『いきてるきがする。』《第5部 夏》


もくじ


 第37章

 世の中と私がまだもう少しだけ噛み合っているなと感じられるのは、 

1.公園の水飲み場に張られた『使用禁止』の黄色いテープ。 

2.コンビニの袋にまとめられた、日本独特のスタイルと思われる白いボール状の生活ゴミ。 

3.盗難防止の紐が付いている消毒剤。 

この3つのおかげなんです。 

 異常です。どうやら私は異常だとホッとするようです。でもこんな状態が長く続くはずがありません。 

  


『犬を連れ込んではいけません!』 

『キャッチボール禁止!!』 

 なんだそりゃ、犬の散歩もキャッチボールもできない公園なんて意味があんのか? だいたい公園の木は野球のボールが引っ掛かったり、犬がションベンかけるためにわざわざ植えられているんじゃないのか?  

 違うのか? じゃあ何のためなんだ? 大気に酸素を供給するためか? 猫の額ほどの公園がアマゾン気取りだな。 

 なに! それも違うのか?じゃあ何のためだ?  

 あぁわかってるよ、癒しだろ。まったく、ふたことめには念仏みたいに 癒し、癒し、 言いやがって。お前らが癒されなきゃならない理由がどこにあるんだ? お国が戦争しているわけでもなし、夜も爆弾が落っこってくる心配もしないで口開けてガーガー寝ていられるんだから遊んでるようなモンだよ。 

 それをテキトーに木を植えりゃアホみたいに群がりやがって、あぁ癒された!あぁ、自然! あぁ平和! 

 舐めてるよなぁ……。完全に平和を舐めてるよ。木と平和に何の関係があるんだよ。 

 平和なんてな、戦争の海に浮かんだ小舟みたいのモンなんだよ。2発も原爆落とされて気付かなかったのか? こりゃたまらん!平和も神もねぇ、って事にさ。あるのは自然だけだ。どこまで行っても自然だけ。不自然なんてどこにもありゃしねーんだよ! 

 大戦の時に世界中が踊らされたあの巨大な怒りと殺意が、今どこに潜んでいるかわかるかい? 

 そこだよ、君の大好きな癒しの中にだよ。人間は先の戦争で大いに学んだんだとよ。それで賢く文化的に成長したんだとよ。その結論が、

 お互いがぶつからないためには、お互いが徹底的に無関心になるしかない。だから、へーわ、なんて成分のわからない錠剤を何も疑わずにパクっと飲むんだ。そうしたらだんだん笑いが止まらなくなってくる。 

 ハハハハハハハッ!ってな、指2本立ててピースピース!だってよ、ありゃ完全に副反応だよ。 

 同じ事なんだよ。食前か、食後か。 

 「さあ毒はたっぷり飲んだから思い切り飯食うぞ!」  

 か、  

 「あぁ、たらふく食ったからそろそろ毒を飲むぞ!」 

 だ。平和は 死ぬまでの暇つぶしじゃねーんだよ! 繰り返すようなのは真実はねーんだよ!

 同じ事が順番によって正しかったり間違っていたりするなんて事は絶対にあり得ない。 

 死ぬか、産まれるか。どっちが正しいか決めようとしてるんだよ。バカバカしいだろ? 

 そういう腑抜けた妄想が、徹底的に自然を無視するように人間を仕向けるんだ。そして手前勝手な妄想だけで、地球環境を守ろうとか、あらゆる生き物と共存しようとか、100年後の子供たちに最高の環境を残してやろう!とかね。いい事だと思っちゃう。 鼻にストローが刺さったウミガメなんか見て笑っちゃったモンね。

 そしてそういう傲慢な考え方が正義・正論として崇められる。それが全ての戦争の原因だよ。 

 ここにもかつて日本人がいたさ。大戦で絶滅したけどね。今はかつて日本人住んでいた列島に日本人の亡骸を肥やしに繁茂した雑草が生い茂るだけの耕作放置地だよ。でもそれでよかったのかもな。ある意味、それも自然だよ。 

 いえいえ、なかなかそこまでは落ちぶれてはいないでしょ。 

 だって君、あの公園のメッセージにしたって、別に私に向けられたモノでも君に向けられたモノでもないだろ。誰の健康を気遣ったモノでもない。詭弁だよ。今の平和はすべてあれと一緒だよ、責任逃れ、詭弁だ。 

 そして今の世界はいつでも消えられるように粛々とその準備だけを整えているんだ。すべてはそのための創意工夫って訳さ。風が気持ちいいだって?夕日が美しいだって? ハハハ、噴飯モノだ。何か文句が言えるのかい? 

