『いきてるきがする。』《第三部・冬》


《第三部・冬》

もくじ



第23章

 寒い朝です。テレビでは今年一番だと言ってます。運動を心掛けると決心したはずなのに、気付くとパジャマのまま、リビングで猫の頭を撫でながら、日向にだらしのない影をくゆらせていたります。今年もあとわずかですね。

 息子の野球も今シーズンは終了。よく頑張りました。最後の試合、すごく面白かったよ。3打数2安打2打点1得点。全5点中3点に絡む大活躍だったな。来年はもう中学生か。きっと野球の練習もこれまでよりもずっと厳しくなるぞ。そういう意味でも、お前は今、本当に大切な時間を過ごしているんだなぁ、と見てて思うよ。

  父ちゃんも、今年はまあまあ頑張ったかな。

  そして父ちゃんも今大切な時間を過ごしている。父ちゃんにとって大切な時間というのは言うまでもなく、お前とお母さんととのまと過ごす時間の事だよ。そうやってね、世の中のお父さんはホクホクしながらお金を稼いでいるんだよ。別に感謝なんかしなくていいからな。好きでやってるだけだから。

 いつの間にか街路樹はすっかり葉っぱを落とし切って、まるで竹ぼうきみたいな先鋭な枝を幾本も冬空に向けては、ぴゅーぴゅーと凍えております。私は秋から冬にかけて記憶がすっぽり抜け落ちたていようです。それについてはまあ、追々お話させてもらいますが、今はとりあえず、近所のポストまで歩いているところ。例の手紙の返事を出すために。


 先日は突然お邪魔しまして失礼いたしました。〇〇〇(今の子の本名)の母でございます。

 なんだ、やっぱりおふくろさんじゃないか。

 あの子がお世話になっていると聞いて、お礼かたがた出向かせていただいたつもりだったのですが、とんだお見苦しいところをお見せしてしまって申し訳ありませんでした。

 ところで、あの子はどういうきっかけでそちらのお店のお手伝いをさせていただくようになったのでしょうか。我々の監督不行き届きを棚に上げてこんな事を言うのは誠に心苦しいばかりなんですが、見てもお分かりだと思いますが、あの子はまだ未成年でございます。お店を手伝わせるのであれば、なぜご一報いただけなかったのかと、それだけを主人ともども非常に残念に思っております。

 御存じとは思いますが、中学生を働かせるのは法律違反です。やむを得ない場合でも親の同意が必要だと思います。今回は皇極法師様によって、すぐに居場所を突き止められたからいいようなものの、我々がもし捜索願を出していたら、あなたは誘拐犯として逮捕される可能性もあったのです。それはあなたも望む結果ではなかったと思います。

 脅しているように聞こえたら申し訳ありません。そんなつもりはありません。私たちただ、我々家族にご協力いただきたく、お願いを申し上げているのです。そのためにはあの子と我が家について包み隠さずお話して、事情を十分に組んでいただき、ご納得いただけた上で、今後、あなたの店には出向かないよう、あなたからも強く説得していただきたいのです。

 あの子は我が家に長男として生まれました。とても小さな、2000グラム少しの赤ちゃんでしたが、大きな声で泣いてくれて、私は嬉しくて涙が止まらなかったのを覚えています。

 あの子は、とても優しくて、賢くて、よく笑う、本当に我が家の太陽でした。

 その翌年、双子の姉妹を授かりました。先日、そちらのお店に一緒に連れて行ったのがそれでございます。私達はそれまで本当に幸せでした。

 ところがあの子が中学になる頃からいじめが始まり、あの子は部屋に閉じこもるようになりました。我々はあの子に何とか学校に行ってもらおうと、学校とも担任の先生とも何度も話し合いましたが、あの子は、自分はこの家の子供じゃない、ここは自分がいる家族じゃない、の一点張りで全く聞く耳を持たなくなったのです。

 そういう病気があると聞きました。思春期の子供は、心も体も成長する時期でバランスを崩しやすいのだと。そしてそれは崩してしまうと発症する病気だと聞きました。まず環境を変える事だと、そして見知らぬ場所で、出来るだけリラックスして過ごす事だと、カウンセラーに言われましたので、我々は和歌山県に引っ越したのです。和歌山県は私の生まれ故郷でもあり、親戚もいとこもたくさんいるのです。環境が変われば、あの子もきっと元の朗らかな子に戻ってくれると、そう信じていたのです。

