、エサも全然減ってないから、なんか嫌な予感がして、それで探してみたんですけど見つからなくて、店の周りから、稲荷山公園の方まで探したんですが、いないんです。 すみません……。 

 あ、そう、じゃあ、元気になったんだね? 

 まあ、元気は元気だったんですけど、でももう年だから心配で……。

 あ、そうなの? もうとのまは、年なの? じゃあとりあえず、乗り切ってくれたんだ。 よかった……。

  私は、帰ってきたらまた連絡ちょうだい、と返信しました。


 とのまだけどさ……、 

私が言うと、妻は手を止めて私を見ました。 

 もう大丈夫だと思う。さっき、うんちしたよ。で、そのうんちの中に君が言ってた髪ゴムが入ってた。長ーいの。おそらく原因はそれだよ。 

 先生に見せたら、こんな長いのがもし腸に詰まったらそれこそ命にかかわるところだったって言ってた。危ないところだったって、でももう大丈夫だよ。すぐに元気になるよ。 

 なるべく包み隠さず、淡々と言うように心掛けたつもりでしたが、妻はやはり泣きそうな顔になりました。 

 ごめんね、とのちゃん、ごめんね。 

 そう言いながら妻は、寝ているとのまに何度も頬ずりしました。おそらく15年か、20年後、年老いたとのまは逃げてしまうんですが、それについてはまだ言わなくていいような気がしています。またすぐ戻ってくるかもしれないしね。 

 中国からのお客様は30分ほど話をして帰られました。何も買わずに……。 

  ありがとうございました。再見! 


第13章(2号店開店)

「しかしすごい雨だったね、ボロ屋だから、屋根が抜けるかと思ったよ」 

「日本が亜熱帯化している証拠だよ。100年前と比べて地球の平均気温は0.8度上昇しているんだ。問題はたった0.8度じゃない、たったの100年でだよ」 

「最近店、少し忙しくなってきたと思わない? なんかあった?」 

バタフライエフェクトって知ってる?地球のどこかで蝶々が羽ばたくと、やがてその影響が地球の裏側まで到達するって、あれ」 

「聞いたことある。じゃあ今僕らがこうして話してる事が、地球の裏側の誰かの店を大繁盛させているかもしれないという事?」 

「誰かを殺しているかもしれない」 

「考え方だね、ただの……」 

「そうだね、原因を過去にしか求めていない偏狭で間違った考え方だ。未来の結果が今なのかも知れないのにね……」 

「今こんな話をしているのは、未来にあった出来事の結果かもしれないという事? なんだか夏休みの宿題を先延ばしにしているみたいで変だね。いいのかな、僕らこんな事してて」 

「みんな同じだよ、死ぬことを先延ばしにしてに生きてるだけなんだから」 

「あ、そうか、そうだね」 


 二件目の店を出しました! 2020すらっしゅ9にオープン! 

 と言っても当然ネット上の、デザインを登録するだけのお店です。『SUZURI』という、東京・渋谷にある会社のようですね。私の大好きなバンド、『ゆらゆら帝国』とのコラボTシャツを一発で気に入って、私も出品させてもらう事にしたんです。 

 さあいよいよ本格的な秋が始まります。暑い中にも時々、涼しい風が吹いたりしています。

 秋の思い出。そういえば、あれも秋でしたね……。

 私の友人にプロボクサーがいたんです。でもボクシングだけで食べて行けるわけじゃなく、彼はカレー屋さんをやろうとしたんですね。でもランニングコストがかかるから一人では難しい。そこで彼はバーをやりたがってる友達を誘って一緒に一件の店を借りて、昼間は自分がカレー屋をやって、夜は友達がバーをやる、するとランニングコストが半分ずつで済む、という、なかなか賢いやり方で始めたんですが……、 

 バーがカレー臭い、という大問題が発生して、結局うまくいかなかったようです。商売って難しいよね、って彼は笑って言いましたね。

 それはちょうど、私が3か月間のアメリカ放浪の旅から帰ってきて、生まれて初めて外国人になって、人種や文化の違い、考え方の違いを実際に体験して、その良いところ、悪いところについて考えていた頃でした。アメリカに人種差別はもちろんあります。しかしそれは日本のアイヌ民族や、在日朝鮮人に対する人種差別みたいに陰湿に潜在化することなく、カリフォルニアの強い紫外線の様に、意識の表面からジリジリと精神の奥の奥にまで深く浸透して、堂々と生活の一部になっているような差別でした。

 2020、アメリカの白人警官によって黒人男性が殺されたことに端を発する、『black lives matter問題』覚えてますか? 日本では小さな問題でしたが、アメリカでは大問題になりましたね。それはその問題の奥深さ、解決の難しさによるモノだと思います。私にはあのデモ行進ですら、人種差別というひな形どおりの予定調和に見えましたよ。「あぁ、またやってるな」と言う感じ。本当のアメリカの人種差別は、あんな姿じゃない。

 時々こういう事をやってガス抜きをする。本当に、根本的に解決するつもりはアメリカ人の誰の中にもないんだと、そう肌で感じたのを思い出します。アメリカの場合、人種差別は日本みたいに、『臭いモノには蓋』では、差別する側にも、される側にも不都合なんです。それは1つの『power』として、両方に等しく働くように工夫されているのです。つまりそれがないともはや生きていけないほど複雑に日常生活にしみ込んだ、誰にとっても大切な人種差別なんです。そのいい例を紹介しましょう。

 アメリカにいた時、フィーリーというホームレスの黒人青年と知り合いになりました。彼の口癖は「だって俺、黒人だから、非差別民族(punished people)だから」でした。別段、悪びれた様子も拗ねた様子もありませんでした。彼は奨学金をもらって大学に通ってました。コンピュータのプログラミングを専攻していると言ってました。非差別民族を強調すれば、学費なんか簡単に免除になる。そう言って彼は普通にバーで酒を飲んでました。日本ではありえない事です。

 これはそんな妙な現実を目の当たりにして、何か違う! 何かやらなきゃ! と思っていた頃、帰国祝いと称して高田馬場で一緒に飲んでいた時の話です。 懐かしい……。


  2人を見ていると、いつも同じような事を話していますね。天気がどうしたとか、店がヒマだとか。たまに新聞に書いてあった事件事故の事などを話しているようです。この間は、戦争で死ぬのと、コロナで死ぬのはどっちがいい? 交通事故で死ぬのと、コロナで死ぬのはどっちがいい? なんて話してましたよ。

 子供同士だからでしょうか。性格も生まれた時代が全然違うはずなのに、2人はウマが合うようです。というのも、昔の子は、憎き鬼畜米英! 大日本帝国バンザイ! なんて事を決して言いませんし、今の子も、ゲームだ! ユーチューブだ! なんて言いませんから。『今』という縛りがない二人には、生きていた頃の記憶の本質だけを簡単に共有できてしまうのかもしれません。


 2000すらっしゅ8、アメリカカリフォルニア州カルバーシティーに於ける、ジェイコブ7歳とそのママ、サリーとの会話。


「ママ!おもちゃ買って!」

「ダメ!」

「じゃあ、明日買って!」


 子供は世界中どこに行っても子供。それは唯一安心できる事かも知れませんね。


 母がもうすぐ死にそうです。もうずいぶん長い間、介護生活を送っているんですが、この間、2020すらっしゅ9ですね、兄から連絡があり、もうすぐの様だよ、と。 

 母が死んだら……、いえ、母が時間の縛りから解放されたら、私はきっと、母との一番いい時期を探してそこに行ってみようと思うんですね。そして母に訊いてみるんです。

 オカン、俺が生まれて、嬉しかった? 

 私は母親とまともに会話した記憶がないんです。あまり目を合わさない人だったし、話もあまり上手な人ではありませんでした。それに加え、子供の頃の私はあまりにも病弱過ぎて、それこそ迷惑をかけたという記憶しかないんです。喘息が酷く、夜中じゅう母親に背中をさすってもらったり、クリームパンをもらったりして。兄弟が寝ている夜中に自分だけクリームパンを食べているという、空しい優越感……。 

 とにかく、もうじきいなくなる……、いいえ、時間の縛りから解放される母に訊いてみたいですね。 俺、可愛いかった? オカンが死んでも、全然悲しなかったら、どうすればいい? と。 

 昔の子の死因は餓死のようですが、今の子の死因は何でしょう。あの子はどういう理由で、時間をランダムに過ごす選択をしたんでしょう。 

 人生一度きりだよ! とプロボクサーは私に言いました。 

 好きな事やらないでどうするんだよ。それで死んでも本望だろ?ウジウジ生きてるよりもさ、スパッとやって、スパッと終わろうぜ。12ラウンドをさ! 

 って、アスリート独特のさばさばとした口調で彼は言いました。確かにね、確かに人生は一度きりです。でもそれは終わるという意味の一度きりじゃない気がするんです。 

 有漏路より無漏路に帰る一休み、雨降らば降れ、風吹かば吹け 

 これもつまり、ずっと続くという事ですよね。 

 母ももうじき時間をランダムに過ごす存在になるでしょう。そうしたらむしろ私は、今までの様に、年に一度しか顔を見せない、遠い関東で過ごす、親不孝なバーチャルバカ息子から、もう少し近い存在になれる気がするんですよね。 そして母も、息子が生まれた時のように嬉しそうな顔で、いつかこの店にも来てくれるかもしれません。

 以上、2020すらっしゅ9から報告でした。 


第14章(急な来客)

昨日、トラックをぶつけちゃいました。新宿区にある小さな公園のそばにある現場に納品して、そのままバックで切り返そうとした時、公園の入り口にある柵のようなモノにね、ゴツンって……。ウインカーを破損ちゃいしましたよ。当然、自腹で修理です。また余計なお金が掛かる……。

 でも人じゃなくて良かったです。ぶつける少し前、公園脇の歩道を同じ色の帽子をかぶった幼稚園児がたくさん歩いていたんです。あー、トラックだ! フォークリフトもある! なんて言いながら。もしあの子らを傷つけたり殺したりしてたらもう、ここも終わり。そんな事があった後まで、私の気力も想像力は持ちませんから。 

 いろいろデザインしたTシャツも、マグカップも、お弁当もパンも観葉植物も金魚も、太陽も、風も、道祖神の二人も全部。すべてがパッと消える。空の上から真っ黒い大きなシャッターがガラガラと下りてきてピシャっと閉まって、それでおしまい。 

 そう思うと、私の宇宙ははいかにも弱々しいですね。まあ、そんな事にならないように十分気を付けますよ。 

 さて私は、雨が降り出す前にトラックの修理代を下ろしに銀行まで行ってきます。最寄りの駅のキャッシュディスペンサーが確か午前中から使えたはずなのでそこへ。 

 その途中、ちょっと店に寄ってみようかと思ってます。なに、その気になればパソコンからじゃなくても歩いても行けるんです。玄関の隅から続いている、ほら、いつか私が逃げ込んだ穴を少し歩くと、茂みの間から見えてくる信号がもう笠原町の交差点なんですよ。そのまま行くと道は入間の方まで続いています。 

 入間には航空自衛隊の基地があり、毎年秋に航空ショーが開催され、全国からたくさんの航空ファンが集まって賑わいます。私も息子が小さい頃、一度行った事があるのですが、ブルーインパルスの迫力には圧倒されました。 

 超低空を背面飛行で飛び去って行くジェット機の勢いに思わず首をすくめてしまいましたよ。見ている人達はみんな大喝采。お父さんに肩車された小さな男の子も、小さな手をたたいて喜んでいました。高い技術を誇る航空自衛隊のパイロット。しかし、その入間飛行場から飛び立った練習機が墜落する事故があったんです。 

 1999年11月22日13時42分、入間基地を飛び立ったロッキード社製T-33A練習機は突然のエンジントラブルに見舞われた。 

 機体はそのまま降下し続け、入間川沿いのゴルフクラブの敷地内に墜落した。搭乗していた二人のパイロットは命を落とした。 

 事故は当初、練習機という事もあり経験の浅いパイロットによる操縦ミスが原因と思われ、自衛隊の訓練に対する批判の声も出たが、搭乗していた2人のパイロットはいずれも飛行時間5000時間を超える超ベテランパイロットで、その後のパイロットと管制官との通話記録から、事故の原因はエンジントラブルによるもので、パイロットは市街地に墜落することを避けるため、操縦がままならない機体を出来るだけ人気の少ない入間川沿いへと向かわせたために脱出が遅れて命を落としたことがわかった。 

 事故は避けようがなかったと思います。でも避けようがなかった運命の、最後のほんの数分、いや数秒は、やはりパイロットが決めたんだと思いたいのです。無数に薬棚から、出来るだけいい棚を選ぶ。神様はきっと、人が何人死のうが一向斟酌しないはずだから、神様の慈悲はもっと全体に向いているはずだから。

 2人が死なずに済む方法はいくらでもあったと思います。そして、誰も傷つかず、飛行機すら故障しない方法も。そして現役を引退されて、趣味に没頭している年老いた二人のパイロットの姿を見ても、我々は誰一人も何の矛盾も不思議も感じなかったでしょう。

 敢えて神の結果に背くべく、禁断の棚を選んだかもしれない罪深いパイロット二人に、我々は神様以上に感謝をすべきだと思います。それを躊躇してはいけない。

 落ちていく飛行機を、2人のパイロットは見たかな、どの辺に落ちたか、見届けたかな……。あぁ、河川敷に落ちた、大災害は免れた。よかった……。そこまで、見届けたかな……。

 私のウインカーなんてハナクソ。ただの電球が切れただけです。

 私は入間の方へは向わず、途中を左に折れて線路沿いの細い未舗装の道をしばらく歩きました。その方が少し近いんです。頭の上には真っ黒い高圧線が、東京電力入間変電所に向かって何本も伸びています。どんよりとした秋の空が重く圧し掛かって今にも切れそうです。 

 蝉はもう1匹も鳴いていません、小さな子供がお母さんとボール遊びをしていますが、昨日の雨のせいでボールがドロドロです。 

 そしてこの稲荷山公園を斜に横切ればそこがいつもご覧になっているあの店なんですよ。 

 私がいきなり来たので、二人は驚いた顔をしました。あぁ、おはようございます、そんな挨拶ができるのは昔の子の方です。今の子はちょっと頭を下げただけです。 

 この前はいなかった猫が窓辺に帰ってきてますが、二人からはあれ以来、何の連絡もありませんから、年老いた猫はちゃんと戻ってきたのかどうかはまだわかりません。

昨日は? どうだった? 誰か来た? なんか売れた?

 昔の子は、何も売れませんでした。午後に女性が3人みえただけです。そう言いました。 

あぁ、上出来上出来。 私はそう言って笑いながら今の子の方をチラッと見た時、今の子はすぐに目を逸らしてしまいました。それはいつもの事なんですが、その時は何だか、いつも以上におどおどしているように見えたので、私は何かあったのかなと、今思えばそう感じたと思います。 

 その夜、私はパソコンで、今月の来客数、新規ビジター数、直帰率、平均滞在時間などを確認して目標達成率の低さに愕然としていました。普段はあまり夜更かしはしないのですが、その夜はなぜか、今後の店の在り方や、方向性が気になって、いろいろ考えているうちについ夜更かしをしていたのです。眠る前にちょっと店を覗いてみました。女性が3人来店中でした。きっと昔の子が言っていた3人に違いありません。

 何も買ってくれない事がわかっていたので、私はそのままパソコンの電源を切ろうとした時、若い女性の声が聞こえたんです。 

お兄ちゃん、一緒に帰ろうよ。 

 お兄ちゃん? 私は液晶画面を覗き込みました。昔の子ととのまの姿はなく、店には今の子と、親子と思しき女性が3人、あとはただ風鈴だけがチリチリと揺れていました。 


第15章(皇極法師)

 晴れたかと思ったら今はドンヨリとした雲が垂れ込めてます。多分もうすぐ雨が降り出すでしょう。秋はそういう季節だと思います。風は今のところ……、ないようですね。でも遠くの雲は速いです。目の前で道が分岐しているのを感じます。降ろうか、降るまいか……。

 トラックの修理代は1万円で済みました。1万円でと言っても1万円は1万円ですけどね……。 

 最近寝不足が続いているんです。トラックをぶつけてから、今の在り方、今後の在り方について考えることが多くなって、気が付くと夜が遅くなってしまっているんです。 

 そしてこれも秋の魔力でしょうか。自分はいつどうなってしまうかわからない不安定な生活を家族に強いている、そんな不安がどうしても拭い切れないのです。親の仕事って子供の心の在り方に大きな影響を与えますもんね。

 私の友人で宅配便のドライバーがいるんですが、彼は職場が遠い事もあって朝は毎朝5時前に出勤して、帰宅するのは22時半という生活を続けているんです。だから朝出掛ける時には子供はまだ寝ていて、夜帰宅すると子供はもう寝ているそうです。日曜日の夜、子供は寝る時にこう言うそうです。 

 おやすみなさいパパ、また来週、って。 

 切ない一言です。彼は笑って言いますが本心から笑ってはいないと思います。

 また別の友人の話ですが、彼はこの度、27年間勤めた会社を辞めて転職したんです。新たなスタートを切ったんです。すげぇな! と思いましたが同時に、なんてわがままな! って思いました。

 それはもちろん、家族の今後を考えての事に決まってます。私はもちろん、彼を応援します。考えてみれば、自分だって同じような事を家族に強いている。申し訳なく思ってもそれでも誠意あるわがままは避けられないと思ってます。人生は不利な判断をすべて避けては過ごせません。パンチを避けてばかりじゃ、相手はいつまで経っても倒れてくれませんからね。大丈夫、絶対成功する。私はそう確信している。頑張れ!斎藤。 

 明日からはまたちゃんと9時には寝ようと思ってます。 

  中年の女性は静かに言いました。 

  お願いだからもう帰ってきて。お父さんもね、もう怒ってないから。

今の子をお兄ちゃんと呼ぶこの3人はどうやら今の子の家族のようです。では若い2人の女の子は今の子の姉妹でしょうか。

 何でここがわかったの? と、今の子は小さな声で言いました。 

 御祈祷を受けたの、あなたも知ってるでしょ? 皇極法師にね、そうしたら、まだいる、ここにいるってね、そうおっしゃったの。 

 僕を連れ戻そうったってそうはいかないよ。これは僕が初めて自分で決めた事なんだ。 

 今の子は、さっきよりやや大きな声で言いました。 

 お願い、わがまま言わないで。中年女性は優しく言いました。 

 わがまま? だって僕、ずっといい子だったよ。ずっと、いい子だったでしょ。 

  そう、あなたは私の最高の息子よ。今も、これからも。 

 何かあったようですね。しかしまあどこの家庭にも、年ごろの子供がいるところは、何かしらあるのが普通かと思います。それに他人がとやかく 口を挟むのはおせっかいですし、それで解決するような事でもないと思います。私は再び、パソコンのスイッチを切ろうとしたんですが……。

 ウソだ!助けてくれなかったじゃないか!

