『いきてるきがする。』《第5部 夏》


もくじ


 第37章(ご内聞に)

 町を歩いていて、あぁ、世の中とまだもう少しだけ繋がっているなと感じられるポイントは3つ。 


1.公園の水飲み場に張られた『使用禁止』の黄色いテープ。 

2.コンビニの袋にまとめられた白いボール状の生活ゴミ。

3.盗難防止の紐が付いている消毒剤。 


ですかね。 ご覧になってすぐわかると思いますが、これら3つはすべて異常です。私はこういう異常を見るとホッとするようです。停滞とは淀みの事です。動かなければなりません。異常と正常では圧倒的に異常の方が流動的でアクティヴですから。こんな状態、絶対長く続くはずがありません。 

『犬を連れ込んではいけません!』 『キャッチボール禁止!!』 

 おいおい!なんだそりゃ? 犬の散歩もキャッチボールもできない公園なんて何の意味があんだよ。 だいたい公園の木ってのは、野球のボールが引っ掛かったり、犬がションベンかけるためにわざわざ植えられているんじゃないのか?  

 違うのか? じゃあ何のためなんだ? 大気に酸素を供給するため? ほぉ~、御大層な!猫の額ほどの公園がまるでアマゾン気取りだな。 

 なに! それも違うのか?じゃあ何のためだ? マジわかんねーわ。何で??

 あぁ、ホントはよくわかってるよ。あれだろ?『癒し』 だろ? まったく、ふたことめには念仏みたいに 癒し、癒し、言いやがって。お前らが癒されなきゃならない理由がどこにあるんだ? お国が戦争しているわけでもなし、爆弾が落っこってくる心配もしないで口開けてガーガー寝ていられるんだから、毎日遊んでるようなモンじゃねーかよ! 

 それをテキトーに木を植えりゃアホみたいに群がりやがって、あぁ癒された!自然、最高! 平和、最高!! って、バカか? 木と平和に何の関係があるんだよ……。 

 平和なんてな、戦争の海に浮かんだ小舟みたいのモンなんだよ。2発も原爆落とされてまだ気付いてねーのかよ! こりゃたまらん!平和も神もねぇ、ってさすがに気付いただろ? その通り!あるのは自然だけだ。どこまで行っても自然だけ。不自然なんてどこにもありゃしねーんだよ! 

 しかし賢い人間は先の戦争で大いに学んだんだとよ。それで大いに成長したんだとよ。その結果、へーわ、なんて成分のわからない錠剤こしらえて、とにかく飲め!と、地雷の様に世界中にばら撒いたんだね。飲まん奴はしね!とね。大概の人間はそれを何も疑わずにパクっと飲んだ。そうしたらだんだん笑いが止まらなくなってくる。 

 ハハハハハハハッ!ってな、指2本立ててピースピース!だってよ、ありゃ完全に副反応だよ。

そんなシャブ中野郎が「いきてるって素晴らしい!!」だと?そういう愚にもつかない妄想が、徹底的に自然を無視するように人間を仕向けてるんだ。そして手前勝手な不自然なだけの地球環境を守ろうとか、あらゆる生き物と共存しようとか、100年後の子供たちに最高の環境を残してやろう!とかね。完全にイカれてる。 

 そしてそういう傲慢な考え方が正義・正論として崇められる様になると、またそれが全ての戦争の原因となるんだよ。 何回繰り返すんだよ。そんな『よてーちょーわ』をよ!


 この島にもかつて『日本人』って民族がいたさ。絶滅したけどね。今はかつて日本人住んでいた列島に日本人の亡骸を肥やしに繁茂した雑草が生い茂るだけの耕作放置地だよ。でもそれでよかったのかもな。それが自然だよ。 


 いえいえ、なかなかそこまでは落ちぶれてはいないでしょ。 

 だって君、あの公園のメッセージにしたって、別に私に向けられたモノでも君に向けられたモノでもないだろ。誰の健康を気遣ったモノでもない。詭弁だよ。今の平和はすべてあれと一緒だよ、責任逃れ、詭弁だ。 

 そして世界はいつでも消えられるように粛々とその準備だけを整えているんだ。すべての創意工夫はそのためだって訳さ。風が気持ちいいだって?夕日が美しいだって? ハハハ、噴飯モノだ。何か言えるのかい? 

そんな悲観的な、ハハハ……。

                   *

 店から、万引き犯を捕まえた、と言う連絡があり店に向かっているところです。全然売れない店にも、万引き犯はちゃんとくるんだなぁと私は、いったいどんな奴だろうと、むしろワクワクして歩いていました。 

 公園の木々は初夏の装いを見せ始めています。夏が近づくにつれ、緑はますます濃く険しく、真剣なまなざしに変ってくるようです。それを見て私は毎年、木々が決して夏を歓迎していないのを感じるのです。 

 店にいたのは、老人男性でした。売り物の椅子に腰かけて、売り物のマグカップを一つ手に持っていました。 

 いらっしゃいませ。私が言うと老人は、あぁ、こんにちは。そう言ってにっこりと笑いました。私が、この人? と目配せすると、今の子は、この人です。と目配せを返してきました。  


 夏の木々がやろうとしている事の本当の意味はいったい何なのでしょう。ただやみくもに地を覆い尽くして生存競争に明け暮れた挙句、やがて窒息して滅びてしまう事なのでしょうか。 

 それともセミやカブトムシに居場所を提供して、彼らを神のよう優しく守る事でしょうか。しかし彼らの口はもともと樹液を飲む仕組みにしかなっていませんから別段感謝する気はないようです。我々だってそうでしょ? 

 誰が、火山や雷や台風にいちいち感謝します? 

 そして木々は自らの存在を疎ましく思いながら、誰がこんな苦しい事をさせるんだ? と詮無い事を呟き、身をよじっては枝を伸ばし、濃緑の葉で全身を覆い日の光を避けながら、それでも日の光がないと生きていけない自らの存在の矛盾に苛立ちつつ、煩悶懊悩を繰り返しながらも、結局小さな生き物を守るという目的のために自分が生かされていて、そのために全生命を費やしている事には最後まで気づかずに、やがてにそっと枯れ果てるのですよ。 

 たとえばね……、 私は老人に言いました。

 たとえば、お互いがお互いの背景になっているとしたら、それは矛盾でしょうか? 

