『いきてるきがする。』《第一部・夏》


《第一部・夏》 

もくじ



序章


 もし時間が経っても年をとらない文章を書くとしたらどうしますか?私ならこうするしかない。 

ひゅーすとん、ひゅーすとん、こちら2020すらっしゅ8より、応答願います。 

 『時間が経つ』という事はどういう事なのでしょうか。どんな特徴があるのでしょうか。たとえば月との交信には光の速さを以てしても2秒かかります。それは月と地球との距離が34万キロあるからで、秒速30万キロの光でも往復するには2秒とちょっとかかるわけです。わかりやすい話ですね。

 それがもっともっと離れた場所だと、当然もっともっと長くかかるわけですね。だから我々はただ待つしかありません。何年も、何十年も。何百年は、待てません……。

 ところが、光速で移動すると時間は経過しないというじゃないですか。んん? 時間が経過しない? じゃあ止まってる? いいえ、光速で移動しています。だからさっきの月の話も……。

 月から地球までの2秒間は『今』が2秒間続いているわけです。これは変な話です。

 人類はこれまで、様々な経験を積み重ねてきた。そして生きる事の偉大さと虚しさを同時に同量に感じてきたと思います。そして出来る事ならばその前者でありたい、出来るだけ意義深く、大切な存在として自分を肯定したい、そういう思いから、宗教や言語、文化文明をはぐくんできたのだと思います。それ以外に、私は人間が今の様に生きている理由らしい理由に思い当たりません。だって生きるだけなら、他の動物や植物と同じでも充分事は足りますから。

 生きる事、自分がここにいる事に少しでも素敵な意義を見出そうと人間は世の中とのつながりを模索し始めた。そしてそれをまとめて文化と呼び、その変化を進化と呼んだ。人間は自然と共に進化した。賢くなったと、或いはそう思いたいのかもしれませんが……。

 それらはすべて、『時間が前に進む』という前提条件の中だけの話で、実際は違います。

 実際は光速に近づこうが近づくまいが、すべてが『今』なのです。月からの2秒が『今』ならば、宇宙の果てからの139億年もまた『今』なのです。

時間は進まない。経験は蓄積されない。それはあたかも巨大な薬棚の様に、ただ目の前に整然としてあるだけなのです。

 我々はただそれを眺めている。しかし、時間が前に進む、という妄念に囚われた瞬間に、一度に一つの棚にしかピントを合わせられなくなるのです。そして目の前に聳え立つの膨大な薬棚を次々に見ては、その眦の残像や記憶の残滓を、一人一人が勝手に重ねたり折り合わせたりして、過去や未来とうまく繋がるように『今』を作り続けている。だから百人いれば百通りの『今』が出来上がる。こんなおかしな現象が生まれたのです。もともと関係のない棚と棚を、それぞれが勝手に強引に結びつけちゃってるわけだからデタラメであっても無理はありません。しかし百人百通りの宇宙があったりしたら、宇宙を定義する事は出来ません。宇宙は一つでなければなりません。だから他人の宇宙はすべて嘘でなければならなくなった。これが魂が肉体の殻に閉じこもった瞬間です。そしてそんな考えから理不尽や差別や偏見は生まれたのです。私も一応、私の宇宙を一つ持っているのですが、私の宇宙は過去に誰一人として一度として受け入れていただけた事はありません。私の宇宙だって、今世界中で宇宙とされている宇宙と比べても、決して遜色ないと思うのですが……。

 だからここで、こっそりとその、私の宇宙を披歴してみたいなぁと思いまして、それでこんなブログを始めたわけなんです。

 二年前、私は突然両膝に激痛が走り歩けなくなりました。診断の結果、半月板損傷と軟骨の剥離、下肢脛骨の変形があると診断されました。その治療のため仕事を辞め、収入がゼロになりました。両膝の状態は思わしくなく、半月板と軟骨だけを治療しても、またすぐ同じ症状が出る可能性があるため、『骨切り手術』をしなければ完治は難しいと言われました。手術に伴う二度の入院は延べ6週間にもなり、リハビリには9か月を要しました。高額医療費制度を利用しても、その後の通院と治療には毎月多額のお金と時間が掛かりました。もし家族の存在がなかったら、私なんてもうとっくに諦めてしまって、どこかの酒場でやけ酒飲んで酔い潰れて、早朝水色のごみ収集車に轢かれて死んでいた事でしょう。 

 それが、なまじい愛おしい家族に、本の偶然に恵まれたのをいいことに、私は私の今をすべて当たり前のように思い、丸投げにして無職のくせに平穏な暮らしをして、毎日酒を飲みヘラヘラと笑いました。

 息子のレゴブロックで変な顔を作って笑いました。料理を作って食べて美味しいと言って笑いました。野球観戦の感想をネットにアップしてイイネがもらえたと言って笑いました。しかし実際は、何をやってもどんどん幸せになっていくという、おそらくは息子が生まれて以降、ここ十年少しの間、私が苛まれてきた幸せの火鍋の中へ中へと追い込まれていたのです。わたしはやがて幸せに煮溶かされて、ヘラヘラと笑ったまま、ドロドロと正体を失っていくのでしょう。

 そんな事には、私はとうに気付いていました。そしてある日、もう逃げちまおう、と思ったんですね。

 二人が寝静まった夜中にそっと起きて、靴をつまんで玄関に立ったその時、私は薄暗いポーチの隅に、なにやら動物が掘ったような小さな穴をみつけたのです。 その穴は今も見えますし、入ろうと思えば入れますが、ここで生活するという決めた以上、こうしてブログを書き続けると決めた以上、その穴について、皆様に説明する事も、内側を案内する事も、どうしても出来ないのです。でもその時の私はもう逃げる事しか頭になかったので、お、ココから逃げられそうだぞ。細いけど通れる。と迷わず逃げ込んだのでした。

 虚飾に満ちた愛情よ、夢とたばかる爆音よ、さようなら。

そうして一年ほど、私はその訳の分からない穴の中をうろうろと彷徨った挙句、結局またこの玄関にたどり着いたんです。心身はもうボロボロでした。

 一年経ち、家もすっかり苔むして、壁も窓もボロボロでしたが、そこはやっぱり同じ、真夜中の玄関でした。わはは、って、ぶら下げた靴に笑われたような気がしましたね。

 何だい、いまさら気付いたのかい? そうだよ、そうなんだよ。一度逃げた人間にとって、すべての道は逃げ道になるんだ。さあ、何してる? 何を立ち止まっちゃってる? もっと逃げろ!どんどん逃げろ逃げろ!

 そんな言葉もあちらこちらから聞こえました。だから、もういい、どこにも行かないと決めたのです。ずっとここにいよう、ここで生きよう、つまりここで死のうと。私はそう決めたのです。

 それならばジッとしているわけにはいきません、その時が来るまでは何かやらないと。料理人はもううんざりだ。ミュージシャンはきっぱり諦めた。でも金は要る。ならば商売をやろう。そうだ、ココに店を開こう。どんな現実も選べないなら、どんな現実にも繋がる店をココに作ればいい。その店で金が儲かれば一番いいじゃないか。

 妻に表情が急に明るくなったって言われましたね。

どうしたの? 体調がいいの? 何かいいことあった?って。

 そんな事あるわけがないじゃないか。ただ死を決心しただけだ。

 正直驚きました。死を決心する事で、こんなにもいろんな可能性が見えて来るのですね。あぁ、そんなもんだよ。バカにはバカの判断があって、それに則した住む場所はいくらでもある。時間と空間は残酷なほど無限に広がっている。逃げろ! ほら逃げろ! ってね。

 もちろん、そんな事は妻には言いませんよ。ただ、あ、そう? と胡麻化しただけです。

 そして、そのお店のシンボルになるいいキャラクターはいないかなぁって、ネットのフリー画像を探してたんですね。私は絵が描けませんので、いいキャラクターはどこかから持ってくるしかないんです。 そうしたらとてもいい、可愛くて、純粋な写真をみつけたんです。よし、これにしようと。

