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『いきてるきがする。』《第2部・秋》


《第二部・秋》

もくじ



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第11章(上海からの客)

 いつの間にこんなに秋になったのでしょう。庭からコオロギの声が聞こえてきます。それは私がこの夏、畑にしてしまおうか、と考えていた辺りから聞こえてくるんです。もし私が本当に庭を畑にしていたならば今彼らはいません。きっと土ごと、卵ごと掘り起こされて日の光に曝されて死んでいたでしょうね。彼らは今、当然のように鳴いていますが、本当なら私の有言不実行に感謝すべきです。まあ、私自身がそうであるように、彼らだって鳴きたくて鳴いているのかどうかはわかりませんけど……。

 猫のとのまについて。 

 あれ以来、二人からは何の連絡もありません。私も毎日、店を覗いては見るんですが特に変った様子もありません。 もし仮に私が2人にとのまの様子を尋ねたとしても、きっと2人は、は? という不思議な顔をするだけでしょう。

 とのまは死んだのでしょうか。もしそんな事があったならば、今の私はとても悲しんでいるはずです。それともそれはもう遠い過去の出来事で、あぁ、そんな猫もいたっけね、となるのでしょうか。

 今が永遠に続く。これは不思議でも特殊な出来事でもないんです。どなたの身の上にも普通に起きている当たり前の事なんです。一瞬の後には、とのまなんて猫の記憶は一切なくなっているかもしれないし、その代わりに大きな犬を飼っているかもしれない。トラックごと高速道路で潰れてぼんやりと救急車の音を聞いているかもしれないし、妻とは別の人と結婚して息子とは別の子供を授かっているかもしれない。血の付いた包丁を持って白昼の繁華街で立ち尽くしているかもしれない。

  あらゆる可能性がすべて同時に進行している状況を『今』と呼ぶ事にすると、時間軸は太く、あらゆる悲しみはその中であらゆる喜びによって相殺され生まれた喜びさえ、生まれた死んだ悲しみによって完全に相殺されている状態にあると言えるのかもしれない。だから何があったところで焦っても仕方がありません。焦りようもありません。とにかくジッとしている分には、今後金輪際、何も起きないのです。

  昨日、中国人のお客さんがみえたんです。 

 その方は男性で、日本人の女性と結婚してずっと日本に住んでいらっしゃるそうで日本語はペラペラでした。そしてこれは日本に長く住んでいる外国人にはありがちなんですが、私よりもずっと日本に詳しく、私よりずっと丁寧で綺麗な日本語を話されるのです。 

 その人は私の店を、綺麗だ、お洒落で、とても落ち着く、と仰ってくれました。今の子は、小さな声で、謝謝(シェーシェー)、と言いましたが、その方の、お、発音がいいですね!という日本語があまりに流暢なので黙ってしまいました。

 その方は最近近所に引っ越してきたばかりで、今お気に入りの場所を探して街を散策しているんだと言います。見るからに上品で、きっと大きな会社の役員か、そうでなければ大資産家の御曹司といった雰囲気で、私は、今日こそは何か買っていただけるかもしれないと、そんな事ばかり考えて、少し上の空でその方の話を聞いていたような気もします。 

 Tシャツを見て、ずいぶん乱暴な日本語が書かれていますねぇ、と、その人は笑いました。そこにはジョニーロットンの言葉『世の中間にも変わんねーよ!』と書かれたTシャツが掛かっていました。私は、えぇ、そういう言葉を、若い人は好むんです、と返答をしたんです。 

 するとその人は、

 そうですね、若い人は血気盛んですから。常に新しいモノを欲しがって、古いモノを壊したがるものです。しかしそれもほどほどにしないと、若い人の情熱は彼らが思うよりもずっと不安定で扱いにくいモノですから。だからお酒を飲んだぐらいの事でむやみに悪い言葉を吐いてはいけません。それがきっかけで国を滅ぼすこともあります。戦争と平和は、決して対の概念ではないのです。平和なんてただの口約束です。戦争という海原に浮かんだ小舟のようなモノです。上海だって、今はあんなに栄えていますが、一つ利害がこじれたら、いつどうなる事か……。 

 そう仰ったんです。

 上海のご出身ですか? わたしがそう訊ねるとその人は、はい、と言って笑いました。上海の大学を出て、留学生として日本に来て、そのまま住み着いてしまいました、と。 

 この人はいったいいつの上海からお見えになっているんだろうと思いました。ここには、『今』という厳密な時間はありませんから、平成、令和の様に、中国人イコール『成金のお金持ち』、『爆買い!』とは繋がらないんです。 

 日本は、どうですか? 私はまたそんなくだらない質問をしてしまいました。これだけ日本語が流暢なのだから、もう何十年も日本で暮らしていられるに決まっています。その人は、 

 今は素敵です。だから今のうちにその素敵な日本という国をよく見ておかないと、おそらくほどなく、見られなくなる気がします、そう言ったのです。

 私はふと、この人は19世紀の上海から来たんじゃないかと思いました。 

 上海が世界都市として、一番栄えた時代といえばそれはおそらく19世紀でしょう。そしてきっとお金持ちもだくさんいた事でしょう。ただその頃の上海には繁栄と同時に、これから始まる世界大戦を予感させる、どこか常軌を逸したきな臭さが漂っていたに違いありません。 

 子供が成人すれば、私は家族を日本において上海に帰ります。それが一番いいと思っています。私は日本が大好きだから、日本人にはなりたくないんです。その方はそう言いました。  私はこの言葉を、 お互いの国の人間としての責任を、お互いに果たしましょうという意味だと解釈しました。

 だからどうか、日本が中国と大喧嘩をしないように、それだけを願います

 だが残念ですがそうはいきませんでした。満州事変、盧溝橋事件を機に加速していく日本と中国の対立はやがて大東亜戦争へと続き、世界中を戦乱の渦に飲み込んでいったのは周知の事です。そしてその結果が、広島と長崎の原爆に繋がった。

 でもその人は、続けてこう言ったんです。 

東京オリンピックは、本当に残念でした。 

 え? 私がその人を振り返った瞬間、着信音がしました。 昔の子からです。

 店長、とのまが……。 

第12章(台風接近中)

 超大型台風が沖縄に近づいています!

沖縄から九州にかけて、かつてないほどの大風、大雨に襲われる危険性があると、テレビでは最大級の注意を呼び掛けています。関東地方は、今はとてもよく晴れていてまだその影響はないようですが、風は少しずつ強くなっているようです。 

 洗濯物を干す妻を眺めながら私は、なんて報告すればいいのだろう……と、さっきからそればかりを考えているんです。妻が干しているのは息子の野球のユニフォーム。息子の野球の試合が毎週末の土曜日と日曜日にあるので、妻は週末のほうがむしろ忙しくしているんです。お弁当を作ったりユニフォームを洗って干したりして。 

あ、ユニフォームって一着しかないんですよ。だから連日試合だと、天気が悪いと乾かないんですね。そうなると近所のコインランドリーに持っていくしかないんです。うちの洗濯機は乾燥機能は付いていませんので。 

だから風が強くて晴れている、今日の様な天気は実に、妻にとっては味方なのかもしれませんね。 

 綺麗に日焼けした息子は、帰ってくるなりアイスクリームにむしゃぶりつきました。そして、散々野球をしてきた後なのに、アイスクリームを食べ終わるとすぐまたバットとグローブをもってどこかに遊びに行ってしまいました。在宅時間5分……。 

 元気なもんだね。と私が言うと妻は、 

 まだ、うんちでない? と言いました。 

私はドキッとして、聞こえなかったフリをしました。 

 病院では、とのまの症状は単なる胃腸炎ではなさそうだという事になり、血液検査や、エコー検査にレントゲン検査、それに栄養点滴と、おしっこを強制的に出させる点滴も、首のあたりにやりました。 

 点滴を始めるととのまの首回りやお腹周りがみるみるうちに膨らんできて、それは私の叔母の姿とそっくりでした。 

 ほら、見て。三人目が出来た! あら恥ずかしわ! 

 そんな事を言ってお道化てみせていましたが、その黄ばんだ眼と異様に膨らんだお腹は、まだ子供だった私の目にも、叔母はもう助からないんだろうなとわかるほどでした。40を待たずに、叔母は亡くなったんです。 

 だからこれも延命措置じゃないんだろうかと、私はそんな気がしてなりませんでした。 

 医者は、これでいくらか楽になってくれればいんですが、なんせまだ一歳半だから、もともと持っている病気が突然発症するなんて事も普通に考えられるんですね、まあ体質ですね。この子は内臓に何か疾患を持って生まれているのかもしれません。 そう言いました。


 とのま、逃げちゃいました……。 

 その返信はむしろ私には拍子抜けでした。

 逃げた? いつ?   

  わかりません。でも気が付いたら、いつもいる窓辺にいなくて、きっとまたどこかで日向ぼっこでもしているんだろうなぁ、って思ってたんですが、でも朝から水も全然飲んでないし、エサも全然減ってないから、なんか嫌な予感がして、それで探してみたんですけど見つからなくて、店の周りから、稲荷山公園の方まで探したんですが、いないんです。 すみません……。 

 あ、そう、じゃあ、元気になったんだね? 

 まあ、元気は元気だったんですけど、でももう年だから心配で……。

 あ、そうなの? もうとのまは、年なの? じゃあとりあえず、乗り切ってくれたんだ。 よかった……。

  私は、帰ってきたらまた連絡ちょうだい、と返信しました。


 とのまだけどさ……、 

私が言うと、妻は手を止めて私を見ました。 

 もう大丈夫だと思う。さっき、うんちしたよ。で、そのうんちの中に君が言ってた髪ゴムが入ってた。長ーいの。おそらく原因はそれだよ。 

 先生に見せたら、こんな長いのがもし腸に詰まったらそれこそ命にかかわるところだったって言ってた。危ないところだったって、でももう大丈夫だよ。すぐに元気になるよ。 

 なるべく包み隠さず、淡々と言うように心掛けたつもりでしたが、妻はやはり泣きそうな顔になりました。 

 ごめんね、とのちゃん、ごめんね。 

 そう言いながら妻は、寝ているとのまに何度も頬ずりしました。おそらく15年か、20年後、年老いたとのまは逃げてしまうんですが、それについてはまだ言わなくていいような気がしています。またすぐ戻ってくるかもしれないしね。 

 中国からのお客様は30分ほど話をして帰られました。何も買わずに……。 

  ありがとうございました。再見! 


第13章(2号店開店)

「しかしすごい雨だったね、ボロ屋だから、屋根が抜けるかと思ったよ」 

「日本が亜熱帯化している証拠だよ。100年前と比べて地球の平均気温は0.8度上昇しているんだ。問題はたった0.8度じゃない、たったの100年でだよ」 

「最近店、少し忙しくなってきたと思わない? なんかあった?」 

バタフライエフェクトって知ってる?地球のどこかで蝶々が羽ばたくと、やがてその影響が地球の裏側まで到達するって、あれ」 

「聞いたことある。じゃあ今僕らがこうして話してる事が、地球の裏側の誰かの店を大繁盛させているかもしれないという事?」 

「誰かを殺しているかもしれない」 

「考え方だね、ただの……」 

「そうだね、原因を過去にしか求めていない偏狭で間違った考え方だ。未来の結果が今なのかも知れないのにね……」 

「今こんな話をしているのは、未来にあった出来事の結果かもしれないという事? なんだか夏休みの宿題を先延ばしにしているみたいで変だね。いいのかな、僕らこんな事してて」 

「みんな同じだよ、死ぬことを先延ばしにしてに生きてるだけなんだから」 

「あ、そうか、そうだね」 


 二件目の店を出しました! 2020すらっしゅ9にオープン! 