 あぁ、そうだね、あぁ、そういう言い方も、あるかもしれないね。老人は深く頷きます。

 やっぱり、この人だ……。 

 その瞬間、私の指先に、生きたままザリガニの腰を毟った時の、ブリッとした感覚が蘇りました。 

 まだ、セミは鳴いていないようですね。私が言うとその老人は、まだもう少し早いようですね、と言います。 

やっぱり、間違いない。あの時の人だ。

  そして私の耳に、セミの羽根を毟った時の断末魔の声が蘇りました。 

 子供の残酷さは『愛着』によるモノだと以前ここで書いたことがあります。『愛着』『愛情』の様に思いやりや信頼の内に留まる事はありません。そしてすべての感覚を完全に支配してしまいます。私も子供の頃、自分が心底残酷な人間だという事を知りました。それは怒られたからです。田圃でザリガニを捕まえては、それをそのまま道路に投げると、ヨチヨチと田圃に戻ろうと歩くザリガニを砂利を積んだダンプカーがグシャッと潰していくのです。 

 そんな時、私はホッとするんです。 得も言われぬ歓喜が心の底から湧き上がるようでした。皆さんはきっと 他の大人と同じように『可哀そうだろ!』と子供の私を叱るはずです。 それを可哀そうだと思わないような奴は『人間失格』だという事です。つまり私は『人間失格』だという事です。 それならそれでいいでしょう。

 でも私はね、ザリガニの一生の役割がそこで終わるなんて少しも思ってはいなかったんです。何かをするという事は何かを殺すという事に他ならない。私はただそれをやっただけ。現に今、私はあの、唯一無二の、グシャッ、というザリガニが潰れる音を、羽根をもがれた激痛と絶望に上げたセミの断末魔の叫びを思い出しています。それ考えながら文章を書いています。もしあの経験が無かったら、私はこんな文章は書けなかったでしょう。何もせずに生き続けるのは不可能なのと同じ意味で、何も殺さずに生きる事は不可能という事です。

つまり生きる事は殺す事なんです。 

 だから私は、出来るなら一秒も欠かさずにザリガニを殺し続けたいほどでした。もっともっと幸せになりたかったのかもしれません。もっともっと楽しく生きたかったのかもしれません。或いは私は、ザリガニもセミも全部食べてしまえばよかったのでしょうか? いいえ、それは違います。それこそ詭弁です。よりよく生きようとする純粋な思いはきっと純粋な『愛着』によってしか醸成されません。純粋なまま大人にはなれないのはそういう事です。 

 常に生きているモノのために、常に死に続けるモノがいるのは誰でもわかっているはずです。その逆も然り。水が流れ続けるのと同じです。地面の傾斜を悪魔と罵っても仕方ありません。神だと崇めても仕方ありません。しかし流れない水はやがて腐ります。ひょっとして、人の心が腐敗に向かうのを、子供の私は看過できなかったのかもしれませんよ。それが証拠に、昔から私は、真っ平に静まった田圃や湖にアベコベに映る全世界の無責任さを忌み嫌い恐怖していました。あんな巧妙なウソもないモノです。 

 でもどうしても、そのために我々に出来る事があるとしたら……。 

 いなくなることでしょうね……。 

 そう言って老人は笑います。 

 つまり、あなたはその事を私に伝えたかったんですね?

 その人はあの時と同じ顔で優しく笑いました。 

 だって……。じゃあなんで、可哀想だろ! って大声で叱ってくれなかったんです? 

 ん……、老人は少し寂しそうに俯きました。そして、 

 あの時、私はもうそういう良し悪しの外にいたんだよ、 

と言いました。 

 一切の良し悪しの外、つまりすべて良し悪しを自分で決めなければならない存在に、なりかかっていたんだね。 

 ちょっとわかりにくいんですけど、それは死ぬ事を言ってます? 

 いや、そうじゃない。死んではいないけど、いろんな物事が、全く平等に、同じ速さで目の前に現れて、ゆっくりと提示される。そうなるとなかなか良し悪しの判断が難しい。 

 ん、どういう事でしょう? 

 貴方の命と、セミの命と、ザリガニの命が、全く同じに目の前に提示されたら、誰を優先しますか?もし貴方と言うのなら、私は貴方を怒鳴ってはいけません。もし、セミと言うのなら、私は貴方の両腕を毟るしかありません。もしザリガニのと言うのなら、私は貴方を轢き殺すしかありません。そうやって、すべての後ろには無限の結果が続き永遠に広がっていくのですから、私はただ見ているしかありません。それはまさにさっきあなたが仰った、お互いがお互いの背景になっていると言えますね。 ハハハ……。 

 私は、間違いを犯したのでしょうか? 

 もし間違いを犯したのなら、蝉も、ザリガニもそういういう事になるでしょう。そこにいた私も。しかし私はもうその誰の立場で判断できなくなりかけていたんですよ。 

           


 すみません。そう言って一人の女性が入ってきました。 

 飲み物を買いにちょっと目を離した隙に、すみませんでした。なにか、壊しませんでした? あら、なに持ってるの!ちゃんとお返しして! 

 女性は慣れた手つきで老人の手からマグカップを毟り取ってテーブルに戻しました。 すみません、今後は十分に気を付けますので、あの……、苑には、この事は、ご内聞にお願いしたいんですけど……。 

 あぁ、わかりました。何もなかったですから、だいじょうぶですよ。 

 ありがとうございます。 

 老人と女性は一緒に店を出ていきました。出る時、老人が私に振り向いて小さく会釈しました。私も会釈を返しました。あの時と、同じ顔で。 

 ボケちゃうと、大変ですね。 と今の子が言いました。 

 そうだね、ボケたくないね。 私は言いました。 

 わからなくなるんですね。 昔の子が言いました。 

 どっちだろうね。全てわかっているのかもしれないよ。

 私が言うと、今の子昔の子も、キョトンしてしまいました。私のいう事がわからなかった、のではないでしょう。 

 多分、『何を当たり前な事を言ってるんですか?』 

 という意味の、キョトン、でしょう。 


第38章(コロナでしょうか?)