 調べたんですが、これは群馬県吾妻郡長野原町応桑にある諏訪神社の鳥居の左側に鎮座されている道祖神様のようです。 

 私はお店の真ん中に、その二人をドカッと置いてみたんです。

 すると頭の中にストーリーが浮かんできたんですね。勝手な解釈かも知れませんが、この二人を見て浮かんできたストーリーだからきっと、この二人が私にくれたストーリーに違いないんです。 

 どうやらこの二人はまだ出会ったばかりのようです。 

やや馴れ馴れしく肩に手を置く方が昔の子。 

両手を頬に当て困るように考えているのが今の子。 

いったいどこでどうやって会ったのかは見当もつきませんが、二人はある日うちの店にやってきて、 

「オジサン、俺たち二人でバイトさせてよ、安くでいいからさ、言っとくけど、俺たち家出少年じゃないよ。家もちゃんとある。でも事情があって帰れないんだよ。わかってくれよオジサン。だから内緒で。俺、掃除は得意だよ、盗み食いもしない、居眠りもしないよ」

 と言ったのは確か昔の子 今の子はその時も、大人しく黙ってました。

  私は二人に店番を頼む事にしました。 

 フリー画像とのそんな出会いの不思議さを、今はそのまま感じ取ってていただきたいんです。


  では、このブログをご覧の皆様、どなた様も、どこのサイトを通って、いつ、どうやってここにお見えになったのか存じませんが、未来からお見えの方にも、過去からお見えの方にも、

  せっかくだから今のこの、西暦2020年8月の事をもう少しお話しておきましょう。 

 2019年、中国武漢で発生したコロナウイルスの世界的大流行のせいで、世界中が大混乱に陥っています。 ここ日本でも、東京オリンピックの延期高校野球の甲子園大会の中止の他、様々なスポーツ、音楽イベントが軒並み中止となり、世界経済への打撃は深刻です。そのほかには、感染予防のための出社制限によるテレワークの普及など、世の中は根幹から揺らいでいます。鳴動しています。

 アメリカと中国の関係はますます悪くなっています。『ティックトック』という中国のアプリケーションが、秘密の漏洩の危険性があるという理由から、アメリカの『マイクロソフト』に買収されそうになってますが、これは、どう決着しました? 

 小学六年生の息子の夏休みも残酷なほど短縮され、子供らはみな不満と不安を募らせて、大人になり始めた感性の大切な部分に致命的な傷をつけられながら尚、ギリギリと引っ張り回されています。

 我々大人もまた、どんどん精神的にもダメになり、行政も、政府が「旅行してもだいじょうぶだ!」と言ったかと思うと、東京都が「ダメです、じしゅくしてください!」と言ったり、右往左往しながら、ただ景気だけががまるでウォータースライダーの様に、面白いほどグルグルと、あちらこちら迷走し落ち続けるさまをただ眺めている有様です。 

ウォータースライダーというと、ハイドロポリスで有名な『としまえん』も、2020年8月をもって、94年の歴史にピリオドを打ちました。 

ひゅーすとん、ひゅーすとん、2020すらっしゅ8からの報告は以上です。 


第2章


 今朝、蝉の幼虫を見ました。見た事あります? 蝉の幼虫。抜け殻じゃなくてまだ動いているヤツです。近所のドン・キホーテに焼酎と炭酸水を買いに行く途中、公園のベンチの背凭れの上をヨチヨチ歩いていたんです。時間は午前9時頃でしょうか。とても可愛かったです。しかし可哀そうですが、こんなに日が高くなってまだ羽化出来ていないようでは、きっともうセミにはなれないでしょう。アリに襲われて終わりでしょう。それでも本人は羽化ににいい場所を探して、よいしょよいしょと、決して伸びる事のないであろう小さな羽に6年越しの夢を乗せて、よいしょ、よいしょ、と……。

 空は高いかなぁ、上手く飛べるかなぁ、上手く鳴けるかなぁ、可愛いセミはいるかなぁ、と薄緑色の眼を朝の光にキラキラと輝かせて……。


 コロナウイルスによる経済的打撃も加え、殺人的な猛暑により、世界はいよいよ危機的な状況に追い込まれています。

 今日も暑いねぇ……、と、きっと北半球のあちらこちらで様々な言語で口々に囁かれている言葉だと思われます。しかしその言葉が持つ本当の意味を理解している人は、まあほとんどいないでしょうね。

 良くも悪くも、人間はすぐに慣れてしまうんですね。インフルエンザによる世界全体の死亡者数は、年間30万人から60万人と言われています。全然克服できていません。でも誰もそれほど問題視しませんよね。インフルの季節だなぁ……、なんて。慣れたんです。ただそれだけ。

 それを理解したとか、解明されたとか、進化したと呼ぶなら、人類はもう終わりです。また土に潜って遠い朝を待つしかないようです。

 私の店はというと、まあ、お盆休みという事でしょう。まったく暇々です。でもこれもきっと、私が思っているよりもずっと悪いです。窓から入ってくる風に揺れる風鈴の音と蝉の声ばかりがバカに姦しく耳に響くのがその証拠です。二人は居眠り三昧。暇でやる事がないのだからしょうがないですが、居眠りしないって言ったのに……、私が見ていないとでも思ってるんでしょうか。

ところがこれはネット雑貨店なので、パソコンのスイッチ一つでいつでも見られるんですよ。

 不思議なこの子ら……。

 この二人が知り合ってまだ間がないんだなぁと気づいたのは、実は店番を頼んで暫くしてからの事です。二人の会話を盗み聞きして、その内容から何となく察しが付いたのです。


「ねぇ、君はなんであんなとこにいたの?」

「あぁ、それはお前と同じ理由だと思うよ」

「でも僕は、なんで自分があんな所にいたのか見当もつかないんだ」

「だいたいわかるだろ。眠った覚えもないのに目が覚めて、走った覚えもないのに立ち止まって見ると、すべて知ってるのにまるで見覚えのないあの場所にいた。違う?」

「違わない」

「つまりそういう事だよ。俺たちは死んだんだ

「え?」

「お前、最後、何覚えてる?」

「ママがすごく泣いてた。でももう何も言う事が出来なくて、君は?」

「手から茶碗が落ちたんだ。でももう、拾えなかった……」

「ふ~ん……」


 この店は一見、雑貨屋に見えるでしょう? でもよく見ると食べ物も売ってます。

 サンドイッチに、おにぎり、あとは妻の手作りパンも。

 カレーもあります。カレー弁当。でも夏のカレーは怖いんですね。夏と言えばカレーなんて以前はよく言ってましたけど、アウトドアと言えばカレーでしょ! なんて事は今もよく言ってますど、

 カレーにはウェルシュ菌、という菌が発生しやすいんです。

このウェルシュ菌がとても厄介な菌で、加熱してもなかなか死滅しません。主に肉類に存在するんですが、土中に存在する菌のため根菜にもいる可能性があります。

だから肉類と人参とジャガイモを入れなければある程度発生は抑えられるんですが、でもねぇ……、

肉と人参とジャガイモが入っていないカレーって、なんかねぇ……。

 ウェルシュ菌は酸素を嫌う性質があるので、加熱する際にはよく混ぜる事。空気に触れさせる方がいいんですね。レンジでチン、なんかやっても、ただ温まるだけで全然、ウェルシュ菌はへっちゃらですから。

 そのカレー弁当が、今日も売れ残ってます。これもお盆休みでサラリーマンがいないせいでしょう。店がね、軌道に乗るまではね、いろんな損失は仕方がない。

  コロナのせいで、今年は我が家も帰省を見送りました。

 家族とのロングドライブはとても楽しいモノです。息子もいとこ達に会うのを本当に楽しみにしていたんですが残念です。本当なら今頃、父親の墓前に花を手向けているはずなのに、私は埼玉県にいて、早朝からパソコンに向かうという変わらぬ朝を過ごす事になりました。

 墓を掃除したよと、兄が写真を送ってくれました。

 そこには子供の頃、今は認知症で寝たきりの母親と手をつないで写っていたのと同じ墓石が写ってました。

 実家の事は、全く兄に任せっきりです。私は何もしていません。

 来年は帰省できるんでしょうかね。そして来年まで、母は生きていてくれるんでしょうか。もう何年も寝たきりの母。最近少し調子が悪いと、これも兄が教えてくれました。了解、とだけ返信しておきました。だって他に何も言う事がないから……。