 と言っても当然ネット上の、デザインを登録するだけのお店です。『SUZURI』という、東京・渋谷にある会社のようですね。私の大好きなバンド、『ゆらゆら帝国』とのコラボTシャツを一発で気に入って、私も出品させてもらう事にしたんです。 

 さあいよいよ本格的な秋が始まります。暑い中にも時々、涼しい風が吹いたりしています。

 秋の思い出。そういえば、あれも秋でしたね……。

 私の友人にプロボクサーがいたんです。でもボクシングだけで食べて行けるわけじゃなく、彼はカレー屋さんをやろうとしたんですね。でもランニングコストがかかるから一人では難しい。そこで彼はバーをやりたがってる友達を誘って一緒に一件の店を借りて、昼間は自分がカレー屋をやって、夜は友達がバーをやる、するとランニングコストが半分ずつで済む、という、なかなか賢いやり方で始めたんですが……、 

 バーがカレー臭い、という大問題が発生して、結局うまくいかなかったようです。商売って難しいよね、って彼は笑って言いましたね。

 それはちょうど、私が3か月間のアメリカ放浪の旅から帰ってきて、生まれて初めて外国人になって、人種や文化の違い、考え方の違いを実際に体験して、その良いところ、悪いところについて考えていた頃でした。アメリカに人種差別はもちろんあります。しかしそれは日本のアイヌ民族や、在日朝鮮人に対する人種差別みたいに陰湿に潜在化することなく、カリフォルニアの強い紫外線の様に、意識の表面からジリジリと精神の奥の奥にまで深く浸透して、堂々と生活の一部になっているような差別でした。

 2020、アメリカの白人警官によって黒人男性が殺されたことに端を発する、『black lives matter問題』覚えてますか? 日本では小さな問題でしたが、アメリカでは大問題になりましたね。それはその問題の奥深さ、解決の難しさによるモノだと思います。私にはあのデモ行進ですら、人種差別というひな形どおりの予定調和に見えましたよ。「あぁ、またやってるな」と言う感じ。本当のアメリカの人種差別は、あんな姿じゃない。

 時々こういう事をやってガス抜きをする。本当に、根本的に解決するつもりはアメリカ人の誰の中にもないんだと、そう肌で感じたのを思い出します。アメリカの場合、人種差別は日本みたいに、『臭いモノには蓋』では、差別する側にも、される側にも不都合なんです。それは1つの『power』として、両方に等しく働くように工夫されているのです。つまりそれがないともはや生きていけないほど複雑に日常生活にしみ込んだ、誰にとっても大切な人種差別なんです。そのいい例を紹介しましょう。

 アメリカにいた時、フィーリーというホームレスの黒人青年と知り合いになりました。彼の口癖は「だって俺、黒人だから、非差別民族(punished people)だから」でした。別段、悪びれた様子も拗ねた様子もありませんでした。彼は奨学金をもらって大学に通ってました。コンピュータのプログラミングを専攻していると言ってました。非差別民族を強調すれば、学費なんか簡単に免除になる。そう言って彼は普通にバーで酒を飲んでました。日本ではありえない事です。

 これはそんな妙な現実を目の当たりにして、何か違う! 何かやらなきゃ! と思っていた頃、帰国祝いと称して高田馬場で一緒に飲んでいた時の話です。 懐かしい……。


  2人を見ていると、いつも同じような事を話していますね。天気がどうしたとか、店がヒマだとか。たまに新聞に書いてあった事件事故の事などを話しているようです。この間は、戦争で死ぬのと、コロナで死ぬのはどっちがいい? 交通事故で死ぬのと、コロナで死ぬのはどっちがいい? なんて話してましたよ。

 子供同士だからでしょうか。性格も生まれた時代が全然違うはずなのに、2人はウマが合うようです。というのも、昔の子は、憎き鬼畜米英! 大日本帝国バンザイ! なんて事を決して言いませんし、今の子も、ゲームだ! ユーチューブだ! なんて言いませんから。『今』という縛りがない二人には、生きていた頃の記憶の本質だけを簡単に共有できてしまうのかもしれません。


 2000すらっしゅ8、アメリカカリフォルニア州カルバーシティーに於ける、ジェイコブ7歳とそのママ、サリーとの会話。


「ママ!おもちゃ買って!」

「ダメ!」

「じゃあ、明日買って!」


 子供は世界中どこに行っても子供。それは唯一安心できる事かも知れませんね。


 母がもうすぐ死にそうです。もうずいぶん長い間、介護生活を送っているんですが、この間、2020すらっしゅ9ですね、兄から連絡があり、もうすぐの様だよ、と。 

 母が死んだら……、いえ、母が時間の縛りから解放されたら、私はきっと、母との一番いい時期を探してそこに行ってみようと思うんですね。そして母に訊いてみるんです。

 オカン、俺が生まれて、嬉しかった? 

 私は母親とまともに会話した記憶がないんです。あまり目を合わさない人だったし、話もあまり上手な人ではありませんでした。それに加え、子供の頃の私はあまりにも病弱過ぎて、それこそ迷惑をかけたという記憶しかないんです。喘息が酷く、夜中じゅう母親に背中をさすってもらったり、クリームパンをもらったりして。兄弟が寝ている夜中に自分だけクリームパンを食べているという、空しい優越感……。 

 とにかく、もうじきいなくなる……、いいえ、時間の縛りから解放される母に訊いてみたいですね。 俺、可愛いかった? オカンが死んでも、全然悲しなかったら、どうすればいい? と。 

 昔の子の死因は餓死のようですが、今の子の死因は何でしょう。あの子はどういう理由で、時間をランダムに過ごす選択をしたんでしょう。 

 人生一度きりだよ! とプロボクサーは私に言いました。 

 好きな事やらないでどうするんだよ。それで死んでも本望だろ?ウジウジ生きてるよりもさ、スパッとやって、スパッと終わろうぜ。12ラウンドをさ! 

 って、アスリート独特のさばさばとした口調で彼は言いました。確かにね、確かに人生は一度きりです。でもそれは終わるという意味の一度きりじゃない気がするんです。 

 有漏路より無漏路に帰る一休み、雨降らば降れ、風吹かば吹け 

 これもつまり、ずっと続くという事ですよね。 

 母ももうじき時間をランダムに過ごす存在になるでしょう。そうしたらむしろ私は、今までの様に、年に一度しか顔を見せない、遠い関東で過ごす、親不孝なバーチャルバカ息子から、もう少し近い存在になれる気がするんですよね。 そして母も、息子が生まれた時のように嬉しそうな顔で、いつかこの店にも来てくれるかもしれません。

 以上、2020すらっしゅ9から報告でした。 


第14章(急な来客)

昨日、トラックをぶつけちゃいました。新宿区にある小さな公園のそばにある現場に納品して、そのままバックで切り返そうとした時、公園の入り口にある柵のようなモノにね、ゴツンって……。ウインカーを破損ちゃいしましたよ。当然、自腹で修理です。また余計なお金が掛かる……。

 でも人じゃなくて良かったです。ぶつける少し前、公園脇の歩道を同じ色の帽子をかぶった幼稚園児がたくさん歩いていたんです。あー、トラックだ! フォークリフトもある! なんて言いながら。もしあの子らを傷つけたり殺したりしてたらもう、ここも終わり。そんな事があった後まで、私の気力も想像力は持ちませんから。 

 いろいろデザインしたTシャツも、マグカップも、お弁当もパンも観葉植物も金魚も、太陽も、風も、道祖神の二人も全部。すべてがパッと消える。空の上から真っ黒い大きなシャッターがガラガラと下りてきてピシャっと閉まって、それでおしまい。 

 そう思うと、私の宇宙ははいかにも弱々しいですね。まあ、そんな事にならないように十分気を付けますよ。 

 さて私は、雨が降り出す前にトラックの修理代を下ろしに銀行まで行ってきます。最寄りの駅のキャッシュディスペンサーが確か午前中から使えたはずなのでそこへ。 

 その途中、ちょっと店に寄ってみようかと思ってます。なに、その気になればパソコンからじゃなくても歩いても行けるんです。玄関の隅から続いている、ほら、いつか私が逃げ込んだ穴を少し歩くと、茂みの間から見えてくる信号がもう笠原町の交差点なんですよ。そのまま行くと道は入間の方まで続いています。 

 入間には航空自衛隊の基地があり、毎年秋に航空ショーが開催され、全国からたくさんの航空ファンが集まって賑わいます。私も息子が小さい頃、一度行った事があるのですが、ブルーインパルスの迫力には圧倒されました。 

 超低空を背面飛行で飛び去って行くジェット機の勢いに思わず首をすくめてしまいましたよ。見ている人達はみんな大喝采。お父さんに肩車された小さな男の子も、小さな手をたたいて喜んでいました。高い技術を誇る航空自衛隊のパイロット。しかし、その入間飛行場から飛び立った練習機が墜落する事故があったんです。 

 1999年11月22日13時42分、入間基地を飛び立ったロッキード社製T-33A練習機は突然のエンジントラブルに見舞われた。 

 機体はそのまま降下し続け、入間川沿いのゴルフクラブの敷地内に墜落した。搭乗していた二人のパイロットは命を落とした。 

 事故は当初、練習機という事もあり経験の浅いパイロットによる操縦ミスが原因と思われ、自衛隊の訓練に対する批判の声も出たが、搭乗していた2人のパイロットはいずれも飛行時間5000時間を超える超ベテランパイロットで、その後のパイロットと管制官との通話記録から、事故の原因はエンジントラブルによるもので、パイロットは市街地に墜落することを避けるため、操縦がままならない機体を出来るだけ人気の少ない入間川沿いへと向かわせたために脱出が遅れて命を落としたことがわかった。 

 事故は避けようがなかったと思います。でも避けようがなかった運命の、最後のほんの数分、いや数秒は、やはりパイロットが決めたんだと思いたいのです。無数に薬棚から、出来るだけいい棚を選ぶ。神様はきっと、人が何人死のうが一向斟酌しないはずだから、神様の慈悲はもっと全体に向いているはずだから。

 2人が死なずに済む方法はいくらでもあったと思います。そして、誰も傷つかず、飛行機すら故障しない方法も。そして現役を引退されて、趣味に没頭している年老いた二人のパイロットの姿を見ても、我々は誰一人も何の矛盾も不思議も感じなかったでしょう。

 敢えて神の結果に背くべく、禁断の棚を選んだかもしれない罪深いパイロット二人に、我々は神様以上に感謝をすべきだと思います。それを躊躇してはいけない。

 落ちていく飛行機を、2人のパイロットは見たかな、どの辺に落ちたか、見届けたかな……。あぁ、河川敷に落ちた、大災害は免れた。よかった……。そこまで、見届けたかな……。

 私のウインカーなんてハナクソ。ただの電球が切れただけです。

 私は入間の方へは向わず、途中を左に折れて線路沿いの細い未舗装の道をしばらく歩きました。その方が少し近いんです。頭の上には真っ黒い高圧線が、東京電力入間変電所に向かって何本も伸びています。どんよりとした秋の空が重く圧し掛かって今にも切れそうです。 

 蝉はもう1匹も鳴いていません、小さな子供がお母さんとボール遊びをしていますが、昨日の雨のせいでボールがドロドロです。 

 そしてこの稲荷山公園を斜に横切ればそこがいつもご覧になっているあの店なんですよ。 

 私がいきなり来たので、二人は驚いた顔をしました。あぁ、おはようございます、そんな挨拶ができるのは昔の子の方です。今の子はちょっと頭を下げただけです。 

 この前はいなかった猫が窓辺に帰ってきてますが、二人からはあれ以来、何の連絡もありませんから、年老いた猫はちゃんと戻ってきたのかどうかはまだわかりません。

昨日は? どうだった? 誰か来た? なんか売れた?