     

 どうも元気がないと思ったら熱が38度もあり、すぐに病院に行けと言ったのですが行かなかったようです。今の子にはそういう強情なところがあるようです。 

 そしてその夜、昔の子から今の子が倒れたと連絡があり、私は急いで店に赴きました。今の子はぐったりと床に横たわったままで、名前を呼んでも曖昧な返事をします。私はすぐに救急車を呼びました。今の子が朦朧としながらも、嫌だ、嫌だ、と繰り返す理由の一つに、私は見当がついていました。 

 そんなこと言ったって仕方がないじゃないか。 

 救急隊員に今の子の名前や住所や、私との関係を訊かれた私は、母親に連絡を取るしかなかったのです。 

 私だって気が重かったです。今の子が置かれている環境に問題がある思った私は、連れて帰るという母親に、今の子を渡さなかった経緯があるからです。 

 ほら、きっとこうなると思ってました。だからあなたなんかに任せたくなかったんです! きっとそう言われると思ったのですが、電話に出た母親は殊の外冷静に、わかりました、すぐ行きます。と言って電話を切りました。 

 母親が病院に現れた時には今の子の状態は幾分落ち着いていました。 

『○○君』と名前を呼び掛ける母親に今の子は、ん……、と言って目を瞑りました。そして小さな鼾をかき始めました。 

 コロナでしょうか? 

 そう言いながらも、母親は私には一瞥もくれません。

 

 私は母親のこういう態度の隅々にまであの見知らぬ人間の影響を見ないわけにはいかないのです。 

皇極法師。 

  この母親はまだ洗脳されたままなのでしょうか。 

  頭痛い? 喉、乾いてない? 

 母親は優しい声でそう訊ねました。今の子は何も答えません。 

 先生、コロナじゃないでしょうか? 

 母親は医者にもそう訊ねます。私は医者を見ました。こういう場合、一体医者がどんな説明をするのか、私はとても興味がありました。医者は、 

 そんな事わかるもんですか、 医者はそう言いました。母親はキョトンとしています。 

 え?検査したり、いろいろ調べればわかるじゃないですか? 

 うんうん、そうやってね、あなたはまだまだ胡麻化そうとする。騙され続けようとするんですね。

 私は医者のこの言葉の意味に、この時は気付けなかったのです。コロナじゃないと思い込もうとしている事を、やや厳しめに指摘しているのだろうとか、そんな風に胡麻化そうとしていたのです。

何を言ってるんです先生。揶揄ってらっしゃるんですか?

じゃあね……、そう言うと医者は椅子を回して母親に向きます。 

じゃあ坂本龍馬はコロナですか? ナポレオンは? 

 母親はさらにキョトンとします。 

ツタンカーメンは? キリストは? 

あの……、仰ってる意味が、よくわかりません。 

 いいえ、あなたはわかってらっしゃる。わかっていてわざとわからないふりをしている。たまにいるんです。そういう方、特に親御さんにね。 

 あ、先生、それについてはいいんです。答えていただかなくてもいいです。 

 私はたまらずに割って入りました。詳細はまだわかりません。ただまた世界がゴチャゴチャになりそうな予感があったのです。私がいつも見ていた、あの、妻や息子が暮らしている大切な世界が、一瞬にしてゴチャゴチャになる瞬間がまたやってきそうな気がしたのです。 

 やっぱりふざけてらっしゃる、 当然、母親はそう言い返します。 何で坂本龍馬やナポレオンがコロナかどうかなんて事が関係あるんですか? 私は息子の事を訊いてるんです。今の息子の状態はどうですかと訊いてるんですよ。 

 医者は眼鏡をはずしてやれやれという顔をしました。そしてハハハハ、と笑ってしまったのです。

 何が可笑しいのです? 目には明らかに怒りの光が満ちていました。この医者は少し意地が悪い人のようです。薄い笑いを浮かべながらこう言ったのです。 

 息子さんねぇ、もう亡くなってるじゃないですか? あなたはそれを知らなかったとでも仰るのですか? 

 医者はまるでシャツでも選ぶように、『今』というクローゼットから白衣を一つ選んで羽織ります。それは珍しい事でも何でもありません。それは普段我々も普通にやっている事ですから。 

 え!何をおっしゃるんです! 息をしているじゃないですか。寝息だってちゃんと聞こえてます。 

 いえいえいえいえいえいえいえいえ……。医者は笑いを嚙み殺しているように見えます。もう耐えられなかったと思います。もし私がこの母親の立場なら、その場で医者を殴り倒していた事でしょう。その点、母親は冷静でした。 

 医者である以上はね、当然命を救うために最善を尽くします。しかしもう亡くなってる人を、どうやって救うのです。コロナかどうか、どうやって検査できるんです? 

  私は目の前で『今』がグニャグニャになっていくのがわかります。その時ようやく、私はまだ見ぬあの男の思惑に流されていると気付いたのです。この医者は、皇極法師! 

 落ち着いて! 二人ともこだわり過ぎなんですよ。いい意味でも、悪い意味でも! 

  私は、『今』の軸を完全に見失っていました。しかし、妻と息子が暮らす世界を諦めるわけにはいきません。私はもう、自分が何を言ってるのかよくわからなくなっていました。 

 私が今立っている場所は時間の影響がないんです。それは母親と医者の、ちょうど真ん中あたりで、私はただオロオロと左右を見ている状態です。情けないけど仕方ありません。母親の顔がどんどん青白くなり、怒りがこみあげているのがわかります。医者は淡々と死亡診断書を書き、母親は息子の寝息を確かめている。医者の机の時計は午後9時半過ぎでした。私はジッとして判断を待ちます。 私は、自分に『落ち着け!落ち着け!』と言い聞かせます。

 人間は必ずいつか死にます。なぜだかそうです、それが一般です。みんな死ぬ、まあそれはいいんですが、それってゴールテープを切るようなモノなのですね。ゴールテープを切った瞬間に、ストップウォッチは止まります。そうしないと正確な記録が取れませんからね。ただ過去と未来は初めから『今』のその中にすべて含まれているのです。含まれていますがしかし、 

 『今』を点として定義して、必ず時系列に並べてないと、現実としては訳が分からなくなるのです。いろいろな辻褄が合わなくなります。しかし辻褄が合わなくなるのは、現実を点として定義して時系列に並べるからで……。

