『いきてるきがする。』《第5部 夏》


もくじ



               第37章

 世の中と私がまだもう少しだけ噛み合っているなと感じられるのは、 

1.公園の水飲み場に張られた『使用禁止』の黄色いテープ。 

2.コンビニの袋にまとめられた、日本独特のスタイルと思われる白いボール状の生活ゴミ。 

3.盗難防止の紐が付いている消毒剤。 

この3つのおかげなんです。 

 異常です。どうやら私は異常だとホッとするようです。でもこんな状態が長く続くはずがありません。 

  


『犬を連れ込んではいけません!』 

『キャッチボール禁止!!』 

 なんだそりゃ、犬の散歩もキャッチボールもできない公園なんて意味があんのか? だいたい公園の木は野球のボールが引っ掛かったり、犬がションベンかけられるようにわざわざ植えられているんじゃないのか?  

 違うのか? じゃあ何のためなんだ? 大気に酸素を供給するためか? 猫の額ほどの公園がアマゾン気取りだな。 

 なに! それも違うのか?じゃあ何のためだ?  

 あぁわかってるよ、癒しだろ。まったく、ふたことめには念仏みたいに 癒し、癒し、 言いやがって。お前らが癒されなきゃならない理由がどこにあるんだ? お国が戦争しているわけでもなし、夜も爆弾が落っこってくる心配もしないで口開けてガーガー寝ていられるんだから遊んでるようなモンだよ。 

 それをテキトーに木を植えりゃアホみたいに群がりやがって、あぁ癒された!あぁ、自然! あぁ平和! 

 舐めてるよなぁ……。完全に平和を舐めてるよ。木と平和に何の関係があるんだよ。 

 平和なんてな、戦争の海に浮かんだ小舟みたいのモンなんだよ。2発も原爆落とされて気付かなかったのか? こりゃたまらん!平和も神もねぇ、って事にさ。あるのは自然だけだ。どこまで行っても自然だけ。不自然なんてどこにもありゃしねーんだよ! 

 大戦の時に世界中が踊らされたあの巨大な怒りと殺意が、今どこに潜んでいるかわかるかい? 

 そこだよ、君の大好きな癒しの中にだよ。お互いがぶつからないためには、お互いが徹底的に無関心になるしかない。だから、へーわ、なんて成分のわからない錠剤を何も疑わずにパクっと飲むんだ。そうしたらだんだん笑いが止まらなくなってくる。 

 ハハハハハハハッ!ってな、指2本立ててピースピース!だってよ、ありゃ副反応だよ。 

 同じ事なんだよ。食前か、食後か。 

 「さあ毒はたっぷり飲んだから思い切り飯食うぞ!」  

 か、  

 「あぁ、たらふく食ったからそろそろ毒を飲むぞ!」 

 だ。 

 同じ事が順番によって正しかったり間違っていたりするなんて事は絶対にあり得ないんだ。 

 死ぬか、産まれるか。どっちが正しいか決めようとしてるんだよ。バカバカしいだろ? 

 そういう腑抜けた妄想が、徹底的に自然を無視するように人間を仕向けるんだ。そして手前勝手な妄想だけで、地球環境を守ろうとか、あらゆる生き物と共存しようとか、100年後の子供たちに最高の環境を残してやろう!とかね。いい事だと思っちゃう。 

 そしてそういう傲慢そのものな考え方が正義・正論として崇められる。全ての戦争の原因だ。 

 ここにもかつて日本人がいたさ。大戦で絶滅したけどね。今はかつて日本人住んでいた列島に日本人の亜種が雑草みたいに繁茂している耕作放置地だよ。でもそれでよかったのかもな。ある意味、それも自然だよ。 

 いえいえ、なかなかそこまでは落ちぶれてはいないでしょ。 

 だって君、あの公園のメッセージにしたって、別に私に向けられたモノでも君に向けられたモノでもないだろ。誰の健康を気遣ったモノでもない。詭弁だよ。今の平和はすべてあれと一緒だよ、責任逃れ、詭弁だ。 

 そして今の世界はいつでも消えられるように粛々とその準備だけを整えているんだ。すべてはそのための創意工夫って訳さ。風が気持ちいいだって?夕日が美しいだって? ハハハ、噴飯モノだ。何か文句が言えるのかい? 