 でもダメでした。あの子は、どこに行ってもお前らと一緒にいる以上一緒だ、と言いました。私達のいったいなにがいけなかったのでしょう。私達はいったいどうすればよかったのでしょう。

 悪魔が憑いていると言われました。悪魔祓いの儀式で聖水を掛けられた時に、ふん、塩素臭ぇ水だな、と言って笑ったときのあの子の眼はもう私の知っているあの子の眼ではありませんでした。のちにその聖水は本当に水道水だったと聞かされて驚きました。悪魔祓いは精神のバランスを取り戻すための治療で、水なら何でもいいと、その悪魔祓いのクリスチャンは言ったのです。

 そう嘘でいいんです。私がそう思ったせいでしょうか、これが言霊の恐ろしさでしょうか。そう思った途端、私はあの子の事が疎ましくなってきたのです。あの眼付き、体、声、匂い。何もかもが私の知る息子のモノではありませんでしたから。

あの子のあの体には一体、何が住んでいるのでしょうか。堪り兼ねてそう訊いた時、皇極法師はこう仰られました。

 誰もおらん。

 私はホッとしました。この世の中でようやく味方が出来た気がしたのです。


 

 

第24章

 毎朝必ずコーヒーを飲むことにしています。インスタントコーヒーね。そしてヨーグルトを、カレーライスのスプーンに2杯ぐらい食べます。そうすると前日のお酒が嘘のようにスッと抜けるんですね。でもこれじゃいけませんね、コーヒーに頼りっ放しって。 

 昨日UP-Tに3店舗目を作ったんですが、今ちょっと休止中です。またすぐ復帰します。こうご期待! 

 しかし、もう正月ですね。静かな正月になりそうですね。そしてまた1年やり直し。そんな気分が、年々強くなるような気がします。希望と未来が、諦念と過去に凌駕され始めているという事でしょうか。実際、同じ仕事をしていると、同じような日々が続くのはわかりきっていますし、これといっていい事がないのも分かり切っています。最高な結果は今と変わらず健康で過ごせる事。そんな風に考えが傾倒するのは、頭の中の視力が劣化し始めているのかもしれないです。 

 新年以降を、出来るだけ楽しく有意義に過ごすには、このバランスを今一度、昔のように華やかな状態に戻さなければ。 

 オレンジ色のモヒカン頭で、ジャンポールブレリーと、デヴィッドフュージンスキーとバーノンリードとジミヘンドリックスとデヴィッドギルモアを足して一切割らない様な、化け物ギターリストになって、天才の名を恣にして、全国、全世界ツアーに出掛けると本気で思っていた頃のバランスに、ほんの少しでも近づけるように……。 

 忘年会はどうするか。息子に訊くと、育ち盛りの息子はとにかく肉を喰いたいと言います。 

 よし、じゃあ、そうしよう。 すたみな太郎で。

 今、私の気がやや沈んでいるのは、例の手紙の返事が、ともすると喧嘩腰になってしまったような気がして心配だからです。今の子の母親からの手紙を読むうちに、私は親という存在のあまりの身勝手さを腹立たしく思ったと同時に、親という存在の恐ろしさが、それこそ冬の寒さの様に忍び寄ってくるの感じたからです。 


 先日はご来店いただきまして誠にありがとうございます。『ひざ通商。』の代表を務めております。〇〇〇(私の本名)です。早速、〇〇〇(今の子の本名)君に店を手伝ってもらう様になった経緯をお話しいたします。 

 まずは私があの店を立ち上げたのはこの夏の頃です。コロナが世間を震撼させていた、まさにその頃です。私はトラックドライバーを生業としておりますが、他の業界に違わず、運送業界もこのコロナの大打撃を受けて、仕事が激減しておりまして、そのために私は副業として、この仕事を始めました。 

 副業、と言いましても、私はこの世界に直接存在しているわけではありません。様々な人の中に様々な価値観、世界観があると、まずそれをご納得いただいた後、この続きをお読みください。 

 私が今話しているのは、私のブログの中の世界に対してなんです。なかなか信じてもらえないと思いますが、例えばパソコンや携帯電話のスイッチを切ってしまえば、私はこの世界からいなくなってしまうのです。そんな状態で、私は〇〇〇君に出会ったのです。もう一人の少年と2人である日私の店を訪れて、手伝わせてくれと、そう言ったのです。 

 先程も申しましたが、私は普段トラックドライバーをしている関係で、日中は店を覗いたりする事はほとんどできません。なに、別に覗かなくてもネットのショップなので店番は要らないようなモノなのですが、まずはコンセプトとして、ブログの中に、あたかも本当の店を経営しているという風にしたかったもので、それで2人にお店番を頼む事にしたのです。 

 2人は私に、家はあるが帰れない。そんな事情を汲んで欲しい、との趣旨の事を言いました。私も最初、家出少年かと思ったのですが、2人は違うと言いました。私にはそれを疑う余地はありません。なぜならば、この2人をネットのフリー画像の中から見つけたのは私だからです。出会いは、私の方からだったんですよ。 

 ネットのフリー画像の中に、私の子が?  