 今の子は突然叫んだんです。それは思わずヘッドホンを跳ね除けてしまうほどの大きな声でした。

 全部全部、おまえが悪い、長男のお前がしっかりしてないからダメなんだ、お前のせいで、私は恥をかいたって。僕が、何を言っても全然ダメだったじゃないか。 

 お兄ちゃんってそういうモノなの。どこの家だって同じなの。それは家族の一員として、お父さんもお母さんもあなたを頼りにしているからなの。 

 ウソだ! 家のお金がなくなった時、一番初めに僕を疑ったのはパパじゃないか! 一番ガッカリしてたのはママじゃないか!

 あなたは私の最高の息子よ。今も、これからも。 

 最高なもんか! 僕は最低の息子だよ! 友達に嫌われないように家のお金を盗んで渡してたんだ、家族の恥さらしの最低の息子だよ。 

 あなたは私の最高の息子よ。今も、これからも。 

 妹のお風呂の写真を盗み撮りして友達に渡してた、母さんの宝石を盗んで売った、駐車場の車をパンクさせたのも僕だ。近所のボヤ騒ぎも僕だ。夜中じゅうシャワーを出しっ放しにしてたのも僕だ。学校の壁に卑猥な落書きをしたのも僕だ。公園で子猫を焼き殺したのも僕だ。学校の池に石灰を撒いて鯉を全滅させたのも僕だ。  全部僕だ! 僕がやったんだ! それでいいんだろ!

 あなたは私の最高の息子よ。今も、これからも。 

 僕はね、ママ、ちゃんと叱って欲しかったんだよ。悪い事をしたら、ちゃんと目を見て叱って欲しかったんだ。僕だってやりたくなかった。でも、やらないと仲間外れになる。僕にはわかるんだ、自分がたった1人っきりだって事が、ハッキリわかるんだよ。僕はいつからそうなの? 何がきっかけで、こんなに1人っきりになったの? 教えてよ。助けてよ。 

 あなたは私の最高の息子よ。今も、これからも。 

 パパとママだけにはガッカリしてほしくなかった。僕を諦めないでほしかった。信じていてほしかったんだ。そして お前はそんなバカな子じゃない!って言って、僕がなぜそんな事をしたのか、ちゃんと理由を聞いてほしかったんだよ。もっと僕に興味を持ってほしかった。結果なんてどうでもいいじゃん。子猫も鯉も、もう生き返らないよ。僕だって……。

  

  ママ、このマグカップ可愛い、欲しい。 1人の女の子が言いました。

  後にしなさい。しかし中年女性はにべもなくそう言いました。 

 とにかくね、パパももう許すって言ってるから……。 

 何を許すんだ! 僕は何を許されなきゃいけないんだ! 

 それはおそらく私が今まで聞いた今の子の声で、1番の大きな声だったと思います。 

 何を? 許す? ですって? 

 しかしその一言で、これまで優しかった女性の眼付が急に変わりました。そして睨むように、自分よりも少し背の高い今の子を睨め上げました。 

 あんた、わかってんの? 時間がないのよ、知ってるでしょ? 皇極法師はめちゃくちゃ高いのよ。30分で30万円もするの。中学に入って、あんたが急に変になって、頭がおかしいんじゃないかって病院でカウンセリングを受けたけど異常が見つからなくて、じゃあどうしようかって途方に暮れていたところに声をかけてくれたのが皇極法師なのよ。そうしたらあなたは、法師から逃げるようにサッサと死んだわ。 ママわかってる、逃げたんでしょ? 法師が怖くて、逃げたんでしょ! それが家族にとって一番悲しくて、一番困る事だってわかってて、あなたはわざとそうしたのよ。違う? 

 あの爺さんが、僕に言ったんだよ。お前は1人だって。お前には守護霊がいない。これから先も、お前は、未来永劫、たった一人なんだって。


 昔の子が大きな袋を抱えて帰ってきました。どうやら妻の焼いたパンを取りに行ってたようです。もう少し持ちやすい袋に入れてやればいいのに……。

いらっしゃいませ! と言う昔の子の埒外な声に女性は、

 こんにちは、素敵な店ですね。

 と、まるで仮面をくるっと裏返すように笑ってそう言いました。 

「ありがとうございます。どうぞ、ごゆっくり」 

「ううん、もう帰るところなの。楽しかったわ」 

「え! ママ、マグカップは?」 

「また今度ね。きっとまた来る事になるから」

「え~、じゃあついてきた意味ないじゃん!日曜日損した~!」


  気付くと時計は0時を回っていました。結局私はまた夜更かしをしてしまいました。 

  そして今、パソコンを閉じながら思うんです。 

皇極法師……。

 あの家族は、もともと何か問題を抱えていた。 父親が原因か、母親が原因か、娘たちが原因か、或いは少年が原因か。それはわからない。とにかく、

 そんなバラバラになりそうな家族の結束を保つために、この皇極法師と言う偉そうな名前をかたる祈祷師はそのスケープゴートとして少年を選んだ。 

 少年は突然背負わされた運命に翻弄されたまま命を絶ったのだと思います。それは皇極法師の思惑通りだった。それまでは家族と楽しい時間を過ごしていた少年は、突然たった1人きりの天涯孤独な少年に仕立て上げられてしまった。 

しかし、何のために?


 子供に対する虐待が後を絶ちません。実の親から虐待を受け、幼い命を落とす子供たち。周囲からはじかれて、自殺に追い込まれる子供たち。 

 彼らは何のために生まれてきたんでしょう。もし運命なんてモノが前もってあるのならば、その運命が初めから天寿を全うすることになってないとすれば、この子たちはやはり、虐待され、殺されるために生まれてきた事になるんでしょうか。

 いいえ絶対に違います。


 私はね、皇極法師みたいなペテン師が大嫌いなんですよ。見た目は一つの家族に救いの手を差し伸べている様に見えるかもしれない。しかしこの男はそんな自分の手柄のために1人の罪のない少年を生贄にしたんです。世のため人のため、そんな事を考えるのはペテン師の証拠です。なにをなにを、すべては自分のためです。世も人も、すべて自分の手柄の材料にしようとしているんです。そして独り占めしたそれを蜘蛛のように少しずつ溶かしながらペロリペロリと舐めているんです。

 子供が生まれた瞬間から、親は夢を見始めるんだと思うんです。それこそ何十年も続く長い夢を。 

 その夢こそが子供の住処なんです。子供自ら自分の人生を夢見る事なんか出来ないんです。だから親は、子供が安心して住めるような夢から決して目覚めてはいけないんです。そしてその夢を、出来るだけ豊かに想像してあげなければならないんです。 

 トラックの運転手は大切な仕事です。でも常に危険が伴います。だから私は出来るだけ悪い夢を見ないように、そして妙な世界に息子を住ませない様に気を付けて、この秋からも、とりあえずもうしばらくはこの仕事を続けようと思ってますよ。 

 あ、とうとう雨が降ってきました。涙みたいに、控えめで切ない雨です。

 コロナがまだまだ心配です。なんともおしとやかな年末を迎えそうです。 

 以上、2020すらっしゅ9から報告でした。 


第16章(エキストラ)

 

 庭が草茫々になってます。夏に妻と二人で汗だくになってやった草むしりが、すっかり元の木阿弥です。でもこの繰り返しがすなわち自然のリズムなんだと思って諦めて眺めることにしました。でもそう思って見ると……、 

 全然見苦しくないんですね。雑草ったって価値がないわけじゃない。価値がない草がそんなに茫々と生えるわけがない。 

 その証拠に、雑草の中からは、虫のいい声が聞こえてますよ。

 昨夜は久々湯船に浸かりました。そのせいか久々に良く寝られた気がします。そして明け方、とろとろ葛湯に浮かんでいるような夢を見ているとネコがやって来るんです。やって来て起こしてくれるんですが、その起こし方が最近少々乱暴になって、あご髭をね、抜くんですよ。毛抜きの様に器用に噛んで、プチっと。 

 いっぺんに目が覚めます。うまい方法を編み出したもんです。 


 昨日はアメリカからのお客さんがあったようです。どんな人だったと訊くと、細くて背の高い、目の青い、栗色の巻き毛の男性だったと言います。カリフォルニアから来たというその男性は、日本に興味があるといい、店の中を何枚も写真にとって、ひとしきりいろんなモノを手にとって何も買わずに帰ったそうです。 

 そうか、何も買わずにね……。 

 はい、何も買わずに……。 

 今の子はあの日以来、何か吹っ切れた様に明るくなりました。以前なら、生き物が苦手だ、と言っては昔の子に任せっきりだった金魚の水槽の手入れも率先してやってくれるようになりました。金魚を掬おうと網を持って身構えている、その内気な白い肌が、窓辺の日の光を受けて生き生きと光って見えます。 

 ママがすごく泣いてた。でももう、何も言う事が出来なくて……。 

 以前昔の子に、最後に覚えている事は何かと訊かれて、今の子はそう答えています。瀕死の我が子に必死で呼びかける母親の泣き叫ぶ痛々しい姿が想像されます。 今の子はやはり、自殺したのでしょうか。


 アメリカからのお客様は、店にあったザルを頭にかぶって、これはベトコンの帽子だろ? と言って傘でマシンガンを撃つ真似をして見せたと言います。昔の子はとても不愉快だったと言いました。私もその話を不愉快に聞きました。 

 以前、渋谷のスクランブルを生の魚を持って、おーい!誰か刺身を喰いたい奴はいるか? なんて叫びながら信号待ちをしているタクシーのボンネットの上にその生の魚を置き去りにするアメリカ人の動画を見たことがあります。それもとても不愉快でした。 

 アメリカ人が喜ぶ事の特徴として、後先を考えずにその場限りの無茶な事をやって平気な顔をしている、という要素があるようです。 後の事なんか知らねーよ。と肩をすくめて片口で笑うようなあの態度です。私はそういう無責任と豪胆を混同した態度が大嫌いなんです。アメリカ人がみんな大好きなパイ投げなどは、子供の頃から本当に不愉快でした。

 食べ物を無駄にして、部屋を汚して何が面白い? いったい誰が掃除するんだろう。と思ってました。

あ!そうか、きっと黒人奴隷がやるんだろうな。

 なんなんでしょうね。ルールを無視する事がそんなに痛快なんでしょうかね。

ところが、なんと!

 その人はそんな動画で、アメリカのみならず世界中から喜ばれて、年間億円の金を稼ぐらしいです。なんと、世の中から価値を認められているんです。まったく信じられません。 全く信じられませんが、大したもんです。

 こういうおかしな人に共感するおかしな人が世界中にたくさんいるという事が証明されましたね。でもほとんどのおかしな人は、自分がおかしな人だとは考えないようです。自分は飽くまで、おかしな人を笑っている普通の人だと、そう思っているんです。でもいいでしょうか。

 おかしな人を笑う人がいるから、おかしな人がいるんです。

 半分半分なんですよ。つまりほとんどのおかしな人は、自分がおかしな人だとは気付いていない、認めないのです。認めたとしたら、それはおかしな人ではありません。ただのウソツキです。それは裏返すとつまり、もし自分がそうであっても全く気付く術がないという事です。

 だから私は今とても慎重に、且つとても真面目に考えている事があるのです。 

例えば、

 自ら命を絶った我が子にしがみついて、半狂乱で名前を呼んでいる母親がいるとします。しかし同時に母親は、自分はいつまそうしているのか、とも考えています。

この時、この母親は本当は何をやっているのでしょう。

 いくら悲しくても、まさかこのまま10年も20年も泣き続けているとは、さすがに思ってないでしょう。この矛盾、不自然さには、慣れるまでには長い時間を要します。だからそれに足りるに十分な時間だけ、母親は自分を『今』からなるべく遠くに置こうとするんです。

 自分はいつまでこうしているのか。悲しみなど早く終わらせて、また普通に過ごしたい。本当に願っているのはそれです。それならば自分を遠くに置けばいいんじゃないか。今のこの悲しみは、そんな短絡的でわがままな事をやった自分自身の割を自分自身が食ってるんです。あの時、早く泣き止もう、と思った自分です。そして当の本人はもうはるか未来で、何事もなかったようにのほほんと暮らしているんですよ。ひどい事をしたモノですね。でもそれをやったのも自分です。

 しかしそれは時間が前に進む事を前提にした場合、とても安全で正しい考え方とされています。癒えない悲しみはない。止まない雨はない、なんていう事には本来、何の根拠ものないのです。 気付いてます? 時間は空間と一緒に無辺際にあらゆる方向に向かって広がっているのですよ。 そしてそのすべてを『今』とよぶのですよ。

悲しみはもう、とうに癒えているんです。

 このあいだみえたあの3人は、君のご家族かい? 

 私は今の子にそう訊きました。今の子はやっと1匹目の金魚を掬ったところでした。 

 いいえ、 

 今の子は言いました。 

 え? 違うの? じゃあどういう知り合い? 

 そう訊ねると今の子は、う~ん……、と言って考え込んでしまったんです。 

 しいて言えば……、 

 そして今の子はとんでもない事を言ったんです。 

 エキストラさんです。 

 エキストラ……? 

 私はきっと要領を得ずぽかんとしたのでしょう。 今の子は 可笑しそうに笑いながら言いました。 

 あれはきっと僕が、ママがこうあって欲しいなぁこう言ってくれたらいいのになぁ、と思ったママと妹たちです。僕は今でも誰にも邪魔されずに入間市の某所で普通に平和に暮らしていますよ。ただ僕だけにはその事が理解されなかった。誰が悪いって、そんなの僕にはわからない。だって気付かない事に、どうやって気を遣えばいいんですか?でしょ?だから僕がそこにいる事だけがある日突然、間違っていて、それ以外は何も悪くない。間違っていない。という事になったんです。誰もそれに気付くのは無理だったんです。それはもう、仕方がない事だったんです。それでも僕は最後の最後までSOSを発信し続けてた。

助けて! 助けて! 僕をここから連れ出して! 誰か気付いて! って。

でも、結局誰も来てはくれなかったし、そばに居てもくれなかった……。 

 というね、想定の、エキストラさんです。そして僕は思い切り文句を言うんです。なぜ、僕ばっかりこんな目に合うんだ! なぜ誰もそばに居てくれなかったんだ! ってね。そうしたらスッキリするんですよ。あぁ、自分はこんなにも正当な理由で死んだんだって事に出来るでしょ、だから。 

 ちょ、ちょっと待ってよ。じゃああれは、芝居? 

  そう訊ねると今の子は、う~ん、とまた考え込んでしまいました。 

 芝居……、じゃないけど、でも実際でもない。そういう意味では、芝居かも。でも、そんなの芝居だって言ってたら、この店だって芝居でしょ。そんな事を言い出したら何も始まらない。宇宙も始まらない。ビッグバンだってただの仮説でしょ。こうだったらいいなぁという、虚構、つまり芝居と同じです。だから実際じゃないけど、決して芝居じゃない。

 なるほどね。現に君は私の店で毎日こうして働いていてくれるけど、本当は群馬県吾妻郡長野原町の諏訪神社の鳥居の脇に鎮座する道祖神様なんだしね。それを子供扱いにして、自分のネットショップの店員にしたのは、他でもない私なんだしね。 

 そういう意味では、僕と昔の子は店長のエキストラって事でしょ。 

 そうか、そうだね。私は素直にそう思い頷きました。

  その時、昔の子が店に入ってきました。大きな袋には妻が焼いたと思しきパンがいっぱいに入っています。もうちょっと持ちやすい袋に入れてやればいいのに……。

 昔の子は私を見るなり、あ、そうだ、そういえばあのアメリカの変なお客さん、店長にって、メイシを置いていきましたよ。

 そう言ったのです。

第17章(名刺)

 あぁ、今年は本当にのっぺりしてるなぁ……、そんなため息が出ます。我慢を強いられただけで、一向に我慢した手応えがない。そんな1年ももう7割ぐらい過ごした事になりますね。もうあと3割、こうなったら何か素敵な事があるより何事もなく終わって欲しい。 

 今年も雪が降るのかな……、ドライバーにとって積雪ほど怖いモノはありませんからね。降っても、ちょっとだけにして欲しい。 

 あ、雪と言えばこんな話、ご存じですか? 

*カマキリの卵の話* 


 ある雪深い地方では、カマキリがどこに卵を産み付けるかで、その年の積雪の量がわかるというのです。つまり、その位置が高ければ、その年の積雪の量は多い、低ければ、少ない、という。 

 本当ならカマキリってすごい! 

 科学みたいに確固としたロジックがある訳じゃない。まるで見たまんま。そうだからそう、というね、お淑やかなゴリ押し。 

 いや、待てよ。ひょっとして、カマキリがその年の積雪量を決めているのかもしれない。

 そんな考えもアリです。どんなゴリ押しも、お淑やかにすればそれなりに受け入れられるモノです。 世界は思うより優しいのです。

 メイシ? 

 よく聞き取れなかったんですけど、なんか、メイシー、メイシ―、って。『名刺』のつもりですかね。

 名刺か! おおかた日本人を揶揄したメリケンジョークのつもりだろう。なんか盗まれてないかよく見といて。

 そうです、私はアメリカがあまり好きじゃないんです。 

 あんなに横暴な国も他にないでしょう。原子爆弾を落とした理由も不誠実で言い訳がましくて噓に満ちているし、何事もとにかく自分だけが正しくて、自分の都合だけが優先されるのが当然で、自分の考えを理解しない奴は悪で、悪は死んでもいいと思っている。 外国の大統領を捕まえてきて自分の国の法律で裁いて死刑にしたのはアメリカぐらいでしょ。

 どうやってああいうみっともない考えが出来上がったんでしょう。アメリカ建国の理念って、なんでしたっけ? 

 多分『自由』とか『平等』とか言ってるんでしょうけど、まるで噴飯物です。 

 今世界の平和を脅かしている原因の一つは間違いなくアメリカですからね。  


 じゃあ、捨てちゃいますか?

 あ!ちょっと待って! 