 私はすっかりネットの中の人です。ネットの中にしか存在しない、バーチャル家族、

バーチャルバカ息子です。

もし、母の記憶が消去されれば、バカ息子としての私も消去されてしまう事でしょう。

 それも仕方がない……。


第3章


「今日の事ははっきりと覚えてるよ。おじいちゃんがラジオを聴きながら泣いてたからね」

「僕が生まれるずっと前だね。ところで君は、どうして死んじゃったの?」

「多分餓死だね。戦争は終わってからの方がずっと酷かった。戦争が終わると、大人は急に何も言わなくなって、自分の事しか考えなくなった。だから俺たち子供はたまらないよ。今まで味方だった大人が、ただの体の大きな敵になったんだ」

「8月15日は、終戦記念日って学校で習ったよ。日本がアメリカに負けた日だって」

「アメリカに負けたんじゃない。連合国に負けたんだよ。世界大戦だから、一対一の戦いじゃない。だからどこかの国と約束なんかしたって意味がないんだよ。ソビエトを見ただろ? 結局、戦争はルール無視の殺し合いだよ」

原爆は戦争を終わらせるために仕方がなかったって、学校の先生が言ってた」

「お前はどう思うんだ?新型爆弾」

「原子爆弾の事?」

「そう、落とされた当時は原子力なんて誰も知らなかったからそう言ってた」

「ちゃんと考えたことはなかったけど、やっぱり、いけないと思う」

「いい子の意見だな。今の子はみんないい子だからね、じゃあ、なにがいけなかったと思うんだ?もし日本が先に新型爆弾を作ってたら間違いなくアメリカに落としてたと思わないか。そしてアメリカ人が何十万人も死んだ。これのどこがいけなかったんだ?」

「……」

「落とす方と、落とされる方、どっちが悪いんだ?」

「両方、悪いです……」

「不正解。両方、悪くない。負けたから被害者じゃない。勝ったから加害者じゃない」

「今日も、暇かな?」

「絶対暇に決まってるよ、こんなクーラーもないような店、誰も来るはずがない」


 猛暑が続きます。今思えば、夏休みに一泊ぐらいどこかに出掛けてもよかったかなと思いますが、その間猫はどうすればいい? ペットホテルって、思ってたより高い……。それにうちの猫は超が付くほどの甘えん坊の暴れん坊なので、ペットホテルは無理そう。

 2020、8すらっしゅ15。今日は終戦記念日です。韓国では『光復節』という祝日らしいです。日帝の植民地支配から独立を勝ち取った日という意味だそうです。

未だもめてます日韓関係。元徴用工問題に関しては、日本側の立場は、1965年の日韓国交正常化に伴う請求権協定によってすべて解決済みとするもの。

韓国側の主張としては、個人の請求権は請求権協定には含まれないとするもの。

 どちらにしても、共倒れだけは避けたいものです。もうこの問題、解決してますか? どうなりました? 今わかるのは、日本のマスメディアが報道しているほど、日本の立場が圧倒的に優位なわけではないという事ぐらいでしょうかね。日本は韓国よりもお金も軍の装備もたっぷり持っているかのように思っている日本人は結構多いように見えますが、この百年に一度と言ってもいい未曽有の国難であるコロナ禍に於いても、経営困難に陥っている企業や個人事業主に対する補償金や援助金を出し渋っている日本政府にお金があるとは思えません。

 これも、どう着地しました? 日本はもう、滅びましたか?

 大戦後の急速な経済的復興を近代日本のシンボルのように思っている人が、私の世代にもたくさんいるようですが、何度倒れても立ち上がるというただそれだけの、そんな反省のない姿が本当にそんなに素敵でしょうか?

 私は細々でもいいから、倒れずに進む方がいいと思うんです。戦後、日本は国の復興を急ぐあまり、様々な問題を棚上げにしてきました。今の日韓関係も或いはそうかもしれません。その他にも、公害問題や、労働環境の問題、少子高齢化の問題。気合入れろー! の一言でたくさんの問題を棚上げにしてきたという側面、ありませんか?

  通りを隔てた向かいの豆腐屋の主人がぼんやりと夏空を眺めているのが見えます。80は越えているでしょう。遠巻きに見ると、起きているのか寝ているのかも判然としません。ただボーっと、空を見上げているのです。 もう、今年で終わりかな……、とでも考えているんでしょうか。ここに引っ越してもう5年になりますが、客がいるのを見た事がありません。前に一度買った事があるんですが、確かに美味い事は美味いんですが、スーパーの三倍近い値段で、こりゃ売れないわ……と、正直そう思ったのを覚えてます。

 でもこれを平和と言うのじゃないでしょうかね。ご主人もおっしゃってました。 そんなご時世だよ……、って。 別にスーパーを恨んでる風ではなかったですよ。人間も動物も植物も、滅ぶべき時に滅ぶのが一番正しいんです。その現実をただ淡々と受け止める。それを平和というんです。

日韓関係についても。

 お互いを毒づいても気分のいい方はありません。それはルーズルーズの関係です。それでも毒づくのは、そうする事に利益があるからだと思うんですね。ただ……、

 蝉が落ち始めると、夏が終わり始める。

どちらが先というのではないでしょう。小さな蝉には出来ますが、人間には出来きません。人間は人間以外にはまったく無力なんです。

 2020・8すらっしゅ15。環境破壊も最近は声高に叫ばれています。SDGs(Sustainable Development Goals)これも典型的な、人間の人間に対するアクションですね。自然環境を考えるといいながら、結局人間の事しか考えていない。損も得も、実は両方ないんですよ。

  いいのです、滅ぶ時に滅べば。それが我々人間が、唯一自然に対して出来る事。

人間にとって邪魔なだけで、別に普通にしているウイルスたちにせいぜい遠慮して、

 2020年8月。今日は午後、息子と一緒にバッティングセンターに行く予定です。

 もちろん、マスクをして。


 

第4章


 

 40度に迫る炎天下、庭に水を撒きながら考えている。

 畑を作ろうかと。

 商売人の息子で畑なんか一度もやったことがない私が、手入れの大変さなどまるで知らずに、ただ思い付きでそう考えているだけなんですけどね。庭で夏野菜が収穫できれば素敵だなぁと。それに年を取ってからそんな空間があれば、とてもおじいちゃんっぽいんじゃないかと。


 孫が草履を蹴飛ばしてこの窓から、おじいちゃん! おばあちゃん! と飛び込んでくる。お盆休み、息子が孫の浮き輪を腕に通して、ほらほら!玄関から入れ! と言う。妻は一年ぶりに見る孫に舞い上がって、汗だくの頭をガシガシ撫でながら、まあ大きくなって! と、おばあちゃんの慣用句を言う。

 私はどこかまだよそよそしい息子の嫁に、畑から無言で手を上げる。嫁は初めてうちに来た時と同じような堅苦しい頭の下げ方をする。

 お疲れさん、暑かったでしょ? と訊くと、いえ、道が空いてたんでそれほどでも、と嫁は少しズレた返答をした。

 その日の夜、私は自分の手料理で息子家族をもてなした。 庭でとれたナスやキュウリやゴーヤ、トマトやピーマンを使って作った、煮びたしやら、チンジャオロース、ゴーヤチャンプルやら、鶏肉のトマトソース煮やらを、子供の頃と同じ、無感動に食べながらテレビでライオンズ戦を見ていた息子が、明日は千葉の海に行く予定だと言った。

 私の両親が死んで、すっかり足が遠退いた京都府。もう故郷ではない、そんな気がしている。息子が子供の頃は、毎年夏になると若狭の海に海水浴に出掛けたもんだった。 遠浅の白浜は、ほど近い場所にヒラメやコチの稚魚がたくさんいて、小さなフグの群れがいて、岩場の潮だまりには、フナ虫やイソギンチャクやカニがたくさんいた。