 昔の子は、何も売れませんでした。午後に女性が3人みえただけです。そう言いました。 

あぁ、上出来上出来。 私はそう言って笑いながら今の子の方をチラッと見た時、今の子はすぐに目を逸らしてしまいました。それはいつもの事なんですが、その時は何だか、いつも以上におどおどしているように見えたので、私は何かあったのかなと、今思えばそう感じたと思います。 

 その夜、私はパソコンで、今月の来客数、新規ビジター数、直帰率、平均滞在時間などを確認して目標達成率の低さに愕然としていました。普段はあまり夜更かしはしないのですが、その夜はなぜか、今後の店の在り方や、方向性が気になって、いろいろ考えているうちについ夜更かしをしていたのです。眠る前にちょっと店を覗いてみました。女性が3人来店中でした。きっと昔の子が言っていた3人に違いありません。

 何も買ってくれない事がわかっていたので、私はそのままパソコンの電源を切ろうとした時、若い女性の声が聞こえたんです。 

お兄ちゃん、一緒に帰ろうよ。 

 お兄ちゃん? 私は液晶画面を覗き込みました。昔の子ととのまの姿はなく、店には今の子と、親子と思しき女性が3人、あとはただ風鈴だけがチリチリと揺れていました。 


第15章(皇極法師)

 晴れたかと思ったら今はドンヨリとした雲が垂れ込めてます。多分もうすぐ雨が降り出すでしょう。秋はそういう季節だと思います。風は今のところ……、ないようですね。でも遠くの雲は速いです。目の前で道が分岐しているのを感じます。降ろうか、降るまいか……。

 トラックの修理代は1万円で済みました。1万円でと言っても1万円は1万円ですけどね……。 

 最近寝不足が続いているんです。トラックをぶつけてから、今の在り方、今後の在り方について考えることが多くなって、気が付くと夜が遅くなってしまっているんです。 

 そしてこれも秋の魔力でしょうか。自分はいつどうなってしまうかわからない不安定な生活を家族に強いている、そんな不安がどうしても拭い切れないのです。親の仕事って子供の心の在り方に大きな影響を与えますもんね。

 私の友人で宅配便のドライバーがいるんですが、彼は職場が遠い事もあって朝は毎朝5時前に出勤して、帰宅するのは22時半という生活を続けているんです。だから朝出掛ける時には子供はまだ寝ていて、夜帰宅すると子供はもう寝ているそうです。日曜日の夜、子供は寝る時にこう言うそうです。 

 おやすみなさいパパ、また来週、って。 

 切ない一言です。彼は笑って言いますが本心から笑ってはいないと思います。

 また別の友人の話ですが、彼はこの度、27年間勤めた会社を辞めて転職したんです。新たなスタートを切ったんです。すげぇな! と思いましたが同時に、なんてわがままな! って思いました。

 それはもちろん、家族の今後を考えての事に決まってます。私はもちろん、彼を応援します。考えてみれば、自分だって同じような事を家族に強いている。申し訳なく思ってもそれでも誠意あるわがままは避けられないと思ってます。人生は不利な判断をすべて避けては過ごせません。パンチを避けてばかりじゃ、相手はいつまで経っても倒れてくれませんからね。大丈夫、絶対成功する。私はそう確信している。頑張れ!斎藤。 

 明日からはまたちゃんと9時には寝ようと思ってます。 

  中年の女性は静かに言いました。 

  お願いだからもう帰ってきて。お父さんもね、もう怒ってないから。

今の子をお兄ちゃんと呼ぶこの3人はどうやら今の子の家族のようです。では若い2人の女の子は今の子の姉妹でしょうか。

 何でここがわかったの? と、今の子は小さな声で言いました。 

 御祈祷を受けたの、あなたも知ってるでしょ? 皇極法師にね、そうしたら、まだいる、ここにいるってね、そうおっしゃったの。 

 僕を連れ戻そうったってそうはいかないよ。これは僕が初めて自分で決めた事なんだ。 

 今の子は、さっきよりやや大きな声で言いました。 

 お願い、わがまま言わないで。中年女性は優しく言いました。 

 わがまま? だって僕、ずっといい子だったよ。ずっと、いい子だったでしょ。 

  そう、あなたは私の最高の息子よ。今も、これからも。 

 何かあったようですね。しかしまあどこの家庭にも、年ごろの子供がいるところは、何かしらあるのが普通かと思います。それに他人がとやかく 口を挟むのはおせっかいですし、それで解決するような事でもないと思います。私は再び、パソコンのスイッチを切ろうとしたんですが……。

 ウソだ!助けてくれなかったじゃないか!

 今の子は突然叫んだんです。それは思わずヘッドホンを跳ね除けてしまうほどの大きな声でした。

 全部全部、おまえが悪い、長男のお前がしっかりしてないからダメなんだ、お前のせいで、私は恥をかいたって。僕が、何を言っても全然ダメだったじゃないか。 

 お兄ちゃんってそういうモノなの。どこの家だって同じなの。それは家族の一員として、お父さんもお母さんもあなたを頼りにしているからなの。 

 ウソだ! 家のお金がなくなった時、一番初めに僕を疑ったのはパパじゃないか! 一番ガッカリしてたのはママじゃないか!

 あなたは私の最高の息子よ。今も、これからも。 

 最高なもんか! 僕は最低の息子だよ! 友達に嫌われないように家のお金を盗んで渡してたんだ、家族の恥さらしの最低の息子だよ。 

 あなたは私の最高の息子よ。今も、これからも。 

 妹のお風呂の写真を盗み撮りして友達に渡してた、母さんの宝石を盗んで売った、駐車場の車をパンクさせたのも僕だ。近所のボヤ騒ぎも僕だ。夜中じゅうシャワーを出しっ放しにしてたのも僕だ。学校の壁に卑猥な落書きをしたのも僕だ。公園で子猫を焼き殺したのも僕だ。学校の池に石灰を撒いて鯉を全滅させたのも僕だ。  全部僕だ! 僕がやったんだ! それでいいんだろ!

 あなたは私の最高の息子よ。今も、これからも。 

 僕はね、ママ、ちゃんと叱って欲しかったんだよ。悪い事をしたら、ちゃんと目を見て叱って欲しかったんだ。僕だってやりたくなかった。でも、やらないと仲間外れになる。僕にはわかるんだ、自分がたった1人っきりだって事が、ハッキリわかるんだよ。僕はいつからそうなの? 何がきっかけで、こんなに1人っきりになったの? 教えてよ。助けてよ。 

 あなたは私の最高の息子よ。今も、これからも。 

 パパとママだけにはガッカリしてほしくなかった。僕を諦めないでほしかった。信じていてほしかったんだ。そして お前はそんなバカな子じゃない!って言って、僕がなぜそんな事をしたのか、ちゃんと理由を聞いてほしかったんだよ。もっと僕に興味を持ってほしかった。結果なんてどうでもいいじゃん。子猫も鯉も、もう生き返らないよ。僕だって……。

  

  ママ、このマグカップ可愛い、欲しい。 1人の女の子が言いました。

  後にしなさい。しかし中年女性はにべもなくそう言いました。 

 とにかくね、パパももう許すって言ってるから……。 

 何を許すんだ! 僕は何を許されなきゃいけないんだ! 

 それはおそらく私が今まで聞いた今の子の声で、1番の大きな声だったと思います。 

 何を? 許す? ですって? 

 しかしその一言で、これまで優しかった女性の眼付が急に変わりました。そして睨むように、自分よりも少し背の高い今の子を睨め上げました。 

 あんた、わかってんの? 時間がないのよ、知ってるでしょ? 皇極法師はめちゃくちゃ高いのよ。30分で30万円もするの。中学に入って、あんたが急に変になって、頭がおかしいんじゃないかって病院でカウンセリングを受けたけど異常が見つからなくて、じゃあどうしようかって途方に暮れていたところに声をかけてくれたのが皇極法師なのよ。そうしたらあなたは、法師から逃げるようにサッサと死んだわ。 ママわかってる、逃げたんでしょ? 法師が怖くて、逃げたんでしょ! それが家族にとって一番悲しくて、一番困る事だってわかってて、あなたはわざとそうしたのよ。違う? 

 あの爺さんが、僕に言ったんだよ。お前は1人だって。お前には守護霊がいない。これから先も、お前は、未来永劫、たった一人なんだって。


 昔の子が大きな袋を抱えて帰ってきました。どうやら妻の焼いたパンを取りに行ってたようです。もう少し持ちやすい袋に入れてやればいいのに……。

いらっしゃいませ! と言う昔の子の埒外な声に女性は、

 こんにちは、素敵な店ですね。

 と、まるで仮面をくるっと裏返すように笑ってそう言いました。 

「ありがとうございます。どうぞ、ごゆっくり」 

「ううん、もう帰るところなの。楽しかったわ」 

「え! ママ、マグカップは?」 

「また今度ね。きっとまた来る事になるから」

「え~、じゃあついてきた意味ないじゃん!日曜日損した~!」


  気付くと時計は0時を回っていました。結局私はまた夜更かしをしてしまいました。 

  そして今、パソコンを閉じながら思うんです。 

皇極法師……。

 あの家族は、もともと何か問題を抱えていた。 父親が原因か、母親が原因か、娘たちが原因か、或いは少年が原因か。それはわからない。とにかく、

 そんなバラバラになりそうな家族の結束を保つために、この皇極法師と言う偉そうな名前をかたる祈祷師はそのスケープゴートとして少年を選んだ。 

 少年は突然背負わされた運命に翻弄されたまま命を絶ったのだと思います。それは皇極法師の思惑通りだった。それまでは家族と楽しい時間を過ごしていた少年は、突然たった1人きりの天涯孤独な少年に仕立て上げられてしまった。 

しかし、何のために?


 子供に対する虐待が後を絶ちません。実の親から虐待を受け、幼い命を落とす子供たち。周囲からはじかれて、自殺に追い込まれる子供たち。 

 彼らは何のために生まれてきたんでしょう。もし運命なんてモノが前もってあるのならば、その運命が初めから天寿を全うすることになってないとすれば、この子たちはやはり、虐待され、殺されるために生まれてきた事になるんでしょうか。

 いいえ絶対に違います。


 私はね、皇極法師みたいなペテン師が大嫌いなんですよ。見た目は一つの家族に救いの手を差し伸べている様に見えるかもしれない。しかしこの男はそんな自分の手柄のために1人の罪のない少年を生贄にしたんです。世のため人のため、そんな事を考えるのはペテン師の証拠です。なにをなにを、すべては自分のためです。世も人も、すべて自分の手柄の材料にしようとしているんです。そして独り占めしたそれを蜘蛛のように少しずつ溶かしながらペロリペロリと舐めているんです。

 子供が生まれた瞬間から、親は夢を見始めるんだと思うんです。それこそ何十年も続く長い夢を。 

 その夢こそが子供の住処なんです。子供自ら自分の人生を夢見る事なんか出来ないんです。だから親は、子供が安心して住めるような夢から決して目覚めてはいけないんです。そしてその夢を、出来るだけ豊かに想像してあげなければならないんです。 

 トラックの運転手は大切な仕事です。でも常に危険が伴います。だから私は出来るだけ悪い夢を見ないように、そして妙な世界に息子を住ませない様に気を付けて、この秋からも、とりあえずもうしばらくはこの仕事を続けようと思ってますよ。 

 あ、とうとう雨が降ってきました。涙みたいに、控えめで切ない雨です。

 コロナがまだまだ心配です。なんともおしとやかな年末を迎えそうです。 

 以上、2020すらっしゅ9から報告でした。 


第16章(エキストラ)

 

 庭が草茫々になってます。夏に妻と二人で汗だくになってやった草むしりが、すっかり元の木阿弥です。でもこの繰り返しがすなわち自然のリズムなんだと思って諦めて眺めることにしました。でもそう思って見ると……、 