  昔の子が手に持っているそれは名刺というには大きく葉書ほどもありました。そして私はそれに、ちょっと見覚えがあったのです。

 ちょっと見せて……。そこにはやはり、私の知っている名前があったのです。 

 ジェイソン ヒル。

きっとアメリカにはよくある名前でしょう。私は以下の事を書く前に、あらかじめにネットで調べてみました。するとアメリカンフットボールの選手がいました。音楽家にもいました。でもこれから話すジェイソン ヒルはもちろん彼らの事ではありません。 

 私の言うジェイソン ヒルは私がアメリカにいた時に知り合ったユダヤ系アメリカ人の事です。彼は私と会うなり、俺はニューヨーカーだ、と言いました。おそらく、日本人はニューヨーカーと言えば一目置くだろうという、ジェイソンの甘い憶測があったのでしょうl。その狡そうなギラギラとした青い目の内を私は一瞬で見抜き、敢えて へぇ、と軽く受け流したんです。すると案の定……、 

 お前、日本みたいなF●CKな国から来たくせに、俺の言う事を信用してねーのか! この腐れF●CK’N J●P!と言いました。 

 そしてその翌日、 

 ごめんな……、昨日は酔っぱらってた。何言ったか覚えてないけど悪かった。そう言って謝ってきたんです。 面倒くせぇなぁ、と思いながら私は、

 あぁ、いいよ、俺もよく覚えてない。 

 そう言うと、 

 覚えてねぇだと!?なんだよお前その態度は! 俺が謝ってやってんじゃねーかよ。J●Pのくせにマウントを捕ろうとすんじゃねーよ、お前なんかアメリカじゃあただの下等民族なんだからな、勝手に道を歩くなよ納税もしてないくせによ! 

 と、また勝手にブチ切れた上、いきなり殴りかかってきたのです。警察沙汰にしてやろうかと思ったんですが、その時バーには、コカインやLSDを持っている客が大勢いて、店と客の全員から全力で止められたんです。 

 するとジェイソンは勝ち誇ったように、ほら見たか。お前の仲間なんて、ココには一人もいないんだよ。 

と言いました。確かにそうだと思いました。 

 私は今すぐ日本に帰りたいと思いました。もう、こんな集団に迎合するのは真っ平ごめんだと。そんなの当たり前です。自分の事しか考えてない、自由も平等もクソもないただの我儘大国だ。アメリカという国は、アメリカをリスペクトすれば誰でも住んでいい国だと聞いていました。でも実際は偏狭で、差別的で、他人の事などまるで意に介さない。そしてその意に介さない事が個人主義、自己主張、意志の強さの表れで、ねじ伏せる暴力がリーダーシップだという。そんなバカな勘違いをしていないと、誰一人として自分のアイデンティーが保てない様な、実際は結びつきが脆弱で疑心暗鬼な集団だったのです。

 その結果、動物の群れ同様、声の大きな方、体の大きな方、力の強い方、金を持ってる方が優位に立つという安物集団に成り果てたのです。そしてそんな理不尽を合理的だ!と言って喜んで採用しているんですから呆れたモノです。そんなのは、我々日本人の目から見れば民族でもないし国家でもありません。ただの群れです、烏合の衆です。 

 アメリカって結局、この旗の事なんだな……。 

私は、バーの便所の横に掲げられた星条旗を見て口元の血を拭いながらそう日本語で呟いたのを覚えています。 

 それからもジェイソンは、事あるごとに体の小さな、英語の拙い独りぼっちの日本人である私をバカにして、時に脅して、殴りかかって、隙を見ては私の金を盗もうとしました。 

 当時、私は一週間150ドルという、ウクライナ系移民が経営する激安モーテルに住んでいたんですが、どういう訳かそこにもジェイソンはやって来ました。まるでストーカーです。ジェイソンは、 

 おい、腹減ったよ。バナナ買ってこいよ。 

 と言ってきました。バナナなんて1房、2ドルもしない安い食べ物だったので、面倒くさいから買って追い返してやるかと、一瞬思って慌てて首を横に振りました。私はまんまと、ジェイソンの鬱陶しさに負け、アメリカの横暴に屈するところだったんです。 

 私は知る限りの汚い英語で、お前に喰わせるバナナはねぇ! と言ってやりました。 

 するとジェイソンはいきなり私の目覚まし時計を投げつけてきたのです。目覚まし時計はガラス窓を突き破って外に飛び出しました。 

 慌てて飛んできたモーテルのオーナーにジェイソンは、このJ●Pがいきなり俺に時計を投げつけてきたんだ。警察を呼んでくれ! 

 と言ったんです。 

 しかしオーナーはモーテル経営の資格を持ってないらしく、もじもじとしただけで通報はしませんでした。そして契約書に書いてあるという事で、私に窓の修理代を請求してきました。私は英語が読めないので、仕方がなく窓の修理代を弁償したんです。その金額すら正当な価格であったかどうかわかりません。 

 もうこれ以上、ジェイソンについて、アメリカについて書くのは止めにします。これで私がアメリカを好きじゃないわけが十分わかってもらえたと思いますから。 

 ジェイソンはジェイソンでアメリカじゃないだろう、という声も聞こえてきそうですが、私にはジェイソンこそがアメリカなんです。それ以外のアメリカはジェイソンの背景に過ぎません。 

 私が日本に帰る時、ジェイソンはなぜか魚の置物をくれました。それは細工の悪い木彫りの、そして手荷物にしては邪魔なぐらいに大きなモノでした。それに手紙らしい紙切れがくっ付いていたのを、私はこの時、思い出したのです。 

 私は空港に向かうタクシーの中にその魚の置物と紙切れを置き去りにしました。どうしても一緒に飛行機に乗るのが嫌だったので。どうしても日本に連れて帰るのが嫌だったので。 

 名刺にはマリファナの匂いが染みついていました。あのバーと同じ匂いです。名刺の裏側には短い英文が書き添えられていました。 

 『帰ると聞いて驚いたよ。お前はずっとアメリカにいるんじゃなかったのか。もうアメリカには帰ってこないのか? この魚はスシじゃないぜ、くれぐれも体に気を付けて、また会おう』  

 ジェイソンが死んだ事を、私は日本の新聞で知りました。ミネソタ州で起きた白人警察官による黒人男性暴行死事件は、瞬く間に世界中に広がりました。カリフォルニアで起きた抗議行動に巻き込まれて死んだ白人男性の名前がジェイソン ヒルでした。あのジェイソン ヒルかどうかは、わかりません。 

 ジェイソン ヒルはなぜ殺されなければならなかったのか。 

 こうネットに書き込んだのはある人権活動家です。彼は、アメリカには人種、宗教、言語、性別の他にも様々な差別がある。それはアメリカには民族としての一貫したアイデンティティーがない事に起因する、と指摘します。日本では古来からの宗教である日本神道と、外来の宗教である仏教やキリスト教が仲良く共存している。生まれた時には神社に参り、死んだらに葬られ、クリスマスにキリストの誕生を祝った一週間後の正月には年神様を迎えるという。そこに何の矛盾も感じないのは、通底する一つの民族としての日本があるからであり、アメリカにはこれが完全に欠落している。しかしアメリカにも通底するモノがある。それは我々アメリカ人が唯一、黒人も白人も関係なく、自由と平等のシンボルとして信じて疑わない、個人至上主義という考え方だ。自分の人生は自分のモノ、自分の意志でどう扱っても構わないという考え方がそれだ。だが当然、一人の人生には多くの他人が深く関わってくる。もしジェイソンのような素行不良で薬物中毒の人間までが、この考えを手放そうとしないならば、それは一変して毒となり、集団を破壊し、人間を滅ぼす思想へと変貌するのだと。

 我々は決して混同してはいけない。集団と個人を同等に考えるのが個人主義で、個人を集団に優先させるのは個人至上主義だ。ジェイソンは正にそんな自らの個人至上主義に殺されたのだと。

 へぇ~、と私は、下らない事を考えるヤツもいるもんだと、その記事を読みました。確かに、ジェイソンは私の理解を遥かに超えるほどの、超が付くほどのワガママ野郎でしたが、私にはまったく個人至上主義者には見えませんでした。彼はむしろ個性のない、その都度態度も言う事もコロコロと変わる、抜け殻のような人間でした。 

 彼はただのひねくれものでした。人がああ言うとこう言うだけの、口の減らないただのバカな男でした。そしてアメリカ社会からもドロップアウトした哀れな1個人でした。 

 アイルランド移民の父親とドイツ系の母親を持つ彼は、アメリカ人であるためのアイデンティティーを必死に求めていたんだと思うんです。アメリカ人と言うアイデンティティーが自分を苦境から救い出す唯一のアイテムだと気付いていたんでしょう。 

 私はジェイソンに会ったおかげで、自分が日本人として生まれ、宗教も言葉も性別も、何もかも織り込んで日本人である事を深く自覚出来ている事に気付きました。たとえ金がたくさん稼げなくても、両膝が悪くても、視力が悪くても、体が小さくても、頭が悪くても、見た目が悪くても関係ありません、私は自分が日本人であることにとても感謝しているのです。 

 ジェイソンはきっと、いちいち戦わなければならなかったんだと思うんです。日本人が来たらその日本人と自分。アメリカ人が来たらそのアメリカ人と自分。しかしアメリカ人としてのアイデンティーはついに彼には示されなかったようです。 

 彼はきっと暴徒化した群衆に、あの口の悪さで何かを言ったんじゃないかと思うんです。それでトラブルに巻き込まれて殺された。 

 でもその一言は決してF●CKブラックでもF●CKホワイトでもなかったと思いますよ。 

 きっとそれは、F●CKアメリカ! 

 雉も鳴かずば撃たれまい。 

 ホントに、バカな奴……。いいかジェイソン、ゴリ押しはな、カマキリぐらいもっとお淑やかにするもんだよ。腹減らない? バナナ、一緒に喰わない? そういえばきっと私は快くバナナぐらい奢ってやったさ。それで一緒に喰えばよかったんだよ。そうすりゃ、あぁ、バナナはいつどこで誰と食っても美味いなぁ! そう言って笑い合えたんだよ。そうしたら私はガラスも弁償せずに済んだんだ。すべてはお前のせいだ! お前がバカなせいだよ! 

  店長、変なモノがありました、そういう昔の子の手には、 見覚えがある魚の置物がありました。 

 こんな商品、ありましたっけ? 

 あぁ、いいよ、そのまま置いといて。 

 売るんですか? 幾らにすればいいんですか?  

 そうだなぁ……、私は当時、モーテルのガラスの修理代を思い出して、 

 じゃあ、75ドル、と言いました。 

 75ドル! 高っ! 絶対売れませんよ! 

 いいんだ、いいんだよ。 

 ジェイソン、私は絶対にお前にガラス代を弁償してもらうからな。だから何十年でも、この魚の置物は75ドルだ! 


第18章(ジョギング夫婦)

休みの日はなるべく外に出る事にしてるんです。妻にも運動不足を指摘され、膝のためにも継続的な運動を心がけた方がいいんじゃないかと言われました。 

 そういう訳で今、散歩中です。 

 近所に散歩にとてもいい公園があるんですよ。広くて、緑もたくさんあって、散歩用のコースもあって、ジョギングをする人に抜かれたり、すれ違ったりして。 

 楓でしょうか、大きな枯葉がサラサラと風に流れてゆきます。擦れ合う裸の枝と枝が、夏とはまた違う乾いた音をさせています。夏がもう完全に終了して、実りの秋が深まっている感触があります。秋といえば、とにかく食べ物が旨い! 戻り鰹に秋刀魚、栗に柿にキノコいろいろ、お米も新米が出て、スーパーにはおでんセットがお目見えします。それに一年の夕暮れ時の夕暮れ色はまた格別に綺麗です。この赤トンボが全部落ちたらさあ、冬ごもりですよ皆さん。これからどんどん寒くなります。覚悟はいいですか? 

 欅の幹にセミの抜け殻が付いてました。おそらくこの抜け殻の主はもうこの世にはいないでしょうね。凧が高い枝に引っ掛かってます。夏の間は葉っぱで見えなかったのでしょう。それで諦められてしまったのでしょう。何だか絶望的に清々しく見えます。柴犬が斜めになって飼い主を引っ張ってます。どこにそんなに急いで行こうとしているのか。とにかく前に進みたい、何かいい事があるかもしれない! そんなポジティヴで一途な眼差しが、生き急ぐ犬の姿そのものに感じられてまた、悲しくも愛おしいですね。 

 母の具合は、あれ以来何の連絡もないところを見るときっと悪いなりに落ち着いているのでしょう。私から連絡をする事はありません。実家にとって私はバーチャルな存在ですから。パソコンや携帯電話の電源を入れない限り、私は存在しないのですから。 

 あれ? 

 いつも歩いている散歩道のはずが、突然わからなくなりました。このまままっすぐ進めば、時々息子が練習に使っている野球場の近くに出るはずなんですが、その高い照明塔が、もうそろそろ見えてくるはずなんですが……。 

 ないんですよ。野球場が。 

 野球場がなくなるなんて事はあり得ませんから、多分私が道を間違えたのでしょう。でも一本道をどうやって間違う? 

 私は後ろを振り返りました。そこには今来たばかりの道が続いていました。当たり前です。ランナーや散歩をする人達が見えます。マスクで素顔を隠して散歩をしている、そんな共通項を信じて、何なら普段より親切に接してやろうと身構えている、そんな風にも見えます。 

 私は、近づいてくる老夫婦と思しき男女に目を向けました。その2人はジョギングと言うにはあまりに遅い、早歩きぐらいのペースで近づいてきます。明らかに着こなれていない真新しいジョギングウェアは色違いのお揃いです。なぜか私の心臓が突然早く鳴りだしました。 

 そして予想通り、すれ違いざまに男性が、

おう! と私に声をかけてきたのです。 

 父でした。8年前に死んだ私の父。 

 そして隣の女性は母です。認知症で寝たきりの母。 

 8年前に死んだ父と、認知症で寝たきりの母が、並んでうちの近所の公園をジョギングしているなんていくらなんでもファンタジーが過ぎる。でもそんな時こそ、私は敢えて疑わないように心掛けているんです。ほら来た!今だ! とばかりに、目の前の光景をどう解釈するのが一番自分にとって快適か、素敵か、魅力的かで判断したいと、常日頃から思っていたのです。この時が正にその時でした。

父は、

 何や、お前もジョッキングしてんのか。そうやな、お前ももう、そこそこの年なんやからな、運動もせなアカンな、酒ばっかり飲んでたら、お父ちゃんみたいに80前で死んでしまうぞ。それに最近お前、変な夢見るやろ、それな、肝臓や。肝臓が知らせとんのや。沈黙の臓器、肝臓の悲鳴やで! と言いました。


 父は突然死にました。死ぬ前日まで、車で母とデパートに買い物に行っていたんですよ。そして母がどうしても欲しいとおねだりしたらしい、安物のスヌーピーの財布を買って帰ってきたんです。 それは金色の、いかにも正規品ではない悪趣味で下品で大きな財布でした。

 知ってました? 人が突然死ぬと警察が来るんですよ。私の実家にも警察が来たそうです。不審死でないか、状況を調べるのだそうで、掛かりつけの医者も来て、持病について警察に説明していたそうです。 

 母は帽子を目深にかぶったまま、俯いて黙っています。顔はよく見えませんけど、息子だからわかります。母に間違いありません。 

 父が死んだその同じ日の同じ時刻。 

 午前、3時か4時ぐらいだったと思います。私は新曲の歌詞を考えていたんです。8年前は、まだバンドをやってましたから。でももうダメかなぁ、って薄々自分の才能や可能性に見切りをつけ始めていたんですね、じゃあ何する? こんな年までこんな事に人生引っ張っておいて、じゃあこれから何をするんだよ。と問いかけてくる自分が鬱陶しくて仕方ありませんでした。だから体に負荷をかけて、ここまでやったんだという無理矢理な事実を捏造するために、私は毎日、明け方まで音楽をやってたんですね。でもそれはただの言い訳で、ただ往生際が悪いだけで、そんな理由でやったところで、いい作品は生まれません。 

 電話が鳴ったんです。母からでした。 

 どう? 何してんの? 

 何してんのって、夜中の3時ですよ。私は不思議でした。母はその時すでに認知症の症状が重く、道に迷った時のために、服にはすべて、名前と、住所と、血液型と、電話番号が書かれた布切れを縫い付けられているほどでした。だから電話なんて掛けられるはずがありません。 

  ほんで、先生はいつ来てくらはりますのん? 

 でた、先生……。母は兄の事も私の事も何かの先生だと思っているらしく、先生、先生、と呼ぶんです。 

 なるべく早い方がええんですけど、まだまだ掛かりますか? 

 そうやねぇ、今から行っても明日の昼過ぎになりますわ。 

 認知症には調子を合わせるのがいいときいていたので私はそう答えたんです。 

 そんな!そんな遅なりますのん? 男の子がえらいしんどそうなんですわ先生、何とかもうちょっと早よなりませんか? 

 なりませんなぁ、ここ埼玉ですしね。 

そんなん埼玉かなんか知らんけど、タクシーかなんかでシュッと来てくらはったら、お金はうちが払いますさかいに。 

 いやいや、お金貰うてもね奥さん。行かれへんもんは行かれへんのんです。もうちょっとしたら朝やから、ほしたらまた連絡ください。 

 私はそう言いました。 

 ほんなら、なるべく早よ、ホンマに真剣にお願いしますよ。 

 はいはい、と私は電話を切ったんです。 

そして7時半ごろ、本当にもう一度、実家から電話があったんです。 

 兄でした。オトンが死んだ、と。 

 母の知らせは本当だったのです。私がもしあの時、母の様子を察してすぐに兄に知らせていたら、或いは父は助かっていたかも知れません。せっかく母が知らせてくれたのを、私は、はいはい、と言ってやり過ごしてしまったんです。

 葬儀を終えた日の夜、母は仏壇の父の遺影に向かってじっと座っていました。オカン、もう寝るよ。と言うと、 

黙っとって! 今お父ちゃんと話してんの! と言って、またジッと遺影を見つめているんです。 

 あの時、何話してたん? 

私は母に訊きました。母は俯いたまま、もうええねん。と小さく言いました。 少し照れているようにも見えました。

 いろいろあったけど、それはそれやねん。思い出なんかな、一緒におったらあってない様なモンやねん。最終的にな、一緒にランニング出来たら、そんでええねん。ほんで、どっちかがしんどなったら休み、今度はちゃう方がしんどなったら休みしてな、ゆっくりでもずーっと一緒にランニング出来たら、ほんでみな、ええねん。 

 ワシら、ずーっと走ってるから、お前もちょいちょい走りに来いや。まあ、この公園も広いしやな、そんな再々は会われへんと思うけどな。でもホンマに、運動せな、ホンマに、酒を飲みすぎんようにせな。せやないとホンマにお父ちゃんみたいに、ホンマに80前でぽっくりいてまうぞ。わかったか? 