 いつだったか息子がエイの子供を捕まえてきたことがあった。

 危ない! その魚は毒があるから! 私がそう言って息子から網を取り上げてそっと取り出したそのエイの子供は、すでに死んでいた。

 コロナウイルスの問題があって帰省を断念したあの年から、だんだん故郷から遠退いて行ったように思える。息子も中学生になってからは部活や学校活動忙しくなり、だんだん親と行動を共にになくなっていった。まあ健全だったろう。

 息子家族が帰る日、私は庭でとれたトマトやナスやピーマンを大量に渡した。 いらねぇよ、と、息子は案の定そういったが、私は譲らなかった。

「持ってけよ! これが最後の収穫になるんだから」

「え?畑、どうすんの? やめちゃうの?」

「もう、ここは引き払ってさ、引っ越すんだよ。もっと小さなマンションに」

「え? じゃあこの家どうすんの?」

「お前、住むか?」

「無理に決まってんじゃん」

 はははは……、と私と息子はお互いに笑った。

  そんなモンか……。

  息子は大量の野菜を車に積んで、左ウインカーと共に帰っていった。

後ろ向きに手を振る孫が、次の右ウインカーと共に見えなくなった。


  そう、やるなら今しかない。

 来年中学生になる息子に、いろいろ買ってやらなければ。自転車もそうだし、野球のグローブも。最近すっかり背が伸びで、足のサイズなんかは私を凌駕し始めている。とにかく、いろいろ金がかかる。

 店をのぞいてみると、あの子らは相変わらず暇そうにしている。

「おはよう。暑いね。なんか売れた?」

「あ、おはようございます。いえ、何も売れないけど……」

「売れないけど?何?」

「お客さんは来ました。女性の。店長いますかって」

「女性? 誰だろう」

 その女性はそれだけ訊くと、また来ますからと言って何も買わずに帰ったらしい。なんか買ってほしかったなぁ……。


第5章


 先日、トラックを運転していて突然、ヒマワリ畑に出くわしたんです。とても暑い日で、きっと頭も少しボーっとしていたのでしょう。急に目の前に飛び込んできたのでびっくりしましたよ。

 大地を埋めるヒマワリ畑。

  誰がなんのために、こんなにたくさんのヒマワリを植えてたんでしょう。

 畑というからには、何かを収穫するのでしょうね。

 種ですかね。あのメジャーリーガーがよくベンチで食べている、あれ。 

 でもどう思います? あれ。見てて、うわ汚ねぇ! って思いません? 殻をペッペペッペ吐いてさ。私は野球もメジャーリーグも大好きですがあれだけは嫌いですね、不衛生です。コロナが猛威を振る今だからこそ、ではなくて、単に下品です。ああいうお行儀の悪さをワイルドとか、細かい事は気にしない豪放磊落な男みたいに思ってるのだとしたら呆れてしまいます。何も考えずにやっているんだとしたらそれは文化の違いなので、アメリカでやってる分には何も言いません。 

 ところで、私はこのヒマワリ畑のせいで、危うく路側帯に接触しそうになったんです。交通量の多い国道沿いにああいうヒマワリ畑は危険ですね。

  誘引効果というのでしょうか。まっすぐ走っているつもりでも、気が付くとヒマワリの方にするすると寄ってしまう。だから敢えてじーっと前を見てたんですが、暫くすると眦にモヤモヤと変な模様が浮かんできて、するとまたするすると引き寄せられる。見るとヒマワリが色分けされていたんです。黄色いヒマワリと、それより少しオレンジ掛かったヒマワリが、複雑な曲線で交わっているんです。私はすぐにピンときました。 

  絵になっているに違いない。 

 よくあるじゃないですか、田圃に二種類の苗を植えて、収穫時になると見事な阪神タイガースのマークになっていたりする。あれをヒマワリでやっているに違いない。 

 きっと町おこしか何かでしょう。でもいったいどこから見るのでしょうか。 見たところ、周りには高い山も建物もない。

 あ、今はドローンがあるのか……。 どんな絵柄が描かれているんだろう。


 今日は誰も来ていないらしい。開店休業とは正にこのことだね。うちの場合、コロナのせいじゃないからね。そんなすぐにお客が押し寄せるなんて初めから思っていないけど、せめて一日一人ぐらいは来てほしいなぁ……。 

 居眠りばかりしていると思っていたけど、あの二人は結構こまめに掃除はしてくれているようです。金魚の水も綺麗だし、品物もよく整理されている。 

『ひざ通商。』について。 

  新作は、ロック名言シリーズ。第一弾はジョンレノンが射殺された時、ジョニーロットンが言ったとされる名言。 

『世の中何にも変わんねーよ!』 

 ジョンレノンの死に対して、ジョニーロットンはなぜそんなにべもない事を言ったんでしょうね。人が一人死んだ、それだけの事だよ、ジョンの命が他の人間と比べて特別価値があるわけじゃない。そういう事を言いたかったのでしょうか。それともただ、世の中の風潮に反抗したかっただけなのでしょうか。

そんなこと考えても、 世の中何にも変わんねーよ!

 しかし新作と言っても、全然売れなきゃ旧作と何も変わらない。『新』と『旧』は時間軸をただ横に並んでいるだけだから。もし時間軸を重要視するなら、より新しい話題を取り上げてネタももっと時勢に即したモノにしたほうがいいのかしらん。 

『アベノマスク』とか『自粛警察』とかね。 

 でもそれやっちゃうとなぁ……、一気に年を取るんだよね、文章が。2020年8月の事を具体的に今の事として書いたら、それ以外の、例えば20年後、30年後に読んだら、『アベノマスク』『自粛警察』、あったなぁ!そんなの! って、ただの懐かしトークになってしまう。だから飽くまで2020年8月の方角を俯瞰しているような書き方にしないと。 ヒマワリを遠いところから、じーっと眺めていると、やがてぼんやりと何かの絵が浮かんできて……。

 あ、店長、あの人です。 

 昔の子の声に振り向いて見ると、入り口の外にとても綺麗な人が立っていました。 


第6章


 だれだっけ……。 

 昔からそうなんです。私は人の顔と名前を覚えるのがものすごく苦手なんです。店長いますか? って言ったらしいけど、どこかで会ったのかなぁ。こんな若い人ならそんな昔ではないはずです。 おそらく何かのライヴイベントか……。 でも埼玉に引っ越してからはイベントからもすっかり足が遠退いているし、ああいう場所はまた薄暗いから余計に顔が覚えられないんです。

  その人は私に、店長さんですか? と訊かれて、私は少しホッとしましたね。どうやら面識はないようです。

 はい。いらっしゃいませ。

 エアコンのない蒸し暑い店内を、その人は涼しい顔で見まわしています。綺麗な目をキラキラとさせて、小さく頷いたりしながらマグカップや洋書を見ている横顔は整い過ぎていて、全体がなんだか芝居がかっても見えました。品物を見ているというよりは、まるでジオラマの町を歩いているようなのです。小さくなって品物と品物の間を歩く。私も子供の頃よくやりました。するとティーシャツの棚は摩天楼になり、金魚の水槽は大きな水族館になりました。

 何か特別なモノでも探しているのでしょうか。うちにはそんなに特別なモノはないと思うんだけど……。ただうちにしかないモノばかりですけどね。そういう意味では特別なモノと言えば言えるかもしれない。プレゼントか? それとも何かの番組? ドッキリとか。そういえばこの人、どこかで見た事があるような……。突然看板を持った人とカメラが入って来て、「ドッキリですご主人、カメラはあそこ」なんて言われてみると、店のいたるところに隠しカメラが! いつの間に?

 でもそれが宣伝になって、次の日からはお客が引きも切らない大盛況になったら有難い! でもそうなったらなったで、ネット上の誹謗中傷も増えるだろうなぁ……。『ジョニーロットン、そんなこと言ってねーよ!』とか『下手くそな絵で金儲け様としてんじゃねーよ! この守銭奴が!』なんてね。1通2通だったら無視できても、何百通も来たらしんどいだろうね。自殺する人もいるぐらいだから、私が考えるよりもずっとネット上の誹謗中傷って精神的に来るのだろう。でもね、今の様に誰にも気づかれないのも、きっとそのうち精神に来る気がするんです。無視されるより辛い仕打ちは、この世界にないからね。存在を認知されない。そんな思いを、私もした事が、あるような、ないような……。

  鏡がないんですね。と、その人は言ったのです。 

 そうです。店には鏡がありませんでした。

 あぁ、すみません、すぐ用意します。 私はすぐに用意できる当てもないのについそんな事を口走ってしまいました。

 いいえ、いいんです、教えてくだされば。

 その人は言いました。

 え? 教える?