 全然見苦しくないんですね。雑草ったって価値がないわけじゃない。価値がない草がそんなに茫々と生えるわけがない。 

 その証拠に、雑草の中からは、虫のいい声が聞こえてますよ。

 昨夜は久々湯船に浸かりました。そのせいか久々に良く寝られた気がします。そして明け方、とろとろ葛湯に浮かんでいるような夢を見ているとネコがやって来るんです。やって来て起こしてくれるんですが、その起こし方が最近少々乱暴になって、あご髭をね、抜くんですよ。毛抜きの様に器用に噛んで、プチっと。 

 いっぺんに目が覚めます。うまい方法を編み出したもんです。 


 昨日はアメリカからのお客さんがあったようです。どんな人だったと訊くと、細くて背の高い、目の青い、栗色の巻き毛の男性だったと言います。カリフォルニアから来たというその男性は、日本に興味があるといい、店の中を何枚も写真にとって、ひとしきりいろんなモノを手にとって何も買わずに帰ったそうです。 

 そうか、何も買わずにね……。 

 はい、何も買わずに……。 

 今の子はあの日以来、何か吹っ切れた様に明るくなりました。以前なら、生き物が苦手だ、と言っては昔の子に任せっきりだった金魚の水槽の手入れも率先してやってくれるようになりました。金魚を掬おうと網を持って身構えている、その内気な白い肌が、窓辺の日の光を受けて生き生きと光って見えます。 

 ママがすごく泣いてた。でももう、何も言う事が出来なくて……。 

 以前昔の子に、最後に覚えている事は何かと訊かれて、今の子はそう答えています。瀕死の我が子に必死で呼びかける母親の泣き叫ぶ痛々しい姿が想像されます。 今の子はやはり、自殺したのでしょうか。


 アメリカからのお客様は、店にあったザルを頭にかぶって、これはベトコンの帽子だろ? と言って傘でマシンガンを撃つ真似をして見せたと言います。昔の子はとても不愉快だったと言いました。私もその話を不愉快に聞きました。 

 以前、渋谷のスクランブルを生の魚を持って、おーい!誰か刺身を喰いたい奴はいるか? なんて叫びながら信号待ちをしているタクシーのボンネットの上にその生の魚を置き去りにするアメリカ人の動画を見たことがあります。それもとても不愉快でした。 

 アメリカ人が喜ぶ事の特徴として、後先を考えずにその場限りの無茶な事をやって平気な顔をしている、という要素があるようです。 後の事なんか知らねーよ。と肩をすくめて片口で笑うようなあの態度です。私はそういう無責任と豪胆を混同した態度が大嫌いなんです。アメリカ人がみんな大好きなパイ投げなどは、子供の頃から本当に不愉快でした。

 食べ物を無駄にして、部屋を汚して何が面白い? いったい誰が掃除するんだろう。と思ってました。

あ!そうか、きっと黒人奴隷がやるんだろうな。

 なんなんでしょうね。ルールを無視する事がそんなに痛快なんでしょうかね。

ところが、なんと!

 その人はそんな動画で、アメリカのみならず世界中から喜ばれて、年間億円の金を稼ぐらしいです。なんと、世の中から価値を認められているんです。まったく信じられません。 全く信じられませんが、大したもんです。

 こういうおかしな人に共感するおかしな人が世界中にたくさんいるという事が証明されましたね。でもほとんどのおかしな人は、自分がおかしな人だとは考えないようです。自分は飽くまで、おかしな人を笑っている普通の人だと、そう思っているんです。でもいいでしょうか。

 おかしな人を笑う人がいるから、おかしな人がいるんです。

 半分半分なんですよ。つまりほとんどのおかしな人は、自分がおかしな人だとは気付いていない、認めないのです。認めたとしたら、それはおかしな人ではありません。ただのウソツキです。それは裏返すとつまり、もし自分がそうであっても全く気付く術がないという事です。

 だから私は今とても慎重に、且つとても真面目に考えている事があるのです。 

例えば、

 自ら命を絶った我が子にしがみついて、半狂乱で名前を呼んでいる母親がいるとします。しかし同時に母親は、自分はいつまそうしているのか、とも考えています。

この時、この母親は本当は何をやっているのでしょう。

 いくら悲しくても、まさかこのまま10年も20年も泣き続けているとは、さすがに思ってないでしょう。この矛盾、不自然さには、慣れるまでには長い時間を要します。だからそれに足りるに十分な時間だけ、母親は自分を『今』からなるべく遠くに置こうとするんです。

 自分はいつまでこうしているのか。悲しみなど早く終わらせて、また普通に過ごしたい。本当に願っているのはそれです。それならば自分を遠くに置けばいいんじゃないか。今のこの悲しみは、そんな短絡的でわがままな事をやった自分自身の割を自分自身が食ってるんです。あの時、早く泣き止もう、と思った自分です。そして当の本人はもうはるか未来で、何事もなかったようにのほほんと暮らしているんですよ。ひどい事をしたモノですね。でもそれをやったのも自分です。

 しかしそれは時間が前に進む事を前提にした場合、とても安全で正しい考え方とされています。癒えない悲しみはない。止まない雨はない、なんていう事には本来、何の根拠ものないのです。 気付いてます? 時間は空間と一緒に無辺際にあらゆる方向に向かって広がっているのですよ。 そしてそのすべてを『今』とよぶのですよ。

悲しみはもう、とうに癒えているんです。

 このあいだみえたあの3人は、君のご家族かい? 

 私は今の子にそう訊きました。今の子はやっと1匹目の金魚を掬ったところでした。 

 いいえ、 

 今の子は言いました。 

 え? 違うの? じゃあどういう知り合い? 

 そう訊ねると今の子は、う~ん……、と言って考え込んでしまったんです。 

 しいて言えば……、 

 そして今の子はとんでもない事を言ったんです。 

 エキストラさんです。 

 エキストラ……? 

 私はきっと要領を得ずぽかんとしたのでしょう。 今の子は 可笑しそうに笑いながら言いました。 

 あれはきっと僕が、ママがこうあって欲しいなぁこう言ってくれたらいいのになぁ、と思ったママと妹たちです。僕は今でも誰にも邪魔されずに入間市の某所で普通に平和に暮らしていますよ。ただ僕だけにはその事が理解されなかった。誰が悪いって、そんなの僕にはわからない。だって気付かない事に、どうやって気を遣えばいいんですか?でしょ?だから僕がそこにいる事だけがある日突然、間違っていて、それ以外は何も悪くない。間違っていない。という事になったんです。誰もそれに気付くのは無理だったんです。それはもう、仕方がない事だったんです。それでも僕は最後の最後までSOSを発信し続けてた。

助けて! 助けて! 僕をここから連れ出して! 誰か気付いて! って。

でも、結局誰も来てはくれなかったし、そばに居てもくれなかった……。 

 というね、想定の、エキストラさんです。そして僕は思い切り文句を言うんです。なぜ、僕ばっかりこんな目に合うんだ! なぜ誰もそばに居てくれなかったんだ! ってね。そうしたらスッキリするんですよ。あぁ、自分はこんなにも正当な理由で死んだんだって事に出来るでしょ、だから。 

 ちょ、ちょっと待ってよ。じゃああれは、芝居? 

  そう訊ねると今の子は、う~ん、とまた考え込んでしまいました。 

 芝居……、じゃないけど、でも実際でもない。そういう意味では、芝居かも。でも、そんなの芝居だって言ってたら、この店だって芝居でしょ。そんな事を言い出したら何も始まらない。宇宙も始まらない。ビッグバンだってただの仮説でしょ。こうだったらいいなぁという、虚構、つまり芝居と同じです。だから実際じゃないけど、決して芝居じゃない。

 なるほどね。現に君は私の店で毎日こうして働いていてくれるけど、本当は群馬県吾妻郡長野原町の諏訪神社の鳥居の脇に鎮座する道祖神様なんだしね。それを子供扱いにして、自分のネットショップの店員にしたのは、他でもない私なんだしね。 

 そういう意味では、僕と昔の子は店長のエキストラって事でしょ。 

 そうか、そうだね。私は素直にそう思い頷きました。

  その時、昔の子が店に入ってきました。大きな袋には妻が焼いたと思しきパンがいっぱいに入っています。もうちょっと持ちやすい袋に入れてやればいいのに……。

 昔の子は私を見るなり、あ、そうだ、そういえばあのアメリカの変なお客さん、店長にって、メイシを置いていきましたよ。

 そう言ったのです。

第17章(名刺)

 あぁ、今年は本当にのっぺりしてるなぁ……、そんなため息が出ます。我慢を強いられただけで、一向に我慢した手応えがない。そんな1年ももう7割ぐらい過ごした事になりますね。もうあと3割、こうなったら何か素敵な事があるより何事もなく終わって欲しい。 

 今年も雪が降るのかな……、ドライバーにとって積雪ほど怖いモノはありませんからね。降っても、ちょっとだけにして欲しい。 

 あ、雪と言えばこんな話、ご存じですか? 

*カマキリの卵の話* 


 ある雪深い地方では、カマキリがどこに卵を産み付けるかで、その年の積雪の量がわかるというのです。つまり、その位置が高ければ、その年の積雪の量は多い、低ければ、少ない、という。 

 本当ならカマキリってすごい! 

 科学みたいに確固としたロジックがある訳じゃない。まるで見たまんま。そうだからそう、というね、お淑やかなゴリ押し。 

 いや、待てよ。ひょっとして、カマキリがその年の積雪量を決めているのかもしれない。

 そんな考えもアリです。どんなゴリ押しも、お淑やかにすればそれなりに受け入れられるモノです。 世界は思うより優しいのです。

 メイシ? 

 よく聞き取れなかったんですけど、なんか、メイシー、メイシ―、って。『名刺』のつもりですかね。

 名刺か! おおかた日本人を揶揄したメリケンジョークのつもりだろう。なんか盗まれてないかよく見といて。

 そうです、私はアメリカがあまり好きじゃないんです。 

 あんなに横暴な国も他にないでしょう。原子爆弾を落とした理由も不誠実で言い訳がましくて噓に満ちているし、何事もとにかく自分だけが正しくて、自分の都合だけが優先されるのが当然で、自分の考えを理解しない奴は悪で、悪は死んでもいいと思っている。 外国の大統領を捕まえてきて自分の国の法律で裁いて死刑にしたのはアメリカぐらいでしょ。

 どうやってああいうみっともない考えが出来上がったんでしょう。アメリカ建国の理念って、なんでしたっけ? 

 多分『自由』とか『平等』とか言ってるんでしょうけど、まるで噴飯物です。 

 今世界の平和を脅かしている原因の一つは間違いなくアメリカですからね。  


 じゃあ、捨てちゃいますか?

 あ!ちょっと待って! 

  昔の子が手に持っているそれは名刺というには大きく葉書ほどもありました。そして私はそれに、ちょっと見覚えがあったのです。

 ちょっと見せて……。そこにはやはり、私の知っている名前があったのです。 

 ジェイソン ヒル。

きっとアメリカにはよくある名前でしょう。私は以下の事を書く前に、あらかじめにネットで調べてみました。するとアメリカンフットボールの選手がいました。音楽家にもいました。でもこれから話すジェイソン ヒルはもちろん彼らの事ではありません。 

 私の言うジェイソン ヒルは私がアメリカにいた時に知り合ったユダヤ系アメリカ人の事です。彼は私と会うなり、俺はニューヨーカーだ、と言いました。おそらく、日本人はニューヨーカーと言えば一目置くだろうという、ジェイソンの甘い憶測があったのでしょうl。その狡そうなギラギラとした青い目の内を私は一瞬で見抜き、敢えて へぇ、と軽く受け流したんです。すると案の定……、 

 お前、日本みたいなF●CKな国から来たくせに、俺の言う事を信用してねーのか! この腐れF●CK’N J●P!と言いました。 

 そしてその翌日、 

 ごめんな……、昨日は酔っぱらってた。何言ったか覚えてないけど悪かった。そう言って謝ってきたんです。 面倒くせぇなぁ、と思いながら私は、

 あぁ、いいよ、俺もよく覚えてない。 

 そう言うと、 

 覚えてねぇだと!?なんだよお前その態度は! 俺が謝ってやってんじゃねーかよ。J●Pのくせにマウントを捕ろうとすんじゃねーよ、お前なんかアメリカじゃあただの下等民族なんだからな、勝手に道を歩くなよ納税もしてないくせによ! 