 父はそう言ってまた、母と一緒に早歩きほどの速さで走っていきました。 

 その向こうには高い照明塔が見え、へぇい! ふぇい!という野球少年の声が聞こえてきました。あんなに小さくなってしまうともう、果たして本当に私の父と母だったのかどうか疑わしくなります。やがて植え込みの向こうに曲がって消えました。 

 バーチャルな息子に会いに、わざわざバーチャルな世界に会いに来てくれたのかもしれませんね。息子が生まれた時、わざわざ京都から会いに来てくれたように。

 酒、ね。確かにね、ちょっと控えるかな。でもこれからが食べ物がおいしくなる季節だしなぁ、鍋とビール、おでんと焼酎のお湯割り。まあ、考えるともなく考えておきましょう。 


第19章(秋の骨)

 う~む、秋ねぇ、秋物ねぇ……、と。 

 ここ数日、秋モノのデザインについて仕事の間も考えているんです。ほらほら!また車ぶつけるぞ!と言われそうですね。はい、気を付けます。だいいち、秋モノを秋に考えてるんじゃあ遅過ぎますよね。その通りだと思います。でも秋って四季の中で一番短い気がしません? うかうかしているとすぐに冬になってしまう。 

 だいたい秋は定義が曖昧だと思うんです。休みがないですからね。春休み、夏休み、冬休みがあって、秋だけないんですね。きっとそれもあるかも知れません。 

 いったい何がどうなっている間が秋なのでしょう。銀杏を踏みつぶして、くせぇ!って言っている間は秋なのでしょうか、ビールの秋限定ラベルを売ってる間は秋なのでしょうか、富士の裾野に紅葉が始まると秋なのでしょうか、ジャック・オー・ランタンが町に並ぶと秋なのでしょうか。そして富士山が冠雪するともう冬なのでしょうか、ハロウィーンが終わるともう冬なのでしょうか、そして武尊山のライチョウが白くなると、それはもう完全に冬なのでしょうか。 

 確かに、景色や食べ物もいいのですが、もし本当に皆様と共有できる秋のイメージをデザインするとすれば、皆様と共有できる様な秋の体験、思い出を探ってみるのが一番いいような気がします。 

 でもねぇ……、秋の思い出ねぇ……。 


 店の近くの公園に、晴れた日には近所の保育園から園児達が、よくお散歩に来るんです。年長さんは手を繋いで、もっと小さい子はワゴンに乗って。 

 可愛いですよ。砂場で砂をほじくったり、真剣な顔で団栗を並べたりしてる小さな蹲踞を、私もたまに見たりするんですが、走り回る姿は妖精そのもので、影までヨチヨチと追いかけっこをして遊んでいるうちに、どっちが陰で、どっちが園児かわからなくなってきました。日は傾いていよいよ帰る時間です。

 でもおかしいな……。園児を遊ばせるなら、小学生がいない午前中のはず。時間が空間と一緒に山の向こうまで、明日のその先の先の未来までグーンっと引っぱられる様に、秋の日差しはとても柔軟に伸びて。秋の日はは短いですが、秋の夕暮れは一年で一番長いように思えます。

 落ち葉は地球のお昼寝毛布~、そっと包んであげましょう~、ってね、子供達が可愛い声で歌ってます。 ホント、可愛いですね~。おやすみ~公園さーん、だって、可愛いねぇ……。

 それでね、 

 その園児たちを引率の保育士の方で、ものすごく綺麗な女性がいるんです。本当にモデルみたい。身長は私ぐらいあるでしょうか、でも顔の大きさは私の半分ぐらいでしょうね、腰の高さなんてもう、並ぶのが恥ずかしいぐらい。それなのにいつもジャージの上下で、化粧っ気もまるでなくて髪の毛もいつもギュッと一本に結んでいるだけで……。 

 いえ、別にジロジロと観察していたわけじゃないですよ。その人の事は昔の子から聞いたんです。 稲荷山公園に、たまにすごい美人が来ます! って。

 昔の子が言うには、いつものように妻の焼いたパンを持って稲荷山公園をショートカットして通り過ぎようとした時、あなた、あの店の店員さんね、とその人の方から声をかけてきたそうなんです。

 突然美人に話し掛けられた昔の子は、緊張したのでしょうね、訊かれてもいない事をあれこれと喋ったそうです。 

 あの店と言っても、うちは実際にある店じゃなくて、店長のブログの中にだけあるお店で、だから来店できるのはそのブログの中にいる人だけなので、この公園も、公園の木も、太陽も風も、きっとあなたも、きっとブログの中にだけいる人だから、だから来店できたんです。 

 なんて、変な事を言ったらしいんですよ。 

 へぇ……、と、その人はわかったようなわからないような返事をしたそうですよ。そりゃそうでしょう、目の前にある公園も、公園の木々も、風も太陽も、自分が引率して連れてきている小さな子供達までが、得体の知れない誰かが書いたブログの中にしかいないなんて言われてピンと来る人はいないでしょう。 怪しい宗教団体が経営している店だと勘違いされたら、それはちょっと困りますけどね……。

 しかしその保育士さんは、そうか、だからか。そうか、と、妙に納得している様子だったといいます。

 それから昔の子はその人と挨拶を交わすようになったらしいんです。なかなかやります昔の子。 

 昔の子の話では、その人は遠い町から通っていて、病気のお母さんの食事を作ってから出勤するので朝はとても早いんだそうです。だから冬はまだ暗いうちに起きて家を出なければならなくて、それがちょっとだけ辛い。でも秋は逆に朝が楽しいのだと。だんだん開けてくる朝の風景は、ほかのどの季節よりも秋が一番綺麗で、見ているだけでなんか得したような気分になるんだそうです。 朝日と共に出勤すると、よーし、やるぞ! って、やる気がもらえるって。

 昔の子の話を聞いて、かつて芸能界に野心を燃やしていた私は、なぜこんな美人がモデルや女優を目指さなかったのかと、少し不思議に思っていたのです。

 ホントに、一度も考えなかったのかなぁ……。あれだけ美人だと、町もまともに歩けないぐらいナンパやスカウトが来るだろうに。

 いえ別に、美人が必ずそれを飯のタネにしなければならない理屈も道理もないのはわかってるんですが、ないものねだりの絵空事として、もし私が男に換算して彼女に相当するほどの美形に生まれていたならば、一も二もなくモデルか俳優を目指していただろうと思いますよ。多少演技が下手くそでも歌が下手くそでも、あれほどに美形ならば関係ありません。周りが何とかしてくれるんです。人気者はね、最初から才能や実力で評価されないんですよ。大概は話題になってから。ビジネスの世界ですから、才能は養殖もしくは捏造出来るんです。しかし美貌は別です。つまりそこだけが一番大切なんですよ。スポーツにしろ芸術にしろ、持って生まれた才能を生かさないのは罪だと、以前誰かが言ってました。私もそう思うんです。それならば美貌だってそうでしょう。

 そして世界中からキャーキャーと騒がれて、いいギャラ貰って、いい家に住んで、いいモノ食べて、いい酒飲んで、そしてある日突然、オーヴァードーズでこの世からいなくなる……。

 かつてロックスターを目指していた頃の私にとって、そんな世界はごく身近にありました。別に夢でも絵空事でもなくて、現実のすぐ隣に、手を伸ばせば届く場所にある現実の世界だったのです。 

 そんな世界を久々に私に真面目に想像させるほど、そのジャージの上下でノーメイクの人は現実離れして綺麗だったのかなと、まあ思い出しての1.5掛けにしろ、今はそう思えるんです。 

 昔の子が最後にその人を見たのは、先月の始めの秋の長雨が続いていた頃だそうです。雨の中、傘を差して公園に来ていたその人は1人で、いつもと違うスーツ姿だったそうです。その人は公園の隅にある小さな祠に、何かを置いていたそうです。昔の子はきっと雨の中を飛び出して行ったに違いありません。 

 その人は昔の子に気が付くと少し場都悪げな顔をした後、すぐに笑顔になって言ったそうです。 

 私、保育士辞めるの。だから、この公園に来るのも今日が最後なの。だから、ずっと子供達を見守ってくれていたこの祠さんにね、ありがとうを言いに来たのよ。 

 あぁ、そうですか。こちらこそ、ありがとうございました。 

  変な挨拶をしました、と昔の子も笑います。 

 いつかあなたが言ってた、ここはブログの中にだけある町で、公園も、公園の木々も風も太陽も、この雨も、ブログの中だけにあるんだって話。あれは私もそうだと思うの。本当の事だと思う。私はずっとここをブログの中だと知らずに住んでて、そんな世界が全てだと思ってた。でも今、こことはまるで違う他の場所で生活する事になって、そうじゃない事に気付いたの。私はこの世界からはいなくなる、みんなとも、この公園とも、もちろんあなたともお別れかと思うと少し寂しいけど、それはよくある事だし、避けようもない事だし、全然おかしなことじゃないわ。 今まで仲良くしてくれてありがとう。

 その人は祠に何を置いていったの?

 祠には小さな、が置かれていたそうです。

 骨? 

 はい、小さな、鳥の骨みたいな。

 雨水の溜まった小さな白磁器の皿の上に、ちょこんと、小さな骨が置かれていたそうです。

 私はきっと嫌な顔をしたと思います。その時私が考えた事と昔の子が考えた事は、或いは同じではなかったかもしれません。

 これ以上は何も訊かない事にします。大丈夫、あの人は今もお母さんと一緒に幸せに暮らしているよ。

 いわゆる初恋ですかね。でも道祖神が? 初恋? いえ、悪くないかもしれませんよ。道祖神が恋をしたって。 


 ん~、秋か……、秋ねぇ~。 

 私が悩んでいると、パソコンから二人の言い争いが聞こえてきたんです。 

 寒いから窓閉めようぜ。昔の子が言うと、今の子が、風鈴が鳴らなくなるから嫌だ、と言っています。 

 いいよ、寒いから閉めようよ。 

 嫌だ! 

 今の子はいつになく頑なでしたが、この日は昔の子の方がさらに頑なでした。 

 嫌じゃない! 閉めるったら閉めるんだ! 

 どうして?

 俺は、風鈴の音が大嫌いなんだよ! 


第20章(風鈴嫌い)

今世界中で猛威を振るっているコロナウイルスも十年後にはインフルエンザと変わらなくなるそうです。インフルエンザと変わらなくなるとは? 

それはとりもなおさず、人間の認識がそうなる、という事の様です。インフルエンザ並みにしか警戒しなくなるという事。 

 毎年多くの人が命を落とすインフルエンザは実際はまだまだ克服されていない危険な伝染病であるにもかかわらず、インフルエンザはやってるから、気を付けてね、手洗い、うがいしてね、なんて言うぐらいで、別段普段と変わらず満員電車に乗って通勤、通学し、映画館や遊園地へ出掛ける。それと同じ様に、コロナウイルスも、そのうちそうなる。 

 要するに、このウイルスの危険を意識しなくなる時が、あと10年でやって来る、という事のようです。つまり終息とは頭の中の問題らしいです。いいです、それで納得するならば、要はみんなが納得すればそれで収束なんですね……。 

さて、 

 私がパソコンを閉じようとしたときに聞こえてきた2人の言い争いは思わぬ方に向かいます。 

 風鈴の音が嫌いなんてそんな事、言ってなかったじゃないか。 

 いいや!俺は、秋の風鈴が大嫌いなんだよ。 

 秋の風鈴? 夏の風鈴と何が違うの? 

 違うさ!全然違う! お前も、死んだならわかるだろ? 

 ううん、わからない。死んだけど、わからない。 

 その間も、窓辺の風鈴がチリチリと鳴るので、そのたびに昔の子は嫌な顔をします。


 お前、お葬式って出た事ある? 

 ない。家族の誰よりも先に僕が死んじゃったからなぁ。 

 俺は父さんの葬式に出た。でも父さんはそこにいなかったんだよ。遺体が帰ってこなかったんだ。代わりに、戦地の石が送られてきた。うちの家族はみんな、その石に向かって手を合わせたんだ。バカバカしいだろ。 

 うん、変な感じだね。 

 悲しくもなんともなかった。最後に父さんに会ったのは戦争が終わる3か月ほど前、今度は南の方に行くって言ってた。俺の頭を2・3回、ポンポンって叩いて、しっかり頼むぞ、って。真っ白い軍服が眩しくてとてもまともに見れなかったけど、でも父さんの目も俺は見ていなかった。俺の事なんか考えてなかったんだ。きっと父さんはもうずっと遠い海の向こうに行きっ放しで、今目の前にいる父さんは実際にはここにはいない。父さんはもうこの世にはいないんじゃないかって、そんな感じがしたんだよ。 

 ふ~ん、で、何で風鈴が嫌いなの。 

 出棺の時、鈴を鳴らすんだけど、その音が風鈴と同じなんだよ。季節は秋だった。俺は空腹でさ、葬式どころじゃなかったんだよ。もううち帰って、ふかし芋を食べたかったんだよ。枯れたススキが揺れる田舎の細い道を、石ころの入った棺担いでゆっくりゆっくり歩いて何の意味があるんだよ! もういいよ、父さんはそこにいない。ただの石だよ。もういいよ、さっさと帰ろうよ!帰ってみんなでなんか食べようよ! そう言ってさ、後ろを振り返ったんだよ。そうしたら……。 

 うん、そうしたら? 

 父さんがいるんだよ、俺のすぐ後ろに。俯いて付いてくる。びっくりしたよ。みんなと同じ速さで、ゆっくりゆっくり歩いて。俺が、父さん!ってね、そう言って袖を掴んだら、父さんは袖口を見て少し笑って、そうか、そこにいたのか……、って小さな声で言ったんだ。そしてその時、俺の体をすり抜けた赤とんぼがね、父さんの肩に止まったんだよ。それでわかった、これは、俺の葬式なんだって。 

 俺の手から滑り落ちた茶碗を、母さんが拾い上げて、ススキの原に投げたんだ。それは夕暮れの空に、ホント、ユーフォーみたいに綺麗に飛んでった。俺は父さんに抱き上げられて、納屋の後ろで服を脱がされて体を綺麗に洗ってもらった。白い布は貴重なのに、俺は真っ白な服を着せられて、あぁ、愛されてたんだなぁ、って、その時初めて思ったよ。もうちょっと早く気付きたかったなぁ。父さんがいないから、俺は本当に大変だったんだ。だから、父さんの事もちょっと恨んでた。最後の時も、しっかり頼む、じゃなくてさ、もっとさ、お前の事を愛してているぞ、とかさ、お前と俺は永遠に親子だ! とか言って欲しかったよ。 

 わかった、じゃあ、風鈴は外そうよ。 

 いや、なんか話したらどうでもよくなったよ。別に大した事じゃない。父さんももう死んだよ。母さんも。もう全部終わった事だよ。 

 私はそこでパソコンを閉じました。時計を見るともう12時を過ぎてて、慌ててシャットダウンしたんです。次の日は宇都宮まで行かなければならなかったので、もう3時間も寝られなかったんです。 

 しかしね、いろんな季節があるもんですね。今年の夏みたいに、まるで夏らしくない夏もあれば、妙に物悲しい秋もあって。 

 おかしなことになるのはこの後なんですが、それは次にお話します。 


第21章(過去今未来)

 長雨の一週間がようやく終わり、明日は久々に朝から息子の野球の試合の遠征ため車を出す予定になってますが、台風の影響で試合そのものがあるのかないのかわかりません。そのうち連絡が来るでしょう。 

 街路樹の百日紅もずいぶん色が褪せてきました。でもあれはああいう花の色なんですよ。実によく季節を語ります。だからあれは衰えた色じゃなくて、散り際に見せる誇り高い花の色、メッセージなんですね。 

 花の色は、うつりにけりな、いたづらに 

 我が身世に降る、ながめせしまに。 

 いえいえ、まだまだ、お美しゅうございますよ。 

 店の外に出るとふと金木犀の香りがして、その方向に目をやると、公園の小さなオレンジ色がもう地面にずいぶんと落ちているのが見えたんです。ドウダンツツジも少しだけ色付いてます。 

 急に寒くなったので金魚の水温が気になって店に来てみたんですが、私が店にいるとどうも落ち着かない様子の二人なので、さっさと退散することにします。『風鈴問題』がまだ燻っているんでしょうかね。

 


 以前私は『今』について少し持論を言いました。 

 それは光速に相対してリニアに進行する時間を極小のセクターに切り離した先っちょの事を『今』と言うのではなく、すべての時間が同時に悠久に長々として『今』である、という理屈。 ただ我々は集団生活の利便性から、時間をリニアに進むモノとして定義付けてしまいました。そしてそんな自らのトラップに嵌って、もはや抜け出せなくなっていると……。

 文章を読む時も、どんなに速読を得意とするでも、1文字ずつしか見られない。それ以外は記憶の前後左右を繋げて、点から線を、線から面を、面から立体を想像するという時間の経過しか感知できない。 

 そんな時間が我々が永遠に生きる事の邪魔をしている事は間違いありません。時間が我々を等しく殺すのです。 

 その結果、生まれてから死ぬまでの時間が人生だと思い、死んだらすべてが終わる、という絶望的な考えしか思い浮かばないのですね。誰も、私も。 

 同時に2つの、3つの、いえ、無数の今があればどうだろう? いや、あるわけがない。意識が一つだから、命が一つだから、今も一つ。それは当然です。それが常識です。 

 アインシュタイン博士、過去へは戻れますか? 

 光速よりも早く移動できれば時間は逆行するはずだよ。 

 という質問と答えも、『今』『過去』『未来』が挟んでいると言うのが絶対条件が必要です。 

 じゃあやはり、全ての時間が同時に『今』であったならば、という考えは相当に無理があるのでしょうかね? 

 量子論の中では、物質は確率的に存在する、なんてとんでもない事が起きています。確率的に?存在する? 

アインシュタイン博士は、 

 君は月が見ている時にだけ存在すると、本気で信じられるのかい? と言ったといいます。 

 『存在』という言葉の意味も再考しないといけないほどの大胆な理論です。こっちの方が無理があると思うのですが、今はこれが本当とされています。 

 単なる、解釈の違い? 見る角度の違い? 