 それは過去、今、未来が混然と混ざり合っているというよりも、むしろ習慣というか、さらに言うと一種の『クセ』のようなモノなのですね。 

 理解というならば、全て目の前に確実にしているのですが、『点』として理解する事を人間は良しとしません。時間に応じて見る癖が、どうしても納得させないのです。理由は過去にあり、結果は未来にある。『今』はそうちょうど真ん中。つまり私の今の立ち位置ですね。だから何もわかりません。だからオロオロとして左右を見ているのです。誰かと理解を共有するためにはどうしても、『今』を同じ一点に定めないと、そして時系列に並べないと、人間同士は会話すら成り立たないんです。はぁ? 何の話? と、なってしまうんです。 

 熱はだいぶ下がったようです。医者が言いました。でもそれにしたって、医者が母親に譲歩したわけじゃありません。母親が矛盾を突かない事からもわかります。母親は『○○君』と優しく名前を呼びました。今の子は、ん……、と返事とも寝言ともつかない声を出しました。私だけが弾き出されたような状態でした。 

 でもよかった。 

 2021ねん7がつ、世界中を席巻するコロナウイルスは、無数の『今』を持って襲い掛かっています。いいえ、正確には襲い掛かるとは違います。そこにじっと佇んでいるだけなんですが……。 

 時系列にしか理解できない人間にはそれが突然に見えるんです。何度も何度も、同じ繰り返しても、それが毎回突然に見えるんです。人生は一度きり、なんて事、みんな言いますもんね。 

 坂本龍馬もナポレオンも、ツタンカーメンもキリストも、ストップウォッチは止まったまま、それでもずっと、歩いたり止まったりしているんですよ。 

 ここは何処なんだろう? この先、どうなるんだろう? 

なんて、我々と同じような事を思いながらぐるぐると、疑心暗鬼に歩き回っているんです。アイツは死んだな。こいつも死んだな。 と他人ばかりに目を遣りながら……。 

 翌日、熱の下がった今の子と一緒に店に戻りました。 

母親は今の子を連れて帰るとは言いませんでした。そのまま病院からタクシーで帰っていきました。梅雨の雨がシトシトと降っていて、タクシーは病院の坂を下りて見えなくなると、ドット疲れが湧いてきました。 


第39章(真夏のチンドン屋)

 車検なのに有給使えって、有給は夏休みのためにとっておきたいんですよ。 

 じゃあそう本部と直で掛け合ってみなよ、無駄だと思うけど。とにかく昔からうちはそういうシステムだからさ。 

  知らんがな。 

 こうやってね、世の中は廃れていくんですよ。廃れてきたんですよ。文明なんてね、恐らくは廃れに廃れた成れの果ての姿ですよ。立派でも何でもない。人間の歴史なんて、ただ廃墟の上に廃墟を築いてきただけ。祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す。 

  知らんがな。 

 仕事が減り、昼過ぎに終わることもしばしばで、そんな時、私は近所の公園をぶらぶらするんです。夕方まで。 

 3年前、私は両膝の手術をしました。半月板軟骨がボロボロで、内視鏡で見ると、粉々に千切れた半月板が、深海の生物の様に、ふわふわとひざの中を漂っているのが見えました。そしてそれからほぼ一年間、私は世の中から完全にドロップアウトする事になる。まるで動物園の熊みたいに、狭い家のなかをウロウロして、毎日何の価値も見出さず、誰にも許されもせず、誰の許しを請いもせずただただ生きていたのです。 

 あれが熊かい? なんであんなにデカいんだ。それなのになんであんなに目が小さいんだ? 座布団みたいなデカい手でおいでおいでしているよ。おい、ちょっと誰か、パンくず投げてみろ、あ!食った! でかい図体して、あいつパンくずなんかを喰ったよ。ますます要らない図体だな。 

 そう、檻の中にいるのに、熊は熊である必要はない。人や鹿を瞬殺する腕力にも何の必然性もない。私も、家の中をウロウロするのに、親である必要も夫である必要もない。 

 こんな意気地のない事を言ってると、優しいあなたはきっとこう言ってくれるでしょう。 

『いえいえ、全く逆です。熊だから、その無駄に大きな体に固い毛皮を纏って檻の中にいるんです。森の中に潜んでいるなら、誰がそれを森と分別して熊と呼びましょう? 家の中にいて何の問題もないのなら、誰がそれを家庭と分別して親と呼びましょう? 親だから、無駄な愛情や不安を纏って家の中をウロウロするんです。 

 あなたは、父親として、夫として、家族の心の支えになっている事は間違いないのだから安心していればいい。まずは心を腐らせずに、怪我が治ればまた、仕事ができるようになるんだから、それまではじっくり時間をかけて治せばいいじゃないですか。人生、山あれば、谷あり、ですよ』と。  

 ありがとうございます。でも、優しいお言葉に無礼なお言葉で反駁しますが、実際には山も谷もありませんよ。時間なんて、私にとってはのっぺりとしただけの、存在しないと同じようなモノなんです。それに私が過ごしているのは時間の上じゃありません。檻の中です。そして私はこんな事に気付いたんです。 

 私が私である根拠も責任も、おろか必要など、初めからどこにもなかったんじゃないか。いや、実際私など、何処にもいないんじゃないか。  

 私が自分のそばにこんな世界がぴったりくっついてある事を知ったのは、こんな風に自分の存在を疑った事に端を発しています。私は、私に限らず、自我というモノは、実在しないんじゃないか? ある日ふと、そう思ったんです。そうしたら急に何もかもが止まって見えた……。 

 月から地球まで、2秒間『今』が継続しているという考え方は、結果的に私を救ってくれました。誤解でも何でも構いません。宇宙の仕組みなんて、私には基よりどうでもいい事です。だから相対性理論にしたって、私には時間の特徴のほんの一面としか考えないのです。シーケンスされる時間と、放射状に広がる空間の、どうせ追いつけようもないこの2者の、どっちが鬼なのかも判然としない果てなき追いかけっこは、檻の中の私に、目の前からすべてを奪いながらも同時に、そのすべてが目の前に存在してある事を保証してくれました。

 昔近所にいじめっ子がいて、私にだけとっておきのおもちゃを見せてくれなかった、それと同じです。でもいじめっ子の手の中には、確実にそのおもちゃがある。だからくやしいんでしょう?