 と、また勝手にブチ切れた上、いきなり殴りかかってきたのです。警察沙汰にしてやろうかと思ったんですが、その時バーには、コカインやLSDを持っている客が大勢いて、店と客の全員から全力で止められたんです。 

 するとジェイソンは勝ち誇ったように、ほら見たか。お前の仲間なんて、ココには一人もいないんだよ。 

と言いました。確かにそうだと思いました。 

 私は今すぐ日本に帰りたいと思いました。もう、こんな集団に迎合するのは真っ平ごめんだと。そんなの当たり前です。自分の事しか考えてない、自由も平等もクソもないただの我儘大国だ。アメリカという国は、アメリカをリスペクトすれば誰でも住んでいい国だと聞いていました。でも実際は偏狭で、差別的で、他人の事などまるで意に介さない。そしてその意に介さない事が個人主義、自己主張、意志の強さの表れで、ねじ伏せる暴力がリーダーシップだという。そんなバカな勘違いをしていないと、誰一人として自分のアイデンティーが保てない様な、実際は結びつきが脆弱で疑心暗鬼な集団だったのです。

 その結果、動物の群れ同様、声の大きな方、体の大きな方、力の強い方、金を持ってる方が優位に立つという安物集団に成り果てたのです。そしてそんな理不尽を合理的だ!と言って喜んで採用しているんですから呆れたモノです。そんなのは、我々日本人の目から見れば民族でもないし国家でもありません。ただの群れです、烏合の衆です。 

 アメリカって結局、この旗の事なんだな……。 

私は、バーの便所の横に掲げられた星条旗を見て口元の血を拭いながらそう日本語で呟いたのを覚えています。 

 それからもジェイソンは、事あるごとに体の小さな、英語の拙い独りぼっちの日本人である私をバカにして、時に脅して、殴りかかって、隙を見ては私の金を盗もうとしました。 

 当時、私は一週間150ドルという、ウクライナ系移民が経営する激安モーテルに住んでいたんですが、どういう訳かそこにもジェイソンはやって来ました。まるでストーカーです。ジェイソンは、 

 おい、腹減ったよ。バナナ買ってこいよ。 

 と言ってきました。バナナなんて1房、2ドルもしない安い食べ物だったので、面倒くさいから買って追い返してやるかと、一瞬思って慌てて首を横に振りました。私はまんまと、ジェイソンの鬱陶しさに負け、アメリカの横暴に屈するところだったんです。 

 私は知る限りの汚い英語で、お前に喰わせるバナナはねぇ! と言ってやりました。 

 するとジェイソンはいきなり私の目覚まし時計を投げつけてきたのです。目覚まし時計はガラス窓を突き破って外に飛び出しました。 

 慌てて飛んできたモーテルのオーナーにジェイソンは、このJ●Pがいきなり俺に時計を投げつけてきたんだ。警察を呼んでくれ! 

 と言ったんです。 

 しかしオーナーはモーテル経営の資格を持ってないらしく、もじもじとしただけで通報はしませんでした。そして契約書に書いてあるという事で、私に窓の修理代を請求してきました。私は英語が読めないので、仕方がなく窓の修理代を弁償したんです。その金額すら正当な価格であったかどうかわかりません。 

 もうこれ以上、ジェイソンについて、アメリカについて書くのは止めにします。これで私がアメリカを好きじゃないわけが十分わかってもらえたと思いますから。 

 ジェイソンはジェイソンでアメリカじゃないだろう、という声も聞こえてきそうですが、私にはジェイソンこそがアメリカなんです。それ以外のアメリカはジェイソンの背景に過ぎません。 

 私が日本に帰る時、ジェイソンはなぜか魚の置物をくれました。それは細工の悪い木彫りの、そして手荷物にしては邪魔なぐらいに大きなモノでした。それに手紙らしい紙切れがくっ付いていたのを、私はこの時、思い出したのです。 

 私は空港に向かうタクシーの中にその魚の置物と紙切れを置き去りにしました。どうしても一緒に飛行機に乗るのが嫌だったので。どうしても日本に連れて帰るのが嫌だったので。 

 名刺にはマリファナの匂いが染みついていました。あのバーと同じ匂いです。名刺の裏側には短い英文が書き添えられていました。 

 『帰ると聞いて驚いたよ。お前はずっとアメリカにいるんじゃなかったのか。もうアメリカには帰ってこないのか? この魚はスシじゃないぜ、くれぐれも体に気を付けて、また会おう』  

 ジェイソンが死んだ事を、私は日本の新聞で知りました。ミネソタ州で起きた白人警察官による黒人男性暴行死事件は、瞬く間に世界中に広がりました。カリフォルニアで起きた抗議行動に巻き込まれて死んだ白人男性の名前がジェイソン ヒルでした。あのジェイソン ヒルかどうかは、わかりません。 

 ジェイソン ヒルはなぜ殺されなければならなかったのか。 

 こうネットに書き込んだのはある人権活動家です。彼は、アメリカには人種、宗教、言語、性別の他にも様々な差別がある。それはアメリカには民族としての一貫したアイデンティティーがない事に起因する、と指摘します。日本では古来からの宗教である日本神道と、外来の宗教である仏教やキリスト教が仲良く共存している。生まれた時には神社に参り、死んだらに葬られ、クリスマスにキリストの誕生を祝った一週間後の正月には年神様を迎えるという。そこに何の矛盾も感じないのは、通底する一つの民族としての日本があるからであり、アメリカにはこれが完全に欠落している。しかしアメリカにも通底するモノがある。それは我々アメリカ人が唯一、黒人も白人も関係なく、自由と平等のシンボルとして信じて疑わない、個人至上主義という考え方だ。自分の人生は自分のモノ、自分の意志でどう扱っても構わないという考え方がそれだ。だが当然、一人の人生には多くの他人が深く関わってくる。もしジェイソンのような素行不良で薬物中毒の人間までが、この考えを手放そうとしないならば、それは一変して毒となり、集団を破壊し、人間を滅ぼす思想へと変貌するのだと。

 我々は決して混同してはいけない。集団と個人を同等に考えるのが個人主義で、個人を集団に優先させるのは個人至上主義だ。ジェイソンは正にそんな自らの個人至上主義に殺されたのだと。

 へぇ~、と私は、下らない事を考えるヤツもいるもんだと、その記事を読みました。確かに、ジェイソンは私の理解を遥かに超えるほどの、超が付くほどのワガママ野郎でしたが、私にはまったく個人至上主義者には見えませんでした。彼はむしろ個性のない、その都度態度も言う事もコロコロと変わる、抜け殻のような人間でした。 

 彼はただのひねくれものでした。人がああ言うとこう言うだけの、口の減らないただのバカな男でした。そしてアメリカ社会からもドロップアウトした哀れな1個人でした。 

 アイルランド移民の父親とドイツ系の母親を持つ彼は、アメリカ人であるためのアイデンティティーを必死に求めていたんだと思うんです。アメリカ人と言うアイデンティティーが自分を苦境から救い出す唯一のアイテムだと気付いていたんでしょう。 

 私はジェイソンに会ったおかげで、自分が日本人として生まれ、宗教も言葉も性別も、何もかも織り込んで日本人である事を深く自覚出来ている事に気付きました。たとえ金がたくさん稼げなくても、両膝が悪くても、視力が悪くても、体が小さくても、頭が悪くても、見た目が悪くても関係ありません、私は自分が日本人であることにとても感謝しているのです。 

 ジェイソンはきっと、いちいち戦わなければならなかったんだと思うんです。日本人が来たらその日本人と自分。アメリカ人が来たらそのアメリカ人と自分。しかしアメリカ人としてのアイデンティーはついに彼には示されなかったようです。 

 彼はきっと暴徒化した群衆に、あの口の悪さで何かを言ったんじゃないかと思うんです。それでトラブルに巻き込まれて殺された。 

 でもその一言は決してF●CKブラックでもF●CKホワイトでもなかったと思いますよ。 

 きっとそれは、F●CKアメリカ! 

 雉も鳴かずば撃たれまい。 

 ホントに、バカな奴……。いいかジェイソン、ゴリ押しはな、カマキリぐらいもっとお淑やかにするもんだよ。腹減らない? バナナ、一緒に喰わない? そういえばきっと私は快くバナナぐらい奢ってやったさ。それで一緒に喰えばよかったんだよ。そうすりゃ、あぁ、バナナはいつどこで誰と食っても美味いなぁ! そう言って笑い合えたんだよ。そうしたら私はガラスも弁償せずに済んだんだ。すべてはお前のせいだ! お前がバカなせいだよ! 

  店長、変なモノがありました、そういう昔の子の手には、 見覚えがある魚の置物がありました。 

 こんな商品、ありましたっけ? 

 あぁ、いいよ、そのまま置いといて。 

 売るんですか? 幾らにすればいいんですか?  

 そうだなぁ……、私は当時、モーテルのガラスの修理代を思い出して、 

 じゃあ、75ドル、と言いました。 

 75ドル! 高っ! 絶対売れませんよ! 

 いいんだ、いいんだよ。 

 ジェイソン、私は絶対にお前にガラス代を弁償してもらうからな。だから何十年でも、この魚の置物は75ドルだ! 


第18章(ジョギング夫婦)

休みの日はなるべく外に出る事にしてるんです。妻にも運動不足を指摘され、膝のためにも継続的な運動を心がけた方がいいんじゃないかと言われました。 

 そういう訳で今、散歩中です。 

 近所に散歩にとてもいい公園があるんですよ。広くて、緑もたくさんあって、散歩用のコースもあって、ジョギングをする人に抜かれたり、すれ違ったりして。 

 楓でしょうか、大きな枯葉がサラサラと風に流れてゆきます。擦れ合う裸の枝と枝が、夏とはまた違う乾いた音をさせています。夏がもう完全に終了して、実りの秋が深まっている感触があります。秋といえば、とにかく食べ物が旨い! 戻り鰹に秋刀魚、栗に柿にキノコいろいろ、お米も新米が出て、スーパーにはおでんセットがお目見えします。それに一年の夕暮れ時の夕暮れ色はまた格別に綺麗です。この赤トンボが全部落ちたらさあ、冬ごもりですよ皆さん。これからどんどん寒くなります。覚悟はいいですか? 

 欅の幹にセミの抜け殻が付いてました。おそらくこの抜け殻の主はもうこの世にはいないでしょうね。凧が高い枝に引っ掛かってます。夏の間は葉っぱで見えなかったのでしょう。それで諦められてしまったのでしょう。何だか絶望的に清々しく見えます。柴犬が斜めになって飼い主を引っ張ってます。どこにそんなに急いで行こうとしているのか。とにかく前に進みたい、何かいい事があるかもしれない! そんなポジティヴで一途な眼差しが、生き急ぐ犬の姿そのものに感じられてまた、悲しくも愛おしいですね。 

 母の具合は、あれ以来何の連絡もないところを見るときっと悪いなりに落ち着いているのでしょう。私から連絡をする事はありません。実家にとって私はバーチャルな存在ですから。パソコンや携帯電話の電源を入れない限り、私は存在しないのですから。 

 あれ? 