 でもそれならば、今が同時にいくつあっても、それも確率の問題、というのではいけないのでしょうかね。 

 私は今、悩んでいるかもしれないし、悩んでいないかもしれない。 

 この夏、猫が死にかけました。本当に、たった一年で、大切な家族をひとり失くすところだったんです。一週間も何も飲まず食わず、薬すら吐き出してしまって、鳴きもしないでうずくまったまま。あぁ、この子はもうそう覚悟を決めてしまったのか……。 

 本気でそう考えました。 

 でもさすがは野良猫の子。日本が世界に誇る『ジャパニーズボブテイル』の原種だけの事はあります。 

 ある日、ペロっと、水を舐めたんです。 

 それからはもう、劣勢のボクサーが一瞬の相手の隙を見て猛ラッシュを掛けるような、ある種捨て身とも思える怒涛の食欲を見せ、今は元通り元気になりました。 

 でも、私はその事を、知っているかもしれないし、知らないかもしれない。 

 この猫は十何年後、ふといなくなってしまいます。 

 昔の子がその事を私に告げてくれたんです。窓辺にいたはずの猫が、どこを探してもいないと。 

 あれから、あの『今』からは何の連絡もありません。見つかれば、多分そう連絡があると思うんですが……。あるいはこの『今』ではないどこかの『今』には、もう連絡が来ているのかもしれません。 

元気に帰ってきました! とか、縁の下に、毛皮をみつけました……、とか。 

 そんな連絡を受けた私は今、悲しんでいるのかもしれないし、喜んでいるのかもしれない。 

 昔の子は、父親の遺骨代わりの石と一緒に、自分は埋葬されたのだと言いました。一つの棺に、二人分も狭いよ。といいながら少し嬉しそうでした。 

 ジェットコースターに並んで乗っているようだね、と、今の子が上手い例えをしたら、昔の子はさらに嬉しそうに、そう、ちょうどそんな感じ、と言って笑ったんです。 

 昔の子と戦地の石。どちらが主役だったのでしょうね。敢えてあてずっぽうを言うと……、 

 昔の子の父親は、終戦後しばらくして生きて戻ってきたのかもしれません。そして、息子が既に亡くなっている事を知り、自分の身代わりの石を一緒に埋葬したのかも知れません。

 飽くまで、かも知れません、ですよ! 本当に戦地で亡くなっていたのかもしれないですよ。昔の子はその葬儀で不思議な経験をして、その後に亡くなったのかも。それは誰にもわかりませんし、誰にも決められません。 

 ただ昔の子はそのいずれも実際に経験しているから、一本の線の上で時間を追って話を聞くと少し見えにくくなります。確かに、もし父親が戦死していたら、昔の子の妹が生まれるわけがありませんからね。勘違いなどであるはずがありません。ただ、時間を今の様に、タイトロープでシーケンシャルなモノとして考えると、両方正解という考えを、どうしても生み出せない。

 すべてが『今』であれば、それは当たり前で簡単な事なんでしょうね。すべての確立が『1』になる世界。 

 アインシュタイン博士は、神はサイコロを振らない、と言ったそうですが、サイコロの1から6までが、すべて確率『1』になる世界があるとしたら。私の『今』は確実に存在する事になります。そしてそのすべての『今』を平等につまびらかにすることを『死ぬ』というならば、『死ぬ』は『生きる』のバージョンアップのようにも思えます。有漏路から無漏路に『帰る』のではなく、有漏路を無漏路に『換える』のでしょう。 

 風鈴はね……。 

今の子が言いました。 

 風鈴はね、僕が死ぬときに、最後に見たモノで、最後に聴いた音なんだ。 


第22章(幽霊っていうな!)

 秋もずいぶん深まってきました。四季の中で秋だけを『深まる』と言うんですね。とてもいい表現だと思います。春が深まる、とか、夏が深まる、とか、冬が深まる、って何となくしっくりきませんもんね。でも秋だけは深まるがぴったりです。 

 さすがにもう長袖ですね。私はバイク通勤なので、その上からブルゾンを着て、それでも早出の日なんかは寒くて震えます。 

 だからさ、やっぱり窓閉めようね、今の子

 店にも暖房を付けなきゃなぁ……。とりあえず私の部屋の電気ヒーターを持って来くるかな。ガスを引くと幾らぐらいかかるのだろう。店の営業が全然軌道に乗らないから、ブログの中の世界とはいえ、あまり大金は掛けられません。あ、先日、給料日でした。この、倍は欲しい!! 


 風鈴の音を聞いた誰かがさぁ、いつかまた僕の事に気付いてくれるんじゃないかと思ってさ。きっと僕は、生きる事にまだまだ未練タラタラらなんだよ。 

 今の子が言いました。 

 風鈴が鳴り止んで初めて、ずっと鳴り続けていた事に気付く。

 見ると金魚が水面近くにいます。それは気圧が下がっているせいだと思います。私が縁日で掬った金魚は今年36歳になります。 

 今の子は続けます。  

 きっと苦しいんだと思う。死ぬってさ、時間が止まる事だと思ってた。だからもう何があっても何も感じなくなって、永遠にジッとしてるもんだと思ってたんだ。全然甘かったよ。 

 え? そうじゃないのかい? 私はじっとパソコンの中の、2人の会話に耳を傾けています。 

 お前はなに? 自分で死んだのか? そうなんだな? 

 うん……、申し訳ないけど。僕は君と違って、ほとんどお腹も空いた記憶もないほど裕福だったよ。家族で旅行に行ったり、海外だって行ったよ。ハワイ、台湾、カナダにも行った。楽しかったよ。それがどうして死ななければならなかったのか、君には理解できないだろうね。 

 死ぬ理由なんていろいろさ。でも死ぬ瞬間の気持ちはきっとみんな同じじゃないかと思うんだよな。これしかないと思う。なんて言うか、泣きたくなるような。なにもかも全部投げ出して、とことん泣きたくなるんだよな。な、そうだったろ? 

 うん、そうだった。そして死んだ瞬間に、自分がどれぐらい自分の事を大切に思ってたか、愛してたかわかるんだよね。他に誰もいなくったって、それで十分。でもその時はもう遅い。 

 すげぇ美味かったよ。最後に喰った大根雑炊。汚ぇ茶碗でさ、雑炊ったって、米なんかほとんど入ってねぇの。でもあれが生涯で一番美味かった。食べてる途中から、カウントダウンが始まるんだよ。チッチッチって。あれ? 何だろう、って思うんだ。でもあんまり美味いから箸が止まらないんだよ。そして食い終わった瞬間に、スーッとさ、力が抜けたんだ。あんなのは初めてだったよ。それで、あぁ、これが締めくくりだな、って。それなりに納得したよ。もうこれで、俺のメニューはすべて終わったんだな、って。 

 あれは妙な感じだよね。僕も。僕は逃げたって、逃げ切ったってそう思いたいのに、死んだ瞬間にはそう思えなかった。頑張った、達成した、そんな感じ。でも生きてる限りそれは無理だったような。だから死ぬしかなかった、死んでよかったって。でもね、僕はやっぱり、未練タラタラなんだ。なぜって、僕は本当はもっと生きてていたかったから。家族と楽しくまた、旅行に行ったり、買い物をしたり。 

 そうかぁ、俺は、もういいや。大変過ぎたからな。それに俺は自分の意志で死んだわけじゃないから生きる選択肢はなかったような気がするんだよな。 

 そんな自分を、君は可哀想だと思う? 

 可哀想? なんで俺が可哀想なんだ? 俺ぐらい必死に生きた奴いないと思ってるぜ。小さな体で、知識もなくて、仲間もいなくて、戦後のあんな滅茶苦茶な世界でよく絶望しなかったと思うよ。そうだな、俺は絶望しなかったんだよな。そこは自分でもすげぇと思う。 

 君はすごいよ、ほんとうに。僕は自殺したから。だから未練があるのかな。いや、待てよ違う。なんていうんだろう。死んだ事を後悔はしてないんだよ。僕にもこれしかなかった気がする。でも、もっと何かやりたかったんじゃないかって、そんな感じの、なにかもやもやが残ってるんだ。君にはないの? 

 そりゃ生きてりゃいろいろあったろうね。でもそんな風に考えた事ないな。もう誰も俺の事を覚えてる奴なんかいないしね。みんな死んじゃったよ。妹がまだ生きてるけど、会った事ないもんね。 

 そうか、それか……。うん、確かにそれかもしれない。僕はまだ誰かが僕の事を覚えているから、だから生きたいのかもしれない。でもさ、生きてる人は死んだ瞬間がずーっと、ずーっと続くのを知らないから、だからあんなに平気で喜怒哀楽を弄べるわけでしょ。それって楽しいのかな、なんの意味あるのかなって、今はちょっと思う。 

 そんな事わかるわけないさ。日本人が日本語しかわからないのと一緒だよ。そういう世界でしか生きてないんだから。実際は『死ぬ』なんて現象がないなんて、どうやって説明するんだよ。彼らは、時間はずーっと前に進むものだと思い込んでるんだ。だからその上でしか何も考えられないんだよ。だから死ぬ時がくれば必ず死ぬって。それしか考えられないんだよ。俺らだってそうだったじゃない。早く戦争終わらないかなぁ、とか、早く父ちゃん帰ってこないかなぁ、とか。そろそろお昼だなぁ、腹減ってなぁ、とか。 でも実際はそうじゃないじゃない。 

 もしさ、もし、ね。 

 うん。 

 もしも僕が生き返ったら、君とはお別れすることになるのかな? だって、幽霊と一緒にお店番なんか出来ないでしょ。 

 幽霊って言いうな! でもそうか。そうなるな。生き返ったら、お前はまた時間に縛られて暮らすことになるから、そうしたら、全部の時間が今の俺は、やっぱり幽霊か……。 

 この店にも来られるかなぁ? 

まあ、店長がちょくちょく来るぐらいだから、生きてたって来られなくはないだろうけど……。 

  君の事も忘れてしまうのかなぁ。 

 どうだろうね。生き返った人間は一人もいないからわからないね。でも、生まれ変わるなら頭が初期化されて赤ちゃんから始まるから覚えてないだろうけどさ、生き返るとなると、どうだろうね。でも可能性低いぞ~! 


 先日、手紙が届いたんです。朝出がけにポストを見るのですが、大概は『家、売りませんか?』とか『家、買いませんか?』とか、『ピザ、二枚目は半額!』なんてフライヤーばかりが入っているのですが、その時は何か神妙な雰囲気の封筒が入っていたんです。

 封筒には実名が書いてありましたが、ここでは伏せておきます。 

 『突然のお手紙失礼いたします。 先日そちらのお店にお伺いしました。〇〇〇の母でございます。』 


『いきてるきがする。』《第1部・夏》


《第一部・夏》 

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序章(ひゅーすとん)


 もし年をとらない文章を書くとしたらどうしますか?私ならこうする。 

ひゅーすとん、ひゅーすとん、こちら2020すらっしゅ8より、応答願います。 

 『時間が経つ』という事はどういう事なのでしょうか。どんな特徴があるのでしょうか。たとえば月との交信には光の速さを以てしても2秒かかります。それは月と地球との距離が34万キロあるからで、秒速30万キロの光でも往復するには2秒とちょっとかかるわけです。わかりやすい話ですね。

 それがもっともっと離れた場所だと、当然もっともっと長くかかるわけですね。だから我々はただ待つしかありません。何年も、何十年も。何百年は、待てません……。

 ところが、光速で移動すると時間は経過しないというじゃないですか。んん? 時間が経過しない? じゃあ止まってる? いいえ、光速で移動しています。だからさっきの月の話も……。

 月から地球までの2秒間は『今』が2秒間続いている事になるわけです。これは変な話です。

 それらはすべて『時間が進む』という前提条件の中だけの話で、実際には光速に近づこうが近づくまいが、すべてが『今』なのです。瞬きの瞬間が『今』ならば、宇宙の果てからの139億年もまた『今』なのです。

 時間は進まない。それはただ目の前に整然としてあるだけなのです。

 もともと人類はそれをぼんやりと眺めていました。しかしある日、そこを1羽のカラスが横切ったのです。それを目で追った瞬間、時間が進む、という妄念に囚われてしまいました。そしてその瞬間に、一度に一つの場所にしかピントを合わせられなくなったのです。そしてその眦の残像や記憶の残滓を、一人一人が勝手に重ねたり折り合わせたりして、過去と未来が矛盾せずうまく繋がるように『今』を作り続けなければならなくなったのです。だから百人いれば百通りの『今』が出来上がる。こんなおかしな現象が生まれたのです。百人百通りの宇宙があったりしたら、宇宙を定義する事は出来ません。『今』が1つなのと同じで、宇宙も真実もまた1つでなければなりません。しかしその妄念の結果、他人の宇宙はすべてとして否定しなければならなくなった。これが魂が肉体の殻に閉じこもった瞬間の出来事です。肉体は当然、時間とともに衰え、そして滅びます。それを存在の根幹に置いてしまった。そしてそんな勘違いから、すべての理不尽や差別や偏見が生まれたのです。私も一応、宇宙を一つ持っているのですが、私の宇宙は未だかつて誰一人として受け入れていただけた事はありません。私の宇宙だって、今世界中で宇宙とされている宇宙と比べても、決して遜色ないと思うのですが……。

 だからここで、こっそりとその私の宇宙を披歴してみたいなぁ、と思いまして、それでこんなブログを書き始めたというわけなんです。


 2年前、私は突然歩けなくなりました。診断の結果、両膝の半月板損傷と軟骨の剥離、両下肢脛骨の変形と診断されました。その治療のため、私は仕事を辞め、収入がゼロになりました。両膝の状態は思わしくなく、半月板と軟骨だけを治療しても、またすぐ同じ症状が出る可能性があるため、『骨切り手術』をしなければ完治は難しいと言われました。手術に伴う2度の入院は延べ6週間になり、リハビリには9か月を要しました。高額医療費制度を利用しても、その後の通院と治療には毎月多額のお金と時間が掛かりました。もし家族の存在がなかったら、私なんてもうとっくに諦めてしまって、どこかの酒場でやけ酒飲んで酔い潰れて、早朝水色のゴミ収集車に轢かれて死んでいた事でしょう。 

 しかしなまじい愛おしい家族に偶然に恵まれたのをいいことに、私は私の『今』の中に不幸も絶望もよく吟味もせずにすべて放り込み、当たり前に与えられた褒美の様にように思い喜び、「あぁ、エエ休養期間やな!」などと嘯いては、不安と苦労を妻と息子に丸投げにしたまま平穏な暮らしを続けたのです。

 息子のレゴブロックで変な顔を作って笑いました。料理を作って食べて美味しいと言って笑いました。野球観戦の感想をネットにアップしてイイネがもらえたと言って笑いました。しかし実際は何もやっていませんでした。ただ希望とか、信頼なんていう得体のしれない具と一緒に土鍋でグツグツと9か月間煮続けられていただけでした。そして気付いた時、私はもう煮溶かされて、ヘラヘラと笑ったまま正体を失っていました。そして気付いたのです。この間、自分の時間が、自分の『今』が、どんよりと停滞したまま1ミリも動いていない事に。

 もう逃げちまおう、と、きっとそう思ったんですね。

 方法など特になかったですよ。でも方法など何でもよかったんです。二人が寝静まった夜中にそっと起きて、靴をつまんで玄関に立ったその時は、このまま電車に飛び込んでもいいかなとも思いました。しかし私はその時、薄暗い玄関の隅に動物が掘ったような小さな穴が開いている事に気付いたのです。 その穴は今も見えますし、入ろうと思えば入れますが、ここで生活すると決めた以上、そしてこうしてブログを書き続けると決めた以上、その穴について、皆様に説明する事も、内側の様子を案内する事も、どうしても出来ないのです。でもその時の私はもう逃げる事しか頭になかったので、お、ココから逃げよう!と迷わず逃げ込んだのでした。

 虚飾に満ちた愛情よ、夢とたばかる爆音よ、さようなら。

そうして1年ほど、私はその訳の分からない穴の中をうろうろと彷徨った挙句、結局またこの玄関にたどり着いたんです。心身はもうボロボロでした。

 1年経ち、家もすっかり苔むして、壁も窓もボロボロでしたが、そこはやっぱり同じ、真夜中の玄関でした。わはは、って、ぶら下げた靴に笑われたような気がしましたね。

 何だい、いまさら気付いたのかい? そうだよ、そうなんだよ。1度逃げた人間にとって、すべての道は逃げ道になるんだ。さあ、何してる? 何を立ち止まっちゃってる? もっと逃げろ!どんどん逃げろ逃げろ!

 そんな言葉が玄関のあちらこちらから聞こえました。だから、もういい、どこにも行かないと決めたのです。ずっとここにいよう、つまり電車に飛び込むのではなく、ここで死のうと。私はそう決めたのです。

 それならばジッとしているわけにはいきません。その時が来るまでは何かやらないと。料理人はもううんざりだ。ミュージシャンはきっぱり諦めた。でも金は要る。ならば商売をやろう。そうだ、ココに店を開こう。どんな現実も選べないなら、どんな現実にも繋がる店をココに作ればいい。その店で金が儲かれば一番いいじゃないか。

 妻に表情が急に明るくなったって言われましたね。

どうしたの? 体調がいいの? 何かいいことあった?って。

 そんな事あるわけがないじゃないか。ただ死を決心しただけだ。

 正直驚きました。死を決心する事で、こんなにもいろんな可能性が見えて来るのですね。あぁ、そんなもんだよ。バカにはバカの判断があって、それに則した住む場所はいくらでもある。時間と空間は残酷なほど無限に広がっている。逃げろ! ほら逃げろ! ってね。

 もちろん、そんな事は妻には言いませんよ。ただ、あ、そう? と胡麻化しただけです。

 そして、そのお店を始めるにあたり、そのシンボルになるいいキャラクターはいないかなぁと、ネットのフリー画像を探してたんですね。私は絵が描けませんので、いいキャラクターはどこかから持ってくるしかないんです。 そうしたらとてもいい、可愛くて、純粋な写真をみつけたんです。よし、これにしようと。

 これは群馬県吾妻郡長野原町応桑にある諏訪神社の鳥居の左側に鎮座されている道祖神様のようです。 

 私はお店の真ん中に、その2人をドカッと置いてみたんです。

 すると見る見るうちに頭の中にストーリーが浮かんできたのです。勝手な解釈かも知れませんが、この2人が私にくれたストーリーに違いないんです。 私は、どうなるのだろう? と様子を窺っていました。


 『今の子』と『昔の子』

 私は仮の名前を付けました。

やや馴れ馴れしく肩に手を置く方が『昔の子』。 

両手を頬に当て困るように考えているのが『今の子』。 

いったいどこでどうやって会ったのかは見当もつきませんが、2人はある日うちの店にやってきて、 

「オジサン、俺たち2人でバイトさせてよ、安くでいいからさ、言っとくけど、俺たち家出少年じゃないよ。家もちゃんとある。でももう帰れないんだよ。いろいろあるんだよ、わかってくれよオジサン。だから内緒で、ね。俺、掃除は得意だよ、盗み食いもしない、居眠りもしないよ」

 と言ったのは確か昔の子でした。 今の子はその時も、大人しく黙ってました。

  私は2人に店番を頼む事にしました。 

 フリー画像とのそんな出会いを、今はそのまま、何も言わず受け取ってていただきたいんです。


  今、このブログをご覧の皆様、どなた様も、どこのサイトを通って、いつ、どうやってここにお見えになったのか存じませんが、未来からお見えの方にも、過去からお見えの方にも、

  せっかくだから今のこの、西暦2020年8月の事をもう少しお話しておきましょう。 

 2019年、中国武漢で発生したコロナウイルスの世界的大流行のせいで、世界中が大混乱に陥っています。 ここ日本でも、東京オリンピックの延期高校野球の甲子園大会の中止の他、様々なスポーツ、音楽イベントが軒並み中止となり、世界経済への打撃は深刻です。そのほかには、感染予防のための出社制限によるテレワークの普及など、世の中は根幹から揺らいでいます。鳴動しています。

 アメリカと中国の関係はますます悪くなっています。『ティックトック』という中国のアプリケーションが、秘密の漏洩の危険性があるという理由から、アメリカの『マイクロソフト』に買収されそうになってますが、これは、どう決着しました? 