 そんな悲観的な、ハハハ……。


 私は店に向かって公園のジョギングコースを歩いています。それはいつか両親に出会ったあの公園のジョギングコースです。 

  ワシら、ずーっと走ってるから、お前もちょいちょい来ぃや。まあこの公園も広いしやな、そんな再々は会われへんと思うけどな。父はそう言って母と走り去っていきました。 

 う~ん、今日は、出会えないようですね。 

 店から、万引き犯を捕まえた、と言う連絡があり向かっているのです。全然売れない店にも、万引き犯はちゃんとくるんだなぁと私は、どんな異常な夏にも、セミはちゃんと鳴くんだなぁ、を連想させながら、いったいどんな奴だろうとワクワクして歩いていました。 

 公園の木々は初夏の装いを見せ始めています。夏が近づくにつれ、緑はますます濃く険しく、真剣なまなざしに変ってくるようです。それを見ても私は、木々が決して夏を歓迎していないのを感じるのです。 

 店にいたのは、老人男性でした。売り物の椅子に腰かけて、売り物のマグカップを一つ手に持っていました。 

 いらっしゃいませ。私は何も知らない態でそう言うと老人は、あぁ、こんにちは。そう言ってにっこりと笑いました。私が、この人? と目配せすると、今の子は、そうです。と目配せを返してきました。  

 夏の木々がやろうとしている事の本当の意味はいったい何なのでしょう。ただやみくもに地を覆い尽くして過当な競争に明け暮れた挙句、やがて窒息して滅びてしまう事なのでしょうか。 

 それともセミやカブトムシに居場所を提供して、彼らを神のよう優しく守る事でしょうか。しかし彼らの口はもともと樹液を飲む仕組みにしかなっていませんから、彼らも別段それを疑う事も、礼を言う事もありませんね。当たり前すぎて気付かないんですね。我々だってそうです。火山や雷にいちいち感謝しないでしょ? 

 そして木々は、なぜこんな苦しい事をさせるんだ?  と詮無い事を呟き、身をよじっては枝を伸ばし、濃緑の葉で全身を覆い日の光を避けながら、それでも日の光がないと生きていけない自らの存在に矛盾と苛立ちを感じつつ、煩悶懊悩を繰り返しながらも、結局小さな生き物を守るという目的のために自分が生かされていて、そのために全生命を費やしている事にも気づかずに、やがてにそっと眼を閉じるのですよ。 

 それは私が今、根拠のない妄想に胸を膨らましながら、ワクワクして歩いているのと少し似ているようです。妄想はすべて『的外れ』ですからね。『的外れ』でないと都合が悪いのです。それはあたかも『度忘れ』の様に、正解をちゃんと知った上で、わざとその近似値を並べて選びあぐねさせているのです。 

 たとえばね……、 私は老人を見ました。あぁ、この人はひょっとして……、と思い当たる記があったからです。 

 たとえばね、お互いがお互いの背景になっているとしたら、それは矛盾でしょうか? 

 あぁ、そうだね、あぁ、そういう言い方も、あるかもしれないね。老人は深く頷きます。やっぱり、この人だ……。 

 その瞬間、私の指先に生きたままザリガニの腰を毟った時の、ブリッとした感覚が蘇りました。 

 まだ、セミは鳴いていないようですね。私が言うとその老人は、まだもう少し早いようですね、と言います。 

 私の耳には羽根を毟った時の、セミの断末魔の声が蘇りました。 

 子供の残酷さは『愛着』によるモノだと以前ここで書いたことがあります。『愛着』『愛情』の様に思いやりや信頼に留まる事はありません。そしてすべての感覚を完全に支配してしまいます。私も子供の頃、自分が心底残酷な人間だという事を自覚しました。怒られたのです。田圃でザリガニを捕まえては、それをそのまま道路に投げると、ヨチヨチと田圃に戻ろうと歩くザリガニを砂利を積んだダンプカーがグシャッと潰していくのです。 