 あなたはそう訝しがられるかもしれません。しかし、私の方からすると、 

 ネットのフリー画像に、人間の親が? 

 となる訳です。斯様に、私達はとても微妙な関係にあるのです。誘拐犯として私が逮捕されたかもしれないと仰いましたが、それはないでしょう。なぜならば私はパソコンと携帯の電源を切れば、もうここにはいなくなるのですから。 

 いよいよ頭がおかしいとお思いでしょ? でも考えてみてください。死ぬって、まるでそういう事じゃないでしょうか。

 そしてまた任意にスイッチを入れると、死んでない事になる。生き返ったのではないのです。死んでいない事になるのです。我々は現に、そうやって生きているのです。 


 皇極法師様は私に、徹底的にあの子を孤独に曝せと、そう言いました。居場所があるとしたら、この体しかない。そうすれば魂は必ずこの体に帰ってくると。私は心を鬼にして、あの子に出来るだけ冷たく接しました。それは豆一粒を、百尺の菜箸で摘まもうとしているような絶望的な感覚でした。そんなことが出来るのか、そんな事をして、私は酷い親ではないのか。 

 あの子はますます私に反抗的になりました。 


第25章

 緩やかな冬の日差しがベランダからリビングに差し込んでいますが、きっと4時半を過ぎるともう暗くなってくるでしょう。だから5時には帰って来いと、そう言って息子を遊びに行かせたのです。 

 仕事をしている時、私はラジオをつけています。だいたい、FM-TOKYOを聴いているのですが、その放送の中で、タレントの風見しんごさんが出ている農協の交通事故ゼロキャンペーンのCMがあるのです。風見さんの娘さんは、登校途中に交通事故で亡くなっているんです。風見さんは、 

 お子さんに、繰り返し危険を教えてあげてください。と仰ってます。事故が起きてからでは遅いから、と。運転者としても父親としても、身に詰まされるCMです。 

 だから私は息子が野球の練習に行くとき、学校に行くとき、そして遊びに行くとき、必ず、車やバイクに気を付けろよ! と一言声を掛けます。仕事で朝が早い時は、息子が小学1年生の時、父の日に描いてくれた私の似顔絵に、何もない、何事もなく必ず帰ってくるから、お前も必ず無事で帰って来いよ、と声をかけてから出掛ける事にしています。 

 願掛けですね、強迫神経症の軽いヤツです。 

 息子はちゃんと5時前に帰ってきました。そしていつもと何も変わらずに、腹減った!と言って年末にお正月用に買っておいたミニラーメンを食べ始めました。私は風呂を沸かそうとして1階に下りたんです。そして風呂の栓をしようとした時、2階で何かが床に落ちる物音がしたのです。息子が食べていたのはマグカップに入れるタイプのミニラーメンだったので、私は息子がそれを落としたのだとすぐにわかりました。普段からゲームをやりながらおやつを食べたりして、その事を再三注意をしていたので、おそらく今回もそうだろうと、おい、何落としたんだよ! と言いながら2階に戻ったんです。 

 2階のリビングにはラーメンが散乱して、息子が倒れていたのです。手足を硬直させて、痙攣しているのです。私は頭が真っ白になって、自分が誰なのか、それしかわからなくなったんです。私はこの子の父親。 

 おーい、おーい、そう言って抱きすくめても暫く息子の体はがたがたと痙攣を止めませんでした。やがて少しずつ力が抜け始めると、今度は大きな鼾をかき始めました。そして、目が白黒に戻り、少しずつキョロキョロと動き始めたのです。これで、まず大丈夫な事は、私は知っていました。 