  そう、教えてくだされば。私は、どんな顔をしてますか? 

 いえ、どんな顔といわれましても……。 

 あなたには、どう見えてます?

 どう、と言われましても……。

 私は、男ですか? 女ですか? 

  私はその時初めて、その人が私の心に直接話し掛けている事に気付いたのです。 その人は陰でも日向でもなく、ただ店になかに集まってきたモノたちによって、キラキラと輝いていました。その端正に整った顔は確かに、男女の美しい特徴をすべて備えているように思われました。大き過ぎない目と小さ過ぎない鼻。柔らかく自然な曲線は両頬を滑り、ちょうど真ん中に落ちて頤に結び、唇はまだ毒を含む若い蕾の様に固く瑞々しく噤み、少し茶色みを帯びた豊かな髪は外の光を巻き取りながら首筋にふんわりと留まっています。 

 私は、男ですか? 女ですか?

 なんて質問だと思いました。そして私は自分がそれを決めなければならない事を真剣に悩みました。見た目でわかる男か女の決定的な違いはどこにあるのでしょうか? それを的確に見分けるなら骨を見た方がわかりやすい。生きている事は寧ろそれを曖昧にしているようなのです。それは眼差しであり、身のこなしであり、声の高さ、服……。

 いや、違う

 私は初めから、この人の言葉の中に微かな毒があるのを感じていたのです。きっと見分けられないのはその毒のせいです。この人はそれを知っていてわざと訊いているのです。それは何か恐ろしいような、正解した瞬間、この人の秘密をすべて暴いてしまいそうな、間違えた瞬間、自分の秘密をすべて暴かれてしまう様な。

 私は今、するすると引き寄せられて、迫りくるコンクリートウォールに激突しそうになっています。私はハンドルを、右に切るのか、左に切るのか。

 いや、それも違う!

 きっと私だけだ。だって昔の子ははっきりとこの人を、女の人だと言ったじゃないか。

それに……、

 

 私はこの人を知っている。知ってて黙っている。なぜかこの時、強くそう感じたのです。

  そしてこの時、忘れていたある遠い記憶が忽然と蘇ったのです。


第7章

 まあ天皇家にでも生まれない限りは、我々雑種の人生なんて放ったらかしの伸び放題のバッサバサで、余計なところから余計な枝が突然生えてきたり、突然ふっつりと折れちゃったりしてさ……、 

 まあ雑草とたいして変わらないです。 

 酔ってます。酔ってくだを巻いてます。少し嫌な事があったモノで。私はいつもそうやって嫌な事は基本、胡麻化してやり過ごします。それしか知らないのです。

 でも妻は違う。妻は私とは違って自分の決めた目標や意志にしっかりと従うタイプなんです。 

なかなかに頑固な人ですが、でもそれは裏返せばとても従順で素直な人といえます。なんでもよく考えて、真面目な目標を立てて、それを目指してひたむきに努力する。諦めるのが嫌いだから、もともと変な目標も立てないし、荒唐無稽な野望も抱かない。妻の人生はきっと、持って生まれた人生の一番太い幹を着実に登っていると思う。どんな形であれ、私は妻が幸せになる事を望んでいます。それを一番に望みます。妻は本当にちゃんとした女性です。私は昔から、ちゃんとした女性が好きなんです。

 一方、何も考えず無計画にフラフラと生きてきた私は、生まれた時に親に貰った人生の、一番太い幹からは遠く離れた小枝の先っちょの枯れっ葉の、風に靡いてヒラヒラと今にも落ちそうなところに辛うじてしがみついているのでしょうね。もし妻という大樹に出会わなければ、こんな貧弱な葉はあっという間に木枯らしに飛ばされていた事でしょう。 

 まあしょうがない。人生、後悔なんてしてもしょうがないんですが、或いはあの時、ああなっていれば、こうなっていたかも知れない、なんて事を、戯れに考えたりする事は、なくはないです。 


  ひどく行儀の悪い女の子が二人いたんです。 

 真夏のコンビニで、ガラスケースの扉を開けっぱなしにして、う~んどうしよう。どれにしよう、なんて言いながら、同じチューハイを選んだり戻したりしてるんです。 

 どうでもいいからさっさと決めろや! 

 私がやや強引にその女の子二人の間に割って入り、手を突っ込んでお目当てのモルツの500缶を2本、取ったんですが……、 

 そのとき一人の女の子の、あれですよ……、おっぱいにね、肘がちょっと触れたような気がしたんですね。もちろんわざとではありませんよ、ありませんけど。 

 女の子の方も、あ、って感じで、少し身をかわしたんで、私も思わず、あ、すんません、って言ってしまったんです。 

 そこでもっと気まずい感じになってくれればよかったんですが、 

 突然もう一人の女の子が笑い出したんですね。 

 あ~、おっぱい触られてやんの! なんて。そうしたら女の子は顔を真っ赤にして、全然触られてないよ! なんて言い出してもう、私としては最悪の展開です。 

 で結局、三人で近所の神社でウダウダと飲み始めてしまったんです。夜の神社でする怖い話は面白かったなぁ……。 

 しかし真夏の夜の神社は蚊がすごくて、おまけに三人とも酒を飲んでたからもう刺されまくりで。 

 とにかく、ムヒ付けよう。ムヒ! 

 と、三人で私の部屋に避難したんです。当時、私の狭い部屋にはギターやベースが7本も立ち並んでいて、CDも800枚ぐらいありましたかね。CDも800枚並ぶとそこそこな壁ですよ。 

 すごーい! なんて言われて。 

 この若い女の子の、すごーい!は、実際は凄くない奴の自尊心をどれほど心地よく刺激するか知ってますか? そりゃもう、すごーいんです。

 で、結局明け方近くまで、音楽聞いたり、酒買い足しに行ったりして過ごしました。その時、まだ私は二人の名前も知らなかったんです。 

 まあ、この流れからだとお察しの通り、私はそのうちの一人と付き合い始めたんですね。それは、おっぱい触ってない方の子です。品悪く、コンビニでゲラゲラと笑い出した方の女の子です。こんな安っぽい偶然が、バカな出会いが、ともすると一生の腐れ縁になる危険性を伴っているとは、その時は全く考えませんでしたね……。 


第8章

  全く、毎日暑いですね。でももうすぐ、夏は終わります。 

 それはトラックを運転していても、例えばいつも通っている道の両脇に、突然百日紅が大きな英をゆらゆらと揺すっているのを見るだけで、 

 百日紅ってこんなにいろんな色があるんだなぁ……、なんて思ったりする事からもわかります。   

 夏はそうして終わりのメッセージをさりげなく告げているのでしょうが、私は一向に気付きません。というのも、わかる頃にはメッセージはもう別のメッセージに変わっているからです。夏と名付けたころにはもう秋に変わりつつある。その変化を、移り変わりを季節と言うのかもしれません。そしてそれはいつまでもいつまでも止まることなく続くのです。

 そうしてセミも少しずつ赤トンボへと変わる。そうやってあらゆるモノが、死なずに変化を以て対応する。 

 そして赤トンボはだんだんカマキリに化ける。カマキリはだんだんコオロギに化ける。そしてコオロギはだんだん……。 

 ゴキブリに化けて、人間と共に冬を越しましたとさ。 

 めでたし、めでたし。 

 本当にそれでよかったのに。そうやっていろんな生き物は変化ながら永遠に生き続ける、そんな仕組みでも全然良かったのにね。 

 でも神様はそんな方法は選ばなかったみたいです。 

なぜならばそこには……、 

 性がないから。 

 『三大欲』なんて括られますが、私は性欲が一番神聖だと思っています。あとの二つはただ個体が生き残るため。性欲は『種の存続のため』。全然、品格が違います。 

 私は子供の頃から虫が大好きでした。昆虫図鑑を眺めては、実際に捕まえた虫と見比べたりして遊んでいました。それは成虫だけではなく、その卵も、幼虫も、蛹も。そのあまりにも他の生き物とは違い過ぎる成長過程に、その劇的な変態に、私はあらゆる生命の可能性を感じて、ワクワクしながら観察したものです。 