 そんな時、私はホッとするんです。 

 可哀そうだろ! 皆さんはきっとそう思うはずです。 

 それを可哀そうだと思わないような奴は『人間失格』だという事です。つまり私は『人間失格』だという事です。 

 でも私はね、ザリガニの一生の役割がそこで終わるなんて少しも思っていなかったんです。子供の頃から、ザリガニが死ぬ事で代わりに自分が生きるのだと信じていたのです。誰に教わったわけでもありません。ただそう信じていたのです。どんな生き物も、何も殺さずに生き続けるのは不可能でしょう。つまり生きる事は殺す事と同じなんです。 

 だから私は、出来るなら一秒も欠かさずにザリガニを殺し続けたいほどでした。それが生きる事を実感する事でした。もっともっと幸せになりたかったのかもしれません。もっともっと楽しく生きたかったのかもしれません。よりよく生きようとする純粋な思いは、他者の命などを引き合いに出していては到底叶えられるはずがありません。 

 常に生きているモノのために、常に死に続けるモノがいるのは至極当然の事です。その逆も然り。地面が傾斜する限り水が流れ続けるのと同じです。傾斜を罪だと叱っても仕方ありません。神だと崇めても仕方ありません。流れない水はやがて腐り始めます。人の心が腐敗に向かうのを、子供心に私は看過できなかったのかもしれませんよ。それが証拠に、昔から私は、真っ平に静まった田圃の水面と、そこにアベコベに映る全世界の無責任さを不健全なモノだと忌み嫌い恐怖していました。あんな巧妙なウソもないモノです。 

 でもどうしても、そのために我々に出来る事があるとしたら……。 

 ん? 

 いなくなることでしょうね……。 

 ハハハハ、とその老人は笑います。 

 つまり、あなたはその事を君に教えたのが、私だと言いたいんだね? 

 その人はそう言って、あの時と同じ顔で優しく笑いました。 

 だって……。じゃあなんで、可哀想だろ! って大声で叱ってくれなかったんです? 

 ん……、老人は少し寂しそうに俯きました。そして、 

 あの時、私はもうそういう良し悪しの外にいたんだよ、 

と言いました。 

 一切の良し悪しの外、つまりすべて自分がその良し悪しを決めなければならない存在に、なりかかっていたんだね。 

 ちょっとわかりにくいんですけど、それは死ぬ事を言ってます? 

 いや、そうじゃない。死は突然訪れる事もあるでしょ。ニコニコ笑ってて突然死ぬ事もある。だからそういう事じゃない。死んではいないけど、いろんな物事が、全く平等に、同じ速さで目の前に現れて、ゆっくりと提示される。そうなるとなかなか判断が難しい。 

 ん、どういう事でしょう? 

 貴方の命と、セミの命と、ザリガニの命が、全く同じに目の前に提示されたら、誰を優先しますか?もし貴方と言うのなら、私は貴方を怒鳴ってはいけません。もし、セミと言うのなら、私は貴方の両腕を毟るしかありません。もしザリガニのと言うのなら、私は貴方を轢き殺すしかありません。そうやって、すべての後ろには無限の結果が続き広がっていくのですから、私はただ見ているしかありません。まさに、お互いがお互いの背景になっていると言えますね。 ハハハ……。 

 私は、間違いを犯したのでしょうか? 

 もし間違いを犯したのなら、蝉も、ザリガニもそういういう事になるでしょう。そこにいた私も。私はもうその誰の立場で判断していいのか、わからなくなりかけていたんですよ。 

           


 すみません。そう言って女性が入ってきました。 

 飲み物を苑に忘れて買いに行っている間に、このお店に入ったって公園の人に教えてもらって。でもよかったです。なにか、ありませんでした? あら、なに持ってるの!ちゃんとお返しして! 