 救急搬送された病院では、てんかんの可能性がある、と言われました。それも、だいたいわかっていました。2か月前、同じように学校でも倒れていたからです。  

 ただ……。 

 万が一、そう考えると現実を信じる気がしなくなるのです。そして、あの子がこの事を気に病まないか、そう思うとますます、現実を信じる気がしなくなるのです。 

 でも、現実を胡麻化す事は出来ても、信じない事は出来ません。だから私はこの事で、息子よりもまず、自分が傷つかないようにすると決めたのです。息子は何処でどんな状態でいても、私にとっての宇宙であることに変わりはない。私はその宇宙に住んでいる。そして息子は私の夢の中に住んでいる。 

 私が傷付くと、息子の住む世界が曇るのです。 

 息子が傷付くと、私の住む宇宙が歪むのです。 

 親は子のためにいるのでもなく、子は親のためにいるのでもないのです。ただお互いに絶対に必要な存在であるという、この事だけは疑う余地もないほど確かな事だと思うのです。そしてこの、必要である、という事実を、私は私の力の及ぶだけ、一番大きく解釈したいのです。現実も、命も、時間も超えて更に尚大きく。 

 今の子の母親の手紙は、このあたりから私の感情を逆撫でし始めました。 

            


 あの子の反抗的な態度や、仕草、暴力は、あの子の回帰を阻む虫どもが苦しむ姿に見えてきたのです。私は、自分がおかしくなっている事に気付いていました。でも同時に、それに必死に抵抗しているのも私だと、そうも気付いていたのです。私はあの子を無視し続けました。そして、虫どもを苦しめる、さらに効果的な方法を発見したのです。 

 私は無視を保ちながら、話しかける技を身に着けたのです。虫どもは私の策にまんまとはまりました。そして掌を反すように優しく話しかける私に、待ってましたとばかりに、さも息子の様なフリをして甘えようとし始めたのです。周りから見れば息子が心を開いている様に見えていた事でしょう。でも今そんな事で気を許すと、虫どもの思う壺です。きっともう少し、もう少しで、息子はこの体に帰ってくる。 

 皇極法師は私のやり方を褒めてくれました。実に息子思いで、優しいいい方法だと。反発させていては長引くばかり、決して心を見せず、ただ優しく接するのは、母親の本能を持つ本当の母親にしかできない事だよ。そう言ってくれたのです。私は涙が出ました。皇極法師だけが、私を理解してくれている。 

 しかしある日、あの子は突然いなくなりました。釣り糸が切れた様に、ふっつりと手応えがなくなったのです。体が、帰って来なくなったのです。主人と相談して警察に捜索願を出しました。2日後、森の中でうずくまっている息子が発見されたと警察から連絡がありました。主人と私は急いで警察に向かいました。そこにはカップラーメンを持って俯いている息子の体がありました。私達を見るなり、泣きそうな顔になったのです。 

 その顔を見て私は虫どもが、いよいよ息子の体を持て余していると確信しました。駆け寄って抱きしめた息子の体からは、胸を突く獣のような臭いがしました。私は必死にそれを我慢して、どこに行ってたの! と言ってさめざめと泣いて見せたのです。勝負ありです。そうしながらテレパシーで、体ごと逃げようったってそうはいかないよ、あの子の体はお前の意のままにはならない。この世の中で、中学生を雇ってくれるような場所はそうそうないからね。そうやってお前はヨボヨボの爺ぃになるまで一生、警察のカップラーメンだけを食べて生きていくつもりかい? 人間は、人間の体は、お前が考えるよりもずっと面倒くさいんだよ! 

 帰りのタクシーの中で、あの子は嬉しそうでした。父さんと母さんと3人なんて、何時ぶりだろう、そんな事を言いました。家に帰るとまた、私のおぞましい責め苦が待っている事も知らずに。 


第26章

 限られた時間の中で、どれだけ有意義なことが出来るか。時間に縛られた人間は体と魂を分離して考える事を極端に怖がりますからね。縁起でもない! ってね。純粋に可愛いと思います。あ、いえいえ、別に見下しているのではありませんよ。羨んでいるのです。 

 私には終ぞ、そんな瞬間はなかったから……。必死に命にしがみついたような、そんな覚えがないんです。 

 私の三賀日は毎年とても忙しいのです。箱根駅伝を見なければいけないのでね。お正月はこれに決めています。毎年私の母校、東海大学がどんな走りを見せてくれるのか楽しみです。見渡す限りの瞬間が、彼らをぐるりと取り囲んでゴールテープの様に待ち受けています。 