 そしてそれが、今の私の全ての励みになってます。私はこの励みなしに、自力で生きている事はたった1秒だって不可能だと強く確信しています。 

 だが恐ろしい事に、この世の中ので生きているほとんどの人は、この励みを持たずに暮らしているんです。私に言わせれば、それは自動車の手放し運転と同じです。 何でそんな事をしてるんです? 怖くないですか? 辛くないですか? ねえ、すると妙な景色が頭をよぎりませんか? 自分が死ぬか、或いは殺すか。 

 それ、嘘でも妄想でも想像でもないですよ。目の前にある、厳然とした現実ですよ。檻から出た熊は必ず発狂します。そして人やモノを手当たり次第に襲撃します。檻で隔てられていたある事はわかっていたけれど、実際にはなかった不可解なモノがいきなり目の前に迫ってくるのだから無理もありません。 

 人間だって同じ事。例えば、明日自分が死ぬとしても、それはもう目の前にありありと見えているのです。そう頭をよぎった以上、その恐怖は現実のそれと何ら変わりがありませんからね。私はそれを、目の前にありありと見ながら、でも檻によって守られている。そう思う事でやっと、毎日の生活を送っているのです。 

 自宅療養の間、私はよく同じ夢を見ました。アクセルもブレーキも付いてないトロッコに乗った幼い息子と妻が、どんどんと炭鉱の深い穴の奥に向かって滑り落ちていく。私は追いつこうとレールの上を走ろうとするのですが、膝がガクガクで全く走れません。

 そして気付くのです。それまでは登り坂だと思って勝手に苦しみ喘いでいた人生が、実際はずっと下り坂だったという事です。疲れようが、膝がガクガクで走れなかろうが止まれない。そしてどんどんろくでもない方向へと下り続ける。 

 そうです、人生はずっと下り坂なのです。 

 いい事なんて何もない。どうせ行きつくところは死です。そんな事は誰でも知っている。じゃあ何かを目指す、目標を持つってどういう事なのよ?

                   *  

 目標なんてね、ただの寄り道に過ぎないんだよ。峠の団子屋だよ。ハハハ……。 

 激しいせみしぐれの中、公園の木陰のベンチにチンドン屋さんが3人で休憩していました。公園で今日行われるはずだったイベントが中止になったのを知らされずに来てしまったと言っています。てんでに持っているのは公園入口の自販機でさっき買ったばかりだと思われる、まだ冷たそうな、たくさん水滴の付いたペットボトルの麦茶。600ccの少し大きいタイプです。座長と思われる恵比寿様の表面には大袈裟なしわの影と汗の粒が点々と浮いています。 

 来月、君らの給料すら覚束ないというところだよ。払えないかもしれない。 

 残りの二人は黙っている。一人は黒襟の町娘風、クラリネットを膝の上に持っている。もう一人は瓦版屋風、手ぬぐいを頭にのせてチンドン太鼓を前に抱えている。 

 君ら、まだ若いんだしさ、やめてもいいんだよ。生きるってのはね、そりゃあもう残酷な流れ作業ですよ。

 やめませんよ! 

 クラリネットを持った町娘が言いました。 

 私やめません。やっと見つけられそうなんです。 

 娘の広めのおでこにも、汗の球が光って見えます。 

 子供の頃はお姫様になるのが夢でした。でも両親が離婚した瞬間に、私はお姫様ではなくなった事を知りました。でもどうしても自分をもっと素敵にしたくて、好きになりたくて、地下アイドルもやりました、舞台女優も、風俗嬢もやりました。でも全然好きになれなかった。むしろどんどん嫌いになった。ずっと人前が嫌いで、人と話すのが嫌いで……。 

 『ふん、実力もないくせに目立とうと思って』何をやってもすぐにそんな言葉が聞こえてくるんです。誰かに言われるんじゃなくて、自分の中から聞こえるんです。生きる事はなんですか? 目立とうとする事ですか? 自分を好きになるために努力する事は、目立とうとする事なんですか? 

 そう言うと娘は立ち上がり、クラリネットで『美しき天然』を吹き始めました。はげしいせみしぐれが一瞬にしてクラリネットの旋律を包みます。新しい蝉しぐれの誕生です! 新しい公園の誕生です! 新しい地球の、新しい宇宙の誕生です! 娘は嬉々として『美しき天然』を吹いています。 

 素晴らしい! 私はそう思いました。もともと素晴らしい『美しき天然』の旋律が、娘の着物の和柄とクラリネットの音色と相まって、まるで針と糸の様に、空間を見る見るうちに刺繍していくようでした。 

 あの瞬間だけは本当に、命も金も、どこにもない様に見えたんです!

 しかしなんて暑い日なんでしょう! このまま吹き続けると、娘はきっと熱中症で倒れてしまいます。もう白粉のない首の辺りが真っ赤です。 

 君のクラリネットの腕はホンモノだ。 

 チンドン太鼓を抱えた瓦版屋の男がそう言いました。 

 とてもにわかに覚えたとは思えないよ。ウィーンフィルにだって君ほどの奏者はいないよ。君はクラリネットで生きていくべきだ。 

 あなたこそ! 今度は娘が瓦版屋に向かって言います。 

 あなたのチンドン太鼓こそ、軽い響きの中にもしっかりと粘りのあるグルーヴがあって、レッチリのチャドスミスよりもパワフルで、エルヴィンジョーンズよりも流麗だわ。 

 そして座長! 

 二人は声を合わせました。 

 ん? なんだ?  

 あなたの声は、誰よりも何よりも人の心を温めます。真夏の太陽の様です。それは言葉の分からない外国の人の心をも温めるんです。 

 あ、あぁ、そうかい。それは、どうもありがとう。 

 僕らはまさに奇跡の3人なんです。給料なんかどうでもいい。座長、今、幾らあります? 

  幾らもないけど、どうするんだ? 

  今から僕ら3人で南半球に行きませんか? 

  南半球?行って、どうする? 

 僕らがやれる事は一つです。真冬の南半球に行って、真夏みたいに温めてやるんです! 

 私は自分が汗まみれな事に気付きました。だってかれこれ10分近くも、こんなやり取りを炎天下で聞いているのですから。 

 ん~、まあともかくだ。飯にしよう! 