 小学6年生の息子の夏休みも残酷なほど短縮され、子供らはみな不満と不安を募らせて、大人になり始めた感性の大切な部分に致命的な傷をつけられながら尚、ズルズルと引っ張り回されています。

 我々大人もまた、どんどん精神的にダメになり、行政も、政府が「旅行してもだいじょうぶだ!」と言ったかと思うと、東京都が「ダメです、じしゅくしてください!」と言ったり、右往左往しながら、ただ景気だけががまるでウォータースライダーの様に、面白いほどグルグルと、あちらこちら迷走し落ち続けるさまをただ眺めている有様です。 

そう、ウォータースライダーというと……、

 ハイドロポリスで有名な『としまえん』も、2020年8月をもって、94年の歴史にピリオドを打ちました。 

ひゅーすとん、ひゅーすとん、2020すらっしゅ8からの報告は以上です。 


第2章(今と昔)


 今朝、蝉の幼虫を見ました。見た事あります? 蝉の幼虫。抜け殻じゃなくてまだ動いているヤツです。近所のドン・キホーテに焼酎と炭酸水を買いに行く途中、公園のベンチの背凭れの上をヨチヨチ歩いていたんです。時間は午前9時頃でしょうか。とても可愛かったです。しかし可哀そうですが、彼(彼女?)はおそらく、セミにはなれません。

 こんなに日が高くなってまだ羽化出来ていないようでは、アリに襲われて終わりでしょう。それでも本人は羽化ににいい場所を探して、よいしょよいしょと、

決して伸びる事のないであろう小さな羽に6年越しの夢を乗せて、よいしょ、よいしょと、

 空は高いかなぁ、上手く飛べるかなぁ、上手く鳴けるかなぁ、素敵なセミと会えるかなぁ、と、

 薄緑色の眼を朝の光にキラキラと輝かせて……。


 コロナウイルスによる経済的打撃も加え、殺人的な猛暑により、世界はいよいよ危機的な状況に追い込まれています。

 今日も暑いねぇ……、と、きっと北半球のあちらこちらで様々な言語で口々に囁かれていると思われます。しかしその言葉が持つ本当の意味をいったいどれぐらいの人が正しく理解しているのでしょうね。

 良くも悪くも、人間はすぐに慣れてしまうんですね。インフルエンザによる世界全体の死亡者数は、年間30万人から60万人と言われています。全然克服できていません。でも誰もそれほど問題視しませんよね。インフルの季節だなぁ……、なんて。

慣れたのです。ただそれだけ。

 それを進化したと呼ぶのなら、人類はもう終わりです。また土に潜って遠い朝を待つしかないようです。

 私の店は、まったく暇々です。これもきっと、今の世界と一緒で、私が思っているよりもずっと悪いです。窓から入ってくる風に揺れる風鈴の音や蝉の声がバカに姦しく耳に響くのもその証拠です。二人は暇に任せて毎日居眠り三昧……。居眠りしないって言ったのに……、私が見ていないとでも思ってるんでしょうか。

ところがこれはネット雑貨店なので、パソコンのスイッチ一つでいつでも見られるんですよ。

 不思議なこの子ら……。

 この2人が知り合ってまだ間がないんだなぁと気づいたのは、実は店番を頼んで暫くしてからの事です。2人の会話を盗み聞きして、その内容から何となく察しが付いたのです。


「ねぇ、君はなんであんなとこにいたの?」

「あぁ、それはお前と同じ理由だと思うよ」

「でも僕は、なんで自分があんな所にいたのか見当もつかないんだ」

「だいたいわかるだろ。眠った覚えもないのに目が覚めて、走った覚えもないのに立ち止まって見ると、すべて知ってるのにまるで見覚えのないあの場所にいた。違う?」

「違わない」

「つまりそういう事だよ。俺たちは死んだんだ

「え?」

「お前、最後、何覚えてる?」

「ママがすごく泣いてた。でももう何も言う事が出来なくて、君は?」

「手から茶碗が落ちたんだ。でももう、拾えなかった……」

「ふ~ん……」


 この店は一見、雑貨屋に見えるでしょう? でもよく見ると食べ物も売ってます。

 サンドイッチに、おにぎり、あとは妻の手作りパンも。

 カレーもあります。カレー弁当。でも夏のカレーは怖いんですね。夏と言えばカレーなんて以前はよく言ってましたけど、カレーにはウェルシュ菌、という菌が発生しやすいんです。

このウェルシュ菌がとても厄介な菌で、加熱してもなかなか死滅しません。主に肉類に存在するんですが、土中に存在する菌のため根菜にもいる可能性があります。

だから肉類と人参とジャガイモを入れなければある程度発生は抑えられるんですが、でもねぇ……、

肉と人参とジャガイモが入っていないカレーって、なんかねぇ……。

 ウェルシュ菌は酸素を嫌う性質があるので、加熱する際にはよく混ぜる事。空気に触れさせる方がいいんですね。レンジでチン、なんかやっても、ただ温まるだけで全然、ウェルシュ菌はへっちゃらですから。

 そのカレー弁当が、今日も売れ残ってます。これもお盆休みでサラリーマンがいないせいでしょう。店がね、軌道に乗るまではね、いろんな損失は仕方がない。

  コロナのせいで、今年は我が家も帰省を見送りました。

 家族とのロングドライブはとても楽しいモノです。息子もいとこ達に会うのを本当に楽しみにしていたんですが残念です。本当なら今頃、父親の墓前に花を手向けているはずなのに、私は埼玉県にいて、早朝からパソコンに向かうという変わらぬ朝を過ごす事になりました。

 墓を掃除したよと、兄が写真を送ってくれました。

 そこには子供の頃、今は認知症で寝たきりの母親と手をつないで写っていたのと同じ墓石が写ってました。

 実家の事は、全く兄に任せっきりです。私は何もしていません。

 来年は帰省できるんでしょうかね。そして来年まで、母は生きていてくれるんでしょうか。もう何年も寝たきりの母。最近少し調子が悪いと、これも兄が教えてくれました。了解、とだけ返信しておきました。だって他に何も言う事がないから……。

 私はすっかりネットの中の人です。ネットの中にしか存在しない、バーチャル家族、

バーチャルバカ息子です。

もし、母の記憶が消去されれば、バカ息子としての私も消去されてしまう事でしょう。

 それも仕方がない……。


第3章(終戦の日)


「今日の事ははっきりと覚えてるよ。おじいちゃんがラジオを聴きながら泣いてたからね」

「僕が生まれるずっと前だね。ところで君は、どうして死んじゃったの?」

「多分餓死だね。戦争は終わってからの方がずっと酷かった。戦争が終わると、大人は急に何も言わなくなって、自分の事しか考えなくなった。だから俺たち子供はたまらないよ。今まで味方だった大人が、ただの体の大きな敵になったんだ

「8月15日は、終戦記念日って学校で習ったよ。日本がアメリカに負けた日だって」

「アメリカに負けたんじゃない。連合国に負けたんだよ。世界大戦だから、一対一の戦いじゃない。だからどこかの国と約束なんかしたって意味がないんだよ。ソビエトを見ただろ? 結局、戦争はルール無視の殺し合いだよ」

原爆は戦争を終わらせるために仕方がなかったって、学校の先生が言ってた」

「お前はどう思うんだ?新型爆弾

「原子爆弾の事?」

「そう、落とされた当時は原子力なんて誰も知らなかったからそう言ってた」

「ちゃんと考えたことはなかったけど、やっぱり、いけないと思う」

「いい子の意見だな。今の子はみんないい子だからね、じゃあ、なにがいけなかったと思うんだ?もし日本が先に新型爆弾を作ってたら間違いなくアメリカに落としてたと思わないか。そしてアメリカ人が何十万人も死んだ。これのどこがいけなかったんだ?」

「……」

「落とす方と、落とされる方、どっちが悪いんだ?」

「両方、悪いです……」

「不正解。両方、悪くない。負けたから被害者じゃない。勝ったから加害者じゃない」

「今日も、暇かな?」

「暇に決まってるよ、こんなクーラーもないような店、誰も来るはずがない」


 猛暑が続きます。今思えば、夏休みに一泊ぐらいどこかに出掛けてもよかったかなと思いますが、その間猫はどうすればいい? ペットホテルって、思ってたより高い……。それにうちの猫は超が付くほどの甘えん坊の暴れん坊なので、ペットホテルは無理そう。

 2020、8すらっしゅ15。今日は終戦記念日です。韓国では『光復節』という祝日らしいです。日帝の植民地支配から独立を勝ち取った日という意味だそうです。

未だもめてます日韓関係。元徴用工問題に関しては、日本側の立場は、1965年の日韓国交正常化に伴う請求権協定によってすべて解決済みとするもの。

韓国側の主張としては、個人の請求権はそれには含まれないとするもの。

 どちらにしても、共倒れだけは避けたいものです。もうこの問題、解決してますか? どうなりました? 今わかるのは、日本のマスメディアが報道しているほど、日本の立場が圧倒的に優位なわけではないという事ぐらいでしょうかね。日本は韓国よりもお金も軍の装備もたっぷり持っているかのように思っている日本人は結構多いように見えますが、この百年に一度と言ってもいい未曽有の国難であるコロナ禍に於いても、経営困難に陥っている企業や個人事業主に対する補償金や援助金を出し渋っている日本政府にお金があるとは思えません。

 これも、どう着地しました? 日本はもう、滅びましたか?

 大戦後の急速な経済的復興を近代日本のシンボルのように思っている人が、私の世代にもたくさんいるようですが、何度倒れても立ち上がるというただそれだけの、そんな反省のない姿が本当にそんなに素敵でしょうか?

 私は細々でもいいから、倒れずに進む方がいいと思うんです。戦後、日本は国の復興を急ぐあまり、様々な問題を棚上げにしてきました。今の日韓関係も或いはそうかもしれません。その他にも、公害問題や、労働環境の問題、少子高齢化の問題。気合入れろー! の一言でたくさんの問題を棚上げにしてきたという側面、ありませんか?

  通りを隔てた向かいの豆腐屋の御主人がぼんやりと夏空を眺めているのが見えます。80はとうに越えているでしょう。何もせずただボーっと、空を見上げているのです。 もう、今年で終わりかな……、とでも考えているんでしょうか。ここに引っ越してもう5年になりますが、客がいるのを見た事がありません。前に一度買った事があるんですが、確かに美味い事は美味いんですが、スーパーの3倍近い値段で、こりゃ売れないわ……と、正直そう思ったのを覚えてます。

 でもこれを平和と言うのじゃないでしょうかね。ご主人もおっしゃってました。 そんなご時世だよ……、って。 別にスーパーを恨んでる風ではなかったですよ。人間も動物も植物も、滅ぶべき時に滅ぶのが一番正しいんです。その現実をただ淡々と受け止める。それを平和というんです。

日韓関係についても。

 お互いを毒づいても気分のいい方はありません。それはルーズルーズの関係です。それでも毒づくのは、そうする事に利益があるからだと思うんですね。ただ……、

 蝉が落ち始めると、夏が終わり始める。

 どちらが先というのではないでしょう。小さな蝉にはそれが出来ますが、人間には出来きません。人間は自然と乖離した瞬間に、人間以外にはまったく無力になったのです。そして、あらゆる価値を自らが作った『お金』に集約し、やがてそれしか見えなくなった。

 2020・8すらっしゅ15。環境破壊も最近は声高に叫ばれています。SDGs(Sustainable Development Goals)これも典型的な、人間の人間に対するアクションですね。自然環境を考えるといいながら、結局人間の事しか考えていない。

  いいのです、滅ぶ時に滅べば。それが我々人間が、唯一自然に対して出来る事。

人間にとって邪魔なだけで、別に普通にしているウイルスたちにせいぜい遠慮して、

 2020年8月。今日は午後、息子と一緒にバッティングセンターに行く予定です。

 もちろん、マスクをして。


 

第4章(畑を作ろう)


 

 40度に迫る炎天下、庭に水を撒きながら考えている。

 畑を作ろうかと。

 商売人の息子で畑なんか一度もやったことがない私が、手入れの大変さなどまるで知らずに、ただ思い付きでそう考えているだけなんですけどね。庭で夏野菜が収穫できれば素敵だなぁと。それに年を取ってからそんな空間があれば、とてもおじいちゃんっぽいんじゃないかと。


 孫が草履を蹴飛ばしてこの窓から、おじいちゃん! おばあちゃん! と飛び込んでくる。お盆休み、息子が孫の浮き輪を腕に通して、ほらほら!玄関から入れ! と言う。妻は一年ぶりに見る孫に舞い上がって、汗だくの頭をガシガシ撫でながら、まあ大きくなって! と、おばあちゃんの慣用句を言う。

 私はどこかまだよそよそしい息子の嫁に、畑から無言で手を上げる。嫁は初めてうちに来た時と同じような堅苦しい頭の下げ方をする。

 お疲れさん、暑かったでしょ? と訊くと、いえ、道が空いてたんでそれほどでも、と嫁は少しズレた返答をした。


 その日の夜、私は自分の手料理で息子家族をもてなした。 庭でとれたナスやキュウリやゴーヤ、トマトやピーマンを使って作った、煮びたしやら、チンジャオロース、ゴーヤチャンプルやら、鶏肉のトマトソース煮やらを、子供の頃と同じ、無感動に食べながらテレビでライオンズ戦を見ていた息子が、明日は千葉の海に行く予定だと言った。

 私の両親が死んで、すっかり足が遠退いた京都府。もう故郷ではない、そんな気がしている。息子が子供の頃は、毎年夏になると若狭の海に海水浴に出掛けたもんだった。 遠浅の海にはほど近い場所にヒラメやコチの稚魚がたくさんいて、小さなフグの群れがいて、岩場の潮だまりには、フナ虫やイソギンチャクやカニがたくさんいた。

 いつだったか息子がエイの子供を捕まえてきたことがあった。

 危ない! その魚は毒があるから! 私がそう言って息子から網を取り上げてそっと取り出したそのエイの子供は、すでに死んでいた。

 コロナウイルスの問題があって帰省を断念したあの年から、だんだん故郷から遠退いて行ったように思える。息子も中学生になってからは部活や学校活動忙しくなり、だんだん親と行動を共にになくなっていった。まあ健全だったろう。

 息子家族が帰る日、私は庭でとれたトマトやナスやピーマンを大量に渡した。 いらねぇよ、と、息子は案の定そういったが、私は譲らなかった。

「持ってけよ! これが最後の収穫になるんだから」

「え?畑、どうすんの? やめちゃうの?」

「もう、ここは引き払ってさ、引っ越すんだよ。もっと小さなマンションに」

「え? じゃあこの家どうすんの?」

「お前、住むか?」

「無理に決まってんじゃん」

 はははは……、と私と息子はお互いに笑った。

  そんなモンか……。

  息子は大量の野菜を車に積んで、左ウインカーと共に帰っていった。

後ろ向きに手を振る孫が、次の右ウインカーと共に見えなくなった。


  そう、やるなら今しかない。

 来年中学生になる息子に、いろいろ買ってやらなければ。自転車もそうだし、野球のグローブも。最近すっかり背が伸びで、足のサイズなんかは私を凌駕し始めている。とにかく、いろいろ金がかかる。

 店をのぞいてみると、あの子らは相変わらず暇そうにしている。

「おはよう。暑いね。なんか売れた?」

「あ、おはようございます。いえ、何も売れないけど……」

「売れないけど?何?」

「お客さんは来ました。女性の。店長いますかって」

「女性? 誰だろう」

 その女性はそれだけ訊くと、また来ますからと言って何も買わずに帰ったらしい。

なんか買ってほしかったなぁ……。


第5章(ヒマワリ畑)


 先日、トラックを運転していて突然、ヒマワリ畑に出くわしたんです。とても暑い日で、きっと少しボーっとしていたのでしょう。急に目の前に飛び込んできた鮮やかな黄色に、思わずハンドルを奪われそうになりました。びっくりしましたよ。

 大地を埋めるヒマワリ畑。

  誰がなんのために、こんなにたくさんのヒマワリを植えてたんでしょう。

 本当に畑だったとしたら、きっと何かを収穫するのでしょうね。

 ですかね。あのメジャーリーガーがよくベンチで食べている、あれ。 

 でもどう思います? あれ。見てて、うわ汚ねぇ! って思いません? 殻をペッペペッペ吐いてさ。私は野球もメジャーリーグも大好きですがあれだけは嫌いですね、不衛生です。コロナが猛威を振る今だから言うのではなくて、単に下品です。ああいうお行儀の悪さをワイルドとか、細かい事は気にしない豪放磊落な男みたいに思ってるのだとしたら呆れてしまいます。何も考えずにやっているんだとしたらそれは文化の違いなので、アメリカでやってる分には何も言いません。 

 ところで、交通量の多い国道沿いにああいうヒマワリ畑は危険ですね。

  誘引効果というのでしょうか。気が付くとヒマワリの方にするすると寄ってしまうのです。だから敢えて見ないようにしていたのですが、暫くすると眦にモヤモヤと変な模様が浮かんできて、人かと思って目をやると、またするすると引き寄せられる。

わりと本気で殺そうとしているんだろうか。

 よく観るとヒマワリは色分けされていました。黄色いヒマワリと、それより少しオレンジ掛かったヒマワリが複雑な曲線を介して入り組んでいるのです。私はすぐにピンときました。 

  絵になっているに違いない。 

 よくあるじゃないですか、田圃に黄色と黒の二種類の苗を植えて、収穫時になると見事な阪神タイガースのマークになっていたりする。あれをヒマワリでやっているに違いない。 

 きっと町おこしか何かでしょう。でもいったいどこから見るのでしょうか。 見たところ、周りには高い山も建物もない。

 あ、今はドローンがあるのか……。 いったいどんな絵柄が描かれているんだろう。

 今日は誰も来ていないらしい。開店休業とは正にこの事だね。まあそんなすぐにお客が押し寄せるなんて初めから思っていないけど、せめて1日1人ぐらいは来てほしいなぁ……。  

『ひざ通商。』について。 

  新作は、ロック名言シリーズ。第1弾はジョンレノンが射殺された時、ジョニーロットンが言ったとされる名言。 

『世の中何にも変わんねーよ!』 

 ジョンレノンの死に対して、ジョニーロットンはなぜそんなにべもない事を言ったんでしょうね。人が1人死んだ、それだけの事だよ、ジョンの命が他の人間と比べて特別価値があるわけじゃない。そういう事を言いたかったのでしょうか。それともただ、世の中の風潮に反抗したかっただけなのでしょうか。

そんなこと考えても、 世の中何にも変わんねーよ!