 息子は私がテレビを独占している間、PS4でゲームが出来ないと不満げですが、私は箱根駅伝だけは譲りません。それと理由はもうひとつ。 

 息子に痙攣を誘発させた原因の一つには、去年のクリスマスに貰って以来、ずっと気に入って遊び続けている、ニンテンドーswitchがあるのではと疑っているのです。 

 私は視力が弱いので、ああいう色鮮やかな画面が脳に負担を掛けているのがはっきりとわかるのです。 

 ちょっとは、大切な目と脳を休めなさい。 

 でも息子は止めません。そして私も、そう言うだけで息子からゲーム機を取り上げる様な事はしません。この子の楽しい時間が、楽しげに遊んでいる時間が私はもう何よりも好きだからです。どれぐらい楽しい時間を過ごすかどうか、これが幸せを測る一番正確な見当になると思うからです。こんな時間が息子にも私にもずっと続けはいいと、毎日、毎秒、欠かさずそう思っているのです。 

           


 あなたの手紙からは親としての苦悩が溢れて、同じ親として読んでいてとても心が痛みました。確かに、私は少し常識に外れていたかも知れません。もっと常識に則して、この世界の、私がブログとして立ち上げたこの世界の礼節を重んじた行動をとるべきであったかと思います。私は或いは、これは所詮は虚構の世界に過ぎないという、自分の本来の意図に反する軽率な考えでいたのかもしれません。 

 しかし私はあなたの手紙を読み、あなたに〇〇〇君をお返しする事は出来ないと判断しました。それはそちらの世界にも、私の世界同様に法律や常識があるのと同じように、社会の闇に隠れたあらゆる問題もあるのだと、私はあなたの手紙から知ったからです。 

 私は今こうしているのがとても辛いしとても楽しいのです。でもそれに気付く事はありません。それは生まれた時間から死ぬ時間までの間に全て相殺されていて、何一つとして集約できる事などないからです。しかし無理にでもそうしなければ、私はあなたに対峙できないのです。あなたが私にバカ!と言う、すると私はあなたに、何だと!といいかえす。これはあなたと私がに対峙していないと出来ない事です。つまり、あなたと私が時間と場所を同じように固定する事です。連綿と続き途切れない時間と空間を切り、あられもない断面を晒し、それについて議論するという事です。 

  あなたと話す時、私もあなたも、固定された時間に、つまり写真に話し掛けているのと同じなんです。 

 バカバカしいでしょ。コイツ、完全に頭がいかれている、とお思いでしょう。そうです、他人の話を聞くなんてそんなもんです。大概はうまく伝わりません。だからもうやめます。結論から言います。 

 私はあなたに、息子さんを、〇〇〇君をお返ししません。彼の魂も、体も、ずっと私のブログの中に、そしてあの、道祖神の中に、いてもらう事にします。 

 あなたはまだ気づいてないと、彼は私に言いました。 あなたたち家族を、ただのエキストラさんだと。彼は苦しんでいる自分がいる事にも薄々気づいています。芥川龍之介はそれを、将来に対する唯ぼんやりとした不安、と言ったのかもしれません。流れる水の面に、ふと苦悶の表情が見て取れる、そんな感じでしょうか。抗いがたい不安。

 あなたが今必死に彼の中から追い出そうとしている虫、それも息子さんであることを、あなたはちゃんと気付かなければいけません。都合のいい息子だけを、自分の知っている息子だけを息子だと思ってはいけません。そしてその、皇極何某の様な類の人をあまり妄信しない方がいいと箴言させていただきたい。こういう輩は何処にでもいます。そして人の弱みに付け込んで、もっともらしい事を言うのです。そういう才能には、恐ろしく長けた人種なのです。 

 彼があなたにとって、そして〇〇〇君にとって役立つことはありません。すぐに縁を切って、すぐに〇〇〇君を何も言わずに抱きしめてやってください。 

 あなたが私の店で話しかけていたあの道祖神を、あなたは実際には見た事がないかと思います。あれは群馬県吾妻郡長野原町応桑にある諏訪神社の鳥居の左側に鎮座する道祖神です。 

 あなたには息子にしか見えなかったでしょ?そういう事が、実際にあるのです。時間を断面的に見ると、時にそんな風に見えてしまうのです。 

 自分が生きている間の、せいぜいいい時間だけを選んでそれだけを自分の息子とする事はどうか止めてください。過去、現在、未来、すべてが息子であると思ってください。それは、体が、命が尽きたとしても、その先の先の先まで。 

           


 なんという疲れる手紙を書いたモノかと思います。これじゃあまるで私は気の狂った人間にしか見えないでしょう。このご婦人も私の手紙を読んで、気の触れた男に息子が拉致されているとして私を誘拐犯として通報するかもしれません。出頭しろというならするならしようと思ってます。 

  そしてこの手紙を書いた直後、息子が倒れたんです。その瞬間、私はバチが当たったのだと思いました。 

 バチが? 当たる?  