 そう言うと座長は立ち上がりました。 

 そこにリンガーハットがあったから、そこに行こう。 

 メタセコイヤの並木をリンガーハットに向かって歩いていく3人の後姿を、私は見えなくなるまで見送りました。 

 3人は南半球に行くんでしょうかね。でも……、 

  熱情って、素敵ですね。 命って、目標って、素敵ですね!

 10分で100年分の夏を過ごしたような気分になりました。

誠に世知辛い、金と命が平気で天秤に掛けられるような世の中でこそ、

 何が一番大切なのか考えてみる。 

  とりあえず、有給じゃないな……。 


第40章(祖父の悩み)

 

 2021・8より、ひゅーすとん、ひゅーすとん。 

 様々な問題を抱えながら、2020東京オリンピックは正論とモラルの木々をなぎ倒しつつ前へ前へと進んでいます。結果は上々です。 

 あ、言わないで!ネタバレしないようにね!! 

 コロナウイルスももう人間の手を完全に離れ、打つ手もないまま、これもまた安全と健康の木々をなぎ倒しつつ、前へ前へと進んでいます。そんな中、東京は自分は勝手にオリンピックで浮かれつつ、国民には、絶対に浮かれるな! と矛盾した事を言っております。まるでチンピラが派手な車でガンガンに音楽を掛けながら、「ナニ見とんじゃコラ!」とまわりに因縁をつけているようです。

 あ、これも言わないで!ネタバレしないように。 

以上、2021・8からでした。ひゅーすとん……。 


 金魚の水槽を見ながら、どうやら私は居眠りをしてしまったようです。今の子も、昔の子もここにはいません。私は少しずつ、2人と私の関係を理解し始めているようです。雨が続いていたせいか、風がなんとも生温く、窓辺の超小型空気清浄機(一般的には『風鈴』とも言いますが)がフル稼働しているにもかかわらず、額には汗がにじんできます。 

 さて、と、私は誰もいない空間に話し掛けます。私は子供の頃からよくこれをやるんです。独り言ではないですよ、じっと耳を澄ましていれば、ちゃんと返事も聞こえて来るんです。 


 で、話の続きだけど、私があんなに泣いていたのは、戦争で父親を亡くしたせいだというそれは、あなたが実際に見てきた事、或いは体験してきた事をそのまま私に負わせているにすぎなんじゃないの? でなきゃこんな店を、こんなところに構えるきっかけが、私に与えられるわけがないじゃないですか。  

 ちゃんと、あなたが選んだ結果ですよ。

 そりゃあそうさ、すべては流れだから。でもその流れがどこからきたのか、私には見当もつかないし、そもそも決められない。自分の顔が、誰から受け継いで誰に似ているのかも、自分では決められないし理解することもない。 

 あなたは、両親の両方に少しずつ似てますよ。 

 そりゃあそうさ、私だって自分が第一世代の新品の命だなんて己惚れてはいない。使い古された中古の命で十分満足なんだけど、私だって私なりに考えたり、予想したりしてきたのさ。 だからこそわかるんだ。それはいつも突然に起きる。まるで消去法を逆手に取ったように意地悪く、いつも私の予想の間隙をついて突然起きて、そのまま何事もなく通り過ぎる。その一端で、命を落としたか、落とさなかったか。それはあまりにも些末な事過ぎるんじゃないかな? 

 でもそれが世界で一番健全な真実なんでしょ? 

 そんな事、誰が言ったの? はじめに言ったのは誰? 君? 僕? どっち? 

 いや、あなたが言ったじゃないですか! 

 え、知らない。君が言ったんじゃなかったの? 君って誰? どっち? 


 こんな調子で話しているといつも、フッと目が覚めるんです。 

 え、うそ? ぜんぶ夢? じゃあ、私は、あんなに頑張った剣道もまったく出来ないの? ギターも、まったく弾けないの? 

 そんな事を、もう何度経験した事か……。 

 だから私は何も不思議には思わないんです。今の子昔の子がいなくても、それはきっとそういう事情が、今私の目の前にあるのだろうと、ただそう思えば済む事です。 

 小さな黒い蜘蛛が一匹、カーテンをヨチヨチと登っていきます。 


  少年が入ってきました。私には初対面はあり得ないので、ジッとその少年を見ます。 

 誰だっけ? 

 少年は両手で小銭を混ぜながら、もじもじと食べ物ばかりを見ています。 

 誰だっけ? 

 やがて少年は、おじさん、と私を呼びました。 

 ん?  なに? 

 うん、えっと、50銭の餅買おうかな。70銭の餅買おうかな。 

 その一言で、私はピンときました。 

 あぁ、よく考えた方がいい。

 丸坊主の少年は綺麗な歯を見せて笑います。

 お父さんがね、小遣いをくれたんだ。金毘羅山のお祭りに行って来いって。

 そう、よかったね。お父さんは、怖い人かい? 

 怖くないけど変な人。変な機械を持ってきて、変なモノ作って売ってる。 

 あぁ、それは、カメラというんだよ。 

カメラ?? 

 そう、そしてその変なモノは、写真というんだ。 

しゃしん?? 

 少年はおそらく私の祖父です。祖父は大戦中、トラック島で戦死したと聞いています。でも同時に、私は祖父の膝の上で、戦争中の話を聞いた記憶もあるんです。 


 お前みたいに誰のいう事も聞かん自由な子は、自由に生きたらエエんやで。 ホンマにエエ時代やからな。何でも出来る、何してもかまへん、ホンマに、エエ時代やからな。 

 

 そう言って祖父は私の頭をポンポンと撫でるように叩きます。鴨居に飾ってある祖父の写真は出征前に曽祖父が撮ったモノだと聞きました。孫の私が言うのもなんですが、祖父はものすごいイケメンなんです。 

『大日本帝国海軍』と刺繍された海軍帽は、祖父の凛々しさと、祖父がいかに小顔であったかを如実に物語っています。 

大戦中。

 祖父は乗っている船が沈没する際、機関銃の弾が飛び交う海に飛び込んだそうです。機関銃の弾は、見えるそうですよ。空気を裂く音と共に、目の前を敵、味方なくただ飛び交う弾丸は存外平等なモノで、それほど怖くはなかったそうですよ。 