 そして何種類も飼いました。それはカブトムシ、クワガタなどのスタンダードな昆虫に限らず、蝶々、蛾、バッタ、蜘蛛、ダンゴムシ、アリ、ハエ、なども飼いました。 

 その交尾の様子も、カブトムシのオスとメスが土の中で秘かにお尻をつなげてたり、イトトンボが二匹繋がってハートの形になっていたり、バッタがバッタをおんぶしていたりするのを不思議な気持ちで見ていました。 

 でもその姿は普段のクールで知的な虫の様子からはかけ離れて、あまりにも無防備でみっともないように見えました。これは虫の姿じゃないな、と、そこには何かおかしな仕組みがある事に薄々感づいていたからかもしれません。 

 私はそんな姿をみつけると、必ず虐殺したのです。 

 私はセミの羽根を毟ったり、バッタの足を毟ったりして、それをそのまま池に放り込んだり、蜘蛛の巣に投げたりしました。それはきっと虫に対する愛情を遥かに超えた強い力のせいだと思うのです。

 いえ、私は決して自分の蛮行を正当化するつもりではなくて、本当にそう思うんです。子供の残虐性を説明するにはこの力を説明するしかない様に思えます。それは愛情よりもはるかに強く、純粋で、どんな欲望や感情よりも優先される力です。いったい自分の喜怒哀楽のどこにリンクしているのかすらよくわからないこの無辺際な力には、制御しようもないほど乱暴で傍若無人な性質があるんだなぁと、つくづく思うんです。 そしてその力こそが『愛着』だと思うのです。


 私とその女の子はそのうち半同棲のような生活になりました。私は少し年下のその女の子の声も顔も可愛いと思いましたし、話をしていても楽しかった。もしあの頃のいい加減な判断で結婚していても、それなりの人生を送っていた事でしょう。仮に不幸な結果に終わっても、それほど後悔しなかったと思います。しかしその頃の私はとにかく音楽狂いで自分の時間は絶対に誰にも譲りたくなかったんです。 

 テレビに出ているミュージシャンで自分に適うヤツなんてまったく見当たりませんでした。ただ自分にはとにかく運がない、きっと前世で一万人ぐらい殺しているに違いない。だから周りに合わせてジッとしていたら、自分にだけはろくな事が起きない。周りに流されたらダメになる。だから出来るだけ自分の意志で動かなければ、動いて少しでもこの、生まれた時からまとわりついている疫病神を振り払わないといけない。 

 親からの愛情をうまくキャッチできなかったという自覚が強い私は、そんな卑屈な焦りと常に戦っていた気もします。そしてそれがただの虚勢である事に気付かないために、わざとジッと正面から目を逸らさないでいたのです。ヒマワリにぐいぐいと引っ張られるのを感じながらも、ただひたすら正面から目を逸らさない自分を、真っすぐでブレない素敵なヤツだと思い込もうとしていたのです。女の子も暫くはそんなわがままな夢を追いかけている風の、少し年上の男の事を素敵に思ってくれていたのかもしれません。いろいろ甲斐甲斐しく身の回りのことなどをやってくれたんです。 

 しかしそのうち、私の気持ちが自分が望むモノとは少しずれている事に気付いた女の子は妙なわがままを言いだす様になりました。明日ディズニーランドに連れていけ、一緒に水着を選べ、フレンチの店に連れていけ、犬を飼え、車を買え、左でギターを弾け、などなど。

 しかしそれが全てダメだとわかると、今度は妙な行動に出るようになりました。私のモノを勝手に捨て、代わりに自分の生活物資を私の部屋に持ってきて、自分の洗濯物を私の部屋のベランダに干す様になりました。だがそれでもダメだとわかると、今度は明らかに二股を掛け始めたんです。

 女の子は私の部屋にいながら私の目の前で誰かに電話を掛けて、うん、今から遊ぼうよ。いいよ、そっち行くよ、なんて夜中に出掛けて行きました。そしてそんな日は大概、翌朝になっても帰ってきませんでした。 

 しかし私はむしろ、そんな夜は歓迎でした。女の子が出ていくと、私は誰にも邪魔されずに心置きなく音楽に取り組むことが出来たからです。残酷な話ですが、私は女の子が二股を始めた後の方が、ずっと一緒に過ごしやすくなったんです。

  やがて女の子は自分の荷物を置き去りにして帰ってこなくなりました。それきりです。 

 それから一年ぐらい経って、私は偶然あの、おっぱいを触った方の女の子に、あの同じコンビニで出会ったんです。 

 あぁ、久しぶり、と挨拶を交わしてそのまま立ち去ろうとしたんですが、 

  知ってます? と言うんです。 

  私は当然、知らない、と答えました。

 あの女の子は妊娠したそうです。そして大学もやめて、郷里に帰ったと。 

 子供は? と訊くと、堕ろした、という事でした。 

 私は何も感じなかったんです。女の子にも、女の子が堕ろしたという子供にも。きっと私の知らないところで淡々とそう言う風に事が運んだんだろうなと。産声を上げられなかった子供も、あくびを飲み込むようにまた、彼女の中に消えたんだろうと、そんな風にしか思っていなかったのです。

 それからしばらく、私は何事もなく過ごしていたのですが、ある日、ふとしたきっかけから、私は自分がある言葉を言えなくなっていることに気が付いたのです。その言葉を口にしようとすると首の辺りに強烈な痛みが走り、そのまま首をもがれてしまう様な錯覚になるのです。殺した虫達の無表情な顔が浮かびました。羽根や足を毟ると、虫達は途端に不格好になり、無力になり、ヨチヨチヨタヨタと、とにかくそこからいなくなろうと這いまわるのです。私がそれを掴んで池に投げ込むと、黒い水底から紅白の模様がゆらゆらと浮かび上がり、のっぺりとしたやはり無表情な顔が一気にガバッと飲み込む。それが全てです。そこに言葉などありません。それは絶大な信頼のような、鉄則のような……。

 私が言えなくなった言葉は『好き』。テレビで女優やアイドルを見ても、

あ!俺、この子す……。と、口に出す前に、カチカチに固まってしまう。そんな感じです。

 私は彼女の事が好きだったのでしょうか。彼女は私の事が好きだったのでしょうか。それはわかりません。今更それを考える事にあまり興味はありません。じゃあ、

 私が彼女を捨てたのでしょうか。彼女が私を捨てたのでしょうか。それもわかりません。

そしてそれを考えるのも、大した価値を感じません。 ただ……、

 あの時以来、私と彼女には等しく強烈な力が働いている事だけは確かなのです。それは感情もありません。命の尊厳も無意味です。放っといてくれれば結構。あなたたちにお伺いを立てる気持ちも、立場を斟酌するつもりも、毛頭ございません。私はただ一方的に、最大の悲しみを以て、未来永劫にあなたたちを慕うのです。

 私と彼女を等しく強く結びつけようとする純粋無垢な狂気。これこそが『愛着』だと思うのですが、どうでしょうか。

 私は、男ですか? 女ですか? 