 なぜだか、息子が倒れたのは私のせいだと、そう思うという、バチが当たったのだと。 

 そういう事も、実際たまにあるようです。 そう思える要因は、私の中にいくらでもありますから。 

 私は息子が倒れた背中と同じように、その時間を何度も何度も撫でて、その手触りが滑らかになるまで、何事もなくなるまで続けようとして、棘が刺さったのでしょう。そんな甘くない、そんな誤魔化しは効かないと、そう言われたのでしょう。

 そんな事も、時々あるようです。 

 私には私の事は何もわかりません。だから、生きているのでしょう。生きていられるのでしょう。 

 では今日もそろそろ出かけます。どこへって、仕事ですよ。私はトラックドライバーですから。 


         

第27章

 

 二度目にあの子がいなくなったときの私はもう落ち着いていました。皇極法師が、なにも心配はいらない。もうじきあの子は私の元に帰ってくると仰いましたから。しかし、あの子はとうとう帰ってきませんでした。私は、自分の人生が終わったと感じました。あの子が生まれてから、あの子が最後にいなくなるまでのすべての瞬間が、白々と映ったのです。きっとあの子がいなくなると同時に、あの子の母親もいなくなったのでしょう。

 私にはもう助かる手立てはないのだと、そう思ったのです。 こんな、ありもしない出来事と、いもしない息子の事を、いまさらどう受け止めればいいかなんて、私にわかるはずもありません。

 あなたにはわからないと思います。 

 いきなり目の前から我が子がいなくなる事の、身を切り刻まれるような痛みは。 

 やっとみつけたんです。 

どうか、息子を我々の元に返してください。 

            


 手紙をポストに落とすと、カーンという乾いた音がしました。晴れた冬空の様な高らかな音です。何もない、何の意味のない音です。今年は年賀状も届かなかったので、なんだか寂しい正月ですが、それもずっと前からわかっていた事ですから。  

 母は去年の11月に亡くなりました。私がこのブログで沈黙していた時間と重なっていると思います。母は年を越せませんでしたね。享年82歳。最後の数年は本当に可哀想でした。亡くなる前日の母の様子を、姉が携帯カメラで撮影したものを見せてくれました。目や口が微かに震える様に動いています。 

 それは消えそうな火が、水面を微かに揺らしながら燃えている、そんな圧倒的な弱々しさです。そして火は消えました。何も惜しまず、何もじらさず、ただ為されるがままに淡々と消えた。そして母が元居た場所のさざ波は消え、また何もない水面に戻りました。 

 姉はそれを確かめるように、母の額を何度も触ったり頬を触ったりしていますが、私にはそれがどういう行為だかよくわかりませんでした。 

 私の喜怒哀楽は常に相殺されて起伏はありません。穏やかな状態です。この後、家に戻ればきっとまたブログの続きを書くか、或いは新商品のデザインをするでしょう。気に入ったモノが出来たら嬉しいし、売れたら尚、嬉しい。しかしそれもすぐに相殺されていて実体のないモノになります。すべてのモノも、波も、音も、色もです。そんな状態で、私はこのブログを書いています。きっといつか誰かの、何かの役に立つような気がして、本当にただそんな予感のために書いているのです。 

  あの手紙は本当に届くのだろうかと少し疑っています。実際に出したのだから住所が間違っていなければ着くという事です。 

 リンクしたのでしょうね。今の子の母親が息子を必死に探すあまりに少しずつ拡張させていった現実のどこかの端と、私がブログで作ったこの世界のどこかの端が。こんな事はよくある事でしょう。そしていつか自分がそのどっちに住んでいるのかよくわからなくなればそれが、今よりずっと本当であることを、私は微塵も疑いません。 

 あれから、息子の様子は落ち着いています、今日は日曜だから、きっとまだ寝ています。帰ったら起こしてやろう。それとももう起きているだろうか。そしてうっすらと寝腫れた菩薩の様な顔をムスッとさせて、この正月に買ったばかりの大型の座椅子に座りながらぼんやりとテレビを観ているだろうか。 