 女性は慣れた手つきで老人の手からマグカップを毟り取ってテーブルに戻しました。 すみません、今後は十分に気を付けますので、あの……、苑には、この事は、ご内聞にお願いしたいんですけど……。 

 あぁ、わかりました。何もなかったですからね。そういう事なら、承知しました。 

 ありがとうございます。 

 老人と女性は一緒に店を出ていきました。出る時、老人が私に振り向いて小さく会釈しました。私も会釈を返しました。あの時と、同じ顔で。 

 ボケちゃうと、大変ですね。 と今の子が言いました。 

 そうだね、ボケたくないね。 私は言いました。 

 わからなくなるんですね。 昔の子が言いました。 

 どっちだろうね。全てわかっているのかもしれないよ。

 私が言うと、今の子昔の子も、キョトンしてしまいました。私のいう事がわからなかった、のではないでしょう。 

 多分、『何を当たり前な事を言ってるんですか?』 

 という意味の、キョトン、でしょう。 


第38章

     

 どうも元気がないと思ったら熱が38度もあり、すぐに病院に行けと言ったのですが、どうやら行かなかったようです。今の子にはそういう強情なところがあるようです。 

 そしてその夜、昔の子から今の子が倒れたと連絡があり、私は急いで店に赴きました。今の子はぐったりと床に横たわったままで、私はすぐに救急車を呼びました。今の子が、嫌だ、嫌だ、と譫言の様に繰り返す理由の一つに、私は見当がついていました。 

 そんなこと言ったって仕方がないじゃないか。 

 救急隊員に今の子の名前や住所や、私との関係を訊かれた私は、母親に連絡を取るしかなかったのです。 

 私だって気が重かったです。今の子が置かれている環境に問題がある思った私は、連れて帰るという母親に、今の子を渡さなかった経緯があるからです。 

 ほら、きっとこうなると思ってました。だからあなたなんかに任せたくなかったんです! きっとそう言われると思ったのですが、電話に出た母親は殊の外冷静で、わかりました、すぐ行きます。と言って電話を切りました。 

 母親が病院に現れた時には今の子の状態は幾分落ち着いていました。 

『○○君』と呼び掛ける母親に今の子は、ん……、と言って目を瞑りました。そして小さな鼾をかき始めました。 

 コロナでしょうか? 

 そう言いながらも、母親は私には一瞥もくれません。やはり怒っているのでしょう。 

 そうとも限りません。 

 私が言うと母親は、でもこんな時期にそうとも限らないとも限りません、と言います。私はこの、どこか理屈っぽい、借りてきたような、この人に似つかわしくない言い回し一つ一つにまで、あの見知らぬ人間の影響を見ないわけにはいかないのです。 

皇極法師。 

  母親はまだ洗脳されたままなのでしょうか。 

  頭痛い? 喉、乾いてない? 

 母親は優しい声でそう訊ねました。今の子は何も答えません。 

 先生、コロナじゃないでしょうか? 

 母親は医者にもそう訊ねます。私は医者を見ました。こういう場合、一体医者がどんな説明をするのか、私はとても興味がありました。医者は、 

 そんな事が、誰がわかるんです? そう言いました。母親はキョトンとしています。 

 え?検査したり、いろいろ調べればわかるじゃないですか? 

じゃあね……、そう言うと医者は椅子を回して母親に向きます。 

じゃあ坂本龍馬はコロナですか? ナポレオンは? 

 母親はさらにキョトンとします。 

ツタンカーメンは? クロマニョン人は? 

あの……、仰ってる意味が、よくわかりません。 

 いいえ、あなたはわかってらっしゃる。わかっていてわざとわからないふりをしている。たまにいるんです。そういう方、特に親御さんにね。 

 あ、先生、それについてはいいんです。答えていただかなくてもいいです。 

 私はたまらず割って入りました。また世界がゴチャゴチャになりそうだったからです。私がいつも見ていた、あの世界が一瞬にしてゴチャゴチャになる瞬間がまたやってきそうな気がしたのです。 

 ふざけてらっしゃるの? 当然、母親はそう言い返します。 何で坂本龍馬やナポレオンがコロナかどうかなんて事が関係あるんですか? 私は息子の事を訊いてるんです。今の息子の状態はどうですかと訊いてるんですよ。 

 医者は眼鏡をはずしてやれやれという顔をしました。私は妙な汗をかいています。そして思わず、ハハハハ、と笑ってしまったのです。出来るだけ宥めようとしたんです。しかしそれが悪かった……。 

 何が可笑しいのです? その時母親ははじめて私を見ました。目には明らかに怒りの光が満ちていました。あぁ、すみません……。私がせっかく言ったのに、この医者は少し意地が悪いようです。薄い笑いを浮かべながらこう言ったのです。 

 息子さんねぇ、もう亡くなってるじゃないですか? あなたはそれを知らなかったとでも仰るのですか? 