 いつも歩いている散歩道のはずが、突然わからなくなりました。このまままっすぐ進めば、時々息子が練習に使っている野球場の近くに出るはずなんですが、その高い照明塔が、もうそろそろ見えてくるはずなんですが……。 

 ないんですよ。野球場が。 

 野球場がなくなるなんて事はあり得ませんから、多分私が道を間違えたのでしょう。でも一本道をどうやって間違う? 

 私は後ろを振り返りました。そこには今来たばかりの道が続いていました。当たり前です。ランナーや散歩をする人達が見えます。マスクで素顔を隠して散歩をしている、そんな共通項を信じて、何なら普段より親切に接してやろうと身構えている、そんな風にも見えます。 

 私は、近づいてくる老夫婦と思しき男女に目を向けました。その2人はジョギングと言うにはあまりに遅い、早歩きぐらいのペースで近づいてきます。明らかに着こなれていない真新しいジョギングウェアは色違いのお揃いです。なぜか私の心臓が突然早く鳴りだしました。 

 そして予想通り、すれ違いざまに男性が、

おう! と私に声をかけてきたのです。 

 父でした。8年前に死んだ私の父。 

 そして隣の女性は母です。認知症で寝たきりの母。 

 8年前に死んだ父と、認知症で寝たきりの母が、並んでうちの近所の公園をジョギングしているなんていくらなんでもファンタジーが過ぎる。でもそんな時こそ、私は敢えて疑わないように心掛けているんです。ほら来た!今だ! とばかりに、目の前の光景をどう解釈するのが一番自分にとって快適か、素敵か、魅力的かで判断したいと、常日頃から思っていたのです。この時が正にその時でした。

父は、

 何や、お前もジョッキングしてんのか。そうやな、お前ももう、そこそこの年なんやからな、運動もせなアカンな、酒ばっかり飲んでたら、お父ちゃんみたいに80前で死んでしまうぞ。それに最近お前、変な夢見るやろ、それな、肝臓や。肝臓が知らせとんのや。沈黙の臓器、肝臓の悲鳴やで! と言いました。


 父は突然死にました。死ぬ前日まで、車で母とデパートに買い物に行っていたんですよ。そして母がどうしても欲しいとおねだりしたらしい、安物のスヌーピーの財布を買って帰ってきたんです。 それは金色の、いかにも正規品ではない悪趣味で下品で大きな財布でした。

 知ってました? 人が突然死ぬと警察が来るんですよ。私の実家にも警察が来たそうです。不審死でないか、状況を調べるのだそうで、掛かりつけの医者も来て、持病について警察に説明していたそうです。 

 母は帽子を目深にかぶったまま、俯いて黙っています。顔はよく見えませんけど、息子だからわかります。母に間違いありません。 

 父が死んだその同じ日の同じ時刻。 

 午前、3時か4時ぐらいだったと思います。私は新曲の歌詞を考えていたんです。8年前は、まだバンドをやってましたから。でももうダメかなぁ、って薄々自分の才能や可能性に見切りをつけ始めていたんですね、じゃあ何する? こんな年までこんな事に人生引っ張っておいて、じゃあこれから何をするんだよ。と問いかけてくる自分が鬱陶しくて仕方ありませんでした。だから体に負荷をかけて、ここまでやったんだという無理矢理な事実を捏造するために、私は毎日、明け方まで音楽をやってたんですね。でもそれはただの言い訳で、ただ往生際が悪いだけで、そんな理由でやったところで、いい作品は生まれません。 

 電話が鳴ったんです。母からでした。 

 どう? 何してんの? 

 何してんのって、夜中の3時ですよ。私は不思議でした。母はその時すでに認知症の症状が重く、道に迷った時のために、服にはすべて、名前と、住所と、血液型と、電話番号が書かれた布切れを縫い付けられているほどでした。だから電話なんて掛けられるはずがありません。 

  ほんで、先生はいつ来てくらはりますのん? 

 でた、先生……。母は兄の事も私の事も何かの先生だと思っているらしく、先生、先生、と呼ぶんです。 

 なるべく早い方がええんですけど、まだまだ掛かりますか? 

 そうやねぇ、今から行っても明日の昼過ぎになりますわ。 

 認知症には調子を合わせるのがいいときいていたので私はそう答えたんです。 

 そんな!そんな遅なりますのん? 男の子がえらいしんどそうなんですわ先生、何とかもうちょっと早よなりませんか? 

 なりませんなぁ、ここ埼玉ですしね。 

そんなん埼玉かなんか知らんけど、タクシーかなんかでシュッと来てくらはったら、お金はうちが払いますさかいに。 

 いやいや、お金貰うてもね奥さん。行かれへんもんは行かれへんのんです。もうちょっとしたら朝やから、ほしたらまた連絡ください。 

 私はそう言いました。 

 ほんなら、なるべく早よ、ホンマに真剣にお願いしますよ。 

 はいはい、と私は電話を切ったんです。 

そして7時半ごろ、本当にもう一度、実家から電話があったんです。 

 兄でした。オトンが死んだ、と。 

 母の知らせは本当だったのです。私がもしあの時、母の様子を察してすぐに兄に知らせていたら、或いは父は助かっていたかも知れません。せっかく母が知らせてくれたのを、私は、はいはい、と言ってやり過ごしてしまったんです。

 葬儀を終えた日の夜、母は仏壇の父の遺影に向かってじっと座っていました。オカン、もう寝るよ。と言うと、 

黙っとって! 今お父ちゃんと話してんの! と言って、またジッと遺影を見つめているんです。 

 あの時、何話してたん? 

私は母に訊きました。母は俯いたまま、もうええねん。と小さく言いました。 少し照れているようにも見えました。

 いろいろあったけど、それはそれやねん。思い出なんかな、一緒におったらあってない様なモンやねん。最終的にな、一緒にランニング出来たら、そんでええねん。ほんで、どっちかがしんどなったら休み、今度はちゃう方がしんどなったら休みしてな、ゆっくりでもずーっと一緒にランニング出来たら、ほんでみな、ええねん。 

 ワシら、ずーっと走ってるから、お前もちょいちょい走りに来いや。まあ、この公園も広いしやな、そんな再々は会われへんと思うけどな。でもホンマに、運動せな、ホンマに、酒を飲みすぎんようにせな。せやないとホンマにお父ちゃんみたいに、ホンマに80前でぽっくりいてまうぞ。わかったか? 

 父はそう言ってまた、母と一緒に早歩きほどの速さで走っていきました。 

 その向こうには高い照明塔が見え、へぇい! ふぇい!という野球少年の声が聞こえてきました。あんなに小さくなってしまうともう、果たして本当に私の父と母だったのかどうか疑わしくなります。やがて植え込みの向こうに曲がって消えました。 

 バーチャルな息子に会いに、わざわざバーチャルな世界に会いに来てくれたのかもしれませんね。息子が生まれた時、わざわざ京都から会いに来てくれたように。

 酒、ね。確かにね、ちょっと控えるかな。でもこれからが食べ物がおいしくなる季節だしなぁ、鍋とビール、おでんと焼酎のお湯割り。まあ、考えるともなく考えておきましょう。 


第19章(秋の骨)

 う~む、秋ねぇ、秋物ねぇ……、と。 

 ここ数日、秋モノのデザインについて仕事の間も考えているんです。ほらほら!また車ぶつけるぞ!と言われそうですね。はい、気を付けます。だいいち、秋モノを秋に考えてるんじゃあ遅過ぎますよね。その通りだと思います。でも秋って四季の中で一番短い気がしません? うかうかしているとすぐに冬になってしまう。 

 だいたい秋は定義が曖昧だと思うんです。休みがないですからね。春休み、夏休み、冬休みがあって、秋だけないんですね。きっとそれもあるかも知れません。 

 いったい何がどうなっている間が秋なのでしょう。銀杏を踏みつぶして、くせぇ!って言っている間は秋なのでしょうか、ビールの秋限定ラベルを売ってる間は秋なのでしょうか、富士の裾野に紅葉が始まると秋なのでしょうか、ジャック・オー・ランタンが町に並ぶと秋なのでしょうか。そして富士山が冠雪するともう冬なのでしょうか、ハロウィーンが終わるともう冬なのでしょうか、そして武尊山のライチョウが白くなると、それはもう完全に冬なのでしょうか。 

 確かに、景色や食べ物もいいのですが、もし本当に皆様と共有できる秋のイメージをデザインするとすれば、皆様と共有できる様な秋の体験、思い出を探ってみるのが一番いいような気がします。 

 でもねぇ……、秋の思い出ねぇ……。 


 店の近くの公園に、晴れた日には近所の保育園から園児達が、よくお散歩に来るんです。年長さんは手を繋いで、もっと小さい子はワゴンに乗って。 

 可愛いですよ。砂場で砂をほじくったり、真剣な顔で団栗を並べたりしてる小さな蹲踞を、私もたまに見たりするんですが、走り回る姿は妖精そのもので、影までヨチヨチと追いかけっこをして遊んでいるうちに、どっちが陰で、どっちが園児かわからなくなってきました。日は傾いていよいよ帰る時間です。

 でもおかしいな……。園児を遊ばせるなら、小学生がいない午前中のはず。時間が空間と一緒に山の向こうまで、明日のその先の先の未来までグーンっと引っぱられる様に、秋の日差しはとても柔軟に伸びて。秋の日はは短いですが、秋の夕暮れは一年で一番長いように思えます。

 落ち葉は地球のお昼寝毛布~、そっと包んであげましょう~、ってね、子供達が可愛い声で歌ってます。 ホント、可愛いですね~。おやすみ~公園さーん、だって、可愛いねぇ……。

 それでね、 

 その園児たちを引率の保育士の方で、ものすごく綺麗な女性がいるんです。本当にモデルみたい。身長は私ぐらいあるでしょうか、でも顔の大きさは私の半分ぐらいでしょうね、腰の高さなんてもう、並ぶのが恥ずかしいぐらい。それなのにいつもジャージの上下で、化粧っ気もまるでなくて髪の毛もいつもギュッと一本に結んでいるだけで……。 

 いえ、別にジロジロと観察していたわけじゃないですよ。その人の事は昔の子から聞いたんです。 稲荷山公園に、たまにすごい美人が来ます! って。

 昔の子が言うには、いつものように妻の焼いたパンを持って稲荷山公園をショートカットして通り過ぎようとした時、あなた、あの店の店員さんね、とその人の方から声をかけてきたそうなんです。

 突然美人に話し掛けられた昔の子は、緊張したのでしょうね、訊かれてもいない事をあれこれと喋ったそうです。 

 あの店と言っても、うちは実際にある店じゃなくて、店長のブログの中にだけあるお店で、だから来店できるのはそのブログの中にいる人だけなので、この公園も、公園の木も、太陽も風も、きっとあなたも、きっとブログの中にだけいる人だから、だから来店できたんです。 

 なんて、変な事を言ったらしいんですよ。 

 へぇ……、と、その人はわかったようなわからないような返事をしたそうですよ。そりゃそうでしょう、目の前にある公園も、公園の木々も、風も太陽も、自分が引率して連れてきている小さな子供達までが、得体の知れない誰かが書いたブログの中にしかいないなんて言われてピンと来る人はいないでしょう。 怪しい宗教団体が経営している店だと勘違いされたら、それはちょっと困りますけどね……。

 しかしその保育士さんは、そうか、だからか。そうか、と、妙に納得している様子だったといいます。

 それから昔の子はその人と挨拶を交わすようになったらしいんです。なかなかやります昔の子。 

 昔の子の話では、その人は遠い町から通っていて、病気のお母さんの食事を作ってから出勤するので朝はとても早いんだそうです。だから冬はまだ暗いうちに起きて家を出なければならなくて、それがちょっとだけ辛い。でも秋は逆に朝が楽しいのだと。だんだん開けてくる朝の風景は、ほかのどの季節よりも秋が一番綺麗で、見ているだけでなんか得したような気分になるんだそうです。 朝日と共に出勤すると、よーし、やるぞ! って、やる気がもらえるって。