 そんな悲観的な、ハハハ……。


 私は店に向かって公園のジョギングコースを歩いています。それはいつか私が両親に出会ったあの公園のジョギングコースです。 

  ワシら、ずーっと走ってるから、お前もちょいちょい来ぃや。まあこの公園も広いしやな、そんな再々は会われへんと思うけどな。父はそう言って母と走り去っていきました。 

 う~ん、今日は、出会えないようですね。 

 店から、万引き犯を捕まえた、と言う連絡があり店に向かっているのです。全然売れない店にも、万引き犯はちゃんとくるんだなぁと私は、どんな異常な夏にも、セミはちゃんと鳴くんだなぁ、を連想させながら、いったいどんな奴だろうとワクワクして歩いていました。 

 公園の木々は初夏の装いを見せ始めています。夏が近づくにつれ、緑はますます濃く険しく、真剣なまなざしに変ってくるようです。それを見ても私は、木々が決して夏を歓迎していないのを感じるのです。 

 店にいたのは、老人男性でした。売り物の椅子に腰かけて、売り物のマグカップを一つ手に持っていました。 

 いらっしゃいませ。私は何も知らない態でそう言うと老人は、あぁ、こんにちは。そう言ってにっこりと笑いました。私が、この人? と目配せすると、今の子は、そうです。と目配せを返してきました。  

 夏の木々がやろうとしている事の本当の意味はいったい何なのでしょう。ただやみくもに地を覆い尽くして過当な競争に明け暮れた挙句、やがて窒息して滅びてしまう事なのでしょうか。 

 それともセミやカブトムシに居場所を提供して、彼らを神のよう優しく守る事でしょうか。しかし彼らの口はもともと樹液を飲む仕組みにしかなっていませんから、彼らも別段それを疑う事も、礼を言う事もありませんね。当たり前すぎて気付かないんですね。我々だってそうです。火山や雷にいちいち感謝しないでしょ? 

 そして木々は、なぜこんな苦しい事をさせるんだ?  と詮無い事を呟き、身をよじっては枝を伸ばし、濃緑の葉で全身を覆い日の光を避けながら、それでも日の光がないと生きていけない自らの存在に矛盾と不安を感じつつ、煩悶懊悩を繰り返しながらも、結局小さな生き物を守るという目的のために自分が生かされていて、そのために全生命を費やしている事にも気づかずに、やがてにそっと眼を閉じるのですよ。 

 それは私が今、根拠のない妄想に胸を膨らましながら、ワクワクして歩いているのと少し似ているようです。妄想はすべて『的外れ』ですからね。『的外れ』でないと都合が悪いのです。それはあたかも『度忘れ』の様に、正解をちゃんと知った上で、わざとその近似値を並べて選びあぐねさせているのです。 

 たとえばね……、 私は老人を見ました。あぁ、この人ひょっとして……、と思い当たる記があったからです。 

 たとえばね、お互いがお互いの背景になっているとしたら、それは矛盾でしょうか? 

 あぁ、そうだね、あぁ、そういう言い方も、あるかもしれないね。老人は深く頷きます。やっぱり、この人だ……。 

 その瞬間、私の指先に生きたままザリガニの腰を毟った時の、ブリッとした感覚が蘇りました。 

 まだ、セミは鳴いていないようですね。私が言うとその老人は、まだもう少し早いようですね、と言います。 

 私の耳には羽根を毟った時の、セミの断末魔の声が蘇りました。 

 子供の残酷さは『愛着』によるモノだと以前ここで書いたことがあります。『愛着』『愛情』の様に思いやりや信頼に留まる事はありません。そしてすべての感覚に含侵して完全に支配してしまいます。私も子供の頃、自分が心底残酷な人間だという事を自覚しました。怒られたのです。田圃でザリガニを捕まえては、それをそのまま道路に投げると、ヨチヨチと田圃に戻ろうと歩くザリガニを砂利を積んだダンプカーがグシャッと潰していくのです。 

 そんな時、私はホッとするんです。 

 可哀そうだろ! 皆さんはきっとそう思うはずです。 

 それを可哀そうだと思わないような奴は『人間失格』だという事です。つまり私は『人間失格』だという事です。 

 私はね、ザリガニの一生がそこで終わるなんて少しも思っていなかったんです。子供の頃から、ザリガニが死ぬ事で代わりに自分が生きるのだと信じていたのです。誰に教わったわけでもありません。ただそう信じていたのです。どんな生き物も、何も殺さずに生き続けるのは不可能でしょう。つまり生きる事は殺す事と同じなんです。 