 その問いかけは、私の首をガシッと掴んだまま遠い夏の日に引きずり戻したんです。 


第9章

 今日の空は本当に素敵でしたよ。茨城県水戸市を走っていたんですが、突然見た事もないような、まるでミケランジェロが描いた天蓋のような、360度パノラマの、ツルツルに磨き上げられたラピス色の天球のてっぺんが恐ろしく高く晴れ上がっているところに、ちょうどお茶の水博士でいうところの鉢周りに沿って、白い雲が幾重にも連なってモクモクと沸いているのが見えたんです。思わず、うわぁ、地球の禿げ頭だぁ! なんて思わず叫びましたよ。 

 しかしその直後、信じられない様なスコールに襲われたんです。もうね、ワイパーなんて有って無きモノ。一瞬にして前が何も見えなくなりました。いくら前を見ようと思っても、フロントグラスには無数のペイズリーの大小が次々と、あっちこっちに出来ては消えるだけ。もうね目のピントなんかどこにも合いませんよ。そして、だんだん意識が遠くなって……。

 やがて雨のトンネルを抜けると、そこはもう東京都だったんです。ほんの数十秒ほどに思われた時間が数時間も経過していたんです。タイムスリップしたみたい。何だかキツネに摘ままれたような気分でした。   

 昨日、パソコンにメールがついたんです。 

 いえ、メールなんか何通もつくんですが、大概は『お得なクーポン使いませんか?』 とか 『夏ですよ、旅行に行かないんですか?』 とか、『鍬とザルは、調べただけ? まだ買わないんですか? 庭を畑にするんじゃなかったんですか?』 というどうでもいいモノばかりで、ほとんどは見ずに削除するんですが……、 

 でもこのメールにはちゃんと差出人の名前があったんですね。全然ピンとこなくても名前があると、誰だろう? とつい考えてしまいます。 

『お久しぶりっす、吉岡です』 

 吉岡と言われて思い出せるのは、小学生の頃から数えてもせいぜい5~6人、お久しぶりと言うならば皆相当お久しぶりな人ばかりですが、このテンションから推察するに、きっとあの吉岡だと思い当たる吉岡が一人いました。 

 吉岡には変な癖、というかある種の病気がありました。それは、モノを噛まずに食べてそのまま吐く、という病気です。 

 一緒に食事に行っても、吉岡はとても早食いで、ラーメンなど、モノの一分ほどで完食してしまうんです。そして店を出てからすべて吐く。それもまあ見事に、ラーメンの麺など少しも切れておらず、鳴門にも歯形一つ付いてない丸のまま。吉岡はそれをある種の冗談か、或いは得意技のように思っている様子でした。食事にどういう意味があるのかよくわかっていない様子でした。 実際これを家族の前でやると、特に爺さんにめちゃめちゃウケたんだそうです。

  私には吉岡の家族も含めて全員病気だったように思えますが、吉岡家にとってそれは日常の光景だったのかもしれませんね。

 私がなぜこんな気持ちの悪いヤツと一緒にいたかというと、それは単に吉岡がベースで私がギターだったからです。吉岡の弾くベースはデタラメ寸前で危なっかしいのですが、私にはとても魅力的に聞こえたんです。だから一緒にバンドをやろうと言い出したのは私の方でした。でも吉岡は音楽にまるで執着がなく、すぐに他の事に興味が向いてしまうんです。それは熱しやすく冷めやすいではなく、熱したことすら忘れて、冷めるまでも待っていられない感じでした。

 特に女性に関してはそう。浮気とか二股なんて概念は、彼の頭の中にはもともと存在しないのでしょう。

 結局、吉岡と私は一緒にステージに立つ事はありませんでした。そしてある日、俺はジャグラーになる、と言って行方をくらまして以来、かれこれ十何年、全く音信が途絶えていたんですが……。 

 吉岡には子供がいるという噂もありました。それは高校生の時に同級生を妊娠させて産ませた子供で、吉岡はその女の子の家族からの追跡を逃れるために、場所や名前を転々と変えているという噂でした。だから『吉岡』と言うのも本名かどうか、実は判然としないのです。

 私は一度、その事について直接訊いてみたことがあるんですが、その時の吉岡は珍しく真顔になり、はっきり、嘘だ、と言いました。だから質問者の責任として、吉岡のその誠意を鑑みて、私はそれが本当の事だと信じてきたのです。 

  メール、迷ったんですが開けてみました。すると。 

 永代供養の御ご相談なら……、という文言と共に、あれ、あれ、という間に何枚も写真がダウンロードされて、『ご契約成立まであと10秒。解除にはコチラをクリック!』というカウントダウンまで開始されました。 

 スパムメールでした……。 

 慌てずに駆除しました。そんなのはエロサイトで何度も経験済みでしたからね。 

 しかしね、『墓』という普通の人があまり買わないモノの契約を迫り、解除を押したら別の契約が成立してしまうなんていうこんな狡いやり方をいったい誰が考えたのでしょう。よほど性格が悪くて頭がいい奴なんでしょう。まるで吉岡のような。 

 いや待てよ。案外、本当に吉岡かもしれない。 

 ジャグラーを諦めてまたフラフラとどこかの町を彷徨っていて、たまたまこの詐欺商法に出会った吉岡が、さて誰にメールを送るかと考えた時、頭にふと私の顔が浮かんだのかもしられない。 

 アイツならボケっとしているから、ひっかかるだろう、そう思ってメールをくれたのかもしれません。 

 そうではないと言い切る事は出来ません。本当の事は永遠にわからないでしょう。しかし実際に私はこのメールで吉岡の事やその子供の事、相手の女の子とその家族の事、一緒に行った定食屋の事まで思い出したのだから、この人達が今どこで何をして暮らしていようとも、そこは私にとってパラレルワールドに違いなく、私もきっと吉岡を通じでそっちの世界に行き来しているに違いないんです。そこで私はいったい、何を言って何をやるのでしょう。 

 吉岡の子供は、男の子だったのか、女の子だったのか。 


 私は男ですか?女ですか? 

  女でしょう。私はそう言いました。私には息子がいますから、もう一人は娘が欲しかったんです。 私はもう半ばそんな気持ちで言ったのです。

  その人は、一瞬笑ったように見えました。そして、

  アンタ、バカじゃないの? と言ったんです。

 あのねぇ、今の時代、性別を特定する事自体ナンセンスだよ。私だけじゃない、世の中には自分の性別がわからない人がたくさんいるんですよ。親からもらった性別を何も疑いもせずに、教えられたままで、男です、女ですって、バカみたい。

 私は自分の事を温厚な人間だと思っています。人並みに不機嫌になったりはしますが、滅多に表に出す事はない方だと思っています。でもなぜかこの時は、大事にしていたモノを踏みにじられたような気分になって、とてもムキになってしまったんです。

 いや、質問されたらそりゃ、誰だってなんか答えようとしますよ。それにね……。 

  そして当然私にだって言い分はあります。 

 私はね、どうしたって性差はなくならないと思うのです。いろいろ問題がある事は私だって知ってます。でもそれは性差そのものの問題じゃない。それに付随する権利の問題だと思うんです。

 何を、偉そうに……、その人のその小さな囁きを、私はものすごく腹立たしく感じました。私は冷静さを保つのがとても困難でした。

 いいですか、男女は多様性の一つです。平等なんてもともとあるわけがないし、そんな事、想像すら出来ないんです。だからたとえ、男と女の間に様々な人達がいたとしても、男女という構造の多様性に過ぎず、それがどんなに複雑になったところで、それは三角形が四角形、五角形となっていくだけで永遠に丸にはならないのと一緒です。男でも女でもないは、許されないんです。それは反社会的な発想です。危険思想です。卑怯者の理屈です。差はあって然り、その差を出来るだけ明確にして、すべての間々に、丁寧にウィンウィンの関係を築く努力こそが大切だと思うんです。そのためにはまず対立の構造から失くしていかないといけない。それは男女の問題だけじゃなくていろんな問題の中で……。 

 うるさい! 

 その人は最後はもう叫ぶようにそう言いました。 

 どっちだっていいんだ! どっちだって訊いているんだ! 私は男か? 女か?

 女だ!君は女だ! 私もそう叫びました。

 しばらく、シンとしました。蝉の声ばかりが、シャーシャー耳の奥の奥で聞こえていました。

 そうですか……、じゃあ私は、娘ですね。よかった、それを聞いて安心しました。

そういうとその人は、そっと店を出ていきました。

 変なヤツ……。

昔の子が言いました。

 僕、あの人知ってます。 

今の子が言いました。 

 え? 誰? 

 ずいぶん痩せてて気付かなかったんですけど、少し前、恋人の連れ子に対する暴力で逮捕されて、それが原因で芸能界を引退したお姉タレントです。 自分の事をオジサンって呼んだのが許せなかったと、言ってました。

私は少し拍子抜けしました。 だから、見覚えがあったのか……。

 私は、男ですか?女ですか? 

  どっちでもいいよ。ただ幸せでいてくれたら、それが一番ありがたい。

 私は、男ですか?女ですか?