 昔の子の話を聞いて、かつて芸能界に野心を燃やしていた私は、なぜこんな美人がモデルや女優を目指さなかったのかと、少し不思議に思っていたのです。

 ホントに、一度も考えなかったのかなぁ……。あれだけ美人だと、町もまともに歩けないぐらいナンパやスカウトが来るだろうに。

 いえ別に、美人が必ずそれを飯のタネにしなければならない理屈も道理もないのはわかってるんですが、ないものねだりの絵空事として、もし私が男に換算して彼女に相当するほどの美形に生まれていたならば、一も二もなくモデルか俳優を目指していただろうと思いますよ。多少演技が下手くそでも歌が下手くそでも、あれほどに美形ならば関係ありません。周りが何とかしてくれるんです。人気者はね、最初から才能や実力で評価されないんですよ。大概は話題になってから。ビジネスの世界ですから、才能は養殖もしくは捏造出来るんです。しかし美貌は別です。つまりそこだけが一番大切なんですよ。スポーツにしろ芸術にしろ、持って生まれた才能を生かさないのは罪だと、以前誰かが言ってました。私もそう思うんです。それならば美貌だってそうでしょう。

 そして世界中からキャーキャーと騒がれて、いいギャラ貰って、いい家に住んで、いいモノ食べて、いい酒飲んで、そしてある日突然、オーヴァードーズでこの世からいなくなる……。

 かつてロックスターを目指していた頃の私にとって、そんな世界はごく身近にありました。別に夢でも絵空事でもなくて、現実のすぐ隣に、手を伸ばせば届く場所にある現実の世界だったのです。 

 そんな世界を久々に私に真面目に想像させるほど、そのジャージの上下でノーメイクの人は現実離れして綺麗だったのかなと、まあ思い出しての1.5掛けにしろ、今はそう思えるんです。 

 昔の子が最後にその人を見たのは、先月の始めの秋の長雨が続いていた頃だそうです。雨の中、傘を差して公園に来ていたその人は1人で、いつもと違うスーツ姿だったそうです。その人は公園の隅にある小さな祠に、何かを置いていたそうです。昔の子はきっと雨の中を飛び出して行ったに違いありません。 

 その人は昔の子に気が付くと少し場都悪げな顔をした後、すぐに笑顔になって言ったそうです。 

 私、保育士辞めるの。だから、この公園に来るのも今日が最後なの。だから、ずっと子供達を見守ってくれていたこの祠さんにね、ありがとうを言いに来たのよ。 

 あぁ、そうですか。こちらこそ、ありがとうございました。 

  変な挨拶をしました、と昔の子も笑います。 

 いつかあなたが言ってた、ここはブログの中にだけある町で、公園も、公園の木々も風も太陽も、この雨も、ブログの中だけにあるんだって話。あれは私もそうだと思うの。本当の事だと思う。私はずっとここをブログの中だと知らずに住んでて、そんな世界が全てだと思ってた。でも今、こことはまるで違う他の場所で生活する事になって、そうじゃない事に気付いたの。私はこの世界からはいなくなる、みんなとも、この公園とも、もちろんあなたともお別れかと思うと少し寂しいけど、それはよくある事だし、避けようもない事だし、全然おかしなことじゃないわ。 今まで仲良くしてくれてありがとう。

 その人は祠に何を置いていったの?

 祠には小さな、が置かれていたそうです。

 骨? 

 はい、小さな、鳥の骨みたいな。

 雨水の溜まった小さな白磁器の皿の上に、ちょこんと、小さな骨が置かれていたそうです。

 私はきっと嫌な顔をしたと思います。その時私が考えた事と昔の子が考えた事は、或いは同じではなかったかもしれません。

 これ以上は何も訊かない事にします。大丈夫、あの人は今もお母さんと一緒に幸せに暮らしているよ。

 いわゆる初恋ですかね。でも道祖神が? 初恋? いえ、悪くないかもしれませんよ。道祖神が恋をしたって。 


 ん~、秋か……、秋ねぇ~。 

 私が悩んでいると、パソコンから二人の言い争いが聞こえてきたんです。 

 寒いから窓閉めようぜ。昔の子が言うと、今の子が、風鈴が鳴らなくなるから嫌だ、と言っています。 

 いいよ、寒いから閉めようよ。 

 嫌だ! 

 今の子はいつになく頑なでしたが、この日は昔の子の方がさらに頑なでした。 

 嫌じゃない! 閉めるったら閉めるんだ! 

 どうして?

 俺は、風鈴の音が大嫌いなんだよ! 


第20章(風鈴嫌い)

今世界中で猛威を振るっているコロナウイルスも十年後にはインフルエンザと変わらなくなるそうです。インフルエンザと変わらなくなるとは? 

それはとりもなおさず、人間の認識がそうなる、という事の様です。インフルエンザ並みにしか警戒しなくなるという事。 

 毎年多くの人が命を落とすインフルエンザは実際はまだまだ克服されていない危険な伝染病であるにもかかわらず、インフルエンザはやってるから、気を付けてね、手洗い、うがいしてね、なんて言うぐらいで、別段普段と変わらず満員電車に乗って通勤、通学し、映画館や遊園地へ出掛ける。それと同じ様に、コロナウイルスも、そのうちそうなる。 

 要するに、このウイルスの危険を意識しなくなる時が、あと10年でやって来る、という事のようです。つまり終息とは頭の中の問題らしいです。いいです、それで納得するならば、要はみんなが納得すればそれで収束なんですね……。 

さて、 

 私がパソコンを閉じようとしたときに聞こえてきた2人の言い争いは思わぬ方に向かいます。 

 風鈴の音が嫌いなんてそんな事、言ってなかったじゃないか。 

 いいや!俺は、秋の風鈴が大嫌いなんだよ。 

 秋の風鈴? 夏の風鈴と何が違うの? 

 違うさ!全然違う! お前も、死んだならわかるだろ? 

 ううん、わからない。死んだけど、わからない。 

 その間も、窓辺の風鈴がチリチリと鳴るので、そのたびに昔の子は嫌な顔をします。


 お前、お葬式って出た事ある? 

 ない。家族の誰よりも先に僕が死んじゃったからなぁ。 

 俺は父さんの葬式に出た。でも父さんはそこにいなかったんだよ。遺体が帰ってこなかったんだ。代わりに、戦地の石が送られてきた。うちの家族はみんな、その石に向かって手を合わせたんだ。バカバカしいだろ。 

 うん、変な感じだね。 

 悲しくもなんともなかった。最後に父さんに会ったのは戦争が終わる3か月ほど前、今度は南の方に行くって言ってた。俺の頭を2・3回、ポンポンって叩いて、しっかり頼むぞ、って。真っ白い軍服が眩しくてとてもまともに見れなかったけど、でも父さんの目も俺は見ていなかった。俺の事なんか考えてなかったんだ。きっと父さんはもうずっと遠い海の向こうに行きっ放しで、今目の前にいる父さんは実際にはここにはいない。父さんはもうこの世にはいないんじゃないかって、そんな感じがしたんだよ。 

 ふ~ん、で、何で風鈴が嫌いなの。 

 出棺の時、鈴を鳴らすんだけど、その音が風鈴と同じなんだよ。季節は秋だった。俺は空腹でさ、葬式どころじゃなかったんだよ。もううち帰って、ふかし芋を食べたかったんだよ。枯れたススキが揺れる田舎の細い道を、石ころの入った棺担いでゆっくりゆっくり歩いて何の意味があるんだよ! もういいよ、父さんはそこにいない。ただの石だよ。もういいよ、さっさと帰ろうよ!帰ってみんなでなんか食べようよ! そう言ってさ、後ろを振り返ったんだよ。そうしたら……。 

 うん、そうしたら? 

 父さんがいるんだよ、俺のすぐ後ろに。俯いて付いてくる。びっくりしたよ。みんなと同じ速さで、ゆっくりゆっくり歩いて。俺が、父さん!ってね、そう言って袖を掴んだら、父さんは袖口を見て少し笑って、そうか、そこにいたのか……、って小さな声で言ったんだ。そしてその時、俺の体をすり抜けた赤とんぼがね、父さんの肩に止まったんだよ。それでわかった、これは、俺の葬式なんだって。 

 俺の手から滑り落ちた茶碗を、母さんが拾い上げて、ススキの原に投げたんだ。それは夕暮れの空に、ホント、ユーフォーみたいに綺麗に飛んでった。俺は父さんに抱き上げられて、納屋の後ろで服を脱がされて体を綺麗に洗ってもらった。白い布は貴重なのに、俺は真っ白な服を着せられて、あぁ、愛されてたんだなぁ、って、その時初めて思ったよ。もうちょっと早く気付きたかったなぁ。父さんがいないから、俺は本当に大変だったんだ。だから、父さんの事もちょっと恨んでた。最後の時も、しっかり頼む、じゃなくてさ、もっとさ、お前の事を愛してているぞ、とかさ、お前と俺は永遠に親子だ! とか言って欲しかったよ。 

 わかった、じゃあ、風鈴は外そうよ。 

 いや、なんか話したらどうでもよくなったよ。別に大した事じゃない。父さんももう死んだよ。母さんも。もう全部終わった事だよ。 

 私はそこでパソコンを閉じました。時計を見るともう12時を過ぎてて、慌ててシャットダウンしたんです。次の日は宇都宮まで行かなければならなかったので、もう3時間も寝られなかったんです。 

 しかしね、いろんな季節があるもんですね。今年の夏みたいに、まるで夏らしくない夏もあれば、妙に物悲しい秋もあって。 

 おかしなことになるのはこの後なんですが、それは次にお話します。 


第21章(過去今未来)

 長雨の一週間がようやく終わり、明日は久々に朝から息子の野球の試合の遠征ため車を出す予定になってますが、台風の影響で試合そのものがあるのかないのかわかりません。そのうち連絡が来るでしょう。 

 街路樹の百日紅もずいぶん色が褪せてきました。でもあれはああいう花の色なんですよ。実によく季節を語ります。だからあれは衰えた色じゃなくて、散り際に見せる誇り高い花の色、メッセージなんですね。 

 花の色は、うつりにけりな、いたづらに 

 我が身世に降る、ながめせしまに。 

 いえいえ、まだまだ、お美しゅうございますよ。 

 店の外に出るとふと金木犀の香りがして、その方向に目をやると、公園の小さなオレンジ色がもう地面にずいぶんと落ちているのが見えたんです。ドウダンツツジも少しだけ色付いてます。 

 急に寒くなったので金魚の水温が気になって店に来てみたんですが、私が店にいるとどうも落ち着かない様子の二人なので、さっさと退散することにします。『風鈴問題』がまだ燻っているんでしょうかね。

 


 以前私は『今』について少し持論を言いました。 

 それは光速に相対してリニアに進行する時間を極小のセクターに切り離した先っちょの事を『今』と言うのではなく、すべての時間が同時に悠久に長々として『今』である、という理屈。 ただ我々は集団生活の利便性から、時間をリニアに進むモノとして定義付けてしまいました。そしてそんな自らのトラップに嵌って、もはや抜け出せなくなっていると……。

 文章を読む時も、どんなに速読を得意とするでも、1文字ずつしか見られない。それ以外は記憶の前後左右を繋げて、点から線を、線から面を、面から立体を想像するという時間の経過しか感知できない。 

 そんな時間が我々が永遠に生きる事の邪魔をしている事は間違いありません。時間が我々を等しく殺すのです。 

 その結果、生まれてから死ぬまでの時間が人生だと思い、死んだらすべてが終わる、という絶望的な考えしか思い浮かばないのですね。誰も、私も。 

 同時に2つの、3つの、いえ、無数の今があればどうだろう? いや、あるわけがない。意識が一つだから、命が一つだから、今も一つ。それは当然です。それが常識です。 

 アインシュタイン博士、過去へは戻れますか? 