 医者はまるでシャツでも選ぶように、『今』をクローゼットから一つ選んで羽織ります。それには特に何の拘りも躊躇いもないように見えます。珍しい事でも何でもありません。それは普段我々も普通にやっている事ですから。 

 え!何をおっしゃるんです! 息をしているじゃないですか。寝息だってちゃんと聞こえてます。 

 いえいえいえ……。医者は笑いを嚙み殺しているように見えます。もし私がこの母親の立場なら、息子の命が尽きようとしている時に、もう死んでるじゃないですか、なんて言われたら、私はその場で医者を殴り倒していた事でしょう。そして私の『今』はそこにがっちりと固定されてしまった事でしょう。でもこの場合は全くそういう事ではないのです。  

 医者である以上はね、当然命を救うために最善を尽くします。しかしもう亡くなってる人を、どうやって救うのです。コロナかどうか、どうやって検査できるんです? 

 もう、慌てましたよ。目の前で『今』がどんどんグニャグニャになっていくようです。それはまるで、まだ見ぬあの男の思惑に流されていくようです。 

 落ち着いて! 二人ともこだわり過ぎなんですよ。いい意味でも、悪い意味でも! 

 もう自分でも何を言ってるのかよくわかりません。 

 私が今立っている場所というのは、時間の影響がないんです。そして私は母親と医者の、ちょうど真ん中あたりに立っているのですね。母親の顔がどんどん青白くなり、怒りがこみあげているのがわかります。医者は淡々と死亡診断書を書き、母親は息子の寝息を確かめている。医者の机の時計は午後9時半過ぎでした。私はジッとして判断を待ちます。 

 人間は必ずいつか死にます。そりゃそうです、みんな死ぬ、それはいいんですが、それってゴールテープを切るようなモノなのですね。ゴールテープを切った瞬間に、ストップウォッチは止まります。そうしないと正確な記録が取れませんからね。そして過去と未来はその中にすべて含まれています。含まれていますがしかし、 

 『今』を定義して、必ず時系列に並べてないと訳が分からなくなるのです。いろいろな辻褄が合わなくなります。それは真実というよりも、むしろ習慣というか、さらに言うと一種の『クセ』のようなモノなんですね。 

 理解というならば、そのはるか前から確実にしているのですが、『点』として理解がある事を人間は良しとしません。時間を一方に見る癖が、どうしてもそれを納得させないのです。理解を意識するためにはどうしても、『今』を同じ一点に定めないと、そして時系列に並べないと、人間同士は会話すら成り立たないんです。はぁ? 何の話? と、なってしまうんです。 

 熱はだいぶ下がったようです。医者が言いました。でもそれにしたって、医者が母親に譲歩したわけじゃありません。母親が矛盾を突かない事からもわかります。母親は『○○君』と優しく名前を呼びました。今の子は、ん……、と返事とも寝言ともつかない声を出しました。どちらかというとその状態は、私だけが弾き出されたような状態でした。 

 でもよかった。 

 2021ねん7がつ、世界中を席巻するコロナウイルスは、無数の『今』を持って襲い掛かっています。いいえ、正確には襲い掛かるとは違います。そこにじっと佇んでいるだけなんですが……。 

 時系列にしか理解できない人間にはそれが突然に見えるんです。何度も何度も、同じ事を繰り返しても、それが毎回突然に見えるんです。人生は一度きり、なんて事、みんな言いますもんね。 

 坂本龍馬もナポレオンも、ツタンカーメンもクロマニョン人も、ストップウォッチは止まったまま、それでもずっと、歩いたり止まったりしているんですよ。 

 ここは何処なんだろう? この先、どうなるんだろう? 