 しかし新作と言っても、全然売れなきゃ旧作と何も変わらない。『新』と『旧』の時間軸を『醤油煎餅』と『ゴマ煎餅』みたいに、ただ横に並べで置いているだけだから。もし時間軸を重要視するなら、より新しい話題を取り上げてもっと時勢に即したモノにしたほうがいいのかしらん。 今なら……。

『アベノマスク』とか『自粛警察』とかね。 

 でもそれやっちゃうとなぁ……、一気に年を取るんだよね、文章が。2020年8月の事を具体的に今の事として書いたら、それ以外の、例えば20年後、30年後に読んだら、『アベノマスク』『自粛警察』、あったなぁ!そんなの! って、ただの懐かしい文章になってしまう。だから飽くまで2020年8月の方角を俯瞰しているような書き方にしないと。 ヒマワリの絵を遠くを見る様に、眦でじーっと眺めていると、やがてぼんやりと何かの絵が浮かんできて……。

 あ、店長、あの人です。 

 昔の子の声に振り向いて見ると、入り口の外にとても綺麗な人が立っていました。 


第6章(誰だっけ?)


 だれだっけ……。 

 昔からそうなんです。私は人の顔と名前を覚えるのがものすごく苦手なんです。店長いますか? って言ったらしいのですが、果たして、どこかで会ったのかなぁ……。

 こんな若い人ならそんな昔ではないはずです。 おそらく何かのライヴイベントか……。 でも埼玉に引っ越してからはイベントからもすっかり足が遠退いているし、またああいう場所は薄暗いから、余計に顔が覚えられないんです。

 エアコンのない蒸し暑い店内を、その人は涼しい顔で見まわしています。綺麗な目をキラキラとさせて、小さく頷いたりしながらマグカップやTシャツを見ている横顔は整い過ぎていて、全体がなんだか芝居がかっても見えました。

  店長さんですか? と訊かれた時は少しホッとしましたね。どうやら面識はないようです。

 はい。いらっしゃいませ。何か、お探しですか?

 私がそう訊ねると、えぇ、とその人は言いました。

 プレゼントかなにかですか? 

 私は少し立ち入った事を聞いたと思いましたが、その人は質問には答えませんでした。

 それとも何かの番組? ドッキリとか。そう思うと俄然、その人の美しい横顔が不自然に見え始めました。そして突然、看板を持った人とカメラが入って来て、「ドッキリですご主人、カメラはあそこ」なんて言われてみると、店のいたるところに隠しカメラが! いつの間に?

じゃあこの人はタレントという事か?そう言えば、どこかで見たような……。

 でもそのドッキリ番組が宣伝になって、次の日からはお客が引きも切らない大盛況になったら有難い! でもそうなったらなったで、ネット上でこのブログの内容が誹謗中傷の的になって……、

『ジョニーロットンはそんなこと言ってねーよ!バカ!』とか『下手くそな絵で金儲け様としてんじゃねーよ! この守銭奴が!』なんてね。1通2通だったら無視できても、何百通も来たらさすがにしんどいだろうね。自殺する人もいるぐらいだから、私が考えるよりもずっとネット上の誹謗中傷って精神的に来るのだろう。でもね、今よりマシか……。無視されるより辛い仕打ちは、この世界にないからね。存在を認知されない。そんな思いを、私もかつてした事が、あるような、ないような……。

  私、わかりますか? 

その人が突然私にそう訊いたのです。

 あ、いえ、どこかでお会いしたような気はするんですが、すみません……。 

 いいえ、お会いするのは今が初めてです。

 あ、そうでしたか、初めまして……。

 ひとつ、訊いてもいいですか?

 あ、はい、なんでしょうか?

 私は、男ですか? 女ですか? 

  その人には確かに、男女の美しい特徴がいくつも備わっています。大き過ぎない目と小さ過ぎない鼻。柔らかく自然な曲線は両頬を滑り、ちょうど真ん中に落ちて頤に結び、唇はまだ毒を含む若い蕾の様に固く瑞々しく噤み、少し茶色みを帯びた豊かな髪は日の光を巻き取りながら肩に触れず首筋あたりにふんわりと留まっています。 

 私は、男ですか? 女ですか?

 なんて質問なんだと思いました。そして私は自分がそれになんと答えればいいのか、真剣に悩みました。見た目でわかる男か女の決定的な違いはどこにあるのでしょうか? それを的確に見分けるならむしろ骨を見た方がわかりやすい。生きている事はそれを曖昧にしているようなのです。それは眼差しであり、身のこなしであり、声の高さ、服……。

 いや、違う

 私は初めからこの人の言葉の中に微かな毒を感じていたのです。私にはきっと見分けられない。この人はそれを知っていてわざと訊いているのです。それは恐ろしい、正解した瞬間、私はこの人に秘密をすべて暴かれてしまいそうな、そして間違えた瞬間、私はこの人の秘密をすべて暴いてしまいそうな。自分で自分を殺す。まるでロシアンルーレットの様な。私はじっとりと汗ばんでいます。

 するすると引き寄せられて、迫りくるコンクリートウォールに激突しそうになっています。私はハンドルを、右に切るのか、左に切るのか。

 いや、それも違う!

 私はこの人を知っている。圧倒的に、他の誰よりもよく知ってて黙っている。なぜかそう強く感じたのです。

  そしてこの時、忘れていたある遠い記憶が忽然と蘇ったのです。


第7章(行儀の悪い女子)

 まあ天皇家にでも生まれない限りは、我々雑種の人生なんて放ったらかしで伸び放題の雑草同然で、バッサバサで、余計なところから余計な枝が突然生えてきたり、突然ふっつりと折れちゃったりしてさ……、 

 まあとたいして価値はないです。 

 酔ってます。酔ってくだを巻いてます。少し嫌な事があったモノで。私はいつもそうやって 基本、 嫌な事は胡麻化してやり過ごします。それしか知らないのです。

 でも妻は違う。妻は私とは違って自分の決めた目標や意志にしっかりと従うタイプなんです。 

 なかなかに頑固な人ですが、でもそれは裏返せばとても従順で素直な人といえます。なんでもよく考えて、真面目な目標を立てて、それを目指してひたむきに努力する。諦めるのが嫌いだから、もともと変な目標も立てないし、荒唐無稽な野望も抱かない。妻の人生はきっと、持って生まれた人生の一番太い幹を着実に登っているのだと思う。どんな形であれ、私は妻が幸せになる事を望んでいます。それを一番に望みます。妻は本当にちゃんとした女性です。私は昔から、ちゃんとした女性が好きなんです。

 一方、何も考えず無計画にフラフラと生きてきた私は、生まれた時に親に貰った人生の、一番太い幹からは遠く離れた小枝の先っちょの枯れっ葉の、風に靡いてヒラヒラと今にも飛んでしまいそうなところに辛うじてしがみついているのでしょうね。もし妻という大樹に出会わなければ、私の様な貧弱な葉はあっという間に木枯らしに飛ばされて消えていた事でしょう。 

 まあしょうがない。人生、後悔なんてしてもしょうがないんですが、でも時々は、

 あの時、ああなっていれば、今こうなっていたかも知れない、なんて無益な事を、戯れに考えてみなくもないのです。 

  ひどく行儀の悪い女子が2人いたんです。 

 真夏のコンビニで、ガラスケースの扉を開けっぱなしにして、う~んどうしよう。どれにしよう、なんて言いながら、同じチューハイを選んだり戻したりしてるんです。 

 どうでもいいからさっさと決めろや! 

 私がやや強引にその2人の間に割って入り、手を突っ込んでお目当てのモルツの500缶を2本、取ったんですが……、 

 そのとき1人の女の子の、あれですよ……、おっぱいにね、肘がちょっと触れたような気がしたんですね。もちろんわざとではありませんよ、ありませんけど。 

 女の子の方も、あ、って感じで、少し身をかわしたんで、私も思わず、あ、すんません、って言ってしまったんです。 

 そこでもっと気まずい感じになってくれればよかったんですが、 

 突然もう1人の女の子が笑い出したんですね。 

 あ~、おっぱい触られてやんの! なんて。そうしたら女の子は顔を真っ赤にして、全然触られてないよ! なんて言い出したからもう、私としては最悪の展開です。 

 で結局、3人で近所の神社でウダウダと飲み始めてしまったんです。夜の神社でする怖い話は面白かったなぁ……。 

 しかし真夏の夜の神社は蚊がすごくて、おまけに3人とも酒を飲んでたからもう刺されまくりで。 

 とにかく、ムヒ付けよう。ムヒ! 

 と、3人で私の部屋に避難したんです。当時、私の狭い部屋にはギターやベースが7本も立ち並んでいて、CDも800枚ぐらいありましたかね。CDも800枚並ぶとそこそこな壁ですよ。 

 すごーい! なんて言われて。 

 この若い女の子の、すごーい!は、実際は凄くない男の自尊心をどれほど心地よく刺激するか知ってますか? そりゃもう、すごいんです。

 で、結局明け方近くまで、音楽聞いたり、酒買い足しに行ったりして過ごしました。その時、まだ私は2人の名前も知らなかったんです。 

 まあ、この流れからだとお察しの通り、私はそのうちの1人と付き合い始めたんですね。それは、おっぱい触ってない方の子です。品悪く、コンビニでゲラゲラと笑い出した、行儀の悪い方の女の子です。こんな安っぽい偶然が、バカな出会いが、ともすると一生の腐れ縁になる危険性を伴っているとは、その時は全く考えませんでしたね……。 


第8章(性がないから)

  全く、毎日暑いですね。でももうすぐ、夏は終わります。 

 それはトラックを運転していても、例えばいつも通っている道の両脇に、突然百日紅が大きな英をゆらゆらと揺すっているのを見るだけで、 

 百日紅ってこんなにいろんな色があるんだなぁ……、なんて思ったりする事からもわかります。百日紅は初夏から晩夏に向けて比較的長い間咲くですが、私のよく通る埼玉県坂戸市の産業道路の街路樹は殊更、夏の終わりほど鮮やかに咲き誇る様なのです。   

 夏はそうして様々な形で終わりのメッセージを告げているのでしょうが、私は一向に気付きません。というのも、わかる頃にはメッセージはもう別のメッセージに変わっているからです。そして、あぁ、あれはそういう事だったのか……、と後々理解するのです。それほどに、季節は片時も留まりません。そしてその変化のグラデーションはメッセージし続ける……。

 そうしてセミは少しずつ赤トンボへと変わる。赤トンボはだんだんカマキリに化ける。カマキリはだんだんコオロギに姿を変え。そしてコオロギはだんだん……。 

 ゴキブリとなって、人間と共に仲良く冬を越しましたとさ。 

 めでたし、めでたし。 

 本当にそれでよかったのに。そうやっていろんな生き物は変化しながら永遠に生き続ける、そんな仕組みでも全然良かったのにね。 

 でも神様はそんな方法は選ばなかったみたいです。 

なぜならばそこには……、 

 性がないから。 

 命を限りあるものとして受け継ぐというシステムを選んだ神様はさすがとしか言いようがありません。退屈が全ての答えだなんて、いったい誰が納得するというのでしょう。全ては退屈を避けるためにあると言ってもいい。よく『三大欲』なんて括られますが、私は性欲が断然神聖だと思っています。他の2つはただ個体が生き残るため。性欲は『命を受け継ぐため』。まるで品格が違います。 

 私は子供の頃から虫が大好きでした。昆虫図鑑を眺めては、実際に捕まえた虫と見比べたりして遊んでいました。それは成虫だけではなく、その卵も、幼虫も、蛹も。その他の生き物とは違い過ぎるドラマティックな成長過程を、その劇的な変態を、私はワクワクしながら観察したものです。 

 そして何種類も飼いました。それはカブトムシ、クワガタなどのスタンダードな昆虫に限らず、蝶々、蛾、バッタ、蜘蛛、ダンゴムシ、アリ、ハエ、なども飼いました。 

 その交尾の様子も、カブトムシのオスとメスが土の中で秘かにお尻をつなげてたり、イトトンボが二匹繋がってハートの形になっていたり、バッタがバッタをおんぶしていたりするのを不思議な気持ちで見ていました。 

 でもその姿は普段のクールで知的な虫の様子からはかけ離れて、あまりにも無防備でみっともないように見えました。これは本来の虫の姿じゃないなと。そこには大人達がひた隠すおかしな仕組みがある事に、あるいは薄々感づいていたからかもしれません。 そして私は……、

 そんな姿をみつけると、必ず虐殺したのです。 

 私は交尾中のセミの羽根を毟ったり、バッタの足を毟ったりして、それをそのまま池に放り込んだり、蜘蛛の巣に投げたりしました。それはきっと虫に対する愛情を遥かに超えた強い力のせいだと思うのです。

 いえ、私は決して自分の蛮行を正当化するつもりではなくて、本当にそう思うんです。子供の残虐性を説明するにはこの力を説明するしかない様に思えます。それは愛情よりもはるかに強く、純粋で、どんな欲望や感情よりも優先される力です。いったい自分の喜怒哀楽のどこにリンクしているのかすらよくわからないこの無辺際な力には、制御しようもないほど乱暴で傍若無人な性質があるんだなぁと、つくづく思うんです。 そしてその力こそが『愛着』だと思うのです。


 私とその女の子はそのうち半同棲のような生活になりました。私は少し年下のその女の子の声も顔も可愛いと思いましたし、話をしていても楽しかった。もしあの頃のいい加減な判断で結婚していても、それなりの人生を送っていた事でしょう。仮に不幸な結果に終わっても、それほど後悔しなかったと思います。しかしその頃の私はとにかく音楽狂いで自分の時間は絶対に誰にも譲りたくなかったんです。 

 テレビに出ているミュージシャンで自分に適うヤツなんてまったく見当たりませんでした。ただ自分にはとにかく運がない、それはきっと前世で1万人ぐらい殺しているせいに違いない。だから周りに合わせてジッとしていたら、自分にだけはろくな事が起きない。周りに流されたらダメになる。だから出来るだけ自分の意志で動かなければ、動いて少しでもこの、生まれた時からまとわりついている疫病神を振り払わないといけない。 

 親からの愛をうまくキャッチできなかったという自覚が強い私は、愛情に対する偏見や感傷と常に戦っていたような気もします。そしてそれがただの虚勢である事に気付かないために、わざとジッと正面から目を逸らさないでいたのです。ヒマワリにぐいぐいと引っ張られるようとも一瞥もくれず、ただひたすら正面から目を逸らさない自分を、真っすぐでブレない素敵なヤツだと思い込もうとしていたのです。女の子も暫くはそんなわがままな夢を追いかけている風の、少し年上の男の事を素敵に思ってくれていたのかもしれません。いろいろ甲斐甲斐しく身の回りのことなどをやってくれたんです。 

 しかしそのうち、私の気持ちが自分が望む方向とは少しずれている事に気付いたのか、女の子は徐々にわがままを言いだす様になりました。明日ディズニーランドに連れていけ、一緒に水着を選べ、フレンチの店に連れていけ、犬を飼え、車を買え、左でギターを弾け、などなど。

 しかしそれが全てダメだとわかると、今度は妙な行動に出るようになりました。私のモノを勝手に捨て、代わりに自分の生活物資を私の部屋に持ってきて、自分の洗濯物を私の部屋のベランダに干す様になりました。だがそれでもダメだとわかると、今度は明らかに二股を掛け始めたんです。

 女の子は私の部屋にいながら私の目の前で誰かに電話を掛けて、うん、今から遊ぼうよ。いいよ、そっち行くよ、なんて夜中に出掛けて行きました。そしてそんな日は大概、翌朝になっても帰ってきませんでした。 

 しかし私はむしろ、そんな夜は歓迎でした。女の子が出ていくと、私は誰にも邪魔されずに心置きなく音楽に取り組むことが出来たからです。残酷な話ですが、私は女の子が二股を始めた後の方が、ずっと一緒に過ごしやすくなったんです。

  やがて女の子は自分の荷物を置き去りにして帰ってこなくなりました。それきりです。 

 それから1年ぐらい経って、私は偶然あの、おっぱいを触った方の女の子に、あの同じコンビニで出会ったんです。 

 あぁ、久しぶり、と挨拶を交わしてそのまま立ち去ろうとしたんですが、 

  知ってます? と言うんです。 

  私は当然、知らない、と答えました。

 あの女の子は妊娠したそうです。そして大学もやめて、郷里に帰ったと。 

 子供は? と訊くと、堕ろした、という事でした。 

 私は何も感じなかったんです。女の子にも、女の子が堕ろしたという子供にも。きっと私の知らないところで淡々とそう言う風に事が運んだんだろうなと。産声を上げられなかった子供も、あくびを飲み込むようにまた、彼女の中に消えたんだろうと、そんな風にしか思っていなかったのです。

 しかしそれからしばらくして、私は自分がある言葉を言えなくなっていることに気が付いたのです。その言葉を口にしようとすると首の辺りを強く押さえつけられ、そのまま首をもがれてしまう様な強烈な痛みを感じるようになったのです。そしてそのたびに、自分が殺した虫達の無表情な顔が浮かびました。羽根や足を毟ると、虫達は途端に不格好になり、無力になり、ヨチヨチヨタヨタと、とにかくそこからいなくなろうと這いまわるのです。私がそれを掴んで池に投げ込むと、黒い水底から紅白の模様がゆらゆらと浮かび上がり、のっぺりとしたやはり無表情な顔が一気にガバッと一口に飲み込む。それが全てです。そこに言葉などありません。それは絶大な信頼のようにも見えたのです。

 私が言えなくなった言葉、それは『好き』

テレビで女優やアイドルを見ても、「あ!俺、この子す……」と、口に出す前に、体がカチカチに固まってしまうんです。

 私は実際、誰も好きになりませんでした。 しかし、気楽かと思いきやそれは血から活力を奪い、頭を閃かなくさせ、歩くのすら全身が怠くなる様で、きっとあなたが思うより、ずっと不便で辛い事でした。

 私は彼女の事が好きだったのでしょうか。彼女は私の事が好きだったのでしょうか。それはわかりません。今更それを考える事にあまり興味はありません。じゃあ、

 私が彼女を捨てたのでしょうか。彼女が私を捨てたのでしょうか。それもわかりません。

そしてそれを考えるのも、大した価値を感じません。 ただ……、

 あの時以来、私と彼女の間に、等しく強烈な力が働いている事だけは確かなのです。それは感情もありません。命の尊厳も無意味です。放っといてくれれば結構。あなたたちを理解する気持ちも、立場を斟酌するつもりも、毛頭ございません。私はただ一方的に、最大の悲しみを以て、未来永劫にあなたたちを親と慕うのです。

 私と彼女を等しく永遠に強く結びつけようとする純粋無垢な狂気。これこそが『愛着』だと思うのですが、どうでしょうか。

 私は、男ですか? 女ですか? 