 光速よりも早く移動できれば時間は逆行するはずだよ。 

 という質問と答えも、『今』『過去』『未来』が挟んでいると言うのが絶対条件が必要です。 

 じゃあやはり、全ての時間が同時に『今』であったならば、という考えは相当に無理があるのでしょうかね? 

 量子論の中では、物質は確率的に存在する、なんてとんでもない事が起きています。確率的に?存在する? 

アインシュタイン博士は、 

 君は月が見ている時にだけ存在すると、本気で信じられるのかい? と言ったといいます。 

 『存在』という言葉の意味も再考しないといけないほどの大胆な理論です。こっちの方が無理があると思うのですが、今はこれが本当とされています。 

 単なる、解釈の違い? 見る角度の違い? 

 でもそれならば、今が同時にいくつあっても、それも確率の問題、というのではいけないのでしょうかね。 

 私は今、悩んでいるかもしれないし、悩んでいないかもしれない。 

 この夏、猫が死にかけました。本当に、たった一年で、大切な家族をひとり失くすところだったんです。一週間も何も飲まず食わず、薬すら吐き出してしまって、鳴きもしないでうずくまったまま。あぁ、この子はもうそう覚悟を決めてしまったのか……。 

 本気でそう考えました。 

 でもさすがは野良猫の子。日本が世界に誇る『ジャパニーズボブテイル』の原種だけの事はあります。 

 ある日、ペロっと、水を舐めたんです。 

 それからはもう、劣勢のボクサーが一瞬の相手の隙を見て猛ラッシュを掛けるような、ある種捨て身とも思える怒涛の食欲を見せ、今は元通り元気になりました。 

 でも、私はその事を、知っているかもしれないし、知らないかもしれない。 

 この猫は十何年後、ふといなくなってしまいます。 

 昔の子がその事を私に告げてくれたんです。窓辺にいたはずの猫が、どこを探してもいないと。 

 あれから、あの『今』からは何の連絡もありません。見つかれば、多分そう連絡があると思うんですが……。あるいはこの『今』ではないどこかの『今』には、もう連絡が来ているのかもしれません。 

元気に帰ってきました! とか、縁の下に、毛皮をみつけました……、とか。 

 そんな連絡を受けた私は今、悲しんでいるのかもしれないし、喜んでいるのかもしれない。 

 昔の子は、父親の遺骨代わりの石と一緒に、自分は埋葬されたのだと言いました。一つの棺に、二人分も狭いよ。といいながら少し嬉しそうでした。 

 ジェットコースターに並んで乗っているようだね、と、今の子が上手い例えをしたら、昔の子はさらに嬉しそうに、そう、ちょうどそんな感じ、と言って笑ったんです。 

 昔の子と戦地の石。どちらが主役だったのでしょうね。敢えてあてずっぽうを言うと……、 

 昔の子の父親は、終戦後しばらくして生きて戻ってきたのかもしれません。そして、息子が既に亡くなっている事を知り、自分の身代わりの石を一緒に埋葬したのかも知れません。

 飽くまで、かも知れません、ですよ! 本当に戦地で亡くなっていたのかもしれないですよ。昔の子はその葬儀で不思議な経験をして、その後に亡くなったのかも。それは誰にもわかりませんし、誰にも決められません。 

 ただ昔の子はそのいずれも実際に経験しているから、一本の線の上で時間を追って話を聞くと少し見えにくくなります。確かに、もし父親が戦死していたら、昔の子の妹が生まれるわけがありませんからね。勘違いなどであるはずがありません。ただ、時間を今の様に、タイトロープでシーケンシャルなモノとして考えると、両方正解という考えを、どうしても生み出せない。

 すべてが『今』であれば、それは当たり前で簡単な事なんでしょうね。すべての確立が『1』になる世界。 

 アインシュタイン博士は、神はサイコロを振らない、と言ったそうですが、サイコロの1から6までが、すべて確率『1』になる世界があるとしたら。私の『今』は確実に存在する事になります。そしてそのすべての『今』を平等につまびらかにすることを『死ぬ』というならば、『死ぬ』は『生きる』のバージョンアップのようにも思えます。有漏路から無漏路に『帰る』のではなく、有漏路を無漏路に『換える』のでしょう。 

 風鈴はね……。 

今の子が言いました。 

 風鈴はね、僕が死ぬときに、最後に見たモノで、最後に聴いた音なんだ。 


第22章(幽霊っていうな!)

 秋もずいぶん深まってきました。四季の中で秋だけを『深まる』と言うんですね。とてもいい表現だと思います。春が深まる、とか、夏が深まる、とか、冬が深まる、って何となくしっくりきませんもんね。でも秋だけは深まるがぴったりです。 

 さすがにもう長袖ですね。私はバイク通勤なので、その上からブルゾンを着て、それでも早出の日なんかは寒くて震えます。 

 だからさ、やっぱり窓閉めようね、今の子

 店にも暖房を付けなきゃなぁ……。とりあえず私の部屋の電気ヒーターを持って来くるかな。ガスを引くと幾らぐらいかかるのだろう。店の営業が全然軌道に乗らないから、ブログの中の世界とはいえ、あまり大金は掛けられません。あ、先日、給料日でした。この、倍は欲しい!! 


 風鈴の音を聞いた誰かがさぁ、いつかまた僕の事に気付いてくれるんじゃないかと思ってさ。きっと僕は、生きる事にまだまだ未練タラタラらなんだよ。 

 今の子が言いました。 

 風鈴が鳴り止んで初めて、ずっと鳴り続けていた事に気付く。

 見ると金魚が水面近くにいます。それは気圧が下がっているせいだと思います。私が縁日で掬った金魚は今年36歳になります。 

 今の子は続けます。  

 きっと苦しいんだと思う。死ぬってさ、時間が止まる事だと思ってた。だからもう何があっても何も感じなくなって、永遠にジッとしてるもんだと思ってたんだ。全然甘かったよ。 

 え? そうじゃないのかい? 私はじっとパソコンの中の、2人の会話に耳を傾けています。 

 お前はなに? 自分で死んだのか? そうなんだな? 

 うん……、申し訳ないけど。僕は君と違って、ほとんどお腹も空いた記憶もないほど裕福だったよ。家族で旅行に行ったり、海外だって行ったよ。ハワイ、台湾、カナダにも行った。楽しかったよ。それがどうして死ななければならなかったのか、君には理解できないだろうね。 

 死ぬ理由なんていろいろさ。でも死ぬ瞬間の気持ちはきっとみんな同じじゃないかと思うんだよな。これしかないと思う。なんて言うか、泣きたくなるような。なにもかも全部投げ出して、とことん泣きたくなるんだよな。な、そうだったろ? 

 うん、そうだった。そして死んだ瞬間に、自分がどれぐらい自分の事を大切に思ってたか、愛してたかわかるんだよね。他に誰もいなくったって、それで十分。でもその時はもう遅い。 

 すげぇ美味かったよ。最後に喰った大根雑炊。汚ぇ茶碗でさ、雑炊ったって、米なんかほとんど入ってねぇの。でもあれが生涯で一番美味かった。食べてる途中から、カウントダウンが始まるんだよ。チッチッチって。あれ? 何だろう、って思うんだ。でもあんまり美味いから箸が止まらないんだよ。そして食い終わった瞬間に、スーッとさ、力が抜けたんだ。あんなのは初めてだったよ。それで、あぁ、これが締めくくりだな、って。それなりに納得したよ。もうこれで、俺のメニューはすべて終わったんだな、って。 

 あれは妙な感じだよね。僕も。僕は逃げたって、逃げ切ったってそう思いたいのに、死んだ瞬間にはそう思えなかった。頑張った、達成した、そんな感じ。でも生きてる限りそれは無理だったような。だから死ぬしかなかった、死んでよかったって。でもね、僕はやっぱり、未練タラタラなんだ。なぜって、僕は本当はもっと生きてていたかったから。家族と楽しくまた、旅行に行ったり、買い物をしたり。 

 そうかぁ、俺は、もういいや。大変過ぎたからな。それに俺は自分の意志で死んだわけじゃないから生きる選択肢はなかったような気がするんだよな。 

 そんな自分を、君は可哀想だと思う? 

 可哀想? なんで俺が可哀想なんだ? 俺ぐらい必死に生きた奴いないと思ってるぜ。小さな体で、知識もなくて、仲間もいなくて、戦後のあんな滅茶苦茶な世界でよく絶望しなかったと思うよ。そうだな、俺は絶望しなかったんだよな。そこは自分でもすげぇと思う。 

 君はすごいよ、ほんとうに。僕は自殺したから。だから未練があるのかな。いや、待てよ違う。なんていうんだろう。死んだ事を後悔はしてないんだよ。僕にもこれしかなかった気がする。でも、もっと何かやりたかったんじゃないかって、そんな感じの、なにかもやもやが残ってるんだ。君にはないの? 

 そりゃ生きてりゃいろいろあったろうね。でもそんな風に考えた事ないな。もう誰も俺の事を覚えてる奴なんかいないしね。みんな死んじゃったよ。妹がまだ生きてるけど、会った事ないもんね。 

 そうか、それか……。うん、確かにそれかもしれない。僕はまだ誰かが僕の事を覚えているから、だから生きたいのかもしれない。でもさ、生きてる人は死んだ瞬間がずーっと、ずーっと続くのを知らないから、だからあんなに平気で喜怒哀楽を弄べるわけでしょ。それって楽しいのかな、なんの意味あるのかなって、今はちょっと思う。 

 そんな事わかるわけないさ。日本人が日本語しかわからないのと一緒だよ。そういう世界でしか生きてないんだから。実際は『死ぬ』なんて現象がないなんて、どうやって説明するんだよ。彼らは、時間はずーっと前に進むものだと思い込んでるんだ。だからその上でしか何も考えられないんだよ。だから死ぬ時がくれば必ず死ぬって。それしか考えられないんだよ。俺らだってそうだったじゃない。早く戦争終わらないかなぁ、とか、早く父ちゃん帰ってこないかなぁ、とか。そろそろお昼だなぁ、腹減ってなぁ、とか。 でも実際はそうじゃないじゃない。 

 もしさ、もし、ね。 

 うん。 

 もしも僕が生き返ったら、君とはお別れすることになるのかな? だって、幽霊と一緒にお店番なんか出来ないでしょ。 

 幽霊って言いうな! でもそうか。そうなるな。生き返ったら、お前はまた時間に縛られて暮らすことになるから、そうしたら、全部の時間が今の俺は、やっぱり幽霊か……。 

 この店にも来られるかなぁ? 

まあ、店長がちょくちょく来るぐらいだから、生きてたって来られなくはないだろうけど……。 

  君の事も忘れてしまうのかなぁ。 

 どうだろうね。生き返った人間は一人もいないからわからないね。でも、生まれ変わるなら頭が初期化されて赤ちゃんから始まるから覚えてないだろうけどさ、生き返るとなると、どうだろうね。でも可能性低いぞ~! 


 先日、手紙が届いたんです。朝出がけにポストを見るのですが、大概は『家、売りませんか?』とか『家、買いませんか?』とか、『ピザ、二枚目は半額!』なんてフライヤーばかりが入っているのですが、その時は何か神妙な雰囲気の封筒が入っていたんです。

 封筒には実名が書いてありましたが、ここでは伏せておきます。 

 『突然のお手紙失礼いたします。 先日そちらのお店にお伺いしました。〇〇〇の母でございます。』