 で、飛び込む際、祖父は左足首に弾丸を受けたそうです。タイミングからいえば、0.何秒、でしょうね。頭に当たるのと。そしてそのまま日本の船に救出されるまで、恐らくは数時間、泳ぎ続けたそうです。アメリカの戦闘機は、泳いでいる祖父めがけて機関銃を掃射して来たそうです。 

 こらアカン! 絶対死ぬ! 思てな。おじいちゃん、次からメリケンの飛行機見えたら死んだフリしたってん。ほな、何もせんとブーンって飛んでいきおるわ。ほんで、あぁ、助かった!いうてな、ほんでまた泳ぐねん。 

 トラック島については、 

 あのな、よう『爆弾の雨』言うやろ。豪雨や! 無茶苦茶すんなぁ、いうてな。遠慮ないなぁ!思てな。殺す気か! 言うてな。ほんで、しゃあないからおじいちゃんも機関銃撃つんやけど、何処向けて撃つと思う? 機関銃は敵に向けて撃つモンやろ。せやから上向けて撃つしかないねん。ないねんけどこれがまあ大した破れ傘でな。もう途中でやめてん。アホらしなって来てな。弾も勿体ないし、絶対届けへん思てな。ほんで上見たら、ナニ、なんも大した事あれへん。 

 黒いトンボや、トンボが飛んどるだけや……。 

 あぁ、あれがホンマにトンボやったらすぐ捕まえたんねんけどな。ほんで『おい、南方の珍しいトンボ捕まえてきたぞ!』いうてな、虫好きのお前のお父ちゃんにお土産にもできたんやろけどな……。 


 祖父は私が中学生の時に亡くなりました。肺癌でした。やせ細って、でも棺に収まった顔は、生きている時よりずっと父親に似ている気がしました。 

 トラック島で死んだ祖父と、今目の前にいる祖父は、同じ顔なんだろうか。トラック島で亡くなった祖父もやはり、お前は自由に生きたらエエんやで! と言ってくれたでしょうか。 

 黒い蜘蛛がパッと何かに飛びついたと同時に、ドアが開いて今の子がパンを抱えて店に入ってきました。 

 あ、店長。 

 そういえば、私はこの2人にだけは面識がない気がするのです。きっと何か特別な関係に違いありません。

  おかえり。暑いのにご苦労様。

 両手の塞がった今の子が足で閉めようとしているドアの向こうから、風に乗って小さな笛太鼓の音が聞こえてきました。 

 ん?お祭り?

 あぁ、公園の神社に露店が出てましたよ。 

 あ、そうなの、縁日かな? ちょっと行ってみようか。 

 え!僕も行っていいですか?じゃあ、ちょっと待ってください。パンを並べますから。 

 公園の木の間からのぼり旗が数本見えました。そしてその下に、さっきの少年が両手で小銭を混ぜながら立っているのが見えました。 

 50銭の餅買おうか、70銭の餅買おうか……。 


第41章(オカンを思うと)

 兄から届いたメールには『今、うちの墓、こんな感じ』と写真が添付されてありました。そこには見覚えのある墓石が、ずいぶんと広々としたところにポツンと立っていました。 

 子供の頃は、お墓の水汲み場に行列ができるほど多くの家族と出くわしたモノですが、一つまた一つと墓を継ぐ家も途絶え、かつてお墓があった場所はだんだんと更地となっていったのです。

『ご苦労様でした』と私はそっけないメールを返しました。もっと気の利いた言葉も思い付くのですが、その辺は何と言いますか、身内に対する照れというか甘えというか……。 

 実家の事はすべて兄に任せっきりで、私は遠の昔にその権利を放棄してしまったような形になっています。だからこの件についてあまり暖かい感じが抱けません。申し訳ないような気持ちをただぼんやりと引きずりつつ、私は母の夢うつつの世界を想像してみるのです。 

  

 通夜の夜、兄は私に、 

「オカンは、お前の心配ばっかりしとったなぁ」と言いましたが、私は即座にそれを否定しました。 

 「ちゃうちゃう。信頼がなかっただけや」 

 兄はそれきり黙りました。線香の煙だけがつーっと、天に向かって真縦に糸を引いていました。 

          


 アンタにそんな事出来んのか? 

 アカンアカン!余計な事して怪我すんのがオチや。 

 やめときって! 絶対失敗するで! 

 しょーもない事せんでも方がええ。 

 アンタは黙ってジッとしとったらそんでエエねん。 

 長袖着て行き!すぐ風邪ひくくせに。 

 ほら!絶対やる思たわ! せやから言うたんや!お母ちゃんの言う事聞かへんからこういう事なんねん。アンタは自分の頭で判断せんと、お母ちゃんのいう事だけ聞いとったらそんでエエねん! 

 アンタの目ぇは……、もう一生、治れへんって……。 

 母はそう言って眉間に皺を寄せました。そして私を見てため息をつきました。深い意味は感じません。ただ表情が暗く、口の悪い女性だった、それだけの印象です。そして彼女は私の不幸な出来事を材料に、私の失敗は当然予見できたと、失敗したのは私が注意を怠ったせいだと、円錐角膜を患った事を私本人の5倍も10倍も落ち込んでみせて、暗に私を責めるのです。   

 そのくせ自分が謝る時は、 

 あそ! そらお母ちゃんが悪かった。ゴメンチャイチャイ、チャイニーズ! なにをいつまでもネチネチ言うとんねん! そこがアンタのアカンとこや!  

 これは、ギャグ、でしょうか?ギャグで済ませちゃってもいいのでしょうか? 人によっては、おもろいやんか、明るいエエオカンやん、なんて言いますが私には到底そんな風には思えません。 

           


 兄が、「アカン、ちょっと眠たなってきた、先に寝かしてくれ」と言って隣の部屋に行きました。私はビールグラスを手に頷きます。 

 人は、2回死ぬ。と言ったのは、永六輔さん、でしたっけ? 