 だから私は、出来るなら一秒も欠かさずにザリガニを殺し続けたいほどでした。もっと幸せになりたかったのかもしれません。もっと楽しく生きたかったのかもしれません。よりよく生きようとする純粋な思いは、他者の命などを引き合いに出していては到底叶えられるはずがありません。 

 常に生きているモノのために、常に死に続けるモノがいるのは至極当然の事です。その逆も然り。地面が傾斜する限り水が流れ続けるのと同じです。流れない水はやがて腐り始めます。人の心が腐敗に向かうのを、子供心に私は看過できなかったのかもしれませんよ。それが証拠に、昔から私は、真っ平に静まった田圃の水面と、そこにアベコベに映る全世界の無責任さを不健全なモノだと忌み嫌い恐怖していました。あんな巧妙なウソもないモノです。 

 でもどうしても、そのために我々に出来る事があるとしたら……。 

 ん? 

 いなくなることでしょうね……。 

 ハハハハ、とその老人は笑います。 

 つまり、あなたはその事を君に教えたのが、私だと言いたいんだね? 

 その人はそう言って、あの時と同じ顔で優しく笑いました。 

 だって……。じゃあなんで、可哀想だろ! って大声で叱ってくれなかったんです? 

 ん……、老人は少し寂しそうに俯きました。そして、 

 あの時、私はもうそういう良し悪しの外にいたんだよ、 

と言いました。 

 一切の良し悪しの外、つまりすべて自分がその良し悪しを決めなければならない存在に、なりかかっていたんだね。 

 ちょっとわかりにくいんですけど、それは死ぬ事を言ってます? 

 いや、そうじゃない。死は突然訪れる事もあるでしょ。ニコニコ笑ってて突然死ぬ事もある。だからそういう事じゃない。死んではいないけど、いろんな物事が、全く平等に、同じ速さで目の前に現れて、ゆっくりと提示される。そうなるとなかなか判断が難しい。 

 ん、どういう事でしょう? 

 貴方の命と、セミの命と、ザリガニの命が、全く同じに目の前に提示されたら、誰を優先しますか?もし貴方と言うのなら、私は貴方を怒鳴ってはいけません。もし、セミと言うのなら、私は貴方の両腕を毟るしかありません。もしザリガニのと言うのなら、私は貴方を轢き殺すしかありません。そうやって、すべての後ろには無限の結果が続き広がっていくのですから、私はただ見ているしかありません。まさに、お互いがお互いの背景になっていると言えますね。 ハハハ……。 

 私は、間違いを犯したのでしょうか? 

 もし間違いを犯したのなら、蝉も、ザリガニもそういういう事になるでしょう。そこにいた私も。私はもうその誰の立場で判断していいのか、わからなくなりかけていたんですよ。 

           


 すみません。そう言って女性が入ってきました。 

 飲み物を苑に忘れて買いに行っている間に、このお店に入ったって公園の人に教えてもらって。でもよかったです。なにか、ありませんでした? あら、なに持ってるの!ちゃんとお返しして! 

 女性は慣れた手つきで老人の手からマグカップを毟り取ってテーブルに戻しました。 すみません、今後は十分に気を付けますので、あの……、苑には、この事は、ご内聞にお願いしたいんですけど……。 

 あぁ、わかりました。何もなかったですからね。そういう事なら、承知しました。 

 ありがとうございます。 

 老人と女性は一緒に店を出ていきました。出る時、老人が私に振り向いて小さく会釈しました。私も会釈を返しました。あの時と、同じ顔で。 

 ボケちゃうと、大変ですね。 と今の子が言いました。 

 そうだね、ボケたくないね。 私は言いました。 

 わからなくなるんですね。 昔の子が言いました。 

 どっちだろうね。全てわかっているのかもしれないよ。

 私が言うと、今の子昔の子も、キョトンしてしまいました。私のいう事がわからなかった、のではないでしょう。 

 多分、『何を当たり前な事を言ってるんですか?』 

 という意味の、キョトン、でしょう。 

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