 君は本当にそれを私に訊きに来たんじゃないのかい? そのためにこのブログを通じてパラレルワールドから実の父親である私に会いに来てくれたんじゃないのかい? 

 私は、男ですか?女ですか?

 もしそうなら大歓迎だ。また来年もぜひ来てほしい。夏雲の中から、小さな晴れ間が見えたらぜひ、もう一度ここを覗いてみてほしい。 私はヒマワリで、『おかえり!』と空からも見えるように大きく描くよ。そして酒でも飲みながらいろいろな話をしよう。君の母さんにの事も話すよ。君の質問にはすべて答える。私にはきっと、その義務がある。 

  店長、とのま、最近、元気ない気がするんですけど……。 

 昔の子が言いました。 

 窓辺にじっと香箱座りをして動かない、私の愛猫『とのま』。 

 この頃から、とのまは急に元気がなくなり始めたんです。 


第10章

 野球の試合に向かう息子の背中に向かって、私は後ろからそっとヒット祈願の柏手を打つ。でもその柏手の本当はヒット祈願ではなく、とにかくなんであれ、無事に家に帰って来る事を願う柏手なんです。 当然ですよね、家族の健康以上に大切なモノは、この宇宙には存在するはずないんですからね。 

 まあ、そんなこと言っててもなに、あと百年もすればどんな大切な家族もバラバラになって、濃厚な愛情や思い出も希釈されて、音だの風だの光だの、まあこれでもかというほど細かく分解されて、まだ誰も見た事がない景色の中に、そこを吹く風の音の中に、そしてそこを初めて訪れた人の心の中に、『今』としてふわりと香ってみたりするんでしょうけどね。それが私にとって果たして、本意だか不本意だか……。 

 そして今、私が感じているのは、このまったりとした夏の昼下がりの感覚もきっと、かつて誰かがその体の中で燻蒸した濃厚な感覚が希釈されたモノの一部に違いないだろうという事。それが今、目の前の電柱で猛り狂うオスミンミンゼミの腹の共鳴板とか、路上販売のスイカの中に隠された濃い甘味とか、江戸風鈴のややヒステリックな響きとか、向かいの豆腐屋の葦簀にジッと止まったまま鳴かないメスのアブラゼミの乾いた卵管とか、入道雲の中に潜む遠雷の予感とか、巣鴨駅前商店街の涼感ミストのカルキの臭いとか、江古田らーめん太陽のファンから吹き出す煮干し風味の温い風とか、ときわ幼稚園のバスの中に並ぶ小さな麦わら帽子と顎のゴムひもとか、坊主頭で立ち漕ぎをする独特の茶色に日焼けした男子生徒の『向原中学校』と書かれた、テカテカと光る黒いエナメルのスポーツバッグとか、台車に高々とシッパーを積み重ねて用心深く歩道を押す生協のドライバーの半袖シャツの汗染みにまで、満遍なく共鳴するからこそようやく、夏は特に一人一人が何もしなくても夏ならしくなるのですよ。ほら、全くその通り。 

  みなさんもきっと痛いほど感じてらっしゃるのでは? 

 今年の夏は、夏らしくなかった、と。

 人間は6根(眼耳鼻舌身意)で物事を感知して、6境(色声香味触法)で理解しますが、実際には6根6境だけではなかなか物事を感知・理解する事は難しいようなんですね。すべてを把握できるようには、もともと出来ていないのかも知れないですね。だからこそのこれは『夏の見える化大作戦』なんです。 

ガソリンに色を付けるのも、ガスに匂いを付けるのも同じ『見える化』です。ガスの場合は『嗅げる化』でしょうか。そうやってようやく人間は感知することが出来るんですね。 

 もし、あなたが三年寝太郎で、三年ぶりに目覚めたとして、その季節を起きてすぐに言い当てることが出来ましょうか? 

 妙に蒸し暑いけど金木犀が香るから秋だろう、とか、やけに冷えるけど、隣の中華屋が『冷やし中華始めました』ってのぼり旗を出してるから初夏だろう、となるでしょうね。つまりそれも見える化して判断しているんです。 

 その大切な夏の見える化の一つが今、大変な危機を迎えています。 

 試合数が120試合と大幅に減ったうえ、観客制限でチケットも取れず、我が家のプロ野球への関心が分刻み、秒刻みに薄まっていくのを私はもう、どうしようもない気持ちでただ見ているのです。本当なら今頃は、交流戦も終えていよいよ夏の陣、エンジン全開モードだったのに、たったの60試合で、もうBクラス決定の雰囲気。ライオンズはね、先行逃げ切りタイプなんです。だから今Bクラスだと、これからエンジンを全開にしても、調子が上がる頃にはシーズンが終わってしまう事になるんです。つまり夏が来ると同時に冬が来る、シーズンが終わるという事です。ライオンズにとってこれはもう、地球の公転速度が変わるほどの激変なんですよ! 

 それに球場に行けない以上、多くのファンは、テレビでの放送がなければ試合を見られないんです。有料チャンネルを契約している人は別ですよ、これはまた別の問題です。

 テレ玉とNACK5は埼玉県民のための局であって、埼玉県民が喜ぶ放送を第一に心がけてもらいたい。 

 埼玉県民が喜ぶ放送と言えば一も二もなく。 

 ライオンズ戦でしょう!! 

 今日もライオンズ戦は地上波ではやらないみたいだし、じゃあ少し、自分の店でも覗いてみることにします。きっと相変わらず暇でしょうけどね……。 

  グーグルアナリティクスを見ると、それでも毎日、何人かは御来店くださっていて、たまに外国からも見えているようなんです。

ありがとうございます。ごゆるりとお寛ぎください。 

 しかし相変わらず売り上げがいかないのは、あの子らの接客態度に問題があるわけじゃなく、店が汚いわけでもない。商品の魅力が足りないせいですね……。あとは宣伝が足りないせいだと思います。すみません、全部店長である私のせいです。 

 それは、まあ追々の課題として……。 

 今一番心配なのはネコの『とのま』の事なんです。 

 昔の子が言うところによると、三日前ぐらいから頻繁に床に横たわるようになったというんです。以前なら金魚の水槽を洗おうとすると必ずやってきて邪魔ばかりしていたのがそれもしなくなり、昨日辺りからだんだん食べなくなって、水ばかり飲んでは何度もトイレに行くようになったというんです。 

 水ばかり飲んで、夏バテか? 昔の子も初めはそれ程気にしなかったそうなんですが、何度もトイレに行く割には、おしっこが全然出ておらず、そしてそのたびに、いかにもストレスフルな、昔の子が言うには、ふゎん~~、という変な鳴き声を繰り返すようになったと言います。 

 これも私のせいです……。 

 以前病院で、5.5kgだとちょっと太り気味なので注意してください、と言われていたにもかかわらず、私が安物のエサを結局これまで通りあげていたのが原因です。 尿路結石でした。

 そして昨夜から、突然けいれんのようにな背中の振るわせ方をした後、吐くようになったそうなんです。昔の子はすぐに私に連絡しようかと思ったらしいのですが、私達はお互いがどの時間にいるのかがわからないのです。お互いが『今』という居場所が示せない以上、お互いが確率的存在なわけです。

 医者が言うには、この時期だから急性胃腸炎だと思いますが、あまりに頻繁に吐くようだと、誤嚥の可能性もあります。何か変なモノのみこんだりしませんでした? もし、腸に何かが詰まっていたら、その時は手術になります、と言われました。 

 今、とのまは私のひざの上にいます。そして苦しい息をしています。それを見ながらも私はあの二人からの連絡をやきもきしながら待つしかありません。今の状態が、必ずしも答えではないんです。もし彼らが、とのまが死んだ後の時間から連絡をくれたら、私は今、とのまの亡骸を抱いている事になるのでしょう。

 まさに『シュレーディンガーの猫』です。愛猫が苦しんでいる時に、もうこんなコンセプトでブログを書くのは止めようかとも考えましたが、今の現実がどうなるのか、あの子らのいる場所では既にどうなっているのか、これはすべてが今である証拠として、苦しいけどやはり書き残しておきたいと思います。 


 

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