 1度目は肉体の死、2度目は忘却による死。 

誰もその人の事を思い出さなくなったとき、2度目の死が、つまり本当に消滅が訪れるのだという事でしょうね。 

 それがいいと思います。永遠に遺体が残って、永遠に人々の記憶に残って、じろじろ見られて、もう終わってしまった自分のやった事についていつまでもとやかく言われ続けるのは、さぞやかましい事でしょう。  

 たとえそれが尊敬や愛情からであってもね……。


 息子が『心霊番組』を観ています。ビデオに偶然映った恐怖映像が何度もリピートされて、息子はそれをやや硬い表情で観ています。明らかに作ったようなモノや、顔といえば顔に見えなくもない、という微妙な様なモノまで。 

 『これは、この場所に取り憑いた、地縛霊の姿なのか……。』 

 私は息子の硬い横顔とテレビ画面を見比べてニヤニヤしています。安い焼酎が面白さを加担しています。 

 私は、『人が死んだらどうなる? どこへ行く?』 なんて事にはまるで興味がありません。もともと、人は死んだら、という発想がないんです。それは、いきている、という実感もないせいだと思っています。 

 私ではなくて、私以外が生きている。それで何の矛盾もないじゃないですか。どうしてことさら自分が生きている事にしてしまうのでしょう。私の母の死は、母以外の人に起きた出来事でしょう? 違いますか? 

 同じように、私が生まれたのは母の出来事でもしも母がその事を誰にも伝えずそのまま死んだら、私は母と一緒に消えてしまうのです。 

 ところが、 

 私には父がいて兄がいて姉がいて妹がいます。更に妻もいて息子もいます。友達もいて、職場には同僚がいます。仕事の取引先の人もいて、道すがら毎日すれ違う人もいて、これから出会うであろう人もいます。だから私はその人達の中に、少しずついるに過ぎないのです。 

 だから私は誰にも誤解されません。そのそれぞれが私なんです。 

 じゃあ実際にこの文章を書いているのが誰かって言うと、それは私ではなく、私に興味を持っ誰かなんです。 

 だれ? 誰かと言うと、それは……。 

 *

 私の店には二人の子供が店番をしているでしょう。 

昔の子 と、今の子。 

 あの2人は私がこのブログを書き始めるにあたって、何かマスコット的キャラクターはいないかと、フリー画像を眺めていてみつけたのです。 

  2人は、群馬県長野原町の応桑諏訪神社の鳥居のそばに鎮座される道祖神様です。そんなに古いモノでもなく、それほど有名なモノでもないようですが、私はこの2人が自分の店番にぴったりだと直感したのです。すぐに連れてきました。というよりも、2人が突然私の店のドアを開けて、店番をさせて! と入ってきたと考えています。私に断る事は出来ません。そう頼まれた時、私はこの2人の中にいるんですから。私はこの2人に店番を頼まれるために、わざわざここ店を構えているのですから。 

 でももしもその時、私が2人の頼みを断っていたとしたら……。 

 ドミノの列を逆に倒すような、奇妙な現象が起きていたかも知れません。 

 断った瞬間、私は2人の中にいないとなると、その前の、心霊番組を硬い表情で見ている息子とテレビ画面を見比べてニヤニヤしていた私もいない、という事は、母の通夜の話をしている私もいない……。 

 そして遂に私は、私を産んだ母の記憶からも消えてしまう事になり、1度目の死、2度目の死、ならぬ、 

 『1度目の誕生、2度目の誕生』もなくなってしまう事でしょう。 

 母の葬儀の時、結婚したばかりの頃の両親の写真が飾ってありました。もちろん、私がそんな写真を見るのはその時が初めてです。どこかの山に登った時のようなのですが、2人は肩を抱いて満面の笑みを浮かべているのです。 

 若い頃の父は背も高く、近所でも噂になるほどのイケメンだったと聞きました。母も、息子の私が言うのもなんですが、まるで女優さんの様な端正な顔立ちで笑っています。 

 へぇ~、なんて、私はその不可思議な写真を感動をもって眺めました。この2人はまさか将来、私の様な体の弱い、言う事を訊かない、癇癪持ちで、目を絶望的に悪くする、扱いづらい性格の子供を授かろうとは思ってもいまい。もちろん望んでもいまい。私は自分の1度目の誕生以前の写真を眺めているのです。 

         


「おお、すまんすまん。寝坊した。ほな、寝てくれ」 

そう言って兄が起きてきました。まだ1時間ぐらいしか経っていません。もうちょっと寝ててもかまへんで、私がそう言いましたが兄は、そんなんしたら余計眠たなって朝起きられへん、といい歯を磨き始めました。外はまだ真っ暗です。 

 「ほな、ちょっと寝さしてもらいます」 

 私はそう言ってコンタクトレンズを外して横になったのですが、そこから先の記憶はありません。朝、埼玉県を出て、高速を乗り継いで夕方に京都府についてから、バタバタとして一睡もしていなかった疲れが一気に出たのでしょう。もう若くないですから。 

             


 兄が送ってくれた写真をよく見ると、墓石の左上の木立の影に何か人の顔のようなモノが写っていました。それは、母です! 

 間違いありません! 私を叱責する時のなんとも気の抜けた、やるせない表情がそのまま母なんです。そういえば、こんな顔してよう叱られたなぁ……、私は息子に、 

「おい!見てみ。ここにおばあちゃん写ってるわ」そう言って見せました。息子は「全然似てねーよ」といいます。 

「どこがや!そっくりやないか!」私が言うと息子は、 

「おばあちゃんはこんなムスッとしてなかったよ。もっとニコニコしてた!」そう言います。 

 そうか、ほな、おばあちゃんと違うか……。 

 ほらね、私はこうして、どんな時も自分ではあり得ないのです。今は息子の中に、突然わけのわからない事を言って盛り上がる変なオヤジ、として存在しているわけです。こんな私に興味を持ったモノがあるとすれば、それはもう、あの方しかありません。 

 神様。 

 神様はたまたま 私の『今』を ちょっとお眺めになったのでしょう。それは私がたまたまフリー素材の道祖神を眺めたようなモノでしょう。そこで初めて、私は母が私の『今』の中に確かにいる事に気付くわけですが、それも神様が覗いてくれない限り、私には気付く術もないのです。 

  

 息子は、「観なきゃよかったよ……」心霊番組を観た事を、少し後悔している様子です。よっぽど怖かったのか……。 

 だから、このな、写真の左上のこのおばあちゃんの…… 

 だから、似てねーって! 

 息子はそう言うと、妙にキョロキョロしながら自分の部屋に向かいました。

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