 私は、おはよう、といってやろう。そして頭をガシガシしてやろう。きっと息子は面倒くさそうにその手を払いのけるだろう。 

 最近返事をしなくなってきた息子。そうしてだんだん自我をもって、その分、孤独になっていけばいい。それは私は助けない。私が助けるのは命だけだと、そう決めてるんです。いずれ同じ水面に戻る事を、私も息子もよく知っているのですから。 

 久々に店を覗いてみましょう。

 琥珀のようなヒンヤリとして温かくない、粘っこい蜜の様な光が店中に満ちています。36歳の大きな金魚の影が、新聞の上に揺れています。そして二人はいつものように、店の真ん中に座り、相変わらず何かコソコソと話をしている様子です。無限の記憶を持つモノ同士は、あらゆる話をするのですが、それはすべて時間を区切っただけの雑談なんですよ。 

          


 あのさぁ、地震の時さ、どこにいた? 

 山の上にいたよ、真っ黒い水が町を飲み込むのをみてた。君は? 

 気付かなかったんだよね。あっという間で。 

 あ、そうなの。苦しかった? 

 全然、あっという間だよ、あっという間。 

 私は少し身構えました。何をどうしていいのかわからないが、何とかしてこの二人の会話を止めないといけない気がしたのです。私の悪い癖かも知れません。どうしようもない時間を何度も何度も撫でては何とか滑らかに鞣そうとする。でも誰でもやってしまうでしょ? あなただって、ついやってしまってるでしょ?

 2011年3月11日。 

 東北を襲った大地震は、1万5000人を超える死者と、2500人を超える行方不明者を出した。 

 思い出しても尚、私の心は平穏で穏やかなままです。ただ、あの時、ボロボロと泣いた記憶だけが、全く今の事のようにしてありありと蘇るだけです。私はコンタクトレンズのケースと洗浄液を数ケース被災地に送りました。都庁のサイトに本当に足りないモノのリストがあり、そこに書かれていたのです。妻は生理用品と紙おむつを送りました。やたらと毛布ばかりが送られて、正直迷惑してます! というコメントには批判する声が出た。 

 救援物資を迷惑とは何だ!! 

 善意は誤解されたわけでもなく届かなかったのではない。初めからなかったんです。対岸の火事に、視聴者参加型番組のように、少し触ってみたら、予想と違う面白くない反応を示されて腹が立った。 

 被災した弱者のくせに! 生意気だ! 

 という全く残虐なだけの、救済の振りをした憂さ晴らしが、被災地を何度も何度も、津波のように襲ったんです。 

 私はまた、そんな様子を目の当たりにして大泣きした。 

「でも、よかったわ。」こんな声が聞こえたんです。 

「あのミサンガ、お姉ちゃんよね。うん、間違いない、お母さんはっきり覚えてるもん、あれはお姉ちゃんだわ。顔はね、もう全然わからない。でも、よかったわ。やっと見つかった。やっと帰ってきた」 

 私は号泣しながら、嗚咽と共に目を覚ましました。目の前の道路で水道管の埋設工事が始まりガンガンと、うるさいのです。そして家全体が揺れるのです。 

 息子は隣ですやすやと眠っています。少し頭を撫でてみたら、寝ながら私の手を面倒くさそうに払い避けたのです。 

 生意気な……。 


第28章

             

 時間はいつもと同じようにゆるゆると流れていますが、まるで別々のところを流れています。それはあり得ない事でも不思議な事でもありません。 

さてと、私は重い腰を上げます。休日は私が風呂を洗う約束になっているからです。座椅子から立つのも一苦労。ずいぶん年を取ったモノです。 

 もしかすると私はもうじき、時間の呪縛から解放されたのかもしれませんね。 

 二月の初め、息子は野球の練習を無事に終えて帰って来ました。無事になんて言うのは大袈裟なようですが、癲癇の発作を起こす様になってから、私か妻が練習に付き添う様になったのです。それは医師からも、野球チームの方からも頼まれた事で。 

 まだ寒いですが天気は良く、トラックドライバーで運動不足が慢性化している私にはちょうどいい運動のようです。風が少しあって、砂埃っぽい中、目を細めながら、私は小学校のグランドの一番奥の方を走るユニフォーム姿の集団の中から、息子をすぐに見つけられた事にほっと安心したのです。 

 寒くないかと言うと、息子は少し寒いと言いました。でもいつもと同じようにリラックスしている様子で、息子はいつもと同じように座椅子にもたれ、おやつを食べながら、またいつもと同じようにyoutubeを見ていたのです。 