なんて、我々と同じような事を思いながらぐるぐると、疑心暗鬼に歩き回っているんです。アイツは死んだな。こいつも死んだな。 と他人ばかりに思いながら……。 

 翌日、熱の下がった今の子と一緒に店に戻りました。 

母親は今の子を連れて帰るとは言いませんでした。そのまま、病院からタクシーで帰っていきました。梅雨の雨がシトシトと降っていて、タクシーは病院の坂を下りて見えなくなると、ドット疲れが湧いてきました。 


第39章

 車検なのに有給使えって、有給は夏休みのためにとっておきたいんですよ。 

 じゃあそう本部と直で掛け合ってみなよ、無駄だと思うけど。とにかく昔からうちはそういうシステムだからさ。 

ハハハ……、知らんがな。 

 こうやってね、世の中は廃れていくんですよ。廃れてきたんですよ。文明なんてね、恐らくは廃れに廃れた慣れの果ての姿ですよ。立派でも何でもない。人間の歴史なんて、ただ廃墟を築いただけにちがいありません。祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す。 

 ハハハ……、知らんがな。 

 仕事が減って、今日みたいに昼過ぎに終わることもしばしばです。そんな時、私は近所の公園をぶらぶらするんです。夕方まで。 

 3年前、私は両膝の手術をしました。半月板軟骨がボロボロで、内視鏡で見ると、粉々に千切れた半月板が、深海の微生物の様に、ふわふわとひざの中を漂っていました。そしてそれからほぼ一年間、私は世の中から完全にドロップアウトする事になる。まるで動物園の熊みたいに、狭い家のなかをウロウロして、毎日何の価値も見出さず、誰にも許されもせず、誰の許しを請いもせず生きていたのです。 

 なに? あれが熊かい? なんであんなにデカいんだ。それなのになんであんなに目が小さいんだ? おいおい、座布団みたいなデカい手でおいでおいでしているよ。おい、ちょっと誰か、パンくず投げてみろ、あ!食った! でかい図体して、あいつパンくずなんかを喰ったよ。ますます要らない図体だな。 

 そう、檻の中にいるのに、熊は熊である必要はない。人やシカを瞬殺する腕力にも何の必然性もない。私も、家の中をウロウロするのに、親である必要も夫である必要もない。 

 こんな意気地のない事をウジウジ言ってると、優しいあなたはきっとこう言ってくれるでしょう。 

『いえいえ、全く逆です。熊だから、その無駄に大きな体に固い毛皮を纏って檻の中にいるんです。森の中に潜んでいるなら、誰がそれを森と分別して熊と呼びましょう? 家の中にいて何の問題もないのなら、誰がそれを家庭と分別して親と呼びましょう? 親だから、無駄な愛情や不安を纏って家の中をウロウロするんです。 

 あなたは、父親として、夫として、家族の心の支えになっている事は間違いないのだから安心していればいい。まずは心を腐らせずに、怪我が治ればまた、仕事ができるようになるんだから、それまではじっくり時間をかけて治せばいいじゃないですか。人生、山あれば、谷あり、ですよ』と。  

 ありがとうございます。まったくそういう事でしょうね。 

 でも、優しいお言葉に無礼なお言葉で反駁しますが、実際には山も谷もありませんよ。時間なんて、私にとってはのっぺりとしただけの、存在しないと同じようなモノなんです。それに私が過ごしているのは時間の上じゃありません。檻の中です。そして私はこんな事に気付いたんです。 

 私が私である根拠も責任も、おろか必要など、初めからどこにもなかった。 

  

 私が自分のそばにこんな世界がぴったりくっついてある事を知ったのは、私がこんな風に、自分の存在を疑った事に端を発しています。私は、私に限らず、自我というモノは、実在しないんじゃないか? ある日ふと、そう思ったんです。そうしたら急に何もかもが止まって見えた……。 

 月から地球まで、2秒間『今』が継続しているという、アインシュタインの考え方は、結果的に私を救ってくれました。誤解でも構いません。宇宙の仕組みなんて、私には基よりどうでもいい事です。だから相対性理論にしたって、私には時間の特徴のほんの一面にしか見えないのです。シーケンスされる時間と、放射状に広がる空間の、どうせ追いつけっこないこの二者の追いかけっこは、檻の中の私に、目の前からすべてを奪いながらも同時に、そのすべてが目の前に存在してある事を保証してくれました。それが、今の私の全ての励みになってます。私はこの励みなしに、自力で生きていることはたった1秒だって不可能だと確信しています。 