 その問いかけは、私の首をガシッと掴んだまま遠い夏の日に引きずり戻したんです。 


第9章(吉岡へ)

 本当に素敵でしたよ。茨城県水戸市を走っていたんですが、突然見た事もないような、まるでミケランジェロが描いた天蓋のような、360度パノラマの、ツルツルに磨き上げられたラピス色の天球のてっぺんが恐ろしく高く晴れ上がっているところに、白い雲が幾重にも連なってモクモクと沸いているのが見えたんです。思わず、うわぁ、地球の禿げ頭だぁ! なんて叫びましたよ。 

 しかしその直後、信じられない様なスコールに襲われたんです。もうね、ワイパーなんて有って無きモノ。一瞬にして前が何も見えなくなりました。いくら前を見ようと思っても、フロントグラスには無数のペイズリーが次々と、あっちこっちに出来ては消えるだけ。もうね目のピントなんかどこにも合いませんよ。そして、だんだん意識が遠くなって……。

 やがて雨のトンネルを抜けると、そこはもう東京都だったんです。ほんの数十秒ほどに思われた時間が数時間も経過していたんです。タイムスリップしたみたい。何だかキツネに摘ままれたような気分でした。   

 昨日、パソコンにメールがついたんです。 

 いえ、メールなんか毎日何通もつくんですが、大概は『お得なクーポン使いませんか?』 とか 『夏ですよ、旅行に行かないんですか?』 とか、『鍬とザルは、調べただけ? まだ買わないんですか? 庭を畑にするんじゃなかったんですか?』 というcookieの情報を鵜呑みにした、どうでもいい内容ばかりで、ほとんどは見ずに削除するんですが……、 

 そのメールにはちゃんと差出人の名前があったんですね。全然ピンとこなくても名前があると、誰だろう? とつい考えてしまいます。 

『お久しぶりっす、吉岡です』 

 吉岡と言われて思い出せるのは、小学生の頃から数えてもせいぜい5~6人、お久しぶりと言うならば皆相当お久しぶりな人ばかりですが、このテンションから推察するに、きっとあの吉岡だと思い当たる吉岡が1人いました。 

 吉岡には変な癖、というかある種の病気がありました。それは、モノを噛まずに食べてそのまま吐く、という病気です。 

 一緒に食事に行っても、吉岡はとても早食いで、ラーメンなど、モノの1分ほどで完食してしまうんです。そして店を出てからすべて吐く。それもまあ見事に、ラーメンの麺など少しも切れておらず、鳴門にも歯形一つ付いてない丸のまま。吉岡はそれをある種の冗談か、或いは得意技のように思っている様子でした。食事にどういう意味があるのかよくわかっていない様子でした。 実際これを家族の前でやると、特に爺さんにめちゃめちゃウケたのだそうです。

  私には吉岡の家族も含めて全員病気だったように思えますが、吉岡家にとってそれは日常の光景だったのかもしれませんね。

 私がなぜこんな気持ちの悪いヤツと一緒にいたかというと、それは単に吉岡がベースで私がギターだったからです。吉岡の弾くベースはデタラメ寸前で危なっかしいのですが、私にはとても魅力的に聞こえたんです。だから一緒にバンドをやろうと言い出したのは私の方でした。でも吉岡は音楽にまるで執着がなく、すぐに他の事に興味が向いてしまうんです。それは熱しやすく冷めやすいではなく、熱したことすら忘れて、冷めるまでも待っていられない感じでした。

 特に女性に関してはそう。浮気とか二股なんて概念は、彼の頭の中にはもともと存在しないのでしょう。

 結局、吉岡と私は一緒にステージに立つ事はありませんでした。そしてある日、俺はジャグラーになる、と言って行方をくらまして以来、かれこれ十何年、全く音信が途絶えていたんですが……。 

 吉岡には子供がいるという噂もありました。それは高校生の時に同級生を妊娠させて産ませた子供で、吉岡はその女の子の家族からの追跡を逃れるために、場所や名前を転々と変えているという噂でした。だから『吉岡』と言うのも本名かどうか、実は判然としないのです。

 私は1度、その事について直接訊いてみたことがあるんですが、その時の吉岡は珍しく真顔になり、はっきり、嘘だ、と言いました。だから質問者の責任として、私は吉岡の誠意を鑑みて、それが真実であると信じてきたのです。 

  メール、迷ったんですが開けてみました。すると。 

 永代供養の御ご相談なら……、という文言と共に、あれ、あれ、という間に何枚も写真がダウンロードされて、『ご契約成立まであと10秒。解除にはコチラをクリック!』というカウントダウンまで開始されました。 

 スパムメールでした……。 

 慌てずに駆除しました。そんなのはエロサイトで何度も経験済みでしたからね。 

 しかしね、『墓』という普通の人があまり買わないモノの契約を迫り、解除を押したら別の契約が成立してしまうなんていうこんな狡いやり方をいったい誰が考えたのでしょう。よほど性格が悪くて頭がいい奴なんでしょう。まるで吉岡のような。 

 いや待てよ。案外、本当に吉岡かもしれない。 

 ジャグラーを諦めてまたフラフラとどこかの町を彷徨っていて、たまたまこの詐欺商法に出会った吉岡が、さて誰にメールを送るかと考えた時、頭にふと私の顔が浮かんだのかもしられない。 

 アイツならボケっとしているから、ひっかかるだろう、そう思ってメールをくれたのかもしれません。 

 そうではないと言い切る事は出来ません。本当の事は永遠にわからないでしょう。しかし実際に私はこのメールで吉岡の事やその子供の事、相手の女の子とその家族の事、一緒に行った定食屋の事まで思い出したのだから、この人達が実際に今どこでどんな暮らしていようとも、そこは私にとってパラレルワールドである事に違いなく、私もきっと吉岡を通じでそっちの世界に行き来しているに違いないんです。そこで私はいったい、何を言って何をやるのでしょう。 

 吉岡の子供は、男の子だったのか、女の子だったのか。 


 私は、男ですか?女ですか? 

  女でしょう。私はそう言いました。私には息子がいますから、もう1人は娘が欲しかったんです。 私はもう半ばそんな気持ちで言ったのです。しかし、

  その人は一瞬嗤うような顔をしました。そして、

  アンタ、バカじゃないの? と言ったんです。

 あのねぇ、今の時代、性別を特定する事自体ナンセンスだよ。私だけじゃない、世の中には自分の性別がわからない人がたくさんいるんですよ。親からもらった性別を何も疑いもせずに、教えられたままで、男です、女ですって、バカみたい。

 私は自分の事を温厚な人間だと思っています。人並みに不機嫌になったりはしますが、滅多に表に出す事はない方だと思っています。でもなぜかこの時だけは、大事にしていたモノを踏みにじられたような気分になって、とてもムキになってしまったんです。

 いや、質問されたらそりゃ、誰だってなんか答えようとしますよ。それにね……。 

  そして当然私にだって言い分はあります。 

 私はね、どうしたって性はなくならないと思うのです。いろいろ問題がある事は私だって知ってます。でもそれは性差そのものの問題じゃない。それに付随する権利の問題だと思うんです。

 何を、偉そうに……、その人のその小さな囁きを、私はものすごく腹立たしく感じました。私は冷静さを保つのがとても困難でした。

 いいですか、男女は多様性の一つです。平等なんてもともとあるわけがないし、そんな事、想像すら出来ないんです。だからたとえ、男と女の間に様々な人達がいたとしても、男女という構造の多様性に過ぎず、それがどんなに複雑になったところで、それは三角形が四角形、五角形となっていくだけで永遠に丸にはならないのと一緒です。男でも女でもないは、許されないんです。それは反社会的な発想です。危険思想です。卑怯者の屁理屈です。差はあって然り、その差を出来るだけ明確にして、すべての間々に、丁寧にウィンウィンの関係を築く努力こそが大切だと思うんです。そのためにはまず対立の構造から失くしていかないといけない。それは男女の問題だけじゃなくていろんな問題の中で……。 

 うるさい! 

 その人は最後はもう叫ぶようにそう言いました。 

 どっちだっていいんだ! どっちだって訊いているんだ!早く決めろ! 私は男か? 女か?

 お前は女だ!お前は娘だ! 私もそう叫びました。

 しばらく、シンとしました。蝉の声ばかりが、シャーシャー耳の奥の奥で聞こえていました。

 そうですか……、私は、娘ですか。よかった、それを聞いて安心しました。

そういうとその人は、そっと店を出ていきました。

 変なヤツ……。

昔の子が言いました。

 僕、あの人知ってます。 

今の子が言いました。 

 え? 誰? 

 ずいぶん痩せてて気付かなかったんですけど、少し前、恋人の連れ子に対する暴力で逮捕されて、それが原因で芸能界を引退したお姉タレントです。 子供が自分の事をオジサンって呼んだのが許せなかったと、言ってました。

私は少し拍子抜けしました。 だから、見覚えがあったのか……。

 私は、男ですか?女ですか? 

  どっちでもいいよ。ただ幸せでいてくれたら、それが一番ありがたい。

 私は、男ですか?女ですか?

 君は本当にそれを私に訊きに来たんじゃないのかい? そのためにこのブログを通じてパラレルワールドから実の父親である私に会いに来てくれたんじゃないのかい? 

 私は、男ですか?女ですか?

 もしそうなら大歓迎だ。また来年もぜひ来てほしい。夏雲の中から、小さな晴れ間が見えたらぜひ、もう一度ここを覗いてみてほしい。 私はヒマワリで、『おかえり!』と空からも見えるように大きく描くよ。そして酒でも飲みながらいろいろな話をしよう。君の母さんにの事も話すよ。君の質問にはすべて答える。私にはきっと、その義務がある。 

  店長、とのま、最近、元気ない気がするんですけど……。 

 昔の子が言いました。 

 窓辺にじっと香箱座りをして動かない、私の愛猫『とのま』。 

 この頃から、とのまは急に元気がなくなり始めたんです。 


第10章(猫のとのま)

 野球の試合に向かう息子の背中に向かって、私は後ろからそっとヒット祈願の柏手を打つ。でもその柏手の本当はヒット祈願ではなく、とにかくなんであれ、無事に家に帰って来る事を願う柏手なんです。 当然ですよね、家族の健康以上に大切なモノは、この宇宙には存在するはずないんですからね。 

 まあ、そんなこと言っててもなに、あと百年もすればどんな大切な家族もバラバラになって、濃厚な愛情や思い出も希釈されて、音だの風だの光だの、まあこれでもかというほど細かく分解されて、まだ誰も見た事がない景色の中に、そこを吹く風の音の中に、そしてそこを初めて訪れた人の心の中に、『今』としてふわりと香ってみたりするんでしょうけどね。それが私にとって果たして、本意だか不本意だか……。 

 そして今、私が感じているのは、このまったりとした夏の昼下がりの感覚もきっと、かつて誰かがその体の中で燻蒸した濃厚な感覚が希釈されたモノの一部に違いないだろうという事。それが今、目の前の電柱で猛り狂うオスミンミンゼミの腹の共鳴板とか、路上販売のスイカの中に隠された濃い甘味とか、江戸風鈴のややヒステリックな響きとか、向かいの豆腐屋の葦簀にジッと止まったまま鳴かないメスのアブラゼミの乾いた卵管とか、入道雲の中に潜む遠雷の予感とか、巣鴨駅前商店街の涼感ミストのカルキの臭いとか、江古田らーめん太陽のファンから吹き出す煮干し風味の温い風とか、ときわ幼稚園のバスの中に並ぶ小さな麦わら帽子と顎のゴムひもとか、坊主頭で立ち漕ぎをする日焼けした男子生徒の『向原中学校』と書かれた、テカテカと光る黒いエナメルのスポーツバッグとか、台車に高々とシッパーを積み重ねて用心深く歩道を押す生協のドライバーの半袖シャツの汗染みにまで、満遍なく共鳴するからこそようやく、夏は特に一人一人が何もしなくても夏ならしくなるのですよ。ほら、全くその通り。 

  みなさんもきっと痛いほど感じてらっしゃるのでは? 

 今年の夏は、夏じゃなかった、と。

 人間は6根(眼耳鼻舌身意)で物事を感知して、6境(色声香味触法)で理解しますが、実際には6根6境だけではなかなか物事を感知・理解する事は難しいようなんですね。すべてを把握できるようには、もともと出来ていないのかも知れないですね。だからこそのこれは『夏の見える化大作戦』なんです。 

ガソリンに色を付けるのも、ガスに匂いを付けるのも同じ『見える化』です。ガスの場合は『嗅げる化』でしょうか。そうやってようやく人間は感知することが出来るんですね。 

 もし、あなたが三年寝太郎で、三年ぶりに目覚めたとして、その季節を起きてすぐに言い当てることが出来ましょうか? 

 妙に蒸し暑いけど金木犀が香るから秋だろう、とか、やけに冷えるけど、隣の中華屋が『冷やし中華始めました』ってのぼり旗を出してるから初夏だろう、となるでしょうね。つまりそれも見える化して判断しているんです。 

 その大切な夏の見える化の一つが今、大変な危機を迎えています。 

 試合数が120試合と大幅に減ったうえ、観客制限でチケットも取れず、我が家のプロ野球への関心が分刻み、秒刻みに薄まっていくのを私はもう、どうしようもない気持ちでただ見ているのです。本当なら今頃は、交流戦も終えていよいよ夏の陣、エンジン全開モードだったのに、たったの60試合で、もうBクラス決定の雰囲気。ライオンズはね、先行逃げ切りタイプなんです。だから今Bクラスだと、これからエンジンを全開にしても、調子が上がる頃にはシーズンが終わってしまう事になるんです。つまり夏が来ると同時に冬が来る、シーズンが終わるという事です。ライオンズにとってこれはもう、地球の公転速度が変わるほどの激変なんですよ! 

 それに球場に行けない以上、多くのファンは、テレビでの放送がなければ試合を見られないんです。有料チャンネルを契約している人は別ですよ、これはまた別の問題です。

 テレ玉とNACK5は埼玉県民のための局であって、埼玉県民が喜ぶ放送を第一に心がけてもらいたい。 

 埼玉県民が喜ぶ放送と言えば一も二もなく。 

 ライオンズ戦でしょう!! 

 今日もライオンズ戦は地上波ではやらないみたいだし、じゃあ少し、自分の店でも覗いてみることにします。きっと相変わらず暇でしょうけどね……。 

  グーグルアナリティクスを見ると、それでも毎日、何人かは御来店くださっていて、たまに外国からも見えているようなんです。

ありがとうございます。ごゆるりとお寛ぎください。 

 しかし相変わらず売り上げがいかないのは、あの子らの接客態度に問題があるわけじゃなく、店が汚いわけでもない。商品の魅力が足りないせいですね……。あとは宣伝が足りないせいだと思います。すみません、全部店長である私のせいです。 

 それは、まあ追々の課題として……。 

 今一番心配なのはネコの『とのま』の事なんです。 

 昔の子が言うところによると、三日前ぐらいから頻繁に床に横たわるようになったらしいのです。以前なら金魚の水槽を洗おうとすると必ずやってきて邪魔ばかりしていたのがそれもしなくなり、昨日辺りからだんだん食べなくなって、水ばかり飲んでは何度もトイレに行くようになったというんです。 

 水ばかり飲んで、夏バテか? 昔の子も初めはそれ程気にしなかったそうなんですが、何度もトイレに行く割には、おしっこが全然出ておらず、そしてそのたびに、いかにもストレスフルな、昔の子が言うには、ふゎん~~、という変な鳴き声を繰り返すようになったと言います。 

 これも私のせいです……。 

 以前病院で、5.5kgだとちょっと太り気味なので注意してください、と言われていたにもかかわらず、私が安物のエサを結局これまで通りあげていたのが原因です。診断結果は 尿路結石でした。

 そして昨夜から、突然けいれんのようにな背中の振るわせ方をした後、吐くようになったそうなんです。昔の子はすぐに私に連絡しようかと思ったらしいのですが、私達はお互いがどの時間にいるのかがわからないので、お互いが『今』という確実な居場所が示せない以上、お互いが確率的存在になってしまうわけです。

 医者が言うには、この時期だから急性胃腸炎だと思いますが、あまりに頻繁に吐くようだと、誤嚥の可能性もあります。何か変なモノのみこんだりしませんでした? もし、腸に何かが詰まっていたら、その時は手術になります、と言われました。 

 今、とのまは私のひざの上にいます。そして苦しい息をしています。それを見ながらも私はあの二人からの連絡をやきもきしながら待つしかありません。今の状態が、必ずしも答えではないんです。もし彼らが、とのまが死んだ後の時間から連絡をくれたら、私は今、とのまの亡骸を抱いている事になるのでしょう。

 まさに『シュレーディンガーの猫』です。愛猫が苦しんでいる時に、もうこんなコンセプトでブログを書くのは止めようかとも考えましたが、今の現実がどうなるのか、あの子らのいる場所では既にどうなっているのか、これはすべてが今である証拠として、苦しいけどやはり書き残しておきたいと思います。