 夕方4時半ごろです。さて、そろそろ晩御飯だし、もうそろそろおやつは止めにして、と声を掛けようとした時、 

か……、か、あ……、ああ。 という息子の声が聞こえたのです。息子は座椅子に凭れたまま発作を起こしていました。私は息子に寄り添うより先に携帯電話を持ち、その様子を動画で撮影し始めました。以前医師から、そういう映像があった方が、より症状を特定しやすいと言われていたのを真っ先に思い出したのです。 

 何かとても残酷な事をしている様に感じました。 

 全身を痙攣させて、白目を真っ赤に血走らせている息子に手を差し伸べるでもなく、いち、に、さん、とカウントしながら撮影しているのは、まるで見殺しにしているような気分です。 

 でも皆様。 

 もし癲癇の発作に出会った場合は、私と同じようにしてください。そして迷わずに、必ずすぐに救急車を呼んでください。そしてその発作が、何分ぐらい続いたか救急隊に知らせてください。 

 私は救急隊に動画を見せ、主治医にも見せました。 

息子は何度も、自分の見られたくない姿を見られることになりました。 

 うん、少し、目が右に寄ってるかな、と医師は画面を拡大しようとしましたが、携帯の動画の画面は拡大できませんでした。 

 あぁ、ネコも心配してるね。 

 医師はそう言ってハハハと笑いました。画面には痙攣を起こしている息子に恐々と寄り添う猫が写っていました。撮影している時には、全く気が付きませんでした。 

 しばらく様子を見て、もう大丈夫でしょうという事で、息子はその日のうちに家に帰ってきました。飲んでいた薬は副反応を見るためで、もともと治療に有効な量には達していなかった、だから発作は起きても不思議ではない。と主治医は言いました。 

 妻と私は、妙に明るく餃子を包みました。少し遅くなった晩御飯は、息子が大好きな手作り餃子で、息子はやった! と言い喜びました。理由などたいしてありません。ただ私と妻は、ありえないほど陽気に餃子を包み続けたのです。おかげであっという間に包み終わりました。さらに、フライパンが買いなおしたばかりで新品であったため、餃子は焦げ付きもせず、まあ驚くほど綺麗に焼けました。 

 いただきます! 

  餃子の上を、季節外れの小さな虫が飛んでいたのでしょう、息子は目だけでその虫を追っている、そう見えたのです。 

 そしてそのまま、息子は二度目の発作を起こしたのです。さっきの発作からまだ3時間しか経っていません。目が右に寄ったのは、脳のそういう部位で発作が発生しているからだと医者は冷静に分析して見せましたが、念のためそのまま入院という事になりました。私は息子の表情が頭から離れず、眠り続ける息子の様子を、表情を、今まで感じたことがないほど忌々しく疑わしく見ていたのです。 

 或いは、私の時間がもうとっくに終わっているのかもしれません。たとえ終わっていたにしても全然かまいません。それは正しく言うと、私の時間が終わったのではなく、私が時間を感知出来なくなったという事でしょうからね。 

 穏やかな午前の日の光が私の膝に掛かっています。息子は座椅子に座ってテレビを観ています。今日はこれから、少し離れたグランドに練習に向かう予定です。 

 私はいろんな瞬間を同時に思い出しています。そしてその好きな瞬間を『今』とします。 

 それは誰にでも出来る事です。 

 何が起きるのか、起きたのか。私はすべてわかっています。要するにそのことがすべての不安なのです。すべての憶測も希望も、私は自分の中には不安として持っている、そしてそのそれぞれの時間が、目の前を網の目の様にランダムに流れているのです。 

 ちょっと……、 

 目を閉じて、そっと開けてみてください。何か変わりましたか? 何も変わらない、そう感じましたか? 

 それはあなたに希望だけが見えているという事ですね。 

 素晴らしいです。いつかまた、私は酷く悲しむかもしれないし、酷く喜ぶかもしれない。 

 その記憶のすべてが今、私の中にどんよりとさせる事なく、発作を起こすことなく、ジッと落ち着いている。そういう事でしょう。つまり今見えているのはすべて、希望という事に、

なりませんか?

 さあ、そろそろ出かけましょうか。私がその少し離れたグランドまで送っていくのです。 

 おい、そろそろ、準備しろ。 

 息子は返事をしません。 

 おい、おい! 

 私が慌てて座椅子まで行くと、息子はすやすやと眠っていました。 

 暖かい朝の光を浴びながら。 

 遅れるだろ! 

 私が頭をポンと叩くと、 

 痛ぇ! と目を覚ましました。 

 そんなモン、痛かぁねぇよ!