 だが恐ろしい事に、この世の中ので生きているほとんどの人は、この励みを持たずに暮らしているんです。私に言わせれば、それは手放し運転と同じです。怖くないですか? 辛くないですか? 何でそんな事をしてるんです? 妙な景色が頭をよぎりませんか? 自分が死ぬか、或いは殺すか。 

 それ、嘘でも妄想でも想像でもないですよ。目の前にある、厳然とした現実ですよ。檻から出た熊は必ず発狂します。そして人やモノを手当たり次第に襲撃します。檻で隔てられていた不可解なモノがいきなり迫ってくるのだから仕方ありません。 

 人間だって同じ事。例えば、明日自分が死ぬとしても、それはもう目の前にありありと見えているのです。そう頭をよぎった以上、その恐怖は現実のそれと何ら変わりがありませんからね。私はそれを、目の前にありありと見ながら、でも檻によって守られている。そう思う事でやっと、毎日の生活を送っているのです。 

 虹は空にアーチを掛けます。それは真実以外のナニモノでもありませんよね。でもそのアーチを橋の様に渡るのは絶対に不可能なんです。なぜ渡れないアーチが目の前にあるのに不安にならないんですか? 

『虹は太陽光の可視範囲の波長だけが、空中の水滴のプリズム現象によって7色に分光されるため円状に広がって見えているのです、それが地面にさえぎられる事で、虹はアーチ状に見えているだけなんです。』 

 そうです、きっとそうでしょう。そういう事で、納得するならば、その通りです。でも心を新品にして、今一度、真剣に考えてみてください。 

 ふと気付くと、あなたは薄い氷の様な虹の上をおっかなびっくりと渡っています。科学や常識は、絶対にあり得ない事だとその危険すら指摘しません。もし虹が割れたら、あなたは確実に死にます。おおよそ誰にも説明も理解できない理由で、あなたは死ぬ事になるのです。それ自体は別に不思議でも何でもありませんよね。人間があらゆる理由で死ぬのは周知の事です。科学や常識の整合性なんて関係ありません。一歩ごとに、虹は少したわんでは、あなたの足元だけが真っ白に輝く……。 

 そんな景色が、実際に目の前にキラキラとして輝いて見えているのに、なぜ笑うんです? なぜ綺麗だなんて言えるんです? 

 自宅療養の間、私はよく同じ夢を見ました。アクセルもブレーキも付いてないトロッコに乗った幼い息子と妻が、どんどんと炭鉱の深い穴の奥に向かって滑り落ちていく。私は追いつこうとレールの上を走ろうとするのですが、膝がガクガクで全く走れません。そのうち気付くのです。落ちていくトロッコが本当で、私の方が嘘だと……。 

 気付いた事もありましたよ。それは登り坂だと思って勝手に苦しみ喘いでいた人生が、実際はずっと下り坂だったという事です。疲れたから立ち止まるろうとしても止まれない。どんどんろくでもない方向へと下り続ける。なんだ、下ってたの?  

  

 そうです、人生はずっと下り坂なのです。 

 いい事なんて何もない。どうせ行きつくところは死です。そんな事は誰でも知っている。じゃあ何かを目指す、目標を持つってどういう事なのでしょう。

                   *  

 目標なんてね、結局ただの寄り道に過ぎないんだよ。峠の団子屋だよ。ハハハ……。 

 激しいせみしぐれの中、公園の木陰のベンチにチンドン屋さんが3人で休憩していました。公園で今日行われるはずだったイベントが中止になったのを知らされずに来てしまったと言っています。てんでに持っているのは公園入口の自販機でさっき買ったばかりだと思われる、まだ冷たそうな、たくさん水滴の付いたペットボトルの麦茶。600ccの少し大きいタイプです。座長と思われる恵比寿様の表面には大袈裟なしわの影と汗の粒が点々と浮いています。 

 来月、君らの給料すら覚束ないというところだよ。払えないかもしれない。 

 残りの二人は黙っている。一人は黒襟の町娘風、クラリネットを膝の上に持っている。もう一人は瓦版屋風、手ぬぐいを頭にのせてチンドン太鼓を前に抱えている。 

 君ら、まだ若いんだしさ、やめてもいいんだよ。生きるってのはね、そりゃあもう残酷な作業ですよ。そう、生きるって作業なんだよ。 

 やめませんよ! 

 クラリネットを持った町娘が言いました。 

 私やめません。やっと見つけられそうなんです。 

 娘の広めのおでこにも、汗の球が光って見えます。 

 子供の頃はお姫様になるのが夢でした。でも両親が離婚した瞬間に、私はお姫様ではなくなりました。でもどうしても自分をもっと素敵にしたくて、好きになりたくて、地下アイドルもやりました、舞台女優も、風俗嬢もやりました。でも全然好きになれなかった。むしろどんどん嫌いになった。ずっと人前が嫌いで、人と話すのが嫌いで……。 

 『ふん、実力もないくせに目立とうと思って』何をやってもすぐにそんな言葉が聞こえてくるんです。誰かに言われるんじゃなくて、自分の中から聞こえるんです。生きる事はなんですか? 目立とうとする事ですか? 自分を好きになるために努力する事は、目立とうとする事なんですか? 

 そう言うと娘は立ち上がり、クラリネットで『美しき天然』を吹き始めました。はげしいせみしぐれが一瞬にしてクラリネットの旋律を包みます。新しい蝉しぐれの誕生です! 新しい公園の誕生です! 新しい地球の、新しい宇宙の誕生です! 娘は嬉々として『美しき天然』を吹いています。 

 これは、素晴らしい! 私は本当にそう思いました。娘の着物の和柄とクラリネットの音色が、まるで針と糸の様に、空間を見る見るうちに刺繍していくようでした。 

 娘もきっと今、旋律そのものになっているのでしょう。 

 あの瞬間だけは本当に、命も金も、どこにもない様に見えたんです!

 しかしなんて暑い日なんでしょう! このまま吹き続けると、娘はきっと熱中症で倒れてしまいます。もう白粉のない首の辺りが真っ赤です。 

 君のクラリネットの腕はホンモノだ。 

 チンドン太鼓を抱えた瓦版屋の男がそう言いました。 

 とてもにわかに覚えたとは思えないよ。ウィーンフィルにだって君ほどの奏者はいないよ。君はクラリネットを吹くべきだ。 

 あなたこそ! 今度は娘が瓦版屋に向かって言います。 

 あなたのチンドン太鼓こそ、軽い響きの中にもしっかりと粘りのあるグルーヴがあって、レッチリのチャドスミスよりもパワフルで、エルヴィンジョーンズよりも流麗だわ。 

 そして座長! 

 二人は声を合わせました。 

 ん? なんだ?  

 あなたの声は、誰よりも何よりも人の心を温めます。真夏の太陽の様です。それは言葉の分からない外国の人の心をも温めるんです。 

 あ、あぁ、そうかい。それは、どうもありがとう。 

 僕らはまさに奇跡の3人なんです。給料なんかどうでもいい。座長、今、幾らあります? 

  幾らもないけど、どうするんだ? 

  今から僕ら3人で南半球に行きませんか? 

  南半球?行って、どうする? 

 僕らがやれる事は一つです。真冬の南半球に行って、真夏みたいに温めてやるんです! 

 私は自分が汗まみれな事に気付きました。だってかれこれ10分近くも、こんなやり取りを炎天下で聞いているのですから。 

 ん~、まあともかくだ。飯にしよう! 

 そう言うと座長は立ち上がりました。 

 そこにリンガーハットがあったから、そこに行こう。 

 メタセコイヤの並木をリンガーハットに向かって歩いていく3人の後姿を私は見送りました。 

 3人は南半球に行くんでしょうかね。でも……、 

 一瞬の熱情って、素敵ですね。 

 パッと燃える炎って、綺麗ですね。 

 10分でひと夏を過ごしたような気分になりました。

金と命がほぼ同価値な世の中でこそ、何が一番大切なのか考えてみる。 

  とりあえず、有給じゃないな……。